菊池君 石川啄木 Guide 扉 本文 目 次 菊池君 一 二 三 四 五 一  私が釧路の新聞へ行つたのは、恰度一月下旬の事、寒さの一番酷しい時で、華氏寒暖計が毎朝零下二十度から三十度までの間を昇降して居た。停車場から宿屋まで、僅か一町足らずの間に、夜風の冷に頥を埋めた首卷が、呼氣の濕氣で眞白に凍つた。翌朝目を覺ました時は、雨戸の隙を潜って空寒く障子を染めた曉の光の中に、石油だけは流石に凍らぬと見えて、心を細めて置いた吊洋燈が昨夜の儘に薄りと點つて居たが、茶を注いで飮まずに置いた茶碗が二つに割れて、中高に盛り上つた黄色の氷が傍に轉げ出して居た。火鉢に火が入つて、少しは室の暖まるまでと、身體を縮めて床の中で待つて居たが、寒國の人は總じて朝寢をする、漸々女中の入つて來たのは、ものの一時間半も經つてからで、起きて顏を洗ひに行かうと、何氣なしに取上げた銀鍍金の石鹸函は指に氷着く、廊下の舖板が足を移す毎にキシ〳〵と鳴く、熱過ぎる程の湯は、顏を洗つて了ふまでに夏の川水位に冷えた。  雪は五寸許りしか無かつたが、晴天續きの、塵一片浮ばぬ透明の空から、色なき風がヒユウと吹いて、吸ふ息毎に鼻の穴が塞る。冷たい日光が雪に照返つて、家々の窓硝子を、寒さに慄えた樣にギラつかせて居た。大地は底深く凍つて了つて、歩くと鋼鐵の板を踏む樣な、下駄の音が、頭まで響く。街路は鏡の如く滑かで、少し油斷をすると右に左に辷る、大事をとつて、足に力を入れると一層辷る。男も、女も、路行く人は皆、身分不相應に見える程、厚い立派な防寒外套を着けて、輕々と刻み足に急いで居た。荷馬橇の馬は、狹霧の樣な呼氣を被つて氷の玉を聨ねた鬣を、寒い光に波打たせながら、風に鳴る鞭を喰つて勢ひよく駈けて居た。  二三日して私は、洲崎町の或下宿へ移つた。去年の春までは、土地で少しは幅を利かしたさる醫師の住つて居た家とかで、室も左程に惡くは無し、年に似合はず血色のよい、布袋の樣に肥滿つた、モウ五十近い氣丈の主婦も、外見によらぬ親切者、女中は小さいのを合せて三人居た。私が移った晩の事、身體の馬鹿に大きい、二十四五の、主婦にも劣らず肥滿つた小さい眼と小さい鼻を掩ひ隱す程頬骨が突出て居て、額の極めて狹い、氣の毒を通越して滑稽に見える程不恰好な女中が來て、一時間許りも不問語をした。夫に死なれてから、一人世帶を持つて居て、釧路は裁縫料の高い所であれば、毎月若干宛の貯蓄もして居たのを、此家の主婦が人手が足らぬといふので、強ての頼みを拒み難く、手傳に來てからモウ彼是半年になると云つた樣な話で、「普通の女中ぢやない。」といふ事を、私に呑込ませようとしたらしい。後で解つたが、名はお芳と云つて、稼ぐ時は馬鹿に稼ぐ、怠る時は幾何主婦に怒鳴られても平氣で怠ける、といふ、隨分氣紛れ者であつた。  取分けて此下宿の、私に氣に入つたのは、社に近い事であつた。相應の賑ひを見せて居る眞砂町の大逵とは、恰度背中合せになつた埋立地の、兩側空地の多い街路を僅か一町半許りで社に行かれる。  社は、支廳坂から眞砂町を突切つて、海岸へ出る街路の、トある四角に立つて居て、小さいながらも、ツイ此頃落成式を擧げた許りの、新築の煉瓦造、(これが此社に長く居る人達の北海道に類が無いと云ふ唯一つの誇りであつた。)澄み切つた冬の空に、燃える樣な新しい煉瓦の色の、廓然と正しい輪廓を描いてるのは、何樣木造の多い此町では、多少の威嚴を保つて見えた。主筆から見せられた、落成式の報告見たいなものの中に、「天地一白の間に紅梅一朶の美觀を現出したるものは即ち我が新築の社屋なり。」と云ふ句があつて、私が思はず微笑したのを、今でも記憶えて居る。玄關から上ると、右と左が事務室に宿直室、奧が印刷工場で、事務室の中の階段を登れば、二階は應接室と編輯局の二室。  編輯局には、室の廣さに釣合のとれぬ程大きい煖爐があつて、私は毎日此煖爐の勢ひよく燃える音を聞き乍ら、筆を動かしたり、鋏と糊を使ふ。外勤の記者が、唇を紫にして顫へ乍ら歸つて來ると、腰を掛ける前に先づ五本も六本も薪を入れるので、一日に二度か三度は、必ず煖爐が赤くなつて、私共の額には汗が滲み出した。が、夕方になつて宿に歸ると、何一つ室を賑かにして見せる裝飾が無いので、割合に廣く見える。二階の八疊間に、火鉢が唯一個、幾何炭をつぎ足して、青い焔の舌を斷間なく吐く程火をおこしても、寒さが背から覆被さる樣で、襟元は絶えず氷の樣な手で撫でられる樣な氣がした。字を五つ六つ書くと、筆の尖がモウ堅くなる。インキ瓶を火鉢に縁に、載せて、瓶の口から水蒸氣が立つ位にして置いても、ペンに含んだインキが半分もなくならぬうちに凍つて了ふ、葉書一枚書くにも、それは〳〵億劫なものであつた。初めての土地で、友人と云つては一人も無し、恁う寒くては書を讀む氣も出ぬもので、私は毎晩、唯モウ手の甲をひつくり返しおつくり返し火に焙つて、火鉢に抱付く樣にして過した。一週間許り經つて、私は漸々少し寒さに慣れて來た。  二月の十日頃から、怎やら寒さが少しづつ緩み出した。寒さが緩み出すと共に、何處から來たか知らぬが、港内には流氷が一杯集つて來て、時々雪が降つた。私が來てから初めての記者月例會が開かれたのも、恰度一尺程もの雪の積つた、或る土曜日の夕であつた。 二  釧路は、人口と云へば僅か一萬五千足らずの、漸々發達しかけた許りの小都會だのに、怎したものか新聞が二種出て居た。  私の居たのは、「釧路日報」と云つて、土地で人望の高い大川道會議員の機關であつた。最初は紙面が半紙二枚程しかないのを、日曜々々に出して居たのださうだが、町の發達につれて、七年の間に三度四度擴張した結果、私が行く一週間許り前に、新築社屋の落成式と共に普通の四頁新聞になつた。無論これまでに漕ぎつけたのは、種々な關係が結びついた秘密の後援者があるからで、新聞獨自の力では無いが、社の經濟も案外巧く整理されて居て、大川社長の人望と共に、「釧路日報」の信用も亦、町民の間に餘程深く植ゑつけられて居た。編輯局には、主筆から校正まで唯五人。  モ一つは「釧路毎日新聞」と云つて、出來てから漸々半年位にしかならず、社も裏長屋みたいな所で、給料の支拂が何時でも翌月になるとか云ふ噂、職工共の紛擾が珍しくなく、普通の四頁の新聞だけれど、廣告が少くて第四面に空所が多く、活字が足らなくて假名許り澤山使ふから、見るから醜い新聞であつた。それでも記者は矢張五人居た。  月例會と云ふのは、此兩新聞の記者に、札幌、小樽、旭川などの新聞の支社に來て居る人達を合せて、都合十三四人の人が、毎月一度宛集るといふので、此月のは、私が來てから初めての會ではあり、入社の挨拶を新聞に載せただけで、何處へも改めては顏を出さずに居たから、知らぬ顏の中へ行くんだと云つた氣が、私の頭腦を多少他所行の心持にした。午後四時からと云ふ月番幹事の通知だつたので、三時半には私が最後の原稿を下した。 『今日は鹿島屋だから、市子のお酌で飮める譯だね。』 と云つて、主筆は椅子を暖爐に向ける。 『然し藝妓も月例會に出た時は、大變大人しくして居ますね。』 