超人ニコラ
江戸川乱歩



もうひとりの少年


 東京の銀座に大きな店をもち、宝石王といわれている玉村たまむら宝石店の主人、玉村銀之助ぎんのすけさんのすまいは、渋谷しぶや区のしずかなやしき町にありました。

 玉村さんの家庭には、奥さんと、ふたりの子どもがあります。ねえさんは光子みつこといって高校一年生、弟は銀一ぎんいちといって中学一年生です。

 あるとき、その玉村銀一君の身の上に、じつにふしぎなことがおこりました。それがこのお話の出発点になるのです。

 その夜、玉村君は、松井まつい君、吉田よしだ君という、ふたりの友だちと、渋谷の大東だいとう映画館で、日本もののスリラー映画を見ていました。

 それは大東映画会社の東京撮影所で作られたもので、映画の中に、ときどき、東京の町があらわれるのです。

「あっ、渋谷駅だっ。ハチ公がいる。」

 松井君が、おもわず口に出していいました。それはおっかけの場面で、にげる悪者、追跡する刑事、カメラがそれをズーッとおっていくのですが、そこへ駅前の人通りがうつり、ハチ公の銅像も、画面にはいったのです。

「あらっ、玉村君、きみがいるよ。ほら、ハチ公のむこうに、やあ、へんな顔して、笑ってらあ。」

 吉田君が、とんきょうな声をたてたので、まわりの観客が、みんなこちらをむいて、「シーッ。」といいました。

 玉村君は、スクリーンの上の自分の姿を見て、へんな気がしました。ハチ公の銅像のうしろから、こちらをのぞいて、にやにや笑っている自分の顔、それが一メートルほどに、大きくうつっているのです。

 それがうつったのは、たった十秒ぐらいですが、たしかに自分の顔にちがいありません。玉村君は、ここにうつっているのは、いつのことだろうと考えてみました。

「おやっ、へんだな。ぼくは渋谷駅で、映画のロケーションなんか見たことは、一度もないぞ。」

 いくら考えても、おもいだせません。知らないうちに、うつされてしまったのでしょうか。まさか、ロケーションに気づかないはずはありません。

 そのばんは、うちにかえって、ベッドにはいってからも、それが気になって、なかなかねむれませんでした。

 あれは、自分によくにた少年かもしれないとおもいましたが、しかし、あんなにそっくりの少年が、ほかにあろうとは考えられないではありませんか。

 玉村君は、なんだか心配になってきました。自分とそっくりの人間が、どこかにいるとしたら、これはおそろしいことです。

 それから一週間ほどたった、ある日のこと、玉村君の心配したことが、じつに気味のわるい形で、あらわれてきました。

 玉村君と松井君とは、明智あけち探偵事務所の小林こばやし少年を団長とする、少年探偵団の団員でした。ですから、ふたりはたいへんなかよしで、どこかへいくときは、たいてい、いっしょでした。

 その松井君が、ある日、学校がおわってから、玉村君をひきとめて、校庭のすみの土手にもたれて、へんなことをいいだしました。

「玉村君、ぼく、すっかり見ちゃったよ。きみは秘密をもっているだろう。」

「秘密なんかないよ。どうしてさ。」

 玉村君は、ふしんらしく、聞きかえしました。

「きみのうちは、お金持ちだろう。お金持ちのくせに、スリなんかはたらくことはないじゃないか。」

 ますます、みょうなことをいいます。

「えっ、スリだって?」

「そうだよ。ぼくはすっかり見ちゃったんだよ。」

「ぼくがかい? ぼくがスリをやったって?」

 玉村君はびっくりしてしまいました。

「ほら、八幡はちまんさまの石がき……。あの石がきの石が、一つだけ、ぬけるようになっているんだ。きみはその石のうしろに、からの紙入れを、たくさん、かくしたじゃないか。」

「なにをいっているんだ。ぼくにはちっともわからないね。もっとくわしく話してごらん。」

 玉村君は、あまりのいいがかりに、腹がたって、おもわず、つよい声でいいました。

「じゃあ、くわしく話すよ。」

 松井君は、ゆうべのできごとを、はなしはじめました。


スリ少年


 きのうは八幡さまのお祭りでした。

 こんもりした林にかこまれた、その八幡さまは、玉村君のうちからも、松井君のうちからも、そんなに遠くないところにありました。

 ゆうべ、松井君は、ただひとりで、その八幡さまの中をブラブラしていたのです。

 五千平方メートルほどの、八幡さまの境内けいだいには、テントばりの見世物が二つと、オモチャ屋の店や、たべものの店が、いっぱいならんで、そのあいだを、おおぜいの人が、ゾロゾロ歩いていました。テントばりの見世物の一つは、おそろしく古めかしい「クマむすめ」という、かたわものを十円で見せているのです。

「クマむすめ」というのは、二十歳ぐらいのむすめの、肩のへんいちめんに、まっ黒な、クマのような毛がはえているのです。まるで、人間とクマのあいの子みたいなので、「クマむすめ」とよんでいるのです。

 いまどきめずらしい見世物なので、おおぜいの見物人が、十円はらって、中へはいっていきます。

 入口はテントの右のほう、出口は左のほうですが、松井君が見ていますと、その出口からゾロゾロと出てくる見物人の中に、玉村銀一君がまじっていたではありませんか。

「おやっ、玉村君は、こんなつまらない見世物を見たんだな。」

とおかしくなって、声をかけて、ひやかしてやろうと、そのほうへ、ちかづいていきました。そして、こちらへやってくる玉村君と、バッタリ、であったのです。ふたりは二メートルほどの近さで、顔を見あわせたのです。

 ところが、ふしぎなことに、玉村少年は、松井君を見ても、ニッコリともせず、知らん顔をして、すれちがって、いってしまうではありませんか。

「ははん。あいつ、はずかしがっているんだな。わざと、知らん顔をして、にげだしたんだな。よしっ、そんならこっちは、どこまでも尾行びこうしてやるぞ。」

 少年探偵団で練習していますから、尾行はお手のものです。松井君は、玉村君にさとられぬように、あとをつけはじめました。

 玉村君は、いつまでも八幡さまから出ないで、人ごみの中を、あちこちしています。わざと人だかりの中へ、もぐりこんでいくのです。そこを出ると、また、つぎの人だかりへもぐりこみます。玉村君は、よっぽど人ごみがすきらしいのです。

 一時間ほども、そんなことをくりかえしていましたが、やっと人ごみにもあきたのか、玉村君は八幡さまを出て、外のくらい道をかえっていきます。

 松井君は、あくまで尾行をつづけました。

 玉村君は、八幡さまの外がわの長い石がきの半分ぐらいのところまでくると、そこで立ちどまって、キョロキョロと、あたりを見まわしました。だれか見ていやしないかと、気をくばっているらしいのです。

 松井君は、すばやく電柱のかげに、身をかくしました。ほかに人通りもありませんので、玉村君は安心したように、石がきのそばによって、そこにしゃがんでしまいました。

 そして、石がきの一つの石に手をかけると、グーッとひっぱりだしました。その石だけが、ぬけるようになっていたのです。

 玉村君は石をぬきとったあとの穴に、手をいれて、なにかやっていましたが、また石をもとのとおりにはめこむと、そのまま、立ちあがって、むこうへ歩いていきます。

 松井君は、あの石のおくに、なにかかくしたにちがいないとおもいました。そこで、玉村君の尾行をあきらめて石のおくをしらべてみることにしました。

 松井君は、あたりを見まわして、人通りがないのをたしかめると、石がきのそばによって、さっきの石に両手をかけ、グッとひっぱりました。石はなんの苦もなく、ズルズルとぬけてきます。

 石をぬきとると、そのあとの穴に、手をいれて、さぐってみました。

 ある、ある。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、それはみんな紙入れや、がまぐちでした。あけてみると、どれも中はからっぽです。

 松井君は、あきれかえってしまいました。玉村少年は、人ごみの中で、これらの紙入れや、がまぐちを、スリとったのです。そして、中のお金をとりだして、からの紙入れなんかを、この石がきにかくしたのです。

 ふつうなら、紙入れなんかは、どこかへすててしまうのですが、用心ぶかく、からの紙入れまでかくすというのは、よっぽどなれたやつです。スリの名人といってもいいでしょう。

 ああ、親友の玉村銀一君が、スリの名人だったなんて。あまりのことに、松井君は、あいた口がふさがりません。

 あのお金持ちの玉村君が、わずかのお金のために、スリをはたらくなんてまったく考えられないことです。これにはなにか、わけがあるにちがいない。おもいきって、玉村君にきいてみよう。

 松井君は、そう決心をしたので、校庭のすみで、さっきのように、玉村君を、といつめたのでした。


窓の顔


 玉村君は、すこしもおぼえのないことでした。

「ねえ、松井君、ぼくとまったくおなじ顔のやつが、どっかにいるんだよ。あの映画のハチ公のそばに立っていたのも、けっしてぼくじゃない。また、きみの見たスリの少年も、むろん、ぼくじゃない。きみでさえ、まちがえるほど、ぼくとそっくりのやつが、いるのにちがいない。ぼくはなんだか、心配だよ。いまのところは、そいつは、ぼくとなんのかんけいもないけれども、そいつがなにかわるいことをして、その罪を、ぼくにきせようとすれば、きせられるんだからね。」

 玉村君はそういって、考えこんでしまいました。

「まさか……。」

 松井君は、玉村君をげんきづけるようにいいました。が、心の中では、玉村君の心配は、むりではないとおもっているのでした。

 それから、しばらく話したあとで、ふたりはわかれて、それぞれのうちへかえりましたが、それは、学校がひけて、一時間もたったころでした。

 玉村君がうちにかえってみますと、そこにはじつにおそろしいことが、まちかまえていたのです。

「ただいま。」といって、玄関げんかんにはいると、ちょうどそこに、ねえさんの光子さんが立っていました。

「あらっ、またかえってきたの?」

「えっ、またって?」

「だって、もうさっき学校からかえって、お部屋でおやつをたべたじゃありませんか。わたしがコーヒーとお菓子をもってってあげたら、うまいうまいって、たべたじゃないの。いつのまに、外へ出ていったのよ。そして、学校の道具なんかもって、またかえってくるなんて、どうかしてるわ。」

 それをきくと、玉村銀一君は、ゾーッとしました。

「ねえさん、ぼくをかつぐんじゃないだろうね。」

 銀一君は、しんけんな顔で、ねえさんをにらみつけました。

「おおこわい。なんてこわい顔するの? 銀ちゃんをかついだって、しょうがないわ。たしかに、さっきかえったから、かえったっていうのよ。」

 銀一君は、それにはこたえず、くつをぬぐのももどかしく、おそろしいいきおいで、自分の勉強部屋へ、かけていきました。

 ドアをあけて、とびこんでみると、ああ、やっぱり、そこには、机の上にからになった菓子ざらとコーヒーの茶わんがのっていたではありませんか。

「あいつがきたのだ。そして、ぼくがかえったのを知ると、大いそぎで、窓からにげだしたのだ。」

 ここからにげたといわぬばかりに、窓のガラス戸が、あけはなしになっていました。銀一君は、いそいで、窓の外をのぞきますと、そこの地面に、大きな足あとが、いくつものこっているではありませんか。

 しらべてみると、本箱の本のおきかたが、かわっています。あいつが本を動かしたのでしょう。机のひきだしをあけてみると、どのひきだしも、みんな、あいつがいじったらしく、紙などのかさねかたが、ちがっています。

 じぶんとそっくりのやつが、うちへはいってきて、おやつをたべたり、本箱や、机のひきだしを、かきまわしたかとおもうと、なんともいえない、いやあな気がしました。

 すぐに茶の間へとんでいって、おかあさんに、このことを知らせましたが、あんまりへんなことなので、おかあさんも、どうしていいかわかりません。おとうさんが、お店からおかえりになったら、よく相談しましょうと、おっしゃるばかりでした。

 しばらくして、銀一君は、勉強部屋にかえって本を読んでいました。もう夕ぐれで、庭はうすぐらくなっています。おやっ、あれはなんでしょう。

 本を読んでいる目のすみに、チラッと、動いたものがあります。窓の外でなにかが動いたのです。ハッとして、そのほうを見ると、さっきしめた窓ガラスに、自分の顔がうつっていました。

 しかし、なんだか角度がへんです。あんなところに、ぼくの顔がうつるかしら……あっ、もしかしたら! 銀一君はギョッとして立ちあがると、窓ガラスへ近づいていきました。

 やっぱりそうでした。ガラスにうつっているのではなくて、ガラスのむこうがわに、自分の顔があるのです。自分の顔ではない、自分とそっくりのやつが、ガラスの外から、のぞいていたのです。

 十秒ほど、ガラスをへだてて、まったくおなじ二つの顔が、じっとにらみあっていました。じつに、なんともいえない、へんてこな光景でした。


ニコラ博士


 十秒ほどにらみあったあとで、窓のむこうの顔は、パッとガラスをはなれて、庭の立ち木のあいだに、にげこんでしまいました。

 銀一君は、少年探偵団員だけあって、こういうときには勇かんです。うちの人に知らせるひまもないので、そのまま、窓からとびだすと、くつもはかないで、自分とそっくりの少年のあとを、おいました。

 あいては、うらのコンクリートべいを、よじのぼって、外の道路へ、とびおりたようです。銀一君も、そのへいをのりこえました。

 見ると、二十メートルほどさきを、あいつが大いそぎで、あるいていきます。うしろ姿は、銀一君と、まったくおなじ服装です。

 こちらは、しずかに、へいからすべりおちて、追跡をはじめました。ほとんどくらくなっているので、あいてにさとられる心配はありません。

 それにしても、なんというふしぎな追跡でしょう。まったくおなじ顔の、おなじ服装の、ふたりの少年が、二─三十メートルをへだてて、トット、トットと、いそぎ足に、歩いているのです。

 さびしい町から、さびしい町と、あるいているうちに、いつのまにか、あの八幡さまの石がきのところにきていました。

 あいての少年は、石がきをとおりすぎて、八幡さまの林の中へはいっていきます。ゆうべでお祭りはすんだので、林の中はまっくらで、人っ子ひとりいません。

 銀一君も、すこしおくれて、八幡さまの中へ、はいっていきましたが、くらいので、なにがなんだかわかりません。あの少年はどこへいったのか、いくらさがしても姿が見えないのです。

 むこうにボーッとひかったものがあります。八幡さまの社殿しゃでんの前に、うすぐらい常夜灯じょうやとうが立っているのです。

 その社殿のえんがわのようなところに、みょうな人間が、こしかけていました。はでなしまの背広をきた老人です。

 老人は白いかみの毛をモジャモジャにして、長い白ひげを胸の前にたらしています。大きなめがねをかけていて、それが常夜灯の光を反射して、キラキラひかっているのです。

 こんなまっくらな中で、社殿にこしかけているなんて、あやしい老人です。銀一君は、気味がわるくなって、にげだそうかと思いましたが、にげるのもざんねんです。勇気をだして、ぎゃくに、こちらからちかづいていきました。

「おじいさん、ぼくとおんなじ服をきた、おんなじ顔の子どもが、ここをとおらなかったですか。」

 おもいきって、はなしかけてみました。すると、老人は、こしかけたまま、身動きもしないで、にやりと笑いました。

「おお、かんしん、かんしん、きみはなかなか勇気がある。きみとおんなじ顔をした子ども、あれはきみの分身じゃよ。」

 地の底から、ひびいてくるような、いんきな声です。

「分身って、なんですか?」

「きみが、ふたりになったのじゃ。ひとりの子どもが、ふたりにわかれたんじゃよ。」

「どうして、そんなことができるのですか。」

「わしがそうしたのじゃよ。ハハハハハハ。」

 老人はぶきみに笑いました。やっぱり、あやしいやつです。

「おじいさんはだれですか。」

「わしはニコラ博士というものじゃ。」

「ニコラ博士? じゃあ、日本人ではないのですか。」

「わしは十九世紀のなかごろに、ドイツで生まれた。だが、わしはドイツ人ではない。世界人じゃ。イギリスにも、フランスにも、ロシアにも、中国にも、アメリカにもいたことがある。そして、いたるところで、ふしぎをあらわして歩くのじゃ。わしは大魔術師じゃ、スーパーマンじゃ。わしにできないことはなにもない。神通力じんつうりきをもっているのじゃ。わしひとりの力で、この世界を、まったくちがったものにすることができる。そういう神通力をな。ウフフフフフ。」

 老人はそういって、またしても、地の底からのような、いんきな声で、笑うのでした。


地底の牢獄ろうごく


「十九世紀のなかばというと、一八五〇年ごろですね。」

 銀一君は、びっくりして、聞きかえしました。

「そうじゃ。わしが生まれたのは一八四八年だよ。」

 銀一君は、しばらく、指をおって、かぞえていましたが、あっとおどろいて、おもわず大きな声を出しました。

「じゃあ、おじいさんは、百十四歳ですね。」

「ウフフフフフ、おどろくことはない。わしは、これからまだ、百年も二百年も生きるつもりじゃよ。わしは、あたりまえの人間ではない。スーパーマンだ。魔法つかいだ。

 さて、玉村銀一君。これから、わしがおもしろいところに、つれていってやる。そこにいけば、どうして、きみとそっくりの少年が、あらわれたか、その秘密が、わかるのじゃよ。さあ、わしといっしょに、くるがいい。」

 怪老人ニコラ博士は、ちゃんと銀一君の名まえを知っていました。玉村家にたいして、なにかおそろしいことを、たくらんでいるのかもしれません。

 ニコラ博士は、社殿のえんがわからおりると、銀一君の手をとって神社のうらてのほうへ、歩いていきました。

 森を出はずれると、さびしい、広い道があって、そこに、りっぱな自動車がとまっていました。

 銀一君は、こんな自動車で、どこへつれていかれるかわからないと思うと、こわくなってきました。

「ぼく、うちにかえります。」

 そういうと、いきなり、にぎられていた手を、ふりはなして、にげだそうとしました。

「どっこい、そうはいかないぞ。きみはもう、わしのとりこなのじゃ。」

 白ひげのニコラ博士は、すばやく銀一君をつかまえて、自動車の中におしこもうとしました。

 そこで百十四歳の老人と、十三歳の少年との、ふしぎなとっくみあいが、はじまったのです。ふつうならば、百歳をこえた老人のほうが、まけてしまうはずですが、超人ちょうじんニコラ博士は、おそろしくつよくて、銀一君は、とても勝てないのです。

 ニコラ博士は、銀一君を、身動きもできないように、だきしめて、ポケットから、大きなハンカチをとりだし、それをまるめて、銀一君の口の中におしこみました。

 もう声をたてることもできません。そのまま自動車の中に、おしこまれてしまいました。すると、ハンドルをにぎって、まちかまえていた運転手が、すぐに車を出発させるのでした。

 二十分ほど走ると、さびしい町の、石のへいにかこまれた洋館の前につきました。

 ニコラ博士は、銀一君の手をひっぱって、その門の中にはいっていきます。まるで鉄のようにつよい手です。とてもにげることはできません。

 洋館にはいると、広い廊下をとおって、地下室への階段をおりていきました。

 地下室は、三十平方メートルほどの物置部屋です。ふるいいすやテーブルや、いろいろな木の箱などが、ゴタゴタとつみかさねてあります。

「ここは、あたりまえの物置きじゃ。地下室は、これでおしまいのように見えるじゃろう。ところが、このおくに、秘密の部屋があるのじゃ。まさか地下室のおくに、もうひとつ地下室があるなんて、だれも考えないからね。たとえ、さがしをされても、だいじょうぶなのだ。ほら、ここに秘密のドアがある。」

 ニコラ博士は、そういって、コンクリートのかべの、かくしボタンをおしました。すると、目の前の壁が、スーッと、音もなく、むこうにひらいていって、そこに、四角な穴ができました。

 その穴をくぐって、廊下のようなところをすこしいきますと、両がわに、鉄棒のはまった、動物園のおりのような部屋がならんでいました。

 ニコラ博士は銀一君の口から、ハンカチのさるぐつわを、とりだしてから、そのおりのような部屋のドアをかぎでひらいて、銀一君を中におしこみ、ドアをしめて、またかぎをかけてしまいました。

「ここで、ゆっくりしているがいい。ベッドもあるし、便器もおいてある。食事も、なるべくおいしいものを三度三度、はこばせるよ。じゃあ、またくるからね。」

 ニコラ博士は、そういいのこして、どこかへたちさってしまいました。

 地底の牢獄です。銀一君は、おそろしいとりこになってしまったのです。いつになったら、ここを出られるのでしょう。ひょっとしたら、一生がい、出られないのではないでしょうか。

「おい、きみ、おい、きみ。」

 どこからか、人の声がきこえてきました。前の廊下の、むこうからのようです。

 銀一君は、おりの鉄棒につかまって、そのほうを見ました。廊下のてんじょうに、うすぐらい電灯がついているだけですから、おりの中は、ぼんやりとしか見えません。むこうがわのおりの中に、なにか動いているものがあります。

 じっと見つめていますと、だんだん目がなれて、その姿が、はっきりしてきました。それは、銀一君よりは二つ三つ年上らしい少年でした。

「おい、きみ、わかるかい。ぼくだよ。きみもぼくと、おんなじめに、あったらしいね。きみのかえ玉が、きみのうちにはいり、ほんもののきみは、ここにとじこめられたんだろう。」

「そうですよ。きみもそうなんですか。」

「うん、ぼくのうちには、いま、ぼくのかえ玉がいるんだ。おとうさんも、おかあさんも、かえ玉とは気がつかない。それほど、ぼくとそっくりなんだ。ニコラ博士は、おそろしいスーパーマンだよ。人間の顔を、どんなにでも、かえることができるんだ。ぼくとそっくりの人間をつくることもできるし、また、ぼくを、まるでちがった顔に、かえてしまうことだってできるんだ。で、きみは、なんていうの? きみのうちは、なにをやってるの?」

「ぼく、玉村銀一。おとうさんは玉村宝石店をやっているのです。」

「あっ、そうか。あの有名な宝石王だね。ぼくは白井保しらいたもつ。ぼくのうちは、銀座の白井美術店だよ。」

「知ってます。あの大きな美術店でしょう、仏像やなんか、たくさんおいてある。」

「そうだよ。きみ、わかるかい。ニコラ博士は、宝石や美術品をねらっているんだぜ。そして、まず、ぼくたちのかえ玉をつくって、人間の入れかえをやったんだ。このつぎに、あいつがなにをやるか、ぼくには、わかっているよ。ああ、おそろしいことだ。はやくだれかに知らせなければ、とりかえしのつかないことになる。」

 白井保少年は、おりの鉄棒にしがみついて、じだんだをふまんばかりでした。


こじきむすめ


 それから二日ほどのちの午後、玉村さんのうちでは、おとうさんの銀之助さんは銀座のお店へ、おかあさんは麹町こうじまちの親類へおでかけになって、高校一年の光子さんと、銀一君のふたりが、書生さんや、女中さんたちといっしょに、おるす番をしていました。

 光子さんと銀一君は光子さんの部屋で、おやつのお菓子をたべおわったところです。

「おねえさん、それじゃあ、ぼく、じぶんの部屋で、宿題をやるからね。」

 銀一君は、そういって、部屋を出ていきました。なんだか、へんですね。銀一君は、あの地底の牢獄から、にげだしてきたのでしょうか。そんなにやすやすと、にげられるはずはありません。

 ひょっとしたら、いまうちにいる銀一君は、にせもののほうではないのでしょうか。まったくおなじ顔をしているので、おとうさんも、おかあさんも、おねえさんも、すっかりだまされてしまって、にせものを、ほんとうの銀一君と、しんじているのではないでしょうか。

 銀一君がいってしまうと、光子さんは、机の前のいすにかけたまま、窓のほうをむいて、広い庭を、ながめていました。

 すると、庭の木のしげみのおくから、みょうな人間が、あらわれてきたではありませんか。

 女のこじきです。年は光子さんとおなじ十六ぐらいに見えます。かみの毛はモジャモジャになって、ひたいにかぶさり、服はボロボロにやぶけて、肩から、腰から、たくさんのひもがぶらさがっているように見えます。それに、くつ下も、くつもはかない、どろまみれの足です。

