名人長二 三遊亭圓朝 鈴木行三校訂・編纂 Guide 扉 本文 目 次 名人長二 序 一 序  三遊亭圓朝子、曾て名人競と題し画工某及女優某の伝を作り、自ら之を演じて大に世の喝采を博したり。而して爾来病を得て閑地に静養し、亦自ら話術を演ずること能わず。然れども子が斯道に心を潜むるの深き、静養の間更に名人競の内として木匠長二の伝を作り、自ら筆を採りて平易なる言文一致体に著述し、以て門弟子修業の資と為さんとす。今や校合成り、梓に上せんとするに当り、予に其序を需む。予常に以為く、話術は事件と人物とを美術的に口述するものにして、音調の抑揚緩急得て之を筆にすること能わず、蓋し筆以て示すを得るは話の筋のみ、話術其物は口之を演ずるの外亦如何ともすること能わずと。此故に話術家必しも話の筋を作為するものにあらず、作話者必しも話術家にあらざるなり。夫れ然り、然りと雖も話術家にして巧に話の筋を作為し、自ら之を演ぜんか、是れ素より上乗なる者、彼の旧套を脱せざる昔話のみを演ずる者に比すれば同日の論にあらず。而して此の如きは百歳一人を出すを期すべからず。圓朝子は其話術に堪能なると共に、亦話の筋を作為すること拙しとせず。本書名人長二の伝を見るに立案斬新、可笑あり、可悲あり、変化少からずして人の意表に出で、而かも野卑猥褻の事なし。此伝の如きは誠に社会現時の程度に適し、優に娯楽の具と為すに足る。然れども是れ唯話の筋を謂うのみ。其話術に至りては之を演ずる者の伎倆に依りて異ならざるを得ず。門弟子たるもの勉めずんばあるべけんや。若し夫れ圓朝子病癒ゆるの日、親しく此伝を演せば其妙果して如何。長二は木匠の名人なり、圓朝子は話術の名人なり、名人にして名人の伝を演す、其霊妙非凡なるや知るべきのみ。而して聴衆は話の主人公たる長二と、話術の演術者たる圓朝子と、両々相対して亦是れ名人競たるを知らん。   乙未初秋 土子笑面識         一  これは享和二年に十歳で指物師清兵衛の弟子となって、文政の初め廿八歳の頃より名人の名を得ました、長二郎と申す指物師の伝記でございます。凡そ当今美術とか称えまする書画彫刻蒔絵などに上手というは昔から随分沢山ありますが、名人という者はまことに稀なものでございます。通常より少し優れた伎倆の人が一勉強いたしますと上手にはなれましょうが、名人という所へはたゞ勉強したぐらいでは中々参ることは出来ません。自然の妙というものを自得せねば名人ではございません。此の自然の妙というものは以心伝心とかで、手を以て教えることも出来ず、口で云って聞かせることも出来ませんゆえ、親が子に伝えることも成らず、師匠が弟子に譲るわけにもまいりませんから、名人が二代も三代も続くことは滅多にございません。さて此の長二郎と申す指物師は無学文盲の職人ではありますが、仕事にかけては当時無類と誉められ、江戸町々の豪商はいうまでもなく、大名方の贔屓を蒙ったほどの名人で、其の拵えました指物も御維新前までは諸方に伝わって珍重されて居りましたが、瓦解の時二束三文で古道具屋の手に渡って、何うかなってしまいましたものと見えて、昨今は長二の作というものを頓と見かけません。世間でも長二という名人のあった事を知っている者が少うございますから、残念でもありますし、又先頃弁じました名人競のうち錦の舞衣にも申述べた通り、何芸によらず昔から名人になるほどの人は凡人でございませぬゆえ、何か面白いお話があろうと存じまして、それからそれへと長二の履歴を探索に取掛りました節、人力車から落されて少々怪我をいたし、打撲で悩みますから、或人の指図で相州足柄下郡の湯河原温泉へ湯治に参り、温泉宿伊藤周造方に逗留中、図らず長二の身の上にかゝる委しい事を聞出しまして、此のお話が出来上ったのでございます。是が真に怪我の功名と申すものかと存じます。文政の頃江戸の東両国大徳院前に清兵衛と申す指物の名人がござりました。是は京都で指物の名人と呼ばれた利齋の一番弟子で、江戸にまいって一時に名を揚げ、箱清といえば誰知らぬ者もないほどの名人で、当今にても箱清の指した物は好事の人が珍重いたすことで、文政十年の十一月五日に八十三歳で歿しました。墓は深川亀住町閻魔堂地中の不動院に遺って、戒名を參清自空信士と申します。この清兵衛が追々年を取り、六十を越して思うように仕事も出来ず、女房が歿りましたので、弟子の恒太郎という器用な柔順しい若者を養子にして、娘のお政を娶わせましたが、恒太の伎倆はまだ鈍うございますから、念入の仕事やむずかしい注文を受けた時は、皆な長二にさせます。長二は其の頃両親とも亡りましたので、煮焚をさせる雇婆さんを置いて、独身で本所〆切に世帯を持って居りましたが、何ういうものですか弟子を置きませんから、下働きをする者に困り、師匠の末の弟子の兼松という気軽者を借りて、これを相手に仕事をいたして居りますところが、誰いうとなく長二のことを不器用長二と申しますから、何所か仕事に下手なところがあるのかと思いますに、左様ではありません。仕事によっては師匠の清兵衛より優れた所があります。是は長二が他の職人に仕事を指図するに、何でも不器用に造るが宜い、見かけが器用に出来た物に永持をする物はない、永持をしない物は道具にならないから、表面は不細工に見えても、十百年の後までも毀れないように拵えなけりゃ本当の職人ではない、早く造りあげて早く銭を取りたいと思うような卑しい了簡で拵えた道具は、何処にか卑しい細工が出て、立派な座敷の道具にはならない、是は指物ばかりではない、画でも彫物でも芸人でも同じ事で、銭を取りたいという野卑な根性や、他に褒められたいという謟諛があっては美い事は出来ないから、其様な了簡を打棄って、魂を籠めて不器用に拵えて見ろ、屹度美い物が出来上るから、不器用にやんなさいと毎度申しますので、遂に不器用長二と綽名をされる様になったのだと申すことで。         二  不器用長二の話を、其の頃浅草蔵前に住居いたしました坂倉屋助七と申す大家の主人が聞きまして、面白い職人もあるものだ、予て御先祖のお位牌を入れる仏壇にしようと思って購めて置いた、三宅島の桑板があるから、長二に指させようと、店の三吉という丁稚に言付けて、長二を呼びにやりました。其の頃蔵前の坂倉屋と申しては贅沢を極めて、金銭を湯水のように使いますから、諸芸人はなおさら、諸職人とも何卒贔屓を受けたいと願う程でございますゆえ、大抵の職人なら最上等のお得意様が出来たと喜んで、何事を措いても直に飛んでまいるに、長二は三吉の口上を聞いて喜ぶどころか、不機嫌な顔色で断りましたから、三吉は驚いて帰ってまいりました。助七は三吉の帰りを待ちかねて店前に出て居りまして、  助「三吉何故長二を連れて来ない、留守だったか」  三「いゝえ居りましたが、彼奴は馬鹿でございます」  助「何と云った」  三「坂倉屋だか何だか知らないが、物を頼むに人を呼付けるという事アない、己ア呼付けられてへい〳〵と出て行くような閑な職人じゃアねえと申しました」  助「フム、それじゃア何か急ぎの仕事でもしていたのだな」  三「ところが左様じゃございません、鉋屑の中へ寝転んで煙草を呑んでいました、火の用心の悪い男ですねえ」  助「はてな……手前何と云って行った」  三「私ですか、私は仰しゃった通り、蔵前の坂倉屋だが、拵えてもらう物があるから直に来ておくんなさい、蔵前には幾軒も坂倉屋があるから一緒にまいりましょうと云ったんでございます」  助「手前入ると突然其の口上を云って、お辞儀も挨拶もしなかったろう」  三「へい」  助「それを失礼だと思ったのだろう」  三「だって旦那寝転んでいる方が余ぽど失礼でしょう」  助「ムヽそれも左様だが、何か気に障った事があるんだろう」  三「左様じゃアございません、全体馬鹿なんです」  助「むやみに他の事を馬鹿なんぞというものではございませんぞ」  と丁稚を誡めて奥に這入りましたが是まで身柄のある画工でも書家でも、呼びにやると直に来たから、高の知れた指物職人と侮って丁稚を遣ったのは悪かった、他の職人とは異っているとは聞いていたが、それ程まで見識のある者とは思わなんだ、今の世に珍らしい男である、御先祖様のお位牌を入れる仏壇を指させるには此の上もない職人だと見込みましたから、直に衣服を着替えて、三吉に詫言を云含めながら長二の宅へ参りました。長二は此の時出来上った書棚に気に入らぬ所があると申して、才槌で叩き毀そうとするを、兼松が勿体ないと云って留めている混雑中でありますから、助七は門口に暫く控えて立聞きをして居りますと、  長「兼公、手前は然ういうけれどな、拵えた当人が拙いと思う物で銭を取るのは不親切というものだ、何家業でも不親切な了簡があった日にア、梲のあがる事アねえ」  兼「それだって此のくれえの事ア素人にア分りゃアしねえ」  長「素人に分らねえから不親切だというのだ、素人には分らねえから宜いと云って拙いのを隠して売付けるのは素人の目を盗むのだから盗人も同様だ、手前盗人をしても銭が欲しいのか、己ア此様な職人だが卑しい事ア大嫌いだ」  と丹誠を凝して造りあげた書棚をさい槌でばら〳〵に打毀しました様子ゆえ、助七は驚きましたが、益々並の職人でないと感服をいたし、やがて表の障子を明けまして、  助「御免なさい、私は坂倉屋助七と申す者で、少々親方にお願い申したい事があって、先刻出しました召使の者が、早呑込みで粗相を申し、相済みません、其のお詫かた〴〵まいりました」  と丁寧に申し述べましたから、流石の長二も驚き、まご〴〵する兼松に目くばせをして、其の辺に飛散っている書棚の木屑を片付けさせながら、  長「へい、これはどうも恐入りました、此の通り取散かしていますが、何卒此方へ」  と蓆の上の鉋屑を振って敷直しますから、助七は会釈をして其処へ坐りました。         三  助「御高名は予て承知していましたが、つい掛違いまして」  長「私もお名前は存じて居りますが、用がありませんからお目にかゝりませんでした、シテ御用と仰しゃるのは」  助「はい、お願い申すこともございますが先刻のお詫をいたします……三吉……そこへ出てお詫をしろ」  三吉は不承々々な顔付で上り口に両手をつきまして、  三「親方さん先刻は口上を間違えまして失礼を致しました、何卒御免なさい」  とお辞儀をいたしますを、長二は不審そうに見ておりましたが、  長「へい何でしたか小僧さん、何も謝る事アありません……えゝ旦那……先刻お迎いでしたが、出ぬけられませんからお断り申したんで」  助「それが間違いで、先刻三吉に、親方に願いたい事があるから宅に御座るか聞いて来いと申付けたのを間違えて、親方に来てくださるように申したとの事でございます」  長「ムヽ左様いう事ですか、訳さえ分れば宜いじゃアありませんか、それより御用の方をお聞き申しましょう」  助「そんならお話し申しますが、実は私先年から心掛けて、先祖の位牌を入れて置く仏壇を拵えようと思って、三宅島の桑板の良いのを五十枚ほど購めましたが、此の仏壇は子孫の代までも永く伝わる物でもあり、又火事に焼けてならんものですから、非常の時は持って逃げる積りです、混雑の中では取落す事もあり、又他から物が打付る事もありますゆえ、余ほど丈夫でなければなりませんが、丈夫一式で木口が橋板のように馬鹿に厚くっては、第一重くもあり、お飾り申した処が見にくゝって勿体ないから、一寸見た処は通例の仏壇のようで、大抵な事では毀れませんように、極丈夫に拵えたいという無理な注文でもございますし、それに位牌を入れる物ですから、成るべくは根性の卑しい粗忽な職人に指させたくないと思って、職人を捜して居りました処、親方はお心掛が潔白で、指物にかけては京都の利齋当地の清兵衛親方にも優るという評判を聞及びましたから、此の仕事をお願い申したいので、手間料には糸目をかけません、何うぞ私が先祖への孝行にもなる事でございますから、この絵図面を斟酌して一骨折ってはくださるまいか」  と仏壇の絵図面を見せますと、長二は寸法などを見較べまして、  長「成程随分難かしい仕事ですが、宜うがす、此の工合に遣ってみましょう…だが急いじゃアいけませんよ、兎も角も板を遣してお見せなさい、板の乾き塩梅によっちゃア仕事の都合がありますから」  助「はい、承知いたしました……そんなら明朝板をよこすことに致しましょう……えゝ是は少のうございますが、御注文を申した印までに上げて置きます」  と金子を十五両鼻紙に載せて差出しますを、長二は宜く見もいたさずに押戻しまして、  長「板をよこして注文なさるんですから手金なんざア要りません、出来上って見なければ手間も分りませんから、是はお預け申して置きます」  助「左様いう事ならお預かり申して置きますから、御入用の節は何時でも仰しゃってお遣わしなさい」  と金子を懐中に納めまして、  助「これはお仕事のお邪魔を致しました……そんなら何分宜しくお願い申します、お暇というはございますまいけれど、自然浅草辺へお出での節はお立寄り下さい」  と暇を告げて助七は立帰り、翌日桑の板を持たせて遣りましたが、其の後長二から何の沙汰もございません。助七は待遠でなりませんが、長二が急いではいけないと申した口上がありますから、下手に催促をしたら腹を立つだろうと我慢をして待って居りますと、七月目に漸々出来上って、長二が自身に持ってまいりましたから、助七は大喜びで、長二を奥の座敷へ通しました。此の時助七は五十三歳で、女房は先年歿って、跡に二十一歳になる忰の助藏と、十八歳のお島という娘があります。助七は待ちに待った仏壇が出来た嬉しさに、助藏とお島は勿論、店の番頭手代までを呼び集めて、一々長二に引合わせ、仏壇を見せて其の伎倆を賞め、長二を懇にもてなしました。         四  助「時に親方、つかん事を聞くようだが、先頃尋ねた折台所にいたのは親方のお母さんかね」  長「いゝえ、お母は私が十七の時死にました、あれは飯焚の雇い婆さんです」  助「そんなら未だ家内は持たないのかね」  長「はい、嚊があると銭のことばかり云って仕事の邪魔になっていけませんから持たないんです」  助「親方のように稼げば、銭に困ることはあるまいに」  長「銭は随分取りますが、持っている事が出来ない性分ですから」  助「職人衆は皆な然うしたものだが、親方は何が道楽だね」  長「何も道楽というものあないんですが、只正直な人で、貧乏をしている者を見ると気の毒でならないから、持ってる銭をくれてやりたくなるのが病です」  助「フム良い病だ……面白い道楽だが、貧乏人に余り金を遣りすぎると却って其の人の害になる事があるから、気を付けなければいけません」  長「其のくれえの事ア知っています、其の人の身分相応に恵まないと、贅沢をやらかしていけません」  助「感心だ……名人になる人は異ったものだ、のうお島」  島「左様でございます、誠に善いお心掛で」  と長二の顔を見る途端に、長二もお島の顔を見ましたから、お島は間の悪そうに眼もとをぽうッと赧くして下を向きます。長二は此の時二十八歳の若者で、眼がきりゝとして鼻筋がとおり、何処となく苦味ばしった、色の浅黒い立派な男でございますが、酒は嫌いで、他の職人達が婦人の談でもいたしますと怒るという程の真面目な男で、只腕を磨く一方にのみ身を入れて居りますから、外見も飾りもございません。今日坂倉屋へ注文の品を納めにまいりますにも仕事着のまゝで、膝の抜けかゝった盲縞の股引に、垢染みた藍の万筋の木綿袷の前をいくじなく合せて、縄のような三尺を締め、袖に鉤裂のある印半纏を引掛けていて、動くたんびに何処からか鋸屑が翻れるという始末でございますから、お島は長二を美い男とは思いませんが、予て父助七から長二の行いの他に異っていることを聞いて居ります上に、今また年に似合わぬ善い心掛なのを聞いて深く心に感じ、これにひきかえて兄の助藏が放蕩に金銭を使い捨てるに思い較べて、窃かに恥じましたから、ちょっと赤面致したので、また長二もお島を見て別に美しいとも思いませんが、是まで貧民に金銭を施すのを、職人の分際で余計な事だ、馬鹿々々しいから止せと留める者は幾許もありましたが、褒める人は一人もありませんでしたに、今十七か十八のお嬢さんが褒めたのでありますから、長二は又お島が褒めた心に感心を致して、其の顔を見たのでございます。助七はそれらの事に毫も心づかず、  「親方の施し道楽は至極結構だが、女房を持たないと活計向に損がありますから、早く良いのをお貰いなさい」  長「そりゃア知っていますが、女という奴ア吝なもんで、お嬢さんのように施しを褒めてくれる女はございませんから持たないんです」  助「フム左様さ、女には教えがないから、仁だの義だのという事は分らないのは道理だ、此の娘なぞは良い所へ嫁に遣ろうと思って、師匠を家へ呼んで、読書から諸芸を仕込んだのだから、兎も角も理非の弁別がつくようになったんだが、随分金がかゝるから大抵の家では女にまでは行届きません、それに女という奴は嫁入りという大物入がありますからなア、物入と云やア娘も其の内何処かへ嫁に遣らなければなりませんが、其の時の箪笥三重と用箪笥を親方に願いたい、何卒心懸けて木の良いのを見付けてください」  長「畏まりましたが、先達て職人の兼という奴が、鑿で足の拇指を突切った傷が破傷風にでもなりそうで、甚く痛むと云いますから、相州の湯河原へ湯治にやろうと思いますが、病人を一人遣る訳にもいきませんから、私も幼さい時怪我をした背中の旧傷が暑さ寒さに悩みますので、一緒に行って序でに湯治をして来ようと思いますので、お急ぎではどうも」  助「いゝや今が今というのではありません、行儀を覚えさせるため来月お出入邸の筒井様の奥へ御奉公にあげる積りですから、娘が下るまでゞ宜いんです」  長「そんなら拵えましょう」  助「湯河原は打撲と金瘡には能いというから、緩り湯治をなさるが宜い、就てはこの仏壇の作料を上げましょう、幾許あげたらよいね」  長「左様……別段の御注文でしたから思召に適うように拵えましたので、思ったより手間がかゝりましたが……百両で宜うございます」  其の頃の百両と申す金は当節の千両にも向う大金で、如何に念入でも一個の仏壇の細工料が百両とは余り法外でございますから、助七は恟りして、何にも云わず、暫く長二の顔を見詰めて居りました。         五  助七は仏壇の細工は十分心に適って丈夫そうには出来たが、百両の手間がかゝったとは思えません、これは己が余り褒めすぎたのに附込んで、己の家が金持だから法外の事をいうのであろう、扨は此奴は潔白な気性だと思いの外、卑しい了簡の奴だなと腹が立ちましたから、  助「おい親方、この仏壇の板は此方から出したのだよ、百両とはお前間違いではないか」  長「へい、板を戴いた事ア知っています、何も間違いではございません」  助「是だけの手間が百両とは少し法外ではないか」  長「そう思召しましょうが、それだけ手間がかゝったのです、百両出せないと仰しゃるなら宜うがす元の通りの板をお返し申しますから仏壇は持って帰ります……素人衆には分りますまいよ」  と云いながら仏壇を持ちて帰ろうといたしますから、助七が押留めまして、  助「親方、まア待ちなさい、素人に分らないというが、百両という価値の細工が何処にあるのだえ」  長「はい……旦那御注文の時何と仰しゃいました、この仏壇は大切の品だから、火事などで持出す時、他の物が打付っても、又落ことしても毀れないようにしたいが、丈夫一式で見てくれが拙くっては困ると仰しゃったではございませんか、随分無理な注文ですが、出来ない事はありませんから、釘一本他手にかけず一生懸命に精神を入れて、漸々御注文通りに拵え上げたのです……私ア注文に違ってる品を瞞かして納めるような不親切をする事ア大嫌えです……最初手間料に糸目をつけないと仰しゃったから請負ったので、斯ういう代物は出来上ってみないと幾許戴いて宜いか分りません、此の仏壇に打ってある六十四本の釘には一本〳〵私の精神が打込んでありますから、随分廉い手間料だと思います」  助「フム、その講釈の通りなら百両は廉いものだが、火事の時竹長持の棒でも突かけられたら此の辺の合せ目がミシリといきそうだ」  長「その御心配は御道理ですが、外から何様な物が打付っても釘の離れるようなことア決してありませんが中から強く打付けては事によると離れましょう、併し仏壇ですから中から打付かるものは花立が倒れるとか、香炉が転るぐれえの事ですから、気遣えはございません、嘘だと思召すなら丁度今途中で買って来た才槌を持ってますから、これで打擲ってごらんなせい」  と腰に挿していた樫の才槌を助七の前へ投出しました。