猫の穴掘り 寺田寅彦 Guide 扉 本文 目 次 猫の穴掘り  猫が庭へ出て用を便じようとしてまず前脚で土を引っかき小さな穴を掘起こして、そこへしゃがんで体の後端部をあてがう。しかしうまく用を便ぜられないと、また少し進んで別のところへ第二の穴を掘って更に第二の試みをする。それでもいけないと更に第三、第四と、結局目的を達するまでこの試みをつづけるのである。工合の悪いのが自分の体のせいでなくて地面の不適当なせいだと思うらしい。  どこへ住居を定めあるいは就職しても何となく面白く行かないで、次から次へと転宅あるいは転職する人のうちにはこの猫のようなのもあるいはあるかもしれない。  永らく坐りつづけていたあとで足がしびれて歩けなくなる。その時、しびれた足の爪先をいくら揉んでもたたいてもなかなか直らない。また、夜中に眼が覚めてみると、片腕から手さきがしびれて泣きたいような歯がゆいような心持がすることがある。これもその、しびれた手さきや手首を揉んでも掻いてもなかなか直らない。これらの場合にはそのしびれた脚や腕の根元に近いところに着物のひだで圧迫された痕跡が赤く印銘されているのでそこを引っかき摩擦すればしびれはすぐに消散するのである。病気にもこんな風に自覚症状の所在とその原因の所在とがちがうのがあるらしい。  人間の心の病や、社会や国家の病にもこんなのがある。異常を「感じる」ところをいくら療治してもその異常は直らない。それを「感じさせる根原」の所在を突き止めなければ病は直せないのである。しかしこの病原を突きとめて適当な治療を加えることの出来るような教育者や為政者は古来稀である。  喧嘩ばかりしていて、とうとうおしまいに別れてしまう夫婦がある。聞いてみると到底性格が一致せぬからだという。しかしよくよく詮議してみるとやはり貧乏が総ての究極の原因であったという場合もかなり多いようである。紳士と紳士が主義の相違で仲違いをしたというのが、その背後に物質の問題のかくれていることもある。  世の中が妙に騒々しくて、青いX事件があるかと思うと黒いY事件、黄色いZ事件などが続出する。ある人はこれを社会経済状態の欠陥のせいだと信じ、またある人は唯物論的思想の流行による国民精神の廃頽のせいだと思い込む。しかしこれらの動揺の真因は必ずしもそう手近な簡単なものではないかもしれないと思われる。  いろいろ考えられる原因の中での一つのかなり重要な因子として次のようなものが考えられる。それは、理化学の進歩の結果としてあらゆる交通機関が異常に発達したのはよいが、その発達が空間的時間的に不均整なために、従来は接触し得なかったような甚だしい異質的なものの接触が烈しくなり、異質間の異性質のグレディエントが大きくなった。そうして、そういう接触に人間が馴れ得るためにはそういう接触の時間的変化があまりに急激過ぎるか、ないしは人間の頭の適応性があまりに遅鈍であり過ぎるか、とにかくそのために接触界面の現象として色々な異常現象が頻出するかと思われるふしも少なくないようである。  例えば熱鉄を氷片に近づける場合を考えてみる。近づける速度が非常にゆっくりしていれば、近づいて行く間に鉄はだんだん冷却し、氷はだんだんに解け、解けた水は暖まり、それでいよいよ接触する瞬間にはもう両方の温度の差はわずかになっているから、接触しても別にじゅっともすうとも云わない。しかし両者の近づくのが早くて摂氏六百度、七百度の鉄がいきなり零度の氷に接触すると騒動が起る。  水の中に濃硫酸をいれるのに、極めて徐々に少しずつ滴下していれば酸は徐々に自然に水中に混合して大して間違いは起らないが、いきなり多量に流し込むと非常な熱を発生して罎が破れたり、火傷したりする危険が発生する。  汽車や飛行機や電話や無線電信はいわば氷の中へ熱鉄を飛び込ませ、水の中へ濃硫酸を酌み込むような役目をつとめるものである。  交通機関の拡がるのは、風の弱い日の火事の拡がるように全面的ではなくて、不規則な線に沿うて章魚の足のごとく菌糸のごとく播がり、又てづるもづるの触手のごとく延びるのである。それがために暗黒アフリカの真只中にロンドン製品の包紙がちらばるようなことになる。提燈とネオン燈とが衝突することになる。それが騒動のもとになるのである。  こういう騒動をなくするにはあらゆる交通機関をなくしてしまうか、ただしはこれらの機関を万遍なく発達させるか、どちらかによる外はない。  精神的交通機関についてもやはり同様で、皆無か具足か、どちらかを選ぶことにしなければ面倒は絶えない。  教育にしても子供から青年までの教育機関はあっても中年、老年の教育機関が一向にととのっていない。しかし、人間二十五、六歳まで教育を受ければそれで十分だという理窟はどこにもない。死ぬまで受けられる限りの教育を受けてこそ、この世に生れて来た甲斐があるのではないかと思われる。