死者の書 續篇(草稿) 折口信夫 Guide 扉 本文 目 次 死者の書 續篇(草稿) 山々の櫻の散り盡した後に、大塔中堂の造立供養は行はれたのであつた。 それでも、春の旅と言へば、まづ櫻を思ふ習はしから、大臣は薄い望みを懸けてゐた。若し、高野や、吉野の奧の花見られることのありさうな、靜かな心踊りを感じて居たのであつた。 廿七日──。山に著いて、まづ問うたのも、花のうへであつた。ことしはとり別け、早く過ぎて、もう十日前に、開山大師の御廟から先にも、咲き殘つた梢はなかつた。 かう言ふ、僅かなことの答へにも、極度に遜り降つた語つきに、固い表情を、びくともさせる房主ではなかつた。卑下慢とは、之を言ふのか、顏を見るから、相手を呑んでかゝる工夫をしてゐる。凡高い身分の人間と言ふのは、かう言ふものだと、たかをくゝつて居る。其にしても、語の洗煉せられて、謙遜で、清潔なことは、どうだ。これで、發音に濁みた所さへなかつたら、都の公家詞などは、とても及ばないだらう。この短い逗留の中に、謁見した一山の房主と言ふ房主は、皆この美しい詞で、大臣を驚した。其だけに、面從で、口煩い京の實務官たちと、おなじで何處か違つた所のある、──氣の緩せない氣持ちがした。 風流なことだ。櫻を惜しむの、春のなごりのと、文學にばかり凝つて、天下のことは、思つて見もしないのだらう。この大臣は──。 さう言ふ語を飜譯しながら、あの流暢な詞を、山鴉が囀つてゐるのである。 自然の移りかはりを見ても、心を動してゐる暇もございません。そんな明け暮れに、──世間を救ふ經文の學問すら出來んで暮して居ります。 こんなもの言ひが、人に恥ぢをかゝせる、と言ふことも考へないで言うてゐる。さうではなからう──。恥ぢをかゝせて──、恥しめられた者の持つ後味のわるさを思ひもしないで、言ふいたはりのなさが、やはり房主の生活のあさましさなのだ。 ──大臣は、瞬間公家繪かきの此頃かく、肖像畫を思ひ浮べてゐた。その繪の人物になつたやうなおほどかな氣分で、ものを言ひ出した。 其でも、卿たちは羨しい暇を持つておいでだ。美しい稚兒法師に學問を爲込まれる。それから、一かどの學生に育てゝ、一生は手もとで見て行かれる。羨しいものだと、高野に來た誰も彼もが言ふが、──内典を研究する人たちには、さう言ふゆとりがあるから羨しいよ。博士よ進士よと言つても、皆陋しい者ばかりでね──。 大臣は、いやな下﨟たちを、二重に叩きつけるやうなもの(言ひ)をした。物體らしくものを言ふ人たちを見ると、自分より教養の低いものたちから、無理やりに教育を強ひられてゐるやうな氣がして、堪らなかつた。房主もいやだが、博士たちも小半刻も話してゐる間に、世の中があさましいものになつたやうな、どんよりとしたものにしか感じられなくなるのだつた。房主たちをおし臥せるやうな氣持ちで、二重底のある語を語つてゐると思うてゐると、驅り立てられた情熱が、當代の學者たちを打ち臥せるやうな語氣を烈しく持つて來てゐた。 現に今度の高野參詣も、出掛けの前夜になつて、もの〳〵しく、異見を言つて來た俊西入道があつた。儀禮にかうある、帝堯篇には、あゝ書かれてゐる、──そんなことが、天文の急變ではあるまいし、出立ちを三刻後に控へて、言ふやうでは、手ぬかりも甚しい。其も易や、陰陽の方で、言ひ出すのなら、まだしも意味がある。たゞ其が禮法でないの、先例がどうのと言ひ出すのでは、話にもならぬ。 やまには宿曜經を見る大徳が居るだらうな。 お見せになりますか。當山では、經の片端でも讀みはじめたものは、なぐさみ半分に、あれは致します。御座興にならば、私でも見てさしあげます。 ほう──。そこがね。 宿曜師など言ふほどのことも御座いませんので──。