と八戸君が應じた。 『その筈さ、人の惡い奴許り集るんだもの。』 と笑つて、主筆は立上つた。『藝者に記者だから、親類同志なんだがね。』 『成程、何方も洒々としてますな。』 と、私も笑ひながら立つた。皆が硯箱に蓋をしたり、袴の紐を締直したり、莨を啣へて外套を着たりしたが、三面の外交をして居る小松君が、突然。 『今度また「毎日」に一人入つたさうですね。』と言つた。 『然うかね、何といふ男だらう?』 『菊池ツて云ふさうです。何でも、釧路に居る記者の中では一番年長者だらうツて話でしたよ。』 『菊池兼治と謂ふ奴ぢやないか?』と主筆が喙を容れた。 『兼治? 然うです〳〵、何だか武士の樣な名だと思ひました。』 『ぢや何だ、眞黒な顋鬚を生やした男で、放浪者みたいな?』 『然うですか、私はまだ逢はないんですが。』 『那麽男なら、何人先方で入れても安心だよ。何日だツたか、其菊池が、記者なり小使なりに使つて呉れツて、俺の所へ來た事があるんだ。可哀相だから入れようと思つたがね。』と、入口の方へ歩き出した。『前に來た時と後に來た時と、辻褄が合はん事を云つたから、之は怪しいと思つて斷つたさ。』  私は然し、主筆が常に自己と利害の反する側の人を、好く云はぬ事を知つて居た。「先方が六人で、此方よりは一人増えたな。」と云つた風な事を考へて玄關を出たが、 『君、二面だらうか、三面だらうか?』 と歩きながら小松君に問ひかけた時は、小松君は既に別の事を考へて居た。 『何がです?』 『菊池がさ。』 『さあ何方ですか。櫻井の話だと、今日から出社する樣に云つてましたがね。』  私共がドヤ〳〵と鹿島屋の奧座敷に繰込んだ時は、既七人許り集つて居た。一人二人を除いては、初對面の人許りなので、私は暫時の間名刺の交換に忙がしかつたが、それも一しきり濟んで、莨に火をつけると、直ぐ、眞黒な顋鬚の男は未だ來てないと氣がついた。人々はよく私にも話しかけて呉れた。一座の中でも、背の低い、色の黒い、有るか無きかの髭を生やした、洋服扮裝の醜男が、四方八方に愛嬌を振舞いては、輕い駄洒落を云つて、顏に似合はぬ優しい聲でキャッ〳〵と笑ふ。  十分許り經つて、「毎日」の西山社長と、私より一月程前に東京から來たといふ日下部編輯長とが入つて來た。日下部君は、五尺八寸もあらうかといふ、ガッシリした大男で、非常な大酒家だと聞いて居たが、如何樣眼は少しドンヨリと曇つて、服裝は飾氣なしの、新らしくも無い木綿の紋付を着て居た。  西山社長は、主筆を兼ねて居るといふ事であつた。七子の羽織に仙臺平のりうとした袴、太い丸打の眞白な紐を胸高に結んだ態は、何處かの壯士芝居で見た惡黨辯護士を思出させた。三十五六の、面皰だらけな細顏で、髭が無く、銀縁の近眼鏡をかけて居たが、眼鏡越に時々猜疑深い樣な目付をする。 『徐々始めようぢやありませんか、大抵揃ひましたから。』 と、月番幹事の志田君、(先ほどから愛嬌を振舞つてゐた、色の黒い男)が云ひ出した。  軈て膳部が運ばれた。「入交になつた方が可からう。」と云ふ、私の方の主筆の發端で、人々は一時ドヤドヤと立つたが、 『男振の好い人の中に入ると、私の顏が一層惡く見えて不可けれども。』 と笑ひながら、志田君は私と西山社長との間に坐つた。  酒となると談話が急に噪ぐ。其處にも此處にも笑聲が起つた。五人の藝妓の十の袂が、銚子と共に忙がしく動いて、艶いた白粉の香が、四角に立てた膝をくづさせる。點けた許りの明るい吊洋燈の周匝には、莨の煙が薄く渦を卷いて居た。  親善を厚うするとか、相互の利害を議するとか、連絡を圖るとか、趣旨は頗る立派であつたけれど、月例會は要するに、飮んで、食つて、騷ぐ會なので、主筆の所謂人の惡い奴許りだから、隨分と方々に圓滑な皮肉が交換されて、其度にさも面白相な笑聲が起る。意外事を素破拔かれた藝妓が、對手が新聞記者だけに、弱つて了つて、援助を朋輩に求めてるのもあれば、反對に藝妓から素破拔かれて頭を掻く人もある。五人の藝妓の中、其處からも此處からも名を呼び立てられるのは、時々編集局でも名を聞く市子と謂ふので、先刻膳を運ぶ時、目八分に捧げて、眞先に入つて來て、座敷の中央へ突立つた儘、「マア怎うしよう、私は。」と、仰山に驚いた姿態を作つた妓であつた。それは私共が皆一團になつて、障子際に火鉢を圍んで居たから、御膳の据場所が無かつたからで。十六といふ齡には少し老せて居るが、限りなき愛嬌を顏一杯に漲らして、態とらしからぬ身振が人の氣を引いた。  志田君は、盃を下にも置かず、相不變愛嬌を振舞いて居たが、お酌に𢌞つて來た市子を捉へて私の前に坐らせ、兩手の盃を一つ私に獻して、 『市ちやん、此方は今度「日報」へお出になつた橘さんといふ方だ、お年は若し、情は深し、トまでは知らないが、豪い方だからお近付になつて置け。他日になつて惡い事は無いぞ。』 『アラ然うですか。お名前は新聞で承はつてましたけれど、何誰かと思つて、遂……』と優容に頭を下げた。下げた頭の擧らぬうちに、 『これはおかめ屋の市ちやん。唯三度しか男と寢た事が無いさうです。然うだつたね、市ちやん?』 『おかめ屋なんて、人を。酷い事旦那は。』 と市子は怖い目をして見せたが、それでも志田君の貸した盃を受取つて、盃洗に淨めて私に獻した。 『印度の炭山の旦那のお媒介ですから、何卒末長く白ツぱくれない樣に……』 『印度の炭山の旦那は酷い。』と志田君の聲が高かつたので、皆此方を見た。『いくら私は色が黒いたつて、隨分念を入れた形容をしたもんだ。』  一座の人は聲を合せて笑つた。  私は初めての事でもあり、且つは、話題を絶やさぬ志田君と隣つて居る故か、自と人の目について、返せども返せども、盃が集つて來る。生來餘り飮ぬ口なので、顏は既ポツポと上氣して、心臟の鼓動が足の裏までも響く。二つや三つなら未だしもの事、私の樣な弱い者には、四つ五つと盃の列んだのを見ると、醒め果てた戀に向ふ樣で、モウ手も觸けたくない。藝妓には珍しく一滴も飮まぬ市子は、それと覺つてか、密と盃洗を持つて來て、志田君に見られぬ樣に、一つ宛空けて呉れて居たが、いつしか發覺して例の圓轉自在の舌から吹聽に及ぶ。「市ちゃんも仲々腕が上つた」とか、「今の若い者は、春秋に富んで居る癖に惚れ方が性急だ」とか、「橘さんも隅に置けぬ」とか、一座は色めき立つて囂々と騷ので、市子は、 『私此方の爲にしたんぢやなくて、皆さんが盃を欲しさうにして被居るから空けて上げたのですわ。』 と防いで見たが、遂々顏を眞赤にして次の室へ逃げた。私も皆と一緒になつて笑つた。暫時してから市子は輕い咳拂をして、怎やら取濟した顏をして出て來たが、いきなり復私の前に坐つた。人々は、却つて之を興ある事にして、モウ市子々々と呼び立てなくなつた。 『菊池さんて方が。』と女中が襖を開けて、敷居際に手をついた。話がバタリと止んで、視線が期せずして其方に聚る。ヌッと許り鬚面が入つて來た。  私は吸差の莨を灰に差した、人々は盃を下に置いた。