助七は今の口上を聞き、成ほど普通の品より、手堅く出来てはいようが、元々釘で打付けたものだから叩いて毀れぬ事はない、高慢をいうにも程があると思いましたゆえ、  助「そりゃア親方が丹誠をして拵えたのだから少しぐらいの事では毀れもしまいが、此の才搥で擲って毀れないとは些と高言が過るようだ」  と嘲笑いましたから、正直一途の長二はむっと致しまして、  長「旦那……高言か高言でねえか打擲ってごらんなせい、打擲って一本でも釘が弛んだ日にゃア手間は一文も戴きません」  助「ムヽ面白い、此の才槌で力一ぱいに叩いて毀れなけりゃア千両で買ってやろう」  と才槌を持って立上りますを、先刻から心配しながら双方の問答を聞いていましたお島が引留めまして、  島「お父さん……短気なことを遊ばしますな、折角見事に出来ましたお仏壇を」  助「見事か知らないが、己には気にくわない仏壇だから打毀すのだ」  島「ではございましょうが、このお仏壇をお打ちなさるのは御先祖様をお打ちなさるようなものではございませんか」  助「ムヽ左様かな」  と助七は一時お島の言葉に立止りましたが、扨は長二の奴も、先祖の位牌を入れる仏壇ゆえ、遠慮して吾が打つまいと思って、斯様な高言を吐いたに違いない、憎さも憎し、見事叩っ毀して面の皮を引剥いてくりょう。と額に太い青筋を出して、お島を押退けながら、  助「まだお位牌を入れないから構う事アない……見ていろ、ばら〳〵にして見せるから」  と助七は才槌を揮り上げ、力に任せて何処という嫌いなく続けざまに仏壇を打ちましたが、板に瑕が付くばかりで、止口釘締は少しも弛みません。助七は大家の主人で重い物は傘の外持った事のない上に、年をとって居りますから、もう力と息が続きませんので、呆れて才槌を投り出して其処へ尻餅をつき、せい〳〵いって、自分で右の手首を揉みながら、  助「お島……水を一杯……速く」  と云いますから、お島が急いで持ってまいった茶碗の水をグッと呑みほして太息を吐き、顔色を和げまして、  助「親方……恐入りました……誠に感服……名人だ……名人の作の仏壇、千両でも廉い、約束通り千両出しましょう」  長「アハヽヽ精神を籠めた処が分りましたか、私ア自慢をいう事ア大嫌いだが、それさえ分れば宜うがす、此様に瑕が付いちゃア道具にはなりませんから、持って帰って其の内に見付かり次第、元の通りの板はお返し申します」  助「そりゃア困る、瑕があっても構わないから千両で引取ろうというのだ」  長「千両なんて価値はありません」  助「だって先刻賭をしたから」  長「そりゃア旦那が勝手に仰しゃったので、私が千両下さいと云ったのじアねえのです、私ア賭事ア性来嫌いです」  助「左様だろうが、これは別物だ」  長「何だか知りませんが、他の仕事を疑ぐるというのが全体気にくわないから持って帰るんです、銭金に目を眩れて仕事をする職人じゃアございません」  と仏壇を持出しそうにする心底の潔白なのに、助七は益々感服いたしまして、  助「まア待ってください……親方……私がお前の仕事を疑ぐって、折角丹誠の仏壇を瑕物にしたのは重々わるかった、其処んところは幾重にもお詫をしますから、何卒仏壇は置いて行ってください」  長「だって此様に瑕が付いてるものは上げられねえ」  助「それが却って貴いのだ、聖堂の林様はお出入だから殿様にお願い申して、私が才槌で瑕をつけた因由を記いて戴いて、其の書面を此の仏壇に添えて子孫に譲ろうと思いますから、親方機嫌を直して下さい」  と只管に頼みますから、長二も其の考えを面白く思い、打解けて仏壇を持帰るのを見合せましたから、助七は大喜びで、無類の仏壇が出来た慶びの印として手間料の外に金百両を添えて出しましたが、長二は何うしてもこれを受けませんで、手間料だけ貰って帰りました。助七は直に林大學頭様の邸へ参り、殿様に右の次第を申上げますと、殿様も長二の潔白なる心底と伎倆の非凡なるに感服されましたから、直に筆を執って前の始末を文章に認めて下さいました。其の文章は四角な文字ばかりで私どもには読めませんが、是も亦名文で、今日になっては其の書物ばかりでも大層な価値があると申す事でございます。斯様に林大學頭様の折紙が付いている宝物で、私も一度拝見しましたが御維新後坂倉屋が零落れまして、本所横網辺へ引込みました時隣家より出た火事に仏壇も折紙も一緒に焼いてしまったそうで、如何にも残念な事でございます。それは後の話で此の仏壇の事が江戸市中の評判となり、大學頭様も感心なされて、諸大名や御旗下衆へ吹聴をなされましたから、長二の名が一時に広まって、指物師の名人と云えば、あゝ不器用長二かというように名高くなりまして、諸方から夥しく注文がまいりますが、手伝の兼松は足の疵で悩み、自分も此の頃の寒気のため背中の旧疵が疼み、当分仕事が出来ないと云って諸方の注文を断り、親方清兵衛に後を頼んで、文政三辰年の十一月の初旬、兼松を引連れ、湯治のため相州湯河原の温泉へ出立いたしました。         六  湯河原の温泉は、相州足柄下郡宮上村と申す処にございまして、当今は土肥次郎實平の出た処というので土肥村と改まりまして、城堀村にある實平の城山は、真鶴港から上陸して、吉浜を四五丁まいると向うに見えます。吉浜から宮上村まで此の間は爪先上りの路で一里四丁ほどです。温泉宿は湯屋(加藤廣吉)藤屋(加藤文左衛門)藤田屋(加藤林平)上野屋(渡邊定吉)伊豆屋(八龜藤吉)などで、当今は伊藤周造に天野某などいう立派な宿も出来まして、何れも繁昌いたしますが、文政の頃は藤屋が盛んでしたから、長二と兼松は此の藤屋へ宿を取りました。温泉は川岸から湧出しまして、石垣で積上げてある所を惣湯と申しますが、追々開けて、当今は河中の湯、河下の湯、儘根の湯、下の湯、南岸の湯、川原の湯、薬師の湯と七湯に分れて、内湯を引いた宿が多くなりました。湯の温度は百六十三度乃至百五度ぐらいで、打撲金瘡は勿論、胃病、便秘、子宮病、僂麻質私などの諸病に効能があると申します。西は西山、東は上野山、南は向山、北は藤木山という山で囲まれている山間の村で、総名を本沢と申して、藤木川、千歳川などいう川が通っております。此の藤木川の流が、当今静岡県と神奈川県の境界になって居ります。千歳川の下に五所明神という古い社があります。此の社を境にして下の方を宮下村と申し、上の方を宮上村と申すので、宮下の方は戸数八十余、人口五百七十ばかり、宮上村は湯河原のことで、此の方は戸数三十余、人口二百七十ばかりで、田畑が少のうございますから、温泉宿の外は近傍の山々から石を切出したり、炭を焼いたり、種々の山稼ぎをいたして活計を立っている様子です。此の所から小田原まで五里十九丁、熱海まで二里半余で、何れへまいるのにも路は宜しくございませんが、温泉のあるお蔭で年中旅客が絶えず、中々繁昌をいたします。さて長二と兼松は温泉宿藤屋に逗留して、二週ほど湯治をいたしたので、忽ち効験が顕われて、両人とも疵所の疼みが薄らぎましたから、少し退屈の気味で、  兼「長兄い……不思議だな、一昨日あたりからズキ〳〵する疼みが失ってしまった、能く利く湯だなア」  長「それだから此様な山ん中へ来る人があるんだ」  兼「本当に左様だ、怪我でもしなけりゃア来る処じゃアねえ、此処え来て見ると怪我人もあるもんだなア」  長「ムヽ、伊豆相模は石山が多いから、石切職人が始終怪我をするそうだ、見ねえ来ている奴ア大抵石切だ、どんな怪我でも一週か二週で癒るということだが、好い塩梅にしたもんじゃアねえか、そういう怪我を度々する処にゃア、斯ういう温泉が湧くてえのは」  兼「それが天道人を殺さずというのだ、世界の事ア皆んな其様な塩梅に都合よくなってるんだけれど、人間というお世話やきが出てごちゃまかして面倒くさくしてしまッたんだ」  長「旨い事を知ってるなア、感心だ」  兼「旨いと云やア、それ此処え来る時、船から上って、ソレ休んだ処ア何とか云ったっけ」  長「浜辺の好い景色の処か」  兼「左様よ」  長「ありゃア吉浜という処よ」  兼「それから飯を喰った家は何とか云ったッけ」  長「橋本屋よ」  兼「ムヽ橋本屋だ、彼家で喰った鮶の煮肴は素的に旨かったなア」  長「魚が新らしいのに、船で臭え飯を喰った挙句だったからよ」  兼「そうかア知らねいが、今に忘れられねえ、全体此辺は浜方が近いにしちゃア魚が少ねえ、鯛に比目魚か鮶に鯥、それでなけりゃア方頭魚と毎日の御馳走が極っているのに、料理方がいろ〳〵して喰わせるのが上手だぜ」  長「そういうと豪気に宅で奢ってるようだが、水洟をまぜてこせえた婆さんの惣菜よりア旨かろう」  兼「そりゃア知れた事だが、湯治とか何とか云やア贅沢が出るもんだ」  長「贅沢と云やア雉子の打たてだの、山鳩や鵯は江戸じゃア喰えねえ、此間のア旨かったろう」  兼「ムヽあれか、ありゃア旨かった、それに彼の時喰った大根さ、此方の大根は甘味があって旨え、それに沢庵もおつだ、細くって小せえが、甘味のあるのは別だ、自然薯も本場だ、こんな話をすると何か喰いたくなって堪らねえ」  長「よく喰いたがる男だ、折角疵が癒りかけたのに油濃い物を喰っちゃア悪いよ」  兼「毒になるものア喰やアしねいが、退屈だから喰う事より外ア楽みがねえ……蕎麦粉の良いのがあるから打ってもらおうか」  長「己ア喰いたくねえが、少し相伴おうよ」  兼「そりゃア有難い」  と兼松が女中を呼んで蕎麦の注文を致します。馴れたもので程なく打あげて、見なれない婆さんが二階へ持ってまいりました。         七  兼「こりゃア早い、いや大きに御苦労……兄い一杯やるか」  長「己ア飲まないが、手前一本やんない」  兼「そんなら婆さん、酒を一合つけて来てくんねえ」  婆「はい、下物はどうだね」  兼「何があるえ」  婆「鯛と鶏卵の汁があるがね」  兼「それじゃア鯛の塩焼に鶏卵の汁を二人前くんねえ」  婆「はい、直に持って来やす」  と婆さんは下へ降りてまいりました。  長「兼公見なれねえ婆さんだなア」  兼「宅の婆さんよりア穢ねえようだ、あの婆さんの打った蕎麦だと醤汁はいらねいぜ」  長「なぜ」  兼「だって水洟で塩気がたっぷりだから」  長「穢ねいことをいうぜ」  と蕎麦を少し摘んで喰ってみて、  兼「そんなに馬鹿にしたものじゃアねえ、中々旨え……兄い喰ってみねえ……おゝ婆さん、お燗が出来たか」  婆「大きに手間取りやした、お酌をしますかえ」  兼「一杯頼もうか……婆さんなか〳〵お酌が上手だね」  婆「上手にもなるだア、若い時から此家でお客の相手えしたからよ」  兼「だってお前今日初めて見かけたのだぜ」  婆「左様だがね、私イ三十の時から此家へ奉公して、六年前に近所へ世帯を持ったのだが、忙しねえ時ア斯うして毎度手伝に来るのさ、一昨日おせゆッ娘が塩梅がわりいって城堀へ帰ったから、当分手伝えに来たのさ」  兼「ムヽ左様かえ、そうして婆さんお前年は幾歳だえ」  婆「もうはア五十八になりやす」  兼「兄い、田舎の人は達者だねえ」  長「どうしても体に骨を折って欲がねえから、苦労が寡いせいだ」  婆「お前さん方は江戸かえ」  長「そうだ」  婆「江戸から来ちゃア不自由な処だってねえ」  長「不自由だが湯の利くのには驚いたよ」  婆「左様かねえ、お前さん方の病気は何だね」  兼「己のア是だ、この拇指を鑿で打切ったのだ」  婆「へえー怖ねいこんだ、石鑿は重いてえからねえ」  兼「己ア石屋じゃアねえ」  婆「そんなら何だね」  兼「指物師よ」  婆「指物とア…ムヽ箱を拵えるのだね、…不器用なこんだ、箱を拵える位えで足い鑿い打貫すとア」  長「兼公一本まいったなア、ハヽヽ」  婆「笑うけんど、お前さんのも矢張其の仲間かね」  長「己のは左様じゃアねえ、子供の時分の旧疵だ」  婆「どうしたのだね」  長「どうしたのか己も知らねえ」  婆「そりゃア変なこんだ、自分の疵を当人が知らねいとは……矢張足かね」  長「いゝや、右の肩の下のところだ」  婆「背中かね……お前さん何歳の時だね」  長「それも知らねいのだが、この拇指の入るくれえの穴がポカンと開いていて、暑さ寒さに痛んで困るのよ」  婆「へいー左様かねえ、孩児の時そんな疵うでかしちゃアおっ死んでしまうだねえ、どうして癒ったかねえ」  長「どうして癒ったどころか、自分に見えねえから此様な疵のあるのも知らなかったのさ、九歳の夏のことだっけ、河へ泳ぎに行くと、友達が手前の背中にア穴が開いてると云って馬鹿にしやがったので、初めて疵のあるのを知ったのよ、それから宅へ帰ってお母に、何うして此様な穴があるのだ、友達が馬鹿にしていけねえから何うかしてくれろと無理をいうと、お母が涙ぐんでノ、その疵の事を云われると胸が痛くなるから云ってくれるな、他に其の疵を見せめえと思って裸体で外へ出したことのねえに、何故泳ぎに行ったのだと云って泣くから、己もそれっきりにしておいたから、到頭分らずじまいになってしまったのよ」  という話を聞きながら、婆さんは長二の顔をしげ〳〵と見詰めておりました。         八  婆「はてね……お前さんの母様というは江戸者かねえ」  長「何故だえ」  婆「些と思い出した事があるからねえ」  長「フム、己の親は江戸者じゃアねえが、何処の田舎だか己ア知らねえ、何でも己が五歳の時田舎から出て、神田の三河町へ荒物店を出すと間もなく、寛政九年の二月だと聞いているが、其の時の火事に全焼になって、其の暮に父さんが死んだから、お母が貧乏の中で丹誠して、己が十歳になるまで育ってくれたから、職を覚えてお母に安心させようと思って、清兵衞親方という指物師の弟子になったのだ」  婆「左様かねえ、それじゃア若しかお前さんの母様はおさなさんと云わねいかねえ」  長「あゝ左様だ、おさなと云ったよ」  婆「父様はえ」  長「父さんは長左衛門さ」  婆「アレエ魂消たねえ、お前さん……長左衛門殿の拾児の二助どんけえ」  長「何だと己が拾児だと、何ういうわけでお前そんな事を」  婆「知らなくってねえ、此の土地の棄児だものを」  長「そんなら己は此の湯河原へ棄てられた者だというのかえ」  婆「そうさ、此の先の山を些と登ると、小滝の落ちてる処があるだ、其処の蘆ッ株の中へ棄てられていたのだ、背中の疵が証拠だアシ」  兼「これは妙だ、何処に知ってる者があるか分らねえものだなア」  長「こりゃア思いがけねえ事だ……そんなら婆さんお前己の親父やお母を知ってるかね」  婆「知ってるどころじゃアねい」  長「そうして己の棄てられたわけも」  婆「ハア根こそげ知ってるだア」  長「左様かえ……そんなら少し待ってくんな」  と長二は此の先婆さんが如何様のことを云出すやも分らず、次第によっては実の両親の身の上、又は自分の恥になることを襖越しの相客などに聞かれては不都合と思いましたから、廊下へ出て様子を窺いますと、隣座敷の客達は皆な遊びに出て留守ですから、安心をして自分の座敷に立戻り、何程かの金子を紙に包んで、  長「婆さん、こりゃア少ねえがお前に上げるから煙草でも買いなさい」  婆「これはマアでかくお貰い申してお気の毒なこんだ」  長「其の代り今の話を委しく聞かしてください、他に聞えると困るから、小さな声でお願いだよ」  婆「何を困るか知んねいが、湯河原じゃア知らねい者は無いだけんどね、私イ一番よく知ってるというのア、その孩児……今じゃア此様なに大くなってるが、生れたばかりのお前さんを苛くしたのを、私イ眼の前に見たのだから」  長「そんならお前、己の実の親達も知ってるのか、何処の何という人だえ」  婆「何処の人か知んねえが、私が此家へ奉公に来た翌年の事だから、私がハア三十一の時だ、左様すると……二十七八年前のこんだ、何でも二月の初だった、孩児を連れた夫婦の客人が来て、離家に泊って、三日ばかりいたのサ、私イ孩児の世話アして草臥れたから、次の間に打倒れて寝てしまって、夜半に眼イ覚すと、夫婦喧嘩がはだかって居るのサ、女の方で云うには、好い塩梅に云いくるめて、旦那に押かぶして置いたが、此の児はお前さんの胤に違い無いというと、男の方では月イ勘定すると一月違うから己の児じゃア無い、顔まで好く彼奴に似ていると云うと、女は腹ア立って、一月ぐれえは勘定を間違える事もあるもんだ、お前のように実の無いことを云われちゃア苦労をした効がねい、私イもう彼の家に居ねい了簡だから、此の児はお前の勝手にしたが宜えと孩児を男の方へ打投げたと見えて、孩児が啼くだアね、其の声で何を云ってるか聞えなかったが、何でも男の方も腹ア立って、また孩児を女の方へ投返すと、女がまた打投げたと見えてドッシン〳〵と音がアして、果にア孩児の声も出なくなって、死ぬだんべいと思ったが、外の事てねえから魂消ているうち、ぐず〳〵口小言を云いながら夫婦とも眠てしまった様子だったが、翌日の騒ぎが大変さ」  長「フム、どういう騒ぎだッたね」  婆「これからお前さんの背中の穴の話になるんだが、此の前江戸から来た何とか云った落語家のように、こけえらで一節休むんだ、喉が乾いてなんねいから」  兼「婆さん、なか〳〵旨えもんだ、サアこゝへ茶を注いで置いたぜ」  婆「ハアこれは御馳走さま……一息ついて直に後を話しますべい」         九  兼「婆さん、それから何うしたんだ、早く話してくんなせえ」  婆「ハア、それからだ、其の翌日の七時であったがね、吉浜にいる知合を尋ねて復帰って来るから、荷物は預けて置くが、初めて来たのだからと云って、勘定をして二人が出て行ったサ、其の日長左衛門殿が山へ箱根竹イ芟りに行って、日暮に下りて来ると、山の下で孩児の啼声がするから、魂消て行って見ると、沢の岸の、茅だの竹の生えている中に孩児が火の付いたように啼いてるから、何うしたんかと抱上げて見ると、どうだんべい、可愛そうに竹の切株が孩児の肩のところへ突刺っていたんだ、これじゃア大人でも泣かずにゃア居られねい、打捨て置こうもんならおッ死んでしまうから、長左衛門殿が抱いて帰って訳え話したから、おさなさんも魂消て、吉浜の医者どんを呼びにやるやらハア村中の騒ぎになったから、私が行って見ると、藤屋の客人の子だから、直に帰って何処の人だか手掛イ見付けようと思って客人が預けて行った荷物を開けて見ると、梅醤の曲物と、油紙に包んだ孩児の襁褓ばかりサ、そんで二人とも棄児をしに来たんだと分ったので、直に吉浜から江の浦小田原と手分えして尋ねたが知んねいでしまった、何でも山越しに箱根の方へ遁げたこんだろうと後で評議イしたことサ、孩児は背中の疵が大えに血がえらく出たゞから、所詮助かるめいと医者どんが見放したのを、長左衛門殿夫婦が夜も寝ねいで丹誠して、湯へ入れては疵口を湯でなでゝ看護をしたところが、効験は恐ろしいもんで、六週も経っただねえ、大え穴にはなったが疵口が癒ってしまって、達者になったのだ、寿命のある人は別なもんか、助かるめいと思ったお前さんが此様なに大くなったのにゃア魂消やした」  兼「ムヽそれじゃア兄いは此の湯河原の温泉のお蔭で助かったのだな」  長「左様だ、温泉の効能も効能だがお母や親父の手当が届いたからの事だ、他人の親でせえ其様なに丹誠してくれるのに、現在血を分けた親でいながら、背中へ竹の突通るほど赤坊を藪の中え投り込んで棄るとア鬼のような心だ」  と長二は両眼に涙を浮めまして、  長「婆さん、そうしてお前その児を棄てた夫婦の形や顔を覚えてるだろう、何様な夫婦だったえ」  婆「ハア覚えていやすとも、苛い人だと思ったから忘れねいのさ、男の方は廿五六でもあったかね。