疑惑 芥川龍之介 Guide 扉 本文 目 次 疑惑  今ではもう十年あまり以前になるが、ある年の春私は実践倫理学の講義を依頼されて、その間かれこれ一週間ばかり、岐阜県下の大垣町へ滞在する事になった。元来地方有志なるものの難有迷惑な厚遇に辟易していた私は、私を請待してくれたある教育家の団体へ予め断りの手紙を出して、送迎とか宴会とかあるいはまた名所の案内とか、そのほかいろいろ講演に附随する一切の無用な暇つぶしを拒絶したい旨希望して置いた。すると幸私の変人だと云う風評は夙にこの地方にも伝えられていたものと見えて、やがて私が向うへ行くと、その団体の会長たる大垣町長の斡旋によって、万事がこの我儘な希望通り取計らわれたばかりでなく、宿も特に普通の旅館を避けて、町内の素封家N氏の別荘とかになっている閑静な住居を周旋された。私がこれから話そうと思うのは、その滞在中その別荘で偶然私が耳にしたある悲惨な出来事の顛末である。  その住居のある所は、巨鹿城に近い廓町の最も俗塵に遠い一区劃だった。殊に私の起臥していた書院造りの八畳は、日当りこそ悪い憾はあったが、障子襖もほどよく寂びのついた、いかにも落着きのある座敷だった。私の世話を焼いてくれる別荘番の夫婦者は、格別用のない限り、いつも勝手に下っていたから、このうす暗い八畳の間は大抵森閑として人気がなかった。それは御影の手水鉢の上に枝を延ばしている木蓮が、時々白い花を落すのでさえ、明に聞き取れるような静かさだった。毎日午前だけ講演に行った私は、午後と夜とをこの座敷で、はなはだ泰平に暮す事が出来た。が、同時にまた、参考書と着換えとを入れた鞄のほかに何一つない私自身を、春寒く思う事も度々あった。  もっとも午後は時折来る訪問客に気が紛れて、さほど寂しいとは思わなかった。が、やがて竹の筒を台にした古風なランプに火が燈ると、人間らしい気息の通う世界は、たちまちそのかすかな光に照される私の周囲だけに縮まってしまった。しかも私にはその周囲さえ、決して頼もしい気は起させなかった。私の後にある床の間には、花も活けてない青銅の瓶が一つ、威かつくどっしりと据えてあった。そうしてその上には怪しげな楊柳観音の軸が、煤けた錦襴の表装の中に朦朧と墨色を弁じていた。私は折々書見の眼をあげて、この古ぼけた仏画をふり返ると、必ず炷きもしない線香がどこかで匀っているような心もちがした。それほど座敷の中には寺らしい閑寂の気が罩っていた。だから私はよく早寝をした。が、床にはいっても容易に眠くはならなかった。雨戸の外では夜鳥の声が、遠近を定めず私を驚かした。その声はこの住居の上にある天主閣を心に描かせた。昼見るといつも天主閣は、蓊鬱とした松の間に三層の白壁を畳みながら、その反り返った家根の空へ無数の鴉をばら撒いている。──私はいつかうとうとと浅い眠に沈みながら、それでもまだ腹の底には水のような春寒が漂っているのを意識した。  するとある夜の事──それは予定の講演日数が将に終ろうとしている頃であった。私はいつもの通りランプの前にあぐらをかいて、漫然と書見に耽っていると、突然次の間との境の襖が無気味なほど静に明いた。その明いたのに気がついた時、無意識にあの別荘番を予期していた私は、折よく先刻書いて置いた端書の投函を頼もうと思って、何気なくその方を一瞥した。するとその襖側のうす暗がりには、私の全く見知らない四十恰好の男が一人、端然として坐っていた。実を云えばその瞬間、私は驚愕──と云うよりもむしろ迷信的な恐怖に近い一種の感情に脅かされた。また実際その男は、それだけのショックに価すべく、ぼんやりしたランプの光を浴びて、妙に幽霊じみた姿を具えていた。が、彼は私と顔を合わすと、昔風に両肱を高く張って恭しく頭を下げながら、思ったよりも若い声で、ほとんど機械的にこんな挨拶の言を述べた。 「夜中、殊に御忙しい所を御邪魔に上りまして、何とも申し訳の致しようはございませんが、ちと折入って先生に御願い申したい儀がございまして、失礼をも顧ず、参上致したような次第でございます。」  ようやく最初のショックから恢復した私は、その男がこう弁じ立てている間に、始めて落着いて相手を観察した。彼は額の広い、頬のこけた、年にも似合わず眼に働きのある、品の好い半白の人物だった。