薬草取 泉鏡花 Guide 扉 本文 目 次 薬草取        一 日光掩蔽  地上清涼  靉靆垂布  如可承攬 其雨普等  四方倶下  流樹無量  率土充洽 山川険谷  幽邃所生  卉木薬艸  大小諸樹 「もし憚ながらお布施申しましょう。」  背後から呼ぶ優しい声に、医王山の半腹、樹木の鬱葱たる中を出でて、ふと夜の明けたように、空澄み、気清く、時しも夏の初を、秋見る昼の月の如く、前途遥なる高峰の上に日輪を仰いだ高坂は、愕然として振返った。  人の声を聞き、姿を見ようとは、夢にも思わぬまで、遠く里を離れて、はや山深く入っていたのに、呼懸けたのは女であった。けれども、高坂は一見して、直に何ら害心のない者であることを認め得た。  女は片手拝みに、白い指尖を唇にあてて、俯向いて経を聞きつつ、布施をしようというのであるから、 「否、私は出家じゃありません。」  と事もなげに辞退しながら、立停って、女のその雪のような耳許から、下膨れの頬に掛けて、柔に、濃い浅葱の紐を結んだのが、露の朝顔の色を宿して、加賀笠という、縁の深いので眉を隠した、背には花籠、脚に脚絆、身軽に扮装ったが、艶麗な姿を眺めた。  かなたは笠の下から見透すが如くにして、 「これは失礼なことを申しました。お姿は些ともそうらしくはございませんが、結構な御経をお読みなさいますから、私は、あの、御出家ではございませんでも、御修行者でいらっしゃいましょうと存じまして。」  背広の服で、足拵えして、帽を真深に、風呂敷包を小さく西行背負というのにしている。彼は名を光行とて、医科大学の学生である。  時に、妙法蓮華経薬草諭品、第五偈の半を開いたのを左の掌に捧げていたが、右手に支いた力杖を小脇に掻上げ、 「そりゃまあ、修行者は修行者だが、まだ全然素人で、どうして御布施を戴くようなものじゃない。  読方だって、何だ、大概、大学朱熹章句で行くんだから、尊い御経を勿体ないが、この山には薬の草が多いから、気の所為か知らん。麓からこうやって一里ばかりも来たかと思うと、風も清々しい薬の香がして、何となく身に染むから、心願があって近頃から読み覚えたのを、誦えながら歩行いているんだ。」  かく打明けるのが、この際自他のためと思ったから、高坂は親しく先ず語って、さて、 「姉さん、お前さんは麓の村にでも住んでいる人なんか。」 「はい、二俣村でございます。」 「あああの、越中の蛎波へ通う街道で、此処に来る道の岐れる、目まぐるしいほど馬の通る、彼処だね。」 「さようでございます。もう路が悪うございまして、車が通りませんものですから、炭でも薪でも、残らず馬に附けて出しますのでございます。  それに丁どこの御山の石の門のようになっております、戸室口から石を切出しますのを、皆馬で運びますから、一人で五疋も曳きますのでございますよ。」 「それではその麓から来たんだね、唯一人。……」  静に歩を移していた高坂は、更にまた女の顔を見た。 「はい、一人でございます、そしてこちらへ参りますまで、お姿を見ましたのは、貴方ばかりでございますよ。」  いかにもという面色して、 「私もやっぱり、そうさ、半里ばかりも後だった、途中で年寄った樵夫に逢って、路を聞いた外にはお前さんきり。  どうして往って還るまで、人ッ子一人いようとは思わなかった。」  この辺唯なだらかな蒼海原、沖へ出たような一面の草を眗しながら、 「や、ものを言っても一つ一つ谺に響くぞ、寂しい処へ、能くお前さん一人で来たね。」  女は乳の上へ右左、幅広く引掛けた桃色の紐に両手を挟んで、花籃を揺直し、 「貴方、その樵夫の衆にお尋ねなすって可うございました。そんなに嶮しい坂ではございませんが、些とも人が通いませんから、誠に知れにくいのでございます。」 「この奥の知れない山の中へ入るのに、目標があの石ばかりじゃ分らんではないかね。  それも、南北、何方か医王山道とでも鑿りつけてあればまだしもだけれど、唯河原に転っている、ごろた石の大きいような、その背後から草の下に細い道があるんだもの、ちょいと間違えようものなら、半年経歴っても頂には行かれないと、樵夫も言ったんだが、全体何だって、そんなに秘して置く山だろう。全くあの石の裏より外に、何処も路はないのだろうか。」 「ございませんとも、この路筋さえ御存じで在らっしゃれば、世を離れました寂しさばかりで、獣も可恐のはおりませんが、一足でも間違えて御覧なさいまし、何千丈とも知れぬ谷で、行留りになりますやら、断崖に突当りますやら、流に岩が飛びましたり、大木の倒れたので行く前が塞ったり、その間には草樹の多いほど、毒虫もむらむらして、どんなに難儀でございましょう。  旧へ帰るか、倶利伽羅峠へ出抜けますれば、無事に何方か国へ帰られます。それでなくって、無理に先へ参りますと、終局には草一条も生えません焼山になって、餓死をするそうでございます。  本当に貴方がおっしゃいます通り、樵夫がお教え申しました石は、飛騨までも末広がりの、医王の要石と申しまして、一度踏外しますと、それこそ路がばらばらになってしまいますよ。」  名だたる北国秘密の山、さもこそと思ったけれども、 「しかし一体、医王というほど、此処で薬草が採れるのに、何故世間とは隔って、行通がないのだろう。」 「それは、あの承りますと、昔から御領主の御禁山で、滅多に人をお入れなさらなかった所為なんでございますって。御領主ばかりでもござんせん。結構な御薬の採れます場所は、また御守護の神々仏様も、出入をお止め遊ばすのでございましょうと存じます。」  譬えば仙境に異霊あって、恣に人の薬草を採る事を許さずというが如く聞えたので、これが少からず心に懸った。 「それでは何か、私なんぞが入って行って、欲い草を取って帰っては悪いのか。」  