般若心経講義 高神覚昇 Guide 扉 本文 目 次 般若心経講義 序 第一講 真理の智慧 般若波羅蜜多心経 心経の名前 ここに『般若心経』の講義をするに当りまして、最初にはしがきとして、『心経』の経題すなわち『般若心経』という名前につい... 第二講 語るより歩む 観自在菩薩。 般若の哲学 これから申し上げるところは、「観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行ずる時、五蘊は皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したもう... 第三講 色即是空 舎利子。 空即是色花ざかり たしか小笠原長生氏の句だったと思いますが、 第四講 永遠の生命 舎利子。 すでに私は『心経』の肝腎要となっている、いや、仏教の根本思想であるところの「色は即ち是れ空、空は即ち是れ色」(色即是空、空即是色... 第五講 空に徹するもの 是故空中無色。 新緑の世界 いつのまにか花の春も去って、若葉青葉に燃ゆる、すがすがしい新緑の世界になりました。武蔵野に住む私どもにとっては、きょ... 第六講 因縁に目覚める 無無明。 商人の話 昭和九年の春、AKから『般若心経』の放送をしている時でした。近所の八百屋さんが宅へ参りまして、家内に、冗談のように、「... 第七講 四つの正見 無苦集滅道。 あきらめの世界 いったい人間というものは妙なもので、口でこそりっぱにあきらめたといっておっても、その実、なかなか心では容易にあき... 第八講 執著なきこころ 無智亦無得。 ミルザの幻影 英国の文豪アジソンの書いた『ミルザの幻影』という随筆のなかに、こんな味わうべき話があります。 第九講 恐怖なきもの 菩提薩埵。 すでに私は、『心経』の無所得、すなわち所得なしということをお話ししておきましたが、この無所得の境地は、こういうふうにいい表わした... 第十講 般若は仏陀の母 三世諸仏。 災難をよける法 たしか越後の良寛さんだったと思います。ある人から「災難をまぬがれる妙法如何?」ということを尋ねられたときです。そ... 第十一講 真実にして虚からず 故知般若波羅蜜多。 空間の一生 あの『青い鳥』という名高い本を書きましたメーテルリンクは、『空間の一生』という短篇のなかで、こんなことをいっておりま... 第十二講 開かれたる秘密 故説般若波羅蜜多呪。 秘密の世界 さてこれからお話し申し上げる所は『心経』の最後の一節でありまして、昔から秘蔵真言分と称せられて、一般に翻訳されずに、... 序  いったい仏教の根本思想は何であるかということを、最も簡明に説くことは、なかなかむずかしいことではあるが、これを一言にしていえば、「空」の一字に帰するといっていいと思う。だが、その空は、仏教における一種の謎で、いわば公開せる秘密であるということができる。  何人にもわかっているようで、しかも誰にもほんとうにわかっていないのが空である。けだし、その空をば、いろいろの角度から、いろいろの立場から、いいあらわしているのが、仏教というおしえである。  ところで、その空を『心経』はどう説明しているかというに、「色即是空」と、「空即是色」の二つの方面から、これを説いているのである。すなわち、「色は即ち是れ空」とは、空のもつ否定の方面を現わし、「空は即ち是れ色」とは、空のもつ肯定の方面をいいあらわしているのである。したがって、「空」のなかには、否定と肯定、無と有との二つのものが、いわゆる弁証法的に、統一、総合されているのであって、空を理解するについて、まずわれわれのはっきり知っておかねばならぬことである。  次に空をほんとうに認識するについて、もう一つたいせつなことがある。それは「因縁」ということである。『心経』には因縁について一言も説いてはいないが、因縁を十分に理解しないと、どうしても空はわからないのであって、端的にいえば、空と因縁とは、表裏一体の関係にあるのである。申すまでもなく因縁とは、「因縁生起」ということで、世間のこといっさいみなことごとく因縁の和合によって生じ起るということである。もとよりこのことは、説明を要しない自明の理であるにもかかわらず、われわれはこの自明の理にたいして、平素あまりにも無関心でいるのである。すなわち「因」より直接に果が生ずるがごとく考えて、因縁和合の上の結果であることに気づかないのである。しかもこれがあらゆる「迷い」の根源となっているのである。すなわち凡夫の迷いとは、つまり因縁の理を如実にさとらないところにある。別言すれば、因縁の真理を知らざることが「迷い」であり、因縁の道理を明らめることが「悟り」であるといっていい。  おもうに今日、一部のめざめたる人を除き、国民大衆のほとんどすべては、いまだに虚脱と混迷の間をさまようて、あらゆる方面において、ほんとうに再出発をしていない。色即是空と見直して、空即是色と出直していない。所詮、新しい日本の建設にあたって、最もたいせつなことは、「空」観の認識と、その実践だと私は思う。このたび拙著『般若心経講義』を世に贈るゆえんも、まさしくここにあるのである。この書が、新日本文化の建設について、なんらか貢献するところあらば、著者としてはこの上もないよろこびである。 昭和二十二年春 東京 鷺宮 無窓塾 高神覚昇 第一講 真理の智慧 般若波羅蜜多心経 (一切智に帰命し奉る)  心経の名前 ここに『般若心経』の講義をするに当りまして、最初にはしがきとして、『心経』の経題すなわち『般若心経』という名前について、お話ししておきたいと思います。さてこの『般若心経』は、普通には単に、『心経』と申しておりますが、詳しくいえば、『般若波羅蜜多心経』というのであります。いったい、一口にお経と申しましても、昔から八万四千の法門といわれるくらいで、仏教の聖典の中には、ずいぶんたくさんのお経があります。しかしその数あるお経の中で、この『心経』ほど、首尾の一貫した、まとまった、しかも簡単なお経は他にないのであります。『心経』は全部で、その字数はたった二百六十字しかありません。もっとも、私どもが日ごろ読誦しております『心経』には、「一切」という文字がありますから、結局二百六十二字となりますが、すでに弘法大師も、 「文は一紙に欠け、行は則ち十四、謂うべし、簡にして要、約にして深し」  といっているように、全くこんなに簡単にして明瞭なお経は決して他にないのであります。  天下第一のお経 次にまた、その名前のよく知れ渡っているという点では、あの『論語』にも匹敵するのであります。そして論語が天下第一の書といわれているように、この『心経』もまた昔から天下第一の「経典」といわれているのであります。とにかく、仏教のお経といえば『心経』、『心経』といえば仏教を聯想するというほど、このお経は、昔からわが日本人とは、きわめて縁の深いお経なのであります。  絵心経のこと 今日『絵心経』といって、文字の代わりに、一々絵で書いた『心経』が伝わっておりますが、これは、俗に『めくら心経』、または『座頭心経』などとも申しまして、文字の読めない人々のために、特にわざわざ印刷せられたものでありますが、それによっても、古来いかに広く、この『心経』が一般民衆の間に普及し、徹底しておったかを知ることができるのであります。ところで、今回お話し申し上げようと思う『心経』のテキストは、今よりちょうど一千二百八十余年以前、かの三蔵法師で有名な中国の玄奘三蔵が翻訳されたもので、今日、現に『心経』の訳本として、だいたい七種類ほどありますが、そのうちで『心経』といえば、ほとんどすべて、この玄奘三蔵の訳した経本を指しているのです。ところが、前もってちょっとお断わりしておかねばならぬ事は、平生、私どもが読誦している『心経』には、『般若波羅蜜多心経』の上に、「摩訶」の二字があったり、さらにまた、その上に「仏説」という字があるということです。学問上からいえば、いろいろの議論もありますが、別段その意味においてはなんら異なることがありませんから、このたびは玄奘三蔵の訳した経本によって、お経の題号をお話ししてゆこうと存じます。  書物の題とその内容 およそ「題は一部の惣標」といわれるように、書物の題、すなわちその名前というものは、その書物が示さんとする内容を、最もよく表わしているものです。もっとも今日、店頭に現われている書物のうちには、題目と内容とが相応していないどころか、まるっきり違っているものも、かなり多くありますが、お経の名前は、だいたいにおいて、よくその内容を表現しているとみてよいのです。たとえば、経典のうちでも、特に名高いお経に、『華厳経』というお経があります。これはわが国でも、奈良朝の文化の背景となっている有名なお経なのですが、ちょうど『心経』を詳しく『般若波羅蜜多心経』というように、このお経を詳しくいえば、『大方広仏華厳経』というのです。さてこのお経は仏陀になられた釈尊の、その自覚の世界を最も端的に表現しておるお経ですが、その「大方広」という語は、真理ということを象徴した言葉であり、「華厳」とは、花によって荘厳されているということで、仏陀への道を歩む人、すなわち「菩薩」の修行をば、美しい花に譬えて、いったものです。で、つまり人間の子釈尊が、菩薩の道を歩むことによってまさしく真理の世界へ到達された、そうした仏陀のさとりを、ありのままに描いたものが、すなわちこの『華厳経』なのであります。  法華経のこと ところで、この『華厳経』といつも対称的に考えられるお経は『法華経』です。平安朝の文化は、この『法華経』の文化とまでいわれているのですが、この『法華経』は、くわしくいえば『妙法蓮華経』でこれは『華厳経』が、「仏」を表現するのに対して、「法」を現わさんとしているのです。しかもその法は、妙法といわれる甚深微妙なる宇宙の真理で、その真理の法はけがれた私たち人間の心のうちに埋もれておりながらも、少しも汚されていないから、これを蓮華に譬えていったのです。  いったい蓮華は清浄な高原の陸地には生えないで、かえってどろどろした、汚い泥田のうちから、あの綺麗な美しい花を開くのです。「汚水をくぐりて浄き蓮の花」と、古人もいっていますが、そうした尊い深い意味を説いているのが、この『法華経』というお経です。自分の家を出て他所へ「往く」その時のこころもちと、わが家へ「還る」その気もち、真理を求めて往くそのすがたと、真理を把み得て還るその姿、若々しい青年の釈尊と、円熟した晩年の釈尊、私はこの『華厳経』と『法華経』を手にするたびに、いつもそうした感じをまざまざと味わうのです。  右のようなわけで、お経の名前は、それ自身お経の内容を表現しているものですから、昔から、仏教の聖典を講義する場合には、必ず最初に「題号解釈」といって、まず題号の解釈をする習慣になっています。で、私も便宜上、そういう約束に従って、序論として、この『心経』の題号について、いささかお話ししておきたいと存じます。  般若ということ さていま『般若波羅蜜多心経』という字の題を、私はかりに、「般若」と、「波羅蜜多」と、「心経」との、三つの語に分析して味わってゆきたいと存じます。まず第一に般若という文字ですが、この言葉は、昔から、かなり日本人にはなじみ深い語です。たとえば、お能の面には「般若の面」という恐ろしい面があります。また謡曲の中には「あらあら恐ろしの般若声」という言葉もあります。それからお坊さんの間ではお酒の事を「般若湯」といいます。またあの奈良へ行くと「般若坂」という坂があり、また般若寺というお寺もあります。日光へゆくとたしか「般若の滝」という滝があったと思います。こういうように、とにかく般若という語は、われわれ日本人には、いろいろの意味において、私どもの祖先以来、たいへんに親しまれてきた文字であります。しかし、この般若という言葉は、もともとインドの語をそのまま写したもので、梵語でいえばプラジュニャー、巴利語でいえばパンニャーであります。ところで、そのプラジュニャーまたはパンニャーを翻訳すると、智慧ということになるのです。智慧がすなわち般若です。しかし、般若を単に智慧といっただけでは、般若のもつ持ち味が出ませぬから、しいて梵語の音をそのまま写して、「般若」としたのであります。こんな例は、仏教の専門語にはたくさんありますが、いったい一口に智慧といっても、その智慧には、いろいろな智慧があります。「智慧のある馬鹿に親爺は困りはて」という川柳がありますが、あの智慧のある馬鹿息子がもっているような、そんな智慧は決して、般若の智慧ではありません。元来、仏教ではわれわれ凡夫の智慧をば仏の智慧と区別して、単に識といっております。  愚痴と智慧 その識とはつまり迷いの智慧のことです。愚痴という智慧が、この識です。愚痴の痴は疒に知という字ですから、つまり智慧が病気にかかっているわけです。したがって、それはもちろんほんとうの智慧ではありませぬ。いったいものの道理を、真に辨えないから、いろんな悶え、悩み、すなわち煩悩が出てくるのですが、愚痴は、つまりものの道理をハッキリ知らないから起こるのです。で、人間が仏陀になることを、識を転じて智を得るといっておりますが、それは結局、迷いを転じて悟りを開くということと同じ意味で、要するにわれわれ迷いの人間が、悟れる仏陀になるということです。ところで、ここにいう般若の智慧とは、決して愚痴といわれ、識といわれる、人間のもっているあさはかな智慧ではないのです。それは知らざるもの、眠れるもの、迷える人間の智慧ではなくて、知れるもの、目覚めたるもの、悟れる人の智慧です。それは宇宙の真理を体得した、仏陀(覚者)のもてる智慧です。真理の智慧、真理を悟った智慧、それがとりも直さず般若の智慧であります。  ものの道理 さてここで、一言申し添えておきたいことは、真理ということです。真理とはなんぞや? ということを、開き直って研究するとなると、たいへんめんどうな、むずかしいことになりますし、またそれを学問的に説明している余裕もありませぬが、一言にして真理とは何かといえば、それはつまり、いつ、どこでも、何人も、きっと、そう考えねばならぬもの、それが真理です。  むずかしくいえば、普遍妥当性と思惟必然性とをもったものが真理です。時の古今、洋の東西を問わず、いつの世、いずれの処にも適応するもの、誰しもそうだと認めねばならぬものが真理です。古今に通じて謬らず、中外に施して悖らざる、ものの道理、それが、とりも直さず真理です。西洋の諺に、「真理は時代の娘」という言葉がありますが、真理こそ、永遠の若さをもったものです。真理はまさしくいつの時代にも若鮎のように溌剌とした若々しい綺麗な娘です。創造し、活動して、止まぬもの、それが真理です。けだし、永遠に古くして、かつ永遠に新しいもの、それが真理です。いや、永遠に古いものにして、はじめて永遠に新しいものだ、ということができるのです。真理といえば、真理についてこんな話があります。それはたしか、シルレルの書いたものだと思いますが、「蔽われたザイスの像」という話です。  真理への思慕 その昔、知識に餓えた一人の青年がありました。彼は真理の智慧を求むべく、エジプトのザイスという所へ行きました。そしてそこで、彼は、一所懸命に真理の智慧を探し求めたのでした。しかし、求める真理の智慧は容易に索め得られませんでした。ところが、ある日のこと、彼は師匠と二人で、静かな、ある秘密の部屋の中に坐ったのでした。そこは白い紗に蔽われた、一個の巨像が、森厳そのもののように立っていたのです。その時、青年は突然、師匠に対って、この巨像が何者であるかを尋ねました。 「真理!」  それが師匠の答えでした。これを聞いた青年は、おどろき、かつ喜びました。そして、思わず、 「つね日ごろ、自分が尋ね索めている真理は、ここに隠されていたのか」  と叫びました。  その時、師匠は厳かに青年にいいました。 「神自らが、この蔽いを、脱がせ給うまでは、決して、人間の浄からぬ罪の手で、取り去ってはならぬ」  と。しかし、思いに悩んだ、その青年は、諦めても、あきらめても、容易にそれを、あきらめきれなかったのです。  その夜、深更、ひそかに、彼はかの巨像が立てられてある部屋の中へ忍びこんで行きました。そこには、円天井の高い窓から、蒼白い月の光がさして、白い紗に蔽われた森厳な巨像は、銀色に照らされていました。  幾度も、幾度も、ほんとうにいくたびも、ためらった後、とうとう彼は意を決して、その蔽いを、とり去ってみたのです。  みたものは、果たしてなんであったでしょうか? 翌朝、人々は白い紗に蔽われた巨像の下に、色青ざめて横たわる一人の青年の、冷たい屍を見出しました。かの青年がみたもの、かの若者が経験したもの、彼の舌は、永遠にそれを語らなかった。 「正しからざる方法によって、真理を捉えんとしても、それは結局、無駄な骨折りに過ぎない」  と、最後に詩人は教えています。  けだし世に、真理を尋ね求める人はきわめて多い。しかし、それを探し求め得た人は、またきわめて少ないのです。私どもは、決してかの青年であってはならないのです。正しからざる方法によって、ザイスの巨像を見んとした、あの若者であってはならないのです。私どもは、どこまでも、真理への道を辿る、敬虔な求道者でなくてはなりません。しかも、真面目に、真理を思慕し、探究するものによってのみ、真理ははじめて把握し得られるのです。  道理と智慧 話がつい横道へ外れましたが、般若の智慧を、仏教では、実相と観照との二つの方面から説明しております。実相とは真理の客体で、観照とは真理の主体です。何人も認めねばならぬ、ものの道理と、それに合致する智慧が、つまりこの実相と観照との二種の般若です。そして、その般若の道理と智慧とを、文字によって示したものが、すなわち文字般若です。いずれにしても、これからお話し申し上げようとする『心経』は、要するに永遠に古くしてしかも永遠に新しい般若の真理を、雄弁に且つ力強く主張しているお経なのです。いつ、どこでも、何人も、必ずそう信ぜねばならぬ、不朽の真理を、きわめて直截簡明に説いているのが、この『心経』です。般若の哲学、それは決して古いインドの哲学ではありません。般若の宗教、それは断じて、亡びた過去の宗教ではないのです。昔も今も、今日も明日も、いや未来永劫に光り輝く、人生の一大燈明なのであります。  つまらぬものは一つもない ところで、いまこの般若の智慧によって、この現実のわれわれの世界を眺めまするならば、事々物々、一つとして役に立たぬつまらぬものはないのです。あの「つまらぬというは小さき智慧袋」という一句が、きわめて巧みに物語っているように、真理への眼が開けたものにとっては、この世界につまらぬものは一つとして存在していないのです。「医王の眼には百草みな薬」です。つまらぬというのは、ものがつまらぬとか、話がつまらぬというのではなくて、つまり、おのれの智慧袋が小さいからなのです。一たび般若という、大きい智慧によって観照するならば、つまらぬどころか、いずれもみな貴い真理の表われです。ロングフェローの「建築師」という詩の中にこんな言葉があります。 世の中に、無用のものや、卑しいものは、一つもない。 すべてのものは、適所におかれたならば、最上のものとなり、 ほとんど無用のごとく見えるものでも、 他のものに力を与えるとともに、その支えともなる。 私たちの建築に供給するために、時の中には、材料がいっぱいになっている。 私たちのもつ今日や明日は、 私たちの建築の有力な材料である。  と。たしかに味わうべき言葉だと思います。  平凡な一日と貴重な一日 今日や明日という日は、それこそなんでもない平凡な一日です。しかし、その平凡な一日が集まって、私どもの人生を作っているのです。したがって、つまらぬどころか、後にも先にもない貴い一日です。昨日を背負い、明日を孕める、尊い永遠の一日です。結局、一日をつまらぬ一日にするか、貴い一日にするか、それはつまり私どもお互いの心持です。心のもち方です。ものそのものが、つまらぬのではなくて、それを見る、それを受けとる智慧袋が小さいわけです。この『心経』に織りこまれている、般若の智慧によるならば、世の中のもの、皆すべてつまらぬものはないのです。いやすべては互いに裏となり表となり、陰となり、陽となって生かし、生かされつつある貴い存在なのです。まことに、「つまらぬというは小さき智慧袋」です。私どもは、少なくとも私どもがお互いに誰でもが持っている霊性、すなわちこの般若の智慧を磨くことによって、一切のものの生命を、より尊く、よりりっぱに活かしてゆかねばうそだと思います。  波羅蜜多ということ 次に波羅蜜多ということは、般若と同様に、梵語の音そのままを写したものでありまして、原語はパーラミターというのです。ところで、いまそれを翻訳いたしますと、彼岸に到る、すなわち「到彼岸」という意味になるのです。しかし今日一口に彼岸というと、誰でもすぐにあの「暑さ寒さも彼岸まで」という春秋二季の彼岸を思い起こすのです。一年じゅうで一ばんよい時候、春と秋との皇霊祭(春分の日・秋分の日)を彼岸の中日として、その前後三日の間、合わせて七日間を彼岸と名づけておりますが、世間では、時候のよい、暮らしよい時が彼岸だと考えています。しかし彼岸の七日間は時候がよいというので、遊びまわったり、物見遊山に出かけるときではないのです。お寺参りをするとか、お墓まいりをするとか、つまり祖先のおまつりをして祖先の御恩を偲んで、それを感謝するとともに、自分の生活を静かに反省して修養すべき時が彼岸です。「きょう彼岸さとりの種を蒔く日かな」で、菩提のたねをまく日が彼岸です。いったい、仏教では、この現実の世界、すなわち迷える私たちの不自由な世界をば、この岸、すなわち「此岸」といいます。これに対して、理想の世界、悟れる自由な世界を称して、かの岸、すなわち「彼岸」といっています。ゆえに波羅蜜多とは、つまり、此岸より彼岸へ渡る事、つまり人生の目的地へ入ること、ゴール・インすることです。したがって、古来、簡単にこれを「度」とも訳しております。度とは「わたる」ということで、この岸から向こうの岸へ渡ることです。ところで、仏教の理想の世界、すなわち彼岸とは、つまり仏陀の世界ですから、彼岸へ到達するとか、彼岸へわたるとかいうことは、結局、仏となるということです。ゆえに彼岸ということは、要するに、仏教の理想、目的をいい表わしたことになるのであります。よく私どもは「仏教とはどんな教えか」と質問されることがありますが、その時私は簡単に、「仏教とは仏陀の教えだが、その仏陀の教えとは、つまり人間が仏になる教えだ」と答えています。仏となる教え、成仏の教え、それが仏教です。ところで、この此岸から彼岸へ渡る場合に自分独りで渡るか、それとも大勢の人々といっしょに渡るかということにおいて、自然ここに、「小乗」と「大乗」との区別が生じてくるのです、小乗とは小さい乗り物、大乗とは大きい乗り物のことです。早い話が、自転車は一人しか乗れないが、汽車や汽船になると、何百人何千人がいっしょに乗って、目的地へ行く事ができるのです。小乗と大乗との関係も、ちょうどそれと同じことです。少なくとも仏教の根本目的は「我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜん」ということです。「同じく菩提心を発して、浄土へ往生せん」ということです。したがって小乗は単数、大乗は複数です。小乗は「私」ですが、大乗は「我等」です。小乗は自利、大乗は自利、利他です。自利とは自覚、利他とは覚他です。自覚は当然覚他にまで発展すべきです。覚他にまで発展しない自覚では、ほんとうの自覚ではありません。したがって小乗より大乗の方が、ほんとうの仏教であり、民主主義もつまりは大乗主義であるということはいうまでもありません。  心経の二字について 次に『心経』ということでありますが、ここで「心」というのは、真髄とか、核心とか、中心とか、いったような意味で、つまり肝腎要ということです。ところで、いったいなんの核心であるか、なんの中心であるか、という事については、いろいろと学者の間にも議論がありますが、要するに、この『心経』は、あらゆる大乗仏教聖典の真髄であり、核心だというのです。したがって『般若心経』という、この簡単なる経典は、ただに『大般若経』一部六百巻の真髄、骨目であるのみならず、それは実に、仏教の数ある経典のうちでも、最も肝腎要の重要なお経だということを表わしているのが、この「心経」という二字の意味です。  経ということ それから、最後に「経」という字でありますが、元来この経とは、梵語のスートラという字を翻訳したもので、それは真理に契い、衆生の機根に契う、というところから、「契経」などとも訳されていますが、要するに聖人の説いたものが経です。すなわち中国では昔から、聖人の説かれたものは、つねに変わらぬという意味で、「詩経」とか、「書経」などといっているのですが、インドの聖人、すなわち仏陀が説かれたもの、という意味から、翻訳の当時、多くの学者たちが、いろいろ考えたすえ、「経」と名づけたのであります。  さとりへの道 これを要するに、『心経』すなわち『般若波羅蜜多心経』というお経は、「人生の目的地はどこにあるか」「いかにしてわれらは仏陀の世界へ到達すべきか」「仏陀の世界へ到達した心境は、いったいどんな状態にあるのか」ということを、きわめて簡単明瞭に、説かれたお経であります。こうした意味で、昔から、この『般若心経』をば『智度経』と訳されていますが、とにかく、この『心経』は決して抹香臭い、専門の坊さんだけがよむ、時代おくれのお経では断じてありません。ほんとうの真理とは、真理の智慧とは、どんなものであるかを、端的に教えてくれる、永遠に古くして、しかも新しい聖典が、この『心経』です。少なくとも真に人生に目覚め、「いかに生くべきか」の道を考えるならば、何人もまず一度はどうしてもこの『心経』を手にする必要があります。ほんとうに、私どもの世の中に、こんなに簡単にして要を得た聖典は、断じて他にないと思います。私どもは『心経』を契機として、人生とは何か、われらは、いかに生くべきかの道を、皆さんといっしょにおもむろに味わってゆきたいと存じます。 第二講 語るより歩む 観自在菩薩。 行ズル二深般若波 羅蜜多ヲ一時。 照二見シテ五蘊皆空ナリト一。 度シタモウ二一切ノ苦厄ヲ一。  般若の哲学 これから申し上げるところは、「観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行ずる時、五蘊は皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したもう」という一段であります。漢字の数からいえば、タッタ二十五字しかありませぬが、この二十五字が、『心経』全体の中心になっておるのでありまして、二百六十余字の『心経』は、結局、この最初の二十五字をば、あるいは縦に、あるいは横に、内から外から、いろいろな方面から、説明したものにほかならぬのであります。  観音さまはどんな仏か さてまず「観自在菩薩」と申しますのは、観世音すなわち観音さまのことです。観音さまは、自由自在に、世音すなわち世間の声、大衆の心の叫び、人間の心持を観察せられて、われわれの身の悶え、心の悩みを、救い給う仏でありますから、梵語のアバローキティシュバラという原語を訳して、玄奘三蔵は「観自在」といっているのであります。すなわち梵語の「アバローキタ」という字は観るという意味、「イーシュバラ」は、自由または自在という意味です。いったい私どもが、ものをみるという場合には、「見、観、視、察」という四つの見方があるときいています。ところで、その中で見という字は、肉眼でものをみること、観という字は、観音さまの観の字で、心眼でものをみることです。したがって観察するということは「心の眼でもってものをよくみる」ということでありまして、実はこの観察ということによって、私どもはもののほんとうの相を、ハッキリ知ることができるのです。その昔、宮本武蔵は『五輪書』という本のなかで「見の眼と観の眼」といっておりますが、武蔵によれば、この観の眼によってのみ、剣道の極意に達することができるのでありまして、彼は剣道において、観の眼、すなわち心の眼の修業が、いちばんたいせつだということを力説しております。しかし、それは単に剣道のみではありません。どの商売でも、どんな学問でも、何につけても、いちばんたいせつなのは、この「観の目」です。心の眼です。有名なカントが、「哲学する」といっているのも、つまりはこの観の目でみることです。スピノーザが「永遠の相において」ものをみよというのもそれをいったものです。私どもは平生、なんの気なしに、見てみるとか、聞いてみる、とかいうことばを使っておりますが、その見てみる、聞いてみるという、その「みる」というのは、つまり心眼のことです。心の眼でものをみることです。「心ここにあらざれば、見れども見えず、聞けども聞こえず」というのは、心の眼のないこと、心の耳をもたないことをいったのです。ですからこの心眼を開けばこそ、私どもは、形のない形が見えるのです。心耳をすませばこそ、声なき声が聞こえるのです。俳聖芭蕉のいわゆる 「見るところ花にあらずということなし、おもうところ句にあらざるなし」(吉野紀行)  というのはまさしくこの心の眼を開いた世界です。心の耳をすまして聞いた世界です。つまり観察するという心持でもって、大自然に対した芸術の境地であります。ところで、いま観世音は実にこの心の眼を、大きく見開いて、一切を観察するとともに、また心の耳をすまして、一切の音声を聞かれた、いや、現に聞かれつつあるのです。そして慈愛のみ手を一切の人々のまえにさしのべられつつあるのです。  さてこの観世音菩薩が、「深般若波羅蜜多を行ずる時」というのは、どんな意味であるかというに、すでに申し上げておいたごとく、それは、観音さまが甚深微妙なる般若の宗教を実践せられたということで、観世音は、単に心の眼を見開いて、般若の哲学を認識せられたのみでなく、進んで般若の宗教をば親しく実践されたのです。ところで、この「深」という文字ですが、この深という字については、昔からいろいろむずかしい解釈もありますが、要するに深は浅の反対で、深遠とか、深妙とかいう意味です。観音さまの体得せられた、般若の智慧の奥ふかいことを形容したことばだと考えればいいのです。したがってそれは私ども人間のもっているような、あさはかな智慧ではなく、もっともっと深遠な智慧、すなわち「一切は空なり」と照見した真理の智慧を指していったのです。それから、ここでお互いがよく注意しておかねばならぬ文字は、「般若波羅蜜多を行ずる」という、この「行」ということばです。これがたいへん重要なる意味をもっているのです。あえてゲーテを待つまでもなく、いったい宗教の生命は「語るよりもむしろ歩むところにある」のです。いや宗教は、語るべきものではなくて、歩むべきものです。しかも、その歩むというのは、この「行」です。行ずるということが、歩むことであり、実践することなのです。いったい西洋の学問の目的は知るということが主眼ですが、東洋の学問の理想は行なうことが重点です。すなわち知るは行なうのはじめで、知ることは行なわんがためです。しかも行なってみてはじめて、ほんとうの智慧ともなるのです。有名な『中庸』という本に「博く之を学び、審かに之を問い、慎んで之を思い、明らかに之を辨じ、篤く之を行う」という文句がありますが、けだしこれはよく学問そのものの目的、理想を表わしていると思います。ところで観自在菩薩が深般若波羅蜜多を行ずるということは、つまり般若の智慧を完成されたということですが、それは要するに六度の行を実践されたことにほかならぬのです。六度とは六波羅蜜のことで、布施(ほどこし)と持戒(いましめ)と忍辱(しのび)と精進(はげみ)と禅定(おちつき)と般若(ちえ)でありますが、まえの五つは正しい実践であり、般若は正しい認識であります。  