榎物語
永井荷風



 市外荏原郡えばらごおり世田せたまち満行寺まんぎょうじという小さな寺がある。その寺に、今から三、四代前とやらの住職が寂滅じゃくめつの際に、わしが死んでも五十年たったのちでなくては、この文庫は開けてはならない、と遺言ゆいごんしたとか言伝えられた堅固な姫路革ひめじがわはこがあった。

 大正某年の某月が丁度その五十年になったので、その時の住持じゅうじは錠前を打破うちこわして篋をあけて見た。すると中には何やら細字さいじでしたためた文書が一通収められてあって、次のようなことがかいてあったそうである。


 愚僧ぐそう一生涯の行状、懺悔ざんげのためその大略をここしたた置候おきそうろうものなり

 愚僧儀はもと西国さいこく丸円藩まるまるはん御家臣ごかしん深沢重右衛門ふかざわじゅうえもんもうし候者の次男にて有之これあり候。不束ふつつかながら行末は儒者ともあいなり家名を揚げたき心願にて有之候処、十五歳の春、父上は殿様御帰国のみぎり御供廻おともまわり仰付おおせつけられそのまま御国詰おくにづめになされ候にり、愚僧は芝山内しばさんない青樹院せいじゅいんと申す学寮の住職雲石殿うんせきどの年来ねんらい父上とは昵懇じっこんの間柄にて有之候まゝ、右の学寮に寄宿つかまつり、従前通り江戸御屋敷おやしき御抱おかかえの儒者松下先生につきて朱子学しゅしがく出精罷在まかりあり候処、月日たつにつれ自然出家しゅっけの念願起りきたり、十七歳の春剃髪ていはつ致し、宗学修業しゅぎょう専念に心懸こころがけあいだ、寮主雲石殿も末頼母たのもしき者に思召おぼしめされ、ことほか深切しんせつに御指南なし下され候処、やがて愚僧二十歳に相なり候頃より、ふと同寮の学僧に誘はれ、品川宿しながわじゅく妓楼ぎろうに遊び仏戒ぶっかいを破り候てより、とかく邪念に妨げられ、経文きょうもん修業も追々おろそかに相なり、はては唯うか〳〵とのみ月日を送り申候。或夜いつもの如く品川宿よりの帰りみちつれの者にもはぐれ、唯一人牛町うしまち一筋道ひとすじみちを大急ぎに歩みまいり候とおもいほか何処どこまで行き候ても同じやうなる街道にて海さへ見え申さず候ゆえ、これはてつきり、きつねのわるさなるべしと心付き足のむき次第、有る横道に曲り候処、いよ〳〵方角を失ひ、かつはまた夜も次第にふけ渡り、月も雲間に隠れ候ゆえいささか途法に暮れ、路端みちばたの草の上に腰をおろし、一心に念仏致をり候処、突然彼方かなたより女の泣声聞え来り候あいだ弥〻いよいよ妖魔ようま仕業しわざなるべしと、その場にうづくまり、歯の根も合はずふるへをり候に、やがて男の声も聞え、人の跫音あしおと次第に近づき来るにぞ、此方こなたは生きたる心地もなくしげりし草むらの間にもぐり込み、様子如何いかにうかがいをり候処、一人のさむらい無理りに年頃の娘を引連れ参り、すきを見て逃出にげださむとするを草の上に引据ひきすゑ、最前よりいろ〳〵事の道理を分けて御意見申上候得そうらえども、御聞入れ無之候得者これなくそうらえば、是非なき次第に候間、このまゝ手足を縛りてなりとお屋敷へ連れ帰り、御不憫ごふびんながら不義密通のうったえをなしもうすべしと、何やら申聞もうしきかしをり候処へ、また一人のさむらい息を切らしてかけ来り、以前の侍に向ひ、今夜の事は貴殿よりほかには屋敷中誰一人知るものも無之これなき事に候なり。われら駈落者かけおちものを捕へ候とて、さほど貴殿の御手柄になり候わけにてもあるまじく候間、何とぞ日頃のよしみにこのまゝお見逃し下されよと、たもとすがり、地にひたいり付けて頼み候様子なれど、以前の侍一向いっこう聞入れ申さず。