夢遊病者の死
江戸川乱歩



 彦太郎ひこたろうが勤め先の木綿問屋もめんどんやをしくじって、父親てておやの所へ帰って来てからもう三ヶ月にもなった。旧藩主M伯爵はくしゃく邸の小使こづかいみたいなことを勤めてかつかつ其日そのひを送っている、五十を越した父親の厄介やっかいになっているのは、彼にしても決して快いことではなかった。どうかして勤め口を見つけようと、人にも頼み自分でも奔走ほんそうしているのだけれど、折柄の不景気で、学歴もなく、手にこれという職があるでもない彼の様な男を、やとってれる店はなかった。もっとも住み込みなればという口が一軒、あるにはあったのだけれど、それは彼の方から断った。というのは、彼にはどうしても再び住み込みの勤めが出来ないわけがあったからである。

 彦太郎には、幼い時分から寝惚ねとぼける癖があった。ハッキリした声で寝言をって、そばにいるものが寝言と知らずに返事をすると、それを受けて又しゃべる。そうしていつまででも問答を繰返すのだが、さて、朝になって目が覚めて見ると少しもそれを記憶していないのだ。余りいうことがハッキリしているので、気味が悪い様だと、近所の評判になっていた位である。それが、小学校を出て奉公ほうこうをする様になった当時は、一時んでいたのだけれど、どうしたものか二十歳を越してから又再発して、困ったことには、見る見る病勢がつのって行くのであった。

 夜半にムクムクと起上って、その辺を歩き廻る。そんなことはまだお手軽な方だった。ひどい時には、夢中で表のしまりを──それが住み込みで勤めていた木綿問屋のである──その締りを開けて、ひと町内をぐるっと廻って来て、又戸締りをして寝てしまったことさえあるのだ。

 だが、そんな風のことけなら、気味の悪い奴だ位で済みもしようけれど、最後には、その夢中でさ迷い歩いている間に、他人ひとの品物を持って来る様なことが起った。つまり知らず知らずの泥坊なのである。しかも、それが二度三度と繰返されたものだから、いくら夢中の仕草しぐさだとはいえ、泥坊を傭って置く訳には行かぬというので、もうあと三年で、年期を勤め上げ、暖簾のれんを分けてもらえようという惜しい所で、とうとうその木綿問屋をお払箱はらいばこになって了ったのである。

 最初、自分が夢遊病者だと分った時、彼はどれ程驚いたことであろう。乏しい小遣銭こづかいせんをはたいて、医者にもみて貰った。色々の医学の書物を買込んで、自己療法もやって見た。あるいは神仏を念じて、大好物のもちって病気平癒へいゆの祈願をさえした。だが、彼のいまわしい悪癖はどうしても治らぬ。いや治らぬどころではない、日にまし重くなって行くのだ。そして、遂には、あの思出してもゾッとする夢中の犯罪、あああ、おれは何という因果な男だろう。彼はただもう、身の不幸をなげほかはないのである。

 今までの所ではさいわいに、法律上の罪人となることだけはまぬがれて来た。だが、この先どんなことで、もっとひどい罪を犯すまいものでもない。いや、ひょっとしたら、夢中で人を殺す様なことさえ、起らないとは限らぬのだ。

 本を見ても、人に聞いても、夢遊病者の殺人というのはある事らしい。まだ木綿問屋にいた頃、飯炊めしたきのじいさんが、若い時分在所ざいしょにあった事実談だといって、気味の悪い話をしたのを、彼はよく覚えている。それは、村でも評判の貞女ていじょだったある女が、寝惚けて、野らで使う草刈鎌くさかりがまをふるってその亭主を殺して了ったというのである。

 それを考えると、彼はもう夜というものが怖くて仕様がないのだ。そして、普通の人には一日の疲れを休める安息のとこが、彼だけには、まるで地獄の様にも思われるのだ。尤も家へ帰ってからは、一寸ちょっと発作がやんでいる様だけれど、そんなことで決して安心は出来ないのだ。そこで、彼は、住み込みの勤めなど、どうしてどうして二度とやる気はしないのである。

 ところが、彼の父親にして見ると、折角せっかく勤め口が見つかったのを、何の理由もなく断って了う彼のやり方を、はなは心得難こころえがたく思うのである。というのは、父親はまだ、大きくなってから再発した彼の病気について、何も知らないからで、息子がどういう過失あやまちで木綿問屋をやめさせられたか、それさえ実はハッキリしない位なのだ。