と高坂はやや気色ばんだが、悚然と肌寒くなって、思わず口の裡で、 慧雲含潤  電光晃耀  雷声遠震  令衆悦予 日光掩蔽  地上清涼  靉靆垂布  如可承攬        二 「否、山さえお暴しなさいませねば、誰方がおいでなさいましても、大事ないそうでございます。薬の草もあります上は、毒な草もないことはございません。無暗な者が採りますと、どんな間違になろうも知れませんから、昔から禁札が打ってあるのでございましょう。  貴方は、そうして御経をお読み遊ばすくらい、縦令お山で日が暮れても些ともお気遣な事はございますまいと存じます。」  言いかけてまた近き、 「あのさようなら、貴方はお薬になる草を採りにおいでなさるのでござんすかい。」 「少々無理な願ですがね、身内に病人があって、とても医者の薬では治らんに極ったですから、この医王山でなくって外にない、私が心当の薬草を採りに来たんだが、何、姉さんは見懸けた処、花でも摘みに上るんですか。」 「御覧の通、花を売りますものでござんす。二日置き、三日置に参って、お山の花を頂いては、里へ持って出て商います、丁ど唯今が種々な花盛。  千蛇が池と申しまして、頂に海のような大な池がございます。そしてこの山路は何処にも清水なぞ流れてはおりません。その代暑い時、咽喉が渇きますと、蒼い小な花の咲きます、日蔭の草を取って、葉の汁を噛みますと、それはもう、冷い水を一斗ばかりも飲みましたように寒うなります。それがないと凌げませんほど、水の少い処ですから、菖蒲、杜若、河骨はござんせんが、躑躅も山吹も、あの、牡丹も芍薬も、菊の花も、桔梗も、女郎花でも、皆一所に開いていますよ、この六月から八月の末時分まで。その牡丹だの、芍薬だの、結構な花が取れますから、たんとお鳥目が頂けます。まあ、どんなに綺麗でございましょう。  そして貴方、お望の草をお採り遊ばすお心当はどの辺でござんすえ。」  と笠ながら差覗くようにして親しく聞く、時に清い目がちらりと見えた。  高坂は何となく、物語の中なる人を、幽境の仙家に導く牧童などに逢う思いがしたので、言も自から慇懃に、 「私も其処へ行くつもりです。四季の花の一時に咲く、何という処でしょうな。」 「はい、美女ヶ原と申します。」 「びじょがはら?」 「あの、美しい女と書きますって。」  女は俯向いて羞じたる色あり、物の淑しげに微笑む様子。  可懐さに振返ると、 「あれ。」と袖を斜に、袂を取って打傾き、 「あれ、まあ、御覧なさいまし。」  その草染の左の袖に、はらはらと五片三片紅を点じたのは、山鳥の抜羽か、非ず、蝶か、非ず、蜘蛛か、非ず、桜の花の零れたのである。 「どうでございましょう、この二、三ヶ月の間は、何処からともなく、こうして、ちらちらちらちら絶えず散って参ります。それでも何処に桜があるか分りません。美女ヶ原へ行きますと、十里南の能登の岬、七里北に越中立山、背後に加賀が見晴せまして、もうこの節は、霞も霧もかかりませんのに、見紛うようなそれらしい花の梢もござんせぬが、大方この花片は、煩い町方から逃げて来て、遊んでいるのでございましょう。それともあっちこっち山の中を何かの御使に歩いているのかも知れません。」  と女が高く仰ぐに連れ、高坂も葎の中に伸上った。草の緑が深くなって、倒に雲に映るか、水底のような天の色、神霊秘密の気を籠めて、薄紫と見るばかり。 「その美女ヶ原までどのくらいあるね、日の暮れない中行かれるでしょうか。」 「否、こう桜が散って参りますから、直でございます。私も其処まで、お供いたしますが、今日こそ貴方のようなお連がございますけれど、平時は一人で参りますから、日一杯に里まで帰るのでございます。」 「日一杯?」と思いも寄らぬ状。 「どんなにまた遠い処のように、樵夫がお教え申したのでござんすえ。」 「何、樵夫に聞くまでもないです。私に心覚が丁とある。先ず凡そ山の中を二日も三日も歩行かなけれゃならないですな。  尤も上りは大抵どのくらいと、そりゃ予て聞いてはいるんですが、日一杯だのもう直だの、そんなに輒く行かれる処とは思わない。  御覧なさい、こうやって、五体の満足なはいうまでもない、谷へも落ちなけりゃ、巌にも躓かず、衣物に綻が切れようじゃなし、生爪一つ剥しやしない。  支度はして来たっても餒い思いもせず、その蒼い花の咲く草を捜さなけりゃならんほど渇く思いをするでもなし、勿論この先どんな難儀に逢おうも知れんが、それだって、花を取りに里から日帰をするという、姉さんと一所に行くんだ、急に日が暮れて闇になろうとも思われないが、全くこれぎりで、一足ずつ出さえすりゃ、美女ヶ原になりますか。」 「ええ、訳はございません、貴方、そんなに可恐処と御存じで、その上、お薬を採りに入らしったのでございますか。」  言下に、 「実際命懸で来ました。」と思い入って答えると、女はしめやかに、 「それでは、よくよくの事でおあんなさいましょうねえ。  でも何もそんな難しい御山ではありません。但此処は霊山とか申す事、酒を覆したり、竹の皮を打棄ったりする処ではないのでございます。まあ、難有いお寺の庭、お宮の境内、上つ方の御門の内のような、歩けば石一つありませんでも、何となく謹みませんとなりませんばかりなのでございます。そして貴方は、美女ヶ原にお心覚えの草があって、其処までお越し遊ばすに、二日も三日もお懸りなさらねばなりませんような気がすると仰有いますが、何時か一度お上り遊ばした事がございますか。」 「一度あるです。」 「まあ。」 「確に美女ヶ原というそれでしょうな、何でも躑躅や椿、菊も藤も、原一面に咲いていたと覚えています。けれども土地の名どころじゃない、方角さえ、何処が何だか全然夢中。  