智目と行足 古来、八宗の祖師といわれるかの有名な竜樹菩薩は、『智度論』という書物の中で、「智目行足以て清涼池に到る」といっておりますが、清涼池とは、清く涼しい池という文字ですが、これは迷いを離れた涅槃の世界を譬えていったものです。この涅槃の証へ達するには、どうしても、この智目と行足とが必要なのです。智慧の目と、実行の足、それは清涼池への唯一の道なのです。ですから、昔から仏教では、この智目行足ということを非常に重要視しています。ところで、その「智目」というのが智慧の眼(般若)のことです。つまり正しき認識、理論ということです。次に「行足」とは、実行(五行)です。正しき実践ということです。いったい、実行の伴わない理論は、灰色でありますが、同時にまた、理論の伴わぬ、いわゆる筋のたたぬ実践も、またきわめて危険です。智目と行足を主張する、仏教の立場は、あくまで正しき理論と実践との高次的な統一を主張するものであります。したがって仏教における哲学と宗教とは、要するに、この智目と行足との関係にあるわけです。ゆえに、ほんとうに、自ら仏教を学び、しかも行ずるものにして、はじめて仏教の真面目を認識し把握することができるのです。かようなわけで、仏教では一口に、智慧と申しましても、これに三種あるといっております。聞慧と思慧と修慧との三慧がそれです。すなわち第一に聞慧というのは、耳から聞いた智慧です。きき噛りの智慧です。智慧には違いありませんが、ほんとうの智慧とはいえません。次に思慧とは、思い考えた智慧です。耳に聞いた智慧を、もう一度、心で思い直し、考え直した智慧です。思索して得た智慧です。すでにいったごとく、カントは、教えている学生にむかって、つねに哲学することの必要を叫びました。 「諸君は哲学を学ぶより、哲学することを学べ。私は諸君に哲学を教えんとするのではない。哲学することを教えるのだ」  といったと、伝えておりますが、そのいわゆる哲学することによって得た智慧が、この思慧に当たると思います。だから思慧は哲学の領分です。次に修慧とは、実践によって把握せられた智慧です。自ら行ずることによって得た智慧です。したがってそれは宗教の領分です。語るよりも歩むというのがそれです。その昔、覚鑁上人(興教大師)は、 「もし自分のいうことが、うそいつわりだと、思うならば、自ら修して知れ」  といっていますが、その修するというのが、この修慧です。だから三慧のうちで、この修慧がいちばんほんとうの智慧です。 耳にきき心におもい身に修せばいつか菩提に入相の鐘  という古歌は、まさしくさとりへの道をうたったものです。  かように、智慧には三種の区別があるように、私どもが平素、お経をよむ場合でも、いや、単にお経のみにかぎったことでもありませんが、ただ口だけでよむのではだめです。いわゆる「論語よみの論語知らず」ですから、それを心でよみ、さらにそれを身体でよまねばなりません。すなわち身読し、色読する必要があるのです。その昔、日蓮上人は『法華経』を幾度なく色読せられたといっていますが、『法華経』を読誦し、信仰する人は、ぜひとも『法華経』を口でよむばかりでなく、心でこれをよみ、さらにこれを身体で実行する、いわゆる「法華の行者」にならねばウソであります。『心経』においても、それは同様です。われらは、まさしく『心経』を、心読し、さらにこれを身読してゆきたいのです。般若の哲学を知るだけでなく、進んで般若の宗教を実践してゆきたいのであります。  さて、観自在菩薩が、般若の宗教を体験せられたその結果は、どうであったかといいますと、「五蘊はみな空なりと照見せられて、ついに一切の苦厄を度せられた」というのであります。すなわち一切の苦というものを滅して、この世に理想の平和な浄土を建設されたというのです。したがって、五蘊は皆空、すなわち一切のものみな空だということが、つまり観自在菩薩の体験内容たる般若の真風光であるわけです。ところがここでめんどうな、むずかしい文字は、五蘊という語と、空ということばです。まず五蘊という語からお話しいたしますと、このことばは、梵語のパンチャ、スカンダーフという語を、翻訳したものでありまして、パンチャとは、五つという数字です。スカンダーフとは「あつまり」という意味であります。  ですから古来、仏教学者は「蘊」という字を積集の義、すなわち、つみあつめるという意味に解釈しています。しかも、その五つの集まったものは、ジット「静止の状態」にあるのではなくて、みんな始終動いているのです。スカンダーフを梵語学者は、「動いている状態」と翻訳していますが、これは非常に面白いと思います。  しからば、その五蘊とは、いったいなんであるかというに、その名前は、この次にお話しする所に出てまいりますが、色と受と想と行と識とです。ところで、まず、その色とは「いろ」という字でありますが、それは決して、あの「いろ」、「こい」のエロチックないろではありませぬ。すべて仏教では、形ある物質のことは色といっております。丸とか、四角という形も色で、これを形色といいます。青いとか、赤いとかいう色、これを顕色といいます。要するに物質的存在はことごとく色であります。次に受と想と行と識とは、物質に対する精神、物にたいする心をいったものでありまして、今日の心理学上の語でいえば、感情、知覚、意志、意識に当たりますから、つまりこれらは、形のない精神の作用を四つにわけたものです。しかもこの精神作用のうちで、識が中心ですから、これを心王といっています。これに対して他の受、想、行は、意識の上の作用ですから、これを心所といっています。いずれにしてもそれはわれらの主観的な精神作用を、四種に分類したものです。したがって五蘊とは、要するに、形のあるものと、形のないもの、すなわち有形の物質と、無形の精神との集合を意味するもので、仏教的にいえば「色」と「心」、つまり色心の二法となるわけです。この場合、「法」とは存在という意味です。ゆえに物を中心として、世界の一切を説明せんとする唯物論も、心を中心として、世界のすべてを眺めんとする唯心論も、いずれも偏見で、共に仏教のとらざる所でありまして、主観も客観も、一切の事々物々、みなことごとく、五蘊の集合によってできているというのが、仏教の根本的見方でありますから、いわゆる物心一如、または色心不二の見方が、最も正しい世界観、人生観である、ということになるわけであります。  空ということ 次に「空」ということばでありますが、これがまた実に厄介な語で、わかったようでわからぬ、わからぬようでわかっている語であります。ただ今、皆さんに対って、私が、かりに、一と一を加えると、いくつになりますか、と問うたとしたら、キット皆さんは「なんだ馬鹿馬鹿しい」といって御立腹になりましょう。しかし、いったい、その一とはなんですか。一と一とを加えると、なぜ二になるのですか、というふうに、一歩進んでお尋ねした時、果たしてどうでありましょう?  私のただ今ペンをとっている書斎には、机があり、座ぶとんがあり、インキ壺があり、花瓶などがあります。いずれもこれはみな一です。しかし、机が一で、花瓶が一でないとはいえないのです。机が一なれば、花瓶も一です。かくいう私も一です。この私の書斎も一です。東京も一です。日本も一、世界も一です。だから、改まっていま「一とはなんぞや」ということになると、非常に厄介になってくるのです。しかし、ここにあるこの花瓶と、寸分違わぬ同じ花瓶は、世界広しといえども、この花瓶以外には、一つもないのですから、これはタッタ一つの花瓶です。かくのごとく世界のものはすべて皆タッタ一つの存在です。だから、もしも、この青磁の花瓶と同じ花瓶が、もう一つほかにあったら、二つになるのですが、事実はないのです。したがってなにゆえに、一と一とを加えると二となるか、というきわめて簡単なわかりきった問題でも、こうなると非常にむずかしくなるわけです。あの最も精密なる科学、といわれる数学でさえ、私どもにはすでにわかったものとして、「なにゆえに」ということは教えてくれないのです。いや「一とは何か」となると、それを説明し得ないのです。  私の友人に辻正次という数学の博士がおります。私は試みに、辻博士に「一とは何か」と聞いてみたことがあります。ところが、博士のいわく、「数学では、一とはすでにわかったもの、として計算してゆくのだ」と答えましたが、しかし、たとい一とはわかったもの、として計算していっても、やはり一とは何か、ということを、説明してほしいのです。いちばん安心してよい数学が、こんな調子であります。いわんや、他の科学においてをや、ナンテ申しますと、天下の科学者から、エライお小言を頂戴することになるかも知れませんが、とにかくわかったもの、「自明の理」と思っていることでも、いざ説明、となると容易に説明し得ないのであります。  公開せる秘密 さすがに詩人ゲーテです。一プラス一、それは「公開せる秘密」だといっているのです。私どもは、ただそれを神秘的直観、宗教的直観によってのみ、知ることができるといっているのですが、公開せる秘密とは、まことにうまいことをいったものです。宗教的直観によるのだという語は、ほんとうに味のある、意味ふかい言葉だと存じます。いったい、私どもお互い人間のもつ、言葉や思想というものは、完全のようで実は不完全なものです。思うこと、いいたいこと、それはなかなか思うように話すことができないものです。最も悲しい世界、最も嬉しい境地というものは、とうていありのままに、筆や口に、表現できるものではありません。イヤ、筆にはまだ、どうとも書けましょうが、言葉では、とても思いのままを、率直に、他人につたえることはできないのです。  文殊と維摩の問答 ところで、これについて想い起こすことは、あの『維摩経』にある維摩居士と文殊菩薩との問答です。あるとき、維摩が文殊に対して、不二の法門、すなわち真理とはどんなものか、と質問したのです。その時、文殊菩薩は、こう答えています。 「不二の法門は、私どもの言葉では、説くことも、語ることもできないものです。真理は一切のわれわれの言葉を超越しています」  そこで今度は、反対に文殊菩薩が、維摩居士に同じく、不二の法門とはなんぞや? と反問しました。すると、維摩はただ黙って、何も答えなかったというのです。 「時に維摩、黙然として、言無し」  と、『維摩経』に書いておりますが、黙然無言の一句こそ、実に文殊への最も明快な答えだったのです。さすがは智慧の文殊です。 「善いかな、善い哉、乃至、文字語言あることなし。これ真に不二の法門に入る」  とて、かえって維摩の「黙」を歎称しているのです。古来、「維摩の一黙、声雷のごとし」といっておりますが、この黙の一字こそ、非常に考えさせられる言葉だとおもいます。  鳴かぬ螢 「恋にこがれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ螢が身を焦がす」といいます。泣くに泣かれぬといいますが、この境地が最も悲痛な世界です。涙の出ない涙こそ、悲しみの極みです。あえて真理にかぎらず、すべてのものごとについても、不完全な私どもの言葉では、とうていものの「真実」、「実際」をありのままに表現することはできないものです。  一杯の水 「一杯の飲みたる水の味わいを問う人あらば何とこたえん」です。自分自ら飲んでみなければ、水の味わいもわかりません。うまいか、辛いか、甘いかは自分で飲んでみなければ、その味はわからないのです。「まず一杯飲んでごらん」というより方法がありません。あの有名な『起信論』に「唯証相応」(唯だ証とのみ相応する)という文字がありますが、すべてさとりの世界は、たださとり得た人によってのみ知られるのです。しょせん、さとりの世界のみではなく、一切はたしかに「冷煗自知」です。冷たいか暖かいかは自分で知るのです。ちょうど、子を持って、はじめて子を持つことの悩み、欣びがわかるように、私どもは子をもって、親の恩を知ると同時に、子の恩をも知ることができるのです。三千世界に子ほどかわいいものがないということを知らしてくれたのは、全く子の恩です。自己を忘れて子供をかわいがる。その無我の心持、利他の喜びを、教えてくれたのは、ほんとうに子供のおかげです。全くうき世のこと、すべて唯証相応です。自ら体験しないと、ほんとうの味がわかりません。  苦労人の世界 一度も苦労したことのない人には、苦労人のもつ心境は少しもわかりません。入学試験に落第したことのない人には、とうてい落第した人の、悲痛な、やるせない心持がわかろうはずはありません。苦労した人のみ、苦労した人を慰め、導き、教えることができるのです。しかも、その慰めは決して言葉ではありません。心持です。気もちです。その態度です。黙って手を握る、それでよいのです。甘い言葉や、美しい言葉では、とうてい傷ついた人の心を、救うことはできないのです。  ごく親しい仲のよい友だちが久しぶりで偶然出逢います。そんな時には、いろんな、めんどうな御無沙汰のおわびや、時候の挨拶などはありません。「ヤア」「ヤア」といいながら、互いに堅く手を握り合う。それでよいのです。眼が口ほどに、いや口以上にものをいうのです。その「ヤア」という一言で、平素の御無沙汰やら、時候の挨拶は、みんなスッカリ解消してしまっているのです。  空の一字 話がつい横道にそれましたが、『心経』の空という一字の裡には、実に千万無量のふかい意味が、ふくまれているのです。有名なアインシュタインも空一元論を唱えています。たしか宗教哲学者オットーも、宗教の極致は空だと説いています。剣聖宮本武蔵も「空の一字を知れ」といって、門人を誡めておりますが、空という一字のなかには、いろんな複雑な、そして深遠な、哲学も宗教も、ことごとく織りこまれているのです。しかもその「空」は仏教のエキスです。したがって空という文字を説明するとなると、なかなか容易なことではありません。しかもその甚深なる空を、観自在菩薩は、親しく体験せられたのです。そして人生のあらゆる苦悩を克服することによって、苦悩のない浄土を、この世に、この地上に建設されたのです。したがって、私どもも人生の苦悩を越えて、浄土に生まれんとするならば、どうしても、観音さまのように、空を知らねばなりません。如実に、空のもつ深い意味を認識しなければなりません。空を掴むことこそまさしく人生の勝利者です。けだし、空をほんとうに知るもの、真に「空に徹するもの」こそ、それはまさしく生身の活きた観音さまです。かかるがゆえに、私どもは、少なくとも、自分の姿において、観自在菩薩を見出すとともに、観自在菩薩において、自己のほんとうの姿を見出さねばならぬものであります。空の意味についてのくわしい説明は、次の講に改めて申し上げることにいたします。 第三講 色即是空 舎利子ヨ。 色ハ不レ異ラレ空ニ。 空ハ不レ異ラレ色ニ。 色ハ即チ是レ空ナリ。 空ハ即チ是レ色ナリ。 受想行識モ。 亦復如シレ是ノ。  空即是色花ざかり たしか小笠原長生氏の句だったと思いますが、 舎利子みよ空即是色花ざかり  という句があります。ほんとうにこの一句は、これから申し上げようと思っている『心経』の精神を、たいへん巧みにいい現わしていると存じます。申すまでもなく、これは『心経』が骨を折って、力強く説いておる「空」ということばは、決して空々寂々というような、何物もないのだというような、そんな単純な意味のものではない、ということを簡単な一句で巧みに、表現わしているのです。ところがいよいよこれから、問題の「空とはなんぞや?」、「空とはどんな意味か」という問題を、説明するのでありますが、はじめから皆さんに「空」とはこんなものだと説明していっては、かえってわかりにくいし、またそう簡単にたやすく説明できるものではないのですから、その「空」を説明する前に、まずはじめに、「空の背景」となり、「空の根柢」となり、「空の内容」となっているところの「因縁」という言葉からお話ししていって、そして自然に、空という意味を把んでいただくようにしたい、と思うのであります。なぜかと申しますと、この「因縁」という意味を知らないと、どうしても空ということが把めないのです。ところで、まず本文のはじめにある「舎利子」ということですが、これはむろん、人の名前です。釈尊のお弟子の中でも智慧第一といわれた、あのシャーリプトラ、すなわち舎利弗尊者のことです。いったいこの舎利弗は、もと婆羅門の坊さんであったのですが、ふとした事が動機で、仏教に転向した名高い人であります。  舎利弗の転向 ある日のこと、舎利弗が王舎城の市中を歩いている時です。偶然にも彼は釈尊のお弟子のアシュバーヂットすなわち阿説示というお坊さんに出逢ったのです。そしてその阿説示から思いがけなく、次のごときおどろくべき真理の言葉を聞いたのでした。 「一切の諸法は、因縁より生ずる、その因縁を如来は説き給う」  というのがそれです。今日の私どもには、なんでもない平凡な言葉としか聞こえませんが、さすがに舎利弗には、この「因縁」という一語が、さながら空谷の跫音のごとくに、心の耳に響いたのでした。昔から仏教では、この一句を「法身偈」または「縁起偈」などといっていますが、彼はこの言葉を聞くなり、決然として、永い間、自分の生命とも頼んでおった、婆羅門の教えをふり捨てて、ただちに心友の目連尊者といっしょに、釈尊のみ許に馳せ参じ、ついに仏弟子となったのであります。「因縁」の語を聞いて、仏教に転向したわが舎利弗こそ、実に解空第一の人であり、智慧第一の人であったのです。この智慧第一の舎利弗を対告衆として、釈尊は「舎利子よ」と、いわれたのです。そして「色は空に異ならず、空は色に異ならず」とて、空の真理を諄々と説かれていったのです。  真理のことば 因縁! それはまことに平凡な古い語です。しかし、それは、たしかに、平凡ではありますが、どうしても疑うことのできない宇宙の真理です。今日私どもが思いあまって、「何事も因縁だ」と諦めるそのことばの中には、私どもの容易に説明し得ない、深い真理が含まれているのです。 「因縁を知ることは仏教を知ることだ」  と、古人もいっていますが、たしかにそれは真実だと思います。釈尊は、実にこの「因縁の原理」、「縁起の真理」を体得せられて、ついに仏陀となったのであります。菩提樹下の成道、というのはまさしくそれです。げに、わが釈尊をして、真に仏陀たらしめたものは、全くこの因縁の真理なのです。ちょうどあのニュートンが、地球の引力を発見したように、釈尊は、これまで何人も気づかなかった「万物は因縁より生ずる」という、この永遠なる「平凡の真理」をはじめて発見されたのです。だから、「因縁の真理」は決して釈尊が、新しく創造されたものではありません。釈尊は、因縁の創造者ではなくて、実にその発見者なのです。釈尊は、自ら因縁の真理を発見されて、まさしく仏となられました。しかし、それと同時に、この因縁の法を「教え」として、万人の前に説き示されたのが仏教です、因縁の教え、それが仏教です。真理の教え、それが仏教です。釈尊は仏教を信ぜよといっていません。しかし、因縁の法を信ぜよといっています。しかもこの因縁の真理を信ずるものこそ、まさしく仏教を信ずるものです。したがって、たとい、二千数百年の昔に、釈尊の肉身は亡くなっても、因縁という真理そのものは、因縁という法は、法身の相において、永遠不滅なる仏教の真理として、いな、宇宙の真理として、今日においても儼然と光っています。いや未来永劫に、いつまでも「不朽の真理」として、光り輝いてゆくのであります。  ところで、この因縁とはいったいどんなことかというに、くわしくいえば「因縁生起」ということで、つまり、因縁とは、「因」と「縁」と「果」の関係をいった言葉で、因縁のことをまた「縁起」とも申します。すなわち、「因」とは原因のこと、結果に対する直接の力です。「縁」とは因を扶けて、結果を生ぜしめる間接の力です。たとえばここに「一粒の籾」があるといたします。この場合、籾はすなわち因です。この籾をば、机の上においただけでは、いつまでたっても、一粒の籾でしかありません。キリスト教の聖書のうちに、 一粒の麦、地に落ちて、死なずば、ただ一つにて終わらん。死なば多くの実を生ずべし  とあるように、一たび、これを土中に蒔き、それに雨、露、日光、肥料というような、さまざまな縁の力が加わると、一粒の籾は、秋になって穣々たる稲の穂となるのです。これがつまり因、縁、果の関係であります。ですから、花を開き、実を結ぶ、という結果は必ず因と縁との「和合」によってはじめてできるわけです。ところが、私どもは、とかく皮相的の見方に慣れて、すべての事柄を、ことごとく単に原因と結果の関係において見ようとしているのです。しかし、これはどうかと思います。複雑極まりなき、一切の物事をば、簡単に、原因と結果という形式だけで、解釈しようとすることは、ずいぶん無理な話ではないでしょうか。さて、この因縁によってできた、因縁にかつて生じ来った、あらゆる事物は、いったいどんな意味があり、どんな性質をもっておるかと申しますと、それは実に縦にも、横にも、時間的にも、空間的にも、ことごとく、きっても切れぬ、密接不離な関係にあるのです。ちょっとみるとなんの縁もゆかりもないようですが、ようく調べてみると、いずれも実は皆きわめて縁の深い関係にあるのです。躓く石も縁のはしです。袖ふりあうも他生の縁です。一河の流れ、一樹の蔭、みなこれ他生の縁です。だが、それは決して理窟や理論ではありませぬ。考えるからそうだ、仏教的にいうからそうだ、というのではありません。考える考えぬの問題ではないのです。仏教的だとか、仏教的でないなどという問題ではないのです。これはほんとうに事実なんです。真実なのです。事実は、真実は、何よりも雄弁です。いま私のいる部屋には、一箇の円い時計がかかっています。この時計の表面は、ただ長い針と短い針とが、動いているだけです。しかし、いま、かりに、この時計の裏面を解剖してみるとしたらどうでしょうか。そこには、きわめて精巧、複雑な機械があって、これが互いに結合し、和合して、その表面の針を動かしているのではありませんか。私は現にただ今この東京鷺宮の無窓塾の書斎でペンを動かしています。これはもちろん、簡単な事実です。しかしこの無窓塾がどこにあるかを考え、私、および私の故郷伊勢の国のことなどを考えて、だんだん深く、そして広く考えてゆきますと、終にはこの一箇の私という存在は、全日本はおろか、全世界のすべてに関係し関聯していることになるのです。かように、一事一物、皆ことごとく関聯していないものはないのです。ただ、私どもがそれを知らないだけのことなのです。しかし知ると知らざるとにかかわらず、一切のものは互いに無限の関係において存在しているのです。次にまた時間的に申しましても、今日という一日は、決して昨日なしにないのです。明日ときり離して、今日一日だけがあるのではありません。今日は単なる今日でなくて、ライプニッツのいうように、「昨日を背負い、明日を孕んでいる今日」なのです。とにかく私どもの世の中にある一切の事物は、みな孤立し、固定し、独存しているのではなくて、実は、縦にも、横にも、無限の相補的関係、もちつ、もたれつの間柄にあるわけです。すなわち無尽の縁起的関係にあるわけです。したがって現在の私どもお互いは、無限の空間と永遠の時間との交叉点に立っているわけです。  地下鉄道と船喰虫 今からちょうど百年ほど前です。ロンドンのテームス河の畔で、一匹の小さい船喰虫が、頻りに材木をかじっていました。ちょっときくと、それは私どもお互いとは、なんの関係もないようです。しかし一度でも、あの地下鉄を見た人、地下鉄に乗った人ならば、断じて無関係だとはいえませぬ。なんの因縁もないなどとはいえないのです。なぜかというに、いったい地下鉄道の発明者ブルーネルが、テームス河の、河底を掘り得たことは、何に由来しておるのでしょう? 材木をかじる、あの船喰虫にヒントを得たのではありませんか。そして、「人間の力では、とても掘ることができない」とまでいわれた、あのテームス河の河底を、彼は、りっぱに開鑿しておるではありませんか。地下鉄道と船喰虫! なんの因縁もなさそうです。しかし実は、因縁がないどころか、たいへん深い因縁があるのです。おもうに、因縁によってできている一切の事物、五蘊の集合、物と心の和合によって、成り立っている、私どもの世界には、何一つとして、永遠に、いつまでも、そのままに、存在しているものはありません。つねに変化し、流転しつつあるのです。仏陀は「諸行無常」といいました。ヘラクライトスは「万物流転」といいました。万物は皆すべて移り変わるものです。何を疑っても、何を否定しても、この事実だけは、何人も否定できない事実です。咲いた桜に、うかれていると、いつのまにやら、世の中は、青葉の世界に変わっています。  一期一会 もはや、五月の空には、あの勇ましい鯉幟が、新緑の風を孕みつつ、へんぽんと勢いよく大空を泳いでいます。自然の変化、人生の推移、少なくとも、私どもの世界には、永遠に常住なる存在は、一つもありませぬ。一生たった一度、「一期一会」とは、決して茶人の風雅や、さびの気持ではないのです。茶の道は、一期一会の心をもたぬものには、ほんとうに味わわれませんが、人生のことも、やはり同じです。こういう気持をもたぬものには、人生の尊い味わいをつかむことはできません。まことに一切はつねに変化しつつある存在です。だから、たとい存在しているといっても、それは、仮の、一時的の存在でしかありません。仏教では、存在しているものを「有」といっていますが、すべて「仮有」です。「暫有」です。とにかく、永遠なる存在、つねにある「常有の存在」ではありません。あの花を咲かせた桜も、新しい芽を出させた桜も、やがては、また花を散らす桜です。スッカリ枯れ木のようになってしまう桜です。所詮は、「散る桜、のこる桜も散る桜」です。だが、一たび冬が去り、春が来れば、一陽来復、枯れたとみえた桜の梢には、いつの間にやら再び綺麗な美しい花をみせています。かくて年を迎え、年を送りつつ、たとい花そのものには、開落はありましても、桜の木そのものは、依然として一本の桜です。  一休と山伏 ある日のこと、ある山伏が、一休和尚に向かって、 「その仏法はいずこにありや」  と、詰問したのです。すると和尚は即座に、 「胸三寸にあり」  と答えました。これを聞いた件の山伏、さっそく、懐中せる小刀をとり出し、開き直って、 「しからば、拝見いたそう」  と、つめよったのです。そこは、さすが機智縦横の一休和尚です、すかさず、一首の和歌をもって、これに答えました。 としごとにさくや吉野のさくら花樹をわりてみよ花のありかを  これには勢いこんでいた山伏も、とうとう参って、その後ついに和尚の弟子になったということです。  空なる状態 まことに、因縁より生ずる一切の法は、ことごとく空です。空なる状態にあるのです。まさしく「樹を割りてみよ、花のありかを」です。雪ふりしきる厳冬のさ中に、花を尋ねても、花はどこにもありませぬ。これがとりも直さず「色即ち是れ空」です。しかし、霞たなびく春が訪れると、いつとはなしに、枯れたとみえる桜の梢には、花がニッコリ微笑んでおります。これがすなわち「空即ち是れ色」です。何事によらず、いつまでもあると思うのも、むろん間違いですが、また空だといって、何物もないと思うのももとより誤りです。いかにも「謎」のような話ですが、有るようで、なく、無いようで、ある、これが世間の実相です。うき世のほんとうの相です。だが、決してそれは理窟ではありませぬ。仏教だけの理論ではないのです。それは、いつどこでも誰れもが、必ず認めねばならぬ、宇宙の真理です。偽りのない現前社会の事実です。まことにその「有」たるや、「空」に異ならざる「有」です。「空」といっても決して「無」ではありません。「有」に異ならざる「空」です。空と有とは、所詮、一枚の紙の裏表です。生きつつ死に、死につつ生きているのが、人生の相です。生じては滅し、滅しては生ずるのが、浮世の姿です。しかし、私どもはとかく、有といえば、有に囚われます。空といえば、その空に囚われやすいのです。ゆえに『心経』では、有に囚われ、色に執着するものに対しては、「色は空に異ならず」、色がそのまま空だというのです。また空に囚われ、虚無に陥るものに対しては、「空は色に異ならず」、「空は即ち是れ色」だといって、これを誡めているのです。『心経』の、この一節は、実にすばらしい巧みな表現といわざるを得ないのです。けだしわが大乗仏教の原理は、この一句で、十分に尽きておるといってもよいくらいです。まことに「色即ち是れ空」、「空即ち是れ色」です。  まなこということ 昔のある書物に、「人間の眼を、まなこというは、真ん中をとる義なり」といっておりますが、たしかに面白いことだと思います。一方だけを見て、他の一方を見ないのでは、「まなこ」とはいえないのです。物の表面だけをみて、その裏にかくれている、ほんとうの相を見ないことを、「皮相の見」と申しますが、それはいまだ、真に「まなこ」の「まなこ」たる所以を知らざるものといわねばなりません。今日の社会には、物質だけで、お金だけで何もかも解決できるものだと考えて、お金を「守り本尊」としている人がずいぶん多いのです。お金がものをいう世の中だと信じている方がたくさんあります。だがお金がものいわぬことも世間には存外に多いのです。収入の多寡によって、月給の多少によって、その人の人格までも、批判してもよいものでしょうか。人格は果たして金銭以下でしょうか。今日の多くの人たちは、各自、お金を使っているようで、その実、お金に使われているのではないでしょうか。お金を使うならまだしも、使われるに至っては、全く沙汰のかぎりといわざるを得ないのです。だが、事実はその通りだから、ほんとうに情けないわけです。「月給の順で先生並ぶなり」という川柳がありますが、こうなると先生の席順も寂しいものです。だが果たしてそれが正当な見方でしょうか。終戦後、わが国では食糧飢餓を契機に、生活不安、思想の動乱の結果、再び新しく「唯物史観」、「経済史観」が、見直されつつあります。しかしパンなくては生きられぬ人間は、パンのみでも生きられぬ存在です。物質だけで、経済だけで、複雑な社会の歴史が、十分に説明し得られるとは考えられません。フォイエルバッハのように「社会問題は、結局胃の腑の問題だ」という唯物論的な見方にも、もちろん一面の真理があります。それはたしかに一つの見方です。一つの見方としては間違いではないでしょう。しかしそれは決して、全体的な正しい見方ということはできないでしょう。「管の穴から天覗く」という諺があります。むろん、覗いた天も天です。しかし、それはあくまで、天の一部であって、断じて天の全部ではありません。一部を覗いて、全部だと考えることは、大なる「認識不足」といわざるを得ないのです。「井蛙管見」として排撃せられるのも、また無理からぬことです。したがって、少なくとも唯物史観に囚われ、「利益社会」だけをもって、社会のすべてだと考えることは、どこまでも偏見です。いや、偏見というよりも、むしろ恐るべき危険が、そこに伏在していると存じます。いったい、ものを深く本質的に、また立体的に考えない人々には、なんといっても形のない心よりも、形のある物の方が、眼にはよく見えるものです。で、自然と心より物の方がほんとうの存在のように考えるのですが、物だけで、パンだけで一切の問題が解決されると思ったら、それこそ大間違いです。しかし、そういったからといって、私どもは、一切は心からだといって、精神だけで、人間も社会も、動いているものと、いうのではありません。唯物史観が偏見であったごとく、何もかも心だ、といって物質生活、経済生活を否定することも、また同じ意味において、偏見といわざるを得ないのです。精神だけでもって、思想だけでもって、社会が動いていると考えている人は、おそらくないと存じます。「わが抱く思想はすべて金なきに因するごとし秋の風吹く」と、薄命詩人石川啄木は詠んでいます。経済のみによってとは、あえて申しませぬが、パンによって、経済によって、現実の社会が動いていることもまた見逃しえない事実です。