商人でも職人でも無い好い男で、女の方は十九か廿歳ぐらいで色の白い、髪の毛の真黒な、眼が細くって口元の可愛らしい美い女で、縞縮緬の小袖に私イ見たことの無い黒え革の羽織を着ていたから、何という物だと聞いたら、八幡黒の半纒革だと云ったっけ」  兼「フム、少し婀娜な筋だな、何者だろう」  長「何者だって其様な奴に用はねえ、婆さん此の疵は癒っても乳の無いので困ったろうねえ」  婆「そうだ、長左衞門殿とおさなさんが可愛がって貰い乳イして漸々に育って、其の時名主様をしていた伊藤様へ願って、自分の子にしたがね、名前が知んねいと云ったら、名主様が、お前達二人の丹誠で命を助けたのだから二助としろと云わしゃった、何がさて名主様が命名親だんべい、サア村の者が可愛がるめいことか、外へでも抱いて出ると、手から手渡しで、村境まで行ってしまう始末さ、私らも宜く抱いて守をしたんだが、今じゃア大くなってハア抱く事ア出来ねい」  兼「冗談じゃアねえ、今抱かれてたまるものかナ……そうだが兄い……不思議な婆さんに逢ったので、思いがけねえ事を聞いたなア」  長「ウム、初めて自分の身の上を知った、道理で此の疵のことをいうとお母が涙ぐんだのだ……兼……己の外聞になるから此の事ア決して他に云ってくれるなよ」         十  長「婆さん、お願いだからお前も己のことを此家の人達へ内しょにしていてくんなせえ……これは己の少さい時守をしてくんなすったお礼だ」  とまた幾許か金を包んで遣りますと、婆さんは大喜びで、  婆「此様に貰っちゃア気の毒だが、お前さんも出世イして、斯んな身分になって私も嬉しいからお辞儀イせずに戴きやす……私イ益もねいこんだ、お前さんのことを何で他に話すもんかね、気遣えしねいが宜い」  長「何分頼むよ、お前のお蔭で委しい事が知れて有難え……ムヽそうだ、婆さん、お前その、長左衛門の先祖の墓のある寺を知ってるか」  婆「知ってますよ、泉村の福泉寺様だア」  長「泉村とア何方だ、遠いか」  婆「なアにハア十二丁べい下だ、明日私が案内しますべいか」  長「それには及ばねえよ」  婆「左様かね、そんなら私イ下へめえりやすよ、用があったら何時でも呼ばらッしゃい」  と婆さんが下へ降りて行った後で、長二は己を棄てた夫婦というは何者であるか、又夫婦喧嘩の様子では、外に旦那という者があるとすれば、此の男と馴合で旦那を取って居たものか、但しは旦那というが本当の亭主で、此の男が奸夫かも知れず、何にいたせ尋常の者でない上に、無慈悲千万な奴だと思いますれば、真の親でも少しも有難くございません、それに引換え、養い親は命の親でもあるに、死ぬまで拾ッ子ということを知らさず、生の子よりも可愛がって養育された大恩の、万分一も返す事の出来なかったのは今さら残念な事だと、既往を懐いめぐらして欝ぎはじめましたから、兼松が側から種々と言い慰めて気を散じさせ、翌日共に泉村の寺を尋ねました。寺は曹洞宗で、清谷山福泉寺と申して境内は手広でございますが、土地の風習で何れの寺にも境内には墓所を置きませんで、近所の山へ葬りまして、回向の時は坊さんが其の山へ出張る事ですから、長二も福泉寺の和尚に面会して多分の布施を納め、先祖の過去帳を調べて両親の戒名を書入れて貰い、それより和尚の案内で湯河原村の向山にある先祖の墓に参詣いたしたので、婆さんは喋りませんが、寺の和尚から、藤屋の客は棄児の二助だということが近所へ知れかゝって来ましたから、疵の痛みが癒ったを幸い、十一月の初旬に江戸へ立帰りました。さて長二はお母が貧乏の中で洒ぎ洗濯や針仕事をして養育するのを見かね、少しにても早くお母の手助けになろうと、十歳の時自分からお母に頼んで清兵衛親方の弟子になったのですから、親方から貰う小遣銭はいうまでもなく、駄菓子でも焼薯でもしまって置いて、仕事場の隙を見て必ずお母のところへ持ってまいりましたから、清兵衞親方も感心して、他の職人より目をかけて可愛がりました。斯様に孝心の深い長二でございますから、親の恩の有難いことは知って居りますが、今度湯治場で始めて長左衛門夫婦は養い親であるということを知ったばかりでなく、実の親達の無慈悲を聞きましたから、殊更に養い親の恩が有難くなりましたが、両親とも歿い後は致し方がございませんから、切めては懇に供養でもして恩を返そうと思いまして、両親の墓のある谷中三崎の天竜院へまいり、和尚に特別の回向を頼み、供養のために丹誠をこらして経机磐台など造って、本堂に納め、両親の命日には、雨風を厭わず必ず墓まいりをいたしました。         十一  斯様な次第でございますから、何となく気分が勝れませんので、諸方から種々注文がありましても身にしみて仕事を致さず、其の年も暮れて文政四巳年と相成り、正月二月と過ぎて三月の十七日は母親の十三年忌に当りますから、天竜院に於て立派に法事を営み、親方の養子夫婦は勿論兄弟弟子一同を天竜院へ招待して斎を饗い、万事滞りなく相済みまして、呼ばれて来た人々は残らず帰りましたから、長二は跡に残って和尚に厚く礼を述べて帰ろうといたすを、和尚が引留めて、自分の室に通して茶などを侑めながら、長二が仏事に心を用いるは至極奇特な事ではあるが、昨年の暮頃から俄かに仏三昧を初め、殊に今日の法事は職人の身分には過ぎて居るほど立派に営みしなど、近頃合点のいかぬ事種々あるが是には何か仔細のある事ならん、次第によっては別に供養の仕方もあれば、苦しからずば仔細を話されよと懇に申されますゆえ、長二も予て機もあらば和尚にだけは身の上の一伍一什を打明けようと思って居りました所でございますから、幸いのことと、自分は斯々の棄児にて、長左衛門夫婦に救われて養育を受けし本末を委しく話して居りますところへ、小坊主が案内して通しました男は、年の頃五十一二で、色の白い鼻準の高い、眼の力んだ丸顔で、中肉中背、衣服は糸織藍万の袷に、琉球紬の下着を袷重ねにして、茶献上の帯で、小紋の絽の一重羽織を着て、珊瑚の六分珠の緒締に、金無垢の前金物を打った金革の煙草入は長門の筒差という、賤しからぬ拵えですから、長二は遠慮して片隅の方に扣えて居ると、其の男は和尚に雑と挨拶して布施を納め、一二服煙草を呑んで本堂へお詣りに行きました。其の容体が頗る大柄ですから、長二は此様な人に話でもしかけられては面倒だ、此の間に帰ろうと思いまして暇乞を致しますと、和尚は又其の人に長二を紹介して出入場にしてやろうとの親切心がありますから、  和「まア少しお待ちなさい、今のお方は浅草鳥越の龜甲屋幸兵衛様というて私の一檀家じゃ、なか〳〵の御身代で、苦労人の上に万事贅沢にして居られるから、お近附になって置くが好い」  長「へい有難うございますが、少し急ぎの仕事が」  和「今日は最う仕事は出来はすまい、ムヽ仕事と云えば私も一つ煙草盆を拵えてもらいたいが、何ういうのが宜いかな……これは前住が持って居ったのじゃが、暴うしたと見えて此様に毀れて役にたゝんが、落板はまだ使える、此の落板に合わして好い塩梅に拵えてもらいたいもんじゃ」  と種々話をしかけますから長二は帰ることが出来ません、其の内に幸兵衛は参詣をしまい戻って来て、  幸「毎月墓参をいたしたいと思いますが、屋敷家業というものは体が自由になりませんので、つい不信心になります」  和「お忙しいお勤めではなか〳〵寺詣りをなさるお暇はないて、暇のある人でも仏様からは催促が来んによって無沙汰勝になるもので」  幸「まア左様いう塩梅で……二月ばかり参詣をいたさんうちに御本堂が大層お立派になりました、彼の左の方にある経机は何方からの御寄附でございますか、彼様な上作は是まで見ません、余ぽど良い職人が拵えた物と見えます」  和「あの机かな、あれは此処にござる此の方の御寄附じゃて」  幸「へい左様ですか……これは貴方御免なさい……へい初めてお目にかゝります、私は幸兵衛と申す者で……只今承まわれば彼の経机を御寄附になったと申すことですが、あれは何処の何と申す者へお誂えになったものでございます」  長「へい、あれは、ヘイ私が拵えたので、仕事の隙に剰木で拵えたのですから思うように出来ていません」  幸「へえーそれでは貴方は指物をなさるので」  和「はて、これが指物師で名高い不器用イヽヤナニ長二さんという人さ」  幸「フム、それでは予て風聞に聞いた名人の木具屋さん……へえー貴方が其の親方でございますか、慥か本所の〆切とかにお住いですな」  長「左様です」  幸「それでは柳島の私の別荘からは近い…就てはお目にかゝったのを幸い、差向き客火鉢を二十に煙草盆を五六対拵えてもらいたいのですが、尤も桐でも桑でもかまいません、何時頃までに出来ますね」  長「早くは出来ません、良く拵えるのには木の十年も乾した筋の良いのを捜さなけれアいけませんから」  幸「どうか願います、お近いから近日柳島の宅へ一度来てください、漸々此間普請が出来上ったばかりだから、種々誂えたいものがあります」  長「へい、私はどうも独身で忙しないから、屹度上るというお約束は出来ません」  幸「そういう事なら近日私がお宅へ出ましょう」  長「どうか左様願います」  と長二は斯様な人と応対をするのが嫌いでございますから、話の途切れたのを機に暇乞をして帰りました。         十二  後で幸兵衛は和尚に、  幸「伎倆の良い職人というものは、お世辞も軽薄もないものだと聞いていましたが、成程彼の長二も其の質で、なか〳〵面白い人物のようです」  和「職人じゃによって礼儀には疎いが、心がけの善い人で、第一陰徳を施す事が好きで、此の頃は又仏のことに骨を折っているじゃて、余程妙な奇特な人じゃによって、どうか贔屓にしてやってください」  幸「左様ですか、職人には珍らしい変り者でございますが、それには何か訳のある事でしょう」  和「はい、お察しの通り訳のあることで、全体あの男は棄児でな、今に其の時の疵が背中に穴になって残って居るげな」  幸「へえー、それは何うした疵で、どういう訳でございますか」  と幸兵衞が推して尋ねますから、和尚は長二の身の上を委しく話したならば、不憫が増して一層贔屓にしてくれるであろうとの親切から、先刻長二に聞きました一伍一什のことを話しますと、幸兵衛は大きに驚いた様子で、左様に不仕合な男なれば一層目をかけてやろうと申して立帰りました後は、度々長二の宅を尋ねて種々の品を注文いたし、多分の手間料を払いますので、長二は他の仕事を断って、兼松を相手に龜甲屋の仕事ばかりをしても手廻らぬほど忙しい事でございました。其の年の四月から五月まで深川に成田の不動尊のお開帳があって、大層賑いました。其のお開帳へ参詣した帰りがけで、四月の廿八日の夕方龜甲屋幸兵衞は女房のお柳を連れ、供の男に折詰の料理を提げさせて、長二の宅へ立寄りました。  幸「親方宅かえ」  兼「こりゃアいらっしゃい……兄い……鳥越の旦那が」  長「そうか、イヤこれは、まアお上んなさい、相変らず散かっています」  幸「今日はお開帳へまいって、人込で逆上せたから平清で支度をして、帰りがけだが、今夜は柳島へ泊るつもりで、近所を通る序に、妻が親方に近付になりたいと云うから、お邪魔に寄ったのだ」  長「そりゃア好く……まア此方へお上んなさい」  と六畳ばかりの奥の室の長火鉢の側へ寝蓆を敷いて夫婦を坐らせ、番茶を注いで出す長二の顔をお柳が見ておりましたが、何ういたしたのか俄に顔が蒼くなって、眼が逆づり、肩で息をする変な様子でありますから、長二も挨拶をせずに見ておりますと、まるで気違のように台所の方から座敷の隅々をきょろ〳〵見廻して、幸兵衛が何を云っても、只はいとかいゝえとか小声に答えるばかりで、其の内に又何か思い出しでもしたのか、襟の中へ顔を入れて深く物を案じるような塩梅で、紙入を出して薬を服みますから、兼松が茶碗に水を注いで出すと、一口飲んで、  柳「はい、もう宜しゅうございます」  長「何っか御気分でも悪いのですか」  幸「なに、人込へ出ると毎でも血の道が発って困るのさ」  兼「矢張逆上せるので、もっと水を上げましょうか」  幸「もう治りました、早く帰って休んだ方が宜しい……これは親方生憎な事で、とんだ御厄介になりました、又其の内に出ましょう」  とそこ〳〵に帰ってまいります。         十三  お柳の装は南部の藍の子持縞の袷に黒の唐繻子の帯に、極微塵の小紋縮緬の三紋の羽織を着て、水の滴るような鼈甲の櫛笄をさして居ります。年は四十の上を余程越して、末枯れては見えますが、色ある花は匂失せずで、何処やらに水気があって、若い時は何様な美人であったかと思う程でございますが、来ると突然病気で一言も物を云わずに帰って行く後影を兼松が見送りまして、  兼「兄い……ちっと婆さんだが好い女だなア」  長「そうだ、装も立派だのう」  兼「だが、旨味の無え顔だ、笑いもしねいでの」  長「塩梅がわるかったのだから仕方がねえ」  兼「左様だろうけれども、一体が桐の糸柾という顔立だ、綺麗ばかりで面白味が無え、旦那の方は立派で気が利いてるから、桑の白質まじりというのだ」  長「巧く見立てたなア」  兼「兄いも己が見立てた」  長「何と」  兼「兄いは杉の粗理だなア」  長「何故」  兼「何故って厭味なしでさっぱりしていて、長く付合うほど好くなるからさ」  長「そんなら兼、手前は檜の生節かな」  兼「有難え、幅があって匂いが好いというのか」  長「いゝや、時々ポンと抜けることがあるというのよ」  兼「人を馬鹿にするなア、毎でもしめえにア其様な事だ、おやア折を置いて行ったぜ、平清のお土産とは気が利いてる、一杯飲めるぜ」  長「馬鹿アいうなよ、忘れて行ったのなら届けなけりゃアわりいよ」  兼「なに忘れてッたのじゃア無え、コウ見ねえ、魚肉の入ってる折にわざ〳〵熨斗が挿んであるから、進上というのに違いねえ、独身もので不自由というところを察して持って来たんだ、行届いた旦那だ………何が入ってるか」  長「コウよしねえ、取りに来ると困るからよ」  兼「心配しなさんな、そんな吝な旦那じゃア無え、もしか取りに来たら己が喰っちまったというから兄いも喰いねえ、一合買って来るから」  と、兼松は是より酒を買って来て、折詰の料理を下物に満腹して寝てしまいました。其の翌朝長二は何か相談事があって大徳院前の清兵衛親方のところへ参りました後で兼松が台所を片付けながら、空の折を見て、長二の云う通り忘れて行ったので、柳島から取りに来はしまいかと少し気になるところへ、毎度使いに来る龜甲屋の手代が表口から、  手代「はい御免なさい、柳島からまいりました」  と聞いて兼松はぎょっとしました。         十四  兼松は遁げる訳にも参りませんから、まご〳〵しながら、  兼「えい何か御用で」  手「はい、御新造様が此のお手紙をお見せ申して、昨日忘れた物を取って来てくれろと仰しゃいました」  兼「へえー忘れた物を、へえー」  手「それに此の品を上げて来いと仰しゃいました」  と手紙と包物を出しましたが、兼松は蒼くなって、遠くの方から、  兼「何だか分りやせんが、生憎兄えゝ長二が留守ですから、手紙も皆な置いてっておくんなせえ」  手「いゝえ、是非手紙をお目にかけろと申付けられましたから、お前さん開けて見ておくんなさい」  兼「だって私にはむずかしい手紙は読めねえからね」  手「御新造様のは毎でも仮名ばかりですが」  兼「そうかね」  と怖々手紙を開いて、  兼「えゝと何だナ……鳥渡申上々……はてな鳥なべになりそうな種はなかったが、えゝと……昨日はよき折……さア困った、もしお使い、実はね鉋屑の中にあったからお土産だと思ってね、お手紙の通り好い折でしたが、つい喰ったので」  手「へえー左様でございますか、私は火鉢の側のように承わりましたが」  兼「何処でも同じ事だが、それから何だ、えゝ……よき折から……空になった事を知ってるのか知らん、御めもし致…何という字だろう…御うれしく……はてな、御めしがうれしいとは何ういう訳だろう、それから…そんじ上…〓(「まいらせそろ」の草書体文字)…サア此の瘻のような字は何とか云ったッけねえお前さん、此の字は何と云いましたッけ」  手「へい、どれでございます、へい、それはまいらせそろという字で」  兼「そう〳〵、まいらせそろだ、それにしても何が損じたのか訳が分らねえが、えゝと……その折は、また折の事だ喰わなければよかった……持びょうおこり……おごりには違えねいが、持びょうとは何の事だか…あつく御せわに…相成り…御きもじさまにそんじ〓(「まいらせそろ」の草書体文字)……又損じて瘻のような字がいるぜ、相摸の相という字に楠正成の成という字だが、相成じゃア分らねえし、又きもじさまとア誰の名だか、それから、えゝと……あしからかす〳〵御かんにん被下度候……何だか読めねえ」  手「お早く願います」  兼「左様急いちゃア尚分らなくならア、此のからす〳〵かんざえもんとア此間御新造が来た夕方の事でしょう」  手「そんな事が書いてございますか」  兼「あるから御覧なせえ、それ」  手「こりゃアあしからず〳〵御かんにんくだされたくそろでございます」  兼「フム、お前さんの方がなか〳〵旨い物だ、其の先にむずかしい字が沢山書いてあるが、お前さん読んでごらんなせい」  手「こゝでございますか」  兼「何でも其の見当だッた」  手「こゝは……其の節置わすれ候懐中物此のものへ御渡し被下度候、此の品粗まつなれどさし上候先は用事のみあら〳〵〓(「かしく」の草書体文字)」  兼「旨い其の通りだ、その結尾にある釣鉤のような字は何とか云ったね」  手「かしくと読むのでございます」  兼「ウムそうだ、分った事ア分ったが、兄いがいねえから、帰って其の訳を御新造に云っておくんなせい」  と申しますので、手代も困って帰りました。其の後へ長二が戻って来ましたから、兼松が心配しながら手紙を見せると、  長「昨日御新造が薬を出したまんま紙入を忘れて行ったのを、今朝見っけたから取りに来ないうちにと思って、親方の所へ行った帰りがけに柳島へ廻って届けに行ったら、先刻取りにやったと云ったが、また此様な土産物をよこしたのか、気の毒な、何だ橋本の料理か、兼又一杯飲めるぜ」  兼「ありがてえ、毎日斯ういう塩梅に貰え物があると世話が無えが、昨日のは喰いながらも心配だッた」  長「何も其様な思いをして喰うにア及ばない、全体手前は意地がきたねえ、衣食住と云ってな着物と食物と家の三つア身分相応というものがあると、天竜院の方丈様が云った、職人ふぜいで毎日店屋の料理なんぞを喰っちア罰があたるア、貰った物にしろ毎日こんな物を喰っちア口が驕って来て、まずい物が喰えなくなるから、実ア有がた迷惑だ、職人でも芸人でも金持に贔屓にされるア宜いが、見よう見真似で万事贅沢になって、気位まで金持を気取って、他の者を見くびるようになるから、己ア金持と交際うことア大嫌えだ、龜甲屋の旦那が来い〳〵というが、今まで一度も行かなかったが、忘れて行ったものを黙って置いちゃア気が済まねえから、持って云って投り込んで来たが、柳島の宅ア素的に立派なもんだ、屋敷稼業というものア、泥坊のような商売と見える、そんな人のくれたものア喰っても旨くねえ、手前喰うなら皆な喰いねえ、己ア天麩羅でも買って喰うから」  と雇いの婆さんに天麩羅を買わせて茶漬を喰いますから、兼松も快よく其の料理を喰うことは出来ません。婆さんと二人で少しばかり喰って、残りを近所に住んでいる貧乏な病人に施すという塩梅で、万事並の職人とは心立が異って居ります。         十五  長二は母の年回の法事に、天竜院で龜甲屋幸兵衛に面会してから、格外の贔屓を受けていろ〳〵注文物があって、多分の手間料を貰いますから、活計向も豊になりましたので、予ての心願どおり、思うまゝに貧窮人に施す事が出来るようになりましたのは、全く両親が草葉の蔭から助けてくれるのであろうと、益々両親の菩提を弔うにつきましては、愈々実の両親の無慈悲を恨み、寐ても覚めても養い親の大恩と、実の親の不実を思わぬ時はございません。さて其の夏も過ぎ秋も末になりまして、龜甲屋から柳島の別荘の新座敷の地袋に合わして、唐木の書棚を拵えてくれとの注文がありました。前にも申しました通り、長二はお柳が置忘れた紙入を届けに行ったきり、是まで一度も龜甲屋へ参った事はございませんが、今度の注文物は其の地袋の摸様を見なければ寸法其の外の工合が分りませんので、余儀なく九月廿八日に自身で柳島へ出かけますと、折よく幸兵衞が来ておりまして、お柳と共に大喜びで、長二を座敷へ通しました。長二は地袋の摸様を見て直に帰るつもりでしたが、夫婦が種々の話を仕かけますので、迷惑ながら尻を落付けて挨拶をして居るうちに、橋本の料理が出ました。  