今だってやっぱり、私は同一この国の者なんですが、その時は何為か家を出て一月余、山へ入って、かれこれ、何でも生れてから死ぬまでの半分は徜徉って、漸々其処を見たように思うですが。」  高坂は語りつつも、長途に苦み、雨露に曝された当時を思い起すに付け、今も、気弱り、神疲れて、ここに深山に塵一つ、心に懸らぬ折ながら、なおかつ垂々と背に汗。  糸のような一条路、背後へ声を運ぶのに、力を要した所為もあり、薬王品を胸に抱き、杖を持った手に帽を脱ぐと、清き額を拭うのであった。  それと見る目も敏く、 「もし、御案内がてら、あの、私がお前へ参りましょう。どうぞ、その方がお話も承りようございますから。」  一議に及ばず、草鞋を上げて、道を左へ片避けた、足の底へ、草の根が柔に、葉末は脛を隠したが、裾を引く荊もなく、天地閑に、虫の羽音も聞えぬ。        三 「御免なさいまし。」  と花売は、袂に留めた花片を惜やはらはら、袖を胸に引合せ、身を細くして、高坂の体を横に擦抜けたその片足も葎の中、路はさばかり狭いのである。  五尺ばかり前にすらりと、立直る後姿、裳を籠めた草の茂り、近く緑に、遠く浅葱に、日の色を隈取る他に、一木のありて長く影を倒すにあらず。  背後から声を掛け、 「大分草深くなりますな。」 「段々頂が近いんですよ。やがてこの生が人丈になって、私の姿が見えませんようになりますと、それを潜って出ます処が、もう花の原でございます。」  と撫肩の優しい上へ、笠の紐弛く、紅のような唇をつけて、横顔で振向いたが、清しい目許に笑を浮べて、 「どうして貴方はそんなにまあ唐天竺とやらへでもお出で遊ばすように遠い処とお思いなさるのでございましょう。」  高坂は手なる杖を荒く支いて、土を騒がす事さえせず、慎んで後に続き、 「久しい以前です。一体誰でも昔の事は、遠く隔ったように思うのですから、事柄と一所に路までも遙に考えるのかも知れません。そうして先ず皆夢ですよ。  けれども不残事実で。  私が以前美女ヶ原で、薬草を採ったのは、もう二十年、十年が一昔、ざっと二昔も前になるです、九歳の年の夏。」 「まあ、そんなにお稚い時。」 「尤も一人じゃなかったです。さる人に連れられて来たですが、始め家を迷って出た時は、東西も弁えぬ、取って九歳の小児ばかり。  人は高坂の光、私の名ですね、光坊が魔に捕られたのだと言いました。よくこの地で言う、あの、天狗に攫われたそれです。また実際そうかも知れんが、幼心で、自分じゃ一端親を思ったつもりで。  まだ両親ともあったんです。母親が大病で、暑さの取附にはもう医者が見放したので、どうかしてそれを復したい一心で、薬を探しに来たんですな。」  高坂は少時黙った。 「こう言うと、何か、さも孝行の吹聴をするようで人聞が悪いですが、姉さん、貴女ばかりだから話をする。  今でこそ、立派な医者もあり、病院も出来たけれど、どうして城下が二里四方に開けていたって、北国の山の中、医者らしい医者もない。まあまあその頃、土地第一という先生まで匙を投げてしまいました。打明けて、父が私たちに聞かせるわけのものじゃない。母様は病気が悪いから、大人しくしろよ、くらいにしてあったんですが、何となく、人の出入、家の者の起居挙動、大病というのは知れる。  それにその名医というのが、五十恰好で、天窓の兀げたくせに髪の黒い、色の白い、ぞろりとした優形な親仁で、脈を取るにも、蛇の目の傘を差すにも、小指を反して、三本の指で、横笛を吹くか、女郎が煙管を持つような手付をする、好かない奴。  私がちょこちょこ近処だから駈出しては、薬取に行くのでしたが、また薬局というのが、その先生の甥とかいう、ぺろりと長い顔の、額から紅が流れたかと思う鼻の尖の赤い男、薬箪笥の小抽斗を抜いては、机の上に紙を並べて、調合をするですが、先ずその匙加減が如何にも怪しい。  相応に流行って、薬取も多いから、手間取るのが焦ったさに、始終行くので見覚えて、私がその抽斗を抜いて五つも六つも薬局の机に並べて遣る、終には、先方の手を待たないで、自分で調合をして持って帰りました。私のする方が、かえって目方が揃うくらい、大病だって何だって、そんな覚束ない薬で快くなろうとは思えんじゃありませんか。  その頃父は小立野と言う処の、験のある薬師を信心で、毎日参詣するので、私もちょいちょい連れられて行ったです。  後は自分ばかり、乳母に手を曳かれてお詣をしましたッけ。別に拝みようも知らないので、唯、母親の病気の快くなるようと、手を合せる、それも遊び半分。  六月の十五日は、私の誕生日で、その日、月代を剃って、湯に入ってから、紋着の袖の長いのを被せてもらいました。  私がと言っては可笑いでしょう。裾模様の五ツ紋、熨斗目の派手な、この頃聞きゃ加賀染とかいう、菊だの、萩だの、桜だの、花束が紋になっている、時節に構わず、種々の花を染交ぜてあります。尤も今時そんな紋着を着る者はない、他国には勿論ないですね。  一体この医王山に、四季の花が一時に開く、その景勝を誇るために、加賀ばかりで染めるのだそうですな。  まあ、その紋着を着たんですね、博多に緋の一本独鈷の小児帯なぞで。  坊やは綺麗になりました。母も後毛を掻上げて、そして手水を使って、乳母が背後から羽織らせた紋着に手を通して、胸へ水色の下じめを巻いたんだが、自分で、帯を取って〆ようとすると、それなり力が抜けて、膝を支いたので、乳母が慌て確乎抱くと、直に天鵝絨の括枕に鳩尾を圧えて、その上へ胸を伏せたですよ。  産んで下すった礼を言うのに、唯御機嫌好うとさえ言えば可いと、父から言いつかって、枕頭に手を支いて、其処へ。顔を上げた私と、枕に凭れながら、熟と眺めた母と、顔が合うと、坊や、もう復るよと言って、涙をはらはら、差俯向いて弱々となったでしょう。  