横光利一



 リカはときどきわたしかお盗見ぬすみみするようにつやのあるげた。わたし彼女かのじょぜそんなかお今日きょうかぎってするのかはじめのあいだ見当けんとうがつかなかったのだが、それがわかったころにはもうわたし彼女かのじょわたしあいしていることをかんじていた。便利べんりなことにはわたしはリカ彼女かのじょ良人おっとからうばおうというもなければ彼女かのじょうば必要ひつようもないことだ。ぜならわたしはリカ彼女かのじょ良人おっとうばわれたのだからである。この不幸ふこうなことがさいわいにも今頃いまごろ幸福こうふく結果けっかになってたということは、わたしにとっては依然いぜんとして不幸ふこうなことになるのであろうかどうか、それはわたしにはわからない。わたしはリカ──わたしつまだったリカをQからられたのはそれは事実じじつだ。しかし、それはわたしかれにリカあたえたのだといえばいえる。それほどもわたしとリカとQとのあいだには単純たんじゅんまよいをおこさせるすじがある。それは世間せけんにありふれたことだとおもわれるとおりの平凡へいぼん行状ぎょうじょうだが、ここにわたしにとっては平凡へいぼんだとおもえない一てんがひそんでいるのだ。ひと二人ふたりおればまア無事ぶじだが三にんおれば無事ぶじではなくなる心理しんりながれがそれが無事ぶじにいっているというのは、どこか三にんなか一人ひとり素晴すばらしくかしこいかたれかが馬鹿ばかかのどちらかであろうように、三にんなかでこの場合ばあいわたしが一ばん図抜ずぬけて馬鹿ばかなことはたしかなことだ。Qとわたしとにいたってはことごとにわたしほう馬鹿ばか成績せいせきげているのだ。もとをあらえば私達わたしたち二人ふたり、Qとわたしとは同年どうねん同級どうきゅう専攻科目せんこうかもくさえおなじだったところへ、おな食客しょっかくとしてリカいえうえしたとで彼女かのじょまよわせることにかけても同様どうよう注意ちゅういはらっていたのだ。結晶学けっしょうがく実習じっしゅうでダイヤモンドの標本ひょうほん学校がっこうからってかえり、はじめてリカせたのがおもえばこのリカのわれわれ二人ふたりまよしたはじめであった。つまり、リカ人生じんせいはダイヤモンドからはじまったのだ。そのとき私達わたしたちはQの部屋へやいまわたししたでしてたダイヤモンドの結晶面けっしょうめん測定そくていについてはなしていた。すると、リカ丁度ちょうどちゃって這入はいってていつものようにはなし、そのダイヤモンドはどこのさんかと質問しつもんした。ところが、わたしにはそのダイヤモンドの母岩ぼがんとの関係かんけいとか産出状態さんしゅつじょうたいとか自然性しぜんせい結晶面けっしょうめんとかはわかっていても、その少女しょうじょもっとりたい平凡へいぼんなことだけはわからなかった。すると、Qはじつわたし驚歎きょうたんしたのであるが、ただちにそれはミナスゲラスだといいった。わたしにはミナスゲラスはどこのくににあるのかさえもわからないのに、リカ──ようや女学校じょがっこうかかった彼女かのじょに、わかろうはずもないことをいうQの心理しんりに、はじめはわたしとておどろかざるをないのだが、しかし、わたしおどろきはたちまかれへの尊敬そんけいねんかわしてふたたまったべつおどろきにかわしたというのは、ほかでもない。Qはあやしいかおをしているわたし表情ひょうじょうむかってげつけるように、そのダイヤモンドの母岩ぼがん礫岩れきがんであり削剥堆積さくはくたいせき噴出状態ふんしゅつじょうたい痕跡こんせきあらわしているところると、オルドウィス噴出ふんしゅつにちがいなく、母岩ぼがん礫岩れきがんでオルドウィス噴出ふんしゅつなら、ミナスゲラス以外いがいにはないではないかといいした。わたしにはミナスゲラスさえらないのにどうしてQがそのミナスゲラスとダイヤモンドとの関係かんけいっているのだろうか、これはまったおどろ以外いがいにはなくなって、ふとわたしはリカそばにいることさえわすれてしまい、きみのいうミナスゲラスとはいったいどこだいといてみた。すると、Qはこれ以上いじょうリカのいるまえわたしはずかしおもいをさせるのをつつしむかのようにだまりながら、Minas Geraesと鉛筆えんぴついてコーヒーだといった。ははあブラジルかとわたしはいったがもうそのときはおそかった。いつも二人ふたり知識ちしきくらべたがる年齢ねんれいのリカまえでのこの最初さいしょ敗北はいぼくは、人生じんせいなかばを敗北はいぼくつづけたのとおなじことだ。わたしはそれからはこの最初さいしょ敗北はいぼくかえそうとしてかれしたで一そうはげしく勉強べんきょうをしはじめたのだが、わたしがすればするほどQも二かいでそれだけ勉強べんきょうをしているのだ。おなりょう勉強べんきょう二人ふたりがしているとするといつもわたしほうがはるかにかれより勉強べんきょうしないことになっていく。わたしがランゲをめばQはバウエルをんでいる。わたしがフムボルトをめばかれはローレンツとモアッサンをんでいる。わたしようやくモアッサンにかかるともうかれはウォルフとハッスリンガーにかかっているという状態じょうたいで、ずにわたし勉強べんきょうしたとてとてもかれにはおよぶことが出来できないのだ。なにかなしいといったとて自分じぶんてきあたまうえ自分じぶんとの距離きょりをますますばしていくことほど口惜くやしいことはないであろう。しかし、それがあまりにかけはなれるともうわたしはただかれ尊敬そんけいすることだけが専門せんもんになりはじめた。かれにとってははじめからわたしなどはてきではないのだ。