千年後の世界
海野十三



     冷凍死


 若き野心にみちた科学者フルハタは、棺の中に目ざめてから、もう七日になる。

「どうしたのかなあ。もう棺の蓋を、こつこつと叩く者があってもいいはずだ」

 彼は、ひたすら棺の外からノックする音をまちわびている。

 棺といっても、これはわれわれの知っているあの白木づくりの棺桶ではない。難熔性のモリブデンの合金エムオー九百二番というすばらしい金属でつくった五重の棺である。また棺内は、白木づくりの棺のように辛うじて横になっていられるだけの狭さではなく、なかなか広い。天井の高い十畳敷の部屋ぐらいの広さだ。そこにベッドもあれば、冷凍機械もあり、温度調節器もあり、ガス発生器とか発電機とか信号器とかいろいろの機械がならんでいる。また、たくさんの参考文献や、そのほか灰皿や歯ブラシや安全剃刀などという生活に必要ないろいろな品物も入っている。早くいえば、研究室と書斎とを罐詰にしたようなものである。

 彼フルハタは、この風変りな棺桶のなかで、すでに一千年余の冷凍睡眠をへたのである。

 冷凍睡眠というのは、人間を生きたまま氷結させてしまい、必要な年数だけ、そのままにしておくことである。これはなかなかむずかしい技術で、ことに冷凍の程度をすすめてゆくスピードがむずかしい。下手をやれば、それきりで人間は永久に死んでしまうのである。うまくこれをやれば、三日後であろうと百年後であろうと、また彼フルハタの場合のように一千年後であろうと、冷凍人間の生命は保存される。そしていい頃合にこの冷凍をといて、ふたたび蘇生することができる。このときまた、冷凍している人体を融かして元に戻す技術が、なかなかむずかしいのであるが、とにかく彼フルハタの場合には、どっちも完全にうまくいった。

 それもそうであろう。この若い科学者フルハタの実験は、彼一人の力によったものではなく、「一千年人間冷凍事業研究委員会」という長たらしい名の科学者団体があって、その協力によって行なわれたものである。

 今もいったように、棺の中は、四角な部屋になっているが、外は球状をなしていて、どの方向からの圧力にも耐えるようになっていた。

 一千年後の覚醒ののち七日たってフルハタの疲労はすっかり回復し、この棺桶に入ったときのことが、まるで昨日のように思われるのであった。まったく一千年というものを、よく眠ったものであった。

 だが、果して一千年を眠りつづけたか。それは壁にかけられているラジウム時計が、ちゃんと保証をしていてくれる。この時計は、ラジウムがたえざる放射によって崩壊する状態を測定し、それによってこの永い年数が自記せられるようになっていた。フルハタは起きあがった最初に、その時計の前にとんでいって、経過時間を読んだ。これによると、一千年よりもすこし眠りすぎていた。時計の読みは、一千年と百六十九日目になっており、紀元でいうと三千六百年の冬二月に相当している。つまり百六十九日だけ、この棺桶機械は誤差を生んだわけである。だがそれにしても一千年に対し百六十九日の誤差であるから大した誤差ではない。ことに、彼フルハタが冷凍状態において、完全にその生命を一千年後にまで保つことができたので、その機械の優秀さは充分にほめていいだろう。

 ただこの上の不安は、一千年後になって、この棺桶を外から叩く者がなければならないのであるがそのノックの音がまだ聞かれないことだった。仕様書によると、この厳重な一千年不可開の棺桶は、外から開くのでなければ、絶対に開かない仕掛けになっていたのである。棺桶の構造を堅牢にするうえからいって、どうしてもそのようにするよりほか道がなかったのだ。

「どうしたのだろう。眼ざめるのが百六十九日もおそかったものだから、扉をあけに来てくれる者がどこかに旅行にでも出かけてしまったのではなかろうか」

 開かない密室の中で、このような不安に襲われるということは、死刑よりもなおいっそうはげしい恐怖だった。

 彼は、信号装置に故障があるのではないかと思って、そのそばにいって、いくどとなく点検した。だが、故障は発見されなかった。しからば彼の覚醒したことが、東京とニューヨークとハバロフスクの三都へ、電波でもって伝えられていなければならぬはずだった。

「誰も助けにこないというのは、いったいどうしたことだろう?」

 誰も扉をひらきに来ないと、せっかく覚醒した彼フルハタも、あと三十日ぐらい生存できるが、その後は絶対に生きつづける見込みがつかない。彼は、自分の生命が惜しいということよりも、こうして一千年後の世界に再生しながら、その世界を見ないで死ぬことが、たいへん残念だった。