父が肩を抱いて、徐と横に寝かした。乳母が、掻巻を被せ懸けると、襟に手をかけて、向うを向いてしまいました。  台所から、中の室から、玄関あたりは、ばたばた人の行交う音。尤も帯をしめようとして、濃いお納戸の紋着に下じめの装で倒れた時、乳母が大声で人を呼んだです。  やがて医者が袴の裾を、ずるずるとやって駈け込んだ。私には戸外へ出て遊んで来いと、乳母が言ったもんだから、庭から出たです。今も忘れない。何とも言いようのない、悲しい心細い思いがしましたな。」  花売は声細く、 「御道理でございますねえ。そして母様はその後快くおなりなさいましたの。」 「お聞きなさい、それからです。  小児は切て仏の袖に縋ろうと思ったでしょう。小立野と言うは場末です。先ず小さな山くらいはある高台、草の茂った空地沢山な、人通りのない処を、その薬師堂へ参ったですが。  朝の内に月代、沐浴なんかして、家を出たのは正午過だったけれども、何時頃薬師堂へ参詣して、何処を歩いたのか、どうして寝たのか。  翌朝はその小立野から、八坂と言います、八段に黒い滝の落ちるような、真暗な坂を降りて、川端へ出ていた。川は、鈴見という村の入口で、流も急だし、瀬の色も凄いです。  橋は、雨や雪に白っちゃけて、長いのが処々、鱗の落ちた形に中弛みがして、のらのらと架っているその橋の上に茫然と。  後に考えてこそ、翌朝なんですが、その節は、夜を何処で明かしたか分らないほどですから、小児は晩方だと思いました。この医王山の頂に、真白な月が出ていたから。  しかし残月であったんです。何為かというにその日の正午頃、ずっと上流の怪しげな渡を、綱に掴まって、宙へ釣されるようにして渡った時は、顔が赫とする晃々と烈い日当。  こういうと、何だか明方だか晩方だか、まるで夢のように聞えるけれども、渡を渡ったには全く渡ったですよ。  山路は一日がかりと覚悟をして、今度来るには麓で一泊したですが、昨日丁度前の時と同一時刻、正午頃です。岩も水も真白な日当の中を、あの渡を渡って見ると、二十年の昔に変らず、船着の岩も、船出の松も、確に覚えがありました。  しかし九歳で越した折は、爺さんの船頭がいて船を扱いましたっけ。  昨日は唯綱を手繰って、一人で越したです。乗合も何もない。  御存じの烈しい流で、棹の立つ瀬はないですから、綱は二条、染物をしんし張にしたように隙間なく手懸が出来ている。船は小さし、胴の間へ突立って、釣下って、互違に手を掛けて、川幅三十間ばかりを小半時、幾度もはっと思っちゃ、危さに自然に目を塞ぐ。その目を開ける時、もし、あの丈の伸びた菜種の花が断崕の巌越に、ばらばら見えんでは、到底この世の事とは思われなかったろうと考えます。  十里四方には人らしい者もないように、船を纜った大木の松の幹に立札して、渡船銭三文とある。  話は前後になりました。  そこで小児は、鈴見の橋に彳んで、前方を見ると、正面の中空へ、仏の掌を開いたように、五本の指の並んだ形、矗々立ったのが戸室の石山。靄か、霧か、後を包んで、年に二、三度好く晴れた時でないと、蒼く顕れて見えないのが、即ちこの医王山です。  其処にこの山があるくらいは、予て聞いて、小児心にも方角を知っていた。そして迷子になったか、魔に捉られたか、知れもしないのに、稚な者は、暢気じゃありませんか。  それが既に気が変になっていたからであろうも知れんが、お腹が空かぬだけに一向苦にならず。壊れた竹の欄干に掴って、月の懸った雲の中の、あれが医王山と見ている内に、橋板をことこと踏んで、  向の山に、猿が三疋住みやる。中の小猿が、能う物饒舌る。何と小児ども花折りに行くまいか。今日の寒いに何の花折りに。牡丹、芍薬、菊の花折りに。一本折っては笠に挿し、二本折っては、蓑に挿し、三枝四枝に日が暮れて……とふと唄いながら。……  何となく心に浮んだは、ああ、向うの山から、月影に見ても色の紅な花を採って来て、それを母親の髪に挿したら、きっと病気が復るに違いないと言う事です。また母は、その花を簪にしても似合うくらい若かったですな。」  高坂は旧来た方を顧みたが、草の外には何もない、一歩前へ花売の女、如何にも身に染みて聞くように、俯向いて行くのであった。 「そして確に、それが薬師のお告であると信じたですね。  さあ思い立っては矢も楯も堪らない、渡り懸けた橋を取って返して、堤防伝いに川上へ。  後でまた渡を越えなければならない路ですがね、橋から見ると山の位置は月の入る方へ傾いて、かえって此処から言うと、対岸の行留りの雲の上らしく見えますから、小児心に取って返したのが丁ど幸と、橋から渡場まで行く間の、あの、岩淵の岩は、人を隔てる医王山の一の砦と言っても可い。戸室の石山の麓が直に流に迫る処で、累り合った岩石だから、路は其処で切れるですものね。  岩淵をこちらに見て、大方跣足でいたでしょう、すたすた五里も十里も辿った意で、正午頃に着いたのが、鳴子の渡。」        四 「馬士にも、荷担夫にも、畑打つ人にも、三人二人ぐらいずつ、村一つ越しては川沿の堤防へ出るごとに逢ったですが、皆唯立停って、じろじろ見送ったばかり、言葉を懸ける者はなかったです。これは熨斗目の紋着振袖という、田舎に珍しい異形な扮装だったから、不思議な若殿、迂濶に物も言えないと考えたか、真昼間、狐が化けた? とでも思ったでしょう。それとも本人逆上返って、何を言われても耳に入らなかったのかも解らんですよ。  ふとその渡場の手前で、背後から始めて呼び留めた親仁があります。兄や、兄やと太い調子。  私は仰向いて見ました。  