西山社長は忙がしく居住ひを直して、此新來の人を紹介してから、 『馬鹿に遲いから來ないのかと思つて居た。』 と、さも容態ぶつて云つた。 『え、遲くなりました。』 と菊池君は吃る樣に答へて、變な笑ひを浮べ乍ら、ヂロヂロ一座を見𢌞したが、私とは斜に一番遠い、末席の空席に悠然と胡坐をかく。  皆は、それとなく此人の爲す所を見て居たが、菊池君は兩手に膝頭を攫んで、俯向いて自分の前の膳部を睨んで居るので、誰しも話しかける機會を失つた。私は、空になつて居た盃を取上げて、「今來た方へ。」と市子に渡した時、志田君も殆ど同時に同じ事を云つて盃を市子に渡した。市子は二つ捧げて立つて行つたが、 『彼方のお方からお取次で厶います。』 『誰方?』 と、菊池君は呟く樣に云つて顏を擧げる。 『アノ』と、私を見た盃を隣へ逸らして、『志田さんと仰しやる方。』  菊池君は、兩手に盃を持つた儘、志田君を見て一寸頭を下げた。 『モ一つは其お隣の、…………橘さん。』と目を落す。  菊池君は私には叩頭をして、滿々と酌を享けたが、此擧動は何となく私に興を催させた。  放浪漢みたいなと主筆が云つた。成程、新聞記者社會には先づ類の無い風采で、極く短く刈り込んだ頭と、眞黒に縮れて、乳の邊まで延びた頬と顋の鬚が、皮肉家に見せたら、顏が逆さになつて居るといふかも知れぬ。二十年も着古した樣で、何色とも云へなくなつた洋服の釦が二つ迄取れて居て、窄袴の膝は、兩方共、不手際に丸く黒羅紗のつぎが當ててあつた。剩へ洋襪も足袋も穿いて居ず、膝を攫んだ手の指の太さは、よく服裝と釣合つて、放浪漢か、土方の親分か、何れは人に喜ばれる種類の人間に見えなかつた。然し其顏は、見なれると、鬚で脅して居る程ではなく、形の整つた鼻、澁みを帶びて威のある眼、眼尻に優しい情が罩つて、口の結びは少しく顏の締りを弛めて居るけれど、若し此人に立派な洋服を着せたら、と考へて、私は不意に、河野廣中の寫眞を何處かで見た事を思出した。  菊池君から四人目、恰度私と向合つて居て、藝妓を取次に二三度盃の献酬をした日下部君は、時々此方を見て居たが、遂々盃を握つて立つて來た。ガッシリした身體を市子と並べて坐つて不作法に四邊を見𢌞したが、 『高い聲では云へぬけれど。』と低くもない聲で云つて、 『僕も新參者だから、新しく來た人で無いと味方になれん樣な氣がする。』 『私の顏は隨分古いけれど、今夜は染直したから新しくなつたでせう。』と、志田君は、首から赤銅色になつた醉顏を突出して笑つた。  市子は、仰ぐ樣にして横から日下部君の顏を見て居たが、 『私一度貴方にお目にかかつてよ、ねえ。』 『さうか、僕は氣が附かなかつた。』 『マア、以前も家へ入しつた癖に、…………薄情な人ね、此方は。』 と云つて、夢見る樣な目を私に向けて、微かな笑ひを含む。 『橘さんは餘り飮らん方ですね。』と云つた樣な機會から、日下部君と志田君の間に酒の論が湧いて、寢酒の趣味は飮んでる時よりも飮んで了つてからにある、但しこれは獨身者でなくては解りかねる心持だと云ふ志田君の説が、隨分と立入つた語を以て人々に腹を抱へさせた。日下部君は朝に四合、晩に四合飮まなくては仕事が出來ぬといふ大酒家で、成程先刻から大分傾けてるに不拘、少しも醉つた風が見えなかつたが、 『僕は女にかけては然程慾の無い方だけれど、酒となつちや然うは行かん。何處かへ、一寸飮みに行つても、銚子を握つて見て、普通より太いと滿足するが、細いとか輕いとかすると、モウ氣を惡くする。錢の無い時は殊にさうだね。』 『アッハハハ。』 と突然大きな笑聲がしたので、人々は皆顏をあげた。それは菊池君であつた。 『私もそれならば至極同感ですな。』 と調子の重い太い聲。手は矢張胡坐の兩膝を攫んで、グッと反返つて居た。  菊池君はヤヲラ立ち上つて、盃を二つ持つて來たが、「マア此方へ來給へ。菊池君。」と云ふ西山社長の聲がしたので、盃を私と志田君に返した儘其方へ行つて了つた。西山は何時しか向うの隅の方へ行つて、私の方の主筆と、「札幌タイムス」の支社長と三人で何か話合つて居た。  座敷の中央が、取片付けられるので、何かと思つたら、年長な藝妓が三人三味線を抱へて入口の方に列んだ。市子が立つて踊が始まる。 「香に迷ふ」とか云ふので、もとより端物ではあるけれど、濃艶な唄の文句が醉ふた心をそれとなく唆かす。扇の銀地に洋燈の光が映えて、目の前に柔かな風を匂はせる袂長く、そちら向けば朱の雲の燃ゆるかと眩しき帶の立矢の字、裾の捌きが青疊に紅の波を打つて、トンと輕き拍子毎に、チラリと見える足袋は殊更白かつた。戀に泣かぬ女の眼は若い。  踊が濟んだ時、一番先に「巧い。」と胴間聲を上げて、菊池君はまた人の目を引いた。「實に巧い、モ一つ、モ一つ。」と雀躍する樣にして云つた小松君の語が、三四人の反響を得て、市子は再立つ。  此度のは、「權兵衞が種蒔けや烏がほじくる。」とか云ふ、頗る道化たもので「腰付がうまいや。」と志田君が呟いて居たが、私は、「若し藝妓の演藝會でもあつたら此妓を賞めて書いてやらう。」と云つた樣な事を、醉うた頭に覺束なく考へて居た。  踊の濟むのを機會に飯が出た。食ふ人も食はぬ人もあつたが、飯が濟むと話がモウ勢んで來ない。歸る時、誰やらが後から外套を被けて呉れた樣だつたが、賑やかに送り出されて、戸外へ出ると、菊池君が、私の傍へ寄つて來た。 『左の袂、左の袂。』 と云ふ。私は、何を云ふのかと思ひ乍ら、袂に手を入れて見ると、何かしら柔かな物が觸つた。モウ五六間も門口の瓦斯燈から離れてよくは見えなかつたが、それは何か美しい模樣のある淡紅色の手巾であつた。 『ウワッハハハ。』と大きな聲で笑つて、菊池君は大跨に先に立つて行つたが、怎やら少しも醉つて居ない樣に見えた。  休坂を下りて眞砂町の通りへ出た時は、主筆と私と八戸君と三人限になつて居た。『隨分贅澤な會を行りますねえ。』と私が云ふと、 『ナニあれでも一人一圓五十錢位なもんです。藝者は何の料理屋でも、ロハで寄附させますから。』と主筆が答へた。私は何だか少し不愉快な感じがした。  一二町歩いてから、 『可笑な奴でせう、君。』 と主筆が云ふ。私は、市子の事ぢやないかと、一寸狼狽へたが、 『誰がです?』 と何氣なく云ふと、 『菊池ツて男がさ。』 『アッハハハ。』 と私は高く笑つた。 三  翌日は日曜日、田舍の新聞は暢氣なもので、官衙や學校と同じに休む。私は平日の如く九時頃に眼を覺した。恐ろしく喉が渇いて居るので、頭を擡げて見𢌞したが、下に持つて行つたと見えて鐵瓶が無い。用の無いのに起きるのも詰らず、寒さは寒し、さればと云つて床の中で手を拍つて、女中を呼ぶのも變だと思つて、また仰向になつた。幸ひ其處へ醜女の芳ちやんが、新聞を持つて入つて來たので、知つてる癖に『モウ何時だい』と聞くと、 『まだ早いから寢て居なされよ、今日は日曜だもの。』 と云つて出て行く。 『オイ〳〵、喉が渇いて仕樣が無いよ。』 『そですか。』 『そですかぢやない。眞に渇くんだよ、昨晩少し飮んで來たからな。』 『少しなもんですか。』 