小説 不如帰 徳冨蘆花 Guide 扉 本文 目 次 小説 不如帰 第百版不如帰の巻首に 上編 一の一 一の二 一の三 二 三の一 三の二 三の三 四の一 四の二 四の三 四の四 五の一 五の二 五の三 五の四 六の一 六の二 七の一 七の二 中編 一の一 一の二 二の一 二の二 三の一 三の二 四の一 四の二 四の三 四の四 五の一 五の二 六の一 六の二 六の三 六の四 七の一 七の二 七の三 八の一 八の二 九の一 九の二 十 下編 一の一 一の二 一の三 一の四 一の五 二の一 二の二 二の三 二の四 三の一 三の二 四の一 四の二 四の三 四の四 五の一 五の二 五の三 六の一 六の二 七の一 七の二 八の一 八の二 九の一 九の二 九の三 十の一 十の二 第百版不如帰の巻首に  不如帰が百版になるので、校正かたがた久しぶりに読んで見た。お坊っちゃん小説である。単純な説話で置いたらまだしも、無理に場面をにぎわすためかき集めた千々石山木の安っぽい芝居がかりやら、小川某女の蛇足やら、あらをいったら限りがない。百版という呼び声に対してももっとどうにかしたい気もする。しかし今さら書き直すのも面倒だし、とうとうほンの校正だけにした。  十年ぶりに読んでいるうちに端なく思い起こした事がある。それはこの小説の胚胎せられた一夕の事。もう十二年前である、相州逗子の柳屋という家の間を借りて住んでいたころ、病後の保養に童男一人連れて来られた婦人があった。夏の真盛りで、宿という宿は皆ふさがって、途方に暮れておられるのを見兼ねて、妻と相談の上自分らが借りていた八畳二室のその一つを御用立てることにした。夏のことでなかの仕切りは形ばかりの小簾一重、風も通せば話も通う。一月ばかりの間に大分懇意になった。三十四五の苦労をした人で、(不如帰の小川某女ではない)大層情の深い話上手の方だった。夏も末方のちと曇ってしめやかな晩方の事、童男は遊びに出てしまう、婦人と自分と妻と雑談しているうちに、ふと婦人がさる悲酸の事実譚を話し出された。もうそのころは知る人は知っていたが自分にはまだ初耳の「浪子」の話である。「浪さん」が肺結核で離縁された事、「武男君」は悲しんだ事、片岡中将が怒って女を引き取った事、病女のために静養室を建てた事、一生の名残に「浪さん」を連れて京阪の遊をした事、川島家からよこした葬式の生花を突っ返した事、単にこれだけが話のなかの事実であった。婦人は鼻をつまらせつつしみじみ話す。自分は床柱にもたれてぼんやりきいている。妻は頭をたれている。日はいつか暮れてしもうた。古びた田舎家の間内が薄ぐらくなって、話す人の浴衣ばかり白く見える。臨終のあわれを話して「そうお言いだったそうですってね──もうもう二度と女なんかに生まれはしない」──言いかけて婦人はとうとう嘘唏して話をきってしもうた。自分の脊髄をあるものが電のごとく走った。  婦人は間もなく健康になって、かの一夕の談を置き土産に都に帰られた。逗子の秋は寂しくなる。話の印象はいつまでも消えない。朝な夕な波は哀音を送って、蕭瑟たる秋光の浜に立てば影なき人の姿がつい眼前に現われる。かあいそうは過ぎて苦痛になった。どうにかしなければならなくなった。そこで話の骨に勝手な肉をつけて一編未熟の小説を起草して国民新聞に掲げ、後一冊として民友社から出版したのがこの小説不如帰である。  で、不如帰のまずいのは自分が不才のいたすところ、それにも関せず読者の感を惹く節があるなら、それは逗子の夏の一夕にある婦人の口に藉って訴えた「浪子」が自ら読者諸君に語るのである。要するに自分は電話の「線」になったまでのこと。   明治四十二年二月二日 昔の武蔵野今は東京府下 北多摩郡千歳村粕谷の里にて 徳冨健次郎識 上編 一の一  上州伊香保千明の三階の障子開きて、夕景色をながむる婦人。年は十八九。品よき丸髷に結いて、草色の紐つけし小紋縮緬の被布を着たり。  色白の細面、眉の間ややせまりて、頬のあたりの肉寒げなるが、疵といわば疵なれど、瘠形のすらりとしおらしき人品。これや北風に一輪勁きを誇る梅花にあらず、また霞の春に蝴蝶と化けて飛ぶ桜の花にもあらで、夏の夕やみにほのかににおう月見草、と品定めもしつべき婦人。  春の日脚の西に傾きて、遠くは日光、足尾、越後境の山々、近くは、小野子、子持、赤城の峰々、入り日を浴びて花やかに夕ばえすれば、つい下の榎離れて唖々と飛び行く烏の声までも金色に聞こゆる時、雲二片蓬々然と赤城の背より浮かび出でたり。三階の婦人は、そぞろにその行方をうちまもりぬ。  両手優かにかき抱きつべきふっくりとかあいげなる雲は、おもむろに赤城の巓を離れて、さえぎる物もなき大空を相並んで金の蝶のごとくひらめきつつ、優々として足尾の方へ流れしが、やがて日落ちて黄昏寒き風の立つままに、二片の雲今は薔薇色に褪いつつ、上下に吹き離され、しだいに暮るる夕空を別れ別れにたどると見しもしばし、下なるはいよいよ細りていつしか影も残らず消ゆれば、残れる一片はさらに灰色に褪いて朦乎と空にさまよいしが、  果ては山も空もただ一色に暮れて、三階に立つ婦人の顔のみぞ夕やみに白かりける。 一の二 「お嬢──おやどういたしましょう、また口がすべって、おほほほほ。あの、奥様、ただいま帰りましてございます。おや、まっくら。奥様エ、どこにおいで遊ばすのでございます?」 「ほほほほ、ここにいるよ」 「おや、ま、そちらに。早くおはいり遊ばせ。お風邪を召しますよ。旦那様はまだお帰り遊ばしませんでございますか?」 「どう遊ばしたんだろうね?」と障子をあけて内に入りながら「何なら帳場へそう言って、お迎人をね」 「さようでございますよ」言いつつ手さぐりにマッチをすりてランプを点くるは、五十あまりの老女。  おりから階段の音して、宿の女中は上り来つ。 「おや、恐れ入ります。旦那様は大層ごゆっくりでいらっしゃいます。……はい、あのいましがた若い者をお迎えに差し上げましてございます。もうお帰りでございましょう。──お手紙が──」 「おや、お父さまのお手紙──早くお帰りなさればいいに!」と丸髷の婦人はさもなつかしげに表書を打ちかえし見る。 「あの、殿様の御状で──。早く伺いたいものでございますね。おほほほほ、きっとまたおもしろいことをおっしゃってでございましょう」  女中は戸を立て、火鉢の炭をついで去れば、老女は風呂敷包みを戸棚にしまい、立ってこなたに来たり、 「本当に冷えますこと! 東京とはよほど違いますでございますねエ」 「五月に桜が咲いているくらいだからねエ。ばあや、もっとこちらへお寄りな」 「ありがとうございます」言いつつ老女はつくづく顔打ちながめ「うそのようでございますねエ。こんなにお丸髷にお結い遊ばして、ちゃんとすわっておいで遊ばすのを見ますと、ばあやがお育て申し上げたお方様とは思えませんでございますよ。先奥様がお亡くなり遊ばした時、ばあやに負されて、母様母様ッてお泣き遊ばしたのは、昨日のようでございますがねエ」はらはらと落涙し「お輿入の時も、ばあやはねエあなた、あの立派なごようすを先奥様がごらん遊ばしたら、どんなにおうれしかったろうと思いましてねエ」と襦袢の袖引き出して目をぬぐう。  こなたも引き入れられるるようにうつぶきつ、火鉢にかざせし左手の指環のみ燦然と照り渡る。  ややありて姥は面を上げつ。「御免遊ばせ、またこんな事を。おほほほ年が寄ると愚痴っぽくなりましてねエ。おほほほほ、お嬢──奥様もこれまではいろいろ御苦労も遊ばしましたねエ。本当によく御辛抱遊ばしましたよ。もうもうこれからはおめでたい事ばかりでございますよ、旦那様はあの通りおやさしいお方様──」 「お帰り遊ばしましてございます」  と女中の声階段の口に響きぬ。 一の三 「やあ、くたびれた、くたびれた」  足袋草鞋脱ぎすてて、出迎う二人にちょっと会釈しながら、廊下に上りて来し二十三四の洋服の男、提燈持ちし若い者を見返りて、 「いや、御苦労、御苦労。その花は、面倒だが、湯につけて置いてもらおうか」 「まあ、きれい!」 「本当にま、きれいな躑躅でございますこと! 旦那様、どちらでお採り遊ばしました?」 「きれいだろう。そら、黄色いやつもある。葉が石楠に似とるだろう。明朝浪さんに活けてもらおうと思って、折って来たんだ。……どれ、すぐ湯に入って来ようか」        * 「本当に旦那様はお活発でいらっしゃいますこと! どうしても軍人のお方様はお違い遊ばしますねエ、奥様」  奥様は丁寧に畳みし外套をそっと接吻して衣桁にかけつつ、ただほほえみて無言なり。  階段も轟と上る足音障子の外に絶えて、「ああいい心地!」と入り来る先刻の壮夫。 「おや、旦那様もうお上がり遊ばして?」 「男だもの。あはははは」と快く笑いながら、妻がきまりわるげに被る大縞の褞袍引きかけて、「失敬」と座ぶとんの上にあぐらをかき、両手に頬をなでぬ。栗虫のように肥えし五分刈り頭の、日にやけし顔はさながら熟せる桃のごとく、眉濃く目いきいきと、鼻下にうっすり毛虫ほどの髭は見えながら、まだどこやらに幼な顔の残りて、ほほえまるべき男なり。 「あなた、お手紙が」 「あ、乃舅だな」  壮夫はちょいといずまいを直して、封を切り、なかを出せば落つる別封。 「これは浪さんのだ──ふむ、お変わりもないと見える……はははは滑稽をおっしゃるな……お話を聞くようだ」笑を含んで読み終えし手紙を巻いてそばに置く。 「おまえにもよろしく。場所が変わるから、持病の起こらぬように用心おしっておっしゃってよ」と「浪さん」は饌を運べる老女を顧みつ。 「まあ、さようでございますか、ありがとう存じます」 「さあ、飯だ、飯だ、今日は握り飯二つで終日歩きずめだったから、腹が減ったこったらおびただしい。……ははは。こらあ何ちゅう魚だな、鮎でもなしと……」 「山女とか申しましたっけ──ねエばあや」 「そう? うまい、なかなかうまい、それお代わりだ」 「ほほほ、旦那様のお早うございますこと」 「そのはずさ。今日は榛名から相馬が嶽に上って、それから二ツ嶽に上って、屏風岩の下まで来ると迎えの者に会ったんだ」 「そんなにお歩き遊ばしたの?」 「しかし相馬が嶽のながめはよかったよ。浪さんに見せたいくらいだ。一方は茫々たる平原さ、利根がはるかに流れてね。一方はいわゆる山また山さ、その上から富士がちょっぽりのぞいてるなんぞはすこぶる妙だ。歌でも詠めたら、ひとつ人麿と腕っ比べをしてやるところだった。あはははは。そらもひとつお代わりだ」 「そんなに景色がようございますの。行って見とうございましたこと!」 「ふふふふ。浪さんが上れたら、金鵄勲章をあげるよ。そらあ急嶮い山だ、鉄鎖が十本もさがってるのを、つたって上るのだからね。僕なんざ江田島で鍛い上げたからだで、今でもすわというとマストでも綱でもぶら下がる男だから、何でもないがね、浪さんなんざ東京の土踏んだ事もあるまい」 「まあ、あんな事を」にっこり顔をあからめ「これでも学校では体操もいたしましたし──」 「ふふふふ。華族女学校の体操じゃ仕方がない。そうそう、いつだっけ、参観に行ったら、琴だか何だかコロンコロン鳴ってて、一方で『地球の上に国という国は』何とか歌うと、女生が扇を持って起ったりしゃがんだりぐるり回ったりしとるから、踊りの温習かと思ったら、あれが体操さ! あはははは」 「まあ、お口がお悪い!」 「そうそう。あの時山木の女と並んで、垂髪に結って、ありあ何とか言ったっけ、葡萄色の袴はいて澄ましておどってたのは、たしか浪さんだっけ」 「ほほほほ、あんな言を! あの山木さんをご存じでいらっしゃいますの?」 「山木はね、うちの亡父が世話したんで、今に出入りしとるのさ。はははは、浪さんが敗北したもんだから黙ってしまったね」 「あんな言!」 「おほほほほ。そんなに御夫婦げんかを遊ばしちゃいけません。さ、さ、お仲直りのお茶でございますよ。ほほほほ」 二  前回かりに壮夫といえるは、海軍少尉男爵川島武男と呼ばれ、このたび良媒ありて陸軍中将子爵片岡毅とて名は海内に震える将軍の長女浪子とめでたく合卺の式を挙げしは、つい先月の事にて、ここしばしの暇を得たれば、新婦とその実家よりつけられし老女の幾を連れて四五日前伊香保に来たりしなり。  浪子は八歳の年実母に別れぬ。八歳の昔なれば、母の姿貌ははっきりと覚えねど、始終笑を含みていられしことと、臨終のその前にわれを臥床に呼びて、やせ細りし手にわが小さき掌を握りしめ「浪や、母さんは遠いとこに行くからね、おとなしくして、おとうさまを大事にして、駒ちゃんをかあいがってやらなければなりませんよ。もう五六年……」と言いさしてはらはらと涙を流し「母さんがいなくなっても母さんをおぼえているかい」と今は肩過ぎしわが黒髪のそのころはまだふっさりと額ぎわまで剪り下げしをかいなでかいなでしたまいし事も記憶の底深く彫りて思い出ぬ日はあらざりき。  一年ほど過ぎて、今の母は来つ。それより後は何もかも変わり果てたることになりぬ。先の母はれっきとしたる士の家より来しなれば、よろず折り目正しき風なりしが、それにてもあのように仲よき御夫婦は珍しと婢の言えるをきけることもありし。今の母はやはりれっきとした士の家から来たりしなれど、早くより英国に留学して、男まさりの上に西洋風の染みしなれば、何事も先とは打って変わりて、すべて先の母の名残と覚ゆるをばさながら打ち消すように片端より改めぬ。父に対しても事ごとに遠慮もなく語らい論ずるを、父は笑いて聞き流し「よしよし、おいが負けじゃ、負けじゃ」と言わるるが常なれど、ある時ごく気に入りの副官、難波といえるを相手の晩酌に、母も来たりて座に居しが、父はじろりと母を見てからからと笑いながら「なあ難波君、学問の出来る細君は持つもんじゃごわはん、いやさんざんな目にあわされますぞ、あはははは」と言われしとか。さすがの難波も母の手前、何と挨拶もし兼ねて手持ちぶさたに杯を上げ下げして居しが、その後おのが細君にくれぐれも女児どもには書物を読み過ごさせな、高等小学卒業で沢山と言い含められしとか。  浪子は幼きよりいたって人なつこく、しかも怜悧に、香炉峰の雪に簾を巻くほどならずとも、三つのころより姥に抱かれて見送る玄関にわれから帽をとって阿爺の頭に載すほどの気はききたり。伸びん伸びんとする幼心は、たとえば春の若菜のごとし。よしやひとたび雪に降られしとて、ふみにじりだにせられずば、おのずから雪融けて青々とのぶるなり。慈母に別れし浪子の哀しみは子供には似ず深かりしも、後の日だに照りたらば苦もなく育つはずなりき。束髪に結いて、そばへ寄れば香水の香の立ち迷う、目少し釣りて口大きなる今の母を初めて見し時は、さすがに少したじろぎつるも、人なつこき浪子はこの母君にだに慕い寄るべかりしに、継母はわれからさしはさむ一念にかあゆき児をば押し隔てつ。世なれぬわがまま者の、学問の誇り、邪推、嫉妬さえ手伝いて、まだ八つ九つの可愛児を心ある大人なんどのように相手にするより、こなたは取りつく島もなく、寒ささびしさは心にしみぬ。ああ愛されぬは不幸なり、愛いすることのできぬはなおさらに不幸なり。浪子は母あれども愛するを得ず、妹あれども愛するを得ず、ただ父と姥の幾と実母の姉なる伯母はあれど、何を言いても伯母はよその人、幾は召使いの身、それすら母の目常に注ぎてあれば、少しよくしても、してもらいても、互いにひいきの引き倒し、かえってためにならず。ただ父こそは、父こそは渾身愛に満ちたれど、その父中将すらもさすがに母の前をばかねらるる、それも思えば慈愛の一つなり。されば母の前では余儀なくしかりて、陰へ回れば言葉少なく情深くいたわる父の人知らぬ苦心、怜悧き浪子は十分に酌んで、ああうれしいかたじけない、どうぞ身を粉にしても父上のおためにと心に思いはあふるれど、気がつくほどにすれば、母は自分の領分に踏み込まれたるように気をわるくするがつらく、光を韞みて言寡に気もつかぬ体に控え目にしていれば、かえって意地わるのやれ鈍物のと思われ言わるるも情けなし。ある時はいささかの間違いより、流るるごとき長州弁に英国仕込みの論理法もて滔々と言いまくられ、おのれのみかは亡き母の上までもおぼろげならずあてこすられて、さすがにくやしくかんだ唇開かんとしては縁側にちらりと父の影見ゆるに口をつぐみ、あるいはまたあまり無理なる邪推されては「母さまもあんまりな」と窓かけの陰に泣いたることもありき。父ありというや。父はあり。愛する父はあり。さりながら家が世界の女の兒には、五人の父より一人の母なり。その母が、その母がこの通りでは、十年の間には癖もつくべく、艶も失すべし。「本当に彼女はちっともさっぱりした所がない、いやに執念な人だよ」と夫人は常にののしりぬ。ああ土鉢に植えても、高麗交趾の鉢に植えても、花は花なり、いずれか日の光を待たざるべき。浪子は実に日陰の花なりけり。  さればこのたび川島家と縁談整いて、輿入済みし時は、浪子も息をつき、父中将も、継母も、伯母も、幾も、皆それぞれに息をつきぬ。 「奥様(浪子の継母)は御自分は華手がお好きなくせに、お嬢様にはいやアな、じみなものばかり、買っておあげなさる」とつねにつぶやきし姥の幾が、嫁入りじたくの薄きを気にして、先奥様がおいでになったらとかき口説いて泣きたりしも、浪子はいそいそとしてわが家の門を出でぬ。今まで知らぬ自由と楽しさのこのさきに待つとし思えば、父に別るる哀しさもいささか慰めらるる心地して、いそいそとして行きたるなり。 三の一  伊香保より水沢の観音まで一里あまりの間は、一条の道、蛇のごとく禿山の中腹に沿うてうねり、ただ二か所ばかりの山の裂け目の谷をなせるに陥りてまた這い上がれるほかは、目をねむりても行かるべき道なり。下は赤城より上毛の平原を見晴らしつ。ここらあたりは一面の草原なれば、春のころは野焼きのあとの黒める土より、さまざまの草萱萩桔梗女郎花の若芽など、生え出でて毛氈を敷けるがごとく、美しき草花その間に咲き乱れ、綿帽子着た銭巻、ひょろりとした蕨、ここもそこもたちて、ひとたびここにおり立たば春の日の永きも忘るべき所なり。  武男夫婦は、今日の晴れを蕨狩りすとて、姥の幾と宿の女中を一人つれて、午食後よりここに来つ。はやひとしきり採りあるきて、少しくたびれが来しと見え、女中に持たせし毛布を草のやわらかなるところに敷かせて、武男は靴ばきのままごろりと横になり、浪子は麻裏草履を脱ぎ桃紅色のハンケチにて二つ三つ膝のあたりをはらいながらふわりとすわりて、 「おおやわらか! もったいないようでございますね」 「ほほほお嬢──あらまた、御免遊ばせ、お奥様のいいお顔色におなり遊ばしましたこと! そしてあんなにお唱歌なんぞお歌い遊ばしましたのは、本当にお久しぶりでございますねエ」と幾はうれしげに浪子の横顔をのぞく。 「あんまり歌ってなんだか渇いて来たよ」 「お茶を持ってまいりませんで」と女中は風呂敷解きて夏蜜柑、袋入りの乾菓子、折り詰めの巻鮓など取り出す。 「何、これがあれば茶はいらんさ」と武男はポッケットよりナイフ取り出して蜜柑をむきながら「どうだい浪さん、僕の手ぎわには驚いたろう」 「あんな言をおっしゃるわ」 「旦那様のおとり遊ばしたのには、杪欏がどっさりまじっておりましてございますよ」と、女中が口を出す。 「ばかを言うな。負け惜しみをするね。ははは。今日は実に愉快だ。いい天気じゃないか」 「きれいな空ですこと、碧々して、本当に小袖にしたいようでございますね」 「水兵の服にはなおよかろう」 「おおいい香! 草花の香でしょうか、あ、雲雀が鳴いてますよ」 「さあ、お鮓をいただいてお腹ができたから、もうひとかせぎして来ましょうか、ねエ女中さん」と姥の幾は宿の女を促し立てて、また蕨採りにかかりぬ。 「すこし残しといてくれんとならんぞ──健な姥じゃないか、ねエ浪さん」 「本当に健でございますよ」 「浪さん、くたびれはしないか」 「いいえ、ちっとも今日は疲れませんの、わたくしこんなに楽しいことは始めて!」 「遠洋航海なぞすると随分いい景色を見るが、しかしこんな高い山の見晴らしはまた別だね。実にせいせいするよ。そらそこの左の方に白い壁が閃々するだろう。あれが来がけに浪さんと昼飯を食った渋川さ。それからもっとこっちの碧いリボンのようなものが利根川さ。あれが坂東太郎た見えないだろう。それからあの、赤城の、こうずうと夷とる、それそれ煙が見えとるだろう、あの下の方に何だかうじゃうじゃしてるね、あれが前橋さ。何? ずっと向こうの銀の針のようなの? そうそう、あれはやっぱり利根の流れだ。ああもう先はかすんで見えない。両眼鏡を持って来るところだったねエ、浪さん。しかし霞がかけて、先がはっきりしないのもかえっておもしろいかもしれん」  浪子はそっと武男の膝に手を投げて溜息つき 「いつまでもこうしていとうございますこと!」 「黄色の蝶二つ浪子の袖をかすめてひらひらと飛び行きしあとより、さわさわと草踏む音して、帽子かぶりし影法師だしぬけに夫婦の眼前に落ち来たりぬ。 「武男君」 「やあ! 千々岩君か。どうしてここに?」 三の二  新来の客は二十六七にや。陸軍中尉の服を着たり。軍人には珍しき色白の好男子。惜しきことには、口のあたりどことなく鄙しげなるところありて、黒水晶のごとき目の光鋭く、見つめらるる人に不快の感を起こさすが、疵なるべし。こは武男が従兄に当たる千々岩安彦とて、当時参謀本部の下僚におれど、腕ききの聞こえある男なり。 「だしぬけで、びっくりだろう。実は昨日用があって高崎に泊まって、今朝渋川まで来たんだが、伊香保はひと足と聞いたから、ちょっと遊びに来たのさ。それから宿に行ったら、君たちは蕨採りの御遊だと聞いたから、路を教わってやって来たんだ。なに、明日は帰らなけりゃならん。邪魔に来たようだな。はッはッ」 「ばかな。──君それから宅に行ってくれたかね」 「昨朝ちょっと寄って来た。叔母様も元気でいなさる。が、もう君たちが帰りそうなものだってしきりとこぼしていなすッたッけ。──赤坂の方でもお変わりもありませんです」と例の黒水晶の目はぎらりと浪子の顔に注ぐ。  さっきからあからめし顔はひとしお紅うなりて浪子は下向きぬ。 「さあ、援兵が来たからもう負けないぞ。陸海軍一致したら、娘子軍百万ありといえども恐るるに足らずだ。──なにさ、さっきからこの御婦人方がわが輩一人をいじめて、やれ蕨の取り方が少ないの、採ったが蕨じゃないだの、悪口して困ったンだ」と武男は顋もて今来し姥と女中をさす。 「おや、千々岩様──どうしていらッしゃいまして?」と姥はびっくりした様子にて少し小鼻にしわを寄せつ。 「おれがさっき電報かけて加勢に呼んだンだ」 「おほほほ、あんな言をおしゃるよ──ああそうで、へえ、明日はお帰り遊ばすンで。へえ、帰ると申しますと、ね、奥様、お夕飯のしたくもございますから、わたくしどもはお先に帰りますでございますよ」 「うん、それがいい、それがいい。千々岩君も来たから、どっさりごちそうするンだ。そのつもりで腹を減らして来るぞ。ははははは。なに、浪さんも帰る? まあいるがいいじゃないか。味方がなくなるから逃げるンだな。大丈夫さ、決していじめはしないよ。あはははは」  引きとめられて浪子は居残れば、幾は女中と荷物になるべき毛布蕨などとりおさめて帰り行きぬ。  あとに三人はひとしきり蕨を採りて、それよりまだ日も高ければとて水沢の観音に詣で、さきに蕨を採りし所まで帰りてしばらく休み、そろそろ帰途に上りぬ。  夕日は物聞山の肩より花やかにさして、道の左右の草原は萌黄の色燃えんとするに、そこここに立つ孤松の影長々と横たわりつ。目をあぐれば、遠き山々静かに夕日を浴び、麓の方は夕煙諸処に立ち上る。はるか向こうを行く草負い牛の、しかられてもうと鳴く声空に満ちぬ。  武男は千々岩と並びて話しながら行くあとより浪子は従いて行く。三人は徐かに歩みて、今しも壑を渉り終わり、坂を上りてまばゆき夕日の道に出でつ。  武男はたちまち足をとどめぬ。 「やあ、しまった。ステッキを忘れた。なに、さっき休んだところだ。待っててくれたまえ、ひと走り取って来るから──なに、浪さんは待ってればいいじゃないか。すぐそこだ。全速力で駆けて来る」  と武男はしいて浪子を押しとめ、ハンケチ包みの蕨を草の上にさし置き、急ぎ足に坂を下りて見えずなりぬ。 三の三  武男が去りしあとに、浪子は千々岩と一間ばかり離れて無言に立ちたり。やがて谷を渉りてかなたの坂を上り果てし武男の姿小さく見えたりしが、またたちまちかなたに向かいて消えぬ。 「浪子さん」  かなたを望みいし浪子は、耳もと近き声に呼びかけられて思わず身を震わしたり。 「浪子さん」  一歩近寄りぬ。  浪子は二三歩引き下がりて、余儀なく顔をあげたりしが、例の黒水晶の目にひたとみつめられて、わき向きたり。 「おめでとう」  こなたは無言、耳までさっと紅になりぬ。 「おめでとう。イヤ、おめでとう。しかしめでたくないやつもどこかにいるですがね。へへへへ」  浪子はうつむきて、杖にしたる海老色の洋傘のさきもてしきりに草の根をほじりつ。 「浪子さん」  蛇にまつわらるる栗鼠の今は是非なく顔を上げたり。 「何でございます?」 「男爵に金、はやっぱりいいものですよ。へへへへへ、いやおめでとう」 「何をおっしゃるのです?」 「へへへへへ、華族で、金があれば、ばかでも嫁に行く、金がなけりゃどんなに慕っても唾もひッかけん、ね、これが当今の姫御前です。へへへへ、浪子さんなンざそんな事はないですがね」  浪子もさすがに血相変えてきっと千々岩をにらみたり。 「何をおっしゃるンです。失敬な。も一度武男の目前で言ってごらんなさい。失敬な。男らしく父に相談もせずに、無礼千万な艶書を吾にやったりなンぞ……もうこれから決して容赦はしませぬ」 「何ですと?」千々岩の額はまっ暗くなり来たり、唇をかんで、一歩二歩寄らんとす。  だしぬけにいななく声足下に起こりて、馬上の半身坂より上に見え来たりぬ。 「ハイハイハイッ。お邪魔でがあすよ。ハイハイハイッ」と馬上なる六十あまりの老爺、頬被りをとりながら、怪しげに二人のようすを見かえり見かえり行き過ぎたり。  千々岩は立ちたるままに、動かず。額の条はややのびて、結びたる唇のほとりに冷笑のみぞ浮かびたる。 「へへへへ、御迷惑ならお返しなさい」 「何をですか?」 「何が何をですか、おきらいなものを!」 「ありません」 「なぜないのです」 「汚らわしいものは焼きすててしまいました」 「いよいよですな。別に見た者はきっとないですか」 「ありません」 「いよいよですか」 「失敬な」  浪子は忿然として放ちたる眼光の、彼がまっ黒き目のすさまじきに見返されて、不快に得堪えずぞっと震いつつ、はるかに目をそらしぬ。あたかもその時谷を隔てしかなたの坂の口に武男の姿見え来たりぬ。顔一点棗のごとくあかく夕日にひらめきつ。  浪子はほっと息つきたり。 「浪子さん」  千々岩は懲りずまにあちこち逸らす浪子の目を追いつつ「浪子さん、一言いって置くが、秘密、何事も秘密に、な、武男君にも、御両親にも。で、なけりゃ──後悔しますぞ」  電のごとき眼光を浪子の面に射つつ、千々岩は身を転じて、俛してそこらの草花を摘み集めぬ。  靴音高く、ステッキ打ち振りつつ坂を上り来し武男「失敬、失敬。あ苦しい、走りずめだッたから。しかしあったよ、ステッキは。──う、浪さんどうかしたかい、ひどく顔色が悪いぞ」  千々岩は今摘みし菫の花を胸の飾紐にさしながら、 「なに、浪子さんはね、君があまりひま取ったもンだから、おおかた迷子になったンだろうッて、ひどく心配しなすッたンさ。はッはははは」 「あはははは。そうか。さあ、そろそろ帰ろうじゃないか」  三人の影法師は相並んで道べの草に曳きつつ伊香保の片に行きぬ。 四の一  午後三時高崎発上り列車の中等室のかたすみに、人なきを幸い、靴ばきのまま腰掛けの上に足さしのばして、巻莨をふかしつつ、新聞を読みおるは千々岩安彦なり。  手荒く新聞を投げやり、 「ばか!」  歯の間よりもの言う拍子に落ちし巻莨を腹立たしげに踏み消し、窓の外に唾はきしまましばらくたたずみていたるが、やがて舌打ち鳴らして、室の全長を二三度往来して、また腰掛けに戻りつ。手をこまぬきて、目を閉じぬ。まっ黒き眉は一文字にぞ寄りたる。        *  千々岩安彦は孤なりき。父は鹿児島の藩士にて、維新の戦争に討死し、母は安彦が六歳の夏そのころ霍乱と言いけるコレラに斃れ、六歳の孤児は叔母──父の妹の手に引き取られぬ。父の妹はすなわち川島武男の母なりき。  叔母はさすがに少しは安彦をあわれみたれども、叔父はこれを厄介者に思いぬ。武男が仙台平の袴はきて儀式の座につく時、小倉袴の萎えたるを着て下座にすくまされし千々岩は、身は武男のごとく親、財産、地位などのあり余る者ならずして、全くわが拳とわが知恵に世を渡るべき者なるを早く悟り得て、武男を悪み、叔父をうらめり。  彼は世渡りの道に裏と表の二条あるを見ぬきて、いかなる場合にも捷径をとりて進まんことを誓いぬ。されば叔父の陰によりて陸軍士官学校にありける間も、同窓の者は試験の、点数のと騒ぐ間に、千々岩は郷党の先輩にも出入り油断なく、いやしくも交わるに身の便宜になるべき者を選み、他の者どもが卒業証書握りてほっと息つく間に、早くも手づるつとうて陸軍の主脳なる参謀本部の囲い内に乗り込み、ほかの同窓生はあちこちの中隊付きとなりてそれ練兵やれ行軍と追いつかわるるに引きかえて、千々岩は参謀本部の階下に煙吹かして戯談の間に軍国の大事もあるいは耳に入るうらやましき地位に巣くいたり。  この上は結婚なり。猿猴のよく水に下るはつなげる手あるがため、人の立身するはよき縁あるがためと、早くも知れる彼は、戸籍吏ならねども、某男爵は某侯爵の婿、某学士兼高等官は某伯の婿、某富豪は某伯の子息の養父にて、某侯の子息の妻も某富豪の女と暗に指を折りつつ、早くもそこここと配れる眼は片岡陸軍中将の家に注ぎぬ。片岡中将としいえば、当時予備にこそおれ、驍名天下に隠れなく、畏きあたりの御覚えもいとめでたく、度量濶大にして、誠に国家の干城と言いつべき将軍なり。千々岩は早くこの将軍の隠然として天下に重き勢力を見ぬきたれば、いささかの便を求めて次第に近寄り、如才なく奥にも取り入りつ。目は直ちに第一の令嬢浪子をにらみぬ。一には父中将の愛おのずからもっとも深く浪子の上に注ぐをいち早く看て取りしゆえ、二には今の奥様はおのずから浪子を疎みてどこにもあれ縁あらば早く片づけたき様子を見たるため、三にはまた浪子のつつしみ深く気高きを好ましと思う念もまじりて、すなわちその人を目がけしなり。かくて様子を見るに中将はいわゆる喜怒容易に色にあらわれぬ太腹の人なれば、何と思わるるかはちと測り難けれど、奥様の気には確かに入りたり。二番目の令嬢の名はお駒とて少し跳ねたる三五の少女はことにわれと仲よしなり。その下には今の奥様の腹にて、二人の子供あれど、こは問題のほかとしてここに老女の幾とて先の奥様の時より勤め、今の奥様の輿入後奥台所の大更迭を行われし時も中将の声がかりにて一人居残りし女、これが終始浪子のそばにつきてわれに好意の乏しきが邪魔なれど、なあに、本人の浪子さえ攻め落とさばと、千々岩はやがて一年ばかり機会をうかがいしが、今は待ちあぐみてある日宴会帰りの酔いまぎれ、大胆にも一通の艶書二重封にして表書きを女文字に、ことさらに郵便をかりて浪子に送りつ。  その日命ありてにわかに遠方に出張し、三月あまりにして帰れば、わが留守に浪子は貴族院議員加藤某の媒酌にて、人もあるべきにわが従弟川島武男と結婚の式すでに済みてあらんとは! 思わぬ不覚をとりし千々岩は、腹立ちまぎれに、色よき返事このようにと心に祝いて土産に京都より買うて来し友染縮緬ずたずたに引き裂きて屑籠に投げ込みぬ。  さりながら千々岩はいかなる場合にも全くわれを忘れおわる男にあらざれば、たちまちにして敗余の兵を収めつ。ただ心外なるはこの上かの艶書の一条もし浪子より中将に武男に漏れなば大事の便宜を失う恐れあり。持ち込みよき浪子の事なれば、まさかと思えどまたおぼつかなく、高崎に用ありて行きしを幸い、それとなく伊香保に滞留する武男夫妻を訪うて、やがて探りを入れたるなり。  いまいましきは武男──        * 「武男、武男」と耳近にたれやら呼びし心地して、愕と目を開きし千々岩、窓よりのぞけば、列車はまさに上尾の停車場にあり。駅夫が、「上尾上尾」と呼びて過ぎたるなり。 「ばかなッ!」  ひとり自らののしりて、千々岩は起ちて二三度車室を往き戻りつ。心にまとう或るものを振り落とさんとするように身震いして、座にかえりぬ。冷笑の影、目にも唇にも浮かびたり。  列車はまたも上尾を出でて、疾風のごとく馳せつつ、幾駅か過ぎて、王子に着きける時、プラットフォムの砂利踏みにじりて、五六人ドヤドヤと中等室に入り込みぬ。なかに五十あまりの男の、一楽の上下ぞろい白縮緬の兵児帯に岩丈な金鎖をきらめかせ、右手の指に分厚な金の指環をさし、あから顔の目じり著しくたれて、左の目下にしたたかなる赤黒子あるが、腰かくる拍子にフット目を見合わせつ。 「やあ、千々岩さん」 「やあ、これは……」 「どちらへおいででしたか」言いつつ赤黒子は立って千々岩がそばに腰かけつ。 「はあ、高崎まで」 「高崎のお帰途ですか」ちょっと千々岩の顔をながめ、少し声を低めて「時にお急ぎですか。でなけりゃ夜食でもごいっしょにやりましょう」  千々岩はうなずきたり。 四の二  橋場の渡しのほとりなるとある水荘の門に山木兵造別邸とあるを見ずば、某の待合かと思わるべき家作りの、しかも音締めの響しめやかに婀娜めきたる島田の障子に映るか、さもなくば紅の毛氈敷かれて花牌など落ち散るにふさわしかるべき二階の一室に、わざと電燈の野暮を避けて例の和洋行燈を据え、取り散らしたる杯盤の間に、あぐらをかけるは千々岩と今一人の赤黒子は問うまでもなき当家の主人山木兵造なるべし。  遠ざけにしや、そばに侍る女もあらず。赤黒子の前には小形の手帳を広げたり、鉛筆を添えて。番地官名など細かに肩書きして姓名数多記せる上に、鉛筆にてさまざまの符号つけたり。丸。四角。三角。イの字。ハの字。五六七などの数字。あるいはローマ数字。点かけたるもあり。ひとたび消してイキルとしたるもあり。 「それじゃ千々岩さん。その方はそれと決めて置いて、いよいよ定まったらすぐ知らしてくれたまえ。──大丈夫間違はあるまいね」 「大丈夫さ、もう大臣の手もとまで出ているのだから。しかし何しろ競争者がしょっちゅう運動しとるのだから例のも思い切って撒かんといけない。これだがね、こいつなかなか食えないやつだ。しッかり轡をかませんといけないぜ」と千々岩は手帳の上の一の名をさしぬ。 「こらあどうだね?」 「そいつは話せないやつだ。僕はよくしらないが、ひどく頑固なやつだそうだ。まあ正面から平身低頭でゆくのだな。悪くするとしくじるよ」 「いや陸軍にも、わかった人もあるが、実に話のできン男もいるね。去年だった、師団に服を納めるンで、例の筆法でまあ大概は無事に通ったのはよかッたが。あら何とか言ッたッけ、赤髯の大佐だったがな、そいつが何のかの難癖つけて困るから、番頭をやって例の菓子箱を出すと、ばかめ、賄賂なんぞ取るものか、軍人の体面に関するなんて威張って、とどのつまりあ菓子箱を蹴飛ばしたと思いなさい。例の上層が干菓子で、下が銀貨だから、たまらないさ。紅葉が散る雪が降る、座敷じゅう──の雨だろう。するとそいつめいよいよ腹あ立てやがッて、汚らわしいの、やれ告発するのなんのぬかしやがるさ。やっと結局をつけはつけたが、大骨折らしアがッたね。こんな先生がいるからばかばかしく事が面倒になる。いや面倒というと武男さんなぞがやっぱりこの流で、実に話せないに困る。こないだも──」 「しかし武男なんざ親父が何万という身代をこしらえて置いたのだから、頑固だッて正直だッて好きなまねしていけるのだがね。吾輩のごときは腕一本──」 「いやすっかり忘れていた」と赤黒子はちょいと千々岩の顔を見て、懐中より十円紙幣五枚取り出し「いずれ何はあとからとして、まあ車代に」 「遠慮なく頂戴します」手早くかき集めて内ポケットにしまいながら「しかし山木さん」 「?」 「なにさ、播かぬ種は生えんからな!」  山木は苦笑いしつ。千々岩が肩ぽんとたたいて「食えン男だ、惜しい事だな、せめて経理局長ぐらいに!」 「はははは。山木さん、清正の短刀は子供の三尺三寸よりか切れるぜ」 「うまく言ったな──しかし君、蠣殻町だけは用心したまえ、素人じゃどうしてもしくじるぜ」 「なあに、端金だからね──」 「じゃいずれ近日、様子がわかり次第──なに、車は出てから乗った方が大丈夫です」 「それじゃ──家内も御挨拶に出るのだが、娘が手離されんでね」 「お豊さんが? 病気ですか」 「実はその、何です。この一月ばかり病気をやってな、それで家内が連れて此家へ来ているですて。いや千々岩さん、妻だの子だの滅多に持つもんじゃないね。金もうけは独身に限るよ。はッははは」  主人と女中に玄関まで見送られて、千々岩は山木の別邸を出で行きたり。 四の三  千々岩を送り終わりて、山木が奥へ帰り入る時、かなたの襖すうと開きて、色白きただし髪薄くしてしかも前歯二本不行儀に反りたる四十あまりの女入り来たりて山木のそばに座を占めたり。 「千々岩さんはもうお帰り?」 「今追っぱらったとこだ。どうだい、豊は?」  反歯の女はいとど顔を長くして「ほんまに良人。彼女にも困り切りますがな。──兼、御身はあち往っておいで。今日もなあんた、ちいと何かが気に食わんたらいうて、お茶碗を投げたり、着物を裂いたりして、しようがありまへんやった。ほんまに十八という年をして──」 「いよいよもって巣鴨だね。困ったやつだ」 「あんた、そないな戯談どころじゃございませんがな。──でもかあいそうや、ほんまにかあいそうや、今日もな、あんた、竹にそういいましたてね。ほんまに憎らしい武男はんや、ひどいひどいひどいひどい人や、去年のお正月には靴下を編んであげたし、それからハンケチの縁を縫ってあげたし、それからまだ毛糸の手袋だの、腕ぬきだの、それどころか今年の御年始には赤い毛糸でシャツまで編んであげたに、皆自腹ア切ッて編んであげたのに、何の沙汰なしであの不器量な意地わるの威張った浪子はんをお嫁にもらったり、ほんまにひどい人だわ、ひどいわひどいわひどいわひどいわ、あたしも山木の女やさかい、浪子はんなんかに負けるものか、ほんまにひどいひどいひどいひどいッてな、あんた、こないに言って泣いてな。そないに思い込んでいますに、あああ、どうにかしてやりたいがな、あんた」 「ばかを言いなさい。勇将の下に弱卒なし。御身はさすがに豊が母さんだよ。そらア川島だッて新華族にしちゃよっぽど財産もあるし、武男さんも万更ばかでもないから、おれもよほどお豊を入れ込もうと骨折って見たじゃないか。しかしだめで、もうちゃんと婚礼が済んで見れば、何もかも御破算さ。お浪さんが死んでしまうか、離縁にでもならなきゃア仕方がないじゃないか。それよりもばかな事はいい加減に思い切ッてさ、ほかに嫁く分別が肝心じゃないか、ばかめ」 「何が阿呆かいな? はい、あんた見たいに利口やおまへんさかいな。好年配をして、彼女や此女や足袋とりかえるような──」 「そう雄弁滔々まくしかけられちゃア困るて。