夏目漱石




 宗助そうすけ先刻さつきから縁側えんがは坐蒲團ざぶとんして日當ひあたりのささうなところ氣樂きらく胡坐あぐらをかいてたが、やがてつてゐる雜誌ざつしはふすとともに、ごろりとよこになつた。秋日和あきびよりのつくほど上天氣じやうてんきなので、徃來わうらいひと下駄げたひゞきが、しづかな町丈まちだけに、ほがらかにきこえてる。肱枕ひぢまくらをしてのきからうへ見上みあげると、奇麗きれいそら一面いちめんあをんでゐる。其空そのそら自分じぶんてゐる縁側えんがは窮屈きゆうくつ寸法すんぱふくらべてると、非常ひじやう廣大くわうだいである。たまの日曜にちえううしてゆつくりそらだけでも大分だいぶちがふなとおもひながら、まゆせて、ぎら〳〵する少時しばらく見詰みつめてゐたが、まぼしくなつたので、今度こんどはぐるりと寐返ねがへりをして障子しやうじはういた。障子しやうじなかでは細君さいくん裁縫しごとをしてゐる。

「おい、天氣てんきだな」とはなけた。細君さいくんは、

「えゝ」とつたなりであつた。宗助そうすけべつはなしがしたいわけでもなかつたとえて、それなりだまつて仕舞しまつた。しばらくすると今度こんど細君さいくんはうから、

「ちつと散歩さんぽでもらつしやい」とつた。しか其時そのとき宗助そうすけたゞうんと生返事なまへんじかへしただけであつた。

 二三ぷんして、細君さいくん障子しやうじ硝子がらすところかほせて、縁側えんがはてゐるをつと姿すがたのぞいてた。をつとはどう了見れうけん兩膝りやうひざげて海老えびやう窮屈きゆうくつになつてゐる。さうして兩手りやうてはして、其中そのなかくろあたまんでゐるから、ひぢはさまれてかほがちつともえない。

貴方あなたそんなところると風邪かぜいてよ」と細君さいくん注意ちゆういした。細君さいくん言葉ことば東京とうきやうやうな、東京とうきやうでないやうな、現代げんだい女學生ぢよがくせい共通きようつう一種いつしゆ調子てうしつてゐる。

 宗助そうすけ兩肱りやうひぢなかおほきなをぱち〳〵させながら、

やせん、大丈夫だいぢやうぶだ」と小聲こごゑこたへた。

 それからまたしづかになつた。そととほ護謨車ごむぐるまのベルのおとが二三つたあとから、とほくでにはとり時音ときをつくるこゑきこえた。宗助そうすけ仕立卸したておろしの紡績織ばうせきおり脊中せなかへ、自然じねんんで光線くわうせん暖味あたゝかみを、襯衣しやつしたむさぼるほどあぢはひながら、おもておとくともなくいてゐたが、きふおもしたやうに、障子越しやうじごしの細君さいくんんで、

御米およね近來きんらいきんはどういたつけね」とたづねた。細君さいくんべつあきれた樣子やうすもなく、わかをんな特有とくいうなけたゝましい笑聲わらひごゑてず、

近江おほみおほぢやなくつて」とこたへた。

その近江おほみおほわからないんだ」

 細君さいくんつた障子しやうじ半分はんぶんばかりけて、敷居しきゐそとなが物指ものさしして、其先そのさききん縁側えんがはいてせて、

うでしやう」とつたぎり物指ものさしさきを、とまつたところいたなり、わたつたそらひとしきりながつた。宗助そうすけ細君さいくんかほずに、

左樣さうか」とつたが、冗談じようだんでもなかつたとえて、べつわらひもしなかつた。細君さいくんきんまるにならない樣子やうすで、

本當ほんたう御天氣おてんきだわね」となかひとごとやうひながら、障子しやうじけたまゝまた裁縫しごとはじめた。すると宗助そうすけひぢはさんだあたますこもたげて、

うもふものは不思議ふしぎだよ」とはじめて細君さいくんかほた。

何故なぜ

何故なぜつて、幾何いくら容易やさしでも、こりやへんだとおもつてうたぐりすとわからなくなる。此間このあひだ今日こんにちこん大變たいへんまよつた。かみうへへちやんといてて、ぢつとながめてゐると、なんだかちがつたやうがする。仕舞しまひにはればほどこんらしくなくなつてる。──御前おまいそんなこと經驗けいけんしたことはないかい」

「まさか」

己丈おれだけかな」と宗助そうすけあたまてた。

貴方あなたうかしてらつしやるのよ」

神經衰弱しんけいすゐじやく所爲せゐかもれない」

左樣さうよ」と細君さいくんをつとかほた。をつとやうやあがつた。

 針箱はりばこ糸屑いとくづうへやうまたいでちやふすまけると、すぐ座敷ざしきである。みなみ玄關げんくわんふさがれてゐるので、あたりの障子しやうじが、日向ひなたからきふ這入はいつてひとみには、うそさむうつつた。其所そこけると、ひさしせまやう勾配こうばいがけが、縁鼻えんばなからそびえてゐるので、あさうちあたつてしかるべきはず容易よういかげおとさない。がけにはくさえてゐる。したからして一側ひとかはいしたゝんでないから、何時いつくづれるかわからないおそれがあるのだけれども、不思議ふしぎにまだくづれたことがないさうで、そのため家主やぬしながあひだむかしまゝにしてはふつてある。もつともと一面いちめん竹藪たけやぶだつたとかで、それをひらとき根丈ねだけかへさずに土堤どてなかうめいたから、存外ぞんぐわいしまつてゐますからねと、町内ちやうないに二十ねんんでゐる八百屋やほやおやぢ勝手口かつてぐちでわざ〳〵説明せつめいしてれたことがある。其時そのとき宗助そうすけはだつてのこつてゐれば、またたけえてやぶになりさうなものぢやないかとかへしてた。するとおやぢは、それがね、あゝひらかれてると、さううまくもんぢやありませんよ。しか崖丈がけだけ大丈夫だいぢやうぶです。どんなことがあつたつてえつこはねえんだからと、あたか自分じぶんのものを辯護べんごでもするやうりきんでかへつてつた。

 がけあきつてもべついろづく樣子やうすもない。たゞあをくさにほひめて、不揃ぶそろにもぢや〳〵するばかりである。すゝきだのつただのと洒落しやれたものにいたつてはさら見當みあたらない。其代そのかはむかし名殘なごりの孟宗まうそう中途ちゆうとに二ほんうへはうに三本程ぼんほどすつくりとつてゐる。それ多少たせうまつて、みきすときなぞは、みきからくびすと、土手どてうへあき暖味あたゝかみながめられるやう心持こゝろもちがする。宗助そうすけあさ四時過よじすぎかへをとこだから、つま此頃このごろは、滅多めつたがけうへのぞひまたなかつた。くら便所べんじよからて、手水鉢てうづばちみづけながら、不圖ふとひさしそと見上みあげたときはじめてたけことおもした。みきいたゞきこまかなあつまつて、まる坊主頭ばうずあたまやうえる。それがあきつておもしたいて、ひつそりとかさなつたが一まいうごかない。

 宗助そうすけ障子しやうじてゝ座敷ざしきかへつて、つくゑまへすわつた。座敷ざしきとはひながらきやくとほすから左樣さうづけるまでで、じつ書齋しよさいとか居間ゐまとかはう穩當をんたうである。北側きたがはとこがあるので、申譯まをしわけためへんぢくけて、其前そのまへ朱泥しゆでいいろをしたせつ花活はないけかざつてある。欄間らんまにはがくなにもない。たゞ眞鍮しんちゆう折釘丈をれくぎだけが二ほんひかつてゐる。其他そのたには硝子戸がらすどつた書棚しよだなひとつある。けれどもなかにはべつこれつて目立めだほど立派りつぱなものも這入はいつてゐない。

 宗助そうすけ銀金具ぎんかなぐいたつくゑ抽出ひきだしけてしきりなかしらしたが、べつなに見付みつさないうちに、はたりとめて仕舞しまつた。それから硯箱すゞりばこふたつて、手紙てがみはじめた。一ぽんいてふうをして、一寸ちよつとかんがへたが、

「おい、佐伯さへきのうちは中六番町なかろくばんちやう何番地なんばんちだつたかね」と襖越ふすまごし細君さいくんいた。

「二十五番地ばんちぢやなくつて」と細君さいくんこたへたが、宗助そうすけ名宛なあてをはころになつて、

手紙てがみぢや駄目だめよ、つてはなしをしてなくつちや」とくはへた。

「まあ、駄目だめまで手紙てがみを一ぽんしてかう。それ不可いけなかつたら出掛でかけるとするさ」とつたが、細君さいくん返事へんじをしないので、

「ねぇ、おい、それいだらう」とねんした。

 細君さいくんわるいともかねたとえて、其上そのうへあらそひもしなかつた。宗助そうすけ郵便いうびんつたまゝ座敷ざしきから玄關げんくわんた。細君さいくんをつと足音あしおといてはじめて、つたが、これちや縁傳えんづたひに玄關げんくわんた。

一寸ちよつと散歩さんぽつてるよ」

つてらつしやい」と細君さいくん微笑びせうしながらこたへた。

 三十ぷんばかりして格子かうしががらりといたので、御米およねまた裁縫しごとめて、縁傳えんづたひに玄關げんくわんると、かへつたとおも宗助そうすけかはりに、高等學校かうとうがくかう制帽せいばうかぶつた、おとうと小六ころく這入はいつてた。はかますそが五六すんしかないくらゐなが黒羅紗くろラシヤのマントのぼたんはづしながら、

あつい」とつてゐる。

「だつてあんまりだわ。この御天氣おてんきにそんなあついものをるなんて」

なにれたらさむいだらうとおもつて」と小六ころく云譯いひわけ半分はんぶんしながら、あによめあといて、ちやとほつたが、けてある着物きものけて、

相變あひかはらずせいますね」とつたなり、長火鉢ながひばちまへ胡坐あぐらをかいた。あによめ裁縫しごとすみはうつていて、小六ころくむかふて、一寸ちよつと鐵瓶てつびんおろしてすみはじめた。

御茶おちやなら澤山たくさんです」と小六ころくつた。

いや?」と女學生流ぢよがくせいりうねんした御米およねは、

「ぢや御菓子おくわしは」とつてわらひかけた。

るんですか」と小六ころくいた。

「いゝえ、いの」と正直しやうぢきこたへたが、おもしたやうに、「つて頂戴ちやうだいるかもれないわ」とひながらがる拍子ひやうしに、よこにあつた炭取すみとり退けて、袋戸棚ふくろとだなけた。小六ころく御米およね後姿うしろすがたの、羽織はおりおびたかくなつたあたりながめてゐた。なにさがすのだか中々なか〳〵手間てまれさうなので、

「ぢや御菓子おくわししにしませう。それよりか、今日けふにいさんはうしました」といた。

にいさんはいま一寸ちよいと」と後向うしろむきまゝこたへて、御米およね矢張やは戸棚とだななかさがしてゐる。やがてぱたりとめて、

駄目だめよ。何時いつにかにいさんがみんなべて仕舞しまつた」とひながら、また火鉢ひばちむかふかへつてた。

「ぢやばんなに御馳走ごちそうなさい」

「えゝてよ」と柱時計はしらどけいると、もう四時よじちかくである。御米およねは「四時よじ五時ごじ六時ろくじ」と時間じかん勘定かんぢやうした。小六ころくだまつてあによめかほてゐた。かれ實際じつさいあによめ御馳走ごちそうにはあま興味きようみなかつたのである。

ねえさん、にいさんは佐伯さへきつてれたんですかね」といた。

此間このあひだからくつてつてることつてるのよ。だけど、にいさんもあさ夕方ゆふがたかへるんでせう。かへると草臥くたびれちまつて、御湯おゆくのも大儀たいぎさうなんですもの。だから、さうめるのも實際じつさい御氣おきどくよ」

「そりやにいさんもいそがしいにはちがひなからうけれども、ぼくもあれがまらないと氣掛きがゝりでいて勉強べんきやう出來できないんだから」とひながら、小六ころく眞鍮しんちゆう火箸ひばしつて火鉢ひばちはひなかなにかしきりにした。御米およねそのうご火箸ひばちさきてゐた。

「だから先刻さつき手紙てがみしていたのよ」となぐさめるやうつた。

なんて」

「そりやわたしもついなかつたの。けれども、屹度きつとあの相談さうだんよ。いまにいさんがかへつてたらいて御覽ごらんなさい。屹度きつと左樣さうよ」

「もし手紙てがみしたのなら、そのようにはちがひないでせう」

「えゝ、本當ほんたうしたのよ。いまにいさんがその手紙てがみつて、しにつたところなの」

 小六ころくはこれ以上いじやう辯解べんかいやう慰藉ゐしややうあによめ言葉ことばみゝしたくなかつた。散歩さんぽひまがあるなら、手紙てがみかはりに自分じぶんあしはこんでれたらよささうなものだとおもふとあま心持こゝろもちでもなかつた。座敷ざしきて、書棚しよだななかからあか表紙へうし洋書やうしよして、方々はう〴〵ページはぐつててゐた。



 其所そこかなかつた宗助そうすけは、まち角迄かどまでて、切手きつてと「敷島しきしま」をおなみせつて、郵便丈いうびんだけはすぐしたが、そのあしまたおなみちもどるのがなんだか不足ふそくだつたので、くは烟草たばこけむあきゆらつかせながら、ぶら〳〵あるいてゐるうちに、どこかとほくへつて、東京とうきやうところはこんなところだと印象いんしやうをはつきりあたまなかきざけて、さうしてそれ今日けふ日曜にちえう土産みやげうちかへつてやうとになつた。かれ年來ねんらい東京とうきやう空氣くうきつてきてゐるをとこであるのみならず、毎日まいにち役所やくしよ行通ゆきかよひには電車でんしや利用りようして、にぎやかなまちを二づゝは屹度きつとつたりたりする習慣しふくわんになつてゐるのではあるが、身體からだあたまらくがないので、何時いつでもうはそら素通すどほりをすることになつてゐるから、自分じぶんそのにぎやかなまちなかいきてゐると自覺じかく近來きんらいとんおこつたことがない。もつと平生へいぜいいそがしさにはれて、別段べつだんにもからないが、七日なのかに一ぺん休日きうじつて、こゝろがゆつたりとける機會きくわい出逢であふと、不斷ふだん生活せいくわつきふにそわ〳〵した上調子うはてうしえてる。必竟ひつきやう自分じぶん東京とうきやうなかみながら、ついまだ東京とうきやうといふものをことがないんだといふ結論けつろん到着たうちやくすると、かれ其所そこ何時いつめう物淋ものさびしさをかんずるのである。

 さうときにはかれきふおもしたやうまちる。其上そのうへふところ多少たせう餘裕よゆうでもあると、これひと豪遊がういうでもして見樣みやうかとかんがへることもある。けれどもかれさびしみは、かれおもつた極端きよくたんほどに、強烈きやうれつ程度ていどなものでないから、かれ其所そこまで猛進まうしんするまへに、それも馬鹿々々ばか〳〵しくなつてめて仕舞しまふ。のみならず、んなひと常態じやうたいとして、紙入かみいれそこ大抵たいてい場合ばあひには、輕擧けいきよいましめる程度内ていどないふくらんでゐるので、億劫おくくふ工夫くふうこらすよりも、懷手ふところでをして、ぶらりとうちかへはうが、ついらくになる。だから宗助そうすけさびしみはたんなる散歩さんぽ觀工場くわんこうば縱覽じゆうらんぐらゐところで、つぎ日曜にちえうまでうかうか慰藉ゐしやされるのである。

 此日このひ宗助そうすけかくもとおもつて電車でんしやつた。ところ日曜にちえう好天氣かうてんきにもかゝはらず、平常へいじやうよりは乘客じようきやくすくないのでれいになく乘心地のりごゝちかつた。其上そのうへ乘客じようきやくがみんな平和へいわかほをして、どれもこれもゆつたりと落付おちついてゐるやうえた。宗助そうすけこしけながら、毎朝まいあさ例刻れいこくさきあらそつてせきうばひながら、まるうち方面はうめんむか自分じぶん運命うんめいかへりみた。出勤刻限しゆつきんこくげん電車でんしや道伴みちづれほど殺風景さつぷうけいなものはない。かはにぶらがるにしても、天鵞絨びろうどこしけるにしても、人間的にんげんてきやさしい心持こゝろもちおこつたためしいまかつてない。自分じぶんそれ澤山たくさんだとかんがへて、器械きかいなんぞとひざあはかたならべたかのごとくに、きたいところまで同席どうせきして不意ふいりて仕舞しまだけであつた。まへ御婆おばあさんがやつぐらゐになる孫娘まごむすめみゝところくちけてなにつてゐるのを、そばてゐた三十恰好がつかう商家しやうか御神おかみさんらしいのが、可愛かあいらしがつて、としいたりたづねたりするところながめてゐると、今更いまさらながらべつ世界せかいやう心持こゝろもちがした。

 あたまうへには廣告くわうこく一面いちめんわくめてけてあつた。宗助そうすけ平生へいぜいこれにさへかなかつた。何心なにごゝろなしに一番目ばんめのをんでると、引越ひつこし容易ようい出來できますと移轉會社いてんぐわいしや引札ひきふだであつた。其次そのつぎには經濟けいざい心得こゝろえひとは、衞生ゑいせい注意ちゆういするひとは、用心ようじんこのむものは、と三ぎやうならべていて其後そのあと瓦斯竈ガスがま使つかへといて、瓦斯竈ガスがまからてゐるまでへてあつた。三番目ばんめには露國文豪ろこくぶんがうトルストイはく傑作けつさく千古せんこゆき」とふのと、バンカラ喜劇きげき小辰こたつ大一座おほいちざふのが、赤地あかぢしろいてあつた。

 宗助そうすけやくぷんかつてすべての廣告くわうこく丁寧ていねいに三返程べんほどなほした。べつつてやうとおもふものも、つてたいとおもふものもかつたが、たゞ是等これら廣告くわうこく判然はつきり自分じぶんあたまうつつて、さうしてそれ一々いち〳〵おほせた時間じかんのあつたことと、それをこと〴〵理解りかいたとこゝろ餘裕よゆうが、宗助そうすけにはすくなからぬ滿足まんぞくあたへた。かれ生活せいくわつ是程これほど餘裕よゆうにすらほこりをかんずるほどに、日曜にちえう以外いぐわい出入ではいりには、いてゐられないものであつた。

 宗助そうすけ駿河臺下するがだいした電車でんしやりた。りるとすぐ右側みぎがは窓硝子まどがらすなかうつくしくならべてある洋書やうしよいた。宗助そうすけはしばらく其前そのまへつて、あかあをしま模樣もやううへに、あざやかにたゝんである金文字きんもじながめた。表題へうだい意味いみ無論むろんわかるが、つて、なかしらべてやうといふ好奇心かうきしんはちつともおこらなかつた。本屋ほんやまへとほると、屹度きつとなか這入はいつてたくなつたり、なか這入はいるとかならなにしくなつたりするのは、宗助そうすけからふと、すで一昔ひとむかまへ生活せいくわつである。たゞ Historyヒストリ ofオフ Gamblingガムブリング博奕史ばくえきし)とふのが、殊更ことさら美裝びさうして、一番いちばん眞中まんなかかざられてあつたので、それが幾分いくぶんかれあたま突飛とつぴあたらくはへただけであつた。

 宗助そうすけ微笑びせうしながら、急忙せはしいとほりを向側むかふがはわたつて、今度こんど時計屋とけいやみせのぞんだ。金時計きんどけいだの金鎖きんぐさりいくつもならべてあるが、これもたゞうつくしいいろ恰好かつかうとして、かれひとみうつだけで、ひたい了簡れうけん誘致いうちするにはいたらなかつた。其癖そのくせかれ一々いち〳〵絹糸きぬいとるした價格札ねだんふだんで、品物しなもの見較みくらべてた。さうして實際じつさい金時計きんどけい安價あんかなのにおどろいた。

 蝙蝠傘屋かうもりがさやまへにも一寸ちよつとまつた。西洋せいやう小間物こまもの店先みせさきでは、禮帽シルクハツトわきけてあつた襟飾えりかざりにいた。自分じぶん毎日まいにちけてゐるのよりも大變たいへんがらかつたので、いて見樣みやうかとおもつて、半分はんぶんみせなか這入はいりかけたが、明日あしたから襟飾えりかざりなどをかへところくだらないことだとおもなほすと、きふ蟇口がまぐちくちけるのがいやになつてぎた。呉服店ごふくみせでも大分だいぶ立見たちみをした。鶉御召うづらおめしだの、高貴織かうきおりだの、清凌織せいりようおりだの、自分じぶん今日こんにちまでらずにぎた澤山たくさんおぼえた。京都きやうと襟新えりしんうち出店でみせまへで、窓硝子まどがらす帽子ばうしつばけるやうちかせて、精巧せいかう刺繍ぬひをしたをんな半襟はんえりを、いつまでながめてゐた。そのうち丁度ちやうど細君さいくん似合にあひさうな上品じやうひんなのがあつた。つてつてらうかといふ一寸ちよつとおこるやいなや、そりや五六年前ねんぜんことだとかんがへあとからて、折角せつかく心持こゝろもちおもつきをすぐして仕舞しまつた。宗助そうすけ苦笑くせうしながら窓硝子まどがらすはなれてまたあるしたが、それから半町はんちやうほどあいだなんだかつまらないやう氣分きぶんがして、徃來わうらいにも店先みせさきにも格段かくだん注意ちゆういはらはなかつた。

 不圖ふといてるとかどおほきな雜誌屋ざつしやがあつて、その軒先のきさきには新刊しんかん書物しよもつおほきな廣告くわうこくしてある。梯子はしごやう細長ほそながわくかみつたり、ペンキぬりの一枚板まいいた模樣畫もやうぐわやう色彩しきさいほどこしたりしてある。宗助そうすけはそれを一々いち〳〵んだ。著者ちよしや名前なまへ作物さくぶつ名前なまへも、一新聞しんぶん廣告くわうこくやうでもあり、またまつた新奇しんきやうでもあつた。

 このみせまがかどかげになつたところで、くろ山高帽やまたかばうかぶつた三十ぐらゐをとこ地面ぢめんうへ氣樂きらくさうに胡坐あぐらをかいて、えゝ御子供衆おこどもしゆう御慰おなぐさみとひながら、おほきな護謨風船ごむふうせんふくらましてゐる。それがふくれると自然しぜん達磨だるま恰好かつかうになつて、好加減いゝかげんところ眼口めくちまですみいてあるのに宗助そうすけ感心かんしんした。其上そのうへ一度いちどいきれると、何時いつまでふくれてゐる。かつゆびさきへでも、ひらうへへでも自由じいうしりすわる。それがしりあな楊枝やうじやうほそいものをむとしゆうつと一度いちど收縮しうしゆくして仕舞しまふ。

 いそがしい徃來わうらいひと何人なんにんでもとほるが、だれどまつてほどのものはない。山高帽やまたかばうをとこにぎやかなまちすみに、ひややかに胡坐あぐらをかいて、周圍まはり何事なにごとおこりつゝあるかをかんぜざるものゝごとくに、えゝ御子供衆おこどもしゆう御慰おなぐさみとつては、達磨だるまふくらましてゐる。宗助そうすけは一せんりんして、その風船ふうせんひとつて、しゆつとちゞましてもらつて、それをたもとれた。奇麗きれい床屋とこやつて、かみりたくなつたが、何處どこにそんな奇麗きれいなのがあるか、一寸ちよつと見付みつからないうちに、かぎつてたので、また電車でんしやつて、うちはうむかつた。

 宗助そうすけ電車でんしや終點しゆうてんまでて、運轉手うんてんしゆ切符きつぷわたしたときには、もうそらいろひかりうしなひかけて、しめつた徃來わうらいに、くらかげつのころであつた。りやうとして、てつはしらにぎつたら、きふさむ心持こゝろもちがした。一所いつしよりたひとは、みんはなれ〴〵になつて、ことありいそがしくあるいてく。まちのはづれをると、左右さいういへのきから家根やねへかけて、仄白ほのしろけむりが大氣たいきなかうごいてゐるやうえる。宗助そうすけおほ方角はうがくいて早足はやあしうつした。今日けふ日曜にちえうも、のんびりした御天氣おてんきも、もうすで御仕舞おしまひだとおもふと、すこ果敢はかないやうまたさみしいやう一種いつしゆ氣分きぶんおこつてた。さうして明日あしたからまたれいによつてれいごとく、せつせとはたらかなくてはならない身體からだだとかんがへると、今日けふ半日はんにち生活せいくわつきふをしくなつて、のこ六日半むいかはん非精神的ひせいしんてき行動かうどうが、如何いかにもつまらなくかんぜられた。あるいてゐるうちにも、日當ひあたりわるい、まどとぼしい、おほきな部屋へや模樣もやうや、となりにすわつてゐる同僚どうれうかほや、野中のなかさん一寸ちよつと上官じやうくわん樣子やうすばかりがかんだ。