ずんぐり脊の高い、銅色の巌乗造な、年配四十五、六、古い単衣の裾をぐいと端折って、赤脛に脚絆、素足に草鞋、かっと眩いほど日が照るのに、笠は被らず、その菅笠の紐に、桐油合羽を畳んで、小さく縦に長く折ったのを結えて、振分けにして肩に投げて、両提の煙草入、大きいのをぶら提げて、どういう気か、渋団扇で、はたはたと胸毛を煽ぎながら、てくりてくり寄って来て、何処へ行くだ。  御山へ花を取りに、と返事すると、ふんそれならば可し、小父が同士に行って遣るべい。但、この前の渡を一つ越さねばならぬで、渡守が咎立をすると面倒じゃ、さあ、負され、と言うて背中を向けたから、合羽を跨ぐ、足を向うへ取って、猿の児背負、高く肩車に乗せたですな。  その中も心の急く、山はと見ると、戸室が低くなって、この医王山が鮮明な深翠、肩の上から下に瞰下されるような気がしました。位置は変って、川の反対の方に見えて来た、なるほど渡を渡らねばなりますまい。  足を圧えた片手を後へ、腰の両提の中をちゃらちゃらさせて、爺様頼んます、鎮守の祭礼を見に、頼まれた和郎じゃ、と言うと、船を寄せた老人の腰は、親仁の両提よりもふらふらして干柿のように干からびた小さな爺。  やがて綱に掴まって、縋ると疾い事!  雀が鳴子を渡るよう、猿が梢を伝うよう、さらさら、さっと。」  高坂は思わず足踏をした、草の茂がむらむらと揺いで、花片がまたもや散り来る──二片三片、虚空から。── 「左右へ傾く舷へ、流が蒼く搦み着いて、真白に颯と翻ると、乗った親仁も馴れたもので、小児を担いだまま仁王立。  真蒼な水底へ、黒く透いて、底は知れず、目前へ押被さった大巌の肚へ、ぴたりと船が吸寄せられた。岸は可恐く水は深い。  巌角に刻を入れて、これを足懸りにして、こちらの堤防へ上るんですな。昨日私が越した時は、先ず第一番の危難に逢うかと、膏汗を流して漸々縋り着いて上ったですが、何、その時の親仁は……平気なものです。」  高坂は莞爾して、 「爪尖を懸けると更に苦なく、負さった私の方がかえって目を塞いだばかりでした。  さて、些と歩行かっせえと、岸で下してくれました。それからは少しずつ次第に流に遠ざかって、田の畦三つばかり横に切れると、今度は赤土の一本道、両側にちらほら松の植わっている処へ出ました。  六月の中ばとはいっても、この辺には珍しい酷く暑い日だと思いましたが、川を渡り切った時分から、戸室山が雲を吐いて、処々田の水へ、真黒な雲が往ったり、来たり。  並木の松と松との間が、どんよりして、梢が鳴る、と思うとはや大粒な雨がばらばら、立樹を五本と越えない中に、車軸を流す烈しい驟雨。ちょッ待て待て、と独言して、親仁が私の手を取って、そら、台なしになるから脱げと言うままにすると、帯を解いて、紋着を剥いで、浅葱の襟の細く掛った襦袢も残らず。  小児は糸も懸けぬ全裸体。  雨は浴るようだし、恐さは恐し、ぶるぶる顫えると、親仁が、強いぞ強いぞ、と言って、私の衣類を一丸げにして、懐中を膨らますと、紐を解いて、笠を一文字に冠ったです。  それから幹に立たせて置いて、やがて例の桐油合羽を開いて、私の天窓からすっぽりと目ばかり出るほど、まるで渋紙の小児の小包。  いや! 出来た、これなら海を潜っても濡れることではない、さあ、真直に前途へ駈け出せ、曳、と言うて、板で打たれたと思った、私の臀をびたりと一つ。  濡れた団扇は骨ばかりに裂けました。  怪飛んだようになって、蹌踉けて土砂降の中を飛出すと、くるりと合羽に包まれて、見えるは脚ばかりじゃありませんか。  赤蛙が化けたわ、化けたわと、親仁が呵々と笑ったですが、もう耳も聞えず真暗三宝。何か黒山のような物に打付かって、斛斗を打って仰様に転ぶと、滝のような雨の中に、ひひんと馬の嘶く声。  漸々人の手に扶け起されると、合羽を解いてくれたのは、五十ばかりの肥った婆さん。馬士が一人腕組をして突立っていた。門の柳の翠から、黒駒の背へ雫が流れて、はや雲切がして、その柳の梢などは薄雲の底に蒼空が動いています。  妙なものが降り込んだ。これが豆腐なら資本入らずじゃ、それともこのまま熨斗を附けて、鎮守様へ納めさっしゃるかと、馬士は掌で吸殻をころころ遣る。  主さ、どうした、と婆さんが聞くんですが、四辺をきょときょと眗すばかり。  何処から出た乞食だよ、とまた酷いことを言います。尤も裸体が渋紙に包まれていたんじゃ、氏素性あろうとは思わぬはず。  衣物を脱がせた親仁はと、唯悔しく、来た方を眺めると、脊が小さいから馬の腹を透かして雨上りの松並木、青田の縁の用水に、白鷺の遠く飛ぶまで、畷がずっと見渡されて、西日がほんのり紅いのに、急な大雨で往来もばったり、その親仁らしい姿も見えぬ。  余の事にしくしく泣き出すと、こりゃ餒うて口も利けぬな、商売品で銭を噛ませるようじゃけれど、一つ振舞うて遣ろかいと、汚い土間に縁台を並べた、狭ッくるしい暗い隅の、苔の生えた桶の中から、豆腐を半挺、皺手に白く積んで、そりゃそりゃと、頬辺の処へ突出してくれたですが、どうしてこれが食べられますか。  そのくせ腹は干されたように空いていましたが、胸一杯になって、頭を掉ると、はて食好をする犬の、と呟いて、ぶくりとまた水へ落して、これゃ、慈悲を享けぬ餓鬼め、出て失せと、私の胸へ突懸けた皺だらけの手の黒さ、顔も漆で固めたよう。  黒婆どの、情ない事せまいと、名もなるほど黒婆というのか、馬士が中へ割って入ると、貸を返せ、この人足めと怒鳴ったです。するとその豆腐の桶のある後が、蜘蛛の巣だらけの藤棚で、これを地境にして壁も垣もない隣家の小家の、炉の縁に、膝に手を置いて蹲っていた、十ばかりも年上らしいお媼さん。  見兼ねたか、縁側から摺って下り、ごつごつ転がった石塊を跨いで、藤棚を潜って顔を出したが、柔和な面相、色が白い。  小児衆小児衆、私が許へござれ、と言う。疾く白媼が家へ行かっしゃい、借がなくば、此処へ馬を繋ぐではないと、馬士は腰の胴乱に煙管をぐっと突込んだ。  