御身は本当に馬──だ。すぐむきになりよる。なにさ、おれだッて、お豊は子だもの、かあいがらずにどうするものか、だからさ、そんなくだらぬ繰り言ばっかり言ってるよりも、別にな、立派なとこに、な、生涯楽をさせようと思ってるのだ。さ、おすみ、来なさい、二人でちっと説諭でもして見ようじゃないか」  と夫婦打ち連れ、廊下伝いに娘お豊の棲める離室におもむきたり。  山木兵造というはいずこの人なりけるにや、出所定かならねど、今は世に知られたる紳商とやらの一人なり。出世の初め、今は故人となりし武男が父の世話を受けしこと少なからざれば、今も川島家に出入りすという。それも川島家が新華族中にての財産家なるがゆえなりという者あれど、そはあまりに酷なる評なるべし。本宅を芝桜川町に構えて、別荘を橋場の渡しのほとりに持ち、昔は高利も貸しけるが、今はもっぱら陸軍その他官省の請負を業とし、嫡男を米国ボストンの商業学校に入れて、女お豊はつい先ごろまで華族女学校に通わしつ。妻はいついかにして持ちにけるや、ただ京都者というばかり、すこぶる醜きを、よくかの山木は辛抱するぞという人もありしが、実は意気婀娜など形容詞のつくべき女諸処に家居して、輪番行く山木を待ちける由は妻もおぼろげならずさとりしなり。 四の四  床には琴、月琴、ガラス箱入りの大人形などを置きたり。すみには美しき女机あり、こなたには姿見鏡あり。いかなる高貴の姫君や住みたもうらんと見てあれば、八畳のまんなかに絹ぶとん敷かせて、玉蜀黍の毛を束ねて結ったようなる島田を大童に振り乱し、ごろりと横に臥したる十七八の娘、色白の下豊といえばかあいげなれど、その下豊が少し過ぎて頬のあたりの肉今や落ちんかと危ぶまるるに、ちょっぽりとあいた口は閉ずるも面倒といい貌に始終洞門を形づくり、うっすりとあるかなきかの眉の下にありあまる肉をかろうじて二三分上下に押し分けつつ開きし目のうちいかにも春がすみのかけたるごとく、前の世からの長き眠りがとんと今もってさめぬようなり。  今何かいいつけられて笑いを忍んで立って行く女の背に、「ばか」と一つ後ろ矢を射つけながら、女はじれったげに掻巻踏みぬぎ、床の間にありし大形の──袴はきたる女生徒の多くうつれる写真をとりて、糸のごとき目にまばたきもせず見つめしが、やがてその一人の顔と覚しきあたりをしきりに爪弾きしつ。なおそれにも飽き足らでや、爪もてその顔の上に縦横に疵をつけぬ。  襖の開く音。 「たれ? 竹かい」 「うん竹だ、頭の禿げた竹だ」  笑いながら枕べにすわるは、父の山木と母なり。娘はさすがにあわてて写真を押し隠し、起きもされず寝もされずといわんがごとく横になりおる。 「どうだ、お豊、気分は? ちっとはいいか? 今隠したのは何だい。ちょっと見せな、まあ見せな。これさ見せなといえば。──なんだ、こりア、浪子さんの顔じゃないか、ひどく爪かたをつけたじゃないか。こんな事するよりか丑の時参りでもした方がよっぽど気がきいてるぜ!」 「あんたまたそないな事を!」 「どうだ、お豊、御身も山木兵造の娘じゃないか。ちっと気を大きくして山気を出せ、山気を出せ、あんなけちけちした男に心中立て──それもさこっちばかりでお相手なしの心中立てするよりか、こら、お豊、三井か三菱、でなけりゃア大将か総理大臣の息子、いやそれよりか外国の皇族でも引っかける分別をしろ。そんな肝ッ玉の小せエ事でどうするものか。どうだい、お豊」  母の前では縦横に駄々をこねたまえど、お豊姫もさすがに父の前をば憚りたもうなり。突っ伏して答えなし。 「どうだ、お豊、やっぱり武男さんが恋しいか。いや困った小浪御寮だ。小浪といえば、ねエお豊、ちっと気晴らしに京都にでも行って見んか。そらアおもしろいぞ。祇園清水知恩院、金閣寺拝見がいやなら西陣へ行って、帯か三枚襲でも見立てるさ。どうだ、あいた口に牡丹餅よりうまい話だろう。御身も久しぶりだ、お豊を連れて道行きと出かけなさい、なあおすみ」 「あんたもいっしょに行きなはるのかいな」 「おれ? ばかを言いなさい、この忙しいなかに!」 「それならわたしもまあ見合わせやな」 「なぜ? 飛んだ義理立てさするじゃないか。なぜだい?」 「おほ」 「なぜだい?」 「おほほほほほ」 「気味の悪い笑い方をするじゃないか。なぜだい?」 「あんた一人の留守が心配やさかい」 「ばかをいうぜ。お豊の前でそんな事いうやつがあるものか。お豊、母さんの言ってる事ア皆うそだぜ、真に受けるなよ」 「おほほほ。どないに口で言わはってもあかんさかいなア」 「ばかをいうな。それよりか──なお豊、気を広く持て、広く。待てば甘露じゃ。今におもしれエ事が出て来るぜ」 五の一  赤坂氷川町なる片岡中将の邸内に栗の花咲く六月半ばのある土曜の午後、主人子爵片岡中将はネルの単衣に鼠縮緬の兵児帯して、どっかりと書斎の椅子に倚りぬ。  五十に間はなかるべし。額のあたり少し禿げ、両鬢霜ようやく繁からんとす。体量は二十二貫、アラビア種の逸物も将軍の座下に汗すという。両の肩怒りて頸を没し、二重の顋直ちに胸につづき、安禄山風の腹便々として、牛にも似たる太腿は行くに相擦れつべし。顔色は思い切って赭黒く、鼻太く、唇厚く、鬚薄く、眉も薄し。ただこのからだに似げなき両眼細うして光り和らかに、さながら象の目に似たると、今にも笑まんずる気はいの断えず口もとにさまよえるとは、いうべからざる愛嬌と滑稽の嗜味をば著しく描き出しぬ。  ある年の秋の事とか、中将微服して山里に猟り暮らし、姥ひとり住む山小屋に渋茶一碗所望しけるに、姥つくづくと中将の様子を見て、 「でけえ体格だのう。兎のひとつもとれたんべいか?」  中将莞爾として「ちっともとれない」 「そねエな殺生したあて、あにが商売になるもんかよ。その体格で日傭取りでもして見ろよ、五十両は大丈夫だあよ」 「月にかい?」 「あに! 年によ。悪いこたあいわねえだから、日傭取るだあよ。いつだあておらが世話あしてやる」 「おう、それはありがたい。また頼みに来るかもしれん」 「そうしろよ、そうしろよ。そのでけえ体格で殺生は惜しいこんだ」  こは中将の知己の間に一つ話として時々出づる佳話なりとか。知らぬ目よりはさこそ見ゆらめ。知れる目よりはこの大山巌々として物に動ぜぬ大器量の将軍をば、まさかの時の鉄壁とたのみて、その二十二貫小山のごとき体格と常に怡然たる神色とは洶々たる三軍の心をも安からしむべし。  肱近のテーブルには青地交趾の鉢に植えたる武者立の細竹を置けり。頭上には高く両陛下の御影を掲げつ。下りてかなたの一面には「成仁」の額あり。落款は南洲なり。架上に書あり。暖炉縁の上、すみなる三角棚の上には、内外人の写真七八枚、軍服あり、平装のもあり。  草色のカーテンを絞りて、東南二方の窓は六つとも朗らかに明け放ちたり。東の方は眼下に人うごめき家かさなれる谷町を見越して、青々としたる霊南台の上より、愛宕塔の尖、尺ばかりあらわれたるを望む。鳶ありてその上をめぐりつ。南は栗の花咲きこぼれたる庭なり。その絶え間より氷川社の銀杏の梢青鉾をたてしように見ゆ。  窓より見晴らす初夏の空あおあおと浅黄繻子なんどのように光りつ。見る目清々しき緑葉のそこここに、卵白色の栗の花ふさふさと満樹に咲きて、画けるごとく空の碧に映りたり。窓近くさし出でたる一枝は、枝の武骨なるに似ず、日光のさすままに緑玉、碧玉、琥珀さまざまの色に透きつ幽めるその葉の間々に、肩総そのままの花ゆらゆらと枝もたわわに咲けるが、吹くとはなくて大気のふるうごとに香は忍びやかに書斎に音ずれ、薄紫の影は窓の閾より主人が左手に持てる「西比利亜鉄道の現況」のページの上にちらちらおどりぬ。  主人はしばしその細き目を閉じて、太息つきしが、またおもむろに開きたる目を冊子の上に注ぎつ。  いずくにか、車井の響からからと珠をまろばすように聞こえしが、またやみぬ。  午後の静寂は一邸に満ちたり。  たちまち虚をねらう二人の曲者あり。尺ばかり透きし扉よりそっと頭をさし入れて、また引き込めつ。忍び笑いの声は戸の外に渦まきぬ。一人の曲者は八つばかりの男児なり。膝ぎりの水兵の服を着て、編み上げ靴をはきたり。一人の曲者は五つか、六つなるべし、紫矢絣の単衣に紅の帯して、髪ははらりと目の上まで散らせり。  二人の曲者はしばし戸の外にたゆたいしが、今はこらえ兼ねたるように四つの手ひとしく扉をおしひらきて、一斉に突貫し、室のなかほどに横たわりし新聞綴込の堡塁を難なく乗り越え、真一文字に中将の椅子に攻め寄せて、水兵は右、振り分け髪は左、小山のごとき中将の膝を生けどり、 「おとうさま!」 五の二 「おう、帰ったか」  いかにもゆったりとその便々たる腹の底より押しあげたようなる乙音を発しつつ、中将はにっこりと笑みて、その重やかなる手して右に水兵の肩をたたき、左に振り分け髪のその前髪をかいなでつ。 「どうだ、小試験は? でけたか?」 「僕アね、僕アね、おとうさま、僕ア算術は甲」 「あたしね、おとうさま、今日は縫い取りがよくできたッて先生おほめなすッてよ」  と振り分け髪はふところより幼稚園の製作物を取り出して中将の膝の上に置く。 「おう、こら立派にでけたぞ」 「それからね、習字に読書が乙で、あとはみんな丙なの、とうと水上に負けちゃッた。僕アくやしくッて仕方がないの」 「勉強するさ──今日は修身の話は何じゃッたか?」  水兵は快然と笑みつつ、「今日はね、おとうさま、楠正行の話よ。僕正行ア大好き。正行とナポレオンはどっちがエライの?」 「どっちもエライさ」 「僕アね、おとうさま、正行ア大好きだけど、海軍がなお好きよ。おとうさまが陸軍だから、僕ア海軍になるンだ」 「はははは。川島の兄君の弟子になるのか?」 「だッて、川島の兄君なんか少尉だもの。僕ア中将になるンだ」 「なぜ大将にやならンか?」 「だッて、おとうさまも中将だからさ。中将は少尉よかエライんだね、おとうさま」 「少尉でも、中将でも、勉強する者がエライじゃ」 「あたしね、おとうさま、おとうさまてばヨウおとうさま」と振り分け髪はつかまりたる中将の膝を頡頏台にしてからだを上下に揺すりながら、「今日はね、おもしろいお話を聞いてよ、あの兎と亀のお話を聞いてよ、言って見ましょうか、──ある所に一ぴきの兎と亀がおりました──あらおかあさまいらッしてよ」  柱時計の午後二点をうつ拍子に、入り来たりしは三十八九の丈高き婦人なり。束髪の前髪をきりて、ちぢらしたるを、隆き額の上にて二つに分けたり。やや大きなる目少しく釣りて、どこやらちと険なる所あり。地色の黒きにうっすり刷きて、唇をまれに漏るる歯はまばゆきまで皓くみがきぬ。パッとしたお召の単衣に黒繻子の丸帯、左右の指に宝石入りの金環価高かるべきをさしたり。 「またおとうさまに甘えているね」 「なにさ、今学校の成績を聞いてた所じゃ。──さあ、これからおとうさんのおけいこじゃ。みんな外で遊べ遊べ。あとで運動に行くぞ」 「まあ、うれしい」 「万歳!」  両児は嬉々として、互いにもつれつ、からみつ、前になりあとになりて、室を出で去りしが、やがて「万歳!」「兄さまあたしもよ」と叫ぶ声はるかに聞こえたり。 「どんなに申しても、良人はやっぱり甘くなさいますよ」  中将はほほえみつ。「何、そうでもないが、子供はかあいがッた方がいいさ」 「でもあなた、厳父慈母と俗にも申しますに、あなたがかあいがッてばかりおやンなさいますから、ほんとに逆さまになッてしまッて、わたくしは始終しかり通しで、悪まれ役はわたくし一人ですわ」 「まあそう短兵急に攻めンでもええじゃないか。どうかお手柔らかに──先生はまずそこにおかけください。はははは」  打ち笑いつつ中将は立ってテーブルの上よりふるきローヤルの第三読本を取りて、片唾をのみつつ、薩音まじりの怪しき英語を読み始めぬ。静聴する婦人──夫人はしきりに発音の誤りを正しおる。  こは中将の日課なり。維新の騒ぎに一介の武夫として身を起こしたる子爵は、身生の匇忙に逐われて外国語を修むるのひまもなかりしが、昨年来予備となりて少し閑暇を得てければ、このおりにとまず英語に攻めかかれるなり。教師には手近の夫人繁子。長州の名ある士人の娘にて、久しく英国ロンドンに留学しつれば、英語は大抵の男子も及ばぬまで達者なりとか。げにもロンドンの煙にまかれし夫人は、何事によらず洋風を重んじて、家政の整理、子供の教育、皆わが洋のほかにて見もし聞きもせし通りに行わんとあせれど、事おおかたは志と違いて、僕婢は陰にわが世なれぬをあざけり、子供はおのずから寛大なる父にのみなずき、かつ良人の何事も鷹揚に東洋風なるが、まず夫人不平の種子なりけるなり。  中将が千辛万苦して一ページを読み終わり、まさに訳読にかからんとする所に、扉翻りて紅のリボンかけたる垂髪の──十五ばかりの少女入り来たり、中将が大の手に小さき読本をささげ読めるさまのおかしきを、ほほと笑いつ。 「おかあさま、飯田町の伯母様がいらッしゃいましてよ」 「そう」と見るべく見るべからざるほどのしわを眉の間に寄せながら、ちょっと中将の顔をうかがう。  中将はおもむろにたち上がりて、椅子を片寄せ「こちへ御案内申しな」 五の三 「御免ください」  とはいって来しは四十五六とも見ゆる品よき婦人、目病ましきにや、水色の眼鏡をかけたり。顔のどことなく伊香保の三階に見し人に似たりと思うもそのはずなるべし。こは片岡中将の先妻の姉清子とて、貴族院議員子爵加藤俊明氏の夫人、媒妁として浪子を川島家に嫁がしつるもこの夫婦なりけるなり。  中将はにこやかにたちて椅子をすすめ、椅子に向かえる窓の帷を少し引き立てながら、 「さあ、どうか。非常にごぶさたをしました。御主人じゃ相変わらずお忙しいでしょうな。ははははは」 「まるで橐駝師でね、木鋏は放しませんよ。ほほほほ。まだ菖蒲には早いのですが、自慢の朝鮮柘榴が花盛りで、薔薇もまだ残ってますからどうかおほめに来てくださいまして、ね、くれぐれ申しましたよ。ほほほほ。──どうか、毅一さんや道ちゃんをお連れなすッて」と水色の眼鏡は片岡夫人の方に向かいぬ。  打ち明けていえば、子爵夫人はあまり水色の眼鏡をば好まぬなり。教育の差、気質の異なり、そはもちろんの事として、先妻の姉──これが始終心にわだかまりて、不快の種子となれるなり。われひとり主人中将の心を占領して、われひとり家に女主人の威光を振るわんずる鼻さきへ、先妻の姉なる人のしばしば出入して、亡き妻の面影を主人の眼前に浮かぶるのみか、口にこそ出さね、わがこれをも昔の名残とし疎める浪子、姥の幾らに同情を寄せ、死せる孔明のそれならねども、何かにつけてみまかりし人の影をよび起こしてわれと争わすが、はなはだ快からざりしなり。今やその浪子と姥の幾はようやくに去りて、治外の法権撤れしはやや心安きに似たれど、今もかの水色眼鏡の顔見るごとに、髣髴墓中の人の出で来たりてわれと良人を争い、主婦の権力を争い、せっかく立てし教育の方法家政の経綸をも争わんずる心地して、おのずから安からず覚ゆるなりけり。  水色の眼鏡は蝦夷錦の信玄袋より瓶詰の菓子を取り出し 「もらい物ですが、毅一さんと道ちゃんに。まだ学校ですか、見えませんねエ。ああ、そうですか。──それからこれは駒さんに」  と紅茶を持て来し紅のリボンの少女に紫陽花の花簪を与えつ。 「いつもいつもお気の毒さまですねエ、どんなに喜びましょう」と言いつつ子爵夫人は件の瓶をテーブルの上に置きぬ。  おりから婢の来たりて、赤十字社のお方の奥様に御面会なされたしというに、子爵夫人は会釈して場をはずしぬ。室を出でける時、あとよりつきて出でし少女を小手招きして、何事をかささやきつ。小戻りして、窓のカーテンの陰に内の話を立ち聞く少女をあとに残して、夫人は廊下伝いに応接間の方へ行きたり。紅のリボンのお駒というは、今年十五にて、これも先妻の腹なりしが、夫人は姉の浪子を疎めるに引きかえてお駒を愛しぬ。寡言にして何事も内気なる浪子を、意地わるき拗ね者とのみ思い誤りし夫人は、姉に比してやや侠なる妹のおのが気質に似たるを喜び、一は姉へのあてつけに、一はまた継子とて愛せぬものかと世間に見せたき心も──ありて、父の愛の姉に注げるに対しておのずから味方を妹に求めぬ。  私強き人の性質として、ある方には人の思わくも思わずわが思うままにやり通すこともあれど、また思いのほかにもろくて人の評判に気をかねるものなり。畢竟名と利とあわせ収めて、好きな事する上に人によく思われんとするは、わがまま者の常なり。かかる人に限りて、おのずからへつらいを喜ぶ。子爵夫人は男まさりの、しかも洋風仕込みの、議論にかけては威命天下に響ける夫中将にすら負を取らねど、中将のいたるところ友を作り逢う人ごとに慕わるるに引きかえて、愛なき身には味方なく、心さびしきままにおのずからへつらい寄る人をば喜びつ。召使いの僕婢も言に訥きはいつか退けられて、世辞よきが用いられるようになれば、幼き駒子も必ずしも姉を忌むにはあらざれど、姉を譏るが継母の気に入るを覚えてより、ついには告げ口の癖をなして、姥の幾に顔しかめさせしも一度二度にはあらず。されば姉は嫁ぎての今までも、継母のためには細作をも務むるなりけり。  東側の縁の、二つ目の窓の陰に身を側めて、聞きおれば、時々腹より押し出したような父の笑い声、凛とした伯母の笑い声、かわるがわる聞こえしが、後には話し声のようやく低音になりて、「姑」「浪さん」などのとぎれとぎれに聞こゆるに、紅リボンの少女はいよよ耳傾けて聞き居たり。 五の四 「四イ百く余州を挙うぞる、十う万ン余騎の敵イ、なんぞおそれンわアれに、鎌倉ア男児ありイ」  と足拍子踏みながらやって来しさっきの水兵、目早く縁側にたたずめる紅リボンを見つけて、紅リボンがしきりに手もて口をおおいて見せ、頭を掉り手を振りて見せるも委細かまわず「姉さま姉さま」と走り寄り「何してるの?」と問いすがり、姉がしきりに頭をふるを「何? 何?」と問うに、紅リボンは顔をしかめて「いやな人だよ」と思わず声高に言って、しまったりと言い顔に肩をそびやかし、匇々に去り行きたり。 「ヤアイ、逃げた、ヤアイ」  と叫びながら、水兵は父の書斎に入りつ。来客の顔を見るよりにっこと笑いて、ちょっと頭を下げながらつと父の膝にすがりぬ。 「おや毅一さん、すこし見ないうちに、また大きくなったようですね。毎日学校ですか。そう、算術が甲? よく勉強しましたねエ。近いうちにおとうさまやおかあさまと伯母さンとこにおいでなさいな」 「道はどうした? おう、そうか。そうら、伯母様がこんなものをくださッたぞ。うれしいか、あはははは」と菓子の瓶を見せながら「かあさんはどうした? まだ客か? 伯母様がもうお帰りなさる、とそう言って来い」  出で行く子供のあと見送りながら、主人中将はじっと水色眼鏡の顔を見つめて、 「じゃ幾の事はそうきめてどうか角立たぬように──はあそう願いましょう。いや実はわたしもそんな事がなけりゃいいがと思ったくらいで、まあやらない方じゃったが、浪がしきりに言うし、自身も懇望しちょったものじゃから──はあ、そう、はあ、はあ、何分願います」  語半ばに入り来し子爵夫人繁子、水色眼鏡の方をちらと見て「もうお帰りでございますの? あいにくの来客で──いえ、今帰りました。なに、また慈善会の相談ですよ。どうせ物にもなりますまいが。本当に今日はお愛想もございませんで、どうぞ千鶴子さんによろしく──浪さんがいなくなりましたらちょっとも遊びにいらッしゃいませんねエ」 「こないだから少し加減が悪かッたものですから、どこにもごぶさたばかりいたします──では」と信玄袋をとりておもむろに立てば、  中将もやおら体を起こして「どれそこまで運動かたがた、なにそこまでじゃ、そら毅一も道も運動に行くぞ」  出づるを送りし夫人繁子はやがて居間の安楽椅子に腰かけて、慈善会の趣意書を見ながら、駒子を手招きて、 「駒さん、何の話だったかい?」 「あのね、おかあさま、よくはわからなかッたけども、何だか幾の事ですわ」 「そう? 幾」 「あのね、川島の老母がね、リュウマチで肩が痛んでね、それでこのごろは大層気むずかしいのですと。それにね、幾が姉さんにね、姉さんのお部屋でね、あの、奥様、こちらの御隠居様はどうしてあんなに御癇癪が出るのでございましょう、本当に奥様お辛うございますねエ、でもお年寄りの事ですから、どうせ永い事じゃございません、てね、そんなに言いましたとさ。本当にばかですよ、幾はねエ、おかあさま」 「どこに行ってもいい事はしないよ。困った姥じゃないかねエ」 「それからねエ、おかあさま、ちょうどその時縁側を老母が通ってね、すっかり聞いてしまッて、それはそれはひどく怒ってね」 「罰だよ!」 「怒ってね、それで姉さんが心配して、飯田町の伯母様に相談してね」 「伯母様に!?」 「だッて姉さんは、いつでも伯母様にばかり何でも相談するのですもの」  夫人は苦笑いしつ。 「それから?」 「それからね、おとうさまが幾は別荘番にやるからッてね」 「そう」と額をいとど曇らしながら「それッきりかい?」 「それから、まだ聞くのでしたけども、ちょうど毅一さんが来て──」 六の一  武男が母は、名をお慶と言いて今年五十三、時々リュウマチスの起これど、そのほかは無病息災、麹町上二番町の邸より亡夫の眠る品川東海寺まで徒歩の往来容易なりという。体重は十九貫、公侯伯子男爵の女性を通じて、体格にかけては関脇は確かとの評あり。しかしその肥大も実は五六年前前夫通武の病没したる後の事にて、その以前はやせぎすの色蒼ざめて、病人のようなりしという。されば圧しつけられしゴム球の手を離されてぶくぶくと膨れ上がる類にやという者もありき。  亡夫は麑藩の軽き城下士にて、お慶の縁づきて来し時は、太閤様に少しましなる婚礼をなしたりしが、維新の風雲に際会して身を起こし、大久保甲東に見込まれて久しく各地に令尹を務め、一時探題の名は世に聞こえぬ。しかも特質のわがまま剛情が累をなして、明治政府に友少なく、浪子を媒せる加藤子爵などはその少なき友の一人なりき。甲東没後はとかく志を得ずして世をおえつ。男爵を得しも、実は生まれ所のよかりしおかげ、という者もありし。されば剛情者、わがまま者、癇癪持ちの通武はいつも怏々として不平を酒杯に漏らしつ。三合入りの大杯たてつけに五つも重ねて、赤鬼のごとくなりつつ、肩を掉って県会に臨めば、議員に顔色ある者少なかりしとか。さもありつらん。  されば川島家はつねに戒厳令の下にありて、家族は避雷針なき大木の下に夏住むごとく、戦々兢々として明かし暮らしぬ。父の膝をばわが舞踏場として、父にまさる遊び相手は世になきように幼き時より思い込みし武男のほかは、夫人の慶子はもとより奴婢出入りの者果ては居間の柱まで主人が鉄拳の味を知らぬ者なく、今は紳商とて世に知られたるかの山木ごときもこの賜物を頂戴して痛み入りしこともたびたびなりけるが、何これしきの下され物、もうけさして賜わると思えば、なあに廉い所得税だ、としばしば伺候しては戴きける。右の通りの次第なれば、それ御前の御機嫌がわるいといえば、台所の鼠までひっそりとして、迅雷一声奥より響いて耳の太き下女手に持つ庖丁取り落とし、用ありて私宅へ来る属官などはまず裏口に回って今日の天気予報を聞くくらいなりし。  三十年から連れ添う夫人お慶の身になっては、なかなかひと通りのつらさにあらず。嫁に来ての当座はさすがに舅や姑もありて夫の気質そうも覚えず過ごせしが、ほどなく姑舅と相ついで果てられし後は、夫の本性ありありと拝まれて、夫人も胸をつきぬ。初め五六度は夫人もちょいと盾ついて見しが、とてもむだと悟っては、もはや争わず、韓信流に負けて匍伏し、さもなければ三十六計のその随一をとりて逃げつ。そうするうちにはちっとは呼吸ものみ込みて三度の事は二度で済むようになりしが、さりとて夫の気質は年とともに改まらず。末の三四年は別してはげしくなりて、不平が煽る無理酒の焔に、燃ゆるがごとき癇癪を、二十年の上もそれで鍛われし夫人もさすがにあしらいかねて、武男という子もあり、鬢に白髪もまじれるさえ打ち忘れて、知事様の奥方男爵夫人と人にいわるる栄耀も物かは、いっそこのつらさにかえて墓守爺の嬶ともなりて世を楽に過ごして見たしという考えのむらむらとわきたることもありしが、そうこうする間につい三十年うっかりと過ごして、そのつれなき夫通武が目を瞑って棺のなかに仰向けに臥し姿を見し時は、ほっと息はつきながら、さて偽りならぬ涙もほろほろとこぼれぬ。  涙はこぼれしが、息をつきぬ。息とともに勢いもつきぬ。夫通武存命の間は、その大きなる体と大きなる声にかき消されてどこにいるとも知れざりし夫人、奥の間よりのこのこ出で来たり、見る見る家いっぱいにふくれ出しぬ。いつも主人のそばに肩をすぼめて細くなりて居し夫人を見し輩は、いずれもあきれ果てつ。もっとも西洋の学者の説にては、夫婦は永くなるほど容貌気質まで似て来るものといえるが、なるほど近ごろの夫人が物ごし格好、その濃き眉毛をひくひく動かして、煙管片手に相手の顔をじっと見る様子より、起居の荒さ、それよりも第一癇癪が似たとは愚か亡くなられし男爵そのままという者もありき。  江戸の敵を長崎で討つということあり。「世の中の事は概して江戸の敵を長崎で討つものなり。在野党の代議士今日議院に慷慨激烈の演説をなして、盛んに政府を攻撃したもう。至極結構なれども、実はその気焔の一半は、昨夜宅にてさんざんに高利貸を喫いたまいし鬱憤と聞いて知れば、ありがた味も半ば減ずるわけなり。されば南シナ海の低気圧は岐阜愛知に洪水を起こし、タスカローラの陥落は三陸に海嘯を見舞い、師直はかなわぬ恋のやけ腹を「物の用にたたぬ能書」に立つるなり。宇宙はただ平均、物は皆その平を求むるなり。しこうしてその平均を求むるに、吝嗇者の日済を督促るように、われよりあせりて今戻せ明日返せとせがむが小人にて、いわゆる大人とは一切の勘定を天道様の銀行に任して、われは真一文字にわが分をかせぐ者ぞ」とある人情博士はのたまいける。  しかし凡夫は平均を目の前に求め、その求むるや物体運動の法則にしたがいて、水の低きにつくがごとく、障害の少なき方に向かう。されば川島未亡人も三十年の辛抱、こらえこらえし堪忍の水門、夫の棺の蓋閉ずるより早く、さっと押し開いて一度に切って流しぬ。世に恐ろしと思う一人は、もはやいかに拳を伸ばすもわが頭には届かぬ遠方へ逝きぬ。今まで黙りて居しは意気地なきのにはあらず、夫死してもわれは生きたりと言い顔に、知らず知らず積みし貸し金、利に利をつけてむやみに手近の者に督促り始めぬ。その癇癪も、亡くなられし男爵は英雄肌の人物だけ、迷惑にもまたどこやらに小気味よきところもありたるが、それほどの力量はなしにわけわからず、狭くひがみてわがまま強き奥様より出でては、ただただむやみにつらくて、奉公人は故男爵の時よりも泣きける。  浪子の姑はこの通りの人なりき。 六の二  丸髷を揚巻にかえしそのおりなどは、まだ「お嬢様、おやすくお伴いたしましょう」と見当違いの車夫に言われて、召使いの者に奥様と呼びかけられて返事にたゆとう事はなきようになれば、花嫁の心もまず少しは落ちつきて、初々しさ恥ずかしさの狭霧に朦朧とせしあたりのようすもようよう目に分たるるようになりぬ。  家ごとに変わるは家風、御身には言って聞かすまでもなけれど、構えて実家を背負うて先方へ行きたもうな、片岡浪は今日限り亡くなって今よりは川島浪よりほかになきを忘るるな。とはや晴れの衣装着て馬車に乗らんとする前に父の書斎に呼ばれてねんごろに言い聞かされしを忘れしにはあらねど、さて来て見れば、家風の相違も大抵の事にはあらざりけり。  資産はむしろ実家にも優りたらんか。新華族のなかにはまず屈指といわるるだけ、武男の父が久しく県令知事務めたる間に積みし財は鉅万に上りぬ。さりながら実家にては、父中将の名声海内に噪ぎ、今は予備におれど交際広く、昇日の勢いさかんなるに引きかえて、こなたは武男の父通武が没後は、存生のみぎり何かとたよりて来し大抵の輩はおのずから足を遠くし、その上親戚も少なく、知己とても多からず、未亡人は人好きのせぬ方なる上に、これより家声を興すべき当主はまだ年若にて官等も卑き家にあることもまれなれば、家運はおのずから止める水のごとき模様あり。実家にては、継母が派手な西洋好み、もちろん経済の講義は得意にて妙な所に節倹を行ない「奥様は土産のやりかたもご存じない」と婢どもの陰口にかかることはあれど、そこは軍人交際の概して何事も派手に押し出してする方なるが、こなたはどこまでも昔風むしろ田舎風の、よくいえば昔忘れぬたしなみなれど、実は趣味も理屈もやはり米から自分に舂いたる時にかわらぬ未亡人、何でもかでも自分でせねば頭が痛く、亡夫の時僕かなんぞのように使われし田崎某といえる正直一図の男を執事として、これを相手に月に薪が何把炭が何俵の勘定までせられ、「母さん、そんな事しなくたって、菓子なら風月からでもお取ンなさい」と時たま帰って来て武男が言えど、やはり手製の田舎羊羹むしゃりむしゃりと頬ばらるるというふうなれば、姥の幾が浪子について来しすら「大家はどうしても違うもんじゃ、武男が五器椀下げるようにならにゃよいが」など常に当てこすりていられたれば、幾の排斥もあながち障子の外の立ち聞きゆえばかりではあらざりしなるべし。  悧巧なようでも十八の花嫁、まるきり違いし家風のなかに突然入り込みては、さすが事ごとに惑えるも無理にはあらじ。されども浪子は父の訓戒ここぞと、われを抑えて何も家風に従わんと決心の臍を固めつ。その決心を試むる機会は須臾に来たりぬ。  伊香保より帰りてほどなく、武男は遠洋航海におもむきつ。軍人の妻となる身は、留守がちは覚悟の上なれど、新婚間もなき別離はいとど腸を断ちて、その当座は手のうちの玉をとられしようにほとほと何も手につかざりし。  おとうさまが縁談の初めに逢いたもうて至極気に入ったとのたまいしも、添って見てげにと思い当たりぬ。鷹揚にして男らしく、さっぱりとして情け深く寸分鄙吝しい所なき、本当に若いおとうさまのそばにいるような、そういえば肩を揺すってドシドシお歩きなさる様子、子供のような笑い声までおとうさまにそっくり、ああうれしいと浪子は一心にかしずけば、武男も初めて持ちし妻というものの限りなくかわゆく、独子の身は妹まで添えて得たらん心地して「浪さん、浪さん」といたわりつ。まだ三月に足らぬ契りも、過ぐる世より相知れるように親しめば、しばしの別離もかれこれともに限りなき傷心の種子とはなりけるなり。さりながら浪子は永く別離を傷む暇なかりき。武男が出発せし後ほどもなく姑が持病のリュウマチスはげしく起こりて例の癇癪のはなはだしく、幾を実家へ戻せし後は、別して辛抱の力をためす機会も多かりし。  新入の学生、その当座は故参のためにさんざんにいじめられるれど、のちにはおのれ故参になりて、あとの新入生をいじめるが、何よりの楽しみなりと書きし人もありき。綿帽子脱っての心細さ、たよりなさを覚えているほどの姑、義理にも嫁をいじめられるものでなけれど、そこは凡夫のあさましく、花嫁の花落ちて、姑と名がつけば、さて手ごろの嫁は来るなり、わがままも出て、いつのまにかわがつい先年まで大の大の大きらいなりし姑そのままとなるものなり。「それそれその衽は四寸にしてこう返して、イイエそうじゃありません、こっちよこしなさい、二十歳にもなッて、お嫁さまもよくできた、へへへへ」とあざ笑う声から目つき、われも二十の花嫁の時ちょうどそうしてしかられしが、ああわれながら恐ろしいとはッと思って改むるほどの姑はまだ上の上、目にて目を償い、歯にて歯を償い、いわゆる江戸の姑のその敵を長崎の嫁で討って、知らず知らず平均をわが一代のうちに求むるもの少なからぬが世の中。浪子の姑もまたその一人なりき。  西洋流の継母に鍛われて、今また昔風の姑に練らるる浪子。病める老人の用しげく婢を呼ばるるゆえ、しいて「わたくしがいたしましょう」と引き取ってなれぬこととて意に満たぬことあれば、こなたには礼を言いてわざと召使いの者を例の大音声にしかり飛ばさるるその声は、十年がほども継母の雄弁冷語を聞き尽くしたる耳にも今さらのように聞こえぬ。それも初めしばしがほどにて、後には癇癪の鋒直接に吾身に向かうようになりつ。幾が去りし後は、たれ慰むる者もなく、時々はどうやらまた昔の日陰に立ち戻りし心地もせしが、部屋に帰って机の上の銀の写真掛けにかかったたくましき海軍士官の面影を見ては、うれしさ恋しさなつかしさのむらむらと込み上げて、そっと手にとり、食い入るようにながめつめ、キッスし、頬ずりして、今そこにその人のいるように「早く帰ッてちょうだい」とささやきつ。良人のためにはいかなる辛抱も楽しと思いて、われを捨てて姑に事えぬ。 七の一  流汗を揮いつつ華氏九十九度の香港より申し上げ候。佐世保抜錨までは先便すでに申し上げ置きたる通りに有之候。さて佐世保出帆後は連日の快晴にて暑気燬くがごとく、さすが神州海国男子も少々辟易、もっとも同僚士官及び兵のうち八九名日射病に襲われたる者有之候えども、小生は至極健全、毫も病室の厄介に相成り申さず。ただしご存じ通りの黒人が赤道近き烈日に焦がされたるため、いよいよもって大々的黒面漢と相成り、今日ちょっと同僚と上陸し、市中の理髪店にいたり候ところ、ふと鏡を見てわれながらびっくりいたし候。意地わるき同僚が、君、どう、着色写真でも撮って、君のブライドに送らんかと戯れ候も一興に候。途中は右の通り快晴(もっとも一回モンスーンの来襲ありたれども)一同万歳を唱えて昨早朝錨を当湾内に投じ申し候。  先日のお手紙は佐世保にて落手、一読再読いたし候。母上リョウマチス、年来の御持病、誠に困りたる事に候。しかし今年は浪さんが控えられ候事ゆえ、小生も大きに安心に候。何とぞ小生に代わりてよくよく心を御用いくださるべく候。御病気の節は別して御気分よろしからざる方なれば、浪さんも定めていろいろと骨折らるべく遙察いたし候。赤坂の方も定めておかわりもなかるべくと存じ申し候。加藤の伯父さんは相変わらず木鋏が手を放れ申すまじきか。  幾姥は帰り候由。何ゆえに候や存ぜず候えども、実に残念の事どもに候。浪さんより便あらばよろしくよろしく伝えらるべく、帰りには姥へ沢山土産を持って来ると御伝えくだされたく候。実に愉快な女にて小生も大好きに候ところ、赤坂の方に帰りしは残念に候。浪さんも何かと不自由にさびしかるべくと存じ候。加藤の伯母様や千鶴子さんは時々まいられ候や。  千々岩はおりおりまいり候由。小生らは誠に親類少なく、千々岩はその少なき親類の一人なれば、母上も自然頼みに思す事に候。同人をよく待するも母上に孝行の一に有之べく候。同人も才気あり胆力ある男なれば、まさかの時の頼みにも相成るべく候。(下略) 香港にて    七月 日 武男   お浪どの  母上に別紙(略之)読んでお聞かせ申し上げられたく候。  当池には四五日碇泊、食糧など買い入れ、それよりマニラを経て豪州シドニーへ、それよりニューカレドニア、フィジー諸島を経て、サンフランシスコへ、それよりハワイを経て帰国のはずに候。帰国は多分秋に相成り申すべく候。  手紙はサンフランシスコ日本領事館留め置きにして出したまえ。      ~~~~~~~~~~ (前文略)去る五月は浪さんと伊香保にあり、蕨採りて慰みしに今は南半球なる豪州シドニーにあり、サウゾルンクロッスの星を仰いでその時を想う。奇妙なる世の中に候。先年練習艦にて遠洋航海の節は、どうしても時々船暈を感ぜしが、今度は無病息災われながら達者なるにあきれ候。しかし今回は先年に覚えなき感情身につきまとい候。航海中当直の夜など、まっ黒き空に金剛石をまき散らしたるような南天を仰ぎて、ひとり艦橋の上に立つ時は、何とも言い難き感が起こりて、浪さんの姿が目さきにちらちらいたし(女々しと笑いたもうな)候。同僚の前ではさもあらばあれ家郷思遠征と吟じて平気に澄ましておれど、(笑いたもうな)浪さんの写真は始終ある人の内ポケットに潜みおり候。今この手紙を書く時も、宅のあの六畳の部屋の芭蕉の陰の机に頬杖つきてこの手紙を読む人の面影がすぐそこに見え候(中略)  シドニー港内には夫婦、家族、他人交えずヨットに乗りて遊ぶ者多し。他日功成り名遂げて小生も浪さんも白髪の爺姥になる時は、あにただヨットのみならんや、五千トンぐらいの汽船を一艘こしらえ、小生が船長となって、子供や孫を乗組員として世界週航を企て申すべく候。その節はこのシドニーにも来て、何十年前血気盛りの海軍少尉の夢を白髪の浪さんに話し申すべく候(下略) シドニーにて    八月 日 武男生   浪子さま 七の二  去る七月十五日香港よりお仕出しのおなつかしき玉章とる手おそしとくりかえしくりかえしくりかえし拝し上げ参らせ候 さ候えばはげしき暑さの御さわりもあらせられず何より何より御嬉しゅう存じ上げ参らせ候 この許御母上様御病気もこの節は大きにお快く何とぞ何とぞ御安心遊ばし候よう願い上げ参らせ候 わたくし事も毎日とやかくとさびしき日を送りおり参らせ候 お留守の事にも候えば何とぞ母上様の御機嫌に入り候ようにと心がけおり参らせ候えども不束の身は何も至り兼ね候事のみなれぬこととて何かと失策のみいたし誠に困り入り参らせ候 ただただ一日も早く御帰り遊ばし健やかなるお顔を拝し候時を楽しみに毎日暮らしおり参らせ候  赤坂の方も何ぞかわり候事も無之先日より逗子の別荘の方へ一同まいり加藤家も皆々興津の方へまいり東京はさびしきことに相成り参らせ候 幾も一緒に逗子に罷り越し無事相つとめおり参らせ候 御伝言の趣申しつかわし候ところ当人も涙を流して喜び申し候由くれぐれもよろしく御礼申し上げ候よう申し越し参らせ候  わたくし事も今になりていろいろ勉強の足らざりしを憾み参らせ候 家政の事は女の本分なればよくよく心を用い候よう平生父より戒められ候事とて宅におり候ころよりなるたけそのつもりにて居参らせ候えども何を申しても女のあさはかにそのような事はいつでもできるように思いいたずらに過ごし参らせ候より今となりてあの事も習って置けばよかりしこの事も忘れしと思いあたる事のみ多く困り入り参らせ候 英語の勉強も御仰せの言も有之候えばぜひにと心がけ参らせ候えども机の前にばかりすわり候ては母上様の御思召もいかがと存ぜられ今しばらくは何よりもまず家政のけいこに打ちかかり申したく何とぞ何とぞ悪しからず思召のほど願い上げ参らせ候  誠におはずかしき事に候えどもどうやらいたし候節はさびしさ悲しさのやる瀬なく早く早く早く御目にかかりたく翼あらばおそばに飛んでも行きたく存じ参らせ候事も有之夜ごと日ごとにお写真とお艦の写真を取り出でてはながめ入り参らせ候 万国地理など学校にては何げなく看過ごしにいたし候ものの近ごろは忘れし地図など今さらにとりいでて今日はお艦のこのあたりをや過ぎさせたまわん明日は明後日はと鉛筆にて地図の上をたどり居参らせ候 ああ男に生まれしならば水兵ともなりて始終おそば離れずおつき申さんをなどあらぬ事まで心に浮かびわれとわが身をしかり候ても日々物思いに沈み参らせ候 これまで何心なく目もとめ申さざりし新聞の天気予報など今在すあたりはこのほかと知りながら風など警戒のいで候節は実に実に気にかかり参らせ候 何とぞ何とぞお尊体を御大切に……(下文略) 浪より   恋しき     武男様      ~~~~~~~~~~ (上略)近ごろは夜々御姿の夢に入り実に実に一日千秋の思いをなしおり参らせ候 昨夜もごいっしょに艦にて伊香保に蕨とりにまいり候ところふとたれかが私どもの間に立ち入りてお姿は遠くなりわたくしは艦より落ちると見て魘われ候ところを母上様に起こされようよう胸なでおろし参らせ候 愚痴と存じながらも何とやら気に相成りそれにつけても御帰りが待ち遠く存じ上げ参らせ候 何も何もお帰りの上にと日々東の空をながめ参らせ候 あるいは行き違いになるや存ぜず候えどもこの状はハワイホノルル留め置きにて差し上げ参らせ候(下略)    十月 日 浪より   恋しき恋しき恋しき     武男様        御もとへ 中編 一の一  今しも午後八時を拍ちたる床の間の置き時計を炬燵の中より顧みて、川島未亡人は 「八時──もう帰りそうなもんじゃが」  とつぶやきながら、やおらその肥え太りたる手をさしのべて煙草盆を引き寄せ、つづけざまに二三服吸いて、耳傾けつ。