かすかな声 太宰治 Guide 扉 本文 目 次 かすかな声  信じるより他は無いと思う。私は、馬鹿正直に信じる。ロマンチシズムに拠って、夢の力に拠って、難関を突破しようと気構えている時、よせ、よせ、帯がほどけているじゃないか等と人の悪い忠告は、言うもので無い。信頼して、ついて行くのが一等正しい。運命を共にするのだ。一家庭に於いても、また友と友との間に於いても、同じ事が言えると思う。  信じる能力の無い国民は、敗北すると思う。だまって信じて、だまって生活をすすめて行くのが一等正しい。人の事をとやかく言うよりは、自分のていたらくに就いて考えてみるがよい。私は、この機会に、なお深く自分を調べてみたいと思っている。絶好の機会だ。  信じて敗北する事に於いて、悔いは無い。むしろ永遠の勝利だ。それゆえ人に笑われても恥辱とは思わぬ。けれども、ああ、信じて成功したいものだ。この歓喜!  だまされる人よりも、だます人のほうが、数十倍くるしいさ。地獄に落ちるのだからね。  不平を言うな。だまって信じて、ついて行け。オアシスありと、人の言う。ロマンを信じ給え。「共栄」を支持せよ。信ずべき道、他に無し。  甘さを軽蔑する事くらい容易な業は無い。そうして人は、案外、甘さの中に生きている。他人の甘さを嘲笑しながら、自分の甘さを美徳のように考えたがる。 「生活とは何ですか。」 「わびしさを堪える事です。」  自己弁解は、敗北の前兆である。いや、すでに敗北の姿である。 「敗北とは何ですか。」 「悪に媚笑する事です。」 「悪とは何ですか。」 「無意識の殴打です。意識的の殴打は、悪ではありません。」  議論とは、往々にして妥協したい情熱である。 「自信とは何ですか。」 「将来の燭光を見た時の心の姿です。」 「現在の?」 「それは使いものになりません。ばかです。」 「あなたには自信がありますか。」 「あります。」 「芸術とは何ですか。」 「すみれの花です。」 「つまらない。」 「つまらないものです。」 「芸術家とは何ですか。」 「豚の鼻です。」 「それは、ひどい。」 「鼻は、すみれの匂いを知っています。」 「きょうは、少し調子づいているようですね。」 「そうです。芸術は、その時の調子で出来ます。」 底本:「太宰治全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1989(平成元)年6月27日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集第十巻」筑摩書房    1977(昭和52)年2月25日初版第1刷発行 初出:「帝国大学新聞 第八百三十三号」    1940(昭和15)年11月25日発行 ※初出時の表題は「独語いっ時」です。 入力:土屋隆 校正:noriko saito 2005年3月17日作成 2016年7月12日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。