平凡 二葉亭四迷 Guide 扉 本文 目 次 平凡           一  私は今年三十九になる。人世五十が通相場なら、まだ今日明日穴へ入ろうとも思わぬが、しかし未来は長いようでも短いものだ。過去って了えば実に呆気ない。まだまだと云ってる中にいつしか此世の隙が明いて、もうおさらばという時節が来る。其時になって幾ら足掻いたって藻掻いたって追付かない。覚悟をするなら今の中だ。  いや、しかし私も老込んだ。三十九には老込みようがチト早過ぎるという人も有ろうが、気の持方は年よりも老けた方が好い。それだと無難だ。  如何して此様な老人じみた心持になったものか知らぬが、強ち苦労をして来た所為では有るまい。私位の苦労は誰でもしている。尤も苦労しても一向苦労に負げぬ何時迄も元気な人もある。或は苦労が上辷りをして心に浸みないように、何時迄も稚気の失せぬお坊さん質の人もあるが、大抵は皆私のように苦労に負げて、年よりは老込んで、意久地なく所帯染みて了い、役所の帰りに鮭を二切竹の皮に包んで提げて来る気になる、それが普通だと、まあ、思って自ら慰めている。  もう斯うなると前途が見え透く。もう如何様に藻掻たとて駄目だと思う。残念と思わぬではないが、思ったとて仕方がない。それよりは其隙で内職の賃訳の一枚も余計にして、もう、これ、冬が近いから、家内中に綿入れの一枚も引張らせる算段を為なければならぬ。  もう私は大した慾もない。どうか忰が中学を卒業する迄首尾よく役所を勤めて居たい、其迄に小金の少しも溜めて、いつ何時私に如何な事が有っても、妻子が路頭に迷わぬ程にして置きたいと思うだけだが、それが果して出来るものやら、出来ぬものやら、甚だ覚束ないので心細い……  が、考えると、昔は斯うではなかった。人並に血気は壮だったから、我より先に生れた者が、十年二十年世の塩を踏むと、百人が九十九人まで、皆じめじめと所帯染みて了うのを見て、意久地の無い奴等だ。そんな平凡な生活をする位なら、寧そ首でも縊って死ン了え、などと蔭では嘲けったものだったが、嘲けっている中に、自分もいつしか所帯染みて、人に嘲けられる身の上になって了った。  こうなって見ると、浮世は夢の如しとは能く言ったものだと熟々思う。成程人の一生は夢で、而も夢中に夢とは思わない、覚めて後其と気が附く。気が附いた時には、夢はもう我を去って、千里万里を相隔てている。もう如何する事も出来ぬ。  もう十年早く気が附いたらとは誰しも思う所だろうが、皆判で捺したように、十年後れて気が附く。人生は斯うしたものだから、今私共を嗤う青年達も、軈ては矢張り同じ様に、後の青年達に嗤われて、残念がって穴に入る事だろうと思うと、私は何となく人間というものが、果敢ないような、味気ないような、妙な気がして、泣きたくなる……  あッ、はッ、は! ……いや、しかし、私も老込んだ。こんな愚痴が出る所を見ると、愈老込んだに違いない。           二  老込んだ証拠には、近頃は少し暇だと直ぐ過去を憶出す。いや憶出しても一向憶出し栄のせぬ過去で、何一つ仕出来した事もない、どころじゃない、皆碌でもない事ばかりだ。が、それでいて、其失敗の過去が、私に取っては何処か床しい処がある、後悔慚愧腸を断つ想が有りながら、それでいて何となく心を惹付けられる。  日曜に妻子を親類へ無沙汰見舞に遣った跡で、長火鉢の側で徒然としていると、半生の悔しかった事、悲しかった事、乃至嬉しかった事が、玩具のカレードスコープを見るように、紛々と目まぐるしく心の上面を過ぎて行く。初は面白半分に目を瞑って之に対っている中に、いつしか魂が藻脱けて其中へ紛れ込んだように、恍惚として暫く夢現の境を迷っていると、 「今日は! 桝屋でございます!」  と、ツイ障子一重其処の台所口で、頓狂な酒屋の御用の声がする。これで、私は夢の覚めたような面になる。で、ぼやけた声で、 「まず好かったよ。」  酒屋の御用を逐返してから、おお、斯うしてもいられん、と独言を言って、机を持出して、生計の足しの安翻訳を始める。外国の貯蓄銀行の条例か何ぞに、絞ったら水の出そうな頭を散々悩ませつつ、一枚二枚は余所目を振らず一心に筆を運ぶが、其中に曖昧な処に出会してグッと詰ると、まず一服と旧式の烟管を取上げる。と、又忽然として懐かしい昔が眼前に浮ぶから、不覚其に現を脱かし、肝腎の翻訳がお留守になって、晩迄に二十枚は仕上げる積の所を、十枚も出来ぬ事が折々ある。  こうどうも昔ばかりを憶出していた日には、内職の邪魔になるばかりで、卑しいようだが、銭にならぬ。寧そのくされ、思う存分書いて見よか、と思ったのは先達ての事だったが、其後──矢張り書く時節が到来したのだ──内職の賃訳が弗と途切れた。此暇を遊んで暮すは勿体ない。私は兎に角書いて見よう。  実は、極く内々の話だが、今でこそ私は腰弁当と人の数にも算まえられぬ果敢ない身の上だが、昔は是れでも何の某といや、或るサークルでは一寸名の知れた文士だった。流石に今でも文壇に昔馴染が無いでもない。恥を忍んで泣付いて行ったら、随分一肩入れて、原稿を何処かの本屋へ嫁けて、若干かに仕て呉れる人が無いとは限らぬ。そうすりゃ、今年の暮は去年のような事もあるまい。何も可愛い妻子の為だ。私は兎に角書いて見よう。  さて、題だが……題は何としよう? 此奴には昔から附倦んだものだッけ……と思案の末、礑と膝を拊って、平凡! 平凡に、限る。平凡な者が平凡な筆で平凡な半生を叙するに、平凡という題は動かぬ所だ、と題が極る。  次には書方だが、これは工夫するがものはない。近頃は自然主義とか云って、何でも作者の経験した愚にも附かぬ事を、聊かも技巧を加えず、有の儘に、だらだらと、牛の涎のように書くのが流行るそうだ。好い事が流行る。私も矢張り其で行く。  で、題は「平凡」、書方は牛の涎。  さあ、是からが本文だが、此処らで回を改めたが好かろうと思う。           三  私は地方生れだ。戸籍を並べても仕方がないから、唯某県の某市として置く。其処で生れて其処で育ったのだ。  子供の時分の事は最う大抵忘れて了ったが、不思議なもので、覚えている事だと、判然と昨日の事のように想われる事もある。中にも是ばかりは一生目の底に染付いて忘れられまいと思うのは十の時死別れた祖母の面だ。  今でも目を瞑ると、直ぐ顕然と目の前に浮ぶ。面長の、老人だから無論皺は寄っていたが、締った口元で、段鼻で、なかなか上品な面相だったが、眼が大きな眼で、女には強過る程権が有って、古屋の──これが私の家の姓だ──古屋の隠居の眼といったら、随分評判の眼だったそうだ。成程然ういえば、何か気に入らぬ事が有って祖母が白眼でジロリと睨むと、子供心にも何だか無気味だったような覚がまだ有る。  大抵の人は気象が眼へ出ると云う。祖母が矢張り其だった。全く眼色のような気象で、勝気で、鋭くて、能く何かに気の附く、口も八丁手も八丁という、一口に言えば男勝り……まあ、そういった質の人だったそうな、──私は子供の事で一向夢中だったが。  生長後親類などの話で聞くと、それというが幾分か境遇の然らしめた所も有ったらしい──というのは、早く祖父に死なれて若い時から後家を徹して来た。後家という者はいつの世でも兎角人に影口言れ勝の、割の悪いものだから、勝気の祖母はこれが悔しくて堪らない。それで、何の、女でこそあれ、と気を張る。気を張て油断をしなかったから、一生人に後指を差されるような過失はなかった代り、余り人に愛しもされずに年を取って了って、父の代となった。  父は祖母とは全で違っていた。如何して此人の腹に此様な人がと怪しまれる程の好人物で、面も薩張り似ていなかった。大きな、笑うと目元に小皺の寄る、豊頬した如何にも愛嬌のある円顔で、形も大柄だったが、何処か円味が有り、心も其通り角が無かった。快活で、蟠りがなくて、話が好きで、碁が好きで、暇さえ有れば近所を打ち歩き、大きな嚏を自慢にする程の罪のない人だった。祖父が矢張然うであったと云うから、大方其気象を受継いだのであろう。  父は此様な人だし、母は──私の子供の時分の母は、手拭を姉様冠りにして襷掛けで能くクレクレ働く人だった。其頃の事を誰に聞いても、皆阿母さんは能く辛抱なすったとばかりで、其他に何も言わぬから、私の記憶に残る其時分の母は、何時迄経っても矢張り手拭を姉様冠りにして、襷掛けで能くクレクレ働く人で、格別如何いう人という事もない。  斯ういう家庭だったから、自然祖母が一家の実権を握っていた。家内中の事一から十迄祖母の方寸に捌かれて、母は下女か何ぞの様に逐使われる。父も一向家事には関係しないで、形式的に相談を受ければ、好うがしょう、とばかり言っている。然う言っていないと、祖母の機嫌が悪い、面倒だ。  母方の伯父で在方で村長をしていた人があった。如何したのだか、祖母とは仲悪で、死後迄余り好くは言わなかったが、何かの話の序に、阿母さんもお祖母さんには随分泣されたものだよ、と私に言った事がある。成る程折々母が物蔭で泣いていると、いつも元気な父が其時ばかりは困った顔をして何か密々言っているのを、子供心にも不審に思った事があったが、それが伯父の謂うお祖母さんに泣かされていたのだったかも知れぬ。  兎に角祖母は此通り気難かし家であったが、その気難かし家の、死んだ後迄噂に残る程の祖母が、如何いうものだか、私に掛ると、から意久地がなかった。           四  何で祖母が私に掛ると、意久地が無くなるのだか、其は私には分らなかった。が、兎に角意久地の無くなるのは事実で、評判の気難かし家が、如何にでも私の思う様になって了う。  まず何か欲しい物がある。それも無い物ねだりで、有る結構な干菓子は厭で、無い一文菓子が欲しいなどと言出して、母に強求るが、許されない。祖母に強求る、一寸渋る、首玉へ噛り付いて、ようようと二三度鼻声で甘垂れる、と、もう祖母は海鼠の様になって、お由──母の名だ──彼様に言うもんだから、買って来てお遣りよ、という。祖母の声掛りだから、母も不承々々起って、雨降でも私の口のお使に番傘傾げて出懸けようとする。斯うなると、流石の父も最う笑ってばかりは居られなくなって、小言をいう。私が泣く、祖母の機嫌が悪い。 「此様小さい者を其様に苛めて育てて、若しか俊坊の様な事にでもなったら、如何おしだ? 可哀そうじゃないか。」  というのが口切で、ボツリボツリと始める。俊坊というのは私の兄で、私も虚弱だったが、矢張虚弱で、六ツの時偸られたのだそうだ。それも急性胃加答児で偸られたのだと云うから、事に寄ると祖母が可愛がりごかしに口を慎ませなかった祟かも知れぬ。併し虚弱な児は大食させ付ると達者になると言われて、然うかなと思う程の父だから、祖母の矛盾には気が附かない。矢張有触れた然う我儘をさせ付けては位の所で切脱けようとする。祖母も其は然う思わぬでもないから、内々自分が無理だと思うだけに激する、言葉が荒くなる。もう此上憤らせると、又三日も物を言わなかった挙句、ぷいと家を出て在の親類へ行った切帰らぬという騒も起りかねまじい景色なので、父は黙って了う。母も黙って出て行く。と、もう廿分も経つと、私が両手に豆捩を持って雀躍して喜ぶ顔を、祖母が眺めてほくほくする事になって了う。  斯うして私の小さいけれど際限の無い慾が、毎も祖母を透して遂げられる。それは子供心にも薄々了解るから、自然家内中で私の一番好なのは祖母で、お祖母さんお祖母さんと跡を慕う。何となく祖母を味方のように思っているから、祖母が内に居る時は、私は散々我儘を言って、悪たれて、仕度三昧を仕散らすが、留守だと、萎靡るのではないが、余程温順しくなる。  其癖私は祖母を小馬鹿にしていた。何となく奥底が見透されるから、祖母が何と言ったって、些とも可怕くない。  それを又勝気の祖母が何とも思っていない。反て馬鹿にされるのが嬉しいように、人が来ると、其話をして、憎い奴でございますと言って、ほくほくしている。  両親も其は同じ事で、散々私に悩まされながら、矢張何とも思っていない。唯影でお祖母さんにも困ると、お祖母さんの愚痴を零すばかり。  私は何方へ廻っても、矢張好い児だ。           五  親馬鹿と一口に言うけれど、親の馬鹿程有難い物はない。祖母は勿論、両親とても決して馬鹿ではなかったが、その馬鹿でなかった人達が、私の為には馬鹿になって呉れた。勿体ないと言わずには居られない。  私に何の取得がある? 親が身の油を絞って獲た金を、私の教育に惜気もなく掛けて呉れたのは、私を天晴れ一人前の男に仕立てたいが為であったろうけれど、私は今眇たる腰弁当で、浮世の片影に潜んでいる。私が生きていたとて、世に寸益もなければ、死んだとて、妻子の外に損を受ける者もない。世間から見れば有っても無くても好い余計な人間だ。財産なり、学問なり、技能なり、何か人より余計に持っている人は、其余計に持っている物を挟んで、傲然として空嘯いていても、人は皆其足下に平伏する。私のように何も無い者は、生活に疲れて路傍に倒れて居ても、誰一人振向いて見ても呉れない。皆素通して匇々と行って了う。偶立止る者が有るかと思えば、熟ら視て、金持なら、うう、貧乏人だと云う、学者なら、うう、無学な奴だと云う、詩人なら、うう、俗物だと云う、而して匇々と行って了う。平生尤も親しらしい面をして親友とか何とか云っている人達でも、斯うなると寄って集って、手ン手ンに腹散々私の欠点を算え立てて、それで君は斯うなったんだ、自業自得だ、諦め玉え々々と三度回向して、彼方向いて匇々と行って了う。私は斯ういう価値の無い平凡な人間だ。それを二つとない宝のように、人に後指を差されて迄も愛して呉れたのは、生れて以来今日迄何万人となく人に出会ったけれど、其中で唯祖母と父母あるばかりだ。偉い人は之を動物的の愛だとか言って擯斥されるけれど、平凡な私の身に取っては是程有難い事はない。  若し私の親達に所謂教育が有ったら、斯うはなかったろう。必ず、動物的の愛なんぞは何処かの隅に窃と蔵って置き、例の霊性の愛とかいうものを担ぎ出て来て、薄気味悪い上眼を遣って、天から振垂った曖昧な理想の玉を睨めながら、親の権威を笠に被ぬ面をして笠に被て、其処ン処は体裁よく私を或型へ推込もうと企らむだろう。私は子供の天性の儘に、そんなふやけた人間が、古本なんぞと首引して、道楽半分に拵えた、其癖無暗に窮屈な型なんぞへ入る事を拒んで、隙を見て逃出そうとする。どッこいと取捉まえて厭がる者を無理無体に、シャモを鶏籠へ推込むように推込む。私は型の中で出ようと藻掻く。知らん面している。泣いて、喚いて、引掻いて出ようとする。知らん面している。欺して出ようとする。其手に乗らない。百計尽きて、仕様がないと観念して、性を矯め、情を矯め、生ながら木偶の様な生気のない人間になって了えば、親達は始めて満足して、漸く善良な傾向が見えて来たと曰う。世間の所謂家庭教育というものは皆是ではないか。私は幸いにして親達が無教育無理想であったばかりに、型に推込まれる憂目を免れて、野育ちに育った。野育ちだから、生来具有の百の欠点を臆面もなく暴け出して、所謂教育ある人達を顰蹙せしめたけれど、其代り子供の時分は、今の様に矯飾はしなかった。皆無教育な親達のお蔭だ。難有い事だと思う。真に難有い事だと思う。  しかし内拡がりの外窄まりと昔から能く俗人が云う。哲人の深遠な道理よりも、詩人の徹底した見識よりも、平凡な私共の耳には此方が入り易い。不思議な事には、無理想の俗人の言う事は皆活きて聞える。  私が矢張其内拡りの外窄まりであった。           六  内ン中の鮑ッ貝、外へ出りゃ蜆ッ貝、と友達に囃されて、私は悔しがって能く泣いたッけが、併し全く其通りであった。  如何いうものだか、内でお祖母さんが舐るようにして可愛がって呉れるが、一向嬉しくない。反て蒼蠅くなって、出るなと制める袖の下を潜って外へ駈出す。  しかし一歩門外へ出れば、最う浮世の荒い風が吹く。子供の時分の其は、何処にも有る苛めッ児という奴だ。私の近処にも其が居た。  勘ちゃんと云って、私より二ツ三ツ年上で、獅子ッ鼻の、色の真黒けな児だったが、斯ういうのに限って乱暴だ。親仁は郵便局の配達か何かで、大酒呑で、阿母はお引摺と来ているから、常も鍵裂だらけの着物を着て、踵の切れた冷飯草履を突掛け、片手に貧乏徳利を提げ、子供の癖に尾籠な流行歌を大声に唱いながら、飛んだり、跳ねたり、曲駈というのを遣り遣り使に行く。始終使にばかり行っても居なかったろうが、私は勘ちゃんの事を憶出すと、何故だか常も其使に行く姿を想出す。  勘ちゃんは家では何も貰えぬから、人が何か持ってさえいれば、屹度欲しがって、卒直にお呉ンなと云う。機嫌好く遣れば好し、厭だと頭振を振ると、顋を突出して、好いよ好いよと云う。薄気味悪くなって遣ろうとするが、最う受取らない。好いよ、呉れないと云ったね、好いよと、其許りを反覆して行って了う。何となく気になるが、子供の事だ、遊びに耋けて忘れていると、何時の間にか勘ちゃんが、使の帰りに何処かで蛇の死んだのを拾って来て、窃と背後から忍び寄て、卒然ピシャリと叩き付ける。ワッと泣き声揚げて此方は逃出す、其後姿を勘ちゃんは白眼で見送って、「様ア見やがれ!」  私は散々此勘ちゃんに苛められた。初こそ悔しがって武者振り付いても見たが、勘ちゃんは喧嘩の名人だ。直と足搦掛けて推倒して置いて、馬乗りに乗ってピシャピシャ打つ。私にはお祖母さんが附いてるから、内では親にさえ滅多に打たれた事のない頭だ。その大切にせられている頭を、勘ちゃんは遠慮せずにピシャピシャ打つ。  一度酷い目に遭ってから、私は勘ちゃんが可怕くて可怕くてならなくなった。勘ちゃんが側へ来ると、最う私は恟々して、呉れと言わない中から持ってる物を遣り、勘ちゃん、あの、賢ちゃんがね、お前の事を泥棒だッて言ってたよと、余計な事迄告口して、勉めて御機嫌を取っていた。斯うしていれば大抵は無難だが、それでも時々何の理由もなく、通りすがりに大切の頭をコツリと打って行くこともある。  外は面白いが、勘ちゃんが厭だ。と云って、内でお祖母さんと睨めッこも詰らない。そこで、お隣のお光ちゃんにお向うのお芳ちゃんを呼んで来る。お光ちゃんは外歯のお出額で河童のような児だったけれど、お芳ちゃんは色白の鈴を張ったような眼で、好児だった。私は飯事でお芳ちゃんの旦那様になるのが大好だった。お烟草盆のお芳ちゃんが真面目腐って、貴方、御飯をお上ンなさいなと云う。アイと私が返事をする。アイじゃ可笑いわ、ウンというンだわ、と教えられて、じゃ、ウンと言って、可笑くなって、不覚笑い出す。此方が勘ちゃんに頭を打られるより余程面白い。それに女の児はこましゃくれているから、子供でも人の家だと遠慮する。私一人威張っていられる。間違って喧嘩になっても、屹度敵手が泣く。然うすればお祖母さんが謝罪って呉れる。  女の児と遊ぶのは無難で面白いが、併しそう毎日も遊びに来て呉れない。すると、私は退屈するから、平地に波瀾を起して、拗て、じぶくッて、大泣に泣いて、而してお祖母さんに御機嫌を取って貰う。           七  ……が、待てよ。何ぼ自然主義だと云って、斯う如何もダラダラと書いていた日には、三十九年の半生を語るに、三十九年掛るかも知れない。も少し省略ろう。  で、唐突ながら、祖母は病死した。  其時の事は今に覚えているが、平常の積で何心なく外から帰って見ると、母が妙な顔をして奥から出て来て、常になく小声で、お前は、まあ、何処へ行ッていたい? お祖母さんがお亡なンなすッたよ、という。お亡なンなすッたよが一寸分らなかったが、死んだのだと聞くと、吃驚すると同時に、急に何だか可怕なって来た。無論まだ死ぬという事が如何な事だか能くは分らなかったが、唯何となく斯う奥の知れぬ真暗な穴のような処へ入る事のように思われて、日頃から可怕がっていたのだが、子供も人間だから矛盾を免れない。お祖母さんが死んだのは可怕いが、その可怕い処を見たいような気もする。  で、母が来いと云うから、跟に随いて怕々奥へ行って見ると、父は未だ居る医者と何か話をしていたが、私の面を見るより、何処へ行って居た。もう一足早かったらなあ……と、何だか甚く残念がって、此処へ来てお祖母さんにお辞儀しろという。  改まってお祖母さんにお辞儀しろと言われた事は滅多に無いので、死ぬと変な事をするものだ、と思って、おッかな恟り側へ行くと、小屏風を逆にした影に祖母が寝ていて、面に白い布片が掛けてある。父が徐かに其を取除けると、眼を閉じて少し口を開いた眠ったような祖母の面が見える……一目見ると厭な色だと思った。長いこと煩っていたから、窶れた顔は看慣れていたが、此様な色になっていたのを見た事がない。厭に白けて、光沢がなくて、死の影に曇っているから、顔中が何処となく薄暗い。もう家のお祖母さんでは無いような気がする。といって、余処のお祖母さんでもないが、何だか其処に薄気味の悪い区劃が出来て、此方は明るくて暖かだが、向うは薄暗くて冷たいようで、何がなしに怕かった。 「お辞儀をしないか。」  と父に催促されて、私は莞爾々々となった。何故だか知らんが、莞爾々々となって、ドサンと膝を突いて、遠方からお辞儀して、急いで次の間へ逃げて来て、矢張莞爾々々していた。  其中に親類の人達が集まって来る、お寺から坊さんが来る、其晩はお通夜で、翌日は葬式と、何だか家内が混雑するのに、覩る物聞く事皆珍らしいので、私は其に紛れて何とも思わなかったが、軈て葬式が済んで寺から帰って来ると、手伝の人も一人帰り二人帰りして、跡は又家の者ばかりになる。薄暗いランプの蔭でト面を合せて見ると、お祖母さんが一人足りない。ああ、お祖母さんは先刻穴へ入って了ったが、もう何時迄待ても帰って来ぬのだと思うと、急に私は悲しくなってシクシク泣出した。  私の泣くのを見て母も泣いた。父も到頭泣いた。親子三人向合って、黙って暫く泣いていた。           八  祖母に死別れて悲しかったが、其頃はまだ子供だったから、十分に人間死別の悲しみを汲分け得なかった。その悲しみの底を割ったと思われるのは、其後両親に死なれた時である。  去る者日々に疎しとは一わたりの道理で、私のような浮世の落伍者は反て年と共に死んだ親を慕う心が深く、厚く、濃かになるようだ。  去年の事だ。私は久振で展墓の為帰省した。寺の在る処は旧は淋しい町端れで、門前の芋畠を吹く風も悲しい程だったが、今は可なりの町並になって居て、昔能く憩んだ事のある門脇の掛茶屋は影も形も無くなり、其跡が Barber's Shop と白ペンキの奇抜な看板を揚げた理髪店になっている。  が、寺は其反対に荒れ果てて、門は左程でもなかったが、突当りの本堂も、其側の庫裏も、多年の風雨に曝れて、処々壁が落ち、下地の骨が露われ、屋根には名も知れぬ草が生えて、甚く淋れていた。私は台所口で寺男が内職に売っている樒を四五本買って、井戸へ掛って、釣瓶縄が腐って切れそうになっているのを心配しながら、漸く水を汲上げた。手桶片手に、樒を提げて、本堂をグルリと廻って、後の墓地へ来て見ると、新仏が有ったと見えて、地尻に高い杉の木の下に、白張の提灯が二張ハタハタと風に揺いでいる。流石に微に覚えが有るから、確か彼の辺だなと見当を附けて置いて、さて昨夜の雨でぬかる墓場道を、蹴揚の泥を厭い厭い、度々下駄を取られそうになりながら、それでも迷わずに先祖代々の墓の前へ出た。  祠堂金も納めてある筈、僅ばかりでも折々の附け届も怠らなかった積だのに、是はまた如何な事! 何時掃除した事やら、台石は一杯に青苔が蒸して石塔も白い痂のような物に蔽われ、天辺に二処三処ベットリと白い鳥の糞が附ている。勿論木葉は堆く積って、雑草も生えていたが、花立の竹筒は何処へ行った事やら、影さえ見えなかった。  私は掃除する方角もなく、之に対して暫く悵然としていた。  祖母の死後数年、父母も其跡を追うて此墓の下に埋まってから既に幾星霜を経ている。墓石は戒名も読め難る程苔蒸して、黙然として何も語らぬけれど、今来って面りに之に対すれば、何となく生きた人と面を合せたような感がある。懐かしい人達が未だ達者でいた頃の事が、夫から夫と止度なく想出されて、祖母が縁先に円くなって日向ぼッこをしている格構、父が眼も鼻も一つにして大な嚔を為ようとする面相、母が襷掛で張物をしている姿などが、顕然と目の前に浮ぶ。  颯と風が吹いて通る。木の葉がざわざわと騒ぐ。木の葉の騒ぐのとは思いながら、澄んだ耳には、聴き覚えのある皺嗄れた声や、快活な高声や、低い繊弱い声が紛々と絡み合って、何やら切りに慌しく話しているように思われる。