それが紋附でこそなかったが、見苦しからぬ羽織袴で、しかも膝のあたりにはちゃんと扇面を控えていた。ただ、咄嗟の際にも私の神経を刺戟したのは、彼の左の手の指が一本欠けている事だった。私はふとそれに気がつくと、我知らず眼をその手から外らさないではいられなかった。 「何か御用ですか。」  私は読みかけた書物を閉じながら、無愛想にこう問いかけた。云うまでもなく私には、彼の唐突な訪問が意外であると共に腹立しかった。と同時にまた別荘番が一言もこの客来を取次がないのも不審だった。しかしその男は私の冷淡な言葉にもめげないで、もう一度額を畳につけると、相不変朗読でもしそうな調子で、 「申し遅れましたが、私は中村玄道と申しますもので、やはり毎日先生の御講演を伺いに出て居りますが、勿論多数の中でございますから、御見覚えもございますまい。どうかこれを御縁にして、今後はまた何分ともよろしく御指導のほどを御願い致します。」  私はここに至って、ようやくこの男の来意が呑みこめたような心もちがした。が、夜中書見の清興を破られた事は、依然として不快に違いなかった。 「すると──何か私の講演に質疑でもあると仰有るのですか。」  こう尋ねた私は内心ひそかに、「質疑なら明日講演場で伺いましょう。」と云う体の善い撃退の文句を用意していた。しかし相手はやはり顔の筋肉一つ動かさないで、じっと袴の膝の上に視線を落しながら、 「いえ、質疑ではございません。ございませんが、実は私一身のふり方につきまして、善悪とも先生の御意見を承りたいのでございます。と申しますのは、唯今からざっと二十年ばかり以前、私はある思いもよらない出来事に出合いまして、その結果とんと私にも私自身がわからなくなってしまいました。つきましては、先生のような倫理学界の大家の御説を伺いましたら、自然分別もつこうと存じまして、今晩はわざわざ推参致したのでございます。いかがでございましょう。御退屈でも私の身の上話を一通り御聴き取り下さる訳には参りますまいか。」  私は答に躊躇した。成程専門の上から云えば倫理学者には相違ないが、そうかと云ってまた私は、その専門の知識を運転させてすぐに当面の実際問題への霊活な解決を与え得るほど、融通の利く頭脳の持ち主だとは遺憾ながら己惚れる事が出来なかった。すると彼は私の逡巡に早くも気がついたと見えて、今まで袴の膝の上に伏せていた視線をあげると、半ば歎願するように、怯ず怯ず私の顔色を窺いながら、前よりやや自然な声で、慇懃にこう言葉を継いだ。 「いえ、それも勿論強いて先生から、是非の御判断を伺わなくてはならないと申す訳ではございません。ただ、私がこの年になりますまで、始終頭を悩まさずにはいられなかった問題でございますから、せめてその間の苦しみだけでも先生のような方の御耳に入れて、多少にもせよ私自身の心やりに致したいと思うのでございます。」  こう云われて見ると私は、義理にもこの見知らない男の話を聞かないと云う訳には行かなかった。が、同時にまた不吉な予感と茫漠とした一種の責任感とが、重苦しく私の心の上にのしかかって来るような心もちもした。私はそれらの不安な感じを払い除けたい一心から、わざと気軽らしい態度を装って、うすぼんやりしたランプの向うに近々と相手を招じながら、 「ではとにかく御話だけ伺いましょう。もっともそれを伺ったからと云って、格別御参考になるような意見などは申し上げられるかどうかわかりませんが。」 「いえ、ただ、御聞きになってさえ下されば、それでもう私には本望すぎるくらいでございます。」  中村玄道と名のった人物は、指の一本足りない手に畳の上の扇子をとり上げると、時々そっと眼をあげて私よりもむしろ床の間の楊柳観音を偸み見ながら、やはり抑揚に乏しい陰気な調子で、とぎれ勝ちにこう話し始めた。        ─────────────────────────  ちょうど明治二十四年の事でございます。御承知の通り二十四年と申しますと、あの濃尾の大地震がございました年で、あれ以来この大垣もがらりと容子が違ってしまいましたが、その頃町には小学校がちょうど二つございまして、一つは藩侯の御建てになったもの、一つは町方の建てたものと、こう分れて居ったものでございます。