山の手ながら松の内の夜は車東西に行き違いて、隣家には福引きの興やあるらん、若き男女の声しきりにささめきて、おりおりどっと笑う声も手にとるように聞こえぬ。未亡人は舌打ち鳴らしつ。 「何をしとっか。つッ。赤坂へ行くといつもああじゃっで……武も武、浪も浪、実家も実家じゃ。今時の者はこれじゃっでならん」  膝立て直さんとして、持病のリュウマチスの痛所に触れけん、「あいたあいた」顔をしかめて癇癪まぎれに煙草盆の縁手荒に打ちたたき「松、松松」とけたたましく小間使いを呼び立つる。その時おそく「お帰りい」の呼び声勇ましく二挺の車がらがらと門に入りぬ。  三が日の晴着の裾踏み開きて走せ来たりし小間使いが、「御用?」と手をつかえて、「何をうろうろしとっか、早玄関に行きなさい」としかられてあわてて引き下がると、引きちがえに 「母さん、ただいま帰りました」  と凛々しき声に前を払わして手套を脱ぎつつ入り来る武男のあとより、外套と吾妻コートを婢に渡しつつ、浪子は夫に引き沿うてしとやかに座につき、手をつかえつ。 「おかあさま、大層おそなはりました」 「おおお帰りかい。大分ゆっくりじゃったのう。」 「はあ、今日は、なんです、加藤へ寄りますとね、赤坂へ行くならちょうどいいからいっしょに行こうッて言いましてな、加藤さんも伯母さんもそれから千鶴子さんも、総勢五人で出かけたのです。赤坂でも非常の喜びで、幸い客はなし、話がはずんで、ついおそくなってしまったのです──ああ酔った」と熟せる桃のごとくなれる頬をおさえつ、小間使いが持て来し茶をただ一息に飲みほす。 「そうかな。そいはにぎやかでよかったの。赤坂でもお変わりもないじゃろの、浪どん?」 「はい、よろしく申し上げます、まだ伺いもいたしませんで、……いろいろお土産をいただきまして、くれぐれお礼申し上げましてございます」 「土産といえば、浪さん、あれは……うんこれだ、これだ」と浪子がさし出す盆を取り次ぎて、母の前に差し置く。盆には雉子ひとつがい、鴫鶉などうずたかく積み上げたり。 「御猟の品かい、これは沢山に──ごちそうがでくるの」 「なんですよ、母さん、今度は非常の大猟だったそうで、つい大晦日の晩に帰りなすったそうです。ちょうど今日は持たしてやろうとしておいでのとこでした。まだ明日は猪が来るそうで──」 「猪? ──猪が捕れ申したか。たしかわたしの方が三歳上じゃったの、浪どん。昔から元気のよか方じゃったがの」 「それは何ですよ、母さん、非常の元気で、今度も二日も三日も山に焚火をして露宿しなすったそうですがね。まだなかなか若い者に負けんつもりじゃて、そう威張っていなさいます」 「そうじゃろの、母さんのごとリュウマチスが起こっちゃもう仕方があいません。人間は病気が一番いけんもんじゃ。──おおもうやがて九時じゃ。着物どんかえて、やすみなさい。──おお、そいから今日はの、武どん。安彦が来て──」  立ちかかりたる武男はいささか安からぬ色を動かし、浪子もふと耳を傾けつ。 「千々岩が?」 「何か卿に要がありそうじゃったが──」  武男は少し考え、「そうですか、私もぜひ──あわなけりゃならん──要がありますが。──何ですか、母さん、私の留守に金でも借りに来はしませんでしたか」 「なぜ? ──そんな事はあいません──なぜかい?」 「いや──少し聞き込んだ事もあるのですから──いずれそのうちあいますから──」 「おおそうじゃ、そいからあの山木が来ての」 「は、あの山木のばかですか」 「あれが来てこの──そうじゃった、十日にごちそうをすっから、是非卿に来てくださいというから」 「うるさいやつですな」 「行ってやんなさい。父さんの恩を覚えておっがかあいかじゃなっか」 「でも──」 「まあ、そういわずと行ってやんなさい──どれ、わたしも寝ましょうか」 「じゃ、母さん、おやすみなさい」 「ではお母様、ちょっと着がえいたしてまいりますから」  若夫婦は打ち連れて、居間へ通りつ。小間使いを相手に、浪子は良人の洋服を脱がせ、琉球紬の綿入れ二枚重ねしをふわりと打ちきすれば、武男は無造作に白縮緬の兵児帯尻高に引き結び、やおら安楽椅子に倚りぬ。洋服の塵を払いて次の間の衣桁にかけ、「紅茶を入れるようにしてお置き」と小間使いにいいつけて、浪子は良人の居間に入りつ。 「あなた、お疲れ遊ばしたでしょう」  葉巻の青き煙を吹きつつ、今日到来せし年賀状名刺など見てありし武男はふり仰ぎて、 「浪さんこそくたびれたろう、──おおきれい」 「?」 「美しい花嫁様という事さ」 「まあ、いや──あんな言を」  さと顔打ちあかめて、ランプの光まぶしげに、目をそらしたる、常には蒼きまで白き顔色の、今ぼうっと桜色ににおいて、艶々とした丸髷さながら鏡と照りつ。浪に千鳥の裾模様、黒襲に白茶七糸の丸帯、碧玉を刻みし勿忘草の襟どめ、(このたび武男が米国より持て来たりしなり)四分の羞六分の笑を含みて、嫣然として燈光のうちに立つ姿を、わが妻ながらいみじと武男は思えるなり。 「本当に浪さんがこう着物をかえていると、まだ昨日来た花嫁のように思うよ」 「あんな言を──そんなことをおっしゃると往ってしまいますから」 「ははははもう言わない言わない。そう逃げんでもいいじゃないか」 「ほほほ、ちょっと着がえをいたしてまいりますよ」 一の二  武男は昨年の夏初め、新婚間もなく遠洋航海に出で、秋は帰るべかりしに、桑港に着きける時、器械に修覆を要すべき事の起こりて、それがために帰期を誤り、旧臘押しつまりて帰朝しつ。今日正月三日というに、年賀をかねて浪子を伴ない加藤家より浪子の実家を訪いたるなり。  武男が母は昔気質の、どちらかといえば西洋ぎらいの方なれば、寝台に寝ねて匙もて食らうこと思いも寄らねど、さすがに若主人のみは幾分か治外の法権を享けて、十畳のその居間は和洋折衷とも言いつべく、畳の上に緑色の絨氈を敷き、テーブルに椅子二三脚、床には唐画の山水をかけたれど、楣間には亡父通武の肖像をかかげ、開かれざる書筺と洋籍の棚は片すみに排斥せられて、正面の床の間には父が遺愛の備前兼光の一刀を飾り、士官帽と両眼鏡と違い棚に、短剣は床柱にかかりぬ。写真額数多掛けつらねたるうちには、その乗り組める軍艦のもあり、制服したる青年のおおぜいうつりたるは、江田島にありけるころのなるべし。テーブルの上にも二三の写真を飾りたり。両親並びて、五六歳の男児の父の膝に倚りたるは、武男が幼きころの紀念なり。カビネの一人撮しの軍服なるは乃舅片岡中将なり。主人が年若く粗豪なるに似もやらず、几案整然として、すみずみにいたるまで一点の塵を留めず、あまつさえ古銅瓶に早咲きの梅一両枝趣深く活けたるは、温かき心と細かなる注意と熟練なる手と常にこの室に往来するを示しぬ。げにその主は銅瓶の下に梅花の香を浴びて、心臓形の銀の写真掛けのうちにほほえめるなり。ランプの光はくまなく室のすみずみまでも照らして、火桶の炭火は緑の絨氈の上に紫がかりし紅の焔を吐きぬ。  愉快という愉快は世に数あれど、つつがなく長の旅より帰りて、旅衣を平生服の着心地よきにかえ、窓外にほゆる夜あらしの音を聞きつつ居間の暖炉に足さしのべて、聞きなれし時計の軋々を聞くは、まったき愉快の一なるべし。いわんやまた阿母老健にして、新妻のさらに愛しきあるをや。葉巻の香しきを吸い、陶然として身を安楽椅子の安きに託したる武男は、今まさにこの楽しみを享けけるなり。  ただ一つの翳は、さきに母の口より聞き、今来訪名刺のうちに見たる、千々岩安彦の名なり。今日武男は千々岩につきて忌まわしき事を聞きぬ。旧臘某日の事とか、千々岩が勤むる参謀本部に千々岩にあてて一通のはがきを寄せたる者あり、折節千々岩は不在なりしを同僚の某何心なく見るに、高利貸の名高き何某の貸し金督促状にして、しかのみならずその金額要件は特に朱書してありしという。ただそれのみならず、参謀本部の機密おりおり思いがけなき方角に漏れて、投機商人の利を博することあり。なおその上に、千々岩の姿をあるまじき相場の市に見たる者あり。とにかく種々嫌疑の雲は千々岩の上におおいかかりてあれば、この上とても千々岩には心して、かつ自ら戒飭するよう忠告せよと、参謀本部に長たる某将軍とは爾汝の間なる舅中将の話なりき。 「困った男だ」  かくひとりごちて、武男はまた千々岩の名刺を打ちながめぬ。しかも今の武男は長く不快に縛らるるあたわざるなり。何も直接にあいて問いただしたる上と、思い定めて、心はまた翻然として今の楽しきに返れる時、服をあらためし浪子は手ずから紅茶を入れてにこやかに入り来たりぬ。 「おお紅茶、これはありがたい」椅子を離れて火鉢のそばにあぐらかきつつ、 「母さんは?」 「今おやすみ遊ばしました」紅茶の熱きをすすめつつ、なお紅なる良人の面をながめ「あなた、お頭痛が遊ばすの? お酒なんぞ、召し上がれないのに、あんなに母がおしいするものですから」 「なあに──今日は実に愉快だったね、浪さん。阿舅のお話がおもしろいものだから、きらいな酒までつい過ごしてしまった。はははは、本当に浪さんはいいおとっさんをもっているね、浪さん」  浪子はにっこり、ちらと武男の顔をながめて 「その上に──」 「エ? 何です?」驚き顔に武男はわざと目をみはりつ。 「存じません、ほほほほほ」さと顔あからめ、うつぶきて指環をひねる。 「いやこれは大変、浪さんはいつそんなにお世辞が上手になったのかい。これでは襟どめぐらいは廉いもんだ。はははは」  火鉢の上にさしかざしたる掌にぽうっと薔薇色になりし頬を押えつ。少し吐息つきて、 「本当に──永い間母様も──どんなにおさびしくッていらっしゃいましてしょう。またすぐ勤務にいらっしゃると思うと、日が早くたってしようがありませんわ」 「始終内にいようもんなら、それこそ三日目には、あなた、ちっと運動にでも出ていらっしゃいませんか、だろう」 「まあ、あんな言を──も一杯あげましょうか」  くみて差し出す紅茶を一口飲みて、葉巻の灰をほとほと火鉢の縁にはたきつ、快くあたりを見回して、 「半年の余もハンモックに揺られて、家に帰ると、十畳敷きがもったいないほど広くて何から何まで結構ずくめ、まるで極楽だね、浪さん。──ああ、何だか二度蜜月遊をするようだ」  げに新婚間もなく相別れて半年ぶりに再び相あえる今日このごろは、ふたたび新婚の当時を繰り返し、正月の一時に来つらん心地せらるるなりけり。  語はしばし絶えぬ。両人はうっとりとしてただ相笑めるのみ。梅の香は細々として両人が火桶を擁して相対えるあたりをめぐる。  浪子はふと思い出でたるように顔を上げつ。 「あなたいらっしゃいますの、山木に?」 「山木かい、母さんがああおっしゃるからね──行かずばなるまい」 「ほほ、わたくしも行きたいわ」 「行きなさいとも、行こういっしょに」 「ほほほ、よしましょう」 「なぜ?」 「こわいのですもの」 「こわい? 何が?」 「うらまれてますから、ほほほ」 「うらまれる? うらむ? 浪さんを?」 「ほほほ、ありますわ、わたくしをうらんでいなさる方が。おのお豊さん……」 「ははは、何を──ばかな。あのばか娘もしようがないね、浪さん。あんな娘でももらい人があるかしらん。ははは」 「母さまは、千々岩はあの山木と親しくするから、お豊を妻にもらったらよかろうッて、そうおっしゃっておいでなさいましたよ」 「千々岩?──千々岩?──あいつ実に困ったやっだ。ずるいやつた知ってたが、まさかあんな嫌疑を受けようとは思わんかった。いや近ごろの軍人は──僕も軍人だが──実にひどい。ちっとも昔の武士らしい風はありやせん、みんな金のためにかかってる。何、僕だって軍人は必ず貧乏しなけりゃならんというのじゃない。冗費を節して、恒の産を積んで、まさかの時節に内顧の患のないようにするのは、そらあ当然さ。ねエ浪さん。しかし身をもって国家の干城ともなろうという者がさ、内職に高利を貸したり、あわれむべき兵の衣食をかじったり、御用商人と結託して不義の財をむさぼったりするのは実に用捨がならんじゃないか。それに実に不快なは、あの賭博だね。僕の同僚などもこそこそやってるやつがあるが、実に不愉快でたまらん。今のやつらは上にへつらって下からむさぼることばかり知っとる」  今そこに当の敵のあるらんように息巻き荒く攻め立つるまだ無経験の海軍少尉を、身にしみて聞き惚るる浪子は勇々しと誇りて、早く海軍大臣かないし軍令部長にして海軍部内の風を一新したしと思えるなり。 「本当にそうでございましょうねエ。あの、何だかよくは存じませんが、阿爺がね、大臣をしていましたころも、いろいろな頼み事をしていろいろ物を持って来ますの。阿爺はそんな事は大禁物ですから、できる事は頼まれなくてもできる、できない事は頼んでもできないと申して、はねつけてもはねつけてもやはりいろいろ名をつけて持ち込んで来ましたわ。で、阿爺が戯談に、これではたれでも役人になりたがるはずだって笑っていましたよ」 「そうだろう、陸軍も海軍も同じ事だ。金の世の中だね、浪さん──やあもう十時か」おりからりんりんとうつ柱時計を見かえりつ。 「本当に時間が早くたつこと!」 二の一  芝桜川町なる山木兵造が邸は、すぐれて広しというにあらねど、町はずれより西久保の丘の一部を取り込めて、庭には水をたたえ、石を据え、高きに道し、低きに橋して、楓桜松竹などおもしろく植え散らし、ここに石燈籠あれば、かしこに稲荷の祠あり、またその奥に思いがけなき四阿あるなど、この門内にこの庭はと驚かるるも、山木が不義に得て不義に築きし万金の蜃気楼なりけり。  時はすでに午後四時過ぎ、夕烏の声遠近に聞こゆるころ、座敷の騒ぎを背にして日影薄き築山道を庭下駄を踏みにじりつつ上り行く羽織袴の男あり。こは武男なり。母の言黙止し難くて、今日山木の宴に臨みつれど、見も知らぬ相客と並びて、好まぬ巵挙ぐることのおもしろからず。さまざまの余興の果ては、いかがわしき白拍子の手踊りとなり、一座の無礼講となりて、いまいましきこと限りもなければ、疾くにも辞し去らんと思いたれど、山木がしきりに引き留むるが上に、必ず逢わんと思える千々岩の宴たけなわなるまで足を運ばざりければ、やむなく留まりつ、ひそかに座を立ちて、熱せる耳を冷ややかなる夕風に吹かせつつ、人なき方をたどりしなり。  武男が舅中将より千々岩に関する注意を受けて帰りし両三日後、鰐皮の手かばんさげし見も知らぬ男突然川島家に尋ね来たり、一通の証書を示して、思いがけなき三千円の返金を促しつ。証書面の借り主は名前も筆跡もまさしく千々岩安彦、保証人の名前は顕然川島武男と署しありて、そのうえ歴々と実印まで押してあらんとは。先方の口上によれば、契約期限すでに過ぎつるを、本人はさらに義務を果たさず、しかも突然いずれへか寓を移して、役所に行けばこの両三日職務上他行したりとかにて、さらに面会を得ざれば、ぜひなくこなたへ推参したる次第なりという。証書はまさしき手続きを踏みたるもの、さらに取り出したる往復の書面を見るに、違う方なき千々岩が筆跡なり。事の意外に驚きたる武男は、子細をただすに、母はもとより執事の田崎も、さる相談にあずかりし覚えなく、印形を貸したる覚えさらになしという。かのうわさにこの事実思いあわして、武男は七分事の様子を推しつ。あたかもその日千々岩は手紙を寄せて、明日山木の宴会に会いたしといい越したり。  その顔だに見ば、問うべき事を問い、言うべき事を言いて早帰らんと思いし千々岩は来たらず、しきりに波立つ胸の不平を葉巻の煙に吐きもて、武男は崖道を上り、明竹の小藪を回り、常春藤の陰に立つ四阿を見て、しばし腰をおろせる時、横手のわき道に駒下駄の音して、はたと豊子と顔見合わせつ。見れば高島田、松竹梅の裾模様ある藤色縮緬の三枚襲、きらびやかなる服装せるほどますます隙のあらわれて、笑止とも自らは思わぬなるべし。その細き目をばいとど細うして、 「ここにいらっしたわ」  三十サンチ巨砲の的には立つとも、思いがけなき敵の襲来に冷やりとせし武男は、渋面作りてそこそこに兵を収めて逃げんとするを、あわてて追っかけ 「あなた」 「何です?」 「おとっさんが御案内して庭をお見せ申せってそう言いますから」 「案内? 案内はいらんです」 「だって」 「僕は一人で歩く方が勝手だ」  これほど手強く打ち払えばいかなる強敵も退散すべしと思いきや、なお懲りずまに追いすがりて 「そうお逃げなさらんでもいいわ」  武男はひたと当惑の眉をひそめぬ。そも武男とお豊の間は、その昔父が某県を知れりし時、お豊の父山木もその管下にありて常に出入したれば、子供もおりおり互いに顔合わせしが、まだ十一二の武男は常にお豊を打ちたたき泣かしては笑いしを、お豊は泣きつつなお武男にまつわりつ。年移り所変わり人長けて、武男がすでに新夫人を迎えける今日までも、お豊はなお当年の乱暴なる坊ちゃま、今は川島男爵と名乗る若者に対してはかなき恋を思えるなり。粗暴なる海軍士官も、それとうすうす知らざるにあらねば、まれに山木に往来する時もなるべく危うきに近よらざる方針を執りけるに、今日はおぞくも伏兵の計に陥れるを、またいかんともするあたわざりき。 「逃げる? 僕は何も逃げる必要はない。行きたい方に行くのだ」 「あなた、それはあんまりだわ」  おかしくもあり、ばからしくもあり、迷惑にもあり、腹も立ちし武男行かんとしては引きとめられ、逃れんとしてはまつわられ、あわれ見る人もなき庭のすみに新日高川の一幕を出せしが、ふと思いつく由ありて、 「千々岩はまだ来ないか、お豊さんちょっと見て来てくれたまえ」 「千々岩さんは日暮れでなけりゃ来ないわ」 「千々岩は時々来るのかね」 「千々岩さんは昨日も来たわ、おそくまで奥の小座敷でおとっさんと何か話していたわ」 「うん、そうか──しかしもう来たかもしれん、ちょっと見て来てくれないかね」 「わたしいやよ」 「なぜ!」 「だって、あなた逃げて行くでしょう、なんぼわたしがいやだって、浪子さんが美しいって、そんなに人を追いやるものじゃなくってよ」 「油断せば雨にもならんずる空模様に、百計つきたる武男はただ大踏歩して逃げんとする時、 「お嬢様、お嬢様」  と婢の呼び来たりて、お豊を抑留しつ。このひまにと武男はつと藪を回りて、二三十歩足早に落ち延び、ほっと息つき 「困った女だ」  とつぶやきながら、再度の来襲の恐れなき屈強の要害──座敷の方へ行きぬ。 二の二  日は入り、客は去りて、昼の騒ぎはただ台所の方に残れる時、羽織袴は脱ぎすてて、煙草盆をさげながら、おぼつかなき足踏みしめて、廊下伝いに奥まりたる小座敷に入り来し主人の山木、赤禿げの前額の湯げも立ち上らんとするを、いとどランプの光に輝かしつつ、崩るるようにすわり、 「若旦那も、千々岩君も、お待たせ申して失敬でがした。はははは、今日はおかげで非常の盛会……いや若旦那はお弱い、失敬ながらお弱い、軍人に似合いませんよ。御大人なんざそれは大したものでしたよ。年は寄っても、山木兵造──なあに、一升やそこらははははは大丈夫ですて」  千々岩は黒水晶の目を山木に注ぎつ。 「大分ご元気ですな。山木君、もうかるでしょう?」 「もうかるですとも、はははは──いやもうかるといえば」と山木は灰だらけにせし煙管をようやく吸いつけ、一服吸いて「何です、その、今度あの○○○○が売り物に出るそうで、実は内々様子を探って見たが、先方もいろいろ困っている際だから、案外安く話が付きそうですて。事業の方は、大有望さ。追い追い内地雑居と来ると、いよいよ妙だが、いかがです若旦那、田崎君の名義でもよろしいから、二三万御奮発なすっちゃ。きっともうけさして上げますぜ」  と本性違わぬ生酔いの口は、酒よりもなめらかなり。千々岩は黙然と坐しいる武男を流眸に見て、「○○○○、確か青物町の。あれは一時もうかったそうじゃないか」 「さあ、もうかるのを下手にやり崩したんだが、うまく行ったらすばらしい金鉱ですぜ」 「それは惜しいもんだね。素寒貧の僕じゃ仕方ないが、武男君、どうだ、一肩ぬいで見ちゃア」  座に着きし初めより始終黙然として不快の色はおおう所なきまで眉宇にあらわれし武男、いよいよ懌ばざる色を動かして、千々岩と山木を等分に憤りを含みたる目じりにかけつつ 「御厚意かたじけないが、わが輩のように、いつ魚の餌食になるか、裂弾、榴弾の的になるかわからない者は、別に金もうけの必要もない。失敬だがその某会社とかに三万円を投ずるよりも、わが輩はむしろ海員養成費に献納する」  にべなく言い放つ武男の顔、千々岩はちらとながめて、山木にめくばせし、 「山木君、利己主義のようだが、その話はあと回しにして僕の件から願いたいがね。川島君も承諾してくれたから、願って置いた通り──御印がありますか」  証書らしき一葉の書付を取り出して山木の前に置きぬ。  千々岩の身辺に嫌疑の雲のかかれるも宜なり。彼は昨年来その位置の便宜を利用して、山木がために参謀となり牒者となりて、その利益の分配にあずかれるのみならず、大胆にも官金を融通して蠣殻町に万金をつかまんとせしに、たちまち五千円余の損亡を来たしつ。山木をゆすり、その貯えの底をはたきて二千円を得たれども、なお三千の不足あり。そのただ一親戚なる川島家は富みてかつ未亡人の覚えめでたからざるにもあらざれど、出すといえばおくびも惜しむ叔母の性質を知れる千々岩は、打ち明けて頼めば到底らちの明かざるを看破り、一時を弥縫せんと、ここに私印偽造の罪を犯して武男の連印を贋り、高利の三千円を借り得て、ひとまず官金消費の跡を濁しつ。さるほどに期限迫りて、果てはわが勤むる官署にすら督促のはがきを送らるる始末となりたれば、今はやむなくあたかも帰朝せる武男を説き動かし、この三千円を借り得てかの三千円を償い、武男の金をもって武男の名を贖わんと欲せしなり。さきに武男を訪いたれどおりあしく得逢わず、その後二三日職務上の要を帯びて他行しつれば、いまだ高利貸のすでに武男が家に向かいしを知らざるなりき。  山木はうなずき、ベルを鳴らして朱肉の盒を取り寄せ、ひと通り証書に目を通して、ふところより実印取り出でつつ保証人なるわが名の下に捺しぬ。そを取り上げて、千々岩は武男の前に差し置き、 「じゃ、君、証書はここにあるから──で、金はいつ受け取れるかね」 「金はここに持っている」 「ここに?──戯談はよしたまえ」 「持っている。──では、参千円、確かに渡した」  懐中より一通の紙に包みたるもの取り出でて、千々岩が前に投げつけつ。  打ち驚きつつ拾い上げ、おしひらきたる千々岩の顔はたちまち紅になり、また蒼くなりつ。きびしく歯を食いしばりぬ。彼はいまだ高利貸の手にあらんと信じ切ったる証書を現に目の前に見たるなり。武男は田崎に事の由を探らせし後、ついに怪しかる名前の上の三千円を払いしなりき。 「いや、これは──」 「覚えがないというのか。男らしく罪に伏したまえ」  子供、子供と今が今まで高をくくりし武男に十二分に裏をかかれて、一腔の憤怨焔のごとく燃え起こりたる千々岩は、切れよと唇をかみぬ。山木は打ちおどろきて、煙管をやに下がりに持ちたるまま二人の顔をながむるのみ。 「千々岩、もうわが輩は何もいわん。親戚のよしみに、決して私印偽造の訴訟は起こさぬ。三千円は払ったから、高利貸のはがきが参謀本部にも行くまい、安心したまえ」  あくまではずかしめられたる千々岩は、煮え返る胸をさすりつ。気は武男に飛びもかからんとすれども、心はもはや陳弁の時機にあらざるを認むるほどの働きを存せるなり。彼はとっさに態度を変えつ。 「いや、君、そういわれると、実に面目ないがね、実はのっぴきならぬ──」 「何がのっぴきならぬのだ? 徳義ばかりか法律の罪人になってまで高利を借る必要がどこにあるのか」 「まあ、聞いてくれたまえ。実は切迫つまった事で、金は要る、借りるところはなし。君がいると、一も二もなく相談するのだが、叔母様には言いにくいだろうじゃないか。それだといって、急場の事だし、済まぬ──済まぬと思いながら──、実は先月はちっと当てもあったので、皆済してから潔く告白しようと──」 「ばかを言いたまえ。潔く告白しようと思った者が、なぜ黙って別に三千円を借りようとするのだ」  膝を乗り出す武男が見幕の鋭きに、山木はあわてて、 「これさ、若旦那、まあ、お静かに、──何か詳しい事情はわかりませんが、高が二千や三千の金、それに御親戚であって見ると、これは御勘弁──ねエ若旦那。千々岩君も悪い、悪いがそこをねエ若旦那。こんな事が表ざたになって見ると、千々岩君の立身もこれぎりになりますから。ねエ若旦那」 「それだから三千円は払った、また訴訟なぞしないといっているじゃないか。──山木、君の事じゃない、控えて居たまえ、──それはしない、しかしもう今日限り絶交だ」  もはや事ここにいたりては恐るる所なしと度胸を据えし千々岩は、再び態度を嘲罵にかえつ。 「絶交?──別に悲しくもないが──」  武男の目は焔のごとくひらめきつ。 「絶交はされてもかまわんが、金は出してもらうというのか。腰抜け漢!」 「何?」  気色立つ双方の勢いに酔いもいくらかさめし山木はたまり兼ねて二人が間に分け入り「若旦那も、千々岩君も、ま、ま、ま、静かに、静かに、それじゃ話も何もわからん、──これさ、お待ちなさい、ま、ま、ま、お待ちなさい」としきりにあなたを縫いこなたを繕う。  押しとめられて、しばし黙然としたる武男は、じっと千々岩が面を見つめ、 「千々岩、もういうまい。わが輩も子供の時から君と兄弟のように育って、実際才力の上からも年齢からも君を兄と思っていた。今後も互いに力になろう、わが輩も及ぶだけ君のために尽くそうと思っていた。実はこのごろまでもまさかと信じ切っていた。しかし全く君のために売られたのだ、わが輩を売るのは一個人の事だが、君はまだその上に──いやいうまい、三千円の費途は聞くまい。しかし今までのよしみに一言いって置くが、人の耳目は早いものだ、君は目をつけられているぞ、軍人の体面に関するような事をしたもうな。君たちは金より貴いものはないのだから、言ったってしかたはあるまいが、ちっとあ恥を知りたまえ。じゃもう会うまい。三千円はあらためて君にくれる」  厳然として言い放ちつつ武男は膝の前なる証書をとってずたずたに引き裂き棄てつ。つと立ち上がって次の間に出でし勢いに、さっきよりここに隠れて聞きおりしと覚しき女お豊を煽り倒しつ。「あれえ」という声をあとに足音荒く玄関の方に出で去りたり。  あっけにとられし山木と千々岩と顔見あわしつ。「相変わらず坊っちゃまだね。しかし千々岩さん、絶交料三千円は随分いいもうけをしたぜ」  落ち散りたる証書の片々を見つめ、千々岩は黙然として唇をかみぬ。 三の一  二月初旬ふと引きこみし風邪の、ひとたびは瘥りしを、ある夜姑の胴着を仕上ぐるとて急ぐままに夜ふかししより再びひき返して、今日二月の十五日というに浪子はいまだ床あぐるまで快きを覚えざるなり。  今年の寒さは、今年の寒さは、と年々に言いなれし寒さも今年こそはまさしくこれまで覚えなきまで、日々吹き募る北風は雪を誘い雨を帯びざる日にもさながら髄を刺し骨をえぐりて、健やかなるも病み、病みたるは死し、新聞の広告は黒囲のみぞ多くなり行く。この寒さはさらぬだに強からぬ浪子のかりそめの病を募らして、取り立ててはこれという異なれる病態もなけれど、ただ頭重く食うまからずして日また日を渡れるなり。  今二点を拍ちし時計の蜩など鳴きたらんように凛々と響きしあとは、しばし物音絶えて、秒を刻み行く時計のかえって静けさを加うるのみ。珍しくうららかに浅碧をのべし初春の空は、四枚の障子に立て隔てられたれど、悠々たる日の光くまなく紙障に栄えて、余りの光は紙を透かして浪子が仰ぎ臥しつつ黒スコッチの韈を編める手先と、雪より白き枕に漂う寝乱れ髪の上にちらちらおどりぬ。左手の障子には、ひょろひょろとした南天の影手水鉢をおおうてうつむきざまに映り、右手には槎枒たる老梅の縦横に枝をさしかわしたるがあざやかに映りて、まだつぼみがちなるその影の、花は数うべくまばらなるにも春の浅きは知られつべし。南縁暄を迎うるにやあらん、腰板の上に猫の頭の映りたるが、今日の暖気に浮かれ出でし羽虫目がけて飛び上がりしに、捕りはずしてどうと落ちたるをまた心に関せざるもののごとく、悠々としてわが足をなむるにか、影なる頭のしきりにうなずきつ。微笑を含みてこの光景を見し浪子は、日のまぶしきに眉を攅め、目を閉じて、うっとりとしていたりしが、やおらあなたに転臥して、編みかけの韈をなで試みつつ、また縦横に編み棒を動かし始めぬ。  ドシドシと縁に重やかなる足音して、矮き仁王の影障子を伝い来つ。 「気分はどうごあんすな?」  と枕べにすわるは姑なり。 「今日は大層ようございます。起きられるのですけども──」と編み物をさしおき、襟の乱れを繕いつつ、起き上がらんとするを、姑は押しとめ、 「そ、そいがいかん、そいがいかん。他人じゃなし、遠慮がいッもンか。そ、そ、そ、また編み物しなはるな。いけませんど。病人な養生が仕事、なあ浪どん。和女は武男が事ちゅうと、何もかも忘れッちまいなはる。いけません。早う養生してな──」 「本当に済みません、やすんでばかし……」 「そ、そいが他人行儀、なあ。わたしはそいが大きらいじゃ」  うそをつきたもうな、卿は常に当今の嫁なるものの舅姑に礼足らずとつぶやき、ひそかにわが媳のこれに異なるをもっけの幸と思うならずや。浪子は実家にありけるころより、口にいわねどひそかにその継母のよろず洋風にさばさばとせるをあきたらず思いて、一家の作法の上にはおのずから一種古風の嗜味を有せるなりき。  姑はふと思い出でたるように、 「お、武男から手紙が来たようじゃったが、どう書えて来申した?」  浪子は枕べに置きし一通の手紙のなかぬき出して姑に渡しつつ、 「この日曜にはきっといらッしゃいますそうでございますよ」 「そうかな」ずうと目を通してくるくるとまき収め、「転地養生もねもんじゃ。この寒にエットからだ動かして見なさい、それこそ無か病気も出て来ます。風邪はじいと寝ておると、なおるもんじゃ。武は年が若かでな。医師をかえるの、やれ転地をすッのと騒ぎ申す。わたしたちが若か時分な、腹が痛かてて寝る事なし、産あがりだて十日と寝た事アあいません。世間が開けて来っと皆が弱うなり申すでな。はははは。武にそう書えてやったもんな、母さんがおるで心配しなはんな、ての、ははははは、どれ」  口には笑えど、目はいささか懌ばざる色を帯びて、出で行く姑の後ろ影、 「御免遊ばせ」  と起き直りつつ見送りて、浪子はかすかに吐息を漏らしぬ。  親が子をねたむということ、あるべしとは思われねど、浪子は良人の帰りし以来、一種異なる関係の姑との間にわき出でたるを覚えつ。遠洋航海より帰り来て、浪子のやせしを見たる武男が、粗豪なる男心にも留守の心づかいをくみて、いよいよいたわるをば、いささか苦々しく姑の思える様子は、怜悧き浪子の目をのがれず。時にはかの孝──姑のいわゆる──とこの愛の道と、一時に踏み難く岐るることあるを、浪子はひそかに思い悩めるなり。 「奥様、加藤様のお嬢様がおいで遊ばしましてございます」  と呼ぶ婢の声に、浪子はぱっちり目を開きつ。入り来る客を見るより喜色はたちまち眉間に上りぬ。 「あ、お千鶴さん、よく来たのね」 三の二 「今日はどんな?」  藤色縮緬のおこそ頭巾とともに信玄袋をわきへ押しやり、浪子の枕べ近く立ち寄るは島田の十七八、紺地斜綾の吾妻コートにすらりとした姿を包んで、三日月眉におやかに、凛々しき黒目がちの、見るからさえざえとした娘。浪子が伯母加藤子爵夫人の長女、千鶴子というはこの娘なり。浪子と千鶴子は一歳違いの従姉妹同士。幼稚園に通うころより実の同胞も及ばぬほど睦み合いて、浪子が妹の駒子をして「姉さんはお千鶴さんとばかり仲よくするからわたしいやだわ!」といわしめしこともありき。されば浪子が川島家に嫁ぎて来し後も、他の学友らはおのずから足を遠くせしに引きかえ、千鶴子はかえってその家の近くなれるを喜びつつ、しばしば足を運べるなり。武男が遠洋航海の留守の間心さびしく憂き事多かる浪子を慰めしは、燃ゆるがごとき武男の書状を除きては、千鶴子の訪問ぞその重なるものなりける。  浪子はほほえみて、 「今日はよっぽどよい方だけども、まだ頭が重くて、時々せきが出て困るの」 「そう?──寒いのね」うやうやしく座ぶとんをすすむる婢をちょっと顧みて、浪子のそば近くすわりつ。桐胴の火鉢に指環の宝石きらきらと輝く手をかざしつつ、桜色ににおえる頬を押う。 「伯母様も、伯父様も、おかわりないの?」 「あ、よろしくッてね。あまり寒いからどうかしらッてひどく心配していなさるの、時候が時候だから、少しいい方だッたら逗子にでも転地療養しなすったらッてね、昨夕も母さんとそう話したのですよ」 「そう? 横須賀からもちょうどそう言って来てね……」 「兄さんから? そう? それじゃ早く転地するがいいわ」 「でももうそのうちよくなるでしょうから」 「だッて、このごろの感冒は本当に用心しないといけないわ」  おりから小間使いの紅茶を持ち来たりて千鶴子にすすめつ。 「兼や? 母さんは? お客? そう、どなた? 国の方なの?──お千鶴さん、今日はゆっくりしていいのでしょう。兼や、お千鶴さんに何かごちそうしておあげな」 「ほほほほ、お百度参りするのだもの、ごちそうばかりしちゃたまらないわ。お待ちなさいよ」言いつつ服紗包みの小重を取り出し「こちらの伯母さんはお萩がおすきだッたのね、少しだけども、──お客様ならあとにしましょう」 「まあ、ありがとう。本当に……ありがとうよ」  千鶴子はさらに紅蜜柑を取り出しつつ「きれいでしょう。これはわたしのお土産よ。でもすっぱくていけないわ」 「まあきれい、一ツむいてちょうだいな」  千鶴子がむいて渡すを、さもうまげに吸いて、額にこぼるる髪をかき上げ、かき上げつ。 「うるさいでしょう。ざっと結ってた方がよかないの? ね、ちょっと結いましょう。──そのままでいいわ」  勝手知ったる次の間の鏡台の櫛取り出して、千鶴子は手柔らかにすき始めぬ。 「そうそう、昨日の同窓会──案内状が来たでしょう──はおもしろかってよ。みんながよろしくッて、ね。ほほほほ、学校を下がってからまだやっと一年しかならないのに、もう三一はお嫁だわ。それはおかしいの、大久保さんも本多さんも北小路さんもみんな丸髷に結ってね、変に奥様じみているからおかしいわ。──痛かないの?─ほほほほ、どんな話かと思ったら、みんな自分の吹聴ですわ。そうそう、それから親子別居論が始まってね、北小路さんは自分がちっとも家政ができないに姑がたいへんやさしくするものだから同居に限るっていうし、大久保さんはまた姑がやかましやだから別居論の勇将だし、それはおかしいの。それからね、わたしがまぜッかえしてやったら、お千鶴さんはまだ門外漢──漢がおかしいわ──だから話せないというのですよ。──すこしつまり過ぎはしないの?」 「イイエ。──それはおもしろかったでしょう。ほほほほ、みんな自己から割り出すのね。どうせ局々で違うのだから、一概には言えないのでしょうよ。ねエ、お千鶴さん。伯母様もいつかそうおっしゃったでしょう。若い者ばかりじゃわがままになるッて、本当にそうですよ、年寄りを疎略に思っちゃ済まないのね」  父中将の教えを受くるが上に、おのずから家政に趣味をもてる浪子は、実家にありけるころより継母の政を傍観しつつ、ひそかに自家の見をいだきて、自ら一家の女主になりたらん日には、みごと家を斉えんものと思えるは、一日にあらざりき。されど川島家に来たり嫁ぎて、万機一に摂政太后の手にありて、身はその位ありてその権なき太子妃の位置にあるを見るに及びて、しばしおのれを収めて姑の支配の下に立ちつ。親子の間に立ち迷いて、思うさま良人にかしずくことのままならぬをひそかにかこてるおりおりは、かつてわが国風に適わずと思いし継母が得意の親子別居論のあるいは真理にあらざるやを疑うこともありしが、これがためにかえって浪子は初心を破らじとひそかに心に帯せるなり。  継母の下に十年を送り、今は姑のそばにやがて一年の経験を積める従姉の底意を、ことごとくはくみかねし千鶴子、三つに組みたる髪の端を白きリボンもて結わえつつ、浪子の顔さしのぞきて、声を低め、「このごろでも御機嫌がわるくッて?」 「でも、病気してからよくしてくださるのですよ。でもね、……武男にいろいろするのが、おかあさまのお気に入らないには困るわ! それで、いつでも此家ではおかあさまが女皇陛下だからおれよりもたれよりもおかあさまを一番大事にするンだッて、しょっちゅう言って聞かされるのですわ……あ、もうこんな話はよしましょうね。おおいい気持ち、ありがとう。頭が軽くなったわ」  言いつつ三つ組みにせし髪をなで試みつ。さすがに疲れを覚えつらん、浪子は目を閉じぬ。  櫛をしまいて、紙に手をふきふき、鏡台の前に立ちし千鶴子は、小さき箱の蓋を開きて、掌に載せつつ、 「何度見てもこの襟止はきれいだわ。本当に兄さんはよくなさるのねエ。内の──兄さん(これは千鶴子の婿養子と定まれる俊次といいて、目下外務省に奉職せる男)なんか、外交官の妻になるには語学が達者でなくちゃいけないッて、仏語を勉強するがいいの、ドイツ語がぜひ必要のッて、責めてばかりいるから困るわ」 「ほほほほ、お千鶴さんが丸髷に結ったのを早く見たいわ──島田も惜しいけれど」 「まあいや!」美しき眉はひそめど、裏切る微笑は薔薇の莟めるごとき唇に流れぬ。 「あ、ほんに、萩原さんね、そらわたしたちより一年前に卒業した──」 「あの松平さんに嫁らっした方でしょう」 「は、あの方がね、昨日離縁になったンですッて」 「離縁に? どうしたの?」 「それがね、舅姑の気には入ってたけども、松平さんがきらってね」 「子供がありはしなかったの」 「一人あったわ。でもね、松平さんがきらって、このごろは妾を置いたり、囲い者をしたり、乱暴ばかりするからね、萩原さんのおとうさんがひどく怒つてね、そんな薄情な者には、娘はやって置かれぬてね、とうとう引き取ってしまったんですッて」 「まあ、かあいそうね。──どうしてきらうのでしょう、本当にひどいわ」 「腹が立つのねエ。──逆さまだとまだいいのだけど、舅姑の気に入っても良人にきらわれてあんな事になっては本当につらいでしょうねエ」  浪子は吐息しつ。 