散柳窓夕栄
永井荷風




 天保てんぽう十三壬寅みずのえとらの年の六月もなかばを過ぎた。いつもならば江戸御府内ごふない湧立わきたち返らせる山王大権現さんのうだいごんげんの御祭礼さえ今年は諸事御倹約の御触おふれによってまるで火の消えたようにさびしく済んでしまうと、それなり世間は一入ひとしおひっそり盛夏の炎暑に静まり返ったある日の暮近くである。『偐紫田舎源氏にせむらさきいなかげんじ』の版元はんもと通油町とおりあぶらちょう地本問屋じほんどんや鶴屋つるや主人あるじ喜右衛門きうえもんは先ほどから汐留しおどめ河岸通かしどおり行燈あんどうかけならべたある船宿ふなやどの二階に柳下亭種員りゅうかていたねかずと名乗った種彦たねひこ門下の若い戯作者げさくしゃと二人ぎり、たがいに顔を見合わせたまま団扇うちわも使わず幾度いくたびとなく同じような事のみ繰返くりかえしていた。

「種員さん、もうやがてツだろうが先生はどうなされた事だろうの。」

「別に仔細しさいはなかろうとは思いますがそう申せば大分お帰りがお遅いようだ。事によったらお屋敷で御酒ごしゅでも召上ってるのではざいますまいか。」

「何さまこれァ大きにそうかも知れぬ。先生と遠山様とおやまさまとは堺町さかいちょうあたりではその昔随分御昵懇ごじっこんであったとかいう事だから、その時分じぶんのお話にいろいろ花が咲いているのかも知れませぬ。」

「遠山様というかたは思えば不思議な御出世をなすったものさね。ついこの間までは人のいやがる遊人あそびにんとまで身を持崩もちくずしていなすったのがしばらくのうち御本丸ごほんまる御勘定方ごかんじょうがたにおなりなさるなんて、これまで御番衆ごばんしゅう方々かたがたからいくらも出世をなすった方はあろうけれど遠山様のような話はありますまい。」

「どうかまア遠山さまの御威光で先生の御身の上に別条のないようにしたいもんさ。万一の事でもあろうものなら、手前なんぞは先生とはちがって虫けら同然の素町人すちょうにんゆえ、事によったら遠島えんとうかまず軽いところで欠所けっしょまぬかれまい。」

「もし鶴屋さん、縁起えんぎでもねえ。そんな薄気味の悪い話はきつい禁句だ。そんな事をいいなさると何だかいても立ってもいられないような気がします。ぼんやりここで気ばかりんでいても始まらぬから私はそのへんまでちょっとひとぱしり御様子を見てまいりましょう。」

 種員は桟留さんとめひとさげを腰に下げて席を立ちかけたが、その時女中に案内されて梯子段はしごだんあがって来たのは、何処どこぞ問屋の旦那衆かとも思われるような品の好い四十あまりの男であった。越後上布えちごじょうふ帷子かたびらの上に重ねたしゃの羽織にまで草書そうしょに崩した年の字をば丸く宝珠ほうじゅの玉のようにした紋をつけているので言わずと歌川派うたがわはの浮世絵師五渡亭国貞ごとていくにさだとは知られた。鶴屋はびっくりして、

「これはこれは亀井戸かめいどの師匠。どうして手前共がここにいるのを御存じで御ざりました。」

「実は今日さる処まで暑中見舞に出掛けたところ途中でお店の若衆わかいしゅうに行き堀田原ほったわらの先生が日蔭町ひかげちょうのお屋敷へしかじかとのお話を聞き、わしも早速先生の御返事が聞きたさに急いでやって来ましたのさ。時に先生はまだ遠山様のお屋敷からはお帰りがないと見えますな。」

 国貞は歩いて来た暑さにしきり団扇うちわを使い初める。立ちかけた種員は再び腰なる煙草入たばこいれを取出しながら、「五渡亭先生も御存じで御座いましょう。手前と相弟子あいでし笠亭仙果りゅうていせんかがお供を致しまして御屋敷へ上っておりますから、私は今のうち一走ひとはしり御様子を見て参ろうかと思っていた処で御座ります。もう追付おっつけお帰りとは存じますが何となく気がかりでなりませぬ。」

「いかにも不断ふだんから師匠思いのお前さん故さぞ御心配の事だろうと重々じゅうじゅうお察し申します。わしなぞは申さば柳亭翁とは一身同体。今日此頃このごろでは五渡亭国貞といえば世間へも少しは顔の売れた浮世絵師。それというも実を申せば『田舎源氏』の絵をかき出してからの事ゆえ、万が一おとがめの筋でもあるようならわし所詮しょせん逃れぬ処だと、とうから覚悟はきめていますが、おたがいにどうかまアそんな事にはなりたくないもの。」と国貞は声を沈まして、忘れもせぬ文化三年の春のころ、その師歌川豊国うたがわとよくにが『絵本太閤記えほんたいこうき』の挿絵の事よりして喜多川歌麿きたがわうたまろと同じく入牢じゅろうに及ぼうとした当時の恐しいはなしをし出した。すると鶴屋の主人あるじもついついその話につり込まれて六、七年前に大酒たいしゅで身をそこねた先代の親爺おやじから度々聞かされた話だといって、これは寛政かんせい御改革のみぎり山東庵京伝さんとうあんきょうでん黄表紙御法度きびょうしごはっと御触おふれを破ったため五十日の手鎖てぐさり、版元蔦屋つたや身代半減しんだいはんげんという憂目うきめを見た事なぞ、やがて談話はなしはそれからそれへと移って遂には英一蝶はなぶさいっちょう八丈島はちじょうじまへ流された元禄の昔にまでさかのぼってしまったが、これは五渡亭国貞が先頃さきごろから英一蝶に私淑してその号まで香蝶楼こうちょうろうと呼んでいたがためであった。折から耳元近く轟々ごうごうと響きだす増上寺ぞうじょうじの鐘の声。門人種員はいよいよ種彦の様子を見に行こうと立上り大分山の痛んでいるらしい帯の結目むすびめ後手うしろでに引締めながらすだれおろした二階の欄干らんかんから先ず外を眺めた。日の長い盛りの六月の事とて空はまだ昼間のままに明るく青々と晴渡っていた。いつもならば向河岸むこうがしの屋根を越して森田座もりたざのぼりが見えるのであるが、時節がらとて船宿の桟橋さんばしには屋根船空しくつながれ芝居茶屋の二階には三味線さみせんも絶えて彼方かなたなる御浜御殿おはまごてんの森に群れ騒ぐからすの声が耳立つばかりである。夕日は丁度汐留橋しおどめばしなかばほどから堀割を越して中津侯なかつこうのお長屋の壁一面にはげしく照り渡っていたが、しかし夕方の涼風は見えざる海の方から、狭い堀割へと渦巻くように差込んで来る上汐あげしおの流れに乗じて、或時は道の砂をも吹上げはせぬかと思うほどつよく欄干の簾をうごかし始める。

 国貞と鶴屋の主人あるじは共々に風通しのいいこの欄干の方へとその席を移しかけた時、外を見ていた種員が突然飛上とびあがって、「皆さん、先生がお帰りで御座ります。」

「なに先生がお帰り。」

 いうもおそし、一同はわれ遅れじと梯子段をけ下りて店先まで走り出ると、差翳さしかざ半開はんびらきの扇子せんすに夕日をよけつつしずかに船宿の店障子へと歩み寄る一人のさむらい。これぞ当時流行の草双紙くさぞうし『田舎源氏』の作者として誰知らぬものなき柳亭種彦翁りゅうていたねひこおうであった。細身ほそみ造りの大小、羽織はかまの盛装に、意気な何時いつもの着流しよりもぐっとせいの高く見える痩立やせだち身体からだあやういまでに前の方にかがまっていた。早や真白まっしろになったびんの毛と共に細面ほそおもての長い顔にはいたましいまで深いしわがきざまれていたけれど、しかし日頃の綺麗好きれいずきに身じまいを怠らぬ皮膚の色はいかにもなめらかにつやつやして、生来うまれつきの美しい目鼻立の何処どこやらにはさすがに若い頃の美貌びぼうのほどもうかがい知られるのであった。

 種彦は今日きょうしも老体の身に六月大暑だいしょの日中をもいとわず、かねてより御目通おめどおりを願って置いたしば日蔭町ひかげちょうなる遠山左衛門尉様とおやまさえもんのじょうさまの御屋敷へと人知れずまかり越したのである。仔細しさいというはほかでもない。去頃さるころより御老中ごろうじゅう水野越前守様みずのえちぜんのかみさま寛政かんせい御改革の御趣意をそのままに天下奢侈しゃしの悪弊を矯正きょうせいすべき有難き思召おぼしめしによりあまねく江戸町々へ御触おふれがあってから、すで葺屋町ふきやちょう堺町さかいちょうの両芝居は浅草山あさくさやま宿しゅく辺鄙へんぴへとお取払いになり、また役者市川海老蔵いちかわえびぞうは身分不相応の贅沢ぜいたくきわめたるかどによってこの春より御吟味になった。それやこれやの事から世間では誰いうともなく好色本こうしょくぼん草双紙類の作者の中でもとりわけ『偐紫田舎源氏』の作者柳亭種彦は光源氏ひかるげんじの昔にたとえて畏多おそれおおくも大御所様大奥の秘事をもらしたにより必ず厳しい御咎おとがめになるであろうとのうわさすこぶかしましいのであった。種彦はわが身の上は勿論もちろんもしやそのために罪もない絵師や版元にまでわざわいを及ぼしてはと一方ひとかたならず心配して、こうなるからは誰ぞ公辺こうへん知人しりびとを頼り内々ないない事情を聞くにくはないとかね芝居町しばいまちなぞではことほか懇意にした遠山金四郎とおやまきんしろうという旗本の放蕩児ほうとうじが、いつか家督をついで左衛門尉景元さえもんのじょうかげもとと名乗り、今では御本丸へ出仕するような身分になっているのを幸い、是非にもと縋付すがりついてごく内々ないないに面会を請うた次第であった。

「先生、早速で御座いますが御屋敷の御首尾はいかがで御座りました。」

 一同は一先ひとまず種彦を二階へ案内するや否や、茶を持運ぶ女中の立去るをおそしと、左右から不安な顔を差伸さしのばすのであった。種彦は脇差を傍に扇を使いながら少し身をくつろがせ、

「いや、もうさして御心配なさるにも及ぶまい。遠山殿の仰せには町方まちかたの事とは少々御役向おやくむきが違うゆえ、あのかた御一存ごいちぞんではしかとした事は申されぬが、何につけおかみにおいては御仁恵ごじんけいが第一。それにとりわけこのたびの御趣意と申すは上下こぞって諸事御倹約を心掛けいという思召おぼしめし故、それぞれ家業に精を出し贅沢ぜいたくなことさえ致さずば、さして厳しい御詮議ごせんぎにも及ぶまいとのおおせ。それだによってこの際はお互によく気をつけ精々間違のないように慎んでおるがよかろう……。」

「さようで御ざりましたか。それでは別に差当って御叱おしかりこうむるような事はなかろうと仰有おっしゃるんで御座いますな。いや、先生、その御言葉を聞きまして手前はもう生き返ったような心持になりました。」

 版元鶴屋は襟元えりもとの汗をばそっと手拭てぬぐいで押拭うと、国貞も覚えずほっと大きな吐息といきを漏して、

「手前も御同様、やっとこれで安堵あんど致しました。何事によらず根もない世上の噂というやつほどいまいましいものは御座りません。初手しょてからこうと知っていればこんなにせるほど心配は致しません。」

「全く亀井戸の師匠の仰有る通りさ。手前なんざアそれがためあれからというものは夜もおちおち睡眠ふせりません。」と鶴屋の主人あるじは全く生返ったように元気づき、「先生、それではもうそろそろお船の方へお移りを願いましょうか。お帰りは丁度夕涼ゆうすずみの刻限かと存じまして先ほど木挽町こびきちょう酔月すいげつへつまらぬものを命じて置きました。」

「それはそれは。いつもながら鶴屋さんの御心遣おこころづかいには恐縮千万。」

「お言葉ではかえって痛み入ります。実はまだいろいろと御話を承りたいことが御座ります。丁度今日は亀井戸の師匠もおいでで御座りますし、さしずめ唯今板木はんぎに取りかかっております『田舎源氏』の三十九篇、あれはいかが致したもので御座りましょうか、いずれ船中で御ゆるり御相談致したいと存じております。」

