お父さん 林芙美子 Guide 扉 本文 目 次 お父さん      1  僕はおとうさんが好きです。  おとうさんは、まるい顔をしています。このあいだ軍隊からかえってきました。僕は三年もおとうさんと会わなかったのです。おとうさんは、僕が寝ているうちにかえってきました。お土産に熊の仔を貰いました。熊の仔は、黒い木で刻んだものです。おとうさんは北海道に行つていたのです。  いつも僕は六時に起きて、妹や弟とおかあさんのお手伝いをするのですけれど、その朝は五時に起きました。だって、おかあさんが大きい声で、 「健ちゃん、おとうさんがかえっていらっしたからお起きなさいよ」  と、おっしゃいました。  僕はびっくりして飛び起きました。ほんとうにおとうさんはかえっていました。おとうさんは僕たちの寝床のそばに坐っていました。寝巻を着ていらっしたので、僕ははじめ、おやと思いました。おとうさんはいつも兵隊さんのはずだったがな、と思ったからです。 「やア、健坊、大きくなったなア」  おとうさんはそういってにこにこ笑っています。僕は飛び起きて「わあ」といいました。胸がどきどきしました。おとうさんがほんとうにかえってきたのだと思うと、うれしくてうれしくて仕方がありません。僕は、すぐとなりに寝ている静子と、宏ちゃんを起しました。  もう戦争がすんだから、おとうさんは兵隊に行かなくてもいいのです。 「ほんとうに戦争はすんだの」  と、僕がききますと、おとうさんは、 「ああほんとにすんだんだよ。先生は何とおっしゃったかい」  と、ききます。 「日本は戦争に敗けたんだって‥‥」 「そうだよ、だから、もう、おとうさんも戦争しないでいいのさ」 「戦争っていやですね」 「うん」  おとうさんは宏ちやんを抱きあげて、あごで宏ちやんの頭をぐりぐりやっています。  お蒲団をたたんでいらっしたおかあさんが、 「戦争ってきらいね」  と、おっしゃいました。僕のおかあさんは、いつも戦争ってきらいだ。きらいだとおっしゃっていました。だから、あんまりそんな事をひとにいうとしかられますよ、というと、おかあさんは、じっと僕を見て、涙ぐんでいうのです。 「健ちゃんは、いい子になって下さいね。人にも自分にもうそをいわない、正直な、いい人になって下さいね。──健ちゃんは戦争が好きなの?」っておっしゃいます。  僕は、戦争のことってよく知らないのだけれど、何処へ行っても米英を敵だ、というので、僕はわるい国はいやだと思っていました。第一、毎日B29が、たくさんのお家を焼きにくるので、こわい国だと思つていました。  戦争がすむと、急にのんびりして、夜もお寝巻で朝までぐっすり寝られるし、宏ちゃんもおびえて泣かなくなりました。 「健ちゃんが大きくなったら、戦争なんかしないで下さいね。戦争があると、みんながくるしむのよ。くるしんだ上に、たくさんの人が死んでしまうのよ。その上、東京だってこんなに焼けてしまって、みんな住むお家もなくて困るでしょう」  とおかあさんがおっしゃいました。僕は焼野原になった東京を見るとかなしいのです。僕のお友達のお家も、ずいぶん焼けました。空襲があるたび、僕はおかあさんと静子と宏ちゃんといつもお家の壕にいました。いっぺん僕のお家の庭に焼夷弾が落ちました。おかあさんは、すぐ消しに行かれました。ぱあっと光が射して、あたりはまるで大雨のような音がしました。  おかあさん逃げましょうといいますと、おかあさんは「いいのよ、いいのよ、こうしていましょう。逃げて煙に巻かれると、かえっていけないからね」とおっしゃいました。  あの時のことをいろいろ思い出すと、まるで夢のようです。僕のおかあさんはとても元気でした。僕が泣きだすとおかあさんはとてもひどくおしかりになりました。      2  おとうさんがかえっていらっしゃって、僕たちはみんな元気になりました。おとうさんもたのしいのでしょう、よく口笛を吹きます。僕も、おとうさんのまねをして、口笛を吹くことが上手になりました。おとうさんがかえっていらっして二三日してからのことです。あんまりお天気がいいので、麻布の要さんの家へ行くことにしました。要さんは中学生です。要さんのおとうさんは、僕のおとうさんの一番上のにいさんです。僕たちを一番かわいがってくれます。このおじさんは早くから僕たちに田舎へ行きなさいといっていましたが、おじさんたちもとうとう東京にがんばってしまいました。おじさんのお家は麻布の区役所のそばだったので、焼けていまはバラックに住んでいます。  僕と静子はおべんとうをしてもらって、小さいリュックに入れて行くことになりました。おべんとうはおにぎり一つ、それから、むしパン一つ、それから、小さいおみかん一つ、僕は麻布へ行くまでにおにぎりやむしパンがつぶれないといいと思いました。  日曜なので、電車は満員です。目白の駅で金井君に会いました。金井君は、おねえさんと千葉へおいもを買いに行くのだといっていました。金井君のおとうさんはマニラで戦死をされたのです。金井君は、とてもいいひとです。人のいやがることを何でもします。お家がまずしいので上の学校には行かないのだそうですけれど、とても頭がよくて、先生も、大変ほめていらっしゃいました。英語の会話なんかとてもうまくなっていて、もうれつに勉強します。大きくなったら天文学者になりたいといっていました。  僕たちの組のものも、もう昔のように、大将になりたいなんて誰もいわなくなりました。僕だってほんとうは飛行家になりたいと思っていましたけれど、僕はもうあきらめてしまいました。僕はいまのところ何になっていいのかすこしもわかりません。  要さんのお家へついたのは、お昼ちかくでした。要さんは屋根の手入をしていました。おばさんは畑をしていたし、年子ねえさんはごはんのしたくをしていました。 「やア、珍らしい、目白の健ちゃんがきましたよ」  おばさんがにこにこして畑をやめて、門のところへ歩いてきました。  要さんも屋根から降りてきました。 「健ちゃん、おとうさんかえって来ていいね」  要さんがそういいました。要さんの上のにいさんの良次さんはいまスマトラです。次の兼三さんが満州で、みんなまだ戻ってこられないのです。要さんは元気そうでした。 「おじさんはお留守ですか」  僕がたずねると、おじさんは家を建てることについて、知りあいの家へ相談に行かれたのだそうです。  おとうさんとおばさんは、要さんのにいさんたちがいつごろかえれるだろうという話をしています。僕と静子は要さんとお庭の石どうろうのそばへ行って、日向ぼっこをしました。  アメリカの飛行機がひくく飛んでいます。銀色にぴかぴか光ってきれいです。アメリカの飛行機は、大きくてきれいです。こんな天気に飛んでいる人は、とても気持がいいだろうなア、と思いました。アメリカの兵隊さんをはじめて見た時、僕はびっくりしました。みんな大きくてゆくわいそうです。僕たちはどうしたらいいかとまごまごしていたら、近よってきたアメリカの兵隊さんは、ネバマイン、ネバマインといいました。そして僕の肩を軽くたたいて行きました。      3  要さんは、昨日小田原に行ったのだとて、僕と静子にみかんを持ってきてくれました。みかんってどうしてこんなにきれいなのでしょう。いいにおいね、と静子がいいます。あんまりきれいなので、むくのがおしいくらいでした。 「英語でミカンってなんていうの」  要さんにききますと、中学生の要さんは、いかにも得意そうに、 「オレンヂというんだろう」  と、いいました。 「ぢゃア、兵隊ってなんていうの」 「ソルヂャァだったかな」  年子ねえさんがごはんを知らせに来ましたので、私たちはお家にはいってちゃぶ台の前に坐りました。壁がぬってないので、寒くなったら困るだろうと思います。おふとんや道具がいっぱい積んである処へ、おとうさんはもたれて、煙草を吸っています。僕たちがおべんとうを出しますと、おばさんはくすくす笑って、 「義理がたいことねえ、──昔のことを考えると、いまの子供たちはふびんだわ」  とおっしゃいました。  僕はおばさんのいうような、僕たちがふびんだなんてすこしも思わない。先生だっておっしゃったのだもの。いまの子どもたちはいちばんこれからいい人になるって、敗けたのはいいことだって、これからほんとうの気持でやりなおして、たのしい国になるんだっておっしゃったのをおぼえている。 「荘吾さんは、これからどうするんですの?」  荘吾というのは、僕のおとうさんの名前です。おとうさんは「そうですね」といって、もう「会社員なんかいやになったから、田舎へ引っこんで百姓でもしようかと思ってますがね」といいました。 「だって、しろうとがすぐ百姓になれるかしら、第一、土地だってないでしょうしね。田舎もいまはおじいさんもなくなられたし、どうにもしかたがないことよ」  おばさんは、僕たちにいもをむしてくれました。  僕は、おとうさんの心ぼそい顔をはじめてみました。おとうさんは、沈んだようにみえました。僕は、何となくさみしくなったので、要さんに、 「いもって英語でなんていうの?」  とききました。 「ポテトさ」  とおしえてくれました。 「ぢやア、家は」 「家はハウスさ」 「ぢやア」 「ずいぶんきくんだなア」  要さんが笑い出しました。年子ねえさんがラジオをかけました。とてもうきうきするような音楽です。 「全く、世の中が変りましたね」  おとうさんがそういいました。 「ほんとうに。でも、気持だけでもこのほうがたのしいぢやアありませんか、もうめんどうくさい話ってあきあきしていますよ。馬鹿な戦争をよくも長くつづけたものですよ」 「いいところで終戦になって、ほっとしましたね。でも、良ちゃんや兼ちゃんがどうなっているか心配ですね」 「三年も四年も待つなんてつらいし、親の身にもなって下さいよ。これこそつまらない運命ですよ」  おばさんははほろりとしています。僕は又英語を持ち出しました。 「要さん、歌ってどういうの」 「ソングさ」 「ソングって人の名前みたいね」  静子がおもしろいことをいいます。 「おとうさんってフアザアっていうのよ」  静子が知ったかぶりでいうと、みんなおとうさんの方をみて笑いました。おとうさんも白い歯をみせて笑いました。僕は何だかおとうさんの、このときの笑った顔を忘れることが出来ません。 「子供があるから、私たちすくわれるのよ、子供って花束みたいなものね。にぎやかでいいわ」 「こいつたちがいるから安子も今日まで一しょうけんめい生きていたのだといってますよ」  安子というのは僕のおかあさんの名前です。      4  僕のおとうさんは、とてもお話が上手です。おとうさんは自分で話をつくって僕たちに話してくれます。 ──あるところに豚と鶏がいて、ふたりはとても仲よしでした。鶏はいつも豚のそばで餌をついばんでいました。夜になってお月様の出るのがいちばん好きでした。豚はお月様が出る夜だと、ひとりできもちよさそうに唄をうたいました。  それはこんな唄です。 お月様 わたしはきばがほしいのです いのししになって お山のなかの森のふかいところへ わたしのおうちをつくりたいのです 森のけものが みんなでわたしをうやまうように わたしに大きいきばを下さい わたしは山の大将になりたいのです いのししはつよいです わたしはいのししになりたいのです  豚はお月様にこんなおねがいごとをしました。豚はとうとういのししになりました。