一しきりして礑と其が止むと、跡は寂然となる。  と、私の心も寂然となる。その寂然となった心の底から、ふと恋しいが勃々と湧いて出て、私は我知らず泪含んだ。ああ、成ろう事なら、此儘此墓の下へ入って、もう浮世へは戻り度ないと思った。           九  先刻旧友の一人が尋ねて来た。此人は今でも文壇に籍を置いてる人で、人の面さえ見れば、君ねえ、ナチュラリーズムがねえと、グズリグズリを始める人だ。  神経衰弱を標榜している人だから耐らない。来ると、ニチャニチャと飴を食ってるような弁で、直と自分の噂を始める。やあ、僕の理想は多角形で光沢があるの、やあ、僕の神経は錐の様に尖がって来たから、是で一つ神秘の門を突いて見る積だのと、其様事ばかり言う。でなきゃ、文壇の噂で人の全盛に修羅を燃し、何かしらケチを附けたがって、君、何某のと、近頃評判の作家の名を言って、姦通一件を聞いたかという。また始まったと、うんざりしながら、いやそんな事僕は知らんと、ぶっきらぼうに言うけれど、文士だから人の腹なんぞは分らない。人が知らんというのに反って調子づいて、秘密の話だよ、此場限りだよと、私が十人目の聴手かも知れぬ癖に、悪念を推して、その何某が友の何某の妻と姦通している話を始める。何とかが如何とかして、掃溜の隅で如何とかしている処を、犬に吠付かれて蒼くなって逃げたとか、何とか、その醜穢なること到底筆には上せられぬ。それも唯其丈の話で、夫だから如何という事もない。君、モーパッサンの捉まえどこだね、という位が落だ。  これで最う帰るかと思うと、なかなか以て! 君ねえ、僕はねえと、また僕の事になって、其中に世間の俗物共を眼中に措かないで、一つ思う存分な所を書いて見ようと思うという様な事を饒舌って、文士で一生貧乏暮しをするのだもの、ねえ、君、責て後世にでも名を残さなきゃアと、堪らない事をいう。プスリプスリと燻るような気燄を吐いて、散々人を厭がらせた揚句に、僕は君に万斛の同情を寄せている、今日は一つ忠告を試みようと思う、というから、何を言うかと思うと、「君も然う所帯染みて了わずと、一つ奮発して、何か後世へ残し玉え。」  こんなのは文壇でも流石に屑の方であろう。しかし不幸にして私の友人は大抵屑ばかりだ。こんな人のこんな風袋ばかり大きくても、割れば中から鉛の天神様が出て来るガラガラのような、見掛倒しの、内容に乏しい、信切な忠告なんぞは、私は些とも聞き度ない。私の願は親の口から今一度、薄着して風邪をお引きでない、お腹が減いたら御飯にしようかと、詰らん、降らん、意味の無い事を聞きたいのだが……  その親達は最う此世に居ない。若し未だ生きていたら、私は……孝行をしたい時には親はなしと、又しても俗物は旨い事を言う。ああ、嬉しいにつけ、悲しいにつけ、憶出すのは親の事……それにポチの事だ。           十  ポチは言う迄もなく犬だ。  来年は四十だという、もう鬢に大分白髪も見える、汚ない髭の親仁の私が、親に継いでは犬の事を憶い出すなんぞと、余り馬鹿気ていてお話にならぬ──と、被仰るお方が有るかも知れんが、私に取っては、ポチは犬だが……犬以上だ。犬以上で、一寸まあ、弟……でもない、弟以上だ。何と言ったものか? ……そうだ、命だ、第二の命だ。恥を言わねば理が聞こえぬというから、私は理を聞かせる為に敢て耻を言うが、ポチは全く私の第二の命であった。其癖初めを言えば、欲しくて貰った犬ではない、止むことを得ず……いや、矢張あれが天から授かったと云うのかも知れぬ。  忘れもせぬ、祖母の亡なった翌々年の、春雨のしとしとと降る薄ら寒い或夜の事であった。宵惑の私は例の通り宵の口から寝て了って、いつ両親は寝に就いた事やら、一向知らなかったが、ふと目を覚すと、有明が枕元を朦朧と照して、四辺は微暗く寂然としている中で、耳元近くに妙な音がする。ゴウというかとすれば、スウと、或は高く或は低く、単調ながら拍子を取って、宛然大鋸で大丸太を挽割るような音だ。何だろうと思って耳を澄していると、時々其音が自分と自分の単調に饜いたように、忽ちガアと慣れた調子を破り、凄じい、障子の紙の共鳴りのする程の音を立てて、勢込んで何処へか行きそうにして、忽ち物に行当ったように、礑と止む。と、しばらく闃寂となる──その側から、直ぐ又穏かにスウスウという音が遠方に聞え出して、其が次第に近くなり、荒くなり、又耳元で根気よくゴウ、スウ、ゴウ、スウと鳴る。  私は夜中に滅多に目を覚した事が無いから、初は甚く吃驚したが、能く研究して見ると、なに、父の鼾なので、漸と安心して、其儘再び眠ろうとしたが、壮なゴウゴウスウスウが耳に附いて中々眠付れない。仕方がないから、聞える儘に其音に聴入っていると、思做しで種々に聞える。或は遠雷のように聞え、或は浪の音のようでもあり、又は火吹達磨が火を吹いてるようにも思われれば、ゴロタ道を荷馬車が通る音のようにも思われる。と、ふと昼間見た絵本の天狗が酒宴を開いている所を憶出して、阿爺さんが天狗になってお囃子を行ってるのじゃないかと思うと、急に何だか薄気味悪くなって来て、私は頭からスポッと夜着を冠って小さくなった。けれども、天狗のお囃子は夜着の襟から潜り込んで来て、耳元に纏り付いて離れない。私は凝然と固くなって其に耳を澄ましていると、何時からとなくお囃子の手が複雑で来て、合の手に遠くで幽かにキャンキャンというような音が聞える。ゴウという凄じい音の時には、それに消圧されて聞えぬが、スウという溜息のような音になると、其が判然と手に取るように聞える。不思議に思って益耳を澄ましていると、合の手のキャンキャンが次第に大きく、高くなって、遂には鼾の中を脱け出し、其とは離ればなれに、確に門前に聞える。  こうなって見ると、疑もなく小狗の啼き声だ。時々咽喉でも締られるように、消魂しく唁々と啼き立てる其の声尻が、軈てかぼそく悲し気になって、滅入るように遠い遠い処へ消えて行く──かとすれば、忽ち又近くで堪え切れぬように啼き出して、クンクンと鼻を鳴らすような時もあり、ギャオと欠びをするような時もある。           十一  私は元来動物好きで、就中犬は大好だから、近所の犬は大抵馴染だ。けれども、此様繊細い可愛げな声で啼くのは一疋も無い筈だから、不思議に思って、窃と夜着の中から首を出すと、 「如何したの? 寝られないのかえ?」  と、母が寝反りを打って此方を向いた。私は此返答は差措いて、 「あれは白じゃないねえ、阿母さん? 最と小さい狗の声だねえ? 如何したんだろう?」 「棄狗さ。」 「棄狗ッて何?」 「棄狗ッて……誰かが棄てッたのさ。」  私はしばらく考えて、 「誰が棄てッたンだろう?」 「大方何処かの……何処かの人さ。」  何処かの人が狗を棄てッたと、私は二三度反覆して見たが、分らない。 「如何して棄てッたんだろう?」  蒼蠅よ、などという母ではない。何処迄も相手になって、其意味を説明して呉れて、もう晩いから黙ってお寐と優しく言って、又彼方向いて了った。  私も亦夜着を被った。狗は門前を去ったのか、啼声が稍遠くなるに随れて、父の鼾が又蒼蠅く耳に附く。寝られぬ儘に、私は夜着の中で今聴いた母の説明を反覆し反覆し味って見た。まず何処かの飼犬が椽の下で児を生んだとする。小ぽけなむくむくしたのが重なり合って、首を擡げて、ミイミイと乳房を探している所へ、親犬が余処から帰って来て、其側へドサリと横になり、片端から抱え込んでベロベロ舐ると、小さいから舌の先で他愛もなくコロコロと転がされる。転がされては大騒ぎして起返り、又ヨチヨチと這い寄って、ポッチリと黒い鼻面でお腹を探り廻り、漸く思う柔かな乳首を探り当て、狼狽てチュウと吸付いて、小さな両手で揉み立て揉み立て吸出すと、甘い温かな乳汁が滾々と出て来て、咽喉へ流れ込み、胸を下って、何とも言えずお甘しい。と、腋の下からまだ乳首に有附かぬ兄弟が鼻面で割込んで来る。奪られまいとして、産毛の生えた腕を突張り大騒ぎ行ってみるが、到頭奪られて了い、又其処らを尋ねて、他の乳首に吸付く。其中にお腹も満くなり、親の肌で身体も温まって、溶けそうな好い心持になり、不覚昏々となると、含んだ乳首が抜けそうになる。夢心地にも狼狽て又吸付いて、一しきり吸立てるが、直に又他愛なく昏々となって、乳首が遂に口を脱ける。脱けても知らずに口を開いて、小さな舌を出したなりで、一向正体がない……其時忽ち暗黒から、茸々と毛の生えた、節くれ立った大きな腕がヌッと出て、正体なく寝入っている所を無手と引掴み、宙に釣す。驚いて目をポッチリ明き、いたいげな声で悲鳴を揚げながら、四足を張って藻掻く中に、頭から何かで包まれたようで、真暗になる。窮屈で息気が塞りそうだから、出ようとするが、出られない。久らく藻掻いて居る中に、ふと足掻きが自由になる。と、領元を撮まれて、高い高い処からドサリと落された。うろうろとして其処らを視廻すけれど、何だか変な淋しい真暗な処で、誰も居ない。茫然としていると、雨に打れて見る間に濡しょぼたれ、怕ろしく寒くなる。身慄い一つして、クンクンと親を呼んで見るが、何処からも出て来ない。途方に暮れて、ヨチヨチと這出し、雨の夜中を唯一人、温かな親の乳房を慕って悲し気に啼廻る声が、先刻一度門前へ来て、又何処へか彷徨って行ったようだったが、其が何時か又戻って来て、何処を如何潜り込んだのか、今は啼声が正しく玄関先に聞える。           十二 「阿母さん阿母さん、門の中へ入って来たようだよ。」  と、私が何だか居堪らないような気になって又母に言掛けると、母は気の無さそうな声で、 「そうだね。」 「出て見ようか?」 「出て見ないでも好いよ。寒いじゃないかね。」 「だってえ……あら、彼様に啼てる……」  と、折柄絶入るように啼入る狗の声に、私は我知らず勃然起上ったが、何だか一人では可怕いような気がして、 「よう、阿母さん、行って見ようよう!」 「本当に仕様がない児だねえ。」  と、口小言を言い言い、母も渋々起きて、雪洞を点けて起上ったから、私も其後に随いて、玄関──と云ってもツイ次の間だが、玄関へ出た。  母が履脱へ降りて格子戸の掛金を外し、ガラリと雨戸を繰ると、颯と夜風が吹込んで、雪洞の火がチラチラと靡く。其時小さな鞠のような物が衝と軒下を飛退いたようだったが、軈て雪洞の火先が立直って、一道の光がサッと戸外の暗黒を破り、雨水の処々に溜った地面を一筋細長く照出した所を見ると、ツイ其処に生後まだ一ヵ月も経たぬ、むくむくと肥った、赤ちゃけた狗児が、小指程の尻尾を千切れそうに掉立って、此方を瞻上げている。形体は私が寝ていて想像したよりも大きかったが、果して全身雨に濡れしょぼたれて、泥だらけになり、だらりと垂れた割合に大きい耳から雫を滴し、ぽっちりと両つの眼を青貝のように列べて光らせている。 「おやおや、まあ、可愛らしい! ……」と、母も不覚言って了った。  況や私は犬好だ。凝として視ては居られない。母の袖の下から首を出して、チョッチョッと呼んで見た。  と、左程畏れた様子もなく、チョコチョコと側へ来て流石に少し平べったくなりながら、頭を撫でてやる私の手を、下からグイグイ推上げるようにして、ベロベロと舐廻し、手を呉れる積なのか、頻に円い前足を挙げてバタバタやっていたが、果は和りと痛まぬ程に小指を咬む。  私は可愛くて可愛くて堪まらない。母の面を瞻上げながら、少し鼻声を出し掛けて、 「阿母さん、何か遣って。」 「遣るも好いけど、居附いて了うと、仕方がないねえ。」  と、口では拒むような事を言いながら、それでも台所へ行って、欠茶碗に冷飯を盛って、何かの汁を掛けて来て呉れた。  早速履脱へ引入れて之を当がうと、小狗は一寸香を嗅いで、直ぐ甘そうに先ずピチャピチャと舐出したが、汁が鼻孔へ入ると見えて、時々クシンクシンと小さな嚔をする。忽ち汁を舐尽して、今度は飯に掛った。他に争う兄弟も無いのに、切に小言を言いながら、ガツガツと喫べ出したが、飯は未だ食慣れぬかして、兎角上顎に引附く。首を掉って見るが、其様な事では中々取れない。果は前足で口の端を引掻くような真似をして、大藻掻きに藻掻く。  此隙に私は母と談判を始めて、今晩一晩泊めて遣ってと、雪洞を持った手に振垂る。母は一寸渋ったが、もう斯うなっては仕方がない。阿爺さんに叱られるけれど、と言いながら、詰り桟俵法師を捜して来て、履脱の隅に敷いて遣った──は好かったが、其晩一晩啼通されて、私は些とも知らなんだが、お蔭で母は父に小言を言われたそうな。           十三  犬嫌の父は泊めた其夜を啼明されると、うんざりして了って、翌日は是非逐出すと言出したから、私は小狗を抱いて逃廻って、如何しても放さなかった。父は困った顔をしていたが、併し其も一時の事で、其中に小狗も独寝に慣れて、夜も啼かなくなる。と、逐出す筈の者に、如何しかポチという名まで附いて、姿が見えぬと父までが一緒に捜すようになって了った。  父が斯うなったのも、無論ポチを愛したからではない。唯私に覊されたのだ。私とてもポチを手放し得なかったのは、強ちポチを愛したからではない。愛する愛さんは扨置いて、私は唯可哀そうだったのだ。親の乳房に縋っている所を、無理に無慈悲な人間の手に引離されて、暗い浮世へ突放された犬の子の運命が、子供心にも如何にも果敢なく情けないように思われて、手放すに忍びなかったのだ。  此忍びぬ心と、その忍びぬ心を破るに忍びぬ心と、二つの忍びぬ心が搦み合った処に、ポチは旨く引掛って、辛くも棒石塊の危ない浮世に彷徨う憂目を免れた。で、どうせ、それは、蜘蛛の巣だらけでは有ったろうけれど、兎も角も雨露を凌ぐに足る椽の下の菰の上で、甘くはなくとも朝夕二度の汁掛け飯に事欠かず、まず無事に暢びりと育った。  育つに随れて、丸々と肥って可愛らしかったのが、身長に幅を取られて、ヒョロ長くなり、面も甚くトギスになって、一寸狐のような犬になって了った。前足を突張って、尻をもったてて、弓のように反って伸をしながら、大きな口をアングリ開いて欠びをする所なぞは、誰が眼にも余まり見とも好くもなかったから、父は始終厭な犬だ厭な犬だと言って私を厭がらせたが、私はそんな犬振りで情を二三にするような、そんな軽薄な心は聊かも無い。固より玩弄物にする気で飼ったのでないから、厭な犬だと言われる程、尚可愛ゆい。 「ねえ、阿母さん此様な犬は何処へ行ったって可愛がられやしないやねえ。だから家で可愛がって遣るんだねえ。」  と、いつも苦笑する母を無理に味方にして、調戯う父と争った。  犬好は犬が知る。私の此心はポチにも自然と感通していたらしい。其証拠には犬嫌いの父が呼んでも、ほんの一寸お愛想に尻尾を掉るばかりで、振向きもせんで行って了う事がある。母が呼ぶと、不断食事の世話になる人だから、又何か貰えるかと思って眼を輝かして飛んで来る、而して母の手中に其らしい物があれば、兎のように跳ねて喜ぶ。が、しかし、唯其丈の事で、其時のポチは矢張犬に違いない。  その矢張犬に違いないポチが、私に対うと……犬でなくなる。それとも私が人間でなくなるのか? ……何方だか其は分らんが、兎に角互の熱情熱愛に、人畜の差別を撥無して、渾然として一如となる。  一如となる。だから、今でも時々私は犬と一緒になって此様な事を思う、ああ、儘になるなら人間の面の見えぬ処へ行って、飯を食って生きてたいと。  犬も屹度然う思うに違いないと思う。           十四  私は生来の朝寝坊だから、毎朝二度三度覚されても、中々起きない。優しくしていては際限がないので、母が最終には夜着を剥ぐ。これで流石の朝寝坊も不承々々に床を離れるが、しかし大不平だ。額で母を睨めて、津蟹が泡を吐くように、沸々言っている。ポチは朝起だから、もう其時分には疾くに朝飯も済んで、一切り遊んだ所だが、私の声を聴き付けると、何処に居ても一目散に飛んで来る。  これで私の機嫌も直る。急に現金に莞爾々々となって、急いで庭へ降りる所を、ポチが透さず泥足で飛付く。細い人参程の赤ちゃけた尻尾を懸命に掉り立って、嬉しそうに面を瞻上る。視下す。目と目と直たりと合う。堪まらなくなって私が横抱に引ン抱く。ポチは抱かれながら、身を藻掻いて大暴れに暴れ、私の手を舐め、胸を舐め、顋を舐め、頬を舐め、舐めても舐めても舐め足らないで、悪くすると、口まで舐める。父が面を顰めて汚い汚いと曰う。成程、考えて見れば、汚いようではあるけれども……しかし、私は嬉しい、止められない。如何して是が止められるもんか! 私が何も好い物を持っているじゃなし、ポチも其は承知で為る事だ。利害の念を離れて居るのだ、唯懐かしいという刹那の心になって居るのだ。毎朝これでは着物が堪らないと、母は其を零すけれど、着物なんぞの汚れを厭って、ポチの此志を無にする事が出来た話だか、話でないか、其処を一つ考えて貰いたい。  理窟は扨置いて、この面舐めの一儀が済むと、ポチも漸と是で気が済んだという形で、また庭先をうろうろし出して、椽の下なぞを覗いて見る。と、其処に草鞋虫の一杯依附った古草履の片足か何ぞが有る。好い物を看附けたと言いそうな面をして、其を咥え出して来て、首を一つ掉ると、草履は横飛にポンと飛ぶ。透さず追蒐けて行って、又咥えてポンと抛る。其様な他愛もない事をして、活溌に元気よく遊ぶ。  其隙に私は面を洗う、飯を食う。それが済むと、今度は学校へ行く段取になるのだが、此時が一日中で一番私の苦痛の時だ。ポチが跟を追う。うッかり出ようものなら、何処迄も何処迄も随いて来て、逐ったって如何したって帰らない。こッそり出ようとしても、出掛ける時刻をチャンと知って居て、其時分になると、何時の間にか玄関先へ廻って待っている。仕方がないから、最終には取捉まえて否応なしに格子戸の内へ入れて置いては出るようにしていたが、然うすると前足で格子を引掻いて、悲しい悲しい血を吐きそうな啼声を立てて後を慕い、姿が見えなくなっても啼止まない。私もそれは同じ想だ。泣出しそうな面をして、バタバタと駆出し、声の聞えない処まで来て、漸くホッとして、普通の歩調になる、而して常も心の中で反覆し反覆し此様な事を思う、 「僕が居ないと淋しいもんだから、それで彼様に跟を追うンだ。可哀そうだなあ……僕ぁ学校なんぞへ行きたか無いンだけど……行かないと、阿父さんがポチを棄てッ了うッて言うもんだから、それでシヨウがないから行くンだけども……」           十五  ジャンジャンと放課の鐘が鳴る。今迄静かだった校舎内が俄に騒がしくなって、彼方此方の教室の戸が前後して慌だしくパッパッと開く。と、その狭い口から、物の真黒な塊りがドッと廊下へ吐出され、崩れてばらばらの子供になり、我勝に玄関脇の昇降口を目蒐けて駈出しながら、口々に何だか喚く。只もう校舎を撼ってワーッという声の中に、無数の円い顔が黙って大きな口を開いて躍っているようで、何を喚いているのか分らない。で、それが一旦昇降口へ吸込まれて、此処で又紛々と入乱れ重なり合って、腋の下から才槌頭が偶然と出たり、外歯へ肱が打着かったり、靴の踵が生憎と霜焼の足を踏んだりして、上を下へと捏返した揚句に、ワッと門外へ押出して、東西へ散々になる。  仲善二人肩へ手を掛合って行く前に、弁当箱をポンと抛り上げてはチョイと受けて行く頑童がある。其隣りは往来の石塊を蹴飛ばし蹴飛ばし行く。誰だか、後刻で遊びに行くよ、と喚く。蝗を取りに行かないか、という声もする。君々と呼ぶ背後で、馬鹿野郎と誰かが誰かを罵る。あ、痛たッ、何でい、わーい、という声が譟然と入違って、友達は皆道草を喰っている中を、私一人は駈脱けるようにして側視もせずに切々と帰って来る。  家の横町の角迄来て擽たいような心持になって、窃と其方角を観る。果してポチが門前へ迎えに出ている。私を看附るや、逸散に飛んで来て、飛付く、舐める。何だか「兄さん!」と言ったような気がする。若し本包に、弁当箱に、草履袋で両手が塞がっていなかったら、私は此時ポチを捉まえて何を行ったか分らないが、其が有るばかりで、如何する事も出来ない。拠どころなくほたほたしながら頭を撫でて遣るだけで不承して、又歩き出す。と、ポチも忽ち身を曲らせて、横飛にヒョイと飛んで駈出すかと思うと、立止って、私の面を看て滑稽た眼色をする。追付くと、又逃げて又其眼色をする。こうして巫山戯ながら一緒に帰る。  玄関から大きな声で、「只今!」といいながら、内へ駈込んで、卒然本包を其処へ抛り出し、慌てて弁当箱を開けて、今日のお菜の残り──と称して、実は喫べたかったのを我慢して、半分残して来た其物をポチに遣る。其れでも足らないで、お八ツにお煎を三枚貰ったのを、責って五枚にして貰って、二枚は喫べて、三枚は又ポチに遣る。  夫から庭で一しきりポチと遊ぶと、母が屹度お温習をお為という。このお温習程私の嫌いな事はなかったが、之をしないと、直ポチを棄ると言われるのが辛いので、渋々内へ入って、形の如く本を取出し、少し許おんにょごおんにょごと行る。それでお終だ。余り早いねと母がいういのを、空耳潰して、衝と外へ出て、ポチ来い、ポチ来いと呼びながら、近くの原へ一緒に遊びに行く。  これが私の日課で、ポチでなければ夜も日も明けなかった。           十六  ポチは日増しにメキメキと大きくなる。大きくはなるけれど、まだ一向に孩児で、垣の根方に大きな穴を掘って見たり、下駄を片足門外へ啣え出したり、其様悪戯ばかりして喜んでいる。  それに非常に人懐こくて、門前を通掛りの、私のような犬好が、気紛れにチョッチョッと呼んでも、直ともう尾を掉って飛んで行く。況して家へ来た人だと、誰彼の見界はない、皆に喜んで飛付く。初ての人は驚いて、子供なんぞは泣出すのもある。すると、ポチは吃驚して其面を視ている。  人でさえ是だから同類は尚お恋しがる。犬が外を通りさえすれば屹度飛んで出る。喧嘩するのかと、私がハラハラすれば、喧嘩はしない、唯壮に尻尾を掉って鼻を嗅合う。大抵の犬は相手は子供だという面をして、其儘匇々と行こうとする。どっこいとポチが追蒐けて巫山戯かかる。蒼蠅いと言わぬばかりに、先の犬は歯を剥いて叱る。すると、ポチは驚いて耳を伏せて逃げて来る。  ポチは此様な無邪気な犬であったから、友達は直出来た。  友達というのは黒と白との二匹で、いずれもポチよりは三ツ四ツも年上であった。歴とした家の飼い犬でありながら、品性の甚だ下劣な奴等で、毎日々々朝から晩まで近所の掃溜を𩛰り歩き二度の食事の外の間食ばかり貪っている。以前から私の家の掃溜へも能く立廻って来て、馴染の犬共ではあるけれど、ポチを飼うようになってからは、尚お頻繁に立廻って来る。ポチの喫剰しを食いに来るので。  ポチは大様だから、余処の犬が自分の食器へ首を突込んだとて、怒らない。黙って快く食わせて置く。が、他の食うのを見て自分も食気附く時がある。其様な時には例の無邪気で、うッかり側へ行って一緒に首を突込もうとする。無論先の犬は、馳走になっている身分を忘れて、大に怒って叱付ける。すると、ポチは驚いて飛退いて、不思議そうに小首を傾げて、其ガツガツと食うのを黙って見ている。  父は馬鹿だと言うけれど、馬鹿気て見える程無邪気なのが私は可愛ゆい。尤も後には悪友の悪感化を受けて、友達と一緒に近所の掃溜へ首を突込み、鮭の頭を舐ったり、通掛りの知らん犬と喧嘩したり、屑拾いの風体を怪しんで押取囲んで吠付いたりした事も無いではないが、是れは皆友達を見よう見真似に其の尻馬に騎って、訳も分らずに唯騒ぐので、ポチに些っとも悪意はない。であるから、独りの時には、矢張元の無邪気な人懐こい犬で、滑稽た面をして他愛のない事ばかりして遊んでいる。惟うに、私等親子の愛しみを受けて、曾て痛い目に遭った事なく、暢気に安泰に育ったから、それで此様に無邪気であったのだろうが、ああ、想出しても無念でならぬ。何故私はポチを躾けて、人を見たら皆悪魔と思い、一生世間を睨め付けては居させなかったろう? 憗じ可愛がって育てた為に、ポチは此様に無邪気な犬になり、無邪気な犬であった為に、遂に残忍な刻薄な人間の手に掛って、彼様な非業の死を遂げたのだ。           十七  或日の事。卑しい事を言うようだが、其日の弁当の菜は母の手製の鰹節でんぶで、私も好きだが、ポチの大好きな物だったから、我慢して半分以上残したのが、チャンと弁当箱に入っている。早く帰ってこれが喫させたかったので、待憧れた放課の鐘が鳴るや、大急ぎで学校の門を出て、友達は例の通り皆道草を喰っている中を、私一人は切々と帰って来ると、俄に行手がワッと騒がしくなって、先へ行く児が皆雪崩れて、ドッと道端の杉垣へ片寄ったから、驚いてヒョイと向うを見ると、ツイ四五間先を荷車が来る。