それをおろかしくもこちらがてきだとおもってひとりくよくよしていた自分じぶん格好かっこうかんがえると、わたし私自身わたしじしんどくでならなくなった。ことにQにはかれえず凌駕りょうがしていた敵手てきしゅのAがあったのだ。AとQとはQとわたしとの場合ばあいにおけるがようになにかにつけてAのほううえになった。Qが凡水論ネプチュニズムにかかっているとAは凡火論ボルカニズムにかかっている。Qが災異論カタストロフィズムにかかっているとAはもうパイエルの進化論しんかろんにかかっているという調子ちょうしがQをますます勉強べんきょうさせていたのである。しかしわたしはQがAに圧迫あっぱくされているこの状態じょうたいたいして復讐ふくしゅう快感かいかんよりも応援おうえん快感かいかんかんじてむちった。ある研究報告会けんきゅうほうこくかいでQがAにかされたときなどにはわたしわたしがQであるかのようにしおれてしまった。それは丁度ちょうどわたしがQからミナスゲラスでされたときのように。QはAから岩石学がんせきがく最大問題さいだいもんだいである岩漿分化がんしょうぶんか母液ぼえきとの関係かんけい説明せつめい這入はいってされしたのだが、Aは突然とつぜん黒曜石こくようせき結晶母液けっしょうぼえきとなるべき硅酸けいさん比重測定ひじゅうそくてい方式ほうしきはダーウィンによってはじめられたといいしたのだ。わたし無論むろんのことそこにならんでいた者達ものたち同様どうよういままでダーウィンを生物学者せいぶつがくしゃだとばかりおもっていたQにとって、これはあまりに意外いがいであった。もうそうなればいままでの問題もんだいであった熔岩中ようがんちゅう各鉱物かくこうぶつ比重差ひじゅうさ沈澱位置ちんでんいちなどということにかけてはAがもっともよくっているにきまっているのだ。はそれから次第しだい結晶学けっしょうがく法則ほうそくそのままのかたちをとりはじめ、その各人かくじん比重ひじゅうしたがってしずした。わたしはQよりはるかにおとっている自分じぶんかんがえ、そのQよりもはるかにすぐれたAをかんがえ、そのAと自分じぶんとの比較ひかくすべくもなき素質そしつ距離きょりかんがえると、もう自分じぶん運命うんめいさえ判然はんぜんとなってまえあらわしたのだ。わたしあたまはそれからいよいよ謙遜けんそんになる一ぽうであった。Qにたいしては勿論もちろんのこと、友人ゆうじん隣人りんじん長上ちょうじょう年少ねんしょうものたいしてさえもわたしあたまげることが出来できなくなった。わたしかみのことをかんがしたのもつまりはそのときからである。ひと肉体にくたいみなそれぞれことごと同数どうすう筋肉きんにく骨格こっかくとをっているにもかかわらず、この素質そしつ不均衡ふきんこう何事なにごとであろうか、とかんがえたのがかみへの一わたしちかづきであった。いまおもえばわたしがこの探索たんさく方向ほうこうをもったということが、私達わたしたち友人ゆうじんなかでの特長とくちょうある素質そしつであったことにがつくのだが、そのときはそれがわたし友人達ゆうじんたちからの敗北はいぼく結果けっかだとばかりよりおもえなかった。それ以後いごわたし謙譲けんじょうさはわたしとQとのあいだを一そうしたしく接近せっきんせしめるばかりであった。Qはわたしにはことごとに助力じょりょくあたえ、わたし性格せいかく友人中ゆうじんちゅうならぶものもなくたかいといい、わたし頭脳ずのう速度そくどおそ原因げんいん過度かどあたまさがつねぎゃくはたらくがためだとめ、発見力はっけんりょく発明力はつめいりょくはQやAのあたまはたらきにはなくつねわたしあたま逆廻転力ぎゃくかいてんりょくにあるという。それのみならずかれわたしとリカちかづけることによろこびをかんじるかのように彼女かのじょわたしとをいたわるのだ。わたしはQがそのようにもかわはじめたことについては、それがかれ美徳びとく当然とうぜんあらわれだとおも以外いがいにはかんじることが出来できなかった。そうして、わたしとリカとはいつのにかQの寛大かんだいさにあまえて結婚けっこんする破目はめになった。それはわたし彼女かのじょ最初さいしょ誘惑ゆうわくしたのか彼女かのじょわたし誘惑ゆうわくされたのかわからぬのだが、そのとき家中うちじゅうたれひとがいなかったということが二人ふたり不幸ふこう原因げんいんつくったのだ。ただわたしはそのときいつものように噴火口ふんかこうからひろって粗面岩そめんがん吹管分析すいかんぶんせきにかかっていると、突然とつぜんリカわたし部屋へや這入はいっててデアテルミイがこわれたようだからもらいたいという。わたし彼女かのじょ何事なにごとかいわれると不思議ふしぎ自分じぶん勉強べんきょう習慣しゅうかんがついていて、した瞬間しゅんかんこれは失敗しまったといつもおもうのだ。そこへいくとQは勉強べんきょうときとなるとたれなにをいってもよこくことさえまれである。わたしわたし勉強べんきょうしてリカうしろからいていきながらもQのえらさをかんがえさせられてひとり腹立はらだたしささえかんじていた。それでわたし他人たにん勉強べんきょうをしているとき教養きょうようある女性じょせいともあろうものが邪魔じゃまをするのだとおこりながらリカ部屋へや這入はいっていくと、あなただからこそいつでもんでもたのめるのだ、デアテルミイのように直接ちょくせつ自分じぶん皮膚ひふへあてがう機械きかいくるったのをなおしてもらうのもあなただからこそではないかという。しかし、わたしわたし自分じぶんあたまがだんだんわるくなるのもきみわたしあたま使つかうからだ。おな使つかうならわたしあたまげるように使つかってくれ、そうでなくともわたしあたまきみほうぎてこまるのだというと、リカきゅうだまってしまってわたしひざあたまをつけたままうごかない。