 魚勝うをかつ肴屋さかなやまへとほして、その五六軒先けんさき露次ろじとも横丁よこちやうともかないところまがると、あたりがたかがけで、その左右さいうに四五けんおなかまへ貸家かしやならんでゐる。つい此間このあひだまでまばらな杉垣すぎがきおくに、御家人ごけにんでもふるしたとおもはれる、物寂ものさびいへひと地所ぢしよのうちにまじつてゐたが、がけうへ坂井さかゐといふひと此所こゝつてから、たちま萱葺かやぶきこはして、杉垣すぎがきいて、いまやうあたらしい普請ふしんへて仕舞しまつた。宗助そうすけうち横丁よこちやうあたつて、一番いちばんおく左側ひだりがはで、すぐの崖下がけしただから、多少たせう陰氣いんきではあるが、そのかはとほりからはもつとへだゝつてゐるだけに、まあ幾分いくぶん閑靜かんせいだらうとふので、細君さいくん相談さうだんうへ、とくに其所そこえらんだのである。

 宗助そうすけ七日なのかに一ぺん日曜にちえうももうれかゝつたので、はやにでもつて、ひまがあつたらかみでもつて、さうしてゆつくり晩食ばんめしはうとおもつて、いそいで格子かうしけた。臺所だいどころはう皿小鉢さらこばちおとがする。がらうとする拍子ひやうしに、小六ころくてた下駄げたうへへ、かずにあしせた。こゞんで位置ゐち調とゝのへてゐるところ小六ころくた。臺所だいどころはうで、御米およねが、

だれ? にいさん?」といた。宗助そうすけは、

「やあ、てゐたのか」とひながら座敷ざしきあがつた。先刻さつき郵便いうびんしてから、神田かんだ散歩さんぽして、電車でんしやりてうちかへまで宗助そうすけあたまには小六ころくひらめかなかつた。宗助そうすけ小六ころくかほときなんとなくわることでもしたやうきまりがくなかつた。

御米およね御米およね」と細君さいくん臺所だいどころからんで、

小六ころくたから、なに御馳走ごちそうでもするがい」とけた。細君さいくんは、いそがしさうに臺所だいどころ障子しやうじはなしたまゝて、座敷ざしき入口いりぐちつてゐたが、このわかつた注意ちゆういくやいなや、

「えゝいまぢき」とつたなり、かへさうとしたが、またもどつてて、

そのかは小六ころくさん、はゞかさま座敷ざしきてて、洋燈ランプけて頂戴ちやうだいいまわたしきよはなせないところだから」と依頼たのんだ。小六ころく簡單かんたんに、

「はあ」とつてがつた。

 勝手かつてではきよものきざおとがする。みづをざあとながしへけるおとがする。「奧樣おくさまこれ何方どちらうつします」とこゑがする。「ねえさん、ランプのしんはさみはどこにあるんですか」と小六ころくこゑがする。しゆうとたぎつて七輪しちりんかゝつた樣子やうすである。

 宗助そうすけくら座敷ざしきなか默然もくねん手焙てあぶりかざしてゐた。はひうへかたまりだけいろづいてあかえた。そのときうらがけうへ家主やぬしうち御孃おぢやうさんがピヤノをならした。宗助そうすけおもしたやうがつて、座敷ざしき雨戸あまどきに縁側えんがはた。孟宗竹まうそうちく薄黒うすぐろそらいろみだうへに、ひとふたつのほしきらめいた。ピヤノの孟宗竹まうそうちくうしろからひゞいた。



 宗助そうすけ小六ころく手拭てぬぐひげて、風呂ふろからかへつてときは、座敷ざしき眞中まんなか眞四角まつしかく食卓しよくたくゑて、御米およね手料理てれうり手際てぎはよく其上そのうへならべてあつた。手焙てあぶり出掛でがけよりはいろえてゐた。洋燈らんぷあかるかつた。

 宗助そうすけつくゑまへ坐蒲團ざぶとんせて、其上そのうへ樂々らく〳〵胡坐あぐらいたとき手拭てぬぐひ石鹸しやぼん受取うけとつた御米およねは、

御湯おゆだつたこと?」といた。宗助そうすけはたゞ一言ひとこと

「うん」とこたへただけであつたが、その樣子やうす素氣そつけないとふよりも、むし湯上ゆあがりで、精神せいしん弛緩しくわんした氣味きみえた。

中々なか〳〵でした」と小六ころく御米およねはう調子てうしあはせた。

しかしあゝんぢやたまらないよ」と宗助そうすけつくゑはじひぢたせながら、倦怠けたるさうにつた。宗助そうすけ風呂ふろくのは、いつでも役所やくしよ退けて、うちかへつてからのことだから、丁度ちやうどひと夕食前ゆふめしまへ黄昏たそがれである。かれこの二三ヶ月間げつかんついぞ、ひかりかしていろながめたことがない。それならまだしもだが、やゝともすると三日みつか四日よつかまる錢湯せんたう敷居しきゐまたがずにすごして仕舞しまふ。日曜にちえうになつたら、あさはやきてなによりもだい一に奇麗きれい首丈くびたけつかつて見樣みやうと、つねかんがへてゐるが、さてその日曜にちえうると、たまにゆつくりられるのは、今日けふばかりぢやないかとになつて、ついとこのうちで愚圖々々ぐづ〳〵してゐるうちに、時間じかん遠慮ゑんりよなくぎて、えゝ面倒めんだうだ、今日けふめにして、そのかは今度こんだ日曜にちえうかうとおもなほすのが、ほとんど惰性だせいやうになつてゐる。

「どうかして、朝湯あさゆだけきたいね」と宗助そうすけつた。

そのくせ朝湯あさゆけるは、屹度きつと寐坊ねばうなさるのね」と細君さいくん調戲からかやう口調くてうであつた。小六ころくはらなかこれあに性來うまれつき弱點じやくてんであるとおもんでゐた。かれ自分じぶん學校生活がくかうせいくわつをしてゐるにもかゝはらず、あに日曜にちえうが、如何いかあににとつてたつといかを會得ゑとく出來できなかつた。六日間むいかかんくら精神作用せいしんさようを、たゞこの一日いちにちで、あたゝかに回復くわいふくすべく、あにおほくの希望きばうを二十四時間じかんのうちにんでゐる。だからりたいことがありぎて、十の二三も實行じつかう出來できない。いなその二三にしろすゝんで實行じつかうにかゝると、かへつてそのためつひやす時間じかんはうをしくなつてて、ついまた引込ひつこめて、じつとしてゐるうちに日曜にちえう何時いつれて仕舞しまふのである。自分じぶん氣晴きばらしや保養ほやうや、娯樂ごらくもしくは好尚かうしやういてゞすら、斯樣かやう節儉せつけんしなければならない境遇きやうぐうにある宗助そうすけが、小六ころくためつくさないのは、つくさないのではない、あたまつく餘裕よゆうのないのだとは、小六ころくからると、うしても受取うけとれなかつた。あにはたゞ手前勝手てまへがつてをとこで、ひまがあればぶら〳〵して細君さいくんあそんでばかりゐて、一向いつかうたよりにもちからにもなつてれない、眞底しんそこ情合じやうあひうすひとぐらゐかんがへてゐた。

 けれども、小六ころくがさうかんしたのは、つい近頃ちかごろことで、じつふと、佐伯さへきとの交渉かうせふはじまつて以來いらいはなしである。としわかだけすべてに性急せいきふ小六ころくは、あにたのめば今日明日けふあすにもかたくものと、おもんでゐたのに、何日迄いつまでらちかないのみか、まだ先方せんぱう出掛でかけてもれないので、大分だいぶ不平ふへいになつたのである。

 ところ今日けふかへりをけてつてると、其所そこ兄弟きやうだいで、べつ御世辭おせじ使つかはないうちに、何處どこ暖味あたゝかみのある仕打しうちえるので、ついひたいこと後廻あとまはしにして、一所いつしよになんぞ這入はいつて、おだやかにけてはなせるやうになつてた。

 兄弟きやうだいくつろいでぜんいた。御米およね遠慮ゑんりよなく食卓しよくたく一隅ひとすみりやうした。宗助そうすけ小六ころく猪口ちよくを二三ばいづゝした。めしゝるまへに、宗助そうすけわらひながら、

「うん、面白おもしろいものがつたつけ」とひながら、たもとからつて護謨風船ゴムふうせん達磨だるまして、おほきくふくらませてせた。さうして、それをわんふたうへせて、その特色とくしよく説明せつめいしてかせた。御米およね小六ころく面白おもしろがつて、ふわ〳〵したたまてゐた。仕舞しまひ小六ころくが、ふうつといたら達磨だるまぜんうへからたゝみうへちた。それでも、まだかへらなかつた。

「それ御覽ごらん」と宗助そうすけつた。

 御米およねをんなだけにこゑしてわらつたが、御櫃おはちふたけて、をつとめしよそひながら、

にいさんも隨分ずゐぶん呑氣のんきね」と小六ころくはういて、なかをつと辯護べんごするやうつた。宗助そうすけ細君さいくんから茶碗ちやわん受取うけとつて、一言ひとこと辯解べんかいもなく食事しよくじはじめた。小六ころく正式せいしきはしげた。

 達磨だるまはそれぎり話題わだいのぼらなかつたが、これがいとくちになつて、三にんめしまで無邪氣むじやき長閑のどかはなしをつゞけた。仕舞しまひ小六ころくへて、

とき伊藤いとうさんもんだことになりましたね」とした。宗助そうすけは五六日前にちまへ伊藤公いとうこう暗殺あんさつ號外がうぐわいたとき、御米およねはたらいてゐる臺所だいどころて、「おい大變たいへんだ、伊藤いとうさんがころされた」とつて、つた號外がうぐわい御米およねのエプロンのうへせたなり書齋しよさい這入はいつたが、その語氣ごきからいふと、むしいたものであつた。

貴方あなた大變たいへんだつてくせに、ちつとも大變たいへんらしいこゑぢやなくつてよ」と御米およねあとから冗談半分じようだんはんぶんにわざ〳〵注意ちゆういしたくらゐである。其後そのご日毎ひごと新聞しんぶん伊藤公いとうこうことが五六だんづゝないことはないが、宗助そうすけはそれにとほしてゐるんだか、ゐないんだかわからないほど暗殺事件あんさつじけんついては平氣へいきえた。よるかへつてて、御米およねめし御給仕おきふじをするときなどに、「今日けふ伊藤いとうさんのことなにてゐて」とことがあるが、其時そのときには「うん大分だいぶてゐる」とこたへるぐらゐだから、をつと隱袋かくしなかたゝんである今朝けさ讀殼よみがらを、あとからしてんでないと、其日そのひ記事きじわからなかつた。御米およねもつまりはをつと歸宅後きたくご會話くわいわ材料ざいれうとして、伊藤公いとうこう引合ひきあひぐらゐところだから、宗助そうすけすゝまない方向はうかうへは、たつてはなし引張ひつぱりたくはなかつた。それでこの二人ふたりあひだには、號外がうぐわい發行はつかう當日たうじつ以後いご今夜こんや小六ころくがそれをしたまでは、おほやけには天下てんかうごかしつゝある問題もんだいも、格別かくべつ興味きようみもつむかへられてゐなかつたのである。

「どうして、まあころされたんでせう」と御米およね號外がうぐわいたとき、宗助そうすけいたとおなことまた小六ころくむかつていた。

短銃ピストルをポン〳〵連發れんぱつしたのが命中めいちゆうしたんです」と小六ころく正直しやうぢきこたへた。

「だけどさ。うして、まあころされたんでせう」

 小六ころく要領えうりやうないやうかほをしてゐる。宗助そうすけ落付おちついた調子てうしで、

運命うんめいだなあ」とつて、茶碗ちやわんちやうまさうにんだ。御米およねはこれでも納得なつとく出來できなかつたとえて、

「どうしてまた滿洲まんしうなどつたんでせう」といた。

本當ほんたうにな」と宗助そうすけはらつて充分じゆうぶん物足ものたりた樣子やうすであつた。

なんでも露西亞ロシア秘密ひみつようがあつたんださうです」と小六ころく眞面目まじめかほをしてつた。御米およねは、

「さう。でもいやねえ。ころされちや」とつた。

おれやう腰辯こしべんは、ころされちやいやだが、伊藤いとうさんやうひとは、哈爾賓ハルピンつてころされるはういんだよ」と宗助そうすけはじめて調子てうしづいたくちいた。

「あら、何故なぜ

何故なぜつて伊藤いとうさんはころされたから、歴史的れきしてきえらひとになれるのさ。たゞんで御覽ごらんうはかないよ」

成程なるほどそんなものかもれないな」と小六ころくすこ感服かんぷくしたやうだつたが、やがて、

かく滿洲まんしうだの、哈爾賓ハルピンだのつて物騷ぶつさうところですね。ぼくなんだか危險きけんやう心持こゝろもちがしてならない」とつた。

それや、いろんなひとつてるからね」

 此時このとき御米およねめうかほをして、こたへたをつとかほた。宗助そうすけもそれにいたらしく、

「さあ、もう御膳おぜんげたらからう」と細君さいくんうながして、先刻さつき達磨だるままたたゝみうへからつて、人指指ひとさしゆびさきせながら、

「どうもめうだよ。よく調子てうし出來できるものだとおもつてね」とつてゐた。

 臺所だいどころからきよて、らした皿小鉢さらこばち食卓しよくたくごといてつたあとで、御米およねちやへるために、つぎつたから、兄弟きやうだい差向さしむかひになつた。

「あゝ奇麗きれいになつた。うもつたあときたないものでね」と宗助そうすけまつた食卓しよくたく未練みれんのないかほをした。勝手かつてはうきよがしきりにわらつてゐる。

なにがそんなに可笑をかしいの、きよ」と御米およね障子越しやうじごしはなけるこゑきこえた。きよはへえとつてなほわらした。兄弟きやうだいなんにもはず、なか下女げぢよわらごゑみゝかたむけてゐた。

 しばらくして、御米およね菓子皿くわしざら茶盆ちやぼん兩手りやうてつて、またた。藤蔓ふぢづるいたおほきな急須きふすから、にもあたまにもこたへない番茶ばんちやを、湯呑程ゆのみほどおほきな茶碗ちやわんいで、兩人ふたりまへいた。

なんだつて、あんなにわらふんだい」とをつといた。けれども御米およねかほずにかへつて菓子皿くわしざらなかのぞいてゐた。

貴方あなたがあんな玩具おもちやつてて、面白おもしろさうにゆびさきせてらつしやるからよ。子供こどももないくせに」

 宗助そうすけにもめないやうに、かるく「さうか」とつたが、あとからゆつくり、

これでももと子供こどもつたんだがね」と、さも自分じぶん自分じぶん言葉ことばあぢはつてゐるふうして、生温なまぬるげて細君さいくんた。御米およねはぴたりとだまつて仕舞しまつた。

「あなた御菓子おくわしべなくつて」と、しばらくしてから小六ころくはういてはなしけたが、

「えゝべます」と小六ころく返事へんじながして、ついとちやつてつた。兄弟きやうだいまた差向さしむかひになつた。

 電車でんしや終點しゆうてんからあるくと二十ぷんちかくもかゝやま奧丈おくだけあつて、まだよひくちだけれども、四隣あたり存外ぞんぐわいしづかである。時々とき〴〵おもてとほ薄齒うすば下駄げたひゞきえて、夜寒よさむ次第しだいしてる。宗助そうすけ懷手ふところでをして、

晝間ひるまあつたかいが、よるになるときふさむくなるね。寄宿きしゆくぢやもう蒸汽スチームとほしてゐるかい」といた。

「いえ、まだです。學校がくかうぢやぽどさむくならなくつちや蒸汽スチームなんかきやしません」

「さうかい。それぢやさむいだらう」

「えゝ。しかさむくらゐうでもかまはないつもりですが」とつたまゝ小六ころくはすこしよどんでゐたが、仕舞しまひにとう〳〵おもつて、

にいさん、佐伯さへきはう一體いつたいどうなるんでせう。先刻さつきねえさんからいたら、今日けふ手紙てがみしてくだすつたさうですが」

「あゝした。二三日中にちちゆうなんとかつてるだらう。其上そのうへまたおれくともうとも仕樣しやうよ」

 小六ころくあに平氣へいき態度たいどこゝろうちでは飽足あきたらずながめた。しか宗助そうすけ樣子やうす何處どこつて、ひとげきさせるやうするどいところも、みづからを庇護かばやういやしいてんもないので、つてかゝ勇氣ゆうきさらなかつた。たゞ

「ぢや今日けふまであのまゝにしてあつたんですか」とたん事實じじつたしかめた。

「うん、じつまないがあのまゝだ。手紙てがみ今日けふやつとのこといたくらゐだ。うも仕方しかたがないよ。近頃ちかごろ神經衰弱しんけいすゐじやくでね」と眞面目まじめふ。小六ころく苦笑くせうした。

「もし駄目だめなら、ぼく學校がくかうめて、一層いつそいまのうち、滿洲まんしう朝鮮てうせんへでもかうかとおもつてるんです」

滿洲まんしう朝鮮てうせん? ひどくまたおもつたもんだね。だつて、御前おまへ先刻さつき滿洲まんしう物騷ぶつさういやだつてつたぢやないか」

 用談ようだんはこんなところつたりたりして、つひ要領えうりやうなかつた。仕舞しまひ宗助そうすけ

「まあ、いや、さう心配しんぱいしないでも、うかなるよ。なにしろ返事へんじ來次第きしだいおれがすぐらせてやる。其上そのうへまた相談さうだんするとしやう」とつたので、談話はなし區切くぎりいた。

 小六ころくかへりがけにちやのぞいたら、御米およねなんにもしずに、長火鉢ながひばちかつてゐた。

ねえさん、左樣さやうなら」とこゑけたら、「おや御歸おかへり」とひながらやうやつてた。



 小六ころくにしてゐた佐伯さへきからは、豫期よきとほり二三にちして返事へんじがあつたが、それはきはめて簡單かんたんなもので、端書はがきでもようりるところを、鄭重ていちよう封筒ふうとうれて三せん切手きつてつた、叔母をば自筆じひつぎなかつた。

 役所やくしよからかへつて、筒袖つゝそで仕事着しごとぎを、窮屈きゆうくつさうにへて、火鉢ひばちまへすわるやいなや、抽出ひきだしから一すんほどわざとあましてんであつた状袋じやうぶくろいたので、御米およねんで番茶ばんちや一口ひとくちんだまゝ宗助そうすけはすぐふうつた。

「へえ、やすさんは神戸かうべつたんだつてね」と手紙てがみみながらつた。

何時いつ?」と御米およね湯呑ゆのみをつとまへしたとき姿勢しせいまゝいた。

何時いつともいてないがね。なにしろとほからぬうちには歸京ききやうつかまつるべくさふらふあひだいてあるから、もうぢきかへつてるんだらう」

とほからぬうちなんて、叔母をばさんね」

 宗助そうすけ御米およね批評ひひやうに、同意どうい不同意ふどういへうしなかつた。んだ手紙てがみをさめて、げるやうにそこへはふして、四五日目にちめになる、ざら〳〵したあごを、氣味きみわるさうにまはした。

 御米およねはすぐその手紙てがみひろつたが、べつまうともしなかつた。それをひざうへせたまゝをつとかほて、

とほからぬうちには歸京ききやうつかまつるべく候間さふらふあひだうだつてふの」といた。

いづかへつたら、安之助やすのすけ相談さうだんしてなんとか御挨拶ごあいさついたしますとふのさ」

とほからぬうちぢや曖昧あいまいね。何時いつかへるともいてなくつて」

「いゝや」

 御米およねねんためひざうへ手紙てがみはじめてひらいてた。さうしてそれもとやうたゝんで、

一寸ちよつとその状袋じやうぶくろを」とをつとほうした。宗助そうすけ自分じぶん火鉢ひばちあひだはさまつてゐるあを封筒ふうとうつて細君さいくんわたした。御米およねはそれをふつといて、なかふくらまして手紙てがみをさめた。さうして臺所だいどころつた。

 宗助そうすけ夫限それぎり手紙てがみことにはめなかつた。今日けふ役所やくしよ同僚どうれうが、此間このあひだ英吉利イギリスから來遊らいいうしたキチナー元帥げんすゐに、新橋しんばしそばつたとはなしおもして、あゝ人間にんげんになると、世界中せかいぢゆう何處どこつても、世間せけんさわがせるやう出來できてゐるやうだが、實際じつさいさういふふううまいてたものかもれない。自分じぶん過去くわこからつてきた運命うんめいや、またそのつゞきとして、これから自分じぶん眼前がんぜん展開てんかいされべき將來しやうらいつて、キチナーとひとのそれにくらべてると、到底たうていおな人間にんげんとはおもへないぐらゐへだたつてゐる。

 かんがへて宗助そうすけはしきりに烟草たばこかした。おもて夕方ゆふがたからかぜして、わざととほくのはうからおそつてやうおとがする。それが時々とき〴〵むと、んだあひだしんとして、れるときよりはなほさびしい。宗助そうすけ腕組うでぐみをしながら、もうそろ〳〵火事くわじ半鐘はんしよう時節じせつだとおもつた。

 臺所だいどころると、細君さいくん七輪しちりんあかくして、さかな切身きりみいてゐた。きよながもとこゞんで漬物つけものあらつてゐた。二人ふたりともくちかずにせつせと自分じぶんことつてゐる。宗助そうすけ障子しやうじけたなり、少時しばらくさかなからつゆあぶらおといてゐたが、無言むごんまゝまた障子しやうじてゝもともどつた。細君さいくんさへさかなからはなさなかつた。

 食事しよくじまして、夫婦ふうふ火鉢ひばちあひむかつたとき御米およねまた

佐伯さへきはうこまるのね」とした。

「まあ仕方しかたがない。やすさんが神戸かうべからかへまでつよりほかみちはあるまい」

其前そのまへ一寸ちよつと叔母をばさんにつてはなしをしていたはうかなくつて」

「さうさ。まあ其内そのうちなんとかつてるだらう。夫迄それまで打遣うちやつてかうよ」

小六ころくさんがおこつてよ。くつて」と御米およねはわざとねんしていて微笑びせうした。宗助そうすけ下眼しため使つかつて、つた小楊枝こやうじ着物きものえりした。

 中一日なかいちんちいて、宗助そうすけやうや佐伯さへきからの返事へんじ小六ころくらせてやつた。其時そのとき手紙てがみしりに、まあそのうちうかなるだらうと意味いみを、れいごとくはへた。さうして當分たうぶんこの事件じけんついかたけたやうかんじた。自然しぜん經過なりゆきまた窮屈きゆうくつまへせてまでは、わすれてゐるはう面倒めんだうがなくつてくらゐかほをして、毎日まいにち役所やくしよてはまた役所やくしよからかへつてた。かへりもおそいが、かへつてから出掛でかけなどといふ億劫おくくふこと滅多めつたになかつた。きやくほとんどない。ようのないとききよを十時前じまへかすことさへあつた。夫婦ふうふ毎夜まいよおな火鉢ひばち兩側りやうがはつて、食後しよくご時間じかんぐらゐはなしをした。はなし題目だいもく彼等かれら生活せいくわつ状態じやうたい相應さうおうした程度ていどのものであつた。けれども米屋こめやはらひを、この三十日みそかにはうしたものだらうといふ、くるしい世帶話しよたいばなしは、いまかつ一度いちど彼等かれらくちにはのぼらなかつた。とつて、小説せうせつ文學ぶんがく批評ひひやう勿論もちろんことをとこをんなあひだ陽炎かげろふやうまはる、はなやかな言葉ことばりはほとんどかれなかつた。彼等かれら夫程それほど年輩ねんぱいでもないのに、もう其所そことほけて、日毎ひごと地味ぢみになつてひとやうにもえた。また最初さいしよから、色彩しきさいうすきはめて通俗つうぞく人間にんげんが、習慣的しふくわんてき夫婦ふうふ關係くわんけいむすぶためにつたやうにもえた。

 上部うはべからると、夫婦ふうふともさうもの屈托くつたくする氣色けしきはなかつた。それは彼等かれら小六ころくことくわんしてつた態度たいどついてもほゞ想像さうざうがつく。流石さすが女丈をんなだけ御米およねは一二

やすさんは、まだかへらないんでせうかね。貴方あなた今度こんだ日曜にちえうぐらゐ番町ばんちやうまでつて御覽ごらんなさらなくつて」と注意ちゆういしたことがあるが、宗助そうすけは、

「うん、つてもい」ぐらゐ返事へんじをするだけで、そのつても日曜にちえうると、まるわすれたやうましてゐる。御米およねもそれをて、める樣子やうすもない。天氣てんきいと、

