七宝の柱 泉鏡花 Guide 扉 本文 目 次 七宝の柱  山吹つつじが盛だのに、その日の寒さは、俥の上で幾度も外套の袖をひしひしと引合せた。  夏草やつわものどもが、という芭蕉の碑が古塚の上に立って、そのうしろに藤原氏三代栄華の時、竜頭の船を泛べ、管絃の袖を飜し、みめよき女たちが紅の袴で渡った、朱欄干、瑪瑙の橋のなごりだと言う、蒼々と淀んだ水の中に、馬の首ばかり浮いたような、青黒く朽古びた杭が唯一つ、太く頭を出して、そのまわりに何の魚の影もなしに、幽な波が寂しく巻く。──雲に薄暗い大池がある。  池がある、この毛越寺へ詣でた時も、本堂わきの事務所と言った処に、小机を囲んで、僧とは見えない、鼠だの、茶だの、無地の袴はいた、閑らしいのが三人控えたのを見ると、その中に火鉢はないか、赫と火の気の立つ……とそう思って差覗いたほどであった。  旅のあわれを、お察しあれ。……五月の中旬と言うのに、いや、どうも寒かった。  あとで聞くと、東京でも袷一枚ではふるえるほどだったと言う。  汽車中、伊達の大木戸あたりは、真夜中のどしゃ降で、この様子では、思立った光堂の見物がどうなるだろうと、心細いまできづかわれた。  濃い靄が、重り重り、汽車と諸ともに駈りながら、その百鬼夜行の、ふわふわと明けゆく空に、消際らしい顔で、硝子窓を覗いて、 「もう!」  と笑って、一つ一つ、山、森、岩の形を顕わす頃から、音もせず、霧雨になって、遠近に、まばらな田舎家の軒とともに煙りつつ、仙台に着いた時分に雨はあがった。  次第に、麦も、田も色には出たが、菜種の花も雨にたたかれ、畠に、畝に、ひょろひょろと乱れて、女郎花の露を思わせるばかり。初夏はおろか、春の闌な景色とさえ思われない。  ああ、雲が切れた、明いと思う処は、 「沼だ、ああ、大な沼だ。」  と見る。……雨水が渺々として田を浸すので、行く行く山の陰は陰惨として暗い。……処々巌蒼く、ぽっと薄紅く草が染まる。嬉しや日が当ると思えば、角ぐむ蘆に交り、生茂る根笹を分けて、さびしく石楠花が咲くのであった。  奥の道は、いよいよ深きにつけて、空は弥が上に曇った。けれども、志す平泉に着いた時は、幸いに雨はなかった。  そのかわり、俥に寒い風が添ったのである。  ──さて、毛越寺では、運慶の作と称うる仁王尊をはじめ、数ある国宝を巡覧せしめる。 「御参詣の方にな、お触らせ申しはいたさんのじゃが、御信心かに見受けまするで、差支えませぬ。手に取って御覧なさい、さ、さ。」  と腰袴で、細いしない竹の鞭を手にした案内者の老人が、硝子蓋を開けて、半ば繰開いてある、玉軸金泥の経を一巻、手渡しして見せてくれた。  その紺地に、清く、さらさらと装上った、一行金字、一行銀書の経である。  俗に銀線に触るるなどと言うのは、こうした心持かも知れない。尊い文字は、掌に一字ずつ幽に響いた。私は一拝した。 「清衡朝臣の奉供、一切経のうちであります──時価で申しますとな、唯この一巻でも一万円以上であります。」  橘南谿の東遊記に、 これは清衡存生の時、自在坊蓮光といへる僧に命じ、一切経書写の事を司らしむ。三千日が間、能書の僧数百人を招請し、供養し、これを書写せしめしとなり。余もこの経を拝見せしに、その書体楷法正しく、行法また精妙にして──  と言うもの即これである。  ちょっと(この寺のではない)或案内者に申すべき事がある。君が提げて持った鞭だ。が、遠くの掛軸を指し、高い処の仏体を示すのは、とにかく、目前に近々と拝まるる、観音勢至の金像を説明すると言って、御目、眉の前へ、今にも触れそうに、ビシャビシャと竹の尖を振うのは勿体ない。