秋果 林芙美子 Guide 扉 本文 目 次 秋果  芝居が閉ねて劇場を出ると、もんは如何にも吻つとしたやうに暗い街を歩いた。おなかが空いてゐたけれど、もうこのごろは何一つこんなに遲くまで食物店をひらいてゐる店もない。芝居もどりの人達が、ぞろぞろ自分のそばを通つてゐた。新宿行の電車の通つてゐる四ツ角の安全地帶のところまで來ると、もんは誰かが自分の肩を強く押して通つたやうな氣がして、ふつと振り返つたけれど、誰が肩を押して行つたのか、たゞ、自分のまはりを黒い人影が電車道の方へぞろぞろ流れてゐるきりだつた。秋らしいひいやりとした夜風が吹いてゐた。安全地帶で、暫く新宿行きの電車を待つてゐたが、來る電車も、來る電車も滿員で、もんにはなかなか乘れさうにもない。何處から、こんなに澤山のひとが鈴なりになつて來るのかもんには不思議だつた。さつきから、もんと同じやうに、何臺も電車を待つてゐる二三人連れの女のひとたちが、時々華かに笑ひあひながら芝居の話をしてゐた。そのなかのひとりが、笑ひ聲のしづまつたあとで、「何だか、行末のことを考へてゐると、私、心細いやうな氣がして仕方がないわ」と云つた。もんは獨りで安全地帶の廣告燈のそばに立つてゐて、心細い行末だと云つた女の聲をしみじみときいてゐた。  もんは昨日、上海から戻つて來たばかりで、東京の街のすべてがなつかしくて仕方がなかつた。東京はやつぱりいゝところだと思つた。何處がいゝと云ふわけではなかつたけれど、獨りで住むにはやつぱり東京がいゝと思つた。軈て暫くしてから、やつと少しばかり空いた電車が來たので、もんは、二三人連れの女の人達のうしろから電車に乘つた。女の人達は、繪でも描く人達なのか、くすんだ電車のなかがぱつと明るくなるやうな思ひ思ひに風變りなかつこうをしてゐた。流行の、前髮をいくつも輪に卷いて、澁い金茶のお召に紅い帶を締めてゐるひとや、黒と白の氣取つた脊廣を着てゐる脊の高いひとや、薄緑の外套を着て、手に大きい黒いハンドバツグをさげてゐるひとなど、暫く東京を離れてゐたもんには新鮮な感じでこの女づれが眺められた。安全地帶ではあんなに元氣にしやべりあつてゐたひとたちも、電車へ乘つてしまふと、みんな默りあつて吊革へつかまつてゐた。どのひとが、行末を心細いと云つたのかわからなかつたけれど、趣味のいゝ華かな姿を見てゐると、どのひとも、あまり行末のことなど考へてゐるやうにも見えなかつた。もんは、この女のひと達と並んで吊革に手をそへてゐたけれど、暗い窓にうつつてゐる自分の姿の方が、はるかに行末のことを心配してゐるやうに見える。  四谷見附まで來ると、女の人達は降りて行つた。明るいところで見る女の人達はどのひとも服裝よりは老けた顏をしてゐたけれど、どのひとの服裝もちやんと東京の街に似合はしく調和がとれてゐた。幸福さうな人達だなともんは、自分も、いまにあんなになりたいと思つた。いままでは莫迦な夢を見たと思つて、これからまた何處かに就職してせつせと働いてみたいと思つた。上海のデパートで買つた、出來合ひの腰の線の細い外套を着てゐる自分の姿が何だか支那人くさくて、湯たんぽをかゝへて歩いてゐた、支那人の賣娼婦のやうにおもへて仕方がない。  大木戸のアパートへ戻つたのが十一時頃だつた。弟はもうよく眠つてゐた。電燈に紫の風呂敷をかぶせて、枕元に煙草を散らかしたまゝよく眠つてゐた。もんは外套をぬぐと、机のそばに置いてある光つた鋲のついたトランクに腰をおろして暫く呆んやりしてゐた。机の上にはいろんなものがごちやごちやと置いてあつたが、新しい糊の壺がもんの眼にとまつた。おなかが空いてゐたせゐか、糊壺を手に取つて一寸匂ひをかいで見た。甘い菓子のやうな匂ひがした。暖國にても腐敗することなく、また、寒國にても凍ることなし。純白清潔にして附着力強甚なれば、貼付後離れることなく、且つ使用後乾燥速なり、殊に本品は特殊な愛すべき芳香を有すれば、使用上不快なく、日常机上に缺くべからざる逸品なり。もんは効能書きを讀んで、小指で糊をすくひ、ほんの少しなめてみた。何の味もないのが物足りなかつた。二十六にもなつて、弟はまだ嫁ももらはないで、いまだにかうしたアパート住ひをしてゐるのがもんには可哀想でならない。何時召されるかも知れないと云つて、弟は兵隊に行つて戻つて來るまでは獨りでゐるのだと、このアパートにもう二年も獨りで住みついてゐる。日本橋の或る信託會社に勤めてゐて、時々詩や小説なんかを書いてゐた。糊壺のそばには、小さいレザー表紙のアドレスブツクがあつた。もんは手にとつてぱらぱらとめくつてみた。いろんな知人の住所のなかには、上海にゐたもんの所書きもあれば、工藤の住所もひかへてあつた。あんなに思ひつめてたづねて行つた工藤のところから、いまは戰ひやぶれたやうな氣持でもんは東京の弟のアパートへ戻つて來てゐるのだ。