いのししになると、急におなかが空いてしかたがないのです。自分のそばでよくねんねしている鶏のひよこを食べようかと思いました。鶏とは大変仲がよかったけれど、もういのししになったのですから、豚は何となくいばってみたくて鶏を起しました。 「おいおい鶏さん起きないか」 「あら、もう夜があけたのですか、豚さん」 「まだ夜中だよ、いいお月様だよ」 「あああかるいのはお月様のせいですか」 「鶏さんは、わたしのこのきばが見えるだろう」 「きば」 「わたしはねえ、今夜からいのししになったんだぜ」 「まア、いのししに、まだ、何もみえないけれど、どうしてきばなんか持ってきたんですか?」 「持ってきたんぢやないよ。わたしはもうほんとうのいのししさんなんだぜ。君のひよこをすこしわけてくれないかね。わたしはさっきからとてもおなかがすいているんだよ」  鶏はびっくりしました。  急に羽根の下のひょこをきつく抱きしめました。ひよこは六羽いました。ひよこはぴよぴよなきました。豚はじっと月の光で鶏をみていました。二羽のひよこが鶏の羽根の下からひょこひょこと出て来ました。  いのししはのどがぐるぐるとなりそうです。いそいで、出来たてのきばでひよこをつきさしてむしゃむしゃ食べました。眼のみえない鶏はかなしそうな声で大きく泣きました。 「どうして、豚さんはそんならんぼうな事をするのですか、せっかく仲よくして、平和にくらしているのに、あなたはどうして私の赤ちゃんをいじめるのですか」  いのししはあんまり鶏がさわぐので、あきらめて、山の方へ行く道をひとりで歩いて行きました。山道を歩きながら、豚はとても得意でした。立派なきばがうれしくてしかたがないのです。もとから、自分は豚なんかじゃなくて、えらい山の王様だったのだと、いままで豚なんかでいたことがくやしくなりました。  山へはいった豚は、毎日小さいけものを追っかけて食いころしたりいじめたりして、山のけものからすっかりきらわれました。山の中はとても平和で、小鳥もけものも楽しい日をおくっていましたのに、きばをつけた妙なかっこうのいのししが山へ来てから、みんなのけものは心のやすまるときはありませんでした。  いままで山の王様だった鹿は、そっとけものをあつめていいました。みんながまんをして、そっとして暮していようね、いまに、里から人間が来て、あのきばのある豚をたいじてくれるだろうとなぐさめていました。そのうちだんだんけものは豚に食われて行きました。山はさみしくなって、小鳥もあまりさえずらなくなりました。豚はますます得意でした。そのうち、ある日のこと、ほんとうに里からたくさんの人間が山へてっぽうを持って来て、きばを持った豚をうって行きました。  里にいた鶏は、てっぽうでうたれた豚をみてびっくりしました。かわいそうでしかたがありませんでした。どうして、豚さんはきばなんかほしがったのだろう、あんなものをほしがらなければ平和に暮してゆけたのに、ほんとうにかわいそうなのぞみを持った豚さんだと、鶏は大きくなったひよこにいいました。  おとうさんはこんなにおもしろいおはなしをして下さいました。僕は、これから、一つずつ、おとうさんのおはなしを日記にかいておこうと思います。      5  おとうさんが、戦争へ行く前にいつかいっていました。戦争がすんだら、たくさんおさとうが来るから、そしたらおしるこをどっさりたべようねっていっていました。だから、僕は、おとうさんに、 「もう、戦争がすんだのですから、おしるこをどっさりたべられるのでしょう」  とたずねました。  おとうさんはへんなかおをして、 「戦争に敗けておしるこなんかたべられないよ」  とおっしゃいました。  でも、このあいだ、中野のとおりをおかあさんと歩いていたら、一ぱい十円のあまいあまいおしるこというびらを露店でさげているのを僕はみたのだけれど、一ぱい十円もするおしるこはどんなにあまいのだろうと思いました。  おかあさんは「高いおしるこね」とおっしゃいました。  僕は早くおうちでおしるこがたべられるといいなと思いました。おさとうは台湾でたくさんできていたのだそうです。おさとうって、どうしてつくるのでしょう。おとうさんに、おさとうはどうしてあまいのですかとききましたら、そうだなア、おさとうのあまいのはどうしてあまいのかときかれるとちょっと困るねとおっしゃいました。おとうさんは何でもよくしらべてから僕にはなしてくれます。  僕は何でもふしぎです。空をみてもふしぎです。ひるまは、ふわりふわり雲がういていて、青い空は、どこまで行っても広いのです。夜になると、青い空はくらくなって、どこまで行ってもくらいのですものね、そして、時時、お星さまがぴかぴか光っています。その星にはみんな名前がついているのだそうです。僕は北斗七星を知っています。星で東西南北がわかるというのもふしぎです。  それから、僕は、お庭をみていてもふしぎです。  僕のお家の庭には、うめもどきが一本うわつています。このあいだまできれいな赤い実がついていました。あんなひんじゃくな木から、まるで兎の眼のような赤い実がなるなんてふしぎです。  それから、このあいだ、要さんからみかんをもらったけれど、あれだって、どうして、あんなにおいしい実がなるのかふしぎです。  おとうさんは、何でもふしぎだと思うことはいいことだとおっしゃいました。何をみても何も感じないでいることは人間に生れてさみしい事だとおっしゃいました。  僕たちが要さんのお家へ行って、二三日して、要さんがあそびに来ましたので、僕は何でもふしぎなことばかりだとはなしますと、要さんは、 「そうだよ、此世のなかはふしぎなことばかりだよ。でも、一つずつそのふしぎななぞをといてゆくのも面白いものだね」  と、いいました。  要さんは機械いじりが好きです。それにたいへん耳がいいので、僕の家のラジオが、があがあと変な音をたてると、すぐラジオの前へ行つてダイアルをまわして調子をなおしてくれます。  要さんは音楽も好きです。  僕も音楽は好きです。きれいな音をきいているのはきもちのいいものです。それから、僕は、おとうさんやおかあさんの声も好きです。学校からかえっておかあさんの声がしていると、僕は何だか安心した気持になってうれしくなります。  おとうさんは、このごろ、仕事をおさがしになっています。戦争の前におつとめになったところはおやめになったので、いまはおとうさんはお仕事は何もありません。  おとうさんは毎日おうちを出てゆかれます。おかあさんは、おとうさんに早くいい仕事がみつかるといいと僕におっしゃいます。  おかあさんが買物にいらっしやる時は、いつも僕がリュックを持ってついて行きます。すると、近所のおばさんが、 「健ちゃんぐらいになれば、もう、おかあさんのお手伝いが出来ていいですね」  と、いいます。  おかあさんはにこにこして、 「ええ、一人で行くよりはいいですね、一人では、高いわね、だの、安いのはないかしらなんてひとりごといえませんものね‥‥こんな小さい人でもいれば、何でも話が出来てなぐさめになります」といいます。  僕は昨日もおかあさんと新宿へ行って、ローソクの安いのをみつけてあげました。安いのがみつかると、おかあさんはうれしそうに「まア、ありがたいわ」といいます。どうして、こんなにものが高いのかふしぎです。おかあさんの小さいころは、何でもやすくていいものがどっさりあったのだそうです。      6  このごろ、おとうさんは夕方になると、「ああつかれたね」といってかえってきます。  静子と宏ちゃんはまだ小さいから、いつでも同じように、 「おとうさん、おみやげは‥‥」といいます。  僕は静子と宏ちゃんにわざとこわい顔をします。静子には、何度いってきかせてもおとうさんがお仕事をみつけにいらっしやる事がわからない様子です。  おとうさんのまるい顔がすこしやせてきました。僕はお夕飯のあと、おとうさんの肩をたたいてあげます。  おとうさんはこのごろとてもさみしそうです。僕はおとうさんが何かよろこんで下さるようなことはないかと思います。  今夜、僕は何だかさみしかったのでおとうさんといっしょにねました。 「おとうさん」 「何だ」 「おとうさんはいくつですか」 「いくつかって、おとうさんの年かね、そうだね、もうじきとしを一つとるね」 「いまいくつですか?」 「いまは三十四だ」 「まだ若いのですね」 「ははア、そりあ若いさ、でも、もうすぐ三十五だよ」 「僕もおとうさんのように早く三十五になりたいなア」 「うん、健坊が大きくなる頃は、いい時代になるだろうね、健坊はえらい人にならなくてもいいから正直なこころをもったいい人になるんだね」  おとうさんは、僕の肩に、寒くないようにお蒲団をかけてくれました。次の間で、おかあさんが、 「ねえ、三升ほどもちごめがたまりましたから、餅をつきましょうかしら」と、おっしゃいました。  僕はうれしくて、へえ、といいました。 「おとなりで、お餅の道具をかりて来るんですって、ごいっしょにつきましょうとおっしゃって下さるのよ。少しばかりだけれど、子どもたちがよろこぶでしょうから‥‥」  おとうさんは、「そりやアいいね、たとい少しでもいいさ、子どもたちがよろこぶよ」と、いいます。 「いつ餅をつくの?」僕が寝床からたずねると、 「三十一日ですって、健ちゃんも手伝ってね」  と、おかあさんがおっしゃいました。  僕はうれしくて胸がどきどきしました。  ぺったんこ、ぺったんこと餅をつく音がきこえてくるようです。  玄関で誰かが呼んでいます。おとうさんがおかあさんを呼びました。 「いまごろ、きみがわるいわね、誰でしょう」  時計が九時を打ちました。  おとうさんがすくっと起きて玄関へ行かれました。 「そりやア心細かったでしょう、まア、お上り下さい」  誰かをおとうさんがあげているようです。おかあさんも出て行かれました。僕は誰だろうと耳をすましていました。 「お互にひどいめにあいましたね。寒かったでしょう、さア、どうぞ──」お客さまの声はきこえない。 「まア、大きいお魚、黒鯛ですわね」  おかあさんの声。お魚を持ってきたのかしら。こんなにおそくお魚を持ってくるなんて変だな、どこの人なのだろう。僕は何だかこわいなと思いました。      7  朝起きたら、だいどころに、大きい黒鯛がかごのなかにありました。僕は、こんな黒いおさかなをみるのははじめてです。 「立派だなア」  と僕がいいますと、宏ちゃんも起きて来て、びつくりしています。お座敷では、もうお客さまが朝ごはんをたべていました。誰だろうと思っていたら、静子がおとなりの吉田さんのおじさまなのよ、とおしえてくれました。  吉田さんのお家には、子どもはいないのだけれど年をとったおばあさんがおられるので、早くから宇都宮へ疎開して、もうおとなりには安藤さんという人たちがひっこして来ています。吉田さんは、宇都宮でお家がやけたのだそうです。こんなことなら、東京にいた方がよかったのだ、と吉田さんは残念そうにしていました。  吉田さんのお家では、おばあさんもなくなられたのだそうです。とてもいいおばあさんで、目の悪いひとでしたけれど、僕たちが裏庭に入って行くと、ちゃんと僕を知っていて、夏なんか、よくおばあさんにあきかんだの木箱だのもらいました。かんからをもろうと、それでメダカをすくいに行ったものです。  木箱は、蝶蝶の標本箱にしました。  おばあさんは、田舎の人なので、花や草の名前はよく知っていて、僕が持って行く草の名前を何でもおしえてくれました。