瞥と見たばかりでは何の車とも分らなかった。何でも可なり大きな箱車で、上から菰を被せてあったようだったが、其を若い土方風の草鞋穿の男が、余り重そうにもなく、匇々と引いて来る。車に引添うてまだ一人、四十許りの、四角な面の、茸々と髭の生えた、人相の悪い、矢張草鞋穿の土方風の男が、古ぼけて茶だか鼠だか分らなくなった、塵埃だらけの鉢巻もない帽子を阿弥陀に冠って、手ぶらで何だか饒舌りながら来る。  道端の子供等は皆好奇の目を円くして此怪し気な車を見迎え見送って、何を言うのか、口々に譟然と喚いている中から、忽ち一段際立って甲高な、「犬殺しだい犬殺しだい!」という叫声が其処此処から起る。と聞くより、私はハッとした。全身の血の通いが急に一時に止ったような気がして、襟元から冷りとする、足が窘蹙む……と、忽ち心臓が破裂せんばかりに鼓動し出す。「ポチは? ……」という疑問が曇ったような頭の中で、ちらりと電光のように閃いて又暗中に没する時、ガタガタと車が前を通る。  後で聞けば、菰の下から犬の尻尾とか足とかが見えていたというけれど、私が其時佶と目を据えて視たのでは、唯車が躍って菰が魂の有るようにゆさゆさと揺るのが見えたばかりで、他には何も見えなかった。或は最う目も霞んでいたのかも知れぬ。 「おッそろしい餓鬼だなあ! まだ彼様に出て来やがら……」  と太い煤けたような野良声で、──確に年上の奴に違いないが、然う言うのが聞えた。  ガタンと一つ小石に躍って、車は行過ぎて了う。  跡は両側の子供が又続々と動き出し、四辺が大黒帽に飛白の衣服で紛々となる中で、私一人は佇立ったまま、茫然として轅棒の先で子供の波を押分けて行くように見える車の影を見送っていた。  と、誰だか私の側へ来て、何か言う。顔は見覚えのある家の近所の何とかいう児だが、言ってる事が分らない。私は黙って其面を視たばかりで、又窃と車の行った方角を振向いて見ると、最う車は先の横町を曲ったと見えて、此方を向いて来る沢山の子供の顔が見えるばかりだ。 「ねえ、君、君ン所のポチも殺されたかも知れないぜ。」  という声が此時ふと耳に入って、私はハッと我に反ると、 「啌だい! 殺されるもんか! 札が附いてるもの……」  と狼狽て打消てから、始めて木村の賢ちゃんという児と話をしている事が分った。 「やあ……札が附いてたって、殺されますから。へえ。僕ン所の阿爺さんが……」  と賢ちゃんが言掛けると、仲善の友の言う事だが、私は何だか急に口惜しくなって、赫と急込んで、 「何でい! 大丈夫だい‼ ……」  と怒鳴り付けた。賢ちゃんが吃驚して眼を円くした時、私は卒然バタバタと駈出し、前へ行く児にトンと衝当る。何しやがるンだいと、其児に突飛されて、又誰だかに衝当る。二三度彼方此方で小突かれて、蹌踉として、危うかったのを辛と踏耐えるや、後をも見ずに逸散に宙を飛で家へ帰った。           十八  門は明放し、草履は飛び飛びに脱棄てて、片足が裏返しになったのも知らず、「阿母さん阿母さん!」と卒然内へ喚き込んだが、母の姿は見えないで、台所で返事がする。  誰だか来て居るようで、話声がしているけれど、其様な事に頓着しては居られない。学校道具を座敷の中央へ抛り出して置いて台所へ飛んで行くなり、 「阿母さん! ……ポチは? ……」  と喘ぎ喘ぎまず聞いてみた。  母は黙って此方を向いた。常は滅入ったような蒼い面をしている人だったが、其時此方を向いた顔を見ると、微と紅くなって、眼に潤みを持ち、どうも尋常の顔色でない。私は急に何か物に行当ったようにうろうろして、 「殺されたかい? ……」  と凝と母の面を視た時には、気息が塞りそうだった。  母は一寸躊躇ったようだったが、思切って投出すように、 「殺されたとさ……」  逸散に駈て来て、ドカッと深い穴へ落ちたら、彼様な気がするだろうと思う。私は然う聞くと、ハッと内へ気息を引いた。と、張詰めて破裂れそうになっていた気がサッと退いて、何だか奥深い穴のような処へ滅入って行くようで、四辺が濛と暗くなると、母の顔が見えなくなった…… 「炭屋さんが見て来なすッたンだッさ。」  という声がふと耳に入ると、クワッとまた其処らが明るくなって眼の前に丸髷が見える。母は又彼方向いて了ったのだ。 「じゃ、木村さん処の前で殺されたんですね?」と母の声がいう。 「へえ」、という者がある。機械的に其方へ面を向けると、腰障子の蔭に、旧い馴染の炭屋の爺やの、小鼻の脇に大きな黒子のある、皺だらけの面が見えて、前歯の二本脱けた間から、チョコチョコ舌を出して饒舌っている声が聞える。「丁度あの木村さんの前ン処なんで。手前は初めは何だと思いました。棒を背後へ匿してましたから、遠くで見たんじゃ、ほら、分りませんや。一寸見ると何だか土方のような奴で、其奴がこう手を背後へ廻しましてな、お宅の犬の寝ている側へ寄ってくから、はてな、何をするンだろう、と思って見ていますと、彼様な人懐っこい犬だから、其奴の面を見て、何にも知らずに尻尾を掉ってましたよ。可哀そうに! 普通の者なら、何ぼ何でも其様なにされちゃ、手を下せた訳合のもんじゃございません、──ね、今日人情としましても。それを、貴女……いや、どうも、ああいう手合に逢っちゃ敵いませんて、卒然匿してた棒を取直して、おやッと思う間に、ポンと一つ鼻面を打ちました。そうするとな、お宅のは勃然起きましてな、キリキリと二三遍廻って、パタリと倒れると、仰向きになってこう四足を突張りましてな、尻尾でバタバタ地面を叩いたのは、あれは大方苦がったんでしょうが、傍で見ていりゃ何だか喜んで尻尾を掉ったようで、妙な塩梅しきでしたがな、其処を、貴女、またポカポカと三つ四つ咽喉ン処を打ちますとな、もう其切りで、ギャッともスウとも声を立て得ないで、貴女……」  私はもう後は聴いていなかった。誰を憚る必要もないのに、窃と目立たぬように後方へ退って、狐鼠々々と奥へ引込んだ。ベタリと机の前へ坐った。キリキリと二三遍廻ったという今聞いた話が胸に浮ぶと、そのキリキリと廻ったポチの姿が、顕然と目に見えるような気がする。熱い涙がほろほろ零れる、手の甲で擦っても擦っても、止度なくほろほろ零れる。           十九  ポチが殺されて、私は気脱けしたようになって、翌日は学校も休んだ。何も自分が罪を犯したでもないのに、何となく友達に顔を見られるのが辛くッて……  午過にポチが殺されたという木村という家の前へ行って見た。其処か此処かと尋ねて見たけれど、もう其らしい痕もない。私は道端に彳んで、茫然としていた。  炭屋の老爺やの話だと、うッかり寝転んでいる所を殺されたのだと云う。大方昨日も私の帰りを待ちかねて、此処らまで迎えに出ていたのであろう。待草臥れて、ドタリと横になって、角のポストの蔭から私の姿がヒョッコリ出て来はせぬかと、其方ばかりを余念なく眺めている所へ、犬殺しが来たのだ。人間は皆私達親子のように自分を可愛がって呉れるものと思っているポチの事だから、犬殺しとは気が附かない。何心なく其面を瞻上げて尾を掉る所を、思いも寄らぬ太い棍棒がブンと風を截って来て……と思うと、又胸が一杯になる。  ヒュウと悲しい音を立てて、空風が吹いて通る。跡からカラカラに乾いた往来の中央を、砂烟が濛と力のない渦を巻いて、捩れてひょろひょろと行く。  私は其行方を眺めて茫然としていた。と、何処でかキャンキャンと二声三声犬の啼声がする……佶と耳を引立って見たが、もう其切で聞えない。隣町あたりで凍けたような物売の声がする。  何だか今の啼声が気になる。ポチは殺されたのだから、もう此処らで啼いてる筈はない。余所の犬だ余所の犬だ、と思いながら、何だか其儘聞流して了うのが残惜しくて、思わずパタパタと駈出したが、余所の犬じゃ詰らないと思返して、又頽然となると、足の運びも自然と遅くなり、そろりそろりと草履を引摺ながら、目的もなく小迷って行く。  小迷って行きながら、又ポチの事を考えていると、ふッと気が変って、何だか昨日からの事が皆嘘らしく思われてならぬ。私が余りポチばかり可愛がって勉強をしなかったから、父が万一したら懲しめのため、ポチを何処かへ匿したのじゃないかと思う。そうすると、今の啼声は矢張ポチだったかも知れぬと、うろうろとする目の前を、土耳其帽を冠った十徳姿の何処かのお祖父さんが通る。何だか深切そうな好いお祖父さんらしいので、此人に聞いたら、偶然とポチの居処を知っていて、教えて呉れるかも知れぬと思って、凝然と其面を視ると、先も振向いて私の面を視て、莞爾して行って了った。  向うから順礼の親子が来る。笈摺も古ぼけて、旅窶れのした風で、白の脚絆も埃に塗れて狐色になっている。母の話で聞くと、順礼という者は行方知れずになった親兄弟や何かを尋ねて、国々を経巡って歩くものだと云う。此人達も其様な事で斯うして歩いているのかも知れぬ、と思うと、私も何だか此仲間へ入って一緒にポチを探して歩きたいような気がして、立止って其の後姿を見送っていると、忽ち背後でガラガラと雷の落懸るような音がしたから、驚いて振向こうとする途端に、トンと突飛されて、私はコロコロと転がった。 「危ねい! 往来の真ン中を彷徨してやがって……」とせいせい息を逸ませながら立止って怒鳴り付けたのは、目の怕い車夫であった。  車には黒い高い帽子を冠って、温かそうな黄ろい襟の附いた外套を被た立派な人が乗っていたが、私が面を顰めて起上るのを尻眼に掛けて、髭の中でニヤリと笑って、 「鎌蔵、構わずに行れ。」 「へい……本当に冷りとさせやがった。気を付けろ、涕垂らしめ! ……」  と車夫は又トットッと曳出した。  紳士は犬殺しでない。が、ポチを殺した犬殺しと此人と何だか同じように思われて、クラクラと目が眩むと、私はもう無茶苦茶になった。卒然道端の小石を拾って打着けてやろうとしたら、車は先の横町へ曲ったと見えて、もう見えなかった。  パタリと小石を手から落した。と、何だか急に悲しくなって来て耐らなくなって、往来の真中で私は到頭シクシク泣出した。           二十  ポチの殺された当座は、私は食が細って痩せた程だった。が、其程の悲しみも子供の育つ勢には敵わない。間もなく私は又毎日学校へ通って、友達を相手にキャッキャッとふざけて元気よく遊ぶようになった……        ───────────────  今日は如何したのか頭が重くて薩張り書けん。徒書でもしよう。 愛は総ての存在を一にす。 愛は味うべくして知るべからず。 愛に住すれば人生に意義あり、愛を離るれば、人生は無意義なり。 人生の外に出で、人生を望み見て、人生を思議する時、人生は遂に不可得なり。 人生に目的ありと見、なしと見る、共に理智の作用のみ。理智の眼を抉出して目的を見ざる処に、至味存す。 理想は幻影のみ。 凡人は存在の中に住す、其一生は観念なり。詩人哲学者は存在の外に遊離す、観念は其一生なり。 凡人は聖人の縮図なり。 人生の真味は思想に上らず、思想を超脱せる者は幸なり。 二十世紀の文明は思想を超脱せんとする人間の努力たるべし。  此様な事ならまだ幾らでも列べられるだろうが、列べたって詰らない。皆啌だ。啌でない事を一つ書いて置こう。  私はポチが殺された当座は、人間の顔が皆犬殺しに見えた。是丈は本当の事だ。           二十一  小学から中学を終るまで、落第をも込めて前後十何年の間、毎日々々の学校通い、──考えて見れば面白くもない話だが、併し其を左程にも思わなかった。小学校の中は、内で親に小蒼蠅く世話を焼かれるよりも、学校へ行って友達と騒ぐ方が面白い位に思っていたし、中学へ移ってからも、人間は斯うしたものと合点して、何とも思わなかった。  しかし、凡そ学科に面白いというものは一つも無かった。何の学科も何の学科も、皆味も卒気もない顰蹙する物ばかりだったが、就中私の最も閉口したのは数学であった。小学時代から然うだったが、中学へ移ってからも、是ばかりは変らなかった。此次は代数の時間とか、幾何の時間とかなると、もう其が胸に支えて、溜息が出て、何となく世の中が悲観された。  算術は四則だけは如何やら斯うやら了解めたが、整数分数となると大分怪しくなって、正比例で一寸息を吐く。が、其お隣の反比例から又亡羊し出して、按分比例で途方に暮れ、開平開立求積となると、何が何だか無茶苦茶になって、詰り算術の長の道中を浮の空で通して了ったが、代数も矢張り其通り。一次方程式、二次方程式、簡単なのは如何にかなっても、少し複雑のになると、AとBとが紛糾かって、何時迄経ってもXに膠着いていて離れない。況や不整方程式には、頭も乱次になり、無理方程式を無理に強付けられては、げんなりして、便所へ立ってホッと一息吐く。代数も分らなかったが幾何や三角術は尚分らなかった。初の中は全く相合せ得る物の大さは相等しなどと真顔で教えられて、馬鹿扱にするのかと不平だったが、其中に切売の西瓜のような弓月形や、二枚屏風を開いたような二面角が出て来て、大きなお供に小さいお供が附着いてヤッサモッサを始める段になると、もう気が逆上ッて了い、丸呑にさせられたギゴチない定義や定理が、頭の中でしゃちこばって、其心持の悪いこと一通りでない。試験が済むと、早速咽喉へ指を突込んで留飲の黄水と一緒に吐出せるものなら、吐出して了って清々したくなる。  何の因果で此様な可厭な想をさせられる事か、其は薩張分らないが、唯此可厭な想を忍ばなければ、学年試験に及第させて貰えない。学年試験に及第が出来ぬと、最終の目的物の卒業証書が貰えないから、それで誠に止むことを得ず、眼を閉って毒を飲む気で辛抱した。  尤も是は数学ばかりでない。何の学科も皆多少とも此気味がある。味わって楽むなどいうのは一つもない、又楽んでいる暇もない。後から後からと他の学科が急立てるから、狼狽てて片端から及第のお呪いの御符の積で鵜呑にして、而して試験が済むと、直ぐ吐出してケロリと忘れて了う。           二十二  今になって考えて見ると、無意味だった。何の為に学校へ通ったのかと聞かれれば、試験の為にというより外はない。全く其頃の私の眼中には試験の外に何物も無った。試験の為に勉強し、試験の成績に一喜一憂し、如何な事でも試験に関係の無い事なら、如何なとなれと余処に見て、生命の殆ど全部を挙げて試験の上に繋けていたから、若し其頃の私の生涯から試験というものを取去ったら、跡は他愛のない烟のような物になって了う。  これは、しかし、私ばかりというではなかった。級友という級友が皆然うで、平生の勉強家は勿論、金箔附の不勉強家も、試験の時だけは、言合せたように、一色に血眼になって……鵜の真似をやる、丸呑に呑込めるだけ無暗に呑込む。尤も此連中は流石に平生を省みて、敢て多くを望まない、責めて及第点だけは欲しいが、貰えようかと心配する、而して常は事毎に教師に抵抗して青年の意気の壮なるに誇っていたのが、如何した機でか急に殊勝気を起し、敬礼も成る丈気を附けて丁寧にするようにして、それでも尚お危険を感ずると、運動と称して、教師の私宅へ推懸けて行って、哀れッぽい事を言って来る。  私は我儘者の常として、見栄坊の、負嫌だったから、平生も余り不勉強の方ではなかった。無論学科が面白くてではない、学科は何時迄経っても面白くも何ともないが、譬えば競馬へ引出された馬のようなもので、同じような青年と一つ埒入に鼻を列べて見ると、負るのが可厭でいきり出す、矢鱈に無上にいきり出す。  平生さえ然うだったから、況や試験となると、宛然の狂人になって、手拭を捻って向鉢巻ばかりでは間怠ッこい、氷嚢を頭へ載けて、其上から頬冠りをして、夜の目も眠ずに、例の鵜呑をやる。又鵜呑で大抵間に合う。間に合わんのは作文に数学位のものだが、作文は小学時代から得意の科目で、是は心配はない。心配なのは数学の奴だが、それをも無理に狼狽てた鵜呑式で押徹そうとする、又不思議と或程度迄は押徹される。尤も是はかね合もので、そのかね合を外すと、落こちる。私も未だ試験慣れのせぬ中、ふと其かね合を外して落こちた時には、親の手前、学友の手前、流石に面目なかったから、少し学校にも厭気が差して、其時だけは一寸学校教育なんぞを齷促して受けるのが、何となく馬鹿気た事のように思われた。が、世間を見渡すと、皆此無意味な馬鹿気た事を平気で懸命に行っている。一人として躊躇している者はない。其中で私一人其様な事を思うのは何だか薄気味悪かったから、狼狽てて、いや、馬鹿気ているようでも、矢張必要の事なんだろうと思直して、素知らん顔して、其からは落第の恥辱を雪がねば措かぬと発奮し、切歯して、扼腕して、果し眼になって、又鵜の真似を継続して行った。  鵜の真似でも何でも、試験の成績さえ良ければ、先生方も満足せられる、内でも親達が満足するから、私は其で好い事と思っていた。然うして多く学んで殆ど何も得る所がない中に、いつしか中学も卒業して、卒業式には知事さんも「諸君は今回卒業の名誉を荷うて……」といった。内でも赤飯を焚いて、お目出度いお目出度いと親達が右左から私を煽がぬ許りにして呉れた。してみれば、矢張名誉でお目出度いのに違いないと思って、私も大に得意になっていた。           二十三  中学も卒業した。さて今後は如何するという愈胸の轟く問題になった。  まだ中学に居る頃からの宿題で、寐ても寤めても是ばかりは忘れる暇もなかったのだが、中学を卒業してもまだ極らずに居たのだ。  極らぬのは私ではない。私は疾うに極めていた、無論東京へ行くと。  東京は如何な処だか人の噂に聞く許で能くは知らなかったが、私も地方育ちの青年だから、誰も皆思うように、東京へ出て何処かの学校へ入りさえすれば、黙っていても自然と運が向いて来て、或は海外留学を命ぜられるようになるかも知れぬ。若し然うなったら……と目を開いて夢を見ていたのも昨日や今日の事でないから、何でも角でも東京へ出たいのだが、さて困った事には、珍しくもない話だけれど、金の出処がない。  父は其頃県庁の小吏であった。薄給でかつがつ一家を支えていたので、月給だけでは私を中学へ入れる事すら覚束なかったのだが、幸い親譲りの地所が少々と小さな貸家が二軒あったので、其上りで如何にか斯うにか糊塗なっていたのだ。だから到底も私を東京へ遣れないという父の言葉に無理もないが、しかし……私は矢張東京へ出たい。  父は其頃未だ五十であった。達者な人だけに気も若くて、まだまだ十年や十五年は大丈夫生ていると、傍の私達も思っていたし、自分も其は其気でいた。従って世間の親達のように、早く私を月給取にして、嫁を宛がって、孫の世話でもしていたいなぞと、そんな気は微塵もないが、何分にも当節は勤向が六かしくなって、もう永くは勤まらぬという。成程父は教育といっても、昔の寺子屋教育ぎりで、新聞も漢語字引と首引で漸く読み覚えたという人だから、今の学校出の若い者と机を列べて事務を執らされては、嘸辛い事も有ろうと、其様な事には浮の空の察しの無かった私にも、話を聞けば能く分って、同情が起らぬでもないが、しかし、それだからお前は県庁へ勤めるなとして自分一人だけの事は為て呉れと、言われた時には情なかった。父は然うして置いて、何ぞ他に気骨の折れぬ力相応の事をして県庁の方は辞職する。辞職しても当分はお前の世話にはなるまいと、財産相応の穏当な案を立てて、私の為をも思っていうのは解っているけれど、しかし私は如何しても矢張東京へ出て何処かの学校へ入りたい。  で、親子一つ事を反覆すばかりで何日経っても話の纏まらぬ中に、同窓の何某はもう二三日前に上京したし、何某は此月末に上京するという話も聞く。私は気が気でないから、眼の色を異えて、父に逼り、果は血気に任せて、口惜し紛れに、金がないと言われるけれど、地面を売れば如何にかなりそうなものだ、それとも私の将来よりも地面の方が大事なら、学資は出して貰わんでも好い、旅費だけ都合して貰いたい、私は其で上京して苦学生になると、突飛な事を言い出せば、父は其様な事には同意が出来ぬという、それは圧制だ、いや聞分ないというものだと、親子顔を赤めて角芽立つ側で、母がおろおろするという騒ぎ。  其時私の為には頗る都合の好い事があった。私と同期の卒業生で父も懇意にする去る家の息子が、何処のも同じ様に東京行きを望んで、親に拒まれて、自暴を起し、或夜窃に有金を偸出して東京へ出奔すると、続いて二人程其真似をする者が出たので、同じ様な息子を持った諸方の親々の大恐慌となった。父も此一件から急に我を折って、彼方此方の親類を駈廻った結果、金の工面が漸く出来て、最初は甚く行悩んだ私の遊学の願も、存外難なく聴されて、遂に上京する事になった時の嬉しさは今に忘れぬ。           二十四  愈出発の当日となった。待ちに待った其日ではあるけれど、今となっては如何やら一日位は延ばしても好いような心持になっている中に、支度はズンズン出来て、さて改まって父母と別れの杯の真似事をした時には、何だか急に胸が一杯になって不覚ホロリとした。母は固より泣いた、快活な父すら目出度い目出度いと言いながら、頻に咳をして涕を拭んでいた。  誂えの俥が来る。性急の父が先ず狼狽て出して、座敷中を彷徨しながら、ソレ、風呂敷包を忘れるな、行李は好いか、小さい方だぞ、コココ蝙蝠傘は己が持ってッてやる、と固より見送って呉れる筈なので、自分も一台の俥に乗りながら、何は載ったか、何は……ソレ、あの、何よ……と、焦心る程尚お想出せないで、何やら分らぬ手真似をして独り無上に車上で騒ぐ。  母も門口まで送って出た。愈俥が出ようとする時、母は悲しそうに凝と私の面を視て、「じゃ、お前ねえ、カカ身体を……」とまでは言い得たが、後が言えないで、涙になった。  私は故意と附元気の高声で、「御機嫌よう!」と一礼すると、俥が出たから、其儘正面になって了ったが何だか後髪を引かれるようで、俥が横町を出離れる時、一寸後を振向いて見たら、母はまだ門前に悄然と立っていた。  道々も故意と平気な顔をして、往来を眺めながら、勉て心を紛らしている中に、馴染の町を幾つも過ぎて俥が停車場へ着いた。  まだ発車には余程間があるのに、もう場内は一杯の人で、雑然と騒がしいので、父が又狼狽て出す。親しい友の誰彼も見送りに来て呉れた。其面を見ると、私は急に元気づいて、例になく壮に饒舌った。何だか皆が私の挙動に注目しているように思われてならなかった。無論友達は家で立際に私の泣いたことを知る筈はないから……  軈て発車の時刻になって、汽車に乗込む。手持無沙汰な落着かぬ数分も過ぎて、汽笛が鳴る。私が窓から首を出して挨拶をする時、汽車は動出して、父の眼をしょぼつかせた顔がチラリとして直ぐ後になる、見えなくなる。もうプラットフォームを出離れて、白ペンキの低い柵が走る、其向うの後向きの二階家が走る、平屋が走る。片側町になって、人や車が後へ走るのが可笑しいと、其を見ている中に、眼界が忽ち豁然と明くなって、田圃になった。眼を放って見渡すと、城下の町の一角が屋根は黒く、壁は白く、雑然と塊まって見える向うに、生れて以来十九年の間、毎日仰ぎ瞻たお城の天守が遙に森の中に聳えている。ああ、家は彼下だ……と思う時、始めて故郷を離れることの心細さが身に染みて、悄然としたが、悄然とする側から、妙に又気が勇む。何だか籠のような狭隘しい処から、茫々と広い明るい空のような処へ放されて飛んで行くようで、何となく心臓の締るような気もするが、又何処か暢びりと、急に脊丈が延びたような気もする。  こうした妙な心持になって、心当に我家の方角を見ていると、忽ち礑と物に眼界を鎖された。見ると、汽車は截割ったように急な土手下を行くのだ。           二十五  申後れたが、私は法学研究のため上京するのだ。  其頃の青年に、政治ではない、政論に趣味を持たん者は幾んど無かった。私も中学に居る頃から其が面白くて、政党では自由党が大の贔負であったから、自由党の名士が遊説に来れば、必ず其演説を聴きに行ったものだ。無論板垣さんは自分の叔父さんか何ぞのように思っていた。  実際の政界の事情は些とも分っていなかった。自由党は如何いう政党だか、改進党と如何違うのだか、其様な事は分っているような風をして、実は些とも分っていなかったが、唯初心な眼で局外から観ると、何だか自由党の人というと、其人の妻子は屹度饑に泣いてるように思われて、妻子が饑に泣く──人情忍び難い所だ。