本道を申せば、いろ〳〵な術を傳へて居ります山で、── 開山が、易の八卦をはじめて傳へられたとも聞いてゐるが、其はどうなつて居る──。 この時、相手に出てゐた丰惠律師といふのが、不用意に動した表情を忘れない。「此は、山の人々が考へてゐるやうな、公家衆ではないかも知れぬ。」さう謂つた警戒の樣子を、ちらとほのめかした。 大師が唐土から將來せられたといふのは、易の八卦ばかりでは御座いません。もつと、西域の方から長安の都に傳つて居ました日京卜といふ、物の枝を探つて、虚空へ投げて卜ふ術まで傳へて還られました。 大臣は、自分の耳を疑ふやうな顏をした。 なに、木枝を投げて卜ふ──。 見る〳〵和やかで、極度に謙虚な樣子が、顏ばかりではない。肩に、腕に、膝に流れて來た。 其を聞してほしいものだ。……波斯人とやらが傳來した法かも知れぬ。 俄かに、友人に對するやうに親しい感情が漲つて來た。 遺憾なことには、其以上承つて居りません。 誰か、もつとくはしく傳へてゐる人はないものかな。 いや、日京に限りましては、知つたものが、一人も山には殘つて居りません。 それにしても、ありさうなものだが……。其に關聯した記録類があるだらう──。 いえ──。其さへ百年前の□□天火で炎上いたしました。 その書き物が燒けたといふ證據があつて、さう言ふのだらうか。 いえ、全く噂ばかりで御座います。明らかに亡くなつたといふしるしは傳へて居りませぬ。ですが──、何分百年此方、誰もその書き物を見たと申しませんから──。 それもある──。やつぱりあきらめるのかな。 大臣は、日京卜の文獻が、曾て自分の所藏であつたと言ふやうな氣持ちになつて居るのであらう。 だが──何とか調べる方法はないかね。 律師は、返事をしないで、敬虔で空虚な沈默の表情を守つてゐた。 若し御參考になれば、結構だと存じますが、かう言ふ話は、御役に立ちませんでせうか。 百年以來姿を見せなくなつた書物を探し出す方法があると言ふのだね。 そんな確かなことではありません。唯此山でも、外には一切しない方法で、卜ひをする時が、たつた一度御座いますので──すが、まる〳〵關係ありさうでもないのですが、開山大師の御廟に限つてすることでありますし、 大臣は、はやくも、三百年前歸朝僧の船で、大唐から持ち還られた古い書物の行間に身を踊らし、輝かしてゐる紙魚に、自分がなつてゐる氣がしてゐた。 大師だけの大徳になりますと、死後二百年の今に到りましても、まだ鬢髮が伸びます。 あゝさうか──。其は聞いた氣がする。それ〳〵太平廣記といふ──これは雜書だがね──、その書物には、身毒の人屍を以て、臘人を作るとあるがな。臘人を掘り出して藥用にする。其新しき物には、鬢髮を生ずるものあり、とある其だね。 律師は、手ごたへがあるにはあつたが、はぐらかされたやうな氣がした。其よりも、高徳の人なればこそある奇蹟だのに、それを事もなげに、ざらにあるやうにとりあしらふ、此貴人の冒涜的な物言ひを咎める心で一ぱいになつてゐた。 此人は、自分、大師以上の人間だと思うて御座る。さうした生れついた門地の高さがさせる思ひあがりを、懲らしめたい心で燃えてゐた。 大師は、今に生きておはしますのです。屍から化してなる屍臘のたぐひと、一つに御考へになつたやうですが、 いや尤もだ。だが、おこるな〳〵。開山大師はもつと、人柄が大きいぞ。其にどこまでも知識を尊んだ人だ。内典の學問ばかりか、外典は固より、陰陽から遁甲の學、もつと遠く大日教の教義まで知りぬいた人だつた。あゝあの學問の十分の一もおれにはない。 二十年に一度、京の禁中から髮剃り使が立ちます。私もその際、立ちあうたとは申しかねます。が、もう十年も前、御廟へその勅使が立ちました節、尊や〳〵あなかしこ、近々と拜し奉りました。まこと衰へさせられて黒みやつれては居られますが、目は爛々と見ひらいてゐられました。