わたしうごかないリカうえからていると、わたしがリカにそういうことをいう資格しかくもないにもかかわらずいいしたのでリカこまっていているのだとおもんだ。それでわたしなにかいいわけをしようとおもい、周章あわてて彼女かのじょおこそうとすると、リカはリカわたし彼女かのじょをいよいよ事実的じじつてきあいしたのだとおもんだとえて、ますますぴったり身体からだをひっつけてはなれない。すると、わたしあたまは一そう混乱こんらんはじめるばかりでなにんだかわからなくなり、時間じかん場所ばしょ私達わたしたち二人ふたりからだんだんと退しりぞいてしまったのだ。この過失かしつをこれだけだとするとべつにこの二人ふたり行為こうい過失かしつではないのだが、この事件じけんもっと最初さいしょに、二人ふたり意志いしとはまった関係かんけいのないデアテルミイの振動しんどうがリカ身体からだ振動しんどうさせていたということが、二人ふたり運命うんめいをひき原因げんいんとなって黙々もくもくよこたわっていたのである。あとづいたのだがこのラジオレーヤーと同様どうよう機械きかいわたしがリカ部屋へやへいくまえから、リカ最早もはやいくらかの腹痛ふくつう自分じぶんなおすためにかけていたのだ。だから彼女かのじょがその途中とちゅう機械きかいくるいをなおそうとしてわたしびにときには、もう彼女かのじょ身体からだは十ぶん刺戟しげきけてすで過失かしつおかされていたのである。しかし、わたし彼女かのじょのそのとき興奮こうふんがただわたしためばかりだとながあいだおもっていて、彼女かのじょがそのときそのようにもわたしあいした態度たいどなかには、機械きかいおそらくその大半たいはんをこっそりめていようなどとはおもっていなかった。わたしはそれからというもの夜盗やとうのように家人かじんすきねらうと同時どうじにリカ結婚けっこんする準備じゅんびばかりにいそした。わたしはそのことをQにはなしていものかどうかとはじしばらくのあいだまよっていたのだが、とうとうそれをした。すると、Qはしばらだまっていてからわたしかおて、大丈夫だいじょうぶかと一言ひとこといった。わたしはQがだまっているのはQがリカあいしていたからにちがいないとおもってひやりとしていたところなので、QがそういうとはじめてQはわたし生活せいかつ心配しんぱいしていてくれたがためだまっていたのだとがついた。わたしはQに感謝かんしゃをし、Qにもいわずリカとそういう状態じょうたいになったのもじつきみあまわたし看視かんししていてくれなかったからだというと、それなら看視かんしをしなくてかったといってQはわらいながら、もしこれから二人ふたり生活せいかつこまれば遠慮えんりょをせずにいうようとまではげましてくれた。そこで私達わたしたち結婚けっこんすると同時どうじわたし地質学協会ちしつがくきょうかいつとめQは大学院だいがくいんのこるようになった。そうして私達わたしたちはそのねんあいだ幸福こうふくであった。Qとのおだやかな交際こうさいつづけられた。わたしだい紀層きそう調査ちょうさにかかるとQはますますふか層位学そういがくほう這入はいっていった。しかし、このわれわれの交友期間こうゆうきかんしずけさは河水かすいはさんで屹立きつりつしている岩石がんせきのようなものであった。みずえずながれていたのだ。わたしをも感動かんどうせしめるQの美徳びとく才能さいのうとは二人ふたりあいだむかしからながれていたリカにだけうつらないはずはないのである。もなくリカこころはQの幻想げんそうため日々ひびわたしわすした。これをいいえると、その最初さいしょわたしあたえたリカなかからデアテルミイの効力こうりょくがだんだんかげひそめて来始きはじめたのだ。機械きかいと一しょになって彼女かのじょ征服せいふくしていたわたし機械きかいからられると、それにかわるべきなにものかを彼女かのじょあたえなければならなくなったのだ。しかし、わたしにはそれがなにものであるかわからなかった。はじめのあいだわたしはリカのそれが頭脳ずのう成長せいちょうだとおもってしのんでいた。ところ彼女かのじょはだんだんわたしけるばかりではない。一言ひとことあらそいにも彼女かのじょはしまいにQのし、ひとりいるときえずかみうえへQのき、睡眠すいみんとき囈言うわごとにもQのはじめた。わたし彼女かのじょのそうすることには嫉妬しっとかんじないばかりか良人おっと友人ゆうじんあいすることはもっと良人おっとあいする証拠しょうこでありもっと気品きひんのある礼譲れいじょうだとさえおもっていた。するとリカわたしのこの快活かいかつ礼節れいせつたいして一そう彼女かのじょのその礼節れいせつ適用てきようさせ、しまいにはQは自分じぶんわたし彼女かのじょあいしていたよりもあいしていたといいはじめた。そういわれるとわたしなにもいうことが出来できなくなり、リカからかんがえればかんがえようによってはそれにちがいないとおもし、それがしばしばつづけられるとあるいはそれはそうであったのかもしれないとおもい、なお彼女かのじょにいわれるとそれほど彼女かのじょのいうところてもこれはかならずQのほうわたしよりもあいしていたのだとおもうようにまですすんでた。するとわたし結婚けっこんするまえQにちあけたさいのQのしばらくの沈黙ちんもくおもした。そのときわたしはそれはQがわたしのことを心配しんぱいしていたからだとよろこんだことがじつ反対はんたいで、Qはかなしみのあまりだまってしまい、わたし気附きづかれたとおもうやいなやきゅうわたしへの心配しんぱいさをあらわしたのではないかとおもうようになった。