その忍び難い所を忍んで、妻や子を棄てて置いて、而して自分は芸者狂いをするのじゃない、四方に奔走して、自由民権の大義を唱えて、探偵に跟随られて、動もすれば腰縄で暗い冷たい監獄へ送られても、屈しない。偉いなあ! と、こう思っていたから、それで好きだった。  好きは好きだったが、しかし友人の誰彼のように、今直ぐ其真似は仕度くない。も少し先の事にしたい。兎角理想というものは遠方から眺めて憧憬れていると、結構な物だが、直ぐ実行しようとすると、種々都合の悪い事がある。が、それでは何だか自分にも薄志弱行のように思われて、何だか心持が悪かったが、或時何かの学術雑誌を読むと、今の青年は自己の当然修むべき学業を棄てて、動もすれば身を政治界に投ぜんとする風ありと雖も、是れ以ての外の心得違なり、青年は須らく客気を抑えて先ず大に修養すべし、大に修養して而して後大に為す所あるべし、という議論が載っていた。私は嬉しかった。早速此持重説を我物にして了って、之を以て実行に逸る友人等を非難し、而して窃に自ら弁護する料にしていた。  斯ういう事情で此様な心持になっていたから、中学卒業後尚お進んで何か専門の学問を修めようという場合には、勢い政治学に傾かざるを得なかった。父が上京して何を遣りたいのだと言った時にも、言下に政治学と答えた。飛んだ事だといって父が夫では如何しても承知して呉なかったから、じゃ、法学と政治学とは従兄弟同士だと思って、法律をやりたいと言って見た。法律学は其頃流行の学問だったし、県の大書記官も法学士だったし、それに親戚に、私立だけれど法律学校出身で、現に私達の眼には立派な生活をしている人が二人あった。一人は何処だったか記憶がないが、何でも何処かの地方で代言をして、芸者を女房にして贅沢な生活をしていて、今一人は内務省の属官でこそあれ、好い処を勤めている証拠には、曾て帰省した時の服装を見ると、地方では奏任官には大丈夫踏める素晴しい服装で、何しても金の時計をぶら垂げていたと云う。それで父も法律なら好かろうと納得したので、私は遂に法学研究のため斯うして汽車で上京するのだ。           二十六  東京へ着いたのは其日の午後の三時頃だったが、便って行くのは例の金時計をぶら垂げていたという、私の家とは遠縁の、変な苗字だが、小狐三平という人の家だ。招魂社の裏手の知れ難い家で、車屋に散々こぼされて、辛と尋ね当てて見ると、門構は門構だが、潜門で、国で想像していたような立派な冠木門ではなかった。が、標札を見れば此家に違いないから、潜りを開けて中に入ると、直ぐもう其処が格子戸作りの上り口で、三度四度案内を乞うて漸と出て来たのを見れば、顔や手足の腫起んだような若い女で、初は膝を突きそうだったが、私の風体を見て中止にして、立ちながら、何ですという。はてな、家を間違えたか知らと、一寸狼狽したが、標札に確に小狐三平とあったに違いないから、姓名を名告って今着いた事を言うと、若い女は怪訝な顔をして、一寸お待ちなさいと言って引込んだぎり、中々出て来ない。車屋は早く仕て呉れという。私は気が気でない。が、前以て書面で、世話を頼む、引受けたと、話が着いてから出て来たのだし、今日上京する事も三日も前に知らせてあるのだから、今に伯母さんが──私の家では此家の夫人を伯母さんと言いつけていた──伯母さんが出て来て好いように仕て呉れると、其を頼みにしていると、久らくして伯母さんではなくて、今の女が又出て来て、お上ンなさいという。荷物が有りますと、口を尖がらかすと、荷物が有るならお出しなさい、というから、車屋に手伝って貰って、荷物を玄関へ運び込むと、其女が片端から受取って、ズンズン何処かへ持ってッて了った。  車屋に極めた賃銭を払おうとしたら、骨を折ったから増を呉れという。余所の車は風を切って飛ぶように走る中を、のそのそと歩いて来たので、些とも骨なんぞ折っちゃいない。田舎者だと思って馬鹿にするなと思ったから、厭だといった。すると、車屋は何だか訳の分らぬ事を隙間もなくベラベラと饒舌り立って、段々大きな声になるから、私は其大きな声に驚いて、到頭言いなり次第の賃銭を払って、東京という処は厭な処だと思った。  車屋との悶着を黙って衝立って視ていた女が、其が済むのを待兼たように、此方へ来いというから、其跟に随いて玄関の次の薄暗い間へ入ると、正面の唐紙を女が此時ばかりは一寸膝を突いてスッと開けて、黙って私の面を視る。私は如何して好いのだか、分らなかったから、 「中へ入っても好いんですか?」  と狼狽して案内の女に応援を乞うた時、唐紙の向うで、勿体ぶった女の声で、 「さあ、此方へ。」  私は急に気が改まって、小腰を屈めて、遠慮勝に中へ入った。と、不意に箪笥や何や角や沢山な奇麗な道具が燦然と眼へ入って、一寸目眩しいような気がする中でも、長火鉢の向うに、三十だか四十だか、其様な悠長な研究をしてる暇はなかったが、何でも私の母よりもグッと若い女の人が、厚い座布団の上にチンと澄している姿を認めたから、狼狽して卒然其処へドサリと膝を突くと、真紅になって、倒さになって、 「初めまして……」           二十七  伯母さん──といっては何だか調和が悪い、奥様は一寸会釈して、 「今お着きでしたか?」 「は」、と固くなる。 「何ですか、お国では阿父さんも阿母さんもお変りは有りませんか?」 「は。」  と矢張固くなりながら、訥弁でポツリポツリと両親の言伝を述べると、奥様は聴いているのか、いないのか、上調子ではあはあと受けながら、厭に赤ちゃけた出がらしの番茶を一杯注いで呉れたぎりで、一向構って呉れない。気が附いて見ると、座布団も呉れてない。  何時迄経っても主人が顔を見せぬので、 「伯父さんはお留守ですか?」  と不覚言って了った顔を、奥様はジロリと尻眼に掛けて、 「主人はまだ役所から退けません。」  主人と厭に力を入れて言われて、じゃ、伯父さんじゃ不好ったのか知ら、と思うと、又私は真紅になった。  ところへバタバタと椽側に足音がして、障子が端手なくガラリと開いたから、ヒョイと面を挙ると、白い若い女の顔──とだけで、其以上の細かい処は分らなかったが、何しろ先刻取次に出たのとは違う白い若い女の顔と衝着った。是が噂に聞いた小狐の独娘の雪江さんだなと思うと、私は我知らず又固くなって、狼狽てて俯向いて了った。 「阿母さん阿母さん」、と雪江さんは私が眼へ入らぬように挨拶もせず、華やかな若い艶のある美い声で、「矢張私の言った通だわ。明日が楽だわ。」 「まあ、そうかい」、と吃驚した拍子に、今迄の奥様がヒョイと奥へ引込んで、矢張尋常の阿母さんになって了った。 「厭だあ私……だから此前の日曜にしようと言たのに、阿母さんが……」といいながら座敷へ入って来て、始めて私が眼へ入ったのだろう。ジロジロと私の風体を視廻して、膝を突いて、母の顔を見ながら、「誰方?」 「此方が何さ、阿父様からお話があった古屋さんの何さ。」 「そう。」  といって雪江さんは此方を向いたから、此処らでお辞儀をするのだろうと思って、私は又倒さになって一礼すると、残念ながら又真紅になった。  雪江さんも一寸お辞儀したが、直ぐと彼方を向いて了って、 「私厭よ。阿母さんが彼様な事言って行かなかったもんだから……」 「だって仕方がなかったンだわね。私だって彼様な窮屈な処へ行くよか、芝居へ行った方が幾ら好いか知れないけど、石橋さんの奥様に無理に誘われて辞り切れなかったンだもの。好いわね、其代り阿父様に願って、お前が此間中から欲しい欲しいてッてる彼ね?」と娘の面を視て、薄笑いしながら、「彼を買って頂いて上げるから……仕方がないから。」 「本当?」と雪江さんも急に莞爾々々となった。私は見ないでも雪江さんの挙動は一々分る。「本当? そんなら好いけど……ちょいとちょいと、其代り……」と小声になって、「ルビー入りよ。」 「不好ません不好ません! ルビー入りなんぞッて、其様な贅沢な事が阿父様に願えますか?」 「だってえ……尋常のじゃあ……」と甘たれた嬌態をする。 「そんならお止しなさいな。尋常ので厭なら、何も強いて買って上げようとは言わないから。」 「あら! ……」と忽ち機嫌を損ねて、「だから阿母さんは嫌いよ。直ああだもの。尋常のじゃ厭だって誰も言てやしなくってよ。」 「そんなら、其様な不足らしい事お言いでない。」 「へえへえ、恐れ入りました」、と莞爾して、「じゃ、尋常のでも好いから、屹度よ。ねえ、阿母さん、欺しちゃ厭よ。」 「誰がそんな……」 「まあ、好かった!」と又莞爾して一寸私の面を見た。           二十八  私は先刻から存在を認めていられないようだから、其隙に窃そり雪江さんの面を視ていたのだ。雪江さんは私よりも一つ二つ、それとも三つ位年下かも知れないが、お出額で、円い鼻で、二重顋で、色白で愛嬌が有ると謂えば謂うようなものの、声程に器量は美くなかった。が、若い女は何処となく好くて、私がうッかり面を視ている所を、不意に其面が此方を向いたのだから、私は驚いた。驚いて又俯向いて、膝前一尺通りの処を佶と視据えた。  雪江さんは又更めて私の様子をジロジロ視ているようだったが、 「部屋は何処にするの?」  と阿母さんの方を向く。 「え?」と阿母さんは雪江さんの面を視て、「あの、何のかい? 玄関脇の四畳が好かろうと思って。」 「あんな処⁉ ……」  と雪江さんが一寸驚くのを、阿母さんが眼に物言わせて、了解ませて、 「彼処が一番明るくッて好いから。」 「そう」、と一切の意味を面から引込めて、雪江さんは澄して了った。 「おお、そうだっけ」、と阿母さんの奥様は想出したように私の方を向いて、「荷物がまだ其儘でしたっけね。今案内させますから、彼方へ行って荷物の始末でもなさい。雪江、お前一寸案内してお上げ。」  雪江さんが起ったから、私も起って其跟に随いて今度は椽側へ出た。雪江さんは私より脊が低い。ふッくりした束髪で、リボンの色は──彼は樺色というのか知ら。若い女の後姿というものは悪くないものだ。  椽側を後戻りして又玄関へ出ると、成程玄関脇に何だか一間ある。 「此処よ。」  と雪江さんが衝と其処へ入ったから、私も続いて中へ入った。奥様は明るいといったけれど、何だか薄暗い長四畳で、入るとブクッとして変な足応えだったから、先ず下を見ると、畳は茶褐色だ。西に明取りの小窓がある。雪江さんが其を明けて呉れたので、少し明るくなったから、尚お能く視廻すと、壁は元来何色だったか分らんが、今の所では濁黒い変な色で、一ヵ所壊れを取繕った痕が目立って黄ろい球を描いて、人魂のように尾を曳いている。無論一体に疵だらけで処々鉛筆の落書の痕を留めて、腰張の新聞紙の剥れた蔭から隠した大疵が窃と面を出している。天井を仰向いて視ると、彼方此方の雨漏りの暈したような染が化物めいた模様になって浮出していて、何だか気味の悪いような部屋だ。 「何時の間にか掃除したんだよ。それでも奇麗になったわ」、と雪江さんは部屋の中を視廻していたが、ふと片隅に積んであった私の荷物に目を留て、「貴方の荷物って是れ?」と、臆面もなく人の面を視る。  私は狼狽てて壁を視詰て、 「然うです。」 「机がないわねえ。私ン所に明いてるのが有るから、貸て上ましょうか?」 「なに、好いです明日買って来るから」、と矢張壁を視詰めた儘で。 「私要らないンだから、使っても好くってよ。」 「なに、好いです、買って来るから。」 「本当に好くってよ、然う遠慮しないでも。今持って来てよ」、と蝶の舞うように翻然と身を翻して、部屋を出て、姿は直ぐ見えなくなったが、其処らで若い華やかな声で、「其代り小さくッてよ」、というのが聞えて、軽い足音がパタパタと椽側を行く。  私は荷物の始末を忘れて、雪江さんの出て行った跡をうっかり見ていた。事に寄ると、口を開いていたかも知れぬ。           二十九  荷物を解いていると、雪江さんが果して机を持って来て呉れた。成程小さい──が、折角の志を無にするも何だから、借りて置く事にして、礼をいって窓下に据えると、雪江さんが、それよか入口の方が明るくッて好かろうという。入口では出入りの邪魔になると思ったけれど、折角の助言を聴かぬのも何だから、言う通りに据直すと、雪江さんが、矢張窓の下の方が好いという。で、矢張窓の下の方へ据えた。  早速私が書物を出して机の側に積むのを見て、雪江さんが、 「本箱も無かったわねえ。私ン所に二つ有るけど、皆塞がってて、貸して上げられないわ。」 「なに、買って来るから、好いです。」 「そんならね、晩に勧工場で買ってらッしゃいな。」 「え?」と私は聞直した、──勧工場というものは其時分まだ国には無かったから。 「小川町の勧工場で。」 「勧工場ッて?」 「あら、勧工場を知らないの? まあ! ……」  と雪江さんは吃驚した面をして、突然破裂したように笑い出した。娘というものは壺口をして、気取って、オホホと笑うものとばかり思ってる人は訂正なさい。雪江さんは娘だけれど、口を一杯に開いて、アハハアハハと笑うのだ。初め一寸仰向いて笑って、それから俯向いて、身を揉んで、胸を叩いて苦しがって笑うのだ。私は真紅になって黙っていた。  先刻取次に出た女は其後漸く下女と感付いたが、此時障子の蔭からヒョコリお亀のような笑顔を出して、 「何を其様に笑ってらッしゃるの?」 「だって……アハハハハ! ……古屋さんが……アハハハ! ……」 「あら、一寸、此方が如何かなすったの?」  無礼者奴がズカズカ部屋へ入って来た、而して雪江さんの笑いが止らないで、些とも要領を得ない癖に、訳も分らずに、一緒になってゲラゲラ笑う。  其時ガラガラという車の音が門前に止って、ガラッと門が開くと同時に、大きな声で、威勢よく、 「お帰りッ!」  形勢は頓に一変した。下女は急に真面目になって、雪江さんを棄てて置いて、急いで出て行く。  雪江さんもまだ可笑がりながら泪を拭き拭き、それでも大に落着いて後から出て行く。  主人の帰りとは私にも覚れたから、急いで起ち上って……窃そり窓から覗いて見た。  帰った人は丁度潜りを潜る所で、まず黒の山高帽がヌッと入って、続いて縞のズボンに靴の先がチラリと見えたかと思うと、渋紙色した髭面が勃然仰向いたから、急いで首を引込めたけれど、間に合わなかった。見附かッちゃッた。  お帰り遊ばせお帰り遊ばせ、と口々に喋々しく言う声が玄関でした。奥様──も何だか変だ、雪江さんの阿母さんの声で何か言うと、ふう、そうか、ふうふう、という声は主人に違いない。私の話に違いない。  悪い事をした、窓からなんぞ覗くんじゃなかったと、閉口している所へ下女が呼びに来て、愈閉口したが、仕方がない。どうせ志を立てて郷関を出た男児だ、人間到る処で極りの悪い想いする、と腹を据えて奥へ行って見ると、もう帰った人は和服に着易えて、曾て雪江さんの阿母さんが占領していた厚蒲団に坐っている。私は誰でも逢いつけぬ人に逢うと、屹度真紅になる癖がある。で、此時も真紅になって、一度国で逢った人だから、久濶といって例の通り倒さになると、先方は心持首を動かして、若し声に腰が有るなら、その腰と思う辺に力を入れて、「はい」という。父も母も宜しく申しましたというと、又「はい」という。何卒何分願いますというと、一段声を張揚げて、「はアい」という。           三十  晩餐になって、其晩だけは私も奥で馳走になった。花模様の丸ボヤの洋灯の下で、隅ではあったが、皆と一つ食卓に対い、若い雪江さんの罪の無い話を聴きながら、阿父さん阿母さんの莞爾々々した面を見て、賑かに食事して、私も何だか嬉しかったが……  軈て食事が済むと、阿父さんが又主人になって、私に対って徐々小むずかしい話を始めた。何でも物価高直の折柄、私の入る食料では到底も賄い切れぬけれど、外ならぬ阿父さんの達ての頼みであるに因って、不足の処は自分の方で如何にかする決心で、謂わば義侠心で引受けたのであれば、他の学資の十分な書生のように、悠長な考えでいてはならぬ、何でも苦学すると思って辛抱して、品行を慎むは勿論、勉強も人一倍するようにという話で、聴いていても面白くも変哲もない話だから、雪江さんは話半に小さな欠びを一つして、起って何処へか行って了った。私は少し本意なかったが、やがて奥まった処で琴の音がする。雪江さんに違いない。雪江さんはまだ習い初めだと見えて、琴の音色は何だかボコン、ボコン、ベコン、ボコンというように聞えて妙だったけれど、私は鳴物は大好だ。何時聴いても悪くないと思った。  で、遠音に雪江さんの琴を聴きながら、主人の勘定高い話を聴いていると、琴の音が食料に搦んだり、小遣に離れたりして、六円がボコン、三円でベコンというように聞えて、何だか変で、話も能く分らなかったが、分らぬ中に話は進んで、 「で、家も下女一人外使うて居らん。手不足じゃ。手不足の処で君の世話をするのじゃから、客扱いにはされん。そりゃ手紙で阿父さんにも能う言うて上げてあるから、君も心得てるじゃろうな?」 「は。」 「からして勉強の合間には、少し家事も手伝うて貰わんと困る。なに、手伝うというても、大した事じゃない。まあ、取次位のものじゃ。まだ何ぞ角ぞ他に頼む事も有ろうが、なに、皆大した事じゃない。行って貰えような?」 「は、何でも僕に出来ます事なら……」 「そ、そ、その僕が面白うない。君僕というのは同輩或は同輩以下に対うて言う言葉で、尊長者に対うて言うべき言葉でない、そんな事も注意して、僕といわずに私というて貰わんとな……」 「は……不知気が附きませんで……」 「それから、も一つ言うて置きたいのは我々の呼方じゃ。もう君の年配では伯父さん伯母さんでは可笑しい。これは東京の習慣通り、矢張私の事は先生と言うたら好かろう。先生、此方が御面会を願われます、先生、お使に行って参りましょう──一向可笑しゅうない。先生というて貰おう。」 「は、承知しました。」 「で、私を先生という日になると、勢い家内の事は奥さんと言わんと権衡が取れん。先生に対する奥さんじゃ。な、私が先生、家内が奥さん、──宜しいか?」 「は、承知しました。」  これで一通り訓戒が済んで、後は自慢話になった。先生も法律は晩学で、最初は如何にも辛かったが、その辛いのを辛抱したお蔭で、今日では内務の一等属、何とかの係長たることを得たのだという話を長々と聴かされて、私は痺が切れて、耐え切れなくなって、泣出しそうだった。  辛と放免されて、暗黒を手探りで長四畳へ帰って来ると、下女が薄暗い豆ランプを持って来て、お前さん床を敷ったら忘れずに消すのですよと、朋輩にでも言うように、粗率に言置いて行って了った。  国を出る時、此家の伯父さんの先生は、昔困っていた時、家で散々世話をして遣った人だから、悪いようにはして呉れまいと、父は言った。私も矢張其気で便って来たのだが、便って来てみれば事毎に案外で、ああ、何だか妙な気持ちがする。  私は家が恋しくなった……           三十一  私は翌日早速錦町の某私立法律学校へ入学の手続を済ませて、其処の生徒になって、珍らしい中は熱心に勉強もしたが、其中に段々怠り勝になった。それには種々原因もあるが、第一の原因は家の用が多いからで。  伯父さんの先生──私は口惜しいから斯ういう──伯父さんの先生は、用といっても大した事じゃないと言った。成程一命に関わるような大した事ではないが、併し其大した事でない用が間断なく有る。まず朝は下女と殆ど同時に覚されて、雨戸を明けさせられる。伯母さんの奥さんと分担で座敷の掃除をさせられる。其が済むと、今度は私一人の専任で庭から、玄関先から、門前から、勝手口まで掃かせられる。少しでも塵芥が残っていると、掃直しを命ぜられるから、丁寧に奇麗に掃かなきゃならん。是が中々の大役の上に、時々其処らの草むしり迄やらされて萎靡する事もある。  朝飯を済せて伯父さんの先生の出勤を見送って了うと、学校は午後だから、其迄は身体に一寸隙が出来る。其暇に自分の勉強をするのだが、其さえ時々急ぎの謄写物など吩咐って全潰になる。  夕方学校から帰ると、伯父さんの先生はもう疾うに役所から退けていて、私の帰りを待兼たように、後から後からと用を吩咐る。それ、郵便を出して来いの、やれ、お客に御飯を出すのだから、急いで仕出し屋へ走れのと、純台所用の外は、何にでも私を使う。時には何の用だか知れもせぬ用に、手紙を持たせられて、折柄の雨降にも用捨なく、遠方迄使いに遣られて、つくづく辛いと思った事もある。さもなくば内で取次だが、此奴が余所目には楽なようで、行って見ると中々楽でない。漸く刑法講義の一枚も読んだかと思うと、もう頼もうと来る。聞えん風も出来ぬから、渋々起って取次に出て、倒さになる。私のお辞儀は家内の物議を惹起して度々喧しく言われているけれど、面倒臭いから、構わず倒さになる。でも、相手が立派な商人か何かだと、取次栄がして好い。伯父さんの先生、其様な時には、ふうふうと二つ返事で、早速お通し申せと来る。上機嫌だ。其代り其様な客の帰る所を見ると、持って来た物は屹度持って帰らない。立派な髭の生えた人もまだ好い。そんなのに限って尊大振って、私が倒さになっても、首一つ動かさぬ代り、取次いでも小言を言われる気遣いはない。反て伯父さんの先生狼狽てて迎えに飛んで出る事もある。一番六かしいのは風体の余り立派でない人で、就中帽子を冠らぬ人は、之を取次ぐに大に警戒を要する。自筆の名刺か何かを出されて、之を持って奥へ行くと、伯父さんの先生名刺を一見するや、面を顰めて、居ると言ったかという。居るものを居ないと言われますか、と腹の中では議論を吹懸けながら、口へ出しては大人しく、はい、然う申しましたというと、チョッと舌打して、此様な者を取次ぐ奴が有るか、君は人の見別が出来んで困ると、小言を言って、居ないと言って返して了えという。私は脹れ面をして容易に起たない。すると、最終には渋々会いはするが、後で金を持てかれたといって、三日も沸々言ってる。  沸々言ったって関わないが、斯ういう処を傍から看たら、誰が眼にも私は立派な小狐家の書生だ。伯父さんの先生の畜生、自分からが其気で居ると見えて、或時人に対って家の書生がといっていた。既に相手方が右の始末だから、無理もない話だが、出入の者が皆矢張私を然う思って、書生扱にする。不平で不平で耐らないが、一々弁解もして居られんから、私は誠に拠どころなく不承々々に小狐家の書生にされて了って、而して月々食料を払っていた。  が、今となって考えて見ると、不平に思ったのは私が未だ若かったからだ。監督を頼まれたから、引受けて、序に書生にして使う、──これが即ち親切というもので、此の外に別に親切というものは、人間に無いのだ。有るかも知れんが、私は一寸見当らない。           三十二  体好く書生にされて私は忌々しくてならなかったが、しかし其でも小狐家を出て了う気にはならなかった。初の中は国元へも折々の便に不平を漏して遣ったが、其も後には弗と止めて了った。さればといって家での取扱いが変ったのではない。相変らず書生扱にされて、小ッ甚くコキ使われ、果は下女の担任であった靴磨きをも私の役に振替えられて了った。無論其時は私は憤激した。余程下宿しようかと思った、が、思ったばかりで、下宿もせんで、為せられる儘に靴磨きもして、而して国元へは其を隠して居た。少し妙なようだが、なに、妙でも何でもない。私は実は雪江さんに惚れていたので。  惚れては居たが、夫だから雪江さんを如何しようという気はなかった。其時分は私もまだ初心だったから、正直に女に惚れるのは男児の恥辱と心得ていた。女を弄ぶのは何故だか左程の罪悪とも思って居なかったが、苟も男児たる者が女なんぞに惚れて性根を失うなどと、そんな腐った、そんなやくざな根性で何が出来ると息巻いていた。が、口で息巻く程には心で思っていなかったから、自分もいつか其程に擯斥する恋に囚われて了ったのだが、流石に囚われたのを恥て、明かに然うと自認し得なかった気味がある。から、若其頃誰かが面と向って私に然うと注意したら、私は屹度、失敬な、惚なんぞするものか、と真紅になって怒ったに違いない。が、実は惚れたとも思わぬ中に、いつか自分にも内々で、こッそり、次序なく惚れて了っていたのだ。  惚れた証拠には、雪江さんが留守だと、何となく帰りが待たれる。家に居る時には心が藻脱けて雪江さんの身に添うてでも居るように、奥と玄関脇と離れていても、雪江さんが、今何の座敷で何をしているかは大抵分る。  雪江さんは宵ッ張だから、朝は大層眠たがる。