牛をつないだ椿の木
新美南吉



       一


 やまなかみちのかたわらに、椿つばき若木わかぎがありました。牛曳うしひきの利助りすけさんは、それにうしをつなぎました。

 人力曳じんりきひきの海蔵かいぞうさんも、椿つばき根本ねもと人力車じんりきしゃをおきました。人力車じんりきしゃうしではないから、つないでおかなくってもよかったのです。

 そこで、利助りすけさんと海蔵かいぞうさんは、みずをのみにやまなかにはいってゆきました。みちから一ちょうばかりやまにわけいったところに、きよくてつめたい清水しみずがいつもいていたのであります。

 二人ふたりはかわりばんこに、いずみのふちの、しだぜんまいうえ両手りょうてをつき、はらばいになり、つめたいみずにおいをかぎながら、鹿しかのようにみずをのみました。はらのなかが、ごぼごぼいうほどのみました。

 やまなかでは、もう春蝉はるぜみいていました。

「ああ、あれがもうしたな。あれをきくとあつくなるて。」

と、海蔵かいぞうさんが、まんじゅうがさをかむりながらいいました。

「これからまたこの清水しみずを、ゆききのたンびにませてもらうことだて。」

と、利助りすけさんは、みずをのんであせたので、手拭てぬぐいでふきふきいいました。

「もうちと、みちちかいとええがのオ。」

海蔵かいぞうさんがいいました。

「まったくだて。」

と、利助りすけさんがこたえました。ここのみずをのんだあとでは、だれでもそんなことを挨拶あいさつのようにいいあうのがつねでした。

 二人ふたり椿つばきのところへもどってると、そこに自転車じてんしゃをとめて、一人ひとりおとこひとっていました。そのころ自転車じてんしゃ日本にっぽんにはいってたばかりのじぶんで、自転車じてんしゃっているひとは、田舎いなかでは旦那衆だんなしゅうにきまっていました。

だれだろう。」

と、利助りすけさんが、おどおどしていいました。

区長くちょうさんかもれん。」

と、海蔵かいぞうさんがいいました。そばにてみると、それはこの附近ふきん土地とちっている、まちとしとった地主じぬしであることがわかりました。そして、も一つわかったことは、地主じぬしがかんかんにおこっていることでした。

「やいやい、このうしだれうしだ。」

と、地主じぬし二人ふたりをみると、どなりつけました。そのうし利助りすけさんのうしでありました。

「わしのうしだがのイ。」

「てめえのうし? これをよ。椿つばきをみんなってすっかり坊主ぼうずにしてしまったに。」

 二人ふたりが、うしをつないだ椿つばきると、それは自転車じてんしゃをもった地主じぬしがいったとおりでありました。わか椿つばきの、やわらかいはすっかりむしりとられて、みすぼらしいつえのようなものがっていただけでした。

 利助りすけさんは、とんだことになったとおもって、かおをまっかにしながら、あわててからつなをときました。そしてもうしわけに、うしくびったまを、手綱たづなでぴしりとちました。

 しかし、そんなことぐらいでは、地主じぬしはゆるしてくれませんでした。地主じぬし大人おとな利助りすけさんを、まるで子供こどもしかるように、さんざんしかりとばしました。そして自転車じてんしゃのサドルをパンパンたたきながら、こういいました。

「さあ、なんでもかんでも、もとのようにをつけてしめせ。」

 これは無理むりなことでありました。そこで人力曳じんりきひきの海蔵かいぞうさんも、まんじゅうがさをぬいで、利助りすけさんのためにあやまってやりました。

「まあまあ、こんどだけはかにしてやっとくんやす。利助りすけさも、まさかうし椿つばきってしまうとはらずにつないだことだで。」

 そこでようやく地主じぬしは、はらのむしがおさまりました。けれど、あまりどなりちらしたので、からだがふるえるとみえて、二、三べん自転車じてんしゃりそこね、それからうまくのって、ってしまいました。

 利助りすけさんと海蔵かいぞうさんは、むらほうあるきだしました。けれどもうはなしをしませんでした。大人おとな大人おとなしかりとばされるというのは、なさけないことだろうと、人力曳じんりきひきの海蔵かいぞうさんは、利助りすけさんの気持きもちをくんでやりました。