「ちと散歩さんぽでもしてらつしやい」とふ。あめつたり、かぜいたりすると、

今日けふ日曜にちえう仕合しあはせね」とふ。

 さいはひにして小六ころく其後そのご一度いちどもやつてない。この青年せいねんは、いたつてしやう神經質しんけいしつで、うとおもふと何所どこまですゝんでところが、書生しよせい時代じだい宗助そうすけによくてゐるかはりに、不圖ふとかはると、昨日きのふことまるわすれたやうかへつて、けろりとしたかほをしてゐる。其所そこ兄弟丈きやうだいだけあつて、むかし宗助そうすけ其儘そのまゝである。それから、頭腦づなう比較的ひかくてき明暸めいれうで、理路りろ感情かんじやうむのか、また感情かんじやう理窟りくつわくるのか、何方どつちわからないが、かくもの筋道すぢみちけないと承知しようちしないし、また一返いつぺん筋道すぢみちくと、その筋道すぢみちかさなくつてはかないやう熱中ねつちゆうしたがる。其上そのうへ體質たいしつ割合わりあひ精力せいりよくがつゞくから、わか血氣けつきまかせて大抵たいていことはする。

 宗助そうすけおとうとるたびに、むかし自分じぶんふたゝ蘇生そせいして、自分じぶんまへ活動くわつどうしてゐるやうがしてならなかつた。ときには、はら〳〵することもあつた。また苦々にが〳〵しくおもをりもあつた。さう場合ばあひには、こゝろのうちに、當時たうじ自分じぶん一圖いちづ振舞ふるまつたにが記憶きおくを、出來できだけしば〳〵おこさせるために、とくにてん小六ころく自分じぶんまへけるのではなからうかとおもつた。さうして非常ひじやうおそろしくなつた。此奴こいつあるひおれ同一どういつ運命うんめいおちいるためにうまれてたのではなからうかとかんがへると、今度こんどおほいに心掛こゝろがゝりになつた。ときによると心掛こゝろがゝりよりは不愉快ふゆくわいであつた。

 けれども、今日こんにちまで宗助そうすけは、小六ころくたいして意見いけんがましいことつたこともなければ、將來しやうらいつい注意ちゆういあたへたこともなかつた。かれおとうとたいする待遇たいぐうはうはたゞ普通ふつう凡庸ぼんようのものであつた。かれいま生活せいくわつが、かれやう過去くわこつてゐるひととはおもへないほどに、しづんでゐるごとく、かれおとうとあつか樣子やうすにも、過去くわこのつくほど經驗けいけんつた年長者ねんちやうしや素振そぶり容易よういなかつた。

 宗助そうすけ小六ころくあひだには、まだ二人ふたりほどをとこはさまつてゐたが、いづれも早世さうせいして仕舞しまつたので、兄弟きやうだいとはひながら、としとをばかちがつてゐる。其上そのうへ宗助そうすけはある事情じじやうのために、一ねんとき京都きやうと轉學てんがくしたから、朝夕てうせき一所いつしよ生活せいくわつしてゐたのは、小六ころくの十二三の時迄ときまでである。宗助そうすけ剛情がうじやうかぬ腕白小僧わんぱくこぞうとしての小六ころくいまだに記憶きおくしてゐる。その時分じぶんちゝきてゐたし、うち都合つがふわるくはなかつたので、抱車夫かゝへしやふ邸内ていない長屋ながやまはして、らくくらしてゐた。この車夫しやふ小六ころくよりはみつほど年下としした子供こどもがあつて、始終しじゆう小六ころく御相手おあひてをしてあそんでゐた。あるなつ日盛ひざかりに、二人ふたりして、なが竿さをのさきへ菓子袋くわしぶくろくゝけて、おほきなかきしたせみりくらをしてゐるのを、宗助そうすけて、兼坊けんばうそんなにあたまらしけると霍亂くわくらんになるよ、さあこれかぶれとつて、小六ころくふる夏帽なつばうしてやつた。すると、小六ころく自分じぶん所有物しよいうぶつあに無斷むだんひとれてやつたのが、しやくさはつたので、突然いきなり兼坊けんばう受取うけとつた帽子ばうしつたくつて、それを地面ぢめんうへげつけるやいなや、がるやう其上そのうへつて、くしやりと麥藁帽むぎわらばうつぶして仕舞しまつた。宗助そうすけえんから跣足はだしんでりて、小六ころくあたまなぐけた。其時そのときから、宗助そうすけには、小六ころく小惡こにくらしい小僧こぞうとしてうつつた。

 二ねんとき宗助そうすけ大學だいがくらなければならないことになつた。東京とうきやううちへもへれないことになつた。京都きやうとからすぐ廣島ひろしまつて、其所そこ半年はんとしばかりらしてゐるうちにちゝんだ。はゝちゝよりも六ねん程前ほどまへんでゐた。だからあとには二十五六になるめかけと、十六になる小六ころくのこつただけであつた。

 佐伯さへきから電報でんぱうつて、ひさりに出京しゆつきやうした宗助そうすけは、葬式さうしきましたうへうち始末しまつをつけやうおもつて段々だん〳〵調しらべてると、るとおもつた財産ざいさん案外あんぐわいすくなくつて、かへつてつもり借金しやくきん大分だいぶあつたにおどろかされた。叔父をぢ佐伯さへき相談さうだんすると、仕方しかたがないからやしきるがからうとはなしであつた。めかけ相當さうたうかねつてすぐひまことめた。小六ころく當分たうぶん叔父をぢうちつて世話せわをしてもらことにした。しか肝心かんじん家屋敷いへやしきはすぐみぎからひだりへとれるわけにはかなかつた。仕方しかたがないから、叔父をぢ一時いちじ工面くめんたのんで、當座たうざかたけてもらつた。叔父をぢ事業家じげふか色々いろ〳〵ことしては失敗しつぱいする、はゞ山氣やまぎおほをとこであつた。宗助そうすけ東京とうきやうにゐる時分じぶんも、よく宗助そうすけちゝけては、うまことつてかねしたものである。宗助そうすけちゝにもよくがあつたかもれないが、このでん叔父をぢ事業じげふんだ金高かねだかけつしてすくないものではなかつた。

 ちゝくなつた此際このさいにも、叔父をぢ都合つがふもとあまかはつてゐない樣子やうすであつたが、生前せいぜん義理ぎりもあるし、またをとこつねとして、いざと場合ばあひには比較的ひかくてき融通ゆうづうくものとえて、叔父をぢこゝろよく整理せいりけてれた。そのかは宗助そうすけ自分じぶん家屋敷いへやしき賣却方ばいきやくかたつい一切いつさいこと叔父をぢ一任いちにんして仕舞しまつた。はやふと、急場きふば金策きんさくたいする報酬はうしうとして土地とち家屋かをく提供ていきようしたやうなものである。叔父をぢは、

なにしろ、ふものは買手かひてらないとそんだからね」とつた。

 道具類だうぐるゐせきばかりつて、金目かねめにならないものは、こと〴〵はらつたが、五六ぷく掛物かけものと十二三てん骨董品丈こつとうひんだけは、矢張やは氣長きながしがるひとさがさないとそんだと叔父をぢ意見いけん同意どういして、叔父をぢ保管ほくわんたのことにした。すべてをいて手元てもとのこつた有金ありがねは、やく二千ゑんほどのものであつたが、宗助そうすけ其内そのうち幾分いくぶんを、小六ころく學資がくしとして、使つかはなければならないといた。しか月々つき〴〵自分じぶんはうからおくるとすると、今日こんにち位置ゐち堅固けんごでない當時たうじはなは實行じつかうしにくい結果けつくわおちいりさうなので、くるしくはあつたが、おもつて、半分丈はんぶんだけ叔父をぢわたして、何分なにぶんよろしくとたのんだ。自分じぶんなかちゆうと失敗しくじつたから、めて弟丈おとうとだけものにしてやりたいもあるので、このゑんきたあとは、またうにか心配しんぱい出來できやうしまたしてれるだらうぐらゐ不慥ふたしか希望きばうのこして、また廣島ひろしまかへつてつた。

 それから半年はんとしばかりして、叔父をぢ自筆じひつで、うちはとう〳〵れたから安心あんしんしろと手紙てがみたが、幾何いくられたともなんともいてないので、かへしてあはせると、二週間しうかんほどつての返事へんじに、いうれい立替たてかへつぐなふに金額きんがくだから心配しんぱいしなくてもいとあつた。宗助そうすけこの返事へんじたいしてすくなからず不滿ふまんかんじたにはかんじたが、おな書信しよしんなかに、委細ゐさいいづ御面會ごめんくわいせつ云々うん〳〵とあつたので、すぐにも東京とうきやうきたいやうがして、じつう〳〵だがと、相談さうだん半分はんぶん細君さいくんはなしてると、御米およねどくさうなかほをして、「でも、けないんだから、仕方しかたがないわね」とつて、れいごと微笑びせうした。其時そのとき宗助そうすけはじめて細君さいくんから宣告せんこくけたひとやうに、しばらく腕組うでぐみをしてかんがへたが、工夫くふうしたつて、けること出來できないやう位地ゐち事情じじやうもと束縛そくばくされてゐたので、つい夫成それなりになつて仕舞しまつた。

 仕方しかたがないから、なほ三四くわい書面しよめん徃復わうふくかさねてたが、結果けつくわはいつもおなことで、版行はんかうしたやういづ御面會ごめんくわいせつかへしてだけであつた。

これぢや仕樣しやうがないよ」と宗助そうすけはらつたやうかほをして御米およねた。三ヶげつばかりして、やうや都合つがふいたので、ひさりに御米およねれて、出京しゆつきやうしやうとおも矢先やさきに、つい風邪かぜいてたのがもとで、腸窒扶斯ちやうチフス變化へんくわしたため、六十日餘ろくじふにちあまりをとこうへらしたうへに、あとの三十日程さんじふにちほど充分じゆうぶん仕事しごと出來できないくらゐおとろへて仕舞しまつた。

 病氣びやうき本復ほんぷくしてからもなく、宗助そうすけまた廣島ひろしまつて福岡ふくをかかたうつらなければならないとなつた。うつまへに、機會きくわいだから一寸ちよつと東京とうきやうまでたいものだとかんがへてゐるうちに、今度こんど色々いろ〳〵事情じじやうせいせられて、ついそれ遂行すゐかうせずに、矢張やはくだ列車れつしやはしかた自己じこ運命うんめいたくした。其頃そのころ東京とうきやういへたゝむとき、ふところにしてかねは、ほとんど使つかたしてゐた。かれ福岡ふくをか生活せいくわつ前後ぜんごねんつうじて、中々なか〳〵苦鬪くとうであつた。かれ書生しよせいとして京都きやうとにゐる時分じぶん種々しゆ〴〵口實こうじつもとに、ちゝから臨時りんじ隨意ずゐい多額たがく學資がくし請求せいきうして、勝手かつて次第しだい消費せうひしたむかしをよくおもして、いま身分みぶん比較ひかくしつゝ、しきりに因果いんぐわ束縛そくばくおそれた。あるときはひそかにぎたはる回顧くわいこして、あれがおれ榮華えいぐわ頂點ちやうてんだつたんだと、はじめてめたとほかすみながめることもあつた。いよ〳〵くるしくなつたとき

御米およねひさしくはふつていたが、また東京とうきやう掛合かけあつて見樣みやうかな」とした。御米およね無論むろんさからひはしなかつた。たゞしたいて、

駄目だめよ。だつて、叔父をぢさんにまつた信用しんようがないんですもの」と心細こゝろぼそさうにこたへた。

むかふぢや此方こつち信用しんようがないかもれないが、此方こつちぢやまたむかふに信用しんようがないんだ」と宗助そうすけ威張ゐばつてしたが、御米およね俯目ふしめになつてゐる樣子やうすると、きふ勇氣ゆうきくじけるふうえた。こんな問答もんだふ最初さいしよつきに一二へんぐらゐかへしてゐたが、のちには二月ふたつきに一ぺんになり、三月みつきに一ぺんになり、とう〳〵、

いや、小六ころくさへうかしてれゝば。あとのこといづ東京とうきやうたら、つたうへはなしけらあ。ねえ御米およねうすると、やうぢやないか」とした。

「それで、ござんすとも」と御米およねこたへた。

 宗助そうすけ佐伯さへきことをそれなりはふつて仕舞しまつた。たんなる無心むしんは、自分じぶん過去くわこたいしても、叔父をぢむかつてせるものでないと、宗助そうすけかんがへてゐた。したがつて其方そのはう談判だんぱんは、はじめからいまかつふでにしたことがなかつた。小六ころくからは時々とき〴〵手紙てがみたが、きはめてみじかい形式的けいしきてきのものがおほかつた。宗助そうすけちゝんだとき東京とうきやうつた小六ころくおぼえてゐるだけだから、いまだに小六ころく他愛たあいない小供こどもぐらゐ想像さうざうするので、自分じぶん代理だいり叔父をぢ交渉かうせふさせ樣抔やうなど無論むろんおこらなかつた。

 夫婦ふうふなかないものが、さむさにへかねて、つてだんやう具合ぐあひに、御互おたがひ同志どうしたよりとしてらしてゐた。くるしいときには、御米およね何時いつでも、宗助そうすけに、

「でも仕方しかたがないわ」とつた。宗助そうすけ御米およねに、

「まあ我慢がまんするさ」とつた。

 二人ふたりあひだにはあきらめとか、忍耐にんたいとかふものがえずうごいてゐたが、未來みらいとか希望きばうふものゝかげほとんどさないやうえた。彼等かれらあまおほ過去くわこかたらなかつた。ときとしてはまをはせたやうに、それを回避くわいひするふうさへあつた。御米およねときとして、

其内そのうちにはまた屹度きつとことがあつてよ。さう〳〵わることばかりつゞくものぢやないから」とをつとなぐさめるやうことがあつた。すると、宗助そうすけにはそれが、眞心まごゝろあるさいくちりて、自分じぶん飜弄ほんろうする運命うんめい毒舌どくぜつごとくにかんぜられた。宗助そうすけはさう場合ばあひにはなんにもこたへずにたゞ苦笑くせうするだけであつた。御米およねそれでもかずに、なにかつゞけると、

我々われ〳〵は、そんなこと豫期よきする權利けんりのない人間にんげんぢやないか」とおもつてして仕舞しまふ。細君さいくんやうやいてくちつぐんで仕舞しまふ。さうして二人ふたりだまつてつてゐると、何時いつにか、自分達じぶんたち自分達じぶんたちこしらえた過去くわこといふくらおほきなあななかちてゐる。

 彼等かれら自業自得じごふじとくで、彼等かれら未來みらい塗抹とまつした。だからあるいてゐるさきはうには、はなやかな色彩しきさいみとめること出來できないものとあきらめて、たゞ二人ふたりたづさえてになつた。叔父をぢはらつたと地面ぢめん家作かさくいても、もとよりおほくの期待きたいつてゐなかつた。時々とき〴〵かんがしたやうに、

「だつて、近頃ちかごろ相場さうばなら、捨賣すてうりにしたつて、あのとき叔父をぢこしらへてれたかねばいにはなるんだもの。あんまり馬鹿々々ばか〳〵しいからね」と宗助そうすけすと、御米およねさみしさうにわらつて、

また地面ぢめん? 何時迄いつまでもあのことばかりかんがへてらつしやるのね。だつて、貴方あなた萬事ばんじよろしくねがひますと、叔父をぢさんにおつしやつたんでせう」とふ。

「そりや仕方しかたがないさ。あの場合ばあひあゝでもなければはうかないんだもの」と宗助そうすけふ。

「だからさ。叔父をぢさんのはうでは、御金おかねかはりにうち地面ぢめんもらつたつもりらつしやるかもれなくつてよ」と御米およねふ。

 さうはれると、宗助そうすけ叔父をぢ處置しよち一理いちりあるやうにもおもはれて、くちでは、

「そのつもりくないぢやないか」と答辯たふべんするやうなものゝ、この問題もんだい其都度そのつど次第々々しだい〳〵背景はいけいおくとほざかつてくのであつた。

 夫婦ふうふがこんなふうさみしくむつまじくらしてた二年目ねんめすゑに、宗助そうすけはもとの同級生どうきふせいで、學生時代がくせいじだいには大變たいへん懇意こんいであつた杉原すぎはらをとこ偶然ぐうぜん出逢であつた。杉原すぎはら卒業後そつげふご高等文官試驗かうとうぶんくわんしけん合格がふかくして、其時そのときすで或省あるしやう奉職ほうしよくしてゐたのだが、公務上こうむじやう福岡ふくをか佐賀さが出張しゆつちやうすることになつて、東京とうきやうからわざ〳〵つてたのである。宗助そうすけところ新聞しんぶんで、杉原すぎはら何時いついて、何處どことまつてゐるかをつてはゐたが、失敗者しつぱいしやとしての自分じぶんかへりみて、成効者せいかうしやまへあたまげる對照たいせうづかしくおもつたうへに、自分じぶん在學ざいがく當時たうじ舊友きういうふのを、とくけたい理由りいうつてゐたので、かれ旅館りよくわんたづねる毛頭まうとうなかつた。

 ところ杉原すぎはらはうでは、めう引掛ひつかゝりから、宗助そうすけ此所こゝくすぶつてゐることして、いて面會めんくわい希望きばうするので、宗助そうすけやむつた。宗助そうすけ福岡ふくをかから東京とうきやううつれるやうになつたのは、まつたこの杉原すぎはら御蔭おかげである。杉原すぎはらから手紙てがみて、いよ〳〵こときまつたとき、宗助そうすけはしいて、

御米およね、とう〳〵東京とうきやうけるよ」とつた。

「まあ結構けつこうね」と御米およねをつとかほた。

 東京とうきやういてから二三週間しうかんは、まはやうつた。あたらしく世帶しよたいつて、あたらしい仕事しごとはじめるひとに、ありちな急忙せはしなさと、自分達じぶんたちつゝ大都たいと空氣くうきの、日夜にちやはげしく震盪しんたうする刺戟しげきとにられて、何事なにごとをもじつかんがへるひまもなく、またいてくだ分別ふんべつなかつた。

 夜汽車よぎしや新橋しんばしいたときは、ひさりに叔父をぢ夫婦ふうふかほたが、夫婦ふうふとも所爲せゐれやかないろには宗助そうすけうつらなかつた。途中とちゆう事故じこがあつて、ちやく時間じかんめづらしく三十分程ぷんほどおくれたのを、宗助そうすけ過失くわしつでゞもあるかのやうに、待草臥まちくたびれた氣色けしきであつた。

 宗助そうすけ此時このとき叔母をばからいた言葉ことばは、

「おやそうさん、少時しばらく御目おめゝらないうちに、大變たいへん御老おふけなすつたこと」といふ一句いつくであつた。御米およね其折そのをりはじめて叔父をぢ夫婦ふうふ紹介せうかいされた。

「これがあの……」と叔母をば逡巡ためらつて宗助そうすけはうた。御米およねなん挨拶あいさつのしやうもないので、無言むごんまゝたゞあたまげた。

 小六ころく無論むろん叔父をぢ夫婦ふうふとも二人ふたりむかひにてゐた。宗助そうすけ一眼ひとめ其姿そのすがたたとき、何時いつにか自分じぶんしのやうおほきくなつたおとうと發育はついくおどろかされた。小六ころく其時そのとき中學ちゆうがくて、これから高等學校かうとうがくかう這入はいらうといふ間際まぎはであつた。宗助そうすけて、「にいさん」とも「御歸おかへりなさい」ともはないで、たゞ不器用ぶきよう挨拶あいさつをした。

 宗助そうすけ御米およねは一しうばかり宿屋やどや住居ずまひをして、それからいまところうつつた。其時そのとき叔父をぢ夫婦ふうふ色々いろ〳〵世話せわいてれた。細々こま〴〵しい臺所だいどころ道具だうぐやうなものはまでもあるまい、ふるいのでければとふので、小人數こにんず必要ひつえうだけ一通ひととほそろえておくつてた。其上そのうへ

御前おまへ新世帶しんしよたいだから、さぞ物要ものいりおほからう」とつてかねを六十ゑんれた。

 うちつて彼是かれこれまぎれてゐるうちに、はや半月はんつきつたが、地方ちはうにゐる時分じぶんあんなににしてゐた家邸いへやしきことは、ついまだ叔父をぢさずにゐた。あるとき御米およねが、

貴方あなたあのこと叔父をぢさんにおつしやつて」といた。宗助そうすけはそれできふおもしたやうに、

「うん、はないよ」とこたへた。

めうね、あれほどにしてらしつたのに」と御米およねがうすわらひをした。

「だつて、いて、そんなことひまがないんだもの」と宗助そうすけ辯解べんかいした。

 また十日とをかほどつた。すると今度こんだ宗助そうすけはうから、

御米およね、あのことはないよ。どうもふのが面倒めんだういやになつた」とした。

いやなのを無理むりおつしやらなくつてもいわ」と御米およねこたへた。

いかい」と宗助そうすけかへした。

いかいつて、もと〳〵貴方あなたことぢやなくつて。わたくしせんからうでもいんだわ」と御米およねこたへた。

 其時そのとき宗助そうすけは、

「ぢや、鹿爪しかつめらしくすのもなんだかめうだから、其内そのうち機會をりがあつたら、くとしやう。なに其内そのうちいて機會をり屹度きつとるよ」とつてばして仕舞しまつた。

 小六ころく何不足なにふそくなく叔父をぢいへ寐起ねおきしてゐた。試驗しけんけて高等學校かうとうがくかう這入はいれゝば、寄宿きしゆく入舍にふしやしなければならないとふので、その相談さうだんまですで叔父をぢ打合うちあはせがしてあるやうであつた。あたらしく出京しゆつきやうしたあにからは別段べつだん學資がくし世話せわけない所爲せゐか、自分じぶんうへいては叔父をぢほどしたしい相談さうだんんでなかつた。從兄弟いとこ安之助やすのすけとは今迄いままで關係上くわんけいじやう大變たいへんなかかつた。かへつて此方このはう兄弟きやうだいらしかつた。

 宗助そうすけ自然しぜん叔父をぢうちあしとほくなるやうになつた。たまにつても、義理ぎり一遍いつぺん訪問はうもんをはことおほいので、かへみちには何時いつつまらないがしてならなかつた。仕舞しまひには時候じこう挨拶あいさつますと、すぐかへりたくなることもあつた。かうときには三十ぷんすわつて世間話せけんばなし時間じかんつなぐのにさへほねれた。むかふでもなんだかけて窮屈きゆうくつだとふうえた。

「まあいぢやありませんか」と叔母をばめてくれるのがれいであるが、さうすると、猶更なほさらにくい心持こゝろもちがした。それでも、たまにはかないと、こゝろのうちでとがめるやう不安ふあんかんずるので、またくやうになつた。折々をり〳〵は、

うも小六ころく御厄介ごやくかいになりまして」と此方こつちからあたまげてれいこともあつた。けれども、それ以上いじやうは、おとうと將來しやうらい學資がくしついても、また自分じぶん叔父をぢたのんで、留守中るすちゆうはらつてもらつた地所ぢしよ家作かさくいても、くちるのがつい面倒めんだうになつた。しか宗助そうすけ興味きようみたない叔父をぢところへ、不精無精ふしやうぶしやうにせよ、ときたま出掛でかけてくのは、たん叔父をぢをひ血屬けつぞく關係くわんけいを、世間並せけんなみこたへるための義務心ぎむしんからではなくつて、いつか機會きくわいがあつたら、かたけたい或物あるものむねおくひかへてゐた結果けつくわぎないのはあきらかであつた。

そうさんはうも悉皆すつかりかはつちまいましたね」と叔母をば叔父をぢはなことがあつた。すると叔父をぢは、

うよなあ。り、あゝことがあると、ながまであとひゞくものだからな」とこたへて、因果いんぐわおそろしいとふうをする。叔母をばかさねて、

本當ほんたうに、こはいもんですね。もとはあんな寐入ねいつたぢやなかつたが──どうも燥急はしやぎるくらゐ活溌くわつぱつでしたからね。それが二三ねんないうちに、まるべつひとやうけちまつて。いまぢや貴方あなたより御爺おぢいさん〳〵してゐますよ」とふ。

眞逆まさか」と叔父をぢまたこたへる。

「いえ、あたまかほべつとして、樣子やうすがさ」と叔母をばまた辯解べんかいする。

 こんな會話くわいわ老夫婦らうふうふあひだはされたのは、宗助そうすけ出京しゆつきやうして以來いらいや二ではなかつた。實際じつさいかれ叔父をぢところると、老人らうじんうつとほりの人間にんげんえた。

 御米およねふものか、新橋しんばしいたとき老人らうじん夫婦ふうふ紹介せうかいされたぎり、つて叔父をぢうち敷居しきゐまたいだことがない。むかふからえれば叔父をぢさん叔母をばさんと丁寧ていねい接待せつたいするが、かへりがけに、