 一同は種彦を先に桟橋さんばしにつないだ屋根船に乗込んだ。



 背中一面に一人は菊慈童きくじどう、一人は般若はんにゃの面の刺青ほりものをした船頭がもやいを解くと共にとんと一突ひとつき桟橋さんばしからへさきを突放すと、一同を乗せた屋根船は丁度今がさかり上汐あげしおに送られ、滑るがように心持よく三十間堀さんじっけんぼりの堀割をつたわって、夕風の空高く竹問屋の青竹の聳立そばだっている竹河岸たけがしを左手に眺め真直まっすぐ八丁堀はっちょうぼり川筋かわすじをば永代えいたいさして進んで行った。

 夏の日はすでに沈んで、空一面の夕焼は堀割の両岸りょうがんに立並んだ土蔵の白壁をも一様に薄赤く染めなしていると、そのさかさまなる家の影は更に美しく満潮の澄渡すみわたった川水の中に漂い動いている。幾個いくつと知れぬ町中まちなかの橋々には夕涼ゆうすずみの人の団扇うちわと共に浴衣ゆかた一枚の軽い女のすそが、上汐のために殊更ことさら水面の高くなった橋の下を潜行くぐりゆく舟の中から見上る時、一入ひとしお心憎く川風にひるがえっているのである。

 一同は種彦たねひこの語った最前の話に百年の憂苦を一朝いっちょうにして忘れ得た思い。酔月すいげつから取寄せた料理の重詰じゅうづめを開き川水にさかずきを洗いながら、しきりに絶景々々と叫んでいたが、肝腎かんじんな種彦一人は大暑だいしょの日中を歩みつづけた老体につかれを覚えたゆえか、何となく言葉少く、片肱かたひじふなべりに背をどうの横木に寄せかけたまま、簾越すだれごしにただぼんやり遠い川筋の景色にのみ目を移していた。

 しかし船中の一人がふと種彦の様子を怪しんで、何処どこぞ御気分でもと気をむものがあれば、種彦はたちまちわざとらしいまでに元気よく、杯を見事に呑干のみほして、「いや、どうも年ばかりは取りたくないものさ。少し遠路とおみちでもいたすとぐにこの通りの始末で御座る。」といつもに変らぬ軽い調子で、「しかしまアわれらおたがいの身に取って今日ほど目出たい日はあるまいて。鶴屋さんが折角のお饗応もてなしだ。種員たねかず仙果せんかも遠慮なく頂戴ちょうだい致すがよいぞ。」といいながら、しかしどういうわけか一同の如く心の底から陶然とえいを催す様子は更に見えなかった。

 種彦は先刻から遠山左衛門尉とおやまさえもんのじょうが事をばいかほど思うまいとつとめて見てもどうしても思返さずにはいられなかったのである。顧れば十幾年まえ芝居町しばいまちなぞでく見た折の金四郎と今日こんにちの左衛門尉とを思い比べると実に不思議な心持になる。遠山は辞を低うしてそのやしき伺候しこうした種彦をば喜び迎え、昔に変らぬ剰談じょうだんばなしの中にそれとつかず泰平の世は既に過ぎ恐しい黒船は蝦夷えぞ松前まつまえあたりを騒がしている折から、世は上下とも積年の余弊に苦しみつかれている様を見ては、われひと共に公禄こうろくむもの及ばずながらそれぞれ一廉ひとかどの忠義をつくさねばなるまいと、衷心ちゅうしんから湧起わきおこ武士さむらいの赤誠を仄見ほのみせて語ったその態度その風采ふうさい。種彦はどういう機会はずみかわが身の今日こんにちと彼れ遠山の今日とを思比べて、当世の旗本風情ふぜいにもまだまだあんな立派な考えを持っているものがあるのか知らと思うと、そもそも我から意識して戯作者げさくしゃとなりすました現在の身の上がいかにも不安にまた何とも知れず気恥しいような気がしてならなくなった。しかしいかほど深い感慨に沈められても種彦は今更それをば船中せんちゅうのものに向って語り聞かせるわけには行かぬ。よし話すにしてもこの場合思うように打明けて語り得られるものではない。さされた酒杯さかずきをばさされるままに呑み干しては返し、話掛けられる話を、心もよそにただ受答えをするばかり。船はいつしか狭い堀割の間から御船手屋敷おふなでやしきの石垣下をめぐってひろびろとしたつくだ河口かわぐちへ出た。

 一同は既に十分の酔心地えいごこち。覚えず声をそろえてまたもや絶景々々と叫ぶ。夕焼の空は次第に薄らぎ鉄砲洲てっぽうず岸辺きしべいかりを下した親船の林なす帆柱の上にはちらちらと星がうかび出した。佃島つくだじまでは例年の通り狼烟のろし稽古けいこの始まる頃とて、夕涼かたがたそれをば見物に出掛ける屋根船猪牙舟ちょきぶねは秋の木葉このはの散る如く河面かわもせに漂っていると、夕風と夕汐のこの刻限を計って千石積せんごくづみの大船はまた幾艘いくそうとなく沖の方から波をってこの港口へと進んで来る。その大きな高い白帆のかげに折々眺望をさえぎられる深川ふかがわの岸辺には、思切って海の方へ突出つきだして建てた大新地おおしんち小新地こしんちの楼閣に早くもきらめめる燈火ともしびの光と湧起る絃歌げんかの声。するとくしの歯のように並連ならびつらなったそれらの桟橋さんばしへと二梃艪にちょうろいそがしく輻湊ふくそうする屋根船猪牙舟からは風の工合で、どうかすると手に取るように藤八拳とうはちけんを打つ声が聞えて来る。

 国貞は近頃一枚絵にと描いてやった深川の美女がうわさをしはじめると鶴屋の主人あるじはまたの地を材料にした為永春水ためながしゅんすいが近作の売行うれゆきを評判する。そのもあらず一同を載せた屋根船は殊更に流れの強い河口のうしおに送られて、夕靄ゆうもやうちよこたわ永代橋えいたいばしくぐるが早いか、三股みつまた高尾稲荷たかおいなりの鳥居を彼方かなたに見捨て、暁方あかつきがたの雲の帯なくかなかずの時鳥ほととぎすと、蜀山人しょくさんじん吟咏ぎんえいめりやすにそぞろ天明てんめいの昔をしのばせる仮宅かりたく繁昌はんじょうも、今はあしのみ茂る中洲なかすを過ぎ、気味悪く人を呼ぶ船饅頭ふなまんじゅうの声をねぐら定めぬ水禽みずとり鳴音なくねかと怪しみつつ新大橋しんおおはしをもあとにすると、さて一同の目の前には天下の浮世絵師が幾人よって幾度いくたび丹青たんせいこらしても到底描きつくされぬ両国橋りょうごくばしの夜の景色が現われいづるのであった。

 去年に比べると今年は御倹約の御触おふれが出てから間もないためか、川一丸かわいちまるとか吉野丸よしのまるとかいう提灯ちょうちんを下げつらねた大きな大きな屋形船に美女と美酒とを満載して、吹けよ河風上れよすだれ三下さんさがりにめやうたえの豪遊を競うものはまれであったが、その代り小舷こべり繻子しゅす空解そらどけも締めぬが無理かと簾おろした低唱浅酌ていしょうせんしゃく小舟こぶねはかえっていつにも増して多いように思われた。両国橋の橋間は勿論もちろん料理屋の立並ぶあたり一帯の河面かわもせはさすがの大河だいが込合こみあう舟に蔽尽おおいつくされ、流るる水はふなばたから玉臂ぎょくひを伸べて杯を洗う美人の酒にいて同じく酒となるかと疑われる。

 鶴屋の主人あるじは「先生。」とよびかけて、「いつ見ましても御府内ごふないの御繁昌は豪勢なもので御座いますな。いかがで御座いましょう。どこぞその辺の桟橋へ着けまして二、三人綺麗きれいなところを呼寄せ久ぶりで先生の美音を拝聴いたしたいもので御座ります。」

「これはとんでもない。こう年を取っては色気いろけよりも喰気くいけと申したいが、この頃ではその喰気さえとんと衰え、いやはや、もうお話にはなりませぬ。折角の御酒ごしゅも御覧の通り二、三杯いただくと唯うとうとと眠気を催すばかりさ。さすが蜀山先生しょくさんせんせいはうまい事を書いていますよ。先達せんだってさる人から『奴師労之やっこだこ』と申す随筆を借りて見ましたがな……。」と種彦は先ほどからふなばたひじをつき船のゆれるがままに全く居眠りでもしていたらしく、やや坐住居いずまいを直して、今更のように四辺あたりにぎわいを打見遣うちみやりながら、どうかすると、摺交すれちがう舟の唄または岸の上なる見世物小屋の騒ぎにも打消されるほどなしずかな声で、蜀山人が随筆『奴師労之』の終りに、老病ほど見たくでもなくいまいましきものはなし……酒のみても腹ふくるるのみにて微醺びくんに至らず物事にうみ退屈し面白からず。声色せいしょくの楽みもなくただ寝るをもて楽みとす。奇書も見るにたらず珍事もきくにあきぬ。若き時酒のみてとろとろ眠りし心地とれたるおんなのもとに通いしたのしみは世をへだてたるごとくなりきと書いた文章の事をしみじみと語り出して、その終に添えた狂歌一首、「ながらへばとらたつやしのばれん、うしとみし年今はこひしき。」それをばあたかも我が身の上をえいじたもののように幾度いくたび繰返くりかえして聞かせるのであった。屋根船はその間にいつか両国のにぎわいぎ過ぎて川面かわもせのやや薄暗い御蔵おくら水門すいもんそと差掛さしかかっていたのである。燈火の光に代って蒼々あおあおとした夏の夜の空には半輪はんりんの月。行手ゆくての岸には墨絵の如くにじんだ首尾しゅびの松。国貞は猪口ちょくを手にしたまま、

唐崎からさきの松は花よりおぼろにて。」と感に堪えたる如くつぶやいた。

御府内ごふないには随分名高い松の木があるようで御座いますがやはりあの首尾の松にとどめを刺しますかな。」と答えたのは鶴屋喜右衛門つるやきうえもんである。

「さよう、小名木川おなぎがわの五本松は芭蕉翁ばしょうおうが川上とこの川しもや月の友、と吟じられたほどの絶景ゆえけいたりがたくていたりがたき名木めいぼくでしょう。それから根岸ねぎし御行おぎょうの松、亀井戸かめいど御腰掛おこしかけの松、麻布あざぶには一本松、八景坂はっけいざかにも鎧掛よろいかけの松とか申すのがありました。」と国貞は鶴屋の主人あるじ差向さしむかってしきりに杯を取交とりかわしていた時、行きちが一艘いっそうの屋根船の中から、

「月あかり見ればおぼろの舟のうち、あだな二上にあが爪弾つまびきに忍びうたる首尾の松。」と心悪こころにくいばかり、目前の実景をそのまま中音の美声に謡い過ぎるものがあった。

 先ほどからへさきへ出て、やや呑み過ごした酔心地えいごこちもいわれぬ川風に吹払わせていた二人の門人種員たねかず仙果せんかは覚えず羨望せんぼうまなこを見張って、過ぎ行く舟の奥床おくゆかしくも垂込たれこめた簾の内をば窺見うかがいみようと首をのばしたが、かの屋根船は早くも遠く川下の方へと流れて行ってしまった。しかしいよいよ首尾の松が水の上にと長くその枝をのばしているあたりまで来ると、川面かわづらの薄暗さをさいわい彼方かなたにも此方こなたにも流れのままにただよわしてある屋根船の数々、その間をば一同を載せた舟が小舷こべりさざなみを立てつつ通抜とおりぬけて行く時、中にはあわてふためいて障子の隙間すきまをば閉切しめきるものさえあった。どの船からという事もなく幽暗なる半月はんげつの光に漂い聞ゆる男女が私語ささやきの声は、折々向河岸むこうがしなるしいの木屋敷の塀外へいそとからかすかに夜駕籠よかごの掛声を吹送って来る川風に得もいわれぬ匂袋においぶくろを伴わせ、また途切とぎれがちな爪弾つまびき小唄こうたは見えざる河心かわなか水底みなそこ深くざぶりと打込む夜網の音にさえぎられると、厳重な御蔵おくらの構内に響き渡る夜廻りの拍子木が夏とはいいながらも早や初更しょこうに近い露の冷さに、何とも知れず人肌恋しき秋の夜の風情を覚えさせるのであった。

