創作 芥川龍之介 Guide 扉 本文 目 次 創作  僕に小説をかけと云ふのかね。書けるのなら、とうに書いてゐるさ。が、書けない。遺憾ながら、職業に逐はれてペンをとる暇がない。そこで、人に話す、その人が、それを小説に書く。僕が材料を提供した小説が、これで十や二十はあるだらう。勿論、有名なる作家の作品でね。唯、君に注意して置きたいのは、僕の提供する材料が、大部分は、僕の創作だと云ふ事だよ。勿論、これは、今まで、人に話した事はない。さう云ふと、誰も、僕の話を聞いて、小説にする奴がないからね。僕は、何時でも、小説らしい事実を想像でつくり上げて、それを僕の友だちの小説家に、ほんたうらしく話してやる。すると、それが旬日ならずして、小説になる。自分が小説を書くのも、同じ事さ。唯、技巧が、多くの場合、全然僕の気に入らないがね、それは、まあ仕方がないさ。  尤も、ほんたうらしく見せかけるのには、いろんな条件が必要だよ。僕自身、僕の小説の主人公になる事もある。或は、僕の友だちの夫婦関係を粉本に、ちよいと借用する事もある。が、決して、モデル問題は起らない。起らない筈さ。モデル自身は、実際、僕の提供する材料のやうな事をしてはゐないんだし、僕の友だちの小説家も、それが姦通とか、竊盗とか、シリアスな事になればなる程、徳義上、モデルの名は出さないからね。そこで、その小説が活字になる。作家は原稿料を貰ふ。どうかすると、僕をよんで、一杯やらうと云ふやうな事になる。実は、僕の方が、作家に礼をすべき筈なのだが、向ふで、嬉しがつて、するのだからさせて置くのさ。  所が、この間、弱つた事があつた。なに、Kの奴を、小説の主人公にして見たのさ。何しろ先生あの通り、トルストイヤンだから、あいつが、芸者に関係してゐる事にしたら、面白からうと思つて、さう云ふ情話を、創作してしまつたのだね。すると、その小説が出て、五六日すると、Kが僕の所へやつて来て、恨がましい事を並べてるぢやあないか。いくら、あれは君の事を書いたのではないと云つても、承知しない。始めから、僕の手から出た材料ではないと云つてしまへば、よかつたのだが、それをしなかつたのが、こつちの落度さ。が、僕がKの話をした小説家と云ふのは、気の小さい、大学を出たての男で、K君の名誉に関る事だから位、おどかして置けば、決して、モデルが誰だなぞと云ふ事を、吹聴する男ぢやあない。そこで、怪しいと思つたから、Kに、何故君がモデルだと云ふ事がわかつたと、追窮したら、驚いたね、実際Kの奴が、かくれて芸者遊びをしてゐたのだ。それも、箒なのだらうぢやあないか。仕方がないから、僕は、表面上、Kの私行を発いたと云ふ罪を甘受して、Kに謝罪したがね。まるで、寃罪に伏した事になるのだから、僕もいい迷惑さ。しかし、それ以来、僕の提供する材料が、嘘ではないと云ふ事が、僕の友だちの小説家仲間に、確証されたからね。満更、莫迦を見たわけでもないと云ふものさ。  だが、たまには、面白い事もあるよ。僕は、いつかMが、他人の細君に恋してゐると云ふ話を創作した。尤も一切の社会的覊絆を蹂躙して、その女と結婚する事が男らしい如く、自分の恋を打明けずにおくのも男らしいと云ふ信念から、依然として、童貞を守りながら、その女ときれいな交際をしてゐると云ふ筋なのだがね。すると、それを聞いた僕の友だちの小説家は、それ以来、大にMに推服してしまつたぢやあないか。実は、M位、誘惑に負け易い、男らしくない人間はないのだがね。それを見てゐると、いくら僕でも、笑はずにはゐられないよ。  君は、いやな顔をするね。僕を、罪な事をする男だとでも、思つてゐるのだらう。隠したつて、駄目だよ、商売がら、僕の診察に間違ひはない。医者と云ふものは、病状の診断を、患者の顔色からも、拵へるものだからね。それは、君のモラアルも、僕にはよくわかつてゐるさ。しかしだね、僕が、さう云ふ事をしたからと云つて、どれだけ他人に迷惑を与へるだらう。唯、甲が乙に対して持つてゐる考へを、少し変更するだけの事だ。善くか、悪くかは、場合場合でちがふがね。え、偽を真に代へる惧がある? 冗談云つちやあいけない。甲が乙に対して持つてゐる考へに、真偽の別なんぞ、あり得ないぢやあないか。自分を知つてゐる者は、自分だけさ。もう一つあれば、自分を造つた、自分の上の実在だけさ。  尤も、その為に、甲と乙との間に、不和でも起れば、僕の責任だが、そんな事は、絶対にないと云つても、まあいいね。それだけの注意は、僕でも、ちやんとしてゐるのだから。  第一僕のやうな真似をした人間は、昔から沢山ゐたらうと思ふね。それは、僕程、明白な自覚を以て、した奴はないかも知れないさ。が、ゐた事は、確にゐたよ。たとへばだね、僕が、実際、何か経験して、それを、僕の友だちに話したとする。君は、その時、厳密な意味で、僕が嘘をつかずに、ありのままを話せると思ふかね。よし、出来るにしても、むづかしい事には、ちがひなからう。さうすると、嘘の材料を提供すると云ふ事と、実際のそれを提供すると云ふ事との差が、一般に考へてゐるよりも、少なくなつてくる。それなら、昔から、出たらめを、小説家や詩人に話した奴が、沢山ゐたらうぢやあないか。出たらめと云ふと、人聞きが悪いがね。実は、立派な想像の産物さ。  まあ、そんなむづかしい顔をするのは、よし給へ。それよりその珈琲でものんで、一しよに出かけよう。さうして、あの電燈の下で、ベエトオフエンでも聞かう。ヘルデン・レエベンは、自動車の音に似てゐるから、好きだと云ふ男が、ジアン・クリストフの中に、出て来るぢやあないか。僕のベエトオフエンの聞き方も、あの男と同じかも知れない。事によると、人生と云ふものの観方もね。…… (大正五年八月十九日) 底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。