うです、御出掛おでかけなすつちや」などゝはれると、たゞ

難有ありがたう」とあたまげるだけで、つひ出掛でかけたためしはなかつた。流石さすが宗助そうすけさへ一は、

叔父をぢさんのところへ一つてちや、うだい」とすゝめたことがあるが、

「でも」とへんかほをするので、宗助そうすけ夫限それぎりけつして其事そのことさなかつた。

 兩家族りやうかぞくはこの状態じやうたいやくねんばかりをおくつた。すると宗助そうすけよりも氣分きぶんわかいとゆるされた叔父をぢ突然とつぜんんだ。病症びやうしやう脊髓腦膜炎せきずゐなうまくえんとかいふ劇症げきしやうで、二三にち風邪かぜ氣味きみてゐたが、便所べんじよつたかへりに、あらはうとして、柄杓ひしやくつたまゝ卒倒そつたうしたなり、一日いちんちつかたないうちにつめたくなつて仕舞しまつたのである。

御米およね叔父をぢはとう〳〵はなしをしずにんで仕舞しまつたよ」と宗助そうすけつた。

貴方あなたまだ、あのことつもいだつたの、貴方あなた隨分ずゐぶん執念深しふねんぶかいのね」と御米およねつた。

 それからまたねんばかりつたら、叔父をぢ安之助やすのすけ大學だいがく卒業そつげふして、小六ころく高等學校かうとうがくかうの二年生ねんせいになつた。叔母をば安之助やすのすけ一所いつしよなか六番町なかろくばんちやううつつた。

 三年目ねんめ夏休なつやすみに小六ころく房州ばうしう海水浴かいすゐよくつた。そこに一月餘ひとつきあまりも滯在たいざいしてゐるうちに九ぐわつになりけたので、保田ほたからむかふへ突切つつきつて、上總かづさ海岸かいがん九十九里くじふくりづたひに、銚子てうしまでたが、そこからおもしたやう東京とうきやうかへつた。宗助そうすけところえたのは、かへつてから、まだ二三にちしかたない、殘暑ざんしよつよである。眞黒まつくろげたかほなかに、だけひからして、見違みちがへるやう蠻色ばんしよくびたかれは、比較的ひかくてきとほ座敷ざしき這入はいつたなりよこになつて、あにかへりをけてゐたが、宗助そうすけかほるやいなや、むつくりがつて、

にいさん、すこ御話おはなしがあつてたんですが」とひらなほられたので、宗助そうすけすこおどろいた氣味きみで、暑苦あつくるしい洋服やうふくさへへずに、小六ころくはなしいた。

 小六ころくところによると、二三日前にちまへかれ上總かづさからかへつたばんかれ學資がくし此暮このくれかぎどくながらしてれないと叔母をばからまをわたされたのださうである。小六ころくちゝんで、すぐと叔父をぢられて以來いらい學校がくかうへもけるし、着物きもの自然ひとりで出來できるし、小遣こづかひ適宜てきぎもらへるので、ちゝ存生中ぞんしやうちゆうおなやうに、何不足なにふそくなくらせて惰性だせいから、其日そのひ其晩そのばんまでも、ついぞ學資がくし問題もんだいあたまおもうかべたことがなかつたため、叔母をば宣告せんこくけたときは、茫然ぼんやりして兎角とかく挨拶あいさつさへ出來できなかつたのだとふ。

 叔母をばどくさうに、何故なぜ小六ころく世話せわ出來できなくなつたかを、女丈をんなだけに、一時間じかんかつてくはしく説明せつめいしてれたさうである。それには叔父をぢくなつたことやら、いでおこ經濟上けいざいじやう變化へんくわやら、また安之助やすのすけ卒業そつげふやら、卒業後そつげふごひかえてゐる結婚けつこん問題もんだいやらが這入はいつてゐたのだとふ。

出來できるならば、めて高等學校かうとうがくかう卒業そつげふするまでおもつて、今日けふまで色々いろ〳〵ほねつたんだけれども」

 叔母をばつたと小六ころくかへした。小六ころく其時そのとき不圖ふとあに先年せんねんちゝ葬式さうしきとき出京しゆつきやうして、萬事ばんじ片付かたづけたあと廣島ひろしまかへるとき、小六ころくに、御前おまへ學資がくし叔父をぢさんにあづけてあるからとつたことがあるのをおもして、叔母をばはじめていてると、叔母をば案外あんぐわいかほをして、

「そりや、あのときそうさんが若干いくらいてきなすつたことは、きなすつたが、それはもうりやしないよ。叔父をぢさんのきて御出おいで時分じぶんから、御前おまへ學資がくし融通ゆうづうしてたんだから」とこたへた。

 小六ころくあにから自分じぶん學資がくしほどあつて、何年分なんねんぶん勘定かんぢやうで、叔父をぢあづけられたかを、いてかなかつたから、叔母をばからはれてると、一言ひとことかへやうがなかつた。

御前おまへ一人ひとりぢやなし、にいさんもあることだから相談さうだんをしてたらいだらう。其代そのかはわたしそうさんにつて、とつくりわけはなしませうから。どうも、そうさんもあんまり近頃ちかごろ御出おいででないし、わたし御無沙汰ごぶさたばかりしてゐるのでね、つい御前おまへこと御話おはなしをするわけにもかなかつたんだよ」と叔母をば最後さいごくはへたさうである。

 小六ころくから一部始終いちぶしじゆういたとき宗助そうすけはたゞおとうとかほながめて、一口ひとくち

こまつたな」とつた。むかしやうくわつげきして、すぐ叔母をばところ談判だんぱんける氣色けしきもなければ、今迄いままで自分じぶんたいして、世話せわにならないでもひとやうに、餘所よそ々々〳〵しく仕向しむけておとうと態度たいどきふ方向はうかうてんじたのを、にくいとおも樣子やうすえなかつた。

 自分じぶん勝手かつてつくげたうつくしい未來みらいが、半分はんぶんくづれかゝつたのを、さもはたひと所爲せゐででもあるかのごとこゝろみだしてゐる小六ころくかへ姿すがた見送みおくつた宗助そうすけは、くら玄關げんくわん敷居しきゐうへつて、格子かうしそと夕日ゆふひをしばらくながめてゐた。

 其晩そのばん宗助そうすけうらからおほきな芭蕉ばせうを二まいつてて、それを座敷ざしきえんいて、其上そのうえ御米およねならんですゞみながら、小六ころくことはなした。

叔母をばさんは、此方こつちで、小六ころくさんの世話せわをしろつてなんぢやなくつて」と御米およねいた。

「まあ、つていてないうちは、料簡れうけんわからないがね」と宗助そうすけふと、御米およねは、

屹度きつとうよ」とこたへながら、くらがりで團扇うちはをはた〳〵うごかした。宗助そうすけなにはずに、くびばして、ひさしがけあひだほそうつそらいろながめた。二人ふたり其儘そのまゝしばらくだまつてたが、やゝあつて、

「だつてそれぢや無理むりね」と御米およねまたつた。

人間にんげん一人ひとり大學だいがく卒業そつげふさせるなんて、おれ手際てぎはぢや到底とても駄目だめだ」と宗助そうすけ自分じぶん能力丈のうりよくだけあきらかにした。

 會話くわいわはそこでべつ題目だいもくうつつて、ふたゝ小六ころくうへにも叔母をばうへにもかへつてなかつた。それから二三にちすると丁度ちやうど土曜どえうたので、宗助そうすけ役所やくしよかへりに、番町ばんちやう叔母をばところつてた。叔母をばは、

「おや〳〵、まあ御珍おめづらしいこと」とつて、何時いつもよりは愛想あいそよく宗助そうすけ款待もてなしてれた。其時そのとき宗助そうすけいやなのを我慢がまんして、この四五年來ねんらいめていた質問しつもんはじめて叔母をばけた。叔母をばもとより出來できだけ辯解べんかいしないわけかなかつた。

 叔母をばところによると、宗助そうすけ邸宅やしき賣拂うりはらつたとき叔父をぢ這入はいつたかねは、たしかにはおぼえてゐないが、なんでも、宗助そうすけのために、急場きふばあはせた借財しやくざいかへしたうへなほ四千五百ゑんとか四千三百ゑんとかあまつたさうである。ところ叔父をぢ意見いけんによると、あの屋敷やしき宗助そうすけ自分じぶん提供ていきようしてつたのだから、たとひ幾何いくらあまらうと、あまつたぶん自分じぶん所得しよとく見傚みなして差支さしつかへない。しか宗助そうすけ邸宅やしきつてまうけたとはれては心持こゝろもちわるいから、これ小六ころく名義めいぎ保管ほくわんしていて、小六ころく財産ざいさんにしてる。宗助そうすけはあんなことをして廢嫡はいちやくまでされかゝつたやつだから、一もんだつて權利けんりはない。

そうさんおこつちや不可いけませんよ。たゞ叔父をぢさんのつたとほりをはなすんだから」と叔母をばことわつた。宗助そうすけだまつてあとをいてゐた。

 小六ころく名義めいぎ保管ほくわんされべき財産ざいさんは、不幸ふかうにして、叔父をぢ手腕しゆわんで、すぐ神田かんだにぎやかな表通おもてどほりの家屋かをく變形へんけいした。さうして、まだ保險ほけんけないうちに、火事くわじけて仕舞しまつた。小六ころくにははじめからはなしてないことだから、其儘そのまゝにして、わざとらせずにいた。

「さうわけでね、まことにそうさんにも、御氣おきどくだけれども、なにしろつてかへしのかないことだから仕方しかたがない。うんだとおもつてあきらめてください。もつと叔父をぢさんさへきてゐれば、またうともなるんでせうさ。小六ころく一人ひとりぐらゐそりやわけはありますまいよ。よしんば、叔父をぢさんがなさらない、いまにしたつて、此方こつち都合つがふさへければ、けたうちおなだけのものを、小六ころくかへすか、それでなくつても、當人たうにん卒業そつげふするまでぐらゐは、うにかして世話せわ出來できるんですけれども」とつて叔母をばまたほか内幕話うちまくばなしをしてかせた。それは安之助やすのすけ職業しよくげふついてゞあつた。

 安之助やすのすけ叔父をぢ一人息子ひとりむすこで、此夏このなつ大學だいがくばかり青年せいねんである。家庭かていあたゝかにそだつたうへに、同級どうきふ學生がくせいぐらゐよりほか交際かうさいのないをとこだから、なかことにはむし迂濶うくわつつてもいが、その迂濶うくわつところ何處どこ鷹揚おうやうおもむきそなへて實社會じつしやくわいかほしたのである。專門せんもん工科こうくわ器械學きかいがくだから、企業熱きげふねつ下火したびになつた今日こんにちいへども日本中にほんぢゆう澤山たくさんある會社くわいしやに、相應さうおうくちひとつやふたつあるのは、勿論もちろんであるが、親讓おやゆづりの山氣やまぎ何處どこかにひそんでゐるものとえて、自分じぶん自分じぶん仕事しごとをしてたくてならない矢先やさきへ、おなくわ出身しゆつしんで、小規模せうきぼながら專有せんいう工場こうば月島邊つきじまへんてゝ、獨立どくりつ經營けいえいをやつてゐる先輩せんぱい出逢であつたのがえんとなつて、その先輩せんぱい相談さうだんうへ自分じぶん幾分いくぶんかの資本しほんんで、一所いつしよ仕事しごとをして見樣みやうといふかんがへになつた。叔母をば内幕話うちまくばなしつたのは其所そこである。

「でね、すこつたかぶをみんな其方そのはうまはことにしたもんだから、いまぢや本當ほんたうに一もんなし同然どうぜん仕儀しぎでゐるんですよ。それは世間せけんからると、人數にんずすくなし、家邸いへやしきつてゐるし、らくえるのも無理むりのないところでせうさ。此間このあひだはら御母おつかさんがて、まあ貴方あなたほど氣樂きらくかたはない、何時いつても萬年青おもとばかり丹念たんねんあらつてゐるつてね。眞逆まさかうでもいんですけれども」と叔母をばつた。

 宗助そうすけ叔母をば説明せつめいいたときは、ぼんやりして兎角とかく返事へんじ容易よういなかつた。こゝろのなかで、これ神經衰弱しんけいすゐじやく結果けつくわむかしやう機敏きびん明快めいくわい判斷はんだんを、すぐつくげるあたまくなつた證據しようこだらうと自覺じかくした。叔母をば自分じぶんとほりが、宗助そうすけ本當ほんたうけられないのをにするやうに、安之助やすのすけからした資本しほんたかまではなした。それは五千ゑんほどであつた。安之助やすのすけ當分たうぶんあひだわづかな月給げつきふと、この五千ゑんたいする利益りえき配當はいたうとでらさなければならないのださうである。

その配當はいたうだつて、まだうなるかわかりやしないんでさあね。うまつたところで、一わりか一わりぐらゐなものでせうし、またひと間違まちがへばまるけむにならないともかぎらないんですから」と叔母をばくはへた。

 宗助そうすけ叔母をば仕打しうちに、これ目立めだつた阿漕あこぎところえないので、こゝろうちではすくなからずこまつたが、小六ころく將來しやうらいいて一口ひとくち掛合かけあひもせずにかへるのは如何いかにも馬鹿々々ばか〳〵しいがした。そこで今迄いままで問題もんだい其所そこゑつきりにしていて、自分じぶん當時たうじ小六ころく學資がくしとして叔父をぢあづけてつた千ゑん所置しよちたゞしてると、叔母をばは、

そうさん、あれこそ本當ほんたう小六ころく使つかつちまつたんですよ。小六ころく高等學校かうとうがくかう這入はいつてからでも、もう彼是かれこれ七百ゑんかつてゐるんですもの」とこたへた。

 宗助そうすけついでだから、それと同時どうじに、叔父をぢ保管ほくわんたのんだ書畫しよぐわ骨董品こつとうひん成行なりゆきたしかめてた。すると、叔母をばは、

「ありあんだ馬鹿ばかつて」とひかけたが、宗助そうすけ樣子やうすて、

そうさん、なんですか、彼事あのことはまだ御話おはなしをしなかつたんでしたかね」といた。宗助そうすけがいゝえとこたへると、

「おや〳〵、それぢや叔父をぢさんがわすれちまつたんですよ」とひながら、その顛末てんまつかたつてかした。

 宗助そうすけ廣島ひろしまかへるともなく、叔父をぢその賣捌方うりさばきかた眞田さなだとかいふ懇意こんいをとこ依頼いらいした。このをとこ書畫しよぐわ骨董こつとうみちあかるいとかいふので、平生へいぜいそんなものの賣買ばいばい周旋しうせんをして諸方しよはう出入でいりするさうであつたが、すぐさま叔父をぢ依頼いらいけて、だれそれがしなにしいとふから、一寸ちよつと拜見はいけんとか、何々なに〳〵もの希望きばうだから、せませうとかがうして、品物しなものつてつたぎり、かへしてない。催促さいそくすると、まだ先方せんぱうからもどつてまゐりませんからとかなんとか言譯いひわけをするだけかつらちいたためしがなかつたが、とう〳〵れなくなつたとえて、何處どこかへ姿すがたかくして仕舞しまつた。

「でもね、屏風びやうぶひとのこつてゐますよ。此間このあひだ引越ひつこしときに、いて、こりやそうさんのだから、今度こんだついでがあつたらとゞけてげたらいだらうつて、やすがさうつてゐましたつけ」

 叔母をば宗助そうすけあづけてつた品物しなものにはまるおもきをいてゐないやうな、ものゝかたをした。宗助そうすけ今日けふまではふつてくらゐだから、あまりその方面はうめんには興味きようみなかつたので、すこしも良心りやうしんなやまされてゐる氣色けしきのない叔母をば樣子やうすても、べつはらたなかつた。それでも、叔母をばが、

そうさん、うせうちぢや使つかつてゐないんだから、なんならつて御出おいでなすつちやうです。此頃このごろあゝいふものが、大變たいへんたとはなしぢやありませんか」とつたときは、實際じつさいそれをつてかへになつた。

 納戸なんどからしてもらつて、あかるいところながめると、たしかに見覺みおぼえのある二枚折まいをりであつた。したはぎ桔梗ききやうすゝきくず女郎花をみなへし隙間すきまなくいたうへに、眞丸まんまるつきぎんして、其横そのよこいたところへ、野路のぢ空月そらつきなかなる女郎花をみなへし其一きいちだいしてある。宗助そうすけひざいてぎんいろくろげたあたりから、くずかぜうらかへしてゐるいろかわいたさまから、大福だいふくほどおほきなまるしゆ輪廓りんくわくなかに、抱一はういつ行書ぎやうしよいた落款らつくわんをつく〴〵とて、ちゝきてゐる當時たうじおもおこさずにはゐられなかつた。

 ちゝ正月しやうぐわつになると、屹度きつとこの屏風びやうぶ薄暗うすぐらくらなかからして、玄關げんくわん仕切しきりにてて、其前そのまへ紫檀したんかく名刺入めいしいれいて、年賀ねんがけたものである。其時そのとき目出度めでたいからとふので、客間きやくまとこにはかならとら双幅さうふくけた。これ岸駒がんくぢやない岸岱がんたいだとちゝ宗助そうすけつてかせたことがあるのを、宗助そうすけはいまだに記憶きおくしてゐた。このとらにはすみいてゐた。とらしたしてたにみづんでゐる鼻柱はなばしらすこけがされたのを、ちゝひどにして、宗助そうすけたびに、御前おまへ此所こゝすみつたことおぼえてゐるか、これ御前おまへちひさい時分じぶん惡戲いたづらだぞとつて、可笑をかしいやううらめしいやう一種いつしゆ表情へうじやうをした。

 宗助そうすけ屏風びやうぶまへかしこまつて、自分じぶん東京とうきやうにゐたむかしことかんがへながら、

叔母をばさん、ぢやこの屏風びやうぶ頂戴ちようだいしてきませう」とつた。

「あゝ〳〵、御持おもちなさいとも。なんなら使つかひたせてげませう」と叔母をば好意かういからまをえた。

 宗助そうすけしかるべく叔母をばたのんで、其日そのひそれげてかへつた。晩食ばんめしのち御米およね一所いつしよまた縁側えんがはて、くらところ白地しろぢ浴衣ゆかたならべて、すゞみながら、ひるはなしをした。

やすさんには、御逢おあひなさらなかつたの」と御米およねいた。

「あゝ、やすさんは土曜どえうでもなんでも夕方ゆふがたまで工場こうばにゐるんださうだ」

隨分ずゐぶんほねれるでせうね」

 御米およねつたなり、叔父をぢ叔母をば處置しよちいては、一言ひとこと批評ひひやうくはへなかつた。

小六ころくことうしたものだらう」と宗助そうすけくと、

「さうね」とだけであつた。

理窟りくつへば、此方こつちにもぶんはあるが、せば、とゞのつまりは裁判沙汰さいばんざたになるばかりだから、證據しようこなにもなければてるわけのものぢやなし」と宗助そうすけ極端きよくたん豫想よさうすると、

裁判さいばんなんかにたなくたつてもいわ」と御米およねがすぐつたので、宗助そうすけ苦笑くせうしてめた。

「つまりはおれがあのとき東京とうきやうられなかつたからのことさ」

「さうして東京とうきやうられたときは、もうそんなことうでもかつたんですもの」

 夫婦ふうふはこんなはなしをしながら、またほそそらひさししたからのぞいてて、明日あした天氣てんきかたつて蚊帳かや這入はいつた。

 つぎ日曜にちえう宗助そうすけ小六ころくんで、叔母をばつたとほりをのこらずはなしてかせて、

叔母をばさんが御前おまへくはしい説明せつめいをしなかつたのは、短兵急たんぺいきふ御前おまへ性質せいしつつてる所爲せゐか、それともまだ小供こどもだとおもつてわざとりやくして仕舞しまつたのか、其所そこおれにもわからないが、なにしろ事實じじついまつたとほりなんだよ」とをしえた。

 小六ころくには如何いかくはしい説明せつめいはらしにはならなかつた。たゞ、

うですか」とつてづかしい不滿ふまんかほをして宗助そうすけた。

仕方しかたがないよ。叔母をばさんだつて、やすさんだつて、さうわる料簡れうけんはないんだから」

「そりや、わかつてゐます」とおとうとけはしいものかたをした。

「ぢやおれわるいつてふんだらう。おれ無論むろんわるいよ。むかしから今日こんにちまでわるところだらけなをとこだもの」

 宗助そうすけよこになつて烟草たばこかしながら、これより以上いじやうなんともかたらなかつた。小六ころくだまつて、座敷ざしきすみてゝあつた二枚折まいをり抱一はういつ屏風びやうぶながめてゐた。

御前おまへあの屏風びやうぶおぼえてゐるかい」とやがてあにいた。

「えゝ」と小六ころくこたへた。

一昨日をとゝひ佐伯さへきからとゞけてれた。御父おとうさんのつてたもので、おれののこつたのは、いまぢやこれだけだ。これ御前おまへ學資がくしになるなら、いますぐにでもるが、げた屏風びやうぶまい大學だいがく卒業そつげふするわけにもかずな」と宗助そうすけつた。さうして苦笑くせうしながら、

このあついのに、んなものをてゝくのは、氣狂きちがひじみてゐるが、れてところがないから、仕方しかたがない」と述懷じゆつくわいをした。

 小六ころくこの氣樂きらくやうな、愚圖ぐづやうな、自分じぶんとはあまりにへだつてゐるあにを、何時いつ物足ものたりなくはおもふものゝ、いざといふ場合ばあひに、けつして喧嘩けんくわはしなかつた。此時このとききふ癇癪かんしやくつのられた氣味きみで、

屏風びやうぶうでもいが、これからさきぼくはどうしたもんでせう」とした。

それ問題もんだいだ。なにしろ此年ことし一杯いつぱいまればことだから、まあよくかんがへるさ。おれもかんがへてかう」と宗助そうすけつた。

 おとうとかれ性質せいしつとして、そんなちゆうぶらりんの姿すがたきらひである、學校がくかうても落付おちついて稽古けいこ出來できず、下調したしらべかないやう境遇きやうぐうは、到底たうてい自分じぶんにはへられないとうつたへせつしたが、宗助そうすけ態度たいど依然いぜんとしてかはらなかつた。小六ころくがあまりかんたか不平ふへいならべると、

そのくらゐこと夫程それほど不平ふへいならべられゝば、何處どこつたつて大丈夫だいぢやうぶだ。學校がくかうめたつて、一向いつかう差支さしつかへない。御前おまへはうおれよりぽどえらいよ」とあにつたので、はなしそれぎり頓挫とんざして、小六ころくはとう〳〵本郷ほんがうかへつてつた。

 宗助そうすけはそれからびて、晩食ばんめしまして、よる近所きんじよ縁日えんにち御米およね一所いつしよ出掛でかけた。さうして手頃てごろ花物はなもの二鉢ふたはちつて、夫婦ふうふしてひとづゝつてかへつてた。夜露よつゆてたはうからうとふので、崖下がけした雨戸あまどけて、庭先にわさきにそれをふたならべていた。

 蚊帳かやなか這入はいつたとき御米およねは、

小六ころくさんのことうなつて」とをつとくと、

うもならないさ」と宗助そうすけこたへたが、十ぷんばかりのち夫婦ふうふともすや〳〵寐入ねいつた。

 翌日よくじつめて役所やくしよ生活せいくわつはじまると、宗助そうすけはもう小六ころくことかんがへるひまたなかつた。うちかへつて、のつそりしてゐるときですら、この問題もんだい確的はつきりまへゑがいてあきらかにそれをながめることはゞかつた。かみなかつゝんであるかれなうは、そのわづらはしさにえなかつた。むかし數學すうがくすきで、隨分ずゐぶんつた幾何きか問題もんだいを、あたまなか明暸めいれうにしてだけ根氣こんきがあつたことおもすと、時日じじつわりには非常ひじやうはげしくこの變化へんくわ自分じぶんにもおそろしくうつつた。

 それでも一度いちどぐらゐ小六ころく姿すがたがぼんやりあたまおくいてことがあつて、その時丈ときだけは、彼奴あいつ將來しやうらいなんとかかんがへてかなくつちやならないとおこつた。しかしすぐあとから、まあいそぐにもおよぶまいぐらゐに、自分じぶんして仕舞しまふのがつねであつた。さうして、むねきん一本いつぽんかぎかゝつたやうこゝろいだいて、らしてゐた。

 そのうちぐわつすゑになつて、毎晩まいばんあまがはへるあるよひことそらからつたやう安之助やすのすけつてた。宗助そうすけにも御米およねにもおもけないほどたまきやくなので、二人ふたりともなにようがあつての訪問はうもんだらうとすゐしたが、はたして小六ころくくわんするけんであつた。