大慈大悲の仏たちである。大して御立腹もあるまいけれども、作がいいだけに、瞬もしたまいそうで、さぞお鬱陶しかろうと思う。  俥は寂然とした夏草塚の傍に、小さく見えて待っていた。まだ葉ばかりの菖蒲杜若が隈々に自然と伸びて、荒れたこの広い境内は、宛然沼の乾いたのに似ていた。  別に門らしいものもない。  此処から中尊寺へ行く道は、参詣の順をよくするために、新たに開いた道だそうで、傾いた茅の屋根にも、路傍の地蔵尊にも、一々由緒のあるのを、車夫に聞きながら、金鶏山の頂、柳の館あとを左右に見つつ、俥は三代の豪奢の亡びたる、草の径を静に進む。  山吹がいまを壮に咲いていた。丈高く伸びたのは、車の上から、花にも葉にも手が届く。──何処か邸の垣根越に、それも偶に見るばかりで、我ら東京に住むものは、通りがかりにこの金衣の娘々を見る事は珍しいと言っても可い。田舎の他土地とても、人家の庭、背戸なら格別、さあ、手折っても抱いてもいいよ、とこう野中の、しかも路の傍に、自由に咲いたのは殆ど見た事がない。  そこへ、つつじの赤いのが、ぽーとなって咲交る。……  が、燃立つようなのは一株も見えぬ。霜に、雪に、長く鎖された上に、風の荒ぶる野に開く所為であろう、花弁が皆堅い。山吹は黄なる貝を刻んだようで、つつじの薄紅は珊瑚に似ていた。  音のない水が、細く、その葉の下、草の中を流れている。それが、潺々として巌に咽んで泣く谿河よりも寂しかった。  実際、この道では、自分たちのほか、人らしいものの影も見なかったのである。  そのかわり、牛が三頭、犢を一頭連れて、雌雄の、どれもずずんと大く真黒なのが、前途の細道を巴形に塞いで、悠々と遊んでいた、渦が巻くようである。  これにはたじろいだ。 「牛飼も何もいない。野放しだが大丈夫かい。……彼奴猛獣だからね。」 「何ともしゃあしましねえ。こちとら馴染だで。」  けれども、胸が細くなった。轅棒で、あの大い巻斑のある角を分けたのであるから。 「やあ、汝、……小僧も達しゃがな。あい、御免。」  敢て獣の臭さえもしないで、縦の目で優しく視ると、両方へ黒いハート形の面を分けた。が牝牛の如きは、何だか極りでも悪かったように、さらさらと雨のあとの露を散して、山吹の中へ角を隠す。  私はそれでも足を縮めた。 「ああ、漸と衣の関を通ったよ。」  全く、ほっとしたくらいである。振向いて見る勇気もなかった。  小家がちょっと両側に続いて、うんどん、お煮染、御酒などの店もあった。が、何処へも休まないで、車夫は坂の下で俥をおろした。  軒端に草の茂った、その裡に、古道具をごつごつと積んだ、暗い中に、赤絵の茶碗、皿の交った形は、大木の空洞に茨の実の溢れたような風情のある、小さな店を指して、 「あの裏に、旦那、弁慶手植の松があるで──御覧になるかな。」 「いや、帰途にしましょう。」  その手植の松より、直接に弁慶にお目に掛った。  樹立の森々として、聊かもの凄いほどな坂道──岩膚を踏むようで、泥濘はしないがつるつると辷る。雨降りの中では草鞋か靴ででもないと上下は難しかろう──其処を通抜けて、北上川、衣河、名にしおう、高館の址を望む、三方見晴しの処(ここに四阿が立って、椅子の類、木の株などが三つばかり備えてある。)其処へ出ると、真先に案内するのが弁慶堂である。  車夫が、笠を脱いで手に提げながら、裏道を崖下りに駈出して行った。が、待つと、間もなく肩に置手拭をした円髷の女が、堂の中から、扉を開いた。 「運慶の作でござります。」  と、ちょんと坐ってて言う。誰でも構わん。