私はその藩侯の御建てになったK小学校へ奉職して居りましたが、二三年前に県の師範学校を首席で卒業致しましたのと、その後また引き続いて校長などの信用も相当にございましたのとで、年輩にしては高級な十五円と云う月俸を頂戴致して居りました。唯今でこそ十五円の月給取は露命も繋げないぐらいでございましょうが、何分二十年も以前の事で、十分とは参りませんまでも、暮しに不自由はございませんでしたから、同僚の中でも私などは、どちらかと申すと羨望の的になったほどでございました。  家族は天にも地にも妻一人で、それもまだ結婚してから、ようやく二年ばかりしか経たない頃でございました。妻は校長の遠縁のもので、幼い時に両親に別れてから私の所へ片づくまで、ずっと校長夫婦が娘のように面倒を見てくれた女でございます。名は小夜と申しまして、私の口から申し上げますのも、異なものでございますが、至って素直な、はにかみ易い──その代りまた無口過ぎて、どこか影の薄いような、寂しい生れつきでございました。が、私には似たもの夫婦で、たといこれと申すほどの花々しい楽しさはございませんでも、まず安らかなその日その日を、送る事が出来たのでございます。  するとあの大地震で、──忘れも致しません十月の二十八日、かれこれ午前七時頃でございましょうか。私が井戸端で楊枝を使っていると、妻は台所で釜の飯を移している。──その上へ家がつぶれました。それがほんの一二分の間の事で、まるで大風のような凄まじい地鳴りが襲いかかったと思いますと、たちまちめきめきと家が傾いで、後はただ瓦の飛ぶのが見えたばかりでございます。私はあっと云う暇もなく、やにわに落ちて来た庇に敷かれて、しばらくは無我無中のまま、どこからともなく寄せて来る大震動の波に揺られて居りましたが、やっとその庇の下から土煙の中へ這い出して見ますと、目の前にあるのは私の家の屋根で、しかも瓦の間に草の生えたのが、そっくり地の上へひしゃげて居りました。  その時の私の心もちは、驚いたと申しましょうか。慌てたと申しましょうか。まるで放心したのも同前で、べったりそこへ腰を抜いたなり、ちょうど嵐の海のように右にも左にも屋根を落した家々の上へ眼をやって、地鳴りの音、梁の落ちる音、樹木の折れる音、壁の崩れる音、それから幾千人もの人々が逃げ惑うのでございましょう、声とも音ともつかない響が騒然と煮えくり返るのをぼんやり聞いて居りました。が、それはほんの刹那の間で、やがて向うの庇の下に動いているものを見つけますと、私は急に飛び上って、凶い夢からでも覚めたように意味のない大声を挙げながら、いきなりそこへ駈けつけました。庇の下には妻の小夜が、下半身を梁に圧されながら、悶え苦しんで居ったのでございます。  私は妻の手を執って引張りました。妻の肩を押して起そうとしました。が、圧しにかかった梁は、虫の這い出すほども動きません。私はうろたえながら、庇の板を一枚一枚むしり取りました。取りながら、何度も妻に向って「しっかりしろ。」と喚きました。妻を? いやあるいは私自身を励ましていたのかも存じません。小夜は「苦しい。」と申しました。「どうかして下さいまし。」とも申しました。が、私に励まされるまでもなく、別人のように血相を変えて、必死に梁を擡げようと致して居りましたから、私はその時妻の両手が、爪も見えないほど血にまみれて、震えながら梁をさぐって居ったのが、今でもまざまざと苦しい記憶に残っているのでございます。  それが長い長い間の事でございました。──その内にふと気がつきますと、どこからか濛々とした黒煙が一なだれに屋根を渡って、むっと私の顔へ吹きつけました。と思うと、その煙の向うにけたたましく何か爆ぜる音がして、金粉のような火粉がばらばらと疎らに空へ舞い上りました。私は気の違ったように妻へ獅噛みつきました。そうしてもう一度無二無三に、妻の体を梁の下から引きずり出そうと致しました。が、やはり妻の下半身は一寸も動かす事は出来ません。私はまた吹きつけて来る煙を浴びて、庇に片膝つきながら、噛みつくように妻へ申しました。何を? と御尋ねになるかも存じません、いや、必ず御尋ねになりましょう。しかし私も何を申したか、とんと覚えていないのでございます。ただ私はその時妻が、血にまみれた手で私の腕をつかみながら、「あなた。」と一言申したのを覚えて居ります。私は妻の顔を見つめました。