「もうちっと、あの清水しみずみちちかいとええだがのオ。」

と、とうとう海蔵かいぞうさんがいました。

「まったくだて。」

と、利助りすけさんがこたえました。


       二


 海蔵かいぞうさんが人力曳じんりきひきのたまりると、井戸掘いどほりの新五郎しんごろうさんがいました。人力曳じんりきひきのたまりといっても、むら街道かいどうにそった駄菓子屋だがしやのことでありました。そこで井戸掘いどほりの新五郎しんごろうさんは、油菓子あぶらがしをかじりながら、つまらぬはなしおおきなこえでしていました。井戸いどそこから、そとにいるひとにむかってはなしをするために、井戸新いどしんさんのこえおおきくなってしまったのであります。

井戸いどってもなア、いったいいくらくらいでれるもんかイ、井戸新いどしんさ。」

と、海蔵かいぞうさんは、じぶんも駄菓子箱だがしばこから油菓子あぶらがしを一ぽんつまみだしながらききました。

 井戸新いどしんさんは、人足にんそくがいくらいくら、井戸囲いどがこいの土管どかんがいくらいくら、土管どかんのつぎめをめるセメントがいくらと、こまかく説明せつめいして、

ず、ふつうの井戸いどなら、三十えんもあればできるな。」

と、いいました。

「ほオ、三十えんな。」

と、海蔵かいぞうさんは、をまるくしました。それからしばらく、油菓子あぶらがしをぼりぼりかじっていましたが、

しんたのむねりたところにったら、みずるだろうかなア。」

と、ききました。それは、利助りすけさんがうしをつないだ椿つばきのあたりのことでありました。

「うん、あそこなら、ようて、まえやま清水しみずくくらいだから、あのしたならみずようが、あんなところへ井戸いどってなににするや。」

と、井戸新いどしんさんがききました。

「うん、ちっとわけがあるだて。」

と、こたえたきり、海蔵かいぞうさんはそのわけをいいませんでした。

 海蔵かいぞうさんは、からの人力車じんりきしゃをひきながらいえかえってゆくとき、

「三十えんな。……三十えんか。」

と、何度なんどもつぶやいたのでありました。

 海蔵かいぞうさんはやぶをうしろにしたちいさい藁屋わらやに、としとったおかあさんと二人ふたりきりでんでいました。二人ふたり百姓仕事ひゃくしょうしごとをし、ひまなときには海蔵かいぞうさんが、人力車じんりきしゃきにていたのであります。

 夕飯ゆうはんのときに二人ふたりは、そのにあったことをはなしあうのが、たのしみでありました。としとったおかあさんはとなりにわとり今日きょうはじめてたまごをうんだが、それはおかしいくらいちいさかったこと、背戸せどひいらぎはちをかけるつもりか、昨日きのう今日きょう様子ようすたが、あんなところにはちをかけられては、味噌部屋みそべや味噌みそをとりにゆくときにあぶなくてしようがないということをはなしました。

 海蔵かいぞうさんは、みずをのみにいっているあいだ利助りすけさんのうし椿つばきってしまったことをはなして、

「あそこのみちばたに井戸いどがあったら、いいだろにのオ。」と、いいました。

「そりゃ、みちばたにあったら、みんながたすかる。」

と、いって、おかあさんは、あのみちあつ日盛ひざかりにとお人々ひとびとをかぞえあげました。大野おおのまちからくるまをひいて油売あぶらうり、半田はんだまちから大野おおのまちとお飛脚屋ひきゃくやむらから半田はんだまちへでかけてゆく羅宇屋らうやとみさん、そのほか沢山たくさん荷馬車曳にばしゃひき、牛車曳ぎゅうしゃひき、人力曳じんりきひき、遍路へんろさん、乞食こじき学校生徒がっこうせいとなどをかぞえあげました。これらのひとのどがちょうどしんたのむねあたりでかわかぬわけにはいきません。

「だで、みちのわきに井戸いどがあったら、どんなにかみんながたすかる。」

と、おかあさんははなしをむすびました。

 三十えんくらいで、その井戸いどれるということを、海蔵かいぞうさんがはなしました。

「うちのような貧乏人びんぼうにんにゃ、三十えんといやたいしたかねがまうが、利助りすけさんとこのような成金なりきんにとっちゃ、三十えんばかりはなんでもあるまい。」

と、おかあさんはいいました。海蔵かいぞうさんは、せんだって利助りすけさんが、山林さんりんでたいそうなおかねもうけたそうなときいたことをおもいだしました。

 ひと風呂ふろあびてから、海蔵かいぞうさんは牛車曳ぎゅうしゃひきの利助りすけさんのいえかけました。

 うしろやまで、ほオほオとふくろういていて、がけうえ仁左にざもんさんのいえでは、念仏講ねんぶつこうがあるのか、障子しょうじにあかりがさし、木魚もくぎょおとが、がけしたのみちまでこぼれていました。もうよるでありました。ってみると、はたらもの利助りすけさんは、まだ牛小屋うしごやなかのくらやみで、ごそごそとなにかしていました。