阿母さんに度々起されて、しどけない寝衣姿で、脛の露わになるのも気にせず、眠そうな面をしてふらふらと部屋を出て来て、指の先で無理に眼を押開け、眶の裏を赤く反して見せて、「斯うして居ないと、附着いて了ってよ」、といって皆を笑わせる。  雪江さんは一ツ橋のさる学校へ通っていたから、朝飯を済ませると、急いで支度をして出て行く。髪は常も束髪だったが、履物は背が低いからッて、高い木履を好いて穿いていた。紫の包を抱えて、長い柄の蝙蝠傘を持って出て行く後姿が私は好くって堪らなかったから、いつも其時刻には何喰わぬ顔をして部屋の窓から外を見ていると、雪江さんは大抵は見られているとは気が附かずに、一寸お尻を撫でてから、髪を壊すまいと、低く屈んで徐と門を潜って出て行くが、時とすると潜る前にヒョイと後を振向いて私と顔を看合せる事がある。そうすると、雪江さんは奇麗な歯並をチラリと見せて、何の意味もなく莞爾する。私は疾から出そうな莞爾を顔の何処へか押込めて、強いて真面目を作っているのだから、雪江さんの笑顔に誘われると、耐え切れなくなって不覚矢張莞爾する。こうして莞爾に対するに莞爾を以てするのを一日の楽みにして、其をせぬ日は何となく物足りなく思っていた。いや、罪の無い話さ。           三十三  午後はいつも私が学校へ行った留守に、雪江さんが帰って来るので、掛違って逢わないが、雪江さんは帰ると、直ぐ琴のお稽古に近所のお師匠さんの処へ行く。私は一度何かで学校が早く終った時、態々廻道をして其前を通って見た事がある。三味線のお師匠さんと違って、琴のお師匠さんの家は格子戸作りでも、履脱に石もあって、何処か上品だ。入口に琴曲指南山勢門人何とかの何枝と優しい書風で書いた札が掛けてあった。窃と格子戸の中を覗いて見ると、赤い鼻緒や海老茶の鼻緒のすがった奇麗な駒下駄が三四足行儀よく並んだ中に、一足紫紺の鼻緒の可愛らしいのが片隅に遠慮して小さく脱棄ててある。之を見違えてなるものか、雪江さんのだ。大方駒下駄の主も奥の座敷に取繕ってチンと澄しているに違ないと思うと、そのチンと澄している処が一目なりと見たくなったが、生憎障子が閉切ってあるので、外からは見えない。唯琴の音がするばかりだ。稽古琴だから騒々しいばかりで趣は無いけれど、それでも琴は何処か床しい。雪江さんは近頃大分上手になったけれど、雪江さんではないようだ。大方まだ済ないンだろう、なぞと思いながら、うッかり覗いていたが、ふッと気が附くと、先刻から側で何処かの八ツばかりの男の児が、青洟を啜り啜り、不思議そうに私の面を瞻上げている。子供でも極りが悪くなって、匇々に其処の門口を離れて帰って来た事も有ったっけが……  夕方は何だか混雑して落着かぬ中にも、一寸好い事が一つある。ランプ掃除は下女の役だが、夕方之に火を点けて座敷々々へ配るのは私の役だ。其時だけは私は公然雪江さんの部屋へ入る権利がある。雪江さんの部屋は奥の四畳半で、便所の側だけれど、一寸小奇麗な好い部屋だ。本箱だの、机だの、ガラス戸の箱へ入た大きな人形だの、袋入りの琴だの、写真挟みだの、何だの角だの体裁よく列べてあって、留守の中は整然と片附いているけれど、帰って来ると、書物を出放しにしたり、毛糸の球を転がしたりして引散かす。何かに紛れてランプ配りが晩くなった時などは、もう夕闇が隅々へ行渡って薄暗くなった此の部屋の中に、机に茫然頬杖を杖いてる雪江さんの眼鼻の定かならぬ顔が、唯円々と微白く見える。何となく詩的だ。 「晩くなりました。」  とぶっきらぼうの私も雪江さんだけには言いつけぬお世辞も不覚出て、机の上の毛糸のランプ敷へ窃とランプを載せると 「いいえ、まだ要らないわ。」  雪江さんは屹度斯ういう。これが伯父さんの先生でも有ろうものなら、口を尖がらかして、「もッと手廻して早うせにゃ不好!」と来る所だ。大した相違だ。だから、家で人間らしいのは雪江さんばかりだと言うのだ。  其儘出て来るのが、何だか飽気なくて、 「今日貴嬢の琴のお師匠さんの前を通りました。一寸好い家ですね。」 「あら、そう」、と雪江さんがいう。心持首を傾げて、「何時頃?」 「そうさなあ……四時ごろでしたか。」 「じゃ、私の行ってた時だわねえ。」 「ええ」、と私は何だか極りが悪くなって俯向いて了う。  此話が発展したら、如何な面白い話になるのだか分らんのだけれど、其様な時に限って生憎と、茶の間辺で伯母さんの奥さんの意地悪が私を呼ぶ、 「古屋さん! 早くランプを……何を愚図々々してるンだろうねえ。」  残惜しいけれど、仕方がない。其切りで私は雪江さんの部屋を出て了う。           三十四  一番楽しみなのは日曜だ。それも天気だと、朝から客が立込んで私は目が眩る程忙しいし、雪江さんもお友達が遊びに来たり、お友達の処へ遊びに行ったりして、私の事なんぞ忘れているから、天気は糞だ。雨降りに限る。就中伯父さんの先生は何か余儀ない用事があって朝から留守、雪江さんは一日家、という雨降の日が一番好い。  其様な日には雪江さんは屹度思切て朝寝坊をして、私なんぞは徐々昼飯が恋しくなる時分に、漸う起きて来る。顔を洗って、御飯を喰べて、其から長いこと掛って髪を結う。結い了う頃は最う午砲だけれど、お昼はお腹が満くて食べられない。「私廃してよ」、という。  部屋で机の前で今日の新聞を一寸読む。大抵続物だけだ。それから編棒と毛糸の球を持出して、暫くは黙って切々と編物をしている。私が用が有って部屋の前でも通ると、「古屋さん、これ何になると思って?」と編掛けを翳して見せる。私が見たんじゃ、何だか円い変なお猪口のような物で、何になるのだか見当が附かないから、分らないというと、でも、まあ、当てて見ろという。熟考の上、「巾着でしょう?」というと、「いいえ」、と頭振を振る。巾着でないとすると、手袋には小さし、靴下でもなさそうだし、「ああ、分った! 匂袋だ」、と図星を言った積でいうと、雪江さんは吃驚して、「まあ、可厭だ! 匂袋だなんぞッて……其様な物は編物にゃなくッてよ。」匂袋でもないとすると、もう私には分らない。降参して了うと、雪江さんは莞爾ともしないで、「これ、人形の手袋。」  雪江さんは一つ事を何時迄もしているのは大嫌いだから、私がまだ自分の部屋の長四畳へ帰るか帰らぬ中に、もう編物を止めて琴を浚っている。近頃では最うポコンのベコンでも無くなった。斯うして聴いていると、如何しても琴に違いないと、感心して聴惚れていると、十分と経たぬ中に、ジャカジャカジャンと引掻廻すような音がして、其切パタリと、琴の音は止む……ともう茶の間で若い賑かな雪江さんの声が聞える。  忽ちドタドタドタと椽側を駈けて来る音がする。下女の松に違いない。後からパタパタと追蒐けて来るのは、雪江さんに極ってる。玄関で追付いて、何を如何するのだか、キャッキャッと騒ぐ。松が敵わなくなって、私の部屋の前を駈脱けて台所へ逃込む。雪江さんが後から追蒐けて行って、また台所で一騒動やる中に、ガラガラガチャンと何かが壊れる。阿母さんが茶の間から大きな声で叱ると、台所は急に火の消えたように闃寂となる。  私は、国に居る時分は、お向うのお芳ちゃん──子供の時分に能く飯事をして遊んだ、あのお芳ちゃんが好きだった。お芳ちゃんは小さい時には活溌な児だったが、大きくなるに随れて、大層落着いて品の好い娘になって、私は其様子が何となく好きだったが、雪江さんはお芳ちゃんとは正反対だ。が、雪江さんも悪くない、なぞと思いながら、茫然机に頬杖を突ている脊中を、誰だかワッといってドンと撞く。吃驚して振返ると、雪江さんがキャッキャッといいながら、逃げて行くしどけない後姿が見える。私は思わず莞爾となる。  莞爾となった儘で、尚お雪江さんの事を思続けて、果は思う事が人に知れぬから、好いようなものの、怪しからん事を内々思っていると、茶の間の椽側あたりで、オーという例の艶のある美い声が聞える。初は地声の少し大きい位の処から、段々に甲高に競上げて行って、糸のように細くなって、何かを突脱けて、遠い遠い何処かへ消えて行きそうになって、又段々競下って来て、果はパッと拡げたような太い声になって、余念がない。雪江さんが肉声の練習をしているのだ。           三十五  私は其時分吉田松陰崇拝であった。将来の自由党の名士を以って自任しているのなら、グラッドストンかコブデン、ブライトあたりに傾倒すべきだが、何如した機だったか、松陰先生に心酔して了って、書風まで力めて其人に似せ、窃に何回猛士とか僭して喜んでいた迄は罪がないが、困った事には、斯うなると世間に余り偉い人が無くなる。誰を見ても、先ず松陰先生を差向けて見ると、一人として手応のある人物はない。皆一溜りもなく敗亡する。それを松陰先生の後に隠れて見ていると、相手は松陰先生に負るので、私に負るのではないが、何となく私が勝ったような気がして、大臣が何だ、皆門下生じゃないか。自由党の名士だって左程偉くもない。況や学校の先生なんぞは只の学者だ、皆降らない、なぞと鼻息を荒くして、独りで威張っていた。私なぞの理想はいつも人に迷惑を懸ける許りで、一向自分の足になった事がないが、側から見たら嘸苦々しい事であったろう。兎も角もこうして松陰先生大の崇拝で、留魂録は暗誦していた程だったが、しかし此松陰崇拝が、不思議な事には、些とも雪江さんを想う邪魔にならなかったから、其時分私の眼中は天下唯松陰先生と雪江さんと有るのみだった。  で、いつも学校の帰りには此二人の事を考え考え帰るのだが、或日──たしか土曜日だったかと思う、土曜日は学校も早仕舞なので、三時頃にそうして二人の事を考えながら帰って見ると、主人夫婦はいつも茶の間だのに、其日は茶の間に居ない。書斎かと思って書斎へ行こうとすると、椽側の尽頭の雪江さんの部屋で、雪江さんの声で、 「誰?」  という。私は思わず立止って、 「私です。」 「古屋さん?」  という声と共に、部屋の障子が颯と開いて、雪江さんが面だけ出して、 「今日は皆留守よ。」 「え?」と私は耳が信ぜられなかった。 「阿父さんも阿母さんもね、先刻出懸けてよ。」 「そうですか」、と何気なく言ったが、内々は何だか急に嬉しくなって来て、 「松は?」 「松はお湯へ行って未だ帰って来ないの。」 「じゃ、貴嬢お一人?」 「ええ……一寸入らッしゃいよ、此処へ。好い物があるから。」  と手招をする。斯うなると、松陰先生崇拝の私もガタガタと震い出した。           三十六  前にも断って置いた通り、私は曾て真劒に雪江さんを如何かしようと思った事はない。それは決して無い。度々怪しからん事を想って、人知れず其を楽しんで居たのは事実だけれど、勧業債券を買った人が当籤せぬ先から胸算用をする格で、ほんの妄想だ。が、誰も居ぬ留守に、一寸入らッしゃいよ、と手招ぎされて、驚破こそと思う拍子に、自然と体の震い出したのは、即ち武者震いだ。千載一遇の好機会、逸してなるものか、というような気になって、必死になって武者震いを喰止めて、何喰わぬ顔をして、呼ばれる儘に雪江さんの部屋の前へ行くと、屈んでいた雪江さんが、其時勃然面を挙げた。見ると、何だか口一杯頬張っていて、私の面を見て何だか言う。言う事は能く解らなかったが、側に焼芋が山程盆に載っていたから、夫で察して、礼を言って、一寸躊躇したが、思切って中へ入って了った。  雪江さんはお薩が大好物だった。私は好物ではないが、何故だか年中空腹を感じているから、食後だって十切位はしてやる男だが、此時ばかりは芋どころでなかった。切に勧められるけれど、難有う難有うとばかり言ってて、手を出さなかった。何だかもう赫となって、夢中で、何だか霧にでも包まれたような心持で、是から先は如何なる事やら、方角が分らなくなったから、彷徨していると、 「貴方は遠慮深いのねえ。男ッて然う遠慮するもンじゃなくッてよ。」  と何にも知らぬ雪江さんが焼芋の盆を突付ける。私は今其処どころじゃないのだが、手を出さぬ訳にも行かなくなって手を出すと、生憎手先がぶるぶると震えやがる。 「如何して其様に震えるの?」  と雪江さんが不審そうに面を視る。私は愈狼狽して、又真紅になって、何だか訳の分らぬ事を口の中で言って、周章てて頬張ると、 「あら、皮ごと喰べて……皮は取った方が好いわ。」 「なに、構わんです」、と仕方が無いから、皮ぐるみムシャムシャ喰りながら、「何は……何処へ入らしッたンです?」 「吉田さんへ」、と雪江さんは皮を剥く手を止めて、「私些とも知らなかったけど、今晩が春子さんのお輿入なんですって。そら、媒人でしょう家は? だから、阿父さんも阿母さんも早めに行ってないと不好って、先刻出て行ったのよ。」  これで漸く合点が行ったが、それよりも爰に一寸吹聴して置かなきゃならん事がある。私は是より先春色梅暦という書物を読んだ。一体小説が好きで、国に居る時分から軍記物や仇討物は耽読していたが、まだ人情本という面白い物の有ることを知らなかった。これの知り初めが即ち此春色梅暦で、神田に下宿している友達の処から、松陰伝と一緒に借りて来て始て読んだが、非常に面白かった。此梅暦に拠ると、斯ういう場合に男の言うべき文句がある。何でも貴嬢は浦山敷思わないかとか、何とか、ヒョイと軽く戯談を言って水を向けるのだ。思切って私も一つ言って見ようか知ら……と思ったが、何だか、どうも……ソノ極りが悪い。 「大変立派なお支度よ。何でもね、箪笥が四棹行くンですって。それからね、まだ長持だの、挟箱だの……」  ああ、もう駄目だ。長持や挟箱の話になっちゃ大事去った、と後悔しても最う追付かない。雪江さんは、何処が面白いのだか、その長持や挟箱の話に夢中になって了って、其から其と話し続けて、盛返したくも盛返す隙がない。仕方が無いから、今に又機会も有ろうと、雪江さんの話は浮の空に聞いて、只管其機会を待っていると、忽ちガラッと障子が開いて、 「あら、おたのしみ! ……」  吃驚して振反ると、下女の松めが何時戻ったのか、見ともない面を罅裂そうに莞爾つかせて立ってやがる。私は余程飛蒐って横面をグワンと殴曲げてやろうかと思った。腹が立って腹が立って……           三十七  千載一遇の好機会も松に邪魔を入れられて滅茶々々になって了ったが、松が交って二つ三つ話をしている中に、間もなく夕方になった。夕方は用が有るから、三人ばらばらになって、私はランプ配りやら、戸締りやら、一切り立働いて、例の通り部屋で晩飯を済すと、また身体に暇が出来た。雪江さんは一番先に御飯を食べて、部屋へ籠った儘音沙汰がない。唯松ばかり後仕舞で忙しそうで、台所で器物を洗う水の音がボシャボシャと私の部屋へ迄聞える。  私は部屋で独りランプを眺めて徒然としているようで、心は中々忙しかった。婚礼に呼ばれて行ったとすると、主人夫婦の帰るのには未だ間が有る。帰らぬ中に今一度雪江さんと差向いになりたい。差向いになって何をするのだか、それは私にも未だ極らないが、兎に角差向いになりたい、是非なりたい、何か雪江さんの部屋へ行く口実はないか、口実は……と藻掻くけれど、生憎口実が看附からない。うずうずして独りで焦心ていると、ふと椽側にバタリバタリと足音がする。其足音が玄関へ来る。確かに雪江さんだ。部屋の前を通越して台所へ行くか、それとも万一障子が開くかと、成行を待つ間の一分に心の臓を縮めていると、驚破、障子がガタガタと……開きかけて、グッと支えたのを其儘にして、雪江さんが隙間から覗込みながら、 「勉強?」  と一寸首を傾げた。これが何を聞く時でも雪江さんの為る癖で、看慣れては居るけれど、私は常も可愛らしいと思う。不断着だけれど、荒い縞の着物に飛白の羽織を着て、華美な帯を締めて、障子に掴まって斜に立った姿も何となく目に留まる。  ああ求むる者に与えられたのだ。神よ……といいたいような気になって、無論莞爾々々となって、 「いいえ……まあ、お入ンなさい。」 「じゃ、私話して入くわ。奥は一人で淋しいから。」  珍客々々! 之を優待せん法はない。よ、よ、と雪江さんが掛声をして障子を明けようとするけれど、開かないのを、私は飛んで行って力任せにウンと引開けた。何だか領元からぞくぞくする程嬉しい。  生憎と火鉢は私の部屋には無かったけれど、今迄敷いていた赤ゲットを、四ツに畳んだのを中央へ持出して、其でも裏反しにして勧めると、遠慮するのか、それとも小汚いと思ったのか、敷いて呉れないから、私は黙って部屋を飛出した。雪江さんは後で定めて吃驚していたろうが、私は雪江さんの部屋へ座布団を取りに行ったので、是だけは我ながら一生の出来だったと思う。  席が出来ると、雪江さんが、 「貴方、御飯が食べられて? 私何ぼ何でも喰べられなかったわ、余り先刻詰込んだもんだから。」  と微笑する。何時見ても奇麗な歯並だ。  私も矢張り莞爾して、 「私も食べられませんでした……」  大嘘! 実は平生の通り五杯喰べたので。  雪江さんは国産れでも東京育ちだから、 「……にもお芋があって?」 「有りますとも。」 「じゃ、帰っても不自由はないわねえ。」  と又微笑する。  私も高笑いをした。雪江さんの言草が可笑かったばかりじゃない。実は胸に余る嬉しさやら、何やら角やら取交ぜて高笑いしたのだ。  それから国の話になって、国の女学生は如何な風をしているの、英語は何位の程度だの、洋楽は流行るかのと、雪江さんは其様な事ばかり気にして聞く。私は大事の用を控えているのだ。其処じゃないけれど、仕方がないから相手になっていると、チョッ、また松の畜生が邪魔に来やがった。           三十八  松が来て私はうんざりして了ったが、雪江さんは反って差向の時よりはずみ出して、果は松の方へ膝を向けて了って、松ばかりを相手に話をする。私は居るか居ないか分らんようになって了った。初は少からず不平に思ったが、しかし雪江さんを観ているのには、反て此方が都合が好い。で、母屋を貸切って、庇で満足して、雪江さんの白いふッくりした面を飽かず眺めて、二人の話を聴いていると、松も能く饒舌るが、雪江さんも中々負ていない。話は詰らん事ばかりで、今度開店した小間物屋は安売だけれど品が悪いの、お湯屋のお神さんのお腹がまた大きくなって来月が臨月だの、八百屋の猫が児を五疋生んで二疋喰べて了ったそうだのと、要するに愚にも附かん話ばかりだが、しかし雪江さんの様子が好い。物を言う時には絶えず首を揺かす、其度にリボンが飄々と一緒に揺く。時々は手真似もする。今朝結った束髪がもう大分乱れて、後毛が頬を撫でるのを蒼蠅そうに掻上げる手附も好い。其様な時には彼は友禅メリンスというものだか、縮緬だか、私には分らないが、何でも赤い模様や黄ろい形が雑然と附いた華美な襦袢の袖口から、少し紅味を帯びた、白い、滑こそうな、柔かそうな腕が、時とすると二の腕まで露われて、も少し持上げたら腋の下が見えそうだと、気を揉んでいる中に、又旧の位置に戻って了う。雪江さんは処女だけれど、乳の処がふッくりと持上っている。大方乳首なんぞは薄赤くなってるばかりで、有るか無いか分るまい……なぞと思いながら、雪江さんの面ばかり見ていると、いつしか私は現実を離れて、恍惚となって、雪江さんが何だか私の……妻でもない、情人でもない……何だか斯う其様なような者に思われて、兎に角私の物のように思われて、今は斯うして松という他人を交ぜて話をしているけれど、今に時刻が来れば、二人一緒に斯う奥まった座敷へ行く。と、もう其処に床が敷ってある。夜具も郡内か何かだ。私が着物を脱ぐと、雪江さんが後からフワリと寝衣を着せて呉れる。今晩は寒いわねえとか雪江さんがいう。む、む、寒いなあとか私も言って、急いで帯をグルグルと巻いて床へ潜り込む。雪江さんが私の脱棄を畳んでいる。其様な事は好加減にして早く来て寝なと私がいう。あいといって雪江さんが私の面を見て微笑する…… 「ねえ、古屋さん、然うだわねえ?」  と雪江さんが此方を向いたので、私は吃驚して眼の覚めたような心持になった。何でも何か私の同意を求めているのに違いないから、何だか仔細は分らないけれど、 「そうですとも……」  と跋を合わせる。 「そら、御覧な。」  と雪江さんは又松の方を向いて、又話に夢中になる。  私はホッと溜息をする。今の続きを其儘にして了うのは惜しい。もう一度幻想でも何でも構わんから、もう一度、今の続きを考えて見たいと思うけれど、もう気が散って其心持になれない。仕方がないから、黙って話を聴いている中に、又いつしか恍惚と腑が脱けたようになって、雪江さんの面が右を向けば、私の面も右を向く。雪江さんの面が左を向けば、私の面も左を向く。上を向けば、上を向く、下を向けば下を向く……           三十九  パタリと話が休んだ。雪江さんも黙って了う、松も黙って了う。何処でか遠方で犬の啼声が聞える。所謂天使が通ったのだ。雪江さんは欠びをしながら、序に伸もして、 「もう何時だろう?」 「まだ早いです、まだ……」  と私が狼狽てて無理に早い事にして了う心を松は察しないで、 「もう九時過ぎたでしょうよ。」 「阿父さんも阿母さんも遅いのねえ。何を為てるンだろう?」  と又欠びをして、「ああああ、古屋さんの勉強の邪魔しちゃッた。私もう奥へ行くわ。」  私が些とも邪魔な事はないといって止めたけれど、最う斯うなっては留らない、雪江さんは出て行って了う。松も出て行く。私一人になって了った。詰らない……  ふと雪江さんの座蒲団が眼に入る……之れを見ると、何だか捜していた物が看附ったような気がして、卒然引浚って、急いで起上って雪江さんの跡を追った。  茶の間の先の暗い処で雪江さんに追付いた。 「なあに? ……」  と雪江さんの吃驚したような声がして、大方振向いたのだろう、面の輪廓だけが微白く暗中に見えた。 「貴嬢の座布団を持って来たのです。」 「あ、そうだッけ。忘れちゃッた。爰へ頂戴」、と手を出したようだった。  私は狼狽てて座布団を後へ匿して、 「好いです、私が持ってくから。」 「あら、何故?」 「何故でも……好いです……」 「そう……」  と何だか変に思った様子だったが、雪江さんは又暗中を動き出す。暗黒で能くは分らないけれど、其姿が見えるようだ。私も跡から探足で行く。何だか気が焦る。今だ、今だ、と頭の何処かで喚く声がする。如何か為なきゃならんような気がして、むずむずするけれど、何だか可怕くて如何も出来ない。咽喉が乾いて引付きそうで、思わずグビリと堅唾を呑んだ……と、段々明るくなって、雪江さんの姿が瞭然明るみに浮出す。もう雪江さんの部屋の前へ来て、雪江さんの姿は衝と障子の中へ入って了った。  其を見ると、私は萎靡した。惜しいような気のする一方で、何故だか、まず好かったと安心した気味もあった。で、続いて中へ入って、持って来た座布団を机の前に敷いて、其処を退くと、雪江さんは礼を言いながら、入替わって机の前に坐って、 「遊んでらっしゃいな。」  と私の面を瞻上げた。ええとか、何とかいって踟蹰している私の姿を、雪江さんはジロジロ視ていたが、 「まあ、貴方は此地へ来てから、余程大きくなったのねえ。今じゃ私とは屹度一尺から違ってよ。」 「まさか……」 「あら……屹度違うわ。一寸然うしてらッしゃいよ……」  といいながら、衝と起ったから、何を為るのかと思ったら、ツカツカと私の前へ来て直と向合った。前髪が顋に触れそうだ。紛と好い匂が鼻を衝く。 「ね、ほら、一尺は違うでしょう?」と愛度気ない白い面が何気なく下から瞻上げる。  私はわなわなと震い出した。目が見えなくなった。胸の鼓動は脳へまで響く。息が逸んで、足が竦んで、もう凝として居られない。抱付くか、逃出すか、二つ一つだ。で、私は後の方針を執って、物をも言わず卒然雪江さんの部屋を逃出して了った……           四十  何故彼時私は雪江さんの部屋を逃出したのだというと、非常に怕ろしかったからだ。何が怕ろしかったのか分らないが、唯何がなしに非常に怕ろしかったのだ。  生死の間に一線を劃して、人は之を越えるのを畏れる。必ずしも死を忌むからではない。死は止むを得ぬと観念しても、唯此一線が怕ろしくて越えられんのだ。私の逃出したのが矢張それだ。女を知らぬ前と知った後との分界線を俗に皮切りという。私は性慾に駆られて此線の手前迄来て、これさえ越えれば望む所の性慾の満足を得られると思いながら、此線が怕ろしくて越えられなかったのだ。越えたくなくて越えなかったのではなくて、越えたくても越えられなかったのだ。其後幾年か経って再び之を越えんとした時にも矢張怕ろしかったが、其時は酒の力を藉りて、半狂気になって、漸く此怕ろしい線を踏越した。踏越してから酔が醒めると何とも言えぬ厭な心持になったから、又酒の力を藉りて強いて纔に其不愉快を忘れていた。