そうおもうともうわたしにわかにリカがそのときから自分じぶんつまだというがしなくなった。わたし生活せいかつ根柢こんていからさかさまになりはじめた。いままでわたしはリカわたしあいしていたから結婚けっこんしたのだとおもっていたのもそれもわたしだけのかんがえで、じつはリカもQをあいしており、Qもリカあいしていたのだとわかってみると、わたし狼狽ろうばい仕方しかたはもうあなばかりさがしてかくれることよりなくなりした。かつてのQの美徳びとくのためになされた私達わたしたち結婚けっこんが、これほどもわたし不幸ふこうあたえたことをわたしなげつづけた。結婚けっこんとはけたことだとおもいだしたのもそのときからだ。しかし、わたしはQがひそかにあいしていたリカをQから最初さいしょうばったのだとおもうと、わたしよりも日々ひびなげつづけていたにちがいないQの忍耐にんたいたいして、ふたたわたしいまわたしちいさい忍耐にんたいをもって対立たいりつさせねばならなかった。この奇怪きかい忍悔にんかい競争きょうそうなかで、リカはますますわたし結婚けっこんしたことの後悔こうかいおもさのためにちぢんでた。わたし彼女かのじょ日々ひび容子ようすをもうるにしのびなかったし、私自身わたしじしんももうそれ以上いじょうこのままの生活せいかつにはえることが出来できなくなった。わたしおもいきってリカにQのところくようにとすすめてみた。一ひとつまになっただとはいえ、ひとつまなどにさせたのはQではないか、しかもおのれのうべきいしわたしわしたのだ。わたしがそのいしふたたびQにかえしたとてかれわたしおこることは出来できないであろうとわたしがいうと、リカかおあからめながら「く」といった。そこでわたしはリカをQのいえもんまでおくってゆきながら、途々みちみち、またわたしはQとの「忍耐にんたい」の競争きょうそうにおいてもかれからかされたことにがついた。しかし、それからのわたしひとりの生活せいかつさびしさは彼女かのじょっていたの「忍耐にんたい」とはくらべものにならなかった。ことにときどきリカはひとりわたしところあそびにるのだ。わたしはリカるなといっても是非ぜひQがわたしところへゆけといってきかないという。それならなおてはいけないではないかというと、でもわたしてみたいのだと彼女かのじょはいう。わたしるなといいQがけというこのつつましやかな美徳びとくてんにおいてさえも、猶且なおかけとすすめるQのほうわたしよりもすぐれているのだ。美徳びとく悪徳あくとくわたしはリカかおせられる度毎たびごとに、わたしとQとの美徳びとく悪徳あくとくについてかんがえずにはいられなかった。しかもリカわたしあいしていないにもかかわらず、わたしあわれむ姿すがた愛情あいじょうおおきさをさえふくめなければならぬのだ。わたしわたしでQとリカとからけた過去かこ過度かど恩愛おんあいたいしても彼女かのじょのしたいままなる行状ぎょうじょうゆるしていなければならない。わたし彼等かれら二人ふたりのいかなるてんいか必要ひつようがあるのだろう。ただわたしにとって惨酷ざんこくなのはQとリカとのわたしあわれ愛情あいじょうだけだ。それも彼等かれらにとってはわたしあわれまないよりあわれむほうわたし尊重そんちょうすることになっているのはわかっている。しかも、彼等かれらにとってわたしあわれみつづけることはなお一そう苦痛くつうつづけていることになっているのだ。ここに不用ふようなものが一つある。──わたしそれをリカ説明せつめいしてQにいうように彼女かのじょにいった。すると彼女かのじょのいうにはそんな取越苦労とりこしくろうはあなたたちのすることではなくって、わたしひとりでしていればいのだという。それならもうもらわないほう結構けっこうだというと、わたしはあなたがやはりきなんだから仕方しかたがない。もうしばらくすっかりきらいになるまでっていてくれとたのむのだ。あまりにむしく、あまりにそれは勝手かってすぎるではないかとわたしがいっても、こんなにしたのはそれなら二人ふたりうちだれだという。そういわれればそれは矢張やはわたしにちがいないのだし、わたしとても彼女かのじょわないつづくと、そのあいだほとんどリカ幻想げんそうばかりでうずまってしまうのだ。これではこまる、どうかしようとおもってもそのうちにわれながらあさましくなるほど元気げんきがすっかりなくなってぼんやりする。わたしはリカわたしさびしさをげることが出来できないばかりではない。彼女かのじょうとただ一彼女かのじょいたくないことばかりをいわねばならぬのだ。彼女かのじょもそれをっていて、わたしいにるといたくなったとはいわずにQの美点びてんばかりをいうのである。わたし彼女かのじょからQの悪口あっこうくよりも二人ふたりみとめた美点びてんをなお持続じぞくさせてよろこほういのだが、しかしだんだんQをめているリカ言葉ことばわたし性格せいかくよろこびをあたえるためだけだとかんした。なに彼女かのじょのうちにはわたしおもっていること以外いがいあたらしい変化へんかおこっているのではないか。そうわたしおもってからしばらくしてからであった。地質学者ちしつがくしゃ雑誌ざっしうえつづけていたQとAとの介殻類かいがらるい化石かせきかんする論争ろんそうはげしくなった。それはわたしのQをうらこころ手伝てつだわなくとも、その豊富ほうふ材料ざいりょう帰納的きのうてき整理せいりにおいても推理すいりつらぬ原則げんそく確実かくじつ使用法しようほうにおいてもあきらかにQのほうけであった。