 ある日、一台の車がM伯爵の門長屋へ這入はいって来て、三畳と四畳半二間切りの狭苦しい父親の住居すまいの前に梶棒かじぼうおろした。その車の上から息子の彦太郎が妙にニヤニヤ笑いながら行李こうりを下げて降りて来たのである。父親は驚いて、どうしたのだと聞くと、彼はただフフンと鼻の先で笑って見せて、少し面目めんぼくないことがあったものだからと答えたばかりだった。

 その翌日、木綿問屋の主人から一片の書状が届いて、そこには、今度都合により一時御子息を引取って貰うことにした。が、決して御子息に落度があった訳ではないからという様な、こうした場合のきまり切った文句がしるされていた。

 そこで、父親は、これはてっきり、彼が茶屋酒ちゃやざけでも飲み覚えて、店の金を使い込みでもしたのだろうと早合点はやがってんをして了ったのである。そして、暇さえあれば彼を前に坐らせて、この柔弱者奴にゅうじゃくものめがという様な、昔気質むかしかたぎな調子で意見を加えるのだった。

 彦太郎が、最初帰って来た時に、実はこうこうだと云って了えば訳もなく済んだのであろうが、それを云いそびれて了った所へ、父親に変な誤解をされてお談義まで聞かされては、彼の癖として、もうどんなことがあっても真実を打開うちあける気がしないのであった。

 彼の母親は三年あとになくなり、他に兄弟とてもない、ほんとうに親一人子一人の間柄あいだがらであったが、そういう間柄であればある程、あの妙な肉親憎悪とでもいう様な感情の為に、おたがいに何となく隔意かくいを感じ合っていた。彼が依恬地いこじに病気のことを隠していたのも、一つはこういう感情にさまたげられたからであった。尤も一方では、二十三歳の彼には、それを打開けるのが此上このうえもなく気恥しかったからでもあるけれど。そこへ持って来て、彼が折角の勤め口を断って了ったものだから、父親の方では益々ますます立腹する。それが彦太郎にも反映して、彼の方でも妙にいらいらして来る。という訳で、近頃ではお互に口を利けば、すぐにもう喧嘩腰けんかごしになり、そうでなければ、何時間でも黙ってにらみ合っているという有様であった。今日もまたそれである。

 二三日雨が降り続いたので、彦太郎は、日課の様にしていた散歩にも出られず、近所の貸本屋から借りて来た講談本も読み尽して了い、どうにも身の置き所もない様な気持になって、ボンヤリと父親の小さな机の前に坐っていた。

 四畳半と三畳の狭い家が、畳から壁から天井から、どこからどこまでジメジメと湿って、すぐに父親を聯想れんそうする様な一種の臭気がむっと鼻を突く。それに、八月のさ中のことで、雨が降ってはいてもたまらなく蒸し暑いのである。

「エッ、死んじまえ、死んじまえ、死んじまえ……」

 彼はそこにあった、鉛のくずを叩き固めた様な重い不恰好ぶかっこう文鎮ぶんちんで、机の上を滅多無性めったむしょうに叩きつけながら、やけくその様にそんなことを怒鳴どなったりした。そうかと思うと又、長い間黙りこくって考え込んでいることもあった。そんな時、彼はきっと十万円の夢を見ているのである。

「あああ、十万円ほしいな。そうすれば働かなくってもいいのだ。利子で十分生活が出来るのだ、俺の病気だって、いい医者にかかって、金をうんとかけたら、治らないものでもないのだ。親父おやじにしてもそうだ。あの年になって、みじめな労働をすることはいらないのだ。それもこれも、みんな金だ、金だ。十万円ありさえすればいいのだ。こうっと、十万円だから、銀行の利子が六分として、年に六千円、月に五百円か、すてきだな……」

 すると彼の頭に、いつか木綿問屋の番頭さんに連れられて行ったお茶屋の光景が浮ぶのである。そして、その時彼のそばに坐った眉の濃い一人の芸妓げいしゃの姿や、その声音こわねや、いろいろのなまめかしい仕草しぐさが、浮ぶのである。