 そのこじきむすめが、じっと光子さんを見つめて、こちらにちかづいてくるのです。

 ふつうのむすめさんなら、こんなものを見たら、おくへにげこんでしまったでしょうが、光子さんは、にげません。光子さんは、たいへん、なさけぶかいたちで、かわいそうな人を見ると、だまってはいられないのです。

 あるとき、道ばたにすわっている、おばあさんのこじきを見ると、つくったばかりの外とうをぬいで、そのこじきにきせかけたまま、さっさとかえってきたことがあります。

 また、あるときは、子どものこじきを、自動車の中にひろいあげて、うちにつれてかえり、おかあさんに、そのこじきの子を、うちにおいてくださいと、たのんだこともあります。

 光子さんは、そんなふうに、なみはずれた、なさけぶかい心をもったおじょうさんでした。

 ですから、庭にあらわれた、こじきむすめを見ても、にげだすどころか、ちかづいてきたら、なにかしんせつなことばをかけてやろうと、じっとまちかまえているのでした。

 こじきは、やがて、窓の下までくると、そこに立ったまま、ジロジロと光子さんをながめながら、みかけによらぬ、きれいな声でいいました。

「おじょうさん、なぜにげないの? あたしがこわくないの?」

 光子さんは、それをきくと、この子はひがんでいるのだ、だから、こんな、ひにくなことをいうのだと、かなしく思いました。そこで、できるだけ、やさしい声で、たずねてみました。

「あんた、どこから、はいってきたの?」

「門からよ。だって、ねるところがなければ、どこにだって、はいるわ。ゆうべは、お庭のすみの物置小屋でねたの。」

 あんがい、ちゃんとしたことばをつかっている。このむすめは、生まれつきのこじきではないらしいと、光子さんは考えました。

「おなかがすいているんでしょう。あんた、おとうさんや、おかあさんは?」

「なんにもないの。みなし子よ。そして、おなかのほうは、おさっしのとおり、ペコペコだわ。」

「じゃあね。人に知れるといけないから、この窓から、はいっていらっしゃい。いま、わたしが、なにか、たべるもの、さがしてきてあげるわ。」

「だれも、きやしない?」

「だいじょうぶよ。このうちには、いま、わたしと弟きりで、あとは書生や女中さんばかりよ。この部屋には、だれもこないわ。」

 それをきくと、こじきむすめは、窓をのりこえて、はいってきました。光子さんは、こじきをいすにかけさせておいて、部屋を出ていきましたが、やがて、クッキーのカンと、牛乳のびんを二つと、コップをもって、かえってくると、それをこじきの前のテーブルにおき、

「さあ、おあがりなさい。」

とすすめるのでした。

 こじきは、よっぽど、おなかがすいていたとみえて、クッキーをわしづかみにして、口にほおばりましたが、そのとき、ひたいにたれていたかみの毛を、うるさそうにかきあげたので、はじめて、こじきの顔が、はっきり見えました。

 ああ、なんて美しいこじきでしょう。きたない服にひきかえて、顔だけは、すこしもよごれていないのです。色白のふっくらとしたほお、パッチリとした、美しい目、赤いくちびる。

「まあ、あんた……。」

 光子さんは、さけぶようにいって、思わず立ちあがると、ドアのほうへ、にげだしそうにしました。

 光子さんは、ひどくおどろいたのです。こじきが、美しい顔をしていたためばかりではありません。もっと、びっくりすることがあったのです。

 すると、こじきむすめは、ニッコリ笑って、

「ああ、うれしい。おじょうさんにも、やっぱり、そう見えるの? あたし、ほんとうにうれしいわ。こんなきたないこじきの子が、このりっぱなおやしきのおじょうさんと、そっくりだなんて。」

 ほんとうに、そっくりでした。一方は、ちゃんとといたかみの毛、きれいな服、一方はモジャモジャ頭、ボロボロの服、そのちがいをべつにすると、ふたりは、背の高さから、肉づきから、顔かたちまで、まるでふたごのように、おそろしいほど、よくにているのです。

「あたし、もうずっと前から、おじょうさんと、あたしと、ふたごのように、よくにていることを知っていました。もし、あのおじょうさんと、ひとことでも、お話ができたらと、もうそれが、あたしの、一生ののぞみだったのです。いま、そののぞみがかなって、あたし、こんなうれしいことはありませんわ。」

 こじきむすめは涙ぐんでいました。

「まあ、こんなふしぎなことって、あるもんでしょうか。」

 光子さんは、それまでよりも、十倍も、なさけぶかい心になって、ため息をつきながらいうのでした。

 まるでたちばのちがう、このふたりのむすめは、たちまち、きょうだいのように、なかよしになってしまいました。

 光子さんがたずねますと、こじきむすめは、あわれな身のうえ話をしました。光子さんは、涙をこぼして、それをきいていましたが、話しているうちに、ふたりは、顔ばかりでなく、気質きしつまで、よくにていることが、わかってきました。

 しめっぽい身のうえ話がすむと、ふたりは、だんだん快活かいかつになって、笑い声をたてながら、話しあっていましたが、やがて、光子さんは、こんなことをいいだすのでした。

「ああ、いいことを思いついたわ。まあ、すてきだわ。ねえ、あんた、わたし、いま、それはおもしろい遊びを考えついたのよ。」

「あら、おじょうさんと、あたしとが、なにかしてあそぶんですの?」

 こじきむすめは、びっくりして、ききかえします。

「ええ、そうよ。わたしね。子どものとき『乞食王子』って本を、よんだことがあるの。それで思いついたのよ。あのね、わたしがあんたになるの。そして、あんたがわたしになるの。わかって? つまりね、あんたとわたしが、服やなんか、すっかり、とりかえてしまうのよ。ふたりは、顔がおんなじでしょう。だから、服をかえて、かみの毛のくせをかえれば、あんたがわたしになり、わたしがあんたになれるのよ。」

 この思いつきも、半分は光子さんのなさけぶかい心から出ているのでした。かわいそうなこじきむすめに、ひとときでも、宝石王の令嬢になった夢を見せてやりたいと思ったのです。

「まあ、あたしと、おじょうさんと、いれかわるの? ワー、すてき。あたしに、そのきれいな服をきせてくださるのね。」

 こじきむすめは、もうむちゅうになっていました。

 光子さんは、洗面器にお湯をいれて、てぬぐいと、足ふきをもってきて、まず、こじきの顔や手を、それから足を、きれいにふいてやりました。そして、かみの毛を、ていねいになでつけてやり、服をとりかえました。

 きたないこじきむすめが、たちまち、美しいおじょうさんにかわってしまいました。

 光子さんは、こじきを三面鏡の前に、つれていきました。

「どう、さっきまでのわたしと、そっくりでしょう。」

「ワーッ、これがあたし? ほんとかしら……。」

 こじきむすめは、そういって、じぶんのほおをつねってみるのでした。

 つぎは光子さんの番でした。きたないボロボロの服をきて、かみの毛を、指でかきまわして、モジャモジャにして、鏡をのぞきこみました。

「あら、そんな美しいこじきって、ないわ。顔に、まゆずみを、うすくぬってあげましょうか。そうすれば、ほんとうのこじきに見えるわ。」

 こじきむすめは、ちょうしにのって、そんなことまでいいだしましたが、光子さんは、かえっておもしろがって、学校の仮装会かそうかいのことを思いだしながら、こじきむすめのいうままに、顔いちめんに、まゆずみをぬらせるのでした。


人間いれかえ


「こっちへいらっしゃい。ふたりならんで、鏡の前に立ってみるのよ。」

 こじき姿の光子さんが、光子さんの服をきたこじきむすめの手をとって、鏡の前につれていきました。

「あらっ、あんた、あたしとそっくりだわ。そして、あたしは、あんたとそっくりね。だれにも見わけられないわ。」

「わたし、うれしいですわ。こんなきれいなおじょうさんになれたんですもの。でも、いけませんわ。だれかに見られるとたいへんですわ。はやく服をとりかえましょうよ。」

「なあに、いいのよ。みんなをびっくりさせてやりたいわ。ね、あんた、もっとぐっとおすまししてね、あちらへいって、書生や女中に、なにかいってごらん。お紅茶をもってくるようにいいつけてもいいわ。そして、だれにもうたがわれないで、ここにかえってきたら、そうね、なにかごほうびをあげるわ。おこづかいをあげてもいいわ。」

 光子さんは、このいたずらが、たのしくてたまらないという、顔つきです。

「だって、わたし、こわいわ。きっとみつかりますわ。」

 光子さんとそっくりのこじきむすめは、なかなか決心がつかないらしいのです。

「みつかるもんですか。ほら、鏡をごらんなさい。ね、あんた、あたしとそっくりだわ。だいじょうぶよ。さあ、いっていらっしゃい!」

 光子さんは、そういって、こじきむすめを、ドアのところにつれていくと、グッと、廊下に、おしだしてしまいました。にせものの光子さんは、しかたなく、廊下を歩いていきます。

 一つかどをまがると、むこうから書生がやってくるのに、パッタリであいました。こじきむすめは、びっくりして、にげだしたでしょうか。

 いや、いや、そのとき、じつにおそろしいことがおこったのです。ほんとうの光子さんが、まるで考えてもいなかったことが、おこったのです。こじきむすめは、いきなり、書生のそばにかけよりました。そして、こんなことをさけんだのです。

「はやくきて! たいへんなのよ。あたしの部屋に、こじきの子が、はいっているのよ。はやく、あれをおいだしておくれ。」

 光子さんになりすましたこじきむすめが、とほうもないことを、いいだしたのです。

 書生は、すこしもうたがわず、このことばをまにうけてしまいました。

「えっ、こじきが? おじょうさんのお部屋に? とんでもないやつだ。ここにまっていらっしゃい。すぐにつかみだしてやりますから。」

 書生は、いきなり、かけだして、光子さんの部屋に行ってみますと、黒い顔をした、きたないこじきが、鏡の前にこしかけて、じぶんの顔をうつしながら、にやにや笑っているではありませんか。

「こらっ、きさま、どうしてここにはいってきたんだ。はやく出ていけ。ぐずぐずしていると、警察にひきわたすぞっ。」

 いくらどなっても、あいては、へいきな顔をして、こんなことをいうのです。

「あらっ、なにをそんなにおこっているの? ちょっといたずらをしてみたのよ。おこることはないわ。」

 書生は、光子さんのことばのいみを、とりちがえました。

「ばかっ、ちょっといたずらに、部屋の中にはいられてたまるかっ。さあ出ろ。出なければ、こうしてやるぞっ。」

 書生は、こじきむすめ(ほんとうの光子さん)の首すじをつかんで、窓のそばにつれていき、いきなり、窓の外に、つきおとしてしまいました。

 こじきむすめは、窓の下にころがって、からだじゅう、砂まみれになりました。

青木あおきっ、なにをするの。あたしをだれだと思っているの。」

 光子さんは、やっとおきあがると、窓からのぞいている書生に、せいいっぱいの声で、どなりつけました。青木というのは、書生の名です。

「なまいきいうなっ。だれとも思っていない。こじきだと思っているよ。さっさと出ていけ。出ていかないと、もっと、いたいめをみせてやるぞっ。」

 書生は、いまにも、窓からとびだしてきそうないきおいです。

 光子さんは、ただどなっていたってしかたがない、わけをはなそうと思いました。

「ねえ、青木さん。あんたが思いちがいをするのも、むりはないわ。でもあたしは光子なのよ。庭からはいってきた、こじきむすめと、服のとりかえっこをしたのよ。」

 それをきくと、書生は、声をたてて笑いました。

「アハハハハハハ、なにをつまらないことをいっている。あっ、ちょうどいい、光子さんがこられた。ねえ、おじょうさん、こいつ、あなたと服をとりかえたんだといってますよ。」

 すると、窓に、二つの顔があらわれました。にせの光子さんと、それから、弟の銀一君です。

「あっ、あんた、そこにいたの。はやく、あたしをたすけてちょうだい。あんたがあたしの服をきて、あたしがあんたの服をきているんだわね。」

 それをきくと、光子さんにばけたこじきむすめは、目をまんまるにして、わざとおどろいてみせるのです。

「まあ、おそろしい。なんといういいがかりをつけるのでしょう。そんなばかなことを、だれが信用するものですか。青木さん、はやくこのこじきを、門の外へ、ほうりだして。」

 こじき姿の光子さんは、びっくりしてしまいました。

「あらっ、なにをいうの。あんたこそ、おそろしい人だわ。ねえ、銀ちゃん、あんたはわかってくれるわね。ほら、おねえさんの光子よ。」

 弟の銀一君によびかけて、顔を窓のほうへつきだしましたが、銀一君も、とりあってくれません。

「光子ねえさんはここにいるよ。そんなきたないねえさんなんてあるもんか。おまえなんか、はやく、どっかへいっちまえっ。」

 たのみのつなが、きれはてました。

 ああ、とんだことをしてしまった。あんな気まぐれをおこして、服のとりかえっこをしたばっかりに、おそろしいめにあわなければならない。光子さんは後悔しましたが、いまさらおっつきません。

 あっ、書生がえんがわからまわって、庭に出てきました。おそろしい顔をしています。

「さあ、門の外にでるんだ。そして、おまえのこじき小屋にかえるんだ。」

 そういって光子さんのえり首をつかむと、グングン門のほうへおしていくのです。

 おとうさんは銀座のお店です。おかあさんは麹町の親戚におでかけです。もうたすけをもとめる人もありません。

 それにしても、弟の銀一が、どうして、あたしを見わけてくれなかったのだろうと、光子さんはふしぎに思いました。

 しかし、読者諸君はごぞんじです。これは銀一君とそっくりの顔をした、にせものです。ほんとうの銀一君は、ニコラ博士という白ひげのじいさんにつれていかれ、地下室にとじこめられているのです。

 ああ、これはどうしたことでしょう。怪人ニコラ博士は、いったい、なにをたくらんでいるのでしょう。まず銀一君をにせものといれかえ、いまはまた、光子さんをいれかえたのです。おそろしい計画は、つぎつぎと、なしとげられていくようにみえます。

「さあ、はやく、あっちへいけっ。」

 書生は、門の鉄のとびらをひらいて、光子さんを外につきとばし、そのまま、パタンととびらをしめて、うちにはいってしまいました。


人形紳士


 光子さんは、書生につきとばされたとき、ひざを強くうったので、いたさに、そこにうつぶしたまま、シクシクと泣いていました。

 ああ、「乞食王子」のまねなんかしなければよかった。あんな小説をおぼえていたばっかりに、とんだことになってしまった。あたしは、どうすればいいんだろう。

 くよくよと、おなじことを、くりかえし、考えているうちに、ふと気がつくと、なにかおしりをつっつくものがあります。

 おどろいて、うつむいていた顔をあげてみますと、いつのまにか、六人ほどの子どもたちにとりかこまれていました。

 近くのいたずら小僧どもが、きたないこじきむすめがたおれているのを見て、あつまってきたのです。その中のひとりが棒きれをもって、光子さんのおしりをつっついたのです。

 光子さんは、その子をにらみつけて、おきあがりました。すると、子どもたちは、ワーッといって、むこうへにげていきます。

 もうこんなところに、たおれているわけにはいきません。子どもたちが、またいたずらをするにきまっているからです。

 光子さんは、ひざのいたみをこらえて、たちあがり、トボトボと、歩きだしました。

「ワーイ、ワーイ、ばっちいおねえちゃんよう。どこへいくんだよう。」

 あとから、子どもたちがゾロゾロついてきます。

 ふりむいて、こわい顔で、にらみつけますと、子どもたちは、ワーッといって、にげますが、しばらくすると、また、ちかづいてきて、下品なことばで、からかうのです。

 光子さんは、ワーッと声をあげて、泣きだしたくなりました。しかし、じっとこらえて、くちびるをかみしめて、トットと、急ぎ足に歩きました。

 町かどを、まがりまがり、四百メートルも歩くと、いつのまにか、子どもたちは、あとをつけてこなくなりました。

 ああ、たすかったと思いながら、バスの停留所のほうへ歩いていきます。いまから銀座のお店にいこう。そして、おとうさんにわけを話して、たすけてもらおう。そのほかにてだてはない。光子さんは、そう考えて、バスに乗るつもりでいたのですが、ふと気がつくと、一円もお金がないのです。といって、歩いて銀座までいくのは、たいへんです。どうしたらいいだろうと、思案しあんにくれるのでした。

 光子さんは、すこしも気がつきませんでしたが、さっきから、いたずら小僧たちとはべつに、光子さんのあとをつけてくる、ひとりのあやしい男がありました。ネズミ色の背広に、ネズミ色のオーバーをきて、おなじ色の鳥打帽とりうちぼうをかぶっています。ひげのないツルッとした顔に、まんまるなめがねをかけているのですが、その顔が、なんだかへんなのです。

 顔色がよくって、しわがなく、スベスベしていて、洋服屋のショーウインドーにかざってあるマネキンのような顔なのです。人形のような紳士です。

 光子さんが、お金がなくて、バスに乗れないので、思案にくれて、たちどまっていますと、その人形紳士は、なにげなく、光子さんをおいこして、歩いていきましたが、そのとき、ポケットから銀貨をとりだして、そっと地面におとし、そのまま、むこうのかどをまがりました。

 かどをまがったかとおもうと、そこにたちどまって、へいのかどから、目ばかり出して、そっと光子さんのほうを、のぞいているのです。

 光子さんは、立ちどまっていても、しかたがないので、うなだれたまま、歩きだしましたが、目が地面にそそがれているので、すこし歩くと、さっき人形紳士がおとしていった銀貨をみつけました。ひろいあげてみると、百円銀貨です。これがあればバスにのれます。だれがおとしたのかしらないが、しばらくおかりしておこうと、心をきめました。それからは、急ぎ足になって、停留所につくと、銀座を通るバスをまって、乗りこみました。

 さいわい、立っている人が多いので、車内のみんなに、きたない姿を見られることはありませんでしたが、車のすみに、ソッと立っていても、すぐ近くの人からは、ジロジロながめられました。車掌しゃしょうさんまでが、顔をしかめて、じっと、こちらを見ているのです。

 光子さんは、そのはずかしさがいっぱいで、すこしも気づきませんでしたが、あのマネキンのような顔をした人形紳士も、このバスに乗っていました。

 光子さんのあとから、乗りこんで、光子さんから、できるだけはなれて、そっぽをむいて、そしらぬ顔で、つりかわにぶらさがっているのです。ときどき、チラッ、チラッと、光子さんのほうを、ぬすみ見るのですが、光子さんは、銀座でおりるまで、気づかないでいました。

 バスをおりると、光子さんは、すぐそこの玉村宝石店へいそぎましたが、人形紳士もそこでおりて、光子さんのあとをおいました。にぎやかな銀座通りのことですから、もう光子さんにかんづかれる心配はありません。

 光子さんは、玉村宝石店のきらびやかなショーウインドーのあいだから、店にはいっていきました。

「おいおい、きみ、こんなとこにはいってきちゃいけない。おもらいなら、うらへまわりなさい。」

 わかい店員が、光子さんのこじき姿を見て、どなりつけました。

 光子さんは、その店員をよく知っていました。しかし、あいてには、こちらがわからないのです。

「ねえ、あたし、わけがあって、こんななりをしているけど、玉村光子よ。おとうさん、おくにいらっしゃるでしょう。通ってもいいわね。」

 店員はびっくりして、まゆずみでよごれた光子さんの顔を、ジロジロとながめました。

「なんだって? 光子さんだって? おじょうさんが、そんなきたない服をきられるわけがないじゃないか。おどかさないでくれよ。さあ、出ていった、出ていった。」

「いいえ、どうしても、おとうさんにあいます。じゃましないで、おくにとおしておくれ。」

「いけない。いけないったら。こいつ気ちがいだな。さあ、出ていけ。出ていかないと、なぐるぞっ。」

 そのさわぎをききつけたのか、そのとき、おくとのさかいのガラスのドアが、サッとひらいて、おとうさんの玉村銀之助さんの姿があらわれました。

「かまわないから、おもてにほうりだしてしまいな。そいつはおそろしいかたりだ。顔がにているのをさいわい、光子だといって、わしをゆするつもりなんだ。はやく、ほうりだしてしまえ。」

 ああ、おとうさんまでが、と思うと、光子さんは泣きだしたくなりました。

「おとうさん、わけをはなしますから、きくだけきいてください。こんななりをしていますが、あたしは光子にちがいないのです。」

 死にものぐるいで、すがりつくようにたのみましたが、玉村さんは、とりあってくれませんでした。

「そのわけは、もうちゃんと知っている。ほんとうの光子からきいている。光子、あいつに顔を見せてやりなさい。」

 その声におうじて、光子さんになりすました、あのこじきむすめが、玉村さんのうしろから、美しい顔を出しました。

 ああ、なんというすばやさ! にせ光子は、ほんとうの光子が、おとうさんのたすけをもとめて、ここにくることをさっして、自動車でさきまわりをしたのでしょう。そして、おとうさんをときつけて、いつほんものがあらわれても、だいじょうぶなようにしておいたのです。

 それにしても、玉村さんまでが、にせものを信じるというのは、にせものが、ほんものと、すこしもちがわないからです。どうして、こんなにもよくにた人間がいたのでしょう。考えられないことです。おそろしい夢でも見ているようです。これにはなにか、ふかいわけがあるのでしょう。いままでの科学では、とけないような、おそろしい秘密があるのでしょう。

 しかし、光子さんは、そこまでは考えませんでした。ただ、くやしくて、かなしくて、はらわたがにえくりかえるようです。

「ちがいます。そいつが、にせものです。服をとりかえたのです。あたしの服を、そいつがきているのです。あたしがほんとうの光子です。」

 気ちがいのように、泣きわめく、こじきむすめを、玉村さんは、おそろしい顔で、にらみつけました。

「わかっている。おまえのいいぐさは、もうちゃんとわかっているのだ。おい、みんな、かまわないから、そいつを、表にほうりだしてしまえ。」

 もう、どうすることもできません。光子さんのこじきむすめは、おおぜいの店員に、こづきまわされて、表につきだされてしまいました。

 光子さんは、しばらく店の前に、うずくまっていましたが、やがて、あきらめはてたように、トボトボと、歩きはじめました。

 すると、さっきの仮面のような顔の人形紳士が、どこからかあらわれて、光子さんに声をかけました。

「光子さん、きみが光子さんだということは、わしがよく知っている。きっとあかしをたててあげる。しかし、いまはいけない。ひとまず、わしのうちにきなさい。そして、計画をたてて、出なおすのだ。わかったね。さあ、わしのうちにいこう。」

 ボソボソと、耳のそばで、ささやくようにいうのです。

「あなた、どなたですか。」

 光子さんはびっくりして、ききかえしました。

「きみをよく知っているものです。あんしんしてついておいでなさい。さ、いきましょう。」

 人形紳士は、そういったまま、しずかに歩きだしました。光子さんは、目に見えぬ糸でひっぱられでもするように、フラフラと、怪紳士のあとから、ついていくのでした。


小林少年


 銀一君のときは、白ひげのじいさんがあらわれ、光子さんのときは、人形みたいな顔の紳士があらわれて、どことも知れぬあやしい家へつれていき、そこの地下室に、とじこめてしまったのです。

 玉村さんのうちには、にせの光子さんと銀一君が、ちゃんといるのですから、だれも、人間がいれかわったとは気がつきません。光子さんのにせものも、銀一君のにせものも、じつにうまく、ほんもののまねをしていたのです。

 ところが、たったひとり、にせの銀一君をうたがっている少年がありました。

 それは、いつか銀一君がスリをはたらくところをみつけた、松井少年です。銀一君の同級生の松井君です。

 松井君は、玉村銀一君とそっくりの少年が、もうひとりいることを、知っていました。もしその少年が、銀一君といれかわったら、どうなるだろうと思うと、なんだかおそろしくなってきました。