しまいにはQはAから独逸語ドイツごのPerefactenよりFossilのほう化石かせき意味いみには適当てきとうしているからそれを使つかえ、Fossilはラテンすことを意味いみするFossereからの転化てんか古生物こせいぶつやくするぐらいだれでもっていることであろうとまでいわれていた。勿論もちろんわたしはAのこの傲慢ごうまん態度たいどにははらてたがそれよりめQの敗北はいぼくには同情どうじょうせざるをなかった。さだめしQは日々にちにち不快ふかいつづけていることであろうとおもうとそのそばにいるリカ顔色かおいろえるのだ。彼女かのじょ容子ようすはQの怏々おうおうとして日々にちにち不快ふかいこころなみつたえてわたしむかってせてているのだ。わたしはリカているとQの敗北はいぼくした打撃だげき度合どあいまでもかんじることが出来できはじめた。しかもリカはQがAよりはるかにおとった人物じんぶつだとした動揺どうようさえわたし彼女かのじょがQをめる言葉ことばうらからぎつけた。わたし彼女かのじょの一ばんきらいなところはそこだ。自分じぶん良人おっと敗北はいぼくたいして動揺どうようする彼女かのじょあたらしい醜悪しゅうあくさ、この醜悪しゅうあくさはおんなもっと野蛮やばん兇悪きょうあくさにすぎない。しかし、あくまでリカのこの兇悪きょうあくさとたたかいながら、なお日々にちにち不断ふだんたくましいAにかされつづけていかねばならぬであろうQの生涯しょうがいかんがえると、わたしはQが一ばんだれよりも悲惨ひさんおとこおもわれてた。もうリカとQのあいだにはおそらくのさすことはないであろう。もしQがリカをAにわたさぬかぎり。──しかし、Qはそこがわたしちがっていた。かれ自身じしんより弱者じゃくしゃたいしてはいくらでも自身じしん犠牲ぎせいにすることの出来でき善徳ぜんとくかわりに、自身じしんよりも強者きょうしゃたいしてはぬまでくことの出来できないおとこである。しかもAとQとは、この二人ふたりたたかいならどこまでいってもAがつづけるにきまっているのだ。そのたびにリカがQを軽蔑けいべつするなら、──わたしはリカをQにかえしたことはかれ彼女かのじょとのためには最大さいだい悪徳あくとくでさえあったことにがついた。わたしわたし善行ぜんこうだとおもってしたことが悪行あくぎょうかわったとて恐縮きょうしゅくするようのないことくらいわかっていても、それにしてもリカきゅうにこのときからきらいになったと同時どうじに、わたしにはますますQがしたわしくなってたことも事実じじつである。わたしはリカにそれとなく地質学界ちしつがっかい過去かこ大天才だいてんさいぎにあらわれるあたらしい天才てんさいかされていった歴史れきしはなしてやった。まことに過去かこ世紀せいきあいだあらわれた新学説しんがくせつ興亡こうぼうわたしおもしても、個人こじんちから限界げんかいちいささをかんぜざるをないのだ。一せい風靡ふうびした凡水論ネプチュニズム主唱者しゅしょうしゃエルナーを顛覆てんぷくさせた凡火論ボルカニズム、その凡火論ボルカニズム主唱者しゅしょうしゃハットンを顛覆てんぷくさせた災異説カタストロフィズム、その災異説カタストロフィズム主唱者しゅしょうしゃセヂウィックをやぶった斉一説ユニフォルミタラニズムのライエルと、そうしてそれらのすべてを綜合そうごうした進化説ダーウィニズムのダーウィンをおもえば、わたしは一個人こじん他個たこ敗北はいぼくすることはそれは敗北はいぼくすることではなくしてかみへの奉仕ほうしおもえてならないのだ。もしそれが敗北はいぼくなら、ったものはかならたれかにけねばならぬ。AとQとのたたかいもそれはたたかいではなくしてつぎあらわれる天才てんさいへの贈物おくりもの製造せいぞうしているにすぎないとわたしがいえば、いままでだまってわたし饒舌しゃべっているのをいていたリカきゅうわたしむねうえたおれてた。彼女かのじょのこの感情かんじょう転向てんこうがもしQと彼女かのじょうえに、ふたた幸福こうふくをもたらすなら──とわたしおもっていると、それは意外いがいにもリカわたし転向てんこうしてたことをしめしていたのだ。なるほど個人こじんけることがけることでないなら、QがAにけたのではないごとくわたしもまたQにけたことにはならぬのだ。わたしいままで饒舌しゃべっていたことはたれのためでもないわたしのためだったのだ。リカわたしむねうえたおれたのも多分たぶんわたしわたしのためにいったのだとおもったからでもあったろうが、それにしても彼女かのじょのその行為こういは、わたし饒舌しゃべっているあいだ彼女かのじょがQのことをかんがえずにわたしのことをかんがえていてくれた証拠しょうこにだけは十ぶんになっているのだ。復活ふっかつしたあい──しかし、それは所詮しょせんわたし捻向ねじむけたものではないか。わたしわたしとしてもう一彼女かのじょをQへ捻戻ねじもどさねばならぬ。そうおもったわたし早速さっそくリカにおまえはわれわれ二人ふたり製作せいさくしたQの美徳びとく使用法しようほう間違まちがっているのだから、今日きょうからこころえてQに慰安いあんあたえるよう、それでないかぎりおまえには永久えいきゅう幸福こうふくはもうないのだ、幸福こうふくというものは知識ちしきうえには絶対ぜったいにあったためしがなく、ただ自身じしんあたまげて同化どうかすることにあるばかりだというと、いった瞬間しゅんかんまたわたしはこれもますます私自身わたしじしんのためのみにいっているにすぎないことだとがついた。