「えらいせいるのオ。」

と、海蔵かいぞうさんがいいました。

「なに、あれから二へん半田はんだまでかよってのオ、ちょっとおくれただてや。」

といいながら、うしはらしたをくぐって利助りすけさんがました。

 二人ふたりえんばなにこしをかけると、海蔵かいぞうさんが、

「なに、きょうのしんたのむねのことだがのオ。」

と、はなしはじめました。

「あのみちばたに井戸いどを一つったら、みんながたすかるとおもうがのオ。」

と、海蔵かいぞうさんがもちかけました。

「そりゃ、たすかるのオ。」

と、利助りすけさんがうけました。

うし椿つばきをくっちまうまでらんどったのは、清水しみずみちからとおすぎるからだのオ。」

「そりゃ、そうだのオ。」

「三十えんありゃ、あそこに井戸いどがひとつれるだがのオ。」

「ほオ、三十えんのオ。」

「ああ、三十えんありゃええだげな。」

「三十えんありゃのオ。」

 こんなふうにいっていても、いっこう利助りすけさんが、こちらのこころをくみとってくれないので、海蔵かいぞうさんは、はっきりいってみました。

「それだけ、利助りすけさ、ふんぱつしてくれないかエ。きけば、おまえ、だいぶ山林さんりんでもうかったそうだが。」

 利助りすけさんは、いままで調子ちょうしよくしゃべっていましたが、きゅうにだまってしまいました。そして、じぶんのほっぺたをつねっていました。

「どうだエ、利助りすけさ。」

と、海蔵かいぞうさんは、しばらくしてこたえをうながしました。

 それでも利助りすけさんは、いわのようにだまっていました。どうやら、こんなはなし利助りすけさんには面白おもしろくなさそうでした。

「三十えんで、できるげながのオ。」

と、また海蔵かいぞうさんがいいました。

「その三十えんをどうしておれがすのかエ。おれだけがそのみずをのむならはなしがわかるが、ほかのもんもみんなのむ井戸いどに、どうしておれがかねすのか、そこがおれにはよくのみこめんがのオ。」

と、やがて利助りすけさんはいいました。

 海蔵かいぞうさんは、人々ひとびとのためだということを、いろいろときましたが、どうしても利助りすけさんには「のみこめ」ませんでした。しまいには利助りすけさんは、もうこんなはなしはいやだというように、

「おかか、めしのしたくしろよ。おれ、はらがへっとるで。」

と、いえなかへむかってどなりました。

 海蔵かいぞうさんはこしをあげました。利助りすけさんが、よるおそくまでせっせとはたらくのは、じぶんだけのためだということがよくわかったのです。

 ひとりでみちをあるきながら、海蔵かいぞうさんはおもいました。──こりゃ、ひとにたよっていちゃだめだ、じぶんのちからでしなけりゃ、と。


       三


 たびひとや、まちへゆくひとは、しんたのむねした椿つばきに、賽銭箱さいせんばこのようなものがるされてあるのをました。それにはふだがついていて、こういてありました。

「ここに井戸いどってたびひとにのんでもらおうとおもいます。こころざしのあるかたは一せんでも五りんでも喜捨きしゃしてください。」

 これは海蔵かいぞうさんのしわざでありました。それがしょうこに、それから五、六にちのち、海蔵かいぞうさんは、椿つばきかいあったがけうえにはらばいになって、えにしだのしたからくびったまだけし、人々ひとびと喜捨きしゃのしようをていました。

 やがて半田はんだまちほうからおばあさんがひとり、乳母車うばぐるましてきました。はなってかえるところでしょう。おばあさんははこをとめて、しばらくふだをながめていました。しかし、おばあさんはんだのではなかったのです。なぜなら、こんなひとりごとをいいました。

地蔵じぞうさんもなにもないのに、なんでこんなとこに賽銭箱さいせんばこがあるのじゃろ。」そしておばあさんはってしまいました。

 海蔵かいぞうさんは、右手みぎてにのせていたあごを、左手ひだりてにのせかえました。

 こんどはむらほうから、しりはしょりした、がにまたのおじいさんがやってました。「庄平しょうへいさんのじいさんだ。あのじいさんはむかし人間にんげんでも、めるはずだ。」と、海蔵かいぞうさんはつぶやきました。