「同じ学校に出て同じ教場で同じ本を読んでも、みんなちりぢりになって、どうなるかわからないものねエ。──お千鶴さん、いつまでも仲よく、さきざき力になりましょうねエ」 「うれしいわ!」  二人の手はおのずから相結びつ。ややありて浪子はほほえみ、 「こんなに寝ていると、ね、いろいろな事を考えるの。ほほほほ、笑っちゃいやよ。これから何年かたッてね、どこか外国と戦争が起こるでしょう、日本が勝つでしょう、そうするとね、お千鶴さん宅の兄さんが外務大臣で、先方へ乗り込んで講和の談判をなさるでしょう、それから武男が艦隊の司令長官で、何十艘という軍艦を向こうの港にならべてね……」 「それから赤坂の叔父さんが軍司令官で、宅のおとうさんが貴族院で何億万円の軍事費を議決さして……」 「そうするとわたしはお千鶴さんと赤十字の旗でもたてて出かけるわ」 「でもからだが弱くちゃできないわ。ほほほほ」 「おほほほほ」  笑う下より浪子はたちまちせきを発して、右の胸をおさえつ。 「あまり話したからいけないのでしょう。胸が痛むの?」 「時々せきするとね、ここに響いてしようがないの」  言いつつ浪子の目はたちまちすうと薄れ行く障子の日影を打ちながめつ。 四の一  山木が奥の小座敷に、あくまで武男にはずかしめられて、燃ゆるがごとき憤嫉を胸に畳みつつわが寓に帰りしその夜より僅々五日を経て、千々岩は突然参謀本部よりして第一師団の某連隊付きに移されつ。  人の一生には、なす事なす事皆図星をはずれて、さながら皇天ことにわれ一人をえらんで折檻また折檻の笞を続けざまに打ちおろすかのごとくに感ぜらるる、いわゆる「泣き面に蜂」の時期少なくとも一度はあるものなり。去年以来千々岩はこの瀬戸に舟やり入れて、今もって容易にその瀬戸を過ぎおわるべき見当のつかざるなりき。浪子はすでに武男に奪われつ。相場に手を出せば失敗を重ね、高利を借りれば恥をかき、小児と見くびりし武男には下司同然にはずかしめられ、ただ一親戚たる川島家との通路は絶えつ。果てはただ一立身の捷逕として、死すとも去らじと思える参謀本部の位置まで、一言半句の挨拶もなくはぎとられて、このごろまで牛馬同様に思いし師団の一士官とならんとは。疵持つ足の千々岩は、今さら抗議するわけにも行かず、倒れてもつかむ馬糞の臭をいとわで、おめおめと練兵行軍の事に従いしが、この打撃はいたく千々岩を刺激して、従来事に臨んでさらにあわてず、冷静に「われ」を持したる彼をして、思うてここにいたるごとに、一肚皮の憤恨猛火よりもはげしく騰上し来たるを覚えざらしめたり。  頭上に輝く名利の冠を、上らば必ず得べき立身の梯子に足踏みかけて、すでに一段二段を上り行きけるその時、突然蹴落とされしは千々岩が今の身の上なり。誰が蹴落とせし。千々岩は武男が言葉の端より、参謀本部に長たる将軍が片岡中将と無二の昵懇なる事実よりして、少なくも中将が幾分の手を仮したるを疑いつ。彼はまた従来金には淡白なる武男が、三千金のために、──たとい偽印の事はありとも──法外に怒れるを怪しみて、浪子が旧き事まで取り出でてわれを武男に讒したるにあらずやと疑いつ。思えば思うほど疑いは事実と募り、事実は怒火に油さし、失恋のうらみ、功名の道における蹉跌の恨み、失望、不平、嫉妬さまざまの悪感は中将と浪子と武男をめぐりて焔のごとく立ち上りつ。かの常にわが冷頭を誇り、情に熱して数字を忘るるの愚を笑える千々岩も、連敗の余のさすがに気は乱れ心狂いて、一腔の怨毒いずれに向かってか吐き尽くすべき路を得ずば、自己──千々岩安彦が五尺の躯まず破れおわらんずる心地せるなり。  復讎、復讎、世に心よきはにくしと思う人の血をすすって、その頬の一臠に舌鼓うつ時の感なるべし。復讎、復讎、ああいかにして復讎すべき、いかにしてうらみ重なる片岡川島両家をみじんに吹き飛ばすべき地雷火坑を発見し、なるべくおのれは危険なき距離より糸をひきて、憎しと思う輩の心傷れ腸裂け骨摧け脳塗れ生きながら死ぬ光景をながめつつ、快く一杯を過ごさんか。こは一月以来夜となく日となく千々岩の頭を往来せる問題なりき。  梅花雪とこぼるる三月中旬、ある日千々岩は親しく往来せる旧同窓生の何某が第三師団より東京に転じ来たるを迎うるとて、新橋におもむきつ。待合室を出づるとて、あたかも十五六の少女を連れし丈高き婦人──貴婦人の婦人待合室より出で来たるにはたと行きあいたり。 「お珍しいじゃございませんか」  駒子を連れて、片岡子爵夫人繁子はたたずめるなり。一瞬時、変われる千々岩の顔色は、先方の顔色をのぞいて、たちまち一変しつ。中将にこそ浪子にこそ恨みはあれ、少なくもこの人をば敵視する要なしと早くも心を決せるなり。千々岩はうやうやしく一礼して、微笑を帯び、 「ついごぶさたいたしました」 「ひどいお見限りようですね」 「いや、ちょっとお伺い申すのでしたが、いろいろ職務上の要で、つい多忙だものですから──今日はどちらへか?」 「は、ちょっと逗子まで──あなたは?」 「何、ちょっと朋友を迎えにまいったのですが──逗子は御保養でございますか」 「おや、まだご存じないのでしたね、──病人ができましてね」 「御病人? どなたで?」 「浪子です」  おりからベルの鳴りて人は潮のごとく改札口へ流れ行くに、少女は母の袖引き動かして 「おかあさま、おそくなるわ」  千々岩はいち早く子爵夫人が手にしたる四季袋を引っとり、打ち連れて歩みつつ 「それは──何ですか、よほどお悪いので?」 「はあ、とうとう肺になりましてね」 「肺?──結核?」 「は、ひどく喀血をしましてね、それでつい先日逗子へまいりました。今日はちょっと見舞に」言いつつ千々岩が手より四季袋を受け取り「ではさようなら、すぐ帰ります、ちとお遊びにいらッしゃいよ」  華美なるカシミールのショールと紅のリボンかけし垂髪とはるかに上等室に消ゆるを目送して、歩を返す時、千々岩の唇には恐ろしき微笑を浮かべたり。 四の二  医師が見舞うたびに、あえて口にはいわねど、その症候の次第に著しくなり来るを認めつつ、術を尽くして防ぎ止めんとせしかいもなく、目には見えねど浪子の病は日に募りて、三月の初旬には、疑うべくもあらぬ肺結核の初期に入りぬ。  わが老健を鼻にかけて今世の若者の羸弱をあざけり、転地の事耳に入れざりし姑も、現在目の前に浪子の一度ならずに喀血するを見ては、さすがに驚き──伝染の恐ろしきを聞きおれば──恐れ、医師が勧むるまましかるべき看護婦を添えて浪子を相州逗子なる実家──片岡家の別墅に送りやりぬ。肺結核! 茫々たる野原にただひとり立つ旅客の、頭上に迫り来る夕立雲のまっ黒きを望める心こそ、もしや、もしやとその病を待ちし浪子の心なりけれ。今は恐ろしき沈黙はすでにとく破れて、雷鳴り電ひらめき黒風吹き白雨ほとばしる真中に立てる浪子は、ただ身を賭して早く風雨の重囲を通り過ぎなんと思うのみ。それにしても第一撃のいかにすさまじかりしぞ。思い出づる三月の二日、今日は常にまさりて快く覚ゆるままに、久しく打ちすてし生け花の慰み、姑の部屋の花瓶にささん料に、おりから帰りて居たまいし良人に願いて、においも深き紅梅の枝を折るとて、庭さき近く端居して、あれこれとえらみ居しに、にわかに胸先苦しく頭ふらふらとして、紅の靄眼前に渦まき、われ知らずあと叫びて、肺を絞りし鮮血の紅なるを吐けるその時! その時こそ「ああとうとう!」と思う同時に、いずくともなくはるかにわが墓の影をかいま見しが。  ああ死! 以前世をつらしと見しころは、生何の楽しみぞ死何の哀惜ぞと思いしおりもありけるが、今は人の生命の愛しければいとどわが命の惜しまれて千代までも生きたしと思う浪子。情けなしと思うほど、病に勝たんの心も切に、おりおり沈むわが気をふり起こしては、われより医師を促すまでに怠らず病を養えるなりき。  目と鼻の横須賀にあたかも在勤せる武男が、ひまをぬすみてしばしば往来するさえあるに、父の書、伯母、千鶴子の見舞たえ間なく、別荘には、去年の夏川島家を追われし以来絶えて久しきかの姥のいくが、その再会の縁由となれるがために病そのものの悲しむべきをも喜ばんずるまで浪子をなつかしめるありて、能うべくは以前に倍する熱心もて伏侍するあり。まめまめしき老僕が心を用いて事うるあり。春寒きびしき都門を去りて、身を暖かき湘南の空気に投じたる浪子は、日に自然の人をいつくしめる温光を吸い、身をめぐる暖かき人の情けを吸いて、気も心もおのずからのびやかになりつ。地を転じてすでに二旬を経たれば、喀血やみ咳嗽やや減り、一週二回東京より来たり診する医師も、快しというまでにはいたらねど病の進まざるをかいありと喜びて、この上はげしき心神の刺激を避け、安静にして療養の功を続けなば、快復の望みありと許すにいたりぬ。 四の三  都の花はまだ少し早けれど、逗子あたりは若葉の山に山桜咲き初めて、山また山にさりもあえぬ白雲をかけし四月初めの土曜。今日は朝よりそぼ降る春雨に、海も山も一色に打ち煙り、たださえ永き日の果てもなきまで永き心地せしが、日暮れ方より大降りになって、風さえ強く吹きいで、戸障子の鳴る響すさまじく、怒りたける相模灘の濤声、万馬の跳るがごとく、海村戸を鎖して燈火一つ漏る家もあらず。  片岡家の別墅にては、今日は夙く来べかりしに勤務上やみ難き要ありておくれし武男が、夜に入りて、風雨の暗を衝きつつ来たりしが、今はすでに衣をあらため、晩餐を終え、卓によりかかりて、手紙を読みており。相対いて、浪子は美しき巾着を縫いつつ、時々針をとどめて良人の方打ちながめては笑み、風雨の音に耳傾けては静かに思いに沈みており。揚巻に結いし緑の髪には、一朶の山桜を葉ながらにさしはさみたり。二人の間には、一脚の卓ありて、桃色のかさかけしランプはじじと燃えつつ、薄紅の光を落とし、そのかたわらには白磁瓶にさしはさみたる一枝の山桜、雪のごとく黙して語らず。今朝別れ来し故山の春を夢むるなるべし。  風雨の声屋をめぐりて騒がし。  武男は手紙を巻きおさめつ。「阿舅もよほど心配しておいでなさる。どうせ明日はちょっと帰京るから、赤坂へ回って来よう」 「明日いらッしゃるの? このお天気に!──でもお母様もお待ちなすッていらッしゃいましょうねエ。わたくしも行きたいわ!」 「浪さんが!!! とんでもない! それこそまっぴら御免こうむる。もうしばらくは流刑にあったつもりでいなさい。はははは」 「ほほほ、こんな流刑なら生涯でもようござんすわ──あなた、巻莨召し上がれな」 「ほしそうに見えるかい。まあよそう。そのかわり来る前の日と、帰った日は、二日分のむのだからね。ははははは」 「ほほほ、それじゃごほうびに、今いいお菓子がまいりますよ」 「それはごちそうさま。大方お千鶴さんの土産だろう。──それは何かい、立派な物ができるじゃないか」 「この間から日が永くッてしようがないのですから、おかあさまへ上げようと思ってしているのですけど──イイエ大丈夫ですわ、遊び遊びしてますから。ああ何だか気分が清々したこと。も少し起きさしてちょうだいな、こうしてますとちっとも病気のようじゃないでしょう」 「ドクトル川島がついているのだもの、はははは。でも、近ごろは本当に浪さんの顔色がよくなッた。もうこっちのものだて」  この時次の間よりかの老女のいくが、菓子鉢と茶盆を両手にささげ来つ。 「ひどい暴風雨でございますこと。旦那様がいらッしゃいませんと、ねエ奥様、今夜なんざとても目が合いませんよ。飯田町のお嬢様はお帰京遊ばす、看護婦さんまで、ちょっと帰京ますし、今日はどんなにさびしゅうございましてしょう、ねエ奥様。茂平(老僕)どんはいますけれども」 「こんな晩に船に乗ってる人の心地はどんなでしょうねエ。でも乗ってる人を思いやる人はなお悲しいわ!」 「なあに」と武男は茶をすすり果てて風月の唐饅頭二つ三つ一息に平らげながら「なあに、これくらいの風雨はまだいいが、南シナ海あたりで二日も三日も大暴風雨に出あうと、随分こたえるよ。四千何百トンの艦が三四十度ぐらいに傾いてさ、山のようなやつがドンドン甲板を打ち越してさ、艦がぎいぎい響るとあまりいい心地はしないね」  風いよいよ吹き募りて、暴雨一陣礫のごとく雨戸にほとばしる。浪子は目を閉じつ。いくは身を震わしぬ。三人が語しばし途絶えて、風雨の音のみぞすさまじき。 「さあ、陰気な話はもう中止だ。こんな夜は、ランプでも明るくして愉快に話すのだ。ここは横須賀よりまた暖かいね、もうこんなに山桜が咲いたな」  浪子は磁瓶にさしし桜の花びらを軽くなでつつ「今朝老爺が山から折って来ましたの。きれいでしょう。──でもこの雨風で山のはよっぽど散りましょうよ。本当にどうしてこんなに潔いものでしょう! そうそう、さっき蓮月の歌にこんなのがありましたよ『うらやまし心のままにとく咲きて、すがすがしくも散るさくらかな』よく詠んでありますのねエ」 「なに? すがすがしくも散る? 僕──わしはそう思うがね、花でも何でも日本人はあまり散るのを賞翫するが、それも潔白でいいが、過ぎるとよくないね。戦争でも早く討死する方が負けだよ。も少し剛情にさ、執拗さ、気ながな方を奨励したいと思うね。それでわが輩──わしはこんな歌を詠んだ。いいかね、皮切りだからどうせおかしいよ、しつこしと、笑っちゃいかん、しつこしと人はいえども八重桜盛りながきはうれしかりけり、はははは梨本跣足だろう」 「まあおもしろいお歌でございますこと、ねエ奥様」 「はははは、ばあやの折り紙つきじゃ、こらいよいよ秀逸にきまったぞ」  話の途切れ目をまたひとしきり激しくなりまさる風雨の音、濤の音の立ち添いて、家はさながら大海に浮かべる舟にも似たり。いくは鉄瓶の湯をかうるとて次に立ちぬ。浪子はさしはさみ居し体温器をちょっと燈火に透かし見て、今宵は常よりも上らぬ熱を手柄顔に良人に示しつつ、筒に収め、しばらくテーブルの桜花を見るともなくながめていたりしが、たちまちほほえみて 「もう一年たちますのねエ、よウくおぼえていますよ、あの時馬車に乗って出ると家内の者が送って出てますから何とか言いたかったのですけどどうしても口に出ませんの。おほほほ。それから溜池橋を渡るともう日が暮れて、十五夜でしょう、まん丸な月が出て、それから山王のあの坂を上がるとちょうど桜花の盛りで、馬車の窓からはらはらはらはらまるで吹雪のように降り込んで来ましてね、ほほほ、髷に花びらがとまってましたのを、もうおりるという時、気がついて伯母がとってくれましたッけ」  武男はテーブルに頬杖つき「一年ぐらいたつな早いもんだ。かれこれするとすぐ銀婚式になっちまうよ。はははは、あの時浪さんの澄まし方といったらはッははは思い出してもおかしい、おかしい。どうしてああ澄まされるかな」 「でも、ほほほほ──あなたも若殿様できちんと澄ましていらッしたわ。ほほほほ手が震えて、杯がどうしても持てなかったンですもの」 「大分おにぎやかでございますねエ」といくはにこにこ笑みつつ鉄瓶を持ちて再び入り来つ。「ばあやもこんなに気分が清々いたしたことはありませんでございますよ。ごいっしょにこうしておりますと、昨年伊香保にいた時のような心地がいたしますでございますよ」 「伊香保はうれしかったわ!」 「蕨狩りはどうだい、たれかさんの御足が大分重かッたっけ」 「でもあなたがあまりお急ぎなさるんですもの」と浪子はほほえむ。 「もうすぐ蕨の時候になるね。浪さん、早くよくなッて、また蕨狩りの競争しようじゃないか」 「ほほほ、それまでにはきっとなおりますよ」 四の四  明くる日は、昨夜の暴風雨に引きかえて、不思議なほどの上天気。  帰京は午後と定めて、午前の暖かく風なき間を運動にと、武男は浪子と打ち連れて、別荘の裏口よりはらはら松の砂丘を過ぎ、浜に出でたり。 「いいお天気、こんなになろうとは思いませんでしたねエ」 「実にいい天気だ。伊豆が近く見えるじゃないか、話でもできそうだ」  二人はすでに乾ける砂を踏みて、今日の凪を地曳すと立ち騒ぐ漁師、貝拾う子らをあとにし、新月形の浜を次第に人少なき方に歩みつ。  浪子はふと思い出でたるように「ねエあなた。あの──千々岩さんはどうしてらッしゃるでしょう?」 「千々岩? 実に不埒きわまるやつだ。あれから一度も会わンが。──なぜ聞くのかい?」  浪子は少し考え「イイエ、ね、おかしい事をいうようですが、昨夜千々岩さんの夢を見ましたの」 「千々岩の夢?」 「はあ。千々岩さんがお母さまと何か話をしていなさる夢を見ましたの」 「はははは、気沢山だねエ、どんな話をしていたのかい」 「何かわからないのですけど、お母さまが何度もうなずいていらっしゃいましたわ。──お千鶴さんが、あの方と山木さんといっしょに連れ立っていなさるのを見かけたって話したから、こんな夢を見たのでしょうね。ねエ、あなた、千々岩さんが我等宅に出入りするようなことはありますまいね」 「そんな事はない、ないはずだ。母さんも千々岩の事じゃ怒っていなさるからね」  浪子は思わず吐息をつきつ。 「本当に、こんな病気になってしまって、おかあさまもさぞいやに思っていらッしゃいましょうねエ」  武男ははたと胸を衝きぬ。病める妻には、それといわねど、浪子が病みて地を転えしより、武男は帰京するごとに母の機嫌の次第に悪しく、伝染の恐れあればなるべく逗子には遠ざかれとまで戒められ、さまざまの壁訴訟の果ては昂じて実家の悪口となり、いささかなだめんとすれば妻をかばいて親に抗するたわけ者とののしらるることも、すでに一再に止まらざりけるなり。 「はははは、浪さんもいろいろな心配をするね。そんな事があるものかい。精出して養生して、来春はどうか暇を都合して、母さんと三人吉野の花見にでも行くさ──やアもうここまで来てしまッた。疲れたろう。そろそろ帰らなくもいいかい」  二人は浜尽きて山起こる所に立てるなり。 「不動まで行きましょう、ね──イイエちっとも疲れはしませんの。西洋まででも行けるわ」 「いいかい、それじゃそのショールをおやりな。岩がすべるよ、さ、しっかりつかまって」  武男は浪子をたすけ引きて、山の根の岩を伝える一条の細逕を、しばしば立ちどまりては憩いつつ、一丁あまり行きて、しゃらしゃら滝の下にいたりつ。滝の横手に小さき不動堂あり。松五六本、ひょろひょろと崖より秀でて、斜めに海をのぞけり。  武男は岩をはらい、ショールを敷きて浪子を憩わし、われも腰かけて、わが膝を抱きつ。「いい凪だね!」  海は実に凪げるなり。近午の空は天心にいたるまで蒼々と晴れて雲なく、一碧の海は所々練れるように白く光りて、見渡す限り目に立つ襞だにもなし。海も山も春日を浴びて悠々として眠れるなり。 「あなた!」 「何?」 「なおりましょうか」 「エ?」 「わたくしの病気」 「何をいうのかい。なおらずにどうする。なおるよ、きっとなおるよ」  浪子は良人の肩に倚りつ、「でもひょっとしたらなおらずにしまいはせんかと、そう時々思いますの。実母もこの病気で亡くなりましたし──」 「浪さん、なぜ今日に限ってそんな事をいうのかい。だいじょうぶなおる。なおると医師もいうじゃアないか。ねエ浪さん、そうじゃないか。そらア母さんはその病気で──か知らんが、浪さんはまだ二十にもならんじゃないか。それに初期だから、どんな事があったってなおるよ。ごらんな、それ内の親類の大河原、ね、あれは右の肺がなくなッて、医者が匙をなげてから、まだ十五年も生きてるじゃないか。ぜひなおるという精神がありさえすりアきっとなおる。なおらんというのは浪さんが僕を愛せんからだ。愛するならきっとなおるはずだ。なおらずにこれをどうするかい」  武男は浪子の左手をとりて、わが唇に当てつ。手には結婚の前、武男が贈りしダイヤモンド入りの指環燦然として輝けり。  二人はしばし黙して語らず。江の島の方より出で来たりし白帆一つ、海面をすべり行く。  浪子は涙に曇る目に微笑を帯びて「なおりますわ、きっとなおりますわ、──あああ、人間はなぜ死ぬのでしょう! 生きたいわ! 千年も万年も生きたいわ! 死ぬなら二人で! ねエ、二人で!」 「浪さんが亡くなれば、僕も生きちゃおらん!」 「本当? うれしい! ねエ、二人で!──でもおっ母さまがいらッしゃるし、お職分があるし、そう思っておいでなすッても自由にならないでしょう。その時はわたくしだけ先に行って待たなけりゃならないのですねエ──わたくしが死んだら時々は思い出してくださるの? エ? エ? あなた?」  武男は涙をふりはらいつつ、浪子の黒髪をかいなで「ああもうこんな話はよそうじゃないか。早く養生して、よくなッて、ねエ浪さん、二人で長生きして、金婚式をしようじゃないか」  浪子は良人の手をひしと両手に握りしめ、身を投げかけて、熱き涙をはらはらと武男が膝に落としつつ「死んでも、わたしはあなたの妻ですわ! だれがどうしたッて、病気したッて、死んだッて、未来の未来の後までわたしはあなたの妻ですわ!」 五の一  新橋停車場に浪子の病を聞きける時、千々岩の唇に上りし微笑は、解かんと欲して解き得ざりし難問の忽然としてその端緒を示せるに対して、まず揚がれる心の凱歌なりき。にくしと思う川島片岡両家の関鍵は実に浪子にありて、浪子のこの肺患は取りも直さず天特にわれ千々岩安彦のために復讎の機会を与うるもの、病は伝染致命の大患、武男は多く家にあらず、姑媳の間に軽々一片の言を放ち、一指を動かさずして破裂せしむるに何の子細かあるべき。事成らば、われは直ちに飛びのきて、あとは彼らが互いに手を負い負わし生き死に苦しむ活劇を見るべきのみ。千々岩は実にかく思いて、いささか不快の眉を開けるなり。  叔母の気質はよく知りつ。武男がわれに怒りしほど、叔母はわれに怒らざるもよく知りつ。叔母が常に武男を子供視して、むしろわれ──千々岩の年よりも世故に長けたる頭に依頼するの多きも、よく知りつ。そもそもまた親戚知己も多からず、人をしかり飛ばして内心には心細く覚ゆる叔母が、若夫婦にあきたらで味方ほしく思うをもよく知りつ。さればいまだ一兵を進めずしてその作戦計画の必ず成効すべきを測りしなり。  胸中すでに成竹ある千々岩は、さらに山木を語らいて、時々川島家に行きては、その模様を探らせ、かつは自己──千々岩はいたく悔悛覚悟せる由をほのめかしつ。浪子の病すでに二月に及びてはかばかしく治せず、叔母の機嫌のいよいよ悪しきを聞きし四月の末、武男はあらず、執事の田崎も家用を帯びて旅行せしすきをうかがい、一夜千々岩は不意に絶えて久しき川島家の門を入りぬ。あたかも叔母がひとり武男の書状を前に置きて、深く深く沈吟せるところに行きあわせつ。 五の二 「いや、一向捗がいきませんじゃ。金は使う、二月も三月もたったてようなるじゃなし、困ったものじゃて、のう安さん。──こういう時分にゃ頼もしか親類でもあって相談すっとこじゃが、武はあの通り子供──」 「そこでございますて、伯母様、実に小甥もこうしてのこのこ上がられるわけじゃないのですが、──御恩になった故叔父様や叔母様に対しても、また武男君に対しても、このまま黙って見ていられないのです。実にいわば川島家の一大事ですからね、顔をぬぐってまいったわけで──いや、叔母様、この肺病という病ばかりは恐ろしいもんですね、叔母様もいくらもご存じでしょう、妻の病気が夫に伝染して一家総だおれになるはよくある例です、わたくしも武男君の上が心配でなりませんて、叔母様から少し御注意なさらんと大事になりますよ」 「そうじゃて。わたしもそいが恐ろしかで、逗子に行くな行くなて、武にいうんじゃがの、やっぱい聞かんで、見なさい──」  手紙をとりて示しつつ「医者がどうの、やれ看護婦がどうしたの、──ばかが、妻の事ばかい」  千々岩はにやり笑いつ。「でも叔母様、それは無理ですよ、夫婦に仲のよすぎるということはないものです。病気であって見ると、武男君もいよいよこらそうあるべきじゃありませんか」 「それじゃてて、妻が病気すッから親に不孝をすッ法はなかもんじゃ」  千々岩は慨然として嘆息し「いや実に困った事ですな。せっかく武男君もいい細君ができて、叔母様もやっと御安心なさると、すぐこんな事になって──しかし川島家の存亡は実に今ですね──ところでお浪さんの実家からは何か挨拶がありましたでしょうな」 「挨拶、ふん、挨拶、あの横柄な継母が、ふんちっとばかい土産を持っての、言い訳ばかいの挨拶じゃ。加藤の内から二三度、来は来たがの──」  千々岩は再び大息しつ。「こんな時にゃ実家からちと気をきかすものですが、病人の娘を押し付けて、よくいられるですね。しかし利己主義が本尊の世の中ですからね、叔母様」 「そうとも」 「それはいいですが、心配なのは武男君の健康です。もしもの事があったらそれこそ川島家は破滅です、──そういううちにもいつ伝染しないとも限りませんよ。それだって、夫婦というと、まさか叔母様が籬をお結いなさるわけにも行きませんし──」 「そうじゃ」 「でも、このままになすっちゃ川島家の大事になりますし」 「そうとも」 「子供の言うようにするばかりが親の職分じゃなし、時々は子を泣かすが慈悲になることもありますし、それに若い者はいったん、思い込んだようでも少したつと案外気の変わるものですからね」 「そうじゃ」 「少しぐらいのかあいそうや気の毒は家の大事には換えられませんからね」 「おおそうじゃ」 「それに万一、子供でもできなさると、それこそ到底──」 「いや、そこじゃ」  膝乗り出して、がっくりと一つうなずける叔母のようすを見るより、千々岩は心の膝をうちて、翻然として話を転じつ。彼はその注ぎ込みし薬の見る見る回るを認めしのみならず、叔母の心田もとすでに一種子の落ちたるありて、いまだ左右の顧慮におおわれいるも、その土を破りて芽ぐみ長じ花さき実るにいたるはただ時日の問題にして、その時日も勢いはなはだ長からざるべきを悟りしなりき。  その真質において悪人ならぬ武男が母は、浪子を愛せぬまでもにくめるにはあらざりき。浪子が家風、教育の異なるにかかわらず、なるべくおのれを棄てて姑に調和せんとするをば、さすがに母も知り、あまつさえそのある点において趣味をわれと同じゅうせるを感じて、口にしかれど心にはわが花嫁のころはとてもあれほどに届かざりしとひそかに思えることもありき。さりながら浪子がほとんど一月にわたるぶらぶら病のあと、いよいよ肺結核の忌まわしき名をつけられて、眼前に喀血の恐ろしきを見るに及び、なおその病の少なからぬ費用をかけ時日を費やしてはかばかしき快復を見ざるを見るに及び、失望といわんか嫌厭と名づけんか自ら分つあたわざるある一念の心底に生え出でたるを覚えつ。彼を思い出で、これを思いやりつつ、一種不快なる感情の胸中に醞醸するに従って、武男が母は上うちおおいたる顧慮の一塊一塊融け去りてかの一念の驚くべき勢いもて日々長じ来たるを覚えしなり。  千々岩は分明に叔母が心の逕路をたどりて、これよりおりおり足を運びては、たださりげなく微雨軽風の両三点を放って、その顧慮をゆるめ、その萌芽をつちかいつつ、局面の近くに発展せん時を待ちぬ。そのおりおり武男の留守をうかがいて川島家に往来することのおぼろにほかに漏れしころは、千々岩はすでにその所作の大要をおえて、早くも舞台より足を抜きつつ、かの山木に向かい近きに起こるべき活劇の予告をなして、あらかじめ祝杯をあげけるなり。 六の一  五月初旬、武男はその乗り組める艦のまさに呉より佐世保におもむき、それより函館付近に行なわるべき連合艦隊の演習に列せんため引きかえして北航するはずなれば、かれこれ四五十日がほどは帰省の機会を得ざるべく、しばしの告別かたがた、一夜帰京して母の機嫌を伺いたり。  近ごろはとかく奥歯に物のはさまりしように、いつ帰りても機嫌よからぬ母の、今夜は珍しくにこにこ顔を見せて、風呂を焚かせ、武男が好物の薩摩汁など自ら手をおろさぬばかり肝いりてすすめつ。元来あまり細かき事には気をとめぬ武男も、ようすのいつになくあらたまれるを不思議──とは思いしが、何歳になってもかあいがられてうれしからぬ子はなきに、父に別れてよりひとしお母なつかしき武男、母の機嫌の直れるに心うれしく、快く夜食の箸をとりしあとは、湯に入りてはらはら降り出せし雨の音を聞きつつ、この上の欲には浪子が早く全快してここにわが帰りを待っているようにならばなど今日立ち寄りて来し逗子の様子思い浮かべながら、陶然とよき心地になりて浴を出で、使女が被る平生服を無造作に引きかけて、葉巻握りし右手の甲に額をこすりながら、母が八畳の居間に入り来たりぬ。  小間使いに肩揉らして、羅宇の長き煙管にて国分をくゆらしいたる母は目をあげ「おお早上がって来たな。ほほほほほ、おとっさまがちょうどそうじゃったが──そ、その座ぶとんにすわッがいい。──松、和女郎はもうよかで、茶を入れて来なさい」と自ら立って茶棚より菓子鉢を取り出でつ。 「まるでお客様ですな」  武男は葉巻を一吸い吸いて碧き煙を吹きつつ、うちほほえむ。 「武どん、よう帰ったもった。──実はその、ちっと相談もあるし、是非帰ってもらおうと思ってた所じゃった。まあ帰ってくれたで、いい都合ッごあした。逗子──寄って来つろの?」  逗子はしげく往来するを母のきらうはよく知れど、まさかに見え透いたるうそも言いかねて、 「はあ、ちょっと寄って来ました。──大分血色も直りかけたようです。母さんに済まないッて、ひどく心配していましたッけ」 「そうかい」  母はしげしげ武男の顔をみつめつ。  おりから小間使いの茶道具を持て来しを母は引き取り、 「松、御身はあっち行っていなさい。そ、その襖をちゃんとしめて──」 六の二  手ずから茶をくみて武男にすすめ、われも飲みて、やおら煙管をとりあげつ。母はおもむろに口を開きぬ。 「なあ武どん、わたしももう大分弱いましたよ。去年のリュウマチでがっつり弱い申した。昨日お墓まいりしたばかいで、まだ肩腰が痛んでな。年が寄ると何かと心細うなッて困いますよ──武どん、卿からだを大事にしての、病気をせん様してくれんとないませんぞ」  葉巻の灰をほとほと火鉢の縁にはたきつつ、武男はでっぷりと肥えたれどさすがに争われぬ年波の寄る母の額を仰ぎ「私は始終外にいますし、何もかも母さんが総理大臣ですからな──浪でも達者ですといいですが。あれも早くよくなって母さんのお肩を休めたいッてそういつも言ってます」 「さあ、そう思っとるじゃろうが、病気が病気でな」 「でも、大分快方になりましたよ。だんだん暖かくはなるし、とにかく若い者ですからな」 「さあ、病気が病気じゃから、よく行けばええがの、武どん──医師の話じゃったが、浪どんの母御も、やっぱい肺病で亡くなッてじゃないかの?」 「はあ、そんなことをいッてましたがね、しかし──」 「この病気は親から子に伝わッてじゃないかい?」 「はあ、そんな事を言いますが、しかし浪のは全く感冒から引き起こしたンですからね。なあに、母さん用心次第です、伝染の、遺伝のいうですが、実際そういうほどでもないですよ。現に浪のおとっさんもあんな健康な方ですし、浪の妹──はああのお駒さんです──あれも肺のはの字もないくらいです。人間は医師のいうほど弱いものじゃありません、ははははは」 「いいえ、笑い事じゃあいません」と母はほとほと煙管をはたきながら 「病気のなかでもこの病気ばかいは恐ろしいもンでな、武どん。卿も知っとるはずじゃが、あの知事の東郷、な、卿がよくけんかをしたあの児の母御な、どうかい、あの母が肺病で死んでの、一昨年の四月じゃったが、その年の暮れに、どうかい、東郷さんもやっぱい肺病で死んで、ええかい、それからあの息子さん──どこかの技師をしとったそうじゃがの──もやっぱい肺病でこのあいだ亡くなッた、な。みいな母御のがうつッたのじゃ。まだこんな話が幾つもあいます。そいでわたしはの、武どん、この病気ばかいは油断がならん、油断をすれば大事じゃと思うッがの」  母は煙管をさしおきて、少し膝をすすめ、黙して聞きおれる武男の横顔をのぞきつつ 「実はの、わたしもこの間から相談したいしたい思っ居い申したが──」  少し言いよどんで、武男の顔しげしげとみつめ、 「浪じゃがの──」 「はあ?」  武男は顔をあげたり。 「浪を──引き取ってもろちゃどうじゃろの?」 「引き取る? どう引き取るのですか」  母は武男の顔より目をはなさず、「実家によ」 「実家に? 実家で養生さすのですか」 「養生もしようがの、とにかく引き取って──」 「養生には逗子がいいですよ。実家では子供もいますし、実家で養生さすくらいなら此家の方がよっぽどましですからね」  冷たくなりし茶をすすりつつ、母は少し震い声に「武どん、卿酔っちゃいまいの、わかんふりするのかい?」じっとわが子の顔みつめ「わたしがいうのはな、浪を──実家に戻すのじゃ」 「戻す? ……戻す? ──離縁ですな‼」 「こーれ、声が高かじゃなッか、武どん」うちふるう武男をじっと見て 「離縁、そうじゃ、まあ離縁よ」 「離縁! 離縁‼──なぜですか」 「なぜ? さっきからいう通り、病気が病気じゃからの」 「肺病だから……離縁するとおっしゃるのですな? 浪を離縁すると?」 「そうよ、かあいそうじゃがの──」 「離縁!!!」  武男の手よりすべり落ちたる葉巻は火鉢に落ちておびただしくうち煙りぬ。一燈じじと燃えて、夜の雨はらはらと窓をうつ。 六の三  母はしきりに烟る葉巻を灰に葬りつつ、少し乗り出して 「なあ、武どん、あんまいふいじゃから卿もびっくいするなもっともっごあすがの、わたしはもうこれまで幾夜も幾晩も考えた上の話じゃ、そんつもいで聞いてたもらんといけませんぞ。  そらアもう浪にはわたしも別にこいという不足はなし、卿も気に入っとっこっじゃから、何もこちの好きで離縁のし申すじゃごあはんがの、何を言うても病気が病気──」 「病気は快方に向いてるです」武男は口早に言いて、きっと母親の顔を仰ぎたり。 「まあわたしの言うことを聞きなさい。──それは目下の所じゃわるくないかもしらんがの、わたしはよウく医師から聞いたが、この病気ばかいは一時よかってもまたわるくなる、暑さ寒さですぐまた起こるもんじゃ、肺結核でようなッた人はまあ一人もない、お医者がそう言い申すじゃての。よし浪が今死なんにしたとこが、そのうちまたきっとわるくなッはうけあいじゃ。そのうちにはきっと卿に伝染すッなこらうけあいじゃ、なあ武どん。卿にうつる、子供が出来る、子供にうつる、浪ばかいじゃない、大事な主人の卿も、の、大事な家嫡の子供も、肺病持ちなッて、死んでしもうて見なさい、川島家はつぶれじゃなッかい。ええかい、卿がおとっさまの丹精で、せっかくこれまでになッて、天子様からお直々に取り立ててくださったこの川島家も卿の代でつぶれッしまいますぞ。──そいは、も、浪もかあいそう、卿もなかなかきつか、わたしも親でおってこういう事言い出すなおもしろくない、つらいがの、何をいうても病気が病気じゃ、浪がかあいそうじゃて主人の卿にゃ代えられン、川島家にも代えられン。よウく分別のして、ここは一つ思い切ってたもらんとないませんぞ」  黙然と聞きいる武男が心には、今日見舞い来し病妻の顔ありありと浮かみつ。 「母さん、私はそんな事はできないです」 「なっぜ?」母はやや声高になりぬ。 「母さん、今そんな事をしたら、浪は死にます!」 「そいは死ぬかもしれン、じゃが、武どん、わたしは卿の命が惜しい、川島家が惜しいのじゃ!」 「母さん、そうわたしを大事になさるなら、どうかわたしの心をくんでください。こんな事を言うのは異なようですが、実際わたしにはそんな事はどうしてもできないです。まだ慣れないものですから、それはいろいろ届かぬ所はあるですが、しかし母さんを大事にして、私にもよくしてくれる、実に罪も何もないあれを病気したからッて離別するなんぞ、どうしても私はできないです。肺病だッてなおらん事はありますまい、現になおりかけとるです。もしまたなおらずに、どうしても死ぬなら、母さん、どうか私の妻で死なしてください。病気が危険なら往来も絶つです、用心もするです。それは母さんの御安心なさるようにするです。でも離別だけはどうあッても私はできないです!」 「へへへへ、武男、卿は浪の事ばッかいいうがの、自分は死んでもかまわンか、川島家はつぶしてもええかい?」 「母さんはわたしのからだばッかりおっしゃるが、そんな不人情な不義理な事して長生きしたッてどうしますか。人情にそむいて、義理を欠いて、決して家のためにいい事はありません。決して川島家の名誉でも光栄でもないです。どうでも離別はできません、断じてできないです」  難関あるべしとは期しながら思いしよりもはげしき抵抗に出会いし母は、例の癇癖のむらむらと胸先にこみあげて、額のあたり筋立ち、こめかみ顫き、煙管持つ手のわなわなと震わるるを、ようよう押ししずめて、わずかに笑を装いつ。 「そ、そうせき込まんでも、まあ静かに考えて見なさい。卿はまだ年が若かで、世間を知ンなさらンがの、よくいうわ、それ、小の虫を殺しても大の虫は助けろじゃ。なあ。浪は小の虫、卿──川島家は大の虫じゃ、の。それは先方も気の毒、浪もかあいそうなよなものじゃが、病気すっがわるかじゃなッか。何と思われたて、川島家が断絶するよかまだええじゃなッか、なあ。それに不義理の不人情の言いなはるが、こんな例は世間に幾らもあります。家風に合わンと離縁する、子供がなかと離縁する、悪い病気があっと離縁する。これが世間の法、なあ武どん。何の不義理な事も不人情な事もないもんじゃ。全体こんな病気のした時ゃの、嫁の実家から引き取ってええはずじゃ。先方からいわンからこつちで言い出すが、何のわるか事恥ずかしか事があッもンか」 「母さんは世間世間とおっしゃるが、何も世間が悪い事をするから自分も悪い事をしていいという法はありません。病気すると離別するなんか昔の事です。もしまたそれが今の世間の法なら、今の世間は打ちこわしていい、打ちこわさなけりゃならんです。母さんはこっちの事ばっかりおっしゃるが、片岡の家だッてせっかく嫁にやった者が病気になったからッて戻されていい気持ちがしますか。浪だってどの顔さげて帰られますか。ひょっとこれがさかさまで、わたしが肺病で、浪の実家から肺病は険呑だからッて浪を取り戻したら、母さんいい心地がしますか。同じ事です」 「いいえ、そいは違う。男と女とはまた違うじゃなッか」 「同じ事です。情理からいって、同じ事です。わたしからそんな事をいっちゃおかしいようですが、浪もやっと喀血がとまって少し快方に向いたかという時じゃありませんか、今そんな事をするのは実に血を吐かすようなものです。浪は死んでしまいます。きっと死ぬです。他人だッてそんな事はできンです、母さんはわたしに浪を殺せ……とおっしゃるのですか」  武男は思わず熱き涙をはらはらと畳に落としつ。 六の四  母はつと立ち上がって、仏壇より一つの位牌を取りおろし、座に帰って、武男の眼前に押しすえつ。 「武男、卿はな、女親じゃからッてわたしを何とも思わんな。さ、おとっさまの前で今一度言って見なさい、さ言って見なさい。御先祖代々のお位牌も見ておいでじゃ。さ、今一度言って見なさい、不孝者めが‼」  きっと武男をにらみて、続けざまに煙管もて火鉢の縁打ちたたきぬ。  さすがに武男も少し気色ばみて「なぜ不孝です?」 「なぜ? なぜもあッもンか。妻の肩ばッかい持って親のいう事は聞かんやつ、不孝者じゃなッか。親が育てたからだを粗略にして、御先祖代々の家をつぶすやつは不孝者じゃなッか。