 余りになまめかしい辺りの情景に、若い門人たちはおのずから誘い出される淫蕩いんとうな空想にもつかれ果てたのか、今は唯遣瀬やるせなげに腕を組んでこうべを垂れてしまった。国貞が鶴屋の主人あるじを相手に傾ける酒も早や尽きたらしい。御厩河岸おうまやがしわたしを越して彼方かなたよこたわる大川橋おおかわばしの橋間からは、遠い水上みなかみに散乱する夜釣よづりの船の篝火かがりびさえ数えられるほどになると、並木の茶屋のにぎわいと町を歩く新内しんないの流しが聞えて駒形堂こまかたどうの白い壁が月の光にあおく見え出した。



 一同は禁殺碑きんさつひの立っている御堂おどうの裏手から岸にのぼった。

 国貞はここから大川橋へ廻って亀井戸かめいど住居すまいまで駕籠かごを雇い、また鶴屋は両国橋りょうごくばしまで船をぎ戻して通油町とおりあぶらちょうの店へ帰る事にした。種彦は遠くもあらぬ堀田原ほったわらの住居まで、是非にもお供せねばという門人たちの深切しんせつをも無理に断り、夜涼やりょうの茶屋々々にぎわう並木の大通おおどおり横断よこぎって、唯一人薄暗い町家まちやつづきの小道をば三島門前みしまもんぜんほうへとぼとぼ老体のあゆみを運ばせたのである。

 種彦は先ほどから是非にも人を遠ざけ唯一人になって深くおのが身の上を考えて見ねばならぬ。この年までいわば何の気もなく暮して来たその長い生涯を回顧して見べき必要にめられていたのであった。昔は自分なぞよりはもう一層たちの悪い無頼漢ならずもののようにも思っていた遠山金四郎とおやまきんしろうが今は公儀の重い御役おやくを勤め真実世の有様を嘆き憂いているかと思えば、種彦はとこに先祖のよろいを飾った遠山が書院に対座して話をしているうちから何時いつとなく苦しいような切ないような気恥しいような何ともいえない心持になったのである。一体どうしてそういう妙な心持になったのであろう。まずその原因おこりから考えて見なければならない。武士の家に生れたその身は子供の時から耳に胼胝たこのできるほどいい聞かされた武士の心得武士の道。しかしそんなものはこの歳月としつき唯「おかる勘平かんぺい」のような狂言戯作げさく筋立すじだてにのみ必要なものとしていたのではないか。それが今どうして突然意外にも不思議にも心を騒がし始めたのであろう。思返えせば二十歳はたちの頃ふと芝居がえり或夜あるよ野暮な屋敷の大小の重きを覚え、御奉公の束縛なき下民げみんの気楽をうらやみいつとしもなく身をそのむれに投じてここに早くも幾十年。今日しも遠山の屋敷の玄関に音ずれるその日までは夢にさえ見ることを忘れていた武家の住居すまい──寒気なほどにも質素に悲しきまでもさびしいなかにいうにいわれぬ森厳しんげんな気をみなぎらした玄関先から座敷の有様。またその道すがら横手はるか幸橋さいわいばし見附みつけを眺めやった御郭おくるわそとの偉大なる夕暮の光景が、突然の珍らしさにふと少年時代の良心の残骸ざんがい呼覚よびさましたというよりほかはあるまい。

 しかし種彦は今更いまさらにどうとも仕様のないこの煩悶はんもんをばいても狂歌や川柳せんりゅうのように茶化してしまおうと思いながら、歩いて行く町のところどころに床几しょうぎを出した麦湯むぎゆねえさんたちのいやらしい風俗。それに戯れる若者の様子を目撃しては、以前のようにこれも式亭三馬しきていさんばが筆のすさみのそのままだと笑ってばかりはいられないような気になるのであった。我が家に近い桃林寺とうりんじの裏手では酒買いに行く小坊主の大胆に驚き、大岡殿おおおかどのの塀外の暗さには夜鷹よたかいど仲間ちゅうげんむれに思わずも眼を外向そむけつつ、種彦はようやくそのいえかどにたどりついた。

 直様すぐさま家内のものをも遠ざけ、かきものをするからとて、二階の一間ひとまに閉じこもったが、見廻せば八畳の座敷狭しと置並べた本箱の中の書籍しょじゃく勿論もちろんとこの飾物から屏風びょうぶの絵に至るまで、すべ偐紫楼にせむらさきろうと自ら題したこの住居すまいのありさまは、自分が生れた質素な下谷したや御徒町おかちまち組屋敷くみやしきに比べてそも何といおうか。身に帯びるそれもく軽い細身ほそみの大小よりほかには物の役に立つべき武器とては一ツもなく、日頃身に代えてもと秘蔵するのは古今の淫書いんしょ稗史はいし、小説、過ぎし世の婦女子の玩具がんぐにあらずんば傾城遊女けいせいゆうじょが手道具のたぐいばかり。ああ思えば唯うらうらと晴渡る春の日のような文化文政の泰平に沈湎ちんめんして天下の事は更なり、わが髪の白くなるのも打忘れ世にいう悪所場あくしょばをわがの如く今日は吉原よしわら明日は芝居と身の上知らず遊び歩いていたその頃には、どういうわけか人の道を忘れた放蕩惰弱ほうとうだじゃくなもののいとわしい身の末が入相いりあいの鐘に散る花かとばかり美しく思われて、われとても何時いつか一度は無常の風にさそわれるものならば、今もなお箕輪心中みのわしんじゅうと世に歌われる藤枝外記ふじえだげき、また歌比丘尼うたびくに相対死あいたいじにの浮名を流した某家のさむらいのように、せめて刹那せつなうるわしい夢に身をはたしてしまった方がと、折節おりふしに聞く浄瑠璃じょうるり一節ひとふしにも人事ひとごとならぬ暗涙を催す事が度々であった。日ごとに月代さかゆきもまだその頃には青々として美しく、すらりとしてせい高く、長いおとがいに癖のある細面ほそおもての優しさは、時の名優坂東三津五郎ばんどうみつごろう生写いきうつしといたる処の茶屋々々にいいはやされるが何よりも嬉しく、わが名をさえも三彦みつひこと書き、いつかはおい寝覚ねざめにも忘れがたない思出の夢を辿たどって年ごとに書綴りては出す戯作げさくのかずかず。心なき世上の若者淫奔いたずらなる娘の心をいざない、なおそれにても飽き足らず、是非にも弟子にと頼まれる勘当の息子たちからは師匠と仰がれ世を毒するなまめかしい文章の講釈。遊里戯場の益もない故実こじつ詮議せんぎ。今更にそれをくやんだとて何としよう。自分を育てた時代の空気は余りにやわらかく余りに他愛がなさ過ぎたのだ。近頃日光の御山おやましきりに荒出して、何処どこやらの天領ではほたるかわず合戦かっせん不吉ふきつしるしが見えたとやら。果せるかな恐ろしい異人の黒船は津々浦々をおびやかすと聞くけれど、ああこの身は今更に何としようもないではないか……。

 種彦は書きかけた『田舎源氏』続篇の草稿の上に片肱かたひじをついたまま唯茫然ぼうぜんとして天井を仰ぐばかりである。物優しい跫音あしおと梯子段はしごだんに聞えた。そして葭簀越よしずごしにも軽くにおわせる仙女香せんじょこうかおりと共に、髪はさがづと糸巻いとまきくずし、銀胸ぎんむね黄楊つげくしをさし、団十郎縞だんじゅうろうじまの中に丁子車ちょうじぐるまを入れた中形ちゅうがた浴衣ゆかたも涼しげに、小柳こやなぎしまの帯しどけなく引掛ひっかけにしめた女の姿、年の頃はまだ二十はたちばかりと思われた。

「おそのか。」とやさしく種彦は机の上に肱をついたまま此方こなたを顧み、「おッつけもう子刻ここのつだろうに階下したではまだ寝ぬのかえ。」

「はい。ただ今御新造様ごしんぞさまももうお休みになるからと表の戸閉りをなすっていらっしゃいます。」と女は漆塗うるしぬりふたをした大きな湯呑ゆのみ象牙ぞうげはしを添えた菓子皿とを種彦の身近にすすめて、前挿まえざしかんざし落掛おちかかるのをさし直しながら、「お煙草盆たばこぼんのお火はよろしゅう御ざりますか。」

「いや結構だ。何ややとよく気をつけてくれるからうちのものも大助りだ。お園やお前さんも一ツつまみなさい。ちょうにいて贅沢ぜいたくをした御前方おまえがたには珍しくもあるまいが、この頃は諸事御倹約の世の中、衣類から食物たべものまで無益な手数をかけたものは一切いっさい御禁止というきびしいおふれだから、この都鳥みやこどり落雁らくがんも当分は食納たべおさめになるかも知れぬ。今のうち遠慮なく食べて置くがよいぞ。」

「はい。ありがとう御座ります。先ほど階下したで御新造様から沢山頂戴ちょうだいいたしました。時に旦那さま、そう申せばこの頃は何とやら大層世間が騒々しいそうで御座りますが、此方様こちらさまに私見たようなものがおりまして万一もしもの事でもありましたらと、それがもう心配でなりません。」

「何さ、その事ならちっとも気を揉むには当らぬ。お前の事は初手しょてからいわば私が酔興すいきょうでこうしてかくまって上げているの故、余計な気兼きがねをせずと安心していなさるがいい。」と種彦は取上げる銀のべの長煙管ながぎせるけむりを吹きつつしみじみとお園の様子を打眺め、「それにもうその風俗なりふりなら誰が見ようと大丈夫だわ。中形の浴衣に糸巻崩いとまきくず昼夜帯ちゅうやおび引掛ひっかけという様子なり物言いなり仲町なかちょうはおりと思う人はあるかも知れぬが、ついぞこの間までちょうにいなすった華魁衆おいらんしゅうとはどうしてどうして気がつくものか。」

「ほんにそうだと、どんなに嬉しいか知れません。どうか一日も早く堅気かたぎになりたいものと一生懸命に気をつけているのでありますが、どうかいたすとつい口の先へそうざますのありんすのと、思わず里のなまりが出そうになりまして、御新造様とお話をしていましてもそれはそれはもう心配でなりません。」

「大きにそうであろう。まア何にしても当分は世を忍ぶ身体からだ。すっかり先方の話がまとまるまでは大事の上にも大事を取るに越した事はない。もうしばらくの辛抱しんぼうだによって滅多めったに外なぞへは出なさらぬがいいぜ。」

「はい。それはもうくわかっております。」と辞儀をしながらお園はなお何やらそばにいて尽きせぬ身の上の話でもしたいような様子であったが、言葉を絶やすと共にそのまま腕を組む種彦の様子に、女は所在なげにその後姿うしろすがたもしょんぼりと再び静かな跫音あしおと梯子段はしごだんの下に消してしまった。



 家中うちじゅうはそれなりしんとして物音を絶やした。今までは折々門外の小路こうじに聞えた夜遊よあそびの人の鼻唄はなうた、遠くの町を流して行く新内しんない連弾つれびき枝豆白玉えだまめしらたまの呼声なぞ、いつけるとも知らぬ町の夜の物音はたちま彼方此方かなたこなたに鳴り出す夜廻りの拍子木に打消される折から、浅草寺あさくさでら巨鐘きょしょうの声はいかにもおごそかにまたいかにもおだやかに寝静まる大江戸の夜の空から空へと響き渡るのであった。すると毎夜種油たねあぶらついえを惜しまず、三筋みすじも四筋も燈心とうしんを投入れた偐紫楼にせむらさきろう円行燈まるあんどうは、今こそといわぬばかり独りこの戯作者げさくしゃいおりをわが物顔に、その光はいよいよ鮮かにその影はいよいよ涼しく、唐机とうづくえの上なる書掛かきかけの草稿と多年主人あるじ愛翫あいがんの文房具とを照し出す。

 孟宗もうそうの根竹に梅花を彫った筆筒ふでづつの中に乱れさす長い孔雀くじゃくの尾は行燈あんどう火影ほかげ金光きんこう燦爛さんらんとして眼を射るばかり。長崎渡りの七宝焼しっぽうやき水入みずいれ焼付やきつけの絵模様に遠洋未知の国の不思議を思わせ、赤銅色絵しゃくどういろえ文鎮ぶんちん象嵌細工ぞうがんざいく繊巧せんこうを誇れば、かたわらなる茄子形なすびがた硯石すずりいし紫檀したんふたおもてに刻んだ主人が自作の狂歌、