 おじいさんははこをとめました。そして「なになに。」といいながら、こしをのばしてふだみはじめました。んでしまうと、「なアるほど、ふふウん、なアるほど。」と、ひどく感心かんしんしました。そして、ふところなかをさぐりだしたので、これは喜捨きしゃしてくれるなとおもっていると、とりしたのはふるくさい莨入たばこいれでした。おじいさんは椿つばき根元ねもとでいっぷくすってってしまいました。

 海蔵かいぞうさんはきあがって、椿つばきほうへすべりおりました。

 はこにとって、ふってみました。なんごたえもないのでした。

 がっかりして海蔵かいぞうさんは、ふうッと、といきをもらしました。

「けっきょく、ひとはたよりにならんとわかった。いよいよこうなったら、おれひとりのちからでやりとげるのだ。」

といいながら、海蔵かいぞうさんは、しんたのむねをのぼってきました。


       四


 つぎ大野おおのまちきゃくおくってきた海蔵かいぞうさんが、むら茶店ちゃみせにはいっていきました。そこは、むら人力曳じんりきひきたちが一仕事ひとしごとしてると、つぎのおきゃくちながら、やすんでいる場所ばしょになっていたのでした。そのも、海蔵かいぞうさんよりさきに三にん人力曳じんりきひきが、茶店ちゃみせなかやすんでいました。

 みせにはいって海蔵かいぞうさんは、いつものように、駄菓子箱だがしばこのならんだだいのうしろに仰向あおむけにころがってうっかり油菓子あぶらがしをひとつつまんでしまいました。人力曳じんりきひきたちは、おきゃくっているあいだ、することがないので、つい、駄菓子箱だがしばこのふたをあけて、油菓子あぶらがしや、げんこつや、ぺこしゃんというあめや、やきするめやあんつぼなどをつまむのがくせになっていました。海蔵かいぞうさんもまたそうでした。

 しかし海蔵かいぞうさんは、いま、つまんだ油菓子あぶらがしをまたもとのはこれてしまいました。

 ていた仲間なかまげんさんが、

「どうしただや、海蔵かいぞうさ。あの油菓子あぶらがしねずみ小便しょうべんでもかかっておるだかや。」

といいました。

 海蔵かいぞうさんはかおをあかくしながら、

「ううん、そういうわけじゃねえけれど、きょうはあまりべたくないだがや。」

と、こたえました。

「へへエ。いっこう顔色かおいろわるくないようだが、それでどこかわるいだかや。」

と、げんさんがいいました。

 しばらくしてげんさんは、ガラスつぼから金平糖こんぺいとう一掴ひとつかみとりすと、そのうちの一つをぽオいとうえげあげ、くちでぱくりとけとめました。そして、

「どうだや、海蔵かいぞうさ。これをやらんかや。」

といいました。海蔵かいぞうさんは、昨日きのうまではよくげんさんと、それをやったものでした。二人ふたり競争きょうそうをやって、けそこなったかずのすくないものが、相手あいてべつ菓子かしわせたりしたものでした。そして海蔵かいぞうさんは、この芸当げいとうではほかのどの人力曳じんりきひきにもけませんでした。

 しかし、きょうは海蔵かいぞうさんはいいました。

あさから奥歯おくばがやめやがってな、あまいものはたべられんのだてや。」

「そうかや、そいじゃ、よしさ、やろう。」

といって、げんさんはよしさんと、それをはじめました。

 二人ふたりいろとりどりの金平糖こんぺいとうを、天井てんじょうかってげあげてはそれをくちでとめようとしましたが、うまくくちにはいるときもあれば、はなにあたったり、たばこぼんのはいなかにはいったりすることもありました。

 海蔵かいぞうさんは、じぶんがするなら、ひとつもそらしはしないのだがなあ、とおもいながらていました。あまりげんさんとよしさんがとしてばかりいると、「よし、おれがひとつやってせてやろかい。」といってたくなるのでしたが、それをがまんしていました。これはたいへんつらいことでありました。

 はやく、おきゃくがくればいいのになあ、と海蔵かいぞうさんはをほそめてあかるいみちほうていました。しかしおきゃくよりさきに、茶店ちゃみせのおかみさんが、きたてのほかほかの大餡巻おおあんまきをつくってあらわれました。