丁度、一年前のいまごろ、秋雨のしとしと降つてゐる長崎の町で、工藤へ船の名前を知らせてやつたものだつた。工藤は船を迎へにも來てくれなければ、たづねて行つた工藤のアパートにはもうよその女のひとが一緒に住んでゐた。いつしよの船に乘りあはせたわけのわからない女の世話で、四川路底にある日本人旅館に宿をとることが出來たけれど、もんは、あの時の男のこゝろの頼りなさをいまだに忘れることが出來ない。工藤は弟の友達で、もんよりは一つ下だつたけれど、もんは工藤と同じ年だと、一つ年をかくしてゐた。工藤とは弟の紹介で自然に親しくなり、二人で一度信州の山の温泉へ旅行をした事があつた。工藤は新聞社へ勤めてゐた。お互ひに好きだとは一度も云ひあつたこともなく、旅行に出ても、まるで、一二年も前から同棲してゐた者同志のやうな、坦々とした交渉が出來てゐた。もんは十年も前に母を亡くしてからは、父親と、弟二人を相手に、まるで男まさりのやうな氣強い性格にかはり、五六年前から勤めを持つやうになつてからも、自分の對象となるべき人をみつけるよゆうが少しもなかつたのだ。平凡な職業婦人で、一寸見れば美しくはあつたけれど、男の社員達も、もんの事を同僚と思ふ以外には、異性と云つた氣持が少しもしませんねと云つてゐた。そのころは、もんも、そんなに云はれることを、自分が男の社員達と同等にみとめられてゐるやうに、何だかほこらかな氣持を持つてゐたのだつたけれど、女はやはり女であり、女らしいと云ふことが本當だと云ふことをこのごろになつてもんは悟つた。こんど、正月がくれば三十になる。女も三十になつてしまへば、もう、女の將來はおよその行末がきまつてしまふともんは思ふやうになつた。もんが三十になるまでの青春のひとゝきは工藤がたつた獨りであつた。工藤を知つたゝめに、もんは女の道としてのまた別な世界が開けたけれども、その愉しさはいまはあとかたなく消えうせてしまひ、何も知らないで暮してゐた時よりもいつそう暗いみじめなおもひをなめなければならなかつた。こんなみじめな思ひをする爲に、此世の中には、男も女も澤山うじやうじやとゐるのだらうかともんは不思議に思ふのだつた。何も話しあはなくても、一人の男と女がむすばれあつた場合、貞操は固く結ばれあふものだと信じきつてゐたし、また、工藤の人格についても大きな安心を持つてゐたのだ。上海へ特派されて行く時も、工藤は、長くなるかも知れないからもし會社をやめられるやうだつたらやめて來ないかとも誘つてくれたし、弟の守一も上海行をすゝめてくれたけれど、もんは、工藤を知つてからますます働くことに魅力を持つた。いくらか貯金も出來てから、工藤ときちんとした家庭を持ちたいと願つた。女學校を出て、早くから現實的な生活に放り出されてゐたもんは、自分の及びもしない世界を夢想したり、這入りもしない金の豫算をたてる事が出來ない几帳面な女になつてゐた。働いてゐさへすれば安心して將來健實な生活が出來ると思つた。上海へ旅立つて行つた工藤からは一二度簡單な音信があつたが、その後半年ばかりして何のたよりもなくなり、もんが手紙を出しても工藤からは返事一つよこさないのである。もんは、工藤の仕事がよつぽど忙がしいのだと思つた。工藤が手紙をよこさなくなるのと反比例して、もんはだんだん工藤がなつかしくて仕方がなかつた。會社から、あんまり疲れて戻つて來ると、躯ぢゆうが火照つてなかなか寢つかれない事があつた。そんな晩は、いまゝで考へても見なかつた、甘い虹のやうなおもひが胸のなかへぱアと明るく射しこんできて、工藤の顏や手足がばらばらと降つて來るやうな慘酷な空想をしたりした。女の生涯にとつて、男を知るぐらゐ此世に不思議なことがまたとあるであらうか……。もんは、無神論者でもなかつたけれど、工藤を知つてから、初めて、この廣々した人間世間の神秘を知つたやうで、誰にともなくうやうやしく祈る氣持が湧くのであつた。草一莖、土のひとくれにももんは神々しいものを感じた。工藤からたよりが來なくなりもんはだんだん焦々して來たけれど、或日ぶらりと遊びに來てゐた守一が、姉の淋しそうな姿を見て、「一人でくよくよ考へてゐたつてはじまりませんよ。工藤さんももう氣がかはつてしまつてゐるのかもわかりませんね。──姉さんは、案外世間みずで、つまらない生活をしてゐると思ひますよ。昔のひとは男も女も偉らかつたンだなと思ふンだけど、萬葉のなかの女のひとの歌に、戀草を力車に七車、積みて戀ふらく吾心わも、と云ふのがあるンだけど、いまの女のひとたちには、このこゝろの萬分の一の激しい熱情もありませんね。何だの彼だのつて云ふけど、いま少し、若い女がぽつと明るくなるといゝと思ふなア、何だか暗くてじめじめしてゐるンぢやありませんか。そのくせ、どのひとも荒つぽくてがさつで、何だか、女の世界を感違ひしてゐるンですよ。