生活 林芙美子 Guide 扉 本文 目 次 生活 なににこがれて書くうたぞ 一時にひらくうめすもも すももの蒼さ身にあびて 田舎暮らしのやすらかさ  私はこのうたが好きで、毎日この室生さんのうたを唱歌のようにうたう。「なににこがれて書くうたぞ」全く、このうたの通り、私はなににこがれているともなく、夜更けて、ほとんど毎日机に向っている。そうして、やくざなその日暮らしの小説を書いている。夕御飯が済んで、小さい女中と二人で、油ものは油もの、茶飲み茶碗は茶飲み茶碗と、あれこれと近所の活動写真の話などをしながらかたづけものをして、剪花に水を替えてやっていると、もうその頃はたいてい八時が過ぎている。三ツの夕刊を手にして、二階の書斎へあがって行くと、火鉢の火がおとろえている。炭をつぎ、鉄瓶をかけて、湯のわくあいだ、私は三ツの夕刊に眼をとおすのだ。うちでとっているのは、朝日新聞、日日新聞、読売新聞の三ツで、まず眼をとおすのは、芝居や活動の広告のようなものだ。女の心がある、行ってみたいなと思う。永遠の誓いと云うのがある、みんな観に行きたいと思いながら、その広告が場末の小舎にかかるまで行けないでしまうことがたびたびなのだ。  広告を読み終ると三面記事を読む。その三面記事も一番下の小さい欄から読んでゆく。三ツの新聞に、同じような事が書いてあっても、どれも違う記事のように読めて面白くて仕方がない。政治欄はめったに読まない。だから私は、小学生よりも政治の事を知らない。──いつだったかも、日日新聞から、議会と云うものを観せて貰った。入口では人の懐へまで手を入れて調べる人がいたり、場内へ這入ると、四囲の空気が臭くて、じっとしていられなかった。真下に視下す議場では、居睡りをしている人や、肩を怖からせてつかみあっている人たちがいた。それが議員と云う人たちなそうで、もう吃驚してしまって、それきりな気持ちになってしまっている。  ひととおり新聞を読み終ると、ちょうど鉄瓶の湯が沸き始める。もう、この時間が私には天国のようで、眼鏡に息をかけてやり、なめし皮で球を綺麗にみがく。そうして茶を淹れ、机の上の色々なものに触れてみる。「御健在か」と、そう訊いてみる気持ちなのだ。ペンは万年筆を使っている。インキは丸善のアテナインキ。三合位はいっている大きい瓶のを買って来て、愉しみに器へうつしてつかう。二年位あるような気がする。原稿用紙の前には小さい手鏡を置いて、時々舌を出したり、眼をぐるぐるまわして遊ぶ。だけど、長いものを書き始めると、この鏡は邪魔になって、いつも寝床の上へほうり投げてしまう。机の上には、何だか知らないけれども雑誌と本でいっぱいになって、ろくろく花を置くことも出来ない。唐詩選の岩波本がぼろぼろになって、机の上のどこかに載っている。  九時になっても、お茶を飲んで呆んやりしている。昔の日記を出したりして読む。妙に感心してみたり、妙にくだらなく思ったりする。心の遊びが大変なもので、色々な人たちの顔や心を自由に身につけてみる。あの人と夫婦になってみたいなと思うひとがあって、小説を書く前は、他愛のないそんな心の遊びが多い。──十時頃になると、家中のひとたちがおやすみを云いあう。皆が床へつくと、私が怖がりやだから、家中の鍵を見てまわり、台所で夜食の用意をして、それを二階へ持ってあがる。塩昆布と鰹節の削ったのがあれば私は大変機嫌がいいのだ。この頃は寒いので夜を更かしていると躯にこたえて来て仕方がない。なににこがれて書くうたぞ、でその日暮らし故、それに、やっぱり書くことに苦しくとも愉しいので机の前に坐ってしまう。腰をかける椅子なので、寒くなると、私は椅子の上に何時か坐って書いている。書いていて一番厭なのは、あふれるような気持ちでありながら、字引を引いて一字の上に何時までも停滞していることが、一番なさけない。私の字引は、学生自習辞典と云うので、これは、私が四国の高松をうろうろしていた時に七拾五銭で買ったもの、もう、ぼろぼろになってしまっている。何度字引を買っても、結局これが楽なので、字が足りないけれどこれを使っている。