葛の葉狐 楠山正雄 Guide 扉 本文 目 次 葛の葉狐      一  むかし、摂津国の阿倍野という所に、阿倍の保名という侍が住んでおりました。この人の何代か前の先祖は阿倍の仲麻呂という名高い学者で、シナへ渡って、向こうの学者たちの中に交ってもちっとも引けをとらなかった人です。それでシナの天子さまが日本へ還すことを惜しがって、むりやり引き止めたため、日本へ帰ることができないで、そのまま向こうで、一生暮らしてしまいました。仲麻呂が死んでからは、日本に残った子孫も代々田舎にうずもれて、田舎侍になってしまいました。仲麻呂の代から伝えた天文や数学のむずかしい書物だけは家に残っていますが、だれもそれを読むものがないので、もう何百年という間、古い箱の中にしまい込まれたまま、虫の食うにまかしてありました。保名はそれを残念なことに思って、どうかして先祖の仲麻呂のような学者になって、阿倍の家を興したいと思いましたが、子供の時から馬に乗ったり弓を射たりすることはよくできても、学問で身を立てることは思いもよらないので、せめてりっぱな子供を生んで、その子を先祖に負けないえらい学者に仕立てたいと思い立ちました。そこで、ついお隣の和泉国の信田の森の明神のお社に月詣りをして、どうぞりっぱな子供を一人お授け下さいましと、熱心にお祈りをしていました。  ある年の秋の半ばのことでした。保名は五六人の家来を連れて、信田の明神の参詣に出かけました。いつものとおりお祈りをすましてしまいますと、折からはぎやすすきの咲き乱れた秋の野の美しい景色をながめながら、保名主従はしばらくそこに休んで、幕張りの中でお酒盛りをはじめました。  そのうちだんだん日が傾きかけて、短い秋の日は暮れそうになりました。保名主従はそろそろ帰り支度をはじめますと、ふと向こうの森の奥で大ぜいわいわいさわぐ声がしました。その中には太鼓だのほら貝だのの音も交って、まるで戦争のようなさわぎが、だんだんとこちらの方に近づいて来ました。主従は何事がはじまったのかと思って思わず立ちかけますと、その時すぐ前の草叢の中で、「こんこん。」と悲しそうに鳴く声が聞こえました。そして若い牝狐が一匹、中から風のように飛んで来ました。「おや。」という間もなく、狐は保名の幕の中に飛び込んで来ました。そして保名の足の下で首をうなだれ、しっぽを振って、さも悲しそうにまた鳴きました。それは人に追われて逃げ場を失った狐が、ほかの慈悲深い人間の助けを求めているのだということはすぐ分かりました。保名は情け深い侍でしたから、かわいそうに思って、家来にかつがせた箱の中に狐を入れて、かくまってやりました。すると間もなく、「うおっうおっ。」というやかましい鬨の声を上げて、何十人とない侍が、森の中から駆け出して来ました。そしていきなり保名の幕の中にばらばらと飛び込んで来て、物もいわずにそこらを探し回りました。  この乱暴なしわざを見て、保名はかっと腹を立てて、 「あなたはだれです。断りもなく、出し抜けに人の幕の中に入って来るのは、乱暴ではありませんか。」  ととがめました。 「生意気をいうな。我々がせっかく見つけた狐が、この幕の中に逃げ込んだから探すのだ。早く狐を出せ。」  とその中の頭分らしい侍がいいました。それから二言三言いい合ったと思うと、乱暴な侍共はいきなり刀を抜いて切ってかかりました。保名も家来たちもみんな強い侍でしたから、負けずに防ぎ戦って、とうとう乱暴な侍共を残らず追い払ってしまいました。そして箱の中にかくしておいた狐をさっそく出して、その間に逃がしてやりました。狐はまるで人間が手を合わせて拝むような形をして、二三度拝んだと思うと、さもうれしそうにしっぽを振って、草叢の中へ逃げて行ってしまいました。  狐の姿が見えなくなったと思うと、また向こうの森の中で、先よりも三倍も四倍もさわがしい人声がしました。保名が驚いて振り返って見るひまもなく、すぐ目の前に一人、りっぱな馬に乗った大将らしい侍を先に立てて、こんどは何百人という侍が、一塊になって寄せて来て、保名主従を取り囲みました。そこで又はげしい戦がはじまりました。保名主従は幾ら強くっても、先刻の働きでずいぶん疲れている上に、百倍もある敵に囲まれていることですから、とても敵いようがありません。