「共同社会」の一面には、儼然として「利益社会」の存在することも、ハッキリ知っておかねばなりませぬ。だから、唯物論的な見方も、偏見であるように、観念論的な見方も、正しい見方、正見とはいえないのです。意識が存在を決定するように、また存在も意識を規定するのです。私は十数年前から、仏教史観ということを提唱してきました。この言葉は私がはじめて造ったといっていいのですが、これは、物と心とを一つのものに対する、二つの見方として、眺めてゆこうという、つまり、全体的立場、もちつもたれつという因縁の立場、縁起の意味においてこの二つのものを、一つのものの内容として見てゆこうというのです。だから、それは縁起史観といってもよいのです。たいへん、話がめんどうになりましたが、ちょうど人間に肉体と精神との二方面があるように、人間の社会にも、物質的方面と精神的方面との、二つがある事をハッキリ知っておかねばなりません。したがって精神を否定する唯物思想もいけなければ、また物質の価値を全く否定したような唯心思想もいけないわけです。今日、経済を否定した生活は全く不可能であります。生活に即さない理論は空理、空論です。唯物主義も唯心主義も仏教の立場からいえば、いずれもそれは偏見です。つまり心によって、はじめて物の価値が現わされるとともに、物質によって、また精神の価値が、いっそう裏づけられるわけです。廊下に落ちている一枚の紙も、もったいないと感ずる人には、仏法領のものとして、はじめてりっぱにその経済価値が認められるのです。で、問題は、つまり物に対する心構えです。心の持ちようです。要するに、物質を精神より以上に見るか、精神を物質より優位に見るかです。物が心を支配するか、心が物を統御するかです。金を使うか、金に使われるかです。けだし正を履み、中を執るということは、いずれの世、いずれの時にも必要です。人間の正しい生活が、正しい見方によって、規定せられるかぎり、私どもは何人も、まず「正しい見方」がなんであるかを、ハッキリ知らなくてはなりませぬ。私どもの生活が、たとえ物質的に貧しくとも、せめて私どもは、精神的には富める生活をしたいものです。金持の貧乏人となるか、貧乏人の金持となるか、結局、問題はその人の心構えの如何です。私どもは、少なくとも因縁の真理、縁起の哲学を味わうことによって貧しくとも富める生活をしたいものです。心にしっかりした拠り所をもって、心に太陽をもって清く、正しく、明るいシッカリした生活を営みたいものです。おもうに、因縁の真理に徹し、般若の空を、真に味わい得た人こそ、まさしくそれは中道を歩む人です。げに生身の活きた観音さまは、かかる人々のうちから誕生するのです。 第四講 永遠の生命 舎利子ヨ。 是ノ諸法ノ空相ハ。 不生ニシテ不滅。 不垢ニシテ不浄。 不増ニシテ不減ナリ。  すでに私は『心経』の肝腎要となっている、いや、仏教の根本思想であるところの「色は即ち是れ空、空は即ち是れ色」(色即是空、空即是色)ということについて、一応お話ししておきました。そしてそのとき私は、一くちに「空」といっても、その空は「般若の空」で、有(存在)に対する無(非存在)というような、そんな、単純な空という意味ではない、ということをお話ししておきました。ところが、これについて古人はこういう貴い言葉を残しています。  智慧と慈悲 「色即チ是レ空と見れば、大智を成じ、空即チ是レ色と見れば、大悲を成ず」  と、いっておりますが、これは非常に考えさせられる言葉です。というのは、いったいここにいう大智とは、大きい智慧、すなわちほんとうの智慧のことです。次に大悲というのは大きい慈悲、すなわちほんとうの慈悲のことです。仏教では、その智慧も慈悲も、共に空という母胎から産まれてくるものだというのです。いったい世間のものは、みんな十人十色で、どれだけ大勢の人が集まっていても、寸分たがわぬ、同じ人間は、一人もありません。「似たとはおろか瓜二つ」などといいますが、よく見れば、どこかきっと違っている所があるのです。単に、顔や形のみではなくて、人間の性質も気心も、また文字通り、千差万別です。したがって、病に応ずる薬が、それぞれあるように、人間の身の悩み、心の悶えを、救う仏にもまたいろいろ変わった相があるわけです。 「釈迦 阿弥陀 地蔵 薬師と変れども 同じ心の仏なりけり」で、結局、数あるもろもろの仏は、ことごとく皆同じ心、すなわち慈悲という精神、大慈大悲のこころの顕れにほかならぬのであります。ところが、慈悲といっても、それは決して智慧のない慈悲ではないのです。仏教では、これを「愛見の大悲」といっておりますが、ほんとうの慈悲は、盲目的な愛、母牛が仔牛を甜めるような、そんな愛ではないのです。真の智慧によって、裏づけられているほんとうの愛が、すなわち仏教の慈悲なのです。だから、少なくとも仏教では、慈悲と智慧とは二にして一だというのです。今日、仏といえば、誰しも、すぐに観音さま、地蔵さま、阿弥陀さまといったような、いかにも微妙端厳な、やさしい容姿の仏を思い起こします。しかし、仏さまのうちには、不動明王というような、見るからにいかにも恐ろしい仏もあります。「あれでも仏さまか」と疑うほどの恐ろしいお容貌の仏さまがあるのです。もっとも、同じ観音さまでも、やさしい顔や相の仏さまだ、とばかり思っていると、中には「馬頭観音」とて、不動明王にも、勝るとも劣らぬ、恐ろしい姿をしている観音さまもあります。武蔵野などを散歩していますと、よく路傍の石碑にきざんである、この仏のおすがたを見うけるのですが、とにかく、仏さまなら、もう阿弥陀如来だけでよい、大日如来だけでよい、釈迦如来だけでも結構なようですが、衆生の機根万差ですから、これを救う方にもいろいろな形をした仏があるわけです。仏教では、三世に亙り、十方に遍く、たくさんの仏さまが、おられると説いているのです。けだし、これは果たしてどんな意味なのでしょうか。  厳父と慈母 いったい、私どもの家庭、それは単純な家庭もあろうし、複雑な家庭もありましょう。またよい家庭もあろうし、悪い家庭もありましょう。だが、なんといってもまず私たちの理想の家庭というのは、両親も揃い、子供も幾人かあるという、朗らかな団欒の家庭でしょう。ところで、子に対する親の愛ですが、親の目には幾人子供があろうと、その間には甲乙、親疎の区別はありません。もっとも、父親の子供に対する愛の態度と、母親の子供に対する愛の態度とは、おのずからその愛の表現において、そこに一種の区別がありましょう。「厳父」の愛と、「慈母」の愛、それが区別といえば区別です。それは叱ってくれる愛と、抱いてくれる愛です。叱ってくれる愛、それは智慧の世界です。批判の世界です。折伏の世界です。抱いてくれる愛、それは慈悲の世界です。享受の世界です。摂受の世界です。 父はうち母は抱きて悲しめばかわる心と子やおもうらん  で、父は打ちとは、叱り手の愛です。それは哲学の領分です。母は抱くとは抱き手の愛です。それは宗教の領域です。智慧の哲学と、慈悲の宗教とは少なくとも仏教においては、二にして一です。「かわる心と子や思うらん」といいますが、それはつまり子供の僻目です。事実は、父も母も、子のかわいさにおいては、なんら異なっているところはないのです。ある時は叱り、ある時は抱く、それで子供は横道にそれず、邪道に陥らず、まっすぐにスクスクと伸びてゆくのです。 うたたねも叱り手のなき寒さかな  と、一茶もいっていますが、たしかに叱り手のないことは、淋しいことです。大人になればなるほど、この叱り手を要求するのです。頭から、なんの飾り気もなく、自分の行動を批判してくれる人が、ほしいのです。蔭でとやかく非難し、批判してくれる人は多いが、面と向かって、忠告してくれる人は、ほんとうに少ないのです。だが、叱り手を要求する私たちは、一方においては、また、黙って抱いてくれる人がほしいのです。善い悪いは、十分わかっておりながらも、頭からガミガミ叱らずに、だまって愛の涙で抱擁してくれる人もほしいのです。 この寒さ不孝者奴が居りどころ  といった、愛の涙もほしいのです。 是れきりでもうないぞよと母は出し  小言をいいつつも、やはり、わが子かわいさに、財布の底をはたいて、出してくれる、母の慈愛もほしいのです。不孝者奴と罵りつつ、もうないぞよと意見しつつ、なおもわが子をば、慈愛の懐に抱いてくれる親の情けは、否定しつつ、肯定しているのです。智慧の涙と、慈悲の涙、たといその表現の相においては異なっておろうとも、その心持には、なんの違いもないのです。  亡くなった老父のこと いまから二十数年前に亡くなりました私の父は、こんな歌を私に残して逝きました。 父は照り母は涙の露となりおなじ慧にそだつ撫子  誰れが詠んだ歌だか、私にはわかりませんが、たしかにかみしめ、味わうべき歌だと思います。厳父の心と、慈母の心を、一首の和歌に託して、現わした古人の心もちが、優にやさしく、また尊く思われます。今日、三人の子の父となった私には、今さらながら、亡くなった父の慈愛、母の情が沁々と感ぜられるのです。「子を持って知る親の恩」とは、あまりにも、古い言葉です。しかし、やっぱり、子を持って知る親の恩です。子をもつことによって、はじめて私たちは、亡くなった親のありがたさ、もったいなさを、沁々と追憶するのです。だが、 さればとて石碑にふとんもきせられず  です。なつかしい、恋しい、両親への追憶に耽るにつけても、私は、厳父の心、慈母の情を通じて、そこに哲学としての仏教、宗教としての仏教のふかさ、尊さを、今さらながら見直しつつ、沁々と味わっているのであります。  仏心と親心 話はつい横道へそれましたが、私どもの家庭の、この厳父の心を、そのままに写したのがあの不動明王という恐ろしい仏です。厳父に対する慈母の心を、そのままに現わしたのが、観自在菩薩というあのやさしい仏です。しかもそれはいずれも「同じ心の仏なりけり」です。いずれも「慈眼視衆生」の仏心の顕現であります。古来、「般若は仏の母」だといっていますが、般若こそ、まことに一切の諸仏をうみ出す母です。諸仏出生の根源です。あの慈母の権化、観自在菩薩が、深般若波羅蜜多を行じて、一切は空なりと観ぜられた、ということは、実にそこに深い意味があるのです。空を観じて空を行ずる。因縁を観じて因縁を行ずる。空観より空行へ、因縁観より因縁行へ、そこに哲学として仏教宗教としての仏教の立場があるのです。古聖が「色即チ是レ空と見れば、大智を成じ、空即チ是レ色と見れば、大悲を成ずる」といったのは、まさしく、こうした境地を、道破したものであると思います。  たいへん前置が長くなりましたが、すでにお話ししました「因縁」の原理や、ただ今申しましたその話をば、とくとお考えくだされば、これから申し述べることは、自然ハッキリわかってくるのです。さて、ここに掲げてある本文は要するに、「五蘊」によって、作られている諸法はみな空である、という、その空の相についていったものです。つまり眼に見える有形の物質と、眼に見えぬ無形の精神とが、集まってできている、この世界じゅうのあらゆる存在は、皆ことごとく空なる姿、すなわち「空なる状態」にあるのですから、生ずるといっても、何も新しく生ずるものではない。滅するといっても、すべてが一切なくなってしまうのではない。汚いとか、綺麗だとか増えたとか、減ったとかいうが、それはつまり個々の事物に囚われ、単に肉眼によって見る、差別の偏見から生ずるのであって、高処に達観し、いわゆる全体的立場に立って、如実に、一切を心の眼でみるならば、一切の万物は、不生にして、不滅であり、不垢にして、不浄であり、不増にして不滅だというのであります。ところで、ここには、否定を表わす「不」という語が六つあります。いわゆる「六不」ですが、しかしこれはあながち六不に局ったことではなく、いくつ「不」があってもよいわけです。八不、十不、十二不という語が、お経に出ておりますが、いま『心経』は、この「六不」によって、一切の「不」を代表させているのであります。で、結局は不の一字さえわかれば、一つの「不」で結構なのであります。いま試みに不生、不滅という語をとって考えてみましょう。さてこの不生、不滅という語を、もう一度他の語で申せば、「生滅を滅し已る」すなわち「生滅滅已」ということです。あの「いろは歌」でいえば、「うゐのおくやまけふ越えて」という句に当たるのです。うゐのおくやまを越える、ということは、つまり生死に囚われる迷いの心を、解脱するということです。しかもそれが不生不滅という意味です。生滅を滅し已るということです。しかし、一歩退いて考えまするに、「生滅」ということは、変化ということで、少なくとも変化は、生滅によって起こるものです。「無常」、「変化」、「流転」、いずれもそれは疑うべからざる現前の事実です。したがって生滅を滅するとか、あるいは不生不滅だとかいうことは、いかにも、合点のゆかぬことのように思われるのです。まことに、一応は無理からぬことであります。しかし再応、これを吟味しますと、それは、なにも不合理な不可解なことばではありません。すなわち「生滅を滅し已る」ということは、要するに、生に囚われ、滅に囚われる、その「囚われの心」、「執着の心」を離れるという意味なのです。芭蕉は、俳句の心は「無心所着」といっていますが、この「心に所着なし」という境地が、生滅を滅し已るという世界で、ものにこだわりのない日本人の明朗性も、ここにあるのです。ゆえに不生不滅ということは、むかしから仏教学者は、波と水との関係のように解釈しています。波という現象の上から見れば、生滅起伏もあるが、水という本体そのものの上には、なんらの変化はないという立場から、「生滅」と「不生不滅」を眺めて、現象と本体の関係において見てゆくことも、もちろん、必要ではありましょう。しかし、これと同時に、私どもは、生じたといっては喜び、滅したといっては悲しむ、その「囚われの心」、「執着する心」、その「迷いの心」を否定するという意味で、この「不生不滅」の原理を味わってゆかねばならぬと思います。かの「エネルギー不滅の法則」が、科学的真理であるように、また、宇宙の万物を構成する電子の量が、一定不変であるというように、「因縁」の集合によって、できている一切のもの、「空の状態」における一切の事々物々は、ことごとく不生不滅です。不増不減であるのです。  かく申しますと、人あるいはいうかも知れません。「それは宇宙の実相は、不生不滅かも知れん。いや不生不滅であるだろう。しかしわれわれ個人には、やはり依然として『生滅』という事実があるではないか。生きたり、死んだりする事実があるのじゃないか。われわれは、そんな宇宙がどうの、不生不滅がどうの、空がどうの、般若がどうのというような、自分らの生活と、全く縁の遠い理窟を、聞こうとは思わないのだ」と難詰せられる方があるかも知れませぬ。が、しかしです。「無用の用」こそ「真の用」ではありませんか。理窟と見るは所詮僻目です。「空」の原理、「不生不滅」の真理、それは偽ることのできない道理です。いや、どうしても疑うことのできない事実です。仰せの通り、われわれ個人には、生き死にがあります。「自分の家」では、赤ん坊が生まれたかと思うと、「隣りの家」では、悲しい不幸が起こっているのです。人に生死があるように、世間にもまた生滅があります。  しかしその生死の根本を尋ねたならばどうでしょうか。道元禅師はいっております。  生をあきらめ死をあきらめる 「生を諦め、死を明らむるは、これ仏家一大事因縁なり」  と。だがしかし、生を諦め、死をあきらめることは、豈に独り仏弟子のみに局らんや、です。それは、万人の必ず心すべきことではないでしょうか。しかも「生死を諦めた人」こそ真に「生死を見ざる人」です。生死を見ざる人こそ、実に「生死に囚われざる人」です。しかも、この生死に囚われざる人にして、はじめて「不生不滅」の真理を、まざまざと味わうことができるのです。 身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂  の辞世を残し、悠々として刑場の露と消えたあの吉田松陰、松陰先生こそ、実に生死に囚われざる人です。生死を怖れざる人です。生死に随順しつつ、生死を超越した人です。不生不滅の真理を体得した人、いわゆる死んで生きた人であります。生前その妹さんに贈った手紙のうちにこんな言葉があります。  死なぬ人 「さて死なぬ(不生不滅)と申すは、近く申さば釈迦、孔子と申すお方は、今日まで生きてござるゆえ、人が尊みもすれば、有難がりも、おそれもする。楠正成公じゃの、大石良雄じゃのと申す人は、たとい刃ものに身は失われても、今もって生きてござるではないか」といっていますが、たしかに、それは味わうべき言葉だと存じます。またその愛弟子の一人、品川弥二郎に贈った手紙のうちにも、 「死生の悟が開けぬようでは、何事もなしえない」  ということを、細々と教えていますが、わずか三十歳の若さで、国事に斃れた吉田松陰こそ、まことに生死を越えた人です。生死をあきらめた人であります。 「われ今国の為に死す。死して君親に負かず。悠々たり天地の事。鑑照神明にあり」 (吾今為レ国死。死不レ負二君親一。悠々天地事。鑑照在二神明一)  といった、かれ松陰の肉体は消えました。しかし、その君国のために生きんとする、尊き偉大なる精神は、今日もなお炳乎として明らかに、儼然として輝いています。  私どもは五十年、七十年と限られた肉体的生命だけをみて、人生を判断せずに、もっと「永い眼」で人生を見直さなければなりません。スピノーザのいわゆる「永遠の相において」人生を眺めなければなりません。自己の永遠の生命を信ずる者は、「不生不滅」です。そこには生死はありません。生死を達観して、人生永遠の生命に目覚めることが、なんといってもいちばん大切です。肚ができたというのは、所詮この境地を指していったものです。いまや世界は共同の運命を自覚して一体となりつつあります。世界が真に一つの世界になりつつあるのです。松陰の出た明治維新当時と、今日の日本とは、その世界的地位において、たいへんなひらきがあります。しかし、わが日本民族が真に生くる根本的態度についてはなんら変りないと存じます。私どもは永遠の不朽の生命を深く信ずることによって、あくまでわれらに課せられた世界的使命たる、平和な文化国家の創造のために邁進したいと思うのであります。 第五講 空に徹するもの 是ノ故ニ空ノ中ニハ無クレ色モ。 無ク二受想行識モ一。 無ク二眼耳鼻舌身意モ一。 無ク二色声香味触法モ一。 無ク二眼界モ一。 乃至無シ二意識界モ一。  新緑の世界 いつのまにか花の春も去って、若葉青葉に燃ゆる、すがすがしい新緑の世界になりました。武蔵野に住む私どもにとっては、きょうこのごろが一年じゅうでいちばん恵まれた時候です。ところで、この新緑五月のころになると、いつも私どもの頭に浮かんでくるのは、あの有名な、 眼には青葉山ほととぎす初鰹  という句です。説明なしでも、もはや、日本人ならば何人にも十分にわかる句でありますが、これといっしょに新緑のころになると、いつも私の思い起こす句は、あの 衣更え手につく藍の匂いかな  という句です。これは衣更えの、新しい、すがすがしい気分を、最も巧みに表わしていることばだと思います。本日はこの二つの句を契機といたしまして、いささか『心経』の心を味わってゆきたいと思います。  さて、お経の本文は、 「是の故に、空の中には色もなく、受、想、行、識もなく、眼、耳、鼻、舌、身、意もなく、色、声、香、味、触、法もなく、眼界もなく、乃至、意識界もなし」  というのであります。この一節は、仏教の世界観を物語る「三科の法門」すなわち「蘊」「処」「界」の三種の方面から、「一切は空なり」ということを、反覆して説いたものであります。ところで、まず「蘊」ということですが、いうまでもなく蘊とは五蘊のことです。もっとも、この五蘊のことは、すでにたびたび申し上げた通り、私たち(我)をはじめ、私たちの世界(我所)を構成している五つの元素です。すなわち眼に見、耳に聞き、鼻に嗅ぎ、舌に味わい、身に触れることのできる一切の客観の世界は、ことごとくこの「色」の中に摂まるのです。次に五蘊の中の「受」「想」「行」「識」の四は、意識の作用で、すべて主観に属するものです。しかも、主観の主観ともいうべきものは、第四の識であって、この意識が、客観の「色」と交渉し、関係することによって、生ずる心象が、受と想と行との三であります。したがって「五蘊は空」だということは、つまり、世間にある一切の存在はみんな空だということになるのであります。ゆえに「空の中には色もない、受、想、行、識もない」といえば、私どもも、私どもの住んでいる世界も、つまり、一切のものはすべて空なる状態にあるのだ、ただ因縁によって仮に有るものであるから、執着すべき何物もない、ということになるわけであります。  次に「処」とは、十二処ということで、「六根」と「六境」といったものです。ところでその六根とは、あの富士山や御嶽山などへ登る行者たちが、「懺悔懺悔、六根清浄」と唱える、あの六根で、それは眼、耳、鼻、舌、身の五官、すなわち五根に、「意根」を加えて六根といったので、つまり私どもの身と心のことです。別な語でいえば心身清浄ということが六根清浄です。そこで、この「根」という字ですが、昔から、根とは、識を発して境を取る(発識取境)の義であるとか、または勝義自在の義などと、専門的にはずいぶんむずかしく解釈をしておりますが、要するに根とは「草木の根」などという、その根で、根源とか根本とかいう意味です。すなわちこの六根は、六識が外境を認識する場合は、そのよりどころとなり、根本となるものであるから、「根」といったのです。ところが面白いことには、仏教ではこの「根」をば、「扶塵根」と「勝義根」との二つに分けて説明しておるのです。たとえば、眼でいうならば、眼球は扶塵根で、視神経は勝義根です。したがって、そこひの人のごとく、たとい眼球はあっても、視神経が麻痺しておれば、色は見えませぬ。これと同時に、視神経はいかに健全でも、盲人のように眼球がなければ、ものを見ることはできないわけです。それゆえに、この「勝義根」と「扶塵根」、つまり「視神経」と「眼球」との二つが、揃って完全であってこそ、はじめて私どもの眼は、眼の作用をするわけです。しかもこれは他の五根についても同様であります。  対象の世界 次に六境とは、六根の対象になるもので、色と声と香と味と触と法とであります。六根に対する六つの境界という意味で、六境といったのです。ところで、この六境をまた「六塵」ともいうことがありますが、この場合、「塵」とは、ものを穢すという意味で、私たちの浄らかな心を汚し、迷わすものは、つまりこの外からくる色と声と香と味と触と法とであるから、「六境」をまた「六塵」ともいうのです。「六塵の境界」などというのはそれです。ただし六塵の中の「法塵」は、意根の対象となるもので、嬉しいとか、悲しいとか、憎いとかかわいいとかいう精神上の作用(心法)をいったものです。けだし、以上に申し述べました、六根と六境とが、いわゆる「十二処」といわれるものですが、これをまた「十二入」ともいっています。「処」は「場所」の所で、「生長」の義と解釈されていますが、六根が六境を受け入れ、よく意識を生長せしめるから、これを「十二処」といったのです。しかしてこの根と境とは互いに渉入し、根は境をとり、境から根を生ずるというように、相互に入れちがって、「渉入」するという意味から「十二処」のことを、また「十二入」といったのです。  最後に「界」とは、詳しくいえば「十八界」ということです。「六根」と「六境」に、さらに「六識」を加えたもので、合計三六十八となるわけです。いったい、この認識の作用というものは、「根」と「境」と「識」との三つが、相応じ、一致しなければ、起こらないものです。で、単に「根」と「境」とだけで「識」がなければ、いわゆる「心ここにあらざれば、見れども見えず」です。あれどもなきがごとしです。現に私どもが何か仕事に夢中になっているときは、知らぬ間に時間がたってしまいます。一時間、二時間が、ホンの五分か十分ぐらいにしか思えないのです。だが、なにも一時間が十分になったわけではありません。スッカリ時間を超越してしまうから、そう感じるのです。ところで、この「界」という字は、科学の世界とか、哲学の世界とか、あるいは新緑の世界などという場合の、その世界で、差別とか区別とか領域とかいう意味です。したがって十八界ということは、十八種類の世界ということで、つまり「根」と「境」と「識」との相対関係によって生じた、十八の世界です。たとえば、「眼根」と「色境」と「眼識」とが和合すると、ここに「眼」を中心とする一つの世界ができるのです。それがいわゆる「眼界」です。つまり「眼の世界」です。いまこの『心経』には、最初の「眼界」と最後の「意識界」だけを挙げて、その中間の「耳の世界」「鼻の世界」「舌の世界」などの、十六界をば、「乃至」という二字で省略してあるのです。  話がたいへんめんどうになりましたから、ここらで一まずきり上げて、最初に申し上げた、あの二首の俳句をかりて、一応いままでいったことを、考え直してみたいと存じます。さてまず最初の「眼には青葉山ほととぎす初鰹」という句でありますが、この「眼には青葉」というのは、いうまでもなく、眼の世界です。私どもの眼に映る世界です。そしてその対象は、青葉という「色の世界」です。すなわち、私どもの眼は、眼球を通して、青葉という「色の世界」を認識したのです。知ったのです。「ああ、もうスッカリ新緑になったな」と眼は知るのです。しかし、「どこかへ一度遊びに行きたいな」となると、もう眼の領域ではないのです。『増一阿含経』というお経の中には、 「眼は色をもって食となし、耳は声をもって食となす」  ということばが出ておりますが、眼の食物は色です。耳の食物は声です。よいものを見たい、いい声を聞きたいというのが、眼の楽しみ、耳の楽しみです。仏教の方では人が亡くなった時に香を手向けますが、これは「中有(中陰)の衆生は、香をもって食とする」という所からきているのです。したがって食物は、ただ口だけに必要なものではありません。眼にも、耳にも、鼻にも、みんな食、すなわち食物が必要なのです。  山ほととぎすの初音 次に「山ほととぎす」というのは耳の世界です。杜鵑のあの一声は耳の食です。残念ながら耳の遠い人は、耳の形だけはありますが、肝腎の聴神経が麻痺しているので、せっかくの山ほととぎすの初音も聞こえないわけです。次に、「初鰹」とは、舌の世界です。味覚の世界です。風邪をひいて熱でもあれば、何を食べてもおいしくないのは、舌があってもないと同じです。味覚がないから、少しも味がないわけです。すなわちあじない、まずいというのはそれです。で、要するに、この「眼には青葉」の一句には、「眼」と「耳」と「舌」との三つの世界、およびその対象となっているところの「色」と「声」と「味」との三つの境界が表現されているわけです。  衣更えの気分 次に第二の句は「衣更え手につく藍の匂いかな」というのですが、この句は、つまり、「衣更え」と「手につく藍の匂い」という、二つに解剖してみる事ができます。「衣更え」とは、衣を着かえることで、着ている着物を、ぬぎかえることですから、身体全部に関係するのです。したがってそれは、触覚の世界です。肌ざわりがよいとか、着心地がよいとか、わるいとか、いうのはそれです。「触」とはふれるという字で、英語のタッチに当たります。「手ざわり」だとか「肌ざわり」だとか、いう感じは触れてみなければなりません。次に「手につく藍の匂いかな」ということは、「鼻」の世界です。したがってその対象は「香」です。匂いです。よい匂いがする。ほんとうにいい香りだな、というのはことごとく「鼻」に属するものです。で、この「衣更え」の一句の中には「身」と「鼻」との二つの世界、およびそれの対象となっている「触」と「香」との二つの境界を表わしていることになるのです。かくて私どもは、この「眼には青葉」の句と「衣更え」の句を通じて、ここに眼、耳、鼻、舌、身の「五根」と、色、声、香、味、触の「五境」との関係を知ることができるのです。そして、この五官の中心となって、これを統一する認識の主体が、つまり第六意識です。この意識が「意根」を依り処として、一切のものを認識するわけです。しかも、この第六意識は、一切の万物を広く認識するという意味で、「広縁識」といわれておりますが、現在だけでなく、過去のこと、将来のことまでも、いろいろ思い考えるのは皆この第六意識の作用です。したがって、この第六識は前五識の主人公です。この主人公がシッカリしておればこそ、眼、耳、鼻、舌、身の五識は命じられるままに、よく働くわけです。「人間は考える動物」だといいますが、この考えの主体はこの意識であるわけです。おもうに仏教の立場からいえば、いったい私どもの認識作用というものは、結局この「根」と「境」と「識」との三つの和合によって生ずるものでありまして、「識」とは認識の主体で、心のことであり、「根」はその識の所依、よりどころ、「境」はつまり所縁、すなわち心によって認識せられる対象であるわけです。しかも私どもの認識を離れて、一切万物は存在しませぬから、『心経』の本文に、 「眼耳鼻舌身意もなく、色声香味触法もなく、眼界もなく、乃至意識界もなし」  といっているのは、結局「一切は皆空なり」ということを、くわしく分析して説明したものです。で、頭のするどい人には、はじめから「一切は皆空なり」といえば、すぐに「なるほどそうだ」、とわかるのですが、いまだ「空」の意味を理解しないものは、まず「五蘊」の空なることを説き、それでもわからぬものには、「六根」と「六境」の空なることを説明し、さらにそれでもまだ理解し得ないものには、もういっそう詳しく「六根」と「六境」と「六識」の関係を説明したのでありまして、つまりは、「因縁によって作られている、私どもの世界の一切の存在は、ことごとく空なり」ということを、説明したものにほかならぬのです。まことに「因縁」より生ずる所の、一切のものは、ことごとく空です。したがって一切の事物は、皆すべて相対依存の関係にあるわけです。もちつもたれつとは、独り人間同志の問題ではありません。世間の一切の万物、皆もちつもたれつなのです。現代の物理学者は相補性原理といっています。相補性原理とは、もちつもたれつということです。有名なアインシュタインはかつて相対性原理を唱えましたが、もはやそれは古典物理学に属するもので、今日ではすべてのものは、互いにもちつもたれつの関係にある、すなわち相補性原理こそが真実だといわれています。  したがってそれはもちつ、もちつでもなければ、またもたれつ、もたれつでもなく、あくまでもちつ、もたれつです。まったく「もちつ、もたれつ、互いによらにゃ、人という字は立ちはせぬ」です。宇宙間の一切の事物もそうですが、特に人間はどこまでも、もちつもたれつ、生かし生かされつつあるべきです。しかもそれがとりも直さず因縁の関係です。相対依存の関係です。ところが一切の万物は、もちつもたれつの存在であるばかりでなく、すべてのものは、ちょうど河の水のようにつねに流れているのです。動いているのです。ベルグソンもいっているように、私どもは同じ河の流れに、二度と足を洗うことはできないのです。水の流れは、つねに昼夜をわかたず、流れ流れて止みません。一度足を洗った水は二度と帰らぬ水です。だが、それはひとり河の水ばかりではありません。私どももまた、つねに変化し移りかわっているのです。昨日の私は、もう今日の私ではありません。今日の私は、もはや明日の私でもありません。したがってこの「万物流転」と「相対依存」とは、まさしく因縁という母胎から生まれた、二つの原理であるわけです。縦(時間的)から見れば万物流転、横(空間的)から見れば相対依存、この二つの原理は、実に疑うことのできない、宇宙の真理です。しかもこの真理に目覚める時、私どもは、そこにはじめて国家、社会、人類の「恩」を感じ、「人生の尊さ」をハッキリ知ることができるのです。自分独りの自分ではない。