袈裟をお替へ申しあげるかい添へを勤仕いたしました。末代の不思議──現世の増上慢どもに對してのよい見せしめで御座ります。此ほどまざ〴〵と、教法の尊さを示すことは御座いません。 さう言ふ姿を見たと言ふことが、そこの大きな學問になつたのだ。その時、開山の髮髭はどう言ふ樣子だつた。 恐れおほいことで御座います。まことに、二寸ばかり伸びてゐさせられました。髭までは拜しあげる心にはなれませんでした。 心弱いことの。だが〴〵結構々々。さうした經驗は、日本廣しといへども、した人は二人三人ほか居まい。羨しいことだ。時にそれが、どう日京卜と繋つてゐるのだ。 律師は、知識の鬼のやうに、探究の目を輝して、眞向ひの貴人に、壓倒せられる樣な氣になつてゐた。 唯、いつからの爲來りともなく、大師鬢髮の伸びぐあひをはかる占ひめいた儀を行ひます。其は何ともはや、──謂はゞ、目にこそ見ざれ、今あること。其がたゞ肉眼では見えぬだけのこと。御廟の底の大師のお形を、幾重の岩を隔てゝ、透し見るだけのことで御座います。目ざす所は、めどを抽き、龜や鹿の甲を灼いて、未來の樣を問はうとするのでは御座いません。 大臣は、考へ深さうな、感情の素直になりきつた顏をして聞いてゐる。それに向つて、少しでも誠實な心を示さうとする如く、ひたすらに語りつゞける自分を反省することも忘れた律師である。 この山に九十九谷御座います谷の一つ、いづれの登り口からも離れました處に、下﨟法師の屯する村が御座います。苅堂の非事吏と申して、頭を剃ることの許されて居らぬ、卑しい者たちの居る處……その苅堂の念佛聖と申す者どもが傳へて居ります。開山大師大唐よりお連れ歸りの、彼地の鬼神の子孫だとか申します。その者たちが、當山鎭護の爲に、住みつきましたあとが、其だと申すのです。 貴人の心が、自分の詞に傾いてゐるかどうかをはかるやうに、話の先を暫らく途ぎらした。空目を使つて、一瞥した大臣の額のあたりののどかな光り──。 大唐以來大師の爲に櫛笥をとり、湯殿の流しに仕へましたとかで、入滅の後も、この聖たちよりほかに、與らせぬ行事も間々御座います。日京卜らしいものもその一つで──。髮剃の使が見えられて、愈々御廟を開く三日前、一山の中唯三人、身分の高下を言はず、髮剃りの役に當る者が卜ひ定められます。其卜ひを致すものが、苅堂の聖の中から出てまゐります。以前はよく致しました。今は子どもゝ喜ばなくなりました博木をうつやうな事を致します。それも僅かに二本──、やゝ長めな二本の桵の木やうの物の枝を持つて、何やらあやしげな事をいたし居ります。それを色々をこつかした末に、大地の上に立てます。其が大日尊の姿だとか申して、その二本の枝を十文字に括りつけます。此が尊者の身のゆき身のたけ、この竪横の身に、うき世の人の罪穢れを吸ひとつて、卜ひ清めるのだとか申します。 行法終りますと、西の空へ向けて、西の山の端に舞ひ落ちようとする入り日に向けて、投げつけます。この磔物のやうに結ばれた棒が、峰々谷々の空飛び越えて、何處とも知れず飛び去ります。 まことに、僞りとも、まことゝも、まをすだけがわれ〳〵學侶の身には、こけの沙汰で御座います。が、その時、磔物の柱のやうな木の枝が、鬢髮伸びるがまゝに生ひ垂れた、一人の高僧の姿となつて見えるさうに申します。 此御姿を拜んで、翌けの日御廟を開いて、大師のみかげをまのあたりに拜しまゐらせますと、昨日見たまゝの髮髭の伸び加減だと申します。 御僧は、その目で、前の日の幻と、その日の正身のみ姿とを見比べた訣だな──。其が寸分違はぬと世俗に言ふ──その言ひ來たりのまゝだつたかね。──ふうん、其大師の鬢髮の伸びを勘へる、西域の占象だよ。占象では當らぬかな。招魂の法──あれだ。『波斯より更に遙かにして、夷人極めて多し。