いつだったかおとうさんと信州の山へ行って、たくさん、草を持ってかえって吉田さんのおばあさんにききました。  まんさくだの、かしわの葉、あかしで、いぬしで、いぼた、白い花の咲くがまずみ、うつぎ、赤い花の咲くはこねうつぎ、模様のようなやまにしきぎ、そんな名前を一つ一つていねいにおしえて下さいました。僕は、吉田さんのおばあさんはほんとうに好きです。鶴の模様のついた、赤いちりめんのちゃんちゃんこをよく着ていました。  宇都宮で、くうしゅうのさいちゅうに亡くなられたのだそうです。僕は吉田さんのおじさんに、 「宇都宮って海がありますか」  とききました。おじさんは、あはあは笑って、山から魚を持って来たので、健ちゃんがふしぎなのですね、とおっしゃいました。吉田さんのおじさんは、黒鯛を昨日、船橋でおかいになって、それを僕の家に持って来て下さったのだそうです。  吉田さんのおばあさんは、とてもお魚の好きな人でした。僕は、お魚よりも野菜が好きです。きんぴらなんかとても好きです。でも野菜がたかいので、おかあさんは、このごろはめったにきんぴらをして下さいません。  吉田さんのおばあさんは、八十二で亡くなられたそうです。ずいぶん長生きだと思いました。人間は五十年しか生きられないというけれど、吉田さんのおばあさんは二人前も長生きをされて、僕はびっくりしました。 「長生きだなア」  といったら、おかあさんが、 「マア、しつれいねえ、長生きをなさることはとてもおめでたいことなのですよ」  とおっしゃいました。長生きをすることがどうしておめでたいのかわからないけれども、でも、僕だって、おとうさんや、おかあさんが長生きをして下さるといいと思う。  吉田さんのおじさんは、二三日僕の家におとまりになることになりました。東京で、あたらしく何かおしごとをおはじめになるということでした。  吉田さんのおじさんは、背がひくくって、とてもよこにふとった人だけれど、子供ずきなおじさんで、僕は大好きです。おじさんはいつもおこった顔をしたことがない。にこにこしていて、とまっていても、ひまがあると何だか用事をみつけてしておられる。薪も割ってもらいました。お餅をつくのにもてつだってついてもらいました。  おじさんは東京に早く家をみつけたいといっておられました。長く住んでいたところは、一番なつかしいといっておられました。      8  おとうさんは、吉田さんのおじさんのおすすめで、お二人で何かお仕事をはじめるといっておられました。 「としがはんぱだから、なかなかいい仕事がみつからなくて──」  とおとうさんがおじさんに話しておられます。  黒鯛は、おかあさんがおやきになりました。僕たちみんなで食べました。おいしくて仕方がない。さっぱりしていて。久しぶりのお魚なので宏ちゃんも、おさかなととね、と大よろこびでした。  おとうさんが、僕と静子に、「黒鯛」という題で作文を書いてごらんとおっしゃいました。静子はあかい顔して、困った、困った、と、むくれていました。 「いつまでですか」と、おとうさんにきくとごはんのあとすぐだとおっしゃいました。僕も困ってしまうけれど、えいッと気合をかけて、とてもいゝのを書こうと思いました。  黒鯛、黒鯛。  なんだか、急に僕の頭はまっくろいおさかなでいっぱいになりました。黒鯛は大きい眼をしています。それでは変かな。まっくろいおさかなが、帆船のように青い海へ走りだしていくような、そんなところが心にうかんで来たけれど、そんな夢みたいなことはなかなかうまく書けません。  吉田さんのおじさんは、 「私がおさかなを持って来たので、健ちゃんたちは大変なめにあいますね」  と笑っておられました。 「なアに、二人ともなかなかめいぶんかでうまいんですよ、いわゆるめいぶんですがね」  とおっしゃいました。何のことだかわからない。  ごはんのあと、僕と静子は机を二つあわせて、まんなかに電気をさげて、作文にかかりました。  「黒鯛っておさかな、にくらしくなったわ。こわい顔してるのね」  静子が、机にひじをついてためいきをつきながらいいました。  僕は、エンピツをけずりながら、しずかにかんがえていました。だって、どこから書いていいのかわからない。第一、黒鯛なんて、おさかなにおめにかかったのは、今朝がはじめてで、いままで絵でみたくらいなもので、たべたこともなかったのだもの‥‥」 「健ちゃん待っててね、出来ても待っててね」 「ああいいよ、そのかわり静子が出来たら待っているんだよ」  二人はかたく約束しました。  静子は勉強する時、いつもするように鼻ばかりかんでいます。  僕は、エンピツのしんを細くけずらなければ書けないくせがあるので、三本のエンピツをみんなていねいにけずっておきます。  静子は、なかなか書けないとみえて、もじもじばかりしています。 「黒鯛って寒いところのおさかなかしら」ときかれても僕はだまっていることにしました。かまっていては僕が書けなくなってしまうからです。 「ねえ、どんなところに住んでいるの。浅いところかしら、深いところかしら‥‥ずいぶん骨の太いおさかなね。うろこが大きいわねえ」  僕はじろりとにらみつけて、静子には返事をしない事にしました。 「あれはおさしみにならないっておかあさんいったわ、おさしみにするにはまずいって」  あいかわらずしらん顔をしていました。      くろだい  くろだいはだれもいなくなっただいどころで、じっと大きい眼をあけていました。大きいざるがかぶせてあるので、だいどころのようすをはっきりみることが出来ません。もうお正月がちかいので、にしめでもにるような匂いがしています。  くろだいは、だいぶくたびれたので、眼をとじようとしましたが、ここは海の中ではないので、ねむることが出来ません。ねむるのにつごうのよい岩かげもないし、砂地も塩水もないので、くろだいは心ぼそくなりました。夜がふけるにしたがってだんだん寒くなってきました。くろだいは、ふとんがほしいとおもいました。尾っぽの方からこおってきそうです。  あたたかい海の中へかえりたいとおもいました。歩きたいのですけれど、人間のような足がありません。くろだいは、じっと耳をすませていました。ことっことっと何だか自分のそばを走っているものがあります。くろだいはこわくなってきて、うろこをガラスのようにかたくしていました。ここが海の中だったらいいとおもいました。どうして、あの時につかまってしまったのかと、くろだいはしずかな気持になって泣きました。あんまり泣いたので、大きい目玉に血がのぼってきました。水のないところなので、何でもかわいてしまいます。第一、しつぽもひれも固くなってうごきません。夜があけて来た時には、くろだいはかんがえることまでかたくこおりついていました。朝になって、うろこをほうちょうでそがれたのも知りませんでしたし、切身になってお塩をふられたこともわかりませんでした。夜になってじいじいとやかれた時には、くろだいのはだからおいしそうなあぶらが出ていました。もうからだは小さく切身になっていたので、くろだいはほんとうに何もかんがえる事も出来なくて、たましいだけが海の天国へふわふわおよいでかえりました。  僕は、やっと作文が出来たので、ほっとしました。静子はおかっぱのかみを時々かきあげながら熱心にかいています。静子がまるでくろだいのようで、おかしくて仕方がありません。 「もう出来たの?」 「うん出来たよ」 「いいわねえ、私、まだ半分も書けないのよ。くろだいって、おかねで買うといくらぐらいなの? 百円もするかしら」 「知らないよ、だけどもっとするんだろう、あんなすごいのは」 「そうね、わたしたち、それぢゃあ、何十円ってたべたのね」  静子は、どんなことを書いているのかな。静子は、すぐお金のことを気にするから、くろだいのねだんを書いているのかも知れないと思いました。 「さあ、やっと出来ました」  静子は何だかとくいそうです。 「読んでいいかい」  ときくと、静子はくすくす笑いながら、 「おかしいのよ、でもいいわ」  といって、書いた紙を僕の机に持って来ました。      くろだい  ゆうべ吉田さんのおじさんが来ました。私はねていてしらなかったのですけれど、朝おきてお玄関の泥だらけのくつをみて、吉田さんのおじさんがかわいそうでした。宇都宮でおうちがやけてしまったのです。  おじさんは大きいくろだいをおみやげにもっていらっしゃいました。千葉の船橋というところで買っておいでになったそうで、私のうちでは、こんな大きいお魚なんてみたことがありませんのでびっくりしました。  たべてしまうのが気のどくみたいにりつぱなおさかなです。くろだいって、えいがでみるようなおさかなです。目玉がぐりッと大きいので、私の友だちのカツチャンのようです。かたみはお正月にたべるのだっておかあさまがおっしゃいました。  おかあさまは、何年ぶりでこんなおさかなを料理するだろうとおっしゃいました。私のおうちはこんなおさかなをたべられるほどぜいたくなうちではないので、みんなでこのおさかなをたのしみにながめました。わたしたちもうれしくおもいましたけれど、おとうさまはまるでこどもみたいに、ものさしをもって来てはかっています。何百円ってするのでしょうけれど、そばにおじさんがいましたのでききませんでした。  おじさんは、これから東京で、食料品のみせをだすのだそうです。三晩ほど御やっかいになりますといいました。おじさんのもっていらっしたお米が白いので、おかあさまは、白米ってきれいね、とおっしゃいました。  私はお客さまがいらっしやるのはすきです。くろだいをもらったからではありません。  静子はいつもこんなのを書きます。おとうさんにいわせると、静子は女のくせにつめたい人間だから、何でもはっきりしているのだとおっしゃいました。      9  すっかり春らしくなりました。  僕は、このごろ、毎日畑つくりです。おとうさんと二人で灰をつくっては土にまぜてやります。僕の植えたからし菜がもう青青してきました。  畑をするのはとてもたのしみです。  せまい庭ですけれど、僕はいろいろなものを植えました。ほうれん草、ちしや、じゃがいも、小かぶ、春菊、そんなものを植えました。  じゃがいもは、長野の本田さんのおじさんがすこし下さったのを、芽のところを中心にして二つ三つに切って、切り口へ灰をつけて植えました。だんしゃくという種類だそうです。とても大きいおいもです。  僕はじゃがいもが好きです。  早く花が咲いて、大きいおいもがごろごろ出来てくれるといいな。今日は、僕たちは、学校がお昼までだったので、金井君と畑をすることにしました。  今日は金井君が、僕のうちの畑を手つだってくれる番です。二人はかわりばんこに手つだいあうことを約束しました。  今日は、金井君は、畑にくいを打って、さくをつくってくれるのです。僕の家の近所はとても犬が多くて、せっかく、きれいにならしておいた畑の上を歩きまわって荒しているので、とてもしゃくにさわって仕方がありません。  終戦前までは、犬なんかあまりいなかったのに、このごろとても野犬が多くなりました。首輪のない犬が、いままでどうしてくらしていたのだろうと思うくらい、大きいのや小さいのと、五六匹も走りまわっておもしろそうにふざけあっています。その中で、ポインタア種の、栗色をしたとてもすごいのがいて、子供たちはみんなこれをチョコといってこわがっていました。  