幸「親方……何にもないが、初めてだから一杯やっておくれ」  長「こりゃアお気の毒さまな、私ア酒は嫌いですから」  柳「そうでもあろうが、私がお酌をするから」  長「へい〳〵これは誠にどうも」  幸「酒は嫌いだというから無理に侑めなさんな、親方肴でもたべておくれ」  長「へい、こんな結構な物ア喰った事アございませんから」  幸「だッて親方のような伎倆で、親方のように稼いでは随分儲かるだろうから、旨い物には飽きて居なさろう」  長「どう致しまして、儲かるわけにはいきません、皆な手間のかゝる仕事ですから、高い手間を戴きましても、一日に割ってみると何程にもなりやしませんから、なか〳〵旨い物なんぞ喰う事ア出来ません」  幸「左様じゃアあるまい、人の噂に親方は貧乏人に施しをするのが好きだという事だから、それで銭が持てないのだろう、何ういう心願かア知らないが、若いにしちア感心だ」  長「人は何てえか知りませんが、施しといやア大業です、私ア少さい時分貧乏でしたから、貧乏人を見ると昔を思い出して、気の毒になるので、持合せの銭をやった事がございますから、そんな事を云うんでしょう」  柳「長さん、お前少さい時貧乏だッたとお云いだが、お父さんやお母さんは何商売だったね」  長「元は田舎の百姓で私の少さい時江戸へ出て来て、荒物屋を始めると火事で焼けて、間もなく親父が死んだものですから、母親が貧乏の中で私を育ったので、三度の飯さえ碌に喰わない程でしたから、子供心に早く母親の手助けを仕ようと思って、十歳の時清兵衛親方の弟子になったのですが、母親も私が十七の時死んでしまったのです」  と涙ぐんで話しますから、幸兵衛夫婦も其の孝心の厚いのに感じた様子で、  柳「お前さんのような心がけの良い方が、何うしてまア其様に不仕合だろう、お母さんをもう少し生かして置きたかったねえ」  長「へい、もう五年生きていてくれると、育ってくれた恩返しも出来たんですが、まゝにならないもんです」  と鼻をすゝって握拳で涙を拭きます心を察してか、お柳も涙ぐみまして、  柳「お察し申します、お前さんのように親思いではお父さんやお母さんに早く別れて、孝行の出来なかったのはさぞ残念でございましょう」  長「へい左様です、世間で生の親より養い親の恩は重いと云いますから、猶残念です」  柳「へえー、そんならお前さんの親御は本当の親御さんではないの」  と問われたので、長二はとんだ事を云ったと気がつきましたが、今さら取返しがつきませんから。  長「へい左様……私の親は……へい本当の親ではごぜいません、私を助けて、いゝえ私を養ってくれた親でございます」  幸「はて、それでは親方は養子に貰われて来たので、本当の親御達はまだ達者かね」  長「其様な訳じゃアございませんから」  幸「そんなら里っ子ながれとでもいうのかね」  長「いゝえ、左様でもございません」  幸「どうしたのか訳が分らない」  長「へい、此の事は是まで他に云った事アございませんから、どうもヘイ私の恥ですから誠に」  柳「親方何だね、お前さんの心掛が宜いというので、旦那が此様に可愛がって、お前さんの為になるように心配してくださるのだから、話したって宜いじゃアないかね」  幸「どんな事か知らないが、次第によっちゃア及ばずながら力にもなろうから、話して聞かしなさい、決して他言はしないから」  長「へい、そう御親切に仰しゃってくださるならお話をいたしましょうが、何卒内々に願います………実ア私ア棄児です」  柳「お前さんがエ」  長「へい、私の実の親ほど」  と云いかけて実親の無慈悲を思うも臓腑が沸かえるほど忌々しく恨めしいので、唇が痙攣り、烟管を持った手がぶる〴〵顫えますから、お柳は心配気に長二の顔を見詰めました。  柳「本当の親御達が何うしたのだえ」  長「へい私の実の親達ほど酷い奴は凡そ世界にございますめえ」  とさも口惜そうに申しますと、お柳は胸の辺でひどく動悸でもいたすような慄え声で、  柳「何故だえ」  長「何故どころの事ちゃアございません、私の生れた年ですから二十九年前の事です、私を温泉のある相州の湯河原の山ん中へ打棄ったんです、只打棄るのア世間に幾許もございやすが、猫の死んだんでも打棄るように藪ん中へおッ投込んだんと見えて、竹の切株が私の背中へずぶり突通ったんです、それを長左衛門という村の者が拾い上げて、温泉で療治をしてくれたんで、漸々助かったのですが、其の時の傷ア……失礼だが御覧なせい、こん通りポカンと穴になってます」  と片肌を脱いで見せると、幸兵衞夫婦は左右から長二の背中を覘いて、互に顔を見合せると、お柳は忽ち真蒼になって、苦しそうに両手を帯の間へ挿入れ、鳩尾を強く圧す様子でありましたが、圧えきれぬか、アーといいながら其の場へ倒れたまゝ、悶え苦みますので、長二はお柳が先刻からの様子と云い、今の有様を見て、さては此の女が己を生んだ実の母に相違あるまいと思いました。         十六  其の時の男というは此の幸兵衛か、但しは幸兵衛は正しい旦那で、奸夫は他の者であったか、其の辺の疑いもありますから、篤と探索した上で仕様があると思いかえして、何気なく肌を入れまして、  長「こりゃとんだ詰らないお話をいたしまして、まことに失礼を……急ぎの仕事もございますからお暇にいたします」  幸「まア宜いじゃアないか、種々聞きたい事もあるから、今夜泊ってはどうだえ」  長「へい、有難うございますが、兼松が一人で待ってますから」  柳「親方御免よ、生憎また持病が発って」  長「お大事になさいまし……左様なら」  と急いで宅へ帰りましたが、考えれば考えるほど、幸兵衛夫婦が実の親のようでありますから、それから段々二人の素性を探索いたしますと、お柳は根岸辺に住居していた物持某の妻で、某が病死したについて有金を高利に貸付け、嬬暮しで幸兵衛を手代に使っているうち、何時か夫婦となり、四五年前に浅草鳥越へ引移って来たとも云い、又先の亭主の存生中から幸兵衞と密通していたので、亭主が死んだのを幸い夫婦になったのだとも云って、判然はしませんが、谷中の天竜院の和尚の話に、何故か幸兵衞が度々来て、長二の身の上は勿論両親の素性などを根強く尋ねるというので、彼是を思い合すと、幸兵衛夫婦は全く親には違いないが、無慈悲の廉があるので、面目なくって今さら名告ることも出来ないから、贔屓というを名にして仕事を云付け、屡々往来して親しく出入をさせようとしたが、此方で親しまないので余計な手間料を払ったり、不要な道具を注文したりして恩を被せ、余所ながら昔の罪を償おうとの了簡であるに相違ないが、前非を後悔したなら有体に打明けて、親子の名告をすればまだしも殊勝だのに、そうはしないで、現在実子と知りながら旧悪を隠して、人を懐けようとする心底は面白くないから、今度来たなら此方から名告りかけて白状させてやろうと待もうけて居るとは知らず、幸兵衛は女房お柳と何れかへ遊山にまいった帰りがけと見えて、供も連れず、十一月九日の夕方長二の宅へ立寄りました。丁度兼松は深川六間堀に居る伯母の病気見舞に行き、雇婆さんは自分の用達に出て居りませんから、長二は幸兵衛夫婦を表に立たせて置いて、其の辺に取散してあるものを片付け、急いで行灯を点して夫婦を通しました。  幸「夕方だが、丁度前を通るから尋ねたのだ、もう構いなさんな」  長「へい、誠にお久しぶりで、なに今皆な他へまいって一人ですから、誠にどうも」  と番茶を注いで出しながら、  長「いつぞやは種々御馳走を戴きまして、それから此来体が悪いので、碌に仕事をいたしませんから、棚も木取ったばかりで未だ掛りません」  幸「今日は其の催促じゃアないよ、彼の時ぎりでお目にかゝらないから、妻が心配して」  とお柳の顔を見ると、お柳は長二の顔を見まして、  柳「いつぞやは生憎持病が発って失礼をしましたから、今日はそのお詫かた〴〵」  長「それは誠にどうも」  と挨拶をしながら立って、戸棚の中を引掻きまわして、漸々菓子皿を探して、有合せの最中を五つばかり盛って出し、  長「生憎兼松も婆さんも留守で、誠にどうも」  柳「お一人ではさぞ御不自由でしょう」  長「へい、別に不自由とも思いませんが、此様な時何が何処に蔵って在るか分りませんので」  柳「左様でしょう、それに病み煩いの時などは内儀さんがないと困りますから、早くお貰いなすっては何うです、ねえ旦那」  幸「左様だ、失礼な云分だが、鰥夫に何とやらで万事所帯に損があるから、好いのを見付けて持ちなさい」  長「だって私のような貧乏人の処えは来人がございません、来てくれるような奴は碌なのではございませんから」  柳「なアに左様したもんじゃアない、縁というものは不思議なもんですよ、恥を云わないと分りませんが、私は若い時伯母に勧められて或所へ嫁に行って、さん〴〵苦労をしたが、縁のないのが私の幸福で、今は斯ういう安楽な身の上になって、何一つ不足はないが子供の無いのが玉に瑕とでも申しましょうか、順当なら長さん、お前さんぐらいの子があっても宜いんですが、子の出来ないのは何かの罰でしょうよ、いくらお金があっても子の無いほど心細いことはありませんから、長さん、お前さんも早く内儀さんを貰って早く子をお拵えなさい……お前さん貧乏だから嫁に来人がないとお云いだが、お金は何うにでもなりますから早くお貰いなさい、まだ宅の道具を種々拵えてもらわなければなりませんから、お金は私が御用達てます」  と云いながら膝の側に置いてある袱紗包の中から、其の頃新吹の二分金の二十五両包を二つ取出し、菓子盆に載せ、折熨斗を添えて、  柳「これは少いが、内儀さんを貰うにはもう些と広い好い家へ引越さなけりゃアいけないから、納ってお置きなさい、内儀さんが決ったなら、又要るだけ上げますから」  と長二の前へ差出しました。長二は疾くに幸兵衞夫婦を実の親と見抜いて居りますところへ、最前からの様子といい、段々の口上は尋常の贔屓でいうのではなく、殊に格外の大金に熨斗を付けてくれるというは、己を確かに実子と認めたからの事に相違ないに、飽までも打明けて名告らぬ了簡が恨めしいと、むか〳〵と腹が立ちましたから、金の包を向うへ反飛ばして容を改め、両手を膝へ突きお柳の顔をじっと見詰めました。         十七  長「何です此様な物を……あなたはお母さんでしょう」  と云われてお柳はあっと驚き、忽ちに色蒼ざめてぶる〳〵顫えながら、逡巡して幸兵衛の背後へ身を潜めようとする。幸兵衛も血相を変え、少し声を角立てまして、  幸「何だと長二……手前何をいうのだ、失礼も事によるア、気でも違ったか、馬鹿々々しい」  長「いゝえ決して気は違えません……成程隠しているのに私が斯う云っちア失礼かア知りませんが、棄子の廉があるから何時まで経っても云わないのでしょう、打明けたッて私が親の悪事を誰に云いましょう、隠さず名告っておくんなせえ」  と眼を見張って居ります。幸兵衞は返答に困りまして、うろ〳〵するうち、お柳は表の細工場の方へ遁げて行きますから、長二が立って行って、  長「お母さん、まアお待ちなせえ」  と引戻すを幸兵衛が支えて、  幸「長二……手前何をするのだ、失礼千万な、何を証拠に其様なことをいうのだ、ハヽア分った、手前は己が贔屓にするに附込んで、言いがゝりをいうのだな、お邸方の御用達をする龜甲屋幸兵衞だ、失礼なことをいうと召連訴えをするぞ」  柳「あれまア大きな声をおしでないよ、人が聞くと悪いから」  幸「誰が聞いたッて構うものか、太い奴だ」  長「何で私が言いがゝりなんぞを致しましょう、本当の親だと明しておくんなさりゃアそれで宜いんです、それを縁に金を貰おうの、お前さんの家に厄介になろうのとは申しません、私は是まで通り指物屋でお出入を致しますから、只親だと一言云っておくんなせえ」  と袂に縋るを振払い、  幸「何をするんだ、放さねえと家主へ届けるが宜いか」  と云われて長二が少し怯むを、得たりと、お柳を表へ連れ出そうとするを、長二が引留めようと前へ進む胸の辺を右の手で力にまかせ突倒して、  幸「さア疾く」  とお柳の手を引き、見返りもせず柳島の方へ急いでまいります。後影を起上りながら、長二が恨めしそうに見送って居りましたが、思わず跣足で表へ駈出し、十間ばかり追掛けて立止り、向うを見詰めて、何か考えながら後歩して元の上り口に戻り、ドッサリ腰をかけて溜息を吐き、  長「ハアー廿九年前に己を藪ん中え棄てた無慈悲な親だが、会って見ると懐かしいから、名告ってもれえてえと思ったに、まだ邪慳を通して、人の事を気違だの騙りだのと云って明かしてくれねえのは何処までも己を棄てる了簡か、それとも己の思違いで本当の親じゃア無いのか知らん、いゝや左様で無え、本当の親で無くって彼様なことをいう筈は無い、それに五十両という金を……おゝ左様だ、彼の金は何うしたか」  と内に這入って見ると、行灯の側に最前の金包がありますから、  長「やア置いて行った…此の金を貰っちゃア済まねえ、チョッ忌々しい奴だ」  と独言を云いながら金包を手拭に包んで腹掛のどんぶりに押込み、腕組をして、女と一緒だからまだ其様に遠くは行くまい、田圃径から請地の堤伝いに先へ出越せば逢えるだろう、柳島まで行くには及ばねえと点頭きながら、尻をはしょって麻裏草履を突かけ、幸兵衞夫婦の跡を追って押上の方へ駈出しました。此方は幸兵衞夫婦丁度霜月九日の晩で、宵から陰る雪催しに、正北風の強い請地の堤を、男は山岡頭巾をかぶり、女はお高祖頭巾に顔を包んで柳島へ帰る途中、左右を見返り、小声で、  幸「此方の事を知らせずとも、余所ながら彼を取立てゝやる思案もあるから、決して気ぶりにも出すまいぞと、あれ程云って置いたに、余計なことを云うばかりか、己にも云わずに彼様な金を遣ったから覚られたのだ、困るじゃアねえか」  柳「だッてお前さん、現在我子と知れたのに打棄って置くことは出来ませんから、名告らないまでも彼を棄てた罪滅しに、彼のくらいの事はしてやらなければ今日様へ済みません」  幸「エヽまだ其様なことを云ってるか、過去った昔の事は仕方がねえ」  柳「まだお前さんは彼を先の旦那の子だと思って邪慳になさるのでございますね」  幸「馬鹿を云え、そう思うくらいなら彼様に目をかけてやりはしない」  柳「だッて先刻なんぞア酷く突倒したじゃアありませんか」  幸「それでも今彼に本当のことを知られちゃア、それから種々な面倒が起るかも知れないから、何処までも他人で居て、子のようにしようと思うからの事だ……おゝ寒い、斯様な所で云合ったッて仕方がない、速く帰って緩くり相談をしよう、さア行こう」  と、お柳の手を取って歩き出そうと致しまする路傍の枯蘆をガサ〳〵ッと掻分けて、幸兵衞夫婦の前へ一人の男が突立ちました。是は申さないでも長二ということ、お察しでございましょう。         十八  請地の土手伝いに柳島へ帰ろうという途中、往来も途絶えて物淋しい所へ、大の男がいきなりヌッとあらわれましたので、幸兵衞はぎょっとして遁げようと思いましたが、女を連れて居りますから、度胸を据えてお柳を擁いながら、二足三足後退して、  幸「誰だ、何をするんだ」  長「誰でもございません長二です」  幸「ムヽ長二だ……長二、手前何しに来たんだ」  長「何しに来たとはお情ねえ……私は九月の廿八日、背中の傷を見せた時、棄てられたお母さんだと察したが、奉公人の前があるから黙って帰って、三月越しお前さん方の身上を聞糺して、確に相違無えと思うところへ、お二人で尋ねて来てくだすったのは、親子の名告をしてくんなさるのかと思ったら、そうで無えから我慢が出来ず、私の方から云出したのが気に触ったのか、但しは無慈悲を通す気か、気違だの騙りだのと人に悪名を付けて帰って行くような酷い親達から、金なんぞ貰う因縁が無えから、先刻の五十両を返そうと捷径をして此処に待受け、おもわず聞いた今の話、もう隠す事ア出来ねえだろう、お母さん、何うかお前さんに云い難い事があるかア知りませんが、決して他には云わねえから、お前を産んだお母だといってくだせい……お願いです……また旦那は私の本当のお父さんか、それとも義理のお父さんか聞かしてくだせい」  と段々幸兵衞の傍へ進んで、袂に縋る手先を幸兵衛は振払いまして、  幸「何をしやアがる気違奴……去年谷中の菩提所で初めて会った指物屋、仕事が上手で心がけが奇特だというので贔屓にして、仕事をさせ、過分な手間料を払ってやれば附けあがり、途方もねえ言いがゝりをして金にする了簡だな、其様な事に悸ともする幸兵衞じゃア無えぞ……えゝ何をするんだ、放せ、袂が切るア、放さねえと打擲るぞ」  と拳を振上げました。  長「打つなら打ちなせえ、お前さんは本当の親じゃアねえか知らねえが、お母さんは本当のお母さんだ……お母さん、何故私を湯河原へ棄てたんです」  とお柳の傍へ進もうとするを、幸兵衛が遮りながら、  幸「何をしやアがる」  と云いさま拳固で長二の横面を殴りつけました。そうでなくッても憎い奴だと思ってる所でございますから、長二は赫と怒りまして、打った幸兵衛の手を引とらえまして、  長「打ちゃアがったな」  幸「打たなくッて泥坊め」  長「何だと、何時己が盗人をした」  幸「盗人だ、此様な事を云いかけて己の金を奪ろうとするのだ」  長「金が欲いくれえなら、此の金を持って来やアしねえ、汝のような義理も人情も知らねえ畜生の持った、穢わしい金は要らねえ、返すから受取っておけ」  と腹掛のかくしから五十両の金包を取出し、幸兵衛に投付けると額に中りましたから堪りません、金の角で額が打切れ、血が流れる痛さに、幸兵衞は益々怒って、突然長二を衝倒して、土足で頭を蹴ましたから、砂埃が眼に入って長二は物を見る事が出来ませんが、余りの口惜さに手探りで幸兵衞の足を引捉えて起上り、  長「汝ウ蹴やアがッたな、此の義理知らずめ、最う合点がならねえ」  と盲擲りで拳固を振廻すを、幸兵衞は右に避け左に躱し、空を打たして其の手を捉え捻上るを、そうはさせぬと長二は左を働かせて幸兵衛の領頸を掴み、引倒そうとする糞力に幸兵衛は敵いませんから、挿して居ります紙入留の短刀を引抜いて切払おうとする白刄が長二の眼先へ閃いたから、長二もぎょッとしましたが、敵手が刄物を持って居るのを見ては油断が出来ませんから、幸兵衞にひしと組付いて、両手を働かせないように致しました。         十九  長「その刄物は何だ、廿九年前に殺そうと思って打棄った己が生きて居ちゃア都合が悪いから、また殺そうとするのか、本当の親の為になる事なら命は惜まねえが、実子と知りながら名告もしねえ手前のような無慈悲な親は親じゃアねえから、命はやられねえ……危ねえ」  と刄物を〓(「てへん+「宛」で「夕」の右側が「ヒ」」)取ろうとするを、渡すまいと揉合う危なさを見かねて、お柳は二人に怪我をさせまいと背後へ廻って、長二の領元を掴み引分けんとするを、長二はお柳も己を殺す気か、よくも揃った非道な奴らだと、かッと逆上せて気も顛倒、一生懸命になって幸兵衛が逆手に持った刄物の柄に手をかけて、引奪ろうとするを、幸兵衞が手前へ引く機に刀尖深く我と吾手で胸先を刺貫き、アッと叫んで仰向けに倒れる途端に、刄物は長二の手に残り、お柳に領を引かるゝまゝ将棋倒しにお柳と共に転んだのを、肩息ながら幸兵衛は長二がお柳を組伏せて殺すのであろうと思いましたから、這寄って長二の足を引張る、長二は起上りながら幸兵衞を蹴飛ばす、後からお柳が組付くを刄物で払う刀尖が小鬢を掠ったので、お柳は驚き悲しい声を振搾って、  柳「人殺しイ」  と遁出すのを、もう是までと覚悟を決めて引戻す長二の手元へ、お柳は咬付き、刄物を奪ろうと揉合う中へ、踉きながら幸兵衞が割って入るを、お柳が気遣い、身を楯にかばいながら白刄の光をあちらこちらと避けましたが、とうとうお柳は乳の下を深く突かれて、アッという声に、手負ながら幸兵衛は、  幸「おのれ現在の母を殺したか」  と一生懸命に組付いて長二の鬢の毛を引掴みましたが、何を申すも急所の深手、諸行無常と告渡る浅草寺の鐘の音を冥府へ苞に敢なくも、其の儘息は絶えにけりと、芝居なれば義太夫にとって語るところです。さて幸兵衞夫婦は遂に命を落しました。其の翌日、丁度十一月十日の事でございます。