 このあひだ月島つきじま工場こうばへひよつくり小六ころくつてふには、自分じぶん學資がくしついてのくはしいはなしあにからいたが、自分じぶん今迄いままで學問がくもんつてて、とう〳〵大學だいがく這入はいれず仕舞じまひになるのは如何いかにも殘念ざんねんだから、借金しやくきんでもなんでもして、けるところまできたいが、なに工夫くふうはあるまいかと相談さうだんけるので、安之助やすのすけはよくそうさんにもはなしてやうとこたへると、小六ころくたちまちそれをさへぎつて、あに到底たうてい相談さうだんになつてれるひとぢやない、自分じぶん大學だいがく卒業そつげふしないから、ひと中途ちゆうとめるのは當然たうぜんぐらゐかんがへてゐる。元來ぐわんらい今度こんどこともとたゞせばあに責任者せきにんしやであるのに、あのとほ一向いつかう平氣へいきなもので、ひとなにつてもつてれない。だから、たゞたよりにするのは君丈きみだけだ。叔母をばさんに正式せいしきことわられながら、またきみ依頼いらいするのは可笑をかしいやうだが、きみはう叔母をばさんよりはなしわかるだらうとおもつてたとつて、中々なか〳〵うごきさうもなかつたさうである。

 安之助やすのすけは、そんなことはない、そうさんもきみことでは大分だいぶ心配しんぱいして、ちかうちまたうち相談さうだんはずになつてゐるんだからとなぐさめて、小六ころくかへしたんだとふ。かへるときに、小六ころくたもとから半紙はんし何枚なんまいして、缺席屆けつせきとゞげ入用にふようだからこれはんしてれと請求せいきうして、ぼく退學たいがく在學ざいがくかたまで勉強べんきやう出來できないから、毎日まいにち學校がくかう必要ひつえうはないんだとつたさうである。

 安之助やすのすけいそがしいとかで、一時間じかんらずはなしてかへつてつたが、小六ころく所置しよちついては、兩人りやうにんあひだ具體的ぐたいてきあんべつなかつた。いづゆつくりみんなでつてめやう、都合つがふがよければ小六ころく列席れつせきするがからうといふのがわかれるとき言葉ことばであつた。二人ふたりになつたとき、御米およね宗助そうすけに、

なにかんがへてらつしやるの」といた。宗助そうすけ兩手りやうて兵兒帶へこおびあひだはさんで、心持こゝろもちかたたかくしたなり、

おれももう一ぺん小六ころくやうになつてたい」とつた。「此方こつちぢや、むかふおれやう運命うんめいおちいるだらうとおもつて心配しんぱいしてゐるのに、むかふぢや兄貴あにきなんざあ眼中がんちゆうにないからえらいや」

 御米およね茶器ちやきいて臺所だいどころた。夫婦ふうふはそれぎりはなしげて、またとこべてた。ゆめうへたか銀河あまのがはすゞしくかゝつた。

 つぎ週間しうかんには、小六ころくず、佐伯さへきからの音信たよりもなく、宗助そうすけ家庭かていまた平日へいじつ無事ぶじかへつた。夫婦ふうふ毎朝まいあさつゆひかころきて、うつくしいひさしうへた。よる煤竹すゝだけだいけた洋燈らんぷ兩側りやうがはに、ながかげゑがいてすわつてゐた。はなし途切とぎれたときはひそりとして、柱時計はしらどけい振子ふりこ音丈おとだけきこえることまれではなかつた。

 それでも夫婦ふうふ此間このあひだ小六ころくこと相談さうだんした。小六ころくがもしうしても學問がくもんつゞけるなら無論むろんこと、さうでなくても、いま下宿げしゆく一時いちじげなければならなくなるのはれてゐるが、うすればまた佐伯さへきかへるか、あるひ宗助そうすけところくよりほかみちはない。佐伯さへきでは一旦いつたんあゝしたやうなものゝ、たのんでたら、當分たうぶんうちぐらゐことは、好意上かういじやうてくれまいものでもない。が、其上そのうへ修業しうげふをさせるとなると、月謝げつしや小遣こづかひ其他そのた宗助そうすけはう擔任たんにんしなければ義理ぎりわるい。ところそれ家計上かけいじやう宗助そうすけえるところでなかつた。月々つき〴〵收支しうし事細ことこまかに計算けいさんして兩人ふたりは、

到底たうてい駄目だめだね」

うしたつて無理むりですわ」とつた。

 夫婦ふうふすわつてゐるちやつぎ臺所だいどころで、臺所だいどころみぎ下女部屋げぢよべやひだりに六でふ一間ひとまある。下女げぢよれて三にん小人數こにんずだから、このでふにはあま必要ひつえうかんじない御米およねは、東向ひがしむき窓側まどがは何時いつ自分じぶん鏡臺きやうだいいた。宗助そうすけあさきてかほあらつて、めしますと、此所こゝ着物きものへた。

それよりか、あの六でふけて、あすこへちや不可いけなくつて」と御米およねした。御米およねかんがへでは、うして自分じぶんはう部屋へや食物丈たべものだけ分擔ぶんたんして、あとのところ月々つき〴〵幾何いくら佐伯さへきからすけもらつたら、小六ころくのぞどほ大學だいがく卒業そつげふまでつてかれやうとふのである。

着物きものやすさんのふるいのや、貴方あなたのをなほしてげたら、うかなるでせう」と御米およねへた。じつ宗助そうすけにもんなかんがへが、多少たせうあたまかんでた。たゞ御米およね遠慮ゑんりよがあるうへに、それほどすゝまなかつたので、ついくちさなかつたまでだから、細君さいくんから反對あべこべ相談さうだんけられてると、もとよりそれをこばだけ勇氣ゆうきはなかつた。

 小六ころく其通そのとほりを通知つうちして、御前おまへさへそれで差支さしつかへなければ、おれがもう一ぺん佐伯さへきつて掛合かけあつてるがと、手紙てがみあはせると、小六ころく郵便いうびんいたばん、すぐあめなかを、からかさおとてゝつてて、もう學資がくし出來できでもしたやううれしがつた。

なに叔母をばさんのはうぢや、此方こつち何時迄いつまで貴方あなたことはふしたまんま、かまはずにくもんだから、それであゝおつしやるのよ。なににいさんだつて、もうすこ都合つがふければ、うにもうにかたんですけれども、御存ごぞんじのとほりだから實際じつさいむをなかつたんですわ。しか此方こつちからつてけば、叔母をばさんだつて、やすさんだつて、それでもいやだとははれないわ。屹度きつと出來できるから安心あんしんしてらつしやい。わたし受合うけあふわ」

 御米およねにかう受合うけあつてもらつた小六ころくは、またあめおとあたまうへけて本郷ほんがうかへつてつた。しかしなかにちいて、にいさんはかないんですかときにた。また三日みつかばかりぎてから、今度こんど叔母をばさんのところつていたら、にいさんはまだないさうだから、るべくはややうすゝめてれと催促さいそくしてつた。

 宗助そうすけくとつて、らしてゐるうちになかやうやあきになつた。そのほがらかなある日曜にちえうに、宗助そうすけはあまり佐伯さへきくのがおくれるので、この要件えうけん手紙てがみしたゝめて番町ばんちやう相談さうだんしたのである。すると、叔母をばから安之助やすのすけ神戸かうべつて留守るすだと返事へんじたのである。



 佐伯さへき叔母をばたづねてたのは、土曜どえうの二時過じすぎであつた。其日そのひれいになくあさからくもて、突然とつぜんかぜきたかはつたやうさむかつた。叔母をばたけんだまる火桶ひをけうへかざして、

なんですね、御米およねさん、この御部屋おへやなつすゞしさうで結構けつこうだが、これからはちとさむ御座ござんすね」とつた。叔母をばくせのあるかみを、奇麗きれいまげつて、古風こふう丸打まるうち羽織はおりひもを、むねところむすんでゐた。さけきなたちで、いまでもすこしづゝは晩酌ばんしやく所爲せゐか、色澤いろつやもよく、でつぷりふとつてゐるから、としよりは餘程よほどわかえる。御米およね叔母をばるたんびに、叔母をばさんはわかいのねと、あとでよく宗助そうすけはなした。すると宗助そうすけ何時いつでも、わかはずだ、あのとしになるまで子供こどもをたつた一人ひとりしかまないんだからと説明せつめいした。御米およね實際じつさいさうかもれないとおもつた。さうしてはれたあとでは、折々をり〳〵そつと六でふ這入はいつて、自分じぶんかほかゞみうつしてた。其時そのときなんだか自分じぶんほゝたびけてやうがした。御米およねには自分じぶん子供こどもとを連想れんさうしてかんがへるほどつらことはなかつたのである。うら家主やぬしうちに、ちひさい子供こども大勢おほぜいゐて、それがけうへにはて、ブランコへつたり、おにごつこをつたりしてさわこゑが、きこえると、御米およね何時いつでも、果敢はかないやううらめしいやう心持こゝろもちになつた。いま自分じぶんまへすわつてゐる叔母をばは、たつた一人ひとりをとこんで、そのをとこ順當じゆんたうそだつて、立派りつぱ學士がくしになつたればこそ、叔父をぢんだ今日こんにちでも、何不足なにふそくのないかほをして、あごなどは二重ふたへえるくらゐゆたかなのである。御母おかあさんはふとつてるから劍呑けんのんだ、けないと卒中そつちゆうられるかもれないと、安之助やすのすけ始終しじゆう心配しんぱいするさうだけれども、御米およねからはせると、心配しんぱいする安之助やすのすけも、心配しんぱいされる叔母をばも、とも幸福かうふくつてゐるものとしかおもはれなかつた。

やすさんは」と御米およねいた。

「えゝやうやくね、あなた。一昨日をとゝひばんかへりましてね。それでつい〳〵御返事ごへんじおくれちまつて、まことにみませんやうわけで」とつたが、返事へんじはうそれなりにして、はなしまた安之助やすのすけもどつてた。

「あれもね、御蔭おかげさまでやうや學校丈がくかうだけ卒業そつげふしましたが、これからが大事だいじところで、心配しんぱい御座ございます。──それでもこのぐわつから、月島つきじま工場こうばはうことになりまして、まあさいはひ此分このぶん勉強べんきやうさへしてつてれゝば、此末このすゑともに、さうわることからうかとおもつてるんですけれども、まあわかいものゝことですから、これからさき變化へんげるかわかりやしませんよ」

 御米およねはたゞ結構けつこう御座ございますとか、御目出おめでたう御座ございますとか言葉ことばを、間々あひだ〳〵はさんでゐた。

神戸かうべまゐつたのも、まつた其方そのはう用向ようむきなので。石油發動機せきゆはつどうきとかなんとかふものを鰹船かつをぶねけるんだとかつてね貴方あなた

 御米およねにはまる意味いみわからなかつた。わからないながらたゞへえゝとけてゐると、叔母をばはすぐあとはなした。

わたくしにもなんのこつたか、ちつともわからなかつたんですが、安之助やすのすけ講釋かうしやくいてはじめて、おやさうかいとやうわけでしてね。──もつと石油發動機せきゆはつどうきいまもつわからないんですけれども」とひながら、おほきなこゑしてわらつた。「なんでも石油せきゆいて、それでふね自由じいうにする器械きかいなんださうですが、いてると餘程よつぽど重寶ちようはうなものらしいんですよ。それさへければ、ふね手間てままるはぶけるとかでね。五も十おきるのに、大變たいへんらくなんですとさ。ところ貴方あなたこの日本全國につぽんぜんこく鰹船かつをぶねかずつたら、それこそたいしたものでせう。その鰹船かつをぶねひとづゝこの器械きかいそなけるやうになつたら、莫大ばくだい利益りえきだつてふんで、此頃このごろ夢中むちゆうになつて其方そのはうばつかりにかゝつてゐるやうですよ。莫大ばくだい利益りえき有難ありがたいが、さうつて身體からだでもわるくしちやつまらないぢやないかつて、此間このあひだわらつたくらゐで」

 叔母をばはしきりに鰹船かつをぶね安之助やすのすけはなしをした。さうして大變たいへん得意とくいやうえたが、小六ころくこと中々なか〳〵さなかつた。もうとうかへはず宗助そうすけうしたかかへつてなかつた。

 かれ其日そのひ役所やくしよかへけに駿河臺下するがだいしたまでて、電車でんしやりて、いものを頬張ほゝばつたやうくち穿すぼめて一二ちやうあるいたのち、ある齒醫者はいしやかどくゞつたのである。三四日前さんよつかぜんかれ御米およね差向さしむかひで、夕飯ゆふはんぜんいて、はなしながらはしつてゐるさいに、うした拍子ひやうしか、前齒まへばぎやくにぎりゝとんでから、それがきふいたした。ゆびうごかすと、がぐら〳〵する。食事しよくじときには湯茶ゆちやみる。くちけていきをするとかぜみた。宗助そうすけ此朝このあさみがくために、わざといたところけて楊枝やうじ使つかひながら、くちなかかゞみらしてたら、廣島ひろしまぎんめた二まい奧齒おくばと、いだやうらした不揃ぶそろ前齒まへばとが、にはかにさむひかつた。洋服やうふく着換きかえるとき

御米およねおれしやう餘程よつぽどわるいとえるね。うやると大抵たいていうごくぜ」と下齒したばゆびうごかしてせた。御米およねわらひながら、

「もう御年おとし所爲せゐよ」とつてしろえりうしろまはつて襯衣しやつけた。

 宗助そうすけ其日そのひとう〳〵おもつて、齒醫者はいしやつたのである。應接間おうせつまとほると、おほきな洋卓テーブル周圍まはり天鵞絨ビロードつた腰掛こしかけならんでゐて、あはしてゐる三四人さんよにんが、うづくまるやうあごえりうづめてゐた。それがみんなをんなであつた。奇麗きれい茶色ちやいろ瓦斯暖爐ガスストーヴにはがまだいてなかつた。宗助そうすけおほきな姿見すがたみうつ白壁しらかべいろなゝめにて、ばんるのをつてゐたが、あまり退屈たいくつになつたので、洋卓テーブルうへかさねてあつた雜誌ざつしけた。一二さつつてると、いづれも婦人用ふじんようのものであつた。宗助そうすけその口繪くちゑてゐるをんな寫眞しやしんを、何枚なんまいかへしてながめた。それから「成効せいかう」と雜誌ざつしげた。そのはじめに、成效せいかう祕訣ひけつといふやうなものが箇條書かでうがきにしてあつたうちに、なんでも猛進まうしんしなくつては不可いけないとふ一ヶでうと、たゞ猛進まうしんしても不可いけない、立派りつぱ根底こんていうへつて、猛進まうしんしなくつてはならないとふ一ヶでうんで、それなり雜誌ざつしせた。「成效せいかう」と宗助そうすけ非常ひじやうえんとほいものであつた。宗助そうすけういふ雜誌ざつしがあるとことさへ、今日迄こんにちまでらなかつた。それでまためづらしくなつて、一旦いつたんせたのをまたけてると、不圖ふと假名かなまじらない四角しかくが二ぎやうほどならんでゐた。それにはかぜ碧落へきらくいて浮雲ふうんき、つき東山とうざんのぼつてぎよく一團いちだんとあつた。宗助そうすけとかうたとかいふものには、もとからあま興味きようみたないをとこであつたが、どうわけこのんだとき大變たいへん感心かんしんした。對句つゐくうま出來できたとかなんとか意味いみではなくつて、んな景色けしきおなやう心持こゝろもちになれたら、人間にんげんさぞうれしからうと、ひよつとこゝろうごいたのである。宗助そうすけ好奇心かうきしんから此句このくまへいてゐる論文ろんぶんんでた。しかそれまる無關係むくわんけいやうおもはれた。たゞこの雜誌ざつしいたあとでも、しきりにかれあたまなか徘徊はいくわいした。かれ生活せいくわつ實際じつさいこの四五年來ねんらいういふ景色けしき出逢であつたことがなかつたのである。

 其時そのときむかふのいて、紙片かみぎれつた書生しよせい野中のなかさんと宗助そうすけ手術室しゆじゆつしつれた。

 なか這入はいると、其所そこ應接間おうせつまよりもばいひろかつた。光線くわうせんるべく餘計よけいれるやうあかるくこしらへた部屋へや二側ふたがはに、手術用しゆじゆつよう椅子いす四臺よだいほどゑて、しろ胸掛むねかけをかけた受持うけもちをとこが、一人ひとりづゝ別々べつ〳〵療治れうぢをしてゐた。宗助そうすけ一番いちばんおくはうにある一きやく案内あんないされて、これへとはれるので、踏段ふみだんやうなもののうへつて、椅子いすこしおろした。書生しよせいあつ縞入しまいり前掛まへかけ丁寧ていねいひざからしたくるんでれた。

 おだやかにかされたとき宗助そうすけれい左程さほどになるほどいたんでゐないとこと發見はつけんした。そればかりか、かたせなも、こしまはりも、心安こゝろやすいて、如何いかにもらく調子てうしれてゐることいた。かれはたゞ仰向あふむいて天井てんじやうからさがつてゐる瓦斯ガスくわんながめた。さうしてこのかまへ設備せつびでは、かへりがけにおもつたよりたか療治代れうぢだいられるかもれないと氣遣きづかつた。

 ところかほわりあたまうすくなりぎたふとつたをとこて、大變たいへん丁寧ていねい挨拶あいさつをしたので、宗助そうすけすこ椅子いすうへ狼狽あわてやうくびうごかした。ふとつたをとこ一應いちおう容體ようだいいて、口中こうちゆう檢査けんさして、宗助そうすけいたいと一寸ちよつとゆすつてたが、

うもゆるみますと、到底とてももとやうしまわけにはまゐりますまいとおもひますが。なにしろなかがエソになつてりますから」とつた。

 宗助そうすけこの宣告せんこくさびしいあきひかりやうかんじた。もうそんなとしなんでせうかといてたくなつたが、すこきまりがわるいので、たゞ、

「ぢやなほらないんですか」とねんした。

 ふとつたをとこわらひながらつた。──

「まあなほらないとまをげるよりほか仕方しかた御座ござんせんな。やむなければ、おもつていて仕舞しまふんですが、いまところでは、まだ夫程それほどでも御座ございますまいから、たゞ御痛おいただけめてきませう。なにしろエソ──エソとまをしても御分おわかりにならないかもれませんが、なかまるくさつてります」

 宗助そうすけは、うですかとつて、たゞふとつたをとこのなすがまゝにしていた。するとかれ器械きかいをぐる〳〵まはして宗助そうすけあなはじめた。さうして其中そのなか細長ほそながはりやうなものをとほしては、其先そのさきいでゐたが、仕舞しまひいとほどすぢして、神經しんけい是丈これだけれましたとひながら、それを宗助そうすけせてれた。それからくすりそのあなめて、明日みやうにちまたらつしやいと注意ちゆういあたへた。

 椅子いすりるとき、身體からだ眞直まつすぐになつたので、視線しせん位置ゐち天井てんじやうから不圖ふと庭先にはさきうつつたら、其所そこにあつたたかさ五しやくもあらうとおほきな鉢栽はちうゑまつ宗助そうすけ這入はいつた。その根方ねがたところを、草鞋わらぢがけの植木屋うゑきや丁寧ていねいこもくるんでゐた。段々だん〳〵つゆつてしもになる時節じせつなので、餘裕よゆうのあるものは、もう今時分いまじぶんから手廻てまはしをするのだといた。

 かへりがけに玄關げんくわんわき藥局やくきよくで、粉藥こぐすりまゝ含嗽劑がんそうざい受取うけとつて、それを百ばい微温湯びをんたう溶解ようかいして、一にち數回すうくわい使用しようすべき注意ちゆういけたとき宗助そうすけ會計くわいけい請求せいきうした治療代ちれうだい案外あんぐわいれんなのをよろこんだ。これならばむかふでとほり四五くわいかよつたところが、さして困難こんなんでもないとおもつて、くつ穿かうとすると、今度こんどくつそこ何時いつにかやぶれてゐることいた。

 うちいたとき一足違ひとあしちがひ叔母をばがもうかへつたあとであつた。宗助そうすけは、

「おゝ、うだつたか」とひながら、はなは面倒めんだうさうに洋服やうふくへて、何時いつものとほ火鉢ひばちまへすわつた。御米およね襯衣しやつ洋袴ずぼん靴足袋くつたび一抱ひとかゝへにして六でふ這入はいつた。宗助そうすけはぼんやりして、烟草たばこかしはじめたが、むかふの部屋へやで、刷毛ブラツシけるおとがししたとき

御米およね佐伯さへき叔母をばさんはなんとかつてたのかい」といた。

 齒痛しつうおのづからをさまつたので、あきおそはれるやうさむ氣分きぶんは、すこかるくなつたけれども、やがて御米およね隱袋ぽつけつとからして粉藥こぐすりを、ぬるいてもらつて、しきりに含嗽うがひはじめた。其時そのときかれ縁側えんがはつたまゝ

うもみじかくなつたなあ」とつた。

 やがてくれれた。晝間ひるまからあまりくるまおとかない町内ちやうないは、よひくちからしんとしてゐた。夫婦ふうふれいとほ洋燈らんぷもとつた。ひろなかで、自分達じぶんたちすわつてゐる所丈ところだけあかるくおもはれた。さうしてこのあかるい灯影ひかげに、宗助そうすけ御米およねだけを、御米およねまた宗助そうすけだけ意識いしきして、洋燈ランプちからとゞかないくら社會しやくわいわすれてゐた。彼等かれら毎晩まいばんかうらしてうちに、自分達じぶんたち生命せいめい見出みいだしてゐたのである。

 このしづかな夫婦ふうふ安之助やすのすけ神戸かうべから土産みやげつてたと養老昆布やうらうこぶくわんをがら〳〵つて、なかから山椒さんしよりのちひさくむすんだやつしながら、ゆつくり佐伯さへきからの返事へんじかたつた。

しか月謝げつしや小遣こづかひぐらゐ都合つがふしてつてれてもささうなもんぢやないか」

「それが出來できないんだつて。見積みつもつても兩方りやうはうせると、十ゑんにはなる。十ゑんまとまつた御金おかねを、いまところ月々つき〴〵すのはほねれるつてふのよ」

それぢや此年ことし暮迄くれまで二十何圓なんゑんづゝかしてるのも無理むりぢやないか」

「だから、無理むりをしても、もう一二ヶげつところだけあはせるから、其内そのうちうかしてくださいと、やすさんがふんだつて」

實際じつさい出來できないのかな」

りやわたしにはわからないわ。なにしろ叔母をばさんが、ふのよ」

鰹舟かつをぶねまうけたら、其位そのくらゐわけなささうなもんぢやないか」

本當ほんたうね」

 御米およねひくこゑわらつた。宗助そうすけ一寸ちよつとくちはたうごかしたが、はなしはそれで途切とぎれて仕舞しまつた。しばらくしてから、

なにしろ小六ころくうちるとめるよりほかみちはあるまいよ。あと其上そのうへことだ。いまぢや學校がくかうへはてゐるんだね」と宗助そうすけつた。

「さうでせう」と御米およねこたへるのをながして、かれめづらしく書齋しよさい這入はいつた。一時間じかんほどして、御米およねがそつとふすまけてのぞいてると、つくゑむかつて、なにんでゐた。

勉強べんきやう? もう御休おやすみなさらなくつて」とさそはれたときかれかへつて、

「うん、もうよう」とこたへながらあがつた。

 とき着物きものいで、寐卷ねまきうへに、しぼりの兵兒帶へこおびをぐる〳〵きつけながら、

今夜こんやひさぶり論語ろんごんだ」とつた。

論語ろんごなにかあつて」と御米およねかへしたら、宗助そうすけは、

「いやなんにもない」とこたへた。それから、「おい、おれとし所爲せゐだとさ。ぐら〳〵するのは到底とてもなほらないさうだ」とひつゝ、くろあたままくらうへけた。



 小六ころくかく都合つがふ次第しだい下宿げしゆくはらつてあにいへうつこと相談さうだん調とゝのつた。御米およねは六でふけたくは鏡臺きやうだいながめて、一寸ちよつとのこしいかほをしたが、

うなるとすこ遣場やりばこまるのね」とうつたへるやう宗助そうすけげた。實際じつさい此所こゝげられては、御米およね御化粧おつくりをする場所ばしよくなつて仕舞しまふのである。宗助そうすけなん工夫くふうかずに、ちながら、むかふの窓側まどぎはゑてあるかゞみうらはすながめた。すると角度かくど具合ぐあひで、其所そこ御米およね襟元えりもとから片頬かたほゝうつつてゐた。それが如何いかにも血色けつしよくのわるい横顏よこがほなのにおどろかされて、

御前おまへうかしたのかい。大變たいへんいろあるいよ」とひながら、かゞみからはなして、實際じつさい御米およね姿すがたた。びんみだれて、えりうしろあたりあかすこよごれてゐた。御米およねはたゞ、

さむ所爲せゐなんでせう」とこたへて、すぐ西側にしがはいてゐる一間いつけん戸棚とだなけた。したにはふるきずだらけの箪笥たんすがあつて、うへには支那鞄しなかばん柳行李やなぎごりふたつてゐた。

「こんなもの、うしたつて片付かたづけやうがないわね」

「だから其儘そのまゝにしてくさ」

 小六ころく此所こゝ引移ひきうつつてるのは、てんからて、夫婦ふうふいづれにも、多少たせう迷惑めいわくであつた。だからるとつて約束やくそくしてきながら、いまだにない小六ころくたいしては、別段べつだん催促さいそくもしなかつた。一日いちにちびればびただけ窮屈きゆうくつげたやう何所どこかでした。小六ころくにも丁度ちやうどそれとおなはゞかりがあつたので、られるかぎり下宿げしゆくにゐるはう便利べんりだとむねめたものか、つい一日いちにち〳〵と引越ひつこしさきおくつてゐた。其癖そのくせかれ性質せいしつとして、兄夫婦あにふうふごとく、荏苒じんぜんさかひ落付おちついてはゐられなかつたのである。