不孝者、武男、卿は不孝者、大不孝者じゃと」 「しかし人情──」 「まだ義理人情をいうッか。卿は親よか妻が大事なッか。たわけめが。何いうと、妻、妻、妻ばかいいう、親をどうすッか。何をしても浪ばッかいいう。不孝者めが。勘当すッど」  武男は唇をかみて熱涙を絞りつつ「母さん、それはあんまりです」 「何があんまいだ」 「私は決してそんな粗略な心は決して持っちゃいないです。母さんにその心が届きませんか」 「そいならわたしがいう事をなぜきかぬ? エ? なぜ浪を離縁せンッか」 「しかしそれは」 「しかしもねもンじゃ。さ、武男、妻が大事か、親が大事か。エ? 家が大事? 浪が──? ──エエばかめ」 「はっしと火鉢をうちたる勢いに、煙管の羅宇はぽっきと折れ、雁首は空を飛んではたと襖を破りぬ。途端に「はッ」と襖のあなたに片唾をのむ人の気はいせしが、やがて震い声に「御免──遊ばせ」 「だれ? ──何じゃ?」 「あの! 電報が……」  襖開き、武男が電報をとりて見、小間使いが女主人の一睨に会いて半ば消え入りつつそこそこに去りしまで、わずか二分ばかりの間──ながら、この瞬間に二人が間の熱やや下りて、しばらくは母子ともに黙然と相対しつ。雨はまたひとしきり滝のように降りそそぐ。  母はようやく口を開きぬ。目にはまだ怒りのひらめけども、語はどこやらに湿りを帯びたり。 「なあ、武どん。わたしがこういうも、何も卿のためわるかごとすっじゃなかからの。わたしにゃたッた一人の卿じゃ。卿に出世をさせて、丈夫な孫抱えて見たかばかいがわたしの楽しみじゃからの」  黙然と考え入りし武男はわずかに頭を上げつ。 「母さん、とにかく私も」電報を示しつつ「この通り出発が急になッて、明日はおそくも帰艦せにゃならんです。一月ぐらいすると帰って来ます。それまではどうかだれにも今夜の話は黙っていてください。どんな事があっても、私が帰って来るまでは、待っていてください」        *  あくる日武男はさらに母の保証をとり、さらに主治医を訪いて、ねんごろに浪子の上を託し、午後の汽車にて逗子におりつ。  汽車を下れば、日落ちて五日の月薄紫の空にかかりぬ。野川の橋を渡りて、一路の沙はほのぐらき松の林に入りつ。林をうがちて、桔槹の黒く夕空にそびゆるを望める時、思いがけなき爪音聞こゆ。「ああ琴をひいている……」と思えば心の臓をむしらるる心地して、武男はしばし門外に涙をぬぐいぬ。今日は常よりも快かりしとて、浪子は良人を待ちがてに絶えて久しき琴取り出でて奏でしなりき。  顔色の常ならぬをいぶかられて、武男はただ夜ふかししゆえとのみ言い紛らしつ。約あれば待ちて居し晩餐の卓に、浪子は良人と対いしが、二人ともに食すすまず。浪子は心細さをさびしき笑に紛らして、手ずから良人のコートのボタンゆるめるをつけ直し、ブラシもて丁寧にはらいなどするうちに、終列車の時刻迫れば、今はやむなく立ち上がる武男の手にすがりて 「あなた、もういらッしゃるの?」 「すぐ帰ってくる。浪さんも注意して、よくなッていなさい」  互いにしっかと手を握りつ。玄関に出づれば、姥のいくは靴を直し、僕の茂平は停車場まで送るとて手かばんを左手に、月はあれど提燈ともして待ちたり。 「それじゃばあや、奥様を頼んだぞ。──浪さん、行って来るよ」 「早く帰ってちょうだいな」  うなずきて、武男は僕が照らせる提燈の光を踏みつつ門を出でて十数歩、ふりかえり見れば、浪子は白き肩掛けを打ちきて、いくと門にたたずみ、ハンケチを打ちふりつつ「あなた、早く帰ってちょうだいな」 「すぐ帰って来る。──浪さん、夜気にうたれるといかん、早くはいンなさい!」  されど、二度三度ふりかえりし時は、白き姿の朦朧として見えたりしが、やがて路はめぐりてその姿も見えずなりぬ。ただ三たび 「早く帰ってちょうだいな」  という声のあとを慕うてむせび来るのみ。顧みれば片破月の影冷ややかに松にかかれり。 七の一 「お帰り」の前触れ勇ましく、先刻玄関先に二人びきをおりし山木は、早湯に入りて、早咲きの花菖蒲の活けられし床を後ろに、ふうわりとした座ぶとんにあぐらをかきて、さあこれからがようようこっちのからだになりしという風情。欲には酌人がちと無意気と思い貌に、しかし愉快らしく、妻のお隅の顔じろりと見て、まず三四杯傾くるところに、婢が持て来し新聞の号外ランプの光にてらし見つ。 「うう朝鮮か……東学党ますます猖獗……なに清国が出兵したと……。さあ大分おもしろくなッて来たぞ。これで我邦も出兵する──戦争になる──さあもうかるぜ。お隅、前祝いだ、卿も一つ飲め」 「あんた、ほんまに戦争になりますやろか」 「なるとも。愉快、愉快、実に愉快。──愉快といや、なあお隅、今日ちょっと千々岩に会ったがの、例の一条も大分捗が行きそうだて」 「まあ、そうかいな。若旦那が納得しやはったのかいな」 「なあに、武男さんはまだ帰って来ないから、相談も納得もありゃしないが、お浪さんがまた血を喀いたンだ。ところで御隠居ももうだめだ、武男が帰らんうちに断行するといっているそうだ。も一度千々岩につッついてもらえば、大丈夫できる。武男さんが帰りゃなかなか断行もむずかしいからね、そこで帰らんうちにすっかり処置をつけてしまおうと御隠居も思っとるのだて。もうそうなりゃアこっちのものだ。──さ、御台所、お酌だ」 「お浪はんもかあいそうやな」 「お前もよっぽど変ちきな女だ。お豊がかあいそうだからお浪さんを退いてもらおうというかと思えば、もうできそうになると今度アお浪さんがかあいそう! そんなばかな事は中止として、今度はお豊を後釜に据える計略が肝心だ」 「でもあんた、留守にお浪はんを離縁して、武男はん──若旦那が承知しなはろまいがな、なああんた──」 「さあ、武男さんが帰ったら怒るだろうが、離縁してしまッて置けば、帰って来てどう怒ってもしようがない。それに武男さんは親孝行だから、御隠居が泣いて見せなさりア、まあ泣き寝入りだな。そっちはそれでよいとして、さて肝心要のお豊姫の一条だが、とにかく武男さんの火の手が少ししずまってから、食糧つきの行儀見習いとでもいう口実で、無理に押しかけるだな。なあに、むずかしいようでもやすいものさ。御隠居の機嫌さえとりアできるこった。お豊がいよいよ川島男爵夫人になりア、彼女は恋がかなうというものだし、おれはさしより舅役で、武男さんはあんな坊ちゃんだから、川島家の財産はまずおれが扱ってやらなけりゃならん。すこぶる妙──いや妙な役を受け持って、迷惑じゃが、それはまあ仕方がないとして、さてお豊だがな」 「あんた、もう御飯になはれな」 「まあいいさ。取るとやるの前祝いだ。──ところでお豊だがの、卿もっと躾をせんと困るぜ。あの通り毎日駄々をこねてばかりいちゃ、先方行ってからが実際思われるぞ。観音様が姑だッて、ああじゃ愛想をつかすぜ」 「それじゃてて、あんた、躾はわたしばかいじゃでけまへんがな。いつでもあんたは──」 「おっとその言い訳が拙者大きらいでござるて。はははははは。論より証拠、おれが躾をして見せる。さ、お豊をここに呼びなさい」 七の二 「お嬢様、お奥でちょいといらッしゃいましッて」  と小間使いの竹が襖を明けて呼ぶ声に、今しも夕化粧を終えてまだ鏡の前を立ち去り兼ねしお豊は、悠々とふりかえり 「あいよ。今行くよ。──ねエ竹や、ここンとこが」  と鬢をかいなでつつ「ちっとそそけちゃいないこと?」 「いいえ、ちっともそそけてはいませんよ。おほほほほ。お化粧がよくできましたこと! ほほほほッ。ほれぼれいたしますよ」 「いやだよ、お世辞なんぞいッてさ」言いながらまた鏡をのぞいてにこりと笑う。  竹は口打ちおおいし袂をとりて、片唾を飲みつつ、 「お嬢様、お待ち兼ねでございますよ」 「いいよ、今行くよ」  ようやく思い切りし体にて鏡の前を離れつつ、ちょこちょこ走りに幾間か通りて、父の居間に入り行きたり。 「おお、お豊か。待っていた。ここへ来な来な。さ母さんに代わって酌でもしなさい。おっと乱暴な銚子の置き方をするぜ。茶の湯生け花のけいこまでした令嬢にゃ似合わンぞ。そうだそうだそう山形に置くものだ」  はや陶然と色づきし山木は、妻の留むるをさらに幾杯か重ねつつ「なあお隅、お豊がこう化粧した所は随分別嬪だな。色は白し──姿はよし。内じゃそうもないが、外に出りゃちょいとお世辞もよし。惜しい事には母さんに肖て少し反歯だが──」 「あんた!」 「目じりをもう三分上げると女っぷりが上がるがな──」 「あんた!」 「こら、お豊何をふくれるのだ? ふくれると嬢っぷりが下がるぞ。何もそう不景気な顔をせんでもいい、なあお豊。卿がうれしがる話があるのだ。さあ話賃に一杯注げ注げ」  なみなみと注がせし猪口を一息にあおりつつ、 「なあお豊、今も母さんと話したことだが、卿も知っとるが、武男さんの事だがの──」  むなしき槽櫪の間に不平臥したる馬の春草の香しきを聞けるごとく、お豊はふっと頭をもたげて両耳を引っ立てつ。 「卿が写真を引っかいたりしたもんだからとうとう浪子さんも祟られて──」 「あんた!」お隅夫人は三たび眉をひそめつ。 「これから本題に入るのだ。とにかく浪子さんが病気が悪い、というンで、まあ離縁になるのだ。いいや、まだ先方に談判はせん、浪子さんも知らんそうじゃが、とにかく近いうちにそうなりそうなのだ。ところでそっちの処置がついたら、そろそろ後釜の売りつけ──いやここだて、おれも母さんも卿をな、まあお浪さんのあとに入れたいと思っているのだ。いや、そうすぐ──というわけにも行くまいから、まあ卿を小間使い、これさ、そうびっくりせんでもいいわ、まあ候補生のつもりで、行儀見習いという名義で、川島家に入り込ますのだ。──御隠居に頼んで、ないいかい、ここだて──」  一息つきて、山木は妻と娘の顔をかれよりこれと見やりつ。 「ここだて、なお豊。少し早いようだが──いって聞かして置く事があるがの。卿も知っとる通り、あの武男さんの母さん──御隠居は、評判の癇癪持ちの、わがまま者の、頑固の──おっと卿が母さんを悪口しちゃ済まんがの──とにかくここにすわっておいでのこの母さんのように──やさしくない人だて。しかし鬼でもない、蛇でもない、やっぱり人間じゃ。その呼吸さえ飲み込むと、鬼の媳でも蛇の女房にでもなれるものじゃ。なあに、あの隠居ぐらい、おれが女なら二日もそばへいりゃ豆腐のようにして見せる。──と自慢した所で、仕方ないが、実際あんな老人でも扱いようじゃ何でもないて。ところで、いいかい、お豊、卿がいよいよ先方へ、まあ小間使い兼細君候補生として入り込む時になると、第一今のようになまけていちゃならん、朝も早く起きて──老人は目が早くさめるものじゃ──ほかの事はどうでもいいとして、御隠居の用をよく達すのだ。いいかい。第二にはだ、今のように何といえばすぐふくれるようじゃいけない、何でもかでも負けるのだ。いいかい。しかられても負ける、無理をいわれても負ける、こっちがよけりゃなお負ける、な。そうすると先方で折れて来る、な、ここがよくいう負けて勝つのだ。決して腹を立っちゃいかん、よしか。それから第三にはだ、──これは少し早過ぎるが、ついでだからいっとくがの、無事に婚礼が済んだッて、いいかい、決して武男さんと仲がよすぎちゃいけない。何さ、内々はどうでもいいが、表面の所をよく注意しなけりゃいけんぜ。姑御にはなれなれしくさ、なるたけ近くして、婿殿にゃ姑の前で毒にならんくらいの小悪口もつくくらいでなけりゃならぬ。おかしいもンで、わが子の妻だから夫婦仲がいいとうれしがりそうなもんじゃが、実際あまりいいと姑の方ではおもしろく思わぬ。まあ一種の嫉妬──わがままだな。でなくも、あまり夫婦仲がいいと、自然姑の方が疎略になる──と、まあ姑の方では思うだな。浪子さんも一つはそこでやりそこなったかもしれぬ。仲がよすぎての──おッと、そう角が生えそうな顔しちゃいけない、なあお豊、今いった負けるのはそこじゃぞ。ところで、いいかい、なるたけ注意して、この女は真にわたしの媳だ、子息の妻じゃない、というように姑に感じさせなけりゃならん。姑媳のけんかは大抵この若夫婦の仲がよすぎて、姑に孤立の感を起こさすから起こるのが多いて。いいかい、卿は御隠居の媳だ、とそう思っていなけりゃならん。なあに御隠居が追っつけめでたくなったあとじゃ、武男さんの首ッ玉にかじりついて、ぶら下がッてあるいてもかまわンさ。しかし姑の前では、決して武男さんに横目でもつかっちゃならんぞ。まだあるが、それはいざ乗り込みの時にいって聞かす。この三か条はなかなか面倒じゃが、しかし卿も恋しい武男さんの奥方になろうというンじゃないか、辛抱が大事じゃぞ。明日といわずと今夜からそのけいこを始めるのだ」  言葉のうちに、襖開きて、小間使いの竹「御返事がいるそうでございます」  と一封の女筆の手紙を差し出しぬ。  封をひらきてすうと目を通したる山木は、手紙を妻と娘の目さきにひけらかしつつ 「どうだ、川島の御隠居からすぐ来てくれは!」 七の三  武男が艦隊演習におもむける二週の後、川島家より手紙して山木を招ける数日前、逗子に療養せる浪子はまた喀血して、急に医師を招きつ。幸いにして喀血は一回にしてやみ、医師は当分事なかるべきを保証せしが、この報は少なからぬ刺激を武男が母に与えぬ。間両三日を置きて、門を出づることまれなる川島未亡人の尨大なる体は、飯田町なる加藤家の門を入りたり。  離婚問題の母子の間に争われつるかの夜、武男が辞色の思うにましてはげしかりしを見たる母は、さすがにその請いに任せて彼が帰り来るまでは黙止すべき約をばなしつれど、よしそれまでまてばとて武男が心は容易に移すべくもあらずして、かえって時たつほど彼の愛着のきずなはいよいよ絶ち難かるべく、かつ思いも寄らぬ障礙の出で来たるべきを思いしなり。さればその子のいまだ帰らざるに乗じて、早く処置をつけ置くのむしろ得策なるを思いしが、さりとてさすがにかの言質もありこの顧慮もまたなきにあらずして、その心はありながら、いまだ時々来てはあおる千々岩を満足さすほどの果断なる処置をばなさざるなり。浪子が再度喀血の報を聞くに及びて、母は決然としてかつて媒妁をなしし加藤家を訪いたるなり。  番町と飯田町といわば目と鼻の間に棲みながら、いつなりしか媒妁の礼に来しよりほとんど顔を見せざりし川島未亡人が突然来訪せし事の尋常にあらざるべきを思いつつ、ねんごろに客間に請ぜし加藤夫人もその話の要件を聞くよりはたと胸をつきぬ。そのかつて片岡川島両家を結びたる手もて、今やそのつなげる糸を絶ちくれよとは!  いかなる顔のいかなる口あればさる事は言わるるかと、加藤夫人は今さらのように客のようすを打ちながめぬ。見ればいつにかわらぬ肥満の体格、太き両手を膝の上に組みて、膚たゆまず、目まじろがず、口を漏るる薩弁の淀みもやらぬは、戯れにあらず、狂気せしにもあらで、まさしく分別の上と思えば、驚きはまた胸を衝く憤りにかわりつ。あまり勝手な言条と、罵倒せんずる言のすでに咽もとまで出でけるを、実の娘とも思う浪子が一生の浮沈の境と、わずかに飲み込みて、まず問いつ、また説きつ、なだめもし、請いもしつれど、わが事をのみ言い募る先方の耳にはすこしも入らで、かえってそれは入らぬ繰り言、こっちの話を浪の実家に伝えてもらえば要は済むというふうの明らかに見ゆれば、話聞く聞く病める姪の顔、亡き妹──浪子の実母──の臨終、浪子が父中将の傷心、など胸のうちにあらわれ来たり乱れ去りて、情けなく腹立たしき涙のわれ知らず催し来たれる夫人はきっと容をあらため、当家においては御両家の結縁のためにこそ御加勢もいたしつれ、さる不義非情の御加勢は決してできぬこと、良人に相談するまでもなくその義は堅くお断わり、ときっぱりとはねつけつ。  忿然として加藤の門を出でたる武男が母は、即夜手紙して山木を招きつ。(篤実なる田崎にてはらち明かずと思えるなり)。おりもおりとて主人の留守に、かつはまどい、かつは怒り、かつは悲しめる加藤子爵夫人と千鶴子と心を三方に砕きつつ、母はさ言えどいかにも武男の素意にあるまじと思うより、その乗艦の所在を糺して至急の報を発せる間に、いらちにいらちし武男が母は早直接談判と心を決して、その使節を命ぜられたる山木の車はすでに片岡家の門にかかりしなり。 八の一  山木が車赤坂氷川町なる片岡中将の門を入れる時、あたかも英姿颯爽たる一将軍の栗毛の馬にまたがりつつ出で来たれるが、車の駆け込みし響にふと驚きて、馬は竿立ちになるを、馬上の将軍は馬丁をわずらわすまでもなく、韁を絞りて容易に乗り静めつつ、一回圏を画きて、戞々と歩ませ去りぬ。  みごとの武者ぶりを見送りて、声づくろいしていかめしき中将の玄関にかかれる山木は、幾多の権門をくぐりなれたる身の、常にはあるまじく胆落つるを覚えつ。昨夜川島家に呼ばれて、その使命を託されし時も、頭をかきつるが、今現にこの場に臨みては彼は実に大なりと誇れる胆のなお小にして、その面皮のいまだ十分に厚からざるを憾みしなり。  名刺一たび入り、書生二たび出でて、山木は応接間に導かれつ。テーブルの上には清韓の地図一葉広げられたるが、まだ清めもやらぬ火皿のマッチ巻莨のからとともに、先座の話をほぼ想わしむ。げにも東学党の乱、清国出兵の報、わが出兵のうわさ、相ついで海内の注意一に朝鮮問題に集まれる今日このごろは、主人中将も予備にこそおれおのずから事多くして、またかの英文読本を手にするの暇あるべくも思われず。  山木が椅子に倚りて、ぎょろぎょろあたりをながめおる時、遠雷の鳴るがごとき足音次第に近づきて、やがて小山のごとき人はゆるやかに入りて主位につきぬ。山木は中将と見るよりあわてて起てる拍子に、わがかけて居し椅子をば後ろざまにどうと蹴倒しつ。「あっ、これは疎匇を」と叫びつつ、あわてて引き起こし、しかる後二つ三つ四つ続けざまに主人に向かいて叮重に辞儀をなしぬ。今の疎忽のわびも交れるなるべし。 「さあ、どうかおかけください。あなたが山木君──お名は承知しちょったですが」 「はッ。これは初めまして……手前は山木兵造と申す不調法者で(句ごとに辞儀しつ、辞儀するごとに椅子はききときしりぬ、仰せのごとくと笑えるように)……どうか今後ともごひいきを……」  避け得られぬ閑話の両三句、朝鮮のうわさの三両句──しかる後中将は言をあらためて、山木に来意を問いつ。  山木は口を開かんとしてまず片唾をのみ、片唾をのみてまた片唾をのみ、三たび口を開かんとしてまた片唾をのみぬ。彼はつねに誇るその流滑自在なる舌の今日に限りてひたと渋るを怪しめるなり。 八の二  山木はわずかに口を開き、 「実は今日は川島家の御名代でまかりいでましたので」  思いがけずといわんがごとく、主人の中将はその体格に似合わぬ細き目を山木が面に注ぎつ。 「はあ?」 「実は川島の御隠居がおいでになるところでございますが──まあ私がまかりいでました次第で」 「なるほど」  山木はしきりににじみ出づる額の汗押しぬぐいて「実は加藤様からお話を願いたいと存じましたンでございますが、少し都合もございまして──私がまかりいでました次第で」 「なるほど。で御要は?」 「その要と申しますのは、──申し兼ねますが、その実は川島家の奥様浪子様──」  主人中将の目はまばたきもせずしばし話者の面を打ちまもりぬ。 「はあ?」 「その、浪子様でございますが、どうもかような事は実もって申し上げにくいお話でございますが、御承知どおりあの御病気につきましては、手前ども──川島でも、よほど心配をいたしまして、近ごろでは少しはお快い方ではございますが──まあおめでとうございますが──」 「なるほど」 「手前どもから、かような事は誠に申し上げられぬのでございますが、はなはだ勝手がましい申し条でございますが、実は御病気がらではございますし──御承知どおり川島の方でも家族と申しましても別にございませんし、男子と申してはまず当主の武男──様だけでございますンで、実は御隠居もよほど心配もいたしておりまして、どうも実もって申しにくい──いかにも身勝手な話でございますが、御病気が御病気で、その、万一伝染──まあそんな事もめったにございますまいが──しかしどちかと申しますとやはりその、その恐れもないではございませンので、その、万一武男──川島の主人に異変でもございますと、まあ川島家も断絶と申すわけで、その断絶いたしてもよろしいようなものでございますが、何分にもその、実もってどうもその、誠に済みませんがその、そこの所をその、御病気が御病気──」  言いよどみ言いそそくれて一句一句に額より汗を流せる山木が顔うちまもりて黙念と聞きいたる主人中将は、この時右手をあげ、 「よろしい。わかいました。つまり浪が病気が険呑じゃから、引き取ってくれと、おっしゃるのじゃな。よろしい。わかいました」  うなずきて、手もと近く燃えさがれる葉巻をテーブルの上なる灰皿にさし置きつつ、腕を組みぬ。  山木は踏み込めるぬかるみより手をとりて引き出されしように、ほっと息つきて、額上の汗をぬぐいつ。 「さようでございます。実もって申し上げにくい事でございますが、その、どうかそこの所をあしからず──」 「で、武男君はもう帰られたですな?」 「いや、まだ帰りませんでございますが、もちろんこれは同人承知の上の事でございまして、どうかあしからずその──」 「よろしい」  中将はうなずきつ。腕を組みて、しばし目を閉じぬ。思いのほかにたやすくはこびけるよ、とひそかに笑坪に入りて目をあげたる山木は、目を閉じ口を結びてさながら睡れるごとき中将の相貌を仰ぎて、さすがに一種の畏れを覚えつ。 「山木君」  中将は目をみひらきて、山木の顔をしげしげと打ちながめたり。 「はッ」 「山木君、あなたは子を持っておいでかな」  その問いの見当を定めかねたる山木はしきりに頭を下げつつ「はッ。愚息が一人に──娘が一人でございまして、何分お引き立てを──」 「山木君、子というやつはかわい者じゃ」 「はッ?」 「いや、よろしい。承知しました。川島の御隠居にそういってください、浪は今日引き取るから、御安心なさい。──お使者御苦労じゃった」  使命を全うせしをよろこぶか、さすがに気の毒とわぶるにか、五つ六つ七八つ続けざまに小腰を屈めて、どぎまぎ立ち上がる山木を、主人中将は玄関まで送り出して、帰り入る書斎の戸をばはたと閉したり。 九の一  逗子の別荘にては、武男が出発後は、病める身の心細さやるせなく思うほどいよいよ長き日一日のさすがに暮らせば暮らされて、はや一月あまりたちたれば、麦刈り済みて山百合咲くころとなりぬ。過ぐる日の喀血に、一たびは気落ちしが、幸いにして医師の言えるがごとくそのあとに著しき衰弱もなく、先日函館よりの良人の書信にも帰来の近かるべきを知らせ来つれば、よし良人を驚かすほどにはいたらぬとも、喀血の前ほどにはなりおらではと、自ら気を励まし浪子は薬用に運動に細かに医師の戒めを守りて摂生しつつ、指を折りて良人の帰期を待ちぬ。さるにてもこの四五日、東京だよりのはたと絶え、番町の宅よりも、実家よりも、飯田町の伯母よりすらも、はがき一枚来ぬことの何となく気にかかり、今しも日ながの手すさびに山百合を生くとて下葉を剪みおれる浪子は、水さし持ちて入り来たりし姥のいくに 「ねエ、ばあや、ちょっとも東京のたよりがないのね。どうしたのだろう?」 「さようでございますねエ。おかわりもないンでございましょう。もうそのうちにはまいりましょうよ。こう申しておりますうちにどなたぞいらっしゃるかもわかりませんよ。──ほんとに何てきれいな花でございましょう、ねエ、奥様。これがしおれないうちに旦那様がお帰り遊ばすとようございますのに、ねエ奥様」  浪子は手に持ちし山百合の花うちまもりつつ「きれい。でも、山に置いといた方がいいのね、剪るのはかあいそうだわ!」  二人が問答の間に、一輛の車は別荘の門に近づきぬ。車は加藤子爵夫人を載せたり。川島未亡人の要求をはねつけしその翌日、子爵夫人は気にかかるままに、要を託して車を片岡家に走らせ、ここに初めて川島家の使者が早くも直接談判に来たりて、すでに中将の承諾を得て去りたる由を聞きつ。武男を待つの企ても今はむなしくなりて、かつ驚きかつ嘆きしが、せめては姪の迎え(手放し置きて、それと聞かさば不慮の事の起こりもやせん、とにかく膝下に呼び取って、と中将は慮れるなり)にと、すぐその足にて逗子には来たりしなり。 「まあ。よく……ちょうど今うわさをしてましたの」 「本当によくまあ……いかがでございます、奥様、ばあやが言は当たりましてございましょう」 「浪さん、あんばいはどうです? もうあれから何も変わった事もないのかい?」  と伯母の目はちょっと浪子の面をかすめて、わきへそれぬ。 「は、快方ですの。──それよりも伯母様はどうなすッたの。たいへんに顔色が悪いわ」 「わたしかい、何ね、少し頭痛がするものだから。──時候のせいだろうよ。──武男さんから便がありましたか、浪さん?」 「一昨日、ね、函館から。もう近々に帰りますッて──いいえ、何日という事は定まらないのですよ。お土産があるなンぞ書いてありましたわ」 「そう? おそい──ねエ──もう──もう何時? 二時だ、ね!」 「伯母様、何をそんなにそわそわしておいでなさるの? ごゆっくりなさいな。お千鶴さんは?」 「あ、よろしくッて、ね」言いつついくが持て来し茶を受け取りしまま、飲みもやらず沈吟じつ。 「どうぞごゆるりと遊ばせ。──奥様、ちょいとお肴を見てまいりますから」 「あ、そうしておくれな」  伯母は打ち驚きたるように浪子の顔をちょっと見て、また目をそらしつつ 「およしな。今日はゆっくりされないよ。浪さん──迎えに来たよ」 「エ? 迎え?」 「あ、おとうさまが、病気の事で医師と少し相談もあるからちょいと来るようにッてね、──番町の方でも──承知だから」 「相談? 何でしょう」 「──病気の件ですよ、それからまた──おとうさんも久しく会わンからッてね」 「そうですの?」  浪子は怪訝な顔。いくも不審議に思える様子。 「でも今夜はお泊まり遊ばすンでございましょう?」 「いいえね、あちでも──医師も待ってたし、暮れないうちがいいから、すぐ今度の汽車で、ね」 「へエー!」  姥は驚きたるなり。浪子も腑に落ちぬ事はあれど、言うは伯母なり、呼ぶは父なり、姑は承知の上ともいえば、ともかくもいわるるままに用意をば整えつ。 「伯母様何を考え込んでいらッしゃるの? ──看護婦は行かなくもいいでしょうね、すぐ帰るのでしょうから」  伯母は起ちて浪子の帯を直し襟をそろえつつ「連れておいでなさいね、不自由ですよ」        *  四時ごろには用意成りて、三挺の車門に待ちぬ。浪子は風通御召の単衣に、御納戸色繻珍の丸帯して、髪は揚巻に山梔の花一輪、革色の洋傘右手につき、漏れ出づるせきを白綾のハンカチにおさえながら、 「ばあや、ちょっと行って来るよ。あああ、久しぶりに帰京るのね。──それから、あの──お単衣ね、もすこしだけども──あ、いいよ、帰ってからにしましょう」  忍びかねてほろほろ落つる涙を伯母は洋傘に押し隠しつ。 九の二  運命の坑黙々として人を待つ。人は知らず識らずその運命に歩む。すなわち知らずというとも、近づくに従うて一種冷ややかなる気はいを感ずるは、たれもしかる事なり。  伯母の迎え、父に会うの喜びに、深く子細を問わずして帰京の途に上りし浪子は、車に上るよりしきりに胸打ち騒ぎつ。思えば思うほど腑に落ちぬこと多く、ただ頭痛とのみ言い紛らしし伯母がようすのただならぬも深く蔵せる事のありげに思われて、問わんも汽車の内人の手前、それもなり難く、新橋に着くころはただこの暗き疑心のみ胸に立ち迷いて、久しぶりなる帰京の喜びもほとんど忘れぬ。  皆人のおりしあとより、浪子は看護婦にたすけられ伯母に従いてそぞろにプラットフォームを歩みつつ、改札口を過ぎける時、かなたに立ちて話しおれる陸軍士官の一人、ふっとこなたを顧みてあたかも浪子と目を見合わしつ。千々岩! 彼は浪子の頭より爪先まで一瞥に測りて、ことさらに目礼しつつ──わらいぬ。その一瞥、その笑いの怪しく胸にひびきて、頭より水そそがれし心地せし浪子は、迎えの馬車に打ち乗りしあとまで、病のゆえならでさらに悪寒を覚えしなり。  伯母はもの言わず。浪子も黙しぬ。馬車の窓に輝きし夕日は落ちて、氷川町の邸に着けば、黄昏ほのかに栗の花の香を浮かべつ。門の内外には荷車釣り台など見えて、脇玄関にランプの火光さし、人の声す。物など運び入れしさまなり。浪子は何事のあるぞと思いつつ、伯母と看護婦にたすけられて馬車を下れば、玄関には婢にランプとらして片岡子爵夫人たたずみたり。 「おお、これは早く。──御苦労さまでございました」と夫人の目は浪子の面より加藤子爵夫人に走りつ。 「おかあさま、お変わりも……おとうさまは?」 「は、書斎に」  おりから「姉さまが来たよ姉さまが」と子供の声にぎやかに二人の幼弟妹走り出で来たりて、その母の「静かになさい」とたしなむるも顧みず、左右より浪子にすがりつ。駒子もつづいて出で来たりぬ。 「おお道ちゃん、毅一さん。どうだえ? ──ああ駒ちゃん」  道子はすがれる姉の袂を引き動かしつつ「あたしうれしいわ、姉さまはもうこれからいつまでも此家にいるのね。お道具もすっかり来てよ」  はッと声もなし得ず、子爵夫人も、伯母も、婢も、駒子も一斉に浪子の面をうちまもりつ。 「エ?」  おどろきし浪子の目は継母の顔より伯母の顔をかすめて、たちまち玄関わきの室も狭しと積まれたるさまざまの道具に注ぎぬ。まさしく良人宅に置きたるわが箪笥! 長持ち! 鏡台!  浪子はわなわなと震いつ。倒れんとして伯母の手をひしととらえぬ。  皆泣きつ。  重やかなる足音して、父中将の姿見え来たりぬ。 「お、おとうさま‼」 「おお、浪か。待って──いた。よく、帰ってくれた」  中将はその大いなる胸に、わなわなと震う浪子をばかき抱きつ。  半時の後、家の内しんとなりぬ。中将の書斎には、父子ただ二人、再び帰らじと此家を出でし日別れの訓戒を聞きし時そのままに、浪子はひざまずきて父の膝にむせび、中将は咳き入る女の背をおもむろになでおろしつ。 十 「号外! 号外! 朝鮮事件の号外!」と鈴の音のけたたましゅう呼びあるく新聞売り子のあとより、一挺の車がらがらと番町なる川島家の門に入りたり。武男は今しも帰り来たれるなり。  武男が帰らば立腹もすべけれど、勝ちは畢竟先の太刀、思い切って武男が母は山木が吉報をもたらし帰りしその日、善は急げと媳が箪笥諸道具一切を片岡家に送り戻し、ちと殺生ではあったれど、どうせそのままには置かれぬ腫物、切ってしまって安心とこの二三日近ごろになき好機嫌のそれに引きかえて、若夫婦方なる僕婢は気の毒とも笑止ともいわん方なく、今にもあれ旦那がお帰りなさらば、いかに孝行の方とて、なかなか一通りでは済むまじとはらはら思っていたりしその武男は今帰り来たれるなり。加藤子爵夫人が急を報ぜしその書は途中に往き違いて、もとより母はそれと言い送らねば、知る由もなき武男は横須賀に着きて暇を得るやいな急ぎ帰り来たれるなり。  今奥より出で来たりし仲働きは、茶を入れおりし小間使いを手招き、 「ねエ松ちゃん。旦那さまはちっともご存じないようじゃないか。奥様にお土産なんぞ持っていらッしたよ」 「ほんとにしどいね。どこの世界に、旦那の留守に奥様を離縁しちまう母さんがあるものかね。旦那様の身になっちゃア、腹も立つはずだわ。鬼婆め」 「あれくらいいやな婆っちゃありゃしない。けちけちの、わからずやの、人をしかり飛ばすがおやくめだからね、なんにもご存じなしのくせにさ。そのはずだよ、ねエ、昔は薩摩でお芋を掘ってたンだもの。わたしゃもうこんな家にいるのが、しみじみいやになッちゃった」 「でも旦那様も旦那様じゃないか。御自分の奥様が離縁されてしまうのもちょっとも知らんてえのは、あんまり七月のお槍じゃないかね」 「だッて、そらア無理ゃないわ。遠方にいらっしたンだもの。だれだって、下女じゃあるまいし、肝心な子息に相談もしずに、さっさと媳を追い出してしまおうた思わないわね。それに旦那様もお年が若いからねエ。ほんとに旦那様もおかあいそう──奥様はなおおかあいそうだわ。今ごろはどうしていらッしゃるだろうねエ。ああいやだ──ほウら、婆あが怒鳴りだしたよ。松ちゃんせッせとしないと、また八つ当たりでおいでるよ」  奥の一間には母子の問答次第に熱しつ。 「だッて、あの時あれほど申し上げて置いたです。それに手紙一本くださらず、無断で──実にひどいです。実際ひどいです。今日もちょいと逗子に寄って来ると、浪はおらんでしょう、いくに尋ねると何か要があって東京に帰ったというです。変と思ったですが、まさか母さんがそんな事を──実にひどい──」 「それはわたしがわるかった。わるかったからこの通り親がわびをしておるじゃなッかい。わたしじゃッて何も浪が悪かというじゃなし、卿がかあいいばッかいで──」 「母さんはからだばッかり大事にして、名誉も体面も情もちょっとも思ってくださらんのですな。あんまりです」 「武男、卿はの、男かい。女じゃあるまいの。親にわび言いわせても、やっぱい浪が恋しかかい。恋しかかい。恋しかか」 「だッて、あんまりです、実際あんまりです」 「あんまいじゃッて、もう後の祭じゃなッか。あっちも承知して、きれいに引き取ったあとの事じゃ。この上どうすッかい。女々しか事をしなはッと、親の恥ばッかいか、卿の男が立つまいが」  黙然と聞く武男は断れよとばかり下くちびるをかみつ。たちまち勃然と立ち上がって、病妻にもたらし帰りし貯林檎の籠をみじんに踏み砕き、 「母さん、あなたは、浪を殺し、またそのうえにこの武男をお殺しなすッた。もうお目にかかりません」        *  武男は直ちに横須賀なる軍艦に引き返しぬ。  韓山の風雲はいよいよ急に、七月の中旬廟堂の議はいよいよ清国と開戦に一決して、同月十八日には樺山中将新たに海軍軍令部長に補せられ、武男が乗り組める連合艦隊旗艦松島号は他の諸艦を率いて佐世保に集中すべき命を被りつ。捨てばちの身は砲丸の的にもなれよと、武男はまっしぐらに艦とともに西に向かいぬ。        *  片岡陸軍中将は浪子の帰りしその翌日より、自らさしずして、邸中の日あたりよく静かなるあたりをえらびて、ことに浪子のために八畳一間六畳二間四畳一間の離家を建て、逗子より姥のいくを呼び寄せて、浪子とともにここに棲ましつ。九月にはいよいよ命ありて現役に復し、一夕夫人繁子を書斎に呼びて懇々浪子の事を託したる後、同十三日大纛に扈従して広島大本営におもむき、翌月さらに大山大将山路中将と前後して遼東に向かいぬ。  われらが次を逐うてその運命をたどり来たれる敵も、味方も、かの消魂も、この怨恨も、しばし征清戦争の大渦に巻き込まれつ。 下編 一の一  明治二十七年九月十六日午後五時、わが連合艦隊は戦闘準備を整えて大同江口を発し、西北に向かいて進みぬ。あたかも運送船を護して鴨緑江口付近に見えしという敵の艦隊を尋ねいだして、雌雄を一戦に決せんとするなり。  吉野を旗艦として、高千穂、浪速、秋津洲の第一遊撃隊、先鋒として前にあり。松島を旗艦として千代田、厳島、橋立、比叡、扶桑の本隊これに続ぎ、砲艦赤城及び軍見物と称する軍令部長を載せし西京丸またその後ろにしたがいつ。十二隻の艨艟一縦列をなして、午後五時大同江口を離れ、伸びつ縮みつ竜のごとく黄海の潮を巻いて進みぬ。やがて日は海に入りて、陰暦八月十七日の月東にさし上り、船は金波銀波をさざめかして月色のうちをはしる。  旗艦松島の士官次室にては、晩餐とく済みて、副直その他要務を帯びたるは久しき前に出で去りたれど、なお五六人の残れるありて、談まさに興に入れるなるべし。舷窓をば火光を漏らさじと閉ざしたれば、温気内にこもりて、さらぬだに血気盛りの顔はいよいよ紅に照れり。テーブルの上には珈琲碗四つ五つ、菓子皿はおおむねたいらげられて、ただカステーラの一片がいづれの少将軍に屠られんかと兢々として心細げに横たわるのみ。 「陸軍はもう平壌を陥したかもしれないね」と短小精悍とも言いつべき一少尉は頬杖つきたるまま一座を見回したり。「しかるにこっちはどうだ。実に不公平もまたはなはだしというべしじゃないか」  でっぷりと肥えし小主計は一隅より莞爾と笑いぬ。「どうせ幕が明くとすぐ済んでしまう演劇じゃないか。幕合の長いのもまた一興だよ」 「なんて悠長な事を言うから困るよ。北洋艦隊相手の盲捉戯ももうわが輩はあきあきだ。今度もかけちがいましてお目にかからんけりゃ、わが輩は、だ、長駆渤海湾に乗り込んで、太沽の砲台に砲丸の一つもお見舞い申さんと、堪忍袋がたまらん」 「それこそ袋のなかに入るも同然、帰路を絶たれたらどうです?」まじめに横槍を入るるは候補生の某なり。 「何、帰路を絶つ? 望む所だ。しかし悲しいかな君の北洋艦隊はそれほど敏捷にあらずだ。あえてけちをつけるわけじゃないが、今度も見参はちとおぼつかないね。支那人の気の長いには実に閉口する」  おりから靴音の近づきて、たけ高き一少尉入り口に立ちたり。  短小少尉はふり仰ぎ「おお航海士、どうだい、なんにも見えんか」 「月ばかりだ。点検が済んだら、すべからく寝て鋭気を養うべしだ」言いつつ菓子皿に残れるカステーラの一片を頬ばり「むむ、少し……甲板に出ておると……腹が減るには驚く。──従卒、菓子を持って来い」 「君も随分食うね」と赤きシャツを着たる一少尉は微笑みつ。 「借問す君はどうだ。菓子を食って老人組を罵倒するは、けだしわが輩士官次室の英雄の特権じゃないか。──どうだい、諸君、兵はみんな明日を待ちわびて、目がさえて困るといってるぞ。これで失敗があったら実に兵の罪にあらず、──の罪だ」 「わが輩は勇気については毫も疑わん。望む所は沈勇、沈勇だ。無手法は困る」というはこの仲間にての年長なる甲板士官。 「無手法といえば、○番分隊士は実に驚くよ」と他の一人はことばをさしはさみぬ。「勉励も非常だが、第一いかに軍人は生命を愛しまんからッて、命の安売りはここですと看板もかけ兼ねん勢いはあまりだと思うね」 「ああ、川島か、いつだッたか、そうそう、威海衛砲撃の時だッてあんな険呑な事をやったよ。川島を司令長官にしたら、それこそ三番分隊士じゃないが、艦隊を渤海湾に連れ込んで、太沽どころじゃない、白河をさかのぼって李のおやじを生けどるなんぞ言い出すかもしれん」 「それに、ようすが以前とはすっかり違ったね。非常に怒るよ。いつだッたか僕が川島男爵夫人の事についてさ、少しからかいかけたら、まっ黒に怒って、あぶなく鉄拳を頂戴する所さ。僕は鎮遠の三十サンチより実際○番分隊士の一拳を恐るるね。はははは何か子細があると思うが、赤襯衣君、君は川島と親しくするから恐らく秘密を知っとるだろうね」  と航海士はガリバルジーといわれし赤シャツ少尉の顔を見たり。  おりから従卒のうずたかく盛れる菓子皿持ち来たりて、士官次室の話はしばし腰斬となりぬ。 一の二  夜十時点検終わり、差し当たる職務なきは臥し、余はそれぞれ方面の務めに就き、高声火光を禁じたれば、上甲板も下甲板も寂としてさながら人なきようになりぬ。舵手に令する航海長の声のほかには、ただ煙突の煙のふつふつとして白く月にみなぎり、螺旋の波をかき、大いなる心臓のうつがごとく小止みなき機関の響きの艦内に満てるのみ。  