三角と四角 巖谷小波 Guide 扉 本文 目 次 三角と四角  数学の中に幾何というものがある。幾何を学ぶにわ、是非とも定木が入る。その定木の中に、三角定木というのがある。──これわ大方諸君も御存じでしょう。  ところがこの三角定木、自分の体にわ、三方に尖った角のあるのを、大層自慢に致し、世間に品も多いが、乃公ほど角のあるものわあるまい、角にかけてわ乃公が一番だと、たった三つよりない角を、酷く鼻にかけておりました。  すると或る日、同じ机の上にあった鉛筆が来ていうにわ、 (筆)三角さん三角さん、お前わ平常から大層その角を自慢しているし、私らもまたお前ほど角の多いものわないと思っていたが、この間来た画板を見たかイ。あれわお前よりまた角が多いぜ。 と、いいますから、三角わ少し不平の顔色で、 (三)ナニ僕より角の多い奴がおる。馬鹿いい給うな。凡そ世界わ広しといえども、僕より余計に角を持た奴わないはずだ。 (筆)ところがあるから仕方がない。 (三)ナニそれわ君達の眼が如何かしてるのだ。 (筆)ナニ如何も仕てるものか、嘘だと思うなら行て見給え! (三)そんなら行て見よう。嘘だったら承知しないよ。 (筆)いいとも嘘なら首でもやるワ。 と、これから連れ立って行て見ますと、なるほど画板わ真ッ四角で、自分よりわ一角多く、しかも今まで自分を褒めていた連中が、今でわみんな画板の方ばかり向いて、頻りにその角を褒めている様子です。 (筆)どうだイ嘘じゃあるまい。 (三)なるほど此奴わ恐れ入た。 と、さすがの三角定木も、こうなると頭を掻くより他わありません。大いに面目を失いましたが、しかし心の中でわ、まだ負惜しみという奴があって、おのれ生意気な画板め、余計な角を持て来やがって、よくも乃公に赤恥をかかせやがったな。どうするか覚えていろと、果わ悔しまぎれに良くない了簡を起しました。  で、そのまま帰ると、直ぐに近所の鋏の処え参り、 (三)鋏君、申兼たが今夜一ト晩、君の体を貸してくれまいか。  鋏わこれを聞いて、 (鋏)なるほど、次第によってわ貸すまいものでもないが、一体何を切るのだ。 (三)ちっと硬いものを切りたいのだが、よく切れるかイ。 (鋏)大抵なものなら切て見せるが、それでも六かしいと思うならまア一遍磨いで行くさ。 (三)そうか、そんなら磨がしてくれたまえ。痛かろうけども頼まれたが因果だ、ちっとの間辛抱頼む。 と、これから三角定木わ、件んの鋏をば磨ぎ立てまして、もうこれならば大丈夫と、その日の暮れるのを、今か今かと待ちかまえておりました。  その中に日も暮れて、夜も更けて、四隣も寝静まったと思う頃、三角定木わムクムクと床を出て例の鋏をば小脇にかかえ、さし足ぬき足で、彼の画板の寝ている処え、そっと忍んで参りました。  見ると画板わ、前後も知らぬ高鼾で、さも心持快さそうに寝ておりますから、〆めた! おのれ画板め、今乃公が貴様の角を、残らず取り払ってやるからにわ、もう明日からわ角なしだ、いくら威張っても追い付かんぞと、腹の中で散々悪態を吐きながら、突然チョキリ! 一角切て落しましたが、まだ気が付かない様子ですから、また一角をチョキリ! それでも眼が醒めないから、こりゃよくよく寝坊だわイ、といいながら、チョキリ! チョキリ! とうとう四角とも切り落し、まずこれで溜飲が下がった。どりゃ帰って寝よう、鋏さん大きに御苦労だったと、急いでわが家え帰って、そのまま寝てしまいました。  さてその翌朝、何喰わぬ顔で床を出て見ますと、世間でわ大評判で、逢う者ごとに、 「画板わえらいえらい。」 と、頻りに画板を褒め立てますから、如何した事かと行て見ますと、こわいかに、昨日まで四角であった画板わ、今朝わ八角に成って、意気揚々と歩行いております。  四角の角々を切り落せば、角の数が倍になって、八角に成るのわ当然、しかもそれわ自分の所業であるのに、そうとわ心付かぬ三角定木、驚いたの驚かないの! (三)ヒヤーこりゃ如何じゃ。アノ四角奴、一夜の中に八角に成りよった。この分でわまた明日わ、十角や二十角にも成るだろう、こりゃ所詮叶わぬわイ。 と、とうとう兜を脱いで降参しましたとわ、身のほど知らぬ大白痴。 底本:「日本児童文学名作集(上)」岩波文庫、岩波書店    1994(平成6)年2月16日第1刷発行 底本の親本:「小波お伽百話」博文館    1911(明治44)年1月初版発行 初出:「幼年雑誌」博文館    1894(明治27)年10月号 ※本作品は、作者が提唱した、発音どおりの仮名遣い「お伽仮名」によっている。1900(明治33)年から2年間、巖谷小波は、ベルリン大学東洋語学校で日本語を教えたが、その際の経験から、日本語の仮名遣いは煩雑過ぎると考え、お伽噺を発音通りの仮名遣いで表記するようになった。初出時は歴史的仮名遣いで書かれていた本作品も、底本の親本に収録されるに際して、書きあらためられた。 入力:hongming 校正:門田裕志 2001年12月22日公開 2005年11月27日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。