田端に居た頃
(室生犀星のこと)
萩原朔太郎



 鎌倉へうつつてからは、毎日浪の音をきくばかりでさむしい。訪問者も絶えて無いので何だか昔の厭人病者の物わびしい遁世生活を思ひます。西行といふ昔の詩人は、特別にかういふ生活の情趣を好んだらしい。「しぎ立つ澤の秋の夕ぐれ」などといふ歌をよむと、昔の厭世主義者の詩境がよくわかる。しかしあれは茶の湯や禪味と關聯した「侘しさ」のあはれであつて、現代人たる僕等の氣分とはぴつたりしない。近代の厭人病者は、むしろ都會の雜鬧中に孤獨で居ることは好んでも、かういふ閑寂の自然の中に孤獨でゐることは好まないだらう。

 しかし僕の厭人病も、年と共に益〻ひどくなつて行つて、今では病がコーコーに達した感がある。訪問者のないのは此方から逃げてゐるからで、自分で孤獨を求めてゐるやうなものである。尤も「人嫌ひ」は一つの惰性的の習慣で、つまり交際がおつくふになるのである。これにつけても子供の教育は大切で、早くから人に慣れるやうに交際社會へ出してやらぬと、皆私のやうな變人になつてしまふ。


 田端にゐた時のことを思ひ出す。今からみると、あの頃の身邊は可成賑やかだつた。尤も田端といふ所は、妙に空氣がしづんでゐて、禪寺の古沼みたいな感じがするので、僕としては甚だ趣味に合はなかつたが、それでも夕方から夜にかけては動坂の通りが賑やかで、怪しげなカフエなどへ行くのが樂しみだつた。鎌倉へきてはさうした散歩の樂しみもなく、材木座あたりの眞暗な別莊地帶で、夜も遲く犬が鳴いてゐるばかりである。

 田端にゐた頃は、毎日室生犀星と逢つてゐた。犀星とは私は、昔から兄弟のやうな仲ではあるが、二人の氣質や趣味や性情が、全然正反對にできてゐるので、逢へば必ず意見がちがひ、それでゐてどつちが居なくも寂しくなる友情である。田端に住むやうになつたのも、實は室生の親切な世話であつたが、私が土地を讚めない上に、却つて正直な感想をもらしたので、甚だ犀星の機嫌を惡くした。

「君はどこに居たつて面白くない人間なのだ。」

 これがその時の應接だつたが、言はれてみると全く私はそんな人間なのだ。「どこにゐても滿足しない」、恐らくこれが私の生涯の運命だらう。犀星は怒るといつも私の急所に辛辣な斷定をあたへてしまふ。それが後に反省すると盡きない哲理をふくんでゐる。しかし彼は一國者いつこくもので、何でも自分の主觀で人のことまで押し通し、それが意の如くならないといつて腹を立てる。成程、田端の情趣が彼の俳句的風流生活と一致してゐることを、後になつて私は悟つた。しかし私の趣味としては、もつと空氣の明るく近代的で、工場や、煙突やが林立し、一方に生産的市場が活動しつつ、一方に赤瓦の洋風家屋などの散見する情趣、即ち大都會の郊外にみる近代的生活の空氣がすきなのだ。だから以前に居た大井町などは、所としては殆んど理想的に氣に入つてゐた。尤も私の住んでゐた附近は、文字通りにひどい所で二度と歸る氣はしないが。


 犀星の書齋は、いつみても實にきれいで、疊の上が水を打つたやうに掃除してある。机の上には硯箱と文鎭があり、庭には若竹の影が敷石の上にそよいでゐる。所謂明窓淨机といふのはこれだらう。反對に私の居間ときたら、原稿紙と鼻紙が一杯に散らばつて、その上に煙草の吸殼が座敷中に捨ててあるので、犀星の所へ訪ねてくると、いつもゴミタメから座敷へ招待されたやうな氣がする。