名人になれ〳〵茄子なすと思へども

     とにかく下手へたは放れざりけり

という走書はしりがきの文字までをありありと読ませるのであった。

 種彦はたちまち今までの恐怖と煩悶はんもんに引替えていかなる危険をおかしても、この年月としつき精魂をめて書きつづけて来た長い長い物語を、今夜のうちにも一気に完成させてしまわなければならぬような心持になるのであった。思返すまでもなく、それは実に寛政かんせいの末つころ、ふとおのれがまだ西丸にしのまる御小姓おこしょうを勤めていた頃の若い美しい世界の思出されるまま、その華やかな記憶の夢を物語に作りなして以来このかた、年ごとに売出す合巻ごうかんの絵草紙の数もかさなって天保てんぽうの今日に至るまで早くも十幾年という月日をけみした。そのあいだというものは年ごとに咲く花は年ごとに散って行っても、また年ごとにびんの毛の白さは年ごとに刻まれるひたいしわと共にまさって行っても、この偐紫楼の深更よふけを照す円行燈のみは十年一日の如くに夜としいえば、必ず今見る通りの優しいなまめかしい光をわが机の上に投掛けてくれたのである。種彦は半ば呑掛のみかけた湯呑ゆのみを下に置くと共に墨摺すみする暇ももどかしに筆をったがやがて小半時こはんときもたたぬうちに忽ち長大息ちょうたいそくもらしてそのまま筆を投捨ててしまった。そして恐るる如くに机から身を遠ざけ、どっさりととこの柱に背を投掛け眼をつぶり手をこまねいたかと思うと、またもや未練らしく首をのばして、此方こなたからしげしげと机の上なる草稿を眺めやるのであった。

 突然庭の彼方かなたに当って風の音とも思われぬ怪しい物音がした。種彦は慄然りつぜんとしてわが影にさえ恐れを抱く野犬のいぬのように耳をそばだてたが、すると物音はそれなり聞えず二階の夜は以前の通り柔かな円行燈の光ばかり。けれども種彦が再び草稿の上に眼を注ごうとした時今度は何者かひそか忍寄しのびよるような跫音あしおとが聞えたので、いよいよ顔の色を失うと共に行燈の火を吹消すが早いか、種彦は一刀を手にして二階の丸窓をば音せぬように押開き庭のかたを見下した。半月が斜めに悲しに丁度隣家となりの屋根の上にかかっている。晴れた空には早や秋の気が十分に満渡みちわたっているせいか銀河を始め諸有あらゆる星の光は落ちかかる半輪はんりんの月よりもかえってあかるく、石燈籠いしどうろうの火の消残る小庭こにわのすみずみまでくまなく照しているように思われた。犬のえる声もない。怪し気な人影なぞは更に見当ろうはずもない。手入を怠らぬ庭の樹木と共に飛石とびいしの上に置いた盆栽の植木は涼しい夏の夜の露をばいかにも心地よげに吸っているらしくおだやかなその影をば滑らかなこけと土の上によこたえていた。軒の風鈴ふうりんをさえ定かには鳴らし得ぬ微風そよかぜ──河に近い下町の人家の屋根を越して唯ゆるく大きく流動している夜気のそよぎは、窓から首を差延さしのばす種彦がびんの毛を何ともいえぬほどさわやかに軽く吹きなびかせる。種彦はわが身の安危をも一時に忘れ果てたように、しばしは唯茫然ぼうぜんとこのもいわれぬ夜の気に打たれていたが、するうち忽然こつぜんわが家の縁先から、こは如何いかに、そっと庭の方へと降立おりたつ幽霊のような白い物の影。

 再び刀をつえ半身はんしんを屋根の方へ突出してよくよく見れば、消えようとして更にあかしきりまたたきする石燈籠の火影ほかげにそれは誰あろう、先ほど湯呑に都鳥の菓子を持添えて来たかのお園ではないか。仔細しさいあって我家にかくまうそれまでは新吉原しんよしわら佐野さの槌屋つちやの抱え喜蝶きちょうと名乗ったその女である。おろおろしつつも庭の柴折戸しおりど進寄すすみより音せぬように掻金かきがねをはずすと、おのずから開く扉の間から物腰のやさし気な男が一人手拭てぬぐいに顔をかくしわぬばかりに身をかがめて忍び入った。二人は少時しばし立ちすくんだままたがいに姿さえ恐るる如く息をこらして見合っていたが、やにわに双方から倒れかかるように寄添よりそいざま、ひしと抱合いだきあって、そのまま女は男の胸に、男は女の肩の上に顔を押当てただただ声をんで泣沈んだらしい様子である。

 種彦は最初一目見るが早いか、しのび入ったの男というはほど遠からぬ鳥越とりごえに立派な店を構えた紙問屋の若旦那で、一時おのれの弟子となった処から柳絮りゅうじょという俳号をも与えたものである事を知っていた。若旦那柳絮はいつぞやなかちょうの茶屋に開かれた河東節かとうぶしのおさらいから病付やみつきとなって、三日に上げぬ廓通くるわがよいの末はおきまりの勘当かんどうとなり、女の仕送りを受けて、小梅こうめの里の知人しりびとの家にその日を送っている始末。もしやこのまま打捨てて置いたなら心中もしかねまいと、種彦は知己ちかづきの多い廓の事とて適当の人を頼んで身請みうけや何かの事はおっての相談に、一先ひとまず女をわがに引取り男の方へは親許の勘当ゆりるまで少しの間辛抱して身をつつしむようにといい含めて置いたのである。しかるをやっと半月たつかたたぬに若い二人はもう辛抱がしきれずに、いつしめし合したものかたがいに時刻を計って忍逢しのびあおうという。誠にしからぬ事だと種彦は心のうちに憤ろうと思いながら、自分にも幾度いくたびか覚えのある若い昔を思い返せば、何もも無理はない事と訳もなく同情してしまわなければならぬ。それと共にいかに恋ゆえとはいいながらかほどまで義理も身も打捨てて構わぬ若い盛りの無分別ほどうらやましいものはないと思うのであった。ああ、あの無分別の半分ほどもあるならば自分は徳川の世の末がいかになり行こうと、あるいは自分の身がいかに処罰されようと、そんな事には頓着とんちゃくせず、自分の書きたいと思うところをどしどし心の行くままに書く事ができたであろう。悲しむべきは何につけても勇気のせ行く老境である。

 通り過ぎる村雲がいつの間にか月を隠してしまった。すると最前からまばたきしていた石燈籠いしどうろうの火も心ありにはたと消えるを幸い、二人の男女は庭の垣根に身を摺寄すりよせて互の顔さえ見分けぬほどなやみの夜をかえって心安しと、つもる思いのありたけを語りつくそうとあせれば、一時ひとしきり鳴くとどめた虫さえも今は二人が睦言むつごとを外へはもらさじとかばうがように庭一面に鳴きしきる。やがて男は名残惜し気に幾度いくたび躊躇ためらいつつも漸くに気を取直し地に落ちた手拭に再び顔をかくして立上ると、女も同じく落ちたるくし心付こころづきながら乱れた姿を恥らう色もなく少時しばし寄添い、やがて男が出て行く庭木戸を閉めたあとまでもなかなかその場を立ち去りかねた様子であった。



 翌日あくるひの朝種彦は独り下座敷したざしきなる竹の濡縁ぬれえんに出て顔を洗い食事を済ましたのちさえ何を考えるともなく折々毛抜けぬき頤鬚あごひげを抜きながら、昨夜ゆうべ若い男女の忍びったあたりの庭面にわもせ茫然ぼんやり眼を移していた。折から、「おや先生もうお目覚めざめでいらッしゃいますか。」

「大層お早いじゃ御座いませんか。」といいながら愛雀軒あいじゃくけんという扁額へんがくを掛けた庭の柴折戸しおりどを遠慮なく明けて入って来たのは柳下亭種員りゅうかていたねかず笠亭仙果りゅうていせんかと呼ぶ両人ふたりの門弟である。全くいつもより朝はまだよほど早かったらしい。二人が押開く柴折戸のすそに触れて垣際かきぎわに茂った小笹おざさの葉末から昨夜ゆうべのままなる露の玉が、ななめにさし込む朝日の光にきらきらと輝きながらこけの上にこぼれ落ちた。種彦は機嫌よく、

朝起あさおき老人としよりのくせさ。お前たちこそ今日は珍らしく早起をしたもんだな。それとも昨夜ゆうべの幕の引っ返しという図かね。」

「てっきり恐縮と申上げたい処ですが近頃はどう致しまして。どこもかしこも火の消えたようでいや早や情ない位で御座います。」

「いずこも同じ秋の夕暮かナ。」と種彦は戯れながらふと植込うえこみに吹入る朝風のひびきに、「いや暑い暑いといっているうちもう秋風が吹くと見える。」

「眼にはさやかに見えねどもと古歌にも申す通り、風の音にぞ驚かれぬるで御座います。」といいながら種員は懐中ふところ手拭てぬぐいを出して雪駄せったばきのすそを払い濡縁の上に腰をおろしたが、仙果は丁度おのれたたずんだ飛石とびいしそばに置いてある松の鉢物に目をつけ、女の髪にでも触るような手付で、盆栽の葉をでながら、

「先生これァいつお求めになりました。ぼくの太さといい枝ぶりといい実に見事な盆栽で御座いますな。」

「それはこの中請地村じゅううけじむら長兵衛ちょうべえという松師まつしに頼まれて、庭木戸の額を書いてやった返礼にもらったのだが、売買いにしたらなかなか吾輩こちとらの手に這入はいる品ではあるまい。」

「お屋敷方でも滅多めったにこんな名木めいぼくは見られますまい。」と種員も今は銜煙管くわえぎせるのまま庭の方へ眼を移したが突然思い出したように、「先生。こういう盆栽なんぞはいかがなものでしょう。当節じゃやはりひな人形や錦絵にしきえなんぞと同じように表向おもてむきには出せない品なんで御座いましょうか。」

勿論もちろんそのはずだろうさ。」と種彦は無造作にいい捨てて銀の長煙管ながぎせるで軽く灰吹はいふきたたいた。

「へーえ。やっぱり不可いけないんで御座いますかね。こうなると手前共にゃどうもおかみの御趣意が分りかねます。」

「なぜさ、無益なものにぜいつくすなと申すのではないか。」

「それがで御座りますよ。大きな声では申されませぬが私共わたくしどもの考えますには無益なものに手数てすうをかけて楽しんでいられるようなら此様こんな結構な事はないじゃ御座いませんか。天下太平国土安穏なりゃアこそ楽しんでおられるんで御座います。もしこれが明暦めいれきの大火事や天明てんめい飢饉ききんのような凶年ばっかり続いた日にゃ、いくら贅沢ぜいたくがいたしたくてもまさかに盆栽や歌俳諧はいかいで日を送るわけにも行きますまい。ところが当節の御時勢は下々しもじもの町人風情ふぜいでさえちょいと雪でも降って御覧ごろうじろ、すぐに初雪や犬の足跡梅の花位の事は吟咏くちずさみます。それと申すも全く以て治まる御世みよのおかげ、このような目出たい事は御座いますまい。」

「なるほどこれァ種員さんのいいなさる通り。恐れながら手前なぞも今度の御趣意についちゃ随分とに落ちない事が御座います。」

 盆栽に気を取られていた仙果もいつか縁側に腰をかけ、あたりに聞く人もないと思う安心から種員と一緒になって遠慮なくその思う処を述べようとする。

「下々の手前たちがとやかくと御政事むきの事を取沙汰とりざた致すわけでは御座いませんが、先生、昔から唐土もろこしの世には天下太平のしるしには綺麗きれい鳳凰ほうおうとかいう鳥が舞下まいさがると申します。しかし当節のようにこう何もも一概に綺麗なもの手数のかかったもの無益なものはあいならぬと申してしまった日には、鳳凰なんぞは卵を生む鶏じゃ御座いませんから、いくら出て来たくも出られなかろうじゃ御座いませんか。ほかのものはとにかくと致して日本一お江戸の名物と唐天竺からてんじくまで名の響いた錦絵まで御差止めになるなぞは、折角天下太平のお祝いを申しに出て来た鳳凰のくびをしめて毛をむしり取るようなものじゃ御座いますまいか。」

「はははは。いかほどお前たちが口惜くちおしく存じてもせんない事さ。とかく人の目を引くような綺麗なものは何ののとねたまれ難癖を付けられるものさ。下々の人情も天下の御政事も早い話が皆同じ訳合わけあいあきらめてしまえばそれで済むこと。あんまり大きな声で滅多めったな事をいいなさるな。口舌こうぜつ元来がんらい禍之基わざわいのもとい。壁にも耳のある世の中だ。まアまア長いものには巻かれているが一番だよ。」