「ところで、んだっけ。ああそうそう十万円だな。だが一体全体そんな金がどこにあるのだ。エッくそ、死んじまえ、死んじまえ、死んじまえ……」

 そして、又してもゴツンゴツンと、文鎮で机の上をなぐるのである。

 彼がそんなことを繰返している所へ、いつの間にか電燈がついて、父親が帰って来た。

「今帰ったよ。やれやれよく降ることだ」

 近頃では、その声を聞くと彼はゾーッと寒気を感じるのだ。

 父親は雨で汚れた靴の始末をして了うと、やれやれという恰好で四畳半の貧弱な長火鉢ながひばちの前に坐って、濡れた紺の詰襟つめえり上衣うわぎを脱いで、クレップシャツ一枚になり、ズボンのポケットから取出した、真鍮しんちゅうのなたまめ煙管ぎせるで、まず一服するのであった。

「彦太郎、何か煮て置いたかい」

 彼は父親から炊事係を命ぜられていたのだけれど、ほとんどそれを実行しないのだった。朝などでも、父親がブツブツ云いながら、自分で釜の下をきつける日が多かった。今日とても、無論むろん何の用意もしてないのである。

「オイ、なぜ黙っとるんだ。オヤオヤ湯も沸いていないじゃないか。身体からだを拭くことも出来やしない」

 何といって見ても、彦太郎が黙っていて答えないので、父親は仕方なく、よっこらしょと立上って、勝手もとへ下りて、ゴソゴソと夕餉ゆうげ支度したくにとりかかるのであった。

 その気配を感じながら、じっと机の前の壁を見つめている彦太郎の胸のなかは、憎しみとも悲しみとも、何とも形容の出来ない感情の為に、煮え返るのである。天気のよい日なれば、こういう時には、何も云わずにプイと外へ出て、その辺を足にまかせて歩き廻るのだけれど、今日はそれも出来ないので、いつまでもいつまでも、雨もりで汚れた壁と睨めっくらをしているほかはない。

 やがて、さけの焼いたので貧しい膳立ぜんだてをした父親が、それ丈けが楽しみの晩酌ばんしゃくにと取りかかるのである。そして、一本の徳利とくりを半分もあけた頃になると、ボツボツと元気が出て、さて、おきまりのお談義が始まるのだ。

「彦太郎、一寸ここへおで、……どういう訳で、お前は俺のいうことに返事が出来ないのだ。ここへ来いといったら来るがいいじゃないか」

 そこで、彼は仕方なく机の前に坐ったまま、向き丈けを換えて、始めて父親の方を見るのだが、そこには、頭の禿はげと、顔のしわとを除くと、彼自身とそっくりの顔が、酒の為に赤くなって、ドロンとした目を見はっているのである。

「お前は毎日そうしてゴロゴロしていて、一体恥しくないのか……」と、それから長々とよその息子の例話などがあって、さて「俺はな、お前に養って呉れとは云わない。ただ、この老耄おいぼれ脛噛すねかじりをして、ゴロゴロしていることだけは、頼むからめてくれ、どうだ分ったか。分ったのか分らないのか」

「分ってますよ」すると彦太郎がひどい剣幕で答えるのだ。「だから、一生懸命就職口を探しているのです。探してもなければ仕方がないじゃありませんか」

「ないことはあるまい。此間このあいだ××さんが話して下すった口を、お前はなぜ断って了ったのだい。俺にはどうもお前のやることはさっぱり分らない」

「あれは住み込みだから、いやだと云ったじゃありませんか」

「住み込みが何故なぜいけないのだ。通勤だって住み込みだって、別に変りはないはずだ」

「…………」

「そんな贅沢ぜいたくがいえた義理だと思うか。せんのおたなをしくじったのは何が為だ。みんなその我儘わがままからだぞ。お前は自分ではなかなか一人前のつもりかも知れないが、どうして、まだまだ何も分りゃしないのだ。人様が勧めて下さる所へハイハイと云って行けばいいのだ」

「そんなことを云ったって、もう断って了ったものを、今更いまさら仕様がないじゃありませんか」

「だから、だからお前は生意気だと云うのだ、一体あれを、俺に一言いちごんの相談もしないで、断ったのは誰だ。自分で断って置いて、今更ら仕様がないとは、何ということだ」