それでわたし結局けっきょくわたし注告ちゅうこくする言葉ことばわたしこころなかからていくにちがいないのだから、わたしわたしのためにいっているとおもわないでいてくれ、わたしのいうのはみなまえのためにいっているので、わたしのためだとおもえばわたしんでもいわぬであろうくらいのことはなが二人ふたり生活せいかつたいして敬意けいいひょうする意味いみでもおもってくれ、そうでないかぎなんのための二人ふたり生活せいかつだったのかわからぬではないかというと、リカは、それはあなたが近頃ちかごろわたしについてかんがちがいばかりをしているからだという。どういうかんがちがいかとくと、あなたはわたしおこないをわたしみにく部分ぶぶんからばかりでたがり、そのため折角せっかく部分ぶぶんもあなたのわたしあいしてくださるこころのためにはらおとしてしまっている。だからもっとわたしからまえのようにところさがしてくれ、そうでないかぎ自分じぶんにはもう幸福こうふくがないとまでいう。わたしきゅうにリカにそんなことをいわしたのはQのどこがいわしめたのかともう一かんがえたが、わたしかんがえた以上いじょうにはもうかんがえることが出来できなかった。それでわたしはおまえはそれでQをあいしているのかとくと、あいしてはいるがまえのようではない、わたしはやはりあなたのほうあいしているのだという、うそにしてもそれはわたしにはよろこばしいのだが、どうしてこういうことがよろこばしいのかもうわたし自分じぶんわからなくなってた。いやそれよりあれほどもQをしたいながらていったリカが、まだ一ねんともたたない今頃いまごろどうしてこれほどもかわってたのであろう。それは丁度ちょうどわたしうちにいたときの彼女かのじょがデアテルミイのめるにしたがってたように、Qからして来始きはじめたのも、Qのなかひそんでいたあたらしいデアテルミイのわたし効力こうりょくうしなしてたからではなかろうか。わたしがリカ最初さいしょ結婚けっこんする破目はめになったのも、彼女かのじょ身体からだにデアテルミイがけたからにちがいないのだ。彼女かのじょがQと結婚けっこんしたのも、わたしがデアテルミイのように彼女かのじょけていたからにちがいないのだ。そうしていままた彼女かのじょわたしもどって来始きはじめたのは、Qのデアテルミイが彼女かのじょかえしてたのであろう。わたしはこのおんながもうきらいだ。ていけ、畜生ちくしょう、そうわたしだまってはらなかさけんでいると、リカわたしかんがえをあたえないかのように、きゅう今迄いままでつつしんでたQの悪口あっこうっておとしたようにいいはじめた。彼女かのじょのいうにはあなたの悪口あっこうをいう、あなたがあれほどもQをひそかにめているにもかかわらずQはそれが反対はんたいだ。わたしはQのどこがえらいのかこのごろどこからもかんじることが出来できない。あれは贋物にせものうそつきでけずぎらいでそのくせ威張いばることだけがなによりきで、っているのはおんなのこととひと軽蔑けいべつすることだけだという。わたし唖然あぜんとして彼女かのじょかおているとリカわらいながらもそのわらたびにだんだんあおざめていきつつなみだながしていいすのだ。わたしりあったガラスのおくでまたべつのガラスがっているのをているようで、どこからどこまでがわたしよろこぶべき領分りょうぶんかどこでQがりつけられているのか朦朧もうろうとしはじめた。するとリカわたし咽喉笛のどぶえいつくように、あなたは馬鹿ばかでお人好ひとよしのようにえるくせずるくてすみけなくて、くよくよしている坊主ぼうずみたいにめそめそしていてそれに説教せっきょうばかりしたがってとやっつけした。このリカ暴風ぼうふうのようなあばかた今迄いままでQの悪口あっこういて不快ふかいになっていたわたしこころはらった。そればかりではない、わたしにはリカのいっていることがいちいちむねこたえてて、そうだ、そうだとくびまで調子ちょうしあわせてうなずくのだ。まったわたしいままでQとリカとからめられすぎてたのである。わたしめられればめられるままの姿すがたかためられ、ますます不幸ふこう方向ほうこうへばかりすべんでていたのだ。そのくせこころえず反対はんたい幸福こうふくのぞみ、ひとつことをこころがけ、けるとひと急所きゅうしょながめてこころしずめ、あらゆる凡人ぼんじん長所ちょうしょち、心静こころしずかに悟得ごとくましたようなかおをしつづけてひそかになげき、たたかいをこのまず気品きひんとうとんで下劣げれつになり、──わたし私自身わたしじしんでまだかまだかとわたしをやっつけすと、面前めんぜんのリカと一しょ兇暴きょうぼうわらした。Qがかげでひそかにわたし悪口あっこうをいったことが、いまわたしかれへの尊敬そんけいねんさしめるだけとなった。しかし、それにしてもわたしのこのこころうごきは本当ほんとうであろうか。わたしもの見方みかた間違まちがいであるとしても、おのれのいたさをいたさとかんじてよろこ人間にんげんわたしだけではないであろう。わたしえらさ、もしそれがあるなら、わたしわたしよわさをつよさとかんじないことだけだ。わたしはリカにいった。おまえはいつのにやらわたしのびっくりするようなおんな知識ちしきさがしてたが、それはおまえがおまえとQとをほろぼしていく知識ちしきであるだけで、結果けっかわたしを一そうすくげていくにすぎないのだ。わたしはおまえおとしていくものをいつもひろってばかりいるのをらないのか。おまえはおまえおとしているものがんであるのからないのか。しかし、いくらいってもリカはただ自身じしんげた言葉ことばのためにあおざめているだけで、しまいにはわたしひざうえきながらもうふたたびQのところへはもどらないといいした。わたしはもう一彼女かのじょをQのところかえすために、またいつわりをならべて苦心くしんしなければならなかった。彼女かのじょわたし生臭坊主なまぐさぼうずといい、うそつきといい、弱虫よわむしといい、それからなおわたし悪口あっこうさがすために言葉ことばまると、わたし手首てくびみついた。