保名の家来は残らず討たれて、保名も体中刀傷や矢傷を負った上に、大ぜいに手足をつかまえられて、虜にされてしまいました。  この馬に乗った大将は、やはりお隣の河内国に住んでいる石川悪右衛門という侍でした。奥方がこのごろ重い病にかかって、いろいろの医者に見せても少しも薬の効き目が見えないものですから、ちょうど自分のにいさんが芦屋の道満といって、その時分名高い学者で、天子様のおそばに仕えて、天文や占いでは日本一の名人という評判だったのを幸い、ある時悪右衛門は道満に頼んで、来て見てもらいますと、奥方の病気はただの薬では治らない、若い牝狐の生き肝を取ってせんじて飲ませるよりほかにないということでした。そこで信田の森へ大ぜい家来を連れて狐狩りに来たのでした。けれども運悪く、一日森の中を駆け回っても一匹の獲物もありません。すっかりかんしゃくをおこしてぷんぷんしながら引き上げようとしますと、ひょっこり、親子三匹の狐が長いすすきの陰にかくれているのを見つけました。大喜びでさっそく大ぜいかかりますと、狐は驚いて、牝牡の狐はとうとう逃げてしまいましたが、まだ若い小狐が一匹逃げ場を失って、大ぜいに追われながら、すばやく保名の幕の中まで逃げ込んだのでした。  こうしてせっかく手に入れかけた狐を横合いから取られてしまったのですから、悪右衛門はくやしがって、やたらに保名を憎みました。そして生け捕ったまま保名を殺してしまおうとしますと、ふいに向こうから、 「もしもし、しばらくお待ちなさい。」  という声が聞こえました。  悪右衛門が驚いて振り返ると、それは同じ河内国の藤井寺というお寺の和尚さんでした。そのお寺は石川の家代々の菩提所で、和尚さんとは平生から大そう懇意な間柄でした。 「これはめずらしい所でお目にかかりました。どういうわけで、その男を殺そうとなさるのです。」  と和尚さんはたずねました。  悪右衛門はそこで、今日の狐狩りの次第をのべて、とうとうおしまいに保名にじゃまをされて、くやしくってくやしくってたまらないという話をしました。  和尚さんは、静かに話を聞いた後で、 「なるほど、それはお腹の立つのはごもっともです。けれども人の命を取るというのは容易なことではありません。殊に大切な御病人の命を助けようとしておいでの時、ほかの人間の命を取るというのは、仏さまのおぼしめしにもかなわないでしょう。そうすると、せっかく助かる御病人が、かえって助からなくなるまいものでもない。」  こう和尚さんにいわれると、さすがに傲慢な悪右衛門も、少し勇気がくじけました。和尚さんはここぞと、 「しかし、ただ助けるというのが業腹にお思いなら、こうしましょう。この男を今日から侍をやめさせて、わたしの弟子にして、出家させます。それで堪忍しておやりなさい。」  といいました。  悪右衛門もとうとう和尚さんに言い伏せられて、いったん虜にした保名を放してやりました。  やがて悪右衛門の主従は和尚さんに別れを告げて、また森の中にすっかり姿が見えなくなりますと、和尚さんは、その時まで、ぼんやり夢をみたように座っていた保名に向かって、 「さあ、乱暴者どもが行ってしまいました。また見つからないうちに、そっと向こうの道を通って逃げていらっしゃい。わたくしはさっきあなたに助けて頂いた、この森の狐です。御恩は一生忘れません。」  こういうが早いか、和尚さんはもうまた元の狐の姿になって、しっぽを振りながら、悪右衛門たちが帰っていった方角とは違った向こうの森の中の道へ入っていきました。それはさも、自分について来いというようでした。保名はいよいよ夢の中で夢を見たような心持ちがしながら、うかうかとその後についていきました。      二  もう日がとっぷり暮れて、夜になりました。暗い樹の間から、吹けば飛びそうに薄い三日月がきらきらと光って見えていました。保名はいつの間にか狐の行方を見失ってしまって、心細く思いながら、森の中の道をとぼとぼと歩いて行きました。しばらく行くと、やがて森が尽きて、山と山との間の、谷あいのような所へ出ました。体中にうけた傷がずきんずきん痛みますし、もう疲れきってのどが渇いてたまりませんので、水があるかと思って谷へずんずん下りていきますと、はるかの谷底に一すじ、白い布をのべたような清水が流れていて、月の光がほのかに当たっていました。