とても人なつっこいのですけれど、何となくこわいのです。もうおじいさんで、前は、本庄さんという家にいたのですけれど、そこの人が田舎へいってしまって、ほかの人が来たので、そのチョコは、一人ぼっちになったのです。  僕の組はたいていみんな長野へ疎開して行ったのに、僕だけは、この本庄さんのチョコと東京へのこっていて、あのこわかった空襲をよく知っています。  チョコは、僕になついているのですけれど、畑を歩きまはるのでにくらしくて仕方がありません。チョコは誰もかっている人はありません。それなのに、よくふとって生きています。このごろは、どこから来たのか、小さいのや大きい犬を三四匹もひきつれて、ふざけちらして走っています。 「犬って東京だけにいるのかねえ?」  金井君がいいました。 「どうして」 「だって、長野の山の中には、犬なんてめったにいなかったよ、猫の方がたくさんいたなあ」  金井君は、去年の三月、長野へ疎開して行きました。僕にもいっしょに行こうとさそってくれたのですけれど、僕はおとうさんが出征していなかったし、おかあさんが、どんなに苦しくてもいっしょにいて下さいとおっしゃったから山へ行かなかったのです。  金井君は山のあらもの屋でとうがらしを買ってなめたお話をよくします。  ごはんがたりなくておなかがすくので、みんなあらもの屋へいって、たべられるようなものを何かさがすのだそうです。はじめはオレンジのもとというあかい粉を買ってなめていたけれど、みんなが、それを買うので、それもなくなり、こんどはわさびの粉を買ったり、とうがらしを買ったりしてなめた話をしました。  金井君はとても正直ですから、よく田舎の話をするたび、田舎の生活をあまりよくいいません。よっぽど苦しかったとみえて、田舎では東京へかえりたくて、友だちが、みんな、いろんなぼうけんをした話をしてくれました。 「僕ねえ、田舎って、絵のようにきれいなところだと思っていたのさ、そりゃあ、景色はきれいだったけれど、つまらないよ。あんなところ。山本先生は、これが戦争なんだからがまんしろがまんしろ、逃げて一人でかえるなぞはひきょうだぞっておっしゃったけれど、毎日、誰かが駅へ逃げて行くのさ。村の人って僕きらいだ。いばっているんだもの。──いやだったなああの時は……五キロもあるところへ山本先生とみんなでね、配給所へ米をもらいに行って、何度もからっぽの車をひいてかえる時、山本先生泣きながら歩いていらっしたよ。だから、僕たち、何もかもわすれて、歌でもうたおうって、山道を歌をうたって歩いたのさ。そしたら、兵隊に行っているおとうさんの事をおもい出して僕も涙が出て仕方がなかった。あの時のこと、忘れろっていったって忘れないよ。ああ。だから、富田だっていっているよ。いくら空襲があっても、君がいちばんよかったって‥‥」      10 「こんなこと、うまくいえないけど、僕、田舎はこりごりだ。畑をしたくったって、土地がないし、お百姓の道具なんて何もないだろう。だから、みんな手で掘ったよ。石ころの川床になった荒地を手でたがやしたんだぜ。小さいかぼちゃがすこし出来たかな。山本先生だの、大木先生ね、時時リンゴを買い出しに行って僕たちにたべさしてくれたよ。リンゴってうまいもんだねえ。だけど、僕、おうちへかえれればリンゴなんて一生食わなくてもいいと思ったねえ。おかあさんのことを考えると、むしゃくしゃして来るのさ、あいたくて仕方がなかったなあ。──時時山の上へ行って、みんなで、山彦ごっこをするのさ。おとうさあんと呼ぶんだよ。するとねえ、向こうの山の方から、おとうさんっていうのさ、はじめはきみがわるかったけれど、面白くなっちゃったよ。君、山彦って知ってるかい? とても変なんだよ。東京、東京って呼ぶとね、東京、東京って返事をするんだぜ。──田舎も、山のなかや、田圃や畑はいいね」 「山のなかには、いろんな鳥が鳴いてるんだろう?」 「ああ山鳩っていう、ぼつぼオってなくのがいるよ。ねむくなるようなひるひなか、山のなかでこのぼつぼオをきくと、僕、東京へかえりたくて涙が出て困っちやった」 「山のなかには買い出しは行かないだろう」 「そんなことないよ、たくさんきてたよ。米だって何だって買って行ったよ。だから、僕たちも、千田君たちと、先生にだまってキウリを買いに行ったんだよ。なまのキウリ、うまかったぜ」 「ほう、子供にも売ってくれたの?」 「そうさ、金さえ出せば誰にだって売るよ」 「そうなのかえ、驚いたねえ」  僕は田舎で苦しんだ金井君がかわいそうでした。金井君はとても正直な人です。こんどの敗戦のことも、軍人っていけなかったんだね、とがっかりしています。僕だって、おとうさんはいい人なのに、どうして大人の人ってうそつきなのか変です。  うそつきでないといえば、山本先生もいい方です。先生はこのごろ、つぎはぎだらけの洋服で来られますけれど、先生はどんなにびんぼうしていても、いつもにこにこして僕たちの友だちのようです。  去年の暮、僕の畑で出来た小さい大根を山本先生に持って行ったら、山本先生は、 「そんな心配するなよ」  とおっしゃいました。  僕がつくったのを持って来たんだというと先生は、 「そうか、そりゃあうれしいなあ」って顔をあかくされました。  先生は、このごろ頭に小さいはげが出来ました。みんな栄養失調だとうわさしています。だって、そのころ、誰かが黒板に、山本先生の栄養失調って落書していたからです。先生は落書をごらんになって、頭をかきながら、 「ひどいなあ」  と笑っていらっしゃいました。  ところが、おかしいことに、僕のおとうさんにも左の耳の上に小さいはげが出来ました。床屋でうつったのかなって心配していらっしゃいます。山本先生のも、僕のおとうさんのも、その、はげは、大きくも小さくもならないのでふしぎです。人にもうつりません。  おとうさんは先月からお仕事がみつかって会社へつとめておられます。おとうさんは、まじめに働きさえすれば、いまにきっといいことがあるとおっしゃいます。      11  金井君は疎開さきから、みんなで東京へかえった時、東京があんまり焼けているので、涙がこぼれて眼がまんまるくはれあがってしまったそうです。上野駅でお迎えのおかあさまとねえさんに抱きついて、しばらくおいおい泣いていたそうです。なつかしいおかあさまのきものの匂いがとてもうれしかったといいました。 「みんなやせてかえったんで山本先生が申しわけないとおっしゃったよ。でも、山本先生も、とてもやせていたんだからね」  古竹でさくをつくりながら、金井君はいろいろの話をします。 「でも、畑をつくるべしさ。僕は大人になったら農林技師になるつもりさ。君どう思う」 「そりゃあいいねえ」  金井君のおとうさんはまだジャワからかえりません。だから、僕のおとうさんが早くかえったのをいいなあとうらやましがります。 「ねえ、君、僕のおとうさんて、山本先生と同じように、ぬっとしててすこしもしからないよ。一度だってしかったことがないよ。──大きな大人のくせに、僕に何だってそうだんするんだぜ」 「僕のおとうさんだってしからないよ。そうだなあ、うそをいうとしかるね」 「へえ、君、うそをつくのかい」 「ああ二三度あるよ」 「いやなやつだなあ」 「仕方がなくてうそをついたのさ」 「どんな事でだい」 「おなかがすいている時に、すかないなんていうと、おとうさん、ちょっとしかるよ。ごまかすのはきらいだぞオっていうんだ」 「そりあそうさ」 「だって、みんながかわいそうだもの、僕のところは、君のとこみたいに金持ぢゃないからね」 「金持ぢゃないよ」 「だって、君のところへ行くと、いつだっておやつがあるだろう。金持だよ」  金井君は気をわるくしたのかだまってしまいました。さくが一本ずつ立って行きます。こんならチョコだってはいれないでしょう。さくのぐるりに、僕は花を植えるつもりです。二時すこしすぎたころ、おかあさんが僕たちを呼びました。今日は僕のところもおやつがありました。むしパンをおかあさんが一つずつ下さいました。 「君のうちだって金持だよ」  金井君にやられてしまいました。むしパンはとてもふんわりしていておいしいので、僕はうまくてしかたがありませんでした。えんがわに腰をかけていると、昨日の雨でしめっていた庭にかげろうがまっています。ちんちょうげの花の匂いがとてもにおってきます。庭のすみにあるこぶしの新芽がきれいです。  今年は桜も早くちりかけていると、新聞に出ていました。 「春っていいね」金井君がいいました。 「あたたかでいいね、でも、僕は夏の方がもっと好きだよ」  僕は夏が好きです。おとうさんも夏が好きです。夏になると僕とおとうさんの天下で、釣に行くのがたのしみになります。 「山本先生ね、すこし毛が生えて来たよ」  金井君がにこにこしていいました。そういえば、おとうさんも、はげがめだたなくなりました。春になったから、頭の毛もはえるのかもしれません。それに、いわしをたべるせいかもしれません。おやつがすんで、僕たちはまた畑をしました。チョコはぬくぬくと畑のそばで日向ぼっこをしています。 「お前だな、畑あらしは……」  金井君がにらみますと、チョコは、ねたなりでしっぽをゆらゆらふっています。僕はおかしくなって、チョコの前あしを一寸ふむまねをしました。チョコはざらざらした舌を出して、僕の靴さきをなめます。 「君、あのねえ、凍った山って、月夜にみるときれいだぜ。みたことはないだろう。僕たち山で、月夜に、B29が、村の上をとおったんで、そっとそとに出てみたんだよ。白い山山に、B29のサクン サクン サクンっていう、エンジンの音がはんしゃしてとてもきれいだったよ。星がいっぱい光ってて夜の凍っている山ってすごいよ」金井君が思い出したようにいいました。  凍った山ってどんなだろうと思います。僕はみみずをほじくり出したので、しばらくみつめていました。のの字になったり、Sの字になったりしてさかんに運動します。泥まみれのみみずは汗ばんでいるようです。  金井君は口笛を吹きはじめました。何ともいえないぬるい風が吹いて、今日はねむくなるようなお天気です。      12  おとうさんはこのごろおつとめです。  おとうさんはいつも口笛を吹いておかえりです。このあいだ、おとうさんは古道具屋でのこぎりを買ってきました。四十円もするのだそうです。  この、のこぎりで鶏小舎をつくって下さるのだそうです。日曜日はたのしみです。僕の畑のそばにおとうさんの鶏小舎がすこしずつ出来ています。いつになったら鶏が来るのでしょう。  いつかの、おとうさんの童話のような、ふとった鶏が、この小舎に来るのかとおもうと僕はたのしみです。金井君も時時みに来ます。おかあさんは鶏を飼ってもたべさせるものがないので、生物は困るといっています。僕は生物は何でも好きです。  鶏は、吉田さんのおじさんが、宇都宮から持ってきて下さるのだそうです。吉田さんのおじさんは、お仕事のことで、たびたび東京へいらっしゃいます。  早く鶏のおうちが出来て、宇都宮の鶏が来るといいと思います。今日は日曜日なので、僕は金井君と二人で雑司ヶ谷の坂井君のおうちへ約束しておいた竹をもらいに行きました。金網のかわりに、竹の細いので格子をつくってやるのです。目白へ出て、学習院の通りを歩いていると、僕たちぐらいの男の子が、 「八王子へ行くのはこの道を行ったらいいの」とききます。  