 其内そのうちうすしもりて、うら芭蕉ばせう見事みごとくだいた。あさ崖上がけうへ家主やぬしにははうで、ひよどりするどいこゑてた。夕方ゆふがたにはおもていそ豆腐屋とうふや喇叭らつぱまじつて、圓明寺ゑんみやうじ木魚もくぎよおときこえた。ます〳〵みじかくなつた。さうして御米およね顏色かほいろは、宗助そうすけかゞみなかみとめたときよりも、さやかにはならなかつた。をつと役所やくしよからかへつてると、六でふてゐることが一二あつた。うかしたかとたづねると、たゞすこ心持こゝろもちわるいとこたへるだけであつた。醫者いしやもらへとすゝめると、それにはおよばないとつてはなかつた。

 宗助そうすけ心配しんぱいした。役所やくしよてゐても御米およねことかゝつて、よう邪魔じやまになるのを意識いしきするときもあつた。ところがあるかへりがけに突然とつぜん電車でんしやなかひざつた。そのれいになく元氣げんきよく格子かうしけて、すぐといきほひよく今日けふうだいと御米およねいた。御米およね何時いつものとほふく靴足袋くつたび一纏ひとまとめにして、六でふ這入はいあとからいてて、

御米およね御前おまい子供こども出來できたんぢやないか」とわらひながらつた。御米およね返事へんじもせずに俯向うつむいてしきりにをつと脊廣せびろほこりはらつた。刷毛ブラツシおとんでも中々なか〳〵でふからないので、またつてると、薄暗うすぐら部屋へやなかで、御米およねはたつた一人ひとりさむさうに、鏡臺きやうだいまへすわつてゐた。はいとつてつたが、其聲そのこゑいたあとこゑやうであつた。

 其晩そのばん夫婦ふうふ火鉢ひばちけた鐵瓶てつびんを、双方さうはうからおほやうにしてむかつた。

うですななかは」と宗助そうすけれいにないいた調子てうしした。御米およねあたまなかには、夫婦ふうふにならないまへの、宗助そうすけ自分じぶん姿すがた奇麗きれいうかんだ。

「ちつと、面白おもしろくしやうぢやないか。此頃このごろ如何いかにも不景氣ふけいきだよ」と宗助そうすけまたつた。二人ふたりそれから今度こんど日曜にちえうには一所いつしよ何所どこかうか、此所こゝかうかと、しばらくそればかりはなつてゐた。それから二人ふたり春着はるぎこと題目だいもくになつた。宗助そうすけ同僚どうれう高木たかぎとかをとこが、細君さいくん小袖こそでとかを強請ねだられたとき、おれは細君さいくん虚榮心きよえいしん滿足まんぞくさせるためかせいでるんぢやないとつてけたら、細君さいくんがそりや非道ひどい、實際じつさいさむくなつてもるものがないんだと辯解べんかいするので、さむければやむない、夜具やぐるとか、毛布けつとかぶるとかして、當分たうぶん我慢がまんしろとつたはなしを、宗助そうすけ可笑おかしくかへして御米およねわらはした。御米およねをつとこの樣子やうすて、むかしまたまへもどつたやうがした。

高木たかぎ細君さいくん夜具やぐでもかまはないが、おれはひとあたらしい外套ぐわいたうこしらえたいな。此間このあひだ齒醫者はいしやつたら、植木屋うゑきやこも盆栽ぼんさいまつつゝんでゐたので、つく〴〵おもつた」

外套ぐわいたうしいつて」

「あゝ」

 御米およねをつとかほて、さもどくだとふうに、

御拵おこしらえなさいな。月賦げつぷで」とつた。宗助そうすけは、

「まあさうよ」ときふわびしくこたへた。さうして「とき小六ころく何時いつからなんだらう」といた。

るのはいやなんでせう」と御米およねこたへた。御米およねには、自分じぶんはじめから小六ころくきらはれてゐると自覺じかくがあつた。それでもをつとおとうとだとおもふので、るべくはそりあはせて、すこしでもちかづけるやうに〳〵と、今日迄こんにちまで仕向しむけてた。そのためか、いまでは以前いぜんちがつて、まあ普通ふつう小舅こじうとぐらゐしたしみはあるとしんじてゐるやうなものゝ、んな場合ばあひになると、つい實際じつさい以上いじやうにもまはして、自分丈じぶんだけ小六ころくない唯一ゆゐいつ原因げんいんやうかんがへられるのであつた。

「そりや下宿げしゆくからこんなところうつるのはかあないだらうよ。丁度ちやうど此方こつち迷惑めいわくかんずるとほり、むかふでも窮屈きゆうくつかんずるわけだから。おれだつて、小六ころくないとすれば、いまのうちおもつて外套ぐわいたうつくだけ勇氣ゆうきがあるんだけれども」

 宗助そうすけ男丈をとこだけおもつてつて仕舞しまつた。けれども是丈これだけでは御米およねこゝろつくしてゐなかつた。御米およね返事へんじもせずに、しばらくだまつてゐたが、ほそあごえりなかめたまゝ上眼うはめ使つかつて、

小六ころくさんは、まだわたくしことにくんでゐらつしやるでせうか」とした。宗助そうすけ東京とうきやう當座たうざは、時々とき〴〵これ類似るゐじ質問しつもん御米およねからけて、その都度つどなぐさめるのに大分だいぶほねれたこともあつたが、近來きんらいまつたわすれたやうなにはなくなつたので、宗助そうすけもついめなかつたのである。

またヒステリーがはじまつたね。いぢやないか小六ころくなんぞが、おもつたつて。おれさえいてれば」

論語ろんごにさういてあつて」

 御米およねんなときに、ういふ冗談じようだんをんなであつた。宗助そうすけ

「うん、いてある」とこたへた。それ二人ふたり會話くわいわ仕舞しまひになつた。

 翌日よくじつ宗助そうすけますと、亞鉛張とたんばりひさしうへさむおとがした。御米およね襷掛たすきがけまゝ枕元まくらもとて、

「さあ、もう時間じかんよ」と注意ちゆういしたとき、かれこの點滴てんてきおときながら、もうすこあたゝかい蒲團ふとんなかぬくもつてゐたかつた。けれども血色けつしよくくない御米およねの、甲斐々々かひ〴〵しい姿すがたるやいなや、

「おい」とつてすぐあがつた。

 そとあめとざされてゐた。がけうへ孟宗竹まうそうちく時々とき〴〵たてがみふるやうに、あめいてうごいた。このびしいそらしたれに宗助そうすけつて、ちからになるものは、あたゝかい味噌汁みそしるあたゝかいめしよりほかになかつた。

またくつなかれる。うしても二足にそくつてゐないとこまる」とつて、そこちひさいあなのあるのを仕方しかたなしに穿いて、洋袴ずぼんすそ一寸いつすんばかりまくりげた。

 午過ひるすぎかへつてると、御米およね金盥かなだらひなか雜巾ざふきんけて、六でふ鏡臺きやうだいそばいてゐた。其上そのうへところだけ天井てんじやういろかはつて、時々とき〴〵しづくちてた。

くつばかりぢやない。うちなかまでれるんだね」とつて宗助そうすけ苦笑くせうした。御米およね其晩そのばんをつとため置炬燵おきごたつれて、スコツチの靴下くつした縞羅紗しまラシヤ洋袴ずぼんかわかした。

 あくまたおなやうあめつた。夫婦ふうふまたおなやうおなことかへした。そのあくもまだれなかつた。三日目みつかめあさになつて、宗助そうすけまゆちゞめて舌打したうちをした。

何時いつまでなんだ。くつがじめ〳〵して我慢がまんにも穿けやしない」

「六でふだつてこまるわ、あゝつちや」

 夫婦ふうふ相談さうだんして、あめ次第しだい家根やねつくろつてもらやう家主やぬしことにした。けれどもくつはうなんとも仕樣しやうがなかつた。宗助そうすけはきしんで這入はいらないのを無理むり穿いてつた。

 さいはひそのは十一時頃じごろからからりとれて、かきすゞめ小春日和こはるびよりになつた。宗助そうすけかへつたとき御米およねいつもよりえ〴〵しい顏色かほいろをして、

貴方あなた、あの屏風びやうぶつちや不可いけなくつて」と突然とつぜんいた。抱一はういつ屏風びやうぶ先達せんだつ佐伯さへきから受取うけとつたまゝもととほ書齋しよさいすみてゝあつたのである。二枚折まいをりだけれども、座敷ざしき位置ゐちひろさからつても、じつむし邪魔じやま裝飾さうしよくであつた。みなみまはすと、玄關げんくわんからの入口いりぐち半分はんぶんふさいで仕舞しまふし、ひがしすとくらくなる、とつて、のこ一方いつぽうてればとこかくすので、宗助そうすけは、

折角せつかく親爺おやぢ記念かたみだとおもつて、つてやうなものゝ、仕樣しやうがないねこれぢや、場塞ばふさげで」とこぼしたことも一二あつた。その都度つど御米およね眞丸まんまるふちけたぎんつきと、絹地きぬぢからほとんど區別くべつ出來できないやう穗芒ほすゝきいろながめて、んなものを珍重ちんちようするひとれないとやうえをした。けれども、をつとはゞかつて、明白あからさまにはなんともさなかつた。たゞ一ぺん

これでもなんでせうかね」といたことがあつた。そのとき宗助そうすけはじめて抱一はういつ御米およね説明せつめいしてかした。しかしそれは自分じぶんむかちゝからいたおぼえのある、朧氣おぼろげ記憶きおく好加減いゝかげんかへすにぎなかつた。實際じつさい價値かちや、また抱一はういつついてのくはしい歴史れきしなどにいたると宗助そうすけにも其實そのじつはなは覺束おぼつかなかつたのである。

 ところがそれが偶然ぐうぜん御米およねのためにめう行爲かうゐ動機どうき構成かたちづく原因げんいんとなつた。過去くわこ週間しうかんをつと自分じぶんあひだおこつた會話くわいわに、不圖ふとこの知識ちしきむすけてかんが彼女かのぢよ一寸ちよつと微笑ほゝゑんだ。このあめあがつて、日脚ひあしがさつとちや障子しやうじしたとき御米およね不斷着ふだんぎうへへ、めういろ肩掛かたかけとも、襟卷えりまきともかない織物おりものまとつてそとた。とほりを二丁目ちやうめほどて、それを電車でんしや方角はうがくまがつて眞直まつすぐると、乾物屋かんぶつや麺麭屋ぱんやあひだに、古道具ふるだうぐつてゐるなりおほきなみせがあつた。御米およねはかつて其所そこあしたゝめる食卓しよくたくつた記憶きおくがある。いま火鉢ひばちけてある鐵瓶てつびんも、宗助そうすけ此所こゝからげてかへつたものである。

 御米およねそでにして道具屋だうぐやまへまつた。ると相變あひかはらずあたらしい鐵瓶てつびん澤山たくさんならべてあつた。其外そのほかには時節柄じせつがらとでもふのか火鉢ひばち一番いちばんおほいた。しか骨董こつとうのつくほどのものは、ひとつもないやうであつた。ひとりなんともれぬおほきなかめかふが、眞向まむかふるしてあつて、其下そのしたからながばんだ拂子ほつす尻尾しつぽやうてゐた。それから紫檀したん茶棚ちやだなひとふたかざつてあつたが、いづれもくるひさうななまなものばかりであつた。しか御米およねにはそんな區別くべつ一向いつかううつらなかつた。たゞ掛物かけもの屏風びやうぶひとつも見當みあたらないことだけたしかめて、なか這入はいつた。

 御米およね無論むろんをつと佐伯さへきから受取うけとつた屏風びやうぶを、幾何いくらかにはらつもりでわざ〳〵此所こゝまであしはこんだのであるが、廣島ひろしま以來いらいかうこと大分だいぶ經驗けいけんんだ御蔭おかげで、普通ふつう細君さいくんやう努力どりよく苦痛くつうかんぜずに、おもつて亭主ていしゆくちこと出來できた。亭主ていしゆは五十恰好がつかういろくろほゝこけをとこで、鼈甲べつかふふちつた馬鹿ばかおほきな眼鏡めがねけて、新聞しんぶんみながら、いぼだらけの唐金からかね火鉢ひばちかざしてゐた。

「さうですな、拜見はいけんてもうがす」とかる受合うけあつたが、べつつた樣子やうすもないので、御米およねはらなかすこ失望しつばうした。しか自分じぶんからがすでたいしたのぞみいだいてわけでもないので、簡易かんいけられると、此方こつちからたのやうにしても、もらはなければならなかつた。

うがす。ぢや後程のちほどうかゞひませう。いま小僧こぞう一寸ちよつとりませんからな」

 御米およねこの存在ぞんざい言葉ことばいて其儘そのまゝうちかへつたが、こゝろなかでは、はたして道具屋だうぐやるかないかはなはうたがはしくおもつた。一人ひとり何時いつものやう簡單かんたん食事しよくじまして、きよぜんげさしてゐると、いきなり御免ごめんくださいとつて、おほきなこゑして道具屋だうぐや玄關げんくわんからつてた。座敷ざしきげて、れい屏風びやうぶせると、成程なるほどつてうらだのふちだのをでてゐたが、

御拂おはらひになるなら」とすこかんがへて、「六ゑんいたゞいてきませう」と否々いや〳〵さうにけた。御米およねには道具屋だうぐやけた相場さうば至當したうやうおもはれた。けれども一應いちおう宗助そうすけはなしてからでなくつては、あま專斷せんだんぎると心付こゝろづいたうへ品物しなもの歴史れきし歴史れきしだけに、猶更なほさら遠慮ゑんりよして、いづかへつたら相談さうだんしてうへでとこたへたまゝ道具屋だうぐやかへさうとした。道具屋だうぐや出掛でがけに、

「ぢや、おくさん折角せつかくだから、もう一ゑん奮發ふんぱつしませう。それ御拂おはらください」とつた。御米およね其時そのときおもつて、

「でも、道具屋だうぐやさん、ありや抱一はういつですよ」とこたへて、はらなかではひやりとした。道具屋だうぐやは、平氣へいきで、

抱一はういつ近來きんらい流行はやりませんからな」とながしたが、じろ〳〵御米およね姿すがたながめたうへ

「ぢやなほ御相談ごさうだんなすつて」とてゝかへつてつた。

 御米およね其時そのとき模樣もやうくはしくはなしたあとで、

つちや不可いけなくつて」とまた無邪氣むじやきいた。

 宗助そうすけあたまなかには、このあひだから物質上ぶつしつじやう欲求よくきうが、えずうごいてゐた。たゞ地味ぢみ生活せいくわつをしなれた結果けつくわとして、らぬ家計くらしるとあきらめるくせいてゐるので、毎月まいげつきまつて這入はいるものゝほかには、臨時りんじ不意ふい工面くめんをしてまで、すこしでもつね以上いじやうくつろいでやうとはたらきなかつた。はなしいたときかれむし御米およね機敏きびん才覺さいかくおどろかされた。同時どうじはたして夫丈それだけ必要ひつえうがあるかをうたがつた。御米およねおもはくをいてると、此所こゝで十ゑんらずのかねはひれば、宗助そうすけ穿あたらしいくつあつらへたうへ銘仙めいせんの一たんぐらゐへるとふのである。宗助そうすけそれもさうだとおもつた。けれどもおやからつたはつた抱一はういつ屏風びやうぶ一方いつぱういて、片方かたはうあたらしいくつおよあたらしい銘仙めいせんならべてかんがへてると、このふたつを交換かうくわんすること如何いかにも突飛とつぴかつ滑稽こつけいであつた。

るならつていがね。どうせうちつたつて邪魔じやまになるばかりだから。けれどもおれはまだくつはないでもむよ。此間中このあひだぢゆうやうに、つゞけにられるとこまるが、もう天氣てんきくなつたから」

「だつてまたるとこまるわ」

 宗助そうすけ御米およねたいして永久えいきう天氣てんき保證ほしようするわけにもかなかつた。御米およねらないまへ是非ぜひ屏風びやうぶれともひかねた。二人ふたりかほ見合みあはしてわらつてゐた。やがて、

安過やすすぎるでせうか」と御米およねいた。

うさな」と宗助そうすけこたへた。

 かれやすいとはれゝば、やすやうがした。もし買手かひてがあれば、買手かひてだけかね幾何いくらでもりたかつた。かれ新聞しんぶんで、近來きんらい古書畫こしよぐわ入札にふさつ非常ひじやう高價かうかになつたことやう心持こゝろもちがした。めてそんなものが一ぷくでもあつたらとおもつた。けれどもそれ自分じぶん呼吸こきふする空氣くうきとゞくうちには、ちてゐないものとあきらめてゐた。

買手かひてにもるだらうが、賣手うりてにもるんだよ。いくら名畫めいぐわだつて、おれつてゐたぶんには到底たうていさうたかれつこはないさ。しかし七ゑんや八ゑんてえな、あんまやすやうだね」

 宗助そうすけ抱一はういつ屏風びやうぶ辯護べんごするとともに、道具屋だうぐやをも辯護べんごするやう語氣らした。さうしてたゞ自分じぶんだけ辯護べんごあたひしないものゝやうかんじた。御米およねすこくさらした氣味きみで、屏風びやうぶはなしそれなりにした。

 翌日あくるひ宗助そうすけ役所やくしよて、同僚どうれう誰彼だれかれこのはなしをした。するとみなまをあはせたやうに、それぢやないとつた。けれどもだれ自分じぶん周旋しうせんして、相當さうたう賣拂うりはらつてやらうとふものはなかつた。またどうすぢとほれば、馬鹿ばかはないでむといふ手續てつゞきをしへてれるものもなかつた。宗助そうすけ矢張やつぱり横町よこちやう道具屋だうぐや屏風びやうぶるよりほか仕方しかたがなかつた。それでなければもととほ邪魔じやまでもなんでも座敷ざしきてゝくよりほか仕方しかたがなかつた。かれもととほりそれを座敷ざしきてゝいた。すると道具屋だうぐやて、あの屏風びやうぶを十五ゑんつてくれとした。夫婦ふうふかほ見合みあはして微笑ほゝゑんだ。もうすこらずにいて見樣みやうぢやないかとつて、らずにいた。すると道具屋だうぐやまたた。またらなかつた。御米およねことわるのが面白おもしろくなつてた。四度目よたびめにはらないをとこ一人ひとりれてたが、そのをとことこそこそ相談さうだんして、とう〳〵三十五ゑんけた。其時そのとき夫婦ふうふちながら相談さうだんした。さうしてつひおもつて屏風びやうぶはらつた。



 圓明寺ゑんみやうじすぎげたやう赭黒あかぐろくなつた。天氣てんきには、かぜあらはれたそらずれに、しろすぢけはしくえるやまた。とし宗助そうすけ夫婦ふうふつて日毎ひごとさむはうせた。あさになるとかさずとほ納豆賣なつとううりこゑが、かはらとざしもいろ連想れんさうせしめた。宗助そうすけとこなかそのこゑきながら、またふゆたとおもした。御米およね臺所だいどころで、今年ことし去年きよねんやう水道すゐだうせんこほつてれなければたすかるがと、くれからはるけての取越苦勞とりこしぐらうをした。よるになると夫婦ふうふとも炬燵こたつにばかりしたしんだ。さうして廣島ひろしま福岡ふくをかあたゝかいふゆうらやんだ。

まるまへ本多ほんださんやうね」と御米およねわらつた。まへ本多ほんださんとふのは、矢張やはおな構内かまへうちんで、おな坂井さかゐ貸家かしやりてゐる隱居夫婦いんきよふうふであつた。小女こをんな一人ひとり使つかつて、あさから晩迄ばんまでことりとおともしないやうしづかな生計くらしてゝゐた。御米およねちやで、たつた一人ひとり裁縫しごとをしてゐると、時々とき〴〵御爺おぢいさんとこゑがした。それはこの本多ほんだ御婆おばあさんがをつとこゑであつた。門口かどぐちなどふと、丁寧ていねい時候じこう挨拶あいさつをして、ちと御話おはなしらつしやいとふが、つひつたこともなければ、むかふからもためしがない。したがつて夫婦ふうふ本多ほんださんにくわんする知識ちしききはめてとぼしかつた。たゞ息子むすこ一人ひとりあつて、それが朝鮮てうせん統監府とうかんふとかで、立派りつぱ役人やくにんになつてゐるから、月々つき〴〵其方そのはう仕送しおくりで、氣樂きらくらしてかれるのだとことだけを、出入でいり商人しやうにんのあるものからみゝにした。

御爺おぢいさんは植木うゑきいぢつてゐるかい」

段々だん〳〵さむくなつたから、もうめたんでせう。えんした植木鉢うゑきばち澤山たくさんならんでるわ」

 はなしそれからまへうちはなれて、家主やぬしはううつつた。これは、本多ほんだとはまる反對はんたいで、夫婦ふうふからると、此上このうへもないにぎやかさうな家庭かていおもはれた。此頃このごろにはれてゐるので、大勢おほぜい小供こどもがけうへさわことがなくなつたが、ピヤノのおと毎晩まいばんやうにする。折々をり〳〵下女げぢよなんぞの、臺所だいどころはう高笑たかわらひをするこゑさへ、宗助そうすけちやまでひゞいてた。

「ありや一體いつたいなにをするをとこなんだい」と宗助そうすけいた。このとひ今迄いままで幾度いくたび御米およねむかつてかへされたものであつた。

なんにもしないであすんでるんでせう。地面ぢめん家作かさくつて」と御米およねこたへた。このこたへ今迄いままでにもう何遍なんべん宗助そうすけむかつてかへされたものであつた。

 宗助そうすけこれより以上いじやうつて坂井さかゐこといたことがなかつた。學校がくかうめた當座たうざは、順境じゆんきやうにゐて得意とくい振舞ふるまひをするものにふと、いまろとおこつた。それが少時しばらくすると、たんなる憎惡ぞうをねん變化へんくわした。ところが一二ねん此方このかたまつた自他じた差違さゐ無頓着むとんぢやくになつて、自分じぶん自分じぶんやううまいたもの、さきさきやううんつてなかたもの、兩方共りやうはうともはじめから別種類べつしゆるゐ人間にんげんだから、たゞ人間にんげんとして生息せいそくする以外いぐわいに、なん交渉かうせふ利害りがいもないのだとかんがへるやうになつてきた。たまに世間話せけんばなしついでとして、ありや一體いつたいなにをしてゐるひとぐらゐきもするが、それよりさきは、をしへてもら努力どりよくさへすのが面倒めんだうだつた。御米およねにもこれとおなかたむきがあつた。けれども其夜そのよめづらしく、坂井さかゐ主人しゆじんは四十恰好がつかうひげのないひとであるとことやら、ピヤノをくのは惣領そうりやうむすめで十二三になるとことやら、またほかうち小供こどもあそびにても、ブランコへせてらないとことやらをはなした。

何故なぜほかうち子供こどもはブランコへせないんだい」

つまけちなんでせう。はやわるくなるから」

 宗助そうすけわらした。かれ其位そのくらゐ吝嗇けち家主やぬしが、屋根やねるとへば、すぐ瓦師かはらしこしてれる、かきくさつたとうつたへればすぐ植木屋うゑきやれさしてれるのは矛盾むじゆんだとおもつたのである。

 其晩そのばん宗助そうすけゆめには本多ほんだ植木鉢うゑきばち坂井さかゐのブランコもなかつた。かれは十時半頃じはんごろとこはひつて、萬象ばんしやうつかれたひとやういびきをかいた。此間このあひだからあたま具合ぐあひがよくないため、寐付ねつきわるいのをにしてゐた御米およねは、時々とき〴〵けて薄暗うすぐら部屋へやながめた。ほそとこうへせてあつた。夫婦ふうふ夜中よぢゆう燈火あかりけて習慣しふくわんいてゐるので、ときはいつでもしん細目ほそめにして洋燈らんぷ此所こゝげた。

 御米およねにするやうまくら位置ゐちうごかした。さうして其度そのたびに、したにしてゐるはうかたほねを、蒲團ふとんうへすべらした。仕舞しまひには腹這はらばひになつたまゝ兩肱りやうひぢいて、しばらくをつとはうながめてゐた。それからあがつて、夜具やぐすそけてあつた不斷着ふだんぎを、寐卷ねまきうへ羽織はおつたなり、とこ洋燈らんぷげた。