その光の中にかすかに人らしい姿が見えたので、保名はほっとして、痛む足をひきずりひきずり、岩角をたどって下りて行きますと、それはこんな寂しい谷あいに似もつかない十六七のかわいらしい少女が、谷川で着物を洗っているのでした。少女は保名の姿を見るとびっくりして、危うく踏まえていた岩を踏みはずしそうにしました。それから保名の血だらけになった手足と、ぼろぼろに裂けた着物と、それに何よりも死人のように青ざめた顔を見ると、思わずあっとさけび声をたてました。保名は気の毒そうに、 「驚いてはいけません。わたしはけっして怪しいものではありません。大ぜいの悪者に追われて、こんなにけがをしたのです。どうぞ水を一杯飲ませて下さい。のどが渇いて、苦しくってたまりません。」  といいました。  娘はそう聞くと大そう気の毒がって、谷川の水をしゃくって、保名に飲ませてやりました。そしてそのみじめらしい様子をつくづくとながめながら、 「まあ、そんな痛々しい御様子では、これからどこへいらっしゃろうといっても、途中で歩けなくなるにきまっています。むさくるしい家で、おいやでしょうけれど、ともかくわたくしのうちへいらしって、傷のお手当をなさいまし。」  といいました。  保名は大そうよろこんで、娘の後についてその家へ行きました。それは山の陰になった寂しい所で、うちには娘のほかにだれも人はおりませんでした。この娘は親も兄弟もない、ほんとうの一人ぼっちで、この寂しい森の奥に住んでいるのでした。  その明くる日保名は目が覚めてみると、昨日うけた体の傷が一晩のうちにひどい熱をもって、はれ上がっていました。体中、もうそれは搾木にかけられたようにぎりぎり痛んで、立つことも座ることもできません。そこで保名は心のうちには気の毒に思いながら、毎日あおむけになって寝たまま、親切な娘の世話に体をまかしておくほかはありませんでした。  保名の体が元どおりになるにはなかなか手間がかかりました。娘はそれでも、毎日ちっとも飽きずに、親身の兄弟の世話をするように親切に世話をしました。保名の体がすっかりよくなって、立って外へ出歩くことができるようになった時分には、もうとうに秋は過ぎて、冬の半ばになりました。森の奥の住まいには、毎日木枯らしが吹いて、木の葉も落ちつくすと、やがて深い雪が森をも谷をもうずめつくすようになりました。保名はそのままいっしょに雪の中にうずめられて、森を出ることができないでいました。そのうち雪がそろそろ解けはじめて、時々は森の中に小鳥の声が聞こえるようになって、春が近づいてきました。保名は毎日親切な娘の世話になっているうち、だんだんうちのことを忘れるようになりました。それからまた一年たって、二度めの春が訪れてくる時分には、保名と娘の間にかわいらしい男の子が一人生まれていました。このごろでは保名はすっかりもとの侍の身分を忘れて、朝早くから日の暮れるまで、家のうしろの小さな畑へ出てはお百姓の仕事をしていました。お上さんの葛の葉は、子供の世話をする合間には、機に向かって、夫や子供の着物を織っていました。夕方になると、保名が畑から抜いて来た新しい野菜や、仕事の合間に森で取った小鳥をぶら下げて帰って来ますと、葛の葉は子供を抱いてにっこり笑いながら出て来て、夫を迎えました。  こういう楽しい、平和な月日を送り迎えするうちに、今年は子供がもう七つになりました。それはやはり野面にはぎやすすきの咲き乱れた秋の半ばのことでした。ある日いつものとおり保名は畑に出て、葛の葉は一人寂しく留守居をしていました。お天気がいいので子供も野へとんぼを取りに行ったまま、遊びほおけていつまでも帰って来ませんでした。葛の葉はいつものとおり機に向かって、とんからりこ、とんからりこ、機を織りながら、少し疲れたので、手を休めて、うっとり庭をながめました。もう薄れかけた秋の夕日の中に、白い菊の花がほのかな香りをたてていました。葛の葉は何となくうるんだ寂しい気持ちになって、我を忘れてうっかりと魂が抜け出したようになっていました。その時外から、 「かあちゃん、かあちゃん。」  と呼びながら、遊び疲れた子供が駆けて帰って来ました。