この六尺等身と称うる木像はよく出来ている。山車や、芝居で見るのとは訳が違う。  顔の色が蒼白い。大きな折烏帽子が、妙に小さく見えるほど、頭も顔も大の悪僧の、鼻が扁く、口が、例の喰しばった可恐しい、への字形でなく、唇を下から上へ、への字を反対に掬って、 「むふッ。」  ニタリと、しかし、こう、何か苦笑をしていそうで、目も細く、目皺が優しい。出額でまたこう、しゃくうように人を視た工合が、これで魂が入ると、麓の茶店へ下りて行って、少女の肩を大な手で、 「どうだ。」  と遣りそうな、串戯ものの好々爺の風がある。が、歯が抜けたらしく、豊な肉の頬のあたりにげっそりと窶の見えるのが、判官に生命を捧げた、苦労のほどが偲ばれて、何となく涙ぐまるる。  で、本文通り、黒革縅の大鎧、樹蔭に沈んだ色ながら鎧の袖は颯爽として、長刀を軽くついて、少し屈みかかった広い胸に、兵の柄のしなうような、智と勇とが満ちて見える。かつ柄も長くない、頬先に内側にむけた刃も細い。が、かえって無比の精鋭を思わせて、颯と掉ると、従って冷い風が吹きそうである。  別に、仏菩薩の、尊い古像が架に据えて数々ある。  みどり児を、片袖で胸に抱いて、御顔を少し仰向けに、吉祥果の枝を肩に振掛け、裳をひらりと、片足を軽く挙げて、──いいぐさは拙いが、舞などしたまう状に、たとえば踊りながらでんでん太鼓で、児をおあやしのような、鬼子母神の像があった。御面は天女に斉しい。彩色はない。八寸ばかりのほのぐらい、が活けるが如き木彫である。 「戸を開けて拝んでは悪いんでしょうか。」  置手拭のが、 「はあ、其処は開けません事になっております。けれども戸棚でございますから。」 「少々ばかり、御免下さい。」  と、網の目の細い戸を、一、二寸開けたと思うと、がっちりと支えたのは、亀井六郎が所持と札を打った笈であった。  三十三枚の櫛、唐の鏡、五尺のかつら、紅の袴、重の衣も納めつと聞く。……よし、それはこの笈にてはあらずとも。 「ああ、これは、疵をつけてはなりません。」  棚が狭いので支えたのである。  そのまま、鬼子母神を礼して、ソッと戸を閉てた。  連の家内が、 「粋な御像ですわね。」  と、ともに拝んで言った。 「失礼な事を、──時に、御案内料は。」 「へい、五銭。」 「では──あとはどうぞお賽銭に。」  そこで、鎧着たたのもしい山法師に別れて出た。  山道、二町ばかり、中尊寺はもう近い。  大な広い本堂に、一体見上げるような釈尊のほか、寂寞として何もない。それが荘厳であった。日の光が幽に漏れた。  裏門の方へ出ようとする傍に、寺の廚があって、其処で巡覧券を出すのを、車夫が取次いでくれる。巡覧すべきは、はじめ薬師堂、次の宝物庫、さて金色堂、いわゆる光堂。続いて経蔵、弁財天と言う順序である。  皆、参詣の人を待って、はじめて扉を開く、すぐまたあとを鎖すのである。が、宝物庫には番人がいて、経蔵には、年紀の少い出家が、火の気もなしに一人経机に対っていた。  はじめ、薬師堂に詣でて、それから宝物庫を一巡すると、ここの番人のお小僧が鍵を手にして、一条、道を隔てた丘の上に導く。……階の前に、八重桜が枝も撓に咲きつつ、かつ芝生に散って敷いたようであった。  桜は中尊寺の門内にも咲いていた。麓から上ろうとする坂の下の取着の処にも一本見事なのがあって、山中心得の条々を記した禁札と一所に、たしか「浅葱桜」という札が建っていた。けれども、それのみには限らない。処々汽車の窓から視た桜は、奥が暗くなるに従って、ぱっと冴を見せて咲いたのはなかった。