「障子を何故張りかへんか。」

「玄關に下駄が散らかつてゐる。」

「子供が立つてあいさつした。なぜ行儀をしつけんか。」

 犀星が私の家へ來る毎に、最初にいふ小言の種はいつもこれだ。頑固な年寄りの伯父を持つたやうで、僕は甚だ迷惑するが、かういふ所にも、彼は自分の性癖や趣味を押しつけねば氣がすまないのだ。然るに私の方ときたら、極端にまた彼の正反對だから滑稽だ。もし客觀的に人が見たら、この對照は喜劇的のものにちがひない。


 或る夏のくれ方、いつものやうに犀星の家へ訪ねて行つた。例の如く掃除の行き屆いた庭の隅に、青々とした草がそよいでゐて、蛙が時々侘しさうに鳴いてゐた。冷した麥酒を御馳走になりながら聽いてゐると、いかにも風雅な氣分がするので

「好いね! 蛙が鳴いてるぢやないか。」

と言つた。すると急に犀星が欣然として、さも意を得たやうに言つた。

「君にも風流の情趣がわかるか。なかなか話せるぞ。」


 それから二三日して、犀星が私の所へ訪ねてきた。見ると頬つぺたを脹まし、ガマのやうに顏をふくらして、何かのどの邊でグーグーといふ奇聲を出してる。

「君、散歩に行かんか。」

「よからう。」

 少し一所に歩いてゐると、急に彼は默つてしまつて、またグーグーといふ奇聲を出してる。

「何だねそれは?」

 たうとう不審になつて尋ねてみた。

「蛙の鳴聲さ。僕のやうに藝のない人間は、宴會などの時に困るんだ。それでこれを習つたのだが、どうかね君。」

 それからまた暫らくたつて言つた。

「人生は悲しいものさ。」

 犀星の哲學はいつもこれである。昔彼が放蕩してゐた時分、いつも下宿屋の机の上に玩具の安つぽい鳩笛が飾つてあるので不審に思つてきいてみたら、

「僕は寂しくなるとこれを吹くんだ。」

と言つた。異性もなく金もなく、いつも飢ゑて都會に放浪してゐた頃の彼を思ふと、私はいつも涙ぐましい思ひがする。


故郷は遠きにありて思ふもの

そして悲しく歌ふもの

よしやうらぶれて異土の乞食となるとても

かへる所にあるまじや。


 といふあの有名な小曲なども、皆彼が吹いた鳩笛の音から生れた哀調である。さうした昔の詩人犀星は、今も尚依然として悲しくしをらしき犀星である。彼の「哲學」にはいつもいみじきユーモアがある。或る馬鹿正直の人間がもつやうな、眞面目すぎて可笑しくなるユーモアである。その笑の底にしをらしい純情の心がすすり泣いてる。知れば知るほど、犀星は人の愛情をひきつける徳をもつてゐる。


 鎌倉へ移る少し前、初冬の風のうす寒い日に、僕等二人は連れだつて活動寫眞を見に行つた。日暮れに近く、上野に電車を待つプラツトホームを、寒い冬の風が吹きさらしてゐた。

 ふと何かのことで、また僕等は口論をし始めた。始めから犀星は強情で我がままを張り通してゐた。彼は自分の意見を主張し、文句なしに私を壓倒しようと企ててゐる。これは珍らしいことでなく、いつでも犀星のきまつたやり方だ。たとへば散歩に出るにしても、彼は最初からプランを立て、自分の好きな道筋や觀覽物やへ、文句なしに對手を引つぱつて行くにきめてる。そして對手がそのプランを好むと好まないとは、全く思慮に入れないのである。「我れの欲する所は必ず他人の欲する所」といふのが彼の獨斷的の固い信念であるからして、他人が自分と同意しない意見や趣味をもつであらうといふことは、天地が逆さになるほどあり得べからざることなのだ。「明日君と銀座へ行くにきめた。」いつも彼の調子はこれである。