回向院前の指物師清兵衛方では急ぎの仕事があって、養子の恒太郎が久次留吉などという三四名の職人を相手に、夜延仕事をしておる処へ、慌てゝ兼松が駈込んでまいりまして、  兼「親方は宅かえ」  恒「何だ、恟りした……兼か久しく来なかッたのう」  兼「長兄は来やしねえか」  恒「いゝや」  兼「はてな」  恒「何うしたんだ、何か用か」  兼「聞いておくんなせえ、私がね、六間堀の伯母が塩梅がわりいので、昨日見舞に行って泊って、先刻帰って見ると家が貸店になってるのサ、訳が分らねえから大屋さんへ行って聞いてみると、兄が今朝早く来て、急に遠方へ行くことが出来たからッて、店賃を払って、家の道具や夜具蒲団は皆な兼松に遣ってくれろと云置いて、何処かへ行ってしまったのサ、全体何うしたんだろう」         二十  恒「そいつは大変だ、あの婆さんは何うした」  兼「婆さんも居ねえ」  久「それじゃア長兄と一緒に駈落をしたんだ、彼の婆さん、なか〳〵色気があったからなア」  恒「馬鹿アいうもんじゃアねえ……何か訳のあることだろうがナア兼……婆さんの宿へ行って様子を聞いて見たか」  兼「聞きやアしねえが、隣の内儀さんの話に、今朝婆さんが来て、親方が旅に出ると云って暇をくれたから、田舎へ帰らなけりゃアならねえと云ったそうだ」  恒「其様な事なら第一番に此方へいう筈だ」  兼「己も左様だと思ったから聞きに来たんだ、親方にも断らずに旅に出る筈アねえ」  留「女房の置去という事アあるが、此奴ア妙だ、兼手前は長兄に嫌われて置去に遭ったんだ、おかしいなア」  兼「冗談じゃアねえ、若え親方の前だが長兄に限っちゃア道楽で借金があるという訳じゃアなし、此の節ア好い出入場が出来て、仕事が忙がしいので都合も好い訳だのに、夜遁のような事をするとア合点がいかねえ……兎も角も親方に会って行こう」  と奥へ通りました。奥には今年六十七の親方清兵衞が、茶微塵松坂縞の広袖に厚綿の入った八丈木綿の半纒を着て、目鏡をかけ、行灯の前で其の頃鍜冶の名人と呼ばれました神田の地蔵橋の國廣の打った鑿と、浅草田圃の吉廣、深川の田安前の政鍜冶の打った二挺の鉋の研上げたのを検て居ります。年のせいで少し耳は遠くなりましたが、気性の勝った威勢のいゝ爺さんでございます。兼松は長二の出奔を甚く案じて、気が急きますから、奥の障子を明けて突然に、  兼「親方大変です、何うしたもんでしょう」  清「えゝ、何だ、仰山な、静かにしろえ」  兼「だッて親方私の居ねい留守に脱出しちまッたんです」  清「それ見ろ、彼様にいうのに打様を覚えねえからだ、中の釘は真直に打っても、上の釘一本をありに打ちせえすりゃア留の離れる気遣えは無いというのだ……杉の堅木か」  兼「まア堅気だ、道楽をしねえから」  清「大きいもんか」  兼「私より少し大きい、たしか今年廿九だから」  清「何を云うのかさっぱり分らねえ、己ア道具の事を聞くのだ」  兼「ムヽ道具ですか道具は悉皆家具蒲団まで私にくれて行ったんです」  清「まだ分らねえ……棚か箱か」  兼「へい、店は貸店になっちまッたんです」  清「何だと菓子棚だ、ウム菓子箪笥のことか、それが何うしたんだと」  兼「何うしたんか訳が分らねえから聞きに来たんだが、親方へ談なしだとねえ」  清「そりゃア長二が為る事だものを、一々己に相談する事アねえ」  兼「だッて、それじゃア済まねえ、己ア其様な人とア思わなかった……情ねえ人だなア」  清「手前何か其の仕事の事で長二と喧嘩でもしたのか」  兼「いゝえ、長え間助に行ってるが、喧嘩どころか大きい声をして呼んだ事もねえ……己を可愛がって、近所の人が本当の兄弟でも彼アは出来ねえと感心しているくれえだのに、己が六間堀へ行ってる留守に黙って脱出したんだから、不思議でならねえ」  清「何も不思議アねえ、手前の技が鈍いから脱出したんだ、長二は手前に何も云わねいのか」  兼「何とも云いませんので」  清「はてな、彼様に親切な長二が教えねえ事アねえ筈だが……何か仔細のある事だ」  と腕組をして暫らく思案をいたし、  清「些し心当りがあるから明日でも己が尋ねてみよう」  兼「左様です、何か深いわけがあるんです、心当りがあるんなら何も年寄の親方が行くにゃア及びません、私が尋ねましょう」  清「手前じゃア分らねえ、己が聞いてみるから手前今夜帰ったら、長二に明日仕事の隙を見て一寸来てくれろと云ってくんな」  兼「親方何を云うんです、家に居もしねえ長兄に来てくれろとア」  清「何処へ行ったんだ」  兼「何処かへ身を隠したから心配しているんだ」  清「何だと、長二が身を隠したと、えゝ、そんなら何故速くそう云わねえんだ」  兼「先刻から云ってるんです」  清「先刻からの話ア釘の話じゃアねえか」  兼「道理で訝しいと思った……困るな、つんぼ………エヽナニあの遠方へ急に旅立をすると、家主の所え云置いて、何処へも沙汰なしに居なくなっちまッたんです」  清「急に旅立をしたと、それにしても己の所え何とか云いそうなもんだ、黙って行く所をもって見りゃア、何か済まねえ事でもしたんだろうが、彼奴に限っちゃア其様な事アあるめいに」  と子供の時から丹誠をして教えあげ、名人と呼ばれるまでになって、親方を大切に思う長二の事ですから、清兵衛は養子の恒太郎よりも長二を可愛がりまして、五六日も顔を出しませんと直に案じて、小僧に様子を見せにやるという程でございますから、駈落同様の始末と聞いて清兵衞は顔色の変るまでに心配をいたして居ります。         二十一  恒太郎も力と頼む長二の事ですから、心配しながら兼松を呼びに来て見ると、養父が心配の最中でありますから、  恒「兼、手前……長兄のことを父さんに云ったな、云わねえでも宜いに……父さん案じなくっても宜いよ、長二の居る処は直に知れるから」  清「手前長二の居る処を知ってるのか」  恒「大概分ってるから、明日早く捜しに行こう」  清「若えから何様な無分別を出すめいもんでもねえから、明日といわず早いが宜い、兼と一緒に今ッから捜しに行きな」  と急き立てる老の一徹、性急なのは恒太郎もかね〴〵知って居りますが、長二の居所が直に分ると申しましたのは、只年寄に心配をさせまいと思っての間に合せでございますから、大きに当惑をいたし、兼松と顔を見合せまして、  恒「行くのアわけアねえが、今夜はのう兼」  兼「そうサ、行って帰ると遅くならア親方、明日起きぬけに行きましょう」  清「其様なことを云って、今夜の内に間違えでもあったら何うする」  兼「大丈夫だよ」  清「手前は受合っても、本人が出て来て訳の解らねえうちは、己ア寝ても眠られねえから、御苦労だが早く行ってくんねえ」  と急立てられまして、恒太郎は余儀なく親父の心を休めるために  恒「そんなら兼、行って来よう」  と立とうと致します時、勝手口の外で  「若え親方も兼公も行くにゃア及ばねえ」  と声をかけ、無遠慮に腰障子を足でガラリッと押開け、どっこいと蹌いて入りましたのは長二でございます。結城木綿の二枚布衣に西川縞の羽織を着て、盲縞の腹掛股引に白足袋という拵えで新しい麻裏草履を突かけ、何所で奢って来たか笹折を提げ、微酔機嫌で楊枝を使いながらズッと上って来ました様子が、平常と違いますから一同は恟りして、  兼「兄い、何うしたんだ、何処へ行ってたんだ、己ア心配したぜ」  長「何処へ行こうと己が勝手だ、心配するやつが間抜だ、ゲエープウー」  兼「やア珍らしい、兄い酔ってるな」  長「酔おうが酔うめえが手前の厄介になりアしねえ、大きにお世話だ黙っていろ」  と清兵衞の前に胡座をかいて坐りました。  兼「何だか変だが、兄いが何うかしたぜ、コウ兄い……人にさん〴〵心配をさせておいて悪体を吐くとア酷いじゃアねえか」  長「生意気なことを吐かしやアがると打き擲るぞ」  兼「何が生意気だい、兄い〳〵と云やア兄いぶりアがって、手前こそ生意気だ」  と互に云いつのりますから、恒太郎が兼松を控えさせまして、  恒「コウ長二、それじゃアおとなしくねえ、手前が居なくなったッて兼が心配しているのに、悪体を吐くのア宜くねえ、酔っているかア知らねえが、此処で其様なことをいっちゃア済むめえぜ」  長「えゝ左様です、私が悪かったから御免なせえ」  恒「何も謝るには及ばねえが、聞きゃア手前家を仕舞ったそうだが、何処え行く積りだ」  長「何処へ行こうとお前さんの知った事ちゃアねえ」  と上目で恒太郎の顔を見る。血相が変っていて、気味が悪うございますから、恒太郎が後逡をする後に、最前から様子を見て居りました恒太郎の嫁のお政が、湯呑に茶をたっぷり注いで持ってまいりました。         二十二  政「長さん、珍しく今夜は御機嫌だねえ…お前さんの居る所が知れないと云って、お父さんや皆が何様に心配をしていたか知れないよ」  と茶を長二の前に置いて、  政「温いからおあがり、お夜食は未だゞろうね、大澤さんから戴いた鰤が味噌漬にしてあるから、それで一膳おたべよ」  長「えゝ有がとうがすが、今喰ったばかしですから」  と湯呑の茶を戴いて、一口グッと飲みまして、  長「親方……私は遠方へ行く積りです」  清「其様なことをいうが、何所へ行くのだ」  長「京都へ行って利齋の弟子になる積りで、家をしまったのです」  清「それも宜いが、己も先の利齋の弟子で、毎も話す通り三年釘を削らせられた辛抱を仕通したお蔭で、是までになったのだから、今の利齋ぐれえにゃア指す積りだが……むゝあの鹿島さんの御注文で、島桐の火鉢と桑の棚を拵えたがの、棚の工合は自分でも好く出来たようだから見てくれ」  と目で恒太郎に指図を致します。恒太郎は心得て、小僧の留吉と二人で仕事場から桑の書棚を持出して、長二の前に置きました。  清「どうだ長二……この遠州透は旨いだろう、引出の工合なぞア誰にも負けねえ積りだ、これ見ろ、此の通りだ」  と抜いて見せるを長二はフンと鼻であしらいまして、  長「成程拙くアねえが、そんなに自慢をいう程の事もねえ、此の遣違えの留と透の仕事は嘘だ」  兼「何だと、コウ兄い……親方の拵えたものを嘘だと、手前慢心でもしたのか」  長「馬鹿をいうな、親方の拵えた物だって拙いのもあらア、此の棚は外見は宜いが、五六年経ってみねえ、留が放れて道具にゃアならねえから、仕事が嘘だというのだ」  恒「何だと、手前父さんの拵えた物ア才槌で一つや二つ擲ったって毀れねえ事ア知ってるじゃアねえか」  長「それが毀れる様に出来てるからいけねえのだ」  恒「何うしたんだ、今夜は何うかしているぜ」  長「何うもしねえ、毎もの通り真面目な長二だ」  恒「それが何故父さんの仕事を誹すのだ」  長「誹す所があるから誹すのだ、論より証拠だ、才槌を貸しねえ、打毀して見せるから」  恒「面白い、毀してみろ」  と恒太郎が腹立紛れに才槌を持って来て、長二の前へ投り出したから、お政は心配して、  政「あれまアおよしよ、酔ってるから堪忍おしよ」  恒「酔ってるかア知らねえが、余りだ、手前の腕が曲るから毀してみろ」  兼「若え親方……腹も立とうが姉さんのいう通り、酔ってるのだから我慢しておくんなせえ、不断此様な人じゃアねえから、私が連れて帰って明日詫に来ます……兄い更けねえうちに帰ろう」  と長二の手を取るを振払いまして、  長「何ヨしやがる、己ア無宿だ、帰る所アねえ」  と云いながら才搥を取って立上り、恒太郎の顔を見て、  長「今打き毀して見せるから其方へ退いていなせい」  と才槌を提げて、蹌めく足を蹈みしめ、棚の側へ摺寄って行灯の蔭になるや否や、コツン〳〵と手疾く二槌ばかり当てると、忽ち釘締の留は放れて、遠州透はばら〴〵になって四辺へ飛散りました。         二十三  言葉の行掛から彼アはいうものゝよもやと思った長二が、遠慮もなく清兵衛の丹誠を尽した棚を打毀しました。且二つや三つ擲ったって毀れる筈のない棚がばら〳〵に毀れたのに、居合わす人々は驚きました。中にも恒太郎は長二が余りの無作法に赫と怒って、突然長二の髻を掴んで仰向に引倒し、拳骨で長二の頭を五つ六つ続けさまに打擲りましたが、少しもこたえない様子で、長二が黙って打たれて居りますから、恒太郎は燥立ちて、側に落ちている才槌を取って打擲ろうと致しますに、お政が驚いて其の手に縋りついて、  政「あれまア危ないからおよしよ、怪我をさせては悪いからサ兼松……速く留めておくれ」  兼「まアお待ちなせえ、其様な物で擲っちア大変だ」  と止めるのを恒太郎は振払いまして。  恒「なに此の野郎、ふざけて居やがる、此の才槌で棚を毀したから己が此の野郎の頭を打毀してやるんだ」  と才槌を振り上げました。此の騒ぎを最前から黙って視て居りました清兵衞が、  清「恒マア待て、よしねえ、打棄っておけ」  と留めましたが、恒太郎はなか〳〵肯きません。  恒「それだッて此様に毀してしまっちゃア、明日鹿島さんへ納める事が出来ねえ」  清「まア己が言訳をするから宜いというに」  と叱りつけましたので、恒太郎、余儀なく手を放したから、お政も安心して長二を引起しながら、  政「何処も痛みはしないか、堪忍おしよ」  長「へい、有がとうがす」  と会釈をして坐り直す長二の顔を、清兵衛がジッと視まして、  清「これ長二手前能く吾の拵えた棚を毀したな、手前は大層上手になった、己の仕事に嘘があるとは感心だ、何処に嘘があるか手前の気の付いた所を一々其処で云って見ろ」  長「へい、云えというなら云いますが、此の広い江戸で清兵衞と云やア知らねえ者のねえ指物師の名人だが、それア二十年も前のことだ、もう六十を越して眼も利かなくなり、根気も脱けて、此の頃ア板削まで職人にさせるから、艶が無くなって何処となしに仕事が粗びて、見られた状アねえ、私が弟子に来た時分は釘一本他手にかけず、自分で夜延に削って、精神を入れて打ちなさったから百年経っても合口の放れッこは無かったが、今じゃア此のからッぺたの恒兄に削らせた釘を打ちなさるから、此ん通りで状ア無い、アハヽヽ」  と打毀した棚に指をさして嘲笑いますから、兼松は気を揉んで、長二の袖をそっと引きまして、  兼「おい兄い何うしたんだ、大概にしねえ」  と涙声で申しますが、一向に頓着いたしません。  長「才槌で二つや三つ擲って毀れるような物が道具になるか、大概知れた事た、耄碌しちゃア駄目だ」  と法外な雑言を申しますから、恒太郎が堪えかねて拳骨を固めて立かゝろうと致しますを、清兵衛が睨みつけましたから、歯軋をして扣えて居ります。  長「その証拠にゃア十年前私に何と云いなすった、親方忘れやしないだろう、箱というものは木を寄せて拵えるものだから、暴くすりア毀れるのが当然だ、それが幾ら使っても百年も二百年も毀れずに元のまんまで居るというのア仕事に精神を入れてするからの事だ、精神を入れるというのは外じゃアねえ、釘の削り塩梅から板の拵え工合と釘の打ち様にあるんだ、それだから釘一本他に削らせちゃア自分の精神が入らねえところが出来て、道具が死んでしもうのだ、死んでる道具は直に毀れッちまうと云ったじゃアありやせんか、其の通りしねえから此の棚の仕事は嘘だと云うのだ、此様に直ぐ毀れる物を納めるのア注文先へ対して不実というものだ、是で高い工手間を取ろうとは盗人より太え了簡だ」  と止途なく罵ります。         二十四  清兵衛も腹にすえかね、  清「黙りやアがれ、馬鹿野郎め、生意気を吐しやアがると承知しねえぞ、坂倉屋の仏壇で名を取ったと思って、高言を吐きアがるが、手前がそれほど上手になったのア誰が仕込んだんだ、其の高言は他へ行って吐くが宜い、己の目からはまだ板挽の小僧だが、己を下手だと思うなら止せ、他に対って己の弟子だというなよ」  長「さア、それだから京都へ修業に行くのだ、親方より上手な師匠を取る気だ」  恒「呆れた野郎だ、父さん何うしよう」  兼「正気でいうのじゃアねえ」  清「気違だろう、其様な奴に構うなよ」  兼「おい、兄い、どうしたんだ、本当に気でも違ったのか」  長「べらぼうめ、気が違ってたまるもんか、此様な下手な親方に附いていちゃア生涯仕事の上りッこがねえから、己の方から断るんだ」  清「長二、手前本当に其様なことをいうのか」  長「嘘を吐いたッて仕方がねえ、私が京都で修業をして名人になッたって、己の弟子だと云わねえように縁切の書付をおくんなせえ」  清「べらぼうめ、手前のような奴ア、再び弟子にしてくれろと云って来ても己の方からお断りだ」  長「書付を出さねえなら、此方で書いて行こう」  と傍にある懸硯箱を引寄せて鼻紙に何か書いて差出しましたから、清兵衞が取上げて見ますと、仮名交りで、 一私是まで親方のおせわになったが今日あいそがつきたから縁を切ります然る上は親方でないあかの他人で何事も知らないから左様おぼしめし被下候 文政巳十月十日 長二郎 箱清様  とありますから清兵衛は変に思って眺めておりますを、恒太郎が横の方から覗き込んで、  恒「馬鹿な野郎だ、弟子のくせに此様な書付を出すとア……おや、長二は何うかしているんだ、今月ア霜月だのに十月と書いてあるア、月まで間違えていやアがる」  長「そりゃア知ってるが、先月から愛想が尽きたから、そう書いたんだ」  恒「負惜みを云やアがるな、此様な書付を張ったからにゃア二度と再び家の敷居を跨ぎやアがると肯かねいぞ」  長「そりゃア知れた事た、此の書付を渡したからにゃア此家に何んな事があっても己ア知らねえよ、また己の体に何様な間違えがあっても御迷惑アかけねえから、御安心なせいやし」  と立上って帰り支度を致しますが、余りの事に一同は呆れて、只互いに顔を見合すばかりで何にも申しませんから、お政が心配をして、長二の袂を引留めまして、  政「長さんお待ちよ……まアお待ちというのに、お前それでは済まないよ、よもやお忘れではあるまい、廿年前の事を、私は其の時十三か四であったが、お前がお母に手を引かれて宅へ来た時に、私のお母さんがマア十や十一で奉公に出るのは余り早いじゃアないかと云ったら、お前何とお云いだ、お母がとる年で、賃仕事をして私を育てるのに骨が折れるから、早く奉公をして仕事を覚え、手間を取ってお母に楽をさせたいとお云いだッたろう、お母さんがそれを聞いて、涙をこぼして、親孝行な子だ、そういう事なら何の様にも世話をしようと云って、自分の子のように可愛がったのはお忘れじゃアなかろう、また其の時お前の名は二助と云ったが、伊助という職人がいて、度々間違うからお父さんが長二という名をお命けなすったんだが、是にも訳のある事で、お前の手の人指が長くって中指と同じのを御覧なすって、人指の長い人は器用で仕事が上手になるものだから、指が二本とも長いというところで長二としよう、京都の利齋親方の指も此の通りだから、此の小僧も仕立てようで後には名人になるかも知れないと云って、他の職人より目をかけて丁寧に仕事を教えてくだすったので、お前斯うなったのじゃアないか、それに又お前のお母が歿った時、お父さんや清五郎さんや良人で行って、立派に葬式を出して上げたろう、お前は其の時十七だッたが、親方のお蔭で立派に孝行の仕納めが出来た、此の御恩は死んでも忘れないと涙を流してお云いだというじゃアないかね、元町へ世帯を持つ時も左様だ、寝道具から膳椀まで皆なお前お父さんに戴いたのじゃアないか、此様なことを云って恩にかけるのじゃアないが、お前左様いう親方を袖にして、自分から縁切の書付を出すとア何うしたものだえ、義理が済むまいに、お前考えてごらん、多くの弟子の中で一番親方思いと云われたお前が、此様な事になるとは私にはさっぱり訳が分らないよ」         二十五  政「恒兄に擲たれたのが腹が立つなら、私が成代って謝るからね、何だね、子供の時から一つ処で育った心安だてが過ぎるからの事だよ、堪忍おしよ、お父さんもお年がお年だから、お前でもいないと良人が困るからよ、お父さんへは私がお詫をするから、長さんマアちゃんとお坐んなさいよ、何うしたのだねえ」  と涙を翻してなだめまする信実に、兼松も感じて鼻をすゝりながら、  兼「コウ兄い、いま姉さんもいう通りだ、親方の恩は大抵の事ちゃアねえ、それを知らねえ兄いでもねえに、何うしたんだ、何か人にしゃくられでもしたのか、えゝ、姉さんが心配するから、おい兄い」  長「お政さん御親切は分りやしたが、弟子師匠の縁が切れてみりゃア詫言をする訳もねえからね、人は老少不定で、年をとった親方いゝや、清兵衛さんより私の方が先へ往くかも知れませんから、他を当にするのア無駄だ、何でもてんでに稼ぐのが一番だ、稼いで親に安心をさせなさるが宜い、私の体に何様な事があろうと、他人だから心配なせいやすな……兼、手前とも最う兄弟じゃアねえぞ」  と云放って立上り、勝手口へ出てまいりますから、お政も呆れまして、  政「そんなら何うでもお前は」  長「もう参りません」  清「長二」  長「何か用かえ」  清「用はねい」  長「左様だろう、耄碌爺には己も用はねえ」  と表へ出て腰障子を手荒く締切りましたから、恒太郎は堪えきれず、  恒「何を云いやがる」  と拳骨を固めて飛出そうとするのを清兵衛が押止めまして、  清「打棄っておけ」  恒「だッて余りだ」  清「いゝや左様でねえ、是には深い仔細のある事だろう」  恒「何様な仔細があるかア知らねえが、父さんの拵えた棚を打き毀して縁切の書付を出すとア、話にならねえ始末だ」  清「それがサ、彼奴己の拵えた棚の外から三つや四つ擲ったッて毀れねえことを知ってるから、先刻打擲った時、故ッと行灯の陰になって、暗い所で内の方から打きやアがったのは、無理に己を怒らせて縁切の書付を取ろうと企んだのに相違ねえが、縁を切って何うするのか、十一月を十月と書いたのにも仔細のある事だろう、二三日経ったら何か様子が知れようから打棄っておきねえ」  と一同をなだめて案じながら寝床に入りました。