怖い顏してる女の顏が妙にうようよ目立つやうになりましたねえ。會社で見てたつてそうですよ。女事務員なンかが大金を持つて使ひに來るンだけど、金をつかんで出すかつこうが、もうまるでライオンみたいに亂暴なンです。澤山の金をみても胸がどきどきしないンですね。へいちやらな顏をして、預けに來るンだから、これでは男の給仕の方が女みたいだと話しあふ時があるンですがね。女がおしやれをしなくなると、男よりも荒さんでひどくなつてしまふンですね。全くよくないけいこうですよ。かへつて、三十をすぎた商家のおかみさんの方がよつぽど色氣があつて人情がこまやかですね。──いまごろの若い女は、いつたい何を考へ、どんな希望を持つてゐるのか少しもわからない。水を與へないで、美しい花を見ようと云ふのは世間が無理ですよ。關西のどこかでは、一日、お白粉をつけない日をつくつてみたり、紅を塗らない日をつくつてみたり、どうにも厭なことですな」守一はそんなことを云つて、もんにも、工藤をだづねて上海へ行つてみてはどうかとすゝめてくれた。もんは、弟にそんな事を云はれるとなほさら淋しくて仕方がなかつた。鏡を見ても、何となく働きづかれがしてゐるやうに自分が乾いてみえる。會社へ出てゐても、誰一人として自分をしみじみとみつめてくれる人はない。どんな不器量な女でも、始めてのはいりたての女事務員には、何故か男の社員は親切な態度をみせてゐた。新しくはいつた女事務員は、一日一日と美しくみがかれて來て、二三ヶ月もすると、すつかり職業婦人のタイプになり、平氣で男の社員の前でコンパクトを擴げるやうになつてくる。すると、男の社員達は二三ヶ月前に見せてゐたあんなに親切な好意を憎しみの表情にかへて、お互ひ同志ではニツクネームをつけてその女事務員を呼びあつたりしてゐた。もんは長く勤めてゐるだけに、こんな場面のうつりかはりを幾度か見て來て知つてゐるのだつた。  思ひきつて、もんが會社をやめて上海へ旅立つて行つたのは去年の秋であつた。音信が來なくても、船の名前を知らせてやれば、工藤だつて、どんな事情があるにしても迎へに來ないと云ふはずはない。雨の降る日に長崎の町を發つて、翌日上海へ着いた時は、上海はからりとした秋晴れの美しい天氣だつた。澤山の迎へのなかに工藤の姿を探したけれど工藤はゐなかつた。遠い異郷へ來て、はじめて、信頼してゐたひとに見捨てられたやうなうそさむいものを感じた。もんは、船で知りあつた女のひとの世話で、賑やかな四川路底の日本人の旅館に拜みこむやうにしてやつと小さい部屋をとつた。部屋のなかできいてゐると、街の建物が石や煉瓦で建つてゐるせゐか、人聲や俥のベルの音がかんだかくひゞいてきこえた。一寸近所を歩いて買物をしても物價は非常に高い。二階三階が爆破されてゐても、階下では商賣の店をひろげてゐる支那人の店もあつた。もんは、四圍が暗くならないうちにと、宿で自動車をたのんでもらつてヤンジツポの近くにある工藤のアパートにたづねて行つた。工藤の部屋には鍵がかゝつてゐて留守だつたけれど、隣室の若いおくさんの話では、御夫婦とも朝からお出掛けで留守ですと云つた。工藤さんのおくさんは、九州の方だとかで氣分のいゝ明るいひとですと話してゐた。あゝそうだつたのかと、もんは茫然とした氣持で、隣室のおくさんにアドレスを書いた名刺をことづけて宿へ戻つた。もんは食事もしないで暗い部屋で早くから眠つた。リノリユームを敷きつめた廊下をしじゆう大きい靴の音や、男の太い聲が行き來してゐた。高い天井近くに青ガラスの窓が一つあつた。置床にはがさつな鏡臺が一つあるきりの部屋である。もんは寢ながらくれてゆく窓を見てゐた。自分が莫迦だつたと思つた。人倫の道と云ふのはこんなものだつたのかと、ふうつと溜息をつきながら枕をつかんでゐた。工藤は自分と云ふ女の躯をみんなよく知つてゐるはずだのに、どうしてよその女のひとと、平氣で暮してゐられるのか少しもわからないのである。いまさら、工藤を深くうらむ氣持にもなれなかつたけれども、あんまり、自分の間拔けさがめだつてきて肚にをさまらない氣持だつた。父と弟へは着いたといふ電報だけ打つた。  翌日、工藤が薄色のついた眼鏡をかけてもんをたづねて來た。工藤は默つたまゝ疊へ寢ころがつて眼鏡をはづした。もんが、どうしてくはしく書いた手紙をよこさなかつたのですか、そしたら、私も來るのではなかつたのだと話すと、工藤は毎日疲れて、社の用事以外は字一つ書く氣がしなかつたのだと云つた。「ずつと以前から御一緒なンですつてね」もんがうらみがましく云ふと、工藤はむつくりと起きて腹這ひになると、頬杖をついて、「何も彼もメーフアーズさ。君が惡いンだよ。君が……」そう云つて、桃色の柔い包みにはいつたルビークインと云ふ煙草を出して一本口に銜へた。工藤は、いまの妻君を非常に愛してゐるらしく見える。