 ある日、松井君は、休みの時間に、学校の運動場を、玉村銀一君と、肩をならべて歩いていました。

「ねえ、玉村君、きみ、ほんとうに玉村君だろうね。」

 松井君がみょうなことをいいました。

「なにをいってるんだ。ぼくは玉村だよ。どうして、そんなことをきくんだい。」

 銀一君は、おこったような顔をしました。

「きみ、それじゃあ、少年探偵団のバッジをもってるかい?」

「きょうはもってないよ。うちにあるよ。」

 松井君も玉村君も、少年探偵団員でした。団員はB・Dバッジを二十個以上、いつもポケットに入れていなければならない規則です。悪者につれていかれるようなとき、道にばらまいて、いくさきを知らせるためです。玉村君はその規則を知らないのでしょうか。

「じゃあ、七つ道具は?」

「えっ、七つ道具って?」

 少年探偵団の七つ道具は、B・Dバッジ 万年筆型の懐中電灯 の笛 虫めがね 小型望遠鏡 磁石 手帳と鉛筆です。

「それももってないんだね。」

「うん。きょうはもってないよ。」

「じゃあ、なにとなにだかいってごらん。」

 玉村君は、きゅうには答えられないで、しばらく考えていましたが、やがて、どもりながら、こんなことをいうのです。

「B・Dバッジ、それから懐中電灯、えーと、それから、オモチャのピストル、とびだしナイフ、えーとそれから……。」

 そこで、いきづまってしまいました。玉村君は、七つ道具を知らないのです。松井君はさらに聞きました。

「じゃあね、七つ道具のほかに、団長と中学生の団員だけがもっている道具があるんだよ。なんだか知ってる?」

 玉村君は、口をもぐもぐさせていますが、答えることができません。知らないらしいのです。

なわばしごだよ。」

 松井君がおしえますと、玉村君は、いかにも知ったかぶりに、

「そうだよ。縄ばしごだよ。二本の縄に、足をかける木の棒が、たくさんくくりつけてある。」

「ちがうよ。黒いきぬ糸を、よりあわせたひもだよ。二本じゃない。一本きりだよ。そのきぬひもに、三十センチおきに、足の指をかける、むすび玉がついているんだよ。」

「あっ、そうだ。ぼく、うっかりしてたよ。黒いきぬ糸だったねえ。」

 玉村君はそういって、ごまかそうとしましたが、ほんとうは、なにも知らないことが、わかりました。

 松井君は、いよいよ、こいつはにせものにちがいないと思いました。その場は、なにげなくわかれて、その日、学校がひけてから、明智探偵事務所の小林少年をたずねました。

 明智先生は北海道に事件があって、旅行中でした。小林少年は、少女助手のマユミさんとふたりで、るす番をしていました。

 小林君は、少年探偵団長です。すぐに松井君を応接室にとおして、話をききました。

 松井君は、お祭りの日に、玉村銀一君とそっくりの少年を見たことから、きょう学校でのできごとまで、すっかり話しました。

「だから、ひょっとすると、玉村君は、にせものといれかわっているんじゃないかと思うのです。そんなによくにた人間がいるなんて、ふしぎでしょうがないけれど、ほんとうなんです。ぼくは、そいつがスリをはたらいているところを、ちゃんと見たんですからね。」

「へんな話だねえ。ふたごでもないのに、そっくりの人間が、ふたりいるなんて、ちょっと、考えられないことだねえ。」

 さすがの小林少年も、こんな話をきくのは、はじめてでした。

「だから、ふしぎなんですよ。しかし、たしかに、ふたご以上に、よくにたやつがいるんです。そいつが、玉村君のまわりに、ウロウロしていたんですからね。ぼくはどうもあやしいと思うんです。バッジももっていないし、七つ道具のことも知らないのは、ほんとうの玉村君でないしょうこですよ。」

「なにか、たくらんでいるのかもしれないね。」

「玉村君のおとうさんは、宝石王でしょう。宝石を手に入れるための陰謀いんぼうかもしれません。玉村君のおとうさんに、このことを知らせてあげなくてもいいでしょうか。」

「うん、そうだね。明智先生がいらっしゃるといいんだが、一週間ぐらいはお帰りにならない。しかし、きみの話だと、ほってもおけないようだから、ぼくが玉村君のおとうさんにあって、このことをお話ししておいたほうがいいかもしれないね。」

「ええ、ぼくもそう思うんです。にせものといれかわった玉村君が、どこかで、ひどいめにあっていると、たいへんですからね。」

「じゃあ、電話をかけて、玉村さんのつごうを聞いてみよう。いまは銀座の店におられるだろうね。店をたずねるのがいい。すまいのほうにはにせの銀一君がいるんだからね。」

 そこで、小林君が電話をかけますと、玉村銀之助さんは、ちょうど店にいて、電話口に出ました。

 玉村さんは小林君をよく知っていました。名探偵明智小五郎あけちこごろうの少年助手として、たびたびてがらをたてて、新聞にのるものですから、小林少年の名を知らない人はありません。ことに玉村銀一君は少年探偵団員なので、その団長の小林君には、おとうさんも、したしみをかんじていたのです。

「うちの銀一が、いつもおせわになります。」

 玉村さんは、電話口で、そんなあいさつをするのでした。

「その銀一君のことで、至急にお話ししたいことがあるのです。これからお店のほうに、おじゃましていいでしょうか。」

といいますと、それでは、お待ちしていますから、どうかおいでください、という返事でした。

 それから三十分ほどたって、銀座の玉村宝石店の社長室には、社長の玉村銀之助さんと、小林少年と、松井少年とが、テーブルにむかいあっていました。

 小林君が、松井君から聞いたことを、くわしく話しますと、玉村さんは、はじめは、そんなばかなことがと、とりあげようともしませんでしたが、小林君が、うたがわしいわけを、だんだん、話していきますと、玉村さんは腕をくんで、考えこんでしまいました。

 そして、しばらくすると、ひとりごとのように、つぶやくのでした。

「そうすると、あのこじきむすめも、ほんとうの光子だったかもしれないぞ。」

「えっ、こじきむすめですって?」

 小林君が、おどろいて聞きかえします。

「二─三日前に、こじきむすめが、この店にやってきましてね。わたしがほんとうの光子だ。おとうさんのそばにいるのは、にせものだといいはるのです。

 光子というのは銀一の姉ですが、その光子が、じぶんとよくにたこじきむすめと、服のとりかえっこをしたというのです。だが、そんなばかなことは、しんじられないので、こじきむすめを、店からつきだしてしまいましたが、思いだしてみると、そのこじきは、光子とそっくりの顔をしていました。銀一がにせものだとすると、光子もにせものと、いれかわっているかもしれない。

 だが、まさかそんなことが……いや、いや、そうかもしれない。ああ、おそろしいことだ。このふしぎなできごとのうらには、なにかの、ふかいたくらみがあるのかもしれない。

 しかし、そんなによくにた人間がいるものかしら。小林さん、きみはどう思います?」

「わかりません。なにか、とほうもない魔術がおこなわれているのです。この事件のうらには、おそろしい悪人がかくれているのかもしれません。

 ぼくはこの事件を、探偵してみたいと思います。明智先生がおるすなので、ざんねんですが、ぼくにできるだけのことを、やってみたいと思います。」

「ああ、それは、わたしからおねがいしたいところです。わたしも、それとなく、光子と銀一のようすを注意しますが、あなたも外から、さぐってください。もし、にせものとすれば、どこかにかくれている、このたくらみのなかまと連絡をとるでしょうからね。」

 それから、いろいろ、うちあわせをしたうえ、小林、松井の二少年は、玉村さんにいとまをつげて、それぞれの家に帰りました。


黄金のトラ


 小林君は、そのばんから、きたないこじき少年にばけて、渋谷の玉村さんのうちの見はりをつづけました。

 はじめの夜は、なにごともありませんでしたが、ふたばんめに、おそろしいことがおこりました。

 月もない、まっくらな夜です。八時ごろでした。

 玉村さんのやしきの、うらてのコンクリートべいの下に、一枚のむしろがすててあります。とおくの街灯の光で、それがぼんやりと見えています。

 あっ、そのむしろが、モゾモゾと動きました。よく見ると、むしろの下に人間がいるのです。こじきが、むしろをかぶって、寝ているのかもしれません。そのへんは、さびしいやしき町ですから、なんのもの音もなく、死んだように、しずまりかえっています。

 しばらくすると、町のむこうから、まっくろな大きなものが、スーッと、こちらへ近づいてきました。

 ヘッドライトをけした自動車です。

 そのあやしい自動車は、こじきの寝ているむしろのそばに、とまりました。

 自動車のドアが、音もなくひらいて、へんてこな大きなものが、とびだしてきました。

 金色に光っています。それは人間ではなくて、四つ足で歩く猛獣もうじゅうでした。トラです。黄金のトラです。

 東京の町の中にトラがあらわれたのです。しかも、そいつは自動車に乗ってやってきたのです。

 金色に光るトラは、そのへんをノソノソと歩いていましたが、グッと首を低くして、ねらいをさだめたかと思うと、パッと、ひととびで、コンクリートべいの上にかけあがり、まるで綱わたりのように、せまいへいのてっぺんを歩いていきます。

 地面のむしろの下の人間は、首をもたげて、じっと、それを見つめていました。

 へいの上を十メートルほど歩くと、黄金のトラは、玉村さんのやしきの中に、ピョイととびおりて、姿をけしてしまいました。

 地面のむしろが、パッとはねのけられ、その下に寝ていた人間が、立ちあがりました。少年です。ボロボロの服をきた、こじき少年です。

 少年は、すぐそばにとまっている自動車の中をのぞきました。そして、思わず、「おやっ。」と声をたてました。

 自動車にはだれもいないのです。運転手もいないのです。では、あの金色のトラが、自動車を自分で運転してきたのでしょうか。そんな器用な猛獣がいるのでしょうか。

 こじき少年は、だれもいないことをたしかめると、車のうしろにまわって、そこのトランクのふたに手をかけて、もちあげてみました。

 すると、かぎがかけてないとみえて、ふたはスーッとひらきました。中をのぞくと、荷物もなく、からっぽです。こじき少年は、トランクにはいりこんで、その中に身をかくし、ふたをしめてしまいました。尾行するつもりなのです。

 いまに黄金のトラがもどってくるでしょう。そして、自動車を運転して、どこかへいくでしょう。こじき少年は、そのいくさきを、つきとめるつもりなのです。

 それから十分ほど、なにごともおこりませんでした。すこしのもの音もなく、すこしの動くものもありません。

 やがて、コンクリートべいの上から、金色のものが、ヒョイとのぞきました。トラの顔です。らんらんと光る目で、じっとへいの外をながめています。

 それから、へいの上にのぼって、ノソノソと歩きはじめ、自動車の近くまでくると、ピョイと地面にとびおりて、車の運転席にはいりこみました。

 やっぱり、この猛獣は、自動車の運転ができるのです。

 自動車は、さびしい町から、さびしい町へと走っていきます。

 二十分もたったころ、大きな洋館の門の中にはいって、そこでとまりました。

 黄金のトラは、自動車からおりて、四つんばいになって、玄関のドアの前までいくと、あと足で立ちあがり、まるで人間のように、ドアをひらくと、その中に姿をけしてしまいました。

 こじき少年は、トランクのふたを、ほそめにひらいて、そのようすを見ていましたが、トラが中にはいってしまうと、ふたをぜんぶひらいて、トランクからはいだし、玄関のドアのそばまでいって、中のようすに、耳をすましました。

 しばらくまって、そっとドアをひらいて、のぞいてみますと、どこかに、うすぐらい電灯がついていて、そのへんがボンヤリと見えています。

 玄関のホールから、廊下がおくへつづいていますが、そこには人影もありません。いやトラの影もありません。

 こじき少年は、だいたんにも、ドアの中にしのびこみ、足音をしのばせながら、廊下を、おくのほうへすすんでいきました。

 二十メートルもいくと、むこうにキラッと光るものが見えました。黄金のトラの背中です。そいつは、やっぱり、あと足で立って歩いているのです。

「ウフフフフ……。」

 どこからか、みょうな笑い声が聞こえてきます。

 こじき少年は、びっくりして、たちどまりました。

 ああ、やっぱりそうです。トラが笑ったのです。

「ウフフフフ……。」

 そして、ヒョイと、こちらをふりむきました。らんらんと光る目が、ほそくなって、口は三日月みかづき形に笑っているのです。

「おい小林君。きみは、こじきにばけているが、明智の助手の小林だろう。うまく、おれの計略にかかったな。きみはきっと、おれを尾行するだろうと思った。それで、さそいをかけたのだよ。」

 トラが人間のことばをしゃべったのです。

 こじき少年は、やっぱり小林君でした。小林君は、まんまと敵のわなにかかってしまったのです。

 これはいけないと思い、いそいで、にげだそうとしました。

「おっと、にげようたって、にげられやしないよ。ほらね。ワハハハ……。」

 黄金のトラが、おそろしい声で笑いだしました。

 その笑い声といっしょに、ダーッという音がして、てんじょうから大きな鉄ごうしがおちてきました。

 廊下いっぱいの鉄ごうしです。もう、うしろへはいけません。

 しかたがないので、前へつきすすもうとすると、またしても、ダダーッという地ひびきがして、前にも鉄ごうしがおちてきました。

 前とうしろに鉄ごうしがおちたのですから、おりの中にとじこめられたのとおなじことです。

「ワハハハハ……、どうだ、このしかけには、おどろいたか。さすがの小林少年探偵も、きょうから、おれのとりこだ。いまに、べつの部屋にいれてやるから、ゆっくり、滞在していくがいい。」

 鉄ごうしのむこうから、トラがしゃべっているのです。ものをいうたびに、口がガッとさけて、赤いしたがペロペロと動くのです。

「きみは、いったい何者だっ。」

 小林君は、せいいっぱいの声で、どなりつけました。

「おれは人間だよ。しかし、きまった顔をもたない人間だ。だれにでもばけることができる。このとおり、猛獣にだってばけられる。トラにはかぎらない。シシにだって、ヒョウにだって、大蛇だいじゃにだって、ばけられるのだ。

 おれの名をおしえてやろう。おれは百十四歳になるニコラ博士という魔術師だ。スーパーマンだ。」

「玉村銀一君とそっくりの少年をつれてきて、人間の入れかえをやったのは、きみだなっ。いったい玉村君をどこへかくしたのだ。」

「銀一君はここのうちにいるよ。いや、銀一君だけじゃない。いろいろな人間が、とりこにしてある。銀一君のねえさんもいるし、そのほかにも、きみの知らない人間がたくさんいる。」

「みんな、かえだまと、いれかえたんだな。」

「アハハハハ……、だんだんわかってきたようだな。おどろいたか。おれはどんな人間のかえだまでも、つくることができるのだ。

 たとえば、きみとそっくりのかえだまだって、わけなくできる。魔法博士の神通力だよ。アハハハハ……。」

 黄金のトラは、あと足で立ちあがって、自由自在に、人間のことばをしゃべっているのです。じつに、なんともいえない、ふしぎなありさまです。聞いているうちに、小林君は、ゾーッとおそろしくなってきました。

 この金色のトラのいうことが、ほんとうだとすると、小林少年は、ここにとじこめられたまま、小林少年とそっくりのかえだまが、明智事務所に帰っていくことになるかもしれません。すると、どんなことがおこるでしょう。考えれば考えるほど、おそろしくなってくるではありませんか。


猛獣自動車


 宝石王の玉村銀之助さんは、じぶんのやしきのまわりを見はっていた小林少年が怪人につれさられたことは、すこしも知りません。あのトラが自動車を運転するという奇妙な事件のあった翌日、午前十時ごろ、玉村さんはいつものように、自動車にのって、銀座の店へ出かけるのでした。

 道路は自動車でいっぱいです。とある交差点で、何十台というトラックや、バスや、乗用車が、三列にならんでとまっていました。そうして、十分もじっとまっていなければならないのです。玉村さんは、車のこんざつには、なれていましたから、イライラしてもしかたがないと、じっと目をつぶって、クッションにもたれていました。

 右の窓のガラスが、半分ひらいてあります。そのガラスをコツコツとたたくものがありました。

 おやっとおもって、目をひらきますと、右がわすれすれに、一台の乗用車がとまっていて、その窓が、こちらの窓のすぐそばにあるのです。

 玉村さんが、そこを見たときには、窓は、なにかボール紙のようなものでふさがれていて、中は見えませんでした。

 しかし、さっき、コツコツと、こちらのガラスをたたいたのは、たしかに、その窓の中にいる人です。たたいておいて、ボール紙で窓にふたをして、かくれてしまったのでしょうか。

「へんだな。」とおもって、じっと見ていますと、ボール紙がすこしずつ下のほうへさがっていって、そのうしろから、黄色くひかったものが、のぞきました。

 まだボール紙が、半分しかひらいていないので、そのものの姿は、はっきりわかりませんが、なんだか、とてつもない、へんてこなものです。

 ボール紙は、またジリジリと下のほうへさがっていきます。そして、窓の中が、すっかり見えるようになりました。

 玉村さんはギョッとして、おもわず、車の中で立ちあがりそうになりました。

 半分ひらいたガラスの中に、おそろしいトラの顔があったのです。

 ランランとかがやく、大きな目で、じっとこちらをにらんでいます。

 玉村さんは、だれかが、でっかいトラのオモチャをひざの上にのせているのではないかとおもいました。

 しかし、そのトラの顔は、人間の顔の倍もあるのです。そんなでっかいオモチャがあるのでしょうか。

 いや、オモチャではありません。

 トラの目が動きました。口がひらきました。口の中で、まっかな舌がヘラヘラと動きました。

「ウヘヘヘヘ……。」

 なんともいえないへんな声で、トラが笑ったのです。まるで人間の老人のような、しわがれた声で、うすきみわるく笑ったのです。

 笑えるのは人間だけで、ほかの動物は笑えないはずです。

 しかも、トラのような猛獣が笑うなんて、おもいもよらないことです。

 玉村さんは、あまりのふしぎさに、あっけにとられて、こわさもわすれて、ぼんやりしていました。

 すると、こんどは、もっとへんなことがおこりました。トラがものをいったのです。

「用心するがいい。いまに、おそろしいことがおこる。」

 たしかに、猛獣が人間のことばを、しゃべったのです。

 玉村さんは、夢を見ているような気持で、まだぼんやりしていましたが、ふと気がつくと、ここは自動車の行列のまんなかです。大きな声をたてれば、みんなが、力をかしてくれるでしょう。いくら猛獣でも、このこんざつのなかを、うまくにげられるものではありません。

 玉村さんは、前にいる運転手の肩をつついて、ささやきました。

「見たか。」

「ええ、見ました。」

 ふたりで、もう一度、そのほうをふりむくと、むこうの窓は、またボール紙でふたをされて、トラの姿は見えませんでした。

「みんなに知らせよう。大きな声でさけぶんだ。」

 はんたいがわのドアをひらいて、からだをのりだし、

「オーイ、たいへんだあ。ここの車の中にトラがいるぞう……。」

と、なんどもくりかえして、さけびました。

 自動車にトラがのっているなんて、あんまりとっぴなことなので、はじめは、だれも信じませんでしたが、こちらが、しんけんにさけぶものですから、勇気のある運転手たちが、自動車からとびおりて、あつまってきました。

 その人数がだんだんふえ、やがて、交通整理のおまわりさんまで、ピストルをにぎって、かけつけてきました。

 みんなが、あやしい自動車のまわりをとりかこみました。

 そのときには、窓のボール紙はなくなって、中が見とおせるようになっていましたが、そこにはひとりの紳士がこしかけているばかりで、トラなど、どこにも見えません。おまわりさんが、その紳士に声をかけて、ドアをひらき、中をのぞきこみました。

「この窓からトラの顔が見えたというんですが、まさか、トラといっしょにのっていたのではないでしょうね。」

「ハハハハ……、なにをおっしゃる。そんなばかなことが、あるはずはないじゃありませんか。だれが、そんなことをいったのですか。」

「この人ですよ。」

 おまわりさんが、そこに立っている玉村さんを指さしました。

「ハハハハ……、あなた、夢でも見たんでしょう。車の中でうたたねしていたんじゃありませんか。」

「いや、たしかに、金色のトラが……。」

 玉村さんはいいかえしましたが、見たところ、トラのかげも形もないのですから、けんかになりません。

「なあんだ、夢か。いくらなんでも、トラが自動車にのっているなんて、おかしいとおもったよ。」

 みんな、チェッと舌うちをして、じぶんたちの自動車へかえっていきます。

 おまわりさんは、ぐずぐずしていると、自動車がたまるばかりですから、どの車も、そのまますすむように、あいずをしました。

 玉村さんも、あわてて車にのりこみ、出発しましたが、車の列は、交差点で三方にわかれ、いつのまにか、あのあやしい自動車を見うしなってしまいました。


大時計の怪


 玉村さんは銀座の店につくと、すぐに明智探偵事務所に電話をかけて、小林少年に店のほうへきてくれるようにたのみました。

 それから三十分もすると、小林少年が、玉村宝石店の社長室へはいってきました。

 読者のみなさん、なんだかへんですね。小林少年は、ゆうべ怪人のために、あやしい洋館の地下室に、とじこめられたはずではありませんか。小林君は、はやくも、そこからぬけだしてきたのでしょうか。いやいや、そうではなさそうです。そのことは、みなさんがよくごぞんじです。

 しかし、玉村さんはなにも知りません。そこへやってきたのは、ほんとうの小林少年だと思いこんでいます。

 玉村さんは小林君に、さっきの事件をくわしく話してきかせました。

「そのトラがね、わたしの顔を見て、用心するがいい、いまに、おそろしいことがおこる、といったのだよ。」

「えっ、トラがですか。」

 小林君は、びっくりしたように、ききかえしました。ほんとうの小林少年なら、じぶんも、ゆうべ、金色のトラがしゃべるのをきいたはずではありませんか。

「そうだよ。トラがしゃべるなんて、信じられないことだ。しかし、ほんとうにしゃべったんだよ。」

「人間がトラにばけていたのでしょうか。」

「うん、わたしもそう思う。超人ニコラ博士だ。ニコラ博士は、なんにでも、ばけられるというじゃないか。

 まずトラにばけて、わたしをおどかしておいて、それから、みんなにかこまれたときには紳士にばけかわって、すましていたのかもしれない。」

「でも、おそろしいことがおこるぞと、予告をしたのですから、ゆだんはできませんね。」

「うん、それで、きみにきてもらったのだよ。この店には、たくさんの店員がいるけれども、あいてはおばけみたいなやつだからね。やっぱり名探偵のきみの知恵をかりたほうがいいとおもってね。」

「ありがとうございます。なによりも渋谷のおうちのほうが心配ですね。警察の力をかりるほかないでしょう。ぼくから警視庁の中村警部に電話でたのみましょう。そして、おうちのまわりを、まもってもらうようにしましょう。」

 玉村さんもそれがいいというので、小林君は警視庁に電話をかけましたが、中村警部はすぐにしょうちして、その手配をしてくれました。中村警部は明智探偵の親友ですから、小林君をよく知っていて、少年だからといって、けいべつするようなことはないのです。

「ぼくはここにいて、あなたをまもります。なんだか、きょうは、あなたがあぶないような気がするんです。」

 小林君は、そんなことをいって、部屋の中をコツコツと、歩きまわるのでした。

 しばらくすると、若い店員が社長室へはいってきました。

「れいの大時計をトラックではこんできましたが、ごらんになりますか。」

「うん、ここにはこんで、ここでひらいてもらおう。なにしろ、いまではめったに手にはいらない美術品だからね。」

 店員はそれをきくと、店のほうへもどっていきましたが、まもなく、ドカドカと足音がして、二メートルもある長方形の木箱きばこを、ふたりの運送屋の男が、はこびこんできました。

 この木箱の中には、西洋では「おじいちゃん時計」といわれている、人間よりも背のたかい、ふりこ時計がはいっているはずです。

 玉村商店は宝石商ですが、西洋の時計などもあつかっているので、ときどき、みょうな注文をうけることがあります。

 あるお金持ちのおとくいが、明治時代にはやった「おじいちゃん時計」がほしいというので、さがしていたところが、りっぱな大時計がみつかったので、きょう、それを見せにきたというわけです。