此様な厭な想いをして迄も性慾を満足させたかったのだ。是は相手が正当でなかったから、即ち売女であったからかというに、そうでない。相手は正当の新婦と相知る場合にも、人は大抵皆然うだと云う。殊に婦人が然うだという。何故だろう?  之と縁のある事で今一つ分らぬ事がある。人は皆隠れてエデンの果を食って、人前では是を語ることさえ恥る。私の様に斯うして之を筆にして憚らぬのは余程力むから出来るのだ。何故だろう? 人に言われんような事なら、為んが好いじゃないか? 敢てするなら、誰の前も憚らず言うが好いじゃないか? 敢てしながら恥るとは矛盾でないか? 矛盾だけれど、矛盾と思う者も無いではないか? 如何いう訳だ?  之を霊肉の衝突というか? しからば、霊肉一致したら、如何なる? 男女相知るのを怕ろしいとも恥かしいとも思わなくなるのか? 畜生と同じ心持になるのか?  トルストイは北方の哲人だと云う。此哲人は如何な事を言っている。クロイツェル、ソナタの跋に、理想の完全に実行し得べきは真の理想でない。完全に実行し得られねばこそ理想だ。不犯は基督教の理想である。故に完全に実行の出来ぬは止むを得ぬ、唯基督教徒は之を理想として終生追求すべきである、と言って、世間の夫婦には成るべく兄妹の如く暮らせと勧めている。  何の事だ? 些とも分らん。完全を求めて得られんなら、悶死すべきでないか? 不犯が理想で、女房を貰って、子を生ませていたら、普通の堕落に輪を掛た堕落だ。加之も一旦貰った女房は去るなと言うでないか? 女房を持つのが堕落なら、何故一念発起して赤の他人になッ了えといわぬ。一生離れるなとは如何いう理由だ? 分らんじゃないか?  今食う米が無くて、ひもじい腹を抱て考え込む私達だ。そんな伊勢屋の隠居が心学に凝り固まったような、そんな暢気な事を言って生きちゃいられん!           四十一  其後間もなく雪江さんのお婿さんが極った。お婿さんが極ると、私は何だか雪江さんに欺かれたような心持がして、口惜しくて耐らなかったから、国では大不承知であったけれど、口実を設けて体よく小狐の家を出て下宿して了った。  馬鹿な事には下宿してから、雪江さんが万一鬱いでいぬかと思って、態々様子を見に行った事が二三度ある。が、雪江さんはいつも一向鬱いで居なかった。反ッてお婿さんが極って怡々しているようだった。それで私も愈忌々しくなって、もう余り小狐へも足踏せぬ中に、伯父さんが去る地方の郡長に転じて、家族を引纏めて赴任して了ったので、私も終に雪江さんの事を忘れて了った。これでお終局だ。  余り平凡だ下らない。こんなのは単純な性慾の発動というもので、恋ではない、恋はも少と高尚な精神的の物だと、高尚な精神的の人は言うかも知れん。然うかも知れん。唯私のような平凡な者の恋はいつも斯うだ。先ず無意識或は有意識に性慾が動いて満足を求めるから、理性や趣味性が動いて其相手を定めて、始めて其処に恋が成立する。初から性慾の動かぬ場合に恋はない。異性でも親兄弟に恋をせぬのは其為だ。青年の時分には、性慾が猛烈に動くから、往々理性や趣味性の手を待たんで、自分と盲動して撞着った者を直相手にする。私の雪江さんに於けるが、即ち殆ど其だ。私共の恋の本体はいつも性慾だ。性慾は高尚な物ではない、が、下劣な物とも思えん。中性だ、インヂフェレントの物だ。私共の恋の下劣に見えるのは、下劣な人格が反映するので、本体の性慾が下劣であるのではない。  で、私の性慾は雪江さんに恋せぬ前から動いていた。から、些とも不思議でも何でもないが、雪江さんという相手を失った後も、私の恋は依然として胸に残っていた。唯相手のない恋で、相手を失って彷徨している恋で、其本体は矢張り満足を求めて得ぬ性慾だ。露骨に言って了えば、誠に愛想の尽きた話だが、此猛烈な性慾の満足を求むるのは、其時分の私の生存の目的の──全部とはいわぬが、過半であった。  これは私ばかりでない、私の友人は大抵皆然うであったから、皆此頃からポツポツ所謂「遊び」を始めた。私も若し学資に余裕が有ったら、矢張「遊」んだかも知れん。唯学資に余裕がなかったのと、神経質で思切った乱暴が出来なかったのとで、遊びたくも遊び得なかった。  友人達は盛に「遊」ぶ、乱暴に無分別に「遊」ぶ。其を観ていると、羨ましい。が、弱い性質の癖に極めて負惜しみだったから、私は一向羨ましそうな顔もしなかった。年長の友人が誘っても私が応ぜぬので、調戯に、私は一人で堕落して居るのだろうというような事を言った。恥かしい次第だが、推測通りであったので、私は赫となった。血相を変えて、激論を始めて、果は殴合までして、遂に其友人とは絶交して了った。  斯うして友人と喧嘩迄して見れば、意地としても最う「遊」ばれない。で、不本意ながら謹直家になって、而して何ともえたいの知れぬ、謂れのない煩悶に囚われていた。           四十二  ああ、今日は又頭がふらふらする。此様な日にゃ碌な物は書けまいが、一日抜くも残念だ。向鉢巻でやッつけろ!  で、私は性慾の満足を求めても得られなかったので、煩悶していた。何となく世の中が悲観されてならん。友人等は「遊」ぶ時には大に「遊」んで、勉強する時には大に勉強して、何の苦もなく、面白そうに、元気よく日を送っている。それを観ていると、私は癪に触って耐らない。私の煩悶して苦むのは何となく友人等の所為のように思われる。で、責めてもの腹慰せに、薄志の弱行のと口を極めて友人等の公然の堕落を罵って、而して私は独り超然として、内々で堕落していた。若し友人等の堕落が陽性なら、私の堕落は陰性だった。友人等の堕落が露骨で、率直で、男らしいなら、私の堕落は……ああ、何と言おう? 人間の言葉で言いようがない。私は畜生だった……  が、こっそり一人で堕落するのは余り没趣味で、どうも夫では趣味性が満足せぬ。どうも矢張異性の相手が欲しい。が、其相手は一寸得られぬので、止むを得ず当分文学で其不足を補っていた。文学ならば人聴も好い。これなら左程銭も入らぬ。私は文学を女の代りにして、文学を以って堕落を潤色していたのだ。  私の謂う文学は無論美文学の事だ、殊に小説だ。小説は一体如何いうものだか、知らん、唯私の眼に映ずる小説は人間の堕落を潤色するものだ。通人の話に、道楽の初は唯色を漁する、膏肓に入ると、段々贅沢になって、唯色を漁するのでは面白くなくなる、惚れたとか腫れたとか、情合で異性と絡んで、唯の漁色に趣を添えたくなると云う。其処だ、其処が即ち文学の需要の起る所以だ。少くも私は然うであった。で、此目的で、最初は小狐に居た頃喰付いた人情本を引続き耽読してみたが、数を累ねると、段々贅沢になって、もう人情本も鼻に附く。同じ性慾の発展の描写でも、も少し趣味のある描写を味わってみたい。そこで、種々と小説本を渉猟して、終に当代の大家の作に及んで見ると、流石は明治の小説家だ、性慾の発展の描写が巧に人生観などで潤色されてあって、趣味がある、面白い。斯ういう順序で私の想像で堕落する病は益膏肓に入って、終には西洋へ迄手を出して、ヂッケンスだ、サッカレーだ、ゾラだ、ユゴーだ、ツルゲーネフだ、トルストイだ、という人達の手を藉りて、人並にしていれば、中性のインヂフェレントの性慾を無理に不自然な病的の物にして、クラフトエービングやフォレールの著書中に散見するような色情狂に想像で成済まして、而して独り高尚がっていた。  いや、独り高尚がっていたのでない。それには同気相求めて友が幾人も出来た。同県人で予備門から後文科へ入った男が有ったが、私は殊に其感化を受けた。ああ、皆自分が悪かったので、人を怨んでは済まないが、私は今でも此男に逢うと、何とも言えぬ厭な心持になる。儘になるなら刺違えて死で了いたく思う事もある。           四十三  私が感化を受けた友というのは私より一つ二つ年上であった。文学が専門だから、文学書は私より余計読でいたという丈で、何でもない事だが、それを私は大層偉いように思っていた。まだファウストを読まぬ時、ファウストの話を聴される。なに、友は愚にも附ん事を言っているのだが、其愚にも附かん事を、人生だ、智慾だ、煩悶だ、肉だ、堕落だ、解脱だ、というような意味の有り気な言葉で勿体を附て話されると、何だか難有くなって来て、之を語る友は偉いと思った。こんな馬鹿気た話はない。友は唯私より少し早くファウストという古本を読だ丈の事だ。読んで分った所で、ファウストが何程の物だ? 技巧の妙を除いたら、果してどれ程の価値がある? 況や友はあやふやな語学の力で分らん処を飛ばし飛ばし読んだのだ。読んで幼稚な頭で面白いと感じた丈だ、それも聞怯して、従頭面白いに極めて掛って、半分は雷同で面白いと感じた丈だ。読んで十分に味わい得た所で、どうせ人間の作った物だ、左程の物でもあるまいに、それを此様な読方をして、難有がって、偶之を読まぬ者を何程劣等の人間かのように見下し、得意になって語る友も友なら、其を聴いて敬服する私も私だ。心ある人から観たら、嘸ぞ苦々しく思われたろう。  此友から私は文学の難有い訳を種々と説き聴かされた。今ではもう大抵忘れて了ったけれど、何でも文学は真理に新しい形を賦して其生命を直接に具体的に再現するものだ、とか聴かされて、感服した。自然の真相は普通人に分らぬ、詩人が其主観を透して描いて示すに及んで、始めて普通人にも朧気に分って人間の宝となる、とか聴かされて、又感服した。恋には人間の真髄が動く、とか聴かされて、又感服した。其他まだ種々聴かされて一々感服したが、此様な事は皆愚言だ、世迷言だ。空想に生命を託して人生を傍観するばかりで、古本と首引して瞑想するばかりで、人生に生命を託して人生と共に浮沈上下せんでも、人生の活機に触れんでも、活眼を以て活勢を機微の間に察し得んでも、如何かして人生が分るものとしても、友のいうような其様な文学は、何処かで誰かが空想した文学で、文学の実際でない。文学の実際は人間の堕落を潤色して、懦弱な人間を更に懦弱にするばかりだ。私の観方は偏しているというか? 唯弊を見て利を見ぬというか? しかし利よりも弊の勝ったのが即ち文学の実際ではないか? 私の観方より文学の実際が既に弊に偏しているではないか?  ああ、しかし、文学を責めるより、友を責めるより、自ら責めた方が当っていよう。私のような斗筲な者は、例えば聖賢の遺書を読んでも、矢張害を受けるかも知れん。私は自然だ人生だと口には言っていたけれど、唯書物で其様な言葉を覚えただけで、意味が能く分っているのではなかった。意味も分らぬ言葉を弄んで、いや、言葉に弄ばれて、可惜浮世を夢にして渡った。詩人と名が附きゃ、皆普通の人より勝ってるように思っていた。小説、殊に輸入小説には人生の真相が活字の面に浮いているように思っていた。西洋の詩人は皆東洋の詩人に勝るように思っていた。作の新旧を論じて其価値を定めていた。自分は此様な下らん真似をしていながら、他の額に汗して着実の浮世を渡る人達が偶文壇の事情に通ぜぬと、直ぐ俗物と罵り、俗衆と罵って、独り自ら高しとしていた。独り自ら高しとする一方で、想像で姦淫して、一人で堕落していた。  ああ、恥かしくて顔が熱る。何たる苦々しい事であった。私は当時の事を想い出す度に、人通りの多い十字街に土下座して、通る人毎に、踏んで、蹴て、唾を吐懸けて貰い度ような心持になる……           四十四  文学の毒に中られた者は必ず終に自分も指を文学に染めねば止まぬ。私達が即ち然うであった。先ず友が何か下らぬ物を書いて私に誇示した。すると私も直ぐ卑しい負ぬ気を出して短篇を書いた。どうせ碌な物ではない。筋はもう忘れて了ったが、何でも自分を主人公にして、雪江さんが相手の女主人公で、紛紜した挙句に幾度となく姦淫するのを、あやふやな理想や人生観で紛らかして、高尚めかしてすじり捩った物であったように記憶する。自惚は天性だから、書上げると、先ず自分と自分に満足して、これなら当代の老大家の作に比しても左して遜色は有るまい、友に示せたら必ず驚くと思って、示せたら、友は驚かなかった。好い処もあるが、もう一息だと言う様なことをいう。私は非常に不平だった。が、局量の狭い者に限って、人の美を成すを喜ばぬ。人を褒れば自分の器量が下るとでも思うのか、人の為た事には必ず非難を附けたがる、非難を附けてその非難を附けたのに必ず感服させたがる。友には其癖があったから、私は友の評を一概に其癖の言わせる事にして了って、実に卑劣な奴だと思った。  何とかして友に鼻を明させて遣りたい。それには此短篇を何処かの雑誌へ載せるに限ると思った。雑誌へ載せれば、私の名も世に出る、万一したら金も獲られる、一挙両得だというような、愚劣な者の常として、何事も自分に都合の好い様にばかり考えるから、其様な虫の好い事を思って、友には内々で種々と奔走して見たが、如何しても文学の雑誌に手蔓がない。其中に或人が其は既に文壇で名を成した誰かに知己になって、其人の手を経て持込むが好いと教えて呉れたので、成程と思って、早速手蔓を求めて某大家の門を叩いた。  某大家は其頃評判の小説家であったから、立派な邸宅を構えていようとも思わなかったが、定めて瀟洒な家に住って閑雅な生活をしているだろうと思って、根岸の其宅を尋ねて見ると、案外見すぼらしい家で、文壇で有名な大家のこれが住居とは如何しても思われなかった。家も見窄らしかったが、主人も襟垢の附た、近く寄ったら悪臭い匂が紛としそうな、銘仙か何かの衣服で、銀縁眼鏡で、汚い髯の処斑に生えた、土気色をした、一寸見れば病人のような、陰気な、くすんだ人で、ねちねちとした弁で、面を看合せると急いで俯向いて了う癖がある。通されたのは二階の六畳の書斎であったが、庭を瞰下すと、庭には樹から樹へ紐を渡して襁褓が幕のように列べて乾してあって、下座敷で赤児のピイピイ泣く声が手に取るように聞える。  私は甚く軽蔑の念を起した。殊に庭の襁褓が主人の人格を七分方下げるように思ったが、求むる所があって来たのだから、質樸な風をして、誰も言うような世辞を交ぜて、此人の近作を読んで非常に敬服して教えを乞いに来たようにいうと、先生畳を凝と視詰めて、あれは咄嗟の作で、書懸ると親類に不幸が有ったものだから、とかいうような申訳めいた事を言って、言外に、落着いて書いたら、という余意を含める。私は腹の中で下らん奴だと思ったが、感服した顔をして媚びたような事を言うと、先生万更厭な心持もせぬと見えて、稍調子付いて来て、夫から種々文学上の事に就いて話して呉れた。流石は大家と謂われる人程あって、驚くべき博覧で、而も一家の見識を十分に具えていて、ムッツリした人と思いの外、話が面白い。後進の私達は何の点に於ても敬服しなければならん筈であるが、それでも私は尚お軽蔑の念を去る事が出来なかった。で、終局に只ほんの看て貰えば好いように言って、雑誌へ周旋を頼む事は噫にも出さないで、持って行った短篇を置いて、下宿へ帰って来てから、又下らん奴だと思った。           四十五  某大家は兎に角大家だ。私は青二才だ。何故私は此人を軽蔑したのか? 襟垢の附いた着物を着ていたとて、庭に襁褓が乾してあったとて、平生名利の外に超然たるを高しとする私の眼中に、貧富の差は無い筈である。が、私は実際先生の貧乏臭いのを看て、軽蔑の念を起したのだ。矛盾だ。矛盾ではあるが、矛盾が私の一生だ。  医者の不養生という。平生思想を性命として、思想に役せられている人に限って、思想が薄弱で正可の時の用に立たない。私の思想が矢張り其だった。  けれど、思想々々と大層らしく言うけれど、私の思想が一体何んだ? 大抵は平生親しむ書巻の中から拾って来た、謂わば古手の思想だ。此蒼褪めた生気のない古手の思想が、意識の表面で凝って髣髴として別天地を拓いている処を見ると、理想だ、人生観だというような種々の観念が美しい空想の色彩を帯びて其中に浮游していて、腹が減いた、銭が欲しいという現実界に比べれば、逈に美しいように見える。浮気な不真面目な私は直ぐ好い処を看附けたという気になって、此別天地へ入り込んで、其処から現実界を眺めて罵しっていたのだ。我存在の中心を古手の思想に託して、夫で自ら高しとしていたのだ。が、私の別天地は譬えば塗盆へ吹懸けた息気のような物だ。現実界に触れて実感を得ると、他愛もなく剥げて了う、剥げて木地が露われる。古手の思想は木地を飾っても、木地を蝕する力に乏しい。木地に食入って吾を磨くのは実感だのに、私は第一現実を軽蔑していたから、その実感を得る場合が少く、偶得た実感も其取扱を誤っていたから、木地の吾を磨く足にならなかった。従って何程古手の思想を積んで見ても、木地の吾は矢張故のふやけた、秩序のない、陋劣な吾であった。  こうして別天地と木地の吾とは別々であったから、別天地に遊んでいる時と、吾に戻った時とは、勢い矛盾する。言行は始終一致しない。某大家に対しても、未だ会わぬ中は多少の敬意を有っていたけれど、一たび其人の土気色した顔が見え、襟垢が見え、襁褓が見えて想像中の人が現実の人となると、木地の吾が、貧乏だから下らんと、別天地では流行せぬ論法で論断して之を軽蔑して了ったのだ。  唯当時私はまだ若かったから、陋劣な吾にしても、私の吾には尚お多少の活気が有って、多少の活機を捉え得た。文壇の大家になると、古手の思想が凝固まって、其人の吾は之に圧倒せられ、纔に残喘を保っているようなのが幾らもある。斯ういう人が、現実に触れると、気の毒な程他愛の無い人になる。某大家が即ち其であった。だから、人生を論じ、自然を説いて、微を拆き、幽を闡く頭はあっても、目前で青二才の私が軽蔑しているのが、先生には終に見えなかったのだ。           四十六  二三日して行って見ると、先生も友と同じ様に、好い処も有るが、もう一息だというような事を言う。嘘だ。好い処も何も有るのじゃない。不出来だと直言が出来なくて斯う言ったのだ。先生も目が見えん人だが、私も矢張自分の事だと目が見えんから、其を真に受けて、書直して持って行くと、先生が気の毒そうに趣向をも少し変えて見ろと云う。言う通りに趣向をも少し変えて持って行くと、もう先生も仕方がない、不承々々に、是で好いと云う。なに、是で好い事は些も無いのだが、先生は気が弱くて、もう然う然うは突戻し兼たのだ。先生に曰わせると、之を後進に対する同情だという。何の同情の事が有るものか! 少しでも同情が有るなら、頭から叱付けて、文学などに断念させるが好いのだ。是が同情なら、同情は「煑え切らん」の別名だ。どうせ思想に囚われて活機の分らぬ人の為る事だから、お飾の思想を一枚剥れば、下からいつも此様な愛想の尽きた物が出て来るに不思議はないが、此方も此方だ、其様な事は少しも見えない。本当に是で好い事だと思って、其言葉の尾に縋って、何処かの雑誌へ周旋をと頼んだ。こんなのを盲目の紛れ当りと謂うのだろう。機を制せられて、先生も仕方がなさそうに是も受込む。私達の応対は活きた人には側で聴いていられたものであるまい。  一月程して私の処女作は或雑誌へ出た。初恋が霜げて物にならなかった事を書いたのだからとて、題は初霜だ。雪江さんの記念に雪江と署名した。先生が筆を加えて私の文は行方不明になった処も大分あったが、兎も角も自分の作が活字になったのが嬉しくて嬉しくて耐らない。雑誌社から送って来るのを待ちかねて、近所の雑誌店へ駆付けて、買って来て、何遍か繰返して読んでも読んでも読飽かなかった。真面目な人なら、此処らで自分の愚劣を悟る所だろうが、私は反て自惚れて、此分で行けば行々は日本の文壇を震駭させる事も出来ようかと思った。  聊かながら稿料も貰えたから、二三の友を招いて、近所の牛肉店で祝宴を開いて、其晩遂に「遊び」に行った。其時案外不愉快であったのは曾て記した通り。皆嬉しさの余りに前後を忘却したので。  これが私の小説を書く病付きで又「遊び」の皮切であったが、それも是も縁の無い事ではない。私の身では思想の皮一枚剥れば、下は文心即淫心だ。だから、些とも不思議はないが、同時に両方に夢中になってる中に、学校を除籍された。なに、月謝の滞りが原因だったから、復籍するに造作はなかったが、私は考えた、「寧その事小説家になって了おう。法律を学んで望み通り政治家になれたって、仕方がない。政治家になって可惜一生を物質的文明に献げて了うより、小説家になって精神的文明に貢献した方が高尚だ。其方が好い……」どうも仕方がない。活眼を開いて人生の活相を観得なかった私が、例の古手の旧式の思想に捕われて、斯う思ったのは仕方がないが、夫にしても、同じ思想に捕われるにしても、も少し捕えられ方が有りそうなものだった。物心一如と其様な印度臭い思想に捕われろではないが、所謂物質的文明は今世紀の人を支配する精神の発動だと、何故思れなかったろう? 物質界と表裏して詩人や哲学者が顧みぬ精神界が別にあると、何故思れなかったろう? 人間の意識の表面に浮だ別天地の精神界と違って、此精神界は着実で、有力で、吾々の生存に大関係があって、政治家は即ち此精神界を相手に仕事をするものだと、何故思われなかったろう? 此道理をも考えて、其上で去就を決したのなら、真面目な決心とも謂えようが……ああ、しかし、何の道思想に捕われては仕方がない。私は思想で、自ら欺いて、其様な浅墓な事を思っていたが、思想に上らぬ実際の私は全く別の事を思っていた。如何な事を思っていたかは、私の言う事では分らない、是から追々為る事で分る。           四十七  私は其時始て文士になろうと決心した、トサ後には人にも話していたけれど、事実でない。私は生来未だ曾て決心をした事の無い男だ。いつも形勢が既に定って動かすべからずなって、其形勢に制せられて始て決心するのだから、学校を除籍せられたばかりでは、未だ決心が出来なかった。唯下宿に臥転んでグズリグズリとして文士に為りそうになっていたのだ。  始めて決心したのは、如何してか不始末が国へ知れて父から驚いた手紙の来た時であった。行懸りで愚図々々はしていられなくなったから、始めて斯うと決心して事実を言って同意を求めてやると、父からは怒った手紙が来る、母からは泣いた手紙が来る。親達が失望して情ながる面は手紙の上に浮いて見えるけれど、こうなると妙に剛情になって、因襲の陋見に囚われている年寄の白髪頭を冷笑していた。親戚の某が用事が有って上京した序に、私を連れて帰ろうとしたが、私は頑として動かなかった。そこで学資の仕送りは絶えた。  こうなるは最初から知れていながら、私は弱った。仕方がないから、例の某大家に縋って書生に置いて貰おうとすると、先生は相変らずグズリグズリと煮切らなかったが、奥さんが飽迄不承知で、先生を差措いて、御自分の口から断然断られた。私は案外だった。頼めば二つ返事で引受けて呉れるとばかり思っていたから、親戚の者が連れて行こうとした時にも、言わでもの広言迄吐いて拒んだのだが、こう断られて見ると、何だか先生夫婦に欺かれたような気がして、腹が立って耐らなかった。世間の人は皆私の為に生きているような気でいたからだ。  もう斯うなっては、仕方がない、書けても書けんでも、筆で命を繋ぐより外仕方がない。食うと食わぬの境になると、私でも必死になる。必死になって書いて書いて書捲って、その度に、悪感情は抱いていたけれど、仕方がないから、某大家の所へ持って行って、筆を加えて貰った上に、売って迄貰っていた。其が為には都合上門人とも称していた。然うして一二年苦しんでいる中に、どうやら曲りなりにも一本立が出来るようになると、急に此前奥さんに断られた時の無念を想出して、夫からは根岸のお宅へも無沙汰になった。もう先生に余り用はない。先生は或は感情を害したかも知れないが、先生が感情を害したからって、世間が一緒になって感情を害しはすまいし……と思ったのではない、決して左様な軽薄な事は思わなかったが、私の行為を後から見ると、詰り然う思ったと同然になっている。  先生には用が無くなったが、文壇には用が有るから、私は広く交際した。大抵の雑誌には一人や二人の知己が出来た。こうして交際を広くして置くと、私の作が出た時に、其知己が余り酷くは評して呉れぬ。無論感服などする者は一人もない。私などに感服しては見識に関わる。何かしら瑕疵を見付けて、其で自分の見識を示した上で、しかし、まあ、可なりの作だと云う。褒る時には屹度然う云う。私は局量が狭いから、批評家等が誰も許しもせぬのに、作家よりも一段上座に坐り込んで、其処から曖昧な鑑識で軽率に人の苦心の作を評して、此方の鑑定に間違いはない、其通り思うて居れ、と言わぬばかりの高慢の面付が癪に触って耐らなかったが、其を彼此言うと、局量が狭いと言われる。