貴方々々あなた〳〵」と宗助そうすけ枕元まくらもとこゞみながらんだ。其時そのときをつとはもういびきをかいてゐなかつた。けれども、もととほふかねむりから呼吸いきつゞけてゐた。御米およねまたあがつて、洋燈らんぷにしたまゝあひふすまけてちやた。くら部屋へや茫漠ぼんやり手元てもとらされたとき御米およねにぶひか箪笥たんすくわんみとめた。それとほぎるとくろくすぶつた臺所だいどころに、腰障子こししやうじ紙丈かみだけしろえた。御米およねのない眞中まんなかに、少時しばらくたゝずんでゐたが、やがて右手みぎてあた下女部屋げぢよべやを、おとのしないやうにそつといて、なか洋燈らんぷかざした。下女げぢよしまいろ判然はつきりうつらない夜具やぐなかに、土龍もぐらごとかたまつててゐた。今度こんど左側ひだりがはの六でふのぞいた。がらんとしてさみしいなかに、れい鏡臺きやうだいいてあつて、かゞみおもて夜中よなかだけすごこたへた。

 御米およね家中うちぢゆう一回ひとまはりまはつたあとすべてに異状いじやうのないことたしかめたうへまたとこなかもどつた。さうしてやうやねむつた。今度こんど具合ぐあひに、眼蓋まぶたのあたりにつかはないでやうおぼえて、少時しばらくするうちに、うと〳〵とした。

 するとまた不圖ふといた。なんだかずしんと枕元まくらもとひゞいたやう心持こゝろもちがする。みゝまくらからはなしてかんがへると、それはあるおほきなおもいものがうらがけから自分達じぶんたちてゐる座敷ざしきえんそところがりちたとしかおもはれなかつた。しかもいまめるすぐまへおこつた出來事できごとで、けつしてゆめつゞきぢやないとかんがへたとき御米およねきふ氣味きみわるくした。さうしてそばてゐるをつと夜具やぐそでいて、今度こんど眞面目まじめ宗助そうすけおこはじめた。

 宗助そうすけ夫迄それまでまつたてゐたが、きふめると、御米およねが、

貴方あなた一寸ちよつときてください」とゆすつてゐたので、半分はんぶん夢中むちゆうに、

「おい、し」とすぐ蒲團ふとんうへなほつた。御米およね小聲こごゑ先刻さつきからの樣子やうすはなした。

おと一遍いつぺんしたぎりなのかい」

「だつていましたばかりなのよ」

 二人ふたりはそれでだまつた。たゞじつそと樣子やうすうかゞつてゐた。けれども世間せけんしんしづかであつた。いつまでみゝそばだてゝゐても、ふたゝものちて氣色けしきはなかつた。宗助そうすけさむいとながら、單衣ひとへ寐卷ねまきうへ羽織はおりかぶつて、縁側えんがはて、雨戸あまどを一まいつた。そとのぞくとなんにもえない。たゞくらなかからさむ空氣くうきにはかにはだせまつてた。宗助そうすけはすぐてた。

 かきがねおろして座敷ざしきもどるやいなや、また蒲團ふとんなかもぐんだが、

なんにもかはつたことはありやしない。多分たぶん御前おまへゆめだらう」とつて、宗助そうすけよこになつた。御米およねけつしてゆめでないと主張しゆちやうした。たしかあたまうへおほきなおとがしたのだと固執こしつした。宗助そうすけ夜具やぐから半分はんぶんしたかほを、御米およねはうけて、

御米およね御前おまへ神經しんけい過敏くわびんになつて、近頃ちかごろうかしてゐるよ。もうすこあたまやすめて工夫くふうでもしなくつちや不可いけない」とつた。

 其時そのときつぎ柱時計はしらどけいが二つた。其音そのおと二人ふたりとも一寸ちよつと言葉ことば途切とぎらして、だまつてると、さらしづまりかへつたやうおもはれた。二人ふたりえて、すぐ寐付ねつかれさうにもなかつた。御米およねが、

「でも貴方あなた氣樂きらくね。よこになると十ぷんたないうちに、もうらつしやるんだから」とつた。

ことるが、らくられるんぢやない。つまりつかれるからよくるんだらう」と宗助そうすけこたへた。

 んなはなしをしてゐるうちに宗助そうすけまた寐入ねいつて仕舞しまつた。御米およね依然いぜんとして、のつそつとこなかうごいてゐた。するとおもてをがら〳〵とはげしいおとてゝくるま一臺いちだいとほつた。近頃ちかごろ御米およね時々とき〴〵夜明前よあけまへくるまおといておどろかされることがあつた。さうしてそれおもはせると、何時いつ似寄によつた刻限こくげんなので、必竟ひつきやう毎朝まいあさおなくるまおなところとほるのだらうと推測すゐそくした。多分たぶん牛乳ぎうにゆう配達はいたつするためかなどで、あゝいそぐにちがひないとめてゐたから、此音このおとくとひとしく、もうけて、隣人りんじん活動くわつどうはじまつたごとくに、心丈夫こゝろぢやうぶになつた。さううしてゐると、何所どこかでとりこゑきこえた。また少時しばらくすると、下駄げたおとたかてゝ徃來わうらいとほるものがあつた。そのうちきよ下女部屋げぢよべやけてかはやきた模樣もやうだつたが、やがてちや時計とけいてゐるらしかつた。此時このときとこいた洋燈らんぷあぶらつて、みじかいしんとゞかなくなつたので、御米およねてゐるところ眞暗まつくらになつてゐた。其所そこきよにした灯火あかりかげが、ふすまあひだからんだ。

きよかい」と御米およねこゑけた。

 きよそれからすぐきた。三十ぷんほどつて御米およねきた。また三十ぷんほどつて宗助そうすけつひきた。平常いつも時分じぶん御米およねつてて、

「もうきてもくつてよ」とふのがれいであつた。日曜にちえうとたまの旗日はたびには、それが、

「さあきて頂戴ちようだい」にかはだけであつた。しか今日けふ昨夕ゆうべことなんとなくにかゝるので、御米およねむかひないうち宗助そうすけとこはなれた。さうしてすぐ崖下がけした雨戸あまどつた。

 したからのぞくと、さむたけあさ空氣くうきとざされてじつとしてゐるうしろから、しもやぶいろして、幾分いくぶんいたゞきめてゐた。その二尺にしやくほどした勾配こうばい一番いちばんきふところえてゐる枯草かれくさが、めうけて、赤土あかつちはだ生々なま〳〵しく露出ろしゆつした樣子やうすに、宗助そうすけ一寸ちよつとおどろかされた。それから一直線いつちよくせんりて、丁度ちやうど自分じぶんつてゐる縁鼻えんばなつちが、霜柱しもばしらくだいたやうれてゐた。宗助そうすけおほきないぬでもうへからころがりちたのぢやなからうかとおもつた。しかいぬにしては幾何いくらおほきいにしても、あまいきほひはげぎるとおもつた。

 宗助そうすけ玄關げんくわんから下駄げたげてて、すぐにはりた。えんさき便所べんじよまがつてしてゐるので、いとゞせま崖下がけしたが、うらける半間はんげんほどところ猶更なほさら狹苦せまくるしくなつてゐた。御米およね掃除屋さうぢやるたびに、このまがかどにしては、

彼所あすこがもうすこひろいといけれども」と危險あぶながるので、よく宗助そうすけからわらはれたことがあつた。

 其所そことほけると、眞直まつすぐ臺所だいどころまでほそみちいてゐる。もと枯枝かれえだまじつた杉垣すぎがきがあつて、となりには仕切しきりになつてゐたが、此間このあひだ家主やぬしれたときあなだらけの杉葉すぎは奇麗きれいはらつて、いまではふしおほ板塀いたべい片側かたがは勝手口かつてぐちまでふさいで仕舞しまつた。日當ひあたりのわるうへに、とひから雨滴あまだればかりちるので、なつになると秋海棠しうかいだう一杯いつぱいえる。そのさかりなころあをかさなりつて、ほとんどとほみちがなくなるくらゐしげつてる。はじめてしたとしは、宗助そうすけ御米およねこの景色けしきおどろかされたくらゐである。この秋海棠しうかいだう杉垣すぎがきのまだかれないまへから、何年なんねんとなく地下ちかはびこつてゐたもので、古家ふるやこぼたれたいまでも、時節じせつるとむかしとほくものとわかつたとき御米およねは、

「でも可愛かあいいわね」とよろこんだ。

 宗助そうすけしもんで、この記念きねんおほ横手よこてときかれ細長ほそなが路次ろじ一點いつてんちた。さうしてかれかよはないさむさのなかにはたとまつた。

 かれ足元あしもとには黒塗くろぬり蒔繪まきゑ手文庫てぶんこはふしてあつた。中味なかみはわざ〳〵其所そこつていてつたやうに、しもうへにちやんとすわつてゐるが、ふたは二三じやくはなれて、へいけられたごとくにかへつて、なかつた千代紙ちよがみ模樣もやう判然はつきりえた。文庫ぶんこなかかられた、手紙てがみ書付類かきつけるゐが、其所そこいらに遠慮ゑんりよなくらばつてゐるなかに、比較的ひかくてきながい一つうがわざ〳〵二しやくばかりひろげられて、其先そのさき紙屑かみくづごとまるめてあつた。宗助そうすけ近付ちかづいて、この揉苦茶もみくちやになつたかみしたのぞいておぼえず苦笑くせうした。したには大便だいべんれてあつた。

 つちうへらばつてゐる書類しよるゐ一纏ひとまとめにして、文庫ぶんこなかれて、しもどろよごれたまゝ宗助そうすけ勝手口かつてぐちまでつてた。腰障子こししやうじけて、きよ

「おいこれ一寸ちよつと其所そこいてれ」とわたすと、きよめうかほをして、不思議ふしぎさうにそれを受取うけとつた。御米およねおく座敷ざしき拂塵はたきけてゐた。宗助そうすけはそれから懷手ふところでをして、玄關げんくわんだのもんあたり見廻みまはつたが、何處どこにも平常へいじやうことなるてんみとめられなかつた。

 宗助そうすけようやうちはひつた。ちやれいとほ火鉢ひばちまへすわつたが、すぐおほきなこゑして御米およねんだ。御米およねは、

けに何處どこつてらしつたの」とひながらおくからた。

「おい昨夜ゆうべ枕元まくらもとおほきなおとがしたのはぱりゆめぢやなかつたんだ。泥棒どろぼうだよ。泥棒どろぼう坂井さかゐさんのがけうへからうちにはりたおとだ。いまうらまはつてたら、この文庫ぶんこちてゐて、なか這入はいつてゐた手紙てがみなんぞが、無茶苦茶むちやくちやはふしてあつた。御負おまけ御馳走ごちそうまでいてつた」

 宗助そうすけ文庫ぶんこなかから、二三つう手紙てがみして御米およねせた。それにはみんな坂井さかゐ名宛なあていてあつた。御米およね吃驚びつくりして立膝たてひざまゝ

坂井さかゐさんぢやほかなにられたでせうか」といた。宗助そうすけ腕組うでぐみをして、

「ことにると、まだなにられたね」とこたへた。

 夫婦ふうふかくもとふので、文庫ぶんこ其所そこいたなり朝飯あさめしぜんいた。しかはしうごかす泥棒どろぼうはなしわすれなかつた。御米およね自分じぶんみゝあたまたしかことをつとほこつた。宗助そうすけみゝあたまたしかでないこと幸福かうふくとした。

「さうおつしやるけれど、これ坂井さかゐさんでなくつて、うち御覽ごらんなさい。貴方あなたやうにぐう〳〵らしつたらこまるぢやないの」と御米およね宗助そうすけめた。

「なにうちなんぞへ這入はい氣遣きづかひはないから大丈夫だいぢやうぶだ」と宗助そうすけくちらない返事へんじをした。

 其所そこきよ突然とつぜん臺所だいどころからかほして、

此間このあひだこしらえた旦那樣だんなさま外套ぐわいたうでもられやうものなら、それこそさわぎで御座ございましたね。御宅おうちでなくつて坂井さかゐさんだつたから本當ほんたう結構けつこう御座ございます」と眞面目まじめよろこび言葉ことばべたので、宗助そうすけ御米およねすこ挨拶あいさつきゆうした。

 食事しよくじましても、出勤しゆつきん時刻じこくにはまだ大分だいぶがあつた。坂井さかゐではさだめてさわいでるだらうとふので、文庫ぶんこ宗助そうすけ自分じぶんつてつてことにした。蒔繪まきゑではあるが、たゞ黒地くろぢ龜甲形きつかふがたきんいただけことで、べつたいして金目かねめものともおもへなかつた。御米およね唐棧たうざん風呂敷ふろしきしてそれをくるんだ。風呂敷ふろしきすこちひさいので、四隅よすみむか同志どうしつないで、眞中まんなかにこまむすびをふたこしらえた。宗助そうすけがそれをげたところは、まる進物しんもつ菓子折くわしをりやうであつた。

 座敷ざしきればすぐがけうへだが、おもてからまはると、とほりを半町はんちやうばかりて、さかのぼつて、また半町はんちやうほどぎやくもどらなければ、坂井さかゐ門前もんぜんへはられなかつた。宗助そうすけいしうへしばつて扇骨木かなめ奇麗きれい植付うゑつけたかき沿ふて門内もんないはひつた。

 いへうちむししづぎるくらゐしんとしてゐた。摺硝子すりがらすてゝある玄關げんくわんて、ベルを二三してたが、ベルがかないとえてだれなかつた。宗助そうすけ仕方しかたなしに勝手口かつてぐちまはつた。其所そこにも摺硝子すりがらすまつた腰障子こししやうじが二まいててあつた。なかでは器物きぶつあつかおとがした。宗助そうすけけて、瓦斯七輪ガスしちりんいたいた蹲踞しやがんでゐる下女げぢよ挨拶あいさつをした。

これ此方こちらのでせう。今朝けさわたしうちうらちてゐましたからつてました」とひながら、文庫ぶんこした。

 下女げぢよは「左樣さやう御座ございましたか、どうも」と簡單かんたんれいべて、文庫ぶんこつたまゝいた仕切しきりまでつて、仲働なかばたらきらしいをんなした。其所そこ小聲こごゑ説明せつめいをして、品物しなものわたすと、仲働なかばたらきはそれを受取うけとつたなり、一寸ちよつと宗助そうすけはうたがすぐおくはひつた。ちがへに、十二三になる丸顏まるがほおほきなをんなと、そのいもうとらしいそろひのリボンをけた一所いつしよけてて、ちひさいくびふたならべて臺所だいどころした。さうして宗助そうすけかほながめながら、泥棒どろぼうよと耳語さゝやきやつた。宗助そうすけ文庫ぶんこわたして仕舞しまへば、もうようんだのだから、おく挨拶あいさつはどうでもいとして、すぐかへらうかとかんがへた。

文庫ぶんこ御宅おたくのでせうね。いんでせうね」とねんして、にもらない下女げぢよどくがらしてゐるところへ、最前さいぜん仲働なかばたらきて、

うぞ御通おとほください」と丁寧ていねいあたまげたので、今度こんど宗助そうすけはうすこいたやうになつた。下女げぢよいよ〳〵しとやかにおな請求せいきうかへした。宗助そうすけいたさかひとほして、つひ迷惑めいわくかんした。ところ主人しゆじん自分じぶんた。

 主人しゆじん予想通よさうどほ血色けつしよく下膨しもぶくれ福相ふくさうそなへてゐたが、御米およねつたやうひげのないをとこではなかつた。はなしたみじかくんだのをやして、たゞほゝからあご奇麗きれいあをくしてゐた。

「いやうもんだ御手數おてかずで」と主人しゆじん眼尻めじりしわせながられいべた。米澤よねざはかすりひざいたいて、宗助そうすけから色々いろ〳〵樣子やうすいてゐる態度たいどが、如何いかにもゆつくりしてゐた。宗助そうすけ昨夕ゆうべから今朝けさけての出來事できごと一通ひととほつまんではなしたうへ文庫ぶんこほかなにられたものがあるかないかをたづねてた。主人しゆじんつくゑうへいた金時計きんどけいひとられたよしこたへた。けれどもまるひとのものでもくなしたときやうに、一向いつかうこまつたと氣色けしきはなかつた。時計とけいよりはむし宗助そうすけ叙述じよじゆつはうおほくの興味きようみつて、泥棒どろぼうはたしてがけつたつてうらからにげげるつもりだつたらうか、またげる拍子ひやうしに、がけからちたものだらうかとやう質問しつもんけた。宗助そうすけもとより返答へんたふ出來できなかつた。

 其所そこ最前さいぜん仲働なかばたらきが、おくからちやたばこはこんでたので、宗助そうすけまたかへりはぐれた。主人しゆじんはわざ〳〵坐蒲團ざぶとんまでせて、とう〳〵其上そのうへ宗助そうすけしりゑさした。さうして今朝けさはや刑事けいじはなしをしはじめた。刑事けいじ判定はんていによると、ぞくよひから邸内ていないしのんで、なんでも物置ものおきかなぞにかくれてゐたにちがひない。這入口はいりくち矢張やは勝手かつてである。燐寸まつちつて蝋燭らふそくともして、それを臺所だいどころにあつた小桶こをけなかてゝ、ちやたが、つぎ部屋へやには細君さいくん子供こどもてゐるので、廊下傳らうかづたひに主人しゆじん書齋しよさいて、其所そこ仕事しごとをしてゐると、此間このあひだうまれたすゑをとこが、ちゝ時刻じこくたものか、ましてしたため、ぞく書齋しよさいけてにはげたらしい。

平常いつもやういぬがゐるとかつたんですがね。生憎あいにく病氣びやうきなので、四五日前にちまへ病院びやうゐんれて仕舞しまつたもんですから」と主人しゆじん殘念ざんねんがつた。宗助そうすけも、

それをしことでした」とこたへた。すると主人しゆじんそのいぬブリードやら血統けつとうやら、時々とき〴〵かりれてことや、色々いろ〳〵ことはなはじめた。

れふすきですから。もつと近來きんらい神經痛しんけいつうすこやすんでゐますが。なにしろ秋口あきぐちからふゆけてしぎなぞをちにくと、どうしてもこしからしたなかつかつて、二時間じかんも三時間じかんらさなければならないんですから、まつた身體からだにはくないやうです」

 主人しゆじん時間じかん制限せいげんのないひとえて、宗助そうすけが、成程なるほどとか、うですか、とかつてゐると、何時いつまではなしてゐるので、宗助そうすけやむ中途ちゆうとがつた。

これからまたれいとほ出掛でかけなければなりませんから」とげると、主人しゆじんはじめていたやうに、いそがしいところめた失禮しつれいしやした。さうしていづまた刑事けいじ現状げんじやうくかもれないから、其時そのときはよろしくねがふとふやうなことべた。最後さいごに、

うかちと御話おはなしに。わたくし近頃ちかごろむしひまはうですから、また御邪魔おじやまますから」と丁寧ていねい挨拶あいさつをした。もんいそあしうちかへると、毎朝まいあさ時刻じこくよりも、もう三十ぷんほどおくれてゐた。

貴方あなたうなすつたの」と御米およねんで玄關げんくわんた。宗助そうすけはすぐ着物きものいで洋服やうふく着換きかへながら、

「あの坂井さかゐひとぽど氣樂きらくひとだね。かねがあるとあゝゆつくり出來できるもんかな」とつた。



小六ころくさん、ちやからはじめて。それとも座敷ざしきはうさきにして」と御米およねいた。

 小六ころくは四五日前にちまへとう〳〵あにところうつつた結果けつくわとして、今日けふ障子しやうじ張替はりかへ手傳てつだはなければならないこととなつた。かれむか叔父をぢいへとき安之助やすのすけ一所いつしよになつて、自分じぶん部屋へや唐紙からかみへた經驗けいけんがある。其時そのときのりぼんいたり、へら使つかつてたり、大分だいぶ本式ほんしきしたが、首尾しゆびかわかして、いざもとところてるといふだんになると、二まいともかへつて敷居しきゐみぞまらなかつた。それからこれ安之助やすのすけ共同きようどうして失敗しつぱいした仕事しごとであるが、叔母をば云付いひつけで、障子しやうじらせられたときには、水道すゐだうでざぶ〳〵わくあらつたため、矢張やつぱかわいたあとで、惣體そうたいゆがみ出來でき非常ひじやう困難こんなんした。

ねえさん、障子しやうじるときは、餘程よほど愼重しんちようにしないと失策しくじるです。あらつちや駄目だめですぜ」とひながら、小六ころくちや縁側えんがはからびり〳〵やぶはじめた。

 縁先えんさきみぎはう小六ころくのゐる六でふまがつて、ひだりには玄關げんくわんしてゐる。そのむかふをへいえん平行へいかうふさいでゐるから、まあ四角しかく圍内かこひうちつてい。なつになるとコスモスを一面いちめんしげらして、夫婦ふうふとも毎朝まいあさつゆふか景色けしきよろこんだこともあるし、またへいしたほそたけてゝ、それへ朝顏あさがほからませたこともある。其時そのときけに、今朝けさいたはなかず勘定かんぢやうつて二人ふたりたのしみにした。けれどもあきからふゆけては、はなくさまるれて仕舞しまふので、ちひさな砂漠さばくやうに、ながめるのもどくくらゐさびしくなる。小六ころくこのしもばかりりた四角しかく地面ぢめんにして、しきりに障子しやうじかみがしてゐた。

 時々とき〴〵さむかぜて、うしろから小六ころく坊主頭ばうずあたまえりあたりおそつた。其度そのたびかれさらしのえんから六でふなかみたくなつた。かれあか無言むごんまゝはたらかしながら、馬尻ばけつなか雜巾ざふきんしぼつて障子しやうじさんした。

さむいでせう、御氣おきどくさまね。生憎あいにく御天氣おてんき時雨しぐれたもんだから」と御米およね愛想あいそつて、鐵瓶てつびんぎ、昨日きのふのりいた。

 小六ころく實際じつさいこんなようをするのを、内心ないしんではおほいに輕蔑けいべつしてゐた。ことに昨今さくこん自分じぶんむなくかれた境遇きやうぐうからして、此際このさい多少たせう自己じこ侮辱ぶじよくしてゐるかのくわんいだいて雜巾ざふきんにしてゐた。むか叔父をぢいへで、これおなことらせられたときは、暇潰ひまつぶしのなぐさみとして、不愉快ふゆくわいどころかかへつて面白おもしろかつた記憶きおくさへあるのに、いまぢや此位このくらゐ仕事しごとよりほかにする能力のうりよくのないものと、いて周圍しうゐからあきらめさせられたやうがして、縁側えんがはさむいのがなほのことしやくさはつた。

 それであによめにはこゝろよい返事へんじさへろくにしなかつた。さうしてあたまなかで、自分じぶん下宿げしゆくにゐた法科はふくわ大學生だいがくせいが、一寸ちよつと散歩さんぽついでに、資生堂しせいだうつて、みつりの石鹸しやぼん齒磨はみがきふのにさへ、五ゑんぢかくのかねはら華奢くわしやおもうかべた。するとうしても自分じぶん一人ひとりがこんな窮境きゆうきやうおちいるべき理由りいうがないやうかんぜられた。それから、んな生活せいくわつ状態じやうたいあまんじて一生いつしやうおく兄夫婦あにふうふ如何いかにも憫然ふびんえた。彼等かれら障子しやうじ美濃紙みのがみふのにさへ氣兼きがねをしやしまいかとおもはれるほど小六ころくからると、消極的せうきよくてきくらかたをしてゐた。

んなかみぢや、またすぐやぶけますね」とひながら、小六ころくいた小口こぐちを一しやくほどかして、二三力任ちからまかせにらした。

「さう? でもうちぢや小供こどもがないから、夫程それほどでもなくつてよ」とこたへた御米およねのりふくました刷毛はけつてとん〳〵とんとさんうへわたした。

 二人ふたりながいだかみ双方さうはうからつて、るべくるみの出來できないやうつとめたが、小六ころく時々とき〴〵面倒臭めんだうくささうなかほをすると、御米およねはつい遠慮ゑんりよて、好加減いゝかげん髮剃かみそり小口こぐちおとして仕舞しまこともあつた。したがつて出來上できあがつたものには、所々ところ〴〵のぶく〳〵が大分だいぶいた。御米およねなさけなささうに、戸袋とぶくろけたての障子しやうじながめた。さうしてこゝろうちで、相手あひて小六ころくでなくつて、をつとであつたならとおもつた。

しわすこ出來できたのね」

うせぼく御手際おてぎはぢやうまくはかない」

「なににいさんだつて、さう御上手おじやうずぢやなくつてよ。それににいさんは貴方あなたよりほど無精ぶしやうね」

 小六ころくなんにもこたへなかつた。臺所だいどころからきよつて含嗽茶碗うがひぢやわんつて、戸袋とぶくろまへつて、かみ一面いちめんれるほどきりいた。二枚目まいめつたときは、さききりいたぶんほゞかわいてしわ大方おほかたたひらになつてゐた。三枚目まいめつたとき、小六ころくこしいたくなつたとした。じつふと御米およねはう今朝けさからあたまいたかつたのである。