 その時計をみつけたブローカーの男が、ふたりの運送屋にはこばれる木箱につきそって、はいってきました。

「やあ、橋本はしもとさん、ごくろうさま。これがこのあいだお話しの時計ですね。」

 玉村さんは、この橋本というブローカーとは、ついこのあいだ、はじめてあったのです。

「はい、じつにりっぱな美術品でございますよ。」

「機械もくるっていないですね。」

「ふしぎと、くるっておりません。ただしい時を知らせてくれますよ。」

「それはめずらしい。じゃあ、店のものもここによぶことにしましょうか。」

「いや、まず社長おひとりで、ごらんください。もったいぶるわけではありませんが、ひじょうにめずらしい品ですから。」

「わたしひとりでね。それもいいでしょう。しかし、この小林君は、ここにいてもかまいませんね。こんな小さいからだをしているが、じつは、わたしのボディーガードなんですよ。」

「かまいませんとも。そのかたがボディーガードですか。」

 ブローカーはけげんそうな顔つきです。

「民間探偵明智小五郎さんの助手の小林君です。」

「ああ、あの有名な小林少年ですか。そういえば新聞の写真で、よくお目にかかってますよ。なるほど小林さんなら、たのもしいガードですね。」

 そういうわけで、小林少年は、このめずらしい「おじいちゃん時計」を、玉村さんといっしょに見ることになったのですが、そうときまると、小林君はなにを思ったのか、玉村さんのそばによって、

「ドアのかぎを。」

と、ささやいて、手をだしました。

 玉村さんは、ボディーガードにかぎをわたしておくのはあたりまえだとおもい、べつにうたがいもせず、ポケットからかぎを出してわたしました。

「では、箱をひらくことにします。」

 ブローカーが、ふたりの運送屋の男に目くばせすると、ふたりは、くぎぬきをもって、ギイギイと、木箱のくぎをぬきはじめました。

 そのとき、玉村さんが箱に気をとられているすきに、小林少年が、みょうなことをしました。

 小林君は、玉村さんのほうをむいたまま、横いざりに、ドアの前までいって、手をうしろにまわして、なにくわぬ顔で、ドアにかぎをかけてしまったのです。

 もっとへんなことがあります。小林君は、こちらをむいたまま、おしりのポケットから、大きなハンカチをまるめたようなものを、とりだして、ギュッと右手ににぎっているではありませんか。いったい、なにをしようというのでしょう。

「さあ、よくごらんください。」

 ブローカーが、もったいぶったちょうしでいいました。

 ふたりの男が、くぎをぬいてしまった木箱のふたを、横にのけますと、白いぬのでつつんだものが、箱いっぱいによこたわっています。

 そのとき、部屋の中が、おそろしく、しんけんな空気で、みたされました。

 ブローカーは、両手を、にぎりこぶしにして、おそろしい顔つきで、玉村さんをにらみつけています。

 小林少年は、ドアの前から、ジリジリと、玉村さんのうしろへと、ちかづいていきます。手には、あの白いきれをまるめたものを、いつでもつかえるように、用意していました。

 ふたりの男は、箱の中の白布しらぬのの、両はしをもって、一、二、三で、パッとはねのけようと、身がまえしています。

 一、二、三の号令ごうれいがかかったわけではありません。しかし、ブローカーのぶきみな目が、それとおなじはたらきをしました。

 パッと、白布が、めくりとられました。

「あっ!」

 玉村さんは、おもわずさけんだまま、身動きもできなくなってしまいました。

 木箱の中には、大時計ではなくて、ひとりの人間がよこたわっていたのです。

 死人でしょうか。いやいや、生きています。しかも、それは、じつにおどろくべき人間だったのです。

 その男は、箱の中でゆっくりと上半身をおこし、それからヒョイと立ちあがると、箱の外へでました。

 ああ、ごらんなさい。玉村さんが、ふたりになったではありませんか。

 いま箱からでた男は、玉村さんとそっくりの顔をしています。背広やネクタイまで、玉村さんのとおなじです。ふたりの玉村さんが、むかいあって、一メートルのちかさで、顔をにらみあって、立ちはだかっているのです。

 じつにふしぎなありさまでした。じっと見ていますと、どちらがほんもので、どちらがにせものだか、わからなくなってきます。

 こんなにもよくにた人間が、この世にあるものでしょうか。超人ニコラ博士の魔術にちがいありません。しかし、このおそろしい魔術は、いったい、どんな種があるのでしょうか。

 玉村さんも、そこに気がつきました。このまま、じっとしていたら、箱からでてきた男が、じぶんになりすまし、じぶんは箱づめになって、どこかへ、つれさられるのにちがいないと、気がついたのです。

 店にはおおぜいの店員がいます。大声でたすけをもとめたら、すぐにかけつけてくるはずです。

 玉村さんは、口をいっぱいにひらいてわめき声をたてようとしました。

 しかし、そのときはもうおそかったのです。いっぱいにひらいた口に、パッと、白いハンカチのようなものが、とびついて、ふたをしてしまいました。小林少年が、うしろから手をまわして、麻酔薬をしませたきれを、玉村さんの口と鼻に、おしつけたのです。

 それからあとは、手ばやくパタパタとことがはこばれてしまいました。

 麻酔薬で気をうしなった玉村さんは、木箱の中にねかされ、箱のふたがくぎづけになりました。

 にせの玉村さんは、ゆったりと安楽あんらくいすにこしかけて、さも社長さんらしい口ぶりで、さしずをしました。

「小林君、ドアをあけて、店のものをよんでくださらんか。」

 小林少年は、いうまでもなく、これもにせものですが、さっきのかぎをポケットからだして、ドアをひらき、

「店のかた、ちょっときてください。」

と、声をかけました。

 ひとりの若い店員が、いそいではいってきました。

「じつにけしからん。きみ、これをすぐに、もってかえってください。こんなにせものに、ごまかされるわしじゃあない。」

といって、いまはいってきた店員のほうにむきなおり、

「この人をおくりだしてくれたまえ。この人は、とんだごまかしものを、もちこんできたのだ。」

 ブローカーの男は、首うなだれて、ふたりの運送屋に木箱をはこばせ、しおしおと店をでていきました。

 外にはトラックがまたせてあったので、木箱をそれにのせ、ブローカーもそのわきにのって、トラックは、どことも知れず、走りさってしまいました。


さいごのひとり


 さて、銀座の店で、玉村銀之助さんが、にせものといれかえられたあくる日の夕方、渋谷区の玉村さんの家に、またしても、おそろしいことがおこったのです。

 にせものの光子さんと、銀一君は、一階の子ども部屋の窓から、庭をながめていました。あたりはもううす暗くなっていて、木のしげった中は、まっくらです。

 そのまっくらな中で、チラッと、金色のものが動いたのです。ふたりは、それを見つめていました。

「なにを見ているんだね。庭になにかいるのかね。」

 ふりむくと、そこにおとうさんの銀之助さんが立っていて、にこにこ笑っていました。いうまでもなく、このおとうさんも、にせものなのです。

「木の下に金色のものが見えたんです。」

 銀一君がこたえました。

「えっ、金色のものだって?」

「ええ、きっとあいつですよ。ね、あの金色のトラですよ。」

 そのとき、家の横から、人の姿があらわれ、庭のむこうのほうへ、歩いていくのが見えました。洋服をきた女の姿です。

「あっ、おかあさんだわ。どうして庭へ出ていらっしゃったのでしょう。」

 光子さんが、ふしぎそうに、つぶやきました。

「あっ、庭のへいの戸がひらいた。だれかはいってくる。おかあさんはきっと、あの人にあいにいったんだよ。」

 銀一君が大きな声でいいました。

 おかあさんのあき子さんは、夕やみの中を、いそぎ足で、裏口のほうへ、すすんでいきます。そこから、はいってきた男に、約束でもしてあったのでしょう。

 あき子さんの歩いていく左がわに、大きな木のしげったところがあり、その中はまっくらです。

「あっ!」

 光子さんも、銀一君も、おとうさんも、おなじように、おどろきの声をたてました。

 木のしげみの中に、ピカッと光ったものがあるからです。

 やがて、そのものが全身をあらわしたのを見ると、やっぱりあのおそろしい金色のトラでした。

 そいつは、ノソノソと木のしげみから、はいだしてきて、ウオーッと、ものすごいうなり声をたてるのでした。

 おかあさんのあき子さんは、ハッとして、そのほうを見ましたが、見たかと思うと、クナクナと、くずれるように、その場にたおれてしまいました。

 それを窓からながめた、おとうさんも、光子、銀一のきょうだいも、ふつうならば、なんとかしておかあさんをたすけようと、とびだしていったのでしょうが、三人ともにせものですから、おかあさんがたおれたって、へいきです。

 おとうさんと、ふたりの子どもは顔を見あわせて、ニンマリと笑いました。ああ、なんという、無慈悲むじひな笑い顔だったでしょう。

 庭のむこうでは、裏口から、さっきの男のほかに、もうひとり、はいってくるのが見えました。

 男たちは、たおれているあき子さんのそばによると、そのからだをふたりでかかえて、裏口の外へ出ていきます。

 あの金色のトラは、あき子さんをきぜつさせてしまえば、もう用事はないのでしょう。また、木のしげみのくらやみの中に、姿をかくしてしまいました。

 窓の三人は、もう一度、顔を見あわせて、ニンマリと笑いました。三人とも、あき子さんが、どんなめにあうのか、ちゃんと知っているらしいのです。

 裏口のへいの外には、一台の自動車がとまっていました。ふたりの男は、その車のドアをひらいて、はこびだしてきたあき子さんのからだを、中にいれました。

 すると、それといれちがいに、車の中から、あき子さんが、とびだしてきました。気をうしなっていたあき子さんが、きゅうに、正気しょうきづいて、いれられたばかりの車から、出てきたのでしょうか。

 いや、そうではありません。車の中をのぞいてみますと、そこのシートに、あき子さんが目をつむって、たおれているではありませんか。

 車から出てきたのは、あき子さんとそっくりの顔をした、べつの女なのです。ニコラ博士の魔法が、またしても、にせものをつくりだしたのです。

 ふたりの男が、車の中にはいると、自動車はしずかに、すべりだし、どこともしれず、走りさってしまいました。

 あき子さんとおなじ顔をして、おなじ服をきた女は、裏口をはいると、そこの戸をしめて、ゆっくり、こちらへちかづいてきました。

 じつによくにています。男たちに、かつぎだされたあき子さんが、そのまま、もどってきたとしか思われません。

 あき子さんは、窓の下までくると、そこからのぞいている三人を見あげて、ニッコリと笑いました。

「あき子、話があるから、あがっていらっしゃい。」

 玉村さんが、声をかけました。これで玉村家の家族はぜんぶにせものにかわってしまったのです。

 しかし、四人とも、おたがいにそれを知りながら、まるでほんもののように、はなしあっているのでした。


日本中の宝石


 それからしばらくすると、玉村さんと、あき子夫人と、光子さんと、銀一君の四人は、玉村さんの書斎にあつまっていました。

 その部屋の一方の壁に、大きな金庫がはめこんであります。にせの玉村さんは、ダイヤルの暗号を、ちゃんと知っていて、それをまわして、金庫をひらきました。

 金庫の中には、たくさんのひきだしがついていて、それに宝石がいっぱいはいっているのです。

 銀座の店においてあるのは、ありふれた宝石ばかりで、ほんとうにたいせつな宝石は、みんなこの金庫にしまってあるのです。店にある宝石でも、ひとつ百万円以上のものは、まい日かばんにいれてもちかえり、この金庫にしまっておくことになっていました。

「このひきだしには、何百という宝石がはいっている。十億円をこすわしの財産だ。どこへもっていこうと、わしの自由な財産だ。わかったかね。

 この宝石のために、われわれは、こうしてはたらいているのだ。いや、ここにある宝石だけではない。宝石王玉村銀之助の信用を利用して、日本全国のめぼしい宝石を、すっかりあつめてしまおうというのが、ニコラ博士の計画だ。」

「どうして、あつめるのでしょうか。」

 にせのあき子夫人が、ききかえしました。

「それには、こういう方法がある。まず、わしが主催者になって、全国の宝石商や、有名な宝石をもっているお金持ちによびかけて、宝石展覧会をひらくのだ。そして、日本のめぼしい宝石を、一ヵ所にあつめてしまうのだ。

 展覧会をひらいているあいだに、出品されたぜんぶの宝石のにせものをつくるのだ。人間のにせものさえこしらえるニコラ博士のことだ、宝石のにせものぐらい、朝めし前だよ。そのにせものと、ほんものと、すりかえてしまう。わしは展覧会の主催者だから、すりかえるのは、わけもないことだからね。」

「ふーん、うまい考えですね。そうして展覧会の宝石をすりかえたあとは、わたしたちは、この世から消えうせてしまうのでしょうね。」

「そうだよ。そこで、われわれにせものの役目は、おわるのだ。」

 にせの玉村さんは、金庫のとびらをしめると、ベルをおして、女中さんをよび、ばんごはんの用意をするように、いいつけました。玉村家にはコックのおばさんがいて、毎日おいしいごちそうをつくっているのです。

 しばらくすると、四人は食堂のテーブルにむかって、食事をしていました。おいしい洋食のおさらが、つぎつぎとはこばれます。

 玉村家の書生さんも、女中さんも、コックのおばさんも、玉村さんたち四人が、ぜんぶにせものとは、すこしも気がつきません。いつものご主人たちと信じきって、いいつけに、そむかないようにしていました。

「もうこれで、すっかり安心ですね。そのせいか、こんやのごちそうは、たいへん、おいしゅうございますわ。」

 あき子夫人が、フォークで肉を口にはこびながら、たのしそうにいいました。

「うん、そうだね。わしも、このブドウ酒が、いつもよりもうまいようだ。それにしても宝石展覧会を、はやくひらきたいものだね。」

「ぼくたちも、その展覧会が、はやく見たいよ。ねえ、ねえさん。」

「ええ、日本中の有名な宝石が、ぜんぶあつまったら、どんなにきれいでしょうね。」

 そのとき、女中さんがはいってきて、明智探偵の助手の小林少年が、たずねてきたことを知らせました。

「ああ、それはちょうどいい。ここにおとおししなさい。」

 小林少年のにこにこ顔があらわれ、テーブルにすわりますと、そこに新しい料理のさらがはこばれ、小林君も食事のなかまにくわわりました。

「玉村さん、銀一君の友だちの松井君が、へんなことをいってきたので、ぼくも一度は光子さんや銀一君をうたがいましたが、みんな松井君のひとりがてんだとわかりました。同じ顔の人間が、この世にふたりいるなんて考えられないことですからね。」

「そうですよ、小林さん。そんなばかなこと、あるはずがないやね。おかげで、わしもすっかり安心しましたよ。」

 玉村さんはそういって、さっきの宝石展覧会の話をしました。

「そりゃすばらしいですね。日本中の名だかい宝石を、ぜんぶあつめる展覧会なんて、これまで一度もなかったでしょう。ぼくも見にいきますよ。どんなに美しいことでしょうね。」

 もちろん、この小林少年もにせものです。五人のにせものが、同じテーブルをかこんで、さもほんものらしく、たのしげに語りあっているのです。


空飛ぶ超人ちょうじん


 お話かわって、やはりそのころの、ある夜のことでした。

 少年探偵団のおもな少年たち十人が、芝公園の森の中にあつまっていました。

 その十人のなかには、小林団長と、中学二年の白井保君もまじっていました。白井君は銀座の白井美術店の子どもなのです。読者諸君はこの白井保君の名を、どこかで読まれたでしょう。ひとつ思いだしてみてください。

 少年たちは小林団長のまわりを、まるくとりかこんでいました。空には満月にちかい月がさえて、みんなの顔を青白くてらしています。

「こんやここにあつまったのは、この森の中におこる、ふしぎなできごとを見るためです。きみたちは、映画やテレビで、アメリカのスーパーマンが空を飛ぶのを見たことがあるでしょう。あれとよくにたスーパーマンが、日本にもあらわれたのです。

 ここにいる白井保君が、そのスーパーマンの空を飛ぶところを見たのです。そして、その人と話をしました。その人は、超人ニコラ博士と名のったそうです。」

「あ、超人ニコラ……。」

「ニコラ博士……。」

 少年たちが、口々に、つぶやきました。超人ニコラ博士の名は、いつとはなく、少年探偵団員たちに知れわたっていたのです。

「ニコラ博士は白井君に約束しました。こんや八時に、芝公園のこの森の中に飛んでくるから、少年探偵団の友だちをさそって見にくるがいいといったそうです。

 ぼくも、べつのときに、ニコラ博士にあったことがあります。そのとき、博士は長い白ひげを胸にたれた老人でした。しかし、博士のほんとうの姿はわかりません。自由に顔かたちをかえることができるからです。あるときは人形のような顔をしていたといいます。白井君があったときには、どんな顔をしていたのですか。」

「まっかな顔をしていました。かみの毛も、まゆ毛も白くて白いひげをはやしていました。むかしの絵にあるテングにそっくりでした。」

「そうだ、日本のテングも空を飛ぶことができた。だから、博士はテングの姿になって、飛んでみせるのだよ。」

 ニコラ博士が、どういう悪事をはたらいているか、少年たちには、まだよくわかりません。ですから、これを警察に知らせて、博士をつかまえるということは、考えてもみないのでした。それよりも、スーパーマンが空を飛ぶのを、見たくてたまらなかったのです。

「いま七時五十分だ。森の中にはいって、まつことにしよう。月の光であかるいから、空飛ぶ博士が、よく見えるだろう。」

 十人の少年たちは、ゾロゾロと森の中にはいっていきました。高い木が立ちならんでいるあいだに、まるい空地があります。

「約束の場所は、ここだよ。」

 白井君がそういって、みんなの歩くのをとめました。

 十人は空地の一方のすみに、ひとかたまりになって、ボソボソと、ささやきあっています。

「八時五分前だよ。」

 小林団長が、腕時計を月の光にすかして見ながら、いいました。

 もうあと四分、……三分、……二分、……一分。八時はまたたくまに、ちかづいてきました。

「あっ、飛んでくる。ほら……。」

 ひとりの少年が、空を指さして、さけびました。

 ああ、ごらんなさい。むこうの空から、一直線に飛んでくるのです。黒いマントを、コウモリの羽のようにひるがえし、フサフサとした白ひげを風になびかせながら、両手をまっすぐ前につきだして、水の中をおよぐように、こちらへ、ちかづいてくるのです。

「あっ、赤い顔してる。でっかい鼻がついている。テングさまそっくりだ。」

 もう、そこまで見わけられるのです。

 空飛ぶ超人は、一本の高いスギの木のてっぺんにちかづくと、そのこずえの枝に、こしかけました。

「あなたは、ニコラ博士ですか。」

 白井君が、大きな声でたずねました。

「そうだよ。きみたちは少年探偵団だね。」

「そうです。ここへおりてきませんか。」

 こんどは、小林団長がさけびました。

「きみは、小林君だね。」

「そうです。」

「じゃあ、そこへいくよ。」

 ニコラ博士は、サルのように、木の枝をつたいながら、少年たちのそばにおりてきました。

 ほんとうに、まっかなテングさまの顔です。頭には、針金のような白いかみの毛が、モジャモジャとみだれています。

 肩から黒いマントをヒラヒラさせて、その下には、ピッタリ身についた黒いシャツとズボンをはいているようです。

 少年たちは、そのぶきみな姿に、思わず、あとじさりをしました。

「わしは、きみたちのような少年がすきだ。なにもしないから、こわがることはない。さあ、わしについて、こちらへくるがいい。きみたちに、おもしろいものを見せてやるよ。」

 こわい顔をしていますが、いうことはやさしいので、少年たちは、だんだんニコラ博士のほうへ、ちかよっていきました。

 すると、博士は、

「さあ、わしについてくるのだ。」

といいながら、森のおくへと、はいっていきます。

 十人の少年たちは、あとにつづきました。枝がしげりあっているので、月の光もささず、そのへんはもうまっくらです。

 ニコラ博士は、フワフワと、ちゅうにうくように、歩いていきます。やみのなかでも、博士の姿だけは、クッキリと見えるのです。

「あっ。」

 びっくりするようなさけび声が、ひびきわたりました。ひとりや、ふたりの声ではありません。十人の少年が、一度にさけんだような、おそろしい声でした。

 少年たちの足の下の地面が、消えてしまったのです。あっというまに、十人のからだが、下へおちていきました。

 ドシンと、しりもちをついたところは、木の葉がいっぱいたまっていて、それほどいたくはありませんでした。

 しかし、それはふかい穴の底で、とても、はいあがることはできません。

「ワハハハハ……、ざまあみろ。少年探偵団は、なまいきにも、わしの正体を探偵しようとした。わしにはそれがちゃんとわかっていたので、ちょっと、おかえしをしたんだよ。ワハハハハ……、いいきみだ。いつまでも、その穴の中でくるしむがいい。」

 ニコラ博士の笑い声は、だんだん、上のほうへ、とおざかっていきました。さっきのスギの木にのぼっていったのでしょう。

 それからしばらくすると、スギの木のてっぺんから、大きなコウモリのようなものが、月夜の空へ飛びたっていくのが、ながめられました。むろん超人ニコラ博士の飛行姿です。

 十人の少年がおちこんだのは、ニコラ博士が、まえもってこしらえておいた、おとし穴でした。大きな穴の上にかれ枝をならべ、その上に木の葉をつみかさねて、穴とわからないようにしてあったのです。

 少年たちは、なかまの背中にのって、やっと穴の外にはいだし、こんどは、その上から手をのばして、なかまの少年たちを、ひっぱりあげるというやりかたで、とうとう、みんなが穴の外に出ることができました。

 それにしても、少年たちを、ここにつれだしたのは小林団長と白井保君でした。このふたりが、とっくににせものにかわっていることは、読者諸君がよくごぞんじですね。にせものは、つまり博士の手下ですから、少年たちをくるしめる手びきをしたのは、あたりまえです。


一本の針金


 ところで、ほんとうの小林君は、ニコラ博士の手下の、ふたりの男につれられて、地下室の牢屋の中へいれられてしまいました。

 そのおなじ地下室には、玉村銀一君や、白井美術店の子どもの白井保君なども、とじこめられていたのですが、小林君のいれられた牢屋は、銀一君たちの牢屋とは、すこしはなれていましたので、小林君は、まだなにも知りません。

 ふたりの男が、小林君を牢屋にいれて、鉄ごうしにかぎをかけて、いってしまいますと、それといれかわるように、鉄ごうしの外へ、白ひげの老人が、あらわれました。さっきまでトラにばけていたニコラ博士が、こんどは老人に姿をかえているのです。

「小林君、少年名探偵も、いくじがないねえ。まんまと、つかまってしまったじゃないか。しばらく、ここにいてもらうよ。ひもじいおもいなんかさせないから、ゆっくり、とまっていくがいい。」

「なぜ、ぼくをとじこめたのですか。」

 小林君は、鉄ごうしに顔をくっつけるようにして、ききただしました。

「きみが、じゃまだからさ。わしが、おもうぞんぶんのことをやるのには、きみはじゃまものだ。いや、きみばかりじゃない。きみの先生の明智小五郎も、むろん、じゃまものだ。だから明智が北海道から、かえってきたら、やっぱり、ここに、とじこめてしまうつもりだよ。」

「えっ、明智先生を?」

 小林君は、おもわず、大きな声をたてました。

「そうとも、わしは日本にきて、まもないが、明智小五郎のことは、よく知っている。日本で、なにかわるいことをするためには、まず、明智をやっつけなければならない。そうしなければ、こっちが、あいつにやられてしまうのだからね。ウフフフフ……。」

「明智先生が、きみなんかに、つかまるもんか。」

 小林君は、顔をまっかにして、どなりました。

「ハハハハハ……、きみにとっちゃあ、神さまみたいな明智先生だからね。オールマイティーだからね。だが、このニコラ博士はそれ以上の力をもっているのだ。スーパーマンだ。ワハハハハ……、スーパーマンとオールマイティーの戦いだ。ゆかい、ゆかい、かんがえただけでも、胸がおどるよ。」

