悶悶日記 太宰治 Guide 扉 本文 目 次 悶悶日記  月 日。  郵便受箱に、生きている蛇を投げ入れていった人がある。憤怒。日に二十度、わが家の郵便受箱を覗き込む売れない作家を、嘲っている人の為せる仕業にちがいない。気色あしくなり、終日、臥床。  月 日。  苦悩を売物にするな、と知人よりの書簡あり。  月 日。  工合いわるし。血痰しきり。ふるさとへ告げやれども、信じて呉れない様子である。  庭の隅、桃の花が咲いた。  月 日。  百五十万の遺産があったという。いまは、いくらあるか、かいもく、知れず。八年前、除籍された。実兄の情に依り、きょうまで生きて来た。これから、どうする? 自分で生活費を稼ごうなど、ゆめにも思うたことなし。このままなら、死ぬるよりほかに路がない。この日、濁ったことをしたので、ざまを見ろ、文章のきたなさ下手くそ。  檀一雄氏来訪。檀氏より四十円を借りる。  月 日。  短篇集「晩年」の校正。この短篇集でお仕舞いになるのではないかしらと、ふと思う。それにきまっている。  月 日。  この一年間、私に就いての悪口を言わなかった人は、三人? もっと少ない? まさか?  月 日。  姉の手紙。 「只今、金二十円送りましたから受け取って下さい。何時も御金のさいそくで私もほんとに困って居ります。母にも言うにゆわれないし、私の所からばかりなのですから、ほんとうにこまって居ります。母も金の方は自由でないのです。(中略。)御金は粗末にせずにしんぼうして使わないといけません。今では少しでも雑誌社の方から、もらって居るでしょう。あまり、人をあてにせずに一所けんめいしんぼうしなさい。何でも気をつけてやりなさい。からだに気をつけて、友だちにあまり附き合ない様にしたほうが良いでしょう。皆に少しでも安心させる様にしなさい。(後略。)」  月 日。  終日、うつら、うつら。不眠が、はじまった。二夜。今宵、ねむらなければ、三夜。  月 日。  あかつき、医師のもとへ行く細道。きっと田中氏の歌を思い出す。このみちを泣きつつわれの行きしこと、わが忘れなば誰か知るらむ。医師に強要して、モルヒネを用う。  ひるさがり眼がさめて、青葉のひかり、心もとなく、かなしかった。丈夫になろうと思いました。  月 日。  恥かしくて恥かしくてたまらぬことの、そのまんまんなかを、家人は、むぞうさに、言い刺した。飛びあがった。下駄はいて線路! 一瞬間、仁王立ち。七輪蹴った。バケツ蹴飛ばした。四畳半に来て、鉄びん障子に。障子のガラスが音たてた。ちゃぶ台蹴った。壁に醤油。茶わんと皿。私の身がわりになったのだ。これだけ、こわさなければ、私は生きて居れなかった。後悔なし。  月 日。  五尺七寸の毛むくじゃら。含羞のために死す。そんな文句を思い浮べ、ひとりでくすくす笑った。  月 日。  山岸外史氏来訪。四面そ歌だね、と私が言うと、いや、二面そ歌くらいだ、と訂正した。美しく笑っていた。  月 日。  語らざれば、うれい無きに似たり、とか。ぜひとも、聞いてもらいたいことがあります。いや、もういいのです。ただ、──ゆうべ、一円五十銭のことで、三時間も家人と言い争いいたしました。残念でなりません。  月 日。  夜、ひとりで便所へ行けない。うしろに、あたまの小さい、白ゆかたを着た細長い十五六の男の児が立っている。いまの私にとって、うしろを振りむくことは、命がけだ。たしかに、あたまの小さい男がいる。山岸外史氏の言うには、それは、私の五、六代まえの人が、語るにしのびざる残忍を行うたからだ、と。そうかも知れない。  月 日。  小説かきあげた。こんなにうれしいものだったかしら。読みかえしてみたら、いいものだ。二三人の友人へ通知。これで、借銭をみんなかえせる。小説の題、「白猿狂乱。」 底本:「太宰治全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1989(平成元)年6月27日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集第十巻」筑摩書房    1977(昭和52)年2月25日初版第1刷発行 初出:「文芸 第四巻第六号」    1936(昭和11)年6月1日発行 入力:土屋隆 校正:noriko saito 2005年3月17日作成 2016年7月12日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。