     裸の女教授


 そのときだった。

 リリン、リリン、リリーン。

 警鈴が、とつぜん冴々とした音響をあげてひびき、密室内の空気をぱっと明るくした。

「あっ、来たぞ、来たぞ、ついに来たのだ。棺桶の蓋を叩いている者がある」

 棺桶の蓋を叩けば、この警鈴がリーンと鳴る仕掛けになっていたのだ。さあ助けられるのだ。それにつづいて、ひどい震動が伝わってきた。いよいよこの棺桶が開かれるのだ。

 昂奮がややおちついたとき、フルハタは、いったい誰がこの棺桶を開きにやってきたのかと、そのことにはげしい好奇心をわかした。それは、いよいよ彼のいる密室の扉がひらかれるというその直前に迫って、いっそうはげしさを加えた。

 どーんと扉がひらいたとき、小暗い外から一人の人間がとびこんできた。

「あっ」

 と、フルハタは、途方もない大きなこえをだした。それは非常な愕きのこえであった。彼の目がとらえた再生後はじめてのこの訪問者は、素裸であったからだった。それは文字どおりの素裸であった。しかもこの訪問者は、一目でそれと分る妙齢の婦人だったのである。フルハタは、羞恥でまっ赤になった。だが、この婦人は、顔を赤らめるどころか、いたって平気でフルハタの前に立った。

「フルハタ助教授。そうですね」

「そうです。フルハタです。扉をあけてくだすってありがとう」

「一千年前の世界に住んでいた一人類を、こうして発見したことはわたしのたいへん悦びとするところです。わたしは、あなたの記録を、百九十九区の防空劃を壊しているうちに発見したのですが、長い不錆鋼鉄管のなかに入っていました」

「ああ、そうでしたか」

 といったが、かつて友人たちが彼の埋没記録をそんなふうにして二百本の厳重な筒におさめ、方々の地下に埋めたり、また博物館に陳列してくれたのをおぼえていた。

「で、あなたの名は、なんとおっしゃるのですか」

「わたしのことですか。わたしはハバロフスク大学の考古学主任教授のチタです」

「えっ、主任教授! 失礼ながらそんな若さで、主任教授とは、たいへんなものですね」

 私は率直に愕きをのべると、チタ教授は笑って、

「ほほほほ。なにが若いことがありましょうか。今年で九百三回日の誕生をむかえるのですよ」

「えっ、するとあなたは九百三歳なのですね。それはとても信じられない」

 まだ十九か二十の溌刺たる女性の四股をもちながら、それで九百三歳とは、首肯しかねる。第一、そんな長寿者がいるものだろうか。

「ほほほほ。そんなことをおっしゃると、わたしはたいへん愉快ですわ。千年前の人類が、どんな知能程度だったかということが、いまはっきり目の前に見えるようで、たいへん参考になります」と、しきりにひとりで悦びつつ、「ですけれど、わたしばかりが悦んでいないであなたのため、早く一千年後の今日の世界はどんなになっているかその常識をつけてさしあげましょう」

 といって、チタ教授が、金髪をなでながら話をしたことによると、なんでも人類は、今から九百年前に、死の神を征服したという話だった。つまり人類は、死ななくてもよくなったのだ。なんという大発見であろう。

 なぜ、そんなことになったかというと、人体に関する生理学の研究が進歩して、いっさいの病気が電気学によって診断され、そして電気的療法で癒ることになった。心臓の悪い人間は、すぐ代用心臓にとりかえることができる。血圧の高い人間は、半日ぐらいかければ、すっかり血管をとりかえることができる。だから、もし死ぬのがいやなら、決して死なないのである。

 それでも、このおどろくべき医学の進歩がおこなわれた当時は、代用臓器がたいへん高価であったし、そして金属で作った関係上、相当に重く、ために代用臓器を装置した人間は、やむをえず歩くことができなくなった。

 心臓に肺臓に腎臓などと、三つの臓器をとりかえると、はじめは全重量が人間の体重の三倍ぐらいになったそうで、それでは一人歩きはできない。自分で町をあっちへいったりこっちへいったりするため自動車のうえに乗り放しということにしておくよりほかに道がない。

 だが今はそんなことはない。どんどん歩くことができる。それは代用臓器が、たいへん小さくなったことと、そして金属をつかわなくても耐圧性人造肉をつかえば軽くてすむこととなった。