「それァもう仰有おっしゃるまでもなく承知いたしております。つまらない饒舌おしゃべりをして掛替かけがえのない首でも取られた日にゃ御溜小法師おたまりこぼしが御座いませんや。こういう時には何か一首うま落首らくしゅでもやって内所ないしょでそっと笑っているが関の山で御座います。」

「落首といえばそうそう、昨夜ゆうべ先生がお帰りになってから鶴屋の旦那に聞いた話で御座りますが、あの和泉町いずみちょう一勇斎国芳いちゆうさいくによしさんが今度の御政事向の事をばそれとなく「みなもと頼光らいこう御寝所ごしんじょの場」にたとえて百鬼夜行ひゃっきやこうの図を描き三枚続きにして出したとかいう事で御座ります。」

「いや早や、あの男も持って生れた悪い病がまだ直らぬと見える。国芳も国貞もともに故人豊国翁の高弟だが、二人はまるで気性がちがい国芳は喧嘩けんかの好きな勇みな男いかさまその位の事はしかねまいて。一寸いっすんの虫にも五分ごぶの魂というが当節はその虫をばじっと殺していねばならぬ世の中。ならぬ堪忍するが堪忍とはまずらの事だわ。」

「何に致せいやな恐ろしい世の中になったもので御座います。この分では先生。とても『田舎源氏』の後篇もいつ拝見致される事やら、情ない事で御座いますなア。」

わたし追々おいおいに取る年だ。世間の取沙汰のしずかになるのを待っているうちには大方眼も見えず筆を持つ手も利かなくなろう……。」

 さびしい微笑と共に種彦は言葉を絶やした。二人の門弟も今は言出すべき言葉なく、遣場やりばのない視線をば追々に夏の日のさし込んで来る庭の方へ移したが、すると偶然垣根の外には大方一月寺いちげつじあたりから来る虚無僧こむそうであろう、連管れんかんに吹き調べる「虚空鈴慕こくうれいぼ」の一曲が一座の憂愁をば一層深くさせるようにいとど物淋しく聞え出すのであった。



 夏のさかりの六月もいつか晦日みそか近くなった。お江戸の町々を呼歩く蚊帳売かやうりの声と定斎売じょうさいうりかんに、日盛ひざかりの暑さは依然として何の変りもなかったが、とにかく暦の表だけではいよいよ秋という時節が来ると、道行く若いものの口々には早くも吉原よしわら燈籠とうろううわさが伝えられ、町中まちなかの家々にも彼方此方かなたこなた軒端のきばの燈籠が目につき出した。

 土用の明けるその日を期して、池上いけがみ本門寺ほんもんじを始め諸処の古寺では宝物の虫干かたがた諸人の拝観を許す処が多い。種彦の家でも同じくその頃に毎年蔵書什器じゅうき虫払むしばらいをする。そしてその日の夕刻からはく親しい友人や門弟が寄集って主人あるじ柳亭翁が自慢の古書珍本の間に酒をへいして俳諧はいかいまたは柳風りゅうふうの運座を催すのが例であった。けれども今年ばかりはわざわざそれらの蔵書什器を取り出して厳しい禁令の世の風にさらすという事がいかにも空恐ろしく思われた処から、種彦はわが秘蔵の宝をもよしむしが喰うならば喰うがままにと打捨てて置く事にした。

 実際種彦はもう何をする元気もなくなってしまったのである。老朽おいくちて行くその身とは反対に、年と共にかえって若く華やかになり行くその名声をば、さしもに広い大江戸は愚か三さんがの隅々にまで喧伝けんでんせしめた一代の名著も、あたらこのまま完成の期なく打捨ててしまわなければならぬのかと思うと、如何いかにしてもいやしがたい憂憤の情は多年一夜の休みもなく筆を執って来た精魂の疲労を一時に呼起し、あるかぎりの身内の力を根こそぎ奪い去ってしまったような心持をさせるのである。禁令の打撃に長閑のどかな美しい戯作げさくの夢を破られなかった昨日きのうの日と、禁令の打撃に身も心も恐れちぢんだ今日きょうの日との間には、劃然かくぜんとして消す事のできない境界さかいができた。そして今日という暗澹あんたんたる此方こなたの境から花やかな昨日という彼方かなたの境を打眺めて見ると、わが生涯というものは今や全く過去に属してすですでにその終局を告げてしまったものとしか思われない。何一ツ将来に対して予期する力のなくなった心のほどのいたましさはおのが書斎の書棚一ぱいに飾ってある幾多の著作さえ、それらは早何となく自分の著作というよりはむしろ既に死んでしまったある親しい友人──その生涯の出来事を自分はことごとく知り抜いている或親しい友人の遺書であるような心持がする。

 種彦は日ごとおしえを乞いにと尋ねて来る門弟たちをも次第々々に遠ざけて、唯一人二階の一間ひとま閉籠とじこもったまま、昼となく夜となく、老眼鏡の力をたよりにそもそも自分がまだやなぎ風成かぜなりなぞと名乗って狂歌川柳せんりゅう口咏くちずさんでいた頃の草双紙くさぞうしから最近の随筆『用捨箱ようしゃばこ』なぞに至るまで、すべて立派な套入ちついれにしてある著作の全部をば一冊々々取出して読み返しつつ、あああの双紙を書いた時分じぶんには何をしていた。ああこの物語を書いた頃には自分はまだ何歳であったかといたずらふける追憶の夢の中に、唯うつらうつらとのみその日その夜を送り過した。さながら山吹の花の実もなき色香を誇るに等しい放蕩ほうとうの生涯からは空しい痴情ちじょうの夢の名残はあっても、今にして初めて知る、老年の慰藉なぐさみとなるべき子孫のない身一ツのさびしさ果敢はかなさ。それを堪え忍ぼうとするには全く益もない過去の追憶に万事を忘却するほかはない……。

 七夕たなばたの祭はいつか昨日きのうと過ぎた。小夜さよけてから降り出した小雨こさめのまた何時いつか知らんでしまった翌朝あくるあさ、空は初めていかにも秋らしくどんよりと掻曇かきくもり、れた小庭の植込からはさわやかな涼風が動いて来るのに、種彦は何という訳もなくかわら焼くけむりも哀れに橋場今戸はしばいまどの河岸に立初たちそめる秋の風情の尋ねて見たく、臥床ふしどを出るや否やいそいで朝飯あさはんととのえようと下座敷したざしきへ降りかけた時出合頭であいがしらにあわただしく梯子段はしごだんを上って来たのは年寄った宿の妻であった。しかも容易ならぬ事件を種彦に伝えたのである。

 小雨そぼ降る七夕の昨夜ゆうべ久しく隠まって置いたかのお園は何処いずこへか出奔しゅっぽんしてしまったものと見え今朝方けさがた寝床は藻抜もぬけの殻となり、残るは唯男女が二通の手紙ばかりという事である。種彦は机の上の眼鏡取るより早く男女の手紙を読み下した。海山にもかへがたき御恩をあだにいたしそうろう罪科つみとが、来世のほどもおそろしく存じまゐらせ候……とあってお園の方の手紙にはただ二世にせ三世さんぜまでも契りし御方おかたのお身上みのうえに思いがけない不幸の起りしため、とてもこの世では添われぬ縁ゆえ一先ひとまずわが親里の知人しりびとをたより其処そこまで落延びてから心安く未来の冥加みょうがを祈り、共々にあの世へ旅立つという事の次第がこまごまと物哀れに書いてあった。覚えず涙に曇るまなこぬぐい種彦はやがて男の手紙を開くに及んで初めて深い事情を知り得た。先頃から、これも要するにこのたび御政事向ごせいじむき御改革の影響といわねばならぬ。若旦那の親元なる紙問屋は江戸中問屋十組えどじゅうとんやじっくみの株が突然御廃止になったため、それやこれやの手違いよりにわか莫大ばくだいの損失を引起し家倉を人手に渡すも今日きょう明日あすかという悲運に立至った。親のうちつぶれてしまえば頼みに思う番頭からびを入れて身受みうけの金を才覚してもらおうというのぞみも今は絶えたわけ。さらばといってどうして今更お園をば二度と憂き川竹かわたけ苦界くがいしずめられよう。身受する力も望みもなくなって唯いつまでも大金のかかった女を人の家に隠匿かくまって置いたなら、わが身のみかは恩義ある師匠にまでいかなる難儀を掛けるもはかられぬ。それゆえ事の面倒にならぬうちわが身一つに罪を背負って死出の旅路をこころざ申候もうしそうろう。何とぞのち回向えこうをたのむとあった。

 種彦は菱垣船ひしがきぶねや十組問屋仲間の御停止ごちょうじよりさしもに手堅い江戸中の豪家にして一朝いっちょうに破産するもののすくなくない事を聞知っていた処から、今更ながらの当りこのたびの法令の恐しい上にも恐しい事を思知るばかり。死にに行くという若いものどもの身の上についてはさしずめ如何いかなる処置を取ってよいのやら全く途方に暮れてしまった。



 全くどうにも仕様のないこの場合に立至っては今更のめのめと柳絮りゅうじょが親元の紙問屋へ相談にも行かれず、同時にくるわの方面にもいわばそれとなく自分が身受みうけの証人にもなったような関係がらうっかりと顔出しも出来ぬ。といってこのまま知らぬ顔に打捨てても置かれまいと種彦は思案に暮れたあまり、ふらりと家をで足の向く方へと歩いて行った。歩いて行くうちには何とかよい考えが出るかも知れぬとたよりにならぬ事をたよりにするより仕様がなかった。

 さまざまな物売の声と共にそのへん欞子窓れんじまどからは早や稽古けいこ唄三味線うたしゃみせんが聞え、新道しんみち路地口ろじぐちからはなまめかしい女の朝湯に出て行く町家まちやつづきの横町よこちょうは、物案顔ものあんじがお俯向うつむいて行く種彦をば直様すぐさま広い並木の大通おおどおりへと導いた。するとたちま河岸かしの方からさっとばかり真正面まともに吹きつけて来る川風の涼しさ。種彦はさすがに心の憂苦を忘れ果てるというではないが、思えばこの半月あまりは一歩ひとあし戸外そとへ出ず引籠ひきこもってのみいた時に比べると、おのずと胸も開くような心持になり、少時しばしは何の気苦労もない人のように目に見える空と町との有様をば訳もなく物珍し気に眺めやるのであった。

 両側とも菜飯田楽なめしでんがく行燈あんどうを出した二階だての料理屋と、往来おうらいせばむるほどに立連たちつらなった葭簀張よしずばり掛茶屋かけぢゃや、またはさまざまなる大道店だいどうみせ日傘ひがさの間をば士農工商思い思いの扮装形容みなりかたちをした人々があとから後からと引きも切らずに歩いて行く。それはこの年月幾度いくたびと知れず見馴みなれた上にも見馴れた街の有様ながら、しかしここに住馴れた江戸ッ児の馬鹿々々しいほど物好ものずきな心には、一日半日の間も置きさえすればたちまちにして十年も見なかった故郷ふるさとのように訳もなく無限の興味を感じさせるのである。

 早や虫売の荷が見える。花売のかごの中にはもう秋の七草が咲き乱れている。しかし其様そんな事には目もくれずおくらの役人衆らしいおさむらい仔細しさいらしい顔付かおつきに若党を供につれ道の真中まんなかを威張って通ると、摺違すれちがいざまに腰をかがめていそがし気に行過ぎるのは札差ふださしの店に働く手代てだいにちがいない。頭巾ずきんかむり手に数珠じゅずを持ちつえつきながら行く老人としより門跡様もんぜきさまへでもおまいりする有徳うとくな隠居であろう。小猿を背負った猿廻しのあとからはつつみを背負った丁稚でっち小僧が続く。きいた風な若旦那は俳諧師はいかいしらしい十徳じっとく姿の老人と連れ立ち、角隠つのかくしに日傘をかざしたうわかたの御女中はちょこちょこ走りの虚無僧下駄こむそうげた小褄こづまを取った芸者と行交ゆきちがえば、三尺帯さんじゃくおび手拭てぬぐいを肩にした近所の若衆わかいしゅ稽古本けいこぼん抱えた娘の姿に振向き、菅笠すげがさ脚絆掛きゃはんがけの田舎者は見返る商家のきん看板に驚嘆の眼をみはって行くと、その建続たちつづく屋根の海を越えては二、三羽のとんびしきりいて舞っている空高く、何処どこからともなく勇ましい棟上むねあげの木遣きやりの声が聞えて来るのであった。やや太く低いけれども極めて力のある音頭取おんどとりの声と、それにつづいて大勢の中にもとりわけ一人二人思うさま甲高かんだかな若い美しい声の打交うちまじった木遣のうたは、折からのおだやかな秋の日に対して、これぞまさしく大江戸の動かぬ富を作り上げた町人の豪奢ごうしゃと弓矢はもう用をなさぬ太平の世の喜びとを、江戸中の町々へ歌い聞かせるような心持がするのである。