わたし彼女かのじょばして、おまえなんかをあいすることはわすれているのだ。けがらわしい、かえれ、といってもリカふたたわたし身体からだびかかり、あなたはわたしあいしている。いくらうそをいったって駄目だめだといってわたしからはなれない。わたしは──わたしはそこで今迄いままで惨憺さんたんたる姿すがたをしてようやがけうえまであがったわたしを、ふたたどろなかおとしてしまったのだ。リカわたし惨落ざんらくした姿すがたるときゅうきと子供こどものようになりはじめた。それはよろこぶときの彼女かのじょくせだ、しかし、それより彼女かのじょにひとりかれたQはこれからどうするだろう。彼女かのじょとまたひとつの生活せいかつつづけていかねばならぬわたしこそどうすればいのであろう。が、なにはともあれずそのは一Qのいえかえり、たければQにそのことをいってあらためてるようにとリカをなだめて私達わたしたち二人ふたりそとた。そとると彼女かのじょとおりがかりの神社じんじゃ境内けいだい這入はいっていってすずった。そのあいだわたしはひとり門前もんぜんったままちゅうにぶらりとあがっているかのような不安定ふあんてい自分じぶんかんじていた。リカ神前しんぜんからもどってるとわたしにそこの神前しんぜんへいってお辞儀じぎをせよという。わたしはいやだといった。すると彼女かのじょわたしのためにお辞儀じぎをしててくれ、わたしながあいだまよつづけてようや本当ほんとうのあなたのがたさがわかってたのだからそのためにでも一だけお辞儀じぎをしてくれるようにという。しかしわたしはまだ内心ないしん彼女かのじょへのいかりがしずまっていないのにお辞儀じぎ出来できないのだ。わたしだまってそのままぎようとした。しかしリカわたしうでってはなさない。どうかわたしのためだ、あなたのようなひとこまらせつづけた自分じぶんおもうとわたしがいくらひとりでお辞儀じぎをしたって駄目だめだからという。いやだという。それではわたしはいつまでたったってばちのあたりどおしだ、あなたのところたってもうわたしにはしあわせがないといってはじめた。わたしはリカくのをながめているとこころ自然しぜんれてるのをかんじた。それにしても、さきにはあれほどわたしののしっていたのにいまぜこれほどもみじめによわっているのであろうか、これは多分たぶん猛々たけだけしいおんなわたしけていく姿すがたなのであろうとおもいながらも、わたし彼女かのじょ面部めんぶたたきつけるようにあたまくっしなかった。するとリカわたし身体からだ無理矢理むりやり神前しんぜんほうけるとあたまうえからさえるのだ。わたしおこることは出来できないのだがリカのそのをはじきかえすと人込ひとごみなか這入はいろうとした。彼女かのじょわたしけてるとまたいうのだ。あなたはわたしおこっている、わたしはあなたにおこられたって仕方しかたがないが今日きょうだけはゆるしてしい。自分じぶんこころから改心かいしんしているのだからそれだけでもれてもらいたい、もしあなたがわたし改心かいしんはなすなら自分じぶん堕落だらくするよりみちがない。いまわたしたすけてほしい、たのむという。わたしなにをまだおこつづけているだろうかとおもいながらまえってあるくのだが、きゅうにリカしおれているのがあわれになって、もうよしもうよしといってしまうのだ。これだからいけないとおもってまた彼女かのじょくるしめたなが時間じかんおもしてははらてても駄目だめになって自分じぶんよりリカほう可哀相かあいそうになってくるのである。どうしようもないこの自分じぶんがつくと今度こんどわたしからいつのにかQにたいしてあたまげているのである。おそらくリカにしてもQにひそかにあたまげているのであろうとおもうとわたしはぜひ彼女かのじょがそうであってくれればいとおもした。わたしはリカにおまえはQにたいしてさきから一でも謝罪しゃざいをしたことがあるか、といてみた。するとリカだまっていていつまでもこたえない。それで神前しんぜんへいってお辞儀じぎをしたってなんやくにもつかというと、そんなことをしてはあなたの有難ありがたさがなくなってしまうという。それではまたいつかおまえはQのところもどってしまうにちがいないというと、リカはまたわたしうしろまわってはじめた。わたし彼女かのじょ自分じぶんがおまえにそういうことをいうのは自分じぶんのQとは比較ひかくにならぬ善良ぜんりょうさをなおこのうえまえしめそうとしていうのではなく、おまえがQからったのちのQのさびしさが自分じぶんには一ばんむねこたえてわかるからだというと、それではQに今夜こんやかえって謝罪あやまると彼女かのじょはいう。よしそれならとわたしはいったが彼女かのじょをQのいえ門前もんぜんまでおくっていってかえってると、また一そうわたしはリカ処置しょちまよした。事実じじつわたしはQからリカ最初さいしょるときもだまってり、かえすときもだまってかえし、そうしてふたた彼女かのじょった今日こんにちもまただまってり、いったいわたしのどこにそれだけの特権とっけんがあるのだろう。いかにリカわたしまえつまだとはいえいま他人たにんつまではないか、しかしそうかんがえたあとから、不意ふい冷水れいすいびたようにけたものはQではないこのおれだとがついた。彼女かのじょったものこそかされたのだ。なにこのんで自分じぶん敗北はいぼくつみふかさまですりつけてくるしむやつがあるだろう。するとそのときからわたしこころたなごころかえすがようにあかるくなった。わたしなにより一さい過去かこ記憶きおくから絶縁ぜつえんしなければならぬ。過去かこ生活せいかつてねばならぬ。けたらけたでそれでもい。