「ハハハハハ……。」

 小林君も、まけないで、笑いとばしました。

「きみは明智先生を知らないのだ。きみみたいなおいぼれに、まけるような先生じゃない。いまに、びっくりするときがくるよ。」

「ウフフフフ……、小林君、なかなか、いせいがいいね。なあに、どちらが、びっくりするか、そのときになってみれば、わかることだ。それよりも、小林君、きみがここにとじこめられているあいだに、もうひとりのきみが、なにをしているか、知っているかね。」

「えっ、もうひとりのぼくだって?」

「そうとも、顔もからだも、きみとそっくりのやつが、もうひとりいるんだ。そして、きみのかわりに、だいじなしごとをやっているのだ。」

 それをきくと、小林君は「しまった」とおもいました。小林君がこの事件にかかりあったのは、玉村銀一君が、にせものといれかわっているらしいことからでした。ニコラ博士は、なんかの魔力によって、ほんものと、全然ちがわない、にせの人間を、つくりだすことができるのかもしれません。そして、こんどは、小林君が、その魔力にかかったのです。小林君とそっくりの少年が、どこかに、もうひとり、いるらしいのです。

「ウフフフフ……、顔色がかわったね。おどろいたか。ニコラ博士の魔法が、こわくなったか。もうひとりのきみは、いま、あるところで、わしの命令のままに、はたらいているのだ。

 え、わかるかね。きみがよびだせば、少年探偵団員は、みんな、あつまってくる。そして、きみのいうことには、なんでも、したがうのだ。

 にせの小林は、なにを命令するかわからない。だから、少年探偵団員は、どんなひどいめにあうかも、わからない。いや、そんなことよりも、にせの小林は、もっともっと、おそろしい悪事をはたらいているかもしれないよ。

 オールマイティーの明智先生だって、きみとそっくりの少年のいうことなら、信用するにちがいない。そうすると、どんなことがおこるだろうね。……え、小林君。にせの小林という武器をつかえば、オールマイティーが、オールマイティーでなくなってしまうのだよ。ハハハハハ……。」

 ニコラ博士は、その笑い声をのこして、鉄ごうしの前から、むこうへ立ちさっていきました。

 小林君は、すっかり、まいってしまいました。

 じぶんとそっくりのにせものが、どっかで悪事をはたらいているのかとおもうと、気が気ではありません。しかも、その悪事が、どんなことだかわからないのですから、いよいよ心配です。

 明智先生が北海道からかえられる日も、ちかづいています。もし、にせものが先生を出むかえて、うそをついたら、どんな危険なことがおこるかしれません。

 考えれば、考えるほど、心配でしかたがありません。

 いっこくも早く、ここからにげだし、にせもののばけのかわをはいで、わるいことのおこるのを、ふせがなければなりません。

 どうしたら、ここをにげだすことができるでしょう。小林君は、しばらくのあいだ、しんけんな顔で、かんがえていましたが、やがて、なにをおもいついたのか、ニッコリと笑いました。

「あっ、そうだ。こういうときに、あれをつかうのだ。」

 そんなひとりごとをいいながら、ポケットから、つつのようにまるめた、レザーのシースをとりだし、鉄ごうしの外から、のぞかれやしないかと、注意しながら、そのシースをひらきました。

 それは電気工事をやる人が、腰にさげている皮のシースを小さくしたようなもので、小型のナイフ、ペンチ、ヤットコなどがさしてあり、また、ふといのや、ほそいのや、十センチあまりの針金が、何本もいれてあるのでした。少年探偵団の七つ道具のほかに、小林団長だけは、いつもこのシースを、用意しているのです。

 小林君は、鉄ごうしのとびらの外がわの錠前じょうまえの穴をしらべて、それに合うふとさの針金をえらびだし、ヤットコを片手に、針金ざいくをはじめました。

 針金を、錠前の穴にいれて、なにかコチコチやっていたかとおもうと、それをとりだして、さきのところを、ヤットコでキュッとまげ、また穴にはめて、コチコチやってから、とりだして、キュッとまげ、それをなんども、くりかえして、針金を、ふくざつな、かぎのような形に、まげてしまいました。

 こうして、とっさのあいかぎができあがったのです。もとは、錠前やぶりのどろぼうが、かんがえだしたのですが、明智探偵はそれのつくりかたを知っていて、助手の小林少年におしえておいたのです。

 この針金のあいかぎをつくるのには、いろいろなコツがあって、ひじょうにむずかしいのですが、小林君は、練習をかさねて、いまでは、それができるようになっていました。

 玉村さんのへいの外で、金色のトラにであったのは午後八時ごろでしたから、いまはもう、真夜中です。ニコラ博士や、その手下のやつらは、もうねてしまったのでしょう。耳をすますと、シーンとしずまりかえっていて、なんのもの音もありません。小林君は、にげるのは、いまだとおもいました。

 かぎのようになった針金を、錠前の穴にいれて、しずかにまわしますと、カチッと音がして、錠がはずれました。

 そっと鉄ごうしのとびらをひらいて、外に出ると、もとのとおりにしめて、針金で、かぎをかけました。

 あとで、小林君がいないことがわかっても、錠前はもとのとおりに、しまっているのですから、どうして出ていったかわからないので、びっくりするにちがいありません。こんどは、小林君のほうが魔法つかいになったわけです。

 廊下のところどころに、小さな電灯がついているばかりなので、ひどくうすぐらいのです。どちらへいけば、外に出られるのか、まるで、けんとうもつきません。

 小林君は、まず右のほうへいってみることにして、壁をつたうようにして、しずかに歩いていきました。

 もしこのとき、小林君が右ではなくて左のほうへいったならば、そこに、じぶんがいれられていたのとおなじような、鉄ごうしの牢屋が、いくつもならんでいて、その中に、玉村銀一君などが、とじこめられているのを、みつけだしたでしょうが、そのときは、はんたいの方角へ、歩いていったのです。そして、そのかわりに、もっともっとおそろしいことに、ぶつかってしまったのです。


三重の秘密室


 そこは、秘密の地下室ですから、コンクリートをながしこんだばかりの、ザラザラの灰色の壁がつづいています。

 小林君は、足音をしのばせながら、その壁をつたって、おくへおくへと、すすんでいきました。うすぐらい廊下には、ところどころに、ドアがしまっています。ドアにでくわすたびに、そこに耳をつけるようにして、中のもの音をきこうとしましたが、人がいるのか、いないのか、なにもきこえません。

 音のしないドアを三つすぎて、四つめにちかづきますと、ボソボソと、だれかの話し声がもれてくるではありませんか。

 かぎ穴に目をあててみると、中には、あかあかと電灯がついていて、いすにかけた人の、うしろ姿が見えます。ひとりではありません。二─三人の人間が、テーブルにむかいあって、話をしているらしいのです。

「ぼくたちは、みょうなことから、先生の弟子になりましたが、先生の魔法の力には、まったくおどろいてしまいました。そっくりおなじ人間を、いくらでも、こしらえることができるなんて、人間の知恵ではありません。神さまか、悪魔の知恵です。あの三重の秘密室の中には、いったい、どんなしかけがあるのですか。」

 手下の男の声です。「三重の秘密室」とは、なにをさすのでしょう。

 読者諸君は、この地下の牢屋が、二重の秘密室であることを、ごぞんじでしょう。玉村銀一君がニコラ博士にかどわかされたとき、まず地下室の物置きにはいり、そこの壁のボタンをおして、二重の秘密室にはいったのでした。そこまではわかっています。しかし、「三重の秘密室」が、どこにあるかは、まだわかりません。たぶん、二重の秘密室の、もうひとつおくの、秘密室なのでしょう。

 その「三重の秘密室」には、手下の男たちも、はいったことがないらしく、その中に、どんな秘密があるのかと、きいているのです。

「それは、まだいえない。いつかは、きみたちにもおしえるときがくるだろうが、いまはいえない。そこには、わしの魔法の種が、かくしてあるのだ。

 ともかく、そこからは、ほんものとそっくりのにせものが、うまれてくる。いくらでも、うまれてくるのだ。」

「では、先生は、ほんものと、にせものと、人間のいれかえをやって、なにをしようというのですか。」

「それは、きみたちも、知っているじゃないか。まず宝石展覧会をひらくのだよ。にせの玉村銀之助にひらかせるのだ。玉村の信用で、日本全国の宝石があつまってくる。それをひとばんのうちに、にせ宝石といれかえて、ほんものはぜんぶ、わしがちょうだいするのだよ。」

 ニコラ博士の声です。この宝石展覧会のたくらみも、読者諸君は、とっくに、ごぞんじのはずですね。

「宝石を手にいれたら、そのつぎには美術品ですか。」

 また、べつの声がたずねます。

「そのとおり。だが、これは宝石みたいに、ぜんぶ一ヵ所にあつめるというわけにはいかん。まず美術商のもっているものからはじめて、それから、各地の博物館や、お寺の宝物ほうもつなどに手をのばしていく。

 美術商の主人を、わしのつくったにせものといれかえ、博物館の館長や館員を、にせものといれかえ、お寺の坊さんを、にせものといれかえれば、美術品をぬすみだすなどわけもないことだよ。ウフフフフ……。」

 ニコラ博士が、うすきみわるく笑いました。

「それでおしまいですか。先生の魔法でなら、どんなことだって、できないことはないようにおもわれますが。」

「たとえば?」

 ニコラ博士は、弟子たちの知恵をためしでもするかのように、ききかえしました。

「たとえば、ある国を、のっとることも、かんたんにできるでしょうし、また、ある国をほろぼすこともできるでしょう。」

「ふーん、きみは大きなことを、かんがえているね。では、ある国をのっとるには、どうすればいいんだね。」

 ニコラ博士は、自分はよく知っているけれども、あいてに、しゃべらせてみようというようなちょうしで、たずねます。

「それは、その国の総理大臣や、政党の首領などを、にせものといれかえればいいのです。そうすれば、その国のことは、いっさい、にせものの、おもうままになるじゃありませんか。

 ある国をほろぼすのも、おなじことです。にせものの総理大臣や、政党の首領や、軍隊の長官が、めちゃくちゃをやれば、その国は、たちまち、ほろんでしまいます。」

「なるほど、だれでもかんがえることだね。わしの魔法の力によれば、どんな大きなことだって、できないことはない。わしは世界をかえてしまうことができる。世界をてんぷくさせることができる。また、ナポレオンのように、世界を征服することもできる。

 もっとおそろしいことをいうならば、にせものの力で、原水爆の秘密をぬすむこともできるし、また、にせものによって、ふいに原水爆を爆発させることだってできるのだ。

 人間のにせものを、自由に、うみだす力をもっているわしの字引きには、〝できない〟ということばはないのだ。

 わしはいま、日本の宝石と美術品をわがものとするために、この魔力をつかおうとしているが、そのつぎには、日本そのものを、ぬすむかもしれない。いや、世界をてんぷくし、世界をぬすむかもしれない。もっとちがったいいかたをすれば、地球全体を、わしのものにしてしまうかもしれない。」

 ニコラ博士は、うちょうてんになって、じぶんの魔力をじまんするのでした。

 小林君は、この会話を立ちぎきして、心の底からおどろいてしまいました。

 いかにも、だれのにせものでも、自由につくりだす力があれば、全世界をぬすむことだって、できないことはありません。ああ、なんというおそろしいことでしょう。

 それにしても、その魔法の種のかくされている「三重の秘密室」というのは、いったい、どこにあるのでしょうか。

 小林君は、なんとかして、その「三重の秘密室」にはいりたいとおもいました。

 こんきよく、ニコラ博士をつけまわしていれば、いつかは、その秘密室にはいるにちがいありません。小林君は、あいてにさとられぬように、ニコラ博士を見はってやろうと考えました。

 それには、ゆっくりことをはこぶほかはありません。このまま牢屋をからっぽにしておいては、にげだしたことを気づかれ、あいてを用心させてしまいますから、ひとまず、牢屋にもどらなければなりません。小林君は、針金のかぎで錠をひらいて、もとの牢屋の中にはいりました。

 地下室には、夜も昼もありませんが、ニコラ博士の手下が食事をはこんでくるので、だいたいの時間がわかります。三度の食事がすめば、夜になり、見まわりも、とだえますので、それをまって、こっそり牢屋をぬけだし、ニコラ博士をみはることにしました。

 小林君は、ニコラ博士の寝室をみつけたいとおもいました。なんとなく、寝室のどこかに、「三重の秘密室」への通路が、かくされているようにおもわれたからです。

 やっと博士の寝室がみつかりました。おなじ地下室の一方のすみにある、小さな部屋で、ベッドと、つくえと、たんすがおいてあり、ニコラ博士は、その部屋で、ひとりで寝ることがわかりました。

 ところが、この寝室に、ふしぎなことがおこったのです。

 小林君がとらえられてから三日めの夜のことでした。ニコラ博士の寝室がわかったので、廊下のまがりかどにかくれて、そのほうを見はっていますと、ニコラ博士が寝室へはいっていくのが見えました。

 あとから、だれかくるといけないので、しばらく、ようすを見てから、寝室の前にいき、ドアのかぎ穴から、そっとのぞいてみますと、寝室の中には、人のけはいもありません。

 ベッドの半分と、机と、いすが見えていますが、そこにはだれもいないのです。かぎ穴から、部屋のぜんぶが見えるわけではありませんけれど、なんとなく、からっぽのかんじがするのです。

 小林君は、おもいきって、そっとドアをひらいてみました。だれもいません。部屋の中へはいって、ベッドの下、机の下、たんすのうしろなどを、のぞいてみました。やっぱり、だれもいません。

 ふしぎです。ニコラ博士が、この寝室にはいって、ドアをしめてから、ずっとドアを見ていました。博士が出ていけば、気がつかぬはずはありません。

 壁か床に、秘密のぬけ穴でもあるのではないかと、さがしまわっていますと、どこからか、ドドドド……と、地ひびきのような音がきこえ、寝室ぜんたいが、かすかに、ふるえているようなかんじがします。

 地震かとおもいましたが、どうもそうではなさそうです。

 そのうちに、ギョッとするようなことに気がつきました。

 しまっている入口のドアが、グングン下へさがっていくのです。というのは、つまり、部屋の床が、上へ上へと、あがっていくことなのです。

 そのうちに、下へさがっていったドアが、すっかり見えなくなったかとおもうと、こんどは、上のほうから、べつのドアがさがってくるではありませんか。ドアだけではなく、壁もいっしょに、さがってくるのです。

 ああ、わかりました。このニコラ博士の寝室は、部屋ぜんたいが、エレベーターのしかけになっているのです。ドアがさがったのではなくて、部屋そのものが上にあがり、一階上のドアと、ピッタリ合うところで、とまったのです。


箱の中


 この寝室は、まったくおなじ部屋が、上と下に二重にくっついているのです。

 ニコラ博士がはいったのは、下の部屋でした。それがエレベーターのしかけで、下へおりていって、小林君がしのびこんだときには、いつのまにか、上の部屋とかわっていたのです。

 ですから、そこに博士の姿が見えなかったのは、なんのふしぎもありません。そのとき博士のいる寝室は、地下室のもう一つ下の地下室、つまり地下二階へおりていって、小林君がしのびこんだのは、それとそっくりおなじにできている、上のほうの部屋だったのです。

 ニコラ博士は、寝室全体のエレベーターを、下におろして、地下二階へおりていったのにちがいありません。しかし、そこには、いったい、なにがかくされているのでしょうか。

 これほど大じかけな、秘密の出入り口をつくって、だれもはいれないようにしてあるところをみると、この地下二階には、よほどの秘密が、かくされているのにちがいありません。

 小林君は、それを考えると、なんだか、からだじゅうの、うぶ毛が、ゾーッとさかだってくるような、いうにいわれないおそろしさをかんじました。

 小林君のはいった部屋は、地下一階から、一つ上にあがったのですから、いまいるところは、一階にちがいありません。

 小林君は気がつきました。この部屋は、エレベーターじかけで、下におりても、地下一階までしかおりないのですから、いつまでこの部屋にいても、地下二階の秘密をさぐることはできないと、気がついたのです。

 ですから、いま、この部屋のドアをひらいて、一階に出て、ふつうの地下室におり、あの壁のボタンをおして、秘密の出入り口から、地下一階におり、ニコラ博士の寝室にしのびこむほかはありません。つまり、この部屋の真下にある、そっくりおなじ、もう一つの部屋にいくのには、そうするほかはないのです。

 そのみちで、ニコラ博士の部下にみつかってはたいへんです。小林君は用心のうえにも用心をして、廊下から、廊下へと、しのび歩き、地下室の入口をみつけて、そこにおり、がらくたものがおいてある、つきあたりの部屋の壁のボタンをおして、地下一階におり、ニコラ博士の寝室へ、たどりつきました。

 上下に二つつながっている、おなじ部屋の上のほうを出て、大まわりをして、下のほうの部屋まできたわけです。

 かぎ穴からのぞいてみますと、だれもいません。ニコラ博士は、地下二階におりて、用事をすませ、地下一階にもどって、部屋を出ていったのでしょう。ドアにはかぎがかかっていました。

 小林君は、また、針金をいろいろにまげて、錠前やぶりをしなければなりませんでした。

 五分ほどかかって、やっとドアがひらきました。部屋にはいってドアをしめ、ベッドの下や、たんすのうしろなどを、よくしらべましたが、どこにも人間がかくれているようすはありません。

 小林君は、もう一度、この部屋を地下二階におろして、そこの秘密をさぐりたいと思いましたが、どうすれば、下におりるのかわかりません。どこかに、スイッチか、おしボタンがあるのでしょうが、それをさがすのがたいへんです。

 しかし少年探偵の小林君は、こういうことになれていました。かくしボタンなどは、どういう場所をさがせばいいか、いままでのたくさんの経験で、だいたいわかっているのです。

 それでも、かくしボタンをみつけるのに、八分ほどかかりました。入口のドアには、中から針金で、かぎをかけておいて、さがしまわったのですが、ふいに、だれかがやってきやしないかと、気が気ではありません。

 でも、うまいぐあいに、かくしボタンがみつかりました。ベッドの下のジュウタンの一ヵ所が、プクッと小さくふくれているのに気づいて、足でふんでみますと、それがかくしボタンでした。やにわに、部屋全体が、ブルブルふるえだしたのです。つまり、エレベーターがおりはじめたのです。

 やがて、エレベーターがとまるのをまって、小林君は、針金のかぎで、ドアをひらき、そっと地下二階の廊下へふみだしました。

 どこかに電灯はついているのですが、ひじょうにうすぐらくて、あたりのようすが、よくわかりません。

 どこからか、つめたい風が、スーッとふいてきました。幽霊の手で顔をなでられたような気持です。小林君は、ブルブルッと、身ぶるいして、そこに立ちすくんでしまいました。

 なんともいえないぶきみさです。人間界をはなれて死の国にはいってきたような、ふしぎなおそろしさです。

 ここには、いったい、どんな秘密が、かくされているのでしょう。それを考えただけでも、心臓がドキドキしてきます。

 そのうちに、目がなれてきて、あたりが見えるようになりました。

 コンクリートの壁、コンクリートの床、なんのかざりもない灰色の廊下が、つづいています。おっかなびっくりで、その廊下を、たどっていきますと、やがて、両がわに、たてにながいロッカーが、ズラッとならんでいるところにきました。

 ロッカーににているけれども、ふつうのロッカーよりは、幅が広く、人間ひとり、じゅうぶんはいれるほどの大きさで、なんだか、気味のわるいかっこうをしています。まるで、かんおけをたてにして、ならべたようなかんじです。

 このふしぎなロッカーは、両がわに、あわせて三十個ほどならんでいましたが、そのとびらには、小さいネーム・プレートがついていて、エナメルで、ローマ字と数字とが、T1、T2、S1、S2、A1、A2などと書いてあるのです。

 小林君は、すぐ目の前のT1のとびらをひっぱってみましたが、かぎがかかっているとみえて、ひらきません。かぎがかけてあるからには、中になにかだいじなものがいれてあるのでしょう。

 それはなんでしょうか。こんなところに、ふつうのロッカーがあるはずはありません。その中にオーバーなんかがはいっているとは考えられないのです。

 では、なにがはいっているのでしょうか?

 小林君は、なぜか、ゾーッと、からだがさむくなるような気がしました。針金を使えば、とびらをひらくのは、わけはありません。しかし、とびらをひらくのが、なんだかこわいのです。

 でも、とうとう決心をして針金のかぎで、そのT1と書いてある、ロッカーのような箱のふたをひらきました。ひらいたかと思うと、

「あっ!」

とさけんで、まっさおになって、ピシャンとふたをしめてしまいました。

 そこには、なんだか、へんなものがいたのです。気味のわるいものが立っていたのです。

 それは人間でした。しかも小林君のよく知っている少年でした。

 玉村銀一。そうです。少年探偵団員の玉村銀一君とそっくりの少年が立っていたのです。

 銀一君が、どうして、こんな箱の中にとじこめられているのでしょう。こうして立たされていては、足がつかれてしまうでしょうし、ピッタリふたがしめてあるので、息もできないでしょう。じつにおそろしいごうもんです。

 しかし、どうもへんです。小林君と顔を見あわせたとき、銀一君は、なにもいわないで、じっと立っていました。「小林さん」とさけんで、とびだしてくるはずではありませんか。それとも、銀一君は、立ったまま、気をうしなっているのでしょうか。


大秘密


 小林君は、勇気をだして、もう一度箱のふたをあけてみました。

 やっぱり、玉村銀一君です。いつも着ている服を着て、正面をむいたまま、まばたきもしないで、立っています。

「玉村君、きみは、玉村銀一君だね。」

 声をかけても返事もしません。こちらの顔を見ようともしません。

 小林君は、銀一君の腕に手をかけてゆすぶってみました。すると、銀一君のからだが、ユラユラとゆれたのですが、そのゆれかたがへんでした。

 それは人間ではなくて、人形だったのです。プラスチックでできた人形だったのです。じつによくできていました。銀一君にそっくりです。

 気がつくと、人形の立っている足の下にひきだしが一つついていました。

 それをあけてみますと、中に写真がたくさんはいっているのです。

 みんな玉村銀一君の写真です。顔と全身を、前から、うしろから、横からと、あらゆる角度からとったものです。

 ああ、わかりました。これらの写真をもとにして、この人形をつくったのです。これだけたくさんの写真があれば、銀一君とそっくりの人形をつくることもできるでしょう。

 だが、なんのために、こんな人形をつくったのでしょうか。そこがどうもよくわかりません。

 小林君は、ふと、みょうなことを考えました。超人ニコラ博士はにせものをつくったあとで、ほんもののほうは、人形にしてしまったのではないかということです。魔法つかいのニコラ博士にとっては、人間を人形にかえてしまうぐらいはわけのないことでしょう。

 この、ロッカーみたいな箱の中には、ほかにも、たくさんの人形がはいっているのかもしれません。小林君は、いよいよ、気味がわるくなってきましたが、勇気を出して、針金のかぎで、つぎのT2のふたをひらいてみました。

 その中には、美しい女の子が立っていました。まだあったことはないけれども、銀一君のねえさんの光子さんかもしれません。光子さんもにせものにかわっているらしいことは、玉村銀之助さんからきいていました。

 そのつぎには、T3というふたをひらいてみました。

「おやっ、銀一君のおとうさんまで!」

 そこに立っているのは、たしかに宝石王の玉村銀之助さんでした。

「すると、このあいだ銀座の店であったのは、にせものだったのかしら。」

 小林君は、小首こくびをかしげました。あれがにせものだったとは、どうにも考えられないのです。

 そうです。あのときの玉村さんは、まだほんものでした。読者諸君は、よく知っています。玉村さんが、にせの小林少年のために、大時計の箱にとじこめられたのは、あれよりあとのことでした。

 小林君が、このロッカーのような箱の中を見ているときには、まだにせものとのいれかえは、すんでいませんでしたが、人形のほうは、もうちゃんとできていたのです。

 小林君は、こうなったら、みんな見てやろうと、どきょうをきめました。

 そして、つぎにひらいたのは、T4のふたです。そこには、三十五─六歳の女の人が立っていました。小林君はあったことがありませんが、これは銀一君のおかあさんらしいのです。