と云つたが、急にニヤ〳〵と笑つて立戻つて來て、私の枕頭に膝をつく。また戯れるなと思ふと、不恰好な赤い手で蒲團の襟を敲いて、 『私に一生のお願ひがあるで、貴君聽いて呉れますか?』 『何だい?』 『マアさ。』 『お湯を持つて來て呉れたら、聽いてやらん事もない。』 『持つて來てやるで。あのね、』と笑つたが『貴方好え物持つてるだね。』 『何をさ?』 『白ッぱくれても駄目ですよ。貴方の顏さ書いてるだに、半可臭え。』 『喉が渇いたとか?』 『戯談ば止しなされ。これ、そんだら何ですか。』と手を延べて、机の上から何か取る樣子。それは昨晩の淡紅色の手巾であつた。市子が種蒔を踊つた時の腰付が、チラリと私の心に浮ぶ。 『嗅んで見さいな、これ。』と云つて自分で嗅いで居たが、小さい鼻がぴこづいて、目が恍惚と細くなる。恁麽好い香を知らないんだなと思つて、私は何だか氣の毒な樣な氣持になつたが、不意と「左の袂、左の袂」と云つた菊池君を思出した。 『私貰つてくだよ、これ。』と云ふ語は、滿更揶揄ふつもりでも無いらしい。 『やるよ。』 『本當がね。』と目を輝かして、懷に捻じ込む眞似をしたが、 『貴方が泣くべさ。』と云つて、フワリと手巾を私の顏にかけた儘、バタ〳〵出て行つた。  目を瞑ると、好い香のする葩の中に魂が包まれた樣で、自分の呼氣が温かな靄の樣に顏を撫でる。懵乎として目を開くと、無際限の世界が唯モウ薄光の射した淡紅色の世界で、凝として居ると遙か遙か向うにポッチリと黒い點、千里の空に鷲が一羽、と思ふと、段々近づいて來て、大きくなつて、世界を掩ひ隱す樣な翼が、目の前に來てパット消えた。今度は楕圓形な翳が横合から出て來て、煙の樣に、動いて、もと來た横へ逸れて了ふ。ト、淡紅色の襖がスイと開いて、眞黒な鬚面の菊池君が……  足音がしたので、急いで手を出して手巾を顏から蒲團の中へ隱す。入つて來たのは小い方の女中で、鐵瓶と茶器を私の手の屆く所へ揃へて、出て行く時一寸立止つて枕頭を見𢌞した。芳の奴が喋つたなと感付く。怎したものか、既茶を入れて飮まうと云ふ氣もしない。  昨晩の事が歴々と思出された。女中が襖を開けて鬚面の菊池君が初めて顏を出した時の態が目に浮ぶ。巖の樣な日下部君と芍藥の樣な市子の列んで坐つた態、今夜は染直したから新しくなつたでせうと云つて、ヌット突出した志田君の顏、色の淺黒い貧相な一人の藝妓が、モ一人の袖を牽いて、私の前に坐つて居る市子の方を顋で指し乍ら、何か密々話し合つて笑つた事、菊池君が盃を持つて立つて來て、西山から聲をかけられた時、怎やら私達の所に坐りたさうに見えた事、雀躍する樣に身體を搖がして、踊をモ一つ所望した小松君の横顏、……それから、市子の顏を明瞭描いて見たいと云ふ樣な氣がして、折角努めて見たが、怎してか浮んで來ない。今度は、甚麽氣がしてアノ手巾を私の袂に入れたのだらうと考へて見たが、否、不圖すると、アレは市子でなくて、名は忘れたが、ソレ、アノ何とか云つた、色の淺黒い貧相な奴が、入れたんぢやないかと云ふ氣がした。が、これには自分ながら直ぐ可笑くなつて了つて、又しても「左の袂、左の袂」を思ひ出す。…… 「ウワッハハ」と高く笑つて、薄く雪明のした小路を、大跨に歩き去つた。──其後姿が目に浮ぶと、(此朝私の頭腦は餘程空想的になつて居たので、)種々な事が考へられた。  大跨に、然うだ、菊池君は普通の足調でなく、屹度大跨に歩く人だ。無雜作に大跨に歩く人だ。大跨に歩くから、時としてドブリと泥濘へ入る、石に躓く、眞暗な晩には溝にも落こちる、若しかして溝が身長よりも深いとなると、アノ人の事だから、其溝の中を大跨に歩くかも知れない。 「溝の中を歩く人、」と口の中で云つて、私は思はず微笑した。それに違ひない、アノ洋服の色は、饐えた、腐つた、溝の中の汚水の臭氣で那麽に變色したのだ。手! アノ節くれ立つた、恐ろしい手も、溝の中を歩いた證據だ。激しい勞働の痛苦が、手の指の節々に刻まれて居る。「痛苦の……生─活─の溝、」と、再口の中で云つて見たが、此語は、吾乍ら鋭い錐で胸をもむ樣な連想を起したので、狼狽へて「人生の裏路を辿る人。」と直す。  何にしても菊池君は失敗を重ねて來た人だ、と、勝手に斷定して、今度は、アノ指が確かに私の二本前太いと思つた。で、小兒みたいに、密と自分の指を蒲團の中から出して見たが、菊池君は力が強さうだと考へる。ト、私は直ぐ其喧嘩の對手を西山社長にした。何と云ふ譯もないが、西山の厭な態度と、眼鏡越の狐疑深い目付きとが、怎しても菊池君と調和しない樣な氣がするので。──西山が馬鹿に社長風を吹かして威張るのを、「毎日」の記者共が、皆蔭で惡く云つて居乍ら、面と向つてはペコペコ頭を下げる。菊池がそれを憤慨して、入社した三日目に突然、社長の頬片を擲る。社長は蹣跚と行つて椅子に倒れ懸りながら、「何をするツ」と云ふ。其頭にポカポカと拳骨が飛ぶ、社長は卓子の下を這つて向うへ拔けて拔萃に使ふ鋏を逆手に握つて眞蒼な顏をして、「發狂したか?」と顫聲で叫ぶ。菊池君は兩手を上衣の衣嚢に突込んで、「馬鹿な男だ喃。」と吃る樣に云ひ乍ら、悠々と「毎日」を去る。そして其足で直ぐ私の所へ來て、「日報」に入れて呉れないかと頼む。──思はず聲を立てて私は笑つた。  が、此妄想から、私の頭腦に描かれて居る菊池君が、怎やら、アノ鬚で、權力の壓迫を春風と共に受流すと云つた樣な、氣概があつて、義に堅い、豪傑肌の、支那的色彩を帶びて現れた。私は、小い時に讀んだ三國史中の人物を、それか、これかと、此菊池君に當嵌めようとしたが、不圖、「馬賊の首領に恁麽男は居ないだらうか。」と云ふ氣がした。  馬賊……滿州……と云ふ考へは、直ぐ「遠い」と云ふ感じを起した。ト、女中が不意に襖を開けて、アノ鬚面が初めて現れた時は、菊池は何處か遠い所から來たのぢや無かつたらうかと思はれる。考が直ぐ移る。  昨晩の座敷の樣子が、再鮮かに私の目に浮んだ。然うだ、菊池君の住んで居る世界と、私達の住んで居る世界との間には、餘程の間隔がある。「ウワッハハ。」と笑つたり、「私もそれなら至極同感ですな。」と云つたり、立つて盃を持つて來たりする時は、アノ人が自分の世界から態々出掛けて來て、私達の世界へ一寸入れて貰はうとするのだが、生憎唯人の目を向けさせるだけで、一向效力が無い。菊池君は矢張、唯一人自分の世界に居て、胡坐をかいた膝頭を、兩手で攫んで、凝然として居る人だ。……………  ト、今度は、菊池君の顏を嘗て何處かで見た事がある樣な氣がした。確かに見たと、誰やら耳の中で囁く。盛岡──の近所で私は生れた──の、内丸の大逵がパッと目に浮ぶ。中學の門と斜に向ひ合つて、一軒の理髮床があつたが、其前で何日かしら菊池君を見た……否、アレは市役所の兵事係とか云ふ、同じ級の友人のお父親の鬚だつたと氣がつく。其頃私の姉の家では下宿屋をして居たが、其家に泊つて居た鬚……違ふ、アノ鬚なら氣仙郡から來た大工だと云つて、二ヶ月も遊んで喰逃して北海道へ來た筈だ。ト、以前私の居た小樽の新聞社の、盛岡生れだと云つた職工長の立派な髭が腦に浮ぶ。