あらゆる表情を失った、眼ばかり徒に大きく見開いている、気味の悪い顔でございます。すると今度は煙ばかりか、火の粉を煽った一陣の火気が、眼も眩むほど私を襲って来ました。私はもう駄目だと思いました。妻は生きながら火に焼かれて、死ぬのだと思いました。生きながら? 私は血だらけな妻の手を握ったまま、また何か喚きました。と、妻もまた繰返して、「あなた。」と一言申しました。私はその時その「あなた。」と云う言葉の中に、無数の意味、無数の感情を感じたのでございます。生きながら? 生きながら? 私は三度何か叫びました。それは「死ね。」と云ったようにも覚えて居ります。「己も死ぬ。」と云ったようにも覚えて居ります。が、何と云ったかわからない内に、私は手当り次第、落ちている瓦を取り上げて、続けさまに妻の頭へ打ち下しました。  それから後の事は、先生の御察しにまかせるほかはございません。私は独り生き残りました。ほとんど町中を焼きつくした火と煙とに追われながら、小山のように路を塞いだ家々の屋根の間をくぐって、ようやく危い一命を拾ったのでございます。幸か、それともまた不幸か、私には何にもわかりませんでした。ただその夜、まだ燃えている火事の光を暗い空に望みながら、同僚の一人二人と一しょに、やはり一ひしぎにつぶされた学校の外の仮小屋で、炊き出しの握り飯を手にとった時とめどなく涙が流れた事は、未だにどうしても忘れられません。        ─────────────────────────  中村玄道はしばらく言葉を切って、臆病らしい眼を畳へ落した。突然こんな話を聞かされた私も、いよいよ広い座敷の春寒が襟元まで押寄せたような心もちがして、「成程」と云う元気さえ起らなかった。  部屋の中には、ただ、ランプの油を吸い上げる音がした。それから机の上に載せた私の懐中時計が、細かく時を刻む音がした。と思うとまたその中で、床の間の楊柳観音が身動きをしたかと思うほど、かすかな吐息をつく音がした。  私は悸えた眼を挙げて、悄然と坐っている相手の姿を見守った。吐息をしたのは彼だろうか。それとも私自身だろうか。──が、その疑問が解けない内に、中村玄道はやはり低い声で、徐に話を続け出した。        ─────────────────────────  申すまでもなく私は、妻の最期を悲しみました。そればかりか、時としては、校長始め同僚から、親切な同情の言葉を受けて、人前も恥じず涙さえ流した事がございました。が、私があの地震の中で、妻を殺したと云う事だけは、妙に口へ出して云う事が出来なかったのでございます。 「生きながら火に焼かれるよりはと思って、私が手にかけて殺して来ました。」──これだけの事を口外したからと云って、何も私が監獄へ送られる次第でもございますまい。いや、むしろそのために世間は一層私に同情してくれたのに相違ございません。それがどう云うものか、云おうとするとたちまち喉元にこびりついて、一言も舌が動かなくなってしまうのでございます。  当時の私はその原因が、全く私の臆病に根ざしているのだと思いました。が、実は単に臆病と云うよりも、もっと深い所に潜んでいる原因があったのでございます。しかしその原因は、私に再婚の話が起って、いよいよもう一度新生涯へはいろうと云う間際までは、私自身にもわかりませんでした。そうしてそれがわかった時、私はもう二度と人並の生活を送る資格のない、憐むべき精神上の敗残者になるよりほかはなかったのでございます。  再婚の話を私に持ち出したのは、小夜の親許になっていた校長で、これが純粋に私のためを計った結果だと申す事は私にもよく呑み込めました。また実際その頃はもうあの大地震があってから、かれこれ一年あまり経った時分で、校長がこの問題を切り出した以前にも、内々同じような相談を持ちかけて私の口裏を引いて見るものが一度ならずあったのでございます。所が校長の話を聞いて見ますと、意外な事にはその縁談の相手と云うのが、唯今先生のいらっしゃる、このN家の二番娘で、当時私が学校以外にも、時々出稽古の面倒を見てやった尋常四年生の長男の姉だったろうではございませんか。勿論私は一応辞退しました。第一教員の私と資産家のN家とでは格段に身分も違いますし、家庭教師と云う関係上、結婚までには何か曰くがあったろうなどと、痛くない腹を探られるのも面白くないと思ったからでございます。