寐顔
永井荷風



 竜子りゅうこは六歳の時父を失ったのでその写真を見てもはっきりと父の顔を思出すことができない。今年もう十七になる。それまで竜子は小石川こいしかわ茗荷谷みょうがだにの小じんまりした土蔵付の家に母と二人ぎり姉妹きょうだいのようにくらして来た。母の京子は娘よりも十八年上であるが髪も濃く色も白いのみか娘よりも小柄こがら身丈せいさえも低い処から真実姉妹のように見ちがえられる事も度々たびたびであった。

 竜子は十七になった今日でも母の乳を飲んでいたころと同じように土蔵につづいた八畳のに母と寝起ねおきを共にしている。こと三味線さみせん生花いけばな茶の湯の稽古けいこも長年母と一緒である。芝居へも縁日えんにちへも必ず連立つれだって行く。小説や雑誌も同じものを読む。学課の復習試験の下調したしらべも母がそばから手伝うので、年と共に竜子自身も母をば姉か友達のように思う事が多かった。

 しかし十三の頃から竜子は何のわけからとも知らず折々こんな事を考えるようになった。母はもし自分というものがなかったなら今日こんにちまでこうして父のなくなった家にさびしく一人で暮してはおられなかったかも知れない。自分が八ツの時亡くなった祖母の家にとうに帰ってしまわれたかも知れない。母がこの年月ここにこうしておられるのは全く自分の生れたためではないか。竜子は母が養育の恩を今更いまさらのように有難くかたじけなく思うと共に、また母に対して何とも知れず気の毒のような済まないような気もして自然と涙ぐんだ。それ以来竜子はただに母と自分の身の上のみならず見廻す家の内の家具調度または庭の植木のさまにまで底知れぬ寂しさを感ずるようになった。

 家の内には竜子が生れた時から見馴みなれた箪笥たんす火鉢ひばち屏風びょうぶ書棚の如き家具のほかに茶の湯裁縫生花の道具、または大きな硝子ガラス戸棚の中に並べられた人形羽子板はごいた玩具がんぐのたぐい、一ツ一ツに注意すればむしろ物が多過ぎるほどにぎやかに置かれてある。それにもかかわらず家の内はいつもしんとして薄寒いような気のするほどしずかである。

 日当りのいい縁側には縮緬ちりめんの夜具羽二重はぶたえ座布団ざぶとん母子おやこ二人の着物が干される。軒先には翼と尾との紫に首と腹との真赤まっか鸚哥いんこが青いかごの内から頓狂とんきょうな声を出してく。さして広からぬ庭には四季えず何かしら花がさいているが、それらの物のハデななまめかしい色彩はかえって男のない家の内の静寂をばどうかすると一層さびしく際立きわだたせるように思われる事があった。

 日頃ひごろ母子の家に出入でいりする男といっては、日々勝手口へ御用を聞きに来る商人のほかには、植木屋と呉服屋ごふくや家作かさく差配人さはいにんと、それから桑島くわじま先生という内科の医者くらいのものであろう。いずれも竜子の生れない前から出入していた人たちで、もう髪の白くなっていないものは一人もない。

 橘屋たちばなやという呉服屋の番頭は長年母の実家の御出入であった関係から母の嫁入よめいりした先の家まで商いを弘めたのである。差配人の高木たかぎというのはなくなった主人が経営していた会社の使用人で長年金庫の番人をしていた堅い老人である。植木屋は雑司ぞうしから来る五兵衛ごへえという腰のまがったじじいであったが、竜子が丁度高等女学校へ進もうという前の年松の霜よけをしに来た時、徴兵から戻って来た亀蔵かめぞうというせがれを連れて来て、自分は年を取って仕事に出られなくなったからこの親爺おやじ同様に伜をお使い下さるようにと頼んで行った。長年かかりつけの桑島先生が老病で世を去ったのもやはりその頃であった。