うっとりしていて、その声にも気がつかなかったとみえて、葛の葉が返事をしないので、不思議に思って子供はそっと庭に入ってみますと、いつものように機に向かっている母親の姿は見えましたが、機を織る手は休めて、機の上につっぷしたまま、うとうとうたた寝をしていました。ふと見るとその顔は、人間ではなくって、たしかに狐の顔でした。子供はびっくりして、もう一度見直しましたが、やはりまぎれもない狐の顔でした。子供は「きゃっ。」と、思わずけたたましいさけび声を上げたなり、あとをも見ずに外へ駆け出しました。  子供のさけび声に、はっとして葛の葉は目を覚ましました。そしてちょいとうたた寝をした間に、どういうことが起こったか、残らず知ってしまいました。ほんとうにこの葛の葉は人間の女ではなくって、あの時保名に助けられた若い牝狐だったのです。狐は今日までかくしていた自分の醜い、ほんとうの姿を子供に見られたことを、死ぬほどはずかしくも、悲しくも思いました。 「もうどうしても、このままこうしていることはできない。」  こう葛の葉はいって、はらはらと涙をこぼしました。  そういいながら、八年の間なれ親しんだ保名にも、子供にも、この住いにも、別れるのがこの上なくつらいことに思われました。さんざん泣いたあとで、葛の葉は立ち上がって、そこの障子の上に、 「恋しくば たずね来てみよ、 和泉なる しのだの森の うらみ葛の葉。」  とこう書いて、またしばらく泣きくずれました。そしてやっと思いきって立ち上がると、またなごり惜しそうに振り返り、振り返り、さんざん手間をとった後で、ふいとどこかへ出ていってしまいました。  もう日が暮れかけていました。保名は子供を連れて畑から帰って来ました。母親の変わった姿を見てびっくりした子供は、泣きながら方々父親のいる所を探し歩いて、やっと見つけると、今し方見たふしぎを父親に話したのです。保名は驚いて、子供を連れて、あわてて帰って来てみると、とんからりこ、とんからりこ、いつもの機の音が聞こえないで、うちの中はひっそりと、静まり返っていました。うち中たずね回っても、裏から表へと探し回っても、もうどこにも葛の葉の姿は見えませんでした。そしてもう暮れ方の薄明りの中に、くっきり白く浮き出している障子の上に、よく見ると、字が書いてありました。 「恋しくば たずね来てみよ、 和泉なる しのだの森の うらみ葛の葉。」  母親がほんとうにいなくなったことを知って、子供はどんなに悲しんだでしょう。 「かあちゃん、かあちゃん、どこへ行ったの。もうけっして悪いことはしませんから、早く帰って来て下さい。」  こういいながら、子供はいつまでもやみの中を探し回っていました。さっき顔の変わったのに驚いて声を立てたので、母親がおこって行ってしまったのだと思って、よけい悲しくなりました。狐のかあさんでも、化け物のかあさんでもかまわない、どうしてもかあさんに会いたいといって、子供はききませんでした。  あんまり子供が泣くので、保名は困って、子供の手を引いて、当てどもなく真っ暗やみの森の中を探して歩きました。とうとう信田の森まで来ると、とうに夜中を過ぎていました。けっして二度と姿を見せまいと心に誓っていた葛の葉も、子供の泣き声にひかれて、もう一度草むらの中に姿を現しました。子供はよろこんで、あわてて取りすがろうとしましたが、いったん元の狐に返った葛の葉は、もう元の人間の女ではありませんでした。 「わたしの体にさわってはいけません。いったん元の住みかに帰っては、人間との縁は切れてしまったのです。」  と葛の葉狐はいいました。 「お前が狐であろうと何であろうと、子供のためにも、せめてこの子が十になるまででも、元のようにいっしょにいてくれないか。」  と保名はいいました。 「十まではおろか一生でも、この子のそばにいたいのですけれど、わたしはもう二度と人間の世界に帰ることのできない身になりました。これを形見に残しておきますから、いつまでもわたしを忘れずにいて下さい。」  こういって葛の葉狐は一寸四方ぐらいの金の箱と、水晶のような透き通った白い玉を保名に渡しました。 「この箱の中に入っているのは、竜宮のふしぎな護符です。これを持っていれば、天地のことも人間界のことも残らず目に見るように知ることができます。それからこの玉を耳に当てれば、鳥獣の言葉でも、草木や石ころの言葉でも、手に取るように分かります。