薄墨、鬱金、またその浅葱と言ったような、どの桜も、皆ぽっとりとして曇って、暗い紫を帯びていた。雲が黒かったためかも知れない。  唯、階の前の花片が、折からの冷い風に、はらはらと誘われて、さっと散って、この光堂の中を、空ざまに、ひらりと紫に舞うかと思うと──羽目に浮彫した、孔雀の尾に玉を刻んで、緑青に錆びたのがなお厳に美しい、その翼を──ぱらぱらとたたいて、ちらちらと床にこぼれかかる……と宙で、黄金の巻柱の光をうけて、ぱっと金色に飜るのを見た時は、思わず驚歎の瞳を瞠った。  床も、承塵も、柱は固より、彳めるものの踏む処は、黒漆の落ちた黄金である。黄金の剥げた黒漆とは思われないで、しかも些のけばけばしい感じが起らぬ。さながら、金粉の薄雲の中に立った趣がある。われら仙骨を持たない身も、この雲はかつ踏んでも破れぬ。その雲を透して、四方に、七宝荘厳の巻柱に対するのである。美しき虹を、そのまま柱にして絵かれたる、十二光仏の微妙なる種々相は、一つ一つ錦の糸に白露を鏤めた如く、玲瓏として珠玉の中にあらわれて、清く明かに、しかも幽なる幻である。その、十二光仏の周囲には、玉、螺鈿を、星の流るるが如く輝かして、宝相華、勝曼華が透間もなく咲きめぐっている。  この柱が、須弥壇の四隅にある、まことに天上の柱である。須弥壇は四座あって、壇上には弥陀、観音、勢至の三尊、二天、六地蔵が安置され、壇の中は、真中に清衡、左に基衡、右に秀衡の棺が納まり、ここに、各一口の剣を抱き、鎮守府将軍の印を帯び、錦袍に包まれた、三つの屍がまだそのままに横わっているそうである。  雛芥子の紅は、美人の屍より開いたと聞く。光堂は、ここに三個の英雄が結んだ金色の果なのである。  謹んで、辞して、天界一叢の雲を下りた。  階を下りざまに、見返ると、外囲の天井裏に蜘蛛の巣がかかって、風に軽く吹かれながら、きらきらと輝くのを、不思議なる塵よ、と見れば、一粒の金粉の落ちて輝くのであった。  さて経蔵を見よ。また弥が上に可懐い。  羽目には、天女──迦陵頻伽が髣髴として舞いつつ、かなでつつ浮出ている。影をうけた束、貫の材は、鈴と草の花の玉の螺鈿である。  漆塗、金の八角の台座には、本尊、文珠師利、朱の獅子に騎しておわします。獅子の眼は爛々として、赫と真赤な口を開けた、青い毛の部厚な横顔が視られるが、ずずッと足を挙げそうな構えである。右にこの轡を取って、ちょっと振向いて、菩薩にものを言いそうなのが優闐玉、左に一匣を捧げたのは善哉童子。この両側左右の背後に、浄名居士と、仏陀波利が一は払子を振り、一は錫杖に一軸を結んだのを肩にかつぐように杖いて立つ。額も、目も、眉も、そのいずれも莞爾莞爾として、文珠も微笑んでまします。第一獅子が笑う、獅子が。  この須弥壇を左に、一架を高く設けて、ここに、紺紙金泥の一巻を半ば開いて捧げてある。見返しは金泥銀泥で、本経の図解を描く。……清麗巧緻にしてかつ神秘である。  いま此処に来てこの経を視るに、毛越寺の彼はあたかも砂金を捧ぐるが如く、これは月光を仰ぐようであった。  架の裏に、色の青白い、痩せた墨染の若い出家が一人いたのである。  私の一礼に答えて、 「ご緩り、ご覧なさい。」  二、三の散佚はあろうが、言うまでもなく、堂の内壁にめぐらした八の棚に満ちて、二代基衡のこの一切経、一代清衡の金銀泥一行まぜ書の一切経、並に判官贔屓の第一人者、三代秀衡老雄の奉納した、黄紙宋板の一切経が、みな黒燿の珠玉の如く漆の架に満ちている。──一切経の全部量は、七駄片馬と称うるのである。 「──拝見をいたしました。」 「はい。」  