 竜子は或日あるひ学校から帰って来た時、前夜からすこし風邪かぜをひいていた母の枕元まくらもとに年の頃は三十四、五とも見える口髭くちひげのうつくしい見知らぬ医者の坐っているのを見た。竜子は桑島先生の死後その代りに頼むべき医者のことはまだ一度も母から聞いていなかったので、その日突然見知らぬ若い医者の姿を目にした時、竜子は何のわけもなく、この医者も丁度植木屋の五兵衛が伜の亀蔵を頼んで行ったように、桑島先生の生きていた時からその代りとして推薦されたものであろうと思った。そしてその時には岸山きしやま先生というその名前さえ母には問わなかった。

 新来の若い医者は三日ほどたってまた診察に来た。竜子は母の枕元で話をしながらシュウクリイムを一口頬張ほおばった所なので、次の逃出にげだして口のはたと指先とをふいたのち静に元の座に立戻った。医者は母に向って食慾の有無とまた咳嗽せきが出るか否かを簡単にきいたばかりで、脈搏みゃくはくも見ず体温も計らず、また患者の胸に聴診器を当てても見なかった。そして携えて来たかばんから処方箋しょほうせんを取出して処方をしたためるとそのままだまって座を立った。竜子はとしとった桑島先生の診察がいつもいやになるほど念入れであったのに引くらべて、岸山先生の診察ぶりのこれはまたあまり簡単過ぎるのに少し頼りないような気もして、女中と一緒に玄関まで送り出したのち母の枕元に坐るが否や、

「おかア様、今度の先生はどこも見ないんですね。あれでいいんでしょうか。」というと母は別に重い病気ではないただ風邪を引いたばかりだからあれでいいのでしょうと答えて、安心している様子に竜子もそれなり何もきかなかった。もともと竜子は年とった桑島先生を深く信用しているわけではなかった。唯経験を積んだ御世辞おせじのいい開業医に過ぎない事を知っていたので、新来の岸山先生の簡単な診察ぶりと愛想気あいそっけのない態度についてはかえって学者にふさわしいような気もした所から、その病気になった時には母のすすめるのを待たず進んで岸山先生の診察を受けた。

 或晩あるばん竜子は母と一緒に有楽座ゆうらくざ長唄ながうた研精会の演奏を聞きに行った時廊下の人込ひとごみの中で岸山先生を見掛けた。岸山先生は始めて診察に来た時の無愛想ぶあいそな態度とはちがって鄭寧ていねい挨拶あいさつをした。それからしばらくたってやはり母と一緒に帝国劇場へ行った時また岸山先生に出会った。そして誘われるままに紅茶を飲んだ。竜子は帰りの電車の中で岸山先生が長唄を習っているということを母から聞いた。

 母子おやこ毎年まいとし八月になると鎌倉か逗子ずしかへ二、三週間避暑に行く。竜子が十五になった時の秋、東京にコレラが流行して学校は九月末まで休みとなった所から、母子は一度東京へ帰ってまた鎌倉へ引返した事があった。滞在中に二度ほど岸山先生が見えた。二度とも鎌倉のある病家びょうかへ往診に来たついでだという事であった。二度目の時竜子は母と先生と三人して海水を浴びに行った。晩食ばんめしをも一緒にすましてから先生は最終列車で東京へ帰る。それをば母子は涼みながら停車場まで送って行った。

 次の年、竜子はもう十六である。去年と同じように鎌倉に避暑していた時竜子は毎日母と二人ぎり差向いのたいくつさに、今年も岸山先生が遊びに来て下さればよいのにと言ったが、母は笑ったばかりで何ともいわなかったので、次の日竜子は「わたし先生に手紙を上げて見ましょうか。」というと母はちょっと竜子の顔を見てすぐに笑顔えがおをつくり、「病気でもないのに、お気の毒です。」と言った。