 種彦はただどんよりした初秋の薄曇り、このいさましい木遣の声に心を取られながらぞろぞろと歩いている町の人々とあい前後して、駒形こまかたから並木なみきの通りを雷門かみなりもんの方へと歩いて行くうち何時いつともなしに我もまた路行く人と同じように、二百余年の泰平に撫育はぐくまれた安楽な逸民であるといわぬばかり、知らず知らずいかにも長閑のどやかな心になってしまうのであった。今更ことごとしく時勢の非なるを憂いたとて何になろう。天下の事は微禄びろくな我々風情がとやかく思ったとて何のたしにもなろうはずはない。おかみにはそれぞれお歴々の方々がおられるではないか。われわれは唯その御支配のもとおさま御世みよの楽しさを歌にも唄い絵にも写していつ暮れるとも知れぬ長き日を、われ人共に夢の如く送り過すのがせめてもの御奉公ではあるまいか。種彦は丁度豊後節ぶんごぶし全盛の昔に流行した文金風ぶんきんふう遊冶郎ゆうやろうを見るように両手を懐中ふところに肩を落し何処どこを風がという見得みえで、いつのほどにか名高い隅田川すみだがわという酒問屋さかどんやの前あたりまで来たが、すると、たちまち向うに見える雷門の新橋しんばしと書いた大提灯おおぢょうちんの下から、大勢の人がわいわいいって駈出かけだして来るのみか女の泣声までを聞付けた。ソラ喧嘩けんか人殺ひとごろしだというが早いか路行く人々は右方左方うほうさほう逃惑にげまどうものもあれば、我遅れじと駈けつけるものもある。その後につづいて町の犬が幾匹ともなくえながら走る。

 種彦は依然として両手を懐中ふところにこの騒ぎも繁華なお江戸ならでは見られぬものといわぬばかり街のかどに立止って眺めていたが、しかし走交はせちがう群集にさえぎられて実は何の事件ことやら一向に見定める事が出来なかったのである。

「先生。」と突然横合から声をかけたものがある。

「いや。仙果せんか種員たねかずか。あの騒ぎは一体どうしたものだ。」

「先生。大変な騒ぎで御座ります。奥山おくやまねえさんが朝腹あさっぱらお客を引込もうとした処を隠密おんみつ見付みつかりお縄を頂戴ちょうだいいたしたので御座ります。」

「ふうむさようか。」と種彦もさすが事件の意外なるに驚いた様子。「奥山の茶見世ちゃみせなぞは昔からからぬ処ときまったものではないか。今更隠売女かくしばいじょの一人や二人召捕えた処で仕様もあるまい。」

「先生それではまだ昨夜ゆうべからの騒ぎを御存じがないと見えますな。」

「はて、昨夜からの騒ぎというのはそれァ何事だ。お前たちも知っての通りわしは先月以来このかた外へ出るのは今日が初めて……。」

「実はこれから二人して御機嫌伺いに上ろうと思っていた処で御座ります。今日はもうどこへ参りましてもその話ばかりで持切っております。昨日の晩花川戸はなかわど寄席よせ娘浄瑠璃むすめじょうるりあげられる。それから今朝になって広小路ひろこうじ芸者屋げいしゃやで女髪結かみゆいが三人まで御用になりました。何でもつい二、三日前御本丸で御役替おやくがえがありまして、大目付おおめつけ鳥居様とりいさまが町奉行におなり遊ばしてからにわかに手厳しい御詮議ごせんぎが始まったとやら。手前どもの町内などでも名主なぬし家主いえぬしが今朝はもう五ツ頃から御奉行所へお伺いに出るような始末で御座います。」

「なるほど、それは全く容易ならぬ次第だな。」

「先生、まだそればかりでは御座りません。昨夜ゆうべちょっと櫓下やぐらしたの方へ参りましたら、何でも近い中に御府内ごふないの岡場所は一ツ残らずお取払いになるとかいう騒ぎで、さすがの辰巳たつみも霜枯れ同様寂れきっておりやした。」

「そうか。世の中は三日見ぬの桜ではない。桜を散らすとんだ夜嵐よあらし……。」

「先生、とにかく境内を一まわり奥山辺おくやまへんまでお供を致そうじゃ御在ございませんか。」

「そうさな。人の難儀を見て置くも気の毒ながらまた何ぞ後の世の語草かたりぐさになろうも知れぬ。どれぶらぶら参ろうか。」

 三人は歩き出した。雷門前の雑沓ざっとうはどうやら静まった様子であるが、まだこのへんをばあちこちと不安な顔付して行交う人たちの口々に、町木戸まちきど大番屋おおばんや召捕めしとられた売女の窮命されている有様が尾にひれ添えていかにもむごたらしく言伝えられている最中さいちゅうである。種彦を先に種員と仙果は雷門を這入はいって足早に立並ぶ数珠屋じゅずやの店先を通過とおりす二十軒茶屋にじっけんぢゃやの前を歩いて行ったが、いつも五月蠅うるさいほどに客を呼ぶ女どもはやがて仁王門を這入った楊子店ようじみせも同じ事で、いずれも真蒼まっさおな顔をして三人四人と寄合いながら何やらひそひそ話合っていると、土地の顔役らしい男がいかにも事あり気に彼方此方かなたこなたと歩き廻っていた。しかし何と言ってもさすがは広い観音の境内、今方いまがたそんな騒ぎのあったとも心附かぬ参詣さんけい群集ぐんじゅは相も変らず本堂の階段をあがりしていると、いつものように、これも念仏堂の横手に陣取った松井源水まついげんすい、またはかの風流志道軒ふうりゅうしどうけんの昔より境内の名物となった辻講釈を始めとして、そのへんに同じように葭簀張よしずばりの小屋を仕つらえた乞食芝居こじきしばい桶抜おけぬ籠抜かごぬけなどの軽業師かるわざしも追々に見物を呼び集めている処であった。

 一同はそれらの小屋をも後にして俗に千本桜といわれた桜の立木の間をくぐり抜け、金竜山きんりゅうざん境内の裏手へ出るとそぞろ本山開基の昔を思わせるほどの大木が鬱々うつうつとしておい茂っている。その木陰こかげ土弓場どきゅうば水茶屋みずぢゃや小家こいえは幾軒となく低い鱗葺こけらぶきの屋根を並べているのである。毎夜頬冠ほおかむりして吉原よしわら河岸通かしどおりをぞめいて歩くその連中と同じような身なりの男があいも変らずその辺をぶらりぶらり歩いていたが、さすがにたった今方いまがた世にも恐ろしい騒動のあったあととて女供は一斉に声をひそめ姿を隠してしまったので、いつもはそれほどに耳立たない裏田圃たんぼかわずこずえに騒ぐせみの声とが今日に限って全くこの境内をば寺院らしく幽邃閑雅ゆうすいかんがにさせてしまったように思われた。さながら人なき家の如く堅くも表口の障子を閉めてしまった土弓場の軒端のきばには折々時ならぬ病葉わくらば一片ひとひら二片ふたひらひらめき落ちるのが殊更にあわれ深く、葭簀よしずを立掛けた水茶屋の床几しょうぎにはいたずら磨込すりこんだ真鍮しんちゅう茶釜ちゃがまにばかり梢をもれる初秋の薄日のきらきらと反射するのがいい知れず物淋ものさびしく見えた。何処か見えない木立の間からしきりと笑うが如きからすの声が聞える。

 種彦は何というわけもなく立止って梢を振仰ふりあおいだ。枯枝の折れたのが乾いた木の皮と共に木葉このはの間を滑って軽く地上に落ちて来る。大方蝉をついばもうとしてからすはそのえばを追うて梢から梢にと飛移ったに違いない。仙果は人気ひとけのない水茶屋の床几しょうぎに置き捨ててある煙草盆たばこぼんから勝手に煙草の火をつけようとして、灰ばかりなのにちょッと舌鼓を打ったが、そのまま腰をおろ懐中ふところから火打石ひうちいし捜出さがしだしながら、

「先生一服いかがで御座います。いつもなら、のう種員さん、この辺は河岸縁かしっぶち三日月長屋みかづきながやも同然滅多めった素通すどおりの出来る処じゃないんだが、今日はこうして安閑と煙草がんでいられるたア何だか拍子ぬけがしてきつねにでもつままれたようだ。」

真白まっしろなこんこん様は何処の御穴おあなへもぐり込んだのか不思議に姿をくらましたもんさな。何しろ涼しくって閑静でいい。それにいくら涼んでもお茶代いらずというのだからこれがほんに有難山ありがたやま時鳥ほととぎすさ。」と腰なる一提ひとつさげを取出して種員は仙果の煙管きせるから火をかりて一服した。

 なるほど涼しい風は絶えず梢の間からき起って軽く人のたもとを動かすのに種彦もいつか門人らと並んで、思掛けない水茶屋みずぢゃや床几しょうぎに腰を下し草臥くたぶれあゆみを休ませた。折から梢の蝉の鳴音なくねをも一時いちじとどめるばかり耳許みみもと近く響き出す弁天山べんてんやまの時の鐘。数うれば早や正午ひるの九つを告げている。種彦はどこかこの近辺に閑静で手軽な料理茶屋でもあらば久ぶり門人らと共に中食ちゅうじきととのえたいと言出すと、毎日のぞめきあるきに至極案内知ったる柳下亭種員たねかず心得たりという見得みえで、雪駄せった爪先つまさきに煙管をぽんとはたき、

「では先生、早速あの突当りの菜飯茶屋なめしぢゃやなぞはいかがで御座いましょう。山東翁さんとうおうが『近世奇跡考きんせいきせきこう』に書きました金竜山きんりゅうざん奈良茶ならちゃの昔はいかがか存じませんが、近頃は奥山の奈良茶もなかなかこったものを食わせやす。それに先生御案内でも御座いましょうが、お座敷から向う一面に裏田圃うらたんぼを見晴す景色はまた格別で御座いますよ。丁度今頃は田圃にはすの花が咲いておりましょう。」



 一同は早速水茶屋の床几をはなれ、ここにもおい茂る老樹のかげに風流な柴垣を結廻ゆいめぐらした菜飯茶屋の柴折門しおりもんをくぐった。なるほど門人種員の話した通り打水うちみず清き飛石とびいしづたい、日をける夕顔棚からは大きな糸瓜へちまの三つ四つもぶら下っている中庭を隔てて、茶がかった離れの小座敷へと通るや否や明放した濡縁ぬれえんの障子から一目に見渡した裏田圃の景色。これは全く格別の趣きである。これは即ち南宗なんしゅう北宗ほくしゅうより土佐とさ住吉すみよし四条しじょう円山まるやまの諸派にも顧みられずわずかに下品極まる町絵師が版下絵はんしたえの材料にしかなり得なかった特種とくしゅの景色である。狂歌川柳せんりゅうの俗気を愛する放蕩ほうとう背倫の遊民にのみいうべからざる興趣を催させる特種の景色である。即ち左手には田町たまちあたりに立続く編笠茶屋あみがさぢゃやおぼしい低い人家の屋根を限りとし、右手ははるか金杉かなすぎから谷中やなか飛鳥山あすかやまの方へとつづく深い木立を境にして、目の届くかぎり浅草の裏田圃は一面に稲葉の海をみなぎらしている。その正面に当ってあたかも大きな船の浮ぶがように吉原よしわらくるわはいずれも用水桶を載せ頂いた鱗葺こけらぶきの屋根をそびやかしているのであった。

 薄く曇った初秋の空から落る柔かな光線ひかげは快く延切のびきった稲の葉の青さをば照輝く夏の日よりもかえって一段濃くさせたように思われた。彼方此方かなたこなたに浮んだ蓮田はすだの蓮の花は青田の天鵞絨ビロウドに紅白の刺繍ぬいとりをなし打戦うちそよぐ稲葉の風につれてもいわれぬ香気を送って来る。鳴子なるこ案山子かかしの立っているあたりから折々ぱっと小鳥の飛立つごとに、稲葉にうずもれた畦道あぜみちから駕籠かごを急がす往来ゆききの人の姿が現れて来る。それは田圃の近道をば田面たのもの風と蓮の花の薫りとに見残した昨夜ゆうべの夢をたくしつつ曲輪くるわからの帰途かえりを急ぐ人たちであろう。

