鬼六 楠山正雄 Guide 扉 本文 目 次 鬼六      一  ある村の真ん中に、大きな川が流れていました。その川は大へん流れが強くて速くて、昔から代々、村の人が何度橋をかけても、すぐ流されてしまいます。村の人たちも困りきって、都で名だかい大工の名人を呼んで来て、こんどこそけっして流れない、丈夫な橋をかけてもらうことにしました。  大工はせっかく見込まれて頼まれたので、うんといって引き受けてはみたものの、いよいよその場へ来てみて、さすがの名人も、あっといって驚きました。ひっきりなし、川の水はくるくる目の回るような速さで、渦をまいて、ふくれ上がり、ものすごい音を立ててわき返っていました。 「このおそろしい流れの上に、どうして橋がかけられよう。」  大工は、こう独り言をいいながら、ただあきれて途方にくれて、川の水をぼんやりながめていました。  すると、どこからか、 「どうした、名人、そこで何を考えている。」  という者がありました。  大工が驚いて、見まわすとたん、水の上にぶく、ぶく、ぶくと大きな泡が立ったと思うと、おそろしく大きな、鬼のような顔がそこにぽっかりあらわれました。  大工は、妙な、気味の悪いやつが出て来たと思いながら、わざとへいきで、 「うん、おれか。おれは頼まれたから、この川に橋をかけようと思って考えているのだ。」  といいました。  すると鬼は顔じゅう口にして、ぎえッ、ぎえッ、ぎえッと、さもおもしろそうに笑いました。そうして、大きな歯をむき出したまま、 「ふ、ふ、ふ、お前、いくら名人でも、大工にゃあこの橋はかからないぞ。」  といいました。 「じゃあ、だれならかかる。」 「そりゃあこのおれならかかるよ。」 「じゃあ頼む、お前さん後生だ、代わりにかけておくれ。」 「そりゃあかけてやってもいいが、何をお礼にくれる。」 「そりゃあかけてくれればなんでも上げるよ。」 「じゃあお前、その目玉をよこせ。」 「なに、目玉だ。」  大工もこれには少し驚きましたが、なにその時はその時でどうにかなるだろうと思って、 「よし、よし、お安い御用だ。」  といって、承知してしまいました。      二  大工はそれなりうちへ帰って、ゆっくり一寝入りして、あくる日また、何気なしに川へ出てみました。すると、川の水は一向引いていませんが、まさかと思っていた橋が、半分以上も、みごとにその上にかかっているので、びっくりしました。 「こりゃあじょうだんじゃあないぞ。」  大工は急にこわくなって、そっと両方の目をおさえました。  そこでその明くる日は、朝早くから起きて、また川へ出てみますと、まあどうでしょう、じつにりっぱな橋が、何丈という高さに、水が渦巻き逆巻き流れている大川の上に、もうすっかり出来上がって、びくともしずに、長々とかかっているではありませんか。大工はこんどこそほんとうに度肝を抜かれて、ただもう目ばかりきょろきょろさせていました。  すると、そのとたん、れいのどことも知れない川のそこから、 「おい、どうした、大工。さあ、目玉をよこせ。」  といいながら、鬼が出て来たので、「ひゃあ。」と一声、すっかり青くなって、ぶるぶるふるえ出してしまいました。 「ああ、ごめんなさい、すぐは困る。しばらくお待ち下さい。」  大工は泣くようにいって、あわててそこを逃げ出しました。      三  逃げ出したものの、どうする当てもないので、今にも鬼が追っかけて来るかとはらはらしながら、川の岸をはなれて山の方へどんどん逃げて行きました。  逃げ出して、山の中をあてもなくうろうろ歩いていますと、どこか遠くの林の中から、子供の歌う声がしました。やがてその声はだんだん近くなって、つい聞くともなしに、耳にはいってきたのは、こういう歌でした。 鬼六どうした、 橋かけた。 かけたらほうびに、 目玉、早もって来い。  この歌を聞いて、大工はほっとしました。そうして生き返ったように、元気をとりもどして、宿屋に帰って寝ました。  その明くる日、大工がまた川へ出ると、鬼はさっそく出て来て、 「さあ、すぐ、目玉をよこせ。」  といいました。 「まあしばらくお待ちください。どうもこの目をとられては、あしたから大工の商売ができません。かわいそうだとおぼしめして、何かほかのお礼でごかんべん願います。」  こう大工がいうと、鬼はおこって、 「何といういくじのないやつだ。じゃあためしにおれの名を当ててみろ。うまく言い当てたら、かんべんしてやらないものでもない。」  といいました。  そこで大工は、わざとまずでたらめに、 「大江山の酒顛童子。」  というと、鬼はあざ笑って、 「ちがう、ちがう。」  と首を振りました。そこでまたでたらめに、 「愛宕山の茨木童子。」  というと、鬼はよけいおもしろそうに、 「ちがう、ちがう。」  といって笑いました。  それから、まだいくつも、いくつも、でたらめな名をいって、鬼がだんだん飽きて、こわい目玉をむいて、今にも飛びかかって来そうになったとき、大工はありったけの大きな声を張り上げて、 「鬼六。」  とどなりました。 「ちぇッ。山の神に教わったか。」  こういったとたん、ふっと鬼の姿は消えて無くなりました。 底本:「日本の諸国物語」講談社学術文庫、講談社    1983(昭和58)年4月10日第1刷発行 入力:鈴木厚司 校正:大久保ゆう 2003年8月2日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。