貴殿に対しては恩もうらみもなき身なれど、このお小夜殿おさよどのは恩儀ある我が師の娘御むすめごなり。道ならぬ恋に迷ひ家中かちゅうの者と手に手を取り駈落致したりとのうわさ、世に立ち候時は、師匠の御身分にもかゝはり申べく候。今のうちなれば拙者せっしゃの外は誰一人知るものなきこそさいわいなれ。このまゝそつと御帰宅なされ候はゞ、親御様も上部うわべはとにかく、かならず手ひどい折檻せっかんなどはなされまじ。かくいふ中にも時刻移り候ては取返しの付かぬ一大事、く〳〵拙者と御一緒にお帰り遊ばされ候へと、泣沈なきしずむ娘を引立て行かむとするにぞ、一人の侍今はこれまでなりと覚悟致し候様子にて、と立上り、下手したてでをれば空々そらぞらしきその意見、聞いてはをられぬ。ない〳〵御嬢様に色文いろぶみつけ、はじかれたを無念に思ひ、よくも邪魔をしをつたな。かうなれば、刀にかけて娘御はやらぬ。覚悟をしやれと、引抜く一刀。此方こなたも心得たりと抜き放ち、二、三ごう切結きりむすうち、以前の侍足を踏み滑べらせ路の片側なるがけかたへと落ち込む途端とたんすそを払ひし早業はやわざに、一人は脚にてもられ候や、しまつたと叫びてよろめきながら同じくうしろの崖に落ち、路傍みちばたに取残されしは、娘御ひとりとなり候処、この時手に手に、提灯ちょうちん持ちたる家中の侍とも覚しき人数にんず駈け来り、娘御の姿を見候て、皆々驚くうちにも安堵あんどていにて一人の男の背に娘御をかつぎ載せ、そのまゝもときたりしかたへと立去り候一場の光景。愚僧は始より終まで、草むらの中にて見定め、夢に夢見る心持にて有之候。但しもとより夢にては無之これなき事に候間、とかくする中、東の空白みかゝりねぐらを離るゝからすの声も聞え候ほどに、すこしは安心致し草むらの中より這出はいだし、崖下へ落ち候二人の侍、生死のほども如何いかが相なり候と、恐る〳〵のぞき申候に、崖はなか〳〵険岨けんそにて、大木たいぼくよこざまに茂り立ち候間より広々としたる墓場見え候のみにて、一向に人影も無御座ござなく候。その辺に血にても流れをり候哉と見廻し候へども、これまたそれらしきあとあい見え申さず候。さては両人共崖にち候が勿怪もっけ仕合しあわせにて、手きずも負はず立去り候ものなど思ひながら、ふと足元を見候に、草の上に平打ひらうち銀簪ぎんかんざし一本落ちをり候は、申すまでもなくかの娘御の物なるべくと、何心なく拾取ひろいとり、そのまゝ一歩二歩、歩み出し候処、またもや落ちたるもの有之候ゆえ、これも取上げ候に革の財布にて、大分目方も有之候故、中を改め候処、大枚の小判、数ふれば正しく百両ほども有之候。これ必定ひつじょう、駈落の侍が路用ろようの金なるべしと心付き候へば、なほ更空恐しく相なり、後日ごじつの掛り合になり候ては一大事と、そのまゝ捨て置き立去らむと致せしが、ふとまた思直おもいなおせば、この大金このまゝこゝに捨て置き候へば、誰か通がゝりの者に拾はるゝは知れた事なり。かつはまた金の持主は駈落者にて、今は生死のほども知れずに相なり候者故、これぞ正しく天のあとうる所。これを受けずばかへつてわざわいをやこうむらむと、都合き方へと理をつけ、右の金子きんす財布のまゝ懐中に致し候ものゝ、にわかに底知れず恐しき心地致し、夢が夢中にて走り出し候うち、夜は全く明けはなれ、その辺の寺々よりかね木魚もくぎょの音しきりに聞え、街道筋とも覚しき処を、百姓ども高声に話しながら、野菜を積み候荷車をき行くさま、これにてようや二本榎にほんえのきより伊皿子辺いさらごへんへ来かゝり候事と、方角もはじめて判明致候間、急ぎ芝山内しばさんないへ立戻り候へども、実は今日こんにちまで、身は持崩もちくずし候てもさすがに外泊致候事は一度も無之、いつも夜の明けぬ中立戻り、人知れず寝床にもぐりをり候事故、今はその時刻にも遅れ候て、わが学寮へは忍入る事も叶ひ申さず。