破れたシャツと、あしの出たつぎはぎだらけのズボンで、小さい風呂敷包を持っています。髪の毛が随分のびていて大人のようにつかれた顔をしています。  僕たちは八王子を知りません。 「君はどこから来たの」  金井君がたずねました。 「遠いところから来たの‥‥」 「遠いところってどこなの」 「深谷というところから歩いて来たの」 「へえ、深谷ってどこだい、健ちゃん知ってる‥‥」  深谷というのは、どこだか知らないけれども、おかあさんは、ねぎの話が出ると、すぐ、深谷のねぎはおいしかったというから、ねぎの出来るところから来たのかも知れないと思いました。 「ねぎのたくさん出来るところだろう‥‥」  僕がたずねると、その子は、「うん」といいました。  たぶん、おなかがすいているのでしょう、大変元気がありません。白目のところが青い、眼の大きい子です。 「八王子って遠いんだろう‥‥何しに行くの‥‥」 「おばあさんがいるんだよ」 「君一人で行くの‥‥」 「ああ、うちは東京なんだけど焼けてね、深谷の桶屋へ小僧に行ってたんだけど、つまらないから歩いてかえるんだよ。──もう歩くのつかれちゃった‥‥」  口をきくのもいやいやみたいに男の子はふかいためいきをつきました。金井君も僕もすっかり同情してしまいました。 「君、おなかすいてるんだろう‥‥」  金井君はそういって、ポケットから乾パンを出して男の子にやりました。男の子はびっくりしたような顔をしていましたが、急にあかい顔をして「ありがとう」といいました。陸橋みたいになっているところの、みはらしのいい小さい空地へ三人は歩きました。 「ここで少しやすんで行こう」  こんなときの金井君は、とても同情ぶかくて、何だか一生懸命なのです。 「君、電車へ乗るお金ないの」  金井君がたずねました。 「金なんかないよ」  男の子はまだ乾パンをたべません。僕は何も持っていないけれど、お金なら二円ほど持っているのでやってもいいと思いました。  せまい空地にはつつじが咲いていました。白と赤のつつじがほこりっぽく咲いています。男の子は石の台に腰をかけて、よごれた手拭で汗をふきました。 「君、どこでお家が焼けたの?」 「本所緑町、去年の三月九日だ」 「学校は‥‥」 「五年きりでやめたのさ。うちは貧乏だから‥‥おとうさんはサイパンで戦死したし、おかあさんと赤ん坊は本所の区役所の前で別れたきり、だから僕一人になったのさ‥‥」 「どうして桶屋なんかに行ったの」 「人が連れて行ったから」 「おばあさんのところへなぜ早く行かなかったの……」 「おばあさん、いくども深谷に来てくれたんだけど、桶屋なんてつまらなくなって、おばあさんのところへ行くのさ」 「おばあさんは何をしてるの」 「あらいはりなんかしていたんだそうだけど、今はよその手伝いなんかに行ってるんだよ」 「家は知ってるの‥‥」 「焼ける前、二三度おかあさんと行ったことがある」      13  僕たちは、その男の子を連れてお家へかえりました。竹なんか、またいつでも、もらいに行けると金井君がいいます。僕もそう思いました。  おとうさんは、竹ももたないで、あんまり早くかえった僕たちをみてびっくりしました。  しらない男の子まで連れているので、おとうさんは変な顔をしています。僕がその子と学習院のところで会った話をすると、おとうさんは、 「そりゃアいいことをした」  とおっしゃいました。 「君、いくつなの」  おとうさんがのこぎりを持ったままたずねました。 「十三です」  何となく元気がありません。おかあさんは、ちょうどおやつをつくりかけていたので、とむしパンをつくっていました。  男の子は、風呂敷の中から黒い米を出しました。 「これを煮たいのですが、なべをかして下さい」  といいます。 「そんなもの出さなくてもいいよ。いまパンがふけるからそれを食べて、それからおじさんが八王子に連れて行ってあげよう」  と、おとうさんがいいました。金井君は、この子の着ているシャツよりはましなのがあるから、お家でもらって来るといって走ってかえりました。  やがてむしパンが出来ました。大きいむしパンを手にして、その子は顔をあかくしていました。 「遠慮しないでお上り」  みんながすすめて、やっと、その子はむしパンを食べはじめました。桶屋さんはいい人たちだけれど、この子は桶をつくることはきらいなのだそうです。どんなに好きになりたいと思っても、あの桶の音をきいているのはがまんが出来ないのだそうです。おばあさんとそうだんをして、東京で給仕でもして、夜学に行って勉強したいのだそうです。  金井君がシャツを持って来ました。  おとうさんはちょうど八王子にたずねなければならない人があるからといって、その子といっしょに出かけて行かれました。  おかあさんはむしパンののこりを紙につつんでその子に持たせました。とてもよろこんで、その子は何度もおじぎをして行きました。僕は金井君と話しました。 「おとうさんやおかあさんがなくなって、あの子、かわいそうだね」 「うん、だけど、あの子はきっといい人になるね」  金井君はそういいました。  僕はおとうさんが、あの子について行って下さったのがとてもうれしかったのです。おとうさんはあの子と電車にのっていろいろなことを話しているでしょう。静子は時計ばかりみていて、おとうさんは何時ごろかえるかしらとそればかり気にしています。  おとうさんは夜おそくかえって来ました。僕たちがお寝床をしいている時に、 「かえったよ」といって玄関があきました。僕も静子も走って玄関に行きました。  おとうさんは竹の子だの菜っぱだの持ってかえりました。 「とてもわかりにくいところだったが、おばあさんという人がいて、よろこんでいたよ。竹の子を持って行ってくれって、これをよこしたのだよ」  小さい竹の子が三本、やぶけた新聞紙からのぞいています。あの子のおばあさんは、とてもあの子のことを心配していたのだそうです。おばあさんというのは、あの子のおかあさんの一番上のねえさんでほんとうはおばさんなのだそうです。おばさんのお家も大変まずしいお家だそうですけれど、みんないい人たちばかりだから、あの子はきっとしあわせになるだろうとおとうさんが話しました。茶の間で、おとうさんだけ、おそい夕ごはんをたべています。  菜っぱは、おとうさんのおしりあいでもらったのだそうです。おとうさんはいろいろな種ももらって来ていました。さやいんげんの種もありました。いままけば秋にはたべられるのだそうです。  あの子は、僕たちに会わなかったら、まだ歩いているころだったでしょう。おとうさんが連れて行って下さってうれしいと思いました。  桶屋さんの人たちも、あの子をとてもかわいがっていたのだそうです。 「人がらがいいのだよ。だから神さまはすててはおかないのだね。あの子のうまれつきがいいから、みんながあの子をかわいがるので、あの子も気が弱くなって、黙って出てきたのだろう。──おばあさんという人がそんなことをいっていたが、桶屋さんにはすぐあいさつに行きますといっていたよ」  おとうさんがおかあさんに話しています。  おとうさんは八王子の駅で、万年筆をおとしたのだそうですけれど、女学生みたいな人がひろってくれて、ほんとうにたすかったといいました。  その夜、おとうさんとねながら話しました。 「人間って何だろうね」 「人間って僕たちのことでしょう」 「そうだよ、人間って、いいことをするために生まれて来ているのだよ。世の中にめいわくをかけないで、少しでもいいことをして死ねたら、それがいちばんいい人間なんだ、よその人が困るやうなことをしてよろこぶこころを持っている人間は、人間でもいちばんよくないね、自然にすくすくと大きくなって、すなおなこころがぬけない人間になることが大切だね。あの子はきたないかっこうはしていたけれど、とてもいい子どもだね。桶屋さんのことをすこしもわるくはいわないし、誰もうらんでいるような気持を持っていない、いい子どもだったね」  僕は、ものをもらうたび、かおをあかくしていたあの子のかっこうをなつかしくおもいました。  明日は、ながいこと兵隊に行っておいでになった及川先生のかんげい会があるのです。  先生は僕たちが大きくなっているのをどんなに驚かれるでしょう。及川先生はいい先生です。一年生の時から三年生までうけもってもらった先生です。  僕は、八王子にかえったあの子のことや、復員して来られた及川先生のことを考えました。 「ずいぶん、いろいろな身の上の人があるんですね、おとうさん」  おとうさんは「そうだね」とおっしゃってしばらく天井をじっとにらんでいました。 「健坊も、もう、そろそろむずかしい本を読んでもいいね」  おとうさんがそういいます。 「どんな本ですか」 「そうだね、ホワイトファングというのはどうだろうね、犬の物語を書いた小説でね、山の中の狼が、だんだん人間の世の中に出て来て、おしまいにはおとなしい犬になるという物語なんだよ。これと同じもので、逆に、犬から、狼になってゆく、野性のよびごえというのもあるがね、おとうさんが探して来てあげようね」  僕は、動物の小説は大好きです。僕はおとうさんにはないしょで、このあいだ、金井君からかりて、偉大なる王という虎の小説を読みかけています。むずかしいけれど、とても面白い虎の生活が書いてあります。  僕は絵をみるのも好きです。音楽も好きです。人間っていいなと思います。好きな絵をみることも出来るし、好きな音楽をきくことも出来るから、動物と違うねと静子にいつか話しましたら、静子は、 「あら、動物だって、風の音楽をきくし、雲だの木だのみてよろこぶでしょう」  と、いいました。  動物は、人間みたいにぜいたくなものをほしがらないから、自然な山の中で、のんびりくらせて、戦争なんかないからいいでしょうというのです。      14  朝、静子が走って来て、かわいらしい小さい鳥が、つるばらの枝にとまっているというので、そっと行ってみました。もずの子がビロードみたいなむくむくした羽根をしてきょとんとしています。  僕たちがそばへ行ってもおどろきません。  時時もずのおかあさんらしいのが、僕たちを心配そうにして飛んでいます。何だか食物を運んでいる様子です。 「ねえ、おうちで飼いましょうよ」  静子がさかんにほしがりますけれど、僕は飼うようになると、きっところすことになるからといいました。静子はおとうさんを呼んで来ました。  おとうさんもやっぱり僕と同じように、そっとしておく方がいいといいました。僕は夏になると、いろんな生物がいるようになるのが好きです。  おとうさんはおやすみが来たら、僕を釣に連れて行こうといいました。  僕はいつものように、会社へ行くおとうさんといっしょに家を出ます。静子はいつもぐずぐずしているからほっといて行きます。  涼しい風が吹いている朝の街をおとうさんと歩くのは好きです。 「及川先生がまた学校へもどって来られたんですよ」 「そうか、それはよかったねえ、先生はお元気かな‥‥」 「ええとても元気で、昨日は先生が英語の歌をうたってくれましたよ」 「ほう‥‥」 「それから、南方でとったのだっていろんな蝶蝶の標本も見せてくれたんですよ。及川先生は戦争がすむと蝶蝶ばかりつかまえて大切にしていたんですって」  おとうさんの影法師が僕たちの前をひょこひょこ歩いて行きます。長い影法師です。 