月影白き前艦橋に、二個の人影あり。その一は艦橋の左端に凝立して動かず。一は靴音静かに、墨より黒き影をひきつつ、五歩にして止まり、十歩にして返る。  こは川島武男なり。この艦の○番分隊士として、当直の航海長とともに、副直の四時間を艦橋に立てるなり。  彼は今艦橋の右端に達して、双眼鏡をあげつ、艦の四方を望みしが、見る所なきもののごとく、右手をおろして、左手に欄干を握りて立ちぬ。前部砲台の方より士官二人、低声に相語りつつ艦橋の下を過ぎしが、また陰の暗きに消えぬ。甲板の上寂として、風冷ややかに、月はいよいよ冴えつ。艦首にうごめく番兵の影を見越して、海を望めば、ただ左舷に淡き島山と、見えみ見えずみ月光のうちを行く先艦秋津洲をのみ隈にして、一艦のほか月に白める黄海の水あるのみ。またひとしきり煙に和して勢いよく立ち上る火花の行くえを目送れば、大檣の上高く星を散らせる秋の夜の空は湛えて、月に淡き銀河一道、微茫として白く海より海に流れ入る。        *  月は三たびかわりぬ。武男が席を蹴って母に辞したりしより、月は三たび移りぬ。  この三月の間に、彼が身生はいかに多様の境界を経来たりしぞ。韓山の風雲に胸をおどらし、佐世保の湾頭には「今度この節国のため、遠く離れて出でて行く」の離歌に腸を断ち、宣戦の大詔に腕を扼り、威海衛の砲撃に初めて火の洗礼を授けられ、心をおどろかし目を驚かすべき事は続々起こり来たりて、ほとんど彼をして考うるの暇なからしめたり。多謝す、これがために武男はその心をのみ尽くさんとするあるものをば思わずして、わずかにわれを持したるなりき。この国家の大事に際しては、渺たる滄海の一粟、自家川島武男が一身の死活浮沈、なんぞ問うに足らんや。彼はかく自ら叱し、かの痛をおおうてこの職分の道に従い、絶望の勇をあげて征戦の事に従えるなり。死を彼は真に塵よりも軽く思えり。  されど事もなき艦橋の上の夜、韓海の夏暑くしてハンモックの夢結び難き夜は、ともすれば痛恨潮のごとくみなぎり来たりて、丈夫の胸裂けんとせしこと幾たびぞ。時はうつりぬ。今はかの当時、何を恥じ、何を憤り、何を悲しみ、何を恨むともわかち難き感情の、腸に沸りし時は過ぎて、一片の痛恨深く痼して、人知らずわが心を蝕うのみ。母はかの後二たび書を寄せ物を寄せてつつがなく帰り来たるの日を待つと言い送りぬ。武男もさすがに老いたる母の膝下さびしかるべきを思いては、かの時の過言を謝して、その健康を祈る由書き送りぬ。されど解きても融け難き一塊の恨みは深く深く胸底に残りて、彼が夜々ハンモックの上に、北洋艦隊の殲滅とわが討死の夢に伴なうものは、雪白の肩掛をまとえる病めるある人の面影なりき。  消息絶えて、月は三たび移りぬ。彼女なお生きてありや、なしや。生きてあらん。わが忘るる日なきがごとく、彼も思わざるの日はなからん。共に生き共に死なんと誓いしならずや。  武男はかく思いぬ。さらに最後に相見し時を思いぬ。五日の月松にかかりて、朧々としたる逗子の夕べ、われを送りて門に立ち出で、「早く帰ってちょうだい」と呼びし人はいずこぞ。思い入りてながむれば、白き肩掛をまとえる姿の、今しも月光のうちより歩み出で来たらん心地すなり。  明日にもあれ、首尾よく敵の艦隊に会して、この身砲弾の的にもならば、すべて世は一場の夢と過ぎなん、と武男は思いぬ。さらにその母を思いぬ。亡き父を思いぬ。幾年前江田島にありける時を思いぬ。しこうして心は再び病める人の上に返りて        * 「川島君」  肩をたたかれて、打ち驚きたる武男は急に月に背きつ。驚かせしは航海長なり。 「実にいい月じゃないか。戦争に行くとは思われんね」  打ちうなずきて、武男はひそかに涙をふり落としつつ双眼鏡をあげたり。月白うして黄海、物のさえぎるなし。 一の三  月落ち、夜は紫に曙けて、九月十七日となりぬ。午前六時を過ぐるころ、艦隊はすでに海洋島の近くに進みて、まず砲艦赤城を島の彖登湾に遣わして敵の有無を探らしめしが、湾内むなしと帰り報じつ。艦隊さらに進航を続けて、大、小鹿島を斜めに見つつ大孤山沖にかかりぬ。  午前十一時武男は要ありて行きし士官公室を出でてまさに艙口にかからんとする時、上甲板に声ありて、 「見えたッ!」  同時に靴音の忙わしく走せ違うを聞きつ。心臓の鼓動とともに、艙梯に踏みかけたる足ははたと止まりぬ。あたかも梯下を通りかかりし一人の水兵も、ふッと立ち止まりて武男と顔見合わしたり。 「川島分隊士、敵艦が見えましたか」 「おう、そうらしい」  言いすてて武男は乱れうつ胸をいたずらにおし静めつつ足早に甲板に上れば、人影走せ違い、呼笛鳴り、信号手は忙わしく信号旗を引き上げおり、艦首には水兵多くたたずみ、艦橋の上には司令長官、艦長、副長、参謀、諸士官、いずれも口を結び目を据えて、はるかに艦外の海を望みおるなり。その視線を趁うて望めば、北の方黄海の水、天と相合うところに当たりて、黒き糸筋のごとくほのかに立ち上るもの、一、二、三、四、五、六、七、八、九条また十条。  これまさしく敵の艦隊なり。  艦橋の上に立つ一将校袂時計を出し見て「一時間半は大丈夫だ。準備ができたら、まず腹でもこしらえて置くですな」  中央に立ちたる一人はうなずき「お待ち遠様。諸君、しっかり頼みますぞ」と言い終わりて髯をひねりつ。  やがて戦闘旗ゆらゆらと大檣の頂高く引き揚げられ、数声のラッパは、艦橋より艦内くまなく鳴り渡りぬ。配置につかんと、艦内に行きかう人の影織るがごとく、檣楼に上る者、機関室に下る者、水雷室に行く者、治療室に入る者、右舷に行き、左舷に行き、艦尾に行き、艦橋に上り、縦横に動ける局部の作用たちまち成るを告げて、戦闘の準備は時を移さず整いぬ。あたかも午時に近くして、戦わんとしてまず午餐の令は出でたり。  分隊長を助け、部下の砲員を指揮して手早く右舷速射砲の装填を終わりたる武男は、ややおくれて、士官次室に入れば、同僚皆すでに集まりて、箸下り皿鳴りぬ。短小少尉はまじめになり、甲板士官はしきりに額の汗をぬぐいつつうつむきて食らい、年少の候補生はおりおり他の顔をのぞきつつ、劣らじと皿をかえぬ。たちまち箸をからりと投げて立ちたるは赤シャツ少尉なり。 「諸君、敵を前に控えて悠々と午餐をくう諸君の勇気は──立花宗茂に劣らずというべしだ。お互いにみんなそろって今日の夕飯を食うや否やは疑問だ。諸君、別れに握手でもしようじゃないか」  いうより早く隣席にありし武男が手をば無手と握りて二三度打ちふりぬ。同時に一座は総立ちになりて手を握りつ、握られつ、皿は二個三個からからとテーブルの下に転び落ちたり。左頬にあざある一少尉は少軍医の手をとり、 「わが輩が負傷したら、どうかお手柔らかにやってくれたまえ。その賄賂だよ、これは」  と四五度も打ちふりぬ。からからと笑える一座は、またたちまちまじめになりつ。一人去り、二人去りて、果てはむなしき器皿の狼藉たるを留むるのみ。  零時二十分、武男は、分隊長の命を帯び、副艦長に打ち合わすべき事ありて、前艦橋に上れば、わが艦隊はすでに単縦陣を形づくり、約四千メートルを隔てて第一遊撃隊の四艦はまっ先に進み、本隊の六艦はわが松島を先登としてこれにつづき、赤城西京丸は本隊の左舷に沿うてしたがう。  仰ぎ見る大檣の上高く戦闘旗は碧空に羽たたき、煙突の煙まっ黒にまき上り、舳は海を劈いて白波高く両舷にわきぬ。将校あるいは双眼鏡をあげ、あるいは長剣の柄を握りて艦橋の風に向かいつつあり。  はるかに北方の海上を望めば、さきに水天の間に一髪の浮かめるがごとく見えし煙は、一分一分に肥え来たりて、敵の艦隊さながら海中よりわき出づるごとく、煙まず見え、ついで針大の檣ほの見え、煙突見え、艦体見え、檣頭の旗影また点々として見え来たりぬ。ひときわすぐれて目立ちたる定遠鎮遠相連んで中軍を固め、経遠至遠広甲済遠は左翼、来遠靖遠超勇揚威は右翼を固む。西に当たってさらに煙の見ゆるは、平遠広丙鎮東鎮南及び六隻の水雷艇なり。  敵は単横陣を張り、我艦隊は単縦陣をとって、敵の中央をさして丁字形に進みしが、あたかも敵陣を距る一万メートルの所に至りて、わが先鋒隊はとっさに針路を左に転じて、敵の右翼をさしてまっしぐらに進みつ。先鋒の左に転ずるとともに、わが艦隊は竜の尾をふるうごとくゆらゆらと左に動いて、彼我の陣形は丁字一変して八字となり、彼は横に張り、われは斜めにその右翼に向かいて、さながら一大コンパス形をなし、彼進み、われ進みて、相距る六千メートルにいたりぬ。この時敵陣の中央に控えたる定遠艦首の砲台に白煙むらむらと渦まき起こり、三十サンチの両弾丸空中に鳴りをうってわが先鋒隊の左舷の海に落ちたり。黄海の水驚いて倒に立ちぬ。 一の四  黄海! 昨夜月を浮かべて白く、今日もさりげなく雲を蘸し、島影を載せ、睡鴎の夢を浮かべて、悠々として画よりも静かなりし黄海は、今修羅場となりぬ。  艦橋をおりて武男は右舷速射砲台に行けば、分隊長はまさに双眼鏡をあげて敵の方を望み、部下の砲員は兵曹以下おおむねジャケットを脱ぎすて、腰より上は臂ぎりのシャツをまといて潮風に黒める筋太の腕をあらわし、白木綿もてしっかと腹部を巻けるもあり。黙して号令を待ち構えつ。この時わが先鋒隊は敵の右翼を乱射しつつすでに敵前を過ぎ終わらんとし、わが本隊の第一に進める松島は全速力をもって敵に近づきつつあり。双眼鏡をとってかなたを望めば、敵の中央を堅めし定遠鎮遠はまっ先にぬきんでて、横陣やや鈍角をなし、距離ようやく縮まりて二艦の形状は遠目にも次第にあざやかになり来たりぬ。卒然として往年かの二艦を横浜の埠頭に見しことを思い出でたる武男は、倍の好奇心もて打ち見やりつ。依然当時の二艦なり。ただ、今は黒煙をはき、白波をけり、砲門を開きて、咄々来たってわれに迫らんとするさまの、さながら悪獣なんどの来たり向こうごとく、恐るるとにはあらで一種やみ難き嫌厭を憎悪の胸中にみなぎり出づるを覚えしなり。  たちまち海上はるかに一声の雷とどろき、物ありグーンと空中に鳴りをうって、松島の大檣をかすめつつ、海に落ちて、二丈ばかり水をけ上げぬ。武男は後頂より脊髄を通じて言うべからざる冷気の走るを覚えしが、たちまち足を踏み固めぬ。他はいかにと見れば、砲尾に群がりし砲員の列一たびは揺らぎて、また動かず。艦いよいよ進んで、三個四個五個の敵弾つづけざまに乱れ飛び、一は左舷につりし端艇を打ち砕き、他はすべて松島の四辺に水柱をけ立てつ。 「分隊長、まだですか」こらえ兼ねたる武男は叫びぬ。時まさに一時を過ぎんとす。「四千メートル」の語は、あまねく右舷及び艦の首尾に伝わりて、照尺整い、牽索握られつ。待ち構えたる一声のラッパ鳴りぬ。「打てッ!」の号令とともに、わが三十二サンチ巨砲を初め、右舷側砲一斉に第一弾を敵艦にほとばしらしつ。艦は震い、舷にそうて煙おびただしく渦まき起こりぬ。  あたかもその答礼として、定遠鎮遠のいずれか放ちたる大弾丸すさまじく空にうなりて、煙突の上二寸ばかりかすめて海に落ちたり。砲員の二三は思わず頭を下げぬ。  分隊長顧みて「だれだ、だれだ、お辞儀をするのは?」  武男を初め候補生も砲員もどっと笑いつ。 「さあ、打てッ! しっかり、しっかり──打てッ!」  右舷側砲は連べ放ちにうち出しぬ。三十二サンチ巨砲も艦を震わして鳴りぬ。後続の諸艦も一斉にうち出しぬ。たちまち敵のうちたる時限弾の一個は、砲台近く破裂して、今しも弾丸を砲尾に運びし砲員の一人武男が後ろにどうと倒れつ。起き上がらんとして、また倒れ、血はさっとほとばしりてしたたかに武男がズボンにかかりぬ。砲員の過半はそなたを顧みつ。 「だれだ? だれだ?」 「西山じゃないか、西山だ、西山だ」 「死んだか」 「打てッ!」分隊長の声鳴りて、砲員皆砲に群がりつ。  武男は手早く運搬手に死者を運ばし、ふりかえってその位置に立たんとすれば、分隊長は武男がズボンに目をつけ 「川島君、負傷じゃないか」 「なあに、今のとばしるです」 「おおそうか。さあ、今の仇を討ってやれ」  砲は間断なく発射し、艦は全速力をもてはしる。わが本隊は敵の横陣に対して大いなる弧をえがきつつ、かつ射かつ駛せて、一時三十分過ぎにはすでに敵を半周してその右翼を回り、まさに敵の背後に出でんとす。  第一回の戦い終わりて、第二回の戦いこれより始まらんとすなり。松島の右舷砲しばし鳴りを静めて、諸士官砲員淋漓たる汗をぬぐいぬ。  この時彼我の陣形を見れば、わが先鋒隊はいち早く敵の右翼を乱射して、超勇揚威を戦闘力なきまでに悩ましつつ、一回転して本隊と敵の背後を撃たんとし、わが本隊のうち比叡は速力劣れるがため本隊に続行するあたわずして、大胆にもひとり敵陣の中央を突貫し、死戦して活路を開きしが、火災のゆえに圏外に去り、西京丸また危険をのがれて圏外に去らんとし、敵前に残されし赤城は六百トンの小艦をもって独力奮闘重囲を衝いて、比叡のあとをおわんとす。しかして先鋒の四艦と、本隊の五艦とは、整々として列を乱さず。  敵の方を望めば、超勇焼け、揚威戦闘力を失して、敵の右翼乱れ、左翼の三艦は列を乱してわが比叡赤城を追わんとし、その援軍水雷艇は隔離して一辺にあり。しかして定遠鎮遠以下数艦は、わがその背後に回らんとするより、急に舳をめぐらして縦陣に変じつつ、けなげにもわが本隊に向かい来たる。  第二回の戦いは今や始まりぬ。わが本隊は西京丸が掲げし「赤城比叡危険」の信号を見るより、速力大なる先鋒隊の四艦を遣わして、赤城比叡を尾する敵の三艦を追い払わせつつ、一隊五艦依然単縦陣をとって、同じく縦陣をとれる敵艦を中心に大なる蛇の目をえがきもてかつ駛りかつ撃ち、二時すでに半ばならんとする時、敵艦隊を一周し終わって敵のこなたに達しつ。このときわが先鋒隊は比叡赤城を尾する敵の三艦を一戦にけ散らし、にぐるを追うて敵の本陣に駆り入れつつ、一括してかなたより攻撃にかかりぬ。さればわが本隊先鋒隊はあたかも敵の艦隊を中央に取りこめて、左右よりさしはさみ撃たんとすなり。  第三次の激戦今始まりぬ。わが海軍の精鋭と、敵の海軍の主力と、共に集まりたる彼我の艦隊は、大全速力もて駛せ違い入り乱れつつ相たたかう。あたかも二竜の長鯨を巻くがごとく黄海の水たぎって一面の泡となりぬ。 一の五  わが本隊は右、先鋒隊は左、敵の艦隊をまん中に取りこめて、引つ包んで撃たんとす。戦いは今たけなわになりぬ。戦いの熱するに従って、武男はいよいよわれを忘れつ。その昔学校にありて、ベースボールに熱中せし時、勝敗のここしばらくの間に決せんとする大事の時に際するごとに、身のたれたり場所のいずくたるを忘れ、ほとんど物ありて空よりわれを引き回すように覚えしが、今やあたかもその時に異ならざるの感を覚えぬ。艦隊敵と離れてまた敵に向かい行く間と、艦体一転して左舷敵に向かい右舷しばらく閑なる間とを除くほかは、間断なき号令に声かれ、汗は淋漓として満面にしたたるも、さらに覚えず。旗艦を目ざす敵の弾丸ひとえに松島にむらがり、鉄板上に裂け、木板焦がれ、血は甲板にまみるるも、さらに覚えず。敵味方の砲声はあたかも心臓の鼓動に時を合わしつつ、やや間あれば耳辺の寂しきを怪しむまで、身は全く血戦の熱に浮かされつ。されば、部下の砲員も乱れ飛ぶ敵弾を物ともせず、装填し照準を定め牽索を張り発射しまた装填するまで、射的場の精確さらに実戦の熱を加えて、火災は起こらんとするに消し、弾は命ぜざるに運び、死亡負傷はたちまち運び去り、ほとんど士官の命を待つまでもなく、手おのずから動き、足おのずから働きて、戦闘機関は間断なくなめらかに運転せるなり。  この時目をあぐれば、灰色の煙空をおおい海をおおうて十重二十重に渦まける間より、思いがけなき敵味方の檣と軍艦旗はかなたこなたにほの見え、ほとんど秒ごとに轟然たる響きは海を震わして、弾は弾と空中に相うって爆発し、海は間断なく水柱をけ上げて煮えかえらんとす。 「愉快! 定遠が焼けるぞ!」かれたる声ふり絞りて分隊長は叫びぬ。  煙の絶え間より望めば、黄竜旗を翻せる敵の旗艦の前部は黄煙渦まき起こりて、蟻のごとく敵兵のうごめき騒ぐを見る。  武男を初め砲員一斉に快を叫びぬ。 「さあ、やれ。やっつけろッ!」  勢い込んで、砲は一時に打ち出しぬ。  左右より夾撃せられて、敵の艦隊はくずれ立ちたり。超勇はすでにまっ先に火を帯びて沈み、揚威はとくすでに大破して逃れ、致遠また没せんとし、定遠火起こり、来遠また火災に苦しむ。こらえ兼ねし敵艦隊はついに定遠鎮遠を残して、ことごとくちりぢりに逃げ出しぬ。わが先鋒隊はすかさずそのあとを追いぬ。本隊五艦は残れる定遠鎮遠を撃たんとす。  第四回の戦い始まりぬ。  時まさに三時、定遠の前部は火いよいよ燃えて、黄煙おびただしく立ち上れど、なお逃れず。鎮遠またよく旗艦を護して、二大鉄艦巍然山のごとくわれに向かいつ。わが本隊の五艦は今や全速力をもって敵の周囲を駛せつつ、幾回かめぐりては乱射し、めぐりては乱射す。砲弾は雨のごとく二艦に注ぎぬ。しかも軽装快馬のサラセン武士が馬をめぐらして重鎧の十字軍士を射るがごとく、命中する弾丸多くは二艦の重鎧にはねかえされて、艦外に破裂し終わりつ。午後三時二十五分わが旗艦松島はあたかも敵の旗艦と相並びぬ。わがうち出す速射砲弾のまさしく彼が艦腹に中りて、はねかえりて花火のごとくむなしく艦外に破裂するを望みたる武男は、憤りに堪え得ず、歯をくいしばりて、右の手もて剣の柄を破れよと打ちたたき、 「分隊長、無念です。あ……あれをごらんなさい。畜生ッ!」  分隊長は血眼になりて甲板を踏み鳴らし 「うてッ! 甲板をうて、甲板を! なあに! うてッ!」 「うてッ!」武男も声ふり絞りぬ。  歯をくいしばりたる砲員は憤然として勢い猛く連べ放ちに打ち出しぬ。 「も一つ!」  武男が叫びし声と同時に、霹靂満艦を震動して、砲台内に噴火山の破裂するよと思うその時おそく、雨のごとく飛び散る物にうたれて、武男はどうと倒れぬ。  敵艦の発ち出したる三十サンチの大榴弾二個、あたかも砲台のまん中を貫いて破裂せしなり。 「残念ッ!」  叫びつつはね起きたる武男は、また尻居にどうと倒れぬ。  彼は今体の下半におびただしき苦痛を覚えつ。倒れながらに見れば、あたりは一面の血、火、肉のみ。分隊長は見えず。砲台は洞のごとくなりて、その間より青きもの揺らめきたり。こは海なりき。  苦痛と、いうべからざるいたましき臭のために、武男が目は閉じぬ。人のうめく声。物の燃ゆる音。ついで「火災! 火災! ポンプ用意ッ!」と叫ぶ声。同時に走せ来る足音。  たちまち武男は手ありてわれをもたぐるを覚えつ。手の脚部に触るるとともに、限りなき苦痛は脳頂に響いて、思わず「あ」と叫びつつのけぞり──紅の靄閉ざせる目の前に渦まきて、次第にわれを失いぬ。 二の一  大本営所在地広島においては、十月中旬、第一師団はとくすでに金州半島に向かいたれど、そのあとに第二師団の健児広島狭しと入り込み来たり、しかのみならず臨時議会開かれんとして、六百の代議士続々東より来つれば、高帽腕車はいたるところ剣佩馬蹄の響きと入り乱れて、維新当年の京都のにぎあいを再びここ山陽に見る心地せられぬ。  市の目ぬきという大手町通りは「参謀総長宮殿下」「伊藤内閣総理大臣」「川上陸軍中将」なんどいかめしき宿札うちたるあたりより、二丁目三丁目と下がりては戸ごとに「徴発ニ応ズベキ坪数○○畳、○間」と貼札して、おおかたの家には士官下士の姓名兵の隊号人数を記せし紙札を張りたるは、仮兵舎にも置きあまりたる兵士の流れ込みたるなり。その間には「○○酒保事務所」「○○組人夫事務取扱所」など看板新しく人影の忙しく出入りするあれば、そこの店先にては忙わしくラムネ瓶を大箱に詰め込み、こなたの店はビスケットの箱山のごとく荷造りに汗を流す若者あり。この間を縫うて馬上の将官が大本営の方に急ぎ行きしあとより、電信局にかけつくるにか鉛筆を耳にさしはさみし新聞記者の車を飛ばして過ぐる、やがて鬱金木綿に包みし長刀と革嚢を載せて停車場の方より来る者、面黒々と日にやけてまだ夏服の破れたるまま宇品より今上陸して来つと覚しき者と行き違い、新聞の写真付録にて見覚えある元老の何か思案顔に車を走らすこなたには、近きに出発すべき人夫が鼻歌歌うて往来をぶらつけば、かなたの家の縁さきに剣をとぎつつ健児が歌う北音の軍歌は、川向こうのなまめかしき広島節に和して響きぬ。 「陸軍御用達」と一間あまりの大看板、その他看板二三枚、入り口の三方にかけつらねたる家の玄関先より往来にかけて粗製毛布防寒服ようのもの山と積みつつ、番頭らしきが若者五六人をさしずして荷造りに忙しき所に、客を送りてそそくさと奥より出で来し五十あまりの爺、額やや禿げて目じりたれ左眼の下にしたたかな赤黒子あるが、何か番頭にいいつけ終わりて、入らんとしつつたちまち門外を上手に過ぎ行く車を目がけ 「田崎君……田崎君」  呼ぶ声の耳に入らざりしか、そのままに過ぎ行くを、若者して呼び戻さすれば、車は門に帰りぬ。車上の客は五十あまり、色赤黒く、頬ひげ少しは白きもまじり、黒紬の羽織に新しからぬ同じ色の中山帽をいただき蹴込みに中形の鞄を載せたり。呼び戻されてけげんの顔は、玄関に立ちし主人を見るより驚きにかわりて、帽を脱ぎつつ 「山木さんじゃないか」 「田崎君、珍しいね。いったいいつ来たンです?」 「この汽車で帰京るつもりで」と田崎は車をおり、筵繩なんど取り散らしたる間を縫いて玄関に寄りぬ。 「帰京? どこにいつおいでなので?」 「はあ、つい先日佐世保に行って、今帰途です」 「佐世保? 武男さん──旦那のお見舞?」 「はあ、旦那の見舞に」 「これはひどい、旦那の見舞に行きながら往返とも素通りは実にひどい。娘も娘、御隠居も御隠居だ、はがきの一枚も来ないものだから」 「何、急ぎでしたからね」 「だッて、行きがけにちょっと寄ってくださりゃよかったに。とにかくまあお上がんなさい。車は返して。いいさ、お話もあるから。一汽車おくれたッていいだろうじゃないか。──ところで武男さん──旦那の負傷はいかがでした? 実はわたしもあの時お負傷の事を聞いたンで、ちょいとお見舞に行かなけりゃならんならんと思ってたンだが、思ったばかりで、──ちょうど第一師団が近々にでかけるというンで、滅法忙しかったもンですから、ついその何で、お見舞状だけあげて置いたンでしたが。──ああそうでしたか、別に骨にも障らなかったですね、大腿部──はあそうですか。とにかく若い者は結構ですな。お互いに年寄りはちょっと指さきに刺が立っても、一週間や二週間はかかるが、旦那なんざお年が若いものだから──とにかく結構おめでたい事でした。御隠居も御安心ですね」  中腰に構えし田崎は時計を出し見つ、座を立たんとするを、山木は引きとめ 「まあいいさ。幸いのついでで、少し御隠居に差し上げたいものもあるから。夜汽車になさい。夜汽車だとまだ大分時間がある。ちょっと用を済まして、どこぞへ行って、一杯やりながら話すとしましょう。広島の魚は実にうまいですぜ」  口は肴よりもなおうまかるべし。 二の二  秋の夕日天安川に流れて、川に臨める某亭の障子を金色に染めぬ。二階は貴衆両院議員の有志が懇親会とやら抜けるほどの騒ぎに引きかえて、下の小座敷は婢も寄せずただ二人話しもて杯をあぐるは山木とかの田崎と呼ばれたる男なり。  この田崎は、武男が父の代より執事の役を務めて、今もほど近きわが家より日々川島家に通いては、何くれと忠実に世話をなしつ。如才なく切って回す力量なきかわりには、主家の収入をぬすみてわがふところを肥やす気づかいなきがこの男の取り柄と、武男が父は常に言いぬ。されば川島未亡人にも武男にも浅からぬ信任を受けて、今度も未亡人の命によりてはるばる佐世保に主人の負傷をば見舞いしなり。  山木は持ったる杯を下に置き、額のあたりをなでながら「実は何ですて、わたしも帰京はしても一日泊まりですぐとまた広島に引き返すというようなわけで、そんな事も耳に入らなかッたですが。それでは何ですね、あれから浪子さんもよほどわるかッたのですね。なるほどどうもちっとひどかったね。しかしともかくも川島家のためだから仕方がないといったようなもので。はあそうですか、近ごろはまた少しはいい方で、なるほど、逗子に保養に行っていなさるかね。しかしあの病気ばかりはいくらよく見えてもどうせ死病だて。ところで武男──いや若旦那はまだ怒っていなさるかね」  椀の蓋をとれば松茸の香の立ち上りて鯛の脂の珠と浮かめるをうまげに吸いつつ、田崎は髯押しぬぐいて 「さあ、そこですがな。それはもうもとをいえば何もお家のためでしかたもないといったものの、なあ山木君、旦那の留守に何も相談なしにやっておしまいなさるというは、御隠居も少し御気随が過ぎたというものでな。実はわたしも旦那のお帰りまでお待ちなさるようにと申し上げて見たのじゃが、あのお気質で、いったんこうと言い出しなすった事は否応なしにやり遂げるお方だから、とうとうあの通りになったンで。これは旦那がおもしろく思いなさらぬももっともじゃとわたしは思うくらい。それに困った人はあの千々岩さん──たしかもう清国に渡ったように聞いたですが」  山木はじろりとあなたの顔を見つつ「千々岩! はああの男はこのあいだ出征たが、なまじっか顔を知られた報いで、ここに滞在中もたびたび無心にやって来て困ったよ。顔の皮の厚い男でね。戦争で死ぬかもしれんから香奠と思って餞別をくれろ、その代わり生命があったらきっと金鵄勲章をとって来るなんかいって、百両ばかり踏んだくって行ったて。ははははは、ところで武男君は負傷がよくなったら、ひとまず帰京なさるかね」 「さあ、御自身はよくなり次第すぐまた戦地に出かけるつもりでいなさるようですがね」 「相変わらず元気な事を言いなさる。が、田崎君、一度は帰京って御隠居と仲直りをなさらんといけないじゃあるまいか。どれほど気に入っていなすったか知らんが、浪子さんといえばもはや縁の切れたもので、その上健康な方でもあることか、死病にとりつかれている人を、まさかあらためて呼び取りなさるという事もできまいし、まあ過ぎた事は仕方がないとして、早く親子仲直りをしなさらんじゃなるまい、とわたしは思うが。なあ、田崎君」  田崎は打ち案じ顔に「旦那はあの通り正直なお方だから、よし御隠居の方がわるいにもしろ、自分の仕打ちもよくなかったとそう思っていなさる様子でね。それに今度わたしがお見舞に行ったンでまあ御隠居のお心も通ったというものだから、仲直りも何もありやしないが、しかし──」 「戦争中の縁談もおかしいが、とにかく早く奥様を迎びなさるのだね。どうです、旦那は御隠居と仲直りはしても、やっぱり浪子さんは忘れなさるまいか。若い者は最初のうちはよく強情を張るが、しかし新しい人が来て見るとやはりかわゆくなるものでね」 「いやそのことは御隠居も考えておいでなさるようだが、しかし──」 「むずかしかろうというのかね」 「さあ、旦那があんな一途な方だから、そこはどうとも」 「しかしお家のため、旦那のためだから、なあ田崎君」  話はしばし途切れつ。二階には演説や終わりつらん、拍手の音盛んに聞こゆ。障子の夕日やや薄れて、ラッパの響耳に冷ややかなり。  山木は杯を清めて、あらためて田崎にさしつつ 「時に田崎君、娘がお世話になっているが、困ったやつで、どうです、御隠居のお気には入りますまいな」  浪子が去られしより、一月あまりたちて、山木は親しく川島未亡人の薫陶を受けさすべく行儀見習いの名をもって、娘お豊を川島家に入れ置きしなりき。  田崎はほほえみぬ。何か思い出でたるなるべし。 二の三  田崎はほえみぬ。川島未亡人は眉をひそめしなり。  武男が憤然席をけ立てて去りしかの日、母はこの子の後ろ影をにらみつつ叫びぬ。 「不孝者めが! どうでも勝手にすッがええ」  母は武男が常によく孝にして、わが意を迎うるに踟蹰せざるを知りぬ。知れるがゆえに、その浪子に対するの愛もとより浅きにあらざるを知りつつも、その両立するあたわざる場合には、一も二もなくかの愛をすててこの孝を取るならんと思えり。思えるがゆえに、その仕打ちのわれながらむしろ果断に過ぐるを思わざるにあらざりしも、なお家のため武男のためと謂いつつ、独断をもて浪子を離別せるなり。武男が憤りの意外にはげしかりしを見るに及んで、母は初めてわが違算を悟り、同時にいわゆる母なるものの決して絶対的権力をその子の上に有するものにあらざるを知りぬ。さきにはその子の愛の浪子に注ぐを一種不快の目をもて見たりしが、今は母の愛母の威光母の恩をもってしてなお死に瀕したる一浪子の愛に勝つあたわざるを見るに及び、わが威権全くおちたるように、その子をば全く浪子に奪い去られしように感じて、かつは武男を怒り、かつは実家に帰り去れる後までもなお浪子をののしれるなり。  なお一つその怒りを激せしものありき。そはおぼろげながら方寸のいずれにかおのが仕打ちの非なるを、知るとにはあらざれど、いささかその疑いのほのかにたなびけるなり。武男が憤りの底にはちとの道理なかりしか。わが仕打ちにはちとのわが領分を越えてその子を侵せし所はなかりしか。眠られぬ夜半にひとり奥の間の天井にうつる行燈の影ながめつつ考うるとはなく思えば、いずくにか汝の誤りなり汝の罪なりとささやく声あるように思われて、さらにその胸の乱るるを覚えぬ。世にも強きは自ら是なりと信ずる心なり。腹立たしきは、あるいは人よりあるいはわが衷なるあるものよりわが非を示されて、われとわが良心の前に悔悟の膝を折る時なり。灸所を刺せば、猛獣は叫ぶ。わが非を知れば、人は怒る。武男が母は、これがために抑え難き怒りはなおさらに悶を加えて、いよいよ武男の怒るべく、浪子の悪むべきを覚えしなり。武男は席をけって去りぬ。一日また一日、彼は来たりて罪を謝するなく、わびの書だも送り来たらず。母は胸中の悶々を漏らすべきただ一の道として、その怒りをほしいままにして、わずかに自ら慰めつ。武男を怒り、浪子を怒り、かの時を思い出でて怒り、将来を想うて怒り、悲しきに怒り、さびしきに怒り、詮方なきにまた怒り、怒り怒りて怒りの疲労にようやく夜も睡るを得にき。  川島家にては平常にも恐ろしき隠居が疳癪の近ごろはまたひた燃えに燃えて、慣れしおんなばらも幾たびか手荷物をしまいかける間に、朝鮮事起こりて豊島牙山の号外は飛びぬ。戦争に行くに告別の手紙の一通もやらぬ不埒なやつと母は幾たびか怒りしが、世間の様子を聞けば、田舎よりその子の遠征を見送らんと出で来る老婆、物を贈り書を送りてその子を励ます母もありというに、子は親に怒り親は子を憤りて一通の書だに取りかわさず、彼は戦地にわれは帝都に、おのおの心に不快の塊をいだいて、もしこのままに永別となるならば、と思うとはなく、ほのかに感じたる武男が母は、ついにののしりののしり我を折りて引きつづき二通の書を戦地にあるその子にやりぬ。  折りかえして戦地より武男が返書は来たれり。返書来たりてより一月あまりにして、一通の電報は佐世保の海軍病院より武男が負傷を報じ来しぬ。さすがに母が電報をとりし手はわなわなと打ち震いつ。ほどなくその負傷は命に関するほどにもあらざる由を聞きたれど、なお田崎を遠く佐世保にやりてそのようすを見させしなりき。 二の四  田崎が佐世保より帰りて、子細に武男のようすを報ぜるより、母はやや安堵の胸をなでけるが、なおこの上は全快を待ちて一応顔をも見、また戦争済みたらば武男がために早く後妻を迎うるの得策なるを思いぬ。かくして一には浪子を武男の念頭より絶ち、一には川島家の祀を存し、一にはまた心の奥の奥において、さきに武男に対せる所行のやや暴に過ぎたりしその罪? 亡ぼしをなさんと思えるなり。  武男に後妻を早く迎えんとは、浪子を離別に決せしその日より早くすでに母の胸中にわき出でし問題なりき。それがために数多からぬ知己親類の嫁しうべき嬢子を心のうちにあれこれと繰り見しが、思わしきものもなくて、思い迷えるおりから、山木は突然娘お豊を行儀見習いと称して川島家に入れ込みぬ。武男が母とて白痴にもあらざれば、山木が底意は必ずしも知らざるにあらず。お豊が必ずしも知徳兼備の賢婦人ならざるをも知らざるにはあらざりき。されどおぼるる者は藁をもつかむ。武男が妻定めに窮したる母は、山木が望みを幸い、試みにお豊を預かれるなり。  試験の結果は、田崎がほほえめるがごとし。試験者も受験者も共に満足せずして、いわば婢ばらがうさはらしの種となるに終われるなり。  初めは平和、次ぎに小口径の猟銃を用いて軽々に散弾を撒き、ついに攻城砲の恐ろしきを打ち出す。こは川島未亡人が何人に対しても用うる所の法なり。浪子もかつてその経験をなめぬ。しかしてその神経の敏に感の鋭かりしほどその苦痛を感ずる事も早かりき。お豊も今その経験をしいられぬ。しかしてその無為にして化する底の性質は、散弾の飛ぶもほとんどいずこの家に煎る豆ぞと思い貌に過ぐるより、かの攻城砲は例よりもすみやかに持ち出されざるを得ざりしなり。  その心悠々として常に春がすみのたなびけるごとく、胸中に一点の物無うして人我の別定かならぬのみか、往々にして個人の輪郭消えて直ちに動植物と同化せんとし、春の夕べに庭などに立ちたらば、霊も体もそのまま霞のうちに融け去りてすくうも手にはたまらざるべきお豊も恋に自己を自覚し初めてより、にわかに苦労というものも解し初めぬ。眠き目こすりて起き出づるより、あれこれと追い使われ、その果ては小言大喝。もっとも陰口中傷は概して解かれぬままに鵜呑みとなれど、連べ放つ攻城砲のみはいかに超然たるお豊も当たりかねて、恋しき人の家ならずばとくにも逃げ出しつべく思えるなり。さりながら父の戒め、おりおり桜川町の宅に帰りて聞く母の訓はここと、けなげにもなお攻城砲の前に陣取りて、日また日を忍びて過ぎぬ。時にはたまり兼ねて思いぬ、恋はかくもつらきものよ、もはや二度とは人を恋わじと。あわれむべきお豊は、川島未亡人のためにはその乱れがちなる胸の安全管にせられ、家内の婢僕には日ながの慰みにせられ、恋しき人の顔を見ることも無うして、生まれ出でてより例なき克己と辛抱をもって当てもなきものを待ちけるなり。  お豊が来たりしより、武男が母は新たに一の懊悩をば添えぬ。失える玉は大にして、去れる婦は賢なり。比較になるべき人ならねども、お豊が来たりて身近に使わるるに及びて、なすことごとに気に入るはなくて、武男が母は堅くその心をふさげるにかかわらず、ともすれば昔わがしかりもしののしりもせしその人を思い出でぬ。光を韞める女の、言葉多からず起居にしとやかなれば、見たる所は目より鼻にぬけるほど華手には見えねど、不なれながらもよくこちの気を飲み込みて機転もきき、第一心がけの殊勝なるを、図に乗っては口ぎたなくののしりながら、心の底にはあの年ごろでよく気がつくと暗に白状せしこともありしが、今目の前に同じ年ごろのお豊を置きて見れば、是非なく比較はとれて、事ごとに思うまじと思う人を思えるなり。されば日々気にくわぬ事の出で来るごとに、春がすみの化けて出でたる人間の名をお豊と呼ばれて目は細々と口も閉じあえずすわれるかたわらには、いつしか色少し蒼ざめて髪黒々としとやかなる若き婦人の利発らしき目をあげてつくづくとわが顔をながめつつ「いかがでございます?」というようなる心地して武男が母は思わずもわななかれつ。「じゃって、病気をすっがわるかじゃなっか」と幾たびか陳弁すれど、なお妙に胸先に込みあげて来るものを、自己は怒りと思いつつ、果てはまた大声あげて、お豊に当たり散らしぬ。  されば、広島の旗亭に、山木が田崎に向かいて娘お豊を武男が後妻にとおぼろげならず言い出でしその時は、川島未亡人とお豊の間は去る六月における日清の間よりも危うく、彼出すか、われ出づるか、危機はいわゆる一髪にかかりしなりき。 三の一  枕べ近き小鳥の声に呼びさまされて、武男は目を開きぬ。  ベッドの上より手を伸ばして、窓かけ引き退くれば、今向こう山を離れし朝日花やかに玻璃窓にさし込みつ。山は朝霧なお白けれど、秋の空はすでに蒼々と澄み渡りて、窓前一樹染むるがごとく紅なる桜の梢をあざやかに襯し出しぬ。梢に両三羽の小鳥あり、相語りつつ枝より枝におどれるが、ふと言い合わしたるように玻璃窓のうちをのぞき、半身をもたげたる武男と顔見合わし、驚きたって飛び去りし羽風に、黄なる桜の一葉ばらりと散りぬ。  われを呼びさませし朝の使いは彼なりけるよと、武男はほほえみつ、また枕につかんとして、痛める所あるがごとくいささか眉をひそめつ。すでにしてようやく身をベッドの上に安んじ、目を閉じぬ。  朝静かにして、耳わずらわす響もなし。鶏鳴き、ふなうた遠く聞こゆ。  武男は目を開いて笑み、また目を閉じて思いぬ。        *  武男が黄海に負傷して、ここ佐世保の病院に身を託せしより、すでに一月余り過ぎんとす。  かの時、砲台の真中に破裂せし敵の大榴弾の乱れ飛ぶにうたれて、尻居にどうと倒れつつはげしき苦痛に一時われを失いしが、苦痛のはなはだしかりしわりに、脚部の傷は二か所とも幸いに骨を避けて、その他はちとの火傷を受けたるのみ。分隊長は骸も留めず、同僚は戦死し、部下の砲員無事なるはまれなりしがなかに、不思議の命をとりとめて、この海軍病院に送られつ。最初はさすがに熱もはげしく上りて、ベッドの上のうわ言にも手を戟にして敵艦をののしり分隊長と叫びては医員を驚かししが、もとより血気盛んなる若者の、傷もさまで重きにあらず、時候も秋涼に向かえるおりから、熱は次第に下り、経過よく、膿腫の患もなくて、すでに一月あまり過ぎし今日このごろは、なお幾分の痛みをば覚ゆれど、ともすれば石炭酸の臭の満ちたる室をぬけ出でて秋晴の庭におりんとしては軍医の小言をくうまでになりつ。この上はただ速やかに戦地に帰らんと、ひたすら医の許容を待てるなりき。  思いすてて塵芥よりも軽かりし命は不思議にながらえて、熱去り苦痛薄らぎ食欲復するとともに、われにもあらで生を楽しむ心は動き、従って煩悩もわきぬ。蝉は殻を脱げども、人はおのれを脱れ得ざれば、戦いの熱病の熱に中絶えし記憶の糸はその体のやや癒えてその心の平生に復るとともにまたおのずから掀げ起こされざるを得ざりしなり。  されど大疾よく体質を新たにするにひとしく、わずかに一紙を隔てて死と相見たるの経験は、武男が記憶を別様に新たならしめたり。激戦、及びその前後に相ついで起こりし異常の事と異常の感は、風雨のごとくその心を簸い撼かしつ。風雨はすでに過ぎたれど、余波はなお心の海に残りて、浮かぶ記憶はおのずから異なる態をとりぬ。武男は母を憤らず、浪子をば今は世になき妻を思うらんようにその心の龕に祭りて、浪子を思うごとにさながら遠き野末の悲歌を聞くごとく、一種なつかしき哀しみを覚えしなり。  田崎来たり見舞いぬ。武男はよりて母の近況を知りまたほのかに浪子の近況を聞きぬ。(武男の気をそこなわんことを恐れて、田崎はあえて山木の娘の一条をばいわざりき)武男は浪子の事を聞いて落涙し、田崎が去りし後も、松風さびしき湘南の別墅に病める人の面影は、黄海の戦いとかわるがわる武男が宵々の夢に入りつ。  田崎が東に帰りし後数日にして、いずくよりともなく一包みの荷物武男がもとに届きぬ。        *  武男は今その事を思えるなり。 三の二  武男が思えるはこれなり。  一週前の事なりき。武男は読みあきし新聞を投げやりて、ベッドの上にあくびしつつ、窓外を打ちながめぬ。