本当に、考えて見れば田舎の女学生みたいな生活だけれども、こうして、私の生活を何か書けと云われると、私は、ぱっとした暮らしでもない自分のこの頃に、何とない、おかしなものを感じ始めているのだ。  雨。  今日もまた雨なり。膝小僧を出して『彼女の控帳』をとうとう書きあげる。二十七枚『新潮』へ送る。駄菓子を拾銭買って来て一人でたべた。小かぶと瓢箪瓜を漬けてみる。二、三日したらうまいだろう。母より手紙、頭が痛い。──十二日  雨。  へとへとだ。くだらなく徹夜して読書。──財産三拾七銭はかなや。夜、紫なる寅の尾の花拾銭、シオン五銭買って来る。雨に濡れて犬と歩む。よき散歩なり。フミキリの雨、夜の雨、青く光って濡れて走る郊外電車、きわめてこころよし。──十三日  これは三年前の秋の日記だけれども、何かが恋をでもしているような子供っぽい日記だ。いまは、何も彼も愕きのない生活で、とても、此様な日記はかけない。──昔は、肉親たちがちりぢりに遠く散っていて孤独であったせいか、燃えあがるような気持ちだったけれども、いまは私の家にみんな集って来ているので、時々辛いなと思う時がある。──昼間は客が多いので、仕事はたいてい夜中だけれど、夜中の仕事は私には少々辛くなって来た。翌る日はおばけのような顔で、ふためとは見られない。寝床へ這入るのが四時頃、七時には眼が覚めてしまう。家の近くに辻山病院と云うのがある。古くからの知りあいで、私はここでこの頃睡り薬をつくって貰っている。疲れると、その睡り薬をのんで、昼間でもベッドに横になる。ベッドと云っても、寄宿舎にあるような小さいベッドなので、寝心地が何となく悪く、すぐ眼が覚めるのもベッドのせいかも知れないと思っている。朝、六時か七時には、どんなに寒くても起きあがり、ひととおり新聞を読むのが愉しみ。文芸欄を読み、家庭欄を読み、それから政治面の写真だけを見る。それでおしまい、三面記事を朝読むのは怖いから読まない。一日厭な思いをするから、たいてい、昼すぎにちょいちょいのぞくことにしている。  徹夜の仕事はろくなものは書けないのだけれども、どうしても夜になって、「ああ」とくたびれてしまうのだ。私だけの客でなく、家のひとたちの客も見える。おかずごしらえ、下着の洗濯、これでなかなか楽な生きかたではない。年齢をとった女中をおくことも時に考えるけれども、いまの女中は十三の時に来て三年いる。私の邪魔にならないので、何が不自由でも、それが一番幸せだと思っている。第一、女中がいてくれるなんて、マノン・レスコオの中の何かの一節にあったけれども、なりあがり者の私としては、はずかしい位なのだ。しかも三年もいてくれている。  私は、ひとにはなかなか腹をたてないけれども、家ではよく腹をたてて自分で泣きたくなる。その気持ちはどこへも持ってゆきようがないので、机の前に坐り、呆んやりしている。煙草はバットを四、五本吸う。昔、好きなひとがあった頃は、そのひとが煙草がきらいで吸わなかったけれども、いまはそのひとと何でもなくなったので、平気で煙草を吸うようになってしまった。やけになる気持ちは大変きもちがいい。私は何度もやけになって、随分むしゃくしゃした昔だったけれども、この頃は日向ぼっこみたいだ。──小説の話は大きらい、説明や批評が少しも出来ないからだろう。ほら、お日様みたいな小説よ位の説明ならば指で丸をつくって、「ほら、こんなに円満なのさア」で、「ああそうか」と受取って貰うより仕方がないのだ。時々埃を叩くような批評を貰う時がある。辛いなと思うけれども、それで、シゲキを受けることもひといちばいのせいか、すっかり呆んやりしてしまって、腐った、魚みたいに、二、三日蒲団をかぶって寝てしまう。自分の作品がよくないからだ。一番、自分が知っているから一時はゆきばがなくなるけれども、机の前に坐り、また、こつこつ何か書き始める。私はこれが宗教だと云うようなものがあるとすれば、ただ、こつこつ書いている。その三昧境にあるような気がする。厭な言葉だけれども、私は万年文学少女なのでもあろう。  つい四、五日前、税務所のお役人が来た。お役人と云うと、胸がどきどきして、ちょうど昼食時だったけれども、御飯が咽喉へ通らなかった。