其の頃南の町奉行は筒井和泉守様で、お慈悲深くて御裁きが公平という評判で、名奉行でございました。丁度今月はお月番ですから、お慈悲のお裁きにあずかろうと公事訴訟が沢山に出ます。今日は十一月の十一日で、追々白洲へ呼込みになる時刻に相成りましたから、公事の引合に呼出された者は五人十人と一群になって、御承知の通り数寄屋橋内の奉行所の腰掛茶屋に集っていますを、やがて奉行屋敷の鉄網の張ってある窓から同心が大きな声をして、  「芝新門前町高井利兵衛貸金催促一件一同入りましょう」  などゝ呼込みますと、その訴訟の本人相手方、只今では原告被告と申します、双方の家主五人組は勿論、関係の者一同がごた〳〵白洲へ這入ります。此の白洲の入口の戸を締切る音ががら〳〵ピシャーリッと凄じく脳天に響けますので、大抵の者は仰天して怖くなりますから、嘘を吐くことが出来なくなって、有体に白状をいたすようになるという事でございます。今大勢の者が白洲へ呼込みになる混雑の中を推分けて、一人の男が御門内へ駈込んで、当番所の前へ平伏いたしました。此の男は長二でございます。         二十六  当番所には同心一人と書役一人が詰めておりまして、  同「何だ」  長「へい、お訴えがございます」  同「ならない」  と叱りつけて、小者に門外へ逐出させました。この駈込訴訟と申しますものは、其の筋の手を経て出訴せいといって、三度までは逐返すのが御定法でございますから、長二も三度逐出されましたが、三度目に、此の訴訟をお採上げになりませんと私の一命に拘わりますと申したので、お採上げになって、直に松右衛門の手で腰縄をかけさせまして入牢と相成り、年寄へ其の趣きを届け、一通り取調べて奉行附の用人へ申達して、吟味与力へ引渡し、下調をいたします、これが只今の予審で、それから奉行へ申立てゝ本調になるという次第でございます。通常の訴訟は出訴の順によってお調べになりますが、駈込訴訟は猶予の出来ない急ぎの事件というので、他の訴訟が幾許あっても、それを後へ廻して此の方を先へ調べるのが例でありますから、奉行は吟味与力の申立てにより、他の調を後廻しにして、いよ〳〵長二の事件の本調をいたす事に相成りました。指物師清兵衛は長二が先夜の挙動を常事でないと勘付きましたから、恒太郎と兼松に言付けて様子を探らせると、長二が押上堤で幸兵衛夫婦を殺害したと南の町奉行へ駈込訴訟をしたので、元町の家主は大騒ぎで心配をして居るという兼松の注進で、さては無理に喧嘩を吹かけて弟子師匠の縁を切り、書付の日附を先月にしたのは、恩ある己達を此の引合に出すまいとの心配であろうが、此の事を知っては打棄って置かれない、何の遺恨で殺したのか仔細は分らないが、無闇な事をする長二でないから、お採上げにならないまでも、彼奴が親孝心の次第から平常の心がけと行いの善い所を委しく書面に認めて、お慈悲願をしなけりゃア彼奴の志に対して済まないとは思いましたが、清兵衛は無筆で、自分の細工をした物の箱書は毎でも其の表に住居いたす相撲の行司で、相撲膏を売る式守伊之助に頼んで書いて貰う事でありますから、伊之助に委細のことを話して右の願書を認めて貰い、家主同道で恒太郎が奉行所へお慈悲願に出ました。今日は龜甲屋幸兵衛夫婦殺害一件の本調というので、関係人一同町役人家主五人組差添で、奉行所の腰掛茶屋に待って居ります。やがて例の通り呼込になって一同白洲に入り、溜と申す所に控えます。奉行の座の左右には継肩衣をつけた目安方公用人が控え、縁前のつくばいと申す所には、羽織なしで袴を穿いた見習同心が二人控えて居りまして、目安方が呼出すに従って、一同が溜から出て白洲へ列びきると、腰縄で長二が引出され、中央へ坐らせられると、間もなくシイーという制止の声と共に、刀持のお小姓が随いて、奉行が出座になりました。         二十七  白洲をずうッと見渡されますと、目安方が朗かに訴状を読上げる、奉行はこれを篤と聞き了りまして、  奉「浅草鳥越片町幸兵衛手代萬助、本所元町與兵衛店恒太郎、訴訟人長二郎並びに家主源八、其の外名主代組合の者残らず出ましたか」  町「一同附添いましてござります」  奉「訴人長二郎、其の方は何歳に相成る」  長「へい、二十九でござります」  奉「其の方当月九日の夜五つ半時、鳥越片町龜甲屋幸兵衛並に妻柳を柳島押上堤において殺害いたしたる段、訴え出たが、何故に殺害いたしたのじゃ、包まず申上げい」  長「へい、只殺しましたので」  奉「只殺したでは相済まんぞ、殺した仔細を申せ」  長「其の事を申しますと両親の恥になりますから、何と仰しゃっても申上げる事は出来ません……何卒只人を殺しました廉で御処刑をお願い申します」  奉「幸兵衛手代萬助」  萬「へい」  奉「これなる長二郎は幸兵衛方へ出入をいたしおった由じゃが、何か遺恨を挟むような事はなかったか、何うじゃ」  萬「へい、恐れながら申上げます、長二郎は指物屋でございますから、昨年の夏頃から度々誂え物をいたし、多分の手間代を払い、主人夫婦が格別贔屓にいたして、度々長二郎の宅へも参りました、其の夜死骸の側に五十両の金包が落ちて居りましたのをもって見ますと、長二郎が其の金を奪ろうとして殺しまして、何かに慌てゝ金を奪らずに遁げたものと考えます」  奉「長二郎どうじゃ、左様か」  長「其の金は私が貰ったのを返したので、金なぞに目をくれるような私じゃアございません」  奉「然らば何故に殺したのじゃ、其の方の為になる得意先の夫婦を殺すとは、何か仔細がなければ相成らん、有体に申せ」  恒「恐れながら申上げます、長二は差上げました書面の通り、私親共の弟子でございまして、幼少の時から親孝心で実直で、道楽ということは怪我にもいたしませんで、余計な金があると正直な貧乏人に施すくらいで、仕事にかけては江戸一番という評判を取って居りますから、金銭に不自由をするような男ではござりませんから、悪心があってした事では無いと存じます」  源「申上げます、只今恒太郎から申上げました通り、長二郎は六年ほど私店内に住居いたしましたが只の一度夜宅を明けたことの無い、実体な辛抱人で、店賃は毎月十日前に納めて、時々釣は宜いから一杯飲めなぞと申しまして、心立の優しい慈悲深い性で、人なぞ殺すような男ではござりません」  萬「へい申上げます、私主人方で昨年の夏から長二に払いました手間料は、二百両足らずに相成ります、此の帳面を御覧を願います」  と差出す帳面を同心が取次いで、目安方が読上げます。  奉「この帳面は幸兵衛の自筆か」  萬「へい左様でございます、此の通り格別贔屓にいたしまして、主人の妻は長二郎に女房の世話を致したいと申して居りましたから、私の考えますには、其の事を長二郎に話しましたのを長二郎が訝しく暁って、無礼な事でも申しかけたのを幸兵衛に告げましたので、幸兵衛が立腹いたして、身分が身分でございますから、後で紛紜の起らないように、出入留の手切金を夫婦で持ってまいったもんですから、此の事が世間へ知れては外聞にもなり、殊に恋のかなわない口惜紛れに、両人を殺したんであろうかとも存じます」  奉「長二郎、此の帳面の通り其の方手間料を受取ったか而して柳が其の方へ嫁の口入をいたしたか何うじゃ」  長「へい、よくは覚えませんが、其の位受取ったかも知れませんが、決して余計な物は貰やアしません、又嫁を貰えと云った事はありましたが、私が無礼なことを云いかけたなぞとは飛んでもない事でございます」  奉「それはそれで宜しいが、何故斯様に贔屓になる得意の恩人を殺したのじゃ、何ういう恨か有体に申せ」  長「別に恨というはございませんが、只あの夫婦を殺したくなりましたから殺したのでございます」  奉「黙れ……其の方天下の御法度を心得ぬか」  長「へい心得て居りますから、遁げ隠れもせずにお訴え申したのでございます」  奉「黙れ……有体に申上げぬは御法に背くのじゃ、こりゃ何じゃな、其の方狂気いたして居るな」  恒「申上げます、仰せの通り長二郎は全く逆上せて居ると存じます、平常斯ういう男ではございません、私親共は今年六十七歳の老体で、子供の時分から江戸一番の職人にまで仕上げました長二郎の身を案じて、夜も碌に眠りません程でございますによって、何卒老体の親共を不便と思召して、お慈悲の御沙汰をお願い申します、全く気違に相違ございませんから」  萬「成程気違だろう、主のある女に無理を云いかけて、此方で内証にしようと云うのを肯かずに、大恩のある出入場の旦那夫婦を殺すとア、正気の沙汰ではございますまい」  奉「萬助……其の方の主人夫婦を殺害いたした長二郎は狂人で、前後の弁えなくいたした事と相見えるが何うじゃ」  萬「へい、左様でございましょう」  奉「町役人共は何と思う、奉行は狂気じゃと思うが何うじゃ」  一同「お鑑定の通りと存じます」  とお受けをいたしました。仔細を知りませんから、長二が人を殺したのは全く一時発狂をいたした事と思うたのでございましょうが、奉行は予て邸へ出入をする蔵前の坂倉屋の主人から、長二の身持の善き事と伎倆の非凡なることを聞いても居り、且長二が最初に親の恥になるから仔細は云えぬと申した口上に意味がありそうに思われますから悪意があって、殺したので無いということは推察いたし、何卒此の名人を殺したく無いとの考えで取調べると、仔細を白状しませんから、これを幸いに狂人にして命を助けたいと、語を其の方へ向けて調べるのを、怜悧な恒太郎が呑込んで、気違に相違ないと合槌を打つに、引込まれるとは知らず萬助までが長二を悪くする積りで、正気の沙汰でないと申しますから、奉行は心の内で窃かに喜んで、一同に念を押して、愈々狂人の取扱いにしようと致しますと、長二は案外に立腹をいたしまして、両眼に血を濺ぎ、額に青筋を現わし拳を握りつめて、白洲の隅まで響くような鋭き声で、  長「御奉行様へ申上げます」  と云って奉行の顔を見上げました。         二十八  さて長二郎が言葉を更めて奉行に向いましたので、恒太郎を始め家主源八其の他の人々は、何事を云出すか、お奉行のお慈悲で助命になるものを今さら余計なことを云っては困る、而て見ると愈々本当の気違であるかと一方ならず心配をして居りますと、長二は奉行の顔を見上げまして、  長「私は固より重い御処刑になるのを覚悟で、お訴え申しましたので、又此の儘生延びては天道様へ済みません、現在親を殺して気違だと云われるを幸いに、助かろうなぞという了簡は毛頭ございません、親殺しの私ですから、何卒御法通りお処刑をお願い申します」  奉「フム……然らば幸兵衛夫婦を其の方は親と申すのか」  長「左様でございます」  奉「何ういう仔細で幸兵衛夫婦を親と申すのじゃ、其の仔細を申せ」  長「此の事ばかりは親の恥になりますから申さずに御処刑を受けようと思いましたが、仔細を云わなけりゃア気違だと仰しゃるから、致し方がございません、其の理由を申上げますから、お聞取りをお願い申します」  とそれより自分の背中に指の先の入る程の穴があるのを、九歳の時初めて知って母に尋ねると、母は泣いて答えませんので、自分も其の理由を知らずにいた処、去年の十一月職人の兼松と共に相州の湯河原で湯治中、温泉宿へ手伝に来た婆さんから自分は棄児であって、背中の穴は其の時受けた疵である事と、長左衛門夫婦は実の親でなく、実の親は名前は分らないが、斯々云々の者で、自分達の悪い事を掩わんがために棄てたのであるという事を初めて知って、実の親の非道を恨み、養い親の厚恩に感じて、養い親のため仏事を営み、菩提所の住持に身の上を話した時、幸兵衛に面会したのが縁となり、其の後種々の注文をして過分の手間料を払い、一方ならず贔屓にして、度々尋ねて来る様子が如何にも訝しくあり、殊に此の四月夫婦して尋ねて来た時、お柳が急病を発し、また此の九月柳島の別荘で余儀なく身の上を話して、背中の疵を見せると、お柳が驚いて癪を発した様子などを考えると、お柳は自分を産んだ実の母らしく思えるより、手を廻して幸兵衛夫婦の素性を探索すると、間違いなさそうでもあり、また幸兵衛が菩提所の住持に自分の素性を委しく尋ねたとの事を聞き、幸兵衛夫婦も自分を実子と思っては居れど、棄児にした廉があるから、今さら名告りかね、余所ながら贔屓にして親しむのに相違ないと思う折から、去る九日の夕方夫婦して尋ねて来て、親切に嫁を貰えと勧め、その手当に五十両の金を遣るというので、もう間違いはないと思って、自分から親子の名告をしてくれと迫った処、お柳は顕われたと思い、恟りして逃出そうとする、幸兵衛は其の事が知れては身の上と思ったと見え、自分を気違だの騙だのと罵りこづきまわして、お柳の手を取り、逃帰ったが、斯様な人から、一文半銭たゞ貰う謂れがないから、跡に残っていた五十両の金を返そうと二人を逐かけ、先へ出越して待っている押上堤で、図らずお柳の話を聞き正しく実の母親と知ったから、飛出して名告ってくれと迫るを、幸兵衛が支えて、粗暴を働き、短刀を抜いて切ろうとするゆえ、これを奪い取ろうと悶着の際、両人に疵を負わせ、遂に落命させしと、一点の偽りなく事の顛末を申し立てましたので、恒太郎源八を始め、孰れも大きに驚き、長二の身の上を案じ、大抵にしておけと云わぬばかりに、源八が窃と長二の袖を引くを、奉行は疾くも認められまして、  奉「こりゃ止むるな、控えておれ」         二十九  奉「長二郎、然らば其の方は全く両親を殺害致したのじゃな」  長「へい……まア左様いう次第ではございますが、幸兵衛という人は本当の親か義理の親か未だ判然分りません」  奉「左様か……こりゃ萬助、其の方幸兵衛と柳が夫婦になったのは何時か存じて居るか」  萬「へい、たしか五ヶ年前と承わりましたが、私は其の後に奉公住をいたしましたので」  奉「夫婦の者は当年何歳に相成るか存じて居るか」  萬「へい幸兵衛は五十三歳で、柳は四十七歳でございます」  奉「左様か」  と奉行は眼を閉じて暫時思案の様子でありましたが、白洲を見渡して、  奉「長二郎、只今の申立てに聊かも偽りはあるまいな」  長「けちりんも嘘は申しません」  奉「追って吟味に及ぶ、長二郎入牢申付ける、萬助恒太郎儀は追って呼出す、一同立ちませい」  是にて此の日のお調べは相済みましたが、筒井侯は前にも申述べました通り、坂倉屋の主人又は林大學頭様から、長二の伎倆の非凡なる事を聞いておられますから、斯様な名人を殺すは惜いもの、何とかして助命させたいとの御心配で、狂人の扱いにしようと思召したのを、長二は却って怒り、事実を明白に申立てたので、折角の心尽しも無駄になりましたが、その気性の潔白なるに益々感服致されましたから、猶工夫をして助命させたいと思召し、一先ず調べを止めてお邸へ帰られました。当今は人殺にも過失殺故殺謀殺などとか申して、罪に軽重がございますから、少しの云廻しで人を殺しても死罪にならずにしまいますが、旧幕時代の法では、復讐の外は人を殺せば大抵死罪と決って居りますから、何分長二を助命いたす工夫がございませんので、筒井侯も思案に屈し、お居間に閉籠って居られますを、奥方が御心配なされて、  奥「日々の御繁務さぞお気疲れ遊ばしましょう、御欝散のため御酒でも召上り、先頃召抱えました島路と申す腰元は踊が上手とのことでございますから、お慰みに御所望遊ばしては如何でございます」  和泉「ムヽ、その島路と申すは出入町人助七の娘じゃな」  奥「左様にございます」  和「そんなら踊の所望は兎も角も、これへ呼んで酌を執らせい」  と御意がございましたから、時を移さずお酒宴の支度が整いまして、殿様附と奥方附のお小姓お腰元奥女中が七八人ずらりッと列びまして、雪洞の灯が眩しいほどつきました。此の所へ文金の高髷に紫の矢筈絣の振袖で出てまいりましたのは、浅草蔵前の坂倉屋助七の娘お島で、当お邸へ奉公に上り、名を島路と改め、お腰元になりましたが、奥方附でございますから、殿様にはまだお言葉を戴いた事がありません、今日のお召は何事かと心配しながら奥方の後へ坐って、丁寧に一礼をいたしますを、殿様が御覧遊ばして、  和「それが島路か、これへ出て酌をせい」  との御意でありますから、島路は恐る〳〵横の方へ進みましてお酌を致しますと、殿様は島路の顔を見詰めて、盃の方がおるすになりましたから、手が傾いて酒が翻れますのを、島路が振袖の袂で受けて、畳へ一滴もこぼしません、殿様はこれに心付かれて、残りの酒を一口に飲みほして、盃を奥方へさゝれましたから、島路は一礼をして元の席へ引退ろうと致しますのを、  和「島路待て」  と呼留められましたので、並居る女中達は心の中で、さては御前様は島路に思召があるなと互に袖を引合って、羨ましく思って居ります、島路はお酒のこぼれたのを自分の粗相とでも思召して、お咎めなさるのではあるまいかと両手を突いたまゝ、其処に居ずくまっておりますと、殿様は此方へ膝を向けられました。         三十  和「ちょっと考え事を致して粗相をした、免せ……其方に尋ねる事があるが、其方も存じて居るであろう、其方の家へ出入をする木具職の長二郎と申す者は、当時江戸一番の名人であると申す事を、其方の父から聞及んで居るが、何ういう人物じゃ、職人じゃによって別に取抦はあるまいが、何ういう性質の者じゃ、知らんか」  との御意に、島路は予て長二が伎倆の優れて居るに驚いて居るばかりでなく、慈善を好む心立の優しいのに似ず、金銭や威光に少しも屈せぬ見識の高いのに感服して居ります事ゆえ、お尋ねになったを幸い、お邸のお出入にして、長二を引立てゝやろうとの考えで、  島「お尋ねになりました木具職の長二郎と申します者は、親共が申上げました通り、江戸一番の名人と申す事で、其の者の造りました品は百年経っても狂いが出ませず、又何程粗暴に取扱いましても毀れる事がないと申すことでございます、左様な名人で多分な手間料を取りますが、衣類などは極々質素で、悪遊びをいたさず、正直な貧乏人を憐れんで救助するのを楽みにいたしますに就ては、女房があっては思うまゝに金銭を人に施すことが出来まいと申して、独身で居ります程の者で、職人には珍らしい心掛で、其の気性の潔白なのには親共も感心いたして居ります」  和「フム、それでは普通の職人が動ともすると喧嘩口論をいたして、互に疵をつけたりするような粗暴な人物じゃないの」  島「左様でございます、あゝいう心掛では無益な喧嘩口論などは決して致しますまいと存じます、殊に御酒は一滴も戴きませんと申す事でございますゆえ、過ちなどは無いことゝ存じますが、只今申上げました通り潔白な気性でございますゆえ、他から恥辱でも受けました節は、その恥辱を雪ぐまでは、一命を捨てゝも飽くまで意地を張るという性根の確かりいたした者かとも存じます」  和「ムヽ左様じゃ、其方の目は高い……長二郎は左様いう男だろうが、同人の親達は何ういう者か其方は知らんか」  島「一向に存じません」  和「そんなら誰か長二郎の素性や其の親達の身の上を存じて居る者はないか、其方は知らんか」  と根強く長二郎のことを穿鑿される仔細が分りませんから、奥方が不審に思われまして、  島「御前様、その長二郎とか申す者のことをお聞き遊ばして、如何遊ばすのでござります」  と尋ねられたので、殿様は長二郎を助ける手段もあろうかとの熱心から、うか〳〵島路に根問いをした事に心付かれましたが、お役向の事を此の席で話すわけにも参りませんから、笑いに紛らして、  和「何サ、その長二郎と申す者は役者のような美い男じゃによって、島路が懸想でもして居るなら、身が助七に申聞けて夫婦にしてやろうと思うたのじゃ」  と一時の戯にして此の場の話を打消そうと致されましたのを、女中達は本当の事と思って、羨ましそうに何れも島路の方へ目を注ぎますので、島路は羞かしくもあり、又思いがけない殿様の御意に驚き、顔を赧らめて差俯いて居りますを、奥方は気の毒に思召して、  「如何に御前様の御意でも、こりゃ此の所では御挨拶が成りますまいのう島路」  と奥方にまで問詰められて、島路は返答に困り、益々顔を赧くしてもじ〳〵いたして居りますと、女中達は羨ましそうに、  春野「島路さん、何をお考え遊ばします、願ってもない御前様の御意、私なら直にお受けをいたしますのに、お年がお若いせいか、ぐず〳〵して」  常夏「春野さんの仰しゃる通り、此の様な有難い事はござんせぬ、それとも殿御の御器量がお錠口の金壺さんのようなら、私のような者でも御即答は出来ませんが、その長二郎さんという方は役者のような男だと御前様が仰しゃったではござりませぬか」  千草「そのうえお仕事が江戸一番の名人で、お金が沢山儲かるとの事」  早咲「そればかりでも結構すぎるに、お心立が優しくって、きりゝと締った所があるとは、嘘のような殿御振り、お話を承わりましたばかりで私はつい、ホヽ……オホヽヽヽ」  と女中達のはしたなきお喋りも一座の興でございます。         