かつはまた百両の金の隠し場所にもこまり候故、そのまゝ引返し、とぼ〳〵と大門だいもんのあたりまでまいり候処、突然うしろより、モシ良乗殿りょうじょうどの、早朝より何処いずこへおでかと、声掛けられ、びっくり致し振返れば、浄光寺じょうこうじと申す山内さんない末院まついん所化しょけにて、これも愚僧などゝ同様、折々悪所場あくしょば出入でいり致し候得念とくねんと申す坊主にて有之候。京橋まで用事有之候趣にて、同道致候道々みちみち、愚僧の様子何となくいつもとは変りをり候ものと見え、何か仔細しさいのある事ならむとしきり問掛といかけ、はては得念自身問はれもせぬに、その身の事ども打明け話し候を聞くに、得念は木挽町こびきちょうに住居致候商家の後家ごけと、年来道ならぬちぎりを結び、人のうわさにも上り候ため度々たびたび師匠よりも意見を加へられ候由。しかる処後家の方にても不身持の事につき、親戚中にてもいろ〳〵悶着もんちゃく有之候が、万一間違など有之候ては、かへつて外聞にもかかはり候事とて、結局得念に還俗げんぞく致させ候上、入夫にゅうふ致させ申すべきおもむき内談ないだんも既にきまり候につき、浄光寺の住職がたへは改めて挨拶あいさつ致し、両三日中さんにちちゅうには抹香まっこう臭き法衣ころもはサラリとぬぎ捨て申すべき由。人間若い時は一度より外無之ほかこれなきもの故、愚僧にも今の中とくと思案致すがいなど申し続け候。その日は得念に誘はれそのまゝ後家かたへ立寄り候処、いろ〳〵馳走ちそうに預り候上、風呂ふろいり候処、昨夜よりの疲労一時に発し、覚えずうと〳〵とねむりを催し驚きて目を覚し候へば、日も早や晩景に相なり候故、なほ〳〵驚き、後家を始め得念にはいづれ両三日中かさねて御礼に参上致すべき旨申し、厚く礼をべ候て立出たちいで候ものゝ、山内の学寮へは弥〻いよいよ時刻おくれて帰りにくゝ、さりとて差当り行くべきあても無之身の上。足の向くがまゝ芝口しばぐちいで候に付き、堀端ほりばたづたひにとらもんより溜池ためいけへさし掛り候時は、秋の日もたっぷりと暮れ果て、唯さへ寂しき片側道。人通ひとどおりも早や杜断とだえ池一面の枯蓮かれはすに夕風のそよぎ候ひびき阪上さかうえなるあおいの滝の水音に打まじりいよ〳〵物寂しく耳立ち候ほどに、わが身の行末にわかに心細くあいなり土手ぎわの石に腰をかけ、ただ惘然ぼうぜんとして水のおもてを眺めをり候処、突然うしろより愚僧の肩をたたきコレサ良乗殿。大方おおかたこんな事と思ひし故、心配して後をつけて参つたのだ。と申し候は今方木挽町なる後家のもとにて別れ候得念なり、得念は愚僧をば身投げにても致す心に相違なしといろ〳〵に申候末、あたりを見廻し急に言葉を改め、愚僧が懐中に大金を所持致すは、大方山内の宝蔵より盗みし金なるべし。友達のよしみに他言は致さぬ故、半分山分けに致せと申出で候。さては最前風呂より上り、居眠り致候節見抜かれしと思ひ、昨夜の顛末てんまつくわしく語りきかせ、実はこれよりその屋敷を尋ね、金子きんすを返却致したきおもむき申聞かせ候へども、得念一向承知せず。果は押問答の末無法にも力づくにて金子をうばい取らむと致候間、つかみ合の喧嘩けんかに相なり候処、愚僧はとにかく十五歳までは武術の稽古けいこ一通ひととおりは致候者なれば、遂に得念を下に引据ひきすゑ申候。得念最早やかなはずと思ひ候にや、たちまち大声にて人殺しだ。