中に、招魂千年の法を傳ふるあり。謂は、千年の舊き魂をも招き迎へて、目前に致すこと、生前の姿の如し。』と言ふ。 暗記を復誦しながら、如何にも空想の愉しさに溺れてゐるやうな大臣の顏である。 西觀唐紀の逸文にあるのだがね──、その後に、昔、神變不思議の術を持つた一人の夷人が居てね。その不思議な術の爲に、訝まれ疑はれて、磔物にかゝつて死んだ。其後夷人の教へが久しく傳つて、今も行はれてゐる。長安の都にも、その教義をひろめる爲に、私に寺を建てる者があつて、盛んに招魂の法を行つて、右の夷人の姿を招きよせて、禮拜する。信じる風が次第に君子士人の間に擴つて流弊はかり難いものがある。とさう言ふ風のことが書いてあるのだがね。──ちよつと、空海和上が入唐したのが、大唐の貞元から元和へかけての間であつたから、西觀唐紀の出來て間のないことだ。 とにもかくにも、開山大師將來の日京卜のなごりらしく傳へるものは、此だけで御座います。 律師は、知識において大刀うちの出來さうもない相手だと悟つた。それに、美しい詞──。美しい齒ぎれのすが〴〵しい詞を發する清らかな口──。ふくよかな頬──。 山に育つて、青春を經佛堂の間で暮した山僧は、女を眺める心は、萎微してゐた。思ひがけない美しさを感じる目で、周圍の男たちを凝視してゐる時が多かつた。律師は、まのあたりにくつろいだ貴人の、まだ見たことのないゆたけさの何處をとつて見ても、美しさに歸せぬものゝないのに驚きはじめてゐた。 ともかく招魂法を卜象だと考へて來たのだね──。二百五十年以後、──知識の充滿してゐる山に、さりとては、智惠の光りの屆かぬ隅もあるものだ。 貴人の顏は、いよ〳〵冴えて見えた。智惠の光りと言ふのは、此だと律師には思はれた。御廟の中で見た大師のみ姿──其を問はれゝば、隱しをふせることの出來ないやうな氣がし出したのが、彼には恐しかつた。 春の日はまだ、暮れるに間があらう。ぼつ〴〵開山廟まで行きたくなつた。そこに一つ案内を頼みたいが──。 僧綱にしては、少し口數が多過ぎると噂せられた律師は、靜かな擧措に、僅かな詞をまじへるだけなのが、宿徳の老僧の外貌を加へた。 一山を輝すやうな賻物や祿が、數多い房々に配られた。宮廷からのおぼしめしもあり、大臣の奇特な志を示すものもあつた。中に、日頃の生活の色彩の乏しさを思ひ起させるほどきらびやかな歡喜を促したものは、この木幡の右大臣の北の方から寄進せられたといふ唐衣に所屬する一そろひの女裝束であつた。勿論度々の先例もあることだし、一度も身につけない清淨な衣裝は、中堂の本尊に供養して、あとを天野の社の姫神に獻るといふことになつた。多くの久住の宿徳僧にとつては、唯一流れの美しい色の奔流として、槊木にかけられてゐるばかりであるが、まだ心とゞろき易い若さを失はぬ高位の僧たちには、樣々な幻が、目や耳に寄つて來るのが、防げなかつた。まだ得度せぬ美しい稚兒や、喝食を養うてゐる人たちは、心ひそかに目と目とを見合せて、不思議な語を了解しあふのもあつた。之を其等の性の定らぬやうな和やかな者の肌を掩はせて見たいといふ望みである。 翌けの日は、中堂大塔供養の當日である。護摩の煙の渦に咽せ返るやうな一日であつた。丰惠律師は、其間大臣の家の子から出て、入山したと言つた俗縁でゞもあるかと思はれるほど、誠實に貴人に仕へてゐる。中堂の扉がすつかり、あけひろげられた。私闇の中に、烈々と燃え盛つてゐた修法の壇は、依然として、炎をあげてゐたが、夏近い明るい外光を受けた天井・柱・壁・床の新しい彩色が、一時に堂を明るくした。 折り重つて光りの輪を交す大塔──それを𢌞る附屬の建て物、朱と雄黄と緑青の虹がいぶり立つやうに四月に近い山の薄緑を凌ぐ明るさであつた。 その日は思ひの外に早く昏くなつた。