同室の士官昨日退院して、室内には彼一人なりき。時は黄昏に近く、病室はほのぐらくして、窓外には秋雨滝のごとく降りしきりぬ。隣室の患者に電気かくるにやあらん。じじの響き絶え間なく雨に和して、うたた室内のわびしさを添えつ。聞くともなくその響に耳を仮して、目は窓に向かえば、吹きしぶく雨淋漓としてガラスにしたたり、しとどぬれたる夕暮れの庭はまだらに現われてまた消えつ。  茫然としてながめ入りし武男は、たちまち頭より毛布を引きかつぎぬ。  五分ばかりたちて、人の入り来る足音して、 「お荷物が届きました。……おやすみですか」  頭を出せば、ベッドの横側に立てるは、小使いなり。油紙包みを抱き、廿文字にからげし重やかなる箱をさげて立ちたり。  荷物? 田崎帰りてまだ幾日もなきに、たが何を送りしぞ。 「ああ荷物か。どこからだね?」  小使いが読める差し出し人は、聞きも知らぬ人の名なり。 「ちょっとあけてもらおうか」  油紙を解けば、新聞、それを解けば紫の包み出でぬ。包みを解けば出でたり、ネルの単衣、柔らかき絹物の袷、白縮緬の兵児帯、雪を欺く足袋、袖広き襦袢は脱ぎ着たやすかるべく、真綿の肩ぶとんは長き病床に床ずれあらざれと願うなるべし。箱の内は何ぞ。莎縄を解けば、なかんずく好める泡雪梨の大なるとバナナのあざらけきとあふるるまでに満ちたり。武男の心臓の鼓動は急になりぬ。 「手紙も何もはいっていないかね?」  彼をふるいこれを移せど寸の紙だになし。 「ちょいとその油紙を」  包み紙をとりて、わが名を書ける筆の跡を見るより、たちまち胸のふさがるを覚えぬ。武男はその筆を認めたるなり。  彼女なり。彼女なり。彼女ならずしてたれかあるべき。その縫える衣の一針ごとに、あとはなけれどまさしくそそげる千行の涙を見ずや。その病をつとめて書ける文字の震えるを見ずや。  人の去るを待ち兼ねて、武男は男泣きに泣きぬ。        *  もとより涸れざる泉は今新たに開かれて、武男は限りなき愛の滔々としてみなぎるを覚えつ。昼は思い、夜は彼女を夢みぬ。  されど夢ほどに世は自由ならず。武男はもとより信じて思いぬ、二人が間は死だもつんざくあたわじと。いわんや区々たる世間の手続きをや。されどもその心を実にせんとしては、その区々たる手続き儀式が企望と現実の間に越ゆべからざる障壁として立てるを覚えざるあたわざりき。世はいかにすとも、彼女は限りなくわが妻なり。されど母はわが名によって彼女を離別し、彼女が父は彼女に代わって彼女を引き取りぬ。世間の前に二人が間は絶えたるなり。平癒を待って一たび東に帰り、母にあい、浪子を訪うて心を語り、再び彼女を迎えんか。いかに自ら欺くも、武男はいわゆる世間の義理体面の上よりさることのなすべくまたなしうべきを思い得ず、事は成らずして畢竟再び母とわれとの間を前にも増して乖離せしむるに過ぎざるべきを思いぬ。母に逆らうの苦はすでになめたり。  広い宇宙に生きて思わぬ桎梏にわが愛をすら縛らるるを、歯がゆしと思えど、武男は脱るる路を知らず、やる方なき懊悩に日また日を送りつつ、ただ生死ともにわが妻は彼女と思いてわずかに自ら慰めあわせて心に浪子をば慰めけるなり。  今朝も夢さめて武男が思える所は、これなりき。  この朝軍医が例のごとく来たり診して、傷のいよいよ全癒に向かうに満足を表して去りし後、一封の書は東京なる母より届きぬ。書中には田崎帰りていささか安堵せるを書き、かついささか話したき事もあれば、医師の許可次第ひとまず都合して帰京すべしと書きたり。話したき事! もしくは彼がもっとも忌みかつ恐るるある事にはあらざるか。武男は打ち案じぬ。  武男はついに帰京せざりき。  十一月初旬、彼とひとしく黄海に手負いし彼が乗艦松島の修繕終わりて戦地に向かいしと聞くほどもなく、わずかに医師の許容を得たる武男は、請うて運送船に便乗し、あたかも大連湾を取って同湾に碇泊せる艦隊に帰り去りぬ。  佐世保を出発する前日、武男は二通の書を投函せり。一はその母にあてて。 四の一  秋風吹き初めて、避暑の客は都に去り、病を養う客ならでは留まる者なき九月初旬より、今ここ十一月初旬まで、日の温かに風なき時をえらみて、五十あまりの婢に伴なわれつつ、そぞろに逗子の浜べを運動する一人の淑女ありき。  やせにやせて砂に落つ影も細々といたわしき姿を、網曳く漁夫、日ごと浜べを歩む病客も皆見るに慣れて、あうごとに頭を下げぬ。たれつたうともなくほのかにその身の上をば聞き知れるなりけり。  こは浪子なりき。  惜しからぬ命つれなくもなお永らえて、また今年の秋風を見るに及べるなり。        *  浪子は去る六月の初め、伯母に連れられて帰京し、思いも掛けぬ宣告を伝え聞きしその翌日より、病は見る見る重り、前後を覚えぬまで胸を絞って心血の紅なるを吐き、医は黙し、家族は眉をひそめ、自己は旦夕に死を待ちぬ。命は実に一縷につながれしなりき。浪子は喜んで死を待ちぬ。死はなかなかうれしかりき。何思う間もなくたちまち深井の暗黒におちたるこの身は、何の楽しみあり、何のかいありて、世に永らえんとはすべき。たれを恨み、たれを恋う、さる念は形をなす余裕もなくて、ただ身をめぐる暗黒の恐ろしくいとわしく、早くこのうちを脱れんと思うのみ。死は実にただ一の活路なりけり。浪子は死をまちわびぬ。身は病の床に苦しみ、心はすでに世の外に飛びき。今日にもあれ、明日にもあれ、この身の絆絶えなば、惜しからぬ世を下に見て、魂千万里の空を天に飛び、なつかしき母の膝に心ゆくばかり泣きもせん、訴えもせん、と思えば待たるるは実に死の使いなりけり。  あわれ彼女は死をだに心に任せざりき。今日、今日と待ちし今日は幾たびかむなしく過ぎて、一月あまり経たれば、われにもあらで病やや間に、二月を経てさらに軽くなりぬ。思いすてし命をまたさらにこの世に引き返されて、浪子はまた薄命に泣くべき身となりぬ。浪子は実に惑えるなり。生の愛すべく死の恐るべきを知らざる身にはあらずや。何のために医を迎え、何のために薬を服し、何のために惜しからぬ命をつながんとするぞ。  されど父の愛あり。朝に夕に彼女が病床を省し、自ら薬餌を与え、さらに自ら指揮して彼女がために心静かに病を養うべき離家を建て、いかにもして彼女を生かさずばやまざらんとす。父の足音を聞き、わが病の間なるによろこぶ慈顔を見るごとに、浪子は恨みにはおとさぬ涙のおのずから頬にしたたるを覚えず、みだりに死をこいねごうに忍びずして、父のために務めて病をば養えるなり。さらに一あり。浪子は良人を疑うあたわざりき。海かれ山くずるるも固く良人の愛を信じたる彼女は、このたびの事一も良人の心にあらざるを知りぬ。病やや間になりて、ほのかに武男の消息を聞くに及びて、いよいよその信に印捺されたる心地して、彼女はいささか慰められつ。もとよりこの後のいかに成り行くべきを知らず、よしこの疾痊ゆとも一たび絶えし縁は再びつなぐ時なかるべきを感ぜざるにあらざるも、なお二人が心は冥々の間に通いて、この愛をば何人もつんざくあたわじと心に謂いて、ひそかに自ら慰めけるなり。  されば父の愛と、このほのかなる望みとは、手を尽くしたる名医の治療と相待ちて、消えんとしたる彼女が玉の緒を一たびつなぎ留め、九月初旬より浪子は幾と看護婦を伴のうて再び逗子の別墅に病を養えるなりき。 四の二  逗子に来てよりは、症やや快く、あたりの静かなるに、心も少しは静まりぬ。海の音遠き午後、湯上がりの体を安楽椅子に倚せて、鳥の音の清きを聞きつつうっとりとしてあれば、さながら去にし春のころここにありける時の心地して、今にも良人の横須賀より来たり訪わん思いもせらるるなりけり。  別墅の生活は、去る四五月のころに異ならず。幾と看護婦を相手に、日課は服薬運動の時間を違えず、体温を検し、定められたる摂生法を守るほかは、せめての心やりに歌詠み秋草を活けなどして過ごせるなり。週に一二回、医は東京より来たり見舞いぬ。月に両三日、あるいは伯母、あるいは千鶴子、まれに継母も来たり見舞いぬ。その幼き弟妹二人は病める姉をなつかしがりて、しばしば母に請えど、病を忌み、かつは二人の浪子になずくをおもしろからず思える母は、ただしかりてやみぬ。今の身の上を聞き知りてか、昔の学友の手紙を送れるも少なからねど、おおかたは文字麗しくして心を慰むべきものはかえってまれなる心地して、よくも見ざりき。ただ千鶴子の来たるをば待ちわびつ。聞きたしと思う消息は重に千鶴子より伝われるなり。  縁絶えしより、川島家は次第に遠くなりつ。幾百里西なる人の面影は日夕心に往来するに引きかえて、浪子はさらにその人の母をば思わざりき。思わずとにはあらで、思わじと務めしなりけり。心一たびその姑の上に及ぶごとに、われながら恐ろしく苦き一念の抑うれどむらむらと心にわき来たりて、気の怪しく乱れんとするを、浪子はふりはらいふりはらいて、心を他に転ぜしなり。山木の女の川島家に入り込みしと聞けるその時は、さすがに心地乱れぬ。しかもそはわが思う人のあずかり知る所ならざるべきを思いて、しいて心をそなたにふさげるなり。彼女が身は湘南に病に臥して、心は絶えず西に向かいぬ。  この世において最も愛すなる二人は、現に征清の役に従えるならずや。父中将は浪子が逗子に来たりしより間もなく、大元帥纛下に扈従して広島におもむき、さらに遠く遼東に向かわんとす。せめて新橋までと思えるを、父は制して、くれぐれも自愛し、凱旋の日には全快して迎えに来よと言い送りぬ。武男はあの後直ちに戦地に向かいて、現に連合艦隊の旗艦にありと聞く。秋雨秋風身につつがなく、戦闘の務めに服せらるるや、いかに。日々夜々陸に海に心は馳せて、世には要なしといえる浪子もおどる心に新聞をば読みて、皇軍連勝、わが父息災、武男の武運長久を祈らぬ日はあらざりしなり。  九月末にいたり、黄海の捷報は聞こえ、さらに数日を経て負傷者のうちに浪子は武男の姓名を見出しぬ。浪子は一夜眠らざりき。幸いに東京なる伯母のその心をくめるありて、いずくより聞き得て報ぜしか、浪子は武男の負傷のはなはだしく重からずして現に佐世保の病院にある由を知りつ。生死の憂いを慰められしも、さてかなたを思いやりて、かくもしたしと思う事の多きにつけても、今の身の上の思うに任せぬ恨みはまたむらむらと胸をふさぎぬ。なまじいに夫妻の名義絶えしばかりに、まさしく心は通いつつ、彼は西に傷つき、われは東に病みて、行きて問うべくもあらぬのみか、明らさまにははがき一枚の見舞すら心に任せぬ身ならずや。かく思いてはやる方なくもだえしが、なおやみ難き心より思いつきて、浪子は病の間々に幾を相手にその人の衣を縫い、その好める品をも取りそろえつつ、裂けんとすなる胸の思いの万分一も通えかしと、名をばかくして、はるかに佐世保に送りしなり。  週去り週来たりて、十一月中旬、佐世保の消印ある一通の書は浪子の手に落ちたり。浪子はその書をひしと握りて泣きぬ。 四の三  打ち連れて土曜の夕べより見舞に来し千鶴子と妹駒子は、今朝帰り去りつ。しばしにぎやかなりし家の内また常のさびしきにかえりて、曇りがちなる障子のうち、浪子はひとり床にかけたる亡き母の写真にむかいて坐しぬ。  今日、十一月十九日は亡き母の命日なり。はばかる人もなければ、浪子は手匣より母の写真取り出でて床にかけ、千鶴子が持て来し白菊のやや狂わんとするをその前に手向け、午後には茶など点れて、幾の昔語りに耳傾けしが、今は幾も看護婦も罷りて、浪子はひとり写真の前に残れるなり。  母に別れてすでに十年にあまりぬ。十年の間、浪子は亡き母を忘るるの日なかりき。されど今日このごろはなつかしさの堪え難きまで募りて、事ごとにその母を思えり。恋しと思う父は今遠く遼東にあり。継母は近く東京にあれど、中垣の隔て昔のままに、ともすれば聞きづらきことも耳に入る。亡き母の、もし亡き母の無事に永らえて居たまわば、かの苦しみも告げ、この悲しさも訴えて、かよわきこの身に負いあまる重荷もすこしは軽く思うべきに、何ゆえ見すてて逝きたまいしと思う下より涙はわきて、写真は霧を隔てしようにおぼろになりぬ。  昨日のようなれど、指を折れば十年たちたり。母上の亡くなりたもうその年の春なりき。自身は八歳、妹は五歳(そのころは片言まじりの、今はあの通り大きくなりけるよ)桜模様の曙染、二人そろうて美しと父上にほめられてうれしく、われは右妹は左母上を中に、馬車をきしらして、九段の鈴木に撮らししうちの一枚はここにかけたるこの写真ならずや。思えば十年は夢と過ぎて、母上はこの写真になりたまい、わが身は──。  わが身の上は思わじと定めながらも、味気なき今の境涯はあいにくにありありと目の前に現われつ。思えば思うほどなんの楽しみもなんの望みもなき身は十重二十重黒雲に包まれて、この八畳の間は日影も漏れぬ死囚牢になりかわりたる心地すなり。  たちまち柱時計は家内に響き渡りて午後二点をうちぬ。おどろかれし浪子はのがるるごとく次の間に立てば、ここには人もなくて、裏の方に幾と看護婦と語る声す。聞くともなく耳傾けし浪子は、またこの室を出でて庭におり立ち、枝折戸あけて浜に出でぬ。  空は曇りぬ。秋ながらうっとりと雲立ち迷い、海はまっ黒に顰みたり。大気は恐ろしく静まりて、一陣の風なく、一波だに動かず、見渡す限り海に帆影絶えつ。  浪子は次第に浜を歩み行きぬ。今日は網曳する者もなく、運動する客の影も見えず。孩を負える十歳あまりの女の子の歌いながら貝拾えるが、浪子を見てほほえみつつ頭を下げぬ。浪子は惨として笑みつ。またうっとりと思いつづけて、うつむきて歩みぬ。  たちまち浪子は立ちどまりぬ。浜尽き、岩起これるなり。岩に一条の路あり、そをたどれば滝の不動にいたるべし。この春浪子が良人に導かれて行きしところ。  浪子はその路をとりて進みぬ。 四の四  不動祠の下まで行きて、浪子は岩を払うて坐しぬ。この春良人と共に坐したるもこの岩なりき。その時は春晴うらうらと、浅碧の空に雲なく、海は鏡よりも光りき。今は秋陰暗として、空に異形の雲満ち、海はわが坐す岩の下まで満々とたたえて、そのすごきまで黯き面を点破する一帆の影だに見えず。  浪子はふところより一通の書を取り出しぬ。書中はただ両三行、武骨なる筆跡の、しかも千万語にまさりて浪子を思いに堪えざらしめつ。「浪子さんを思わざるの日は一日も無之候」。この一句を読むごとに、浪子は今さらに胸迫りて、恋しさの切らるるばかり身にしみて覚ゆるなりき。  いかなればかく枉れる世ぞ。身は良人を恋い恋いて病よりも思いに死なんとし、良人はかくも想いて居たもうを、いかなれば夫妻の縁は絶えけるぞ。良人の心は血よりも紅に注がれてこの書中にあるならずや。現にこの春この岩の上に、二人並びて、万世までもと誓いしならずや。海も知れり。岩も記すべし。さるをいかなれば世はほしいままに二人が間を裂きたるぞ。恋しき良人、なつかしき良人、この春この岩の上に、岩の上──。  浪子は目を開きぬ。身はひとり岩の上に坐せり。海は黙々として前にたたえ、後ろには滝の音ほのかに聞こゆるのみ。浪子は顔打ちおおいつつむせびぬ。細々とやせたる指を漏りて、涙ははらはらと岩におちたり。  胸は乱れ、頭は次第に熱して、縦横に飛びかう思いは梭のごとく過去を一目に織り出しつ。浪子は今年の春良人にたすけ引かれてこの岩に来たりし時を思い、発病の時を思い、伊香保に遊べる時を思い、結婚の夕べを思いぬ。伯母に連れられて帰京せし時、むかしむかしその母に別れし時、母の顔、父の顔、継母、妹を初めさまざまの顔は雷光のごとくその心の目の前を過ぎつ。浪子はさらに昨日千鶴子より聞きし旧友の一人を思いぬ。彼女は浪子より二歳長けて一年早く大名華族のうちにも才子の聞こえある洋行帰りの某伯爵に嫁ぎしが、舅姑の気には入りて、良人にきらわれ、子供一人もうけながら、良人は内に妾を置き外に花柳の遊びに浸り今年の春離縁となりしが、ついこのごろ病死したりと聞く。彼女は良人にすてられて死し、われは相思う良人と裂かれて泣く。さまざまの世と思えば、彼も悲しく、これもつらく、浪子はいよいよ黝うなり来る海の面をながめて太息をつきぬ。  思うほど、気はますます乱れて、浪子は身を容るる余裕もなきまで世のせまきを覚ゆるなり。身は何不足なき家に生まれながら、なつかしき母には八歳の年に別れ、肩をすぼめて継母の下に十年を送り、ようやく良縁定まりて父の安堵われもうれしと思う間もなく、姑の気には入らずとも良人のためには水火もいとわざる身の、思いがけなき大疾を得て、その病も少しは痊らんとするを喜べるほどもなく、死ねといわるるはなお慈悲の宣告を受け、愛し愛さるる良人はありながら容赦もなく間を裂かれて、夫と呼び妻と呼ばるることもならぬ身となり果てつ。もしそれほど不運なるべき身ならば、なにゆえ世には生まれ来しぞ。何ゆえ母上とともに、われも死なざりしぞ。何ゆえに良人のもとには嫁しつるぞ。何ゆえにこの病を発せしその時、良人の手に抱かれては死せざりしぞ。何ゆえに、せめてかの恐ろしき宣告を聞けるその時、その場に倒れては死なざりしぞ。身には不治の病をいだきて、心は添われぬ人を恋う。何のためにか世に永らうべき。よしこの病癒ゆとも、添われずば思いに死なん──死なん。  死なん。何の楽しみありて世に永らうべき。  はふり落つる涙をぬぐいもあえず、浪子は海の面を打ちながめぬ。  伊豆大島の方に当たりて、墨色に渦まける雲急にむらむらと立つよと見る時、いうべからざる悲壮の音ははるかの天空より落とし来たり、大海の面たちまち皺みぬ。一陣の風吹き出でけるなり。その風鬢をかすめて過ぎつと思うほどなくまっ黒き海の中央に一団の雪わくと見る見る奔馬のごとく寄せて、浪子が坐したる岩も砕けよとうちつけつ。渺々たる相洋は一分時ならずして千波万波鼎のごとく沸きぬ。  雨と散るしぶきを避けんともせず、浪子は一心に水の面をながめ入りぬ。かの水の下には死あり。死はあるいは自由なるべし。この病をいだいて世に苦しまんより、魂魄となりて良人に添うはまさらずや。良人は今黄海にあり。よしはるかなりとも、この水も黄海に通えるなり。さらば身はこの海の泡と消えて、魂は良人のそばに行かん。  武男が書をばしっかとふところに収め、風に乱るる鬢かき上げて、浪子は立ち上がりぬ。  風は飇々として無辺の天より落とし来たり、かろうじて浪子は立ちぬ。目を上ぐれば、雲は雲と相追うて空を奔り、海は目の届く限り一面に波と泡とまっ白に煮えかえりつ。湾を隔つる桜山は悲鳴してたてがみのごとく松を振るう。風吼え、海哮り、山も鳴りて、浩々の音天地に満ちぬ。  今なり、今なり、今こそこの玉の緒は絶ゆる時なれ。導きたまえ、母。許したまえ、父。十九年の夢は、今こそ──。  襟引き合わせ、履物をぬぎすてつつ、浪子は今打ち寄せし浪の岩に砕けて白泡沸るあたりを目がけて、身をおどらす。  その時、あと背後に叫ぶ声して、浪子はたちまち抱き止められつ。 五の一 「ばあや。お茶を入れるようにしてお置き。もうあの方がいらっしゃる時分ですよ」  かく言いつつ浪子はおもむろに幾を顧みたり。幾はそこらを片づけながら 「ほんとにあの方はいい方でございますねエ。あれでも耶蘇でいらッしゃいますッてねエ」 「ああそうだッてね」 「でもあんな方が切支丹でいらッしゃろうとは思いませんでしたよ。それにあんなに髪を切ッていらッしゃるのですら」 「なぜかい?」 「でもね、あなた、耶蘇の方では御亭主が亡くなッても髪なんぞ切りませんで、なおのことおめかしをしましてね、すぐとまたお嫁入りの口をさがしますとさ」 「ほほほほ、ばあやはだれからそんな事を聞いたのかい?」 「イイエ、ほんとでございますよ。一体あの宗旨では、若い娘までがそれは生意気でございましてね、ほんとでございますよ。幾が親類の隣家に一人そんな娘がございましてね、もとはあなたおとなしい娘で、それがあの宗旨の学校にあがるようになりますとね、あなた、すっかりようすが変わっちまいましてね、日曜日になりますとね、あなた、母親が今日は忙しいからちっと手伝いでもしなさいと言いましてもね、平気でそのお寺にいっちまいましてね、それから学校はきれいだけれども家はきたなくていけないの、母さんは頑固だの、すぐ口をとがらしましてね、それに学校に上がっていましても、あなた、受取証が一枚書けませんでね、裁縫をさせますと、日が一日襦袢の袖をひねくっていましてね、お惣菜の大根をゆでなさいと申しますと、あなた、大根を俎板に載せまして、庖丁を持ったきりぼんやりしておるのでございますよ。両親もこんな事ならあんな学校に入れるんじゃなかったと悔やんでいましてね。それにあなた、その娘はわたしはあの二百五十円より下の月給の良人には嫁かない、なんぞ申しましてね。ほんとにあなた、あきれかえるじゃございませんか。もとはやさしい娘でしたのに、どうしてあんなになったンでございましょうねエ。これが切支丹の魔法でございましょうね」 「ほほほほ。そんなでも困るのね。でも、何だッて、いい所もあれば、わるいところもあるから、よく知らないではいわれないよ。ねエばあや」  心得ずといわんがごとく小首傾けし幾は、熱心に浪子を仰ぎつつ 「でもあなた、耶蘇だけはおよし遊ばせ」  浪子はほほえみつ。 「あの方とお話ししてはいけないというのかい」 「耶蘇がみんなあんな方だとようございますがねエ、あなた。でも──」  幾は口をつぐみぬ。うわさをすれば影ありありと西側の障子に映り来たれるなり。 「お庭口から御免ください」  細く和らかなる女の声響きて、忙わしく幾がたちてあけし障子の外には、五十あまりの婦人の小作りなるがたたずみたり。年よりも老けて、多き白髪を短くきり下げ、黒地の被布を着つ。やせたる上にやつれて見ゆれば、打ち見にはやや陰気に思わるれど、目に温かなる光ありて、細き口もとにおのずからなる微笑あり。  幾があたかもうわさしたるはこの人なり。未だし。一週間以前の不動祠畔の水屑となるべかりし浪子をおりよくも抱き留めたるはこの人なりけり。  ラッパを吹き鼓を鳴らして名を売ることをせざれば、知らざる者は名をだに聞かざれど、知れる者はその包むとすれどおのずから身にあふるる光を浴びて、ながくその人を忘るるあたわずというなり。姓は小川名は清子と呼ばれて、目黒のあたりにおおぜいの孤児女と棲み、一大家族の母として路傍に遺棄せらるる幾多の霊魂を拾いてははぐくみ育つるを楽しみとしつ。肋膜炎に悩みし病余の体を養うとて、昨月の末より此地に来たれるなるが、かの日、あたかも不動祠にありて図らず浪子を抱き止め、その主人を尋ねあぐみて狼狽して来たれる幾に浪子を渡せしより、おのずから往来の道は開けしなり。 五の二  茶を持て来て今罷らんとしつる幾はやや驚きて 「まあ、明日お帰京遊ばすんで。へエエ。せっかくおなじみになりかけましたのに」  老婦人もその和らかなる眼光に浪子を包みつつ 「私もも少し逗留して、お話もいたしましょうし、ごあんばいのいいのを見て帰りたいのでございますが──」  言いつつ懐中より小形の本を取り出し、 「これは聖書ですがね。まだごらんになったことはございますまい」  浪子はいまださる書を読まざるなり。彼女が継母は、その英国に留学しつる間は、信徒として知られけるが、帰朝の日その信仰とその聖書をば挙げてその古靴及び反故とともにロンドンの仮寓にのこし来たれるなり。 「はい、まだ拝見いたした事はございませんが」  幾はなお立ち去りかねて、老婦人が手中の書を、目を円にしてうちまもりぬ。手品の種はかのうちに、と思えるなるべし。 「これからその何でございますよ、御気分のよろしい時分に、読んでごらんになりましたら、きっとおためになることがあろうと思いますよ。私も今少し逗留していますと、いろいろお話もいたすのですが──今日はお告別に私がこの書を読むようになりましたその来歴をね、お話ししたいと思いますが。あなたお疲れはなさいませんか。何なら御遠慮なくおやすみなすッて」  しみじみと耳傾けし浪子は顔を上げつ。 「いいえ、ちょっとも疲れはいたしません。どうかお話し遊ばして」  茶を入れかえて、幾は次に立ちぬ。  小春日の午後は夜よりも静かなり。海の音遠く、障子に映る松の影も動かず。ただはるかに小鳥の音の清きを聞く。東側のガラス障子を透かして、秋の空高く澄み、錦に染まれる桜山は午後の日に燃えんとす。老婦人はおもむろに茶をすすりて、うつむきて被布の膝をかいなで、仰いで浪子の顔うちまもりつつ、静かに口を開き始めぬ。 「人の一生は長いようで短く、短いようで長いものですよ。  私の父は旗本で、まあ歴々のうちでした。とうに人の有になってしまったのですが、ご存じでいらッしゃいましょう、小石川の水道橋を渡って、少しまいりますと、大きな榎が茂っている所がありますが、私はあの屋敷に生まれましたのです。十二の年に母は果てます、父はひどく力を落としまして後妻もとらなかったのですから、子供ながら私がいろいろ家事をやってましたね。それから弟に嫁をとって、私はやはり旗下の、格式は少し上でしたが小川の家にまいったのが、二十一の年、あなた方はまだなかなかお生まれでもなかったころでございますよ。  私も女大学で育てられて、辛抱なら人に負けぬつもりでしたが、実際にその場に当たって見ますと、本当に身にしみてつらいことも随分多いのでしてね。時勢が時勢で、良人は滅多に宅にいませず、舅姑に良人の姉妹が二人=これはあとで縁づきましたが=ありまして、まあ主人を五人もったわけでして、それは人の知らぬ心配もいたしたのですよ。舅はそうもなかったのですが、姑がよほど事えにくい人でして、実は私の前に、嫁に来た婦人があったのですが、半歳足らずの間に、逃げて帰ったということで、亡くなッた人をこう申すのははしたないようですが、気あらな、押し強い、弁も達者で、まあ俗に背かを打って咽をしむるなど申しますが、ちょっとそんな人でした。私も十分辛抱をしたつもりですが、それでも時々は辛抱しきれないで、屏風の陰で泣いて、赤い目を見てしかられてまた泣いて、亡くなった母を思い出すのもたびたびでした。  そうするうちに維新の騒ぎになりました。江戸じゅうはまるで鍋のなかのようでしてね。良人も父も弟もみんな彰義隊で上野にいます、それに舅が大病で、私は懐妊というのでしょう。ほんとに気は気でなかったのでした。  それから上野は落ちます、良人は宇都宮からだんだん函館までまいり、父は行くえがわからなくなり、弟は上野で討死をいたして、その家族も失踪ってしまいますし、舅もとうとう病死をしましてね、そのなかでわたくしは産をいたしますし、何が何やらもう夢のようで、それから家禄はなくなる、家財はとられますし、私は姑と年寄りの僕を一人連れましてね、当歳の児を抱いてあの箱根をこえて静岡に落ちつくまでは、恐ろしい夢を見たようでした」  この時看護婦入り来たりて、会釈しつつ、薬を浪子にすすめ終わりて、出で行きたり。しばし瞑目してありし老婦人は目を開きて、また語りつづけぬ。 「静岡での幕士の苦労は、それはお話になりませんくらいで、将軍家がまずあの通り、勝先生なんぞも裏小路の小さな家にくすぶっておいでの時節ですからね、五千石の私どもに三人扶持はもったいないわけですが、しかし恥ずかしいお話ですが、そのころはお豆腐が一丁とは買えませんで、それに姑はぜいたくになれておるのですから、ほんとに気をもみましたよ。で、私はね、町の女子供を寄せて手習いや、裁縫を教えたり、夜もおそくまで、賃仕事をしましてね。それはいいのですが、姑はいよいよ気が荒くなりまして、時勢のしわざを私に負わすようなわけで、それはひどく当たりますし、良人はいませず=良人は函館後はしばらく牢に入っていました=父の行くえもわかりませんし、こんな事なら死んだ方がと思ったことは日に幾たびもありましたが、それを思い返し思い返ししていたのです。本当にこのころは一年に年の十もとりましたのですよ。  そうするうちに、良人も陸軍に召し出さるるようになって、また箱根をこえて、もう東京ですね、その東京に帰ったのが、さよう、明治五年の春でした。その翌春良人は洋行を命ぜられましてね。朝夕の心配はないようになったのですが、姑の気分は一向に変わりませず──それはいいのでございますが、気にかかる父の行くえがどうしてもわかりません。  良人が洋行しましたその秋、ひどい雨の降る日でしたがね、小石川の知己までまいって、その家で雇ってもらった車に乗って帰りかけたのです。日は暮れます、ひどい雨風で、私は幌の内に小さくなっていますと、車夫はぼとぼとぼとぼと引いて行きましょう、饅頭笠をかぶってしわだらけの桐油合羽をきているのですが、雨がたらたらたらたら合羽から落ちましてね、提灯の火はちょろちょろ道の上に流れて、車夫は時々ほっほっ太息をつきながら引いて行くのです。ちょうど水道橋にかかると、提灯がふっと消えたのです。車夫は梶棒をおろして、奥様、お気の毒ですがその腰掛けの下にオランダ付け木(マッチの事ですよ)がはいっていますから、というのでしょう。風がひどいのでよくは聞こえないのですがその声が変に聞いたようでね、とやこうしてマッチを出して、蹴込みの方に向いてマッチをする、その火光で車夫の顔を見ますと、あなた、父じゃございませんか」  老婦人がわれにもあらず顔打ちおおいぬ。浪子は汪然として泣けり。次の間にも飲泣の声聞こゆ。 五の三  目をぬぐいて、老婦人は語り続けぬ。 「同じ東京にいながら、知らずにいればいられるものですねエ。それから父と連れ立って、まあ近くの蕎麦屋にまいりましてね、様子を聞いて見ますと、上野の落ちた後は諸処方々を流浪して、手習いの先生をしたり、病気したり、今は昔の家来で駒込のすみにごくごく小さな植木屋をしているその者にかかッて、自身はこう毎日貸し車を引いているというのでございますよ。うれしいやら、悲しいのやら、情けないのやら、込み上げて、ろくに話もできないのです。それからまあその晩は父に心づけられて別れましてね。  夜も大分ふけていました。帰るとあなた姑は待ち受けていたという体で、それはひどい怒りよう苦りようで、情けないじゃございませんか、私に何かくらい、あるまじいしわざでもあるように言いましてね。胸をさすッて、父の事を打ち明けて申しますと、気の毒と思ってくれればですが、それはもう聞きづらい恥ずかしい事を──あまり口惜しくて、情けなくて、今度ばかりは辛抱も何もない、もうもう此家にはいない、今からすぐと父のそばに行って、とそう思いましてね、姑が臥せりましたあとで、そっと着物を着かえて、悴=六つでした=がこう寝んでいます枕もとで書き置きを書いていますと、悴が夢でも見たのですか、眠ったまま右の手を伸ばして「母さま、行っちゃいやよ」と申すのですよ。その日小石川にまいる時置いて行ったのですから、その夢を見たのでしょうが、びっくりしてじっとその寝顔を見ていますと、その顔が良人の顔そのままになって、私は筆を落として泣いていました。そうすると、まあどうして思い出したのでございますか、まだ子供の時分にね、寝物語に母から聞いた嫁姑の話、あの話がこうふと心に浮かみましてね、ああ私一人の辛抱で何も無事に治まることと、そうおもい直しましてね──あなた、御退屈でしょう?」  身にしみて聴ける浪子は、答うるまでもなくただ涙の顔を上げつ。幾が新たにくめる茶をすすりて、老婦人は再び談緒をつぎぬ。 「それからとやかく姑にわびましてね、しかしそんなわけですからなかなか父を引き取るの貢ぐのということはできません。で、まあごく内々で身のまわり=多くもありませんでしたが=の物なんぞ売り払ったり、それもながくは続かないのですから、良人の知己に頼みましてね、ある外国公使の夫人に物好きで日本の琴を習いたいという人がありましてね、それで姑の前をとやかくしてそれから月に幾たび琴を教えて、まあ少しは父を楽にすることができたのですが、そうするうちに、その夫人と懇意になりましてね、それは珍しいやさしい人でして、時々は半解の日本語でいろいろ話をしましてね、読んでごらんなさいといって本を一冊くれました。それがね、そのころ初めて和訳になったマタイ伝──この聖書の初めにありますのでした。少し読みかけて見たのですが、何だか変な事ばかり書いてありまして、まあそのままにうっちゃって置いたのでした。  それから翌年の春、姑はふと中風になりましてね、気の強い人でしたが、それはもう子供のように、ひどくさびしがって、ちょいとでもはずしますと、お清お清とすぐ呼ぶのでございますよ。そばにすわって、蠅を追いながら、すやすや眠る姑の顔を見ていますと、本当にこうなるものをなぜ一度でも心に恨んだことがあったろう、できることならもう一度丈夫にして、とそうおもいましてね、精一杯骨を折ったのですが、そのかいもないのでした。  姑が亡くなりますとほどなく良人が帰朝しましてね。それから引き取るというきわになって、父も安心したせいですか、急に病気になって、つい二三日でそれこそ眠るように消えました。もう生涯会われぬと思った娘には会うし、やさしくしてくれるし、自分ほど果報者はないと、そう申しましてね。──でも私は思う十分一もできませんで、今でも思い出すたびにもう一度活かして思う存分喜ばして見たいと思わぬ時はありませんよ。  それから良人は次第に立身いたします、悴は大きくなりまして、私もよほど楽になったのですが、ただ気をもみましたのは、良人の大酒──軍人は多くそうですが──の癖でした。それから今でもやはりそうですが、そのころは別してね、男子の方が不行跡で、良人なんぞはまあ西洋にもまいりますし、少しはいいのでしたが、それでも恥ずかしい事ですが、私も随分心配をいたしました。それとなく異見をしましても、あなた、笑って取り合いませんのですよ。  そうするうちにあの十年の戦争になりまして、良人──近衛の大佐でした──もまいります。そのあとに悴が猩紅熱で、まあ日夜つきッきりでした。四月十八日の夜でした、悴が少しいい方でやすんでいますから、婢なぞもみんな寝せまして、私は悴の枕もとに、行燈の光で少し縫い物をしていますと、ついうとうといたしましてね。こう気が遠くなりますと、すうと人の来る気はいがいたして、悴の枕もとにすわる者があるのです。たれかと思って見ますと、あなた、良人です、軍服のままで、血だらけになりまして、蒼ざめて──ま、あなた、思わずいったその声にふッと目がさめて、あたりを見るとだれもいません。行燈の火がとろとろ燃えて、悴はすやすや眠っています。もうすっかり汗になりまして、動悸がはげしくうって──  その翌日から悴は急にわるくなりまして、とうとうその夕刻に息を引き取りましてね。もう夢のようになりましてその骸を抱いているうちに、着いたのが良人が討死の電報でした」  話者は口をつぐみ、聴者は息をのみ、室内しんとして水のごとくなりぬ。  やや久しゅうして、老婦人は再び口を開けり。 「それから一切夢中でしてね、日と月と一時に沈ったと申しましょうか、何と申しましょうか、それこそほんにまっ暗になりまして、辛抱に辛抱して結局がこんな事かと思いますと、いっそこのままなおらずに──すぐそのあとで臥病ましたのですよ──と思ったのですが、幸か不幸か病気はだんだんよくなりましてね。  病気はよくなったのですが、もう私には世の中がすっかり空虚になったようで、ただ生きておるというばかりでした。そうするうちに、知己の勧めでとにかく家をたたんでしばらくその宅にまいることになりましてね。病後ながらぶらぶら道具や何か取り細めていますと、いつでしたか箪笥を明けますとね、亡くなりました悴の袷の下から書が出てまいりましてね、ふと見ますと先年外国公使の夫人がくれましたその聖書でございますよ。読むでもなくつい見ていますと、ちょいとした文句が、こう妙に胸に響くような心地がしましてね──それはこの書にも符号をつけて置きましたが──それから知己の宅に越しましても、時々読んでいました。読んでいますうちに、山道に迷った者がどこかに鶏の声を聞くような、まっくらな晩にかすかな光がどこからかさすように思いましてね。もうその書をくれた公使の夫人は帰国して、いなかったのですが、だれかに話を聞いて見たいと思っていますうちに、知己の世話でそのころできました女の学校の舎監になって見ますと、それが耶蘇教主義の学校でして、その教師のなかにまだ若い御夫婦の方でしたが、それは熱心な方がありましてね、この御夫婦が私のまあ先達になってくだすったのですよ。その先達に初歩を教わってこの道に入りましてから、今年でもう十六年になりますが、杖とも思うは実にこの書で、一日もそばを放さないのでございますよ。霊魂不死という事を信じてからは、死を限りと思った世の中が広くなりまして、天の父を知ってからは親を失ってまた大きな親を得たようで、愛の働きを聞いてからは子を失くしてまたおおぜいの子を持った心地で、望みという事を教えられてから、辛抱をするにも楽しみがつきましてね──  私がこの書を読むようになりましたしまつはまあざッとこんなでございますよ」  かく言い来たりて、老婦人は熱心に浪子の顔打ちまもり、 「実は、御様子はうすうす承っていましたし、ああして時々浜でお目にかかるのですから、ぜひ伺いたいと思う事もたびたびあったのですが、──それがこうふとお心やすくいたすようになりますと、またすぐお別れ申すのは、まことに残念でございますよ。しかしこう申してはいかがでございますが、私にはどうしても浅日のお面識の方とは思えませんよ。どうぞ御身を大事に遊ばして、必ず気をながくお持ち遊ばして、ね、決して短気をお出しなさらぬように──御気分のいい時分はこの書をごらん遊ばして──私は東京に帰りましても、朝夕こちらの事を思っておりますよ」        *  老婦人はその翌日東京に去りぬ。されどその贈れる一書は常に浪子の身近に置かれつ。  世にはかかる不幸を経てもなお人を慰むる誠を余せる人ありと思えば、母ならず伯母ならずしてなおこの茫々たる世にわれを思いくくる人ありと思えば、浪子はいささか慰めらるる心地して、聞きつる履歴を時々思い出でては、心こめたる贈り物の一書をひもとけるなり。 六の一  第二軍は十一月二十二日をもって旅順を攻め落としつ。 「お母さま、お母さま」  新聞を持ちたるままあわただしく千鶴子はその母を呼びたり。 「何ですね。もっと静かに言をお言いなさいな」  水色の眼鏡にちょっとにらまれて、さっと面に紅潮を散らしながら、千鶴子はほほと笑いしが、またまじめになりて、 「お母さま、死にましたよ、あれが──あの千々岩が!」 「エ、千々岩! あの千々岩が! どうして? 戦死かい?」 「戦死将校のなかに名が出ているわ。──いい気味!」 「またそんなはしたないことを。──そうかい。あの千々岩が戦死したのかい! でもよく戦死したねエ、千鶴さん」 「いい気味! あんな人は生きていたッて、邪魔になるばかりだわ」  加藤子爵夫人はしばし黙然として沈吟しぬ。 「死んでもだれ一人泣いてくれる者もないくらいでは、生きがいのないものだね、千鶴さん」 「でも川島のおばあさんが泣きましょうよ。──川島てば、お母さま、お豊さんがとうと逃げ出したんですッて」 「そうかい?」 「昨日ね、また何か始めてね、もうもうこんな家にはいないッて、泣き泣き帰っちまいましたんですッて。