どんな女性かは知らないけれども、よつぽど氣に入つたひとなのであらう。工藤の眼は、信州の山のなかで見た激しい表情とはおよそ違つてゐた。まるで氣のおけない女友達にでも逢つたやうに、御飯でもたべに行かうとか、南京路を歩いてみようとか現在の二人には少しもかゝはりのない事を云つた。これでは戀草を力車に七車と力んでみやうにも力みやうがない。もんは呆れたやうな顏をして默つてゐた。  もんはそれから暫く上海の日本人の店で働いた。小さい雜貨店で鑵詰から呉服類まである店だつたので朝から夕方まで相當忙はしかつた。時々店へ買物に來る工藤にあつたりしたけれど、もんはあまり話をしないやうにしてゐた。店の休みの日なんか、思ひがけない街通りで醉つぱらつて歩いてゐる工藤をみかけたりした。お互ひに胸におちない別れかたをしてゐるので、たまに逢へばなつかしかつたけれど、もんは異郷に來た淋しさだけで、昔の戀人によりそつて行くのは自分の身を殺すやうなものだと思つた。充分にみのらないまゝで地に落ちてゆく果物のやうに、もんは、一人で考へ、一人でその考へを實行して、自分はいゝことをしてゐると思つてゐるやうだつた。もんは店の寄宿舍に寢泊りをしてゐた。上海も、もんにとつては住みいゝところではなかつた。正月を上海ですごして、もんは店で知りあつた女友達と二人で蘇州の日本人のデパートに勤めに行つてみたけれど、こゝでももんは落ちつかなかつた。時々工藤のことを思ひ出した。蘇州にゐる間に、土地開發會社の社員だと云ふ米倉と知りあひになつた。知りあつて間もなく結婚を申しこまれたけれども、もんは厭だとことわつてしまつた。米倉は早くから妻君を亡くして、佐賀の田舍には女の子が一人あるのだと話してゐた。よく酒をのみ、らいらくで、人の困つてゐることには何でも世話をやいた。蘇州に着いたもんも、丁度部屋がなくて困つてゐるのを、店に來てゐた米倉が城内の支那人の旅館に世話をしてくれた。米倉は旅館や店にたづねて來るたびに珍らしいたべものや、化粧品をお土産に持つて來てくれた。昔、どこかのホテルのドアマンをしてゐたと云ふだけに大柄で好人物そうな男であつた。一ヶ月ぐらひして米倉はおめかしをしてもんをたづねて來た。もんの生れ故郷をきくでもなければ、何のためにこの蘇州まで來たのかときくでもなく、米倉は結婚話を持ち出した。もんは心のうちに、工藤以外にはもうすべての男に對して何の興味もない自分の年齡を知つてゐた。よその女のひとよりも早く女の終りが來たのかと、もんは淋しいと思ふ時があつたけれど、工藤に對する夢を何時までも捨てきれないでゐる自分がいとしくもあつたのだ。工藤を考へるときだけは心のなかは千變萬化の光を放つた。  蘇州のどぶ川のなかへ沈んで死んでしまへば、そうして工藤へ何か一筆かきのこしておけば、あのひとは本當のあのひとのこゝろにかへつてむくろを引取りに來てくれるだらうと云ふやうな空想も湧いた。蘇州へ旅立つ日、遠い奧地へゆくやうな氣持で、もんは工藤へ電話をかけた。少しはあのひとのこゝろになごりおしさや悔ひを殘すことが出來たらそれで本望だと感傷のこもつた電話のかけかただつた。工藤は電話の向ふで、元氣のいゝ聲で、「ぢやア、僕も休みをとつて遊びに行かう。君も近いンだから時々上海へ出ていらつしやい。躯は大切にして、たべものに氣をつけるンですよ」と誰がきいてもいゝやうな親切な言葉をかけてくれた。もんは電話をきつてから始めて蘇州へ行かなければならないやうな理由の少しもない自分の見得を感じた。つくづくこの氣持をいやだと思つた。と云つてどうしていゝのか自分で自分が判らない。蘇州へ來てからも、もんはわざと簡單なハガキを工藤へ出したきりだつた。軈て工藤からは長い手紙が來た。もん子さんを愛してゐることに少しも變りはない。尊敬さへしてゐます。だけど、あなたと自分はこんな風な運命にたちいたつてしまつて、いまとなつてはどうする事も出來ない。自分のいまの結婚の相手は丁度マノンレスコオのやうなもので、女房は惡い女で、どうにもかうにもならないけれど、まるで病氣にとりつかれてゐるみたいに、毎日風波がたえないくせに、自分は一介のくだらぬ男になりさがつて、逃げてゆく女房を追ひかけてゐる始末です。どうぞわらつて下さい。こんな思ひは上海と云ふ土地のさせるわざなのか。とにかく自分は、女房をすくつて、一度、内地へ戻つてみようと考へてゐます。あなたの親切は永久に忘れません。上海へ來られたあなたに對して冷たくしてゐたわたしの氣持を諒として下さい。やがて立ちなほつて、賑やかな家族になつておめにかゝります。女房も今年の夏は子供を生みます。自分の子供だと信じてゐます。どうぞお元氣でゐて下さい。もんは讀んでゆきながら涙が溢れてゐた。いろんな追憶は悠々と未來の海から吹いてくる風にかき消されて逝く。