私独りの私ではない。すべてのものによって養われている私、一切のものによって生かされている自分を、ほんとうに心から知った時、私どもは、そこにしみじみと、今さらながら、恩すなわちおかげさまということを感ずるのであります。ありがたい、もったいない、すまない、という感謝報恩の心は、湧然として、ほとばしり出るのです。したがって、自己の生活に対して、何の懺悔も、反省もなしに、ただいたずらに世を呪い、人を怨むことは、全く沙汰の限りといわざるを得ないのです。自分の身体にくっついた虱を怨む前に、まず私どもは虱をつけている自己の身体の不潔を反省せねばなりません。しかも一たび「因縁の原理」に目覚め真に「般若の空」に徹したものは、生のはかなさを知ると同時にまた、生の尊さを知るのです。実をいえば、生ははかないがゆえに尊いのです。「散ればこそいとど桜はめでたけれ」です。散るところに、花の生命があるように、死んでゆくところに、いや死なねばならぬところに、生の価値があるのです。生の尊さ、ありがたさがあるのです。ゆえに空に徹したる人は、生きねばならぬ時には、石に噛りついても、必ず生をりっぱに生かそうと努力します。生死に囚われざる人は、所詮死を怖れざる人です。死を怖れざるゆえに、死なねばならぬときに莞爾と笑って死んでゆくのです。ゆえにそれはいたずらに死を求める人ではありません。「死を怖れず、死を求めず」といった西郷南洲のことばは、真に味わうべき言葉だと思います。昔から「千金の子は、盗賊に死せず」といいます。「君子は分陰を惜しむ」といいます。たしかにそれは真実です。寸陰を惜しみ、分陰を惜しみ、生の限りなき尊さを味わうものにして、はじめていつ死んでもかまわない、という貴い体験が生まれるのです。覚悟ができるのです。いつも「明日」と同盟する人は「今日」の貴さをほんとうに知らない人です。いつも「明日」と約束する人は、「今日」を真に活かさない人です。  ローマの哲学者ポエチウスは牢獄のなかで死刑の日を前にして『哲学の慰め』というりっぱな本を書いていますが、これに似た話が中国にもあります。今からちょうど千五百年以前のことです。中国に僧肇という若い仏教学者がありました。彼は有名な羅什三蔵の門下で、三千の門下生のうちでも、特に優れたりっぱな学者でありました。しかし、ある事件のため、時の王様の怒りに触れて、将に斬罪に処せられんとしたのです。その時、彼は何を思ってか、七日間の命乞いをいたしました。彼は、その七日間に、獄中において、みんごと『法蔵論』という一巻の書物を書き上げました。そして、従容として刑場の露と消えたということです。時に彼三十一歳、その臨終の遺偈は、まことにりっぱなものであります。「四大元主なし。五陰本来空。首を以て白刃に臨めば、猶し春風を斬るが如し」(四大元無レ主。五陰本来空。以レ首臨二白刃一。猶如レ斬二春風一。)  首を以て白刃に臨めば、猶し春風を斬るが如し。ああ、なんという徹底した痛快な死生観ではありませんか。  けだし、かの若き僧肇こそ、まことに般若の経典を心でよみ、かつこれを身体で読んだ人であります。人間もここまで来なければ、決して大丈夫ということはできません。しかし、私はその臨終の偈が、徹底していることよりも、むしろ獄中に囚われの身でありながら、悠々として『法蔵論』というりっぱな一巻の書物を、書き残していったという所に、学者として、いや仏教の坊さんとしての彼の偉大さ、真面目があると存じます。今日、私どもは、この『法蔵論』を手にするたびに、「般若の空」の真の体験者であった僧肇の偉大さを、しみじみと感ずるのであります。そして三十一歳で、従容として死についた彼を偲ぶにつけても、般若を学びつつ、般若を説きつつ、しかもいまだ真に般若を行じ得ない、自分を省みるとき、私は内心まことに忸怩たるものがあるのであります。「道は多い、されど汝の歩むべき道は一つ」だといいます。私は『般若心経』のこの講義を契機として、真に般若の道を学びつつ、歩みつつ、如実に一つの道をシッカリと歩んでゆきたいと思っています。そして少なくとも、「生死岸頭に立って大自在を得る」という境地にまで、すみやかに到達したいと念じている次第であります。 第六講 因縁に目覚める 無ク二無明モ一。 亦無ク二無明ノ尽クルコトモ一。 乃至無ク二老死モ一。 亦無シ二老死ノ尽クルコトモ一。  商人の話 昭和九年の春、AKから『般若心経』の放送をしている時でした。近所の八百屋さんが宅へ参りまして、家内に、冗談のように、「この頃は毎朝、お宅の先生のラジオ放送で、空だの、無だのというような話を聞かされているので、損をした日でも、今までと違ってあんまり苦にしなくなりました」といって笑っていたということですが、たとい、空のもつ、ふかい味わいが把めなくても、せめて「裸にて生まれて来たになに不足」といったような、裸一貫の自分をときおり味わってみることも、また必要かとおもうのであります。その昔幕末のころ、盛んに廃仏棄釈をやった水戸の殿様に、ある禅寺の和尚さんが、 「君は僅かに是れ三十五万石、我れは是れ即ち三界無庵の人」  といったという話がありますが、あなたはたった三十五万石だ、私は「三界無庵の人」だといった、その心持には味わうべき貴いものがあるかと存じます。おもうに三界無庵の人こそ、その実、いたるところに家をもつ三界有庵の人です。「無一物中無尽蔵」です。そこには、花もあれば、月もあります。私どもは、般若の「空」がもっているほんとうのもち味をかみしめつつ、いたずらにくよくよせずして、ゆったりと落ちついた気分で、お互いの人生を、社会を、広く、深く、味わってゆきたいものです。  さてこれからお話ししようとする所は、 「無明もなく、また無明の尽くることもなく、乃至、老死もなく、また老死の尽くることもなし」  という一節であります。すでに私は「仏教の世界観」を契機として、それによって「一切は空なり」ということをお話ししたのですが、これからは「仏教の人生観」の上から、「一切は空なり」ということをお話しするわけであります。ところで最初の所は、有名な「十二縁」の問題を取り扱っているのですが、『心経』には「十二因縁」の一々の名前はなくて、ただ最初の「無明」と、最後の「老死」とを挙げてあるのみで、その中間は、「乃至」という文字でもって省略してあるのです。そして「無明もなく、無明の尽くることもなく、老死もなく、老死の尽くることもなし」とて、十二因縁の空なることを説いてあるのですが、いったい般若の真空の上よりいえば、客観的に宇宙の森羅万象が空であったがごとく、主観的にも、宇宙の真理を語る所の、智慧そのものもまた空だ、というのが、「無明もない」、「老死もない」ということ、すなわち十二因縁もまた空だというのがそれです。ところで、この「十二因縁」の一々についての、詳しい説明は、かえって煩瑣ですし、またここではその必要を認めませんので省略しておきますが、ただここで、ぜひとも注意すべき大切なことは、「十二」という数字よりも、むしろ「因縁」という二字が大事だということです。すなわち十二という数が、必ずしも特別に重要な位置を占めるものではなくて、「因縁」ということが必要なのです。「因縁」ということ、因縁の内容をば、十二の形式によって説明したものが、この「十二因縁」でありまして、これは結局、「因縁」という一語につきるわけです。したがって、開けば十二、合すれば因縁の一つというわけです。  因縁の体験 さてこの因縁が、どんなに重要な意味をもっている語であるかは、すでに、しばしば反覆し説いてまいりましたが、要するに、縦から見ても横から見ても、内から見ても、外から見ても、「仏教の根本思想」は、所詮この「因縁」の二字につきるのです。もちつ、もたれつという「相対依存」の関係も、万物は移り変わるという「万物流転」の原理も、ことごとくみなこの「因縁」という母胎から生まれてくる真理であることは、すでに述べたとおりです。かかるがゆえに、人間の子釈尊が、仏となったことも、実は、この因縁の自覚にあったのです。しかもこの因縁の法を自覚した釈尊、仏となった釈尊が、その因縁の道理をば、自己の体験を通じて「教え」として説いたものが、すなわち仏教です。したがって仏教は、「仏陀の教え」とはいうものの、仏陀は自覚せる人間ですから、所詮、仏教は人間の教えです。神の宗教ではなくて、人間の宗教です。天上の宗教ではなくて、地上の宗教です。昔あるクリスチャンが、神さまは天上にいられると思って、ある日のこと、高い塔の上に登って、「神さまア、神さまア」と、大声で叫びました。すると不思議にも「オーイ」という神さまのお声が聞こえてきたのです。「さては天上に神さまがいられる」と思いつつ、彼はなおもよく耳をすましていると、豈に図らんや、神の声は高い天上ではなくて、低い地上から聞こえてきたのです。しかも多くの人たちが群集し、雑沓している中から神の声は聞こえてきたのです。もちろんそれは一つの寓話でしかありません。しかしです。神の声はあった、だが、その声は、高い天上にはなくて、低い地上にあった。しかも、多くの人々の雑沓している、その群集の中にあったということは、そこに、ふかき「何物か」を物語っていると存じます。キリストは「天国を地上」にといっています。少なくともほんとうの宗教は、神の宗教ではなくて、人間の宗教です。天上の宗教ではなくて、地上の宗教でなければなりません。まことに、宗教のアルファもオメガアも、始めも、終わりも、結局は人間です。「迷える人間」より「悟れる人間」へ、「眠れる人間」より「目覚めた人間へ」、そこに宗教の眼目があるのです。けだし「仏法遥にあらず」です。「心中にして即ち近し」です。「真如外に非ず」です。「身を捨て何処にか求めん」です。少なくとも、私ども人間の生活を無視して、どこに宗教がありましょうか。「なにゆえに宗教が必要なのだ」という質問は、つまりなにゆえに、「われらは生きねばならぬか」という質問と同一です。宗教の必要を認めない人は、人間として生きる権利を抛棄した人です。人間としての、尊き矜持は「生きる」ということを、考えるところにあるのです。しかも、一度でも「いかに生くべきか」ということを、真剣に考えたとき、それはもはやすでに「宗教の世界」にタッチしているのです。宗教に入っているのです。いや、宗教を離れては、どうしても「生きる」ということのほんとうの意味を、把むことはできないのです。  惑と業と苦の連鎖 話がつい横道にそれました。さてこの十二因縁ということですが、これについては、昔からいろいろとめんどうな、むずかしい議論もありますが、こういったらよいかと存じます。いったい、仏教では、私どもの生活は、この現在の一世だけではなく、過去と、現在と、未来との三世に亙って、持続するというのです。「三世輪廻」というのはそれです。ところがその生活の過程は、結局、惑と、業と、苦の関係だというのです。いわゆる「惑業苦の三道」というのはそれです。いうまでもなく惑とは、「迷惑」と熟するその惑で、無明、すなわち無知です。智慧が病にかかっている愚痴です。ものの道理をハッキリ知らないから、惑が起こるのです。無知の迷いが生ずるのです。下世話に「一杯、人、酒をのみ、二杯、酒、酒をのみ、三杯、酒、人を飲む」と申しますが、飲み友だちをもった人には、この辺の呼吸がよくおわかりでしょうが、飲酒の害をよく知りつつも、「憂いを払う玉箒」などと、酒杯を手にします。一杯やりますと、もうたまりません。陶然とした気持になって、飲酒の害も、どこへやらふっ飛んでしまって、酒のいけない人を、かえって馬鹿にするようになります。「痛狂は酔わざるを笑い、酷睡は覚者を嘲る」と弘法大師もいっていられますが、狂酔の人からみると、酒をのまぬ連中がかえって馬鹿に見えるのです。しかし、それは所詮、酒飲みの錯覚です。いうところの「惑」です。だが、メートルが上がると、もうたまりません。一たび、この「惑」が生ずると、酒、酒を飲むようになって、それこそだらしないことをしでかすのです。それが所詮「業」です。はては、他人さまにも迷惑をかけ、自己も苦しむのです。経済上の苦しみはいうまでもありません。身体も精神も、苦しめるようになるのです。これがいわゆる「苦」です。三杯、酒、人を飲むというようになると、もう恥も外聞もありません。だが、いったん酔いがさめると、それこそしみじみと酒の害毒を痛感します。もう再び酒杯などは手にすまいとまで思います。しかし、それもほんの束の間です。アルコール中毒に罹ったものは、また何かの機会に杯を手にします。そして飲んだが最後、またいろいろと、だらしのないことをしでかしたすえは、やっぱり自分で自分を苦しめているのです。かくて飲酒家は、断然、禁酒しないかぎり一生いつまでも同じことを、何遍もくり返しているのです。それが、いわゆる惑業苦の関係です。ちょうどあの酒飲みの一生のように、私どももまた同じことを、繰り返し繰り返しやっているのではありませんか。この因果関係、この縁起の関係を十二の形式によって示したものが、つまりこの「十二因縁」です。「十二縁起」といわれる「因縁の哲学」です。だから、無明に出発している私どもの人生は、苦であるのはあたりまえのことです。無明の無知を、根本的に絶滅しないかぎり、苦の世界は、いつまでも無限に継続してゆくのです。したがって、はじめから無明がなければ、無明の尽きることもなく、自然、老死もなく、また老死のつきることもないわけです。  死は生によって来る 今からおよそ千三百余年前に、支那に嘉祥大師というたいへん有名な方がありました。彼は三論宗という宗旨を開いた高僧でありますが、その臨終の偈に、こんな味わうべき偈文がのこされているのです。 「歯を含み、毛を戴くもの、生を愛し、死を怖れざるはなし。死は生に依って来たる。われ若し生まれざれば、何によって死あらん。宜しくその初めて生まるるを見て、終に死あることを知るべし。まさに生に啼いて、死を怖るること勿れ」 (含レ歯戴レ毛者。無二愛レ生不一レ怖レ死。死依レ生来。吾若不レ生。因レ何有レ死。宜下見二其初生一知中終死上。応啼レ生勿レ怖レ死。)  後世、この遺偈を「死不怖論」と称しております。有名な万葉の歌人山上憶良も、 「生るれば必ず死あり。死をもし欲せずんば、生れざらんには如かじ」  といっています。ほんとうのことをいえば、たしかにその通りでしょう。生があればこそ、死があるのです。「死ぬことを忘れていてもみんな死に」です。忘れる、忘れないはともかく、みんな一度は、必ず死んでゆくのです。だから、死は生によって来る以上、生だけは楽しく、死だけが悲しい、という道理はないわけです。理窟からいえば、母胎を出でた瞬間から、もはや墓場への第一歩をふみ出しているのです。だから応に生に啼いて、死を怖るること勿れです。死ぬことが嫌だったら、生まれてこねばよいのです。しかしです。それはあくまで悟りきった世界です。ゆめと思えばなんでもないが、そこが凡夫で、というように、人間の気持の上からいえば、たとい理窟はどうだろうとも、事実は、ほんとうは、生は嬉しく、死は悲しいものです。「骸骨の上を粧うて花見かな」(鬼貫)とはいうものの、花見に化粧して行く娘の姿は美しいものです。骸骨のお化けだ、何が美しかろうというのは僻目です。生も嬉しくない、死も悲しくない、というのはみんな嘘です。生は嬉しくてよいのです。死は悲しんでよいのです。「生死一如」と悟った人でも、やっぱり生は嬉しく、死は悲しいのです。それでよいのです。ほんとうにそれでよいのです。問題は囚われないことです。執着しないことです。あきらめることです。因縁と観ずることです。けだし「人間味」を離れて、どこに「宗教味」がありましょうか。悟りすました天上の世界には、宗教の必要はないでしょう。しかしどうしても夢とは思えない、あきらめられない人間の世界にこそ、宗教が必要なのです。しかもこの人間味を、深く深く掘り下げてゆきさえすれば、自然に宗教の世界に達するのです。自分の心をふかく掘り下げずして、やたらに自分の周囲を探し求めたとて、どこにも宗教の泉はありません。まことに、 「尽日春を尋ねて春を得ず。茫鞋踏み遍し隴頭の雲。還り来って却って梅花の下を過ぐれば、春は枝頭に在って既に十分」(宋戴益)  です。 「咲いた咲いたに、ついうかされて、花を尋ねて西また東、草鞋切らして帰って見れば、家じゃ梅めが笑ってる」  です。一度は、方々を尋ねてみなければ、わからないとしても、「魂の故郷」は、畢竟わが心のうちにあるのです。「家じゃ梅めが笑ってる」です。泣くも自分、笑うも自分です。悩むも、悦ぶも心一つです。この心をほかにして、この自分をのけものにして、どこにさとりの世界を求めてゆくのでしょうか。求めた自分は、求められた自分なのです。求めた心は、求められた心なのです。だから釈尊は、人間の苦悩はどうして生ずるか、どうすればその苦悩を解脱することができるか、という、この人生の重大な問題をば、この「十二因縁」という形式によって、諦観せられたのです。そして無明を根本として、老死の道を辿り、同時にまた、老死を基礎として、無明への道を辿り、ここに「十二因縁」の順と逆との二つの見方によって、ついに「十二因縁皆心に依る」という、さとりの境地にまで到達されたのです。十二因縁皆心に依るとは、まことに意味ふかい言葉ではありませんか。こんな唄があります。 「鏡にうつるわが姿、つんとすませば、向こうもすます。にらみ返せば、にらんでかえす。ほんにうき世は鏡の影よ。泣くも笑うもわれ次第」  まったくそのとおりです。所詮、一心に迷うものは衆生です。一心を覚るものが仏です。小さい「自我」に囚われるかぎり、人生は苦です。たしかに人生は苦です。しかし、一たび小さい自我の「繋縛」を離れて、如実に一心を悟るならば、一切の苦悩は、たちまちにしておのずから解消するのです。要は、一心の迷いと悟りにあります。まことに、 「眼裏塵あれば三界は窄く、心頭無事なれば一床寛なり」  です。一心に迷うて、あくまで小さい自我に固執するならば、現実の世界は、畢竟苦の牢獄です。しかし、一たび、心眼を開いて、因縁の真理に徹し、無我の天地に参ずるならば、厭うべき煩悩もなければ、捨てるべき無明もありませぬ。「渋柿の渋がそのまま甘味かな」です。渋柿の渋こそ、そのまま甘味のもとです。渋柿を離れて、どこに甘柿がありましょうか。  釈尊の更生 その昔、釈尊は人間苦の解脱のために、出家せられました。妻子と王位とをふりきって、敢然として、一介の沙門となり、そして決然、苦行禁慾の生活に入られました。しかし、六か年に亙る苦行の生活は、どうであったでしょうか。それは、いたずらに肉体を苦しめるのみで、そこにはなんら解脱の曙光は見出されなかったのです。ここにおいてか、最後の釈尊の到達した天地は、実に自我への鋭き反省でした。しかも、一たびは家を捨て、人を捨て、肉体までも捨てんとした釈尊は、菩提樹下の静観によって、ついに心において復活したのです。「十二因縁一心による」という、無我の体験によって、人間としての釈尊は、まさに仏陀としての釈尊となって更生されたのです。迷える人間の子悉達は、ついに「因縁」、「無我」の内観によって、三界の覚者、仏陀として、まさしく誕生したのです。仏誕ここに二千五百余年、釈尊は生まれ、そして彼岸へ逝きました。だが、「因縁」、「無我」の原理は、宇宙の光として、今もなお、燦然として輝いています。いや、人間がこの地上に生活するかぎり、未来永遠に輝いてゆくことでありましょう。  仏陀釈尊はわれわれに教えています。 「過去の因を知らんと欲せば、現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、現在の因を見よ」  と、まさしくそれは偽りなき真理のことばです。ライプニッツのいっているとおり、現在は、実に「過去を背負い、未来を孕める」現在です。ゆえに、過去の因は、とうぜん現在の結果によって知られるのです。永遠の過去を背負った今日は、同時に永劫の未来を孕める今日です。今日は単なる今日ではない。まさしく、「永遠なる今日」です。歴史的現実です。現在なくして昨日もありません。今日という現在は、一切の過去を含み、そしてまた一切の未来を孕んでいるのです。詩人グレークの「刹那に永遠を掴む」というのも、まさしくこの境地をいったものです。ほんとうに詩人のいっているごとく、「昨日は生きた。今日は生きている。明日も生きるだろう」です。生きたのは昨日です。生きるだろうは明日です。真に生きているのは今日です。昨日の私も私でした。明日の私も私でしょう。しかし、今日の私は昨日の私ではありません。明日の私もまた今日の私ではありません。所詮、世の中のこと、すべては「一期一会」です。一生たった一度きりです。「一生一別」です。「世の中は今日より外はなかりけり」です。昨日は過ぎた過去、明日は知られざる未来です。『中阿含経』は、われらにこう語っています。 「過ぎ去れるを追い念うこと勿れ、未だ来らぬを待ち設くること勿れ。過去は過ぎ去り、未来は未だ来らざればなり。ただ現在の法を観よ。うごかず、たじろがず、それを知りて、ただ育てよ。今日なすべきことをなせ。誰か明日、死の来るを知らんや。かの死魔の大軍と戦うことなきを知らんや、かくの如く熱心に、日夜に、たじろぐことなく、住するを、げに、聖者は、よき一夜と説きたまえり」  とかく老人は、「昨日」を語りたがります。青年はえてして「明日」を語りたがります。しかし、もはや「昨日」は過ぎた「過去」ではありませんか。「明日」は未だ来らざる「未来」ではありませんか。老人も青年も、共にまさしく握っているものは、「今日」です。過去はいかに楽しくとも、結局、過去は過去です。未来はいかに甘くとも、所詮、未来は未来です。  一日暮らしのこと かつて白隠禅師の師匠、正受老人は、私どもにこんなことばをのこしております。それは「一日暮」というのです。 「いかほどの苦しみにても、一日と思えば堪え易し。楽しみもまた一日と思えば、ふけることもあるまじ。親に孝行せぬも、長いと思う故なり。一日一日と思えば、理窟はあるまじ。一日一日とつもれば、百年も千年もつとめ易し。一生と思うからに大そうなり。一生とは長いことと思えども、後のことやら、知る人あるまじ。死を限りと思えば、一生にはたされ易し。一大事と申すは、今日、只今の心なり。それをおろそかにして、翌日あることなし。凡ての人に遠きことを思えば、謀ることあれど、『的面の今』を失うに心つかず」  まことに一大事とは、今日只今の心です。その心をほかにして、ほんとうに生きる道はないのです。有名な山鹿素行はまたわれらにこんな言葉をのこしています。 「大丈夫ただ今日一日を以て極とすべきなり。一日を積んで一月に至り、一月を積んで一年に至り、一年を積んで十年とす。十年相累りて百年たり。一日なお遠し、一時にあり。一時なお長し、一刻にあり。一刻なおあまれり、一分にあり。ここを以っていう時は千万歳のつもりも、一分より出で、一日に究まれり」  ほんとうに考えさせられることばです。「いうことなかれ、今日学ばずして、来日ありと」です。「いうこと勿れ、今年学ばずして、来年ありと」です。「日月逝きぬ。歳月われを待たず」です。「嗚呼、老いぬ」と歎じてみたとて、「これ誰のあやまちぞや」です。くり返していう。一大事とは、実に今日只今の心です。今日只今の心こそ、まさしく一大事です。ゆえに、今日をただ今日としてみる人は、真に今日を知らざる人です。今日の一日を「永遠なる今日」としてみる人こそ、真に今日を知れる人です。刹那に永遠を把む人です。掌に無限を把握しうる人です。しかも、この今日に生きる人こそ、真に過去に生き得た人です。未来にも生き得る人です。まことに、空に徹し、般若の智慧を体得した人は、「永遠の相」において、人生を熱愛する人です。しかも永遠の相において人生を眺めうる人は、断じて人生を否定し、人生を拒否する人ではありません。冷たい白眼をもって、いたずらに人生を批判する人ではなくて、暖かい青眼をもって人生を享受する人です。空に徹した、あの観自在菩薩の世界には捨つべき煩悩もなく、とるべき菩提もありません。したがって厭うべき娑婆もなければ、往くべき浄土もありません。娑婆即寂光、娑婆こそそのまま浄土です。「無明なく、無明の尽くることなく、老死なく、老死の尽くること」もありません。生死涅槃は、畢竟昨日の夢です。煩悩はそのまま菩提です。生死は即ち涅槃です。しかも「永遠に立脚して、刹那に努力する人」こそ、はじめてかかる境地を、ほんとうに味わうことができるのであります。 第七講 四つの正見 無シ二苦集滅道モ一。  あきらめの世界 いったい人間というものは妙なもので、口でこそりっぱにあきらめたといっておっても、その実、なかなか心では容易にあきらめきれないものです。他人の事だと、「なんだ、もう過ぎたことじゃないか、スッパリ諦めてしまえ」だとか、「なんという君は諦めの悪い人間だ」ナンテ冷笑しますが、いざ自分の事となると、諦めたとは思っても、なかなか諦めきれないのです。竹を割ったようにスッパリとは、どうしたって諦められないのです。「あきらめましたよ、どう諦めた、諦らめられぬとあきらめた」という俗謡がありますが、諦められぬと諦めた、というのが、あるいはほんとうの人情かも知れません。諦めたようで、諦められぬのが、また諦められぬようで、実はいつともなしに諦めているのが、私ども人間お互いの気持だと存じます。「散ればこそいとど桜はめでたけれ」と聞いて、なるほどもっともだと感じます。生まれた以上、死なねばならぬ、死は生によって来る、と聞けば、なるほど、全くその通りだ、と思います。「諸行無常」だの、「会者定離」だのと聞けば、なるほどそれに違いないとうなずかれます。しかしです、そうは思いつつも、やはり一面には、「そうじゃけれども、そうじゃけれども」という感じが、どこからともなく湧いてくるのです。他人に向かっては誰しも、いかにも自分が、さとったような、あきらめたような口吻で、裁きます、批判します。娘を亡くした母親を慰め顔に、「まあ極楽へ嫁にやったつもりで……」といったところで、母親にしてみれば、それこそ「おもやすめども、おもやすめども」です。なかなか容易にはあきらめきれないのです。  なぜ自分の子供だけが、なにゆえにわが娘だけが、という感じが先行して、「人間は死ぬ動物」だナンテ冷然とすましてはおれないのです。だが、それが人情です。愚痴といって非難されましょうが、そこが人間のやるせない心持です。わが娘を嫁にやる時、門出に流す母親の涙は嬉しい涙ではありましょうが、それはまた悲しみの涙でもあるのです。嬉しいはずだが、やはりそこには「愛する者と別れる」という、一種の悲しい世界もあるのです。あきらめたようで、その実あきらめられず、あきらめられぬようで、いつとはなしに人間は「忘却」ということによって、あきらめているのです。「人間は忘却する動物だ」とニイチェもいっていますが、面白いことばだと思います。全く人間というものは妙な存在です。その妙な存在である人間の集まっているこの社会も、また複雑怪奇で、そう簡単には解釈できないわけです。「人生は円の半径だ」といいますが、人生も社会も「割りきれぬ」ところにかえって妙味があるのかも知れません。割りきれぬものを、割りきったように考えるところに、人間の分別があるのです。迷いがあるのです。とにかくあきらめたと思うのも、自分、あきらめられぬというのも、自分です。お互い人間は、なんといっても矛盾の存在です。 「人生は不満と退屈との間を動揺する時計の振子だ」とショウペンハウエルはいっております。あるいはそうかも知れませぬ。求めて得られない時には、なんとなく不満を感じます。しかし幸いにその求めたものが得られても、そこには必ず退屈が生ずるのです。「歓楽極まって哀情多し」というか、「満足の悲哀」というか、とにかく不満の反対は退屈です。私どもの人生を、不満と退屈の間を動揺する、時計の振子に譬えた哲学者のことばの中には、味わうべき何ものかがあると存じます。どうみても、人間は幾多の矛盾を孕める動物です。矛盾の存在、それが人間でしょう。さてこれからお話ししようとする所は、四つの真理、すなわち「四諦」についてでありますが、『心経』の本文では、「苦、集、滅、道もなし」という所です。ところで、この四諦の「諦」という字ですが、これは「審」とか「明」などという文字と同一で、「明らかに見る」ことです。「審に見る」ことです。だから「あきらめる」とは「諦観」することで、つまり、もののほんとうの相を見ること、すなわち真実を見きわめることです。したがって、釈尊があきらめた世界、ハッキリ人生を見きわめた世界を、説いたのがすなわち仏教です。しかもその仏教の根本は、結局、この四諦、すなわち四つのあきらめ、すなわち四つの真理にあるのです。しからばその四つの真理とは何か、といえば、それは、「苦」と「集」と「滅」と「道」の四つで、これを四諦といっています。わかりやすくこれをいえば、「人生は苦なり」ということと、その苦はどこからくるかという、「その苦の原因」と、「その苦を解脱した世界」と、「その苦を除く方法」を教えたのが、すなわち「四諦」の真理です。で、「苦、集、滅、道もなし」という『心経』のこの一節は、このまえ「十二因縁」の下で、お話ししたごとく、空の立場からいえば、四諦の真理もないというのです。「一切皆空」の道理からいえば、迷と悟との因果を説いた、この四諦の法もないわけです。さてまず、「苦諦」ということから考えてゆきましょう。いったい「人生は苦だ」とか、「うきよは苦悩の巷」だということは、たしかに真理です。世間でよく「四苦八苦の苦しみ」と申しますが、ほんとうに考えてみると、人生は四苦八苦どころか、さまざまの苦しみ、悩みがあるのです。  これについてこんな話があります。その昔ペルシャ(現今のイラン)にゼミールという王さまがありました。年若きゼミール王は、「即位」の大典をあげるや、ただちに天下の学者に命じて、最も精密なる「人類の歴史」を編纂せしめたのです。王さまの命令に従って、多くの学者たちは、懸命に人類史の編纂にとりかかりました。一年、二年はまたたく間に過ぎました。五年、十年は、夢のように過ぎました。二十年、三十年の長い年月を経ても、世界で最も「精密なる人類史」は容易にできません。四十年、五十年の長い長い時間を費やして、やっと書き上げた。その人類史の結論は、果たしてなんであったでしょうか。「人は生まれ、人は苦しみ、人は死す」それが人類史の結論だったのです。人は生まれ、人は死んでゆく。その生まれ落ちてから、死んでゆくまでの人間の一生、それは畢竟苦しみの一生ではないでしょうか。「人は生まれ、人は苦しみ、人は死す」なんという深刻なことばでしょう。  私は放送をするたびに、全国の未知の方々から、身の上相談の手紙を戴きます。それを一々ていねいに拝見していますが、「こうも世の中には煩悶している、不幸な人たちが多いものか」ということを、いまさらながら、しみじみ感ずることであります。小にしては個人、家庭、大にしては社会、国家、そこにはいろんな苦しみがあり、悩みがあります。苦悩がないというのはうそです。煩悶がないというのは、反省が足りないからです。苦悩があっても、煩悶があっても、それに気づかないでいるのです。いや悩みがあっても、その悩みにブッつかることを恐れているのです。つまりその悩みに目覚めないのです。  詩人ベーコンは人生の苦の相を歌って、こういっています。 世界は泡沫である。人生は束の間に過ぎない。 母胎に宿るそもそもから、墓場にいたるその時まで、 人生は苦の連続である。揺籃からとり出される。 それから気兼ね苦労で育て上げられる。 さて、こうした末に、なり上がった人の命が不壊なればこそ、 生命の頼りがたなさは、水に描ける絵、砂に刻める文字もおろかである。 内地にいて感情を満足させたい、 これはけだし人間の病気である。 海を越えて、他国に行くことは、 困難であり、また危険である。 時には戦争があって、われらを苦しめる。 が、しかし、それが終われば、 こんどは又平和のために一層苦しむ。  こうして一々数えていったあげくの果ては、何が残るか。