「彌生の立ち昏れ」と山の人々は言ふ、さうした日が稀にはあつた。晴れ過ぎる程明るい空が、急に曇るともなく薄暗くなつて、そのまゝ夜になる。かう言ふ日は、宵も夜ふけも、かん〳〵響くほど空氣が冴えて感じられる。 今は眞夜中である。都では朧ろな夜の多い此頃を、此山では、冬の夜空のやうに乾いてゐた。生れてまだ記憶のない恐しい昨日の經驗──それを此目で、も一度見定めようとしてゐるのである。其に底の底まで青くふるひ上つた心が、今夜も亦驚くか──、彼は二代の若い天子に仕へて來た。思ふ存分怒りを表現なさる上の御氣色に觸れて困つたことも、度々あつた。あんな凄さとも違つてゐる。地獄變相圖や、百鬼夜行繪に出て來る鬼どもが、命に徹する畏怖を與へる、あれともかはつてゐる。 とにかくに、かう言ふ常の生活に思ひも及ばぬことがあらうとは思はれぬ。だが目前に、この目で見た。信じてゐる自分ではない。だが、自分で經驗したものを、世間の平俗な考へが、容れないからと言つて、其を此方の思ひ違ひときめるのは、恥しい凡下の心だ。變つて居れば變つたでよいではないか。おれは新しい現實を此目で見て、人間の知つた世界をひろげるのだ。 ──かう考へ乍ら、歩みを移してゐる。兩方は深い叢で、卒塔婆の散亂する塚原である。上は繁りあうた常盤木の木立ちで、道が白んで見える仄暗さだ。沙煙──道の上五尺ほどの高さ、むらむらと沙が捲き立つて行くやうにも見える、淡い霧柱──大臣は、目を疑うた。立ち止つて目を凝して見る。目の紛れではない。白くほのかに、凡、人の背たけほど、移つて行く煙──二間ほど隔てゝ動いて行く影──。 明るくなつた。水の響きが聞えて來た。 鶯が鳴いてゐる。山では聞かなかつた。再、拙い夏聲にかはらうとしてゐるのだ。水面を叩く高い水音が、次いで聞えて來た。蔀戸はおりて居て、枕邊は一面の闇がたけ高く聳えてゐる。其を感じたのは、東側の奧の妻戸が、一枚送つてあつて、もう早い朝の來てゐることを示してゐたから、却て南面の西側近く寢てゐると、やつと自身の手の動くのが、見える位であつた。 村里へ出てゐるのだといふ心が、ひらりと、大臣の記憶がのり出して來る。をゝさうだ。昨日──いや、をとゝひ高野を降つた。あしこに居つた數日の印象があまり、はつきりして居て却て昨日一日のことは拭ひとつたやうな靜けさだつた。 今の今まで夢ともなく、聯想ともなく、はつきりと見えてゐたのは、其はをとゝひの夜、あつたことだ。山の上の小川─玉川─にけぶるやうにうつゝて居た月の光りに、五六間先を行く者の姿を、朧ろながら、確かに見た。「丰惠か」と口まで出た詞を呑んでしまつたのは、瞬間、其姿があんまり生氣のない謂はゞ陰の樣な、それでゐて、ずぬけてせいの高いものだつたから──だ。 だがさう思つた時、その姿はどこにもなかつた。今見た一つゞきの空想も、唯それだけだ。おれは、其影のやうなものを、つきとめたいと思うてゐる。其で、眠りの中に、あれを見たのだ。──他愛もない幻。そんなものに囚れて考へるおれではなかつた筈だ。──いや併し、あの前日のことがなかつたら、こんなにとりとめもないやうな一つ事を考へるわけはない。──あの日、まだ黄昏にもならぬ明るい午後、開山堂の中で見たのは、どうだつた。 おれは、きつと開山の屍臘を見ることだらうと想像してゐた。さう信じて、廿年に一度開く勅封の扉を、開けさした時、其から□□□□□その中の闇へ、五六歩降つて行つた時、丰惠の持つてゐた燈が、何を照し出したか。思ひ出すことゝ、嘔氣とが、一つであつた。思ひ出すことは、口に出して喋るのと、一つであつた。考へをくみ立てるといふことが、自分の心に言つて聞せることのやうに、氣が咎めた。結局、何も考へないことが、一番心を鎭めて置くことになつたのだ。大臣は、考へまいと尻ごみする心を激勵してゐる。 