同時にまた私の進まなかった理由の後には、去る者は日に疎しで、以前ほど悲しい記憶はなかったまでも、私自身打ち殺した小夜の面影が、箒星の尾のようにぼんやり纏わっていたのに相違ございません。  が、校長は十分私の心もちを汲んでくれた上で、私くらいの年輩の者が今後独身生活を続けるのは困難だと云う事、しかも今度の縁談は先方から達っての所望だと云う事、校長自身が進んで媒酌の労を執る以上、悪評などが立つ謂われのないと云う事、そのほか日頃私の希望している東京遊学のごときも、結婚した暁には大いに便宜があるだろうと云う事──そう事をいろいろ並べ立てて、根気よく私を説きました。こう云われて見ますと、私も無下には断ってしまう訳には参りません。そこへ相手の娘と申しますのは、評判の美人でございましたし、その上御恥しい次第ではございますが、N家の資産にも目がくれましたので、校長に勧められるのも度重なって参りますと、いつか「熟考して見ましょう。」が「いずれ年でも変りましたら。」などと、だんだん軟化致し始めました。そうしてその年の変った明治二十六年の初夏には、いよいよ秋になったら式を挙げると云う運びさえついてしまったのでございます。  するとその話がきまった頃から、妙に私は気が鬱して、自分ながら不思議に思うほど、何をするにも昔のような元気がなくなってしまいました。たとえば学校へ参りましても、教員室の机に倚り懸りながら、ぼんやり何かに思い耽って、授業の開始を知らせる板木の音さえ、聞き落してしまうような事が度々あるのでございます。その癖何が気になるのかと申しますと、それは私にもはっきりとは見極めをつける事が出来ません。ただ、頭の中の歯車がどこかしっくり合わないような──しかもそのしっくり合わない向うには、私の自覚を超越した秘密が蟠っているような、気味の悪い心もちがするのでございます。  それがざっと二月ばかり続いてからの事でございましたろう。ちょうど暑中休暇になった当座で、ある夕方私が散歩かたがた、本願寺別院の裏手にある本屋の店先を覗いて見ますと、その頃評判の高かった風俗画報と申す雑誌が五六冊、夜窓鬼談や月耕漫画などと一しょに、石版刷の表紙を並べて居りました。そこで店先に佇みながら、何気なくその風俗画報を一冊手にとって見ますと、表紙に家が倒れたり火事が始ったりしている画があって、そこへ二行に「明治廿四年十一月三十日発行、十月廿八日震災記聞」と大きく刷ってあるのでございます。それを見た時、私は急に胸がはずみ出しました。私の耳もとでは誰かが嬉しそうに嘲笑いながら、「それだ。それだ。」と囁くような心もちさえ致します。私はまだ火をともさない店先の薄明りで、慌しく表紙をはぐって見ました。するとまっ先に一家の老若が、落ちて来た梁に打ちひしがれて惨死を遂げる画が出て居ります。それから土地が二つに裂けて、足を過った女子供を呑んでいる画が出て居ります。それから──一々数え立てるまでもございませんが、その時その風俗画報は、二年以前の大地震の光景を再び私の眼の前へ展開してくれたのでございます。長良川鉄橋陥落の図、尾張紡績会社破壊の図、第三師団兵士屍体発掘の図、愛知病院負傷者救護の図──そう云う凄惨な画は次から次と、あの呪わしい当時の記憶の中へ私を引きこんで参りました。私は眼がうるみました。体も震え始めました。苦痛とも歓喜ともつかない感情は、用捨なく私の精神を蕩漾させてしまいます。そうして最後の一枚の画が私の眼の前に開かれた時──私は今でもその時の驚愕がありあり心に残って居ります。それは落ちて来た梁に腰を打たれて、一人の女が無惨にも悶え苦しんでいる画でございました。その梁の横わった向うには、黒煙が濛々と巻き上って、朱を撥いた火の粉さえ乱れ飛んでいるではございませんか。これが私の妻でなくて誰でしょう。妻の最期でなくて何でしょう。私は危く風俗画報を手から落そうと致しました。危く声を挙げて叫ぼうと致しました。しかもその途端に一層私を悸えさせたのは、突然あたりが赤々と明くなって、火事を想わせるような煙の匀がぷんと鼻を打った事でございます。私は強いて心を押し鎮めながら、風俗画報を下へ置いて、きょろきょろ店先を見廻しました。