 種彦は眺めあかすこの景色と、久ぶりに取上げるさかずきあじわいと、らちもない門弟たちの雑談とに、そぞろ今日の外出そとでの無益でなかった事を喜んだ。全く気に入った景色、気に入った酒、気に入った雑談。この三拍子が遺憾なく打揃うちそろうという事は人生容易にいがたい偶然の機をたねばならぬ。偶然の好機は紀文奈良茂きぶんならもの富を以てしてもあながちに買い得るものとは限られぬ。女中が持運ぶ蜆汁しじみじる夜蒔よまき胡瓜きゅうりの物秋茄子あきなすのしぎ焼などをさかなにして、種彦はこの年月としつき東都一流の戯作者げさくしゃとしておよそ人のうらやむ場所には飽果あきはてるほど出入でいりした身でありながら、考えて見れば雨や風のさわりなく主客共にく一日半夜の歓会かんかいい得たる事いくばくぞと、さまざまなる物見遊山ゆさんの懐旧談に時の移るのをも忘れていたが、折から一同は中庭を隔てた向うの小座敷に先ほどからしきりと手を鳴らしていたお客が遂に亭主らしい男を呼付けて物荒くいいののしり初めた声を聞付けた。客はあつらえた酒肴さけさかなのあまりに遅い事を憤り、亭主はそれをばひたあやまりに謝罪あやまっていると覚しい。そう心付いて見れば一同の座敷も同じ事、先ほど誂えた初茸はつたけの吸物もまたは銚子ちょうしの代りさえ更に持って来ない始末である。別に大勢の客が一度に立込たてこんで手が足りぬというのでもないらしい。どうした事かと仙果は二、三度続けざまにはげしく手を鳴らしたが、すると、以前の女中が銚子だけを持って来ながら息使いもせわしくいたくも狼狽うろたえた様子で、

「どうも申訳が御在ございません。どうぞ御勘弁を……。」とばかり前髪から滑り落ちるかんざしもそのままにひたすらひたいを畳へ摺付すりつけていた。

「こう、ねえさん。どうしたもんだな。そうむやみやたらに謝罪あやまられても始まらねえ。おかんはつけずおさかなはなしというのじゃ、どうもこれァお話にならないじゃねえか。」

「唯今帳場からおわびに出ると申しております。どうぞ御勘弁をなすって下さりませ。」

「それじゃ姐さん、酒も肴も出来ねえといいなさるんだね。」

「出来ない何のと申すわけでは御座いませんが、旦那。実は大変な事になりましたので御座います。今が今とて、定巡じょうまわりの旦那衆がお出でになりまして、そのほうどもでは時節ちがいの走物はしりものを料理に使ってはいないかと仰有おっしゃりまして、洗場あらいばから帳場の隅々までお改めになってお帰りになるかと思えば、今度は入違いれちがい伝法院でんぽういん御役僧おやくそう町方まちかたの御役人衆とがおいでになり、お茶屋へ奉公する女中たちはこれから三月中みつきうちに奉公をやめて親元へ戻らなければ隠売女かくしばいじょとかいう事にいたして、吉原よしわら追遣おいやってお女郎じょろうにしてしまうからと、それはそれは厳しいおふれで御座います。」

 種彦初め一同は一時に酒の酔をましてしまった。女中はもう涙をほろほろこぼしながら相手選ばず事情を訴えようとする。

「おかみの旦那衆もあんまりお慈悲がなさすぎるでは御座いませんか。こうして手前どもがお茶屋へ奉公いたしておりますのをどうやら好きこのんでみだらな事でもいたすように仰有いますが、まアお聞きなすって下さいまし。こうして私がお茶屋奉公でもいたさなければ、母親ははおやや亭主が日干しになってしまうので御座います。亭主は足腰が立ちませんし母親は眼が不自由な因果な身の上で御座ります……。」

 先ほど手を鳴らし立てた元気は何処へやら、一同は左右から女中をいい慰め一刻も早くこの場を立去るより仕様がない。わずかにその場の空腹をいやすためもう誂えべき料理とてもない処から一同は香物こうのものに茶漬をかき込み、過分の祝儀しゅうぎを置いてほうほうのてい菜飯茶屋なめしぢゃやかどを出たのである。

「種員さん、いよいよ薄気味のくねえ世の中になって来たぜ。岡場所は残らずお取払い、お茶屋の姐さんは吉原へ追放、女髪結かみゆいに女芸人はお召捕り……こうなって来ちゃどうしてもこの次は役者に戯作者げさくしゃという順取じゅんどりだ。」

「こうこう仙果さん。大きな声をしなさんな。その辺に八丁堀はっちょうぼりの手先が徘徊うろついていねえとも限らねえ……。」

鶴亀々々つるかめつるかめ。しかし二本差した先生のお供をしていりゃア与力よりきでも同心どうしんでも滅多めったな事はできやしめえ。」と口にはいったけれど仙果は全く気味悪そうに四辺あたりを見廻さずにはいられなかった。

 それなり種彦を初め一同は黙然もくねんとして一語をも発せず、訳もなく物に追わるるように雷門の方へ急いで歩いた。



 久しぶりの散歩に思のほか疲労つかれをおぼえ、種彦はわが家に帰るが否や風通しのいい二階の窓際に肱枕ひじまくらしてなおさまざまに今日の騒ぎをうわさする門人たちの話を聞いていたが、するうちにいつか知らうとうとと坐睡まどろんでしまった。

 疲れ果てた戯作者げさくしゃの魂は怪し気なる夢の世界へとさまよい出したのである。

 最初に門人らの話声が近くなり遠くなりして、いかにもものうくまた心地よく耳許に残っていたが、いつか知ら風の消ゆるが如くうしお退く如くに聞えなくなってしまうと、戯作者の魂はたちまちいずこからとも知れず響いて来るかすか金棒かなぼうの音を聞付けた。今時分いまじぶん不思議な事と怪しむ間もなく、かの金棒の響はまさしく江戸町々の名主なぬしが町奉行所からの御達おたっしを家ごとに触れ歩くものと覚しく、彼方かなたからも此方こなたからもたがいあい呼応しつつさながらあらしの如くに湧起わきおこって来るのである。それと共に突然川水の流るる音がわけもなく高まり出した。種彦は屋根船の中に揺られながら眠っているような心持もすれば、また高い青楼せいろうの二階の深い積夜具つみやぐの中にふうわりとうずまっているような心地もする。とにかく驚いて顔を上げると、自分の身体からだのある処よりもはるかに低く、雨気あまけを帯びた雲の間をば一輪の朧月おぼろづきが矢の如くに走っているのを見た。町の木戸が厳重に閉されていて番太郎ばんたろう半鐘はんしょうたたく人もいないのにひとりで勝手に鳴響いている。種彦は唯ただ不審のおもいをなすばかり。通過ぎる人でもあらば聞質ききただしたいと消えかかる辻番所つじばんしょ燈火あかりをたよりに、しきり四辺あたりを見廻すけれど、犬の声ばかりして人影とては更にない。何となく胸騒ぎがして何処へという当もなく一生懸命に駈出かけだし初めると、忽ち目の前に大きな橋が現われた。種彦は足にまかせて瞬時も早く橋を渡り過ぎようとすると、突然うしろから両方のたもとをしっかりと押えて引止めるものがある。何者かと思って振返ると、心中でも仕損じた駈落者かけおちものとおぼしく、橋際はしぎわ晒者さらしものになっている二人の男女があって、その両手は堅くいましめられている処から一心に種彦の袂をば歯でくわえていたのであった。あまりの気味悪さに覚えず腰なる一刀を抜手ぬくても見せずに切放すと二つの首はもろくも空中に舞飛んでまりの如くにころころと種彦の足許に転落ころげおちる。その拍子にふと見れば、こはそも如何いかに男は間違まがかたなく若旦那柳絮りゅうじょ、女はわが家に隠匿かくまったおそのではないか。しまった事をした。情ない事をした。許してくれと、種彦は地にひざまずいて落ちたる二つの首級を交々かわるがわるに抱上げける人に物いう如くびていると、何時いつの間にやら、お園と思ったその首は幾年か昔おのれが西丸にしのまるのお小姓を勤めていた時、不義の密通をした奥女中なにがしの顔となり、また柳絮と思ったその首は幾年の昔堺町さかいちょう楽屋がくや新道辺じんみちあたり買馴染かいなじんだ男娼かげまとなっていた。再びびっくりして二つの首級をハタと投出し唯茫然ぼうぜんとしてその場に佇立たたずんでしまうと、いつのに寄集って来たものか、こもを抱えた夜鷹よたかむれ雲霞うんかの如くに身のまわりを取巻いていて一斉に手をって大声に笑いののしるのである。しかも種彦の眼には数知れぬ夜鷹の顔がどうやら皆一度はどこかで見覚えのある女のように思われた。恐ろしいやら気味悪いやら、種彦は狂気の如く前後左右に切退きりのけ切払い、やっとの事で橋の向うへと逃げのびたが、もう呼吸いきも絶え絶えになるばかり疲れ果て有合う捨石すていしの上に倒るるように腰を落した。

 幸い四辺あたりは静で、もうまでは追掛けて来るものもないらしい。朧月の光がやわらかに夜のながれを照している。種彦は初めてほっと吐息をもらし、息切れのする苦しさに石垣の下なるくいにつかまり身をわせるようにしててのひらに夜の流を掬上くみあげようとすると、偶然にものように漂って来る一箇ひとつさかずき。今の世に何人なんびとの戯れぞ。紀文きぶん杯流さかずきながしの昔も忍ばるるゆかしさと思うもなく、早や二、三そうの屋根船が音もなく流れて来て石垣の下なる乱杭らんぐいつながれているではないか。閉切った障子の中には更に人の気勢けはいもないらしいのに唯だ朗かに河東節かとうぶし水調子みずちょうし」の一曲がかなでられている。種彦は先ほどの恐ろしい光景をも全く忘れてしまい今は何というわけもなく二十歳はたちの若い姿を朧夜おぼろよ河岸かわぎしに忍ばせて、ここに尋ね寄る恋人を待構えるような心持になっていた。

 果せるかな。忽然こつぜん川岸づたいにけ来る一人の女がハタとわが足許につまずいて倒れる。いだき起しながら見遣みやれば金銀の繍取ぬいとりある裲襠うちかけを着横兵庫よこひょうごに結った黒髪をば鼈甲べっこう櫛笄くしこうがい飾尽かざりつくした傾城けいせいである。いかなる訳あって夜道を一人何処いずこへといたわりながら聞くもおそし、うしろから飛んで来る追手おっての二、三人、物をもいわず裲襠を剥取はぎとってずたずたに引裂き鼈甲の櫛笄や珊瑚さんごかんざしをば惜気おしげもなく粉微塵こなみじん踏砕ふみくだいたのち、女を川の中へ投込んだなり、いかにもせわしそうに川岸をどんどん駈けて行く。種彦はあまりの事に少時しばしはその方を見送ったなり呆然ぼうぜんとして佇立たたずんでいたが、すると今までは人のいる気勢けはいもなかった屋根船の障子が音もなくいて、

「先生。柳亭先生。お久ぶりで御座ります。」と親し気に呼びかける男の声。見れば濃いまゆを青々とり眼の大きい口尻のしい面長おもながの美男子が、片手には大きな螺旋ねじねじ煙管きせるを持ち荒い三升格子みますごうし褞袍どてらを着て屋根船の中に胡坐あぐらをかいていると、その周囲まわりには御殿女中と町娘と芸者らしい姿した女がいずれ劣らずこの男に魂までも打込んでいるという風にしなだれ掛っていた。種彦驚き、

「これはお珍しい。貴公は木場きば白猿子はくえんしでは御座らぬか。」

「いかにも七代目海老蔵しちだいめえびぞうに御座います。久しくお目にかかりませぬが先生には相変らず御壮健恐悦きょうえつ至極しごくに存じます。」

「いや、拙者なぞもこの時節がらいつどのような御咎おとがめこうむる事やら落人おちうど同様風の音にも耳をそばだてています。それやこれやでその後はついぞお尋ねもせなんだがこの間はまたとんだ御災難。とうとうお江戸構いとやら聞きましたが思掛けない今時分どうしてへはお出でなすった。」

「その不審は御尤ごもっとも。実は今日こんにちまで先祖の菩提所ぼだいしょなる下総しもうさ在所ざいしょに隠れておりましたが是非にも先生にお目にかかり、折入ってお願い致したい事が御座りまして、夜中やちゅうそっと中川なかがわ御番所ごばんしょをくぐり抜けわざわざここまでやって参りました。」