生まれたことや、死ぬことを悲観する。残るのは、ただこれだけである。  三界は火宅 あの有名な『法華経』は、またわれらに告げています。 三界は安きことなし、猶火宅の如し 衆苦充満して、甚だ畏怖べし つねに生、老、病死の憂患あり 是の如き業の火、熾然として息まず  私どもの住むこの世界は、あたかもさかんに燃えている火宅である、という釈尊のこの体験こそ、尊い人間苦への警告だったのです。苦諦の真理に対する目覚めだったのです。かくてこそ、 如来はすでに三界の火宅を離れて 寂然として閑居し、林野に安処せり 今この三界は、皆是れ我有なり その中の衆生は、悉く是れわが子なり しかもいま此処は、諸の患難多し 唯だ我一人のみ、能く救護をなす  という、われらに対する、仏陀の限りなき慈悲の手は、さし伸べられたのではありませんか。  人生への第一歩 まことに「人生は苦なり」という、その苦の真理に目覚めることこそ、宗教への第一歩ではないでしょうか。しかし、所詮、第一歩はあくまで第一歩です。それは決して宗教の結論ではないからです。宗教の全部ではないからです。いや、それは宗教への第一歩であるばかりではありません。苦の認識こそ、ほんとうの人生に目覚める第一歩なのです。すなわち「苦」という自覚が機縁になって、ここにはじめてしっかりした地上の生活がうちたてられてゆくのです。したがって「苦の自覚」をもたない人は、人生の見方が浅薄です。皮相的です。「最も苦しんだ人のみ、人の子を教える資格がある」というのは、それです。お坊っちゃん育ちは、とかく何事を見るにつけ、するにつけ、みんな浅薄です。あさはかです。子供を育てる場合でも、このこつが必要です。「かわいい子には旅させよ」とは、たしかに味わうべきことばです。  苦の原因 次に第二の真理すなわち「集諦」とは、つまり人生の苦は、どこから起こるかというその「原因」をいったものです。すなわち「苦諦」を、いま人生はどうあるかの問題に対する説明とすれば、「集諦」は、「なにゆえにそうであるか」の問題に対する説明ということができましょう。英語でいえばホワット(何か)とホワイ(なにゆえ)といってもよいでしょう。つまり「なにゆえに人生は苦であるか」という、その苦のよって来る原因の説明が、この「集諦」です。苦を招き集めるもの、いわゆる苦の原因が、この「集諦」です。ここでちょっと、仏教とマルキシズムの「苦」に対する考え方を、比較しておく必要があります。かつてマルクス主義者は、口を開けばすぐブルジョアがいけないと、まるで敵のように罵りました。不倶戴天のごとくに攻撃いたしました。社会の不安も、社会苦も、生活苦も、ことごとく資本家の罪に帰して、社会機構の欠陥を叫びました。だが、果たしてそれは正しい見方でしょうか。間違いのないほんとうの議論でしょうか。一時、主義者は宗教をアヘンのごとくいいふらしました。そして仏教をも宗教の名のもとに、極端に排撃しました。だが、元来マルクスの宗教理論は、もっぱらキリスト教を中心として考察したものです。仏教のごときは、まったく彼は知らなかったのです。いや、一歩ゆずって、かりに知っていたとしても、マルクスには仏教のふかい教理が、如実に理解されていなかったのです。にもかかわらず、かつての共産主義の人たちは、彼の幼稚な宗教理論を公式的に暗記して、キリスト教とは全くその性質を異にしている仏教をも、宗教という名のもとに排撃の対象としましたが、果たしてそれは正当な認識でしょうか。それから、いったいマルクスのいう現実の苦というのは、無産者だけの苦です。プロレタリヤだけの生活苦です。したがってそれは人間全体の苦ではありません。すなわち釈尊が四苦八苦といわれた、その苦諦の苦ではないのです。少なくとも人間苦といい、社会苦といわれる苦には、資本家だとか、無産者だとかいうような区別はありません。四苦八苦は、人間としての苦しみです。社会的存在としての人間の普遍的な、そして共通の苦しみです。ですから、マルクスのいう苦は、どこまでも経済生活の上の悩みですから、四苦八苦のホンの一部分でしかありません。強いていえば「求めて得られざる苦しみ」(求不得苦)でしかありません。  むずかしいめんどうな議論はさし控えましょう。しかし、もう一言ここでいわしていただきたいのは、苦の原因についての問題です。いったいマルクスは、人間苦、いやプロレタリヤの生活苦の原因をば、あくまで社会機構の欠陥に求めました。資本主義制度の矛盾におきました。「資本家の搾取」、それが彼らのスローガンなのでした。それが彼らの一枚看板でした。だからその苦の内容は、どこまでも物質でした。経済的でした。語を換えて申しますならば、その苦は内よりくるものではなくて、外よりきたものでした。だが釈尊は、これと正反対の立場から、苦の原因を説いているのです。 「実の如く苦の本を知るとは、いわく現在の愛着の心は、未来の身と欲とをうけ、その身と欲とのために、更に種々の苦果を求むるなりと知る」(中阿含経)  すなわち苦の原因は欲です。欲こそ苦の本です。しかし欲は苦の根源だといっても、私どもは無条件にそれを認めることはできません。なんとなれば、欲はまた歓楽の根源でもあるからです。で、問題は欲そのもの、欲望自体ではなくて、「愛着のこころ」、「執着のこころ」、「囚われのこころ」が、つまり苦の原因なのです。すなわち人間のもつ普遍的欲望、すなわち五欲そのものが、苦悩の原因ではなくて、ただ、食欲とか、色欲(性欲)とか、睡眠欲とか、財産欲とか、名誉欲のみが、歓楽の根本であると妄信して、これに愛着し、これに執着するこころが、苦の原因だと釈尊はいわれているのです。しかもその五欲に愛着し、執着することは、結局、「因縁」の道理を知らないがためです。すなわち、一切は空であり、無我であることを知らない、無知の無明から起こるわけです。ですから所詮、一切の苦の根本は欲であり、欲望に対する執着ではありますが、そのまた根本はつまり無明にあるわけです。無明とは、「十二因縁」の根本となっている、あの無明です。さて五欲について思い起こすことは、『譬喩経』のなかにある「黒白二鼠」の譬喩です。それは非常に面白い、いや深刻な譬喩で、ロシヤの文豪トルストイも、スッカリ感激したきわめて意味ふかい話です。それはこうです。  むかしあるところに一人の旅人がありました。広い野原を歩いていた時、突然、狂象に出逢いました。おどろいて逃げ去ろうとしましたが、広い広い野原のこと、逃げ隠れる場所とてはありません。しかし幸いにも野原の中に、一つの古い井戸がありました。そしてその井戸には、一筋の藤蔓が下の方へ垂れ下がっていました。天の与えと喜んで、旅人は急ぎそれを伝って、井戸の中へ入ってゆきました。狂象はおそろしい牙をむいて覗きこんでいます。ヤレまあよかったと、旅人がホット一呼吸していると、井戸の底には怖ろしい大蛇が口を開いて、旅人の落ちてくるのを待っているではありませんか。駭いて周囲を見まわすと、どうでしょうか、四方にはまだ四疋の毒蛇がいて、今にも旅人を呑もうとしています。命とたのむものは、たった一本の藤蔓です。しかしその藤蔓もです、よく見れば、黒と白の二疋の鼠が、こもごもその根を噛っているではありませんか。もはや万事休すです。全く生きた心地はありません。ところがです。たまたま藤蔓の根に作っていた蜜蜂の巣から、甘い蜜がポタリポタリと、一滴、二滴、三滴、「五滴」ばかり彼の口へ滴りおちてきたのです。全くこれは甘露のような味わいでした。そこで旅人は、もはや目前の怖しい危険をも、うち忘れて、ただもうその一滴の蜜を貪り求めるようになったというのです。  申すまでもなく、曠野にさ迷うその旅人こそは、私どもお互いのことです。一疋の狂象は、「無常の風」です。流れる時間です。井戸とは生死の深淵です。生死の岸頭です。井戸の底の大蛇は、死の影です。四疋の毒蛇は私どもの肉体を構成する四つの元素(地、水、火、風の四大)です。藤蔓とは、私どもの生命です。生命の綱です。黒白二疋の鼠とは、夜昼です。五滴の蜂蜜とは、五欲の事です。官能的欲望です。まことにひとたび、この巧妙な人生の譬喩を聞いたならば、波斯匿王ならずとも、トルストイならずとも、まざまざ「人生の無常」を感ぜずにはおれないのです。無常の恐怖に戦慄せずにはおれないのです。そして、「求道の旅人」とならざるを得ないのです。  さとりの世界 次に第三の真理は「滅諦」です。「滅」とは生滅の滅で、ものがなくなるということです。ただしここにいう滅とは、苦を解脱したさとりの世界、すなわち「涅槃」のことをいうのです。で、滅の真理すなわち「滅諦」とは仏教の理想である涅槃と同じ意味のことばです。ところで、なにゆえに「涅槃」のことを「滅」というかというに、元来「涅槃」の梵語は、ニイルヴァーナで、「吹き消す」という意味なのです。何を吹き消すか、何を滅するか、といえば、いうまでもなく、苦を吹き消し、「苦」を滅することであります。ところが一般にはさようには解釈されないで、かえって肉体を吹き消し、身体を滅すること、即ち「人間の死」とか、「虚無」とかいうことに考えられているのです。ちょうどあの「往生」ということばが、「死」ということ、と同じように思われているごとく、「涅槃」とか、「成仏」などといえば、死と同一に考えられているのです。しかし、もともと「死」と「涅槃」とは異なっているのです。人間苦の根本となっている「無明」を滅したことが、この「涅槃」です。 「貪欲永く尽き、瞋恚永く尽き、愚痴永く尽き、一切の諸の煩悩永く尽くるを、涅槃という」  と『雑阿含経』には書いておりますが、とにかく、無明の心を解脱して、苦を滅し尽くした境地が、滅諦すなわち涅槃です。あの「いろは」歌でいえば、「あさきゆめみじ、ゑひもせず」という最後の一句は、「寂滅為楽」という「涅槃の世界」をいったものです。「あさきゆめみじ」とは、あさはかな夢をみないということです。「ゑひもせず」とは、無明の酒に酔わされぬということです。つまり「酔生夢死」をしないということで、つまり涅槃の世界に安住するその気持を歌ったもので、ボンヤリ一生を送らないということです。  あの謡曲の「三井寺」や、長唄の「娘道成寺」の一節に、 「鐘にうらみが数々ござる。初夜の鐘をつく時は、諸行無常と響くなり。後夜の鐘をつく時は、是生滅法と響くなり。晨朝は生滅滅已、入相は寂滅為楽と響くなり。聞いて驚く人もなし。われも後生の雲はれて、真如の月を眺めあかさん」  とありますが、「初夜の鐘は諸行無常、入相の鐘は寂滅為楽」などというと、いかにも厭世的な滅入ってゆくような気がします。しかし、それはさように考える方が間違いで、暁の鐘の音、夕を告げる鐘の音を聞くにつけても、私どもは、死に直面しつつある生のはかなさを痛感すべきではあるが、しかもそれによって、私どもは今日生かされている、生の尊さ、ありがたさを、しみじみ味わわねばいけないということを唄ったものです。だから、「聞いておどろく人もなし」ではいけないのです。せめて鐘の音を聞いた時だけでも、自分の生活を反省したいものです。「真如の月」を眺めるまでにはゆかなくとも、ありがたい、もったいないという感謝の気持、生かされている自分、恵まれているわが身の上を省みつつ、暮らしてゆきたいものです。鐘の音、といえば、かのミレーの描いた名画に「アンゼラスの鐘」というのがあります。年若き夫婦が相向かって立っている図です。互いに汚いエプロンをかけて首をうなだれて立っている図です。今しも鍬をかついて帰りかけた若い夫が鍬を肩から下ろして、その上に手をのせて、静かにジット首をうなだれています。画の正面は一つの地平線、もう夕靄がせまっています。畑の様子はよくわからないが、右寄りの方には、お寺の屋根の頂が見えています。それが夕日をうけて金色に輝いています。黄昏をつげるアンゼラスの鐘が夕靄に溶けこんで流れてくるのです。なんともいえない感謝の心に溢れながら、法悦の満足を、両手に組み合わせて、向かい合って立っている年若き夫婦の姿。あのミレーの「晩鐘」を見る時、私どもはクリスチャンでなくても、そこになんともいえない敬虔な気分に打たれるのです。鐘の響きこそ、まことに言葉以上のことばです。  八つの道 次に第四の真理は「道諦」です。道諦とは、「涅槃」の世界へ行く道です。「滅諦」に至る方法です。苦を滅する道、心の苦をとり除く方法です。ところで、釈尊はこの「涅槃」の世界へ行く方法に、八つの道があると説いています。八正道というのがそれです。正道とは正しい道です。偏らぬ中正の道です。 「涅槃へ行くには二つの偏った道を避けねばならぬ。その一つは快楽に耽溺する道であり、他の一つは苦行に没頭する道である。この苦楽の二辺を離れた中道こそ、実に涅槃へ至る正しい道である」(転法輪経)  と、釈尊はいっておられますが、たしかに苦楽の二辺を離れた中道こそ、涅槃へ達する唯一の道なのです。一筋の白道なのです。しかもその一本の白道を、歩んで行くには八通りの方法があるのです。八正道とはそれです。  正しき見方 ところでこの正道のなかで、いちばん大切なものは「正見」です。正見とは、正しき見方です。何を正しく見るか、四諦の真理を知ることですが、つまりは、仏教の根本原理である「因縁」の道理をハッキリ認識することです。この「因縁」の真理をほんとうに知れば、それこそもう安心です。どんな道を通って行っても大丈夫です。だが、ただ知ったというだけで、その「因縁」を行じなければ効果はありません。因縁を行ずるとは、因縁を生かしてゆくことです。「さとりへの道は自覚と努力なり、これより外に妙法なし」といいますが、因縁を知り、さらにこれを生かしてゆくには努力が必要です。発明王エジソンも、「人生は努力なり」といっていますが、たしかに人生は努力です。不断の努力が肝要です。しかもその努力こそ、精進です。正精進というのはそれです。正精進こそ、正しき生き方です。ゆえに八正道の八つの道は、いずれも涅槃へ至る必要な道ではありますが、そのなかでもいちばん大事なのは、つまりこの「正見」と「正精進」です。 「道は多い、されど汝の歩むべき道は一つだ」  と、古人も教えています。私どもはお互いにその一つの道を因縁に随順しつつ無我に生きることによって、真面目に、真剣に、正しく、明るく、後悔のないように、今日の一日を歩いてゆきたいものです。 第八講 執著なきこころ 無クレ智モ亦無シレ得モ。 以テノ二無所得ヲ一故ニ。  ミルザの幻影 英国の文豪アジソンの書いた『ミルザの幻影』という随筆のなかに、こんな味わうべき話があります。 「人間の一生は、ちょうど橋のようなものだ。『生』から『死』へかかっている橋、その橋を一歩一歩渡ってゆくのが人生だ。だが、その橋の下はもちろんのこと、橋の手まえも、橋の向こう側も、真暗闇だ。その不安な橋をトボトボと辿ってゆくのが、お互いの人生だ」  というようなことを書いておりますが、ほんとうになんとなく考えさせられる言葉だと存じます。人生は一本の橋! たしかにそうです。「人生五十、七十古来稀れなり」と申していますが、かりに人生を六十年とし、一年を一間として計算するならば、人間の一生は、つまり「六十間の橋渡り」です。二十歳の人は、人生の橋を二十間渡った人です。三十歳の人は三十間、四十歳の人は四十間、五十九歳の人は、もう一間で、人生の橋を渡りきるのです。もう一間でおしまいだと思ったとき、果たしてどんな感じが起こることでしょうか。橋の向こう側には、坦々たる広い道路でも開けておればまだしも、真の闇だったらどんな気持がすることでしょうか。私の故郷は、伊勢の神戸という小さな城下町ですが、小学校の門を、いっしょにくぐった人たちは、四、五十人もあったでしょう。しかし現在いま故郷に生き残っている友だちは、もうたった五、六人くらいしかありません。どこへ行ったのやら、いつの間にか、ボツンボツンと、まるで水上の泡のように消えてなくなりました。六十間の橋を、いっしょに全部渡りきるのだということが、はじめからわかっておればともかく、それがはっきりしていないのですから、全く心細いわけです。あの有名な『レ・ミゼラブル』を書いたフランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーは、「人間は死刑を宣告されている死刑囚だ。ただ無期執行猶予なのだ」といっていますが、たしかにそうです。無期執行猶予なのですから、いつ死ぬかもわからないのです。さすがは文豪です。うまい表現をしたものです。弘法大師は『宝鑰』という書物の中で、「生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の始めに暗く、死に、死に、死に、死んで、死の終わりに冥し」といっておられますが、人生の橋渡りを思うにつけても、私はこの言葉を、今さらのごとく新しく思いうかべるのです。  生は尊い さてすべては「因縁」だ、因縁によってできている仮の存在だと自覚した時、私どもはそこに「生は儚い」ことをしみじみ感じます。しかし、それと同時に、また「生は尊い」という事にも気づくのです。いや、気づかざるを得ないのです。だから、私どもは何事につけてもこの因縁を殺すことなしに、進んでその因縁を生かしてゆく覚悟が大事です。「因縁を殺す」とは、二度と帰らぬ一生を無駄に暮らすことです。酔生夢死することです。「因縁を生かす」とは、私どもの一生を尊く生きることです。一日一日を、その日その日を「永遠の一日」として暮らしてゆくことです。ああしておけばよかった、こうしておけばよかったというような、後悔の連続する日暮らしであってはなりません。日々の別れであるその一日をりっぱに無駄のないように生かしてゆくことです。ある時、黒田如水が太閤さんに尋ねました。 「どうして殿下は、今日のような御身分になられましたか。何か立身出世の秘訣でもございますか」  といって、いわゆる「成功の秘訣」なるものを尋ねたのです。その時の秀吉の答えが面白いのです。 「別に立身出世の秘訣とてはないのじゃ。ただその『分』に安んじて、懸命に努力したまでじゃ。過去を追わず、未来を憂えず、その日の仕事を、一所懸命にやったまでじゃ」  草履とりは草履とり、足軽は足軽、侍大将は侍大将、それぞれその「分」に安んじて、その分をりっぱに生かすことによって、とうとう一介の草履とりだった藤吉郎は、天下の太閤秀吉とまでなったのです。あることをあるべきようにする。それ以外には立身出世の秘訣はないのです。五代目菊五郎が、「ぶらずに、らしゅうせよ」といって、つねに六代目を誡めたということですが、俳優であろうがなんであろうが、「らしゅうせよ」という言葉はほんとうに必要です。私はその昔、栂尾の明慧上人が、北条泰時に「あるべきようは」の七字を書き与えて、天下の政権を握るものの警策とせよと、いわれたというその話と思い比べて、そこに無限の甚深なる意味を見出すものであります。  一滴の水 まことに「因縁」を知ったものは、つねに「あるもの」を「あるべきように」生かすものです。一滴の水も、一枚の紙も、用いようによっては、実際大いに役に立つものです。だから、自然どこにも、無駄はないわけです。役に立たぬものはないわけです。  私の書斎には、死んだ父の遺物の一幅があります。それは紫野大徳寺の宙宝の書いた「松風十二時」という茶がけの一行ものです。句も好いし、字もすてきによいので、始終私はこれをかけて、父を偲びつつ愉しんでいます。「質問に答えて曰く、神秘なり」で、ちょっとこの意味を簡単に説明し難いのですが、いったい茶道には無駄はないのです。身辺のあらゆるもの、自然のあるがままの姿を、あるがままに生かさんとするところに、茶道の妙趣があるように思います。茶道といえば千利休についてこんな話が伝わっています。  茶人の風雅 ある日のこと、利休は、その子の紹安が、露地を綺麗に掃除して、水を撒くのをジット見ていました。紹安がスッカリ掃除を終わった時、利休は、 「まだ十分でない」  といって、もう一度仕直すように命じたのです。いやいやながらも二時あまりもかかって、紹安は、改めてていねいに掃除をし直し、そして父に向かって、 「お父さん、もう何もすることはありません。庭石は三度も洗いました。石燈籠や庭木にも、よく水を撒きました。蘚苔も生き生きとして緑色に輝いています。地面にはもう塵一つも、木の葉一枚もありません」  といったのです。その時、父の宗匠は厳かにいいました。 「馬鹿者奴、露地の掃除は、そんなふうにするのではない」  といって叱りました。こういいながら茶人は、自分で庭へ下りていって、樹を揺ったのです。そして庭一面に、紅の木の葉を、散りしかせたのでした。茶人がまさしく求めたものは、単なる清潔ではなかったのです。美と自然とであったのです。  和敬清寂のこころ 右の話は、岡倉天心の書いた『茶の本』にも出ておりますが、「清潔」「清寂」を尊ぶ茶人の心にも、まことにこうした味わうべき世界があるのです。「和」と「敬」と「清」と「寂」をモットーとする茶の精神を、私どもは、もう一度現代的に、新しい感覚でもって再吟味する必要があると存じます。そこには必ず教えらるべき、貴い何物かがあると思います。  塵の効用 いったい世の中で、なんの役にもたたないものを「塵芥」といいます。だが、もし塵芥といわれる、その塵がなかったとしたらどうでしょうか。あの美しい朝ぼらけの大空のかがやき、金色燦然たるあの夕やけの空の景色、いったいそれはどうして起こるのでしょうか。科学者は教えています。宇宙間には、目にも見えぬ細かい小さい塵が無数にある。その塵に、太陽の光線が反射すると、あの東天日出、西天日没の、ああした美しい、自然の景色が見えるのだ、といっておりますが、こうなると「塵の効用」や、きわめて重大なりといわざるを得ないのです。  周利槃特の物語 塵といえば、この塵について、こんな話がお経の中に書いてあります。それは周利槃特という人の話です。この人のことは、近松門左衛門の『綺語』のなかにも、「周利槃特のような、愚かな人間でも」と書いてありますくらいですから、よほど愚かな人であったに相違ありません。あの「茗荷」という草をご存じでしょう。あの茗荷は彼の死後、その墓場の上に生えた草だそうで、この草を食べるとよく物を忘れる、などと、世間で申していますが、物覚えの悪い彼は、時々、自分の姓名さえ忘れることがあったので、ついには名札を背中に貼っておいたということです。だから「名を荷う」という所から、「名」という字に、草冠をつけて「茗荷」としたのだといいます。まさかと思いますが、とにかくこれにヒントを得て作られたのが、あの「茗荷宿」という落語です。ところで、その周利槃特の物語というのはこうです。  彼は釈尊のお弟子のなかでも、いちばんに頭の悪い人だったようです。釈尊は彼に、「お前は愚かで、とてもむずかしいことを教えてもだめだから」とて、次のようなことばを教えられたのです。 「三業に悪を造らず、諸々の有情を傷めず、正念に空を観ずれば、無益の苦しみは免るべし」  というきわめて簡単な文句です。「三業に悪を造らず」とは、身と口と意に悪いことをしないということです。「諸々の有情を傷めず」とは、みだりに生き物を害しないということです。「正念に空を観ずれば」の「正念」とは一向専念です。「空を観ずる」とは、ものごとに執着しないことです。「無益の苦を免るべし」とは、つまらない苦しみはなくなるぞ、ということです。たったこれだけの文句ですが、それが彼には覚えられないのです。毎日彼は人のいない野原へ行って、「三業に悪を造らず、諸々の有情を傷めず……」とやるのですが、それがどうしても、暗誦できないのです。側でそれを聞いていた羊飼いの子供が、チャンと覚えてしまっても、まだ彼にはそれが覚えられなかったのです。一事が万事、こんなふうでしたから、とてもむずかしい経文なんかわかる道理がありません。  ある日のこと、祇園精舎の門前に、彼はひとりでションボリと立っていました。それを眺められた釈尊は、静かに彼の許へ足を運ばれて、 「おまえはそこで何をしているのか」  と訊ねられました。この時、周利槃特は答えまして、 「世尊よ、私はどうしてこんなに愚かな人間でございましょうか。私はもうとても仏弟子たることはできません」  この時、釈尊の彼にいわれたことこそ、実に意味ふかいものがあります。 「愚者でありながら、自分が愚者たることを知らぬのが、ほんとうの愚者である。お前はチャンとおのれの愚者であることを知っている。だから、おまえは真の愚者ではない」  とて、釈尊は、彼に一本の箒を与えました。そして改めて左の一句を教えられました。 「塵を払い、垢を除かん」  正直な愚者周利槃特は、真面目にこの一句を唱えつつ考えました。多くの坊さんたちの鞋履を掃除しつつ、彼は懸命にこの一句を思索しました。かくて、永い年月を経た後、皆から愚者と冷笑された周利槃特は、ついに自分の心の垢、こころの塵を除くことができました。煩悩の塵埃を、スッカリ掃除することができました。そして終には「神通説法第一の阿羅漢」とまでなったのです。ある日のこと、釈尊は大衆を前にして、こういわれたのです。 「悟りを開くということは、決してたくさんなことをおぼえるということではない。たといわずかなことでも、小さな一つのことでも、それに徹底しさえすればよいのである。見よ、周利槃特は、箒で掃除することに徹底して、ついに悟りを開いたではないか」  と、まことに、釈尊のこの言葉こそ、われらの心して味わうべき言葉です。「つまらぬというは小さき智慧袋」、私どもはこの一句を改めて見直す必要があると存じます。  無所得の天地 さてこれからお話ししようと思うところは、「智もなく、亦得もなし、無所得を以ての故に」という一句であります。言葉は簡単ですが、その詮す所の意味に至ってはまことにふかいものがあるのです。しかし、手っ取り早く、その意味を申し上げれば、つまりこうです。 「およそ一切の万物は、すべて皆『空なる状態』にあるのだ。『五蘊』もない、『十二処』もない、『十八界』もない、『十二因縁』もない、『四諦』もないと、聞いてみれば、なるほど『一切は空だ』ということがわかる。しかも、その空なりと悟ることが、般若の智慧を体得したことだ、と思って、すぐに私どもは、その智慧に囚われてしまうのだ。しかし、元来そんな智慧というものも、もとよりあろうはずがないのだ。いや智慧ばかりではない。そういう体験を得たならば、何かきっと『所得』がある、いやありがたい利益や功徳でもあろうなどと、思う人があるかも知れぬが、それも結局はないのだ」というのが、「無レ智亦無レ得」ということです。  こうなると、皆さんは、いわゆる迷宮に入って、何がなんだか、さっぱりわからなくなってしまうことでしょう。しかし、ここに、かえってまたいうにいわれぬ妙味があるのです。いったい仏教の理想は、「迷いを転じて悟り開く」ことです。煩悩を断じて菩提を得ることです。つまり凡夫が仏陀になることです。にもかかわらず、迷いもない、悟りもない、煩悩もなければ、菩提もない。ということは、「いったいどんな理由だ」という「疑問」が必ず湧いてくると思います。だが、ここでとくとお考えを願いたいことは、万物は因縁より生じたものだということです。そして「因縁生」のものである限り、皆ことごとく相対的なものだということです。  病があればこそ、薬の必要があるのです。病あっての薬です。病にはいろいろ区別があるから、薬にもまたいろいろの薬があるわけです。だが、病が癒れば、薬も自然いらなくなるのです。風邪を引いた時には、風邪薬の必要があります。しかし、いったん、風邪が癒れば、いつまでも風邪薬に執着する必要はありません。身体の健全な人には、薬の必要がないように、一切をすっかり諦観た心の健全な人ならば、何も苦しんでわざわざ心の薬を求める必要はありません。いま仮に、東京から京都へ汽車で行くとします。汽車が無事に京都についた時、汽車のおかげだ、汽車はありがたいといって、肝腎な用事をうち忘れて、いつまでも汽車そのものに、囚われていたらどうでしょうか。汽車の役目は、人を運ぶ事にあるのです。人を運んでしまえば、汽車の用事はそれですむのです。私どもは、汽車に乗ることが、目的そのものではないのです。目的を忘れて、汽車そのものに、いつまでも執着していることは、全く意味のない事です。だといって、私どもは、決して汽車の必要を認めないものではありませぬ。ここです、問題は。あの順礼の菅笠になんと書いてありますか。 「迷うが故に三界の城あり。悟るが故に十方は空なり。本来東西なし、何処にか南北あらん」(迷故三界城。悟故十方空。本来無東西。何処有南北)  まことに「本来無東西」です。東西があればこそ、南北があるのです。にもかかわらず、いつまでも、どこへ行っても、いやこれが東だ、いやこれが西だ、といっていたら、果たしてどんなものでしょうか。  ところで、なにゆえに「智もなく亦得もなし」というかと申しますに、それはつまり「無所得を以ての故に」であります。すなわち「無所得だから」というのです。で、問題はここに一転して、「無所得とはなんぞや」ということになるのです。中国の有名な学者兪曲園(清朝の末葉に「南兪北張」といわれ、張之洞と並び称せられた人)の書いた随筆に、『顔面問答』というのがあります。それは「口」と「鼻」と「眼」と「眉毛」の問答です。お互いの顔を見ればわかりますが、いったい人間の顔のいちばん下にあるのが口です。その上が鼻、その上が眼で、いちばん上にあるのが眉毛です。口の不平、鼻の不満、眼の不服は、この眉毛の下にあるということです。彼らは期せずして、眉毛の「存在価値」を疑ったわけです。口、鼻、眼から、「なにゆえに君は僕らの上でえらそうにいばっているのか、いったい君にはどういう役目があるか」と詰問せられた時の眉毛の答えは、実に面白いのです。 「いかにも君らは重大な役目を持っている。食物を摂り、呼吸をし、ものを看視していてくれる君たちのご苦労には、実に感謝している。しかし、今日改まって君たちから、『君の役目はなんだ』と問われると、全くお恥ずかしい次第だが、何をしているのか自分ながらこれだといって答えられない。ただ祖先伝来、ここにいるというだけで、日夜すまぬすまぬとは思いつつ、まあこうして、一所懸命に自分の場所を守っているわけだ。君たちは各自他に誇るべき何物かを持っているだろうが、僕には誇るべき何ものもないのだ。何をしているか、と問われると、お恥ずかしいわけだが、なんと答えてよいやらわからない」  というのです。最後に作者は、こういう言葉をつけ加えております。 「自分は今日まで口と鼻と眼の心懸けで暮らしてきた。しかしそれは間違っていた。今後は、ぜひ眉毛の心懸けで、世を渡りたい」  まことに子供だましのような、つまらぬ馬鹿らしい話です。しかし味わってみるとなかなか意味のある話だと存じます。眉毛の態度はちょっと見ると、いかにも無自覚で、自覚なきがごとくですが、しかしそこにはチャンと一つの深い「自覚」をもっているのです。自覚なきがごとくにして、しかも自覚している。この眉毛の態度こそ、まさしくそれは、因縁に随順しつつ、無我に生きる生活です。そこには万人の味わうべき何ものかがあると存じます。「一隅を照らすものを国宝となす」と伝教大師はいっていますが、この国宝こそ、今日最も要求されているのです。 「聡明叡智、之を守るに愚を以てす」  と古人もいっております。成功の秘訣は、「運」、「鈍」、「根」の三つだと、いわれていますが、この「鈍」、この「愚」が、現代人には特に必要かと思います。「大賢は大愚に近し」ともいいます。眼から鼻へぬける鋭さ、賢さも、もちろん必要でしょう。だが、そこにはぜひとも「愚」がほしいのです、「鈍」が必要です。もしもこれが欠けていると、小ざかしい口達者な小利口ものになるわけです。有名な電気王エジソンはいっています。「天才とは九分九厘が汗、一分だけが霊感」と。たしかにそうでしょう。全く「天才とは長い辛抱」です。根気が必要です。辛抱が天才を作り上げるのです。だが、辛抱の一面また鈍が大事です。鈍とは愚です。「聡明叡智、之を守るに愚をもってせよ」と古人が誡めているのはそこです。