若しかすると、菊池君は何時か私の生れた村の、アノ白澤屋とか云ふ木賃宿の縁側に、胡坐をかいて居た事がなかつたらうかと考へたが、これも甚だ不正確なので、ハテ、何處だつたかと、氣が少し苛々して來て、東京ぢやなかつたらうかと、無理な方へ飛ぶ。東京と言へば、直ぐ須田町──東京中の電車と人が四方から崩れる樣に集つて來る須田町を頭腦に描くが、アノ雜沓の中で、菊池君が電車から降りる……否、乘る所を、私は餘程遠くからチラリと後姿を……無理だ、無理だ、電車と菊池君を密接けるのは無理だ。…… 『モウ起きなさいよ、十一時が打つたから。那麽に寢てて、貴方何考へてるだべさ。』 と、取つて投げる樣な、癇高い聲で云つて、お芳が入つて來た。ハッとすると、血が頭からスーッと下つて行く樣な、夢から覺めた樣な氣がして、返事もせず、眞面目な顏をして默つて居ると、お芳も存外眞面目な顏をして、十能の火を火鉢に移す。指の太い、皹だらけの、赤黒い不恰好な手が、忙がしさうに、細い眞鍮の火箸を動す。手巾を欲しがつてる癖に……と考へると、私は其手巾を蒲團の中で、胸の上にシッカリ握つてる事に氣がついた。ト、急に之をお芳に呉れるのが惜しくなつて來たので、對手にそれを云ひ出す機會を與へまいと、寢返りを打たうとしたが、怎したものか、此瞬間に、お芳の目元が菊池に酷似てると思つた。不思議だナと考へて、半分𢌞しかけた頭を一寸戻して、再お芳の目を見たが、モウ似て居ない。似て居る筈が無いサと胸の中で云つて、思ひ切つて寢返りを打つ。 『私の顏など見たくもなかべさ。ねえ、橘さん。』 『何を云ふんだい。』 と私は何氣なく云つたが、ハハア、此女が、存外眞面目な顏をしてる哩と思つたのは、ヤレ〳〵、これでも一種の姿態を作つて見せる積りだつたかと氣が附くと、私は吹出したくなつて來た。 『フン』 とお芳が云ふ。  私は、顏を伏臥す位にして、呼吸を殺して笑つて居ると、お芳は火を移して了つて、炭をついで、雜巾で火鉢の縁を拭いている樣だつたが、軈て鐵瓶の蓋を取つて見る樣な音がする、茶器に觸る音がする。 『喉が渇いて渇いて、死にそだてからに、湯は飮まねえで何考えてるだかな。』 と、獨語の樣に云つて、出て行つて了つた。 四  社長の大川氏も、理事の須藤氏も、平生「毎日」の如きは眼中に無い樣な事を云つて居て、私が初めて着いた時も、喜見とか云ふ、土地で一番の料理屋に伴れて行かれて、「毎日」が例令甚麽事で此方に戈を向けるにしても、自體對手にせぬと云つた樣な態度で、唯君自身の思ふ通りに新聞を拵へて呉れれば可い。「日報」の如く既に確實な基礎を作つた新聞は、何も其日暮しの心配をするには當らぬと云ふ意味の事を懇々と説き聞かされた。高木主筆は少し之と違つて居て、流石は創業の日から七年の間、「日報」と運命を共にして來て、(初めは唯一人で外交も編輯も校正も、時としては發送までやつたものださうだが、)毎日々々土地の生きた事件を取扱つて來た人だけ、其説には充分の根據があつた。主筆は、北海道の都府、殊にも此釧路の發達の急激な事に非常の興味をもつて居て、今でこそ人口も一萬五千に滿たぬけれど、半年程前に此處と函館とを繋いだ北海道鐵道の全通して以來、貨物の集散高、人口の増加率、皆月毎に上つて來て居るし、殊に中央の政界までも騷がして居る大規模の築港計畫も、一兩年中には着手される事であらうし、池田驛から分岐する網走線鐵道の竣工した曉には釧路、十勝、北見三國の呑吐港となり、單に地理的事情から許りでなく、全道に及ぼす經濟的勢力の上でも釧路が「東海岸の小樽」となる日が、決して遠い事で無いと信じて居た。されば、此釧路を何日まで「日報」一つで獨占しようとするのは無理な事で、其爲には、却つて「毎日」の如き無勢力な新聞を、生さず殺さずして置く方が、「日報」の爲に恐るべき敵の崛起するのを妨げる最良の手段であると云ふのが此人の對「毎日」觀であつた。  にも不拘、此三人の人は、怎したものか、何か事のある毎に、「毎日」の行動に就いて少からず神經過敏な態度を見せて、或時の如きは、須藤氏が主として關係して居る漁業團體に、内訌が起つたとか起りさうだとか云ふ事を、「毎日」子が何かの序に仄めかした時、大川氏と須藤氏が平生になく朝早く社にやつて來て、主筆と三人應接室で半時間も密議してから、大川社長が自分で筆を執つて、「毎日」と或關係があると云はれて居る私立銀行の内幕を剔つた記事を書いた。  が、私が追々と土地の事情が解つて來るに隨れて、此神經過敏の理由も讀めて來た。ト云ふのは、大川氏が土地の人望を一身に背負つて立つた人で、現に町民に推されて、(或は推させて、)道會議員にもなつて居るけれど、町が發達し膨脹すると共に種々な分子が入交んで來て、何といふ理由なしに新しい人を欲する希望が、町民の頭腦に起つて來た。「毎日」の西山社長は、正に此新潮に棹して彼岸に達しようと焦慮つて居る人なので、彼自身は、其半生に種々な黒い影を伴つて居る所から、殆ど町民に信じられて居ぬけれど、長い間大川氏と「日報」の爲に少からぬ犧牲を拂はされて來て、何といふ理由なしに新しい人を望む樣になつた一部の勢力家、──それ自身も多少の野心をもたぬでもない人々が、表面には出さぬけれど自然西山を援ける樣になつて來た。私が大分苦心して集めた材料から、念の爲に作つて見た勢力統計によると、前の代議士選擧に八分を占めて居た大川氏の勢力は、近く二三ヶ月後に來るべき改選期に於て、怎しても六分、──未知數を味方に加算して、六分五厘位迄に墮ちて居た。大川氏は前には其得點全部を期日間際になつて或る政友に譲つたが、今度は自身で立つ積りで居る。最も、殘餘の反對者と云つても、これと云ふ統率者がある譯で無いから、金次第で怎でもなるのだが。  で、「毎日」は、社それ自身の信用が無く、隨つて社員一個々々に於ても、譬へば料理屋へ行つて勘定を月末まで待たせるにしても、餘程巧みに談判しなければ拒まれると云つた調子で、紙數も唯八百しか出て居なかつたが、それでも能く續けて行く。「毎日」が先月紙店の拂ひが出來なかつたので、今日から其日々々に一連宛買ふさうだとか、職工が一日になつても給料を拂はれぬので、活字函を轉覆して家へ歸つたさうだとか云ふ噂が、一度や二度でなく私等の耳に入るけれど、それでも一日として新聞を休んだ事がない。唯八百の讀者では、いくら田舍新聞でも維持して行けるものでないのに、不思議な事には、職工の數だつて敢て「日報」より少い事もなく、記者も五人居た所へ、また一人菊池を入れた。私の方は千二百刷つて居て、外に官衙や銀行會社などの印刷物を一手に引受けてやつて居るので、少し宛積立の出來る月もあると、目の凹んだ謹直家の事務長が話して居たが。……  私は、這麽事情が解ると共に、スッカリ紙面の體裁を變へた。