一年一年と忘却のかなたへ去つてゆく歳月を見送つて、もんはただ呆んやりしてしまつてゐる。女學生時代には考へてもみなかつた少女らしい夢が、いまごろになつて青い炎を燃しはじめてゐるのだ。神樣、私と云ふ女だけが間違つた生きかたをしたのでせうか……。すべては流過のたゞなかにあるのだ。大にしては今日戰ふ國々があり、小にしては、人間のはしくれである、自分のやうな生きかたまでも……すべては歴史のなかに流れてゆくのである。工藤のこゝろを惹くために死んでみようなぞと考へてゐた事が莫迦々々しく思はれてならなかつた。そのくせ、米倉と結婚する氣持には少しもなれなかつた。もんは蘇州で夏をすごしてからめつきり躯を惡くして、醫者からは歸國をすゝめられてゐた。一年近くも住んでみれば上海も蘇州もなつかしかつた。九月半ば、もんはやつとの思ひで上海へ戻り、工藤とはたつた一度支那料理店で逢つたきりで、もんは一年ぶりに東京へ戻つて來たのである。いまは東京には弟の守一ひとりしかゐなかつた。父は仙臺の田舍へもどつて、親類の家で百姓仕事をしてゐると云ふことであつたし、末弟の孝治は青少年義勇隊に應じて、滿洲のジヤムス近くにある追分と云ふところに行つてゐると云ふことだつた。久しぶりに東京へ戻つてみるとたつた四人暮しの肉親の上にも大きい身上の變化があつた。躯の弱い孝治が滿洲へ行つて、どんなに暮してゐるのか、もんには氣がかりで仕方がなかつたけれど、孝治には孝治の考へもあつたことであらうともんは心のなかではあきらめてゐた。──今夜は久しぶりに芝居に行つてみてはどうかと、淋しそうにしてゐるもんへ、守一が歌舞伎の切符を一枚買つて來てくれた。久しぶりに日本の古い芝居を見てゐると、何となく落ちついた氣持になつてくる。笛やたいこや三味線の音色が一つ一つ耳に澄んできこえた。上海や蘇州の町に住んでゐたと云ふことがまるで夢のやうだつた。舞臺は妹背山の菊五郎のお三輪があどけない姿で踊りをおどつてゐる。──糊壺をかぎながら、もんは、華やかな芝居だの、歸りの電車のなかのことなぞを考へてゐた。自分と結婚をしたいと云つてくれた親切な米倉の思ひ出もいまはなつかしい。  翌日、もんは遲く眼を覺ました。丁度守一が出勤するところで、机の鏡に向つてネクタイを結んでゐた。もんはふつと躯を起した。長い間の勤めを持つてゐるものゝ癖で、もんはすぐ枕もとの腕時計を眺めた。「どうせ、起きたつて飯もないンですから、ゆつくり寢てゐて下さい」守一はよく眠つた朝の滿足した明るい表情でさつさと身仕度をしてゐる。「えゝ、でも、私もゆつくり寢てなんかいられないのよ。今日あたりからぽつぽつ仕事探しをしようと思つてるンだけど……」「仕事なンかまだいゝでせう。ゆつくり休んでからでもいゝですよ。姉さん一人ぐらひなら、結構食べさしてゆけますよ」「働くのいけないかしら?」氣が弱くなつてゐるので、もんは不安そうにたづねた。さして貯えもないのだし、このまゝ守一の厄介にもなつてはいられないだらう。もんはすぐ起きてガスで湯を沸かした。「お茶ぐらい飮んでいらつしやい。いゝでせう。薔薇の花のはいつた支那のお茶を淹れませう。まだ時間は大丈夫でせう?」もんはいつときでも守一と話をしたかつた。蒲團をたゝみ顏を洗つて來ると、手ぎはよく髮を束ねてゐる。格子縞の寢卷タオルの上から、羽織をひつかけてゐるしどけない姿の姉を見て、守一は珍しいものでも見るやうに、「姉さんのそんなかつこうを始めて見ましたね」と云つた。もんはきまり惡るそうに手早く櫛やクリームの瓶を片づけて部屋の隅で何時もの灰色のスートに着替へた。服を着た姉は、さつきとは別人のやうに職業婦人型になつてしまふ。「姉さんはいつも工藤さんと、そんなかつこうで逢ふンでせう?」「どうしてなの?」「うゝん、案外着物の方が似合ふからですよ」「あら、そうかしら、……」これは意外なことをきくものだと、もんは、洋服の方が働きよくて金もかゝらないと云つた。守一は一年前と少しも變化のない平凡な姉の姿を見て、世の中には時々縁遠くて、ひとりのまゝで生涯を果ててしまふ女のひとがゐるけれど、姉も案外そのうちの一人かも知れないと思つた。「米倉さんと云ふひとと、どうして結婚をしなかつたんです。年の若いものがこんな事を云ふのは變だけれど、そんなひとがあれば、姉さんも、いゝかげんに工藤さんの事なんかあきらめて、米倉さんと云ふひとと結婚をした方がいゝンですよ。姉さんだけでも何とか家庭を持つて落ちついてもらはないことには、何時までも親爺をあのまゝで心細いおもひをさしておくわけにもゆきませんしね。孝次だつて、お父さんの事が一番心配だつて云つてゐましたが、あのひとも年をとつてから妙に肉親の縁がうすくて氣の毒ですよ」もんは熱い支那茶をすすりながら父親に濟まないと思つた。「守一さんこそ結婚すればいいのよ。