「だから、ほら見てごらんなさい。わたしのからだを。すこしも変じゃありませんでしょ。そしてこんなに軽快にうごけますわ」

 と、チタ教授は、フルハタの前で、まるでレヴュー・ガールのように四肢をふってうごいてみせた。

 フルハタは、また新しい驚きにぶつかって目をみはらなければならなかった。

「すると、九百三歳のあなたは、やっぱり代用臓器のおかげでもって、そう永く生きているわけですか」

「もちろん、そうですわ」

「へえ、おどろいたですね。どこにその代用臓器があるのか、外からは分らないほどです。すると、ずいぶん代用臓器は、軽くなりもし小型になりもしたわけですね。だが、へんなこともあるなあ。チタ教授、あなたは私をからかっているのではありませんか」

「なぜ、そんなことをおっしゃるの。ちっともからかったりしていませんわよ」

「でも、おかしいではありませんか。そういう代用臓器を取付けたものなら、胸のところとかお腹のところとかに、手術の痕がのこっていなければならないはずです。ところが、こうして拝見したところあなたの肉体は、十九か二十の処女のごとくに美しい。針でついたほどの傷もない。これはどうもおかしいではありませんか」

 それを聞くと、チタ教授は、フルハタの頭脳の古さのなんと気の毒なことよといわんばかりににっと笑い、

「フルハタさん。外科手術なんて九百五十年前にすっかり技術を完成し、傷がつかないようになりましたのよ。だが、わたしの身体に傷痕のないのは、昔の外科手術のおかげというようなもののおかげではなく、これは人造皮膚をつけているから、傷痕がないのです」

「えっ、人造皮膚というと」

「つまり人造肉と似たようなものです。人造なんですから、いつでもこれをばりばりと破って、新しいのと貼りかえられます」

「ははあ、そうでしたか」

 といったが、フルハタは唖然とした。さっきから、このチタ教授の素裸を見て、こっちが顔を赤らめていたわけだが、人造皮膚なら羞かしくないのはもっともだ。

「じゃ、失礼ながら、今のあなたの身体というものは、昔、母体から生れて大きくなったあなたの本当の身体とは、大部分違った別物なのですね」

「まあ、そういっても、大した間違いではありません」

「昔のままのあなたとしてのこっているのは脳髄と骨格と顔かたちとだけじゃないのですか」

「いや、そうではありません」

「じゃ、もっと残っているものがありますか」

「いや、その反対です。いまあなたのおっしゃった顔かたちも別物です。正直なことをいうと、わたしは生れつきあまり美人ではなかったのです。額はとびだし、眼はひっこみ、口は大きく、鼻は曲っていました。そこでわたしは、すっかり顔をとりかえてもらいました。顔のカタログをみて、そのうちで一等好きな顔に直してもらったのです。顔の美醜ほど、昔人類を悩ましたものはありません。だが考えてみると、あの頃の人間も知恵のない話でした。顔の美醜とは、いわゆる顔を構成している要素であるところの眼や眉や鼻や唇や歯の形とその配列状態によって起るのです。眼がひっこんでいるのなら、そこに肉を植えればいいのです。そんなことは大した手術ではありません。ことに人造肉や人造皮膚ができてから、醜い人間はどんどん顔を直して、美男美女になってしまいました。これから街へ出てみましょうか。きっとあなたは、ただの一人も醜男醜女をも発見できないでしょう」

「おお、──」

 といっただけで、フルハタは、あとにつぐべきことばを知らなかった。人間の美醜は三万年の人類史を支配したようなものだと思っていたが、今はいくらでも顔をかえられるようになったときいて歎息するよりほかなかった。



     火星との戦争


 いよいよフルハタは、棺桶から外に足を踏み出すときがきた。大地を歩くなんて、一千年以来のことだと思うと、じつに感慨無量であった。

 外へ出てみると、そこは掘りかけたトンネルのようなところだった。そばを見ると、一本の水鉄砲のようなものが転がっている。

「これは何ですか」

 とフルハタが訊くと、

「これは孔をあける器械です。土でもコンクリートでも鉄壁でも、かんたんに孔があきますわ。その洞穴ほらあなになっているところ、さっき三十分あまりかかって、わたしが掘ったのよ」

 と、おどろくべきことをチタ教授はいった。フルハタは、嘘かと思ったが、その水鉄砲みたいな器械は、原子崩壊による巨大なるエネルギーの放出を利用したものであると聞いて、なるほどそうかと思った。

「じゃ、いま動力はすべて原子崩壊からエネルギーを取るのですね」

 と訊くと、教援はそうだとこたえて、なんだそんな古いことを聞くといわんばかりの顔をした。

 洞穴ほらあなから外へ出てみると、かつて科学雑誌に出ていた一千万年後の世界という絵そっくりの街があらわれた。まず目についたのは、路が縦横上下に幾百条と走っていることであった。このおびただしい道路は、一つとしてフルハタの知っている道路のように十文字に交叉していなかった。いずれも上下にくいちがっているので、横断などというようなことがなく、どこまで行っても、信号で停められるといったようなことがない。