私は税金を払い始めてちょうど四年になるけれども、蔭では実際辛いなと思ったことがたびたびだった。収入が拾円の時が三、四度あったり、ちょっと旅をすると、その収入が止ったりするのに、税金は私にとって案外立派すぎた。今度も、税金の値上げだったけれども、「年収四千円はありますでしょう」と云われたのは誰のことかと吃驚してしまった。よく運んで二百円、悪くいって九拾円、平均百五拾円あったら、ナムアミダブツと月の瀬を越すことが出来る。 「吉屋信子さんの税金は下手な実業家以上です」と、税務所のお役人が云われたけれども、私は吃驚しているきりで何とも話しようがなかった。一、二枚のものを書いても林芙美子だし、かりそめに、ゴシップに林芙美子の名前が出ていても、それをいっしょくたにしてあれこれ云われるのでは立つ瀬がないから、「どうぞ雑誌社や新聞社で、私が稿料をいったいいくら貰っているかきいてみて下さい」と云うより仕方がない。吉屋さんは先輩でブンヤも違う。「あなたは文学はお好きでいらっしゃいますか」とたずねると、お役人は、学生の頃はそれでもちょいちょい読みましたが、いまは法律をやっていますと云うことだった。感じのいいお役人であったが、年収四千円は困ったことだと思った。純文学をやっているひとって、案外、派手のようだけれど貧乏で、月五拾円あるひとは、新進作家の方でしょうと云うと、そうですかねえと感心していた。 「その純文学の方は誰が一番収入があるのでしょう」  そんなことも訊かれたが、たいてい名前は派手でも、私と似たりよったりでしょうと威張って云うより仕方がない。──十年前から一度も値上げにならない原稿料で、私は割合平気でししとしている。税金も、吉屋さん位になりたいのは山々だけれども、これは生れかわって来ないことには、とうてい駄目なことだろう。「だって朝日新聞にお書きになったでしょう」とも、話が出たが、一万円とまちがわれたのでは浮ぶ瀬もないと思った。二十七回書いても新聞小説だし、二百回書いても新聞小説なのだから困ってしまう。一日胸がどきどきして困った。女学校へやっている姪の顔を見ても腹がたって、「税金が増えるのよ、怖かないか」と云うと、怖いと同情してくれた。 「いったい、税金って何に使うか知ってる?」と十五歳の姪に尋ねると、「ほら、大名旅行ってあるじゃない、あんなのじゃないの」と云う答えだった。そうかなアと思った。 ──私は、草花が大好き、花ならば何でもいい。冬の剪花は、手入れがいいので三週間位もたせる事がある。花は枯れてからも風情のあるもので、曾宮一念氏が、よく枯れた花を描かれるけれども、枯れた花の美しさは、仄々としていて旅愁がある。女の枯れたのも、こんなに風情があるといいなと思う。私は三十二歳になったけれども、同年輩の男の友人たちは、みずみずしくってまだ青年だ。武田麟太郎さん、堀辰雄さん、永井龍男さん、いずれも花菖蒲だ。だけど、女の青春はどうも短かすぎる。──いま、せまい私の机の上に、小さいコップが乗っている。マアガレットや、菜の花や、矢車草や、カアネイションが一本ずつ差してあるが、それに灯火のあたっている風情は、花って本当に美しいものだと見とれてしまう。今度生れかわる時は花になって来たいものだ。花だったら三白草だっていい。  花が好き、その他には、一ヶ月のうち二、三度は汽車へ乗っている。旅が好きで仕方がない。旅の遠さは平気で、歩くことがとても愉しい。この一月は志賀高原へスキーに行った。丸山ヒュッテに泊ったが、幸い紅一点で、雪の山上で私はまるで少女のようにのびのびとしていた。スキーは下手だけれども、暴力的なあの雪を蹴ってゆく気持ちが好きだ。自然と自分とに距離がなくなる。十二沢のゲレンデで、私位よく、勇ましく転んだ者はないと云うことであった。温泉へ這入ると、躯じゅう青や紫のあざだらけになっていて、さすがに転びスキーがはずかしかった。  二月は、伊豆の古奈へ行った。丹那トンネルは初めてなので、熱海を出るときから嬉しくて仕方がなかった。八分位かかると聞いたけれども、随分ながいトンネルのような気がした。  