 東京にかえってからその年は冬になっても母子二人ともに風邪一つ引かなかったので、竜子は岸山先生の姿を見ずにもなく十七の春を迎えた。

 梅がさきかけた時分、或る日学校からの帰り道竜子は電車の中で隣に腰をかけている二人づれの見知らぬ男の口から、茗荷谷みょうがだにという自分の住んでいる町の名と、小林という自分と同じ名前が幾度か言出されるのをふと聞きつけて何心なく耳をすました。二人とも洋服を着た三十代の男でしきりに岸山医学士の事をうわさしているなかたしかに母の京子と覚しい或女の事がまじえられている。竜子は車体の動揺車輪のひびきと乗客のざわつく物音にもかかわらず二人の談話の何たるかをあきらかに推察することが出来た。急に顔が火のようにほてって来る。胸の動悸どうきが息苦しいほどはずんで来る。電車がとまった。竜子はついと立上って込合こみあう乗客を突きのけて車を下りた。「乱暴な女だな」と驚いたもののあった位なので竜子は停留場のいずこであるかもしばらくは知らなかった。

 空は晴れているが風が強いのでおもても向けられぬほど砂ほこりの立つ中を竜子は家まで歩き通しに歩いた。

 その夜竜子はいつものように、生れてから十七年、同じように枕を並べて寝た母の寐顔ねがおを、次のからさす電燈の火影ほかげにしみじみと打眺めた。

 日が暮れてもなお吹き荒れていた風はいつのにかぱったりんで雨だれの音がしている。江戸川端えどがわばたを通る遠い電車の響も聞えないので時計を見ずとも夜は早や一時を過ぎたと察せられる。母はいつもと同じように右の肩を下に、自分の方を向いて、少し仰向あおむき加減に軽く口を結んでいかにも寝相ねぞうよくすやすやと眠っている。竜子は母が病気の折にも、翌朝学校へ行くのが遅れるといけないからと言われてきまった時間に寝かされてしまう所から、十七になる今日が日まで、夜半よなかにしみじみ母の寐顔を見詰めるような折は一度もなかった。

 束髪そくはつった髪は起きている時のように少しも乱れていない。まぶたしずかに閉されているので濃い眉毛まゆげは更にあざやかに、細い鼻と優しいほおの輪郭とはななめにさす朧気おぼろげな火影に一層際立きわだってうつくしく見えた。雨は急に降りまさって来たと見えて軒を打つ音と点滴の響とが一度に高くなったが、母は身動きもせずすやすやと眠っている。しかしそれは疲れ果てて昏睡こんすいしたいたましい寝姿ではない。動物のように前後も知らずねむりむさぼった寝姿でもない。竜子は綺麗きれいな鳥が綺麗な翼にくちばしを埋めて、静に夜の明けるのを待っている形を思い浮べた。

 竜子は岸山先生と母との関係についてはもう何事も考えまいと思った。電車の中で耳にしたうわさが根もない事であったら無論それに越した事はない。万一事実であったらそれは母の寂しい生涯に果敢はかない一点の色彩を加えた物語として竜子は出来るかぎり美しい詩のように考えよう。この不幸にしてこの噂が世間の人の口にいい伝えられるような事があっても、自分だけは母に対しては何事も知らないような顔をしていようと考えた。

 そして竜子は母の方を向いて母と同じように行儀よく静に目をつぶった。けれどもすぐには眠られなかった。夢ともうつつともなく竜子は去年の秋頃から通学する電車の中で毎朝見かける或学生の姿を思い浮べた。たもとの中へいつのにか入れられてあった艶書えんしょの文句を思出した。艶書は誰にも知られぬ間に縦横たてよこきれぎれに細かく引裂ひきさかれて江戸川の流に投げてられたのである。竜子は意外な夢にわれから驚き覚めると、目の前にはすやすや眠っている母の顔がほのかに白く浮んでいる。しかし竜子は最早や最初のように驚異の情を以て母の寐顔を見はしなかった。何という訳もなく一層親しい打解けた心持で母の顔を見詰めているうち次第につかれて今度はぐっすり寝入ってしまった。

大正十二年二月稿

底本:「雨瀟瀟・雪解 他七篇」岩波文庫、岩波書店

   1987(昭和62)年1016日第1刷発行

   1991(平成3)年85日第6刷発行

底本の親本:「荷風全集 第七巻」岩波書店

   1963(昭和38)年412

初出:「女性」

   1923(大正12)年6

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※表題は底本では、「寐顔ねがお」となっています。

入力:入江幹夫

校正:酒井裕二

2017年311日作成

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