おれは、どうも血筋に引かれて、兄の殿や父君に、段々似通うて來る樣だ。あの決斷力のない關白の爲方を見てぢり〴〵する自分ではないか。何事もうちゝらかしておいて、其が收拾つかぬ處まで見きはめて、愉しんでゞもゐるやうな、入道殿下を見るのも厭はしい氣のしたおれだつたのに──。そのおれが、幻のやうな現實を、それが現實である爲に、一層それに執著して細かに考へようとしてゐる。無用の考へではないか。 急にこの建て物の中が、明るくなつて來たのは、誰かゞ來て妻戸を開いたからである。 おれはようべ、靜かな考へごとをしたいからと言つて、狹い放ち出での人氣のとほいのを懇望して、こゝに寢床を設けさせた。 ところが、夜一夜、おれは心で起きてゐたらしい。景色も、ある物もすべて、あの山の上の寺の町には見えたが、おれのからだは、この邊の野山をうろついてゐた氣がする。第一、あの山での逍遙は、ちつともおのれの胸に息苦しい感じを與へなかつた。住僧たちの上から下まで無學で、俗ぽかつたことは、氣にさはつたけれど、少しも憂鬱な氣持ちを起させる三日間ではなかつた。處が、ようべ──けさの今まで續いてゐた夢─か─は、あの現實に續いてゐるとも思はれぬ、何かかうのしかゝるものゝあるやうな、──形だけは一つで、中身のすつかり變つた事が入りかはつてゐるやうだ。 こりやまるで伎樂の仁王を見てゐると思ふ間に、其仁王の身に猿が入り替つて、妙なふるまひを爲出したやうなものだ。 さういふ風に輕蔑してよいものにたとへることが出來たので、やつと、氣の輕くなるのを感じた。ついで、廣びろとした胸──、あゝやつと平生のおれが還つて來た。昔からこの國の第一人者といはれた人は、「不可思議」に心は抅へられなかつた。「不可思議」のない空虚な天地に一人生きてゐる──寂しさを、おれが感じるだけでも、昔の人たちとは違つてゐるのでないか──さう氣が咎めるほどなのだ。 ……をゝさうだ。すつかり忘れるところだつた。山から貰ひうけて來た楞善院の喝食は、こゝに來てゐるのだらうか。 來うよ。こうよ。 すつかり明るくなつてゐる妻戸の外に、衣摺れの音が起つた。 召しますか。 美しい聲だ。おれの殿には若いをのこども、若女房が澤山ゐるが、此ほど爽やかな聲を聞いたことがない。あれだな──、敏いらしい者と感じたのだが、やつぱり──思ふ通りの若者だつたな──。それに、あの嫻雅なそぶりが、山のせゐで、飛びぬけて美しく思はれたのでなければ、──今度の旅の第一の獲物と考へてよいだらう。さう幸福な感じが漲つて來るのを覺えた。 寺の者どもに聞け。ようべ、この山里には、何事もなかつたかとの──。 次いで、すゞやかな聲が、それに受けこたへて、物音も立てずに、板間をわたつて行つた。 幾日か前からあるべき筈の知らせもなく、あつたと思ふと二刻も立たぬ間に、大臣の乘り物の輿が、本道から入りこんだ村里へ抂げられた。當麻の村に、俄かに花が降り亂れて來た樣に、光り充ちた騷々しさが湧き起つた。 それも昨日、今日は都の貴人をやどす村里とも覺えぬしづけさである。 のどかな卯月の日がさして、砂を敷いた房の庭は、都らしく輝いてゐる。岡の前が、庭にのり出て、まだ早い緑をひろげてゐる。山の小鳥が揃うて、何か啄んでゐるのは、小さな池の汀に咲き出した草の花があるのである。 召しもなくあがりました。丰惠に勤まるやうな御用ならばと存じまして……。 をゝさうだつた、と言ふ輕い反省が起つた。 あゝ律師か。ひどい辛勞だつたな。山からこゝまで、常ならば、二日道だらうに。 いえ、幼いから馴れた山育ちですから、山は樂過ぎます。却て昨日晝半日の平地の旅にはくたびれました樣なことで御座います。 律師、その山から貰つて來たせがれは、何といふのだつたね。 穴師丸。 なに穴師丸。妙な名だね。 