熱海の海の色は、ナポリみたいな色をしている。温くて呆んやりしていて、磯はマチスの絵にあるような渚だ。──古奈では白石館と云うのに泊った。ここでは芸者が一時間壱円で、淋しかったのでてるはと云うひとに三時間ほどいて貰った。  三月は上州の方へ行って見たい。旅をしていると、生れて来た幸せを感じるほどだ。家人は、弁当が食べたいからだろうと云う。私は汽車へ乗ると弁当をよく買う。木の匂いがして御飯もおかずもおいしい。汽車へ乗っていると、日頃の倦き倦きしていることが、いっぺんに吹き飛んでしまって、東京へ帰る時などは、田舎女が初めて上京して来るようなそんな気持ちになり済ましているのだ。 一時が打った 誰もよく眠ったのだろう 五万里も先きにある雪崩のような寝息がきこえる 二時になっても三時になっても 私の机の上は真白いままだ 四時が打つと 炭籠に炭がなくなる 私は雨戸をあけて納屋へ炭を取りに行く 寒くて凍りそうだけれども 字を書いている仕事よりも 炭をつまんでいる方がはるかに愉しい 飼われた鶯が、どこかで啼きはじめる  これは、私の散文だけれども、夜明けに、こんな気持ちを味わうのはたびたびのことだ。炭籠をさげて裏へ出て行くと、寒くて震えあがってしまう。だけど軍手をはめて、がらがらと炭俵をゆすぶって、炭を一つ一つとつまんでいる時は、私が女のせいか、やっぱり愉しい本業へかえったようで、楽々とした気持ちなのだ。  夜明けになると、どんなに寒くても鶯が一番早く啼いてくれる。どの家で飼っているのか知らないけれども、屋根の上が煙ったように明るくなるとすぐ鶯が啼き、牛乳屋の車の音が浸み透るようにきこえて来る。牛乳は二本取っている。母親と私がごくんごくん飲むのだ。牛乳配達や、新聞配達、郵便配達、寒い時は、気の毒になってしまう。夜明けの景色はいいけれども、徹夜をすると、私はまるで皮でもかぶっているように気色が悪い。  朝御飯はたいてい牛乳。本当に御飯をたべるのが九時頃。御飯は女中が焚き、味噌汁は私が焚く。幸せだと思う。仕事が忙がしくなって、台所へ二、三日出ないと、皆、抜けた顔をしている。私は料理がうまい。楽屋でほめては実も蓋もないが、料理はやっていて面白い。  昼間は仕事が出来ないので困る。昼間、仕事が出来ると、近眼にも大変いいのだけれども、昼間はひとがみんな起きているから、つい何もしないで遊んでしまう。忙がしくって困っても、友達が来ると遊んでしまう。友達が来てくれることは何よりもうれしい。日に十人位は色々の人が見える。疲れると勝手に横になって眠る。  家へ来るひとは、男のひとたちが多い。大変シゲキがある。──酒は飲まない。虫歯が出来たし、胃が弱くなって、深酒をすると、翌る日は一日台なしになってしまう。それでもすらすら仕事の出来た後は、どんな無理なことも「はいはい」と承知してあげて、酒も愉しく上手に飲む。仕事の後の酒は吾れながらおいしい。酒は盃のねばる酒がきらい。食べものは何でもたべるけれどもまぐろのお刺身が困る。好きなのはこのわたで熱い御飯だけれど、このわたは高くて困る。お金がはいったら鼻血が出るほどたべてみたいと思う。からすみも好きだけれども、これも高い。うにはそんなに好きじゃない。塩魚が好き、塩魚を見ると小説を書きたくなる。何か雰囲気があるから好きだ。巴里には上手に干した塩魚がなかった。  芝居も活動も子供の時からきらい。母親と女中だけは近所の活動へこまめに出かけて行く。──絵を描くことは私の仕事の二番目で、石油の中で、固くなっている筆を洗っている時は、むずかしい顔をしたことがない。小林秀雄、永井龍男両氏に、絵をあげる約束をしているので、その絵のことを考えていることは何とも云えない。私は静物はあまりうまくない。素人にしてはのイキだそうだけれども、その辺がちょうど面白いところで、描いていると、美しい色をつかっている絵描きがうらやましくなって来る。  マチス、モジリアニが好きで、色刷りを時々出して眺めている。この間は、萬鉄五郎氏の絵を二枚もとめた。萬さんのような仕事をしたいものだと、その絵を見るたびにシゲキさせられるのだけれども、私はなまけもので仕方がない。