ほほほほほほようすが見たかったわ」 「だれが行ってもあの家では納まるまいよ、ねエ千鶴さん」  母子相見て言葉途絶えぬ。        *  千々岩は死せるなり。千鶴子母子が右の問答をなしつるより二十日ばかり立ちて、一片の遺骨と一通の書と寂しき川島家に届きたり。骨は千々岩の骨、書は武男の書なりき。その数節を摘みてん。 ⦅前文略⦆  旅順陥落の翌々日、船渠船舶等艦隊の手に引き取ることと相成り、将校以下数名上陸いたし、私儀も上陸仕り候。激戦後の事とて、惨状は筆紙に尽くし難く⦅中略⦆仮設野戦病院の前を過ぎ候ところ、ふと担架にて人を運び居候を見受け申し候。青毛布をおおい、顔には白木綿のきれをかけて有之、そのきれの下より見え候口もと顋のあたりいかにも見覚えあるようにて、尋ね申し候えば、これは千々岩中尉と申し候。その時の喫驚御察しくださるべく候。⦅中略⦆おおいをとり申し候えば、色蒼ざめ、きびしく歯をくいしばり居申し候。創は下腹部に一か所、その他二か所、いずれも椅子山砲台攻撃の際受け候弾創にて、今朝まで知覚有之候ところ、ついに絶息いたし候由。⦅中略⦆なお同人の同僚につきいろいろ承り候ところ、彼は軍中の悪まれ者ながら戦争のみぎりは随分相働き、すでに金州攻撃の際も、部下の兵士と南門の先登をいたし候由にて、今回もなかなか働き候との事に御座候。もっとも平生は往々士官の身にあるまじき所行も内々有之、陣中ながら身分不相応の金子を貯え居申し候。すでに一度は貔子窩において、軍司令官閣下の厳令あるにかかわらず、何か徴発いたし候とて土民に対し惨刻千万の仕打ち有之すでにその処分も有之べきところ⦅中略⦆とにかく戦死は彼がためにもっけの幸いに有之べく候。  母上様御承知の通り、彼は重々不埒のかども有之、彼がためには実に迷惑もいたし、私儀もすでに断然絶交いたしおり候事に有之候えども、死骸に対しては恨みも御座なく、昔兄弟のように育ち候事など思い候えば、不覚の落涙も仕り候事に御座候。よって許可を受け、火葬いたし、骨を御送り申し上げ候。しかるべく御葬り置きくだされたく願い奉り候。 ⦅下略⦆  武男が旅順にて遭遇しつる事はこれに止まらず、わざと書中に漏らしし一の出来事ありき。 六の二  武男が書中に漏れたる事実は、左のごとくなりき。  千々岩の死骸に会えるその日、武男はひとり遅れて埠頭の方に帰り居たり。日暮れぬ。  舎営の門口のきらめく歩哨の銃剣、将校馬蹄の響き、下士をしかりいる士官、あきれ顔にたたずむ清人、縦横に行き違う軍属、それらの間を縫うて行けば、軍夫五六人、焚火にあたりつ。 「めっぽう寒いじゃねエか。故国にいりや、葱鮪で一杯てえとこだ。吉、てめえアまたいい物引っかけていやがるじゃねえか」  吉といわれし軍夫は、分捕りなるべし、紫緞子の美々しき胴衣を着たり。 「源公を見ねえ。狐裘の四百両もするてえやつを着てやがるぜ」 「源か。やつくれえばかに運の強えやつアねえぜ。博ちゃア勝つ、遊んで褒美はもれえやがる、鉄砲玉ア中りッこなし。運のいいたやつのこっだ。おいらなんざ大連湾でもって、から負けちゃって、この袷一貫よ。畜生め、分捕りでもやつけねえじゃ、ほんとにやり切れねえや」 「分捕りもいいが、きをつけねえ。さっきもおれアうっかり踏ん込むと、殺しに来たと思いやがったンだね、いきなり桶の後ろから抜剣の清兵が飛び出しやがって、おいらアもうちっとで娑婆にお別れよ。ちょうど兵隊さんが来て清兵めすぐくたばっちまやがったが。おいらア肝つぶしちゃったぜ」 「ばかな清兵じゃねえか。まだ殺され足りねえてンだな」  旅順落ちていまだ幾日もあらざれば、げに清兵の人家に隠れて捜し出されて抵抗せしため殺さるるも少なからざりけるなり。  聞くともなき話耳に入りて武男はいささか不快の念を動かしつつ、次第に埠頭の方に近づきたり。このあたり人け少なく、燈火まばらにして、一方に建てつらねたる造兵廠の影黒く地に敷き、一方には街燈の立ちたるが、薄月夜ほどの光を地に落とし、やせたる狗ありて、地をかぎて行けり。  武男はこの建物の影に沿うて歩みつつ、目はたちまち二十間を隔てて先に歩み行く二つの人影に注ぎたり。後影は確かにわが陸軍の将校士官のうちなるべし。一人は濶大に一人は細小なるが、打ち連れて物語などして行くさまなり。武男はその一人をどこか見覚えあるように思いぬ。  たちまち武男はわれとかの両人の間にさらに人ありて建物の影を忍び行くを認めつ。胸は不思議におどりぬ。家の影さしたれば、明らかには見えざれど、影のなかなる影は、一歩進みて止まり、二歩行きてうかがい、まさしく二人のあとを追うて次第に近づきおるなり。たまたま家と家との間絶えて、流れ込む街燈の光に武男はその清人なるを認めつ。同時にものありて彼が手中にひらめくを認めたり。胸打ち騒ぎ、武男はひそかに足を早めてそのあとを慕いぬ。  最先に歩めるかの二人が今しも街の端にいたれる時、闇中を歩めるかの黒影は猛然と暗を離れて、二人を追いぬ。驚きたる武男がつづいて走り出せる時、清人はすでに六七間の距離に迫りて、右手は上がり、短銃響き、細長なる一人はどうと倒れぬ。驚きて振りかえる他の一人を今一発、短銃の弾機をひかんとせる時、まっしぐらに馳せつきたる武男は拳をあげて折れよと彼が右腕をたたきつ。短銃落ちぬ。驚き怒りてつかみかかれる彼を、武男は打ち倒さんと相撲う。かの濶大なる一人も走せ来たりて武男に力を添えんとする時、短銃の音に驚かされしわが兵士ばらばらと走せきたり、武男が手にあまるかの清人を直ちに蹴倒して引っくくりぬ。瞬間の争いに汗になりたる武男が混雑の間より出でける時、倒れし一人をたすけ起こせるかの濶大なる一人はこなたに向かい来たりぬ。  この時街燈の光はまさしく片岡中将の面をば照らし出しつ。  武男は思わず叫びぬ。 「やッ、閣下は!」 「おッきみは!」  片岡中将はその副官といずくかへ行ける帰途を、殊勝にも清人のねらえるなりき。  副官の疵は重かりしが、中将は微傷だも負わざりき。武男は図らずして乃舅を救えるなり。        *  この事いずれよりか伝わりて、浪子に達せし時、幾は限りなくよろこびて、 「ごらん遊ばせ。どうしても御縁が尽きぬのでございますよ。精出して御養生遊ばせ。ねエ、精出して養生いたしましょうねエ」  浪子はさびしく打ちほほえみぬ。 七の一  戦争のうちに、年は暮れ、かつ明けて、明治二十八年となりぬ。  一月より二月にかけて威海衛落ち、北洋艦隊亡び、三月末には南の方澎湖列島すでにわが有に帰し、北の方にはわが大軍潮のごとく進みて、遼河以東に隻騎の敵を見ず。ついで講和使来たり、四月中旬には平和条約締結の報あまねく伝わり、三国干渉のうわさについで、遼東還付の事あり。同五月末大元帥陛下凱旋したまいて、戦争はさながら大鵬の翼を収むるごとく倐然としてやみぬ。  旅順に千々岩の骨を収め、片岡中将の危厄を救いし後、武男は威海衛の攻撃に従い、また遠く南の方澎湖島占領の事に従いしが、六月初旬その乗艦のひとまず横須賀に凱旋する都合となりたるより、久々ぶりに帰京して、たえて久しきわが家の門を入りぬ。  想えば去年の六月、席をけって母に辞したりしよりすでに一年を過ぎぬ。幾たびか死生のきわを通り来て、むかしの不快は薄らぐともなく痕を滅し、佐世保病院の雨の日、威海衛港外風氷る夜は想いのわが家に向かって飛びしこと幾たびぞ。  一年ぶりに帰りて見れば、家の内何の変わりたることもなく、わが車の音に出で迎えつる婢の顔の新しくかわれるのみ。母は例のごとく肥え太りて、リュウマチス起これりとて、一日床にあり。田崎は例のごとく日々来たりては、六畳の一間に控え、例のごとく事務をとりてまた例刻に帰り行く。型に入れたるごとき日々の事、見るもの、聞くもの、さながらに去年のままなり。武男は望みを得て望みを失える心地しつ。一年ぶりに母にあいて、絶えて久しきわが家の風呂に入りて、うずたかき蒲団に安坐して、好める饌に向かいて、さて釣り床ならぬ黒ビロードの括り枕に疲れし頭を横たえて、しかも夢は結ばれず、枕べ近き時計の一二時をうつまでも、目はいよいよさえて、心の奥に一種鋭き苦痛を覚えしなり。  一年の月日は母子の破綻を繕いぬ。少なくも繕えるがごとく見えぬ。母もさすがに喜びてその独子を迎えたり。武男も母に会うて一の重荷をばおろしぬ。されど二人が間は、顔見合わせしその時より、全く隔てなきあたわざるを武男も母も覚えしなり。浪子の事をば、彼も問わず、これも語らざりき。彼の問わざるは問うことを欲せざるがためにあらずして、これの語らざるは彼の聞かんことを欲するを知らざるがためにはあらざりき。ただかれこれともにこの危険の問題をば務めて避けたるを、たがいにそれと知りては、さしむかいて話途絶ゆるごとにおのずから座の安からざるを覚えしなり。  佐世保病院の贈り物、旅順のかの出来事、それはなくとももとより忘るる時はなきに、今昔ともに棲みし家に帰り来て見れば、見る物ごとにその面影の忍ばれて、武男は怪しく心地乱れぬ。彼女は今いずこにおるやらん。わが帰り来しと知らでやあらん。思いは千里も近しとすれど、縁絶えては一里と距れぬ片岡家、さながら日よりも遠く、彼女が伯母の家は呼べば応うる近くにありながら、何の顔ありて行きてその消息を問うべきぞ。想えば去年の五月艦隊の演習におもむく時、逗子に立ち寄りて別れを告げしが一生の別離とは知らざりき。かの時別荘の門に送り出でて「早く帰ってちょうだい」と呼びし声は今も耳底に残れど、今はたれに向かいて「今帰った」というべきぞ。  かく思いつづけし武男は、一日横須賀におもむきしついでに逗子に下りて、かの別墅の方に迷い行けば、表の門は閉じたり。さては帰京せしかと思いわびつつ、裏口より入り見れば、老爺一人庭の草をむしり居つ。 七の二  武男が入り来る足音に、老爺はおもむろに振りかえりて、それと見るよりいささか驚きたる体にて、鉢巻をとり、小腰を屈めながら 「これはおいでなせえまし。旦那様アいつお帰りでごぜエましたんで?」 「二三日前に帰った。老爺も相変わらず達者でいいな」 「どういたしまして、はあ、ねッからいけませんで、はあお世話様になりますでごぜエますよ」 「何かい、老爺はもうよっぽど長く留守をしとるのか?」 「いいや、何でごぜエますよ、その、先月までは奥様──ウンニャお嬢──ごご御病人様とばあやさんがおいでなさったんで、それからまア老爺がお留守をいたしておるでごぜエますよ」 「それでは先月帰京ったンだね──では東京にいるのだな」  と武男はひとりごちぬ。 「はい、さよさまで。殿様が清国からお帰りなさるその前に、東京にお帰りなさったでごぜエますよ。はア、それから殿様とごいっしょに京都に行かっしゃりました御様子で、まだ帰京らっしゃりますめえと、はや思うでごぜエますよ」 「京都に?──では病気がいいのだな」  武男は再びひとりごちぬ。 「で、いつ行ったのだね?」 「四五日前──」と言いかけしが、老爺はふと今の関係を思い出でて、言い過ぎはせざりしかと思い貌にたちまち口をつぐみぬ。それと感ぜし武男は思わず顔をあからめたり。  ふたり相対いてしばし黙然としていたりしが、老爺はさすがに気の毒と思い返ししように、 「ちょいと戸を明けますべえ。旦那様、お茶でも上がってまあお休みなさッておいでなせエましよ」 「何、かまわずに置いてもらおう。ちょっと通りかかりに寄ったんだ」  言いすてて武男はかつて来なれし屋敷内を回り見れば、さすがに守る人あれば荒れざれど、戸はことごとくしめて、手水鉢に水絶え、庭の青葉は茂りに茂りて、ところどころに梅子こぼれ、青々としたる芝生に咲き残れる薔薇の花半ばは落ちて、ほのかなる香は庭に満ちたり。いずくにも人の気はなくて、屋後の松に蝉の音のみぞかしましき。  武男は匇々に老爺に別れて、頭をたれつつ出で去りぬ。  五六日を経て、武男はまた家を辞して遠く南征の途に上ることとなりぬ。家に帰りて十余日、他の同僚は凱旋の歓迎のとおもしろく騒ぎて過ごせるに引きかえて、武男はおもしろからぬ日を送れり。遠く離れてはさすがになつかしかりし家も、帰りて見れば思いのほかにおもしろき事もなくて、武男はついにその心の欠陥を満たすべきものを得ざりしなり。  母もそれと知りて、苦々しく思えるようすはおのずから言葉の端にあらわれぬ。武男も母のそれと知れるをば知り得て、さしむかいて語るごとに、ものありて間を隔つるように覚えつ。されば母子の間はもとのごとき破裂こそなけれ、武男は一年後の今のかえってもとよりも母に遠ざかれるを憾みて、なお遠ざかるをいかんともするあたわざりき。母子は冷然として別れぬ。  横須賀より乗るべかりしを、出発に垂んとして障ありて一日の期をあやまりたれば、武男は呉より乗ることに定め、六月の十日というに孤影蕭然として東海道列車に乗りぬ。 八の一  宇治の黄檗山を今しも出で来たりたる三人連れ。五十余りと見ゆる肥満の紳士は、洋装して、金頭のステッキを持ち、二十ばかりの淑女は黒綾の洋傘をかざし、そのあとより五十あまりの婢らしきが信玄袋をさげて従いたり。  三人の出で来たるとともに、門前に待ち居し三輛の車がらがらと引き来るを、老紳士は洋傘の淑女を顧みて 「いい天気じゃ。すこし歩いて見てはどうか」 「歩きましょう」 「お疲れは遊ばしませんか」と婢は口を添えつ。 「いいよ、少しは歩いた方が」 「じゃ疲れたら乗るとして、まあぶらぶら歩いて見るもいいじゃろう」  三輛の車をあとに従えつつ、三人はおもむろに歩み初めぬ。いうまでもなく、こは片岡中将の一行なり。昨日奈良より宇治に宿りて、平等院を見、扇の芝の昔を弔い、今日は山科の停車場より大津の方へ行かんとするなり。  片岡中将は去る五月に遼東より凱旋しつ。一日浪子の主治医を招きて書斎に密談せしが、その翌々日より、浪子を伴ない、婢の幾を従えて、飄然として京都に来つ。閑静なる河ぞいの宿をえらみて、ここを根拠地と定めつつ、軍服を脱ぎすてて平服に身を包み、人を避け、公会の招きを辞して、ただ日々浪子を連れては彼女が意のむかうままに、博覧会を初め名所古刹を遊覧し、西陣に織り物を求め、清水に土産を買い、優遊の限りを尽くして、ここに十余日を過ぎぬ。世間はしばし中将の行くえを失いて、浪子ひとりその父を占めけるなり。 「黄檗を出れば日本の茶摘みかな」茶摘みの盛季はとく過ぎたれど、風は時々焙炉の香を送りて、ここそこに二番茶を摘む女の影も見ゆなり。茶の間々は麦黄いろく熟れて、さくさくと鎌の音聞こゆ。目を上ぐれば和州の山遠く夏がすみに薄れ、宇治川は麦の穂末を渡る白帆にあらわれつ。かなたに屋根のみ見ゆる村里より午鶏の声ゆるく野づらを渡り来て、打ち仰ぐ空には薄紫に焦がれし雲ふわふわと漂いたり。浪子は吐息つきぬ。  たちまち左手の畑路より、夫婦と見ゆる百姓二人話しもて出で来たりぬ。午餉を終えて今しも圃に出で行くなるべし。男は鎌を腰にして、女は白手ぬぐいをかむり、歯を染め、土瓶の大いなるを手にさげたり。出会いざまに、立ちどまりて、しばし一行の様子を見し女は、行き過ぎたる男のあと小走りに追いかけて、何かささやきつ。二人ともに振りかえりて、女は美しく染めたる歯を見せてほほえみしが、また相語りつつ花茨こぼるる畦路に入り行きたり。  浪子の目はそのあとを追いぬ。竹の子笠と白手ぬぐいは、次第に黄ばめる麦に沈みて、やがてかげも見えずなりしと思えば、たちまち畑のかなたより 「郎は正宗、わしア錆び刀、郎は切れても、わしア切れエ──ぬ」  歌う声哀々として野づらに散りぬ。  浪子はさしうつむきつ。  ふりかえり見し父中将は 「くたびれたじゃろう。どれ──」  言いつつ浪子の手をとりぬ。 八の二  中将は浪子の手をひきつつ 「年のたつは早いもンじゃ。浪、卿はおぼえておるかい、卿がちっちゃかったころ、よくおとうさんに負ぶさって、ぽんぽんおとうさんが横腹をけったりしおったが。そうじゃ、卿が五つ六つのころじゃったの」 「おほほほほ、さようでございましたよ。殿様が負ぶ遊ばしますと、少嬢様がよくおむずかり遊ばしたンでございますね。──ただ今もどんなにおうらやましがっていらッしゃるかもわかりませんでございますよ」と気軽に幾が相槌うちぬ。  浪子はたださびしげにほほえみつ。 「駒か。駒にはおわびにどっさり土産でも持って行くじゃ。なあ、浪。駒よか千鶴さんがうらやましがっとるじゃろう、一度こっちに来たがっておったのじゃから」 「さようでございますよ。加藤のお嬢様がおいで遊ばしたら、どんなにおにぎやかでございましょう。──本当に私なぞがまあこんな珍しい見物さしていただきまして──あの何でございますか、さっき渡りましたあの川が宇治川で、あの螢の名所で、ではあの駒沢が深雪にあいました所でございますね」 「はははは、幾はなかなか学者じゃの。──いや世の中の移り変わりはひどいもンじゃ。おとうさんなぞが若かった時分は、大阪から京へ上るというと、いつもあの三十石で、鮓のごと詰められたもンじゃ。いや、それよかおとうさんがの、二十の年じゃった、大西郷と有村──海江田と月照師を大阪まで連れ出したあとで、大事な要がでけて、おとうさんが行くことになって、さああと追っかけたが、あんまり急いで一文なしじゃ。とうとう頬かぶりをして跣足で──夜じゃったが──伏見から大阪まで川堤を走ったこともあったンじゃ。はははは。暑いじゃないか、浪、くたびれるといかん、もう少し乗ったらどうじゃ」  おくれし車を幾が手招けば、からからと挽き来つ。三人は乗りぬ。 「じゃ、そろそろやってくれ」  車は徐々に麦圃を穿ち、茶圃を貫きて、山科の方に向かいつ。  前なる父が項の白髪を見つめて、浪子は思いに沈みぬ。良人に別れ、不治の疾をいだいて、父に伴なわるるこの遊びを、うれしといわんか、哀しと思わんか。望みも楽しみも世に尽き果てて遠からぬ死を待つわれを不幸といわば、そのわれを思い想う父の心をくむに難からず。浪子は限りなき父の愛を想うにつけても、今の身はただ慰めらるるほかに父を慰むべき道なきを哀しみつ。世を忘れ人を離れて父子ただ二人名残の遊びをなす今日このごろは、せめて小供の昔にかえりて、物見遊山もわれから進み、やがて消ゆべき空蝉の身には要なき唐織り物も、末は妹に紀念の品と、ことに華美なるを選みしなり。  父を哀しと思えば、恋しきは良人武男。旅順に父の危難を助けたまいしとばかり、後の消息はたれ伝うる者もなく、思いは飛び夢は通えど、今はいずくにか居たもうらん。あいたし、一度あいたし、生命あるうちに一度、ただ一度あいたしと思うにつけて、さきに聞きつる鄙歌のあいにく耳に響き、かの百姓夫婦のむつまじく語れる面影は眼前に浮かび、楽しき粗布に引きかえて憂いを包む風通の袂恨めしく──  せぐり来る涙をハンケチにおさえて、泣かじと唇をかめば、あいにくせきのしきりに濡れぬ。  中将は気づかわしげに、ふりかえりつ。 「もうようございます」  浪子はわずかに笑みを作りぬ。        *  山科に着きて、東行の列車に乗りぬ。上等室は他に人もなく、浪子は開ける窓のそばに、父はかなたに坐して新聞を広げつ。  おりから煙を噴き地をとどろかして、神戸行きの列車は東より来たり、まさに出でんとするこなたの列車と相ならびたり。客車の戸を開閉する音、プラットフォームの砂利踏みにじりて駅夫の「山科、山科」と叫び過ぐる声かなたに聞こゆるとともに、汽笛鳴りてこなたの列車はおもむろに動き初めぬ。開ける窓の下に坐して、浪子はそぞろに移り行くあなたの列車をながめつ。あたかもかの中等室の前に来し時、窓に頬杖つきたる洋装の男と顔見合わしたり。 「まッあなた!」 「おッ浪さん!」  こは武男なりき。  車は過ぎんとす。狂せるごとく、浪子は窓の外にのび上がりて、手に持てるすみれ色のハンケチを投げつけつ。 「おあぶのうございますよ、お嬢様」  幾は驚きてしかと浪子の袂を握りぬ。  新聞手に持ちたるまま中将も立ち上がりて窓の外を望みたり。  列車は五間過ぎ──十間過ぎぬ。落つばかりのび上がりて、ふりかえりたる浪子は、武男が狂えるごとくかのハンケチを振りて、何か呼べるを見つ。  たちまちレールは山角をめぐりぬ。両窓のほか青葉の山あるのみ。後ろに聞こゆる帛を裂くごとき一声は、今しもかの列車が西に走れるならん。  浪子は顔打ちおおいて、父の膝にうつむきたり。 九の一  七月七日の夕べ、片岡中将の邸宅には、人多く集いて、皆低声にもの言えり。令嬢浪子の疾革まれるなり。  かねては一月の余もと期せられつる京洛の遊より、中将父子の去月下旬にわかに帰り来たれる時、玄関に出で迎えし者は、医ならざるも浪子の病勢おおかたならず進めるを疑うあたわざりき。はたして医師は、一診して覚えず顔色を変えたり。月ならずして病勢にわかに加われるが上に、心臓に著しき異状を認めたるなりき。これより片岡家には、深夜も燈燃えて、医は間断なく出入りし、月末より避暑におもむくべかりし子爵夫人もさすがにしばしその行を見合わしつ。  名医の術も施すに由なく、幾が夜ごと日ごとの祈念もかいなく、病は日に募りぬ。数度の喀血、その間々には心臓の痙攣起こり、はげしき苦痛のあとはおおむね惛々としてうわ言を発し、今日は昨日より、翌日は今日より、衰弱いよいよ加わりつ。その咳嗽を聞いて連夜ねむらぬ父中将のわが枕べに来るごとに、浪子はほのかに笑みて苦しき息を忍びつつ明らかにもの言えど、うとうととなりては絶えず武男の名をば呼びぬ。        *  今日明日と医師のことに戒めしその今日は夕べとなりて、部屋部屋は燈あまねく点きたれど、声高にもの言う者もなければ、しんしんとして人ありとは思われず。今皮下注射を終えたるあとをしばし静かにすとて、廊下伝いに離家より出で来し二人の婦人は、小座敷の椅子に倚りつ。一人は加藤子爵夫人なり。今一人はかつて浪子を不動祠畔に救いしかの老婦人なり。去年の秋の暮れに別れしより、しばらく相見ざりしを、浪子が父に請いて使いして招けるなり。 「いろいろ御親切に──ありがとうございます。姪も一度はお目にかかってお礼を申さなければならぬと、そう言い言いいたしておりましたのですが──お目にかかりまして本望でございましょう」  加藤子爵夫人はわずかに口を開きぬ。  答うべき辞を知らざるように、老婦人はただ太息つきて頭を下げつ。ややありて声を低くし 「で──はどちらにおいでなさいますので?」 「台湾にまいったそうでございます」 「台湾!」  老婦人は再び太息つきぬ。  加藤子爵夫人はわき来る涙をかろうじておさえつ。 「でございませんと、あの通り思っているのでございますから、世間体はどうともいたして、あわせもいたしましょうし、暇乞もいたさせたいのですが──何をいっても昨日今日台湾に着いたばかり、それがほかと違って軍艦に乗っているのでございますから──」  おりから片岡夫人入り来つ。そのあとより目を泣きはらしたる千鶴子は急ぎ足に入り来たりて、その母を呼びたり。 九の二  日は暮れぬ。去年の夏に新たに建てられし離家の八畳には、燭台の光ほのかにさして、大いなる寝台一つ据えられたり。その雪白なるシーツの上に、目を閉じて、浪子は横たわりぬ。  二年に近き病に、やせ果てし躯はさらにやせて、肉という肉は落ち、骨という骨は露われ、蒼白き面のいとど透きとおりて、ただ黒髪のみ昔ながらにつやつやと照れるを、長く組みて枕上にたらしたり。枕もとには白衣の看護婦が氷に和せし赤酒を時々筆に含まして浪子の唇を湿しつ。こなたには今一人の看護婦とともに、目くぼみ頬落ちたる幾がうつむきて足をさすりぬ。室内しんしんとして、ただたちまち急にたちまちかすかになり行く浪子の呼吸の聞こゆるのみ。  たちまち長き息つきて、浪子は目を開き、かすかなる声を漏らしつ。 「伯母さまは──?」 「来ましたよ」  言いつつしずかに入り来たりし加藤子爵夫人は、看護婦がすすむる椅子をさらに臥床近く引き寄せつ。 「少しはねむれましたか。──何? そうかい。では──」  看護婦と幾を顧みつつ 「少しの間あっちへ」  三人を出しやりて、伯母はなお近く椅子を寄せ、浪子の額にかかるおくれ毛をなで上げて、しげしげとその顔をながめぬ。浪子も伯母の顔をながめぬ。  ややありて浪子は太息とともに、わなわなとふるう手をさしのべて、枕の下より一通の封ぜし書を取り出し 「これを──届けて──わたしがなくなったあとで」  ほろほろとこぼす涙をぬぐいやりつつ、加藤子爵夫人は、さらに眼鏡の下よりはふり落つる涙をぬぐいて、その書をしかとふところにおさめ、 「届けるよ、きっとわたしが武男さんに手渡すよ」 「それから──この指環は」  左手を伯母の膝にのせつ。その第四指に燦然と照るは一昨年の春、新婚の時武男が贈りしなり。去年去られし時、かの家に属するものをばことごとく送りしも、ひとりこれのみ愛しみて手離すに忍びざりき。 「これは──持って──行きますよ」  新たにわき来る涙をおさえて、加藤夫人はただうなずきたり。浪子は目を閉じぬ。ややありてまた開きつ。 「どうしていらッしゃる──でしょう?」 「武男さんはもう台湾に着いて、きっといろいろこっちを思いやっていなさるでしょう。近くにさえいなされば、どうともして、ね、──そうおとうさまもおっしゃっておいでだけれども──浪さん、あんたの心尽くしはきっとわたしが──手紙も確かに届けるから」  ほのかなる笑は浪子の唇に上りしが、たちまち色なき頬のあたり紅をさし来たり、胸は波うち、燃ゆばかり熱き涙はらはらと苦しき息をつき、 「ああつらい! つらい! もう──もう婦人なんぞに──生まれはしませんよ。──あああ!」  眉をあつめ胸をおさえて、浪子は身をもだえつ。急に医を呼びつつ赤酒を含ませんとする加藤夫人の手にすがりて半ば起き上がり、生命を縮むるせきとともに、肺を絞って一盞の紅血を吐きつ。惛々として臥床の上に倒れぬ。  医とともに、皆入りぬ。 九の三  医師は騒がず看護婦を呼びて、応急の手段を施しつ。さしずして寝床に近き玻璃窓を開かせたり。  涼しき空気は一陣水のごとく流れ込みぬ。まっ黒き木立の背ほのかに明るみたるは、月出でんとするなるべし。  父中将を首として、子爵夫人、加藤子爵夫人、千鶴子、駒子、及び幾も次第にベッドをめぐりて居流れたり。風はそよ吹きてすでに死せるがごとく横たわる浪子の鬢髪をそよがし、医はしきりに患者の面をうかがいつつ脈をとれば、こなたに立てる看護婦が手中の紙燭はたはたとゆらめいたり。  十分過ぎ十五分過ぎぬ。寂かなる室内かすかに吐息聞こえて、浪子の唇わずかに動きつ。医は手ずから一匕の赤酒を口中に注ぎぬ。長き吐息は再び寂かなる室内に響きて、 「帰りましょう、帰りましょう、ねエあなた──お母さま、来ますよ来ますよ──おお、まだ──ここに」  浪子はぱっちりと目を開きぬ。  あたかも林端に上れる月は一道の幽光を射て、惘々としたる浪子の顔を照らせり。  医師は中将にめくばせして、片隅に退きつ。中将は進みて浪子の手を執り、 「浪、気がついたか。おとうさんじゃぞ。──みんなここにおる」  空を見詰めし浪子の目は次第に動きて、父中将の涙に曇れる目と相会いぬ。 「おとうさま──おだいじに」  ほろほろ涙をこぼしつつ、浪子はわずかに右手を移して、その左を握れる父の手を握りぬ。 「お母さま」  子爵夫人は進みて浪子の涙をぬぐいつ。浪子はその手を執り 「お母さま──御免──遊ばして」  子爵夫人の唇はふるい、物を得言わず顔打ちおおいて退きぬ。  加藤子爵夫人は泣き沈む千鶴子を励ましつつ、かわるがわる進みて浪子の手を握り、駒子も進みて姉の床ぎわにひざまずきぬ。わななく手をあげて、浪子は妹の前髪をかいなでつ。 「駒ちゃん──さよなら──」  言いかけて、苦しき息をつけば、駒子は打ち震いつつ一匕の赤酒を姉の唇に注ぎぬ。浪子は閉じたる目を開きつつ、見回して 「毅一さん──道ちゃん──は?」  二人の小児は子爵夫人の計らいとして、すでに月の初めより避暑におもむけるなり。浪子はうなずきて、ややうっとりとなりつ。  この時座末に泣き浸りたる幾は、つと身を起こして、力なくたれし浪子の手をひしと両手に握りぬ。 「ばあや──」 「お、お、お嬢様、ばあやもごいっしょに──」  泣きくずるる幾をわずかに次へ立たしたるあとは、しんとして水のごとくなりぬ。浪子は口を閉じ、目を閉じ、死の影は次第にその面をおおわんとす。中将はさらに進みて 「浪、何も言いのこす事はないか。──しっかりせい」  なつかしき声に呼びかえされて、わずかに開ける目は加藤子爵夫人に注ぎつ。夫人は浪子の手を執り、 「浪さん、何もわたしがうけ合った。安心して、お母さんの所においで」  かすかなる微咲の唇に上ると見れば、見る見る瞼は閉じて、眠るがごとく息絶えぬ。  さし入る月は蒼白き面を照らして、微咲はなお唇に浮かべり。されど浪子は永く眠れるなり。        *  三日を隔てて、浪子は青山墓地に葬られぬ。  交遊広き片岡中将の事なれば、会葬者はきわめておおく、浪子が同窓の涙をおおうて見送れるも多かりき。少しく子細を知れる者は中将の暗涙を帯びて棺側に立つを見て断腸の思いをなせしが、知らざる者も老女の幾がわれを忘れて棺にすがり泣き口説けるに袖をぬらしたり。  故人は妙齢の淑女なればにや、夏ながらさまざまの生け花の寄贈多かりき。そのなかに四十あまりの羽織袴の男がもたらしつるもののみは、中将の玄関より突き返されつ。その生け花には「川島家」の札ありき。 十の一  四月あまり過ぎたり。  霜に染みたる南天の影長々と庭に臥す午後四時過ぎ、相も変わらず肥えに肥えたる川島未亡人は、やおら障子をあけて縁側に出で来たり、手水鉢に立ち寄りて、水なきに舌鼓を鳴らしつ。 「松、──竹」  呼ぶ声に一人は庭口より一人は縁側よりあわただしく走り来つ。恐慌の色は面にあらわれたり。 「汝達は何をしとッか。先日もいっといたじゃなっか。こ、これを見なさい」  柄杓をとって、からの手水鉢をからからとかき回せば、色を失える二人はただ息をのみつ。 「早よせんか」  耳近き落雷にいよいよ色を失いて、二人は去りぬ。未亡人は何か口のうちにつぶやきつつ、やがてもたらし来し水に手を洗いて、入らんとする時、他の一人は入り来たりて小腰を屈めたり。 「何か」 「山木様とおっしゃいます方が──」  言終わらざるに、一種の冷笑は不平と相半ばして面積広き未亡人の顔をおおいぬ。実を言えば去年の秋お豊が逃げ帰りたる以後はおのずから山木の足も遠かりき。山木は去年このかたの戦争に幾万の利を占めける由を聞き知りて、川島未亡人はいよいよもって山木の仕打ちに不満をいだき、召使いにむかいて恩の忘るべからざるを説法するごとに、暗に山木を実例にとれるなりき。しかも習慣はついに勝ちを占めぬ。 「通しなさい」  やがて屋敷に通れる山木は幾たびかかの赤黒子の顔を上げ下げつ。 「山木さん、久しぶりごあんすな」 「いや、御隠居様、どうも申しわけないごぶさたをいたしました。ぜひお伺い申すでございましたが、その、戦争後は商用でもって始終あちこちいたしておりまして、まず御壮健おめでとう存じます」 「山木さん、戦争じゃしっかいもうかったでごあんそいな」 「へへへへ、どういたしまして──まあおかげさまでその、とやかく、へへへへへ」  おりから小間使いが水引かけたる品々を腕もたわわにささげ来つ。 「お客様の──」と座の中央に差し出して、罷りぬ。  じろり一瞥を台の上の物にくれて、やや満足の笑みは未亡人の顔にあらわれたり。 「これはいろいろ気の毒でごあんすの、ほほほほ」 「いえ、どうつかまつりまして。ついほンの、その──いや、申しおくれましたが、武──若旦那様も大尉に御昇進遊ばして、御勲章や御賜金がございましたそうで、実は先日新聞で拝見いたしまして──おめでとうございました。で、ただ今はどちら──佐世保においででございましょうか」 「武でごあんすか。武は昨日帰って来申した」 「へエ、昨日? 昨日お帰りで? へエ、それはそれは、それはよくこそ、お変わりもございませんで?」 「相変わらず坊っちゃまで困いますよ。ほほほほ、今日は朝から出て、まだ帰いません」 「へエ、それは。まずお帰りで御安心でございます。いや御安心と申しますと、片岡様でも誠に早お気の毒でございました。たしかもう百か日もお過ぎなさいましたそうで──しかしあの御病気ばかりはどうもいたし方のないもので、御隠居様、さすがお目が届きましたね」  川島夫人は顔ふくらしつ。 「彼女の事じゃ、わたしも実に困いましたよ。銭はつかう、悴とけんかまでする、そのあげくにゃ鬼婆のごと言わるる、得のいかン媳御じゃってな、山木さん──。そいばかいか彼女が死んだと聞いたから、弔儀に田崎をやって、生花をなあ、やったと思いなさい。礼どころか──突っ返して来申した。失礼じゃごあはんか、なあ山木さん」  浪子が死せしと聞きしその時は、未亡人もさすがによき心地はせざりしが、そのたまたま贈りし生花の一も二もなく突き返されしにて、万の感情はさらりと消えて、ただ苦味のみ残りしなり。 「へエ、それは──それはまたあんまりな。──いや、御隠居様──」  小間使いがささげ来たれる一碗の茗になめらかなる唇をうるおし 「昨年来は長々お世話に相成りましてございますが、娘──豊も近々に嫁にやることにいたしまして──」 「お豊どんが嫁に?──それはまあ──そして先方は?」 「先方は法学士で、目下農商務省の○○課長をいたしておる男で、ご存じでございましょうか、○○と申します人でございまして、千々岩さんなどももと世話に──や、千々岩さんと申しますと、誠にお気の毒な、まだ若いお方を、残念でございました」  一点の翳未亡人の額をかすめつ。 「戦争はいやなもんでごあんすの、山木さん。──そいでその婚礼は何日?」 「取り急ぎまして明後々日に定めましてございますが──御隠居様、どうかひとつ御来駕くださいますように、──川島様の御隠居様がおすわり遊ばしておいで遊ばすと申しますれば、へへへ手前どもの鼻も高うございますわけで、──どうかぜひ──家内も出ますはずでございますが、その、取り込んでいますので──武──若旦那様もどうか──」  未亡人はうなずきつ。おりから五点をうつ床上の置き時計を顧みて、 「おおもう五時じゃ、日が短いな。武はどうしつろ?」 十の二  白菊を手にさげし海軍士官、青山南町の方より共同墓地に入り来たりぬ。  あたかも新嘗祭の空青々と晴れて、午後の日光は墓地に満ちたり。秋はここにも紅に照れる桜の葉はらりと落ちて、仕切りの籬に咲む茶山花の香ほのかに、線香の煙立ち上るあたりには小鳥の声幽に聞こえぬ。今笄町の方に過ぎし車の音かすかになりて消えたるあとは、寂けさひとしお増さり、ただはるかに響く都城のどよみの、この寂寞に和して、かの現とこの夢と相共に人生の哀歌を奏するのみ。  生籬の間より衣の影ちらちら見えて、やがて出で来し二十七八の婦人、目を赤うして、水兵服の七歳ばかりの男児の手を引きたるが、海軍士官と行きすりて、五六歩過ぎし時、 「母さん、あのおじさんもやっぱし海軍ね」  という子供の声聞こえて、婦人はハンケチに顔をおさえて行きぬ。それとも知らぬ海軍士官は、道を考うるようにしばしば立ち留まりては新しき墓標を読みつつ、ふと一等墓地の中に松桜を交え植えたる一画の塋域の前にいたり、うなずきて立ち止まり、垣の小門の閂を揺かせば、手に従って開きつ。正面には年経たる石塔あり。士官はつと入りて見回し、横手になお新しき墓標の前に立てり。松は墓標の上に翠蓋をかざして、黄ばみ紅らめる桜の落ち葉点々としてこれをめぐり、近ごろ立てしと覚ゆる卒塔婆は簇々としてこれを護りぬ。墓標には墨痕あざやかに「片岡浪子の墓」の六字を書けり。海軍士官は墓標をながめて石のごとく突っ立ちたり。  やや久しゅうして、唇ふるい、嗚咽は食いしばりたる歯を漏れぬ。        *  武男は昨日帰れるなり。  五か月前山科の停車場に今この墓標の下に臥す人と相見し彼は、征台の艦中に加藤子爵夫人の書に接して、浪子のすでに世にあらざるを知りつ。昨日帰りし今日は、加藤子爵夫人を訪いて、午過ぐるまでその話に腸を断ち、今ここに来たれるなり。  武男は墓標の前に立ちわれを忘れてやや久しく哭したり。  三年の幻影はかわるがわる涙の狭霧のうちに浮かみつ。新婚の日、伊香保の遊、不動祠畔の誓い、逗子の別墅に別れし夕べ、最後に山科に相見しその日、これらは電光のごとくしだいに心に現われぬ。「早く帰ってちょうだい!」と言いし言は耳にあれど、一たび帰れば彼女はすでにわが家の妻ならず、二たび帰りし今日はすでにこの世の人ならず。 「ああ、浪さん、なぜ死んでしまった!」  われ知らず言いて、涙は新たに泉とわきぬ。  一陣の風頭上を過ぎて、桜の葉はらはらと墓標をうって翻りつ。ふと心づきて武男は涙を押しぬぐいつつ、墓標の下に立ち寄りて、ややしおれたる花立ての花を抜きすて、持て来し白菊をさしはさみ、手ずから落ち葉を掃い、内ポッケットをかい探りて一通の書を取り出でぬ。  こは浪子の絶筆なり。今日加藤子爵夫人の手より受け取りて読みし時の心はいかなりしぞ。武男は書をひらきぬ。仮名書きの美しかりし手跡は痕もなく、その人の筆かと疑うまで字はふるい墨はにじみて、涙のあと斑々として残れるを見ずや。  もはや最後も遠からず覚え候まま一筆残しあげ参らせ候 今生にては御目もじの節もなきことと存じおり候ところ天の御憐みにて先日は不慮の御目もじ申しあげうれしくうれしくしかし汽車の内のこととて何も心に任せ申さず誠に誠に御残り多く存じ上げ参らせ候  車の窓に身をもだえて、すみれ色のハンケチを投げしその時の光景は、歴々と眼前に浮かびつ。武男は目を上げぬ。前にはただ墓標あり。  ままならぬ世に候えば、何も不運と存じたれも恨み申さずこのままに身は土と朽ち果て候うとも魂は永く御側に付き添い── 「おとうさま、たれか来てますよ」と涼しき子供の声耳近に響きつ。引きつづいて同じ声の 「おとうさま、川島の兄君が」と叫びつつ、花をさげたる十ばかりの男児武男がそばに走り寄りぬ。  驚きたる武男は、浪子の遺書を持ちたるまま、涙を払ってふりかえりつつ、あたかも墓門に立ちたる片岡中将と顔見合わしたり。  武男は頭をたれつ。  たちまち武男は無手とわが手を握られ、ふり仰げば、涙を浮かべし片岡中将の双眼と相対いぬ。 「武男さん、わたしも辛かった!」  互いに手を握りつつ、二人が涙は滴々として墓標の下に落ちたり。  ややありて中将は涙を払いつ。武男が肩をたたきて 「武男君、浪は死んでも、な、わたしはやっぱい卿の爺じゃ。しっかい頼んますぞ。──前途遠しじゃ。──ああ、久しぶり、武男さん、いっしょに行って、ゆるゆる台湾の話でも聞こう!」 底本:「小説 不如帰」岩波文庫、岩波書店    1938(昭和13)年7月1日第1刷発行    1971(昭和46)年4月16日第34刷改版発行 ※1898(明治31)年から翌年にかけて「国民新聞」に連載されたとき、不如帰には「ほととぎす」と読みが示してあった。後に著者は、本作品を「ふじょき」と呼び、巻頭の「第百版不如帰の巻首に」にも、そうルビが付してある。だが、底本は扉と奥付に、「ほととぎす」とルビを振っている。 入力:鈴木伸吾 校正:林 幸雄 2001年2月16日公開 2011年8月27日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。