「毎日」の遣り方は、喇叭節を懸賞で募集したり、藝妓評判記を募つたり、頻りに俗受の好い様にと焦慮つてるので、初め私も其向うを張らうかと持出したのを、主筆初め社長までが不賛成で、出來るだけ清潔な、大人らしい態度で遣れと云ふから、其積りで、記事なども餘程手加減して居たのだが、此頃から急に手を變へて、さうでもない事に迄「報知」式にドン〳〵二號活字を使つたり、或る酒屋の隱居が下女を孕ませた事を、雅俗折衷で面白可笑しく三日も連載物にしたり、粹界の材料を毎日絶やさぬ樣にした。詰り、「毎日」が一生懸命心懸けて居ても、筆の立つ人が無かつたり、外交費が無かつたりして、及びかねて居た所を、私が幸ひ獨身者には少し餘る位收入があるので、先方の路を乘越して先へ出て見たのだ。最初三面主任と云ふ事であつたのを、主筆が種々と土地の事業に關係して居て忙しいのと、一つには全七年間同じ事許りやつて來て、厭きが來てる所から、私が毎日總編輯をやつて居たので。  土地が狹いだけに反響が早い。爲る事成す事直ぐ目に附く、私が編輯の方針を改めてから、間もなく「日報」の評判が急によくなつて來た。  恁うなると滑稽もので、さらでだに私は編輯局で一番年が若いのに、人一倍大事がられて居たのを、同僚に對して氣耻かしい位、社長や理事の態度が變つて來る。それ許りではない、須藤氏が何かの用で二日許り札幌に行つた時、私に銀側時計を買つて來て呉れた。其三日目の日曜に、大川氏の夫人が訪ねて來たといふので吃驚して起きると、「宅に穿かせる積りで仕立さしたけれど、少し短いから。」と云つて、新しい仙臺平の袴を態々持つて來て呉れた。  袴と時計に慢心を起した譯ではないが、人の心といふものは奇妙なもので、私は此頃から、少し宛現在の境遇を輕蔑する樣になつた。朝に目を覺まして、床の中で不取敢新聞を讀む。ト、私が來た頃までは、一面と二面がルビ無しの、時としては艶種が二面の下から三面の冒頭へ續いて居る樣な新聞だつたのが、今では全然總ルビ附で、體裁も自分だけでは何處へ出しても耻かしくないと思ふ程だし、殊に三面──田舍の讀者は三面だけ讀む。──となると、二號活字を思切つて使つた、誇張を極めた記事が、賑々しく埋めてある。フフンと云つた樣な氣持になる。若しかして、記事の排列の順序でも違つてると、「永山の奴仕樣がないな、いくら云つても大刷校正の時順序紙を見ない。」などと呟いて見るが、次に「毎日」を取つて見るといふと、モウ自分の方の事は忘れて、又候フフンと云つた氣になる。「毎日」は何日でも私の方より材料が二つも三つも少かつた。取分け私自身の聞出して書く材料が、一つとして先方に載つて居ない。のみならず、三面だけにルビを附けただけで、活字の少い所から假名許り澤山に使つて、「釧路」の釧の字が無いから大抵「くし路」としてあつた。新聞を見て了つて、起きようかナと思ふと、先づ床の中から兩腕を出して、思ひ切つて悠暢と身延をする。そして、「今日も亦社に行つてと……ええと、また二號活字を盛んに使うかナ。」と云ふ樣な事を口の中で云つて見て、そして今度は前の場合と少し違つた意味に於て、フフンと云つて、輕く自分を嘲つて見る。「二號活字さへ使へば新聞が活動したものと思つてる、フン、處世の秘訣は二號活字にありかナ。」などと考へる。  這麽氣がし出してから、早いもので、二三日經つと、モウ私は何を見ても何を聞いても、直ぐフフンと鼻先であしらふ樣な氣持になつた。其頃は私も餘程土地慣れがして來て、且つ仕事が仕事だから、種々の人に接觸して居たし、隨つて一寸普通の人には知れぬ種々な事が、目に見えたり、耳に入つたりする所から、「要するに釧路は慾の無い人と眞面目な人の居ない所だ。」と云つた樣な心地が、不斷此フフンといふ氣を助長けて居た。  モ一つ、それを助長けるのは、厭でも應でも毎日顏を見では濟まぬ女中のお芳であつた。私が此下宿へ初めて移つた晩、此女が來て、亭主に別れてから自活して居たのを云々と話した事があつたが、此頃になつて、不圖した事から、それが全然根も葉も無い事であると解つた。亭主があつたのでも無ければ、主婦が強つて頼んだのでもなく、矢張普通の女中で、額の狹い、小さい目と小さい鼻を隱して了ふ程頬骨の突出た、土臼の樣な尻の、先づ珍しい許りの醜女の肥滿人であつた。人々に向つて、よく亭主があつた樣な話をするのは、詰り、自分が二十五にもなつて未だ獨身で居るのを、人が、不容貌な爲に拾手が無かつたのだとでも見るかと思つてるからなので、其麽女だから、何の室へ行つても、例の取て投げる樣な調子で、四邊構はず狎戲る、妙な姿態をする。止宿人の方でも、根が愚鈍な淡白者だけに面白がつて盛んに揶揄ふ。ト、屹度私の許へ來て、何番のお客さんが昨晩這麽事を云つたとか、那麽事をしたとか、誰さんが私の乳を握つたとか、夏になつたら浴衣を買つてやるから毎晩泊りに來いと云つたとか、それは〳〵種々な事を喋り立てる。私はよく氣の毒な女だと思つてたが、それでも此滑稽な顏を見たが最後、腹の蟲が喉まで出て來て擽る樣で、罪な事とは知り乍ら、種々な事を云つて揶揄ふ。然も、怎したものか、生れてから云つた事のない樣な際敏い皮肉までが、何の苦もなく、咽喉から矢繼早に出て來る。すると、芳ちゃんは屹度怒つた樣な顏をして見せるが、此時は此女の心の中で一番嬉しい時なので、又、其顏の一番滑稽て見える時なのだ。が、私は直ぐ揶揄ふのが厭になつて了ふので、其度、 『モウ行け、行け。何時まで人の邪魔するんだい、馬鹿奴。』 と怒鳴りつける。ト、芳ちゃんは小さい目を變な具合にして、 『ハイ行きますよ。貴方の位隔てなくして呉れる人ア無えだもの。』 と云つて、大人しく出て行く。私は何日か、此女は、アノ大きな足で、「眞面目」といふものの影を消して歩く女だと考へた事があつた。  社に行くと、何日でも事務室を通つて二階に上るのだが、餘り口も利かぬ目の凹んだ事務長までが、私の顏を見ると、 『今日は橘さんへ郵便が來て居なんだか。』 と受付の者に聞くと云つた調子。編輯局へ入つても、兎角私のフフンと云ふ氣持を唆る樣な話が出る。  其麽話を出さぬのは、主筆だけであつた。主筆は、體格の立派な、口髭の嚴しい、何處へ出しても敗をとらぬ風采の、四十年輩の男で、年より早く前頭の見事に禿げ上つてるのは、女の話にかけると甘くなる性な事を語つて居た。が、平生は至つて口少なな、常に鷹揚に構へて、部下の者の缺點は隨分手酷くやッつけるけれども、滅多に煽動る事のない人であつた。で、私に對しても、極く淡白に見せて居たが、何も云はねば云はぬにつけて、私は又此人の頭腦がモウ餘程乾涸て居て、漢文句調の幼稚な文章しか書けぬ事を知つて居るので、それとなく腹の中でフフンと云つて居る。  一體此編輯局には、他の新聞には餘り類のない一種の秩序──官衙風な秩序があつた。それは無論何處の社でも、校正係が主筆を捉へて「オイ君」などと云ふ事は無いものだけれど、それでも普通の社會と違つて、何といふ事なしに自由がある。所が、此編輯局には、主筆が社の柱石であつて動かすべからざる權力を持つて居るのと、其鷹揚な官吏的な態度とが、自然さう云ふ具合にしたものか、怎かは知らぬが、主筆なら未だしも、私までが「君」と云はずに「貴方」と云はれる。