「ああさっき、八王子の子どもから健坊に手紙が来ていたよ、おとうさんにも来ているよ」  お家のポストにはいっていた手紙を、そのままおとうさんがポケットへ入れて持って来られたのでしょう。大きい字で書いた手紙をおとうさんが下さいました。僕は目白の駅で会社に行くおとうさんと別れました。  学校へ行くと、金井君が走って来ました。 「おはよう」 「ああ、おはよう」  僕はすぐ金井君に八王子の子どもの手紙をみせました。そしていっしょに手紙をひらいてみました。   はいけい。   長いことごぶさたしています。  たくさんお世話になっていて、何のお礼状も出しませんでお許し下さい。今日は書こう、今日は書こうと思いながら私は毎日せわしく暮しております。早く東京へ出てどこかへつとめたいのですが、東京へは転入出来ませんので、当分、近所のお百姓の手伝いをするより仕方がありません。私は百姓仕事はたいへん下手ですが、食糧がすくない折から、どんどん、どこでも手伝いに行くつもりでおります。桶屋ではたらくことを考えますと何でも出来ます。東京の青空市場へ行って野菜のあきないをしようかとおもっていますが、おばあさんがゆるしてくれません。私はお金をためて学校に行きたいのですが、おばあさんは、学校どころではないといいます。ゆうべ、うちのとなりで車人形というのをみせてもらいました。進駐軍の兵隊さんが二人見に来ていました。  一度ぜひこちらにもお出で下さい。  このごろ、私は麦刈りに行きます。うちでも少し麦をつくっていますから、粉になったら少しですが持って行きます。シャツをもらったぼっちゃんお元気ですか。よろしくおっしゃって下さい。  僕は八王子の子どもの手紙を読んで行きながら泣きたいようなかわいそうな気持になりました。金井君は「そのうち、学校が休みになったら行こうよ」といいました。  朝の体操の時間、及川先生と僕たちはフットボールをしました。それから討論会です。 「おとうさんにお仕事のあるものは手をあげて‥‥」  及川先生がいいました。僕はいきおひよく手をあげました。四十人の組のうち、手をあげないものが七人もいます。そのなかに、咲田という女の子がまじっていました。 「おかあさんがお仕事を持って働いているものは手をあげて‥‥」  組のうち半分が手をあげました。 「学校へおべんとうを持って来るのはちょっと困るなというお家の声をきいた人は手をあげて‥‥」  組のほとんどが手をあげたのでみんなわっと笑いました。及川先生も笑っています。 「どんなことをおっしゃっているの。金井君いってごらん」 「はい、僕の家は朝おかゆです。だから、僕とねえさんのためにわざわざべんとうをつくることは大変だっておかあさんがこぼします」 「ねえさんは学校ですか」 「いいえ、新聞社へ勤めています」  その次に咲田という女の子、「私の家は、いまおとうさんが失業していますので、朝は麦を粉にしてダンゴを食べます。私はおべんとうは持って来ないことにしています。夜はごはんです。たくさんいろいろなものをにこみます。でもなれてしまいましたから何でもありません」僕はじっと空をみていました。どうしてみんなこんなに困るのだろうと思うのです。戦争がすんだのだから、どんどんものが出来てよさそうなのに、どうしてこんななのだろうと思います。僕たちの教室だって焼けてしまっているし、いまは体操場が僕たちの教室になっています。窓の向こうは焼野原で、草や畑が青青しているけれど、まだまだ焼跡つづきでお家はなかなか建たないのです。  僕の家もおべんとうをつくるのは困っています。だから、朝ごはんをたいても、いつもたきたてのごはんがおとうさんや僕のべんとうばこへおさまるのです。僕たちは朝むしパンを食べます。弟が昔の古雑誌にのっていたごちそうの写真をみて、ぱくぱく食べるまねをすると、おかあさんはかわいそうね、といいます。おとうさんは、「案外、本人は知らないで、そんなことをしているのだからかわいそうぢゃないよ」といいました。      15  一日のうちにごはんらしいものを食べているのはいいほうで、何日もお米なんてみたことがない、という子どももたくさんいます。 「でも、私は、勉強をしている時だの、遊んでいる時は食べもののことなんか忘れます」  と咲田君がいいました。すると、他の女の子たちも、 「ええ私もそうよ」と小さい声でいっています。 「君たちは大きくなったら何になりたいかね」  及川先生がたずねました。一人一人指名されたので、一人一人立って答えます。僕は、空のことが好きですから、天文学者になりたいと答えました。金井君は農林技師になりたいのだそうです。みんな、てんでに面白い答をしました。なかにはやみ屋になりたいというのがいて、みんなどっと笑いました。大谷君といって、大谷君のおとうさんは、いま進駐軍の人夫をしているのだそうです。みんなが笑うと、及川先生は笑ってはいけないとおしかりになりました。  大谷君は勉強は少しもできないけれど、とても正直なのでみんなが好きでした。 「どうして、大谷君はやみ屋になりたいの」  先生がおたずねになると、大谷君はあかい顔をして、 「お金がたくさんもうかるそうですから」  と申しました。  女の子たちには早く大きくなってお嫁さんに行きますという子がいたり、先生になりたいというのや、魚屋さんになりたいというのや、美容師になりたいというのがいて面白いです。  僕は夜、ごはんの時に、おとうさんに、今日のはなしをしました。おとうさんは大谷君を面白い子だなといいました。  おかあさんは何だか気分が悪いといって早くおやすみになったので、僕と静子があとかたづけをしました。  あくる朝、おかあさんは熱があって起きられませんでしたので、おとうさんが台所をしました。おとうさんがすいとんをつくってくれました。僕のつくったふだん草をすいとんに入れました。  いつも丈夫なおかあさんがおやすみなので、僕たちはちっともたのしくありません。近くには氷屋さんがないので、金だらいに水を汲んで来て、おかあさんの枕もとに置きました。  おとうさんは会社をおやすみになり、僕たちは学校へ行きました。学校へ行っても、お家のことが心配です。でも、どこを見ても青青としていて気持がいいし、このごろはお天気つづきで学校の野菜畑にも出られるし、みんな戸外にいるのがたのしそうです。今年は早く夏休みがあるのだそうです。金井君は学校が休みになっても、学校の畑をみまわりに来るのだといっていました。  僕たちの級の畑には、馬鈴薯とさつまいもと、ふだん草と、とうもろこしが植えてあります。金井君はとても畑つくりがうまくて、こつこつ畑をやっています。 「ねえ、馬鈴薯の花って白だのむらさきだのきれいなはずだに、学校の馬鈴薯は少しも花が咲かないねえ」  僕がたずねますと、金井君は、 「馬鈴薯はあまり花をつけちゃあ、いもがつかないんだよ。花が咲きかける時にこやしをやって、根に力をつけてやるようにすると、咲きかけた花に養分が行かなくなって、自然に花がしぼんでゆくのさ、そうすると馬鈴薯がぐんぐん大きくなっているしょうこだよ」  と申しました。 「ふうん、面白いんだねえ‥‥植物って、なかなかしんけいしつなんだね」 「そりやそうさ、生物ってものは、ちゃんとよくみてやらなくちゃ何にもならないよ。肥料一つでとてもちがうんだぜ」  道理で、女生徒の畑は水ばかりじゃぶじゃぶかけているのでいやにひょろひょろしているけれど、僕たちの畑はとてもりっぱです。みんな金井君の指導です。 「第一、ものを植えるっていってもね、陽あたりのいいってことが一番大切なんだよ。木の下だの、一日ぢゅう陽のあたらないところは駄目、みんな、ところかまわず植えればいいってものぢやないものね。その次が肥料と手入れさ。肥料をやらなくちゃいいものは出来ないね」  このあいだも、なすを植える時、金井君は畑でどんどん火をたいて、その灰をよく土にまぶして、なすを植えつけました。水は一回もやらないのに、なすはぐんぐんそだっています。  なすの苗は、金井君が千葉のお百姓家でわけてもらって来たもので、とてもいい苗でした。  やみ屋になりたいという大谷君は、金井君のあとばかりくっついて、一生懸命に働きます。でも、時時、どっかで、いろんな種をあつめてきて、畑のすみに植えるので、金井君は時時大谷君をしかります。このあいだも、朝顔の種を持って来て、トマトの苗のところに植えました。そして、ダルマノメだの、カノコシボリだのという札をぶらさげるので、みんな笑います。金井君はすぐその種をほじくって捨てるので、大谷君がちょっと気の毒になります。      16  今日は、おかあさんのぐあいがわるいので、僕は畑をしないで、早くお家へかえりました。朝、お医者さまがみえたのだそうで、おかあさんは当分しずかに寝ていなければなりません。おかあさんはあかい顔をして、手拭を頭にあてていました。 「おかあさま、大丈夫なの」  おとうさまにききますと、 「ああ、すぐなおるよ。つかれも出たんだし、栄養失調もあるのだから、当分寝ててもらうのさ」  とおっしゃいました。  静子もとても心配しています。  おとうさんは、近所のやみ市へ卵を買いに行くのだというので、静子や弟を留守番にして、僕とおとうさんは出かけました。 「おい健坊!」  おとうさんがまじめな顔でいいました。 「おかあさんは、胸も少しわるいから、こんどは少し病気が長びくかもしれないけれど、がっかりしないでやるんだよ──いよいよ、お家もこれから大変なのだから、へこたれちゃいけないね。おとうさんは、会社をあまり休むわけには行かないから困るけれど、健坊が力になってみてくれなくちゃいけないよ、いいかい」  とおっしゃいました。  僕はどんなことでもしようと思います。  兵隊に行って戦死した人のことを思えばどんなつらいことだって出来ると思いました。 「日本は戦争に敗けたんだから、このくらいのことはあたりまえなのだよ、お家をとられて、みんなちりぢりになっても文句はいえないのだから、このくらいのことは、まだまだしあわせだと思って、今年一年やって行けば、そのさきは、いまよりらくになるだろう。くるしみのあとには、きっとらくになれるもんだ」  僕もおとうさんのお話のとおりだと思っています。どんなに苦しいことがあっても、がまんしてやって行こうと思います。  今日はお天気がいいので、たくさん露店が出ていました。卵はたいてい四円五十銭から四円八十銭という札が出ています。おとうさんは、四円八十銭の卵を二つ買いました。それから、うなぎのきもを一皿買いました。キャベツも一つ買いました。  僕たちにはいわしだの、干にしんを買いました。 「おとうさん、あんまりお金つかって大丈夫」って、ききますと、おとうさんは、 「こら、子どものくせに生意気いうでない」って笑っています。  僕のおとうさんは、いつもにこにこしています。すこしもしかりません。 「今日はおとうさん、お金持ですね」  と僕がききますと、 「そりあそうさ」  と笑っています。  夜、静子にきいたら、おとうさんは、どこかのおじさんをつれて来て、本だのレコードだのお売りになったのだそうです。  おとうさんは、とても音楽が好きでした。  僕はいつも、おとうさんがかけて下さるモルドウというのが好きでした。それから四台のピアノも好きです。モルドウというのは、河の流れを曲にしたのだそうで、山の奥から街の中へ流れて行くまでの河のすがたが目にみえるようです。  モルドウを売られては淋しいと思いました。