と腰衣の素足で立って、すっと、経堂を出て、朴歯の高足駄で、巻袖で、寒く細りと草を行く。清らかな僧であった。 「弁天堂を案内しますで。」  と車夫が言った。  向うを、墨染で一人行く若僧の姿が、寂しく、しかも何となく貴く、正に、まさしく彼処におわする……天女の御前へ、われらを導く、つつましく、謙譲なる、一個のお取次のように見えた。  かくてこそ法師たるものの効はあろう。  世に、緋、紫、金襴、緞子を装うて、伽藍に処すること、高家諸侯の如く、あるいは仏菩薩の玄関番として、衆俗を、受附で威張って追払うようなのが少くない。  そんなのは、僧侶なんど、われらと、仏神の中を妨ぐる、姑だ、小姑だ、受附だ、三太夫だ、邪魔ものである。  衆生は、きゃつばらを追払って、仏にも、祖師にも、天女にも、直接にお目にかかって話すがいい。  時に、経堂を出た今は、真昼ながら、月光に酔い、桂の香に巻かれた心地がして、乱れたままの道芝を行くのが、青く清明なる円い床を通るようであった。  階の下に立って、仰ぐと、典雅温優なる弁財天の金字に縁して、牡丹花の額がかかる。……いかにや、年ふる雨露に、彩色のかすかになったのが、木地の胡粉を、かえってゆかしく顕わして、萌黄に群青の影を添え、葉をかさねて、白緑碧藍の花をいだく。さながら瑠璃の牡丹である。  ふと、高縁の雨落に、同じ花が二、三輪咲いているように見えた。  扉がギイ、キリキリと……僧の姿は、うらに隠れつつ、見えずに開く。  ぽかんと立ったのが極が悪い。  ああ、もう彼処から透見をなすった。  とそう思うほど、真白き面影、天女の姿は、すぐ其処に見えさせ給う。  私は恥じて俯向いた。 「そのままでお宜しい。」  壇は、下駄のままでと彼の僧が言うのである。  なかなか。  足袋の、そんなに汚れていないのが、まだしもであった。  蜀紅の錦と言う、天蓋も広くかかって、真黒き御髪の宝釵の玉一つをも遮らない、御面影の妙なること、御目ざしの美しさ、……申さんは恐多い。ただ、西の方遥に、山城国、浄瑠璃寺、吉祥天のお写真に似させ給う。白理、優婉、明麗なる、お十八、九ばかりの、略人だけの坐像である。  ト手をついて対したが、見上ぐる瞳に、御頬のあたり、幽に、いまにも莞爾と遊ばしそうで、まざまざとは拝めない。  私は、端坐して、いにしえの、通夜と言う事の意味を確に知った。  このままに二時いたら、微妙な、御声が、あの、お口許の微笑から。──  さて壇を退きざまに、僧のとざす扉につれて、かしこくもおんなごりさえ惜まれまいらすようで、涙ぐましくまた額を仰いだ。御堂そのまま、私は碧瑠璃の牡丹花の裡に入って、また牡丹花の裡から出たようであった。  花の影が、大な蝶のように草に映した。  月ある、明なる時、花の朧なる夕、天女が、この縁側に、ちょっと端居の腰を掛けていたまうと、経蔵から、侍士、童子、払子、錫杖を左右に、赤い獅子に騎して、文珠師利が、悠然と、草をのりながら、 「今晩は──姫君、いかが。」  などと、お話がありそうである。  と、麓の牛が白象にかわって、普賢菩薩が、あの山吹のあたりを御散歩。  まったく、一山の仏たち、大な石地蔵も凄いように活きていらるる。  下向の時、あらためて、見霽の四阿に立った。  伊勢、亀井、片岡、鷲尾、四天王の松は、畑中、畝の四処に、雲を鎧い、繇糸の風を浴びつつ、或ものは粛々として衣河に枝を聳かし、或ものは恋々として、高館に梢を伏せたのが、彫像の如くに視めらるる。  その高館の址をば静にめぐって、北上川の水は、はるばる、瀬もなく、音もなく、雲の涯さえ見えず、ただ(はるばる)と言うように流るるのである。 