「じゃあ、どうすればいいのです。……そんなに僕がお邪魔になるのだったら、出て行けばいいのでしょう。エエ、明日あすからでも出て行きますよ」

「バ、馬鹿ッ。それが親に対する言草いいぐさか」

 やにわに父親の手が前の徳利にかかると、彦太郎の眉間みけんめがけて飛んで来る。

「何をするのです」

 そう叫ぶが早いか、今度は彼の方から父親に武者むしゃぶりついて行く。狂気の沙汰さたである。そこで世にもあさましい親と子のとっ組合いが始まるのだ。だが、これは何も今夜に限ったことではない。もう此頃このごろでは毎晩の様に繰返される日課の一つなのである。

 そうして、とっ組合っている内に、いつも彦太郎の方がたまりかねた様に、ワッとばかりに泣き出す。……何が悲しいのだ。何ということもなくすべてが悲しいのだ。詰襟の洋服を着て働いている五十歳の父親も、その父親のうちでゴロゴロしている自分自身も、三畳と四畳半の乞食小屋の様な家も、何もかも悲しいのだ。………………………………

 そして、それからどんなことがあったか。

 父親が火鉢の抽斗ひきだしから湯札を出して、銭湯へ出掛けた様子だった。暫くたって帰って来ると、彼の御機嫌をとる様に、

「すっかり晴れたよ。オイ、もう寝たのか、いい月だ、庭へ出て見ないか」

 などといっていた。そして自分は縁側えんがわから庭へ下りて行った。その間中、彦太郎は四畳半の壁の側へ俯伏うっぷして、泣き出した時のままの姿勢で、身動きもしないでいた。蚊帳かやもつらないで全身を蚊の食うに任せ、ふてくされた女房の様に、棄鉢すてばちに、口癖の「死んじまえ。死んじまえ」を念仏みたいに頭の中で繰返していた。そして、何時いつの間にか寝入って了ったのである。

 それからどんなことがあったか。

 その翌朝、開けはなした縁側からさし込む、まばゆい日光の為に、早くから目を覚した彦太郎は、部屋の中がいやにガランとして、昨夜のまま蚊帳も吊ってなければとこも敷いてないのを発見した。

 さてはもう父親は出勤したのかと、柱時計を見ると、まだやっと六時を廻ったばかりだ。何となく変な感じである。そこで、ねむい目をこすりながら、ふと庭の方を見ると、これはどうしたというのであろう。父親がそこの籐椅子とういすもたれ込んで、ぐったりとしているではないか。

 まさか睡っているのではあるまい。彦太郎は妙に胸騒ぎを覚えながら、縁側にあった下駄をつっかけると、急いで籐椅子の側へ行って見た。──読者諸君、人間の不幸なんてどんな所にあるか分らないものだ。その時縁側には、二足の下駄があって、彼の穿いたのはその内の朴歯ほおば日和下駄ひよりげたであったが、若しそうでなく、もう一つのきり地下穿じかばきの方を穿いていたなら、或はあんなことにならなくて済んだのかも知れないのだ。──

 近づいて見ると、彦太郎の仰天ぎょうてんしたことは、父親はそこで死んでいたのである。両手を籐椅子の肘かけからダラリと垂らして、腰の所で二つに折れでもした様に身体を曲げて、頭と膝とが殆どくっ着かんばかりである。それゆえ、見まいとしても見えるのだが、その後頭部がひどい傷になっている、出血こそしていないけれど、いうまでもなくそれが致命傷に相違ない。

 まるで作りつけの人形ででもある様に、じっとしている父親の奇妙な姿を、夏の朝の輝かしい日光が、はれがましく照していた。一匹のあぶが鈍い羽音を立てて、死人の頭の上を飛び廻っていた。

 彦太郎は、余り突然のことなので、悪夢でも見ているのではないかと、暫くはぼんやりそこにたたずんでいたが、でも、夢であろう筈もないので、そこで、彼は庭つづきの伯爵邸の玄関へ駈けつけて、折から居合せた一人の書生に事の次第を告げたのである。

 伯爵家からの電話によって間もなく警察官の一行がやって来たが、中に警察医も混っていて、ず取あえず死体の検診が行われた。その結果、彦太郎の父親は「鈍器による打撃の為に脳震盪のうしんとう」を起したもので、絶命したのは昨夜十時前後らしいということが分った。一方彦太郎は警察署長の前に呼び出されて、色々と取調べを受けた。伯爵家の執事も同様に訊問じんもんされた。しかし両人とも何等なんら警察の参考になる様な事柄は知っていなかったのである。