いまならお嫁さんはどこからだつてくるでせう……」守一は出窓に腰をかけて姉の土産のスリーキヤツスルを大切さうに喫つてゐた。「私は當分結婚なんかしませんよ。あとに殘るものが氣の毒ですし、どうせ遲かれ早かれ兵隊ですから、まア、還へつて來てからきれいなのをゆつくり貰ひます。──そりや、僕だつて人いちばい淋しがりやで、女のひとはほしいと思ふんですけれど、いまはそんな氣持にならない。本當ですよ。そんな事よりも、もつと僕には考へることが澤山だし、兎に角、大變な時代ですね……。會社へなンかぐずぐず行つてゐるより、早く出て行きたいと思ひますよ。僕なンか、酒を飮む愉しみも知らないし、これと云つて別にやりたいと云ふこともないし、大學時代から會社員になつてサラリーを貰ふ教育をうけてゐるものには、もう早く行つた方がいいと云つた氣持だけですよ。親爺もこの間手紙をよこしてゐましたがね。親爺さんは實にいゝですからねえ……」姉と弟の水いらずな話の出來るのをもんは久しぶりだと思つた。「でもねえ、私はもう結婚する氣持は少しもないンだし、守一さんがもしも出征するときが來たら、やつぱり、何つて云つても私がお父さんをみなくちやならないンだし、そうしたら、私、お父さんと二人で東京で暮しますよ。うちの亡くなつたお母さんも、早く亡くなつてしまつたけれど、うちぢや、女達がみんな薄命なのね。たみ子だつて亡くなつたしね……」たみ子と云ふのは孝次の上の姉で、もんとは六ツも違つた。仙臺の女學校を出るとすぐ胸を惡くして亡くなつてしまつた。母もたみと前後して亡くなつたけれど、不思議な事には、二三年前に、父親が茶飮み友達のやうにして何處からか連れて來た女のひとも肺をわづらつて去年亡くなつてしまつた。「みんな、女の運が弱くて、うちぢやア、男の運の方が強いンだから……守一さんだつて孝ちやんだつて大丈夫よ」ひよつとしたら、今度は私が死ぬる番ではないかと冗談を云ひたかつたけれども、もんは不吉な氣がしてその事は默つてゐた。  守一が會社へ出て行くと、もんは自分も仕度をして街へ出て行つた。一日も早く就職して、父親を東京へ呼びたかつた。昨日と今日、新聞を切り拔いておいたところをまはつてみやうと、もんは築地行きの市電へ乘つた。街路樹の枯れ果てた秋の東京の街は銀色にいぶしたやうに白つぽく見える。こんな年になつてからも街に職を探しに出なければならない自分を困つたものだと思ひながらも、もんは、少しばかり晴々した氣持だつた。色があさぐろくて眉の濃いのが情のこまやかな人だのに、あなたばかりはそんなには見えないとよく昔の女友達が云つてゐたけれど、眉の濃いと云ふのが苦になつて、もんは時々毛拔きで眉毛を拔いたりしてゐた。眉毛を拔くときに、細く眼を閉じると、あら、自分にもこんな顏があるのかと、もんは子供のやうにそつと鏡のなかで色々な變化のある表情をしてみる。眼を細めると佛樣のやうな顏になる。ぱつと眼を開くと、よそよそしい表情になつた。笑ひ顏をすると、鼻筋に貧相な皺が寄つた。いまも電車の窓硝子にうつる自分の顏を、もんはぢつと眺めてゐた。昔と違つて、何處へでも勤めようと思へば何處でもつかつてくれる時代で、もんのやうに邦文タイプも出來れば、たどたどしいながらも英文タイプも打てるとなると、勤め口にはさほど困らなかつた。──もんはその日に麹町内幸町の大阪ビルにあるMパルプ工業會社の支店に勤めるやうになつた。昔は、自分のやうな年齡にあるものは傭主の方でみむきもしなかつたものだけれど、いまでは年齡のことなンか苦にしないで何處でも氣樂に働く事が出來た。そのかはり、人の流れも激しいせいなのか、どの社員も新參の人達ばかりで、事務机のまはりは波が動いてゐるやうにざはざはしてゐた。もんの机のまはりにも、九州言葉の娘もおれば、東北なまりの娘もゐた。インクの乾いた硝子瓶が机の中には三ツ四ツごろごろしてゐたし、ペン軸のこはれたのなンかが紙反古といつしよにひきだしの奧にはいつてゐたりする。去つてゆくものゝたしなみのなさが、まるで岩間を突きあたり突きあたり流れてゆく流木のやうにもんには佗しく思へた。こゝには、どんな娘が腰をかけてタイプを叩いてゐたのか、二三日も日がたつてしまへばもう四圍のひとたちはみんなそのおもざしや名前を忘れてしまふのであらう。どう云ふ世の中になつてしまつたのか、人間が流木のやうにどんどん東京と云ふ河口へ流れて來てゐる。庶務課のひとは、もんの履歴書を見て立派な文字だと云つて讃めてくれた。あてがはれた机にはナイフで傷のついてゐるところや、サイダーか何かの瓶の口をあけたやうなギザギザの跡があつたり、もんは何となく氣持が惡るかつた。女のひとが三分の一を占めてゐるやうな廣いオフイスの中に花一つ飾つてない。これでは、どんなに月給を澤山もらつても、女のひと達が荒々しくなるのもあたり前だと、もんはタイプのネジを寄せ、汚れたキイを一つ一つ叩いてみた。