そこで裸体で手を曳かれて、土間の隅を抜けて、隣家へ連込まれる時分には、鳶が鳴いて、遠くで大勢の人声、祭礼の太鼓が聞えました。」  高坂は打案じ、 「渡場からこちらは、一生私が忘れない処なんだね、で今度来る時も、前の世の旅を二度する気で、松一本、橋一ツも心をつけて見たんだけれども、それらしい家もなく、柳の樹も分らない。それに今じゃ、三里ばかり向うを汽車が素通りにして行くようになったから、人通もなし。大方、その馬士も、老人も、もうこの世の者じゃあるまいと思う、私は何だかその人たちの、あのまま影を埋めた、丁どその上を、姉さん。」  花売は後姿のまま引留められたようになって停った。 「貴女と二人で歩行いているように思うですがね。」 「それからどう遊ばした、まあお話しなさいまし。」  と静に前へ。高坂も徐ろに、 「娘が来て世話をするまで、私には衣服を着せる才覚もない。暑い時節じゃで、何ともなかろが、さぞ餒かろうで、これでも食わっしゃれって。  囲炉裡の灰の中に、ぶすぶすと燻っていたのを、抜き出してくれたのは、串に刺した茄子の焼いたんで。  ぶくぶく樺色に膨れて、湯気が立っていたです。  生豆腐の手掴に比べては、勿体ない御料理と思った。それにくれるのが優しげなお婆さん。  地が性に合うで好う出来るが、まだこの村でも初物じゃという、それを、空腹へ三つばかり頬張りました。熱い汁が下腹へ、たらたらと染みた処から、一睡して目が覚めると、きやきや痛み出して、やがて吐くやら、瀉すやら、尾籠なお話だが七顛八倒。能も生きていられた事と、今でも思うです。しかし、もうその時は、命の親の、優しい手に抱かれていました。世にも綺麗な娘で。  人心地もなく苦しんだ目が、幽に開いた時、初めて見た姿は、艶かな黒髪を、男のような髷に結んで、緋縮緬の襦袢を片肌脱いでいました。日が経って医王山へ花を採りに、私の手を曳いて、楼に朱の欄干のある、温泉宿を忍んで裏口から朝月夜に、田圃道へ出た時は、中形の浴衣に襦子の帯をしめて、鎌を一挺、手拭にくるんでいたです。その間に、白媼の内を、私を膝に抱いて出た時は、髷を唐輪のように結って、胸には玉を飾って、丁ど天女のような扮装をして、車を牛に曳かせたのに乗って、わいわいという群集の中を、通ったですが、村の者が交る交る高く傘を擎掛けて練ったですね。  村端で、寺に休むと、此処で支度を替えて、多勢が口々に、御苦労、御苦労というのを聞棄てに、娘は、一人の若い者に負させた私にちょっと頬摺をして、それから、石高路の坂を越して、賑かに二階屋の揃った中の、一番屋の棟の高い家へ入ったですが、私は唯幽に呻吟いていたばかり。尤も白姥の家に三晩寝ました。その内も、娘は外へ出ては帰って来て、膝枕をさせて、始終集って来る馬蠅を、払ってくれたのを、現に苦みながら覚えています。車に乗った天女に抱かれて、多人数に囲まれて通った時、庚申堂の傍に榛の木で、半ば姿を秘して、群集を放れてすっくと立った、脊の高い親仁があって、熟と私どもを見ていたのが、確に衣服を脱がせた奴と見たけれども、小児はまだ口が利けないほど容体が悪かったんですな。  私はただその気高い艶麗な人を、今でも神か仏かと、思うけれど、後で考えると、先ずこうだろうと、思われるのは、姥の娘で、清水谷の温泉へ、奉公に出ていたのを、祭に就いて、村の若い者が借りて来て八ヶ村九ヶ村をこれ見よと喚いて歩行いたものでしょう。娘はふとすると、湯女などであったかも知れないです。」        五 「それからその人の部屋とも思われる、綺麗な小座敷へ寝かされて、目の覚める時、物の欲しい時、咽の乾く時、涙の出る時、何時もその娘が顔を見せない事はなかったです。  自分でも、もう、病気が復ったと思った晩、手を曳いて、てらてら光る長い廊下を、湯殿へ連れて行って、一所に透通るような温泉を浴びて、岩を平にした湯槽の傍で、すっかり体を流してから、櫛を抜いて、私の髪を柔く梳いてくれる二櫛三櫛、やがてその櫛を湯殿の岩の上から、廊下の灯に透して、気高い横顔で、熟と見て、ああ好い事、美しい髪も抜けず、汚い虫も付かなかったと言いました。私も気がさして一所に櫛を瞶めたが、自分の膚も、人の体も、その時くらい清く、白く美しいのは見た事がない。  私は新しい着物を着せられ、娘は桃色の扱帯のまま、また手を曳いて、今度は裏梯子から二階へ上った。その段を昇り切ると、取着に一室、新しく建増したと見えて、襖がない、白い床へ、月影が溌と射した。両側の部屋は皆陰々と灯を置いて、鎮り返った夜半の事です。  好い月だこと、まあ、とそのまま手を取って床板を蹈んで出ると、小窓が一つ。それにも障子がないので、二人で覗くと、前の甍は露が流れて、銀が溶けて走るよう。  月は山の端を放れて、半腹は暗いが、真珠を頂いた峰は水が澄んだか明るいので、山は、と聞くと、医王山だと言いました。  途端にくゎいと狐が鳴いたから、娘は緊乎と私を抱く。その胸に額を当てて、私は我知らず、わっと泣いた。  怖くはないよ、否怖いのではないと言って、母親の病気の次第。  こういう澄み渡った月に眺めて、その色の赤く輝く花を採って帰りたいと、始てこの人ならばと思って、打明けて言うと、暫く黙って瞳を据えて、私の顔を見ていたが、月夜に色の真紅な花──きっと探しましょうと言って、──可し、可し、女の念で、と後を言い足したですね。  翌晩、夜更けて私を起しますから、素よりこっちも目を開けて待った処、直ぐに支度をして、その時、帯をきりりと〆めた、引掛に、先刻言いましたね、刃を手拭でくるくると巻いた鎌一挺。  それから昨夜の、その月の射す窓から密と出て、瓦屋根へ下りると、夕顔の葉の搦んだ中へ、梯子が隠して掛けてあった。