 それから現場の取調べが開始された。署長の外に背広姿の二人の刑事が、色々と議論を戦わせながら、併し如何にも専門家らしくテキパキと調査を進めて行った。彦太郎は伯爵家の召使めしつかい達と一緒にぼんやりとその有様を眺めていた。彼は余りのことに思考力を失って了って、その時まで、まだ何事も気附かないでいたのだ。一種の名状しがたい不安に襲われてはいたけれど、併しそれが何故なにゆえの不安であるか、彼は少しも知らなかったのである。

 そこは庭とは云っても、彦太郎の家の裏木戸のそとにあるほう四五間の殺風景な空地なので、彦太郎の家と向い合って伯爵家の三階建ての西洋館があり、右手の方は高いコンクリート塀を隔てて往来に面し、左手は伯爵家の玄関に通ずる広い道になっている。その殆ど中央に主家しゅかの使いふるしのこわれかかった籐椅子が置いてあるのだ。

 無論他殺の見込みで取調べが進められた。併し、死体の周囲からは加害者の遺留品らしいものは何も発見されなかった。空地が隅から隅まで捜索せられたけれど、西洋館に沿って植えられた五六本の杉の木を除いては、植木一本、植木鉢一つないガランとした砂地で、石ころ、棒切れ、其他そのた兇器に使われる様な品物は勿論もちろん、疑うべき何物をも見出すことは出来なかった。

 たった一つ、籐椅子から一間ばかりの所にある杉の木の根許ねもとの草の間に、一束のダリヤの花が落ちていたほかには、だが、誰もそんな草花などには気がつかなかった。或は、仮令たとい気がついていても特別の注意を払わなかった。彼等はもっと外のもの、例えば一筋の手拭てぬぐいとか、一個の財布とか、所謂いわゆる遺留品らしいものを探していたのである。

 結局唯一の手掛りは足跡だった。幸なことには降りつづいた雨の為に、地面が滑かになっていて、前夜雨が上ってからの足跡だけがハッキリと残っているのだ。とはえ今朝からもう沢山たくさんの人が歩いているので、それを一々しらべ上げるのは随分ずいぶん骨の折れる仕事ではあったが、これは誰の足跡、あれは誰の足跡と丹念にあてはめて行くと、あんじょう、あとに一つ丈け主のない足跡が残ったのである。

 それは幅の広い地下穿きらしいもので、その辺をやたらに歩き廻ったと見えて、縦横無尽じゅうおうむじんの跡がついている。そこで、刑事の一人がそれを追って行って見ると、不思議なことには、足跡は彦太郎の家の縁側から発して、又そこへ帰っていることが分った。そして、縁側の型ばかりの沓脱石くつぬぎいしの上に、その足跡にピッタリ一致する古い桐の地下穿きがチャンと脱いであったのである。

 最初刑事が足跡を検べ始めた頃に、彦太郎はもうその桐の古下駄に気がついていた。彼は父親の死体を発見してから一度も家の中へ這入ったことはないのだから、その足跡は昨夜ついたものに相違ないが、とすると、一体何人なんぴとがその下駄を穿いたのであろうか。……

 そこで、彼はやっとある事を思当ったのである。彼はハッと昏倒こんとうそうになるのをやっとこらえることが出来た。頭の中でドロドロした液体が渦巻の様に回転し始めた。レンズの焦点が狂った様に、周囲の景色がスーッと目の前からぼやけて行った。そして、そのあとへ、あの机の上の重い文鎮をふり上げて、父親の脳天を叩きつけようとしている、自分自身の恐ろしい姿が幻の様に浮んで来た。

「逃げろ、逃げろ、さあ早く逃げるんだ」

 何者とも知れず、彼の耳の側であわただしく叫び続けた。

 彼は一生懸命で何気ない風を装いながら、伯爵家の召使達の群から少しずつ少しずつ離れて行った。それが彼にとってどれ程の努力であったか。今にも「待てッ」と呼び止められ相な気がして、もう生きた心地もないのである。

 だが、仕合せなことには、誰もこの彼の不思議な挙動に気付くものもなく、無事に家の蔭まで辿たどりつくことが出来た。そこから彼は一息に門の所へ駈けつけた。見ると門前に一台の警察用の自転車が立てかけてある。彼はいきなりそれに飛び乗って、行手も定めず、無我夢中でペタルを踏んだ。