あのエスペラントの初祖ザメンホフはいっております。 「新思想の開拓者が、遭遇するのは、嘲笑と非難のほかの何物でもない。はじめて逢ったきわめて教養の低い腕白小僧すら、彼らを見下していうのである。『彼らは愚かしいことに従事している』と」  この覚悟が必要です。いかなる嘲笑も慢罵も攻撃をも、一切超越せねば、決して新しい仕事はできないのです。新奇な運動は発せないのです。つまり馬鹿になる、愚者にならねば、とうてい所期の目的を達成することはできないのです。  いったい人の世に処する道はむずかしいものです。とかく社会生活がだんだんと複雑になると、「経済の問題」がやかましくなってきます。「生活」ということ、食物の問題、胃袋の問題が、きわめて重要な意味をもってきます。まことに無理もありません。だから今日では個人的にも、社会的にも、国際的にも、すべては、「損得」、「利害」といったような、打算的な考えで、動いているようです。一文でも「損」をせぬように、一文でも「得」をするように、損にも得にもならぬものには、なるべく手を出さぬように、関係しないように、というふうです。それが現代的なものの考え方のようです。だが、それで果たしてよいものでしょうか。「引き合わぬ」「勘定にあわぬ」というような損得の考えだけで、人間は暮らせるものでしょうか。中国人は金に汚いというが、日本人は汚くないでしょうか。経済の問題、もちろん必要です。この地上に、人間の生活が営まれるかぎり、私どもは、とうてい「経済」上の利害得失と無関心にはおられません。しかしです。経済が、決して生活の全部とは申されません。経済だけで、ほんとうに経済だけで、世の中のすべてが生きているのではありません。なるほど「人間は食う動物なり」ということは事実でしょう。しかし食うだけで、人間は決して満足しているものではありません。食糧飢餓の今日、人はあまりに食生活のために貴い人間の霊性を見失っているような気がいたします。敗戦後の日本人は、ひたすら食物を探し求める犬や猫のような存在になったようです。しかし、新しい日本を建設し、創造するには、お互いはとくと考え直さねばなりません。それは物質上の破産を、いかにもそれが人間の破産のごとく考えて、心の破産の重大なることに気づかないということです。「物の貧困」よりも恐ろしいのは「心の貧困」です。「本来は無一物なり雪だるま」たとい戦災で物を喪失しても、もともと裸で生まれてきたのですもの。将棋の「金」から「歩」に帰っただけのことです。歩は当然また金になれるのです。  恐ろしいのは心の喪失です。心の貧困です。いったん心を失ったものは、たやすくとり戻すことはできないのです。私どもは外面的に、貧困防止の方法を考えねばならぬと同時に、いやそれ以上に内面的に、心の貧困を克服すべく努めねばなりません。「人間は食う動物だ」といった、かのフォイエルバッハは、また一面において、「人間は人間にとって神である」とさえいっております。何も彼も、ことごとく「損得」の打算、すなわち「有所得」の心持で動かずに、時には打算を超えた「無所得」の心持になりたいものです。ほんとうの人間らしい心になりたいものです。そして単に利害とか損得ということだけでなく、正と不正、善と悪、といったような立場から、動きたいものです。われわれの日常の行動が、こういう基準によって行なわれなければ、断じて社会は円満に、円滑にはゆきません。つまりは道義に立脚する行為でなければ、ほんものではありません。この私の『心経』の講義をお聞きくださっても、おそらくそれは、金儲けには、縁遠いことでしょう。直接には一銭の利益もないでしょう。一文の得もないでしょう。経済生活の上には、直接なんの関係もないでしょう。しかしです。「無用の用」こそ、真の用です。私どもはただ自然人としての自分のみを見ずして、文化人として、さらに宗教人としての自分、いやほんとうの人間としての自分をかえりみなければなりません。かくてこそ、はじめて無所得の意味も、自然に理解されるのであります。 第九講 恐怖なきもの 菩提薩埵ノ。 依ルガ二般若波羅蜜多ニ一故ニ。 心ニ無シ二罣礙一。 無キガ二罣礙一故ニ。 無シレ有ルコト二恐怖一。 遠-二離シテ顛倒夢想ヲ一。 究竟涅槃ス。  すでに私は、『心経』の無所得、すなわち所得なしということをお話ししておきましたが、この無所得の境地は、こういうふうにいい表わしたらよくわかるかと存じます。  こころの化粧 かつて私は宅が狭いので、書斎が兼客間でした。応接間でお客と話すことが嫌いですから、どんな方が見えても、すぐ書斎へ通すのです。その時いちばん困ることは、何か調べものでもしている時には、書斎が書物でいっぱいになっているので、狼狽てそこらを片づけてからお客に通っていただいたのです。ところが平生は、割合に片づいているので、いつ何時お客があっても、少しもあわてずにすむのです。ちょうど、そのように、平素心の中が、余計な、いらざる妄想や、執着という垢でいっぱいになっていると、いざという場合に臨んで、うろたえ騒がなくてはなりません。御婦人方でもそうです。身だしなみが、チャンとできていると、何時来客があっても、お客を待たせておいて、急いで衣物を着かえたり、髪や顔の手入れをなさらずとも、余裕綽々として、応接することができるのです。化粧の必要はそこにあるのです。白粉を塗ったり、香水でもつけなければ、化粧でないと思っている方もありましょうが、それは認識不足です。身だしなみをすることが化粧です。だが、髪や形の化粧をするときには、いつも心の化粧をしてほしいものです。心をチャンと掃除して、塵や垢のないようにしておきたいものです。けだし「無所得」の境地というのは、心を綺麗さっぱりと片づけておくことです。化粧しておくことです。整頓している座敷、それが無所得の世界だと思えばよいでしょう。なんのこだわりもない純真無垢な心の状態が、つまり無所得の世界です。しかも無所得にしてはじめて一切を入れる、大きい所得があるわけです。  虚往実帰 古人は、「虚にして往いて、実にして帰る」すなわち虚往実帰ということをいっていますが、他家へ御馳走になりに行く場合でも、お腹がいっぱいだと、たとい、どんなおいしい御馳走をいただいても、少しもおいしくありません。だが、お腹を空かして行けば、すなわち虚にして往けば、どんなにまずくとも、おいしくいただいて帰れるのです。空腹には決してまずいものはないのです。無所得にしてはじめて所得があるのです。無所得こそ、真の最も大きい所得、いや無所得にして、はじめて大なる所得があるのです。利益があるのです。無功徳の功徳こそ、真の功徳です。さてこれまで、お話ししてきた『心経』の本文は、皆、私どものお腹をからっぽにするためだったのです。「一切は空だ」何もかも皆、ないのだ、といって私どもの頭の中を、腹の中を掃除してくれたのです。もう私どもの頭の中はからっぽです。お腹はスッカリ綺麗に掃除ができているのです。「有ると見て、なきは常なり水の月」で、因縁によってできているものは、皆ことごとく水上の月だ。あるように見えて、実はないのじゃといって、今までは一切を否定してきたのです。いわゆる「無所得の世界」まで、私どもお互いを、引っぱってきたのです。で、これからいよいよお話しする所は、空腹の前の御馳走です。したがって、これからはどしどし御馳走が、一々滋味と化して私どもの血となり肉となってゆくのです。「菩提薩埵の般若波羅蜜多に依るが故に、心に罣礙なし」というのはそれです。さてここで一応ぜひお話ししておきたいことは、「菩提薩埵すなわち「菩薩」ということです。いったい大乗仏教というのは、この「菩薩の宗教」ですから、この菩薩の意味がよくわからないと、どうしても大乗ということも理解されないのです。ところで、菩薩のことを、この『心経』には菩提薩埵とありますが、これは菩薩の具名で、昔からこれを翻訳して、「覚有情」といっております。覚有情とは覚れる人という意味で、人生に目醒めた人のことです。ただし自分独りが目醒めているのではなく、他人をも目醒めさせんとする人です。だから、菩薩とは、自覚せんとする人であり、自覚せしめんとする人です。「人多き人の中にも人ぞなき、人となれ人、人となせ人」で、人間は多いが、しかしほんとうに目醒めた人はきわめて少ないのです。全く人ぞなきです。その昔、ソクラテスがアテネの町の十字街頭に立って、まっ昼間、ランプをつけて、何かしきりに探しものをしていました。傍を通った門人が、 「先生、何を探しているんですか。何か落としものでも?」  と、尋ねたのです。ソクラテスは門人にいいました。 「人をさがしているのじゃ」 「人って、そこらあたりをたくさん通っているじゃアありませんか」  と再ねて訊ねますと、哲人は平然と、 「ありゃ皆人じゃない」  といい放ったという話ですが、真偽はともかく、ソクラテスとしてはありそうな話です。ほんとうに「人多き人の中にも人ぞなき」です。だから私どもはその求められる人に自らならねばならぬと同時に、また他人を人にせねばならぬのです。教育の理想は「人を作ることだ」と聞いていますが、仏教の目的も、やはり人を作ることです。しかし、仏教でいう人は、決して立身出世を目的としているような人ではないのです。俸給を多くとり、賃銀をたくさんとるような、いわゆる甲斐性のある、偉い人を作るのが目的ではないのです。自ら勇敢に、ほんとうの人間の道を歩むとともに、他人をもまたその道を、歩ませたいとの熱情に燃える人です。いわゆる「人となれ人」「人となせ人」です。だからそれは大乗的です。自分一人だけ行くのではない。「いっしょに行こうじゃないか」と、手をとり合って行くのですから、小乗の立場とは、たいへんその趣を異にしています。したがって、菩薩とは、心の大きい人です。度量の大きい人です。小さい利己的立場を止揚して、つねに大きい社会を省みて社会人として活動する人こそ、ほんとうの菩薩です。「衆生の疾いは、煩悩より生じ、菩薩の疾いは、大悲より発る」と『維摩経』に書いてありますが、そうした「大悲の疾い」をもっているのが、とりも直さず菩薩です。利己的な煩悩の疾いと、利他的な大悲の疾い、そこにある人間と、あるべき人間との相違があります。つまり凡夫と菩薩との区別があるわけです。このごろやかましくいわれるデモクラシイ(民主主義)も、こうした人間的自覚をもった人が、出てこないかぎりとうてい確立することはできません。あの十字架にかかったキリスト、一切の人々の罪を償うために、すべての人々の救済のために、十字架にかかったとすれば、そのキリストのこころこそ、まさしく菩薩のこころです。十字架を背負うた彼が、その十字架を背負わせた、その人たちの罪の救いを、かえって神に祈っている心もちは、まことに尊くありがたいものです。  聖書にこういう文句があります。「一粒の麦、地におちて死なずば、ただ一つにて終わらん。死なば多くの実を生ずべし」と。キリストは十字架にかかりました。しかしそれによって多くの人々は救われたのであります。キリスト教の是非はともかく、私たちは異教徒という名のもとにいたずらにこれを看過したり、排撃したりすることはできないのです。宗教人の名において、菩薩の名において、彼を賞讃し、景仰すべきであると思います。  菩薩の生活と四摂法 ところで、仏教ではこの菩薩の生活、すなわちほんとうの人間生活の理想を、四つのカテゴリー(形式)によって示しています。四摂法というのがそれです。「摂」とは摂受の意味で、つまり和光同塵、光を和らげて塵に同ずること、すなわち一切の人たちを摂めとって、菩薩の大道に入らしめる、善巧な四つの方便が四摂法です。四つの方便とは、布施と愛語と利行と同事ということです。布施とは、ほどこしで、一切の功徳を惜しみなく与えて、他人を救うことです。愛語とは、慈愛のこもった言語をもって、他人によびかけることです。利行とは、善巧な方便をめぐらして、他人の生命を培う行為です。同事とは他人の願い求める仕事を理解して、それを扶け誘導することです。禍福を分かち、苦楽を共にするというのがそれです。しかし、お経にはかように菩薩の道として四つの方法が説かれていますが、その四つの方法の根本は結局、慈悲の心です。貪り求めるこころ、すなわち貪慾の心を離れた慈悲のこころをほかにして、どこにも「菩薩の道」はないのです。 あわれみをものに施すこころよりほかに仏の姿やはある  で、あわれみを施す慈悲の心こそ菩薩のこころです。いや、それがそのまま仏陀の心です。だから「菩薩の行」として、仏教には六度、すなわち六波羅蜜ということが説かれてありますが、その六波羅蜜の最初の行は布施です。この布施の行為が母胎となって、他の五つの勝行が生まれるのです。ところで、波羅蜜とは、般若波羅蜜多のその波羅蜜で、すでに述べたごとく、それは「彼岸に到る」ということです。この岸から彼の岸へ渡るのに、六つの行があるというのが、この六波羅蜜、すなわち六度です。布施と持戒と忍辱と精進と禅定と智慧がそれです。布施とは、ただ今も申し上げたごとく、貪慾のこころをうち破って、他に憐みを施すことです。持戒とは、規則正しい生活の意味で、道徳的な行為です。忍辱とは、堪え忍ぶで、忍耐です。精進とは、努め励むことで、全生命をうちこんで努力することです。禅定とは、沈着です。心の落ちつきです。「明鏡止水」という境地です。智慧とは、これまでたびたび申し上げている般若の智慧です。ものごとをありのままにハッキリ認識することです。だから、所詮、菩薩の行は、この六度の行を離れて他にはないわけです。  布施と智慧との関係 ところで、ここで一言申しておきたいことは、最初に私は般若の智慧こそ、彼岸へ渡る唯一の道だといっておきましたが、ここではまた、布施が六度の母胎である、布施こそ六波羅蜜の根本であると申しました。では、いったいどちらが真実なのかと疑いをもたれる方があるかも知れません。まことにごもっともなことです。しかしそれはどちらもほんとうです。というのは、前からしばしば申しましたごとく、仏教における智慧と慈悲とは、一つのもののうらおもてで、二にして一です。一つのものに対する二つの見方です。ところで、この布施というのはつまり慈悲のことです。ほんとうの慈悲、すなわち布施は、智慧の眼が開いていないものにはできません。大悲は、盲目的な愛でないかぎり、必ず、正しい批判と、厳かな判断と、誤りなき認識、すなわち智慧によらねばなりません。六度の根本、すなわち彼岸へ渡る根本の方法が、布施であり、般若であるといったのは、まさしくそれです。柔和なあの観音さまのお姿、忍辱の衣を身にまとえるあの地蔵さまのお姿を拝むにつけても、それがほんとうの自分の相であることに気づかねばなりません。私たちのほんとうの心の姿こそ、あの絵像や、木像に象徴されている菩薩の尊容なのです。  和顔愛語ということ 今は故人になっていますが、私のかつて教えた学生の一人に、阿部という男がありました。性質は悪いというのではありませんが、いつも人と話す時には、目をいからし、口をとがらせて、ものをいう癖がありました。学生の演説会の時なんか、側で見ていると、まるで喧嘩でもしているような態度です。私はいつもその男に「和顔愛語」という、菩薩の態度を話したことです。和顔とは、やさしい和かな顔つきです。怒っているような、いかめしい顔つきではなくて、いかにも春風駘蕩といったような顔つきです。朗らかな、やさしい顔つきといったらよいでしょう。私たちはお互いに些細なことに口をとがらし、目をいからす必要はないのです。おだやかに話をすればわかるのです。他人が自分を悪くいうその態度が気にいらぬとて、すぐに感情を害して顔にあらわす、果たしてそれでよいものでしょうか。まことに「わがよきに人の悪しきのあらばこそ」です。「人の悪しきはわがあしきなり」です。他人を怨むまえに、まずわが身を省みる必要はないでしょうか。「他人を咎めんとする心を咎めよ」と清沢満之はいっています。そうした宗教的反省こそ、私どもにいちばん大切な心構えだと思います。次に愛語とは、情のこもった、慈愛に充ちた言葉づかいです。荒々しい棘のある言葉づかいでは、相手の反感をそそるだけです。全く、丸い玉子も切りようで四角にも三角にもなるごとく、ものもいいようで角がたつのです。あえて外交的辞令を用いよとは申しませぬが、お互いに言葉づかいに気をつけねばなりません。言葉の使いようで、成り立つことも成り立たぬ場合が往々あるのですから、もちろん、顔つきや、言葉づかいは、人格の自然の発露で、肝腎の人格の修養を度外視して、それだけを注意すればよいというのではありません。しかしとにかく和顔と愛語の二つは、我人ともに十分に、心懸けねばならないと存じます。とくに婦人の方には、この点を十分に反省してほしいと思います。どれだけ顔が綺麗でも、この二つのものが欠けていたらゼロです。無愛想だとか、無愛嬌だとか、いやな女だ、などといわれるのは、多くそこから起こるのです。「ぶらずに、らしゅうせよ」と古人もいっていますが、女らしさはここにあるのです。ところでここで一言申し上げておきたいことは、「和」ということです。「和を以て貴しとなす」(以レ和為レ貴)と、聖徳太子も、すでにかの有名な十七条の憲法の最初に述べられているごとく、何事によらず「和」が第一です。個人と個人の間でも、ないし社会、国家においても、この「和」ほど貴いものはないのです。和とは「平和」「調和」です。敗戦後の日本には、どこを探してもこの和がありません。今日こそ全く失調時代です。したがって私どもはなんとしても一日も早く和をとり戻さなくてはなりません。まことに「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」で、和の欠けた国家が隆昌し、発展したためしはありません。私どもは和衷協同の精神をもって、互いに愛しあい、労わりあい、助け合って、すみやかにわが民族の理想である、平和な、文化国家の創造に邁進すべきであります。しかし「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」と論語にもあるように、附和雷同は決して真の和ではありません。とかく日本人の欠点はこの附和雷同にあるのです。大和の国、とくに昭和(百姓昭明、万邦協和)の御代に生まれすむ、われわれ大和民族は、決して「同じて和せざる」小人であってはなりません。「和して同ぜざる」君子でなくてはなりません。少なくとも日本民族の理想は、この和して同ぜざるところにあるのです。「国挙る大事の前に光あり推古の御代の太子のことば」です。  けだし私どもにして、一たび宗教的反省をなしうる人となるならば、そこにはなんのこだわりも、わだかまりも、障礙もないのです。げに菩薩の道こそ、無礙の一道です。なんの障りもない白道です。『心経』に「心に罣礙なし」というのはそれです。  罣という字は、網のことです。魚をとる網です。礙という字は、障礙物などという、あの礙という字で、さわり、ひっかかりという意味です。梵語の原典では、「罣礙なし」という所は「ひっかかりなしに動き得る」とありますが、何物にも拘束されず、囚われず、スムースに、自由に働き得ることが、すなわち「罣礙なし」ということです。金を求め、名を求め、権勢を求めるものには、どうしても罣礙なしというわけにはゆきません。金という網、名という網、権力という網にひっかかって、どうしても、無礙というわけにはゆきません。求めざるものこそ、「無礙の人」でありうるのです。まことに、ひっかかりなしに、自由に働きうることは、求めざる人によってのみ可能であるのです。次に『心経』に「罣礙なきが故に恐怖あることなし」とありますが、恐怖とは、ものにおじることです。ものに怯え怖れることです。恐ろしいという気持です。つまり不安です。心配です。心の中に、なんの恐れも、憂いも、心配も、苦労もない、というのが、「恐怖あることなし」です。浅草の観音さまへお参りすると、有名な玄岱という人の書いた「施無畏」という額があります。施無畏とは、無畏を施すということで、元来、仏さまのことを一般に施無畏と申しますが、ここでは観音さまを指すのです。畏とは恐れるという字です。慈悲そのものの権化たる観音さまは、愛憐の御手で、私どもを抱きとってくださるから、私どもには、なんの不安も恐れもないのです。だから観音さまのことを、「無畏を施すもの」、すなわち「施無畏」というのです。いったい「施す」ということは、さきほど申し述べました、あの「布施」です。梵語でいえば、ダーナで、あの檀那さま、といった時のその「檀那」です。だからお寺の信者のことを「檀家」といいます。財物をお寺に上げるからです。これに対して、檀家からはお寺のことを「檀那寺」といいます。「法施」といって、「法を施す」からです。したがって、財物を上げぬ信者は「檀家」ではなく、法を施さぬ寺は「檀那寺」ではないわけです。  顛倒の世界 次に、「顛倒夢想を遠離して、究竟涅槃す」ということですが、普通には、ここに「一切」という字があります。「一切顛倒」といっています。ところで「顛倒」とは「すべてのものをさかさまに見る」ことです。無い物を、あるように見るのは顛倒です。たとえば水はこんなもの、空気はこんなものと局限して、全く性質の違ったものと思うことは、つまり顛倒です。水は温度を加えると、蒸発してガス体の蒸気になります。その蒸気を冷却さすか、または強い圧力を加えると、こんどは固形体の氷になります。しかしいずれも H2O です。水素と酸素とが、二と一との割合で化合したものです、水は無自性です、きまった相はありません。縁に従っていろいろ変化します。こうしたような事実は、この複雑なる、われわれの世界には非常に多いのです。あの斜視や乱視や色盲のような見方をして、錯覚や幻覚を起こしている連中は、いずれも皆「顛倒の衆生」であります。次に「夢想」とは夢の想いです。したがってそれは妄想です。つまり、ないものを、あると思い迷う、今日の言葉でいえば一種の幻覚です。錯覚です。「幽霊の正体見たり枯尾花」というのがそれです。幽霊だと思うのは、枯尾花であることを、知らないから起こる一種の幻覚です。よく見れば、幽霊ではなくして枯尾花だったのです。で、つまり、「顛倒」も「夢想」も同じことで、要するに、私たちの「妄想」です。ですから、「顛倒夢想を遠離する」ということは、そうした妄想を打破ることです。克服し超越することです。その昔、相模太郎北条時宗は、祖元禅師から「妄想するなかれ」(莫妄想)という一喝を与えられて、いよいよ最後の覚悟をきめたということです。  究竟の涅槃 次に「究竟涅槃す」ということですが、これを昔から、一般に「涅槃を究竟す」とよませています。しかし梵語の原典から見ましても、「顛倒を超越して究竟の涅槃に入る」という意味になっていますから、これはやっぱり「究竟涅槃す」とよんだ方がよいと思います。ところで究竟ということは、つまり「究極」とか「終極」とか「最後」などという意味で、最終の最上なる涅槃が、すなわち「究竟涅槃」です。ところでこの「涅槃」ということですが、これは、世間でいろいろ誤解されているのです。しかし、このまえにもちょっと申し上げたごとく、それは仏教におけるさとりの世界をいったものです。すなわち涅槃の梵語は、ニイルバーナで、ものを「吹き消す」という意味です。で、普通にこれを翻訳して「寂滅」「円滅」「寂静」などといっていますが、要するに、私どもの迷いの心、「妄想」「煩悩」を吹き消した「大安楽の境地」をいうのです。「寂滅を以て楽となす」すなわち寂滅為楽などというといかにも静かに死んでゆくこと、すなわち「往生する」ことのように思っている人もありますが、これは決して、死んでしまうという意味ではないのです。いったい世間で「往生する」ということを、死ぬことと混同して考えていますが、往生は決して死ぬことではないのです。古聖は、 「往生とは往き生まれることだ。仏法は死ぬことを教えるのじゃない。死なぬ法を教えるのだ。浄土へ往き生まれることを、教えるのが仏法じゃ」  といっていますが、ほんとうにその通りです。「往生」ということも、「涅槃に入る」ということも、決して死ぬのじゃなくて、永遠なる「不死の生命」を得ることなのです。したがって、「往生」することが、成仏すなわち仏になることです。仏となることは、つまり無限の生命を得ることなのです。ある仏教信者のお老爺さんに、「あなたのお歳は?」と尋ねたところ、老人は「阿弥陀さまと同じ歳です」と答えたので、さらに「では、阿弥陀さまのお歳は?」と、問うたところ、老人は即座に「私とおなじ歳だ」といったという話がありますが、非常に面白いと思います。無限の生命(無量寿)、不死の生命をもった方が、阿弥陀さまです。だから阿弥陀さまと一つになれば、無限の生命を得たことになるのです。したがって、「立往生」とか、とうとう降参して「往生」したなどというのは、要するに、往生に対する認識不足といわねばなりません。ところで『心経』に書いてある「究竟涅槃」とは、どんな意味かというと、それは「無住処涅槃」という涅槃です。「無住処」とは、住処すなわち住する処なき涅槃という意味で、他の語でいえば「生死に住せず、涅槃に住せず」という意味がこの「究竟涅槃」です。 「菩薩は智慧を以ての故に、生死に住せず、慈悲を以ての故に、涅槃に住せず」  といっておりますが、これはたしかに味わうべき語です。 「勝れた智慧をもっている菩薩は、乃し生死をつくすに至るまで、恆に衆生の利益をなして、しかも涅槃に趣かず」  と『理趣経』というお経に書かれていますが、それが菩薩の念願です。なるほど仏教の理想は、さとりの世界へ行くことです。仏となり、浄土へ生まれ、極楽へ行くことが目的でしょう。しかし自分独りだけが仏になり、わが身独りが、極楽へ行けば、万事OKだ、というのでは断じてありません。人も我れも、我れも人も、いっしょに浄土へ行こうというのが、真の目的なのです。いや、たといわが身は行かずとも、せめて人を仏としたい、浄土へ送りたいというのが、菩薩のほんとうの念願です。理想です。 愚かなる我は仏にならずとも衆生を渡す僧の身たらん  と、古人もいっておりますが、たとい、自分は仏にならずとも、せめて一切の人々を、のこらず彼岸の世界へ渡したいというのが、大乗菩薩の理想です。だから極楽に生まれ、浄土へ行っても、自分独りが蓮華の台に安座して、迦陵頻伽の妙なる声をききつつ、百味の飲食に舌鼓を打って遊んでいるのでは決してありません。菊池寛氏の『極楽』という小説の中にこんな話があります。あるお婆さんが、望み通りに極楽へ往生した。はじめのうちこそ、悦んでおったものの、しまいには、いささか退屈を感じ出したのです。そして苦しい娑婆(忍土)の方が、かえって恋しくなったというようなことを、巧みな筆で面白く書いていましたが、それはつまり多くの人たちが、顛倒夢想している極楽の観念を、諷刺したものです。真の極楽はそんなものでない事を暗にいったものです。親鸞上人は「煩悩の林に遊て神通を現ずる」(遊煩悩林現神通)といっておられます。「煩悩の林」とは、苦しみに満ちているこの迷いの世界です。で、つまり極楽へ往生して仏になることは、呑気に気楽に浄土で暮らすことではない、再び娑婆へ還る事です。しかもこの往還の二種の回向を離れては、少なくとも他力教はないのです。いや、単に浄土教のみではありません。一切の仏教は、ことごとくこの往相と還相との二つの世界を離れてはないのです。因より果に至る(従レ因至レ果)向上門と、果より因に向かう(従レ果向レ因)向下門、そこに仏教の世界があるのです。「因」とは迷える凡夫です。「果」とは悟れる仏陀です。迷いより悟りへ、悟りより迷いへ、凡夫より仏陀へ、仏陀より凡夫への道こそ、仏教の道です。菩薩の道です。しかも登る道こそ下る道です。下る道こそ上る道です。「上山の道は即ちこれ下山の道」です。 「うき世離れて奥山ずまい」という俗謡があります。あの歌にはたいへん深い宗教的な意味があるかと存じます。「恋も悋気も忘れていたが」という、その一句のなかには、迷いの世界と、悟りの世界が示されています。すなわち恋と悋気の世界は、つまり迷いの世界です。あきらめられぬ世界です。だが恋もなく悋気もない世界は、悟りの世界です。スッパリ諦めた世界です。もうそこにはうき世の苦しみ、悩みはありませぬ。しかし、果たして自分一人が涼しい顔をして、悟りすましておられましょうか。「鹿の鳴くこえを聞けば昔が恋しゅうて」とは、決して妻こう鹿のなく声ではありません。恋に泣き、悋気に悩むその声です。社会苦に泣き、人間苦に悩むその切ない叫びです。「衆生疾むが故に、われ亦疾む」という菩薩は、とうてい大衆のやるせない叫びに、耳を傾けずにはおられないのです。「他人は他人、俺は俺だ」などといって、すましてはおられないのです。「大悲駭いて火宅の門に入る」で、もうジッとしてはおられないのです。「逢いたさ見たさに来たわいな」というのはそれです。だが、それは決して久米の仙人が、神通力を失って、下界へ墜落した、というようなものではないのです。それは転落ではなくて、随順です。墜落ではなくて、やむにやまれぬ菩薩の大悲です。「照れば降れ降れば照れとの叫びかな」で、私ども人間は勝手なものです。照ればもう降ってくれればよい。降れば、もうやんでくれればよい。実に気儘な存在です。その頑是ない駄々っ子のような私どもを、ながい目で見守りつつ、いつも救いの手をさしのべるのが菩薩です。げに菩薩とは、自分の生きてゆくことが、そのまま他人の生きてゆく光ともなり、力ともなり、塩ともなりうる人です。  無所得の所得 要するにこの一段は私どもにして、一度、菩薩の般若の智慧を体得するならば、何人も心になんのわだかまりもなく、さわりもない、かくてこそわれらははじめて、一切の迷いや妄想をうち破って、ほんとうの涅槃の境地に達することができる。しかもそれが「無所得の大所得」だ、ということを教えたものであります。 第十講 般若は仏陀の母 三世ノ諸仏モ。 依ルガ二般若波羅蜜多ニ一故ニ。 得タモウ二阿耨多羅三藐三菩提ヲ一。  災難をよける法 たしか越後の良寛さんだったと思います。ある人から「災難をまぬがれる妙法如何?」ということを尋ねられたときです。そのとき、彼は、 「病気になった時には、病気になった方がよろしく、死ぬ時には、死んだ方がよろしく候。これ災難を免れる、妙法にて候」  と、答えたということですが、たしかに良寛さんのいうごとく、災難を免れる唯一の妙法は、災難を怖れて、それをいたずらに回避することではなく、あくまでその災難にぶつかって、これにうち克ってゆくことです。病気に罹った時などでも、むやみに早く全快したいとあせらずに、病気を善智識とうけとり、六尺の病床を人生修行の道場と考え、病気と和解し、病気に安住してしまうことです。あのゲーテの『ファウスト』におけるメフィストの、「苦しめることによりて、かえって我れを助け、幸福にする天使となった」というがごとく、病気をいたずらに自分を苦しめる悪魔と考えずに、天使と思って、病気と一つになることです。つまり、病気の三昧に入ることです。そうすればかえって病気は癒るのです。いや快くならないまでも、病気に安住することができるのです。「病気になった方がよろしく候」というのは、たしかにそれです。病気という災難を逃れる妙法は、まさしく病気になりきってしまうことです。病に負けぬことです。私の友人に荒谷実乗という人がいます。たいへん豪胆な、意志の鞏固な男ですが、彼がかつて軍隊にいた時、何かのはずみで、脚部を負傷したのです。どうしても手術をしなくてはならぬようになって、いよいよ入院して手術室に入りました時、彼は軍医に、麻酔剤の必要はないといって、敢然と手術台に上ったのです。そして非常な苦痛を堪え忍んで、とうとう完全に手術をしてもらったというのです。当時のありさまを彼は私にこういっていました。「自分はどれだけ苦痛に堪え得るものか、それを試してみたかったのだ」  なるほど、こうなれば人間も大丈夫です。自分で自分を試してみる、苦痛と戦う自分を客観視するだけのゆとりができれば、もうしめたものです。諺にも「病は気から」というくらいです。