伝って庭へ出て、裏木戸の鍵をがらりと開けて出ると、有明月の山の裾。  医王山は手に取るように見えたけれど、これは秘密の山の搦手で、其処から上る道はないですから、戸室口へ廻って、攀じ上ったものと見えます。さあ、此処からが目差す御山というまでに、辻堂で二晩寝ました。  後はどう来たか、恐い姿、凄い者の路を遮って顕るる度に、娘は私を背後に庇うて、その鎌を差翳し、矗と立つと、鎧うた姫神のように頼母しいにつけ、雲の消えるように路が開けてずんずんと。」  時に高坂は布を断つが如き音を聞いて、唯見ると、前へ立った、女の姿は、その肩あたりまで草隠れになったが、背後ざまに手を動かすに連れて、鋭き鎌、磨ける玉の如く、弓形に出没して、歩行き歩行き掬切に、刃形が上下に動くと共に、丈なす茅萱半ばから、凡そ一抱ずつ、さっくと切れて、靡き伏して、隠れた土が歩一歩、飛々に顕れて、五尺三尺一尺ずつ、前途に渠を導くのである。  高坂は、悚然として思わず手を挙げ、かつて婦が我に為したる如く伏拝んで粛然とした。  その不意に立停ったのを、行悩んだと思ったらしい、花売は軽く見返り、 「貴方、もう些とでございますよ。」 「どうぞ。」といった高坂は今更ながら言葉さえ謹んで、 「美女ヶ原に今もその花がありましょうか。」 「どうも身に染むお話。どうぞ早く後をお聞せなさいまし、そしてその時、その花はござんしたか。」 「花は全くあったんですが、何時もそうやって美女ヶ原へお出の事だから、御存じはないでしょうか。」 「参りましたら、その姉さんがなすったように、一所にお探し申しましょう。」 「それでも私は月の出るのを待ちますつもり。その花籠にさえ一杯になったら、貴女は日一杯に帰るでしょう。」 「否、いつも一人で往復します時は、馴れて何とも思いませんでございましたけれども、憗じお連が出来て見ますと、もう寂しくって一人では帰られませんから、御一所にお帰りまでお待ち申しましょう。その代どうぞ花籠の方はお手伝い下さいましな。」 「そりゃ、いうまでもありません。」 「そしてまあ、どんな処にございましたえ。」 「それこそ夢のようだと、いうのだろうと思います。路すがら、そうやって、影のような障礙に出遇って、今にも娘が血に染まって、私は取って殺さりょうと、幾度思ったか解りませんが、黄昏と思う時、その美女ヶ原というのでしょう。凡八町四方ばかりの間、扇の地紙のような形に、空にも下にも充満の花です。  そのまま二人で跪いて、娘がするように手を合せておりました。月が出ると、余り容易い。つい目の前の芍薬の花の中に花片の形が変って、真紅なのが唯一輪。  採って前髪に押頂いた時、私の頭を撫でながら、余の嬉しさ、娘ははらはらと落涙して、もう死ぬまで、この心を忘れてはなりませんと、私の頭に挿させようとしましたけれども、髪は結んでないのですから、そこで娘が、自分の黒髪に挿しました。人の簪の花になっても、月影に色は真紅だったです。  母様の御大病、一刻も早くと、直に、美女ヶ原を後にしました  引返す時は、苦もなく、すらすらと下りられて、早や暁の鶏の声。  嬉しや人里も近いと思う、月が落ちて明方の闇を、向うから、洶々と四、五人連、松明を挙げて近寄った。人可懐くいそいそ寄ると、いずれも屈竟な荒漢で。  中に一人、見た事のある顔と、思い出した。黒婆が家に馬を繋いだ馬士で、その馬士、二人の姿を見ると、遁がすなと突然、私を小脇に引抱える、残った奴が三人四人で、ええ! という娘を手取足取。  何処をどう、どの方角をどのくらい駈けたかまるで夢中です。  やがて気が付くと、娘と二人で、大な座敷の片隅に、馬士交り七、八人に取巻かれて坐っていました。  何百年か解らない古襖の正面、板の間のような床を背負って、大胡坐で控えたのは、何と、鳴子の渡を仁王立で越した抜群なその親仁で。  恍惚した小児の顔を見ると、過日の四季の花染の袷を、ひたりと目の前へ投げて寄越して、大口を開いて笑った。  や、二人とも気に入った、坊主は児になれ、女はその母になれ、そして何時までも娑婆へ帰るな、と言ったんです。  娘は乱髪になって、その花を持ったまま、膝に手を置いて、首垂れて黙っていた。その返事を聞く手段であったと見えて、私は二晩、土間の上へ、可恐い高い屋根裏に釣った、駕籠の中へ入れて釣されたんです。紙に乗せて、握飯を突込んでくれたけれど、それが食べられるもんですか。  垂から透して、土間へ焚火をしたのに雪のような顔を照らされて、娘が縛られていたのを見ましたが、それなり目が眩んでしまったです。どんと駕籠が土間に下りた時、中から五、六疋鼠がちょろちょろと駈出したが、代に娘が入って来ました。  薫の高い薬を噛んで口移しに含められて、膝に抱かれたから、一生懸命に緊乎縋り着くと、背中へ廻った手が空を撫でるようで、娘は空蝉の殻かと見えて、唯た二晩がほどに、糸のように瘠せたです。  もうお目に懸られぬ、あの花染のお小袖は記念に私に下さいまし。しかし義理がありますから、必ずこんな処に隠家があると、町へ帰っても言うのではありません、と蒼白い顔して言い聞かす中に、駕籠が舁かれて、うとうとと十四、五町。  奥様、此処まで、と声がして、駕籠が下りると、一人手を取って私を外へ出しました。  左右に土下座して、手を支いていた中に馬士もいた。一人が背中に私を負うと、娘は駕籠から出て見送ったが、顔に袖を当てて、長柄にはッと泣伏しました。それッきり。」  高坂は声も曇って、 「私を負った男は、村を離れ、川を越して、遙に鈴見の橋の袂に差置いて帰りましたが、この男は唖と見えて、長い途に一言も物を言やしません。  私は死んだ者が蘇生ったようになって、家へ帰りましたが、丁度全三月経ったです。  