 さらにおどろいたことは、この道路のうえに、自動車みたいな乗り物が一つも見えないことだ。そして人間が、まるで弾丸のように、しゅっしゅっと走っている。その速さといったら、たいへんなものである。

「ずいぶん、あの人たちは、駈けだすのが速いですね」

 とフルハタが赤毛布のような歎息をはなつと、チタ教投はまたほほほと笑って、

「ちがいますよ、フルハタさん。あれは人間が駈けだしているのではなくて、道路が動いているのです。昔の道路は、じっと動かないで、そのうえに自動車だとか列車とかが走っていたそうですね。今の道路は、いずれも皆、快速力で動いているのです。人間がその上にのれば、どこまででも搬んでくれます」

「道路が動くなんて、たいへんな仕掛けだ。動力だけ考えても、ちょっと算盤がとれまいし、第一資源が……」

 というと、チタ教授はそれをさえぎって、「いや、今の世の中には、エネルギーはいくらでもあるのです。物質をこわせばいくらでもエネルギーはとれるのです。しかも昔とは比較にならぬ巨大なエネルギーなんです。そんなことは心配いりません」

 フルハタは、なるほどと感心した。動力の心配のいらない世の中になったのだ。人類はなんという幸福な日を迎えたのだろう。

 そこでフルハタは、一つの重大な質問をチタ教授に向けることを考えついた。

「ねえ、チタ教授。今の世の中でも、戦争はありますか」

「戦争? ええ戦争はありますとも」

 そういっているところへ、街中をつきぬけるような大きな声が、ひびきわたった。なにごとか早口で喋っている。チタ教授の顔が、すこし硬ばったようだ。

 その大きな声がやんだところでフルハタはたずねた。

「今のは、どうしたというのです。あの大きな声は、やはり高声器ですかね」

「そうです。移民指令部からの知らせなんです。ある番号までの人間は、早く地上へのぼって、移民ロケットの前に集まれというのです」

「ははあ、するとここは地上じゃないのですか」

「そうですとも、地下五百メートルのところですよ」

「地中街というわけですね。チタ教授、私は地上を見たいのですが、どんなふうに地上の様子が変ったかを早く知りたいのです」

「だめ、だめ」と教授は言下にフルハタの願いをしりぞけた。「地上へは命令された人のほか、出られないのです。移民は、命令ですから、ああして上へ出られるのです」

「移民て、どこへ移民するのですか」

「金星へゆくんです。定期的に、地球上の人類をどんどん金星へ送っています」

「へえ、金星。あの星の金星へですか」とフルハタはびっくりした。「とうとう星へ旅行のできる日が来たのか」

「うまくゆけば、もうあと三ヵ月のうちに、地球上の人間はすっかり金星へうつってしまいます」

「えっ、すると地球は空っぽになるのですか。いったいそれはどうしたわけです。この尊い地球を捨てるなんて」

「あとちょうど一年たてば、地球はエックス彗星と衝突して、めちゃめちゃに壊れることが分っているのです」

「はあ、なるほど、彗星との衝突ですか」とフルハタはうなずいたが、「それで地球から移民の必要があるんですね。それなら、金星などゆかないで、地球と気候もいちばんよく似た火星へゆかないのはどうしたわけです」

 するとチタ教授は、今までにない険しい目をして、フルハタをふりかえりながら、いったことである。

「あなたも古いだけあって頭脳がわるいのね。いま地球の人類は、火星の生物と戦争しているのじゃありませんか。われわれが金星移民を計画したとたんに、火星生物は妨害をはじめたのです。だから移民ロケットも、今までに七パーセントが金星についたばかりで、他の九十三パーセントのロケットは、みんな火星生物のためロケットはやぶられ、人類は惨殺されてしまったのですよ。なにしろ火星の生物の方が、悪がしこいのだから仕方がありません。いや、人類はもっと早く宇宙戦争に対して準備をすすめておくべきだったと思いますわ。地球上の人類だけがこの広大なる宇宙でいちばんかしこい生物だと思っていたのが、たいへんな自惚れなんですからね」

 フルハタは、さっきチタ教授が、「戦争はありますわ」といった戦争は、この宇宙戦争を指していたのだと、はじめて気がついた。

底本:「十八時の音楽浴」早川文庫、早川書房

   1976(昭和51)年115日発行

   1990(平成2)年430日2刷

入力:大野晋

校正:もりみつじゅんじ

2000年111日公開

2006年720日修正

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