丰惠は、これで引きとります。ます〳〵お榮えになりますやう。 丰惠、山はよかつた──。日京卜を傳へたり、穴師を育んだり……又登山するをりもあらうよ。 その節を待ち望けまする。 丰惠阿闍梨は、山の僧綱の志を代表して、麓の學文路村まで、大臣の乘り物を見送らうと言ふつもりで、山を降つた。だが紀の川を見おろす處まで來ると、何かなごりの惜しい氣持ちが湧いて來た。せめて大和境の眞土の關まで、お伴をしようと考へるやうになつた。國境の阪の辻まで來ると、何か牽くものゝあるやうな氣持ちが壓へられなくなつて、當麻寺まで送り屆けよう。山の末寺でもあり、知己の僧たちにも逢ひたくなつたのであつた。 では、律師を送つて、總門のあたりまで、おれも出て見よう。 やめに遊ばされませ。勿體なすぎます。 内の上扱ひは、よしたがよい。おれは、外の公家たちのやうなことは、喜ばないぞ。 内の上と謂はれた宮廷の主上は、出入りにも、御自身の御足を以ておひろひなされぬといふ噂は、世の中にひろまつてゐた空言であつた。併し、その空言を凡實現するのは、大貴族の人たちだつた。近代になつて、宮廷に行はれてゐる事で、大公家の家で行はれてゐないことなど、凡一つもなかつた。時々畏れ多いなど言ふ考へを持つ人もあるが、其は宮中勤めの仲間をはづれて、稍老いはじめてから、公家女房に立ちまじるやうになつた古御達だけであつた。内の上に限つてあることは、時々内侍所にお仕へになる日があることである。殊に冬に入つてからは、其が多かつた。隙間風の激しい板敷きの上に半日以上、すわり暮しておいでの時もあり、夜中から曉方まで、冷えあがるやうな夜、三度までお湯をお使ひあそばすこともあつた。 神代以來の爲來たりだとはいへ、内侍所に仕へる女たちも、しみ〴〵つらく感じてゐる。其をもつと烈しい度合ひでなさるのが、内の上の、神樣に對してのお勤めであつた。 かう言ふことの眞似びは、公家のどの家でもすることではなかつた。 南北三町・東西五町にあまる境内。總門は南の岡の上にあつて、少しの勾配を降ると、七堂伽籃の立つ平地である。門の東西に離れて、向きあつた岡の高みに、雙塔が立つてゐる。 寺は、松の林の中にあつて、門から一目に見おろされる構へであつた。 今の京になつて三百年、その前にまだ奈良の宮・飛鳥の都百五十年を隔てた昔、この寺をこゝに建てた家は、一族ひろい氏であつたが、其があとかたもなく亡びてしまつて、氏寺だけが殘つた。 寺は、丹も雄黄ももの古りたが、都の寺々にも劣らぬ結界の淨らかさである。 内から南は、たゞ野である。畠もない。だが林もない。叢と石原とが、次第上りの野に續いてゐて、末は、高い山になつてゐた。阿闍梨一行は昨日來た道を歸つて行つた。寺から下にある當麻の村にさがつて行く道だから忽見えなくなつた。 葛城の峰は、門の簷から續いて、最後は、遠く雲に入つてゐる。その高い頂ばかり見えるのが、葛城のこゞせ山、それから梢低くこちらへ靡いてゐるのが、かいな嶽。その北に長い尾根がなだれるやうに續いて、この寺の上まで來てゐる。さうして、門を壓するやうに立つてゐるのが、二上山である。 大臣は、……(中絶) 底本:「折口信夫全集 第廿四卷」中央公論社    1955(昭和30年)年6月5日初版発行    1967(昭和42年)年10月25日新訂版発行    1974(昭和49年)年4月20日新訂再発行 ※「死者の書 續篇」は、大学ノートに書かれていた草稿で、この題名は「折口博士記念古代研究所」によってつけられたものです。 ※踊り字(〳〵、〴〵)の誤用の混在は底本の通りとしました。 入力:高柳典子 校正:多羅尾伴内 2003年12月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。