花を枕頭に差置くと、その時も絶え入っていた母は、呼吸を返して、それから日増に快くなって、五年経ってから亡くなりました。魔隠に逢った小児が帰った喜びのために、一旦本復をしたのだという人もありますが、私は、その娘の取ってくれた薬草の功徳だと思うです。  それにつけても、恩人は、と思う。娘は山賊に捕われた事を、小児心にも知っていたけれども、堅く言付けられて帰ったから、その頃三ヶ国横行の大賊が、つい私どもの隣の家へ入った時も、何も言わないで黙っていました。  けれども、それから足が附いて、二俣の奥、戸室の麓、岩で城を築いた山寺に、兇賊籠ると知れて、まだ邏卒といった時分、捕方が多人数、隠家を取巻いた時、表門の真只中へ、その親仁だと言います、六尺一つの丸裸体、脚絆を堅く、草鞋を引〆め、背中へ十文字に引背負った、四季の花染の熨斗目の紋着、振袖が颯と山颪に縺れる中に、女の黒髪がはらはらと零れていた。  手に一条大身の槍を提げて、背負った女房が死骸でなくば、死人の山を築くはず、無理に手活の花にした、申訳の葬に、医王山の美女ヶ原、花の中に埋めて帰る。汝ら見送っても命がないぞと、近寄ったのを五、六人、蹴散らして、ぱっと退く中を、衝と抜けると、岩を飛び、岩を飛び、岩を飛んで、やがて槍を杖いて岩角に隠れて、それなりけりというので、さてはと、それからは私がその娘に出逢う門出だった誕生日に、鈴見の橋の上まで来ては、こちらを拝んで帰り帰りしたですが、母が亡なりました翌年から、東京へ修行に参って、国へ帰ったのは漸と昨年。始終望んでいましたこの山へ、後を尋ねて上る事が、物に取紛れている中に、申訳もない飛んだ身勝手な。  またその薬を頂かねばならないようになったです。以前はそれがために類少い女を一人、犠にしたくらいですから、今度は自分がどんな辛苦も決して厭わない。いかにもしてその花が欲しいですが。」  言う中に胸が迫って、涙を湛えたためばかりでない。ふと、心付くと消えたように女の姿が見えないのは、草が深くなった所為であった。  丈より高い茅萱を潜って、肩で掻分け、頭で避けつつ、見えない人に、物言い懸ける術もないので、高坂は御経を取って押戴き、 山川険谷  幽邃所生  卉木薬艸  大小諸樹 百穀苗稼  甘庶葡萄  雨之所潤  無不豊足 乾地普洽  薬木並茂  其雲所出  一味之水  葎の中に日が射して、経巻に、蒼く月かと思う草の影が映ったが、見つつ進む内に、ちらちらと紅来り、黄来り、紫去り、白過ぎて、蝶の戯るる風情して、偈に斑々と印したのは、はや咲交る四季の花。  忽然として天開け、身は雲に包まれて、妙なる薫袖を蔽い、唯見ると堆き雪の如く、真白き中に紅ちらめき、瞶むる瞳に緑映じて、颯と分れて、一つ一つ、花片となり、葉となって、美女ヶ原の花は高坂の袂に匂ひ、胸に咲いた。  花売は籠を下して、立休ろうていた。笠を脱いで、襟脚長く玉を伸べて、瑩沢なる黒髪を高く結んだのに、何時の間にか一輪の小な花を簪していた、褄はずれ、袂の端、大輪の菊の色白き中に佇んで、高坂を待って、莞爾と笑む、美しく気高き面ざし、威ある瞳に屹と射られて、今物語った人とも覚えず、はっと思うと学生は、既に身を忘れ、名を忘れて、唯九ツばかりの稚児になった思いであった。 「さあ、お話に紛れて遅く来ましたから、もうお月様が見えましょう。それまでにどうぞ手伝って花籠に摘んで下さいまし。」  と男を頼るように言われたけれども、高坂はかえって唯々として、あたかも神に事うるが如く、左に菊を折り、右に牡丹を折り、前に桔梗を摘み、後に朝顔を手繰って、再び、鈴見の橋、鳴子の渡、畷の夕立、黒婆の生豆腐、白姥の焼茄子、牛車の天女、湯宿の月、山路の利鎌、賊の住家、戸室口の別を繰返して語りつつ、やがて一巡した時、花籠は美しく満たされたのである。  すると籠は、花ながら花の中に埋もれて消えた。  月影が射したから、伏拝んで、心を籠めて、透かし透かし見たけれども、眗したけれども、見遣ったけれども、ものの薫に形あって仄に幻かと見ゆるばかり、雲も雪も紫も偏に夜の色に紛るるのみ。  殆ど絶望して倒れようとした時、思い懸けず見ると、肩を並べて斉しく手を合せてすらりと立った、その黒髪の花唯一輪、紅なりけり月の光に。  高坂がその足許に平伏したのは言うまでもなかった。  その時肩を落して、美女が手を取ると、取られて膝をずらして縋着いて、その帯のあたりに面を上げたのを、月を浴びて﨟長けた、優しい顔で熟と見て、少し頬を傾けると、髪がそちらへはらはらとなるのを、密と押える手に、簪を抜いて、戦く医学生の襟に挟んで、恍惚したが、瞳が動き、 「ああ、お可懐い。思うお方の御病気はきっとそれで治ります。」  あわれ、高坂が緊乎と留めた手は徒に茎を掴んで、袂は空に、美女ヶ原は咲満ちたまま、ゆらゆらと前へ出たように覚えて、人の姿は遠くなった。  立って追おうとすると、岩に牡丹の咲重って、白き象の大なる頭の如き頂へ、雲に入るよう衝と立った時、一度その鮮明な眉が見えたが、月に風なき野となんぬ。  高坂は摚と坐した。  かくて胸なる紅の一輪を栞に、傍の芍薬の花、方一尺なるに経を据えて、合掌して、薬王品を夜もすがら。 底本:「鏡花短篇集」岩波文庫、岩波書店    1987(昭和62)年9月16日第1刷発行 底本の親本:「鏡花全集 第七卷」岩波書店    1942(昭和17)年7月初版発行 初出:「二六新報」    1903年(明治36年)5月16~30日 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:砂場清隆 校正:門田裕志 2001年12月22日公開 2005年12月1日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。