「この奥に義経公。」  車夫の言葉に、私は一度俥を下りた。  帰途は──今度は高館を左に仰いで、津軽青森まで、遠く続くという、まばらに寂しい松並木の、旧街道を通ったのである。  松並木の心細さ。  途中で、都らしい女に逢ったら、私はもう一度車を飛下りて、手も背もかしたであろう。──判官にあこがるる、静の霊を、幻に感じた。 「あれは、鮭かい。」  すれ違って一人、溌剌たる大魚を提げて駈通ったものがある。 「鱒だ、──北上川で取れるでがすよ。」  ああ、あの川を、はるばると──私は、はじめて一条長く細く水の糸を曳いて、魚の背とともに動く状を目に宿したのである。 「あれは、はあ、駅長様の許へ行くだかな。昨日も一尾上りました。その鱒は停車場前の小河屋で買ったでがすよ。」 「料理屋かね。」 「旅籠屋だ。新築でがしてな、まんずこの辺では彼店だね。まだ、旦那、昨日はその上に、はい鯉を一尾買入れたでなあ。」 「其処へ、つけておくれ、昼食に……」  ──この旅籠屋は深切であった。 「鱒がありますね。」  と心得たもので、 「照焼にして下さい。それから酒は罎詰のがあったらもらいたい、なりたけいいのを。」  束髪に結った、丸ぽちゃなのが、 「はいはい。」  と柔順だっけ。  小用をたして帰ると、もの陰から、目を円くして、一大事そうに、 「あの、旦那様。」 「何だい。」 「照焼にせいという、お誂ですがなあ。」 「ああ。」 「川鱒は、塩をつけて焼いた方がおいしいで、そうしては不可ないですかな。」 「ああ、結構だよ。」  やがて、膳に、その塩焼と、別に誂えた玉子焼、青菜のひたし。椀がついて、蓋を取ると鯉汁である。ああ、昨日のだ。これはしかし、活きたのを料られると困ると思って、わざと註文はしなかったものである。  口を溢れそうに、なみなみと二合のお銚子。  いい心持の処へ、またお銚子が出た。  喜多八の懐中、これにきたなくもうしろを見せて、 「こいつは余計だっけ。」 「でも、あの、四合罎一本、よそから取って上げましたので、なあ。」  私は膝を拍って、感謝した。 「よし、よし、有難う。」  香のものがついて、御飯をわざわざ炊いてくれた。  これで、勘定が──道中記には肝心な処だ──二円八十銭……二人分です。 「帳場の、おかみさんに礼を言って下さい。」  やがて停車場へ出ながら視ると、旅店の裏がすぐ水田で、隣との地境、行抜けの処に、花壇があって、牡丹が咲いた。竹の垣も結わないが、遊んでいた小児たちも、いたずらはしないと見える。  ほかにも、商屋に、茶店に、一軒ずつ、庭あり、背戸あれば牡丹がある。往来の途中も、皆そうであった。かつ溝川にも、井戸端にも、傾いた軒、崩れた壁の小家にさえ、大抵皆、菖蒲、杜若を植えていた。  弁財天の御心が、自ら土地にあらわれるのであろう。  忽ち、風暗く、柳が靡いた。  停車場へ入った時は、皆待合室にいすくまったほどである。風は雪を散らしそうに寒くなった。一千年のいにしえの古戦場の威力である。天には雲と雲と戦った。 底本:「鏡花短篇集」岩波文庫、岩波書店    1987(昭和62)年9月16日第1刷発行    2001(平成13)年2月5日第21刷発行 底本の親本:「鏡花全集 第二十七巻」岩波書店    1942(昭和17)年10月初版発行 初出:「人間」    1921(大正10)年7月号 入力:門田裕志 校正:米田進、鈴木厚司 2003年3月31日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。