店先ではちょうど小僧が吊ランプへ火をとぼして、夕暗の流れている往来へ、まだ煙の立つ燐寸殻を捨てている所だったのでございます。  それ以来、私は、前よりもさらに幽鬱な人間になってしまいました。今まで私を脅したのはただ何とも知れない不安な心もちでございましたが、その後はある疑惑が私の頭の中に蟠って、日夜を問わず私を責め虐むのでございます。と申しますのは、あの大地震の時私が妻を殺したのは、果して已むを得なかったのだろうか。──もう一層露骨に申しますと、私は妻を殺したのは、始から殺したい心があって殺したのではなかったろうか。大地震はただ私のために機会を与えたのではなかったろうか、──こう云う疑惑でございました。私は勿論この疑惑の前に、何度思い切って「否、否。」と答えた事だかわかりません。が、本屋の店先で私の耳に「それだ。それだ。」と囁いた何物かは、その度にまた嘲笑って、「では何故お前は妻を殺した事を口外する事が出来なかったのだ。」と、問い詰るのでございます。私はその事実に思い当ると、必ずぎくりと致しました。ああ、何故私は妻を殺したなら殺したと云い放てなかったのでございましょう。何故今日までひた隠しに、それほどの恐しい経験を隠して居ったのでございましょう。  しかもその際私の記憶へ鮮に生き返って来たものは、当時の私が妻の小夜を内心憎んでいたと云う、忌わしい事実でございます。これは恥を御話しなければ、ちと御会得が参らないかも存じませんが、妻は不幸にも肉体的に欠陥のある女でございました。(以下八十二行省略)………そこで私はその時までは、覚束ないながら私の道徳感情がともかくも勝利を博したものと信じて居ったのでございます。が、あの大地震のような凶変が起って、一切の社会的束縛が地上から姿を隠した時、どうしてそれと共に私の道徳感情も亀裂を生じなかったと申せましょう。どうして私の利己心も火の手を揚げなかったと申せましょう。私はここに立ち至ってやはり妻を殺したのは、殺すために殺したのではなかったろうかと云う、疑惑を認めずには居られませんでした。私がいよいよ幽鬱になったのは、むしろ自然の数とでも申すべきものだったのでございます。  しかしまだ私には、「あの場合妻を殺さなかったにしても、妻は必ず火事のために焼け死んだのに相違ない。そうすれば何も妻を殺したのが、特に自分の罪悪だとは云われない筈だ。」と云う一条の血路がございました。所がある日、もう季節が真夏から残暑へ振り変って、学校が始まって居た頃でございますが、私ども教員が一同教員室の卓子を囲んで、番茶を飲みながら、他曖もない雑談を交して居りますと、どう云う時の拍子だったか、話題がまたあの二年以前の大地震に落ちた事がございます。私はその時も独り口を噤んだぎりで、同僚の話を聞くともなく聞き流して居りましたが、本願寺の別院の屋根が落ちた話、船町の堤防が崩れた話、俵町の往来の土が裂けた話──とそれからそれへ話がはずみましたが、やがて一人の教員が申しますには、中町とかの備後屋と云う酒屋の女房は、一旦梁の下敷になって、身動きも碌に出来なかったのが、その内に火事が始って、梁も幸焼け折れたものだから、やっと命だけは拾ったと、こう云うのでございます。私はそれを聞いた時に、俄に目の前が暗くなって、そのまましばらくは呼吸さえも止るような心地が致しました。また実際その間は、失心したも同様な姿だったのでございましょう。ようやく我に返って見ますと、同僚は急に私の顔色が変って、椅子ごと倒れそうになったのに驚きながら、皆私のまわりへ集って、水を飲ませるやら薬をくれるやら、大騒ぎを致して居りました。が、私はその同僚に礼を云う余裕もないほど、頭の中はあの恐しい疑惑の塊で一ぱいになっていたのでございます。私はやはり妻を殺すために殺したのではなかったろうか。たとい梁に圧されていても、万一命が助かるのを恐れて、打ち殺したのではなかったろうか。もしあのまま殺さないで置いたなら今の備後屋の女房の話のように、私の妻もどんな機会で九死に一生を得たかも知れない。それを私は情無く、瓦の一撃で殺してしまった──そう思った時の私の苦しさは、ひとえに先生の御推察を仰ぐほかはございません。私はその苦しみの中で、せめてはN家との縁談を断ってでも、幾分一身を潔くしようと決心したのでございます。  