「はて拙者のようなものに折入ってお頼みとは。」

ほかの事でも御座りませぬ。あれなる二そうの屋根船に積載つみのせました金銀珠玉の事で御座ります。実は当年四月木挽町こびきちょうの舞台にて家の狂言「景清かげきよ牢破ろうやぶりの場を相勤めおりまする節突然御用の身とあいなり、遂に六月二十二日北御番所のお白洲しらすにて役者海老蔵こと身分をわきまえず奢侈僣上しゃしせんじょうおもむき不届至極ふとどきしごくとあって、家財家宝お取壊とりこわしの上江戸十里四方御追放仰付おおせつけられましたが、いずれはかようの御咎おとがめもあろうかと木場きば住居すまいお取壊に相ならぬうち、弟子どもが皆それぞれに押隠しました家の宝、それをば取集め、あれなる船に積載せて参った次第で御座ります。先生へ折入ってお願ともうしまするはなにとぞあれなる宝をばいかようにも致し、後の世まで残しお伝え下さるよう御計らいなされては下さるまいか。諸行しょぎょう無常は浮世のならいそれがしの身の老朽おいくち行くは、さらさら口惜くちおしいとも存じませぬが、わが国は勿論もちろん唐天竺からてんじく和蘭陀オランダにおきましても、滅多めったに二つとは見られぬ珊瑚玳瑁たいまいぎやまんのたぐい、または古人が一世一代いっせいちだいの名作といわれた細工物はいかにお上の御趣意とは申ながらむざむざと取壊されるがいかにも無念で相なりませぬ。人の生命いのちにはまた生れ替る来世とやらも御座いましょうが、金銀珠玉の細工物は一度壊されてはふたたびこの世には出て参りませぬ。先生。海老蔵が折入って御願いと申まするは斯様かようの次第で御座ります。」

 言う言葉と共に海老蔵を載せた屋根船はおのずと岸を離れ、見る見る狭霧さぎりの中に隠れて行く。種彦はまアしばらく暫くと声を上げ、岸の上をば行きつ戻りつ、消え行く舟を呼び戻そうとしていると、たちま生暖なまあたたかい風がさっと吹き下りて、振乱す幽霊の毛のように打なびく柳のかげからまたしても怪し気なる女の姿が幾人いくたりと知れず彷徨さまよで、何ともいえぬ物哀ものあわれな泣声を立て、糸のようにせた裸足はだしのまましきりと地上に落ちた何物かを拾い上げては限りもなくさめざめと泣き沈むありさま、何事の起ったのかと種彦はふと心付けばわがたたずむ地の上は一面に踏砕ふみくだかれた水晶瑪瑙めのう琥珀こはく鶏血けいけつ孔雀石くじゃくせき珊瑚さんご鼈甲べっこうぎやまんびいどろなぞの破片かけらうずつくされている。そして一足でも歩もうとすればこれらの打壊された宝玉の破片は身も戦慄おののかるるばかり悲惨なひびきを発し更に無数の破片となって飛散る。そのたびごとに女のむれはさもさも恨めし気に此方こなたを眺めては、身も世もあられぬように声を立てて泣くのである。種彦も今は覚えず目がくらんでそのまま水中にまろび落ちてしまった。彼方かなたに流され此方こなたへ漂いするうちに、いつか気も心もつかれ果て、遂にもろくもまぶたを閉じ水底みずそこ深く沈んで行った。かと思うとやがて耳許みみもと聞馴ききなれた声がして、しきりと自分を呼びながら身体からだ揺動ゆりうごかすものがある。ふッと眼を開けば何事ぞ、らちもない一場の夢はここに尽きて老いたる妻がおのれを呼覚よびさましているのであった。

 なるほど水の中に沈んだと思ったのも無理はない。秋の夕陽ゆうひ欄干てすりの上にさし込んでいて、吹き通う風の冷さにおおうものもなく転寐うたたねした身体中は気味悪いほど冷切ひえきっているのである。種彦は二度も三度もつづけざまにするくさめと共にどうやら風邪かぜを引込んだような心持になった。



 家ごとに盂蘭盆うらぼん送火おくりび物淋ものさびしい風の立初たちそめてより、道行く人の下駄げたの音夜廻りの拍子木犬の遠吠とおぼえまた夜蕎麦売よそばうりの呼声にもにわかに物の哀れの誘われる折から、わけても今年は御法度ごはっと厳しき浮世の秋、朝な夕なの肌寒さも一入ひとしお深く身にむ七月のなかば過ぎ。偐紫楼にせむらさきろう燈火ともしびは春よりも夏よりもいらずらにその光の澄み渡るもややめて来た頃であった。主人あるじはいつぞや怪しき昼寐ひるねの夢から引込んだ風邪のとこ今宵こよいもまだまくらについたまま、あいも変らずおのが戯作げさくのあれこれをば彼方かなたを一、二枚此方こなたを二、三枚と読返していた折から、突然愛雀軒あいじゃくけんと題したの風雅な庭木戸をたたいたものがある。茶の長火鉢ながひばち妙振出みょうふりだしをせんじていた妻何心もなく取次に出て見ると、堀田原ほったわら町名主まちなぬしを案内にして仲間ちゅうげん提灯ちょうちん持たせた中年のさむらい小普請組こぶしんぐみ組頭くみがしらよりの使者と名乗って一封の書状を渡して立去る。ともなく横山町辺よこやまちょうへんの提灯をつけた辻駕籠つじかご一梃いっちょう、飛ぶがように駈来かけきたって門口かどぐちとどまるや否や、中から転出まろびいづ商人風あきうどふうの男、「先生は御在宅でいらっしゃいますか。鶴屋喜右衛門つるやきうえもん手代てだいで御座います。」と声もきれぎれに言うのであった。手代は主人あるじの寝所に通って何やら密談にふけったのち門外に待たせた辻駕籠に乗って再び何処いずこへか飛び去ってしまったが、それからというもの偐紫楼の家の内はにわか物気立ものけだって、咳嗽せきまじうる主人あるじの声と共にその妻の彼方此方かなたこなたと立働くらしい物音が夜のけ渡るまでもまなかった。

 丁度その刻限、そんな騒ぎのあろうとは露知らぬが仏、門人の柳下亭種員りゅうかていたねかず新吉原しんよしわら馴染なじみもとに泊っていたのである。竹格子たけごうしの裏窓を明けると箕輪田圃みのわたんぼから続いて小塚原こずかっぱらあかりが見える河岸店かしみせの二階に、種員は昨日きのう午過ひるすぎから長き日を短く暮すとこの内、引廻した屏風びょうぶのかげに明六あけむツならぬ暮の鐘。敵娼あいかたの女が店を張りにと下りて行ったすきうかがい薄暗い行燈あんどう火影ほかげしきり矢立やたての筆をみながら、折々は気味の悪い思出し笑いをもらしつつ一生懸命に何やら妙な文章を書きつづっていた。種員は草双紙くさぞうし御法度ごはっとのこの頃いよいよ小遣銭にも窮してしまったため国貞門下のある絵師と相談して、専ら御殿奉公の御女中衆おじょちゅうしゅうが貸本屋の手によってのみひそかあがない求めるという秘密の文学の創作を思い立ったのであった。

 早や大引おおびけとおぼしく、夜廻よまわり金棒かなぼうの音、降来る夕立のように五丁町ごちょうまちを通過ぎる頃、屏風のはしをそっと片寄せた敵娼あいかた華魁おいらん

ぬしァ、まだ起きていなんしたのかい。おや何を書いていなます。何処どこぞのお馴染へ上げるふみでありんしょう。見せておくんなんし。」と立膝たてひざ長煙管ながぎせるに種員が大事の創作をば無造作に引寄せようとする。種員驚き、

「華魁、文じゃねぇ、悪く気を廻しなさんな。疑るなら今読んで聞かせやしょう。だがの、華魁。あんまり身を入れて聞きなさると、とんだ勤めの邪魔になりやす。」

 こんな口説くぜつよろしくあって、種員は思いも掛けぬ馬鹿に幸福しあわせな一夜を過し翌朝あくるあさぼんやり大門おおもんを出たのであった。

 土手八丁どてはっちょうをぶらりぶらりと行尽ゆきつくして、山谷堀さんやぼり彼方かなたから吹いて来る朝寒あさざむの川風に懐手ふところでしたわが肌の移香うつりがいながらやま宿しゅくの方へと曲ったが、すると丁度その辺は去年の十月火災にかかった堺町さかいちょう葺屋町ふきやちょう替地かえちになった処とて、ここに新しい芝居町しばいまちは早くも七分通しちぶどおり普請を終えた有様である。中村座なかむらざ市村座いちむらざやぐらにはまだ足場がかかっていたけれど、その向側の操人形座あやつりにんぎょうざ結城座ゆうきざ薩摩座さつまざの二軒ともに早やその木戸口に彩色の絵具さえ生々しい看板とあたる八月はちがつより興業する旨の口上こうじょうを掲げていた。されば表通り軒並の茶屋はいずれも普請を終って今が丁度移転ひっこし最中さいちゅうと見えるうちもあった。彼方此方かなたこなたに響く鑿金槌のみかなづちの音につれて新しい材木のやににおいが鋭く人の鼻をつく中をば、引越の荷車は幾輛いくりょうとなく三升みますたちばな銀杏いちょうの葉などの紋所もんどころをつけた葛籠つづらを運んで来る。あちこちと往来ゆききする下廻したまわりらしい役者の中にはまだ新しい御触おふれが出てからもない事とて、市中と芝居町との区別を忘れて、後生大事にかむったままの編笠あみがさを取らずに歩いているものもあった。それが見馴みなれぬ目にはいかにも不思議に思われるのであった。

 種員はつい去年の今頃までは待乳山まつちやまの茂りを向うに見て、崩れかかった土塀の中には昼間でもきつねが鳴いているといわれた小出伊勢守様こいでいせのかみさま御下屋敷おしもやしきが、またたうち女形おやま振袖ふりそでなびく綺羅きら音楽のちまたになったのかと思うと、この辺の土地をばよく知っている身には全く狐につままれたよりもなお更不思議なおもいがして、用もないのに小路こうじ々々の果までを飽きずに見歩いた後、やがて浅草あさくさ随身門ずいじんもんそとの裏長屋に呑気のんき独世帯ひとりじょたいを張っている笠亭仙果りゅうていせんかうちへとやって来た。仙果は何処へか慌忙あわてて出て行こうとする出合頭であいがしら朝帰りの種員を見るや否や、いきなりその胸倉を取って、「乃公おらア今おめえさがしに行こうと思っていた処だ。気をたしかにしな。気をたしかにしな。」

「こう仙果さん。どうしたもんだな。おめえこそ気でもちがったんじゃねえか。いてえ痛え。まア放してくんな。懐中ふところから大事な書きものがおっこちるぜ。」

「気をたしかにしなせえ。腰でも抜かさぬように用心したがいいぞ。堀田原ほったわらの師匠がの、今朝おなくなりになったのだ。」

 唖然あぜんとしていう処を知らぬ種員に向って仙果は泣く泣く一伍一什いちぶしじゅうを語り聞かせた。

 柳亭種彦先生は昨夜の晩おそく突然北御町奉行所よりお調しらべの筋があるにより今朝五ツどきまでに通油町とおりあぶらちょう地本問屋じほんどんや鶴屋喜右衛門つるやきうえもん同道にて常磐橋ときわばし御白洲おしらす罷出まかりでよとの御達おったしを受けた。それがためか、あらぬか、先生は今朝方けさがた御病中の髪を結直ゆいなおしておられる時突然卒中症はやうちかたに襲われ、

散るものにきわまる秋の柳かな

という辞世の一句も哀れや六十一歳を一期いちごとして溘然こうぜんこの世を去られた。

 種員は頬冠ほおかむりにした手拭てぬぐいのある事さえ打忘れ今は惜気おしげもなく大事な秘密出版の草稿に流るる涙を押拭った。そして仙果諸共もろとも堀田原をさして金竜山きんりゅうざんの境内を飛ぶがごとくに走り行く。

大正元年初冬稿

底本:「雨瀟瀟・雪解 他七篇」岩波文庫、岩波書店

   1987(昭和62)年1016日第1刷発行

   1991(平成3)年85日第6刷発行

底本の親本:「荷風小説 四」岩波書店

   1986(昭和61)年88

初出:「三田文学」

   1913(大正2)年1月、3月、4月

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※表題は底本では、「散柳窓夕栄ちるやなぎまどのゆうばえ」となっています。

※初出時の表題は「戯作者の死」です。

入力:入江幹夫

校正:酒井裕二

2018年527日作成

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