「おやおや、おかあさんまで、にせものといれかえるつもりだな。」

 小林君は、思わず、つぶやきました。これで玉村さんの家族はぜんぶです。ニコラ博士は、玉村家の人をみんなにせものといれかえて、玉村家をのっとってしまうのでしょうか。それを考えると、怪博士の、あまりの悪だくみに、小林君は、心の底から、ふるえあがってしまいました。

 こんどはS1のふたです。それをひらくと、銀一君よりはすこし大きい少年が立っていました。むろん人形です。小林君は知りませんでしたが、これは白井美術店の子どもの白井保君です。

 つぎのS2の箱には、保君のにいさんの人形が、S3、S4と、ひらくにつれて、保君のおとうさんをはじめ、白井家の人たちが、ズラッとならんでいるのです。小林君はその人たちを、ひとりも知りませんが、じつは、白井美術店の主人の家族ぜんぶが、そこに人形にされていたのです。

 ニコラ博士は、こうして、玉村宝石店をのっとったのとおなじように、白井美術店ものっとろうとしているのにちがいありません。

 そのつぎにはA1のふたをあけてみました。針金をカチカチやって、なんの気なしに、そのふたをひらいたのですが、ひらくと同時に、小林君は、目をまんまるにして、立ちすくんでしまいました。

 ああ、なんということでしょう。その箱の中には、もうひとり小林少年が立っていたではありませんか。顔もおなじ、服もおなじ、まるで鏡にでもうつったように、ふたりの小林君が、むかいあって立っているのです。

 小林君は、おどろいてしまいました。じぶんとそっくりのやつが、こっちをにらみつけているのです。小林君は、こわい目をして、相手をにらんでやりました。しかし、人形は、いっこうにへいきです。そしてながいあいだ、小林君と小林君との、ふしぎなにらみあいがつづきました。

 小林君が牢屋にいれられたとき、ニコラ博士がやってきて、

「きみのにせものが、外ではたらいている。そのあいだ、ほんもののきみは、ここにとじこめておくのだ。」

といいました。では、この人形が、そのにせものなのでしょうか。

 いや、そうではありますまい。にせものは、どこかで、生きて動いているはずです。すると、この人形は、なんのために、つくられたのでしょうか。

 小林君は、しばらく考えていましたが、やがて、そのわけがわかりかけてきました。

「ああ、そうだ。まずぼくの写真をあつめたにちがいない。ぼくの知らないまに、だれかがとったのだ。」

 ねんのために、人形の足の下のひきだしをあけてみますと、小林君の写真が何十枚もはいっていました。顔だけのもの、全身のもの、前から、うしろから、横からと、あらゆる方角からとった写真がたくさん出てきたのです。

「この写真をもとにして、プラスチックの人形をつくったのだ。この人形が、いわば原型なんだ。そして、なにかの魔法で、原型のとおりの、生きた人間をつくりだすのだ。

 つまり、ほんとうのぼくと、人形とにせもののぼくと、三人のぼくがいるわけだな。」

 小林君は、そう考えて、ひとり、うなずくのでした。

「じゃあ、つぎのA2の箱には、だれがはいっているのだろう。」

 やっぱり、あけてみないではいられません。

 小林君は針金でかぎ穴をカチカチいわせて、そのふたをひらきました。

「あっ、先生!」

 とんきょうな声をたてたのも、むりはありません。そこには、名探偵明智小五郎が、にこやかにほほえみながら立っていたのです。

 むろん人形です。足の下のひきだしをひらいてみると、やっぱり、明智先生のいろいろな写真が、どっさり、そろっていました。

「すると、あいつは、明智先生のにせものも、つくる気なんだな。」

 小林君は、なんだかこわくなってきました。明智先生は、まだ北海道からおかえりにならないが、ひょっとしたら、旅さきで、とっくに、にせものとかわっているのではないだろうかと思うと、ゾーッとしないではいられませんでした。

 小林君は、それからも、つぎつぎと、箱をひらいてみましたが、あとには、見知らぬ人形が五つほど、はいっていたばかりで、そのほかの箱は、ぜんぶからっぽでした。これから、べつの人形をいれるために、のこしてあるのでしょう。

 小林君は、人形箱を見てしまうと、つぎの秘密が、知りたくなりました。これらの人形をもとにして、どうして、にせの人間をつくるのか、その秘密が、やっぱり、この第三の地下室の中に、かくされているにちがいないのです。

 ロッカーのような人形箱のならんだ、せまい廊下を、まっすぐにいきますと、そのつきあたりに、がんじょうなドアが、しまっていました。

 ドアに耳をつけてみましたが、なんのもの音もせず、シーンと、しずまりかえっています。

 かぎ穴からのぞいてみました。

 あっ、なんというあかるさ! まるで、まっぴるまの原っぱのようです。しかし、そこは地下二階ですから、太陽の光がさしているはずはありません。やっぱり電灯でしょう。おそろしくあかるい電灯が、部屋じゅういっぱいに、かがやいているのです。

 小林君は、また針金のかぎを、使いました。すこしてまどりましたが、とうとうドアがひらき、小林君は、広い部屋の中に、ふみこみました。

 そして、おどろきのあまり、あっと、たちすくんでしまいました。

 そこは、絵でも写真でも、一度も見たことのないような、ふしぎな機械の部屋でした。あらゆる形の機械が、部屋じゅうに、みちあふれているのです。

 いっぽうには、手術台のようなものがあり、そのそばのガラス戸だなには、キラキラひかるメスやハサミや、そのほかさまざまのおそろしい道具が、いっぱいにならんでいました。

 いっぽうには、歯科医の治療台のようなものが、いくつもならび、また、べつのすみには、大きな化学の実験台があって、その上に、あらゆる形のガラスの道具がならび、ガスのほのおの上の、まるいガラスビンの中には、血のような液体が、フツフツとあわだっているのです。


あっ先生っ!


 小林君は、びっくりして、たちすくんでいましたが、すると、むこうの機械のあいだから、みょうな人間が、あらわれてきました。

 頭は、かみそりできれいにそった、まるぼうずです。顔はしわだらけで、ひろいひたいの下に、まんまるな目がギョロッと、ひかっています。

 まゆ毛は、ひどくうすいので、あるのかないのかわかりません。ひらべったくて、ペシャンコの鼻、その下に、大きな赤いくちびるが、まるで虫のように、モグモグうごいています。

 服は青いもめんの労働服で、その上にまっ白な手術着のようなものを、はおっています。

 子どものように背がひくくて、その胴体の上に、じいさんの首がのっているという、ふしぎな人間です。一寸法師いっすんぼうしという、かたわものなのでしょう。

 そいつは、ニヤニヤわらいながら、こちらへちかづいてきました。そして、まっかなくちびるを、大きくひらいて、こんなことをいいました。

「おお、よくきた。おまえは、わしのつくったA1号だな。」

 そして、つくづく小林君の顔を、ながめながら、

「うん、よくできた。A1号の写真とそっくりじゃ。だれも、おまえを見やぶるものはあるまいて。ウフフフフフ、おまえは、わしの傑作じゃよ。」

 小林君は、しばらくかんがえていましたが、やがて、一寸法師のいっていることが、わかってきました。A1号というのは、あの小林君とそっくりの人形が、はいっていたロッカーの番号です。

 まず小林君のいろいろな写真をあつめ、それによってあの人形をつくり、その原型から、小林君とそっくりの生きた人間を、つくりだしたのに、ちがいありません。

 しかし、どうして、そんなことができるのでしょう。このぶきみな一寸法師は、魔法つかいなのでしょうか。

 超人ニコラ博士は、どんな人間にも、ばけることができます。では、この一寸法師も、やはりニコラ博士の、べつの姿ではないのでしょうか。

「あなたはニコラ博士ですか。」

 小林君は、そうたずねてみました。

「わしはニコラではない。」

 一寸法師がこたえました。

「では、あなたはだれです。」

「さあ、だれじゃったか。わしはわすれたよ。」

 なんだかへんです。この一寸法師は、自分がだれだったか、忘れてしまったといっているのです。

「あなたは、ぼくをつくったといいましたね。どうして、そっくりおなじ人間が、つくれるのですか。あなたは魔法つかいですか。」

 小林君は、そんなことをたずねないではいられませんでした。すると、一寸法師は、大きな口をあいて、歯のない歯ぐきを見せて、うすきみわるく、わらいました。

「ウフフフフフ、魔法つかいか。そうじゃ、魔法つかいといってもいい。だが、わしは医者だよ。魔法のような医術をつかうのじゃ。医術によって人間をつくりかえるのじゃ。つまり、わしは世界にたったひとりしかいない魔法医者なのじゃ。」

 小林君は、そんなばかなことができるものかとおもいました。この一寸法師は、とんでもないホラふきか、気ちがいか、どちらかにちがいありません。

「ウフフフフ、みょうな顔をしているね。きみは、わしの手術をうけたことを、わすれてしまったのか。よろしい。それじゃあ、きみにあわせる人がある。きみはたしか、名探偵明智小五郎の助手じゃったね。ちょうどいい。まあ、こちらへきて見るがいい。」

 一寸法師のみじかい手が、小林君の手をにぎって、グングンむこうへ、ひっぱっていくのです。ゴチャゴチャした機械のあいだをとおっていきますと、白い手術台のならんだところへ出ました。

 一つの手術台に、だれかがよこたわっています。モジャモジャにみだれた髪の毛が見えています。

「もう麻酔がさめたころだ。きみ、気分はどうだね。」

 一寸法師が、ねている人の顔を、のぞきこんで、はなしかけました。

 すると、その人はパッチリ目をひらいて、ふしぎそうに、あたりを見まわしています。

「あっ、先生!」

 小林少年は、とんきょうな声をたてて、手術台にかけよりました。

 そこにねていたのは、名探偵明智小五郎だったのです。いや、明智探偵とそっくりの人間だったのです。

 ほんとうの明智探偵は、まだ北海道からかえりません。こんなところにねているはずはないのです。

 これは、A2という番号のロッカーの中にあった、明智とそっくりの人形をもとにして、一寸法師の魔法医者が、つくりだした人間にちがいありません。

 そこにねている明智探偵は、小林君が「先生っ」とさけんで、ちかづいても、べつにおどろくようすもなく、知らん顔をしています。にせものですから、まだ小林君を知らないのです。

「A2号ですね。」

 小林君が、ニヤッとわらっていいました。すると一寸法師は、

「そうじゃよ。つまり、明智探偵がふたりになったというわけさ。」

とこたえました。

「人形もいれると三人ですね。」

「ウフフフフ、そうじゃ、そうじゃ。おまえ、なかなか、かしこいのう。」

 そういって、一寸法師は、みじかい手で、背のびをしながら、小林君の頭をなでるのでした。

 一寸法師は、からだのかっこうが、へんなばかりでなく、いうことも、なんだかおかしいのです。気ちがいかもしれません。しかし、気ちがいに、どうして、こんな人間製造ができるのでしょう。じつに、ふしぎというほかはありません。

 小林君が、なおも質問しようとしていますと、そのとき、部屋の入口のほうに、人の足音がして、だれかが、こちらへやってくるようです。

 小林君はびっくりして、機械のかげに身をかくして、そのほうをながめますと、白ひげのニコラ博士が、こちらへやってくるのが見えました。

 みつかっては、たいへんです。小林君は、あわてて、機械と機械のすきまを、おくふかく、にげこむのでした。

 さて、それから、どんなことがあったか。小林君は、ニコラ博士にみつかることもなく、ながいあいだ、その機械室にいて、一寸法師の魔法医者の秘密を、すっかりききだしてしまいました。

 それから三日のあいだに、小林君は、ニコラ博士の洋館のすみずみまで、のこるところなく、しらべあげました。

 地下一階の牢屋のような鉄ごうしの中にとじこめられた、玉村宝石王一家、白井美術店一家の人たちとも、こっそり話をして、すべての事情を知ることができました。

 それだけでなく、小林君は、いかにも明智探偵の弟子らしい、おもしろいトリックを考えついて、それをやってみることにしました。

 そのトリックとは、いったい、どんなことだったのでしょうか。

 いや、それよりも、一寸法師の魔法医者は、どのような方法によって、同じ人間をつくりだすことができたのでしょうか。


三方からピストルが


 お話かわって、こちらはほんものの明智探偵です。小林君がニコラ博士にとらえられてから一週間ほどのち、明智探偵は北海道の事件をしゅびよく解決して、その日の午後、羽田はねだ空港につきました。

 電報がうってあったので、小林君が自動車でむかえにきていました。そして、小林君と、もうひとり、三十歳ぐらいの見知らぬ男が、探偵のそばへよってきました。

「先生、おかえりなさい。事件がうまくかたづいたそうで、おめでとうございます。」

 小林君があいさつをしますと、明智もニコニコして、

「うん、ありがとう。……で、その人は?」

と、見知らぬ男を目でさししめして、たずねました。

「こんどたのんだ先生のボディーガードです。くわしいことは、あとでおはなしします。先生、こちらにも、ふしぎな事件がおこっているのです。先生のおかえりをまちかねていました。」

「そうだってね。おもしろい事件らしいじゃないか。」

「ええ、これまで一度も手がけたことのない、ふしぎな事件です。事務所へかえってから、ご報告します。」

 そして、三人はまたせてあった自動車にのりこみました。小林君が右がわに、見知らぬ男が左がわに、明智探偵を中にはさんで、こしかけたのです。

 運転手も見かけたことのない男です。明智はちょっと、へんに思いましたが、車は事務所専用の「アケチ一号」ですし、小林君がついているので、べつに、ふかくもうたがいませんでした。

 車は京浜けいひん国道を三十分もはしったかとおもうと、さびしい横町へまがりました。

「道がちがうじゃないか。」

 明智探偵が、そういって、思わず腰をうかそうとしました。ハッと危険をかんじたからです。でも、小林君がいるのに、こんなみょうなことがおこるのはなぜだろうと、ふしぎに思いました。

 ところが、明智が腰をうかしたときには、右手は小林君に、左手は見知らぬ男に、かたくにぎられて、うごきがとれなくなっていました。

「ぼくをどうしようというのだ。小林君、きみまでが……。」

とさけんで、小林少年の顔をにらみつけますと、おどろいたことには、その小林君が、ふてぶてしくわらいながら、こんなことをいうではありませんか。

「ウフフフフ、よくにているだろう。だが、おれは小林じゃないのさ。小林とそっくりの別の人間なのさ。ほんとうのことをいうとね、おれたちはみんな、超人ニコラ博士の手下なのさ。おっと、明智先生が、いくらつよくってもだめだよ。こちらには、これがあるんだからね。」

と、いったかと思うと、小林君によくにた少年と、見知らぬ男とが、左右からピストルをつきつけ、運転手も車をとめて、うしろをふりむくと、右手をグッとこちらに出して、やっぱりピストルを、さしむけるのでした。

 こうして明智探偵は、目かくしをされ、さるぐつわをはめられ、両手をうしろにしばられて、もう、身動きもできなくなってしまいました。

 それから、また四─五十分もはしって、車がついたのはニコラ博士の怪洋館でした。

 明智探偵は三人につれられて、地下室から、第二の秘密室へ、そして鉄ごうしの牢屋の中へ、ほうりこまれてしまいました。


替え玉の替え玉


 明智探偵が牢屋へいれられて、しばらくすると、白ひげのニコラ博士が、ゆうぜんと、地下室の見まわりにやってきました。そのうしろから、さっきの小林君によくにた少年がしたがっています。

 玉村宝石店の親子四人がとじこめられている鉄ごうしのまえを、とおりすぎました。かわいそうに、四人のものは、部屋のすみにうずくまって、だまって、うなだれています。

 そのむかいがわには、白井美術店の家族が、とじこめられ、おなじようにうなだれていました。

 それから十メートルほどむこうに、小林少年のいる牢屋があります。ニコラ博士とにせの小林君が、そのまえをとおりかかると、鉄ごうしの中から、おそろしい声がひびいてきました。

「ニコラ先生、おれをここから出してください。おれはにせもののほうだ。そこにいるのが、ほんものの小林だ。小林がおれをここへとじこめて、じぶんはにげだしてしまったのだ。そして、にせものになりすましているのだ。」

 ニコラ博士は、それをきいても、べつにおどろきません。小林君から、わけを知らされているからです。

「ね、そうでしょう。さすがは小林の知恵です。うまいことを考えました。ほんとうの小林が、どうかして鉄ごうしをあけて、にせものを引きいれ、替え玉の入れかえをやったというのです。だから、じぶんを牢から出して、かわりに、ぼくを入れようというのですよ。しかし、あいつはうそをついているにきまってます。なぜといって、ほんものの小林は、あいかぎを持っていないので、牢から出られっこないのですからね。かぎは、このにせの小林が、ちゃんとこうして、もっているのですからね。」

 牢屋の外の小林は、そういって、ポケットからかぎたばをとりだし、チャラチャラと音をさせてみせました。

 へんなことになってきました。ニコラ博士は知りませんが、読者諸君は知っています。小林君は、針金をつかって、じゆうじざいに、鉄ごうしの錠をあけることができるのです。それを、牢屋の外にいる小林君は、あいかぎがなければ、あけられないなどと、うそをついているではありませんか。

 牢屋の中にいる小林よりも、外にいる小林のほうが、あやしいのではないでしょうか。つまり、中の小林が、じつはにせもので、外の小林がほんものではないのでしょうか。なんだかややこしいことになってきました。

 しかし、もし、外にいる小林がほんものだとすると、明智探偵を自動車にのせて、とりこにし、この地下室の牢屋へ入れたのは、どういうわけでしょうか。ほんものの小林君なら、あくまで明智探偵のみかたをするはずではありませんか。

 なんだかわけがわからなくなってきました。もうすこし、ようすを見ることにしましょう。そうすれば、やがてハッキリしたことがわかるでしょう。

 さて、ニコラ博士と小林君とは、牢屋の見まわりをすませて、一階へあがっていきましたが、しばらくすると、こんどは、小林君だけが、こっそり地下室へおりてきました。そして、あの小林の牢屋の前をとおりかかると、またしても、中から、どなり声がきこえてきました。

「やい、そこへいくほんものの小林。うまく博士をごまかしたな。だが、きさまのうそが、いつまでもつづくはずはない。きっとそのうちに、見やぶられる。そのときは、どんなひどいめにあうか、かくごしているがいい。おれはきっと、きさまといれかわってみせるぞっ。」

 中の小林は、鉄ごうしにすがりついて、ガタガタいわせながら、しきりに、どくぜつをたたいています。

 外の小林君は、それをあいてにしないで、牢屋の前を通りすぎ、ニコラ博士の寝室へしのびこみました。ここのかぎだけは、ニコラ博士がはなしませんので、小林君は、やっぱり、針金をつかってドアをひらかなければなりませんでした。

 小林君は、エレベーターのかくしボタンをおして、地下二階へおり、A2のロッカーから、明智探偵とそっくりの人形をとりだし、それをこわきにかかえて、もとの地下一階にもどり、さっき明智探偵をとじこめた牢屋へといそぎました。

 エレベーターから、明智の牢屋へ行くのには、ほかの牢屋のまえをとおらなくてもよいので、人形をだいているのを、気づかれる心配はありません。

 その鉄ごうしのまえへいくと、明智探偵は部屋のまんなかにすわって、おそろしい顔で、こちらをにらみつけていました。

 小林君は、鉄ごうしに顔をくっつけて、ささやきました。

「先生、ぼくはほんとうの小林です。ぼくは一度牢屋へいれられたのですが、そこをぬけだし、うまくだまして、にせものと入れかわったのです。そして、ぼくは、ニコラ博士のみかたのにせものになりすましたのです。つまり替え玉の替え玉になったわけです。

 さっきは、先生にピストルなどむけて、ごめんなさい。ああして、にせもののように見せておかないと先生をおたすけすることができないからです。

 ニコラ博士は、ぼくをにせものと信じていますから、ぼくに牢屋のかぎをあずけました。ですから、この鉄ごうしをひらくのは、わけもないのです。」

 小林君は、そういいながら、かぎたばをとりだして、鉄ごうしのドアをひらき、中へはいって、部屋のおくにしいてあるござの上に、いまもってきた明智探偵とそっくりの人形をよこたえ、もう一枚のござを、胸のへんまでかけました。こうしておけば、外から見たのでは、明智探偵がねているとしか思えませんから、ほんとうの明智がにげだしてしまっても、しばらくはだいじょうぶです。

「さあ、先生、にげましょう。とちゅうで、だれかに見つかるとたいへんですから、そういうときには、いそいで、廊下のくらいところへ、かくれなければなりません。しかし、ぼくは、じゅうぶん、にげ道をしらべておきましたから、まず、だいじょうぶだと思います。」

 明智探偵といっしょに、外に出ると、小林君は、鉄ごうしのドアをしめて、かぎをかけました。そして、うすぐらい廊下の、壁をつたうようにして、秘密の地下室から、ふつうの地下室へ、それから一階へと、足音をしのばせて、いそぐのでした。

 さいわい、だれにも見つからず、洋館の外に出ることができました。それから、さびしいやしき町を、はしるようにして大通りに出ると、タクシーをひろって、こういうときに、いつもつかう、渋谷駅ちかくの目だたない旅館へといそぎました。

 旅館の一部屋へおちつくと、小林君は、これまでの、いっさいのことを、明智先生に話しました。

「いま午後四時半ですね。じつは今夜、おそろしいことがおこるのです。まだじゅうぶんまにあいます。それをふせがなければなりません。一寸法師の魔法医者は、先生とそっくりの人間をつくりました。そいつが明智探偵としてはたらくのです。

 ぼくはニコラ博士のみかたの、にせ小林だとおもわれていたので、かれらの秘密のたくらみは、みんなきいてしまいました。ですから、今夜のことも知っているのです。」

 そして、小林君は、そのおそろしいたくらみというのを、くわしく話してきかせるのでした。


青い炎


 小林少年が、ニコラ博士のとりことなった明智探偵をたすけだして、ニコラ博士のおそろしいたくらみを話してきかせた、あの日の夕方のことです。

 お話かわって、世田谷せたがや区のやしき町に、広い邸宅をもっている、園田大造そのだだいぞうというお金持ちから、明智探偵事務所へ電話がかかってきました。

「明智先生ですか、ひじょうに重大な事件で、ご相談したいのですが、すぐ、わたしのうちまでおいでねがえませんでしょうか。」

 園田さん自身が電話口に出て、声をふるわせてたのんでいるのです。

「重大な事件というのは、いったい、どんなふうな事件でしょうか。」

 明智がたずねますと、

「いや、電話では話せません。ぜひ、お目にかかってお話したいのです。おそろしい事件です。先生のお力をかりなくては、どうにもならないのです。先生のことは、友人の菅原すがわら君の宝石事件で、よくぞんじております。どうか、わたしを助けてください。」

 そうまでいわれては、たのみをきかないわけにはいきません。明智探偵は、すぐおうかがいするといって、電話をきりました。

 それから一時間ほどして、園田さんの大きなやしきの洋風応接間に、主人の園田さんと、明智探偵と、助手の小林少年がテーブルをはさんで話しあっていました。

「すると、あいては、ニコラ博士ですね。」

 明智が、しんけんな顔で、ききかえしました。

「そうです。わたしは毎朝、五時におきて、庭を散歩するのですが、けさ、庭を歩いていますと、木の間にあいつが立っていたのです。長いひげをはやした、七十歳ぐらいのじいさんです。そいつのからだは、青く光っていました。まだうすぐらい木のしげみの中ですから、幽霊のように、青く光っているのが、よくわかるのです。わたしは、びっくりして、にげだそうとしましたが、催眠術でもかけられたように、足が動かなくなって、にげることができません。

 そいつは、じっと、わたしの顔を見つめながら、地の底からひびくような、気味のわるい声で、こんなことをいいました。

『わしは、おまえのだいじにしているダイヤモンド『青い炎』がほしいのだ。こん夜、かならずもらいにくるから、用心するがいい。だが、おまえがどんなに用心しても、わしは魔法つかいだから、かならず、とってみせるよ。』