なによりもくもけたようなあかるさだ。そうおもったわたし早速さっそくわたしとリカとのとりかかるべきもっとあたらしい生活せいかつ手初てはじめとして、って疾走しっそうする飛行機ひこうきって旅行りょこうようと決心けっしんした。翌朝よくちょうリカわたしところへやってると、わたしはひと彼女かのじょよろこびを見抜みぬくことが出来できた。わたしはもうQがどんなことをいったかどうかは一さいかぬことにしてわたし計画けいかくはなした。わたしはいった。おまえわたしとの関係かんけいながあいだもつれていたがわたしと一しょ今日きょうという今日きょう過去かこすべての記憶きおく生活せいかつおとしてもらいたい。二人ふたりうまかわるのだ。もしそれがおまえにとってもよろこびならわたしと一しょ今日きょうこれから飛行機ひこうき旅行りょこうってもらいたい。しかしもしちてんだらと彼女かのじょはいった。ちてんだら生活せいかつはじまりでおわりなだけだ、それほど結構けっこうなことはないではないか。われわれの関係かんけい他人ひととはちがう。一地上ちじょうからあしあらわなければふる生活せいかつにおいはどこまでだってくっついてくるにちがいないのだ。もしこのうええずわれわれがふる生活せいかつわれるようなら、そのときをかぎりとしてわれわれの生活せいかつわたしからるだろう! そうわたしがいいるとリカはじめてうなずいた。うなずくとわたしより彼女かのじょほうになりし、ぐそれから航空会社こうくうかいしゃ電話でんわをかけて二せきった。もなく二人ふたりとりになるのだ。とりに。このよろこびは地質学者ちしつがくしゃわたしにとってもこのうえもなくおおきいのだ。やまかわうみ平野へいやうええる肉体にくたい刹那せつなくもうえ感覚かんかくわたしはもういままさにぼうとしているわしのようにそら見上みあげながら飛行場ひこうじょう自動車じどうしゃけさせた。──さてそのときになっていよいよなかまわっているプロペラのおとすと、わたしはリカみみ綿わたませ、いかといた。いとこたえる。二人ふたり機体きたいなかかたむいたせきならんでこしろした。飛行場ひこうじょうくろ人々ひとびと私達わたしたち二人ふたり最後さいご姿すがたるかのように、まだいているドアのくちからなかのぞんだ。わたしは一こくはやくこのはなれたくてならない。過去かこむかって手袋てぶくろげつけたい。ながあいだしなびた過去かこに。すると、いきなりドアがまった。もうい、さらばだ。機体きたい滑走かっそうはじした。わたしあしのような車輪しゃりん円弧えんこ刹那せつないまいまかとかまえた。とわたし身体からだに、羽根はねえた。車輪しゃりん空間くうかんとまった。もりちぢした。いえんだ。はたけなみのようにあしうらはじめた。わたしとりになったのだ。とりに。わたし羽根はねやまたたく。羽根はねしたからつぶれた半島はんとうあらわれる。かわいたまち皮膚病ひふびょうのようにすくす。わたし過去かこをどこへおとしてたのであろう。くもくもとのなかおうぎのようにまわっているひかりばかりをけながら、わたしつづけているのである。いまわたしには生活せいかつはどこにもない。こころ光線こうせんのように地上ちじょう蹂躙じゅうりんしているだけだ。っ二ツにれていく時間じかんそこからえるのは、墓場はかばばかりだ。太古たいこわたし周囲しゅういつつんでねむした。ゆめゆめとが大海たいかいのようにひろがってはまたひろがる。わたしはその行衛ゆくえ見守みまもりながらいつのにかくだけてしまう。ふとわたしよこにいるリカると、自分じぶん位置いちもどした。しかしリカは──この半島はんとうとも匹敵ひってきすべき巨大きょだい怪物かいぶつ何物なにものであろう。──わたし彼女かのじょ身体からださわってみた。すると、わたし指先ゆびさき地上ちじょうからつながっているただ一ぽんせんのようにながあいだまったわすれていた地上ちじょう習慣しゅうかんにおいや温度おんどわたし体内たいないおくってた。だが、それは隙間すきまからするどかぜのように、いまはただわたしむね新鮮しんせんにするだけだった。わたしはリカせると、かみうえへ「結婚けっこん」といた。するとリカはそのよこへ「がとう」とえた。二人ふたりあたらしい夫婦ふうふ生活せいかつだいくも真中まんなかいた。微細びさい水粒みずつぶつばさうらたまってはぶるぶるふるえながらわきしたながれていった。つばさささえた針金はりがねむすにじなか蝶々ちょうちょうのようにつづけた。私達わたしたちひとつのにじけるとまたあたらしいにじおそわれた。それはひとつのつらなったにじであろうか、群生ぐんせいしたにじであろうか、合戦かっせんするかのようにうごめくにじあしもとにひれしてわたしとリカとはまたふたた結婚けっこんをしたのである。



入力者注

・「鳥」は、昭和五(1930)年二月『改造』に発表。同年四月新潮社『高架線』(「新興芸術派叢書」)に初収。

・河出書房新社『定本 横光利一全集 第三巻』(昭和五十六年刊)を底本とした。

・旧かなづかいは現代かなづかいに、旧字体は新字体に改めた。

・「日日」など漢字の繰り返しは「日々」などと改めた。

・「ヰ」は「ウィ」とした。

・以下の漢字はひらがなに改めた。

 云う→いう、此の→この、了う→しまう、於ける→おける、夫々→それぞれ、其→その、然も→しかも、於て→おいて

・底本333ページ8行目の「以外」は「意外」に変えた。


テキスト入力者:佐藤和人

校正者:野口英司

1998年95日公開

2003年61日修正

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。