 この日も例の通りであつて、何かのつまらぬことで二人の意見が衝突した。私もたいていの場合は彼の發議にしたがつてゐるが、あまり對手が獨斷的に出てくるので、時には意地惡から故意に反對することもある。

「僕は厭やだ。」

 さう言ひ出したら私も仲々強情なので、いつものやうにニラミ合ひが始まつてくる。私の知つてる限りで考へても、室生のやうに氣持ちを顏に出す男はない。表情といふ言葉には人爲的の技巧があるが、室生のは自然兒の表情で、子供が怒や悲しみを顏に出すのと同じである。私が彼の發議に反對するとき、いつも吃驚したやうに──有り得べからざることが起つたやうに──奇異の顏付をしてぼうとしてゐる。それから默つて、世にも憎々しげに人の顏をにらみつける。「毒々しい憎惡」といふ言葉があるが、かういふ場合にみる犀星の眼付ほど、眞にこの表情に適つてるものはない。その表情に現はれた憎しみの感情は、成人のもつてるそれでなく、むしろ子供や野獸などにみる純眞の原始本能に類してゐる。理智の知り得ないもの! 室生の人物にみるすべての神祕はこれである。

「君もずゐぶん強情の男だな。」

「君こそ我がままだ。」

 長い不愉快の沈默の後、兩方から吐き出すやうに言ひ合つた。それから友はくるりと背後を向き、いかにもすげない冷やかな顏付をして、一人でずんずんと歩いて行つた。その樣子には

「もう貴樣のやうな奴は友人でない。」

といふ冷たい感情がありありと現はれてゐた。

「ざまあ見ろ!」

 背後姿を見ながら、私も心の中でさう叫んだ。

 冬近い夜の風が、薄暗いプラツトホームを吹き渡つてゐた。見ると友はホームの反對の側に立つて、遲い夜行電車のくるのを待つてゐる。黒く悄然と、さびしさうな影をひいて。

 ホームを越えて、遠い夜空に上野あたりの街の燈火が浮んでゐた。暗い霧のかかつた空で、地平のあたりが桃色にぼんやりしてゐた。いつか雨さへ降つてきた氣ぶりである。友はまだじつと立つてゐる。

「何といふ孤獨の男だらう!」

 黒く悄然としてゐる友の背後姿をみてゐる中に、何とも言へないいぢらしさが、湧然として私の胸にわきあがつてきた。さうした彼のさびしい樣子は、明らかに彼の心中を物語つてゐた。

「友さへも私を容れない。」

 今、室生は明らかにそれを考へてゐる。すべてに於て、彼ほどに自己を知つてゐる男はない。そのくせまた彼ほどに自己を反省しない男もない。彼の我がままも、彼の一國も、彼の自己を押して行くエゴイズムも、彼は皆自分でよく知りながら、そのくせまた一方では知らないのである。室生はいつも自然のままの野生的な子供である。何故にエゴが人生に容れられないか? さういふ反省をする理智はどこにもない。彼の知り、彼の感ずるすべての思想は本能である。その原始本能が、理智の能はない不思議の智慧を彼に教へる。

 今も彼は寂しげに考へてゐる。何物も私を容れない。友さへも私を容れない。私はいつも孤獨である。どうして私はかうなんだらうか? 私はさびしい。なぜこの世の中は、すべて私の思ふ通りにならないだらうと、あの「忘春詩集」に出る支那人みたいに、いぢらしい宿命を噛みしめてゐる。

 今に限らず、いつも犀星の腹を立てて怒る時ほど、彼のしをらしい敍情詩を態度に表現することはない。あの「抒情小曲集」にある心根のしをらしさも、「忘春詩集」等に描かれてゐる寂しげな宿命觀も、皆その一の氣質的な情操に屬してゐるので、至純の心にのみ宿る純情の美しさが、ひしひしと人の心に迫つてくる。何と言つて説明しようか。これを心情の「美」といふにも適切でなく、「自然」といふにも意味が足らず、「正直さ」といふもぴつたりしない。丁度ドストイエフスキイの小説「白痴」に書かれた、あの自然人としての子供のやうな、さうして獸のやうに無智で純眞な心をもつてる、あの神祕的な貴族の青年がもつ心情がそれであり、一言でいへば「しをらしい」といふ言葉の深い意味につきてる。