この二つの宝物を子供にやって、日本一の賢い人にして下さい。」  といって、二つの品物を保名に渡しますと、そのまますうっと狐の姿はやみの中に消えてしまいました。      三  狐のふしぎな宝物を授かったせいでしょうか、狐の子供の阿倍の童子は、並の子供と違って、生まれつき大そう賢くて、八つになると、ずんずんむずかしい本を読みはじめ、阿倍の家に昔から伝わって、だれも読む者のなかった天文、数学の巻き物から、占いや医学の本まで、何ということなしにみな読んでしまって、もう十三の年には、日本中でだれもかなうもののないほどの学者になってしまいました。  するとある日のことでした。童子はいつものとおり一間に入って、天文の本をしきりに読んでいますと、すぐ前の庭の柿の木に、からすが二羽、かあかあいって飛んで来ました。そして何かがちゃがちゃおしゃべりをはじめました。何をからすはいっているのか知らんと思って、童子は例のふしぎな玉を耳に当てますと、このからすは東の方から来た関東のからすと、西の方から来た京都のからすでした。京都のからすは関東のからすに向かって、このごろ都で見て来た話をしました。 「都の御所では、天子さまが大病で、大そうなさわぎをしているよ。お医者というお医者、行者という行者を集めて、いろいろ手をつくして療治をしたり、祈祷をしたりしているが、一向にしるしが見えない。それはそのはずさ、あれは病気ではないんだからなあ。だがわたしは知っている。」 「じゃあどういうわけなんだね。」  と関東のからすはたずねました。 「それはこういうわけさ。このごろ御所の建て替えをやって、天子さまのお休みになる御殿の柱を立てた時に、大工がそそっかしく、東北の隅の柱の下に蛇と蛙を生き埋めにしてしまったのだ。それが土台石の下で、今だに生きていて、夜も昼もにらみ合って戦っている。蛇と蛙がおこって吹き出す息が炎になって、空まで立ちのぼると、こんどは天が乱れる。その勢いで天子さまの体にお病がおこるのだ。だからあの蛇と蛙を追い出してしまわないうちは、御病気は治りっこないのだよ。」 「ふん、それじゃあ人間になんか分からないはずだなあ。」  そこで京都のからすは、関東のからすと顔を見合わせて、あざけるように、かあかあと笑いました。そしてまた関東のからすは東へ、京都のからすは西へ、別れて飛んでいってしまいました。  からすの言葉を聞いて、童子は早速占いを立ててみると、なるほどからすのいったとおりに違いありませんでしたから、おとうさんの前へ出て、その話をして、 「どうか、わたしを京都へ連れて行って下さい。天子さまの御病気を治して上げとうございます。」  といいました。  保名もこれをしおに京都へ行って、阿倍の家を興す時が来たと、大そうよろこんで、童子を連れて京都へ上りました。そして天子さまの御所に上がって、お願いの筋を申し上げました。天子さまも阿倍の仲麻呂の子孫だということをお聞きになって、およろこびになり、保名親子の願いをお聞き届けになりました。そこで童子はからすに聞いたとおり占いを立てて申し上げました。御所の役人たちはふしぎに思って、なかなか信用しませんでしたが、何しろ困りきっているところでしたから、ためしに御寝所の東北の柱の下を掘らしてみますと、なるほど童子のいったとおり、火のような息をはきかけはきかけ戦っている蛇と蛙を見つけて、追い出して、捨てました。するとまもなく天子さまの御病気は薄紙をへぐように、きれいに治ってしまいました。  天子さまは大そう阿倍の童子の手柄をおほめになって、ちょうど三月の清明の季節なので、名前を阿倍の清明とおつけになり、五位の位を授けて、陰陽頭という役におとりたてになりました。後に清明の清の字をかえて、阿倍の晴明といった名高い占いの名人はこの童子のことです。      四  たった十三にしかならない阿倍の童子が、天子さまの御病気を治してえらい役人にとりたてられたと聞いて、いちばんくやしがったのは、あの石川悪右衛門のにいさんの芦屋の道満でした。道満はその時まで日本一の学者で、天文と占いの名人という評判でしたが、こんどは天子さまの御病気を治すことができないで、その手柄を子供に取られてしまったのですから、くやしがるのも無理はありません。