言話のみでなく、凡ての事が然う云つた調子で、隨つて何日でも議論一つ出る事なく、平和で、無事で、波風の立つ日が無いと共に、部下の者に抑壓はあるけれど、自由の空氣が些とも吹かぬ。  私は無論誰からも抑壓を享けるでもなく、却つて上の人から大事がられて、お愛嬌を云はれて居るので、隨分我儘に許り振舞つて居たが、フフンと云ふ氣持になつて、自分の境遇を輕蔑して見る樣になつて間もなくの事──其麽氣がし乍らも職務には眞面目なもので、毎日十一時頃に出て四時過ぎまでに、大抵は三百行位も書きこなすのだから、手を休める暇と云つては殆ど無いのだが、──時として、筆の穂先を前齒で輕く噛みながら、何といふ事なしに苦蟲を噛みつぶした樣な顏をして居る事があつた。其麽時は、恰度、空を行く雲が、明るい頭腦の中へサッと暗い影を落した樣で、目の前の人の顏も、原稿紙も、何となしに煤んで、曇つて見える。ハッと氣が附いて、怎して這麽氣持がしたらうと怪んで見る。それが日一日と數が多くなつて行く、時間も長く續く樣になつて行く。  或日、須藤氏が編輯局に來て居て、 『橘君は今日二日醉ぢやないか。』 と云つた。恰度私が呆然と例の氣持になつて、向側の壁に貼りつけた北海道地圖を眺めて居た時なので、ハッとして、 『否』 と云つた儘、テレ隱しに愛想笑ひをすると、 『さうかえ、何だか氣持の惡さうな顏をして居るから、僕は又、何か市子に怨言でも言はれたのを思出してるかと思つた。』 と云つて笑つたが、 『君が然うして一生懸命働いてくれるのは可いが。、其爲に神經衰弱でも起さん樣にして呉れ給へ。一體餘り丈夫でない身體な樣だから。』  私は直ぐ腹の中でフフンと云ふ氣になつたが、可成平生の快活を裝うて、 『大丈夫ですよ。僕は藥を飮むのが大嫌ひですから、滅多に病氣なんかする氣になりません。』 『そんなら可いが、』と句を切つて、『最も、君が病氣したら、看護婦の代りに市子を頼んで上る積りだがね、ハハハ。』 『そら結構です、何なら、チョイ〳〵病氣する事にしても可いですよ。』  其日は一日、可成くすんだ顏を人に見せまいと思つて、頻りに心にもない戲談を云つたが、其麽事をすればする程、頭腦が暗くなつて來て、筆が溢る、無暗矢鱈に二號活字を使ふ。文選小僧は「明日の新聞も景気が可えぞ。」と工場で叫んで居た。  何故暗い陰影に襲はれるか? 訝しいとは思ひ乍ら、私は別に深く其理由を考へても見なかつた。が、詰り私は、身體は一時間も暇が無い程忙がしいが、爲る事成す事思ふ壺に篏つて、鏡の樣に凪いだ海を十日も二十日も航海する樣なので、何日しか精神が此無聊に倦んで來たのだ。西風がドウと吹いて、千里の夏草が皆靡く、抗ふ樹もなければ、遮る山もない、と、風は野の涯に來て自ら死ぬ。自ら死ぬ風の心を、若い人は又、春の眞晝に一人居て、五尺の軒から底無しの花曇りの空を仰いだ時、目に湧いて來る寂しみの雲に讀む。戀ある人は戀を思ひ、友ある人は友を懷ひ、春の愁と云はるる「無聊の壓迫」を享けて、何處かしら遁路を求めむとする。太平の世の春愁は、肩で風切る武士の腰の物に、態と觸つて見る市井の無頼兒である。世が日毎に月毎に進んで、汽車、汽船、電車、自動車、地球の周圍を縮める事許り考へ出すと、徒歩で世界を一週すると言ひ出す奴が屹度出る。──詰り、私の精神も、徒歩旅行が企てたくなつたのだ、喧嘩の對手が欲しくなつたのだ。  一月の下旬に來て、唯一月經つか經たぬに這麽氣を起すとは、少し氣早い──不自然な樣に思ふかも知れぬが、それは私の性行を知らぬからなので……私は、北海道へ來てから許りも、唯九ヶ月の間に、函館、小樽、札幌で四つの新聞に居て來た。何の社でも今の樣に破格の優遇はして呉れなかつたが、其代り私は一日として心の無聊を感じた事が無い。何か知ら企てる、でなければ、人の企てに加はる。其企てが又、今の樣に何の障害なしに行はれる事が無いので、私の若い精神は絶間もなく勇んで、朝から晩まで戰場に居る心地がして居た。戰ひに慣れた心が、何一つ波風の無い編輯局に來て、徐々睡氣がさす程「無聊の壓迫」を感じ出したのだ。  這麽理由とも氣が附かず、唯モウ暗い陰影に襲はれると、自暴に誇大な語を使つて書く、筆が一寸躓くと、くすんだ顏を上げて周圍を見る。周邊は何時でも平和だ、何事も無い。すると、私は穗先を噛んでアラヌ方を眺める。  主筆は鷹揚に淡白と構へて居る。八戸君は毎日役所𢌞りをして來て、一生懸命になつて五六十行位雜報を書く。優しい髭を蓄へた、色白の、女に可愛がられる顏立で、以前は何處かの中學の教師をした人なさうだが、至極親切な君子人で、得意な代數幾何物理の割に筆は立たぬけれど、遊郭種となると、打つて變つて輕妙な警句に富んだものを書く、私の心に陰影のさした時、よく飛沫の叱言を食ふのは、編輯助手の永山であつた。永山はモウ三十を越した、何日でも髮をペタリとチックで撫でつけて居て、目が顏の兩端にある、頬骨の出た、ノッペリとした男で、醉つた時踊の眞似をする外に、何も能が無い、奇妙に生れついた男もあればあるもので、此男が眞面目になればなる程、其擧動が吹き出さずに居られぬ程滑稽に見えて、何か戲談でも云ふと些とも可笑しくない。午前は商況の材料取に店𢌞りをして、一時に警察へ行く。歸つてから校正刷の出初めるまでは、何も用が無いので、東京電報を譯さして見る事などもあるが、全然頭に働きが無い、唯五六通の電報に三十分も費して、それで間違ひだらけな譯をする。  少し毛色の變つてるのは、小松君であつた。二十七八の、髭が無いから年よりはズット若く見えるが、大きい聲一つ出さぬ樣な男で居て、馬鹿に話好きの、何日でも輕い不安に襲はれて居る樣に、顏の肉を痙攣けらせて居た。  此小松君は又、暇さへあれば町を歩くのか好きだといふ事で、市井の細かい出來事まで、殆んど殘りなく聞込んで來る。私が、彼の「毎日」の菊池君に就いて、種々の噂を聞いたのも、大抵此小松君からであつた。  其話では、──菊池君は贅澤にも棧橋前の「丸山」と云ふ旅館に泊つて居て、毎日草鞋を穿いて外交に𢌞つて居る。そして、何處へ行つても、 『私は「毎日新聞」の探訪で、菊池兼治と云ふ者であります。』 と挨拶するさうで、初めて警察へ行つた時は、案内もなしにヅカ〳〵事務室へ入つたので、深野と云ふ主任警部が、テッキリ無頼漢か何か面倒な事を云ひに來たと見たから、『貴樣は誰の許可を得て入つたか?』 と突然怒鳴りつけたと云ふ事であつた。菊池君は又、時々職工と一緒になつて酒を飮む事があるさうで、「丸山」の番頭の話では、時として歸つて來ない晩もあると云ふ。其麽時は怎も米町(遊廓)へ行くらしいので、現に或時の晩の如きは職工二人許りと連立つて行つた形跡があると云ふ事であつた。そして又、小松君は、聨隊區司令部には三日置位にしか材料が無いのに、菊池君が毎日アノ山の上まで行くと云つて、笑つて居た。  四時か四時半になると、私は算盤を取つた、順序紙につけてある行數を計算して、 『原稿出切。』 と呼ぶ。ト、八戸君も小松君も、卓子から離れて各々自分の椅子を引ずつて煖爐の周邊に集る。