それから、本もおとうさんは大切にしておられたので、何だか気の毒に思いました。 「おとうさん、本だなのレコード売ったんですか」 「ああ、あんなもの、焼けたと思えば何でもない、よその人が、たのしんでくれると思えばいいんだよ」 「モルドウはどうしたの」 「ああ、あれはまだあるよ」 「ああよかった」 「でも、いまに蓄音機も売ってしまうかもしれないよ」 「僕、いやだなあ」 「いやだっていっても、僕たちは戦争に敗けたんだよ。当分はぜいたくなことはいっていられないよ。みんな、いっしょにくるしむ時代なんだから。──おとうさんは、お前たちだけは何も知らせないって気持はないから、何でも話しておくけど、戦争に敗けたということをなまぬるく考えていちゃいけないのだよ。戦争に敗けることが、このくらいのなまぬるさだったらまたいつか戦争みたいなことがおこりかねないね。永久に戦争ってなくしたいことに努力するのが、いまの人たちの責任なんだよ」  おとうさんは暑いので、アンダシャツ一枚で台所をしています。蛇の目の傘の破れたのでくしをつくって、おとうさんはうなぎのきもを焼いています。  とてもいい匂いがして、弟は早く食べたいとさわぎます。  静子はキャベツをこまかく切っています。 「ねえ、健ちゃん、もうこれで四円ぐらいキャベツ切っちゃったわ」  といっています。  食物がこんなにたくさんあると、僕は何だか変です。夜はパンをつくるのだそうです。僕は粉ひきで麦をひきます。手が痛くなったけれど、がまんしてハンドルをまわします。  キャベツのはいったパンを食べるなんてどんなにおいしいだろうとたのしみです。  八王子の子どもが、いつか粉を持って来てくれると手紙をくれましたけれど、早く持って、来てくれるといいなと思いました。  きもを焼く匂いはとてもいい匂いで、好きです。これはおかあさんに早く元気になってもらうようにあげるのです。  七時ごろ、やっとパンが出来ました。  おかあさんは、熱があるので、パンはほしくないといって、うなぎのきもと、生卵を一つ食べました。  僕たちは茶の間で食事をしました。  パンはとてもおいしくて、一口食べると舌のなかにつばきがあつくなるような気がします。ふだん草のお汁と、小さいいわしの焼いたのがあって、とてもにぎやかな食事です。  おとうさんはごはんがすむと、「ああくたびれた」といって、 「静子、お前、あとかたづけをたのむよ」  とおっしゃいました。僕は静子に「あとかたづけしてくれよ」  というと、 「あら、兄さんはずるいわ、おとうさんの真似をしていけないわ。何でも助けあってやらなくちゃあずるいわ」  といいます。  僕は仕方がないから、皿をふいてやる役目をしました。  おかあさんがお水がほしいというので持って行き、 「おかあさん、気分はどうですか」  とたずねますと、 「とてもいいのよ。でも、まだ起きるのはたいぎだけど、みんなが元気だから寝ていても、みんなの声をきいていてたのしいのよ」  とおっしゃいました。  どこかで蛙がないています。おとうさんはもう、うとうとしています。  台所では静子が茶わんを洗いながら、 「ねえ、おとうさまって、とても台所はうまいなんてうそよ。だって、うなぎのきもを焼くのだって、とっときの炭をじゃんじゃんつかっているし、お醤油だってジャブジャブつかって、これぢゃ大変なことになってしまうわ。おかあさまは、とても大切になんでもおつかいになっているのに、パンだって、ほんとうは、今夜のは量が多すぎるのよ。わたしだまってたけど明日からわたしがしようと思うの。それに、おとうさまったらすぐつかれておしまいになるんだもの‥‥」 「でも、うまかったねえ」 「ええ、だって材料のありったけつかうんですもの、これぢゃあ誰だってできるわ」  静子は醤油ビンを出して、電気にすかしてみています。静子のやつ、けちだなあって思ったけれど、僕はだまって、醤油ビンをみていました。  赤い水がビンの中で光っていて、きれいです。もういくらもありませんでした。      17 わが庭に、鶏ついばめり、鶏小舎は ひろびろとしてさびしそうなり かわきたる洗たくものをとりいれて 夕やけ雲に口笛吹きぬ 八丈島たいふうありとラジオいう 雨戸をしめて雨の音きく 靴の底陽に干しながらオルガンの ラジオをきけば平和なりけり  長い夏休みのあいだぢゅう、僕たちはおかあさんの看病をしました。おかあさんはぐんぐんよくなりました。僕は時時、和歌をつくりました。和歌なんてむずかしいと思っていたけれど、案外面白いので、おとうさんにみてもらいます。  おとうさんも僕と同じように、時時歌をつくります。おとうさんのはむずかしくてよく判りませんけれど、おとうさんは気持のいい声をたててろうどくします。 吾子の声にぎやかにくるこの朝の 眼ざめのかなしみふき消す如く  おとうさんの歌です。  静子も歌をつくりたいといいますけれど、静子はなかなか出来ないとこぼしています。  はじめ、宇都宮からもらった鶏は二羽いたのですけれど、野良犬にとられてしまって、たった一羽になり、大きくつくった鶏小舎が、何だか広くなってさびしそうだったのを和歌にしました。  おとうさんは、和歌というものは、きどっては駄目だとおっしゃいました。なんでも思うままに正直に書くのがいいのだそうです。秋になったら、おとうさんがまたおとぎばなしをして下さるそうです。  おとうさんは、このごろ近所の商業学校の夜学へ数学をおしえに行かれるようになりました。おかあさんは、四五日前から起きられるようになりました。となりの本田さんのおばさんにもずいぶんお世話になったので、そのうち鶏でもつぶしたら、お礼に半分あげるのだとおとうさんがいっていましたけれど、僕は、何だか、自分の家でかっていた鶏を殺す気にはなれません。  鶏は何も知らないで、こっこ、こっこと庭に遊んでいます。この夏はあまり暑かったので卵も生みません。でも、今年は豊年がたの暑さだというので何だかぱあっと明るい気がします。おとうさんが、楽あれば苦あり、苦あれば楽ありとおっしゃったことが思いあたるようで、豊年で、お米がたくさん出来るといいなと思いました。 「うちのこっこちゃん、殺されるのいやね」  静子がさびしそうにして、とても気にしています。 「大丈夫だよ。僕たちでがんばれば、おとうさんだって殺すことをあきらめてしまうさ──」 「そうかしら、でも、鶏って、人間に食べられるために生れてるみたいでかわいそうね──何も知らないで、土をほじくってるのをみると哀れになるわ」  養鶏場みたいに、たくさんかえばそうでもないのだろうけれど、たった一羽だから哀れになるのかも知れません。  朝夕は、とても涼しくなりました。金井君は時時やって来ます。  今日もお昼から勉強に来ます。  僕は、去年の空襲のことを考えると、何だか、今年はのんびりしていて、あわてないで勉強が出来るのがうれしいです。      18  金井君がおみやげに金魚を一ぴき買って来ました。とても尾ひれのひらいた、頭でっかちの金魚です。 「これはね、らんちゅうというんだよ。昔はとてもはやったものだって‥‥一びき何百円もするのがあったんだって」  頭の上にこぶが出ていて、女のスカートのようにひらいた尻尾が、水の中で、そっとひらいたりつぼんだり消えかけたりしています。  そのうち、金魚の歌をつくろうと思いました。  金井君はどうようみたいなものをつくります。 もうじき秋が来る 空がそういつた もうじき秋が来る 山の木がそういつた。 小雨が走っていいに来た 郵便屋さんがラシャ帽子をかぶった 夜がいいに来た もうじき秋ですよ  これは金井君のどうよう。及川先生が読んで下さった。金井君は畑が好きだけに、とてものんびりしていて、時時妙なことを書いては及川先生に見せています。 天井から豆がおちて来た ねずみのイントクブッシかな 西どなりで水の音がする  これも金井君のうたったもの。僕はこんなのはつくれない。 「君、いまはね、天火のかまをつくってるんだよ。うまくパンが焼けそうなんだよ」 「何でもよく製造するんだなあ。金井製造会社だなあ」  僕がからかうと、金井君は、 「ああなんでもかたっぱしからつくるのさ、つくってる時、一番面白いよ。そのうち時計をつくろうかと思ってるんだぜ」 「へえ、時計、むずかしくないの」 「古くてどうにもならない時計があるからそれでぽつぽつ時計をつくろうと考えているのさ‥‥いいものつくってみせに来るよ」  僕のおとうさんも金井君の発明にはおどろいています。  勉強がすむと、さっそく金井君はらんちゅうのうたをつくりました。 はでなおじさんだなァ 黙っているから変だよ君は ぬれたきものをいつかわかすの どこへでも水をもって旅行している らんちゅうのおじさん どこから来たの君は だまっているから みんなが君を笑っているよ。  僕はなかなか金井君みたいにはやく出来ません。 「ハヴァハヴァ」  と、金井君がせきたてると、なおさら出来ないのです。ただ頭の中をパンのように大きい金魚がうろうろしています。  今日は日曜でおとうさんはおうちです。 「金井君、これはどうだ、おじさんの歌はつまらないかな‥‥」  おとうさんが和歌をつくって持って来ました。 水の上の水の光にらんちゅうは きわまり燃ゆる四囲ながめぬ 「これはねえ、空襲最中のらんちゅうだよ」  そういって、おとうさんはおかしそうに笑いました。  家が焼けている最中に、らんちゅうなんか持って逃げる人はないでしょう。水がにえて来る時のらんちゅうはどんなに悲しかったでしょう。僕はそのころ、おかあさんとふるえながら、壕の中で、一面火の海になったのを見ていましたけれども、らんちゅうのことなんか気がつきませんでした。  金井君の家では、空地を借りて七百本もいもを植えたので、もうじき、いもほりをするから持って来てあげようといってくれます。人にとられるといけないから早ぼりをするのだといっていました。      19  夜、要さんが遊びに来ました。要さんのおうちも暮しが大変だから、学校をやめてしまって、印刷所につとめに行くのだと相談に来たのだそうです。  要さんの姉さんも、いまはタイピストになって丸の内の会社につとめています、いまは、どこのおうちも大変な時なのだと思います。  僕も、中学なんか行くのはよそうと思ったりしますけれど、考えてみると、中学へ行くことをやめるのはいやだと思いました。僕たちが中学へ行くころは、何とかいい暮しになるといいと思います。  要さんが学校をやめるといいますと、おとうさんはふきげんな顔をしてだまっていました。 「だって、このままぢゃ仕方がないでしょう。僕は、年をとってから学校へ行ってもいいと思ってるんです‥‥」 「だけど、何とか出来ないかねえ。昔は苦学した人さえたくさんあったんだよ。まあ、昔といまとはちがうかもしれないけれど、何とか出来ないかね」  おとうさんは、岩にかじりついても学校だけは出た方がいいといってききません。  要さんもかんがえが変つたのか、はればれした顔つきで、 「じゃあ、もういっぺん、よく考えて何とかやってみます」  といいました。  僕だってそう思います。食物をどんなにつめてもいいから勉強だけは一生懸命しようと思いました。  学問を尊敬しない国はほろびてしまうと、おとうさんはよくいいます。  要さんはその晩、僕のうちにとまりました。久しぶりに家らしい家に来て気持がいいといっています。僕は要さんと一しょにやすみました。 