そこで御所へ上がって天子さまに讒言をしました。 「御用心遊ばさないといけません。あの童子は詐欺師でございます。恐れながら、陛下のお病は侍医の方々や、わたくし共の丹誠で、もうそろそろ御平癒になる時になっておりました。そこへ折よく童子めが来合わせて、横合いから手柄を奪っていったのでございます。御寝所の下の蛇と蛙のふしぎも、あれら親子が御所の役人のだれかとしめし合わせて、わざわざ入れて置いたものかも知れません。どうか軽々しくお信じなさらずに、一度わたくしと法術比べをさせて頂きとうございます。もしあの童子が負けましたらば、それこそ詐欺師の証拠でございますから、さっそく位を取り上げて、追い返して頂きとうございます。」  と申し上げました。 「でもお前がもし童子に負けたらどうするか。」  と天子さまは少しおこって、おたずねになりました。 「はい、万々一わたくしが負けるようなことがございましたら、それこそわたくしの頂いておりますお役も位も残らずお返し申し上げて、わたくしは童子の弟子になって、修業をいたします。」  と、高慢な顔をしてお答え申し上げました。  そこで天子さまは阿倍の晴明親子をお呼び出しになり、御前で術比べさせてごらんになることになりました。道満と晴明が右左に別れて席につきますと、やがて役人が四五人かかって、重そうに大きな長持を担いで来て、そこへすえました。 「道満、晴明、この長持の中には何が入っているか、当ててみよ、という陛下の仰せです。」  とお役人の頭がいいました。  すると道満は、さもとくいらしい顔をして、 「晴明、まずお前からいうがいい。子供のことだ、先を譲ってやる。」  といいました。晴明はその時、丁寧に頭を下げて、 「では失礼ですが、わたくしから申し上げましょう。長持の中にお入れになったのは猫二匹です。」  といいました。  晴明がうまくいいあてたので、道満はぎょっとしました。 「ふん、まぐれ当たりに当たったな。いかにも二匹の猫に相違ありません。それで一匹は赤猫、一匹は白猫です。」  長持のふたをあけると、なるほど赤と白の猫が二匹飛び出しました。天子さまも役人たちも舌をまいて驚きました。  今のは勝負なしにすんだので、又、四五人のお役人が、大きなお三方に何か載せて、その上に厚い布をかけて運んで来ました。道満はそれを見ると、こんどこそ晴明に先をこされまいというので、いきり立って、 「ではわたくしから申し上げます。お三方の上にお載せになったのは、みかん十五です。」  といいました。  晴明はそれを聞いて、「ふん。」と心の中であざ笑いました。そして少しいたずらをして、高慢らしい道満の鼻をあかせてやりたいと思いました。そこでそっと物を換える術を使って、お三方の中の品物を素早く換えてしまいました。そしてすました顔をしながら、 「これはみかん十五ではございません。ねずみ十五匹をお入れになったと存じます。」  といいました。天子さまはじめお役人たちはびっくりしました。こんどこそは晴明がしくじったと思いました。そばについていたおとうさんの保名も真っ青になって、息子のそでを引きました。けれども晴明はあくまで平気な顔をしていました。道満は真っ赤になって、 「さあ、詐欺師の証拠は現れましたぞ。中を早くおあけなさい、早く。」  とさけびました。  お役人はお三方の覆いをとりました。するとどうでしょう。お三方の上に載せたのはみかんではなくって、今の今まで晴明のほかだれ一人思いもかけなかったねずみが十五匹、ちょろちょろ飛び出して、御殿の床の上を駆け歩きました。すると長持の上に寝ていた二匹の猫が目早く見つけて、いきなり飛び下りて、ねずみを追い回しました。みんなは「あれあれ。」とさけんで、総立ちになって、やがて御殿中の大さわぎになりました。  これで勝負はつきました。芦屋の道満は位を取り上げられて、御殿から追い出されました。そして阿倍の晴明のお弟子になりました。 底本:「日本の諸国物語」講談社学術文庫、講談社    1983(昭和58)年4月10日第1刷発行 入力:鈴木厚司 校正:大久保ゆう 2003年9月29日作成 青空文庫作成ファイル: 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