 さうした彼の純情性が、いつも人に怒つたあとで高調してくる。それは懺悔に似たやうなものであるが、また懺悔のやうに常識的のものではない。室生はどんな場合に於ても、決して人に詫びはしない。また自分自身にも詫びはしない。いつまでもいつまでも、彼は心の底から苛だたしく腹を立ててる。その怒は人にも向ひ自分自身にも向つてゐる。意識上では彼は確かに怒つてゐる。意識上では自分の正しきを信じてゐて、あくまでも他人の反抗を憎んでゐる。しかるにその反省のない心の影に、不思議な本能的な反省が忍んでゐるので、それが潛在意識として態度に現はれ、世にもしをらしくいぢらしい善人の悲哀を感じさせる。その悲哀はどうにもならない悲哀である。世界のあらゆる人間がもつ、宿命の底知れぬ悲哀である。


 かうした室生の心情にひそむものは、すべての至純で善良な人が感じてゐる、あの人類普遍のヒユーマニチイに外ならない。彼の「愛の詩集」はこの觀念を打ち出してゐる。すべての人の罪を許し、すべての人が互に愛して抱き合はうといふ觀念は、單に觀念としては空虚のものに思はれるが、人もし或る日の室生に接すれば、それが生きた思想として迫つてくるのを感ずるだらう。何がなし、その純情の美しさが心をひき、涙ぐましい「いぢらしさ」が感じられ、そこに或る何かの意味深いもの、世の常の思想に表現できない神祕の意味を感じさせる。そしてこの「意味」をもし反省すれば、それが釋迦やキリストの嘆きであり、トルストイやドストイエフスキイの哲學であり、そしてあらゆる至純の人の心にひそむ、どうにもならないヒユーマニチイの悲哀であることを知るだらう。「忘春詩集」も「小曲集」も「愛の詩集」も、彼の詩境を一貫して流れてゐる蠱惑の中心點はこれである。(ただ「愛の詩集」には「人道」の概念性があり、他の詩集にはそれがなく、單に純眞の情緒として現はれてる。それだけ後者の方が純一であり、本質的の深い神祕性に富んでゐる。)

 今も現に暗いプラツトホームで、さうした室生のしをらしい姿が立つてゐる。野獸的の烈しい憤怒に燃えてゐながら、そのくせ世にもしをらしく悲しげな姿である。何たる不憫のことだらう。私の眼には熱い涙がこみあげてきた。或るふしぎな、汲めども汲めども盡きない愛情。世の常の愛ではなく、もつとずつと意味の深い、ヒユーマニチイの祕密にふれる、ふしぎに美しく純粹の愛が泉のやうに湧きあげてきた。

「この愛すべき友!」

 私は心に熱して繰返した。私は懺悔したいやうな氣持ちになつた。そして思ひきり彼を抱擁したく、こみあげてくる友情で胸がいつぱいになつてしまつた。

 暫らくして電車がきた。我々は默つて車窓に向ひ合つてゐた。田端の暗い夜道を歸つてくるとき、急に友が親しげの言葉で話しかけた。

「いつ君は鎌倉へ移る?」

「近日中。」

「早く行けよ。居ない方が氣持ちが好いから。」

 しかしその言葉は、限りなき友情を示す反語によつて語られてゐた。

底本:「萩原朔太郎全集 第八卷」筑摩書房

   1976(昭和51)年725日初版発行

底本の親本:「驢馬 第二號」

   1926(大正15)年5月号

初出:「驢馬 第二號」

   1926(大正15)年5月号

入力:きりんの手紙

校正:岡村和彦

2020年221日作成

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