現在ある限りの学校を卒業したところで、それで一人前になれるはずがない。  中年学校、老年学校を設置して中年、老年の生徒を収容し、その教授、助教授には最も現代的な模範的ボーイやガールを任命するのも一案である。  子供を教育するばかりが親の義務でなくて、子供に教育されることもまた親の義務かもしれないのである。  新しい交通機関、例えば地下鉄や高架線が開通すると、誰よりも先に乗ってみないと気のすまないという人がある。つい近ごろ、上野公園西郷銅像の踏んばった脚の下あたりの地下に停車場が出来て、そこから成田行、千葉行の電車が出るようになった。その開通式の日にわざわざ乗りに行った人の話である。千住大橋まで行って降りてはみたが、道端の古物市場の外に見るものはないので、すぐに「転向」してまた上野行に乗込み、さて車内の乗客を見渡すと、先刻行きに同乗した見覚えの顔がいくつも見つかったそうである。多分みんな狐につままれたような顔をしていたことと想像される。  地味な科学者の中でさえも「新しいもの好き」がある。新しいもの好きが新しい長所を取るべきは当り前であるが、いわゆる「新し好き」は無批判無評価にただその新しさだけに飛びつくのである。新しい電車に飛び乗ってうれしくなってしばらく進行していると「三河島の屋根の上」に出る。幻滅を感じて狐につままれた顔をして引返してくる場合もあるであろう。しかしアインシュタインは古い昔のガリレーをほじくって相対性原理を掘りだし、ブローイーは塵に埋もれたハミルトンにはたきと磨きをかけて波動力学を作りあげた。  時々西洋へ出かけて目新しい機械や材料を仕入れて来ては田舎学者の前でしたり顔にひけらかすようなえらい学者でノーベル賞をもらった人はまだ聞かないようである。  そうはいうものの新しいものにはやはり誘惑がある。ある暖かい日曜に自分もとうとう京成電車上野駅地下道の入口を潜った。おなじみの西郷銅像と彰義隊の碑も現に自分の頭の上何十尺の土層の頂上にあると思うと妙な気がする。  市中の地下鉄と違って線路が無暗に彎曲しているようである。この「上野の山の腹わた」を通り抜けると、ぱっと世界が明るくなる。山のどん底から山の下の平野の空へ向って鉄路が上向きに登っているから、恰度大砲の中から打出されたような心持がして面白い。打出されたところは昔呉竹の根岸の里今は煤だらけの東北本線の中空である。  高架線路から見おろした三河島は不思議な世界である。東京にこんなところがあったかと思うような別天地である。日本中にも世界中にもこれに似たところはないであろう。慰めのない「民家の沙漠」である。  泥水をたたえた長方形の池を囲んで、そうしてその池の上にさしかけて建てた家がある。その池の上の廊下を子供が二、三人ばたばた駆け歩いているのが見えた。不思議な家である。  千住大橋でおりて水天宮行の市電に乗った。乗客の人種が自分のいつも乗る市電の乗客と全くちがうのに気がついて少し驚いた。おはぐろのような臭気が車内にみなぎっていたが出所は分からない。乗客の全部の顔が狸や猿のように見えた。毛孔の底に煤と土が沈着しているらしい。向い側に腰かけた中年の男の熟柿のような顔の真ん中に二つの鼻の孔が妙に大きく正面をにらんでいるのが気になった。上野で乗換えると乗客の人種が一変する。ここにも著しい異質の接触がある。  広小路の松坂屋へはいって見ると歳末日曜の人出で言葉通り身動きの出来ない混雑である。メリヤスや靴下を並べた台の前には人間の垣根が出来てその垣根から大小色々な無数の手が出てうごめきながら商品をつまぐり引っぱり揉みくたにしている。どの手の持主がどの人だかとても分からない。大量塵芥製造工場のようなものである。また万引奨励機関でもある。  これらの現象もやはり交通文明の発達と聯関しているようである。  小さな不連続線が東京へかかったと見えて、狂風が広小路を吹き通して紳士の帽を飛ばし淑女の裾を払う。寒暖二様の空気が関東平野の上に相戦うために起る気象現象である。気層の不平の結果である。  昔、不平があると穴を掘ってはこっそりその中へ吐き込んだ人がある。自分も何かしら書きたいことがあって筆を取ったはずであったが、思うことがなかなか思うように書けないので、途中で打切ってさて何遍となく行を改めて更に書出してみても、やはりうまく書けない。思うことの書けないのは世の中のせいかというような気もするが、これも猫の穴掘りと同様に実は自分の筆の通じが悪いせいかもしれないのである。 (昭和九年一月『大阪朝日新聞』『東京朝日新聞』) 底本:「寺田寅彦全集 第四巻」岩波書店    1997(平成9)年3月5日発行 入力:Nana ohbe 校正:砂場清隆 2005年8月19日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。