泥棒だと呼続よびつづけ候故、愚僧も狼狽ろうばいの余り、力一杯得念が咽喉のどを締め候に、そのまゝぐたりと相なり、如何いかほど介抱致候ても息を吹返す様子も相見え申さず候故、今は如何いかんとも致しがたく、さいわい闇夜やみよにて人通ひとどおりなきこそ天のたすけと得念が死骸しがいを池の中へ蹴落けおとし、そつと同所を立去り戸田様とださま御屋敷前を通り過ぎ、麻布あざぶ今井谷いまいだに湖雲寺こうんじ門前にで申候処、当時はまだ御改革以前の事とて長垂阪なだれざか上の女郎屋じょろうやいたって繁昌はんじょうの折から、木戸前を通りかゝり呼び込まれ候まゝ、こゝに一夜を明し申候。誠に人間一生の浮沈ははかりがたきものなり。偶然大金を拾ひ候ばかりに人殺ひとごろしの大罪を犯す身となりはて候上は、最早や如何ほど後悔致候ても及びもつかぬ仕儀しぎにて、今は自首致して御仕置おしおきを受け申すべきか。さらずば、運を天に任せて逃げられ候処まで逃げ申すかの二ツよりほかに道は無之候。今更懐中の金子を道にて行き候とも、人殺の罪は免れぬ処と、夜中やちゅうまんじりとも致さず案じわずらひ候末、とにかく一先ひとまず何地いずちへなり姿を隠し、様子をうかがひ候上、覚悟相定め申べしと存じ、翌朝麻布の娼家しょうかを立出で、渋谷村しぶやむら羽根沢はねざわ在所ざいしょに、以前愚僧が乳母うばにて有之候おつたと申す老婆ろうば。いたつて実直なる農婦にて、二度目の婿むこを取り候後も、年々寒暑の折には欠かさず屋敷へ見舞にまいり候ほどにて、愚僧山内の学寮へ寄宿の後も、有馬様ありまさま御長屋おながや外の往来おうらいにて、図らず行逢ゆきあひ候事など思ひ浮べ、その日の昼下り、同処へたずね行き申候。おもいほか手びろく生計くらしも豊かに相見え候のみならず、掛離かけはなれたる一軒家にて世を忍ぶには屈竟くっきょうの処と存ぜられ候間、お蔦夫婦の者には、愚僧同寮の学僧と酒の上口論に及び、ぼうにも御迷惑相掛け、追放同様の身と相なり候にり、一先ひとまず国許くにもと立退たちのきたきかんがえなれば、四、五日厄介になりたき趣を頼み候処、心好く承知致しくれ候故、ゆっくり疲労を休め、しまの衣服、合羽かっぱなど買求め候得そうらえども、円き頭ばかりは何とも致方無御座いたしかたござなく候間、俳諧師はいかいしかまたは医者のていよそおひ、旅の支度万端とゝのひ候に付き、お蔦夫婦の者に別れを告げ、教へられ候道を辿たどりて、その夜は川崎宿かわさきじゅくに泊り申候。しかしながら始より国許へ立帰り候所存とては無之事これなきことに候間、東海道を小田原おだわらまで参り、そのまゝ御城下に数日滞在の上、豆州ずしゅうの湯治場を遊び廻り、大山おおやま参詣さんけい致し、それより甲州路へ出で、江戸に立戻らむと志し候途中、図らず道づれに相なり候は、これ即ち当山とうざん満行寺まんぎょうじ先代の住職了善上人殿りょうぜんしょうにんどのにて御座候。殊の外愚僧を愛せられ、是非とも満行寺に立寄れよと御勧おすすめなされ候により、そのまゝ御厄介に相なり候処、当山は申すまでもなく西本願寺派にしほんがんじは丸円寺まるまるじの分れにて、肉食にくじき妻帯の宗門なり。了善上人には御連合おつれあいも先年寂滅じゃくめつなされ、娘御むすめごお一人御座候のみにて、法嗣ほうしに立つべき男子なく、遂に愚僧を婿養子むこようしになされたき由申出され候うち、急病にて遷化せんげ遊ばされ候。もっともこれは愚僧当山とうざんの厄介に相なり候てより三年の後にて、愚僧は御遺言ごゆいごんもとづき当山八代目の住職に相なり候次第にて有之候。これより先、愚僧はかの百両の大金、豆州ずしゅうの湯治場を遊び廻り候ても、わずか拾両とは使ひ申さず。