成程其は事実だけれど、そう言われるのが厭だから、始終黙って憤っていた。其癖批評家の言う所で流行の趨く所を察して、勉めて其に後れぬようにと心掛けていた……いや、心掛けていたのではない、其様な不見識な事は私の尤も擯斥する所だったが、後から私の行為を見ると矢張然う心掛けたと同然になっている。           四十八  久らく文壇を彷徨している中に、当り作が漸く一つ出来た。批評家等は筆を揃えて皆近年の佳作だと云う。私は書いた時には左程にも思わなかったが、然う言われて見ると、成程佳作だ。或は佳作以上で、傑作かも知れん。私は不断紛々たる世間の批評以外に超然としている面色をしていて、実は非難されると、非常に腹が立って、少しでも褒められると、非常に嬉しかったのだ。  当り作が出てからは、黙っていても、雑誌社から頼みに来る、書肆から頼みに来る。私は引張凧だ……トサ感じたので、なに、二三軒からの申込が一時一寸累なったのに過ぎなかった。  嬉しかったので、調子に乗って又書くと、又評判が好い。斯うなると、世間の注目は私一身に叢まっているような気がして、何だか嬉しくて嬉しくて耐らないが、一方に於ては此評判を墜しては大変という心配も起って来た。で、平生は眼中に置かぬらしく言っていた批判家等に褒られたいが一杯で、愈文学に熱中して、明けても暮れても文学の事ばかり言い暮らし、眼中唯文学あるのみで、文学の外には何物もなかった。人生あっての文学ではなくて、文学あっての人生のような心持で、文学界以外の人生には殆ど何の注意も払わなかった。如何なる国家の大事が有っても、左程胸に響かなかった代り、文壇で鼠がゴトリというと、大地震の如く其を感じて騒ぎ立てた。之を又真摯の態度だとかいって感服する同臭味の人が広い世間には無いでもなかったので、私は老人がお宗旨に凝るように、愈文学に凝固まって、政治が何だ、其日送りの遣繰仕事じゃないか? 文学は人間の永久の仕事だ。吾々は其高尚な永久の仕事に従う天の選民だと、其日を離れて永久が別に有りでもするような事を言って、傲然として一世を睥睨していた。  文学上では私は写実主義を執っていた。それも研究の結果写実主義を是として写実主義を執たのではなくて、私の性格では勢い写実主義に傾かざるを得なかったのだ。  写実主義については一寸今の自然主義に近い見解を持って、此様な事を言っていた。  写実主義は現実を如実に描写するものではない。如実に描写すれば写真になって了う。現実の(真とは言わなかった)真味を如実に描写するものである。詳しく言えば、作家のサブジェクチウィチー即ち主観に摂取し得た現実の真味を如実に再現するものである。  人生に目的ありや、帰趨ありや? 其様な事は人間に分るものでない。智の力で人生の意義を掴まんとする者は狂せずんば、自殺するに終る。唯人生の味なら、人間に味える。味っても味っても味い尽せぬ。又味わえば味わう程味が出る。旨い。苦中にも至味はある。其至味を味わい得ぬ時、人は自殺する。人生の味いは無限だけれど、之を味わう人の能力には限りがある。  唯人は皆同じ様に人生の味を味わうとは言えぬ。能く料理を味わう者を料理通という。能く人生を味わう者を芸術家という。料理通は料理人でない如く、能く人生を味わう芸術家は能く人生を経理せんでも差支えはない。  道徳は人生を経理するに必要だろうけれど、人生の真味を味わう助にはならぬ。芸術と道徳とは竟に没交渉である。  是が私の見解であった。浅薄はさて置いて、此様な事を言って、始終言葉に転ぜられていたから、私は却て普通人よりも人生を観得なかったのである。           四十九  私の文学上の意見も大業だが、文学については先あ其様な他愛のない事を思って、浮れる積もなく浮れていた。で、私の意見のようにすると、味わるるものは人生で、味わうものは作家の主観であるから、作家の主観の精粗に由て人生を味わう程度に深浅の別が生ずる。是に於て作家は如何しても其主観を修養しなければならん事になる。  私は行々は大文豪になりたいが一生の願だから、大に人生に触れて主観の修養をしなければならん。が、漠然人生に触れるの主観を修養するのと言ってる中は、意味が能く分っているようでも、愈実行する段になると、一寸まごつく。何から何如手を着けて好いか分らない。政治や実業は人生の一現象でも有ろうけれど、其様な物に大した味はない筈である。といって教育でもないし、文壇は始終触れているし、まあ、社会現象が一番面白そうだ。面白いというのは其処に人生の味が濃かに味わわれる謂である。社会現象の中でも就中男女の関係が最も面白そうだが、其面白味を十分に味わおうとするには、自分で実験しなければならん。それには一寸相手に困る。人の恋をするのを傍観するのは、宛も人が天麩羅を喰ってるのを観て其味を想像するようなものではあるけれど、実験の出来ぬ中は傍観して満足するより外仕方がない。が、新聞の記事では輪廓だけで内容が分らない。内容を知るには、恋する男女の間に割込んで、親しく其恋を観察するに限るが、恋する男女が其処らに落こちても居ない。すると、当分まず恋の可能を持っている若い男女を観察して満足して居なければならん。が、若い男を観察したって詰らない。若い男の心持なら、自分でも大抵分る。恋の可能を持っている若い女の観察が当面の急務だ。と、こう考え詰めて見ると、私の人生研究は詰り若い女の研究に帰着する。  で、帰着点は分ったが、矢張実行が困難だ。若い女を研究するといって、往来に衝立っていて通る女に一々触れもされん。勢い私の手の届く所から研究に着手する外はない。が、私の手の届く所だと、まず下宿屋のお神さんや下女になる。下宿屋のお神さんは大抵年を喰ってる。若いお神さんはうッかり触れると危険だ。剰す所は下女だが、下女ではどうも喰い足りない。忙がしそうにしている所を捉まえて、一つ二つ物を言うと、もう何番さんかでお手が鳴る。ヘーイと尻上りに大きな声で返事をして、跡をも閉めずにドタドタと座敷を駈出して行くのでは、余り没趣味だ。下女が没趣味だとすると、私の身分ではもう売女に触れて研究する外はないが、これも大店は金が掛り過るから、小店で満足しなければならん。が、小店だと、相手が越後の国蒲原郡何村の産の鼻ひしゃげか何かで、私等が国さでと、未だ国訛が取れないのになる。往々にして下女にも劣る。尤も是は少し他に用事も有ったから、其用事を兼ねて私は絶えず触れていたが、どうしても、どう考えて見ても、是では喰い足らん。どうも素人の面白い女に撞着って見たい。今なら直ぐ女学生という所だが、其時分は其様な者に容易に接近されなかったから、私は非常に煩悶していた。  馬鹿なッ! 其様な事を言って、私は女房が欲しくなったのだ。           五十  人生の研究というような高尚な事でも、私なぞの手に掛ると、詰り若い女に撞着りたいなぞという愚劣な事になって了う。普通の人なら青年の中は愚を意識して随分愚な真似もしようけれど、私は其を意識しなかった。矢張私共でなければ出来ぬ高尚な事のように思って、切に若い女に撞着りたがっている中に、望む所の若い女が遂に向うから来て撞着った。  それは小石川の伝通院脇の下宿に居る時であった。此下宿は体裁は余り好くなかったが、それでも所謂高等下宿で、学生は大学生が一人だったか、二人だったか、居たかと思う。余は皆小官吏や下級の会社員ばかりで、皆朝から弁当を持って出懸けて、午後は四時過でなければ帰って来ぬ連中だから昼の中は家内が寂然とする程静かだった。  私は此家で一番上等にしてある二階の八畳の部屋を占領していた。なに、一番上等といっても、元来下宿屋に建てた家だから、建前は粗末なもので、動もすると障子が乾反って開閉に困難するような安普請ではあったが、形の如く床の間もあって、年中鉄舟先生やら誰やらの半折物が掛けてあって、花活に花の絶えたことがない……というと結構らしいが、其代り真夏にも寒菊が活てあったりする。造花なのだ。これは他の部屋も大同小異だったが、唯た一つ他の部屋にはなくて、此部屋ばかりにある、謂わば此部屋の特色を成す物があった。それは姿見で、唐草模様の浮出した紫檀贋いの縁の、対うと四角な面も長方形になる、勧工場仕込の安物ではあったけれど、兎も角も是が上等室の標象として恭しく床の間に据えてあった。下にもまだ八畳が一間あったが、其処には姿見がなかった。同じような部屋でありながら、間代が其処より此処の方が三割方高かったのは、半分は此姿見の為だったかとも思われる。  部屋は此通り余り好くはなかったが、取得は南向で、冬暖かで夏涼しかった。其に一番尽頭の部屋で階子段にも遠かったから、他の客が通り掛りに横目で部屋の中を睨んで行く憂いはなかった。  も一つ好い事は──部屋の事ではないが、此家は下宿料の取立が寛大だった。亭主は居るか居ないか分らんような人で、お神さん一人で繰廻しているようだったが、快活で、腹の大きい人で、少し居馴染んだ者には、一月二月下宿料が滞っても、宜しゅうございます、御都合の好い時で、といってビリビリしない。収入の不定な私には是が何よりだったから、私は二年越此家に下宿して居た。  或日朝から出て昼過に帰ると、帳場に看慣れぬ女が居る。後向だったから、顔は分らなかったが、根下りの銀杏返しで、黒縮緬だか何だかの小さな紋の附いた羽織を着て、ベタリと坐ってる後姿が何となく好かったが、私がお神さんと物を言ってる間、其女は振向いても見ないで、黙って彼方向いて烟草を喫っていた。  部屋へ来る跡から下女が火を持って来たから、捉まえて聞くと、今朝殆ど私と入違いに尋ねて来たのだそうで、何でもお神さんの身寄だとかで、車で手荷物なぞも持って来たから、地方の人らしいと云う。唯其切で、下女の事だから要領を得ない。 「如何な女だい?」 「あら、今御覧なすったじゃ有りませんか?」 「後向きで分らなかった。」 「別品ですよ」、といって下女は莞爾々々している。 「丸顔かい?」 「いいえ、細面でね……」 「色は如何なだい? 白いかい?」  下女は黙って私の面を見ていたが、 「大層お気が揉めますのね。何なら、もう一遍下へ行って見ていらしッたら……」  誰にでも翻弄されると、途方に暮れる私だから、拠どころなく苦笑として黙って了うと、下女は高笑して出て行って了った。           五十一  軈て夕飯時になった。部屋々々へ膳を運ぶ忙がしそうな足音が廊下に轟いて、何番さんがお急ぎですよ、なぞと二階から金切声で聒しく喚く中を、バタバタと急足に二人ばかり来る女の足音が私の部屋の前で止ると、 「此方が一番さんで、夫から二番さん三番さんと順になるンですから何卒……」  というのは聞慣れた小女の声で、然う言棄てて例の通り端手なくバタバタと引返して行く。  と、跡に残った一人が障子の外に蹲まった気配で、スルスルと障子が開いたから、見ると、彼女だ、彼女に違いない。私は急いで余所を向いて了ったから、能くは、分らなかったが、何でも下女の話の通り細面で、蒼白い、淋しい面相の、好い女だ……と思った。年頃は二十五六……それとも七か……いや、八か……女の歳は私には薩張分らない。もう羽織はなしで、紬だか銘仙だか、夫とも更と好い物だか、其も薩張分らなかったが、何しても半襟の掛った柔か物で、前垂を締めて居たようだった。障子を明けると、上目でチラと私の面を見て、一寸手を突いて辞儀をしてから、障子の影の膳を取上て、臆した体もなくスルスルと内へ入って来て、「どうもお待せ申しまして」、といいながら、狼狽している私の前へ据えた手先を見ると、華奢な蒼白い手で、薬指に燦と光っていたのは本物のゴールド、リングと見た。正可鍍金じゃ有るまい、飯櫃も運び込んでから、 「お湯はございますか知ら。」  と火鉢の薬鑵を一寸取って見て、 「まだ御座いますようですね。じゃ、お後にしましょう。御緩くりと……」  と会釈して、スッと起った所を見ると、スラリとした後姿だ。ああ、好い風だ、と思っている中に、もう部屋を出て了って、一寸小腰を屈めて、跡を閉めて、バタバタと廊下を行く。  別段異った事もない。小娘でないから、少しは物慣れた処もあったろうが、其は当然だ。風に一寸垢脱のした処が有ったかも知れぬが、夫とても浮気男の眼を惹く位の価値で大した女ではなかったのに、私は非常に感服して了った。尤も私の不断接している女は、厭にお澄しだったり、厭に馴々しかったりして、一見して如何にも安ッぽい女ばかりだったから、然ういうのを看慣れた眼には少しは異って見えたには違いない。  何物だろうと考えて見たが、分らない。或は黒人上りかとも思ってみたが、下町育ちは山の手の人とは違う。此処のお神さんも下町育ちだと云う。そういえば、何処か様子に似た処もある。或は下町育ちかも知れぬとも思った。  素性は分らないが、兎に角面白そうな女だから、此様なのを味わったら、女の真味が分るかも知れん。今に膳を下げに来たら、今度こそは勇気を振起して物を言って見よう、私のように黙って居ては、何時迄経っても接近は出来ん、なぞと思っていると、隣室で女の笑い声がする。下女の声ではない。今のに違いない。隣の俗物め、もう捉まえて戯言でも言ってると見える。           五十二  其晩膳を下げに来るかと心待に待っていたら、其には下女が来て、女は顔を見せなかった。翌朝は女が膳を運んで来たが、卒となると何となく気怯れがして、今は忙しそうだから、昼の手隙の時にしよう、という気になる。で、言うべき文句迄拵えて、掻くようにして昼を待っていると、昼が来て、成程手隙だから、他の者は遊んでいて小女が膳を運んで来る。  三四日経った。いつも女の助けるのは朝晩の忙がしい時だけで、昼は顔も出さない。考えて見ると、奉公人でないから其筈だが、私は失望した。顔は度々合せるから漸く分ったが、能く見ると、雀斑が有って、生際に少し難が有る。髪も更少し濃かったらと思われたが、併し何となく締りのあるキリッとした面相で、私は矢張好いと思った。名はお糸といってお神さんの姪だとか云う。皆下女からの復聞だ。  何とかして一日も早く接近したいが、如何も顔を合せると、物が言えなくなる。昼間廊下で行逢った時など、女は小腰を屈めて会釈するような、せんような、曖昧な態度で摺脱けて行く。其様な時に接近したがってる事は色にも出さずに、ヒョイと、軽く、些と話に入らッしゃい、とか何とか言ったら、最終には来るようになるかも知れんとは思うけれど、然う思うばかりで、私の口は重たくて、ヒョイと、軽く、其様な事が言えない。  度々面を合せても物を言わんから、段々何だか妙に隔てが出来て来て、改めて物を言うのが最う変になって来る。此分だと、余程何か変った事が、例えば、火事とか大地震とかがあって、人心の常軌を逸する場合でないと、隔ての関を破って接近されなくなりそうだ。ああ、初て部屋へ来た時、何故私は物を言わなかったろうと、千悔万悔、それこそ臍を噬むけれど、追付かない。然るに、私は接近が出来ないで此様なに煩悶しているのに、隣の俗物は苦もなく日増しに女に親しむ様子で、物を言交す五分間がいつか十分二十分になる。何だか知らんが、睦まじそうに密々話をしているような事もある。一度なんぞ女に脊中を叩かれて俗物が莞爾々々している所を見懸けた。私は気が気でない……  藻掻いていると、確か女が来てから一週間目だったかと思う、朝からのビショビショ降りが昼過ても未だ止まない事があった。鬱陶敷て、気が滅入って、幾ら書いても思う様に書けないから、私はホッとして、頭を抱えて、仰向に倒れて茫然としていたが、 「早く如何かせんと不好!」  と判然と独言をいって起反った。独言は小説に関係した事ではないので、女の事なので。  すると、余り遠くでない、去迚近くでもない何処かで、ポツンポツンと意気な音がする。隣の家で能く琴を浚っているが、三味線を弾いてた事はない。それに隣にしては近過ぎる。家には弾く者は無い筈だが……と耳を澄していると、軈て歌い出す声は如何しても家だ。例のに違いない。  私は起上ってブラリと廊下へ出た。           五十三  廊下へ出て耳を澄して見たが、三味線は聞えても、矢張歌が能く聞えない。が、愈例のに違いないから、私は意を決して裏梯子を降りて、大廻りをして、窃そり台所近くへ来て見ると、誰も居ない。皆其隣の家の者の住居にしてある座敷に塊まっているらしい。好い塩梅だと、私は椽側に佇立んで、庭を眺めている風で、歌に耳を傾けていた。  好い声だ。たッぷりと余裕のある声ではないが、透徹るように清い、何処かに冷たい処のあるような、というと水のようだが、水のように淡くはない、シンミリとした何とも言えぬ旨味のある声だ。力を入れると、凛と響く。脱くと、スウと細く、果は藕の糸のようになって、此世を離れて暗い無限へ消えて行きそうになる時の儚さ便りなさは、聴いている身も一緒に消えて行きそうで、早く何とかして貰いたいような、もうもう耐らぬ心持になると、消えかけた声が又急に盛返して来て、遂にパッと明るみへ出たような気丈夫な声になる。好い声だ。節廻しも巧だが、声を転がす処に何とも言えぬ妙味がある。ズッと張揚げた声を急に落して、一転二転三転と急転して、何かを潜って来たように、パッと又浮上るその面白さは……なぞと生意気をいうけれど、一体新内をやってるのだか、清元をやってるのだか、私は夢中だった。  俗曲は分らない。が、分らなくても、私は大好きだ。新内でも、清元でも、上手の歌うのを聴いていると、何だか斯う国民の精粋とでもいうような物が、髣髴として意気な声や微妙な節廻しの上に顕われて、吾心の底に潜む何かに触れて、何かが想い出されて、何とも言えぬ懐かしい心持になる。私は之を日本国民の二千年来此生を味うて得た所のものが、間接の思想の形式に由らず、直に人の肉声に乗って、無形の儘で人心に来り逼るのだとか言って、分明な事を不分明にして其処に深い意味を認めていたから、今お糸さんの歌うのを聴いても、何だか其様なように思われて、人生の粋な味や意気な味がお糸さんの声に乗って、私の耳から心に染込んで、生命の髄に触れて、全存在を撼がされるような気がする。  お糸さんの顔は椽側からは見えないけれど屹度少しボッと上気して、薄目を開いて、恍惚として我か人かの境を迷いつつ、歌っているに違いない。所謂神来の興が中に動いて、歌に現を脱かしているのは歌う声に魂の入っているので分る。恐らくもう側でお神さんや下女の聴いてることも忘れているだろう。お糸さんは最う人間のお糸さんでない。人間のお糸さんは何処へか行って了って、体に俗曲の精霊が宿っている、而してお糸さんの美音を透して直接に人間と交渉している。お糸さんは今俗曲の巫女である、薩満である。平生のお糸さんは知らず、此瞬間のお糸さんはお糸さん以上である、いや、人間以上で神に近い人である。  斯う思うと、時としては斯うして人間を離れて芸術の神境に出入し得るお糸さんは尋常の人間でないように思われる。お糸さんの人と為りは知らないが、歌に於て三味線に於てお糸さんは確に一個の芸術家である、事に寄ると、芸術家と自覚せぬ芸術家である。要するに、俗物でない。  私も不肖ながら芸術家の端くれと信ずる。お糸さんの人となりは知らないでも、芸術家の心は唯芸術家のみ能く之を知る。此下宿に客多しと雖も、能くお糸さんを知る者は私の外にあるまい。私の心を解し得る者も、お糸さんの外には無い筈である……と思うと、まだ碌に物を言た事もないお糸さんだけれど、何だかお糸さんが生れぬ前からの友のように思われて、私は……ああ、私は……           五十四  私の下宿ではいつも朝飯が済んで下宿人が皆出払った跡で、緩くり掃除や雑巾掛をする事になっていた。お糸さんは奉公人でないから雑巾掛には関係しなかったが、掃除だけは手伝っていたので、いつも其時分になると、お掃除致しましょうと言っては私の部屋へ来る。私は内々其を心待にしていて、来ると急いで部屋を出て椽側を彷徨く。彷徨きながら、見ぬ振をして横目でチョイチョイ見ていると、お糸さんが赤い襷に白地の手拭を姉様冠りという甲斐々々しい出立で、私の机や本箱へパタパタと払塵を掛けている。其を此方から見て居ると、お糸さんが何だか斯う私の何かのような気がして、嬉しくなって、斯うした処も悪くないなと思う。  ところが、お糸さんが三味線を弾いた翌朝の事であった。万事が常よりも不手廻りで、掃除にもいつも来るお糸さんが来ないで、小女が代りに来たから、私は不平に思って、如何したのだと詰るようにいうと、今日はお竹どんが病気で寝ているので、受持なんぞの事を言っていられないのだと云う。其なら仕方が無いようなものだけれど、小女のは掃除するのじゃなくて、埃をほだてて行くのだから、私が叱り付けてやったら、小女は何だか沸々言って出て行った。  暫くして用を達しに行こうと思って、ヒョイと私が部屋を出ると、何時来たのか、お糸さんがツイ其処で、着物の裾をクルッと捲った下から、華美な長襦袢だか腰巻だかを出し掛けて、倒さになって切々と雑巾掛けをしていた。私の足音に振向いて、お邪魔様といって、身を開いて通して呉れて、お糸さんは何とも思っていぬ様だったが、私は何だか気の毒らしくて、急いで二階を降りて了った。  用を達してから出て来て見ると、手水鉢に水が無い。小女は居ないかと視廻す向うへお糸さんが、もう雑巾掛も済んだのか、バケツを提げてやって来たが、ト見ると、直ぐ気が附いて、 「おや、そうだッけ……只今直ぐ持って参りますよ。」  と駈出して行って、台所から手桶を提げて来て、 「お待遠様。」  とザッと水を覆ける時、何処の部屋から仕掛けたベルだか、帳場で気短に消魂しくチリリリリリンと鳴る。  お神さんが台所から面を出して、 「誰も居ないのかい? 十番さんで先刻からお呼なさるじゃないか。」 「へい、只今……」  とお糸さんが矢張下女並の返事をして、 「お三どん新参で大狼狽……」  と私の面を見て微笑しながら、一寸滑稽た手附をしたが、其儘所体崩して駈出して、表梯子をトントントンと上って行く。  私が手を洗って二階へ上って見たら、お糸さんは既う裾を卸したり、襷を外したりして、整然とした常の姿になって、突当りの部屋の前で膝を突いて、何か用を聴いていた。  私は部屋へ帰って来て感服して了った。お糸さんは歌が旨い、三味線も旨い、女ながらも立派な一個の芸術家だ。その芸術家が今日は如何だろう? お竹が病気なら仕方がないようなものの、全で下女同様に追使われている。下女同様に追使われて、慣れぬ雑巾掛までさせられた上に、無理な小言を言われても、格別厭な面もせずに、何とか言ったッけ? 然う然う、お三どん新参で大狼狽といって微笑……偉い! 余程気の練れた者でなければ、如彼は行かぬ。これがお竹ででも有ろうものなら、直ぐ見たくでもない面を膨らして、沸々口小言を言う所だ。それを常談事にして了って、お三どん新参で大狼狽といって微笑……偉い!           五十五  感服の余り、私は何とかして此自覚せぬ芸術家に敬意を表したいと思ったが、併し奉公人同様に金など包んでは出されない、何でも品物を呈するに限ると、何故だか独りで極めて掛って、惨澹たる苦心の末、雪江一代の智慧を絞り尽して、其翌日の昼過ぎ本郷の一友人を尋ねて、嘘八百を陳べ立て、其細君を誘かして半襟を二掛見立てて買って来て貰った。値段の処も私にしては一寸奮んだ積だった。  早く之をお糸さんに呈して其喜ぶ顔を見たいと、此処らは未来の大文豪も俗物と余り違わぬ心持になって、何だか切りに嬉しがって、莞爾して下宿へ帰ったのは丁度夕飯時分だったが、火を持って来たのは小女、膳を運んで来たのはお竹どんで、お糸さんは笑声が余所の部屋でするけれど、顔も見せない、私は何となく本意なかった。  待侘びて独りで焦れていると、軈て目差すお糸さんが膳を下げに来たから、此処ぞと思って、極りが悪かったが、思切って例の品を呈した。大に喜ぶかと思いの外、お糸さんは左して色を動かさず、軽く礼を言って、一寸包みを戴いて、膳と一緒に持って行って了った。唯其切で、何だか余り飽気なかった。  何時間経ったか、久らくすると、部屋の障子がスッと開いた。振向いて見ると、思いがけずお糸さんが入口に蹲まって、両手を突いて、先刻の礼を又言ってお辞儀をする。私は何となく嬉しかった。お床を延べましょうかというから、敷って呉れというと、例の通り戸棚から夜具を出す時、昨夜も今朝も手に掛けて知っている筈の枕皮の汚に始めて気が附いて、明日洗いましょうという。