自分の行末、自分の書くもの、皆々よく判っているけれども、雨か風でもきびしくあたってこないことには、このなまけものは、なかなか腰をあげそうにもないのだ。今年は何も書きたくない。私はいま世界地図を拡げて、印度へ行く事を計画している。秋頃には、欧洲へ行った時のように、気軽に船出したいものだと思っている。何度でも初旅のような気持ちで、私は随分方々へ行った。貯っているだろうと訊くひともあるが、貯っているのは、宿屋の勘定書き位で、全くもって、その日暮らしなのである。云えば、雌山羊の乳をしぼれば、他の者が篩をその下に差し出していると云う、そんなはかない生活なので、躯工合でも悪くなると、あれこれと考えるのだが、まあ、米の飯とお天道様はついてまわるだろうと思っている。月黒うして雁飛ぶこと高しで、どんなみじめな日が来ても、元々裸身ひとつ故、方法はどのようにもなるだろう。  頃日、机に向っていると、矢折れ刀つきた落莫たる気持ちだけれども、それは、自分で這入りいい処をただがさがさと摸索していたに過ぎないのだ。唯一の目的は、まだ遠くにあるのだけれども、所帯を持っていると、今日は今日はで呆んやり暮らして、洗濯ごとや、台所ごとの地帯にいやに安住して眼をほそくしている。  私は「清水の如く特殊の味なし」の仕事を念願しているのだけれども、手踊りがめだつ、嘘やつくりがめだって、何とも苦しくて仕方がない。女と云うものは力が足りないのかも知れぬ。癖の渝らないことは勉強が足りないのだろうけれども、私は、前にも云ったとおり、こんな日向ぼっこをしているような文化生活は困ってしまうのだ。男の作家たちに拮抗してゆこうなどとはつゆ思わないけれども、せめて、もう一段背のびをしてみたいと思っている。──室生さんのこの頃のお仕事の逞しいのに愕いている。武田さんも随分あぶらがのっている。偉いと思う。みんな歴史を持っている人たちだけれども、よく疲れられないものと、その苦しみを考えるのだ。私は纔かに七、八年の歴史しか持っていない。それも、自ら踊りを踊る仕事で、苦味いことだらけだ。  清水のように特殊な味のない仕事をするのはこれからだと自ら反省している。  私には、深く行き交う友達がない。私はほとんど人を尋ねて行ったことがない。町でたれかれに逢うだけのもので、人の家を訪問することはまれだ。自分に倚り添うてくれるものは、結局自分自身なのであろう。──散歩も段々おっくうになってしまった。ひまがあるとベッドに横たわって呆んやりしている。月のうち五、六ぺん、神田の古本屋、本郷の古本屋をひやかして歩く。とても愉しい散歩のひとつだ。割合、不勉強で本代はいまのところそんなにかからない。拾円もあれば我まんしている。昔は、随分飢えたような生活だったので、少しばかり楽になると、私は手におえない浪費者で、何でも買ってみたくて、なりあがり者の気質を多分にそなえているのだ。なりあがりの陽気者のくせに、厭に孤独で、孤独のなかの自分にだけは徹しているので、友達がなくても、そんなに苦しくはない。女だから、女の友達をと考えるのだけれども、自分が足りないのか、向うが私を厭な奴だと思うのか、のぼせあがるようなひともない。男の友達は心に良薬、口に毒薬で、なかなかシゲキして貰える。  詩を書くこと、絵を描くこと、いずれも好きで、自分の仕事のなかに、詩や絵の類似品を持っていることが、私の仕事の味噌だけれども、作家には、色々な波があってもいいと思う。今年は少し休息して、遠くへ行かれるものなら、ひとりでこつこつ目的もなく歩いて来たいと思っている。 底本:「林芙美子随筆集」岩波文庫、岩波書店    2003(平成15)年2月14日第1刷発行    2003(平成15)年3月5日第2刷発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:林 幸雄 校正:noriko saito 2004年8月10日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。