ほとんどそのまゝ所持致をり候事故、当山の御厄介に相なり候に付いては、またもやそのかくし場所に困りをり候処、唯今にても当寺表惣門おもてそうもんかたわらに立ちをり候えのきの大木に目をつけ、夜中やちゅう攀上よじのぼり、幹の穴に隠し置き申候。さて先代御成仏ごじょうぶつの後は愚僧住職の身に御座候へば、他出他行たしゅつたぎょうも自由気儘きままに相なり候故、夜中再び人知れずかの大木に攀上り、九拾両の中四拾両ほど取出し、残り五十両はそのまゝもとの通り幹の穴に隠し、右の四拾両を以て、一時めかけを囲ひ、淫楽いんらくふけりをり候処、その妾も数年にして病死致し、続いて先代住職の形見なる梵妻ぼんさいもとかく病身の処これまた世を去り申候。その時は愚僧もいつか年四十を越し、檀家だんか中の評判も至極よろしく、近郷の百姓ども一同愚僧が事を名僧知識のやうに敬ひ尊び候やうに相なりをり申候。何事も知らぬが仏とは誠にこの事なるべく候。それにつけても月日経ち候につけ、先年溜池ためいけにて愚僧が手にかゝり相果て候かの得念が事、また百両の財布取落とりおとし候さむらいの事も、その後は如何いかが相なり候と、折々夢にも見申みもうし候間、所用にて江戸表へ参り候節はそれとなく心を付けをり候へども、一向にこれと申すほどの風聞も無之模様にて、更に様子相知れ申さず候故、次第に安心も致すやう相なり候事に御座候。なほまた愚僧が先年寄宿まかりあり候芝山内青樹院の様子につきては、その後聞き及び候処によれば、愚僧突然行衛ゆくえ不明に相なり候に付き、その節学寮にては、心あたり漏れなく問合せ候ても一向に相知れ申さず候につき、殺され候、または神隠しにでもひ候歟、いずれにも致せ、不憫ふびんの事なりとて、雲石師うんせきしは愚僧が出奔しゅっぽんの日を命日と相定め、寮内に墓まで御建てなされ候趣に御座候。さて、愚僧は右の如くわずか一、二年の間に妻妾さいしょう両人共うしなひ申候に付き、またもや妾を囲ひたきものと心には思ひをり候ものゝ、早や分別盛ふんべつざかりの年輩に相なり候ては、何となく檀家を始め人のうわさも気にかゝり候て、血気の時のやうに思切つた事も出来兼ね、ただ折もあらばと、時節をのみ待ち暮し申候。時々は遠からぬ新宿しんじゅくへなりと人知れず遊びに出掛けたき心持にも相なり候へども、これまた同様にてらち明き申さず。空しく門前の大木を打仰ぎ候て、幹の穴に五拾両有之候上は、時節到来のみぎりは、如何なる浮世の楽しみも思ひのまゝなる身の上。別に急ぎ候には及ばぬ事と我慢致し月日を送り申候。人間の慾心は可笑おかしきものにて、いつにても思ひのまゝになると安心致をり候時は、案外我慢の出来るものにて有之候。唯心にかゝり候事は、風雨雷鳴の時にて、門前の大木万一風にて打折らるゝか、または落雷に砕かれ候て隠置かくしおき候大金、木の葉の如く地上にち来り候やうの事有之候ては一大事なりと、天気よろしからざる折には夜中やちゅうにも時折起出おきいで、書院のまどを明け、大木のこずえを眺め候事も度々にて有之候。とかくする中、かぞうれば今より十余年ほど前の事に相なり候。彼岸ひがんも過ぎて、野も山も花盛りに相なり候ころ白昼はくちゅうにわかに風雨吹起り、近村へ落雷十余箇処にも及び候事有之。当山門内の大榎は、さいわいにも無事にて有之候ひしかど、その後両三にちは引続き空曇りて晴れ申さず。また〳〵あらし来り申すべくなど人々申をり候を聞き、愚僧心痛一方ならず。深夜そつと起き出で、大金を取出し置かむものと、大木の幹に登りかけ候処、血気の頃にはましらの如くする〳〵と攀昇よじのぼり候そのの幹には変りはなけれども、既に初老を過ぎ候身は、いつか手足思ひのまゝならず、二、三げん登り候処にて片足を滑らせ、そのまゝどうとばかり地上にち申候。