三十一  殿様は御機嫌よろしく打笑まれまして、  和「どうじゃ島路、皆の者は話を聞いたばかりで彼様に浮れて居るに、其方は何故鬱ぐのじゃ」  と退引のならんお尋ねを迷惑には思いましたが、此の所で一言申しておかなければ、殿様が自分を他の女中達のように思召して、万一父助七へ御意のあった時は、否やを申上げることも出来ぬと思いましたから、羞かしいのを堪えまして、少し顔を上げ、  島「だん〳〵の御意は誠に有難う存じますが、何卒此の儀は御沙汰止にお願い申上げます、長二郎は伎倆と申し心立と申し、男として不足の廉は一つもございませんが、私家は町人ながらも系図正しき家筋でございますれば、身分違いの職人の家へ嫁入りを致しましては、第一先祖へ済みませず、且世間で私の不身持から余儀なく縁組を致したのであろうなぞと、風聞をいたされますのが心苦しゅうございますれば、何卒此の儀は此の場ぎり御沙汰止にお願い申上げます」  ときっぱり申述べました。追々世の中が開けて、華族様と平民と縁組を致すようになった当今のお子様方は、この島路の口上をお聞きなすっては、開けない奴だ、町人と職人と何程の違がある、頑固にも程があると仰しゃいましょうが、其の頃は身分という事がやかましくなって居りまして、お武家と商人とは縁組が出来ません、拠所なく縁組をいたす時は、其の身分に応じて仮親を拵えますことで、商人と職人の間にも身分の分ちが立って居りました、殊に身柄のある商人はお武家が町人百姓を卑しめる通り、職人を卑しめたものでございますから、島路は長二郎を不足のない男とは思って居りますが、物の道理を心得て居るだけに、此の御沙汰を断ったのでございます。殿様は元来左様いう思召ではなく、只此の場の話を紛らせようと、戯れ半分に仰しゃったお言葉が本当になったので、取返しがつかず、困っておられた処へ、島路が御沙汰止を願いましたから、これを幸いに、  和「おゝ、何も身が無理に左様いうのではない、左様いうことなら今の話は止めにするから、島路大儀じゃが下物に何か一つ踊って見せい」  と踊りの御所望がございましたから、女中達は俄に浮き立ちまして、それ〴〵の支度をいたし、さア島路さん、早くと急き立てられて、島路は迷惑ながら一旦其の席を引退りまして、斯様な時の用心に宿から取寄せて置いた衣裳を着けて出ました、容貌は一段に引立って美しゅうございまして、殿様が早くとのお詞に随い、島路は憶する色なく立上りまして、珠取の段を踊りますを、殿様は能くも御覧にならず、何か頻りに御思案の様子でございましたが、踊の半頃で、  和「感服いたした、最うよい、疲れたであろう、休息いたせ」  と踊を差止め、酒肴を下げさせ、奥方を始め女中達を遠ざけられて、俄に腹心の吟味与力吉田駒二郎と申す者をお召になりまして、夜の更けるまで御密談をなされたのは、全く長二郎の一件に就いて、幸兵衛夫婦の素性を取調べる手懸りを御相談になったので、略探索の方も定まりましたと見え、駒二郎は御前を退いて帰宅いたし、直に其の頃探偵捕者の名人と呼ばれた金太郎繁藏という二人の御用聞を呼寄せて、御用の旨を申含めました。         三十二  町奉行筒井和泉守様は、長二郎ほどの名人を失うは惜いから、救う道があるなら助命させたいと思召す許りではございません、段々吟味の模様を考えますと、幸兵衛夫婦の身の上に怪しい事がありますから、これを調べたいと思召したが、夫婦とも死んで居ります事ゆえ、吟味の手懸りがないので、深く心痛いたされまして、漸々に幸兵衛が龜甲屋お柳方へ入夫になる時、下谷稲荷町の美濃屋茂二作と其の女房お由が媒妁同様に周旋をしたということを聞出しましたから、早速お差紙をつけて、右の夫婦を呼出して白洲を開かれました。  奉行「下谷稲荷町徳平店茂二作、並に妻由、其の他名主、代組合の者残らず出ましたか」  町役「一同差添いましてござります」  奉「茂二作夫婦の者は長年龜甲屋方へ出入をいたし、柳に再縁を勧め、其の方共が媒妁をいたして、幸兵衛と申す者を入夫にいたせし由じゃが、左様か」  茂「へい左様でございます」  由「それも私共が好んで致したのではございません、拠なく頼まれましたので」  奉「如何なる縁をもって其の方共は龜甲屋へ出入をいたしたのか」  茂「それはあの龜甲屋の先の旦那半右衛門様が、御公儀の仕立物御用を勤めました縁で、私共も仕立職の方で出入をいたしましたので、へい」  奉「何歳の時から出入いたしたか」  茂「二十六歳の時から」  奉「当年何歳に相成る」  茂「五十五歳で」  奉「由は龜甲屋に奉公をいたせし趣じゃが、何歳の時奉公にまいった」  由「へい、私は十七の三月からでございますから」  と指を折って年を数え、  「もう廿八九年前の事でございます」  奉「其の後両人とも相変らず出入をいたして居ったのじゃな」  茂「左様でございます」  奉「して見ると其の方共実体に勤めて、主人の気に入って居ったものと見えるな」  由「はい、先の旦那様がまことに好いお方で、私共へ目をかけて下さいましたので」  奉「左様であろう、して柳と申す女は何時頃半右衛門方へ嫁にまいったものか、存じて居ろうな」  茂「へい、私が奉公にまいりました年で、御新造は其の時慥か十八だと覚えて居ります」  奉「御新造とはお柳のことか」  茂「へい」  奉「して、半右衛門は其の時何歳であった」  茂「左様で」  と考えて、お由とさゝやき、指を折り、  茂「三十二三歳であったと存じます」  奉「当月九日の夜、柳島押上堤において長二郎のために殺害された幸兵衛という者は、如何なる身分職業で、龜甲屋方に入夫にまいるまで、何方に住居いたして居った者じゃ」  茂「幸兵衛は坂本二丁目の経師屋桃山甘六の弟子で、其の家が代替りになりました時、暇を取って、それから私方に居りました」  奉「其の方宅に何個年居ったか」  茂「左様でございます、彼是十年たらず居りました」  奉「フム大分久しく居ったな」  茂「へい、随分厄介ものでございました」  奉「其の方の宅において幸兵衛は常に何をいたして居った」  茂「へい、只ぶら〳〵、いえ、アノ経師をいたして居りました」  奉「フム、由其の方は存じて居ろうが、龜甲屋の元の宅は根岸であったによって、坂本の経師職桃山が出入ゆえ、幸兵衛が屡々仕事にまいったであろう」  由「はい」  と云いにかゝるを茂二作が目くばせで止めましたから、慌てゝ咳払いに紛らし、  由「いゝえ、あの私は存じません」  奉「隠すな、隠すと其の方の為にならんぞ、奉行は宜く知って居るぞ、幸兵衛が障子の張替えなどに度々まいったであろう」  由「はい、まいりました」  奉「左様であろう、して、幸兵衛が其の方の宅に居った時は経師職はいたさなんだと申す事じゃが、其の方共の家業の手伝でもいたして居ったのか、何うじゃ」  由「へい、証文を書いたり催促や何かを致して居りました」  奉「ムヽ、それでは貸附金の証文の書役などを致して居ったのじゃな、して其の貸付金は誰の金じゃ」  茂「それは、へい私の所持金で」  奉「余ほど多分に貸付けてある趣じゃが、其の方如何して所持いたし居るぞ、これは多分何者か其の方どもの実体なるを見込んで、貸付方を頼んだのであろう、いや由、何も怖がることは無い、存じて居ることを真直に申せばよいのじゃ」         三十三  由「はい、その金は、へい先の旦那がお達者の時分から、御新造様がお小遣の内を少しずつ貸付けになさったので」  奉「フム、然らば半右衛門の妻柳が、出入の経師職幸兵衛を正直な手堅い者と見込んだゆえ、其の方の宅において貸付金の世話をいたさせたのじゃな、左様であろう、何うじゃ」  茂「左様でございます」  奉「由其の方は女の事ゆえ覚えて居るであろう、柳が初めて産をいたしたのは何年の何月で、男子であったか、女子であったか、間違えんように能く勘考して申せ」  由「はい」  と両手の指を折って頻りに年を数えながら、茂二作と何か囁やきまして、  由「申上げます……あれは今年から二十九年前で、慥か御新造が十九の時で、四月の二十日に奥州へ行くと云って暇乞にまいりました人に、旦那様が塩釜様のお符をお頼みなさったので、私は初めて御新造様が懐妊におなりなさったのを知ったのでございます、御誕生は正月十一日お蔵開きの日で、お坊さんでございますから、目出たいと申して御祝儀を戴いたのを覚えて居ります」  奉「ムヽ、柳が懐妊と分った月を存じて居るか」  と奉行は暫らく眼を閉じて思案をいたされまして、  奉「由其の方はなか〳〵物覚えが宜いな、然らば幸兵衛が龜甲屋方へ初めてまいったのは何年の何月頃じゃか、それを覚えて居らんか」  由「はい、左様」  と暫らく考えて居りましたが、突然に大きな声で、  由「思い出しました」  と奉行の顔を見上げて、  由「幸兵衛が初めてまいりましたのは、其の年の五月絹張の行灯が一対出来るので」  と茂二作の顔を見て、  由「それ、お前さんが桃山を呼びに行ったら、其の時幸兵衛さんが来たんだよ、御新造が美い男だと云って、それ、あの」  と喋るのを茂二作が目くばせで止めても、お由は少しも気がつかずに、  由「別段に御祝儀をお遣んなさったのを、お前さんがソレ」  と余計なことを喋り出そうといたしますから、茂二作が気を揉んで睨めたので、お由も気が付いたと見えて、  由「へい、マア左様いうことで、それから私共まで心安くなったので、其の初めは五月の二日でございます」  奉「して見ると柳の懐妊の分ったのは、寛政四年の四月で、幸兵衛が初めて龜甲屋へまいったのは同年五月二日じゃな、それに相違あるまいな」  茂「へい」  由「間違いございません」  奉「そうして其の出生いたした小児は無事に成長致したか、何うじゃ」  由「くり〳〵肥った好いお坊さんでございましたが、御新造のお乳が出ませんので、八王子のお家へ頼んで里におやんなさいましたが、間も無く歿ったそうでございます」  奉「その小児を八王子へ遣る時、誰がまいった、親半右衛門でも連れてまいったか」  由「いゝえ、旦那様はお産があると間もなく、慥か二十日正月の日でございました、急な御用で京都へお出でになりましたから、御新造が御自分でお連れなされたのでござります」  奉「柳一人ではあるまい、誰か供をいたして参ったであろう」  由「はい、供には良人が」  奉「やどとは誰の事じゃ」  茂「へい私が附いてまいりました」  奉「帰りにも其の方同道いたしたか」  茂「旦那が留守で宅が案じられるから、先へ帰れと仰しゃいましたから、私はお新造より先へ帰りました」  奉「柳の実家と申すは何者じゃ、存じて居るか」  茂「へい八王子の千人同心だと申す事でございますが、家が死絶えて、今では縁の伯母が一人あるばかりだと申すことでございますが、私は大横町まで送って帰りましたから、先の家は存じません」  奉「其の方の外に一緒にまいった者は無いか」  茂「はい、誰も一緒にまいった者はございません」  奉「黙れ、其の方は上に対し偽りを申すな、幸兵衛も同道いたしたであろう」  茂「へい〳〵誠にどうも、宅からは誰も外にまいった者はござりませんが、へい、アノ五宿へ泊りました時、幸兵衛が先へまいって居りまして、それから一緒にヘイ、つい古い事で忘れまして、まことにどうも恐入りました事で」  奉「フム、左様であろう、して、柳は幾日に出て幾日に帰宅をいたしたか存じて居ろう」  茂「へい左様……正月二十八日に出まして、あのう二月の二十日頃に帰りましたと存じます」  奉「それに相違ないか」  茂「相違ございません」  奉「確と左様か」  茂「決して偽りは申上げません」  奉「然らば追って呼出すまで、茂二作夫婦とも旅行は相成らんぞ、町役人共左様に心得ませい……立ちませい」  是にて此の日のお調べは済みました。         三十四  奉行は吟味中お由の口上で、図らずお柳の懐妊の年月が分ったので、幸兵衛が龜甲屋へ出入を初めた年月を糺すと、懐妊した翌月でありますから、長二は幸兵衛の胤でない事は明白でございますが、お柳は実母に相違ありませんから、まだ親殺しの罪を遁れさせることは出来ません。是には奉行も殆んど当惑して、最早長二を救うことは出来ぬとまで諦められました。  由「私ア本当に命が三年ばかし縮まったよ」  茂「男でさえ不気味だもの、其の筈だ」  由「大屋さんは平気だねえ」  茂「そうサ、自分が調べられるのじゃアないからの事た、此方とらはまかり間違えば捕縛られるのだから怖かねえ」  由「今日の塩梅じゃア心配しなくっても宜いようだねえ」  茂「手前が余計なことを喋りそうにするから、己ア冷々したぜ」  由「行く前に大屋さんから教わって置いたから、襤褸を出さずに済んだのだ、斯ういう時は兀頭も頼りになるねえ」  茂「それだから鰻で一杯飲ましてやったのだ」  由「鰻なぞを喰ったことが無いと見えて、串までしゃぶって居たよ」  茂「まさか」  由「本当だよ、お酒も彼様な好いのを飲んだ事アないと見えて、大層酔ったようだった」  茂「己も先刻は甚く酔ったが、風が寒いので悉皆醒めてしまった」  由「早く帰って、又一杯おやりよ」  と茂二作夫婦は世話になった礼心で、奉行所から帰宅の途中、ある鰻屋へ立寄り、大屋徳平に夕飯をふるまい、徳平に別れて下谷稲荷町の宅へ戻りましたのは夕七時半過で、空はどんより曇って北風が寒く、今にも降出しそうな気色でございますので、此の間から此の家の軒下を借りて、夜店を出します古道具屋と古本屋が、大きな葛籠を其処へ卸して、二つ三つ穴の明いた古薄縁を前へ拡げましたが、代物を列べるのを見合せ、葛籠に腰をかけて煙草を呑みながら空を眺めて居ります。  茂「やア道具屋さんも本屋さんも御精が出ます、何だか急に寒くなって来たではありませんか」  道「お帰りですか、商売冥利ですから出ては見ましたが、今にも降って来そうですから、考えているんです」  茂「こういう晩には人通りも少ないからねえ」  本「左様ですが天道干という奴ア商いの有無に拘わらず、毎晩同じ所え出て定店のようにしなけりゃアいけやせんから、寒いのを辛抱して出て来たんですが、雪になっちゃア当分喰込みです」  茂「雪は後が長くわるいからね」  と立話をしておりますうち、お由が隣へ預けて置いた入口の締の鍵を持って来て、格子戸を明けましたから、茂二作は内へ入り、お由は其の足で直に酒屋へ行って酒を買い、貧乏徳利を袖に隠して戻りますと、茂二作は火種にいけて置いた炭団を掻発して、其の上に消炭を積上げ、鼻を炙りながらブー〳〵と火を吹いて居ります。お由は半纏羽織を脱いで袖畳みにして居りますと、表の格子戸をガラリッと明けて入いってまいりました男は、太織というと体裁が宜うございますが、年数を喰って細織になった、上の所斑らに褪げておる焦茶色の短かい羽織に、八丈まがいの脂染みた小袖を着し、一本独鈷の小倉の帯に、お釈迦の手のような木刀をきめ込み、葱の枯葉のようなぱっちに、白足袋でない鼠足袋というのを穿き、上汐の河流れを救って来たような日和下駄で小包を提げ、黒の山岡頭巾を被って居ります。         三十五  誰だか分りませんが、風体が悪いから、お由が目くばせをして茂二作を奥の方へ逐遣り、中仕切の障子を建切りまして、  由「何方です」  「はい玄石でござるて」  と頭巾を取って此方を覗込みました。  由「おや〳〵岩村さんで、お久しぶりでございますこと」  玄「誠に意外な御無音をいたしたので、併し毎も御壮健で」  と拇指を出して、  玄「御在宿かな」  というは正しく合力を頼みに来たものと察しましたから、  由「はい、今日は生憎留守で、マアお上んなさいな」  と口には申しましても、玄石が腰を掛けて居る上り端へ、べったりと大きなお尻を据えて居りますから、玄石が上りたくも上ることが出来ません。  