なに、洗濯屋に出すから好いと言っても、此様な物を洗うのは雑作もないといって聴かなかった。私は又嬉しくなって、此様な事なら最と早く敬意を表すれば好かったと思った。  お糸さんは床を敷って了うと、火鉢の側へ膝行り寄って火を直しながら、 「本当に嘸御不自由でございましょうねえ、皆気の附かない者ばかりの寄合なんですから。どうぞ何なりと御遠慮なく仰有って下さいまし。然う申しちゃ何ですけど、他のお客様は随分ツケツケお小言を仰しゃいますけど、一番さん(私の事だ)は御遠慮深くッて何にも仰しゃらないから、ああいうお客様は余計気を附けて上げなきゃ不好。本当にお客様が皆一番さんのようだと、下宿屋も如何様に助かるか知れないッてね、始終下でもお噂を申して居るンでございますよ……」  無論半襟二掛の効能とは迂濶の私にも知れた。平生の私の主義から言えば、お糸さんは卑劣だと謂わなければならんのに、何故だか私は左程にも思わないで、唯お糸さんの媚びて呉れるのが嬉しかった。  小女がバタバタと駈けて来て、卒然障子をガラッと開けて、 「あの八番さんで、御用が済んだら、お糸さんに入らッしゃいッて。」 「何だい?」  小女が生意気になけ無しの鼻を指して、 「これ……」 「そう。」  お糸さんは挨拶も匇々に私の部屋を出て行ったが、ツイ其処らで立止った様子で、 「今お帰り? 大変御緩りでしたね。」  帰って来たのは隣の俗物らしく、其声で何だか言うと、又お糸さんの声で、 「あら、本当? 本当に買って来て下すったの? まあ、嬉しいこと! だから、貴方は実が有るッていうンだよ……」  してみると、お糸さんに対って敬意を表するのは私ばかりでないと見える。           五十六  私がお糸さんに接近する目的は人生研究の為で、表面上性慾問題とは関係はなかった。が、お糸さんも活物、私も死んだ思想に捉われていたけれど、矢張活物だ。活物同志が活きた世界で顔を合せれば、直ぐ其処に人生の諸要素が相轢してハズミという物を生ずる。即ち勢だ。此勢を制する人でなければ、人間一疋の通用が出来ぬけれど、私の様な斗筲輩になると、直ぐ其勢いに制せられて了って、吾は吾の吾ではなくなって、勢の自由になる吾、勢の吾になって了う。困ったものだが、仕方がない。私は人生研究の為お糸さんに接近しようと思ったのだけれど、接近しようとすると、忽ち妙なハメになって、二番さんだの八番さんだのという番号附けになってる俗物共の競争圏内に不覚捲込まれて了った。又捲込まれざるを得ないのは、半襟二掛ばかりの効能じゃ三日と持たない。直消えて又元の木阿弥になる。二掛の半襟は惜しくはないが、もう斯うなると、勢に乗せられた吾が承知せぬ。憤然となって二日二晩も考えた末、又一策を案じ出して、今度は昼のお糸さんの手隙の時に、何とか好加減な口実を設けて酒を命じた。酒を命ずればお糸さんが持って来る、お糸さんが持って来れば、些との間ならお酌もして呉れる、お糸さんのお酌で、酒を飲んで酔えば、私にだって些とは思う事も言えて打解られる。思う事を言って打解けて如何する気だったか、それは不分明だったけれども、兎に角打解たかったので、酒を命じたら、果してお糸さんが来て呉れて、思う通りになった。 「じゃ、何ですね」、と未だ一本も明けぬ中から、私は真紅になって、「貴女は一杯喰わされたのだ。」 「大喰わされ!」とお糸さんは烟管を火鉢の角でポンと叩いて、「正可女房子の有る人た思いませんでしたもの。好加減なチャラッポコを真に受けて、仙台くんだり迄引張り出されて、独身でない事が知れた時にゃ、如何様に口惜しかったでしょう。寧そ其時帰ッ了や好かったんですけど、帰って来たって、家が有るンじゃ有りませんしさ、人の厄介になって苦労する位なら、日陰者でもまだ其方が勝かと思ったもんですからね、馬鹿さねえ、貴方、言いなり次第になって半歳も然うして居たんですよ。そうすると、私の事がいつかお神さんに知れて、死ぬの生るのという騒ぎが起ってみると、元々養子の事だから……」 「養子なんですか?」 「ええ、養子なんですとも。養子だから、ほら、私を棄てなきゃ、看す看す何万という身台を棒に振らなきゃならんでしょう? ですから、出るの引くのと揉め返した挙句が、詰る所私はお金で如何にでもなると見括ったんでしょう、人を入て別話を持出したから、私ゃもう踏んだり蹶たりの目に逢わされて、口惜しくッて口惜しくッて、何だかもうカッと逆上せッ了って、本当に一時は井戸川へでも飛込ん了おうかと思いましたよ。」 「御尤です。」 「ですけど私が死んじまや、幸手屋の血統は絶えるでしょう? それでは御先祖様にも、又ね、死んだ親達にも済まないと思って、無分別は出しませんでしたけど、余まり口惜しかったから、お金も出そうと言ったのを、そんなお金なんぞに目をくれるお糸さんじゃない何か言って、タンカを切ってね、一文も貰わずに、頭の物なんか売飛ばして、其を持って帰って来たは好かったけど、其代り今じゃスッテンテンで、髪結銭も伯母さん済みませんがという始末ですのさ。余程馬鹿ですわねえ。」 「いや。面白い気象だ。」 「ですから、私は、貴方の前ですけど、もうもう男は懲々。そりゃあね、稀には旦那のような優しい親切なお方も有りますけど、どうせ私のような者の相手になる者ですもの、皆其様な薄情な碌でなしばかしですわ。」 「いや、御尤もです。」 「まあ、自分の勝手なお饒舌ばかりしていて、お燗が全然冷め了った。一寸直して参りましょう。」 「御尤もです……」           五十七  お糸さんがお燗を直しに起った隙に、爰で一寸国元の事情を吹聴して置く。甞て私が学校を除籍せられた時、父が学資の仕送りを絶ったのは、斯もしたら或は帰って来るかと思ったからだ。ところが、私が如何にか斯うにか取続いて帰らなかったので、両親は独息子を玉なしにしたように歎いて、父の白髪も其時分僅の間に滅切り殖えたと云う。伯父が見兼ねて、態々上京して、もう小説家になるなとは言わぬ、唯是非一度帰省して両親の心を安めろと懇に諭して呉れた。そう言われて見ると、夫でもとも言兼ねて、私は其時伯父に連れられて久振で帰省したが、父の面を見るより、心配を掛けた詫をする所か、卒然先ず文学の貴い所以を説いて聴かせて、私は堕落したのじゃない、文学に於て向上の一路を看出したのだ、堕落なんぞと思われては心外だと喰って懸ると、気の練れた父は敢て逆わずに、昔者の己には然ういう六かしい事は分らぬから、己はもう何にも言わぬ、お前の思う通りにしろだが、東京へ出てから二年許りの間に遣った金は、地所を抵当に入れて借りた金だ。己は無学で働きがないから、己の手では到底も返せない。何とかしてお前の手で償却の道を立て呉れ。之を償却せん時には、先祖の遺産を人手に渡さねばならぬ。それではどうもお位牌に対しても済まぬから、己は始終其が苦になっての……と眼を瞬かれた時には、私も妙な心持がした。で、何にも当はなかったけれど、其式の負債は直き償却して見せるように広言を吐き、月々なし崩しの金額をも極めて再び出京したが、出京して見ると、物価騰貴に付き下宿料は上る、小遣も余計に入る、負債償却の約束は不知空約束になって了った。その稍実行の緒に就いたのは当り作が出来てからで、夫からは原稿料の手に入る度に多少の送金はしていたけれど、夫とても残らず負債の方へ入れて了うので、少しも家計の足しにはならなかった。父は疾うに県庁の方も罷められて、其後一寸学校の事務員のような事もしていたが、それも直き又罷められて全く収入の道が絶えたので、父も母も近頃は心細さの余り、遂に内職に観世撚を撚り出したと云う。私は其頃新進作家で多少売出した頃だったから、急に気が大きくなり、それに天性の見栄坊も手伝って、矢張某大家のように、仮令襟垢の附いた物にもせよ、兎に角羽織も着物も対の飛白の銘仙物で、縮緬の兵児帯をグルグル巻にし、左程悪くもない眼に金縁眼鏡を掛け、原稿料を手に入れた時だけ、急に下宿の飯を不味がって、晩飯には近所の西洋料理店へ行き、髭の先に麦酒の泡を着けて、万丈の気燄を吐いていたのだから、両親が内職に観世撚を撚るという手紙を覧た時には、又一寸妙な心持がした。若し此事が夫の六号活字子の耳に入って、雪江の親達は観世撚を撚ってるそうだ、一寸珍だね、なぞと素破抜かれては余り名誉でないと、名誉心も手伝って、急に始末気を出し、夫からは原稿料が手に入ると、直ぐ多少余分の送金もして、他の物を撚っても、観世撚だけは撚って呉れるなと言って遣った。  で、此時もつい二三日前に聊かばかり原稿料が入った。先月は都合が悪くて送金しなかったから、責て此内十円だけは送ろうと、紙入の奥に別に紙に包んで入れて置いたのが、お糸さんの事や何や角やに取紛れてまだ其儘になっている。それをお糸さんの身上話を聴くと、ふと想い出して、国への送金は此次に延期し、寧そ之をお糸さんに呈して又敬意を表そうかと思った。が、何だか其では聊か相済まぬような気もして何となく躊躇せられる一方で、矢張何だか切に……こう……敬意を表したくて耐らない。で、お糸さんが軈てお燗を直して持って来て、さ、旦那、お熱い所を、と徳利の口を向けた時だった、私は到頭耐らなくなって、しかし何故だか節倹して、十円の半額金五円也を呈して、不覚又敬意を表して了った。           五十八  お糸さんに敬意を表して見ると、もう半端になったから、国への送金は見合せていると、母から催促の手紙が来た。其中に何だか父の加減が悪くて医者に掛っているとかで、物入が多くて困るとかいうような事も書いてあったが、例の愚痴だと思って、其内に都合して送ると返事を出して置いた。其時は真に其積りで強ち気休めではなかったのだが、彼此取紛れて不覚其儘になっている一方では、五円の金は半襟二掛より効能があって、夫以来お糸さんが非常に優待して呉れるが嬉しい。追々馴染も重なって常談の一つも言うようになる。もう少しで如何にかなりそうに思えるけれど、何時迄経っても如何にもならんので、少し焦れ出して、又欲しそうな物を買って遣ったり、連出して甘い物を食べさせたり、種々してみたが、矢張同じ事で手が出せない。お糸さんという人は滅多に手を出せば、屹度甚い恥を掻かすけれど、一度手に入れたら、命懸けになる女だと、何故だか私は独りで極めていたから、危険で手が出せなかったが、傍から観れば、もう余程妙に見えたと見えて、他の客はワイワイいって騒ぐ。下女迄が私の部屋を覗込んでお糸さんが見えないと、奥様は、なぞといって調戯うようになる。こうなると、お神さんも目に余って、或時何だか厭な事をお糸さんに言ったとかで、お糸さんが憤っていた事もある。私は何だか面白いような焦心たいような妙な心持がする。それで夢中になって金ばかり遣っていたから、一度申訳に聊かばかり送金した限で、不覚国へは無沙汰になっている中に、父の病気が矢張好くないとて母からは又送金を求めて来る。遂に伯父からも注意が来た。其時だけは私も少し気が附いて、急いで、書掛けた小説を書上げて若干かの原稿料を受取ったから、明日は早速送金しようと思っていた晩に、お糸さんが切りに新富座の当り狂言の噂をして観たそうな事を言う。と、私も何だか観せてやり度なって、芝居だって観ように由っては幾何掛るもんかと、不覚口を滑らせると、お糸さんが例になく大層喜んだ。お糸さんは何を貰っても、澄して礼を言って、其場では左程嬉しそうな面もせぬ女だったが、此時ばかりは余程嬉しかったと見えて、大層喜んだ。  もう後悔しても取反しが附かなくなって、止むことを得ず好加減な口実を設けて別々に内を出て、新富座を見物した其夜の事。お糸さんを一足先へ還し、私一人後から漫然と下宿へ帰ったのは、夜の彼此十二時近くであったろう。もう雨戸を引寄せて、入口の大ランプも消してあった。跡仕舞をしているお竹が睡たそうな声でお帰ンなさいと言ったが、お糸さんの姿は見えなかった。  部屋へ来てみると、ランプを細くして既う床も敷ってある。私は桝でお糸さんと膝を列べている時から、妙に気が燥って、今夜こそは日頃の望をと、芝居も碌に身に染みなかった。時々ふと気が変って、此様な女に関係しては結果が面白くあるまいと危ぶむ。其側から直ぐ又今夜こそは是が非でもという気になる。で、今我部屋へ来て床の敷ってあるのを見ると、もう気も坐ろになって、余の事なぞは考えられん。今にも屹度来るに違いない、来たら……と其事ばかりを考えながら、急いで寝衣に着易えて床へ入ろうとして、ふと机の上を見ると、手紙が載せてある。手に取って見ると、国からの手紙だ。心は狂っていても、流石に父の事は気になるから、手早く封を切って読むと、まず驚いた。           五十九  此手紙で見ると、大した事ではないと思っていた父の病気は其後甚だ宜しくない。まだ医者が見放したのでは無いけれど、自分は最う到底も直らぬと覚悟して、切りに私に会いたがっているそうだ。此手紙御覧次第直様御帰国待入申候と母の手で狼狽えた文体だ。  私は孝行だの何だのという事を、道学先生の世迷言のように思って、鼻で遇らっていた男だが、不思議な事には、此時此手紙を読んで吃驚すると同時に、今夜こそはと奮り立っていた気が忽ち萎えて、父母が切りに懐かしく、何だか泣きたいような気持になって、儘になるなら直にも発ちたかったが、こうなると当惑するのは、今日の観劇の費用が思ったよりも嵩んで、元より幾何もなかった懐中が甚だ軽くなっている事だ。父が病気に掛ってから、度々送金を迫られても、不覚怠っていたのだから、家の都合も嘸ぞ悪かろう。今度こそは多少の金を持って帰らんでは、如何に親子の間でも、母に対しても面目ない。といって、お糸さんに迷ってから、散々無理を仕尽した今日此頃、もう一文の融通の余地もなく、又余裕もない。明日の朝二番か三番で是非発たなきゃならんがと、当惑の眼を閉じて床の中で凝と考えていると、スウと音を偸んで障子を明ける者が有るから、眼を開いて見ると、先刻迄待憧れて今は忘れているお糸さんだ。窃と覗込んで、小声で、「もうお休みなすったの?」といいながら、中へ入って又窃と跡を閉めたのは、十二時過で遠慮するのだったかも知れぬが、私は一寸妙に思った。 「どうも有難うございました」、とのめるように私の床の側に坐りながら、「好かったわねえ」、と私と顔を看合わせて微笑した。  今日は風呂日だから、帰ってから湯へ入ったと見えて、目立たぬ程に薄りと化粧っている。寝衣か何か、袷に白地の浴衣を襲ねたのを着て、扱をグルグル巻にし、上に不断の羽織をはおっている秩序ない姿も艶めかしくて、此人には調和が好い。 「一本頂戴よ」、といいながら、枕元の机の上の巻烟草を取ろうとして、袂を啣えて及腰に手を伸ばす時、仰向きに臥ている私の眼の前に、雪を欺く二の腕が近々と見えて、懐かしい女の香が芬とする。 「何だかまだ芝居に居るような気がして相済まないけど」、とお糸さんが煙草を吸付けてフウと烟を吹きながら、「伯母さんの小言が台詞に聞えたり何かして、如何なに可笑しいでしょう」、と微笑した所は、美しいというよりは、仇ッぽくて、男殺しというのは斯ういう人を謂うのかと思われた。  一つ二つ芝居の話をしていると、下のボンボン時計が肝癪を起したようにジリジリボンという。一時だ、一時を打っても、お糸さんは一向平気で咽喉が乾くとかいって、私の湯呑で白湯を飲んだり何かして落着いている所は、何だか私が如何かするのを待ってるようにも思われる。と、母の手紙で一時萎えた気が又振起って、今朝からの今夜こそは即ち今が其時だと思うと、漫心になって、「泊ってかないか?」と私が常談らしくいうと、「そうですねえ。家が遠方だから泊ってきましょうか」と、お糸さんも矢張常談らしく言ったけれど、もう読めた。卒然手を執って引寄せると、お糸さんは引寄られる儘に、私の着ている夜着の上に凭れ懸って、「如何するのさ?」と、私の面を見て笑っている……其時思い掛けず「親が大病だのに……」という事が、鳥影のように私の頭を掠めると、急に何とも言えぬ厭な心持になって、私は胸の痛むように顔を顰めたけれど、影になって居たから分らなかったのだろう、お糸さんは執られた手を窃と離して、「貴方は今夜は余程如何かしてらッしゃるよ」と笑っていたが、私が何時迄経っても眼を瞑っているので、「本当にお眠いのにお邪魔ですわねえ。どれ、もう行って寐ましょう。お休みなさいまし」と、会釈して起上った様子で、「灯火を消してきますよ」という声と共に、ふッと火を吹く息の音がした。と、何物か私の面の上に覆さったようで、暖かな息が微かに頬に触れ、「憎らしいよ!」と笑を含んだ小声が耳元でするより早く、夜着の上に投出していた二の腕を痛か抓られた時、私はクラクラとして前後を忘れ、人間の道義畢竟何物ぞと、嗚呼父は大病で死にかかって居たのに……           六十  翌朝は夙く発つ積だったが、発てなくなった。尾籠な事には自ら尾籠な法則が有るから、既に一種の関係が成立った以上は、女に多少の手当をして行かなきゃならん──と、さ、私は思わざるを得なかった。見栄坊だから、金が無くても金の有る風をして、紙入を叩いて遣って了うと、もう汽車賃も残らない。なに、父はまだ危篤というのじゃなし、一時間や二時間発つのが後れたって仔細は無かろうと、自分で勝手な理窟を附けて、女には内々で朝から金策に歩いたが、出来なかった。昼前に一寸下宿へ帰ると、留守に国から電報が着いていた。胸を轟かして、狼狽てて封を切って見ると、「父危篤直戻れ」だ。之を読むと私はわなわなと震え出した。卒然下宿を飛出して、血眼になって奔走して、辛うじて聊かの金を手に入れたから、下宿へも帰らず、其足で直ぐ東京を発って、汽車の幾時間を藻掻き通して、国へ着いたのは其晩八時頃であった。  停車場で車を僦って家へ急ぐ途中も、何だか気が燥って、何事も落着いて考えられなかったが、片々の思想が頭の中で狂い廻る中でも、唯息のある中に一目父に逢いたい逢いたいと其ばかりを祈っていた。時々ふッと既う駄目だろうと思うと、錐でも刺されたように、急に胸がキリキリと痛む。何とも言えず苦しい。馴染の町々を通っても、何処を如何車が走るのか分らない。唯車上で身を揉んで、無暗に車夫を急立てた。車夫が何だか腹を立てて言ったが、何を言っているのか、分らない。唯無暗に急立てるばかりだ。  漸くの想で家へ着くと、狼狽てて車を飛降りて、車賃も払ったか、払わなかったか、卒然門内へ駆込んで格子戸を引明けると、パッと灯火が射して、其光の中に人影がチラチラと見え、家内は何だか取込んでいて話声が譟然と聞える中で、誰だか作さん──私の名だ──作さんが着いた、作さんが、と喚く。何処からか母が駈出して来たから、私が卒然、「阿父さんは? ……」と如何やら人の声のような皺嗄声で聞くと、母は妙な面をしたが、「到頭不好ったよ……」というより早く泣き出した。私はハッと思うと、気が遠くなって、茫然として母が袖を顔に当て泣くのを視ていたが、ふと何だか胸が一杯になって泣こうとしたら、「まあ、彼方へお出でなさい」、と誰だか袖を引張るから、見ると従弟だ。何処へ何しに行くのだか、分っているような、分っていないような、変な塩梅だったが、私は何だか分ってる積で、従弟の跟に従いて行くと、人が大勢車座になっている明かるい座敷へ来た。と、急に私は何か母に聞きたい事が有るのを忘れていたような気持がして、母は如何したろうと後を振向く途端に、「おお作か」、という声が俄に寂然となった座敷の中に聞えたから、又此方を振向くと、其処に伯父が居るようだ。夫から私は其処へ坐って、何でも漫に其処に居る人達に辞儀をしたようだったが、其中に如何いう訳だったか、伯父の側へ行く事になって、側へ行くと、伯父が「阿父さんも到頭此様になられた」、といいながら、側に臥ている人の面に掛けた白い物を取除けたから、見ると、臥て居る人は父で、何だか目を瞑っている。私は其面を凝と視ていた。すると、何時の間にか母が側へ来ていて、泣声で、「息を引取る迄ね、お前に逢いたがりなすってね……」というのが聞えた。私はふッと目が覚めた、目が覚めたような心持がした。ああ、父は死んでいる……つい其処に死んでいる……骨と皮ばかりの痩果てた其死顔がつい目の前に見える。之を見ると、私は卒然として、「ああ済なかった……」と思った。此刹那に理窟はない、非凡も、平凡も、何もない。文士という肩書の無い白地の尋常の人間に戻り、ああ、済なかった、という一念になり、我を忘れ、世間を忘れて、私は……私は遂に泣いた……           六十一  後で段々聞いて見ると、父は殆ど碌な療養もせずに死んだのだ。事情を知らん人は寿命だから仕方がないと言って慰めて呉れたけれど、私には如何しても然う思えなかった。全く私の不心得で、まだ三年や四年は生延びられる所をむざむざ殺して了ったように思われてならなかったから、深く年来の不孝を悔いて、責て跡に残った母だけには最う苦労を掛けたくないと思い、父の葬式を済せてから、母を奉じて上京して、東京で一戸を成した。もう斯う心機が一転しては、彼様な女に関係している気も無くなったから、女とは金で手を切って了った。其時女の素性も始めて知ったが、当人の言う所は皆虚構だった。しかし其様な事を爰で言う必要もない。止めて置く。  で、生来始て稍真面目になって再び筆硯に親しもうとしたが、もう小説も何だか馬鹿らしくて些とも書けない。泰西の名家の作を読んで見ても、矢張馬鹿らしい。此様な心持で碌な物が出来る筈もないから、評判も段々落ちる、生活も困難になって来る。もう私もシュン外れだ。此処らが思切り時だろうと思って、或年意を決して文壇を去って、人の周旋で今の役所へ勤めるようになったが、其後母の希望を容れて、妻を迎え、子を生ませると、間もなく母も父の跡を追って彼世へ逝った。  これが私の今日迄の経歴だ。  つくづく考えて見ると、夢のような一生だった。私は元来実感の人で、始終実感で心を苛めていないと空疎になる男だ。実感で試験をせんと自分の性質すら能く分らぬ男だ。それだのに早くから文学に陥って始終空想の中に漬っていたから、人間がふやけて、秩序がなくなって、真面目になれなかったのだ。今稍真面目になれ得たと思うのは、全く父の死んだ時に経験した痛切な実感のお庇で、即ち亡父の賜だと思う。彼実感を経験しなかったら、私は何処迄だらけて行ったか、分らない。  文学は一体如何いう物だか、私には分らない。人の噂で聞くと、どうやら空想を性命とするもののように思われる。文学上の作品に現われる自然や人生は、仮令えば作家が直接に人生に触れ自然に触れて実感し得た所にもせよ、空想で之を再現させるからは、本物でない。写し得て真に逼っても、本物でない。本物の影で、空想の分子を含む。之に接して得る所の感じには何処にか遊びがある、即ち文学上の作品にはどうしても遊戯分子を含む。現実の人生や自然に接したような切実な感じの得られんのは当然だ。私が始終斯ういう感じにばかり漬っていて、実感で心を引締めなかったから、人間がだらけて、ふやけて、やくざが愈どやくざになったのは、或は必然の結果ではなかったか? 然らば高尚な純正な文学でも、こればかりに溺れては人の子も戕われる。況んやだらしのない人間が、だらしのない物を書いているのが古今の文壇のヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ (終) 二葉亭が申します。此稿本は夜店を冷かして手に入れたものでござりますが、跡は千切れてござりません。一寸お話中に電話が切れた恰好でござりますが、致方がござりません。 底本:「平凡・私は懐疑派だ 小説・翻訳・評論集成」講談社文芸文庫、講談社    1997(平成9)年12月10日第1刷発行 底本の親本:「二葉亭四迷全集 第一巻」筑摩書房    1984(昭和59)年11月 ※底本には「本書は、『二葉亭四迷全集』第一、二、三、四、七巻(昭和五十九年十一月~平成三年十一月 筑摩書房刊)を底本として使用し、新漢字・新かなづかいにして、若干ふりがなを加えた。本文中に今日から見て不適切と思われる言葉づかいがあるが、作品の時代背景、文学的価値等を考え、著者が故人でもあるため、そのままとした。」との記載がある。 ※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫) 入力:砂場清隆 校正:松永正敏 2003年1月15日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。