しずかなる夜にて有之候はゞ、この物音に人々起出おきいで参り大騒ぎにも相なるべきの処、さいわいにも風大分はげしくふきいで候折とて、誰一人心付き候者も無之。愚僧は地上に落ち候まゝ、ほとんど気絶も致さむばかりにて、ようや起直おきなおり候ものゝ、烈しく腰を打ち、その上片足をくじき、ばいになりて人知れず寝所しんじょへ戻り候仕末。その夜は医者を呼び迎へ候事もかなひ申さず。翌朝に至るを待ちはじめて療治を受け申候。それより時候の変目かわりめごとに打身に相悩み候やうに相なり、最早もはや二度とはかの大木には登れそうにもなき身に相なり申候。左候得者さそうらえば、樹上の大金は再び手にすることも出来かねわけなり。人に頼めばわが身のむかしを怪しまるゝおそれ有之。かの五拾両は樹上に有之候とも、最早やわが身には生涯何のやくにも立たざる物になり候よと思へば、満身の気力一時に抜落ぬけおち候やうなる心地致され、唯惘然ぼうぜんとして榎の梢を眺め暮すばかりにて有之候。今までは一向気にも留めざりしからすの鳴声も、かの大木の梢に聞付け候時は、和尚奴おしょうめ、ざま見ろ。いゝ気味だと嘲弄ちょうろう致すものゝやうに聞きなされ、秋蝉あきぜみの鳴きしきる声は、惜しよ惜しよ。御愁傷ごしゅうしょうといふやうに聞え候て、物寂しき心地致され申候。雨あがりの三日月みかづき、夕焼雲の棚曳たなびくさまもの大木の梢に打眺め候へば誠に諸行無常しょぎょうむじょうの思ひに打たれ申候。しかしながらいかほどなげき候ても、もと〳〵わが身の手にて隠し候金子きんす。わが身の手にて取出す力なくなり候事なれば、誰を怨むにも及ばざる事に候間、月日をるに従ひ、これぞまさしく因果いんが応報のいましめなるべくやと、自然に観念致すように相なり申候。とにかくに半金の五拾両は面白可笑おかしくつかて候事なれば、唯今のうちあきらめを付け申さず候ては、思ひもかけぬわざわいまねぐも知れずと、樹上の金子の事はきつぱり思切るやうにと心掛け申候。しかる処また〳〵別のかんがえいつともなく胸中きょうちゅうに浮び来り申候。それはの金子今も果して樹上の穴に有之候否や。愚僧の心付かぬうち盗み去りし者は無之候哉と、この事ばかり気にかゝり候て、一応金の有無だけはしかと見定め置きたき心地致し候。次にはまた、もし彼の金子今以て別条無之これなきにおいては、天下の通宝つうほうを無用に致し置くわけなれば、誰なりと取出し、勝手に遣へばよきものをといふ心にも相なり申候。但し軽々しく口外致すべき事には無御座ござなくあいだこれまたそのまゝに致し、唯たゞ時節の来るを待ちをり申候処、或日の事、当村の庄屋殿しょうやどのより即刻代官所へ同道致されたきおもむき使つかいを以て申越され候間、直様すぐさま参り申候処、御役人御出おいで有之其許方そのもとかた慶蔵けいぞうと申候寺男てらおとこ召使ひ候事有之候哉との御尋おたずねなり。御仰おおせの通り昨年冬頃まで召使ひ候旨御答おこたえ申上候処、御役人申され候には、かの慶蔵事新宿しんじゅく板橋辺いたばしへん女郎屋じょろうやにて昨年来身分不相応の遊興致し候のみならず、あまつさへ大金所持致しをり候ゆえ、不審のかどを以て吟味ぎんみ致し候処、右慶蔵申立て候処によれば、慶蔵事盗み候金子は満行寺境内に有之候子育地蔵尊こそだてじぞうそん賽銭さいせんばかりにて、所持の大金は以前より満行寺門内の大木の穴に有之候ものゝ由にて、当夜慶蔵事地蔵尊の賽銭を盗み取りこれを隠し置かむと存じ、門内の榎に登り候処、何時頃いつごろ何者の隠し置き候もの、幹の穴には五拾両の大金差込み有之候を、慶蔵図らず見付出し、寺方へはそれとなくひまを取り候おもむき申立て候得そうらえどもなほ不審のかど少なからざるにつき、一応住職に聞たゞし候うえ、江戸おもてへ送り申すべき手筈てはずなりとの事に御座候。