 両側の家並やなみがスーッスーッと背後へ飛んで行った。幾度いくたびとなく往来の人に突きあたって顛覆てんぷくし相になった。それをあやうく避けては走った。今何という町を走っているのか無論そんなことは知らなかった。賑かな電車道などへ出そうになると、それをよけて淋しい方へ淋しい方へとハンドルを向けた。

 それからどれ程炎天の下を走り続けたことか、彦太郎の気持では十分十里以上も逃げのびたつもりだけれど、東京の町はなかなか尽きなかった。ひょっとすると、彼は同じ所をグルグル廻っていたのかも知れないのだ。そうしている内に、突然パンというひどい音がしたかと思うと、彼の自転車は役に立たなくなって了った。

 彼は自転車を捨てて走り出した。白絣しろがすりの着物が、汗の為に、水にでも漬けた様にビッショリ濡れていた。足は棒の様に無感覚になって、一寸した障礙物しょうがいぶつにでも、つまずいては倒れた。

 心臓が胸の中で狂気の様におどり廻っていた。咽喉のどはカラカラに渇いて、ヒューヒューと喘息病ぜんそくやみみたいな音を立てた。彼はもう、何の為に走らねばならぬのか、最初の目的を忘れて了っていた。ただ目の前に浮んで来る世にも恐しい親殺しの幻影が彼を走らせた。

 そして、一町、二町、三町、彼は酔っぱらいの様な恰好で、倒れては起き上り、倒れては又起き上って走った。が、その痛ましい努力も長くは続かなかった。やがて彼は倒れたまま動かなくなった。汗とほこりにまみれた彼の身体を、真夏の日光がジリジリと照りつけていた。

 暫くして、通行人の知らせで駈けつけた警官が、彼の肩をつかんで引起そうとした時に、彼は一寸ふり離して逃げ出す恰好をしたが、それが最後だった。彼はそうして警官の腕に抱かれたまま息を引きとったのである。


 その間に、伯爵邸の父親の死骸の側では何事が起っていたか。

 警官達が彦太郎の逃亡に気付いたのは、彼が半里はんみちも逃げ延びている時分であった。署長は、もう追っかけても駄目だと悟ると、猶予なく伯爵家の電話を借りて、その旨を本署に伝え、彦太郎逮捕の手配てくばりを命じた。そうして置いて、彼等はなお現場げんじょうの調査を続け、旁々かたがた検事の来着を待つことにしたのである。

 無論彼等は彦太郎が下手人げしゅにんだと信じた。現場に残された唯一の手掛りである桐の下駄が、彦太郎の家の縁側から発見されたこと、その下駄の主と見做みなすべき彦太郎が逃亡したこと、この二つの動かし難い事実が彼の有罪を証拠立てていた。

 ただ、彦太郎が何故に真実の父親を殺害したか、そして又、下手人である彼が、なぜ警官が出張するまで逃亡を躊躇ちゅうちょしていたかという二点が、疑問として残されていたけれど、それもいずれ彼を逮捕して見れば分ることなのである。ところが、そうして事件が一段落をつげたかと見えた時に、実に意外なことが起った。

「その人を殺したのは、私です。私です」

 伯爵邸の方から一人の真蒼まっさおな顔をした男が、署長の所へ走って来て、いきなりこんなことを云い出したのである。その男はまるで熱病患者の様に、「私です私です」とそればかりを繰返すのだ。

 署長を始め刑事達は、あっけにとられて、不思議な闖入者ちんにゅうしゃの姿を眺めた。そんなことがあり得るだろうか。まさか、この男が彦太郎の家にあった桐の下駄を穿いたとも思われぬ。そうだとすると、少しも足跡を残さないで、どうして殺人罪を犯すことが出来たのであろうか。そこで、彼等はかく、男の陳述を聞いて見ることにした。

 それは実に意外な事実であった。警察始まって以来の記録レコードといっても差支さしつかえない程、不思議千万な事実であった。さて、その男(それは伯爵家の書生の一人であった)の告白した所はこうなのである。

 昨日きのう、伯爵邸に数人の来客があって、西洋館三階の大広間で晩餐ばんさんが供せられた。それが終って客の帰ったのが丁度九時頃であった。彼はそこのあと片付けを命ぜられて、部屋の中をあちこちしながら働いていたが、ふと絨氈もうせんの端につまずいて倒れた。そのはずみに部屋の隅に置いてあった花瓶かびんを置く為の高い台を倒し、台の上の品物が、開けはなしてあった窓から飛び出したのである。