病気に負けてはなりません。病気に勝つことが必要です。いや、勝つか、負けるかを越えて、それにしっかり安住することです。しかしそれは結局、私たちの気持です。心もちです。  今日の問題は戦うこと 「今日の問題は何か、戦うことなり。明日の問題は何か。勝つことなり。あらゆる日の問題は何か。死すことなり」  と、ヴィクトル・ユーゴーは、あの有名なる『レ・ミゼラブル』の巻頭に書いております。まことに今日の問題は戦うことです。あらゆる災難と戦うことです。清き正しい心をもって飽くなき肉慾と戦うことです。少なくとも「今日の問題」は、所詮、霊と肉との争闘です。しかして、明日の課題は、霊によって肉を征服することです。悟りの智慧によって、迷いの煩悩をうち破ることです。だが、あらゆる日の問題は、死ぬことだという、この厳粛なることばを、私どもはよく考えねばなりません。死を覚悟してやる、死を賭して戦う、これくらい世の中に強いものはありません。死を覚悟していない、つまり魂をうちこんでいない仕事は、結局、真剣ではないわけです。死を賭して戦わざるものは、いつも敗者の惨めさを味わうものです。「あらゆる日の問題は死ぬことなり」という言葉ほど、厳粛な真剣なことはありません。良寛和尚が、「死ぬ時には、死んだ方がよろしく候」といったのは、まさしくこの境地です。何事も一生たった一度という「一期一会」の体験に生きている、あの菩薩の生活態度は、まさしくこの間の消息を、雄弁に物語っておると思います。  三合の病いに八石五斗の物思い あの名高い白隠禅師の語録の中に、こんな味わうべき言葉が示されています。病と闘いつつ、ついに病を征服した人のことばだけに、なかなか意味ふかいものがあります。 「世に智慧ある人の病中ほど、あさましく、物苦しいことはなきことなるぞや。来し方、行く末のことなども際限なく思い続け、看病人の好悪などをとがめ、旧識同伴の間闊を恨み、生前には名聞の遂げざるを愁え、死後は長夜の苦患を恐れ、目を塞ぎて打臥し居たるは、殊勝に物静かなれども、胸中騒がしく、心上苦しく、三合の病いに、八石五斗の物思いあるべし」  と、いかにもその通りで、なまじい学問をした、智慧のある人ほど、よけいに病気を苦にする傾きがあって、容易に病気に安住することはできないのです。どうせこわれものの身体です。おそかれ早かれ、一度は死なねばならぬ、という覚悟ができていそうなものですが、それが実際はできていないのです。いつまでも健康がつづくように思い、いつまでも生きていられるもののように考えているから、いざ病気にでもなると、いらざるよけいな心配までするのです。心配ならよいが心痛するのです。 死ぬことを忘れていてもみんな死に  ですから、死への諦観は、当然できておらねばならぬわけです。因縁ということくらい、十分に考えておらねばならぬわけです。ところが、事実は全くこれと正反対です。なまじっか学問がある人よりも、かえって学問のない人の方が、あきらめが早いのです。死の覚悟がチャンとついているのです。三合の病いに八石五斗の物思いがなくてすむのです。もちろん、それは決して学問そのものの罪ではありません。学問する人の罪です。  肚でさとれ ただ頭で学ぶだけで、肚で覚らないからです。学者であって、覚者でないからです。とかく学者は学んだ智慧に囚われやすいのです。いわゆる智慧負けする人が、学者の中には多いのです。しかし「覚者」は智慧に使われず、かえってその智慧を使います。智慧を材料として、それを自由に用いる人が覚者です。私どもは、少なくとも智慧に使われる人であってはなりません。智慧を使う人でなければならぬのです。智慧を人格の素材として、自由にこれを行使してこそ、学問する価値があるのです。学問中毒に罹っている今日の時代においては、この点よほどお互いに考えねばならぬと存じます。  たいへん前置きが長くなりましたが、これからお話しするところは、 「三世の諸仏も、般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たもう」  という一節であります。さて、三世の諸仏ということですが、いったい仏教では三世というのは、いうまでもなく過去、現在、未来を指していったものですが、要するに、三世とは「無限の時間」ということなのです。ところで、この三世といつも並べて使用せられることばは、十方ということです。十方とは、東西南北の四方に、東南とか、東北などという四隅、それに上と下とを加えて、十方というのです。つまり「無限の空間」ということです。ひところ、よく世間で「八紘一宇」「世界一家」(世界じゅうの人たちが一家族のごとく相倚り相扶けてゆくこと)という言葉が用いられましたが、八紘というのは四方八方です。世界、宇宙という事です。十方と同じ意味で、無限の空間、涯しない世界ということです。要するに三世十方とは、「無限の時間」と「無限の空間」ということです。元来仏教は、キリスト教のごとく、神は一つだという一神論に立っている宗教ではなくて、無量無数の仏陀の存在を主張する、汎神論に立脚しているのです。したがって仏教ではこの無限の時間、無限の空間に亙って、いつ、いかなる場所にでも、数限りない無量の仏がいられるというのですから、衆生の数が無限だとすると、仏の数もまた無限です。  衆生のある所必ず仏はいます、というのですから、衆生の数と、仏の数とはイクォールだといわねばなりません。すなわち「すでになった仏」「現になりつつある仏」「いまだ成らざる仏」というわけで、その数は全く無量です。いったい日本において、古来神というのは、神はカミの義で、人の上にあるものが「神」です。すなわち人格のりっぱな人、勝れて尊い人が神さまであるわけです。またそのほか、ひとは万物の霊長で「日の友」だとか、人は地上において唯一の尊いものだから「ひとつ」の略であるとか、いろいろな解釈もありますが、古来男子をことごとく彦といいます。ひことは日の子供です。これに対して、女子は姫といいます。ひめとは日の女です。だから、人は男女いずれも神になり得る資格があるのです。すなわち神の子であるわけです。賢愚、善悪、美醜を問わず、いずれも神の子であるという自覚をもって敬愛することが大事です。ただし自分が神の子であること、神になるりっぱな資格があることを、互いに反省し、自覚しなければ何もなりません。  仏陀は自覚した人 仏教の教えも、ちょうど、それと同じです。一切の衆生には、仏となる素質がある。(一切衆生悉有二仏性一)いや「衆生本来仏なり」で、素質があるのみならず、皆仏であるのです。ただ仏であることを自覚しないがために、凡夫の生活をやっているわけです。浄土他力の教えでいえば、皆ことごとく阿弥陀さまによって救済されているのだ。お互いは一向行悪の凡夫だけれども、お念仏を唱えて、仏力を信じさえすれば、いや、信じさせていただけば、この世は菩薩の位、往生すればすぐに仏になるのだ、というのですから、その説明の方法においてこそ、多少異なっている点もありますが、いずれも、大乗仏教であるかぎり、その根本は一つだといわねばなりません。  子をもって知る世界 「世を救う三世の仏の心にもにたるは親のこころなりけり」とて、古人は仏の心を、親の心にくらべて説いております。まことに「子をもって知る親の恩」で、子供の親になってみると、しみじみ親の心が理解されます。だが、子に対する親の限りない愛情は、独り人間にのみ局っていないのです。あのツルゲネーフの書いた「勇敢なる小雀」という短篇があります。そのなかにこんな涙ぐましい話が書いてあります。  勇敢なる雀 ツルゲネーフが、猟からの帰り途を歩いていると、突然、つれていた猟犬が、何を見つけたか、一目散に駈け出して、森の中へ入って行きました。まるで犬は獲物を嗅ぎつけた時のように、蹲まりながら足を留めて、いかにも要慎深く、忍んで進みました。ツルゲネーフは、不思議に思って、急いで近寄ってみると、道の上には、まだ嘴の黄色い、かわいい雀の子が、バタバタと小さい羽根を、羽ばたいているのです。おそらく、枝から風にゆられて、落ちてきたのでしょう。これを見つけた犬は、今にもその子雀を喞えようとします。すると、にわかにどこからともなく親雀が飛んで来て、まるで小石でも投げるように、犬の口先きへ落ちてきたのです。この勢いに、さすがの犬もおどろいて、後へ退くと、雀はまた元のように飛び去りました。しかし、犬がまた喞えようとすると、再びまた飛びかかってくるのです。こうして母の雀は、幾度も幾度も必死になって、子雀をかばいましたが、しまいには、かわいそうに、もう飛び上る勇気もなくなって、とうとう恐ろしさと、驚きのために、子雀の上に折り重なって、死んでいったというのです。  子雀に忍びよった、恐ろしい怪物を見つけた瞬間、親の雀は、すでに自分の命を忘れてしまったのです。そうして必死の覚悟をもって、勇敢にも怪物に抵抗して戦ったのです。しかも、なお死んでからも、子雀をとられまいとして、親の雀は、その子雀の上に、倒れたのです。生まれて間もなく実母に死に別れた私は、この物語を読んだ時には自然、涙がにじみ出ました。いまもこうして話していても胸がせまってくるのです。  親への思慕は単なるセンチメント まことに「井戸のぞく子にありだけの母の声」です。親の愛は絶対です。今日の若い連中からは、あるいは頭の古いセンチメントだなんて笑われましょうが、親の情はほんとうにありがたいものです。その親の恩のわからぬ連中は人間の屑です。「親の恩歯がぬけてから噛みしめる」で、若い時分にはそれがハッキリわかりません。でも、だんだん齢をとり、自分が人の子の親になってみれば、誰もそれがほんとうにわかってくるのです。科学的立場からいえば、親の流す涙も、恋人の流す涙も涙に変わりはないでしょう。分析すれば、水分と塩分とに還元せられるでしょう。しかし、涙には、甘い涙も、ありがたい涙もあるのです。悲しい涙もあれば嬉しい涙もあるのです。それゆえ、私どもは、人生のことを、何もかも、すべて科学的な分析によって見てゆこうとすることは、無理だということを知らねばなりません。  さて本文の、 「三世の諸仏も、般若波羅蜜多に依るが故に」  ということは、つまり般若は仏の母(仏母)だ、といわれるように、諸仏を産み出す母胎が般若ですから、般若の智慧がなければ、仏とはいえないわけです。般若あっての仏なのです。『心経』の最初に「観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行ずる時、五蘊は皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したもう」といってありますが、慈悲の権化である菩薩、仏の化身である観音さまも、般若の智慧を、親しく磨いて、一切は空なりということを、体得せられたればこそ、衆生のあらゆる苦悩を救うことができるのです。しかし、般若を智慧と解釈しておりますが、たびたび申し上げるように、その智慧は、そのまま慈悲なのです。般若の智慧は、一度他に向かう時、それはすぐに慈悲となって表われるのです。次に、 「阿耨多羅三藐三菩提を得たもう」  ということですが、この語は、梵語の音をそのままに写したもので、原語でいえば「アヌッタラ、サミャク、サンボーディン」というのであります。すなわち阿耨多羅とは無上という意味で、これ以上のものはないということです。次に三藐ということは、偽りない、正しいという意味です。それから三菩提ということは、すべての智慧が集まっておるという意味で、徧く知る、またはひとしく覚る、という意味で、「徧智」もしくは「等覚」というふうに訳されています。菩提はすなわち、覚証の世界です。で、つまり「阿耨多羅三藐三菩提」とは、訳していえば「無上正徧知」または「無上正等覚」というべきであります。換言すれば、「この上もない真実なさとり」という意味が、阿耨多羅三藐三菩提ということです。あの比叡山をお開きになった伝教大師は、 あのくたらさんみゃく(さみゃく)さんぼだい(さんぼじ)の仏たち わが立つ杣に冥加あらせたまえ  と詠んでいられますが、「あのくたらさんみゃくさんぼだいの仏たち」というのは、ただ今申し上げましたように、無上正等覚を得たまえる仏たちよ、すなわち、ほんとうの悟りを得たまえるみ仏たちよ、という意味です。  いつか、ある所へ講演に参りました時、私はある人から、 「いったい、仏さまには、楽しみばかりで、苦しみは少しもないものでしょうか」  と問われたことがあります。その時、私はこう答えました。 「仏さまだとて、苦しみもあり、また楽しみもありましょう」  といったところ、その人はいかにもけげんな顔をして、 「いったん仏様となれば、楽しみばかりで、苦しみはないと思っていましたが」  といわれたのです。そこで私は次のように答えました。  大悲の疾い あの名高い『維摩経』というお経には、「衆生の疾いは煩悩より発り、菩薩の疾いは大悲より発る」という言葉がありますが、いったい私ども人間には身体の疾いもあれば、こころの疾いもあります。身病と心病です。ところで、身体の病に、外科と内科があるように、心の病にもまた外科もあり、内科もありましょう。 身から出た錆で衣が赤くなり  というのは外科的な病気です。しかし、内面的な心の病気は、まだそこまでゆかないのです。まだお巡りさんや、刑務所のごやっかいにならずともよいのです。宗教家や教育家の力でどうともする事ができるのです。  身の病と心の病 いったい人間というものは、たいへん身勝手なもので、身体の病気はたいへん気にいたしますが、心の病気はあまり気にしないのです。たしか『孟子』だったと思いますが、こんなことが出ています。 「自分の指が、五本のうちで、一本でも曲がって自由が利かないと、誰でもすぐに千里の道を遠しとせずして、治療に出かける。しかし、かりに心が曲がっていても、いっこうそれを治療しようとしない」  たしかにそれは至言だと存じます。他人に注意する場合でも、「顔に墨がついていますよ」といえば、ありがとうとお礼をいわれます。「羽織の襟が」といって、ちょっと知らしてあげても、「ご親切に」と感謝されます。しかし、もしも、「あなたの心が曲がっている」とか、「心に墨がついていますよ」などと注意しようものなら、「よけいなお世話だ」ナンテかえって恨まれます。なんでもない顔の垢や、着物の襟などを注意すると喜ぶくせに、肝腎の心の病気を注意すると怒られるとは、全く人間というものは、ほんとうに変な存在です。ところで、身体の病気を治療するには、外科、内科のいずれを問わず、医者が必要のように、精神の病気を療すにも、やはり医者を要します。いずれも「先生」という医者が必要です。教育家と宗教家と、それがその先生です。それから、身の病を治療するには、むろん、その先生の技術も大事ですが、その根本のよりどころとなるものは、医学の書物です。すなわち古今のドクトルが、生命を的に研究し調査した、その報告書を、道案内として、病気の診察、医薬の調合をするのです。ちょうどそれと同様に、教育や宗教の先生は、古今の聖賢が、身体で書かれた聖典を、十分に心でよみ、身で読んで「人格」を磨き、その磨いた人格によって、他人の心の病を治療するのです。しかしこの場合です。「あんな藪医者では」ナンテ、頭から医者を信用しなければ、どれだけ名医が親切に治療してくれてもだめです。「こんな薬が利くものか」と疑っていては、どんな名薬でもなんの効果もないわけです。医者を信じ、薬の効能を信じてこそ、はじめてききめがあるのです。心病の治療を志すものもそれと同様です。まず信ずること、すなわち信仰が第一であるわけですが、しかし病人にだけ信仰を強いて、肝腎の医者その人に信仰がなくてはだめです。自分に信仰がなくて、人にのみ信仰をすすめても、それは無理な話です。だから、たとい身の病を癒す先生でも、単に医学を学んだだけでは、まだほんとうの医者といえません。大学を出たての医学士なんか、恐ろしくて診てもらう気がしません。医学を学び、そして、その医学を行ずる医者、すなわち、医術を体得した医者こそ、はじめてたよりになるのです。臨床家でない医学博士は、医者にして医者にあらずです。実際を知らないから飛んでもない誤診をやったり、治療の仕ぞこないをしでかすのです。しかし、ほんとうのことをいえば、医術だけの医者は、まだ真の医者とはいえません。医術の大家は、必ず医道の体験者でなければなりません。医師の大家を国手というのは、おそらくこの医道の体得者を意味するのでしょう。少なくとも天下の医師は、国手をもって自ら任じてほしいものです。古来「医は仁術」というのがそれです。医術の極意は、結局、仁です。慈悲です。宗教的愛です。見の眼では、ほんとうに病気が診察できないように、天下の医者たるものは、すべからく観の眼、心の目を養わねばなりません。そして医学より医術へ、さらに、医術より医道へのコースを辿ってほしいと思います。金儲けのために医術をやることも、あえて反対するものではありませんが、せめて世を救い、人を救うために、進んで医道をも学んでもらいたいものです。単に生活のための開業ではなくて、医道を歩むことを、そのまま自分の生活のモットーにしてほしいものです。古来、仏陀のことを「医王」と申しておりますが、「満天下の医師たちよ。すみやかに医王となれ!」と、私は叫びたい衝動に駆られています。  心の病気の治療法 さて病気をなおすには、医者と薬と養生の三つが、大切だといわれていますが、心の病気を治療するにも、やはりこの三つが必要です。医者とはりっぱな人格者です。教育家や宗教家は、ぜひとも、この「人格」を、目的とせねばなりません。次に薬とは信仰です。養生とは修養です。「病は気から」ともいうように、私どもは健康な精神によって、身体の病気を克服してゆかねばなりません。だから、医者と薬と養生の三つのなかで、いちばん必要なものは養生です。養生といえば、この養生と関聯して想い起こすことは、あの化粧ということです。化粧とは「化ける粧い」ですが、婦人の方なんか、化粧せぬ前と後とでは、スッカリ見違えるように変わります。お婆さんになってもそうですが、若い娘さんなんか特に目立ちます。しかしおなじ紅白粉をつかっても、上手と下手とでは、たいへん違います。あまり濃く紅をつけたり、顔一面に厚く白粉を塗ったがために、せっかくの素地がかくれて、まるでお化けのように見えることがあります。自分の肌の素地や、色艶を省みずに、化粧してはキット失敗すると思います。しかし私はなにも美容の先生ではありませんから、専門のことはわかりませんが、素人目にもわかるのは、「厚化粧の悲哀」です。「妾は化粧しておりますよ、みてください」とばかりに塗っているのは、おそらく化粧の上手とはいえないでしょう。化粧しているのやら、していないのやら、ちょっとわからないのが、いわゆる「化粧の秘訣」かと存じます。もちろんこうしたことは、それこそ「よけいなお世話」で、男子の私よりも婦人の方が、くわしいことですが、しかし「他山の石、もってわが玉を磨くべし」だと思います。  こころの化粧 ところで、ここでぜひとも申し上げておきたいことは、こころの化粧です。顔や肌の化粧ではなくて、心のなかの化粧であります。むずかしくいえば、精神の修養です。心の養生です。すでに申し上げた、あの心の掃除です。いったい化粧の目的は、顔を美しく綺麗に見せるためではなくて、顔や肌の手入れです。掃除です。化ける粧いではなくて、清潔にさっぱりと綺麗に掃除しておくことです。だから、化粧の必要は、婦人でも男子でも同様です。爪や頭髪に汚い垢を溜めておいて、何が化粧でしょう? 紅、白粉や、香水などは、ほんのつけたりでよいのです。必ずしもその必要はないのです、にもかかわらず、今日ではそれをいかにも化粧の第一条件にしております。主客顛倒もはなはだしいといわざるを得ないのです。しかしそれならばまだしも、身の化粧だけはキチンとしておきながら、いっこう、心の化粧をしない人が多いようです。いや、全然問題にしていない人が少なくないのです。昭憲皇太后さまの御歌に、 髪かたちつくろうたびにまず思えおのが心のすがたいかにと  というのがあります。鏡に向かって化粧する。その時、顔や容姿の化粧をするたびに、必ず心の化粧もしてほしいのです。真の化粧とは、心の化粧です。顔や肌の素地は天性だから、どんなに磨いたところで、しれていますが、しかし心の化粧は、すればするほど美しくなるのです。老若男女を選ばず、磨けばみがくほど、いよいよその光沢が出てきます。「金剛石も磨かずば」で、実をいうと私どもは互いにその金剛石を一つずつ所有しているのです。しかし肝腎の私たちはそれを知らないでいるのです。だから化粧はおろか、その存在すら忘れているのですから、光るに光れないわけで、まことにもったいないわけです。  心は鏡 その昔、支那に神秀という有名な坊さんがありました。彼は禅のさとりについて、こういっています。 「身は是れ菩提樹、心は明鏡台の如し。時々に勤めて払拭せよ。塵埃を惹かしむること勿れ」  私どもの身体は、ちょうど、一本の菩提の樹だ。心は清く澄んだ鏡である。しかし塵埃が溜るから、始終いつもそれを綺麗に掃除しておかねばならない、ということばは、たいへん意味ふかいものです。かの愚者といわれた周利槃特が、「塵を払え、垢を除け」という詞を、単に外面的に皮相的に考えずして、内面的にもっと深く思索して、ついにさとりを開いたように、私どもは「化粧と修養」のほんとうの意味を、内面的に思索し、生活によって把握する必要があると存じます。  話はつい横道へそれましたが、かの「菩薩の疾いは大悲より発る」という『維摩経』の文句は、非常に考えさせられることばだと思います。どなたかの歌に、 立ちならぶ仏の像いま見ればみな苦しみに耐えしみすがた というのがあります。ほんとうに味わうべき歌です。一切の衆生の苦しみを救いたいという抜苦のこころ、一切の衆生にほんとうの楽しみを与えたい、という与楽の気持、そうした慈悲の心の上に、仏や菩薩の絶えざる悩みはあるのです。だが、その悩みこそ、自分の身の病でもなければ、また自分一個の心の病でもありません。みんなそれは他人のための病です。苦しみです。つまり世のため、人のための悩みであり、愁いであります。  わが子の病気 自分の子供が病気に罹る。親の心は心配です。わが身の病気よりも、いっそう心がいたみます。子供の病気は、そのまま親の病気です。それと同時に、子供の全快はそのまま親の全快です。親と子とは、悲しみを通じて、欣びを通して、少なくとも二にして一です。子をもって欣ぶのも親心なれば、また子をもって悲しむのも親心です。 もたずしてあらまほしきは子なりけりもたまほしきもまた子なりけり  と詩人はいってくれています。かわいい子供の笑顔をジッと見ていると、ようまあ子供をもったものだと思います。だがしかし、罪のない悪戯ならまだしも、突然、病気にでも罹って苦しむわが子のすがたをみると、ああ、子供なんかない方がよかった、などという愚痴も出ます。もたない人はもちたがり、もつ人はまた子供で苦労する。まことに「人間に子のあることの寒さかな」で、とかく人間は勝手なことを考えるものです。  仏のなやみは利他的悩み おもうに少なくとも、さとれる仏陀となれば、もちろん自分のための利己的な悩みはないでしょう。しかし、わが身のための苦しみはなくとも、世のための悩み、他人のための苦しみはキッとあるのです。といって、その悩み、その苦しみは、決して私どもの考えているような、苦しみでもなく、また悩みでもありません。その苦しみこそ楽しみです。その悩みこそ悦びです。 「世に恋の苦しみほど、苦しいものはない。だが、その苦しみほど、楽しいものはない」  と、ゲーテもいっています。譬喩としては、はなはだ不似合いなたとえでしょうが、私どもは、そこに迷情を通じて、かえって、仏心の真実を味わうことができるのです。  般若の智慧を磨け 要するに、この『心経』の一節は、三世の諸仏も、皆この般若の智慧によって、まさしく、ほんとうの正覚を得られたのである。だから私どももまた般若の智慧を磨くことによって、みな共に仏道を感じ、真の菩提の世界へ行かねばうそだ、ということをいったものであります。 第十一講 真実にして虚からず 故ニ知ル般若波羅蜜多ハ。 是レ大神呪ナリ。 是レ大明呪ナリ。 是レ無上呪ナリ。 是レ無等等呪ナリ。 能ク除ク二一切ノ苦ヲ一。 真実ニシテ不レ虚カラ。  空間の一生 あの『青い鳥』という名高い本を書きましたメーテルリンクは、『空間の一生』という短篇のなかで、こんなことをいっております。 「人間の一生は、つまり一巻の書物だ。毎日私どもは、その書物の一ページを必ず書いておる。あるものは、喜びの笑いで書き、あるものは、また悲しみの涙で書いている。とにかく、人間はどんな人でも、何かわからぬが、毎日、一ページずつ書いているんだ。しかし、その日その日の、一ページずつが集まって、結局、貴い人生の書物になるんだ。ただし、その書物の最後の奥付は墓石だ」  というような事を書いております。私どもは人生を橋渡りに喩えた、アジソンの『ミルザの幻影』と思い較べて、この人生の譬喩を非常に意味ふかく感じます。  人生の書物に再版はない 人生は一巻の書物! たしかにそれはほんとうでしょう。私どもがお互いにペンや筆で書いた書物には、「再版」ということがあります。しかし人生の書物には、決して再版ということはありませぬ。有名な戯曲家チェホフもいっています。「人生が二度とくりかえされるものなら、一度は手習い、一度は清書」といっていますが、習字のお稽古だったら、それも可能でしょう。だが、人生は手習いと清書とをわけてやることはできません。手習いがそのまま清書であり、清書がそのまま手習いです。したがってほんとうの書物ではミスプリントがあれば、すなわち誤植があれば、ここが間違っていた、あすこが違っていたというので、後から「正誤表」をつけたり、訂正したりすることができますが、「人生の書物」は、それができないのです。誤植は誤植のまま、誤りはあやまりのままで、永遠に残されてゆくのです。後になって、ああもしておけばよかった、こうもしておけばよかったと後悔しても、すべては皆後の祭りです。ロングフェローが、 「いたずらに過去を悔やむこと勿れ。甘き未来に望みをかけるな。生きよ、励めよ、この現在に」  といっているのは、たしかにそれです。かの蓮如上人が、 「仏法には、明日と申すこと、あるまじく候。仏法のことは急げ急げ」  といっているのは、たしかに面白い語です。しかし「明日と申すことあるまじく候」というのは、なにも独り仏法にのみ限ったことではないのです。でき得べくんば、私どもが人生の書物を書く場合にも、この心持で、なるべく誤植のないように、後から訂正をしなくてもすむように、書いてゆきたいものです。少なくとも「汗」と「膏」の労働によって、勤労によって、一ページずつを、毎日元気に、朗らかな気持で、書いてゆきたいものです。まことに人生のほんとうの喜び楽しみは、断じて、あくことなき所有慾や物質慾によって充たされるものではありません。人生創造の愉快な進軍ラッパは、放縦なる享楽の生活に打ち勝って、地味な、真面目な「勤労」に従事することによってのみ、高く、そして勇ましく、吹き鳴らされるのではありませんか。  おもうに、人生を「橋渡り」に、あるいは「一巻の書物」に譬えることも、きわめて巧みな譬喩ではありますが、結局、なんといっても私ども人間の一生は旅行です。生まれ落ちてから、死ぬまでの一生は、一つの旅路です。しかし、その旅は、「名物をくうが無筆の道中記」でよいものでしょうか。私どもは二度とないこの尊い人生を、物見遊山の旅路と心得て、果たしてそれでよいものでしょうか。私どもの人生は、断じて「盥よりたらいに移る五十年」であってはなりません。  東海道中膝栗毛のこと 十遍舎一九の書いた『東海道中膝栗毛』という書物をご存じでしょう。弥次郎兵衛、喜多八の旅行ものがたりです。旅の恥はかきすて、浮世は三分五厘と、人生を茶化して渡る、彼らの馬鹿気な行動を読んだ時、全く私どもはふき出さずにはおられません。彼らは、お江戸日本橋をふり出してから、京の都へ落ちつくまで、東海道の五十三次、どの宿でも、どこの宿場でも、ほんとうに失敗のし通しです。人を馬鹿にしたようなあの茶目ぶり、読んで面白いには相違ありませんが、しかしなんだか嬲られているようで、寂しい感じも起こるのです。「とかく浮世は色と慾」といったような人生観が、あまりにも露骨に描かれているので、人間の浅ましさが、まざまざ感じられて、厭な気にもなるのです。道中膝栗毛だからまだよいが、これがもしも私どもの人生の旅路だとしたなら、果たしてどんなものでしょうか。どうせ長くない命だ。勝手に、したい放題なことをして、世を渡るという、そんな不真面目な人生観は、極力排撃せねばならぬのです。いったい私どもの人生は誰でもみんな、ある一つの「使命」を帯びている旅なのです。ひょっこりこの世に生まれ出て、ボンヤリ人生を暮らしてゆくべきではないのです。しかし、世の中には人間の一生道中を、用事を帯びているとも知らず、ただうかうかと暮らしてゆくものが、案外に多いのです。果たしてそれでよいものでしょうか。「うかうかと暮らすようでも瓢箪の、胸のあたりにしめくくりあり」とも申しています。私には私だけの用事があるのです。人間多しといえども、私以外にいま一人の私はいないのです。私は私より偉くもないが、また私よりつまらぬ人間でもないのです。  所詮、私は私です。私の用事は、この私が自分でやらねばなりません。私以外に、誰がこの私の仕事をやってくれるものがありましょう? だから、私どもは、なにも他人の仕事を羨む必要はないのです。他人は他人です。私は私の本分を尽くすうちに、満足を見出してゆくべきです。したがって、私たちは、決して自分の使命を他人に誇るべきではありません。靴屋が靴を作り、桶屋が桶を作るように、黙って自分の仕事を、忠実にやってゆけばよいのです。だが、私どもの人生の旅路は、坦々たるアスファルトの鋪道ではありません。山あり、川あり、谷あり、沼ありです。 越えなばと思いし峯に来てみればなおゆくさきは山路なりけり  です。「人間万事塞翁が馬」です。よいことがあったかと思うと、その蔭にはもう不幸が忍び寄っているのです。落胆の沼に陥り、絶望の城に捕虜になったかと思うと、いつの間にやら、また享楽の都を通る旅人になっているのです。いたずらに悲観することも、無駄なことですが、楽観することも慎まねばなりません。油断と無理とはいつの時代でも禁物です。  なんでもない、つまらぬことに悲観して、もう、身のおきどころがないなどと、世をはかなみ、命を捨てることは、ほんとうにもったいない話です。行き詰まって、絶体絶命の時こそ「ちょっと待て!」です。「立ち止まって視よ」です。すべからく目を翻してみることです。思いかえすこと、見直すことです。心を転ずることです。「転心の一句」こそ、行詰まりの打開策です。「裸にて生まれてきたになに不足」の一句によって、安田宝丹翁は、更生したといわれています。事業に失敗したあげ句の果て、もう死のうとまで決心した彼は、この一句によって復活しました。そしてとうとう後の宝丹翁とまでなったと聞いています。「転」の一字こそ、まさしく更生の鍵です。禍を転じて福となす(転禍為福)といわれているように、私どもはこのたびの敗戦を契機として、ぜひともこの「転」の一字を十分に噛みしめ、味わい、再建日本のための貴い資糧とせねばならぬと存じます。  ところで人生を旅路と考え、弥次郎兵衛、喜多八の膝栗毛を思い、東海道五十三次の昔の旅を偲ぶとき、私どもは、ここにあの善財童子の求道譚を思い起こすのです。善財童子は文殊菩薩の指南によって、南方はるかに五十三の善智識を尋ね、ついに法界に証入して、まさしく悟れる仏陀になったのですが、この物語は、かの『華厳経』(第一講をみよ)のほとんど大半を占めている有名な話です。人生の旅路を、菩薩の修業に託して説いてくれた古えの聖者の心持が、尊くありがたく感ぜられるのです。おそらく、東海道の宿場を五十三の数に分けたことは、この善財童子の求道譚に、ヒントを得たものと存じます。 