玄「へい何方へお出でゞす、もう程のう御帰宅でしょう」  由「いゝえ此の頃親類が災難に遭って、心配中で、もう少し先刻其の方へ出かけましたので、私も是れから出かけようと、此の通り今着物を着替えたところで、まことに生憎な事でした、お宿が分って居りますれば明日にも伺わせましょう」  玄「はい、宿と申して別に……実に御承知の通り先年郷里へ隠遁をいたした処、兵粮方の親族に死なれ、それから已を得ず再び玄関を開くと、祝融の神に憎まれて全焼と相成ったじゃ、それからというものは為る事なす事鶍の嘴、所詮田舎では行かんと見切って出府いたしたのじゃが、別に目的もないによって、先ず身の上を御依頼申すところは、龜甲屋様と存じて根岸をお尋ね申した処、鳥越へ御転居に相成ったと承わり、早速伺ったら、いやはや意外な凶変、実に驚き入った事件で、定めて此方にも御心配のことゝ存ずるて」  由「まことにお気の毒な事で、何とも申そう様がございません、定めてお聞でしょうが、お宅へお出入の指物屋が金に目が眩れて殺したんですとサ」  玄「ふーむ、不埓千万な奴で……実に金が敵の世の中です、然るに愚老は其の敵に廻り逢おうと存じて出府致した処、右の次第で当惑のあまり此方へ御融通を願いに出たのですから、何卒何分」  由「はい、折角のお頼みではございますが、此の節は実に融通がわるいので、どうも」  玄「でもあろうが、お手許に遊んで居らんければ他からでも御才覚を願いたい、利分は天引でも苦しゅうないによって」  由「ハア、それは貴方のことですから、才覚が出来さいすれば何の様にも骨を折って見ましょうが、何分今が今と云っては心当りが」  玄「其処を是非とも願うので」  と根強く掛合込みまして、お由にはなか〳〵断りきれぬ様子でありますから、茂二作は一旦脱いだ羽織を引掛け、裏口から窃と脱出して表へ廻り、今帰ったふりで門口を明けましたから、お由はぬからぬ顔で、  由「おや大層早かったねえ」  茂「いや、これは岩村先生……まことにお久しい」  玄「イーヤお帰りですか、意外な御無音、実に謝するに言葉がござらんて」  茂「何うなさったかと毎度お噂をして居りましたが、まアお変りもなくて結構です」  玄「ところがお変りだらけで不結構という次第を、只今御内方へ陳述いたして居るところで、実に汗顔の至りだが、国で困難をして出府いたした処、頼む樹陰に雨が漏るで、龜甲屋様の変事、進退谷まったので已むを得ず推参いたした訳で、老人を愍然と思召して御救助を何うか」  茂「成程、それはお困りでしょうが、当節は以前と違って甚い不手廻りですから、何分心底に任しません」  と金子を紙に包んで、  茂「これは真の心ばかりですが、草鞋銭と思って何うぞ」  と差出すを、  玄「はい〳〵実に何とも恐縮の至りで」  と手に受けて包をそっと披き、中を見て其の儘に突戻しまして、  玄「フン、これは唯た二百疋ですねえ、もし宜く考えて見ておくんなさい」  茂「二分では少いと仰しゃるのか」  玄「左様さ、これッばかりの金が何になりましょう」  茂「だから草鞋銭だと云ったのだ、二分の草鞋がありゃア、京都へ二三度行って帰ることが出来る」  玄「ところが愚老の穿く草鞋は高直だによって、二百疋では何うも国へも帰られんて」  茂「そんなら幾許欲いというのだ」  玄「大負けに負けて僅か百両借りたいんで」         三十六  由「おやまア呆れた」  茂「岩村さん、お前とんでもねえ事をいうぜ、何で百両貸せというのだ、私アお前さんにそんな金を貸す因縁はない」  玄「成程因縁はあるまいが、龜甲屋の御夫婦が歿った暁は、昔馴染の此方へ縋るより外に仕方がないによって」  茂「昔馴染だと思うから二分はずんだのだ、左様でなけりゃア百もくれるのじゃアない、少いというなら止しましょうよ」  玄「宜しい、此方でも止しましょう、憚りながら零落しても岩村玄石だ、先年売込んだ名前があるから秘術鍼治の看板を掲けさいすれば、五両や十両の金は瞬間に入いって来るのは知れているが、見苦しい家を借りたくないから、資本を借りに来たのだが、貴公が然ういう了簡なら、貸そうと申されてももう借用はいたさぬて」  茂「そりゃア幸いだ、二分棒にふるところだった、馬鹿〳〵しい」  玄「何だ馬鹿〳〵しいとは、何だ、貴公達は旧の事を忘れたのか、物覚えの悪い人たちだ、心得のため云って聞かせよう、貴公達は龜甲屋に奉公中、御新造様に情夫を媒介って、口止に貰った鼻薬をちび〳〵貯めて小金貸、それから段々慾が増長し、御新造様のくすねた金を引出して、五両一の下金貸、貧乏人の喉を搾めて高利を貪り仕上げた身代、貯るほど穢くなる灰吹同前の貴公達の金だ、仮令借りても返さずには置かないのに、何だ金比羅詣り同様な銭貰いの取扱い、草鞋銭とは失礼千万、たとい金は貸さないまでも、遠国から出て来て、久しぶりで尋ねて来たのだ、此様な家へ泊りはしないが、お疲れだろうから一泊なさいとか、また鹿角菜に油揚の惣菜では喰いもしないが、時刻だから御飯をとか世辞にも云うべき義理のある愚老を、軽蔑するにも程があるて」  由「おや大層お威張りだねえ、何ですとアノ」  茂「お由黙っていろ、強請だから」  玄「なに強請だ、愚老が強請なら貴公達は人殺の提灯持だ」  茂「やア、とんだ事をいう奴だ、何が人殺だ」  玄「聞きたくば云って聞かせるが、貴公達は龜甲屋の旦那の病中に、愚老へ頼んだことを忘れたのか」  と云われて、夫婦は恟りして顔色を変え、顫えながら小さな声をして、  茂「これサ、それを云やア先生も同罪だぜ、まア静かにおしなさい、人に聞かれると善くないから」  玄「それは万々承知さ、此様なことは云いたくは無いが、余り貴公達が因業で吝嗇だからさ」  由「それじゃお前さん虫がいゝというもんだ、先生お前さん彼の時御新造から百両貰ったじゃアありませんか」  玄「百両ばかり何うなるものか、なくなったによって、又百両又百両と、千両ばかり段々に貰う心得で出て来て見ると、天道様は怖いもので、二人とも人手にかゝって殺されたというから、向後悪事はいたさぬと改心をしたが、肝腎の金庫が無くなって見ると、玄石殆んど路頭に迷う始末だから、已むを得ず幸いに天網を遁れて居る貴公達へ、御頼談に及んだのさ」  茂「それでも私にア一本という大金は」  玄「出来ないというのを無理にとは申さんが、其の金が無い時は玄関を開く事も出来ず、再び郷里へ帰る面目もないによって、路傍に餓死するより寧ろ自から訴え出て、御法を受けた方が未来のためになろうと観念をしたのさ、其の時は御迷惑であろうが、貴公達から依頼を受けて斯々いたしたと手続きを申し立てるによって、その覚悟で居ってもらわんければならんが、宜しいかね」  と調子に乗って声高に談判するを、先刻より軒前に空合を眺めて居りました二人の夜店商人が、互いに顔を見合わせ、頷きあい、懐中から捕縄を取出すや否や、格子戸をがらりっと明けて、  「御用だ……神妙にいたせ」  と手早く玄石に縄をかけ、茂二作夫婦諸共に車坂の自身番へ拘引いたしました。この二人の夜店商人は申すまでもなく、大抵御推察になりましたろうが、これは曩に吟味与力吉田駒二郎から長二郎一件の探偵方を申付けられました、金太郎繁藏の両人でございます。         三十七  岩村玄石を縛りあげて厳重に取調べますと、此の者は越中国射水郡高岡の町医の忰で、身持放埓のため、親の勘当を受け、二十歳の時江戸に来て、ある鍼医の家の玄関番に住込み、少しばかり鍼術を覚えたので、下谷金杉村に看板をかけ、幇間半分に諸家へ出入をいたして居るうち、根岸の龜甲屋へも立入ることになり、諂諛が旨いのでお柳の気に入り、茂二作夫婦とも懇意になりました所から、主人半右衞門が病気の節お柳幸兵衞の内意を受けた茂二作夫婦から、他に知れないように半右衞門を毒殺してくれたら、百両礼をすると頼まれたが、番木鼈の外は毒薬を知りません。また鍼には戻天といって一打で人を殺す術があるということは聞いて居りますが、それまでの修業をいたしませんから、殺す方角がつきませんが、眼の前に吊下っている百両の金を取損うのも残念と、種々に考えるうち、人体の左の乳の下は心谷命門といって大切な所ゆえ、秘伝を受けぬうちは無闇に鍼を打つことはならぬと師匠が毎度云って聞かしたことを思い出しましたから、是が戻天の所かも知れん、物は試しだ一番行て見ようというので、茂二作夫婦には毒薬をもって殺す時は死相が変って、人の疑いを招くから、愚老が研究した鍼の秘術で殺して見せると申して、例の通り療治をする時、半右衞門の左の乳の下へ思切って深く鍼を打ったのがまぐれ中りで、命門に達したものと見えて、半右衞門は苦痛もせず落命いたしましたから、お柳と幸兵衞は大に喜び、玄石の技術を褒めて約束の通り金百両を与えて、堅く口止をいたし、茂二作夫婦にも幾許かの口止金を与えて半右衞門を病死と披露して、谷中の菩提所へ埋葬をいたしたと逐一旧悪を白状に及びましたので、幸兵衞お柳の大悪人ということが明白になり、長二郎は図らず実父半右衞門の仇幸兵衞を殺し、敵討をいたした筋に当りますが、悪人ながらお柳は実母でございますから、親殺しの廉は何うしても遁れることは出来ませんので、町奉行筒井和泉守様は拠ろなく、それ〴〵の口書を以て時の御老中の筆頭土井大炊頭様へ伺いになりましたから、御老中青山下野守様、阿部備中守様、水野出羽守様、大久保加賀守様と御評議の上、時の将軍家齊公へ長二郎の罪科御裁許を申上げられました。この家齊公と申すは徳川十一代の将軍にて、文恭院様と申す明君にて、此の時御年四十六歳にならせられ専ら天下の御政事の公明なるようにと御心を用いらるゝ折抦でございますから、容易には御裁許遊ばされず、猶お御老中方に長二郎を初め其の他関係の者の身分行状、並に此の事件の手続等を悉しくお訊しになりましたから、御老中方から明細に言上いたされました処、成程半右衞門妻柳なる者は、長二郎の実母ゆえ親殺しの罪科に宛行うべきものなるが、柳は奸夫幸兵衞と謀り、玄石を頼んで半右衞門を殺した所より見れば、長二郎のためには幸兵衞同様親の仇に相違なし、然るに実母だからといって復讐の取扱が出来ぬというは如何にも不条理のように思われ、裁断に困むとの御意にて、直に御儒者林大學頭様をお召しになり、御直に右の次第をお申聞けの上、斯様なる犯罪はまだ我国には例もなき事ゆえ、裁断いたし兼るが、唐土に類例もあらば聞きたし、且別にこれを裁断すべき聖人の教あらば心得のため承知したいとの仰せがありました。         三十八  林大學頭様は、先年坂倉屋助七の頼みによって長二郎が製造いたした無類の仏壇に折紙を付けられた時、其の文章中に長二郎が伎倆の非凡なることゝ、同人が親に事えて孝行なることゝ、慈善を好む仁者なることを誌した次に、未だ学ばずというと雖も吾は之を学びたりと謂わんとまで長二郎を賞め、彼は未だ学問をした事は無いというが、其の身持と心立は、十分に学問をした者も同様だという意味を書かれて、其の後人にも其の事を吹聴された事でありますから、その親孝行の長二郎が親殺しをしたといっては、先年の折紙が嘘誉になって、御自分までが面目を失われる事になりますばかりでなく、将軍家の御質問も御道理でございますから、頻りに勘考を致されましたが、唐にも此の様な科人を取扱った例はございませんが、これに引当てゝ長二郎を無罪にいたす道理を見出されましたので、大學頭様は窃かに喜んで、長二郎の罪科御裁断の儀に付き篤と勘考いたせし処、唐土においても其の類例は見当り申さざるも、道理において長二郎へは御褒美の御沙汰あって然るびょう存じ奉つると言上いたされましたから、家齊公には意外に思召され、其の理を御質問遊ばされますと、大學頭様は五経の内の礼記と申す書物をお取寄せになりまして、第三巻目の檀弓と申す篇の一節を御覧に入れて、御講釈を申上げられました。こゝの所は徳川将軍家のお儒者林大學頭様の仮声を使わんければならない所でございますが、四書の素読もいたした事のない無学文盲の私には、所詮お解りになるようには申上げられませんが、或方から御教示を受けましたから、長二郎の一件に入用の所だけを摘んで平たく申しますと、唐の聖人孔子様のお孫に、伋字は子思と申す方がございまして、そのお子を白字は子上と申しました、子上を産んだ子思の奥様が離縁になって後死んだ時、子上のためには実母でありますが、忌服を受けさせませんから、子思の門人が聖人の教に背くと思って、何故に忌服をお受けさせなさらないのでございますと尋ねましたら、子思先生の申されるのに、拙者の妻であれば白のためには母であるによって、無論忌服を受けねばならぬが、彼は既に離縁いたした女で、拙者の妻でないから、白のためにも母でない、それ故に忌服を受けさせんのであると答えられました、礼記の記事は悪人だの人殺だのという事ではありませんが、道理は宜く合っております、ちょうど是の半右衞門が子思の所で、子上が長二郎に当ります、お柳は離縁にはなりませんが、女の道に背き、幸兵衞と姦通いたしたのみならず、奸夫と謀って夫半右衞門を殺した大悪人でありますから、姦通の廉ばかりでも妻たるの道を失った者で、半右衞門がこれを知ったなら、妻とは致して置かんに相違ありません、然れば既に半右衞門の妻では無く、離縁したも同じ事で、離縁した婦は仮令無瑕でも、長二郎のために母で無し、まして大悪無道、夫を殺して奸夫を引入れ、財産を押領いたしたのみならず、実子をも亡わんといたした無慈悲の女、天道争でこれを罰せずに置きましょう長二郎の孝心厚きに感じ、天が導いて実父の仇を打たしたものに違いないという理解に、家齊公も感服いたされまして、其の旨を御老中へ御沙汰に相成り、御老中から直ちに町奉行へ伝達されましたから、筒井和泉守様は雀躍するまでに喜ばれ、十一月二十九日に長二郎を始め囚人玄石茂二作、並に妻由其の他関係の者一同をお呼出しになって白洲を立てられました。         三十九  此の日は筒井和泉守様は、無釼梅鉢の定紋付いたる御召御納戸の小袖に、黒の肩衣を着け茶宇の袴にて小刀を帯し、シーという制止の声と共に御出座になりまして、  奉行「訴人長二郎、浅草鳥越片町龜甲屋手代萬助、本所元町與兵衛店恒太郎、下谷稲荷町徳平店茂二作並に妻由、越中国高岡無宿玄石、其の外町役人組合の者残らず出ましたか」  町役「一同差添いましてござります」  奉「茂二作並に妻由、其の方ども先日半右衞門妻柳が懐妊いたしたを承知せしは、当年より二十九ヶ年前、即ち寛政四子年で、男子の出生は其の翌年の正月十一日と申したが、それに相違ないか」  茂「へい、相違ございません」  奉「その小児の名は何と申した」  由「半之助様と申しました」  奉「フム、その半之助と申すは是なる長二郎なるが、何うじゃ、半右衞門に似て居ろうな」  と云われ茂二作夫婦は驚いて、長二の顔を覘きまして、  茂「成程能く似て居ります、のうお由」  由「然うですよ、ちっとも気が付かなかったが、左様聞いて見るとねえ、旦那様にそっくりだ、へい此の方が半之助様で、何うして無事で実に不思議で」  奉「ムヽ能う似て居ると見えるな」  と奉行は打笑まれまして、  奉「半右衞門妻柳が懐妊中、其の方共が幸兵衞を取持って不義を致させたのであろう」  茂「何ういたしまして、左様な事は」  由「私どもの知らないうちに何時か」  奉「何れにしても宜しいが、其の方共は幸兵衞と柳が密通いたして居るを知って居ったであろう」  茂「へい、それは」  由「何か怪しいと存じました」  奉「柳が不義を存じながら、主人半右衞門へ内々にいたし居ったは、其の方共も同家に奉公中密通いたし居ったのであろうがな」  と星を指されて両人は赤面をいたし、何とも申しませんから、奉行は推察の通りであると心に肯き、  奉「左様じゃによって幸兵衞を好きように主人へ執成し、柳に謟諛い、体よく暇を取って、入谷へ世帯を持ち、幸兵衞を同居いたさせ置き、柳と密会を致させたのであろう、上には調べが届いて居るぞ、それに相違あるまい、何うじゃ恐れ入ったか」  夫婦「恐入りました」  奉「それのみならず、両人は半右衞門の病中柳の内意を受け、是れなる玄石に半右衞門を殺害する事を頼んだであろう、玄石が残らず白状に及んだぞ、それに相違あるまいな、何うじゃ、恐入ったか」  夫婦「恐入りました」  奉「長二郎、其の方は龜甲屋半右衞門の実子なること明白に相分りし上は、其の方が先月九日の夜、柳島押上堤において幸兵衞、柳の両人を殺害いたしたのは、十ヶ年前右両人のため、非業に相果てたる実父半右衞門の敵を討ったのであるぞ、孝心の段上にも奇特に思召し、青差拾貫文御褒美下し置かるゝ有難く心得ませい、且半右衞門の跡目相続の上、手代萬助は其の方において永の暇申付けて宜かろう」  萬「へい、恐れながら申上げます、何ういう贔屓か存じませんが余り依估の御沙汰かと存じます、成程幸兵衞は親の敵でもござりましょうが、御新造は長二郎の母に相違ござりませんから、親殺しのお処刑に相成るものと心得ますに、御褒美を下さりますとは、一円合点のまいりませぬ御裁判かと存じます」  奉「フム、よう不審に心付いたが、依估の沙汰とは不埓な申分じゃ、其の方斯様な裁判が奉行一存の計いに相成ると存じ居るか、一人の者お処刑に相成る時は、老中方の御評議に相成り上様へ伺い上様の思召をもって御裁許の上、老中方の御印文が据らぬうちはお処刑には相成らぬぞ、其の方公儀の御用を相勤め居った龜甲屋の手代をいたしながら、其の儀相心得居らぬか、不束者めが」         四十  奉行は高声に叱りつけて、更に言葉を和げられ、  奉「半右衞門妻柳は、長二郎の実母ゆえ、親殺しと申す者もあろうが、親殺しに相成らぬは、斯ういう次第じゃ、柳は夫半右衞門存生中密夫を引入れ、姦通致せし廉ばかりでも既に半右衞門の妻たる道を失って居る半右衞門に於て此の事を知ったならば軽うても離縁いたすであろう、殊に奸夫幸兵衞と申合わせ窃かに半右衞門を殺した大悪非道な女じゃによって、最早半右衛門の妻でない、半右衛門の妻でなければ長二郎のために母でない、この道理を礼記と申す書物によって林大學頭より上様へ言上いたしたによって、長二郎は全く実父の敵である、他人の柳と幸兵衛を討取ったのであると御裁許に相成ったのじゃ、萬助分ったか」  萬「恐入りました」  奉「茂二作並に妻由、其の方共半右衞門方へ奉公中、主人妻柳に幸兵衞を取持ったるのみならず、柳の悪事に同意し、玄石を頼み、主人半右衞門を殺害いたさせたる段、主殺同罪、磔にも行うべき処、主人柳の頼み是非なく同意いたしたる儀に付、格別の御慈悲をもって十四ヶ年遠島を申付くる、有難く心得ませい」  二人「有難うござります」  奉「下谷稲荷町茂二作家主徳平、並に浅草鳥越片町龜甲屋差配簑七、其の方斯様なる悪人どもが自分の差配中に住居いたすを存ぜざる段、不取締に付咎め申付くべき処、此の度は免し置く、以後屹度心得ませい」  奉「恒太郎其の方父清兵衞儀、永々長二郎を世話いたし、此の度の一件に付長二郎平生の所業心懸等逐一申立てたるに付、上の御都合にも相成り、且師弟の情合厚き段神妙の至り誉め置くぞ」  恒「へい、有難う存じます」  奉「玄石其の方儀、半右衞門妻柳より金百両を貰い受け、半右衞門を鍼術にて殺害に及びし段、不届に付死罪申付くべきの処、格別の御慈悲をもって十四年遠島を申付くる、有難う心得ませい」  玄「有難うござります」  奉「長二郎親の仇討一件今日にて落着、一同立ちませい」  これで此の事件は落着になり、玄石と茂二作夫婦は八丈島へ遠島になって、玄石は三年目に死去し、茂二作夫婦も四五年の内に死去いたしたのは天罰、斯くあるべき筈でございます。さて長二郎は死罪を覚悟で駈込訴えをいたしました処、もとより毛筋程も悪心のないのは天道様が御照覧になって居りますから、筒井様のお調べ、清兵衛のお慈悲願いから、林大學頭様の御理解等にて到頭実父の復讐となり、御褒美を戴いた上、計らず大身代の龜甲屋を相続いたす事になりまして、公儀から指物御用達を仰付けられましたので、長二郎は名前を幼名の半之助と改め、非業に死んだ実父半右衞門と、悪人なれど腹を借りた縁故により、お柳の菩提を葬うため、紀州の高野山へ供養塔を建立し、また相州足柄郡湯河原の向山の墓地にも、養父母のため墓碑を建てゝ手厚く供養をいたしました。右様の事がなくとも、長二郎の名は先年林大學頭様の折紙が付いた仏壇で、江戸中に響き渡りました処、又今度林大學頭様が礼記の講釈で復讐という折紙を付けられました珍らしい裁判で、一層名高くなったので、清兵衞達の喜びはいうまでもなく、坂倉屋助七も大に喜び、或日筒井侯のお邸へ伺いますと、殿様が先日腰元島路の申した口上もあれば、今は職人でない長二郎ゆえ、島路を彼方へ遣わしては如何との仰せに助七は願うところと速かに媒酌を設け、龜甲屋方へ婚姻の儀を申入れました処、長二郎も喜んで承知いたしたので、文政五午年三月一日に婚礼を執行い、夫婦睦じく豊かに相暮しましたが、夫婦の間に子が出来ませんので、養子を致して、長二郎の半之助は根岸へ隠居して、弘化二巳年の九月二日に五十三歳で死去いたしました。墓は孝徳院長譽義秀居士と題して、谷中の天竜寺に残ってございます。 底本:「圓朝全集 巻の九」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫    1964(昭和39)年2月10日発行 底本の親本:「圓朝全集 巻の九」春陽堂    1927(昭和2)年8月12日発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。 ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号は原則としてそのまま用いました。同の字点「々」やカタカナ繰り返し記号「ヽ」と同様に用いられている二の字点(漢数字の「二」を一筆書きにしたような形の繰り返し記号)は、「々」「ヽ」にかえました。 また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。 底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」、「彼の」と「彼」は、それぞれ「其の」「此の」「彼の」に統一しました。 また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。 ※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫) 入力:小林 繁雄 校正:かとうかおり 2000年10月31日公開 2003年9月21日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。