 そういって、ウフフフと笑ったかとおもうと、そこのヒノキのみきにつかまって、まるでサルのように、スルスルとのぼっていき、木の葉の間に、姿が見えなくなってしまいました。先生、それから、おそろしいことがおこったのです。」

 園田さんは、そこでちょっとことばをきって、おびえたような目で、窓の外の空をながめました。

「ヒノキのてっぺんから、あいつが、空へとびたったのです。そして、朝やけの空を、アメリカのスーパーマンのように、両手を前につきだして、マントをヒラヒラさせて、ひじょうな速さで空中をとびさってしまったのです。」

 園田さんは、まっさおな顔になっていました。

「ニコラ博士が空をとぶことは、ぼくもきいております。それについて、ぼくはある考えをもっているのですが……。ところで、そのあなたのダイヤモンドというのは、どこにおいてあるのですか。」

 明智がたずねますと、園田さんは、なぜかニヤリと笑って、

「それはだれも知りません。わたしのほかには、だれも知らないのです。しかし、あいつはスーパーマンみたいなやつですから、宝石のかくし場所を知っているかもしれません。

 このダイヤモンドには『青い炎』という名がついているのです。インドの仏像のひたいに、はめこんであったのを、あるイギリス人が手にいれて、それがまわりまわって、わたしのものになったのです。青い炎がもえるように、かがやいているので、そういう名がついたのです。二十五カラットもある大きなもので、日本では最大、最高のダイヤです。

 ですから、わたしは、これを、ぜったいにわからないある場所にかくし、うちのものにも見せないようにしているのです。まして、他人には一度も見せたことがありません。

 じつは、二─三日前に、ある有名な宝石商が、日本じゅうの宝石をあつめて、宝石展覧会をひらきたいから『青い炎』を出品してくれないかといってきたのですが、わたしは、ぜったいに人に見せるつもりはないといって、かたくことわったほどです。」

「そうですか。それほどの宝物でしたら、ぼくも、全力をつくして、おまもりしますが、そのダイヤモンドは、いったい、どこにかくしてあるのでしょうか。それをうかがっておかないと、まもるにもまもれないのですが。」

 明智のことばに、園田さんはうなずいて、

「ごもっともです。先生にだけは、かくし場所を、おおしえするほかありません。いま、そこへごあんないしますから、どうかこちらへおいでください。」

といって、いすから立ちあがり、園田さんは、女中さんをよんで、明智探偵と小林少年のくつを、庭のほうへ、まわすようにいいつけておいて、廊下を、さきに立ってあるいていきました。

 廊下を二つほどまがると、庭へおりるドアがひらいていて、三人はそこからおりていきました。

 池や林のある、広い庭です。林の中を通りすぎると、ちょっとした広っぱがあり、そこにお寺のお堂のようなものが立っていました。

「わたしの持仏堂じぶつどうですよ。この中に、平安朝へいあんちょう時代の黄金仏が安置してあるのです。」

 園田さんはそういって、お堂のとびらをひらき、ふたりを中にあんないしました。

 うすぐらいお堂の中には、まんなかに大きな台があって、その上に、人間の倍もあるような、金色の仏像が立っていました。その台のまわりはグルッと石だたみでかこまれ、仏像を横からでも、うしろからでも見られるようになっているのです。

「うまいかくし場所でしょう。この仏像は国宝です。だれも国宝に傷をつけるなんて、考えもしないでしょう。ところが、わたしは傷をつけたのです。この仏像の背中に、十センチ四方ほどの、小さなきりくわせをつくって、それを宝石箱にしたのです。外から見たのでは、ちっともわかりません。こちらへきてごらんなさい。」

 園田さんは仏像のうしろへまわりました。明智探偵と小林少年も、そのあとについていきましたが、仏像の背中のどこに、秘密のかくし場所があるのか、すこしもわかりません。

「このボタンをおせばいいのです。」

 園田さんは、仏像の右のももにある、ちょっと見たのでは、わからないほどの、イボのようなものを、グッとおしました。すると、カタンと音がして、仏像の背中の四角いふたがひらいて十センチ四方ほどの穴があきました。

「この中に宝石がはいっているのです。だが、まってください。むやみに手をいれてはあぶない。どろぼうの用心がしてあるのです。宝石をとろうとして、手をいれると、穴の四方から、するどい鉄のツメが、サッととびだして、手にささり、どろぼうは動けなくなってしまうのです。

 それをふせぐのには、もうひとつのかくしボタンをおせばよろしい。」

 園田さんは、こんどは仏像の左のももの、やはり小さなイボのようなものをおしました。

「さあ、これで、もうだいじょうぶ。」

といいながら、穴の中へ手をいれて、ダイヤモンド「青い炎」をとりだし、明智探偵に見せるのでした。

 ああ、なんというみごとな宝石でしょう。にじのように七色にかがやいているのですが、青の色がいちばんつよく、ほんとうに、青い炎がもえているようです。

「ぼくも、いろいろな宝石を見ましたが、こんなりっぱなのは、はじめてです。なるほど日本一のダイヤモンドですね。」

 明智探偵も、思わず、ほめたたえないではいられませんでした。

「だから、ニコラ博士が目をつけたのですよ。だいじょうぶでしょうか。あいてはおそろしい魔法つかいですからね。」

 園田さんは、心配そうです。

「ぼくがおひきうけしたら、だいじょうぶです。ぼくは魔法つかいというやつには、たびたび出あったことがありますが、一度も、やぶれたことはありません。あいてが魔法をつかえば、こちらも、それ以上の魔法をつかうからです。」

 明智探偵の力づよい返事に、園田さんは、安心したようすで、宝石を穴の中にもどし、ボタンをおして、そのふたをしめました。

「ぼくは、いまから、夜にかけて、ずっと見はりをつづけましょう。しかし、このお堂の中にいたのでは、ダイヤはここにかくしてありますと、敵に知らせるようなものですから、ぼくと小林はお堂のそばの庭にかくれて、見はりをつづけます。もしニコラ博士がやってきたら、かならず、つかまえてお目にかけます。ここはぼくたちにまかせて、あなたは、うちにおもどりになっているほうがよろしいでしょう。」

 園田さんが、うちの中へもどるのをまって、小林少年は、明智探偵になにかささやいたうえ、電話をかけるために、おもやへはいっていきましたが、それは、少年探偵団のおもな団員を、よびあつめるためでした。それから一時間もしますと、十人の団員が、園田さんの庭へ、つぎつぎと、あつまってきて、あちらこちらの木かげに身をかくして、ニコラ博士のやってくるのをまちうけました。この少年たちは、このあいだ芝公園で、ニコラ博士にひどいめにあっているので、きょうは、そのしかえしをしてやろうと、はりきっているのです。


ふたりの明智小五郎


 そして、日がくれ、だんだん夜がふけていきました。

 夜の十時に、園田さんに電話がかかってきました。

「わしがだれだか、いわなくても、わかっているじゃろう。うん、そのとおり、わしはニコラ博士じゃ。きみのダイヤモンドは、明智小五郎が見はりをしているね。いい人をたのんだものじゃ。なにしろ日本一の名探偵じゃからなあ。

 だが、だいじょうぶかね。わしは魔法つかいじゃよ。もうとっくにダイヤモンドを、ぬすんでしまったかもしれないぜ。え、どうだね、心配ではないかね。ウフフフフ、ほうら、見たまえ、きみは声がふるえている。心配になってきた。

 ダイヤモンドは、かくし場所にあるだろうか。いや、ないのだ。あのかくし場所は、からっぽだ。うそだと思うなら、いますぐ、あそこへいって、しらべてみるがいい。ウフフフフ……。」

 そして、ガチャンと電話がきれました。

 園田さんは、受話器をおいたまま、まっさおになって、その場に立ちすくんでいましたが、庭の持仏堂へいってみないでは、どうにも安心ができません。

 懐中電灯をもって、えんがわから庭げたをはいて、あの黄金仏のお堂の前にかけつけました。

「明智先生、明智先生はいませんか。」

 大きな声でよびますと、お堂のそばのしげみの中から明智探偵と小林少年が出てきました。ちょうど月夜で、そのへんは昼のように明るいのです。

「どうなすったのです。なにかあったのですか。こちらは、べつにかわったこともありませんが。」

 明智ののんきなことばに、園田さんははらだたしげに、どなりつけました。

「ニコラ博士が電話をかけてきたのです。そして、ダイヤは、とっくにぬすんでしまったというのです。明智さん、しらべてください。ダイヤがかくし場所にあるかないか、しらべてみてください。」

「そんなばかなことがあるものですか。ぼくはお堂の入口をずっと見はっていました。お堂のとびらは、一度もひらかなかったのです。だから、ダイヤをぬすみだせるはずがありません。」

「ともかく、しらべてみましょう。いっしょにきてください。」

 園田さんは、いいすてて、お堂のとびらをひらくと、その中へとびこんでいきます。しかたがないので、明智探偵と小林少年も、そのあとからついていきました。

 園田さんは仏像のうしろへまわると、かくしボタンをおして、秘密のふたをひらき、もうひとつのボタンをおして、鉄のツメがとびださないようにしておいて、穴の中へ手をいれました。

「あっ、ない。なくなっている。明智さん、この中はからっぽですよ。」

 明智探偵をしかりつけるように、さけびました。

「おかしいですね。ニコラ博士は、このかくし場所を、知らないはずじゃありませんか。それをどうして……。」

「だから、はじめから、もうしあげておきました。あいつは魔法つかいです。どんなことだってできるのです。それをふせいでくださるのが、あなたの役目ではありませんか。しかも、あんなにかたく、おひきうけになったではありませんか。」

 園田さんに、つめよられて、明智探偵はタジタジとあとじさりをしていました。

 そのときです。じつにふしぎなことがおこりました。とびらをひらいたままになっているお堂の入口に、みょうな人間が立っていたのです。

 銀色の月の光が、横のほうから、その人の顔の半分を、てらしていました。

 園田さんも、明智探偵も、その顔を見ると、あっとさけんだまま、立ちすくんでしまいました。

 その人は懐中電灯を持っていました。その光をこちらにむけながら、ゆっくりとお堂の中へはいってきます。

 こちらの三人は、思わずあとじさりをしながら、園田さんの懐中電灯は、しぜんに、そのふしぎな人間の顔をてらしました。

 あいての懐中電灯は、明智探偵の顔をてらしています。

 人間の倍もある金色の仏像の前に、おたがいに懐中電灯でてらされた二つの顔が、まっ正面にむきあっていました。

 おお、ごらんなさい。その二つの顔は、まるで鏡にうつしたように、そっくりおなじではありませんか。

 そうです。明智探偵がふたりになったのです。どちらかが、ほんもので、どちらかが、にせものにちがいありませんが、その見わけが、まったくつかないのです。

「ワハハハハ……、にせものの明智君、うまくばけたね。しかし、きみはニコラ博士の手下だ。ダイヤモンドをまもるのではなくて、それをぬすむためにやってきたのだ。そして、きみはもうぬすんでしまったのだ。」

 あとからきたほうの明智が、そういって、カラカラと笑いました。

 しかし、前からいる明智も、けっしてまけてはいません。

「なにをばかな。きみこそにせものだ。いまごろになって、ノコノコやってきたのが、にせもののしょうこじゃないか。

 だが、うたがうなら、ぼくのからだをさがしてみるがいい。あんな大きなダイヤだから、ぼくが持っていれば、すぐにわかるはずだ。」

 それをきくと、小林少年が、お堂の入口へかけていって、用意していた、呼び子の笛をとりだすと、ピリピリピリリリリリリ……と、はげしくふきならしました。

 この小林少年は、ほんものなのでしょうか、それとも、にせものなのでしょうか。読者諸君は、もうおわかりになっているでしょうね。

 それはともかく、呼び子の音に、庭のあちこちにかくれていた十人の少年探偵団員が、大いそぎでかけつけてきました。

 少年たちはお堂の入口にむらがって、中をのぞきこみましたが、明智先生がふたりいるのを見ると、ギョッとして、ものもいえなくなってしまいました。

「やあ、少年探偵団の諸君だね。ここにいるぼくとそっくりのやつは、にせものだ。こいつは大きなダイヤモンドをぬすんだのだ。きみたちみんなで、こいつのからだをしらべてくれたまえ。どこかにかくしているにちがいないのだから。」

 あとからきた明智がいいますと、さきにきていた明智もまけないで、少年たちに声をかけました。

「やあ、きみたち、ゆだんをしてはいけないぞ。いましゃべったやつが、にせもので、ニコラ博士の手下だよ。

 しかし、ぼくのからだをさがすなら、さがしてもよろしい。ぼくはぬすみなんか、ぜったいにしていないのだから。」

 すると、小林少年が、さきにたって、その明智のポケットなどを、さがしはじめましたので、少年たちも、四方から明智のからだにとりついて、上着とズボンをさがしたあとで、その上着とズボンを、よってたかって、ぬがせたうえ、シャツとズボン下だけになった明智を、とうとうその場にころがしてしまいました。

 いくら子どもでも、小林君をまぜて十一人ですから、どんな力のつよいおとなだって、どうすることもできません。十一人にとりつかれては、まるでアリにたかられたコオロギのようなもので、されるままになっているほかはないのです。

「ないねえ。」

「ないよ。」

「先生、どこにもダイヤなんて、かくしていません。」

 あらゆる場所をさがしたあげく、少年たちは、とうとう、かくしていないときめてしまいました。

「そうらみろ。ぼくがぬすみなんかするはずはない。なぜといって、ぼくこそほんとうの明智小五郎だからだ。そこにいるやつが、にせものだよ。」

 シャツ一枚にされた明智が、それみろといわぬばかりに、とくいらしくいいました。

 それをきくと、小林君が、ハッとなにかを、思いだしたようすで、大声にどなりました。

「そうじゃない。まださがさないところが、一ヵ所だけある。きみたち、そいつの顔を、動かないように、つよくおさえていてくれたまえ。ぼくは、そいつの左の目をえぐってやるのだ。」

 小林君が、おそろしいことをいいました。

 しかし、少年たちは、小林団長の命令にしたがって、みんなで、たおれた明智の上にのしかかり、頭を地面におさえつけて、顔を動かさないようにしました。

「懐中電灯で顔をてらしてください。」

 小林君はそういいながら、人さしゆびをグッとのばして、いきなり、明智の左の目にちかづけました。

 ああ、なんというざんこく! 小林君の指は、あいての左の目の中へ、グーッと、つきささっていきました。そして、目の玉をくりぬいてしまったではありませんか。

「みなさん、こいつの左の目は義眼なのです。義眼がもののかくし場所になっているのです。ごらんなさい、これが園田さんのダイヤです。」

 小林君はそういって、大きな宝石を、高くかざして見せました。懐中電灯の光をうけて、それは青い炎のようにもえています。


怪獣のさいご


「やっ、さては、きさま、ほんとうの小林だな。いつのまに、いれかわったのだ。」

 にせ明智は、おさえつけられたまま、わめきました。

「ハハハハハ、はじめから、いれかわっていたのさ。にせの小林は、ぼくのかわりに、地下室の牢屋にはいっているよ。ぼくが、ほんとうの明智先生をとらえる手だすけをしたのは、きみたちを、ゆだんさせるためだったのさ。」

 小林君は、笑いながら、種あかしをしました。

「ちくしょうめ、こわっぱめに、はかられたのかっ。」

 にせ明智は、さもくやしそうに、つぶやきましたが、そのあとから、かれの顔に、うすきみのわるい笑いがうかんできました。

「ウフフフフ、きみたち、それで、勝ったつもりでいるのかね。ウフフフフ、そうはいくまいぜ。こっちには、おくの手があるんだからね。

 おい、おれのはらを、おさえているぼうや、右のポケットにさわってごらん。写真機みたいなものが、はいっているだろう。

 それを、なんだと思うね。世界でいちばん小さい無電機だよ。さっきからスイッチはいれたままになっているから、ここで、みんなのしゃべったことは、すっかりニコラ博士の無電機にはいっている。

 さあ、そうすると、どういうことになるだろうね。いまに、おそろしいことがおこるだろうから、用心するがいいぜ。」

 ただのおどかしではなさそうです。小林君は、にせ明智のポケットから、写真機のようなものを、とりだしました。たしかに小型無線機のようです。スイッチをはずして、音がつたわらないようにして、じぶんのポケットにいれました。

「きみたち、そいつの手と足を、グルグルまきにしばって、身動きできないようにするんだ。みんな、ほそびきを、腰にまいているだろう。それでしばるんだ。」

 小林君の命令で、十人の少年のうちの三人が、腰のほそびきをといて、にせ明智を、げんじゅうに、しばりあげてしまいました。

 そのとき、持仏堂の入口から、ほんものの明智探偵が、はいってきました。いつのまにか、外へ出て、どこかへ行ってきたらしいのです。

「いや、感心、感心、さすがに小林君だ。よくやった。」

 明智探偵はニコニコしながら、小林少年をほめたたえるのでした。

「ウフフフフ……。」

 しばられて、お堂の入口にころがっている、にせの明智が、また、うすきみわるく笑いました。

「ニコラ博士は、あんがい、近くにいるのだ。もうやってくるじぶんだぜ。どんな姿で、やってくるか、きもをつぶさぬ用心をするがいい、ウフフフフ……。」

 そのときです。お堂の外から「ウオーッ。」という、ものすごいうなり声が、ひびいてきました。明智探偵と小林少年は、お堂の外に、とびだしてみました。

 月がてりかがやいて、そのへんは、昼のように明るいのです。それに、広い庭には、森のように木のしげったところがあります。

 その中は、月がさしこまないので、まっくらです。

 そのときです。チカッと金色に光るものが見えました。

 そしてまた、「ウオーッ。」という、おそろしい、うなり声です。

「先生、さっき、お話した金色のトラです……。今夜は、きっと、あらわれるだろうと、思っていました。」

 小林君が、そういっているうちに、黄金のトラは全身をあらわして、こちらへノソノソ歩いてきます。

 人間が四つんばいになったほどの、でっかいトラです。そして、そのからだは、金色にピカピカ光っているのです。

「ウオーッ。」

 こちらをむいて、大きな口をガッとひらきました。白いするどいきばがニュッとつきだし、口の中はもえるように、まっかです。二つのまんまるな目はリンのように青く光っています。

 さすがの明智探偵も、小林少年も、それを見ると、思わず、たちすくんでしまいました。

 すると、黄金のトラは、ゆうゆうと、森の外に出てきました。月の光をあびて、全身が美しく光りかがやいています。

 小林君のうしろにいた十人の少年たちは、「ワーッ。」といって、にげだしました。

 トラは少年たちには目もくれず、パッとひととびで、お堂の入口にちかづきました。その速さ! まるで金色のにじが立ったように見えました。

 トラはお堂の中にはいると、そこにころがされている、にせ明智のそばによって口とまえ足をつかって、ほそびきを、ほどこうとしました。

 それを見ると、明智探偵が、小林君の耳に、なにかささやきました。

 小林君は、うなずいて、ポケットからピストルをとりだしました。にせ小林になりすまして、自動車の中で、明智にさしむけた、あのピストルが、まだポケットにはいっていたのです。

「こらっ、やめろっ。でないと、ピストルをぶっぱなすぞ。」

 小林君は、まるで、あいてが人間ででもあるように、どなりつけました。

 すると、ふしぎなことが、おこったのです。トラが、人間のように、まえ足を上にあげて、「かんべんしてください。」といわぬばかりに、あとじさりをはじめたではありませんか。

「あっ、そいつもにせものだ。ほんとうのトラでなくて、人間がトラの皮をかぶっているのだ。みんな、こいつをやっつけてしまえ。皮をはいでしまえっ。」

 小林君がさけびますと、にげだしていた少年たちが、もどってきました。

「それっ、やっつけるんだ。」

 小林君が、まっさきに、トラにとびついていきました。十人の少年たちも、四方からトラのからだに、くみつき、「エイ、エイ。」とかけ声をして、とうとう、トラをそこにたおしてしまいました。

「あっ、やっぱりそうだっ。ここにチャックがある。」

 小林君が、それをグーッとひっぱりますと、トラのはらがさけて、中に人間がはいっていることがわかりました。黒いシャツをきた大きな男です。

「みんな、こいつもしばってしまえ。」

 十人の少年たちは、すっかりトラの皮をはいで、黒シャツの男を、グルグルまきに、しばってしまいました。

 トラ男は、小林君のさしむけるピストルを見て、うっかり手をあげたのが、しっぱいでした。それで人間だということがわかってしまったのです。

 そのときです。またしても、むこうの木のしげみの中から、「ウオーッ、ウオーッ。」という、おそろしいうなり声が、ひびいてきました。そして、チラッ、チラッと金色のものが、見えたりかくれたりしています。

 トラは一ぴきではなかったのです。

 木の間から、二ひきの大トラが、ノソノソとあらわれてきました。

 こんどは、ほんもののトラかもしれません。ピストルをさしむけても、いっこうに、ひるむようすがないのです。

「先生、足を撃ちますよっ。」

 小林君は、明智探偵に、そうさけんでおいて、ピストルを撃ちました。致命傷をあたえないように、足をねらったのです。

 みごとに命中しました。明智探偵事務所では、ピストルなんか、めったに使いませんが、明智探偵はピストルの名手ですし、小林君も、まんいちの場合のために、ひごろ射撃の練習をしていますので、それが、こういうときに、役に立つのです。

 あと足をうたれたトラは、そこにころがって、まえ足で傷口をおさえています。ほんとうのトラならば、口で傷口をなめるはずではありませんか。

「あっ、やっぱり人間だっ。そいつもしばってしまえ。」

 小林君の命令に、少年たちはゆうかんに、二ひきのトラに、とびかかっていきました。

 傷つかないほうのトラも、一ぴきが撃たれたので、にげだそうか、どうしようかと、まよっていましたが、少年たちが、とびかかってきたので、もうにげることはできません。死にものぐるいの戦いがはじまりました。

 傷ついたトラも、こうなっては、じっとしているわけにいきません。いたさをこらえて、おきあがり、少年たちにむかってきました。

 こんどは、あいてが二ひきですから、少年たちは、二組にわかれなければならないので、なかなかの苦戦です。

 二ひきの黄金の怪獣が、あちらにとび、こちらにとび、少年たちをけちらして、あばれまわり、月光にてらされた黄金のにじが、縦横じゅうおうにいりみだれました。

 しかし、こちらは小林少年をいれて十一人の少年探偵団員です。それに、明智探偵と園田さんも、てつだってくれるのです。いくら強くても、ほんとうのトラではないのですから、とてもかなうものではありません。二十分ほどもかかった大格闘のすえ、トラは二ひきとも、その場に、くみふせられてしまいました。

 まだあとから、べつのトラが出てくるのではないかと、しばらくまっていましたが、そのようすもありません、トラはぜんぶで三びきしかいなかったのです。

 そのときです。少年のひとりが、大きな声でさけびました。

「あっ、スーパーマンだっ!」


ニコラ博士の秘密


 ああ、ごらんなさい。はれわたった月光の空を、黒いマントをひるがえした、スーパーマンが、とんでくるのです。

 これこそニコラ博士にちがいありません。博士のほかに、空をとべるやつがあろうとは思えないからです。

 両手をグッと前につきだして、風をきってとぶスーパーマンは、お堂の上までくると、その屋根のまわりを、グルグルと、まわりはじめました。地上五十メートルほどの高さです。ニコラ博士は、そこから、下界のようすを、見とどけようとしているのです。

 敵は、高い空中にいるのですから、どうすることもできません。ピストルを撃とうにも、あまり高いので、もしあいてを、ころしてしまうようなことがあっては、たいへんですから、それもできないのです。

 ニコラ博士は、こちらをばかにしたように、いつまでも、お堂の上を、グルグル、グルグル、まわっていましたが、やがて、むこうの森のような木立ちの上へとんでいって、姿が、見えなくなってしまいました。