油の差しやうが惡いのか、紙の上に文字がうまく載つてゆかない。もんは復へつてから守一に明日から勤める會社の模樣を話した。「ねえ、人間つて、たゞ働く爲だけで生きてゆけるものなのかしら、いくら、かうした非常な世の中だつて、そんな人間のおもひやりなンてものが忘れられて、たゞがらがらとネジを卷くみたいに一本調子に働いてはゆけないと思ふのよ。私の考へてゐることは間違つてゐるのかしら。──からげんきだけでは人間は生きてゆけないものねえ。事務服ときたら袖口のほころびたままのを着てるのがゐるし、何だか火事場で仕事をしてゐるみたいなのよ。はりきつてゐると云へばそれまでなんだらうけれど……妙なものね。私も、だんだん古くなつてきたのかもしれないわね」六疊ばかりの狹い部屋の中では、もんと守一と暮すにはなかなかきうくつである。守一は割合澤山本を持つてゐた。蓄音機はなかつたけれど、レコードも二三十枚あつめてゐた。「そりやア姉さんがすこし古くなつたンですよ。いまは感情がどうのこうのとは云つていられないンですからね。電車に乘つても、バスに乘つても、誰かゞかならずどなりあつてゐるぢやありませんか……」守一はうがひをして籐椅子に腰をかけた。──「この部屋のなかには何もたべものがないのね。明日にでも、私いろんなものを少し買つておきませう」もんは復へりに料理店へ寄つてたべた一皿の定食が胸につかえさうであつた。守一は會社の復へり、街の食堂で毎日どんなものを食べて來るのだらうと、もんは、家庭のないところに復へつて來る弟を氣の毒だと思つた。台所がついてゐても、そこには、朝、茶を淹れた白い湯のみが二つあるきりで皿一つ、茶碗一つない。もんは、アパート住ひをしてゐる、ひとりものゝ男や女は、みんなかうした暮しをしてゐるのだらうかと思つた。もんは、何だか迷子でも探すやうにうろうろしてゐる。獨りものゝ弟にせめて何も彼もとゝのえて、狹い部屋の中をアツト・ホームな世界にしてみたいと心は焦りながら、もんは割合こまめではなかつた。人を責める前に、たつた一部屋の拭掃除もおもふやうにゆかないものだと、もんは疊を拭きながら息切れがしてゐる。夕方になると熱が高くなり、脊中がづきづき痛んだ。守一が煙草を喫ふとがまんにも辛棒してゐられない。躯を丈夫にしなければと思ひながらも、一ヶ月でも二ヶ月でも靜養出來る貯えはないのだつたし、守一は一度病院に行つて診て貰つたらどうですかと云つてくれるのだつたけれど、病院へ行くことは何となくもんは臆病になつてゐる。もんは東京へ戻つて來てからは妙に長生きをしたいと念じてゐた。どんな思ひをしても生きてゐたい。ぼろぼろになつて乞食のやうになつても生きてゐたい。工藤の事を思ひ出すと、時々たまらない氣持になるのだつたけれど、もんは、守一にも、もう工藤の事は話さなくなつた。男のなかにも、女のなかにもいろいろな面があるのだと、もんは、人間の愛慾の樣々をおそろしいものに思つた。どのひとも何氣ない樣子で歩いてゐながら、男は女に苦しめられ、女は男に苦しめられて生きてゐるのかと、時々たちどまつて群集を眺める折があつた。──もんは毎日會社へ勤めた。始めて會社勤をした時のやうに大きい輝くやうな希望はなかつたけれども、それでも、一年ぶりの東京での生活のせゐか、もんは活々としてゐた。軈て間もなく秋も終りになり、もんは外套を着て通ふころになつて、もんは日比谷公園の前で思ひがけなく工藤に逢つた。工藤は外套も着ないで海老茶色の脊廣を着てゐた。もんは吃驚してものが云へなかつた。「元氣さうだなア、僕は一週間ほど前に戻つて來たンですよ」工藤は癖でする、眼をぱしぱしとまばたきさせながら、もんの肩を抱くやうにして歩いた。もんは何が何だかわけがわからずに工藤の歩く方へ歩いた。「あれから、僕はさんざんな目にあつたンだ……何も彼もなりゆきで仕方がないけれど、これも僕の運命だし……一度、守一君のところにもおもんさんの樣子をきゝに遊びにゆかうと思つてゐたンですがね。──女房は流産のあげく、急性肺炎で亡くなつてしまひましたよ」工藤は鼻をつまらせてゐた。「まア、どうしてそんな簡單に死んだりするンでせう。とても、お丈夫さうな方なンじやありませんか?」「丈夫は丈夫なんですが、あいつも調子が狂つたンですよ。死にぎはは、可哀想だつたけれど、僕がついてゐたンで安心して眼をつぶりました。生前は僕を困らせていけない女房だつたけれど、死んでみるといゝ奴だつたと思つて想出していけないなア……。これも、もんさんの罰があたつたのかな」もんは、厭な事を云ふひとだと思つた。本社がぢきそばにあるとかで、外套も置きつぱなしで美松へ茶を飮みに來たのだと云つた。「ぢやア、上海を引きあげてお歸へりになつたの?」「はア、あのアパートだけは引つ越しましたがね。