横須賀小景 芥川龍之介 Guide 扉 本文 目 次 横須賀小景        カフエ  僕は或カフエの隅に半熟の卵を食べてゐた。するとぼんやりした人が一人、僕のテエブルに腰をおろした。僕は驚いてその人をながめた。その人は妙にどろりとした、薄い生海苔の洋服を着てゐた。        虹  僕はいつも煤の降る工廠の裏を歩いてゐた。どんより曇つた工廠の空には虹が一すぢ消えかかつてゐた。僕は踵を擡げるやうにし、ちよつとその虹へ鼻をやつて見た。すると──かすかに石油の匂がした。        五分間写真  僕は或晩春の午後、或若い海軍中尉と五分間写真を映しに行つた。写真はすぐに出来上つた。しかし印画に映つたのは大きいⅥといふ羅馬数字だつた。        小さい泥  僕は或十二三のお嬢さんの後ろを歩いて行つた。お嬢さんは空色のフロツクの下に裸の脚を露してゐた。その又脚には小さい泥がたつた一つかすかに乾いてゐた。  僕はこのお嬢さんの脚の上の泥を眺めて行つた。すると泥はいつの間にかアメリカ大陸に変つてゐた。山脈や湖や鉄道も一々はつきり盛り上つてゐた。  僕はおやと思つてお嬢さんを探した。が、お嬢さんは見えなかつた。僕の前には横須賀軍港がひろがり、唯一面に三角の波が立つたり倒れたりしてゐるだけだつた。 ──旧稿より── 底本:「芥川龍之介全集 第十三巻」岩波書店    1996(平成8)年11月8日発行 入力:もりみつじゅんじ 校正:林 幸雄 2002年1月26日公開 2004年3月17日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。