「森の中におりたのかもしれないぞ。」

 少年のひとりが、大きな声でいいました。

 いまに、こちらに出てくるだろうと、みんな、ゆだんなく、まちうけました。小林君はピストルをかまえることをわすれませんでした。

 しかし、いくらまっても、ニコラ博士は出てくるようすがありません。どこかへ、とびさってしまったのでしょうか。それとも、森の中におりて、なにかたくらんでいるのではないでしょうか。

 みんなはもう、まちきれなくなりました。

「森の中にはいって、ようすを見ることにしよう。」

 小林君は、とうとう、しびれをきらして、森の中にはいってみる決心をしました。明智探偵もいっしょにいってくれることになりました。

 少年探偵団員たちは、みんな小型の懐中電灯をもっていますので、てんでに、それをふりてらしながら、まっくらな森の中にはいっていくのです。小林団長はピストルをにぎって、先に立っています。

 ひとかかえも、ふたかかえもあるような、大きなヒノキなどが、たちならんでいます。

 懐中電灯はたくさんあっても、みんな万年筆型の小さいのですから、たいして明るくはありません。いやにチロチロして、なんだか、そのへんに、あやしいやつがかくれているような気がします。

 木のみきから、木のみきを、グルグルまわって、すすんでいきましたが、森のまんなかへんにきたとき、とつぜん、ガサガサという音がしたかと思うと、先に立っていた小林君の頭の上から、なにか大きなものが、サーッとおちてきました。

 アッというまに、小林君は、そこにたおれていました。

「だれだっ。きさま、ニコラ博士だなっ。」

 小林君は、大声にさけびましたが、ふと気がつくと、右手ににぎっていたピストルが、ありません。

「ワハハハハハ、いかにも、おれはニコラ博士だ。小林君、きみのピストルは、いまもらったよ。こっちのは、おれのピストルだ。つまり二ちょう拳銃さ。きみたちは、だれももうピストルはもっていない。こうなったら、おれの命令にしたがうほかはないね。さあ、そこをのくんだ。ニコラさまのお通りだ。」

 少年たちは、みんな、あとじさりをして、道をあけました。コウモリのようなマントをきた、白ひげのニコラ博士は、ゆうゆうとその間をとおって、森の外に出ていきました。

 だれもてむかうものはありません。少年たちがおそれをなしたのは、むりがないとしても、名探偵明智小五郎は、いったい、どうしたのでしょう。ふしぎなことに、そのへんに、姿が見えません。まさかにげだしてしまったわけではないでしょう。いや、にげだすどころか、そのとき、明智探偵は、ニコラ博士に気づかれぬよう、ある場所で、ひじょうにだいじな仕事をしていたのです。

 森を出たニコラ博士は、お堂の前に立っていた園田さんのそばへ、両手にピストルをかまえながら、近づいていきました。

「おい、さっき小林からうけとった、ダイヤモンドを、おれにわたせ。おれはニコラ博士だ。いうことをきかなければ、きみの命がないぞ。」

 地の底からひびいてくるような、いやな声です。二梃のピストルをつきつけられては、命令にしたがうほかはありません。園田さんは、ポケットから「青い炎」をとりだして、博士の前に、さしだしました。博士はそれをうけとって、

「よし、よし、これでおれも、約束をはたしたわけだね。ワハハハハハ、じゃあ、あばよ。」

といいすてて、また森の中へはいっていきました。

 少年たちは、まだ森の中にいましたが、だれもこの怪人にてむかうものはありません。

 やがて、さっき小林君の上から、とびおりた、大きなヒノキのそばへくると、二梃のピストルを、両方のポケットにいれ、いきなり、そのみきにすがりついて、木のぼりをはじめました。まるでサルのように、木のぼりがうまいのです。たちまち、枝や葉のしげった中に、姿が見えなくなってしまいました。

 小林少年は、べつの木のみきにかくれて、そっとそのようすを見ていました。懐中電灯はつけなくても、やみに目がなれて、ぼんやりと、そのへんが見えるのです。

 小林君は、いまに木の上で、どんなことがおこるかを、あらかたさっしていましたので、それをたのしみにして、まちかまえているのです。

 ここで、お話は、そのヒノキの上の枝葉えだはのしげった中にうつります。

 ニコラ博士は、二梃のピストルをポケットにいれ、両手で木のみきをかかえながら、第一の横枝から、第二の横枝へと、だんだん上のほうへ、のぼっていきました。

 そして、第三の横枝にのぼりついたときです。ハッと気がつくと、両方のポケットが、かるくなっていました。

 びっくりして、足でからだをささえ、両手でポケットをさぐってみますと、ピストルがありません。二梃ともなくなっているのです。

 ふしぎです。おとしたはずはありません。ひょっとしたら、この木にはサルかなんかがいて、ピストルを、よこどりしたのではないでしょうか。

「ウフフフフ、ニコラ博士、びっくりしているね。ぼくだよ、明智小五郎だよ。ピストルは、ぼくがちょうだいして、下へなげおとしてしまったのだよ。これで、きみもぼくも、武器がなくなったのだから、ごかくの戦いができるというものだ。」

 ああ、名探偵はここにかくれて、ニコラ博士のかえってくるのを、まっていたのです。博士はスーパーマンのように、空をとぶためには、どうしても、この木のてっぺんに、かえってこなければならないわけがあったのです。明智探偵は、そのことを、ちゃんと知っていました。

 明智は、さらに、ことばをつづけます。

「ぼくがどうしてこんなところにいるか、そのわけは、きみももう、さっしているだろうね。

 いうまでもなく、きみの空とぶ羽根を、こわしてしまうためさ。きみがどうして、スーパーマンのように、空をとぶか、その秘密を、ぼくは知っているのだ。数年前、あるフランス人が、人間が背中につけてとべる、ヘリコプターを小さくしたような機械を発明した。日本にたったひとり、その機械を買いいれたやつがいる。きみはそれを使ってスーパーマンのまねをしていたのだ。夜や、うすぐらい日には、プロペラが見えないので、いかにもスーパーマンがとんでいるように思うのだ。

 きみは、その機械を、この木のてっぺんにかくしておいて、ダイヤモンドをうばうために、おりていったが、それが手にはいったので、またプロペラを背中につけて、空へとびたつために、ここにもどってきた。だが、もうだめだよ。あの機械は、きみが下におりているうちに、ぼくがこわしてしまった。きみはもうとべないのだ。スーパーマンが飛行の術をうしなってしまったのだ。」

 そのとき、パッと、二つのまるい光がいれちがって、まっくらな木の葉の中に、二つの人間の顔が、明るくてらしだされました。

 明智探偵と、ニコラ博士とが、それぞれ懐中電灯をとりだして、あいての顔をてらしたのです。


怪人二十面相


 名探偵とニコラ博士は、ヒノキの枝の上で、にらみあいました。

「きみは、この木のてっぺんから、スーパーマンのように、とびたつつもりだったろうが、そのとび道具のプロペラは、ぼくがこわしてしまった。きみはもう超人の力をうしなったのだ。」

 明智が一段上の木の枝から、ニコラ博士を見おろして、とどめをさすように、いいました。

 ニコラ博士は、ポケットにいれていた二梃のピストルも、さっき明智にとりあげられてしまったので、もうどうすることもできません。上の枝には明智がいるのですから、にげるなら、下におりるほかはないのです。

 博士は、いきなり、木をすべりおちるように、下へにげます。明智はそのあとをおいながら、大声にさけびました。

「おーい、小林君、少年探偵団の諸君。ニコラ博士は、木をおりていく。ピストルはぼくがとりあげてしまったから、だいじょうぶだ。みんなで、つかまえてくれたまえ。」

 すると、下にまちかまえていた小林少年が、ポケットから、呼び子の笛をとりだして、ピリピリピリ……と、ふきならしました。

 それをきくと、四方ににげちっていた少年たちが、小林君のそばに、かけもどってきました。

「ニコラ博士は、もうピストルを持っていない。みんなで、つかまえるんだっ。」

 そうさけんでいるところに、すぐ目の前のヒノキのみきを、サーッとすべりおりてくるニコラ博士の姿が見えました。

「それっ。」というので、少年たちはとびかかっていきます。

 おそろしい格闘がはじまりました。ニコラ博士は、若者のような力があります。くみついていく少年たちは、かたっぱしから、投げとばされました。

 しかし、投げられても、投げられても、またくみついていく少年たち。こちらは小林少年をいれて十一人です。いくら博士が強くても、だんだん、旗色はたいろがわるくなってきました。

 しかし、ニコラ博士にはおくの手があったのです。

 博士は、少年たちのうちで、いちばんよわそうなひとりを、いきなり、うしろから、だきかかえると、少年の首に、腕をまきつけて、のどをしめました。

「やい、こわっぱども。おれにてむかいすると、この子どもを、しめ殺してしまうぞっ。さあ、どうだ。これでもか。」

 小林君の懐中電灯が、そのありさまをてらしだしました。

 つかまっている少年は、息がつまって、まっかな顔をして、目を白黒させています。このまま、ほうっておいたら殺されてしまうかもしれません。

 小林君はポケットをさぐりました。そこには二梃のピストルがはいっています。さっき、木の上から、明智探偵が投げおとしたニコラ博士のピストルを、ひろっておいたのです。

「ニコラ博士、その手をはなせっ。でないと、これだぞっ。」

 小林君は、右手で一梃のピストルをかまえて、左手の懐中電灯の光を、それにあててみせました。

 そのとき、くらやみの中から、明智探偵の力強い声がひびいてきました。探偵もヒノキからおりて、さっきから、格闘のようすをながめていたのです。

「二十面相君、きみは人殺しはしないはずだったね。」

 ふいをつかれて、ニコラ博士は、おもわず、少年をつかまえていた手をはなしました。そして、おどろきのために、とびだすほど、見ひらいた目で、やみの中をみつめました。ニコラ博士の顔は、明智の懐中電灯でてらされていましたが、明智の姿は、やみにかくれて、すこしも見えないのです。

「ハハハハハ……、とうとう白状したな。いまのようすで、きみが二十面相であることは、もうまちがいない。背中につけて、空をとぶ豆ヘリコプターを持っているのは、二十面相のほかにはない。ぼくはそれを、まえに見たことがあるので、よく知っているのだ。このヒノキのてっぺんに、かくしてあったのは、それとおなじものだった。

 ぼくはさいしょから、ニコラ博士は二十面相にちがいないと思っていた。宝石や美術品ばかりねらうのは、いかにも二十面相らしいし、小林君や少年探偵団員を、ひどいめにあわせて、よろこんでいるのは、二十面相の復讐としか考えられないからね。そこへもってきて、小林君が、にせ小林になりすまして、きみの秘密を、みんなきいてしまったのだよ。ハハハハ……、二十面相君、しばらくだったねえ。」

「ワハハハハ……。」

 ニコラ博士は、明智よりも、もっと大きな声で笑いとばしました。

「明智君、きみももうろくしたな。てごわいあいてにでくわすと、みんな二十面相にしてしまう。わしはドイツ生まれの百十四歳のニコラ博士だ。人ちがいをしてもらってはこまるよ。」

 そのとき、やみの中から、パッととびだしてきたものがあります。明智探偵です。探偵は、いきなり、ニコラ博士にちかづくと、博士の長い白ひげと、しらがのかつらを、力まかせに、はぎとってしまいました。その下からあらわれたのは、黒いかみの毛の、わかわかしい顔でした。

 こうなっては、もう百十四歳の老人などといいはることはできません。

「ハハハハ……、さすがは明智君だ。とうとうニコラ博士の魔法をやぶってしまったねえ。だが、おれはまだまけたわけではないぜ。いつもいうように、おれはどんなときでも、さいごのおくの手が、のこしてあるのだ。」

 そういったかと思うと、ポケットから小さな写真機のようなものをとりだして、口の前に持っていきました。

「こちらニコラ。こちらニコラ。さいごの手段だっ。わかったか。よしよし、わかったね。」

 それは小型の無線電話機でした。はなしかけたあいては、ニコラ博士の、れいのすみかに、るす番をしている部下のものにちがいありません。

 二十面相は、にくにくしげな笑い顔で、明智探偵にむきなおりました。

「わかるかね。さいごの手段とは、なんだと思う。爆発だっ。なにもかも、こなみじんになって、ふっとんでしまうのだ。おれの地下室の牢屋には、宝石王玉村一家のものと、白井美術店の人たちが、とじこめてある。おれに自由をあたえなければ、それらの人たちが、みな殺しになってしまうのだ。おれは人殺しは大きらいだ。しかし、おれの自由にはかえられない。おれに人殺しをさせるのも、明智君、みんなきみのせいだぞっ。」

「アハハハハ……。」

 とつぜん、べつの方角から、笑い声がひびきました。小林少年です。小林君が、さもおかしそうに、笑っているのです。

「アハハハハ……、二十面相君、きみは地下室においてある爆薬のたるのことをいっているのだろう。あのたるの導火線に火をつけて、みんながにげだすという、ふるくさいやりかただろう。ところが、あの爆薬は、ぼくがだめにしておいたよ。たるの中は水びたしだし、導火線は外から見たのではわからぬように、きりはなしてあるのだ。それに火をつけたって、爆発などおこりっこないよ。アハハハハハ……。」

 それをきくと、二十面相は、無電機を地上に投げつけて、じだんだをふみました。

「ちくしょうめ、小林のやつ、よくもそこまで、手をまわしたなっ。おぼえていろ。このしかえしは、きっとしてやるからな。」

 そのとき、くらやみのかなたから、懐中電灯の強い光が三つ、グングンこちらへちかづいてきました。

「明智君、中村だ。」

 それは警視庁の中村警部が、数名の刑事たちをつれてやってきたのでした。

「中村君、ここだ。二十面相はここにいる。つかまえてくれたまえ。」

 刑事たちが、二十面相にかけよって、たちまち手錠をはめてしまいました。

 さっき持仏堂の中で、小林君がにせ明智の義眼をくりぬいて、ダイヤモンドをとりかえしたとき、ほんものの明智探偵が、しばらく、どこかに姿を消していましたが、そのとき、探偵は、中村警部に電話をかけて、いそいでここにきてくれるようにと、たのんだのでした。

「中村君、これからすぐに、こいつのすみかにのりこもう。二十面相もいっしょにつれていく。ぼくは警視庁の留置場にとじこめるまで、こいつのそばをはなれないつもりだ。でないと、こいつ、どんなおくの手を用意しているか、わからないからね。」

 二十面相の両手に手錠をはめ、右左にひとりずつ刑事がつきそい、手錠の片方を刑事の手にもはめて、ぜったいににげられないようにして、自動車にのりこみました。

 二十面相は、もうかんねんしたのか、にが笑いをうかべて、だまりこんでいます。

 警視庁の自動車のほかに数台のハイヤーをよんで、中村警部、その部下たち、明智探偵、手錠をはめられたにせ明智、小林少年、それから、今夜のとりものの功労者である十人の少年探偵団員もみんな自動車にのりこんで、怪人のすみかへといそぐのでした。


人間改造術


 ニコラ博士のすみかにつくと、中村警部とその部下たちは、うらおもてから建物にふみこみ、そこにいた賊の手下どもを、すっかりとらえてしまいました。

 それから、二十面相を、地下室の牢屋の一つにとじこめ、見はりの刑事をつけておいて、べつの牢屋にいれられていた、玉村家と白井家の人たちをたすけだし、牢屋にのこっていた、にせの小林少年は、ひきだして、手錠をはめてしまいました。

「これで、二十面相とその部下のしまつはついたが、まだ一つだけ、のこっていることがある。それは、この地下室のいちばんおくにかくれている、一寸法師の医学者の尋問じんもんだ。まったくおなじ人間を、いくらでもつくりだす、あの医学者の秘密を、あきらかにしなければならない。小林君、そこに案内してくれたまえ。」

 みんなは、小林少年のあとについて、部屋ぜんたいのエレベーターで地下二階におり、ロッカーのような人形箱のならんでいる廊下をとおりすぎて、あの、まぶしいほどあかるい機械室にはいっていきました。

 すると、たちならぶ、めずらしい機械のおくから、まるでビックリ箱をとびだすように、あの頭をまるぼうずにした一寸法師が、ピョコンと、姿をあらわしました。

 小林少年は、ツカツカとそのそばにちかづいて、

「先生、ぼくをおぼえていらっしゃるでしょう?」

と、声をかけました。

「おお、おぼえているとも、わしのかわいいむすこじゃもんなあ。」

 一寸法師はニヤニヤ笑っています。

「えっ、むすこですって?」

「おお、むすこじゃとも、わしのつくった人間は、千人、万人、十万人、みんなわしのかわいいむすこじゃよ。

 ところで、きみたち、おおぜいで、きょうは、なにかあるのかね。あっ、そうだ。お祝いのパーティーだったね。シャンパンをぬくんだね。おーい、ボーイども、シャンパンだ。十本、二十本、いや、まだたりない。五十本、百本、いくらでも持ってこい。そして、けいきよくポンポンぬくんだ。おーい、ボーイどもはいないのか。ボーイ、ボーイ……。」

 こんなところにボーイなどいるはずがありません。シャンパンなどあるはずがないのです。一寸法師は、このまえ、小林君があったときから、気ちがいめいていましたが、今夜はもっとひどいようです。

「先生、そんなことよりも、このあいだ、ぼくにおしえてくださったように、そっくりおなじ人間をつくり出す方法を、みなさんに話してあげてください。このかたは警視庁捜査課の中村警部さんです。それから、こちらは、ぼくの先生の明智探偵です。今夜はみんなで、あなたのお話をききにきたのですよ。」

「おお、きみが名探偵明智小五郎君か。わしは、一度あいたいと思っていたよ。ちょうどいい。さあ、シャンパンをぬいて乾杯しよう。そして、きみとおどろう。バンド・マスター、うまくたのむぜ。」

 そういったかと思うと、おどろいたことには、一寸法師は、いきなり、ひとりでダンスをはじめて、機械のあいだを、あちらこちらと、はねまわるのでした。

 それを見て、明智探偵は、みんなに話しかけました。

「この人は、とうとう気がちがったようです。この人には、まえに小林君があったことがあるのです。そのときから、すこしおかしかったそうですが、それでも、人間改造術について、ながながと、小林君に演説してきかせたそうです。

 ぼくはそれを、小林君からくわしくきいていますから、ここで、ごくかんたんに、その術についてお話しすることにしましょう。人間の顔をかえることは、眼科や耳鼻科で、今でも、あるていどは、やっているのです。

 眼科では、ひとえまぶたを、ふたえまぶたにする手術は、てがるにできます。顔を美しくしたい若い女の人などが、よくその手術をうけています。

 耳鼻科では、ゾウゲやそのほかの材料を、鼻の中に入れる手術で、鼻を高くすることができます。これも、おしゃれの男や女が、さかんにやってもらっているのです。

 いまはやっているのは、目と鼻の手術ぐらいですが、やろうと思えば、人間のからだは、どこでも、そういう整形手術をほどこすことができるはずです。たとえば肩のはった人を、なで肩にするのには、肩の骨をけずればいいのだし、あごの形をかえるのにも、やはりあごの骨をけずればいいのです。そういう手術は、わけなくできるけれども、だれもそんなものずきなまねをしないだけのことです。それから、歯を総いれ歯にすれば、そのいれ歯のつくりかたで、口やほおの形を、どんなにでもかえることができます。また、やせたほおをふっくらさせるのには、薬品をほおに注射するというやりかたもあります。かみの毛のはえぎわや、まゆの形をかえるのには、脱毛術、植毛術があり、毛の色をかえるのも、ぞうさないことです。

 それから、コンタクトレンズを、すこし大きくつくって、義眼のように黒目の絵をかけば、黒目を大きくも小さくもできるし、目の色をかえることだってわけはないのです。

 この一寸法師の医学者は、医科大学にいるころに、人間改造術ということを考えつき、だれもやらないその術のために、一生をささげようと決心したのだそうです。

 そして、眼科、歯科、耳鼻科、整形外科、皮膚科、美容術と、あらゆる方面にわたって研究をつづけ、ついに人間改造術というものをつくりあげてしまったのです。ところが、ふつうの人間は、顔かたちをかえることなど、考えるものではありません。もしそういうことを考えるものがあるとすれば、それは犯罪者です。警察に追われている犯罪者ならば、じぶんの顔を、まったくちがった顔にかえたくなるでしょう。

 ですから、この一寸法師のお医者さんは、しぜんと悪人とつきあうようになり、さいごには、怪人二十面相の手下になってしまったのです。めざす宝石や美術品をもっている人の一家を、みんな、にせものにかえてしまうという思いきったやりかたは、おそらく二十面相が考えついたのでしょう。

 まず、その人によくにた人間をさがしだして、人間改造術のふしぎを見せて、ときつけるのです。有名な宝石商や美術店の主人や家族になれるのですから、すこしでも悪い心のあるやつなら、だれもいやとはいわないでしょう。手術にとりかかるまえに、まず、あらゆる角度からとった、ほんものの人間の写真をあつめ、それによってロウ人形をつくり、ほんものをよく知っている人に見てもらって、なおすところはなおしたうえ、いよいよ人間改造術にとりかかるのです。もともと、からだや顔のにた人間に手術をほどこすのですから、できあがった人が、そっくりおなじに見えるのも、ふしぎではありません。

 二十面相は美術愛好家です。ですから、さいわいにも、宝石や美術品をぬすむためだけに、人間改造術を使ったので、ひじょうに大きな害はなかったのですが、この術は、使いかたによっては、世界を一大動乱にみちびき、核戦争をおっぱじめさせることだって、できないことはないのです。たとえば、ある国の最高の地位の人や、大臣高官たちを、人間改造術によって、悪人の手下と入れかえてしまったら、どんなことになるでしょうか。

 それを一つの国だけでなく、いくつもの大国にほどこしたら、どんなことになるでしょうか。世界を一大動乱にまきこむことは、わけはないのです。核戦争は、その持ち場についている、たったひとりの人間の、ちょっとした思いちがいや、ボタンのおしまちがいからでも、おこりうるといいます。そうだとすれば、たったひとりの改造人間をつくれば、核戦争をおこし、地球上の人類を滅亡させることだってできないことではありません。考えただけでも、身ぶるいが出ます。

 二十面相が、そこまでの悪人でなかったことは、なによりのことでした。さいわいなことに、この一寸法師は気がくるったようです。もう手術をする力もないかもしれません。天ばつです。天が人間改造術などという、おそろしい罪をゆるさなかったのです。この男は気ちがいです。しかし、ねんのために、一生がい牢獄にとじこめておかなければなりません。」

 明智探偵は長い話をおわって、中村警部に目であいずをしました。すると、警部はそばにいたふたりの刑事に、なにかささやきました。

 ふたりの刑事はツカツカと、前にすすみました。そして、まだニヤニヤ笑っている一寸法師にちかづくと、いきなりカチンと手錠をはめてしまいました。一寸法師はそれでも、べつにおどろくようすはありません。

「わしをどこへつれていくのだ。ああ、わかった。王様の御殿につれていくのだな。そして、王様はわしに勲章くんしょうをくださるのだ。ありがたい、ありがたい。」

と、みょうなたわごとを口ばしるのでした。これで超人ニコラ博士の事件はめでたくおわりました。

 ニコラ博士にばけていた怪人二十面相と、その手下たちはとらえられ、一寸法師の気ちがい医師も刑務所に送られ、宝石王玉村さん一家、美術店白井さん一家は、ぶじすくいだされ、盗まれた宝石などは、みんな持ち主の手にかえりました。

「こんどの事件で、いちばんの働きをしたのは、小林君だな。そして、それをたすけたのは、少年探偵団の諸君だ。」

 中村警部が笑いながらいいました。

「いや、日ごろの明智先生の教えがなければ、なにもできなかったでしょう。やっぱり先生のおかげですよ。」

 小林少年が、けんそんしていいました。それをきくと、十人の少年探偵団員が、口をそろえてさけびました。

「明智先生、ばんざあい……。」

「小林団長、ばんざあい……。」

 そして、

「少年探偵団、ばんざあい……。」

底本:「超人ニコラ/大金塊」江戸川乱歩推理文庫、講談社

   1988(昭和63)年108日第1刷発行

初出:「少年」光文社

   1962(昭和37)年1月~12

入力:sogo

校正:茅宮君子

2018年225日作成

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