正月にはまた今度は南京へ行きます。──もんさんは何だか幸福さうだな、とてもいゝ顏色だ。弱はさうなひとが案外丈夫なのだな」工藤は汚れたカラーをしてゐた。顏色も黄ろくなる疲れた人のやうに歩きかたにも元氣がない。工藤は一人者になつて、いま、もんの肩を抱くやうにして寄り添つて歩いてゐるけれど、もんは二人の間はいまもつて遠い距離があるやうに思へた。二人は内幸町まで歩いて、お茶も飮まないで寒い街角で別れた。二三日したら夜うかゞふと云つたけれど、もんは別にあてにもしてゐなかつた。二三日すると、夜更けてから工藤は本當にたづねて來た。手にビール瓶を二本さげてゐた。此寒いのにビールでもないでせうと守一が云ふと、ビールを燗をして飮むとうまいのだと、一本のビールを土瓶にあけて火鉢へかけた。工藤は幾分か醉つぱらつてゐた。もう新聞社もやめてしまひ、いま浪人になつてしまつたのだと云つた。自分の躯からは今は何もなくなつてしまひ、落葉を拂ひおとしたやうにさばさばしたものだと云つて熱いビールを飮んだ。もんは、タオルの寢卷の上に羽織を引つかけてゐた。工藤は珍らしいもんのなまめかしい姿を見て、「もん子女史も、時にはこんな優しい姿をする時があるンですね」と云つた。信州の山の中では、男の浴衣を着てゐたもんの和服姿しか知らない工藤には、よつぽどもんの羽織姿が珍しかつたのであらう。工藤は獨りで醉つた。醉ふと亡くなつたひとの愚痴が多くなつてくる。亡くなつたひとは、田舍の女學校を出て、すぐ上海に來て喫茶店に働いてゐた娘ださうで、まだ十九で非常に野性的な女だつたのださうだ。アパートの段々を幾階も降りるのが厭だと云つて、工藤は人が見てゐても若い妻君を脊負つて階下へ降りたものだと話してゐた。もんはきゝづらい思ひだつた。工藤はよつぽど、どうかしてゐるのではないかと思つた。いくら亡くなつてゐるとは云へ、自分の前で、何の遠慮もなくそんな話が出來るものだと思つた。あんまり莫迦にされてゐるやうなので、もんは「死んだひとにはかなひませんね」と云つた。外國の土地を踏んで來ると、こんなに自己本位な薄のろになつてしまふのかと、守一もしまひには默つてしまつた。いくらもんには甘えてゐるからと云つて、これではあんまり氣の毒だと、守一は怒つたやうな表情をしてゐた。工藤は二本のビールを飮むと、しよんぼりと歸へつて行つた。もんがあわてゝシヨールを肩にして工藤の後を追つて行つた。「そんなに醉つてゝ大丈夫ですか」もんが階段の下でよろよろしてゐる工藤の後から押すやうにして戸外へ出た。工藤は大丈夫ですよと云つた。「僕は、自分が君達に失禮だつた事もよく知つてゐます。知つてゐてどうにも話さなければ始末につかなかつたのです。わかりますか。もん女史もこれから元氣に暮し給へ、命さえあればまた逢へますよ。守一君にもよろしく。どうせ、守一君もそのうち出征して行くでせうが、もんさんも、あとに殘つて、お父さんを大切にして上げて下さい。僕は親不幸ばかりしてゐます。これから中野の友人のところへ行つて泊りますよ」もんは握手をしかけた工藤の手を離して、すぐ部屋へ戻つて行つた。守一がもんの寢床を敷いてゐた。「工藤君も變りましたね」「えゝ何だかとても淋しさうね。私の罰だなンて厭な事だけれど、でも、女のひとの愛情をあれだけ身に沁みて感じてゐるの、少しは判つていゝ氣味よ」守一は何の事だかわからなかつたけれど、いゝ氣味よと云つた姉の言葉を射すやうに感じた。  それから、一週間もしないうちに召集令が下り、守一はいよいよ出征する事になつたけれど、人の風評によれば、工藤もまた召集令が來て出征するのだと云ふことだつた。もんは、あぶない淵に沈んでゐるやうな、莫々とした暮しのなかにある工藤に召集令が來たことは丁度よかつたと思つた。工藤からは何とも云つては來なかつた。守一を送りがてら仙臺行きの汽車に乘つて、もんは椅子へ腰をかけると、もう、これで工藤とも久しく逢へないだらうと思つた。走る汽車の中で考へる工藤の思ひ出はやつぱりなつかしくきれいなものである。萬葉の歌のお方も、あるひはかうした女の氣持だけをお詠みになつたのではあるまいか、戀草を力車に七車の歌をもんは思ひ出して、現實には本當の愛をつかみ得なかつた、女の雲のやうなむくむくした氣持を、もんはいまこそしみじみとなつかしく知つた。人を戀すると云ふことは猫や犬のやうであつてはいけないのだ……。もんは守一の膝に自分の廣いシヨールを掛けてやつた。 底本:「改造」改造社    1941(昭和16)年9月1日発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:林 幸雄 校正:花田泰治郎 2005年6月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。