 人力曳じんりきひきたちは、おおよろこびで、一ぽんずつとりました。海蔵かいぞうさんもがまんできなくなって、すこしうごきだしましたが、やっとのことでおさえました。

海蔵かいぞうさ、どうしたじゃ。一せんもつかわんで、ごっそりためておいて、おおきなくらでもたてるつもりかや。」

と、げんさんがいいました。

 海蔵かいぞうさんはくるしそうにわらって、そとてゆきました。そして、みぞのふちで、かやつりぐさって、かえるをつっていました。

 海蔵かいぞうさんのむねうちには、拳骨げんこつのようにかた決心けっしんがあったのです。いままでお菓子かしにつかったおかねを、これからは使つかわずにためておいて、しんたのむねしたに、人々ひとびとのための井戸いどろうというのでありました。

 海蔵かいぞうさんは、はらもいたくありませんでした。のどからるほど、お菓子かしはたべたかったのでした。しかし、井戸いどをつくるために、いままでの習慣しゅうかんをあらためたのでありました。


       五


 それから二ねんたちました。

 うしをたべてしまった椿つばきにも、はなが三つ四ついたじぶんの海蔵かいぞうさんは半田はんだまちんでいる地主じぬしいえへやっていきました。

 海蔵かいぞうさんは、もうつきほどまえから、たびたびこのいえたのでした。井戸いどるおかねはだいたいできたのですが、いざとなって地主じぬしが、そこに井戸いどることをしょうちしてくれないので、何度なんどたのみにたのでした。その地主じぬしというのは、うし椿つばきにつないだ利助りすけさんを、さんざんしかったあの老人ろうじんだったのです。

 海蔵かいぞうさんがもんをはいったとき、いえなかから、ひえっというひどいしゃっくりおとがきこえてました。

 たずねてると、一昨日いっさくじつから地主じぬし老人ろうじんは、しゃっくりがとまらないので、すっかりからだがよわって、とこについているということでした。それで、海蔵かいぞうさんはお見舞みまいにまくらもとまできました。

 老人ろうじんは、ふとんをなみうたせて、しゃっくりをしていました。そして、海蔵かいぞうさんのかおると、

「いや、何度なんどまえたのみにきても、わしは井戸いどらせん。しゃっくりがもうあと一にちつづくと、わしがぬそうだが、んでもそいつはゆるさぬ。」

と、がんこにいいました。

 海蔵かいぞうさんは、こんなにかかったひとあらそってもしかたがないとおもって、しゃっくりにきくおまじないは、ちゃわんにはしを一ぽんのせておいて、ひといきにみずをのんでしまうことだとおしえてやりました。

 もんようとすると、老人ろうじん息子むすこさんが、海蔵かいぞうさんのあとをってきて、

「うちの親父おやじは、がんこでしようがないのですよ。そのうち、わたしだいになりますから、そしたらわたしがあなたの井戸いどることを承知しょうちしてあげましょう。」

といいました。

 海蔵かいぞうさんはよろこびました。あの様子ようすでは、もうあの老人ろうじんは、あと二、三にちぬにちがいない。そうすれば、あの息子むすこがあとをついで、井戸いどらせてくれる、これはうまいとおもいました。

 そのよる夕飯ゆうはんのとき、海蔵かいぞうさんはとしとったおかあさんに、こうはなしました。

「あのがんこもん親父おやじねば、息子むすこ井戸いどらせてくれるそうだがのオ。だが、ありゃ、もう二、三にちぬからええて。」

 すると、おかあさんはいいました。

「おまえは、じぶんの仕事しごとのことばかりかんがえていて、わるこころになっただな。ひとぬのをちのぞんでいるのはわるいことだぞや。」

 海蔵かいぞうさんは、とむねをつかれたようながしました。おかあさんのいうとおりだったのです。

 つぎあさはやく、海蔵かいぞうさんは、また地主じぬしいえかけていきました。もんをはいると、昨日きのうよりちからのない、ひきつるようなしゃっくりこえこえてました。だいぶ地主じぬしからだよわったことがわかりました。