ところがいよいよその運びをつけると云う段になりますと、折角の私の決心は未練にもまた鈍り出しました。何しろ近々結婚式を挙げようと云う間際になって、突然破談にしたいと申すのでございますから、あの大地震の時に私が妻を殺害した顛末は元より、これまでの私の苦しい心中も一切打ち明けなければなりますまい。それが小心な私には、いざと云う場合に立ち至ると、いかに自ら鞭撻しても、断行する勇気が出なかったのでございます。私は何度となく腑甲斐ない私自身を責めました。が、徒に責めるばかりで、何一つ然るべき処置も取らない内に、残暑はまた朝寒に移り変って、とうとう所謂華燭の典を挙げる日も、目前に迫ったではございませんか。  私はもうその頃には、だれとも滅多に口を利かないほど、沈み切った人間になって居りました。結婚を延期したらと注意した同僚も、一人や二人ではございません。医者に見て貰ったらと云う忠告も、三度まで校長から受けました。が、当時の私にはそう云う親切な言葉の手前、外見だけでも健康を顧慮しようと云う気力さえすでになかったのでございます。と同時にまたその連中の心配を利用して、病気を口実に結婚を延期するのも、今となっては意気地のない姑息手段としか思われませんでした。しかも一方ではN家の主人などが、私の気鬱の原因を独身生活の影響だとでも感違いをしたのでございましょう。一日も早く結婚しろと頻に主張しますので、日こそ違いますが二年前にあの大地震のあった十月、いよいよ私はN家の本邸で結婚式を挙げる事になりました。連日の心労に憔悴し切った私が、花婿らしい紋服を着用して、いかめしく金屏風を立てめぐらした広間へ案内された時、どれほど私は今日の私を恥しく思ったでございましょう。私はまるで人目を偸んで、大罪悪を働こうとしている悪漢のような気が致しました。いや、ような気ではございません。実際私は殺人の罪悪をぬり隠して、N家の娘と資産とを一時盗もうと企てている人非人なのでございます。私は顔が熱くなって参りました。胸が苦しくなって参りました。出来るならこの場で、私が妻を殺した一条を逐一白状してしまいたい。──そんな気がまるで嵐のように、烈しく私の頭の中を駈けめぐり始めました。するとその時、私の着座している前の畳へ、夢のように白羽二重の足袋が現れました。続いて仄かな波の空に松と鶴とが霞んでいる裾模様が見えました。それから錦襴の帯、はこせこの銀鎖、白襟と順を追って、鼈甲の櫛笄が重そうに光っている高島田が眼にはいった時、私はほとんど息がつまるほど、絶対絶命な恐怖に圧倒されて、思わず両手を畳へつくと、『私は人殺しです。極重悪の罪人です』と、必死な声を挙げてしまいました。………        ─────────────────────────  中村玄道はこう語り終ると、しばらくじっと私の顔を見つめていたが、やがて口もとに無理な微笑を浮べながら、 「その以後の事は申し上げるまでもございますまい。が、ただ一つ御耳に入れて置きたいのは、当日限り私は狂人と云う名前を負わされて、憐むべき余生を送らなければならなくなった事でございます。果して私が狂人かどうか、そのような事は一切先生の御判断に御任かせ致しましょう。しかしたとい狂人でございましても、私を狂人に致したものは、やはり我々人間の心の底に潜んでいる怪物のせいではございますまいか。その怪物が居ります限り、今日私を狂人と嘲笑っている連中でさえ、明日はまた私と同様な狂人にならないものでもございません。──とまあ私は考えて居るのでございますが、いかがなものでございましょう。」  ランプは相不変私とこの無気味な客との間に、春寒い焔を動かしていた。私は楊柳観音を後にしたまま、相手の指の一本ないのさえ問い質して見る気力もなく、黙然と坐っているよりほかはなかった。 (大正八年六月) 底本:「芥川龍之介全集3」ちくま文庫、筑摩書房    1986(昭和61)年12月1日第1刷発行    1996(平成8)年4月1日第8刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1998年12月8日公開 2004年3月7日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。