愚僧はおおいに驚き慶蔵の申開きにはいさゝかの偽りも無之旨これなきむね申述べたくは存じ候ものゝ、しからば樹上の五拾両は誰が隠し置き候哉と御詮議ごせんぎに相なり候ては大変なりと、何事も申上げずそのまゝ立帰り申候。当村はその時分小普請組こぶしんぐみ御支配綱島右京様つなじまうきょうさま御領分にて有之候間、寺男慶蔵は伝馬町てんまちょう御牢屋おろうやへ送られ、北の御奉行所ごぶぎょうしょ御掛おかかりにて、厳しく御吟味ごぎんみに相なり候処、慶蔵事十余年前麹町辺こうじまちへん通行の折拾ひ候処隠場所かくしばしょにこまり当山満行寺へ住込すみこみ候をさいわい、大木へ上り隠し置き候むね申立て候由。勿論もちろんこの拷問ごうもんの苦痛に堪へかね偽りの申立を致候事なれど、いづれに致せ、賽銭を盗み候儀は明白に御座候間、そのまゝ入牢じゅろうと相きまり候処、十日ばかりにて牢内において病死致候。右の次第につき、五拾両の金子は慶蔵の遣ひ残り弐拾両余り有之候処、右は愚僧御呼出しの上落し人明白に相なり候時まで当山において、しかと御預り致すべき趣にて、そのまゝ御下げ渡しに相なり候。これにて愚僧が犯せる罪科の跡は自然立消たちぎえになり候事とて、ほつと一息付き候ものゝ、実はまんまとわが身の悪事を他人に塗付ぬりつけ候次第に候間、日数ひかずたち候につれていよいよ寝覚ねざめあしく、遂に夜な〳〵恐しき夢に襲はれ候やうに相なり候間、せめて罪滅つみほろぼしにと、慶蔵の墓のみならず、往年溜池ためいけにて絞殺しめころし候浄光寺の所化しょけ得念とくねんが墓をも、立派に建て、厚く供養くようは致し候へども、両人が怨念おんねんなか〳〵退散致さゞるものと見え、先年大木より滑り落ち候時の打身うちみその年の秋よりにわかはげしく相なり候上、引続き余病もいろ〳〵差加さしくわはり、一日起きては三日ほど寝ると申すやうなる身体からだになり果て候。この分にては到底元の身体には本復致すまじくやと覚束おぼつかなく存ぜられ申候。増して年も追々おいおい六十に迫り候老体の事に御座候へば、いづれにも致せ、余命のほどは最早やいくばくも無之事と観念致をり候間、せめて今の中懺悔ざんげのあらまししたため置きたく右の通り書き続け申候也。なほ以て当山満行寺住職後継あとつぎの件につきては別紙に委細落ちなきやう認め置き申候。なほ〳〵愚僧実家の儀に付きては、往年三縁山さんえんざん学寮出奔このかた、何十年音信いんしん不通に相なり候間、これまた別簡一封いっぷう認め置申候也。以上。南無阿弥陀仏なむあみだぶつ南無阿弥陀仏。慶応 年 月 日。武州ぶしゅう荏原郡えばらごおり荏原村。円光山えんこうざん満行寺まんぎょうじ住職釈良乗しゃくりょうじょう書。

昭和四年三月稿 昭和六年二月訂正

底本:「雨瀟瀟・雪解 他七篇」岩波文庫、岩波書店

   1987(昭和62)年1016日第1刷発行

   1991(平成3)年85日第6刷発行

底本の親本:「荷風小説 六」岩波書店

   1986(昭和61)年109

初出:「中央公論」

   1931(昭和6)年5

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※表題は底本では、「えのき物語」となっています。

入力:入江幹夫

校正:酒井裕二

2018年326日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。