「あんたは、またましたね。親父おやじはまだきていますよ。」

と、息子むすこさんがいいました。

「いえ、わしは、親父おやじさんがきておいでのうちに、ぜひおあいしたいので。」

と、海蔵かいぞうさんはいいました。

 老人ろうじんはやつれてていました。海蔵かいぞうさんはまくらもとに両手りょうてをついて、

「わしは、あやまりにまいりました。昨日きのう、わしはここからかえるとき、息子むすこさんから、あなたがねば息子むすこさんが井戸いどゆるしてくれるときいて、わるこころになりました。もうじき、あなたがぬからいいなどと、おそろしいことを平気へいきおもっていました。つまり、わしはじぶんの井戸いどのことばかりかんがえて、あなたのぬことをちねがうというような、おににもひとしいこころになりました。そこで、わしは、あやまりにまいりました。井戸いどのことは、もうおねがいしません。またどこか、ほかの場所ばしょをさがすとします。ですから、あなたはどうぞ、なないでください。」

と、いいました。

 老人ろうじんだまってきいていました。それからながいあいだだまって海蔵かいぞうさんのかお見上みあげていました。

「おまえさんは、感心かんしんなおひとじゃ。」

と、老人ろうじんはやっとくちっていいました。

「おまえさんは、こころのええおひとじゃ、わしはなが生涯しょうがいじぶんのよくばかりで、ひとのことなどちっともおもわずにきてたが、いまはじめておまえさんのりっぱなこころにうごかされた。おまえさんのようなひとは、いまどきめずらしい。それじゃ、あそこへ井戸いどらしてあげよう。どんな井戸いどでもりなさい。もしってみずなかったら、どこにでもおまえさんのきなところにらしてあげよう。あのへんは、みな、わしの土地とちだから。うん、そうして、井戸いど費用ひようがたりなかったら、いくらでもわしがしてあげよう。わしは明日あしたにもぬかもれんから、このことを遺言ゆいごんしておいてあげよう。」

 海蔵かいぞうさんは、おもいがけない言葉ことばをきいて、返事へんじのしようもありませんでした。だが、ぬまえに、この一人ひとりよくばりの老人ろうじんが、よいこころになったのは、海蔵かいぞうさんにもうれしいことでありました。


       六


 しんたのむねからちあげられて、すこしくもったそら花火はなびがはじけたのは、はるすえちかいころのひるでした。

 むらほうから行列ぎょうれつが、しんたのむねりてました。行列ぎょうれつ先頭せんとうにはくろふくくろ帽子ぼうしをかむった兵士へいし一人ひとりいました。それが海蔵かいぞうさんでありました。

 しんたのむねりたところに、かたがわには椿つばきがありました。いまはなって、浅緑あさみどりやわらかい若葉わかばになっていました。もういっぽうには、がけをすこしえぐりとって、そこにあたらしい井戸いどができていました。

 そこまでると、行列ぎょうれつがとまってしまいました。先頭せんとう海蔵かいぞうさんがとまったからです。学校がっこうかえりのちいさい子供こども二人ふたり井戸いどからみずんで、のどをならしながら、うつくしいみずをのんでいました。海蔵かいぞうさんは、それをにこにこしながらていました。

「おれも、いっぱいのんでこうか。」

 子供こどもたちがすむと、海蔵かいぞうさんはそういって、井戸いどのところへきました。

 なかをのぞくと、あたらしい井戸いどに、あたらしい清水しみずがゆたかにいていました。ちょうど、そのように、海蔵かいぞうさんのこころなかにも、よろこびがいていました。

 海蔵かいぞうさんは、んでうまそうにのみました。

「わしはもう、おもいのこすことはないがや。こんなちいさな仕事しごとだが、ひとのためになることをのこすことができたからのオ。」

と、海蔵かいぞうさんはだれでも、とっつかまえていいたい気持きもちでした。しかし、そんなことはいわないで、ただにこにこしながら、まちほうさかをのぼってきました。

 日本にっぽんとロシヤが、うみこうでたたかいをはじめていました。海蔵かいぞうさんはうみをわたって、そのたたかいのなかにはいってくのでありました。


       七


 ついに海蔵かいぞうさんは、かえってませんでした。いさましく日露戦争にちろせんそうはなったのです。しかし、海蔵かいぞうさんのしのこした仕事しごとは、いまでもきています。椿つばきかげに清水しみずはいまもこんこんとき、みちにつかれた人々ひとびとは、のどをうるおして元気げんきをとりもどし、またみちをすすんでくのであります。

底本:「少年少女日本文学館第十五巻 ごんぎつね・夕鶴」講談社

   1986(昭和61)年418日第1刷発行

   1993(平成5)年225日第13刷発行

入力:田浦亜矢子

校正:もりみつじゅんじ

1999年1025日公開

2009年118日修正

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