「おうちで、君に学校をやめた方がいいっていわないのに、要君だけの考えでやめたりしては、第一姉さんに対してもすまない。学校だけは出ておいた方がいいね」  要さんは、はいはいと返事をしていました。  僕も、学校は好きです。第一、たくさんの友達と別れてしまうことなんて出来ません。疎開からもどって来た友達に、東京の空襲の話をしながら、友達っていいなと思いました。それから、一等なつかしいのは先生です。  翌る朝、早く要さんは元気でかえりました。      20  僕は、金井君や繁野君たちと、ラビットクラブというのをつくりました。  ラビットというのは、兎さんのことだそうです。お月様のなかで、いつもお餅をついてるような、やさしい兎さんみたいな会がいいというので、おとうさんがつけて下さいました。  金井君は、工作が上手だから、すぐ木に兎をほって、マークをつくりました。繁野君というのは、こんどおとなりの本田さんのところへきた子どもで、おとうさんと、おかあさんと、ねえさんと四人で満州の奉天からもどって来たのです。  僕とおなじとしで、僕より小さいのですけれど、とても頭のいい子です。繁野君は、歌もつくるし、蝶蝶をとることがとても好きで、このあいだも、千葉へ行って、黒あげはだの、しじみ蝶なんかたくさんとって来ました。   木の間ちょうちょうゆるく吹かれゆく  繁野君のはいくです。木の間を飛んでいる蝶蝶は、人にとられるのもわからないで、のんびり風に吹かれていたという、気持なのだそうです。  ラビットクラブは、月に一回、会員の家にあつまって、いろんな話をしたり、歌やどうようをつくったりすることにしました。はじめは金井君のおうちであつまることにしました。たった三人の会員で淋しいので、おいおい、人をふやして行こうとやくそくしました。  ラビットクラブは、ただお話だけをするのではなく、いいこともしなければ、いみがないとおとうさんはいいます。 「でもね、いいことをするということにこだわって、つくりごとをしてはいけないよ。いいかい。しぜんなしかたで、いいことをたのしくするという、気持だと、長くつづくものだよ」  と、おとうさんがおっしゃいました。  金曜日の夜。  僕たちは、金井君のうちにあつまりました。沢井君、野田君が、あたらしくおなかまにはいりました。 「僕ね、この間、宇都宮へ行くんで、おかあさんと上野駅へ行ったんだよ。そしたら、僕ぐらいの子どもが、新聞を買ってくれって来たんで、おかあさんが、気の毒だって新聞を買ったの。そうしたら、そこへ、とてもやせこけた男の人が来て、たばこのすいがらをひろったんだよ。するとね、その子どもは、とても怒った顔して、ここは俺の縄張りだよって、どなってるの。僕、何だかこわかったなあ‥‥」  繁野君の話です。 「それでねえ、おかあさんが、パンを一つやったの、おとうさんやおかあさんは、どうしたのって聞くと、浅草で黒こげになって死んぢゃったっていうの‥‥ほんとうかなア」  繁野君は、いかにも、その子どものことがふしぎそうなのです。僕はラジオだの、話にきくけれど、まだそんな子どもをみたことがありません。  そのつぎは、金井君の話です。 「僕はねえ、このあいだ、新宿へ行ったら、よそのおばあさんが、お金入を落したって泣いているのを見たよ。人が三四人たかっていろいろきいているけれど、おばあさんは、何処で落したかわからないんだって、三百円も落したっていうんだろう。甲府へかえるのに、切符も落したんだって‥‥汽車ちんがなければ、甲府へかえれないっていうんでメガネをかけたおばさんが、そのおばあさんに十円めぐんでいたのさ。そしたら、赤い鞄をさげた男の人が二十円おばあさんにくれたんだ。僕何だかはずかしかったけれど、本を買うお金を持っていたから、五円だけ出しておばあさんにやっちゃった。おばあさんはみんなにぺこぺこおじぎをしてるのさ。──僕がお金を出したら、また、あとで、お金をわたしてる人があったから、おばあさん、きっと甲府へかえれたと思うね──」  僕は何もいいことをしなかったし、めずらしい話もないので、今夜はきき役です。  つぎは、沢井君の話です。  沢井君のおうちはミシンの製造をしていて、工場をやっています。沢井君のおとうさんは、とてもかわりもので、このあいだ、北海道へ行かれる時、青森で、沢井君とおなじ年の、男の子をひろって来られたそうです。 「僕のところでは、その子のことを、おとうさんが、大砲って呼ぶんだよ。ほらばかり吹いてて、お掃除もきらい、学校もきらいなんだもの‥‥それでも、みんなしからないの、しかってはいけないっておとうさんがいうんだもの。  その子は、小池義也って書いたきれを胸にぬいつけているけれど、おとうさんは、どうもそんな名前ぢゃないらしいって──。ちっともほんとうのことをいわないし、二度も、うちから逃げちゃったんだけど、いつもおとうさんがおむかえに行くんだよ。おかあさんがおこってしまって、もう、あんな子ども、ほっておきなさいっていうんだけど、おとうさんは、自分の子どもだったらどうする。──やっぱり、どんなことをしてもさがしに行くだろうって。だからさがしてつれてくれば、もう、うちが、いいってことになるからねって、二度もつれて来たんだ。はじめは、浦和の警察から知らして来たんだけど、二度目は十日ぐらいして、長野の警察から知らして来たんだよ。いつも、おとうさんもおかあさんもみんな浅草で死んぢゃって、誰もみよりがないっていってるんだって‥‥。だって、その子どもは、浅草なんて知りやしないんだもの‥‥僕が、ふるい浅草のエハガキをやったら、それをとてもよくおぼえていて、商店のカンバンの名前までくわしくいうんだって‥‥。生まれは、どうも宇都宮あたりらしいっておとうさんがいうんだけど、浦和でも長野でも、浅草の田原町で生まれたなんていっているんだよ。朝、掃除しなさいっていっても、知らんかおして、ぷいとどこかへ行ってしまうし、とてもなまけものなんだね。うたをうたうのが好きで、うたなら何だって知ってるよ。  僕も、ときどきけんかするけど、おとうさんはとめてくれないんだ。どっちにもひいきしないんだって、だから、僕、おとうさんのことを中立っていうのさ。しらないで、気長にみてゆくよりしかたがないんだそうだよ。  その子のおとうさんは、靴をなおしてたんだっていうんだけど‥‥でも、それだってわからないよっておとうさんがいうのさ。浅草でミシン屋をしてたって、長野でいってたのは、うちのことだろうっておとうさんが話してたけど、大砲って、ずいぶんおもしろい子どもだよ。  歌ならどんなのでも知ってるし、鶏小舎で、鶏がたまごをうむと、いつも、どこにいても一番に走って行って、あったかいのをつかんで、大声で呼びながら飛んで来るし、とにかく変ってるんだ。学校大きらいなくせに、おじさん、大きくなったら大学へあげてねっていってるし、学校だって、一週間のうち、三度ぐらいしか行かないんだよ。先生もびっくりしてるけどね。ご飯の時だって、そりや早いんだよ。いま、お膳についたと思うと、もう皿のなかがからっぽ‥‥」  僕はときどき、沢井君のうちの、その子どもをみたことがあります。年はおなじだけれど、学校は一年下だったので、遊んだことはありません。  おでこのひろい、眼のひっこんだ小さい子どもです。 「君のうち、とてもえらいねえ」  金井君がおどろいています。 「だって、その子だって、誰かがみてやらなくちゃならないんだから、そんなら、うちのような、きがねのないところが一番いいんだって‥‥」 「君のきょうだいになっているの?」 「ううん、同居人ってことになっているんだよ。でもね、なまけもので、すぐ、どっかへでかけてゆくくせに、人のものをぬすんだりしないのが一番いいところだって、おとうさん感心してるんだ。小づかいだって僕とおなじようにくれるの。でも、大砲は、うちのおとうさんが一番こわいらしいよ。しからないからいやなんだって、いうときがあるもの‥‥」  沢井君のおとうさんには、僕は一度も会ったことはないけれど、いいおとうさんだなと思いました。 「でも、おもしろいのは、ものをいうのに、にごりが出来ないんだよ。たとえば、レコードのことをレコート、というし、家のげんかんというのをけんかん、あずけに行くっていうのをあつけにゆくっていうし、みょうなことだって話してるの‥‥。──おとうさんは、どこで生まれて、どこでそだったのかきかなくても、うちにいるかぎりは一生めんどうをみて、すきな仕事をさせるんだって‥‥」 「もう逃げない?」  金井君が、心配そうにたずねています。 「ああ、もう逃げない。いつも、縁側で、さびしそうに歌をうたっているよ。トラジっていうのだの、アリランの歌がすきだね」 「僕も知ってるけど、いい声だね」 「うん、おとうさんは、大砲は、昔のことを、何も話さないから、しっかりしたいい子だっていってるよ‥‥」 「君は好きなの?」 「はじめはいやだったけど、いまは何ともないなア、どっかへ行っちまえばさみしいさ。僕のことを三ちゃァんっていうんだよ」  お家へかえって、沢井君のうちの、小池君の話をおとうさんにしました。 「うん、なかなか沢井さんのおとうさんはできた人だな」 と、感心していました。  うちのおかあさんは、病気もすっかりよくなりました。うちでは、みんな起きていて、元気です。おとうさんは、もう台所をしなくてもすむようになったし、僕も、静子も、もう台所はしなくてもいいのです。  おかあさんが、このごろ、イーストというもので、パンをつくって下さるけれど、イーストのパンって、それはおいしくて、もう、これから、僕たちは、お米のごはんを食べなくてもいいなんて話しています。  沢井君が、ラビットのししゅうをした青い旗を、ミシンでぬってもらって、それを見せてくれました。とてもきれいです。  或日、おとうさんと銭湯のかえり、僕は、沢井君のところの小池君に道で会いました。小さい子どもたちが、石をぶつけっこしているのをとめているのです。 「けんかしてためッ! けんかするといけないから、みんなその石すてなさい、いいか、けんかしてためよ、けかするからね」おとうさんはにこにこ笑って、小池君の頭をなでました。 「君はいい子だねえ。健ちゃんところにも遊びにおいでよ。健ちゃんのところには鶏がいるし、大きい金魚もいるよ」  小池君はきまりわるそうにしています。 「遊びにお出でね」僕もそういいました。すると、小池君は、いかにもうれしそうに、 「ぼく、健ちゃんのうち知ってるよ。あすことこに大きい犬いたろう? あの犬、ぽくかってたのよ」  といいました。  道理で、野良犬のくせに、ふとっていたものだと思います。  僕とおとうさんの吹く口笛に、小池君もあわせて吹いています。  おとうさんが、 「健坊、小池君っていい子だねえ」っていいました。 「沢井さんのおとうさんってりつぱな人だねえ、一度、どんな人なのか会ってみたいもんだ。ふつうの人にはできないことだ」と、すっかり感心しています。  沢井君のおとうさんも好きだけれど、僕は僕のおとうさんも世界一大好きです。 底本:「林芙美子全集 第十五巻」文泉堂出版    1974(昭和52)年4月20日発行 ※仮名遣いに乱れがありますが、底本のままに入力しました。 入力:林 幸雄 校正:花田泰治郎 2005年6月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。