 その品物が若し花瓶であったら、こんな間違いは起らなかったのであろうが、それは、花瓶の台にはのっていたけれど、花瓶ではなくて、五六時間もたてば跡方あとかたもなくけてなくなって了う氷のかたまりだったのである。装飾用の花氷はなごおりだったのである。水を受ける為の装置は台に取りつけてあったので、上の氷丈けが落ちたのだ。無論それは昼間からその部屋に飾ってあったのだから、大部分解けて了って、殆どしん丈けが残っていたのだけれど、でも老人に脳震盪を起させるには十分だったと見える。

 彼は驚いて窓から下を覗いて見た。そして、月あかりでそこに小使の老人が死んでいるのを知った時、どんなに仰天したか。仮令あやまちからとはいえ俺は人殺しをやって了ったのだ。そう思うともうじっとしていられない。みんなに知らせようか、どうしようか、とつおいつ思案をしているうちに時間がつ、若しこのまま明日の朝まで知れずにいたら、どうなるだろう。ふと彼はそんなことを考えて見た。

 いうまでもなく、氷は解けて了うのだ。中のダリヤの花丈けは残っているだろうけれど、ひょっとしたら、気付かれずに済むかも知れない。それとも今から氷のかけらを拾いに行こうか。いやいや、そんなことをして若し見つかったら、それこそ罪人にされて了う。彼は床へ這入っても一晩中まんじりともしなかった。

 ところが朝になって見ると、事件は意外な方向に進んで行った。朋輩ほうばいから詳しい様子を聞いて、一時はこいつはうまく行ったと喜んだものの、流石さすがに善人の彼はそうしてじっとしていることは出来なかった、自分の代りに一人の男が恐しい罪名を着せられているかと思うと、余りに空恐しかった。それに又、そうして一時は免れることが出来てもいずれ真実が暴露する時が来るに相違なかった。そこで彼は今は意を決して署長の所へやって来た。という訳であった。

 これを聞いた人々は、余りに意外な、そして又余りにあっけない事実に、暫くはただ顔を見合せているばかりであった。

 それにしても彦太郎は早まったことをしたものである。その時は彼が逃亡してからまだ三十分も経っていないのだった。それとも又、彼が、いや彼でなくとも、刑事なり伯爵家の人達なりが、あの杉の根許に落ちていた一束のダリヤの花にもっとよく注意したならば、そしてその意味を悟ることが出来たならば、彦太郎は決して死ななくとも済んだのである。

「併しおかしいねえ」暫くしてから警察署長が妙な顔をして云った。「この足跡はどうしたというのだろう。それから、死人の息子はなぜ逃亡したのだろう」

「分りましたよ、分りました」丁度この時問題の桐の下駄を穿き試みていた一人の刑事がそれに答えて叫んだ。「足跡はなんでもないのです。この下駄を穿いて見ると分りますがね。割れているのですよ。見た所別状ない様ですけれど、穿いて見ると真中からひび割れていることが分るのです。もう一寸で離れて了い相です。誰だってこんな下駄を穿いているのは気持がよくありませんからな。きっと被害者が庭を歩いている内にそれに気づいて穿き換えたのですよ」

 若しこの刑事の想像が当っているとすると、彼等は今まで被害者自身の足跡を見て騒いでいた訳である。何という皮肉な間違いであろう。多分それは、殺人が行われたからには犯人の足跡がなければならぬという尤もな理窟が彼等を迷わしたのではあろうけれど。

 その翌々日、M伯爵家の門を二つのかんが出た。いうまでもなく、不幸なる夢遊病者彦太郎とその父親を納めたものである。うわさを聞いた世間の人達は、だれもかれも、彼等親子の変死を気の毒がらぬものはなかった。だが、あの時彦太郎がなぜ逃亡を試みたかと云う点だけは、永久に解くことの出来ない謎として残されていた。

底本:「江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者」光文社文庫、光文社

   2004(平成16)年720日初版1刷発行

   2012(平成24)年815日7刷発行

底本の親本:「江戸川乱歩全集 第一巻」平凡社

   1931(昭和6)年6

初出:「苦楽」プラトン社

   1925(大正14)年7

※初出時の表題は「夢遊病者彦太郎の死」です。

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※底本巻末の平山雄一氏による註釈は省略しました。

入力:門田裕志

校正:江村秀之

2017年924日作成

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