「林を出て還ってまた林中に入る。便ち是れ娑羅仏廟の東、獅子吼ゆる時芳草緑、象王廻る処落花紅なりし」  と仏国禅師は、善財の求道の旅を讃嘆しておりますが、いうまでもなく、獅子とは、文殊菩薩のこと、象王とは普賢菩薩のことです。文殊と普賢の二人によって、まさしく青年善財は、ついに悟りの世界に到達したのです。私どもはバンヤンの『天路歴程』や、ダンテの『神曲』に比して、優るとも決して劣らぬ感銘を、この求道物語からうけるのです。私どもは善財童子のように、人生の旅路を、一歩一歩真面目に、真剣に、後悔のないように歩いてゆきたいものであります。  さて前置きがたいへん長くなりましたが、これからお話しするところは、 「故に知る。般若波羅蜜多は、是れ大神呪なり。是れ大明呪なり。是れ無上呪なり。是れ無等等呪なり。能く一切の苦を除く、真実にして虚からず」  という一節であります。  不思議な呪 ところで、ここで問題になるのは「呪」ということです。呪とは口偏に兄という字ですが、普通にこの呪という字は「のろい」とか、「のろう」とかいうふうに読まれています。で、「呪」といえば世間では、「のろってやる」とか「うらんでやる」という、たいへん物騒な場合に用いる語のように考えられています。しかしまたこれと同時に、この呪という字は「呪文を唱える」とか「呪禁をする」とかいったように、「まじない」というふうにも解釈されているのです。毎日、新聞の社会記事に目を通しますと、呪禁をやって、とんでもない事をしでかす人の多いことに私どもは呆れるというよりも、むしろ悲しく思うことがあります。怪しげな呪禁や祈祷をして、助かる病人まで殺してみたり、医者の薬を遠ざけて、ますます病気を悪くしてみたり、盛んに迷信や邪信を鼓吹して、愚夫愚婦を惑わしている、いいかげんな呪術師がありますが、ほんとうにこれは羊頭を掲げて狗肉を売るもので、あくまでそれは宗教の名において排撃せねばなりません。世間には「真言秘密の法」などと看板を掲げて、やたらに怪しげな修法をやっているものもありますが、真言の祈祷はそんな浅薄な迷信を煽るようなものでは、断じてないのです。それこそ神聖なる真言の教えを冒涜する、獅子身中の虫といわざるを得ないのです。しかし、いったいこの「呪」という字は、気のせいか、眼でみるとその恰好からしてあまり感じのよくない字です。世間では「呪」というと、ただちに迷信を聯想するほど、とかく敬遠されている語です。けれどもこれが一たび仏教の専門語として、用いられる時には、きわめて深遠な尊い意味をもってくるのです。めんどうなむずかしい学問的な詮索は別として、この「呪」という字は、梵語の曼怛羅という字を翻訳したものです。したがってそれは、真言または陀羅尼などという語と、同様な意味をもっているのです。いうまでもなく、真言とは、「まことの言葉」です。まことの言葉は、神聖にして、犯すべからざる語です。私たち凡夫の語には、うそいつわりが多いが、仏の言葉には、決してうそいつわりはありません。「世間虚仮、唯仏是真」と聖徳太子は仰せられたといいますが、全くその通りで、凡夫の世界はいつわりの多い世界です。私どもは平生よく「うそも方便だ」ナンテ平気で、うそいつわりをいい、ヒドイのは「うそが、方便だ」と考えている人があります。が、凡夫の言葉は、「真言」ではなくて「虚言」です。この虚言すなわちうそ偽りについてこんな話があります。それはかの無窓国師の話です。国師は足利尊氏を発心せしめた有名な人ですが、この無窓国師は「長寿の秘訣」すなわち長生の方法について、こんな事をいっています。 「人は長生きせんと思えば、嘘をいうべからず。嘘は心をつかいて、少しの事にも心を労せり。人は心気だに労せざれば、命ながき事、疑うべからず」  といって、さらに、 「無病第一の利、知足第一の富、善友第一の親、涅槃第一の楽」  といっておりますが、真理は平凡だといわれるように、たしかにこれは真理のことばです。  まことに無窓国師のいわれる通り、仏の言葉には、嘘がないから、仏は長寿の人です。不死の人です。いわゆる無限の生命を保てる、無量寿であるわけです。次に陀羅尼という語ですが、これもまた梵語で、翻訳すれば「惣持」、総べてを持つということで、あの鶴見の惣持寺の惣持です。で、陀羅尼とは、つまりあらゆる経典のエッセンスで、一字に無量の義を総べ、一切の功徳をことごとく持っているという意味です。世間の売薬に「陀羅助」というにがい薬があります。これはたいへん古い薬で、私ども子供のころ、腹痛の時には、よくこの薬を服まされたものですが、これはくわしくはダラニスケ(陀羅尼助)で、この薬は万病によく利くという所から、梵語の陀羅尼を、そのままそっくり「薬の名」としたのだろうと思います。ただし、陀羅尼助の助が、どんな意味であるか、私にはわかりませんが、おそらくこの薬をのめば助かる、という意味でつけたものだろうと思います。要するに、厳密にいえばマントラとダラニとは、多少意味が異なっていますが、結局は、真言も陀羅尼も呪ということも、だいたい同じでありまして、神聖なる仏の言葉、その言葉の中には、実に無量の功徳が含まれているというのであります。仏教特に真言密教では、非常にこの呪を尊重していますが、いったい真言宗という宗旨は、法身の真言に基礎をおいているので、日本の密教のことを、真言宗というのです。弘法大師は、「真言は不思議なり。観誦すれば無明を除く。一字に千理を含み、即身に法如を証す」(秘鍵)といっておられますが、これによって呪の意味をご理解願いたいと存じます。ところで、この「呪」についてこんな話があります。それはちょっと聞くと、いかにも、陳腐な話ですが、味わってみるとなかなかふかい味のある話です。  阿弥陀さまは留守 ある日のことです。有名な白隠禅師がお寺で提唱していたときのこと、その聴衆の中に、一人の念仏信者のお爺さんがありました。禅師の話を聞きつつ、しきりに小声で、お念仏を唱えていました。禅師は提唱を終わってから、その老人を自分の居間に呼んで、試みに念仏の功徳を尋ねてみたのです。 「いったいお念仏はなんの呪いになるか」  と問うたのです。その時に老人の答えが面白いのです。 「禅師、これは凡夫が如来になる呪いです」  というのです。そこで白隠は、 「その呪いはいったい誰が作られたか、阿弥陀さまはどこにおられる仏さまか。いまでも阿弥陀さまは極楽にござるかの」  といって、いろいろと念仏信者の老人を試したのです。すると老人の答えが実に振るっているのです。 「禅師さま、阿弥陀さまは、いまお留守です」  と、こういったのです。阿弥陀さまはいま極楽にいないという答えです。留守だという不思議な答えを聞いた白隠は、さらに、 「しからばどこへ行ってござるか」  と追及しました。その時老人は、 「衆生済度のために、諸国を行脚せられています」  と答えました。そこで禅師は、 「では今ごろはどこまで来てござるか」  と尋ねた時に、その老人は静かにこういいました。 「禅師さま、阿弥陀さまは、ただ今ここにおいでです」  といって、老人はおもむろに自分の胸に手をあてたのでした。これにはさすがの白隠もスッカリ感心したという話が伝わっています。果たしてこれが、事実であったかどうか、詮索の余地もありましょうが、自力教の極端である禅宗と、他力教の極端である真宗とは、たといその説明方法においてこそ、異なりはあっても、結局はいずれも大乗仏教である以上、 「仏、我れにあり」  という安心においては、なんの異なりもないのです。 南無といえば阿弥陀来にけり一つ身をわれとやいわん仏とやいわん  です。念仏によるか、坐禅によるか、信心によるか、公案(坐禅)によるか、その行く道程は違っていても、到着すべきゴールは一つです。 宗論はどちら負けても釈迦の恥  と川柳子も諷刺しておりますが、いたずらに私どもは、自力だ、他力だ、などという「宗論」の諍いに、貴重な時間を浪費せずして、どこまでも自分に縁のある教えによって、その教えのままに、真剣に、その教えを実践すべきだと思います。目ざす理想の天地は、結局般若の世界です。般若への道には、むろんいろいろありますが、目的地は結局一つです。「般若は三世の諸仏を産み、三世の諸仏は般若を説く」と、古人はいっておりますが、「仏に成る」という仏教の理想は、つまり般若の世界に到達することです。ところで、この『心経』の本文には、「是れ大神呪、是れ大明呪、是れ無上呪、是れ無等等呪」といって、四種の「呪」が挙げてありますが、要するに、これは般若波羅蜜多は、最も勝れた仏の真言だ、ということをいったものです。つまりこの般若波羅蜜多が、そのまま陀羅尼なのです。真言なのです。呪なのです。で、この般若の功徳を四通りに説明し、讃嘆したのが、ここにあるこの四種の呪です。さてまず第一に、「是れ大神呪なり」とは、神とは霊妙不可思議という意味ですから、これ大神呪なりということは、われら人間の浅薄な知識では、容易に測り知ることのできぬ、霊妙不可思議なる仏のことばだということです。次に「是れ大明呪なり」とは、明とは、光明の明ですから、この般若の真言こそ永遠に光り輝く、仏の神聖なることばだということです。次に「是れ無上呪なり」とは、この上もない最上の呪文だということです。次に「是れ無等等呪なり」とは、とうてい何物にも比較することのできない、勝れた呪文だということです。  要するに、この四種の「呪」は、般若波羅蜜多は、この世において、最も勝れたる、何物にも比較することのできない、不可思議なる功徳をもつ所の真言であって、この中には一切の仏の説かれた教えが、ことごとく含まれている、ということをいったものであります。ところで弘法大師はこの呪文をば、声聞と縁覚と菩薩と仏の真言として四通りに配釈しておりますが、声聞と縁覚とは小乗、菩薩と仏とは大乗(第一講を見よ)でありますから、結局大小乗一切の仏教は、ことごとくこの「般若波羅蜜多」という一つの呪に摂まってしまうわけです。ゆえに今日わが国には、十三宗、五十数派、いろいろの宗旨や宗派もありますが、それがいずれも仏教である以上、つまりいろいろの角度からいろいろの方面から、この「般若の呪」を説明し、解説したものということができるのであります。したがって、われらにして、もしもほんとうに観自在菩薩のように、般若の智慧を磨いて、如実にこれを実践し、実行するならば、自己の苦しみはいうまでもなく、他人の一切の苦しみをも、よく除きうるのでありまして、それを『心経』に、「能く一切の苦を除く、真実にして虚からず」といってあるのです。全く真実不虚です。嘘だといって疑う方がわるいのです。真理だ、ほんとうに疑うべからざる真理だとして、ただ信じ、これを実行すればよいのです。けだし「般若波羅蜜多」という事は、屡次申し上げたごとく、彼岸へ渡るべき智慧の意味であり、同時にそれは迷いのこの岸から、悟りの彼岸へ渡った、仏のもっている智慧であります。しかもその智慧は、一切は因縁だと覚る所の智慧ですから、結局、因縁という二字を知るのが、この般若の智慧です。かつて、釈迦は「因縁」の真理に目醒めることによって、覚れる仏陀になったのです。したがって、私どももまた、この因縁の真理をほんとうに知ることによって、何人も仏になりうるのです。しかも因縁を知ったものは、因縁を殺すものではなくて、因縁をほんとうに生かす人です。しかもその因縁を活かす人こそ、はじめて一切空の真理を、味わうことができるのです。しかし、その空は何物もないという、単なる虚無というようなものではありません。それは有を内容とする空ですから、私ども人間の生活は、空に徹することによってのみ、有の存在、つまりその日の生活は、りっぱに活かされるのです。かくて、真に空を諦め、空を覚悟する人によってのみ、はじめて人生の尊い価値は、ほんとうに認識されるのです。  播州の瓢水 その昔、播州に瓢水といふ隠れた俳人がありました。彼の家は代々の分限者で、彼が親から身代を譲りうけた時には、千石船が五艘もあったといわれていましたが、根が風流人の彼のこと、さしもの大きい身代も、次第次第に落ちぶれて、あげくのはては、家や屋敷も人手に渡さなければならぬようになりました。しかし彼は、 蔵売って日当りのよき牡丹かな  と口ずさみつつ、なんの執着もなく、晩年は仏門に入り名を自得と改めて、悠々自適の一生を、俳句三昧に送ったといわれています。その瓢水翁が、ある年の暮れ、風邪をひいてひき籠っていたことがありました。折りふし一人の雲水、彼の高風を慕って、一日その茅屋を訪れたのですが、あいにく、薬をとりに行くところだったので、「しばらく待っていてくだされ」といい残しつつ、待たせておいて、自分は一走り薬屋へ用たしに行きました。後に残された件の雲水、 「瓢水は生命の惜しくない人間だと聞いていたが、案外な男だった」  といい捨てて、そのまま立ち去ってしまったのです。帰ってこの話を近所のものから聞いた瓢水、 「まだそんなに遠くは行くまい、どうかこれを渡してくだされ」  といいつつ、一枚の短冊に、さらさらと書き認めたのは、 浜までは海女も簑きる時雨かな  という一句だったのです。  これを受け取った件の雲水、非常にわが身の浅慮を後悔し、再び瓢水翁を訪れて一晩じゅう語り明かしたということです。まことに「浜までは海女も簑きる時雨かな」です。私はこの一句を口ずさむごとに、そこにいい知れぬ深い宗教味を感じるのです。俳句の道からいえば、古今の名吟とまではゆかないでしょうが、宗教的立場から見れば、きわめて宗教味ゆたかな含蓄のある名吟です。やがては濡れる海女さえも、浜までは時雨を厭うて簑をきる、この海女の優にやさしい風情こそ、教えらるべき多くのものがあります。それはちょうど、ほんとうに人生をあきらめ悟った人たちが、うき世の中を見捨てずに、ながい目でもって、人生を熱愛してゆくその心持にも似ているのです。一切空だと悟ったところで、空はそのまま色に即した空であるかぎり、煩わしいから、厭になった、嫌いになった、つまらなくなったとて、うき世を見限ってよいものでしょうか。まことに「浜までは」です。けだし「浜までは」の覚悟のできない人こそ、まだほんとうに空を悟った人とはいえないのです。  芭蕉の辞世 あの『花屋日記』の作者は、私どもに芭蕉翁の臨終の模様を伝えています。 「支考、乙州ら、去来に何かささやきければ、去来心得て、病床の機嫌をはからい申していう。古来より鴻名の宗師、多く大期に辞世有り。さばかりの名匠の、辞世はなかりしやと世にいうものもあるべし。あわれ一句を残したまわば、諸門人の望足りぬべし。師の言う、きのうの発句はきょうの辞世、今日の発句はあすの辞世、我が生涯言い捨てし句々一句として辞世ならざるはなし。もし我が辞世はいかにと問う人あらば、この年ごろいい捨ておきし句、いずれなりとも辞世なりと申したまわれかし、諸法従来、常示二寂滅相一、これはこれ釈尊の辞世にして、一代の仏教、この二句より他はなし。古池や蛙とび込む水の音、この句に我が一風を興せしより、はじめて辞世なり。その後百千の句を吐くに、この意ならざるはなし。ここをもって、句々辞世ならざるはなしと申し侍るなりと」  ほんとうの遺言状 まことに、昨日の発句は、きょうの辞世、今日の発句こそ、明日の辞世である。生涯いいすてし句、ことごとくみな辞世であるといった芭蕉の心境こそ、私どもの学ぶべき多くのものがあります。こうなるともはや改めて「遺言状」を認めておく必要は少しもないわけです。  私どもは、とかく「明日あり」という、その心持にひかれて、つい「今日の一日」を空しく過ごすことがあります。いや、それが多いのです。「来年は来年はとて暮れにけり」とは、単なる俳人の感慨ではありません。少なくとも私どものもつ一日こそ、永遠に戻り来らざる一日です。永遠の一日です。永遠なる今日です。「一期一会」の信念に生くる人こそ、真に空に徹した人であります。  空に徹せよ げに般若の真言こそ、世にも尊く勝れたる呪いです。最も神聖なる仏陀の言葉です。私どもは、少なくとも、般若の貴い「呪」を心に味わい噛みしめることによって、自分の苦悩を除くとともに、一切の悩める人たちの魂を救ってゆかねばなりません。  空に徹せる菩薩こそ、真に私どもの生ける理想の人であります。 第十二講 開かれたる秘密 故ニ説ク二般若波羅蜜多ノ呪ヲ一。 即チ説イテレ呪ヲ曰ク。 掲諦。掲諦。 波羅掲諦。 波羅僧掲諦。 菩提薩婆訶。 般若心経 (といいて般若波羅蜜多心経を説き終わる)  秘密の世界 さてこれからお話し申し上げる所は『心経』の最後の一節でありまして、昔から秘蔵真言分と称せられて、一般に翻訳されずに、そのままに読誦せられつつ、非常に尊重され、重要視されているのであります。どういう理由で翻訳されなかったかというに、いったい翻訳というものは、詩人のいうごとく、原語に対する一種の叛逆です。よくいったところで、ただ錦の裏を見るに過ぎないのです。経緯の絲はあっても、色彩、意匠の精巧は見られないのです。たとえば日本独特の詩である俳句にしてもそうです。これを外国語に翻訳するとなると、なかなか俳句のもつ持ち味を、そのまま外国語に訳すことはできないのです。たとえばかの「古池や」の句にしても、どう訳してよいか、ちょっと困るわけです。「一匹の蛙が、古池に飛び込んだ」と訳しただけでは、俳句のもつ枯淡なさび、風雅のこころ、もののあわれ、といったような、東洋的な「深さ」は、どうしても西洋人にはシッカリ理解されないのです。「花のかげあかの他人はなかりけり」(一茶)の句など、ほんとうに訳す言葉がないように思われます。ひところ、文壇の一部では俳句に対する、翻訳是非の議論が戦わされましたが、全く無理もないことで、外国語に訳すことは必要だとしても、どう訳すべきかが問題なのです。  翻訳はむずかしい ところで簡単な十七字の詩でさえ、翻訳が不可能だとすると、経典の翻訳などのむずかしいことは、今さら申すまでもありません。したがって梵語の聖典を漢訳する場合などは、ずいぶん骨が折れたに相違ありません。昔から、中国の仏教は、翻訳仏教だとまでいわれるくらいですが、しかし、中国でスッカリ梵語聖典を翻訳しておいてくれたればこそ、私どもは今日、比較的容易に、聖典を読誦し、理解することができるのです。だがまだまだ漢訳でも不十分でありますから、私どもはどうしても、ほんとうの日本訳の聖典を作らねばならぬと存じまして、私などもいろいろそれについて苦心しているわけですが、それにつけても私どもは、経典翻訳者の甚深なる苦心と労力に対して、満腔の感謝の意を表さねばならぬと思います。いずれにしても翻訳ということはずいぶん困難な事業でありますが、それについて想い起こすことは、かの「五種不翻」ということであります。これは有名な、かの玄奘三蔵が唱えた説でありますが、要するにこれは、どうしても華語すなわち中国の言葉に訳されない梵語が、五種あるというのです。したがってそれは原語の音をそのまま写すだけに止めておいたわけです。たとえば、インドにあって中国にないものとか、一つの語に多くの意味が含まれているものとか、秘密のものとか、昔からの習慣に随うものとか、訳せば原語の持つ価値を失う、といったようなわけで、これらの五種のものは、訳さずに漢字で、原語の音標を、そのまま写したわけです。さてこれから申し上げるところの、「般若の呪文」も、「秘密」という理由で、あえて玄奘三蔵は翻訳せずに、そのまま梵語の音だけを写したわけです。だから、どれだけ漢字の意味を調べても、それだけではとうてい、「呪」の意味は、ほんとうに理解されないわけです。  心経をよめとの詔勅 ところで、この般若の真言について想い起こすことは、今から千百八十九年の昔、すなわち天平宝字二年の八月に下し賜わった淳仁天皇の詔勅であります。その勅語の中にこう仰せられております。 「摩訶般若波羅蜜多は、諸仏の母なり。四句の偈等を受持し、読誦すれば、福寿を得ること思量すべからず。之を以て、天子念ずれば、兵革、災難、国裡に入らず。庶人念ずれば、疾疫、癘気、家中に入らず。惑を断ち、祥を獲ること、之に過ぎたるはなし。宜しく、天下諸国につげ、男女老少を論ずることなく、口に閑かに、般若波羅蜜多を念誦すべし」  というのであります。これは『続日本紀』の第二十一巻に出ておる詔勅ですが、要するに、勅語の御趣旨は、上は、天皇から、下は国民一般に至るまで、大にしては、天下国家のため、小にしては、一身一家のために、『心経』一巻を読誦する暇なくば、せめてこの般若波羅蜜多の「呪文」を唱えよ、という思し召しであります。さてただ今も申し上げた通り、いったい「呪」とか「真言」とか「陀羅尼」などというものは、いわゆる「一字に千理を含む」で、たった一字の中にさえ、実に無量無辺の深い意味が含まれているのですから、古来より梵語を強いて翻訳せずして、陀羅尼は、陀羅尼のままに、真言は、真言のままに、呪は、呪のままによみ伝えてきたのです。すなわち陀羅尼にしても、呪にしても、真言にしても、それは神聖にして犯すべからざる仏の言葉であるのと、それにはきわめて深遠な意味が含まれているという所から、梵語の音を、そのままにこれを漢字に写すだけで、わざと翻訳しなかったわけです。したがって昔から、一般にこの般若の四句の呪文は、何がなしに、ありがたい功徳があるというので、そのまま翻訳せずに、信じ且つ誦えていたのです。しかし人間というものは妙なもので、いえないものを、いってみよ、というのが人間の癖です。とかく、見るな、というものほど、見たいものです。聞くな、といわれるほど、よけいに聞きたいものです。いや、するなといえば、よけいにやってみたいのが人情です。で、般若の真言も、そのわけは知らなくてもよい、ただそのまま唱えていれば功徳があるのだ、利益があるのだ、といった所でなかなか人間は承知しないのです。「いったいそれはどういう意味なのだ」「わけがわからないものを、むやみにありがたいといって、誦えることはできないではないか」というのです。むろん、それはまことに、一応無理もない話です。いったい人間は「考える動物」です。ギリシア語のアントローポスにしたところで、梵語のマヌシャにしたところで、それはいずれも人間という事ですが、その意味は「考えるもの」ということです。思い、考えるものが人間です。この意味において、あのパスカルが「人間は考える蘆」だといったことばは、非常に面白い、いや、趣があると存じます。全く人間は、あの水際に生えている蘆のように弱いものです。肉体はわずか一滴の水、一発の弾丸にでも、容易に斃れる、きわめてか弱いものです。しかしたとい、全世界が武装してかかっても、人間の中から「考える」という心を奪う事はできないのです。「人間は考える蘆」とは味わうべき、意味ふかい語であります。よく考えるか、悪く考えるか、シッカリよく考えるか、よい加減に考えるか、はともかく、人間である以上、それはなにか、それはどういうわけで、それはどうして、などと考えることはむしろ当然です。ではいったいこの般若の四句の呪文は、どんな意味をもった言葉かと申しまするに、最前も申し上げたごとく、これは梵語の音をそのまま写したものです。原語でいうと「ガテイ、ガテイ、パーラガテイ、パーラサンガテイ、ボージ、スバーハー」というのです。ところでいま、かりにそれをしいて翻訳してみると、最初の「掲諦」とはつまり「往くことに於いて」という意味です。だから、「掲諦、掲諦」と重ねていえば、それは「往くことにおいて、往くことにおいて」という意味です。ではいったい、「どこへ行くか」というと、そのつぎの「波羅掲諦」という語がそれを表わしています。すなわち、「向こうへ往く」ことなのです。ところで、「向こうへ往く」ということは、どんな意味かというと、それは、彼岸の世界へ行くことなのです。迷いの此岸から、悟りの彼岸へ行くことです。つまり、凡夫の世界から、仏の世界へ行くことなのです。弘法大師はこれを「行々として円寂に入る」と訳しています。次に「波羅僧掲諦」というのは、「波羅」は向こうという意味、「僧掲諦」とは到達する、結びつく、いっしょになる、というような意味です。したがって「波羅僧掲諦」ということは、凡夫が仏の世界へ到達して、仏といっしょになるということです。次に「菩提薩婆訶」という事ですが、菩提は菩提すなわち悟りのことです。「薩婆訶」は、速疾とか、成就とか、満足というような意味で、どの真言の終わりにも、たいていついている語です。  以上ひと通り、この真言の意味を解釈しましたが、要するに『心経』の最後にある、この「掲諦掲諦」の四句の真言は、こういう風に解釈すればよいかと思います。 「自分も悟りの彼岸へ行った。人もまた悟りの彼岸へ行かしめた。普く一切の人々をみな行かしめ終わった。かくてわが覚の道は成就された」  すなわち一言にしてこれをいえば、「自覚、覚他、覚行円満」ということです。すなわち「自ら覚り、他を覚らしめ、覚の行が完成した」ということで、それはつまり仏道の完成であります。しかもその仏道の完成こそ、まさしく人間道の完成であります。したがってこの四句の呪文は、単に『心経』一部の骨目、真髄であるのみならず、実に、八万四千の法門、五千七百余巻の、一切の経典の真髄であり、本質であるわけです。換言すれば、大小、顕密、聖道浄土、仏教の一切の宗旨の教義、信条は、皆ことごとくこの四句の真言の中に含まれているのです。で、つまり、この真言の意味をば、いろいろの角度から、いろいろの立場から、機に応じ、時に臨みて、これを説き示したのが、今日の日本の仏教、すなわち十三宗五十八派の建前であるわけです。というのは、いうまでもなく大乗仏教の精神は、われらと衆生と皆共に仏道を成ぜんということです。同じく菩提心を発して浄土へ往生することです。したがって、それは決して自己独りの往生ではないのです。あくまで皆共にです。同じく菩提心を発すことです。私どもは、この真言の意味を理解することによって、はじめていっそう明瞭に『心経』が、どんな貴い経典であるか、いや、大乗仏教の眼目はどこにあるかを、ハッキリ知ることができるのです。あの弘法大師が、 「真言は不思議なり。観誦すれば無明を除く。一字に千理を含み、即身に法如を証す」  といわれたのはそれです。般若の真言こそ、まことに不思議です。これを誦えただけでも無明の煩悩をとり除いて、悟りを開くことができるのです。「即身に法如を証す」とは、そのままに、すみやかに、成仏するという意味です。ただし、漢訳のお経は、これでおしまいになっておりますが、梵語の原典にはこの真言の次に、「イテイ、プラジュニャー、パーラミター、フリダヤム、サマープタム」という語があります。ところで、これを翻訳すると、こういう意味になるのです。「といいて、般若波羅蜜多心経を説き終われり」というのです。しかしこの語はあってもなくても、同じことですから、玄奘三蔵は、わざとこれを省略せられて、ただ最後に「般若心経」という語だけを、つけ加えられたのであります。  以上はなはだ拙い講義ではありましたが、十二講にわたってだいたい一通り、「心経とはどんなお経か」「心経にはどんなことが書いてあるか」「心経はなにゆえ、天下一の経典であるか」というようなことを、ざっとお話ししたわけですが、最も深遠なこのお経を、私ごとき浅学菲才の者が講義するのですから、とうてい皆さまの御満足を得ることができなかったことは、私自身も十分に承知しておりますし、また貴いこの『心経』の価値を、あるいはかえって冒涜したのではないかとも怖れている次第であります。古来、仏教では「法を猥りに冒したものは、その罪、死に値す」とまで誡めておりますが、この意味において、私もおそらく、死に値する一人でありましょう。地獄へ落ちてゆく衆生の一人でありましょう。しかし、私はそれで満足です。  仏教への門 いったい古人もしばしばいっているように、仏教への門は、所詮「信」であります。信ずる心です。しかも信とは、愛し敬うこころです。仏教を愛し、敬い、これを信ずる心がなくては、とうてい、仏教をほんとうに知ることはできないのです。合掌する心持、南無する心、それはいずれも信心のしるしです。信仰の象徴です。南無とは、決して南無しではありません。  坊さんがお経を読む時に、唱える枕詞でもありません。南無とは、実に帰依することです。帰命の精神です。相手を絶対に愛し敬い、信頼することです。しかもその南無の心を形によって示したものが、「合掌」です。拝むことです。「右仏左は我と拝む手の、うちぞゆかしき南無の一声」と古人は教えています。両手を合わす右の手は仏陀の世界です。左の手こそ、衆生の自分です。かくて、この両手を合わし、南無の精神に生きる所に、はじめて、私どもは、ほんとうに仏我れにあり、我れに仏あり、との安心を得ることができるのです。いくらラジオの放送はあっても、これを聴く機械を持たない人には、ないと等しいのです。しかもたとい聴く機械があっても、スイッチを入れておかなくては、機械がないと同じです。常恆不断に、絶えず放送しておられる、仏の説法も、「合掌」と言う機械があり、「南無」という電流を通じてこそ、はじめて、はっきりと聞くことができるのです。にもかかわらず、とかく私たちは、どういうものか、ひたすら科学的立場から、ものを見ることになれて、ただ、聞こえないから、ない、見えないから、ないとすぐに判断してしまうのです。しかし、ものが見えないから、ないのではありません。見ないから、ないように思うのです。聞こえないから、ないのではなくて、聞かないから、ないと思うのです。見ようとしないもの、聞こうとしないものには、何事もないと同様です。  いったい機縁というか、契機というか、機会というか、とにかく「縁」というものは不思議なものです。「縁なき衆生は度し難い」などと、昔からいっていますが、縁のないものには、如何ともし難いのです。西洋の諺にも、「機会は前の方には毛があるが、後には毛がない。機会が来た時、捕えればよいが、一度とり逃がしたら最後、脚の早いあのジュピターの神でさえ、捕えることができない」といっております。全くその通りです。私どもには、機会の来るのを待つ、時節の到来を待つ、待機の姿勢が必要です。運は寝て待て、ではなくて、少なくとも練ってまてです。かりに説くべき人があっても、聞くべき人がなければ、説くことはできません。また聞くべき人はあっても、説くべき人がなければ、聞くことができないのです。説く人と、聞く人との因縁が相応し、和合する所に、はじめて聞く事もでき、説く事もできるのです。何事も、世の中の事は、みな「縁」です。しかしその「縁」は、たちまちにして来り、またたちまちにして去るのです。因縁はすべて「一期一会」です。聴くべき時に聞き、味わう時に味わわねば、いつになっても聞く事もできなければ、また知る事もできないのです。世に「急いで結婚して、ゆっくり後悔する」という諺もありますが、それはあながち結婚にかぎったことではないのです。いたずらに急ぐ必要もありませんが、しかし、「仏法には明日というべきことあるべからず」と古人も誡めています。いつもいつも、「明日」と約束ばかりしていると、永遠に仏教を味わい、人生のほんとうの意味と価値をあきらめずに死んでゆかねばなりません。すべからく私どもは因縁に随順してすみやかに般若の智慧を磨く事によって、まさしくさとりの世界をハッキリ味得せねばなりません。 底本:「般若心経講義」角川文庫、角川書店    1952(昭和27)年9月30日初版発行    1967(昭和42)年5月30日改41版発行    1973(昭和48)年3月30日改版12版発行 ※校正には「角川文庫」(1979(昭和54)年7月30日改版22版)を使用しました。 ※底本巻末の著者による「注」、「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」、「同 和訳」は省略しました。 入力:多田克也 校正:大野晋、Juki 2006年9月15日作成 2016年5月10日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。