此時は流石に私も肩の荷を下した樣で、ホッと息をして莨に火を移すが、輕い空腹と何と云ふ事の無い不滿足の情が起つて來るので大抵一本の莨を吸ひきらぬ中に歸準備をする。  宿に歸ると、否でも應でもお芳の滑稽た顏を見ねばならぬ。ト、其何時見ても絶えた事のない卑しい淺間しい飢渇の表情が、直ぐ私に 『オイ、家の別嬪さんは今日誰々に秋波を使つた?』 と云ふ樣の事を云はせる。 『マア酷いよ、此人は。私の顏見れば、そんな事許り云つてさ。』 と、お芳は忽ちにして甘えた姿態をする。 『飯持つて來い、飯。』 『貴方、今夜も出懸けるのかえ。』 『大きに御世話樣。』 『だつて主婦さんが貴方の事心配してるよ。好え人だども、今から酒など飮んで、怎するだべて。』 『お嫁に來て呉れる人が無くなるッテ譯か?』 『マアさ。』 『ぢやね、芳ちやんの樣な人で、モ些と許りお尻の小さいのを嫁に貰つて呉れたら、一生酒を禁めるからツてお主婦さんにそ云つて見て呉れ。』 『知らない、私。』と立つて行く。  夕飯が濟む。ト、一日手を離さぬので筆が仇敵の樣になつてるから、手紙一本書く氣もしなければ、書など見ようとも思はぬ。凝然として洋燈の火を見つめて居ると、斷々な事が雜然になつて心を掠める。何時しか暗い陰影が頭腦に擴つて來る。私は、恁うして何處へといふ確かな目的もなく、外套を引被けて外へ飛び出して了ふ。  這麽氣持がする樣になつてから、私は何故といふ理由もなしに「毎日」の日下部君と親しく往來する樣になつた。ト共に、初め材料を聞出す積りでチョイ〳〵飮みに行つたのが、此頃では其麽考へも無しに、唯モウ行かねば氣が落付かぬ樣で、毎晩の樣に華やかな絃歌の巷に足を運んだ。或時は小松君を伴れて、或時は日下部君と相携へて。  星明りのする雪路を、身も心もフラ〳〵として歸つて來るのは、大抵十二時過であるが、私は、「毎日」社の小路の入口を通る度に、「僕の方の編輯局は全然梁山伯だよ。」と云つた日下部君の言葉を思出す。月例會に逢つた限の菊池君が何故か目に浮ぶ。そして、何だか一度其編集局へ行つて見たい樣な氣がした。 五  三月一日は恰度日曜日。快く目をさました時は、空が美しく晴れ渡つて、東向の窓に射す日が、塵に曇つた硝子を薄温かに染めて居た。  日射が上から縮つて、段々下に落ちて行く。颯と室の中が暗くなつたと思ふと、モウ私の窓から日が遁げて、向合つた今井病院の窓が、遽かにキラ〳〵とする。午後一時の時計がチンと何處かで鳴つて、小松君が遊びに來た。 『昨晩怎でした。面白かつたかえ?』 『隨分な入でした。五百人位入つた樣でしたよ。』 『釧路座に五百人ぢや、棧敷が危險いね。』 『ええ、七時頃には木戸を閉めツちやツたんですが、大分戸外で騷いでましたよ。』 『其麽だつたかな。最も、釧路ぢや琵琶會が初めてなんださうだからね。』 『それに貴方が又、馬鹿に景氣をつけてお書きなすツたんですからな。』 『其麽事もないけれども……訝しげなもんだね。一體僕は、慈善琵琶會なんて云ふ「慈善」が大嫌ひなんで、アレは須らく僞善琵琶會と書くべしだと思つてるんだが、それでも君、釧路みたいな田舎へ來てると、怎も退屈で退屈で仕樣がないもんだからね。遂ソノ、何かしら人騷がせがやつて見たくなるんだ。』 『同意ですな。』 『孤兒院設立の資金を集るなんて云ふけれど、實際はアノ金村ツて云ふ琵琶法師も喰せ者に違ひないんだがね。』 『でせうか?』 『でなけや、君……然う〳〵、君は未だ知らなかつたんだが、昨日彼奴がね、編集局へビールを、一打寄越したんだよ。僕は癪に觸つたから、御好意は有難いが此代金も孤兒院の設立資金に入れて貰ひたいツて返してやつたんだ。』 『然うでしたか、怎も……』 『慈善を餌に利を釣る、巧くやつてるもんだよ。アノ旅館の贅澤加減を見ても解るさ。』 『其麽事があつた爲ですか、昨晩頻りに、貴方がお出にならないツて、金村の奴心配してましたよ。』 『感付かれたと思つてるだらうさ。』 『然う〳〵、まだ心配してた人がありましたよ。』 『誰だえ?』 『市ちやんが行つてましてね。』 『誰と?』 『些とは心配ですかな。』 『馬鹿な……ハハハ。』 『小高に花助と三人でしたが、何故お出にならないだらうツて、眞實に心配してましたよ。』 『風向が惡くなつたね。』 『ハッハハ。だが、今夜はお出になるでせう?』 『左樣、行つても好いけどね。』 『但し市ちやんは、今夜來られないさうですが。』 『ぢや止さうか。』 と云つて、二人は聲を合せて笑つた。 『立つてて聞きましたよ。』 と、お芳が菓子皿を持つて入つて來た。 『何を?』 『聞きましたよ、私。』 『お前の知つた人の事で、材料が上つたツて小松君が話した所さ。』 『嘘だよ。』 『高見さんを知つてるだらう?』と小松君が云ふ。 『知って居りますさ、家に居た人だもの。』 『高見ツてのは何か、以前社に居たとか云ふ……?』 『ハ、然うです。』 『高見さんが怎かしたてのかえ?』 『したか、しないか、お前さんが一番詳しく知つてる筈ぢやないか?』 『何云ふだべさ。』 『だつて、高見君が此家に居たのは本當だらう。』 『居ましたよ。』 『そして』 『そしてツて、私何も高見さんとは怎もしませんからさ。』 『ぢや誰と怎かしたんだい?』 『厭だ、私。』 と、足音荒くお芳が出て行く。 『馬鹿な奴だ。』 『天下の逸品ですね、アノ顏は。』 『ハハハ。皆に揶揄れて嬉しがつてるから、可哀相にも可哀相だがね。餓ゑたる女と云ふ奴かナ。』 『成程。ですけど、アノ顏ぢや怎も、マア揶揄つてやる位が一番の同情ですな。』 『それに餘程の氣紛れ者でね。稼ぎ出すと鼻唄をやり乍ら滅法稼いでるが、怠け出したら一日主婦に怒鳴られ通しでも平氣なもんだ。それかと思ふと、夜の九時過に湯へ行つて來て、アノ階段の下の小さな室で、一生懸命お化粧をしてる事なんかあるんだ。正直には正直な樣だがね。』 『そら然うでせう。アノ顏で以て不正直と來た日にや、怎もなりませんからね。』 と云つて、小松君は暫らく語を切つたが、 『さう〳〵、「毎日」の菊池ですね。』 『呍。』 『アノ男は怖い樣な顏してるけれど正直ですな。』 『怎して?』 『昨晩矢張琵琶會に來てましたがね。』 底本:「石川啄木作品集 第二巻」 昭和出版社    1970(昭和45)年11月20日発行 ※底本の疑問点の確認にあたっては、「啄木全集 第三巻 小説」筑摩書房、1967(昭和42)年7月30日初版第1刷発行を参照しました。 ※底本では、一部新旧漢字が混在している箇所がありますが、旧漢字に統一しました。仮名遣いも旧仮名に統一しました。 ※底本91頁上段10行目の慒は、懵に置き換えました。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:Nana ohbe 校正:松永正敏 2003年3月20日作成 2010年11月2日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。