「もう一まいつて、ちやだけましてからやすみませう」とつた。

 ちやましてゐるうちにひるになつたので、二人ふたり食事しよくじはじめた。小六ころくうつつてからこの四五日しごんち御米およね宗助そうすけのゐない午飯ひるはんを、何時いつ小六ころく差向さしむかひべることになつた。宗助そうすけ一所いつしよになつて以來いらい御米およね毎日まいにちぜんともにしたものは、をつとよりほかになかつた。をつと留守るすときは、たゞひとはしるのが多年たねん習慣ならはしであつた。だから突然とつぜんこの小舅こじうと自分じぶんあひだ御櫃おはちいて、たがひかほ見合みあはせながら、くちうごかすのが、御米およねつては一種いつしゆ經驗けいけんであつた。それも下女げぢよ臺所だいどころはたらいてゐるときは、だしもだが、きよかげおともしないとなると、なほことへん窮屈きゆうくつかんじがおこつた。無論むろん小六ころくよりも御米およねはう年上としうへであるし、また從來じゆうらい關係くわんけいからつても、兩性りやうせいからけるつやつぽい空氣くうきは、箝束的けんそくてき初期しよきおいてすら、二人ふたりあひだおこべきはずのものではなかつた。御米およね小六ころく差向さしむかひぜんくときのこのぶつせいな心持こゝろもちが、何時いつになつたらえるだらうと、こゝろうちひそかうたぐつた。小六ころくうつまでは、こんな結果けつくわやうとは、まるかなかつたのだから猶更なほさら當惑たうわくした。仕方しかたがないからるべく食事中しよくじちゆうはなしをして、めて手持無沙汰てもちぶさた隙間すきまだけでもおぎなはうとつとめた。不幸ふかうにしていま小六ころくは、このあによめ態度たいどたいしてほど調子てうしだけ餘裕よゆう分別ふんべつあたまうち發見はつけんなかつたのである。

小六ころくさん、下宿げしゆく御馳走ごちそうがあつて」

 こんな質問しつもんふと、小六ころく下宿げしゆくからあそびに時分じぶんやうに、淡泊たんぱく遠慮ゑんりよのないこたへをするわけかなくなつた。やむず、

「なにうでもありません」ぐらゐにしてくと、その語氣ごきがからりとんでゐないので、御米およねはうでは、自分じぶん待遇たいぐうわる所爲せゐかと解釋かいしやくすることもあつた。それがまた無言むごんあひだに、小六ころくあたまうつこともあつた。

 ことに今日けふあたま具合ぐあひくないので、ぜんむかつても、御米およね何時いつものやうつとめるのが退儀たいぎであつた。つとめて失敗しつぱいするのはなほいやであつた。それで二人ふたりとも障子しやうじるときよりも言葉ことばすくなに食事しよくじました。

 れた所爲せゐか、あさくらべると仕事しごとすこ果取はかどつた。しか二人ふたり氣分きぶん飯前めしまへよりもかへつて縁遠えんどほくなつた。ことにさむ天氣てんき二人ふたりあたまこたへた。きたときは、せたそら次第しだい遠退とほのいてくかとおもはれるほどに、れてゐたが、それが眞蒼まつさをいろづくころからきふくもて、くらなか粉雪こゆきでもかもしてゐるやうに、密封みつぷうした。二人ふたりかはる〴〵火鉢ひばちかざした。

にいさんは來年らいねんになると月給げつきふがるんでせう」

 不圖ふと小六ころくんなとひ御米およねけた。御米およね其時そのときたゝみうへ紙片かみぎれつて、のりよごれたいてゐたが、まつたおもひらないといふかほをした。

うして」

「でも新聞しんぶんると、來年らいねんから一般いつぱん官吏くわんり増俸ぞうほうがあるとはなしぢやありませんか」

 御米およねはそんな消息せうそくまつたらなかつた。小六ころくからくはしい説明せつめいいて、はじめて成程なるほど首肯うなづいた。

まつたくね。これぢやだれだつて、つてけないわ。御肴おさかな切身きりみなんか、わたし東京とうきやうてからでも、もうばいになつてるんですもの」とつた。さかな切身きりみ値段ねだんになると小六ころくはうまつた無識むしきであつた。御米およね注意ちゆういされてはじめてそれほど無暗むやみたかくなるものかとおもつた。

 小六ころく一寸ちよつとした好奇心かうきしんたため、二人ふたり會話くわいわ存外ぞんぐわい素直すなほながれてつた。御米およねうら家主やぬしの十八九時代じだい物價ぶつか大變たいへんやすかつたはなしを、此間このあひだ宗助そうすけからいたとほかへした。その時分じぶん蕎麥そばふにしても、もりかけが八りんたねものが二せんりんであつた。牛肉ぎうにく普通なみ一人前いちにんまへせんでロースは六せんであつた。寄席よせは三せんか四せんであつた。學生がくせいつきに七ゑんぐらゐくにからもらへばちゆうであつた。十ゑんるとすで贅澤ぜいたくおもはれた。

小六ころくさんも、その時分じぶんだとわけなく大學だいがく卒業そつげふ出來できたのにね」と御米およねつた。

にいさんもその時分じぶんだと大變たいへんくらやすわけですね」と小六ころくこたへた。

 座敷ざしき張易はりかへんだときにはもう三時過じすぎになつた。さううしてゐるうちには、宗助そうすけかへつてるし、ばん支度したくはじめなくつてはならないので、二人ふたりはこれを一段落いちだんらくとして、のり髮剃かみそりかたづけた。小六ころくおほきなのびひとつして、にぎこぶし自分じぶんあたまをこん〳〵とたゝいた。

うも御苦勞ごくらうさま。つかれたでせう」と御米およね小六ころくいたはつた。小六ころくそれよりも口淋くちさむしいおもひがした。此間このあひだ文庫ぶんことゞけてやつたれいに、坂井さかゐかられたと菓子くわしを、戸棚とだなからしてもらつてべた。御米およね御茶おちやれた。

坂井さかゐひと大學だいがくなんですか」

「えゝ、矢張やつぱり左樣さうなんですつて」

 小六ころくちやんで烟草たばこいた。やがて、

にいさんは増俸ぞうほうことをまだ貴方あなたはなさないんですか」といた。

「いゝえ、ちつとも」と御米およねこたへた。

にいさんやうになれたらいだらうな。不平ふへいなにもなくつて」

 御米およね特別とくべつ挨拶あいさつもしなかつた。小六ころく其儘そのまゝつて六でふ這入はいつたが、やがてえたとつて、火鉢ひばちかゝえてまたた。かれあにいへ厄介やくかいになりながら、もうすこてば都合つがふくだらうとなぐさめた安之助やすのすけ言葉ことばしんじて、學校がくかう表向おもてむき休學きうがくていにして一時いちじ始末しまつをつけたのである。



 うら坂井さかゐ宗助そうすけとは文庫ぶんこえんになつておもはぬ關係くわんけいいた。夫迄それまでつき一度いちど此方こちらからきよ家賃やちんたしてると、むかふからその受取うけとりこすだけ交渉かうせふぎなかつたのだから、がけうへ西洋人せいやうじんんでゐると同樣どうやうで、隣人りんじんとしてのしたしみは、まる存在そんざいしてゐなかつたのである。

 宗助そうすけ文庫ぶんことゞけたに、坂井さかゐつたとほり、刑事けいじ宗助そうすけいへ裏手うらてから崖下がけしたしらべにたが、其時そのとき坂井さかゐ一所いつしよだつたので、御米およねはじめてうはさいた家主やぬしかほた。ひげのないとおもつたのに、ひげやしてゐるのと、自分じぶんなぞにたいしても、存外ぞんぐわい丁寧ていねい言葉ことば使つかふのが、御米およねにはすこ案外あんぐわいであつた。

貴方あなた坂井さかゐさんはひげやしてゐてよ」と宗助そうすけかへつたとき御米およねはわざ〳〵注意ちゆういした。

 それから二日ふつかばかりして、坂井さかゐ名刺めいしへた立派りつぱ菓子折くわしをりつて、下女げぢよれいたが、先達せんだつては色々いろ〳〵御世話おせわになりまして、難有ありがたぞんじます、いづ主人しゆじん自身じしんうかゞはず御座ございますがといて、かへつてつた。

 其晩そのばん宗助そうすけ到來たうらい菓子折くわしをりふたけて、唐饅頭たうまんぢゆう頬張ほゝばりながら、

んなものをれるところをもつてると、夫程それほどけちでもないやうだね。ひとうちをブランコへせてらないつてふのはうそだらう」とつた。御米およねも、

屹度きつとうそよ」と坂井さかゐ辯護べんごした。

 夫婦ふうふ坂井さかゐとは泥棒どろぼう這入はいらないまへより、是丈これだけしたしみのしたやうなものゝ、それ以上いじやう接近せつきんしやうとねんは、宗助そうすけあたまにも御米およねむねにも宿やどらなかつた。利害りがい打算ださんからへば無論むろんことたん隣人りんじん交際かうさいとか情誼じやうぎとかてんからても、夫婦ふうふはこれよりも前進ぜんしんする勇氣ゆうきたなかつたのである。もし自然しぜん此儘このまゝ無爲むゐ月日つきひつたなら、ひさしからぬうちに、坂井さかゐむかし坂井さかゐになり、宗助そうすけもと宗助そうすけになつて、がけうへがけしたたがひいへへだゝごとく、たがひこゝろはなばなれになつたにちがひなかつた。

 ところがそれからまた二日ふつかいて、三日目みつかめがたに、かはうそえりいたあたゝかさうな外套マントて、突然とつぜん坂井さかゐ宗助そうすけところつてた。夜間やかんきやくおそはれけない夫婦ふうふは、輕微けいび狼狽らうばいかんじたくらゐおどろかされたが、座敷ざしきげてはなしてると、坂井さかゐ丁寧ていねい先日せんじつれいべたのち

御蔭おかげられた品物しなものまたもどりましたよ」とひながら、白縮緬しろちりめん兵兒帶へこおびけた金鎖きんぐさりはづして、兩葢りやうぶた金時計きんどけいしてせた。

 規則きそくだから警察けいさつとゞけることとゞけたが、じつ大分だいぶふる時計とけいなので、られても夫程それほどをしくもないぐらゐあきらめてゐたら、昨日きのふになつて、突然とつぜん差出人さしだしにん不明ふめい小包こづゝみいて、其中そのなかにちやんと自分じぶんくしたのがくるんであつたんだとふ。

泥棒どろぼうあつかつたんでせう。それともあまかねにならないんで、やむかへしてれるになつたんですかね。なにしろめづらしいことで」と坂井さかゐわらつてゐた。それから、

なにわたくしからふと、じつはあの文庫ぶんこはうむし大切たいせつしなでしてね。祖母ばゞむか御殿ごてんつとめてゐた時分じぶんいたゞいたんだとかつて、まあ記念かたみやうなものですから」とやうこと説明せつめいしてかした。

 其晩そのばん坂井さかゐはそんなはなしやく時間じかんもしてかへつてつたが、相手あひてになつた宗助そうすけも、ちやいてゐた御米およねも、大變たいへん談話だんわ材料ざいれうんだひとだとおもはぬわけかなかつた。あとで、

世間せけんひろかたね」と御米およねひやうした。

ひまだからさ」と宗助そうすけ解釋かいしやくした。

 つぎ宗助そうすけ役所やくしよかへりがけに、電車でんしやりて横町よこちやう道具屋だうぐやまへまでると、れいかはうそえりけた坂井さかゐ外套ぐわいたう一寸ちよつといた。横顏よこがほ徃來わうらいはうけて、主人しゆじん相手あひてなにつてゐる。主人しゆじんおほきな眼鏡めがねけたまゝしたから坂井さかゐかほ見上みあげてゐる。宗助そうすけ挨拶あいさつをすべきをりでもないとおもつたから、其儘そのまゝぎやうとして、みせ正面しやうめんまでると、坂井さかゐ徃來わうらいいた。

「やあ昨夜さくやは。いま御歸おかへりですか」と氣輕きがるこゑけられたので、宗助そうすけ愛想あいそなくとほぎるわけにもかなくなつて、一寸ちよつと歩調ほてうゆるめながら、帽子ばうしつた。すると坂井さかゐは、ようはもうんだとふうをして、みせからた。

なに御求おもとめですか」と宗助そうすけくと、

「いえ、なに」とこたへたまゝ宗助そうすけならんでうちはうあるした。六七けんたとき、

「あのぢゞい、中々なか〳〵ずるやつですよ。華山くわざん僞物にせものつて押付おつつけやうとしやがるから、いましかつけつたんです」とした。宗助そうすけはじめて、この坂井さかゐ餘裕よゆうあるひと共通きようつう好事かうず道樂だうらくにしてゐるのだとこゝろいた。さうして此間このあひだはらつた抱一はういつ屏風びやうぶも、最初さいしよからひとせたら、かつたらうにと、はらなかかんがへた。

「あれは書畫しよぐわにはあかるいをとこなんですか」

「なに書畫しよぐわどころか、まるなにわからないやつです。あのみせ樣子やうすてもわかるぢやありませんか。骨董こつとうらしいものはひとつもならんでゐやしない。もとが紙屑屋かみくづやから出世しゆつせしてあれだけになつたんですからね」

 坂井さかゐ道具屋だうぐや素性すじやうつてゐた。出入でいり八百屋やほや阿爺おやぢはなしによると、坂井さかゐいへ舊幕きうばくころなんとかのかみ名乘なのつたもので、この界隈かいわいでは一番いちばんふる門閥家もんばつかなのださうである。瓦解ぐわかいさい駿府すんぷげなかつたんだとか、あるひげてまたたんだとかことみゝにしたやうであるが、それは判然はつきり宗助そうすけあたまのこつてゐなかつた。

ちひさいうちから惡戲いたづらものでね。あいつが餓鬼大將がきだいしやうになつて喧譁けんくわをしにつたことがありますよ」と坂井さかゐ御互おたがひ子供こどもときことまで一口ひとくちらした。それがまたうして華山くわざん贋物にせものまうとたくんだのかとくと、坂井さかゐわらつて、説明せつめいした。──

「なに親父おやぢだいから贔屓ひいきにしてつてるものですから、時々とき〴〵なんだつてつてるんです。ところかないくせに、たゞよくばりたがつてね、まことに取扱とりあつかにく代物しろものです。それについ此間このあひだ抱一はういつ屏風びやうぶつてもらつて、あぢめたんでね」

 宗助そうすけおどろいた。けれどもはなし途中とちゆうさへぎるわけかなかつたので、だまつてゐた。坂井さかゐ道具屋だうぐやがそれ以來いらい乘氣のりきになつて、自身じしんわかりもしない書畫類しよぐわるゐをしきりにんでことやら、大坂おほさか出來でき高麗燒かうらいやき本物ほんものだとおもつて、大事だいじかざつていたことやらはなしたすゑ

「まあ臺所だいどころ使つか食卓ちやぶだいか、たか〴〵あら鐵瓶てつびんぐらゐしか、んなところぢやへたもんぢやありません」とつた。

 其内そのうち二人ふたりさかうへた。坂井さかゐ其所そこみぎまがる、宗助そうすけ其所そこしたりなければならなかつた。宗助そうすけはもうすこ一所いつしよあるいて、屏風びやうぶこときたかつたが、わざ〳〵まはみちをするのもへんだと心付こゝろづいて、それなりわかれた。わかれるとき

ちかうち御邪魔おじやまても御座ございますか」とくと、坂井さかゐは、

「どうぞ」とこゝろよくこたへた。

 其日そのひかぜもなく一仕切ひとしきりつたが、うちにゐると底冷そこびえのするさむさにおそはれるとかつて、御米およねはわざ〳〵置炬燵おきごたつ宗助そうすけ着物きものけて、それを座敷ざしき眞中まんなかゑて、をつとかへりをけてゐた。

 此冬このふゆになつて、ひるのうち炬燵こたつこしらえたのは、其日そのひはじめてゞあつた。よるうからもちひてゐたが、何時いつも六でふだけであつた。

座敷ざしき眞中まんなかにそんなものをゑて、今日けふうしたんだい」

「でも、御客おきやくなにもないからいでせう。だつて六でふはう小六ころくさんがて、ふさがつてゐるんですもの」

 宗助そうすけはじめて自分じぶんいへ小六ころくこといた。襯衣しやつうへからあたゝかい紡績織ばうせきおりけてもらつて、おびをぐる〳〵けたが、

「こゝは寒帶かんたいだから炬燵こたつでもかなくつちやしのげない」とつた。小六ころく部屋へやになつた六でふは、たゝみこそ奇麗きれいでないが、みなみひがしいてゐて、家中うちぢゆう一番いちばんあたゝかい部屋へやなのである。

 宗助そうすけ御米およねんであつちや湯呑ゆのみから二口ふたくちほどんで、

小六ころくはゐるのかい」といた。小六ころくもとよりはずである。けれども六でふはひつそりしてひとのゐるやうにもおもはれなかつた。御米およねびにたうとするのを、ようはないからいとめたまゝ宗助そうすけ炬燵蒲團こたつぶとんなかもぐんで、すぐよこになつた。一方口いつぱうぐちがけひかえてゐる座敷ざしきには、もう暮方くれがたいろきざしてゐた。宗助そうすけ手枕てまくらをして、なにかんがへるともなく、たゞこのくらせま景色けしきながめてゐた。すると御米およねきよ臺所だいどころはたらおとが、自分じぶん關係くわんけいのないとなりひと活動くわつどうごとくにきこえた。そのうち、障子しやうじだけがたゞ薄白うすじろ宗助そうすけうつやうに、部屋へやなかれてた。かれはそれでもじつとしてうごかずにゐた。こゑして洋燈らんぷ催促さいそくもしなかつた。

 かれくらところからて、晩食ばんめしぜんいたときは、小六ころくも六でふからて、あにむかふにすわつた。御米およねいそがしいので、ついわすれたとつて、座敷ざしきめにつた。宗助そうすけおとうと夕方ゆふがたになつたら、ちと洋燈らんぷけるとか、てるとかして、せはしいあね手傳てつだひでもしたらからうと注意ちゆういしたかつたが、昨今さくこんうつつたばかりのものに、まづいことふのもわるからうとおもつてめた。

 御米およね座敷ざしきからかへつてるのをつて、兄弟きやうだいはじめて茶碗ちやわんけた。其時そのとき宗助そうすけやうや今日けふ役所やくしよかへりがけに、道具屋だうぐやまへ坂井さかゐつたことと、坂井さかゐがあのおほきな眼鏡めがねけてゐる道具屋だうぐやから、抱一はういつ屏風びやうぶつたとはなしをした。御米およねは、

「まあ」とつたなり、しばらく宗助そうすけかほてゐた。

「ぢや屹度きつとあれよ。屹度きつとあれにちがひないわね」

 小六ころくはじめのうちなんにもくちさなかつたが、段々だん〳〵兄夫婦あにふうふはなしいてゐるうちに、ほゞ關係くわんけい明暸めいれうになつたので、

全體ぜんたい幾何いくらつたのです」といた。御米およね返事へんじをするまへ一寸ちよつとをつとかほた。

 食事しよくじをはると、小六ころくはぢきに六でふ這入はいつた。宗助そうすけまた炬燵こたつかへつた。しばらくして御米およねあしぬくめにた。さうしてつぎ土曜どえう日曜にちえうには坂井さかゐつて、ひと屏風びやうぶたらいだらうとやうことはなつた。

 つぎ日曜にちえうになると、宗助そうすけれいとほり一しうに一ぺん樂寐らくねむさぼつたため、午前ひるまへ半日はんにちをとう〳〵くうつぶして仕舞しまつた。御米およねまたあたまおもいとかつて、火鉢ひばちふちりかゝつて、なにをするのもものうさうにえた。んなときに六でふいてゐれば、あさからでも引込ひつこ場所ばしよがあるのにとおもふと、宗助そうすけ小六ころくに六でふてがつたことが、間接かんせつ御米およね避難場ひなんばげたとおな結果けつくわおちいるので、ことにまないやうがした。

 心持こゝろもちわるければ、座敷ざしきとこいてたらからうと注意ちゆういしても、御米およね遠慮ゑんりよして容易よういおうじなかつた。それではまた炬燵こたつでもこしらえたらうだ、自分じぶんあたるからとつて、とう〳〵やぐら掛蒲團かけぶとんきよけて、座敷ざしきはこばした。

 小六ころく宗助そうすけきるすこまへに、何處どこかへつて、今朝けさかほさへせなかつた。宗助そうすけ御米およねむかつて別段べつだんその行先ゆくさきたゞしもしなかつた。此頃このごろでは小六ころく關係くわんけいしたことして、御米およねその返事へんじをさせるのがどくになつてた。御米およねはうから、すゝんでおとうと讒訴ざんそでもするやうだと、しかるにしろ、なぐさめるにしろ、かへつて始末しまついとかんがへるときもあつた。

 ひるになつても御米およね炬燵こたつからなかつた。宗助そうすけ一層いつそしづかにかしてはう身體からだのためにからうとおもつたので、そつと臺所だいどころて、きよ一寸ちよつとうへ坂井さかゐまでつてくるからとげて、不斷着ふだんぎうへへ、たもとみじかいインヷネスをまとつておもてた。

 今迄いままで陰氣いんきへやにゐた所爲せゐか、とほりるときふにからりとれた。はだ筋肉きんにくさむかぜ抵抗ていかうして、一時いちじ緊縮きんしゆくするやうふゆ心持こゝろもちするどくるうちに、ある快感くわいかんおぼえたので、宗助そうすけ御米およねもあゝうちにばかりいてはくない、氣候きこうくなつたら、ちと戸外こぐわい空氣くうき呼吸こきふさせるやうにしてやらなくてはどくだとおもひながらあるいた。

 坂井さかゐうちもんはひつたら、玄關げんくわん勝手口かつてぐち仕切しきりになつてゐる生垣いけがきに、ふゆ似合にあはないぱつとしたあかいものがえた。そばつてわざ〳〵しらべると、それは人形にんぎやうけるちひさい夜具やぐであつた。ほそたけそでとほして、ちないやうに、扇骨木かなめえだけた手際てぎはが、如何いかにもをんな所作しよさらしく殊勝しゆしようおもはれた。かう惡戯いたづらをする年頃としごろむすめもとよりのこと子供こども子供こどもそだげた經驗けいけんのない宗助そうすけは、このちひさいあか夜具やぐ尋常じんじやうしてある有樣ありさまをしばらくつてながめてゐた。さうして二十ねんむかし父母ふぼが、んだいもとためかざつた、あか雛段ひなだん五人囃ごにんばやしと、模樣もやううつくしい干菓子ひぐわしと、それからあまやうから白酒しろざけおもした。

 坂井さかゐ主人しゆじん在宅ざいたくではあつたけれども、食事中しよくじちゆうだとふので、しばらくたせられた。宗助そうすけくやいなや、となりへやちひさい夜具やぐした人達ひとたちさわこゑみゝにした。下女げぢよちやはこぶためにふすまけると、ふすまかげからおほきなよつほどすで宗助そうすけのぞいてゐた。火鉢ひばちつてると、其後そのあとからまたちがつたかほえた。はじめての所爲せゐか、ふすま開閉あけたてたびかほこと〴〵ちがつてゐて、子供こどもかず何人なんにんあるかわからないやうおもはれた。やうや下女げぢよ退がりきりに退がると、今度こんどだれだか唐紙からかみ一寸いつすんほど細目ほそめけて、くろひか眼丈めだけ其間そのあひだからした。宗助そうすけ面白おもしろくなつて、だまつて手招てまねぎをしてた。すると唐紙からかみをぴたりとてゝ、むかがは三四人さんよにんこゑあはしてわらした。

 やがて一人ひとりをんなが、

「よう、御姉樣おねえさままた何時いつものやう叔母をばさんごつこませうよ」とした。するとあねらしいのが、

「えゝ、今日けふ西洋せいやう叔母をばさんごつこよ。東作とうさくさんは御父おとうさまだからパパで、雪子ゆきこさんは御母おかあさまだからママつてふのよ。くつて」と説明せつめいした。其時そのときまたべつこゑで、

可笑をかしいわね。ママだつて」とつてうれしさうにわらつたものがあつた。

わたしそれでも何時いつ御祖母おばゞさまなのよ。御祖母おばゞさまの西洋せいやうがなくつちや不可いけないわねえ。御祖母おばゞさまはなんふの」といたものもあつた。

御祖母おばゞさまはりバヾでいでせう」とあねまた説明せつめいした。

 それから當分たうぶんあひだは、御免ごめんくださいましだの、何方どちらかららつしやいましたのとさかん挨拶あいさつ言葉ことば交換かうくわんされてゐた。其間そのあひだにはちりん〳〵と電話でんわ假聲こわいろまじつた。すべてが宗助そうすけには陽氣やうきめづらしくきこえた。

 其所そこおくはうから足音あしおとがして、主人しゆじん此方こつちたらしかつたが、つぎはひるやいなや、

「さあ、御前達おまへたち此所こゝさわぐんぢやない。彼方あつちつて御出おいで御客おきやくさまだから」とせいした。其時そのときだれだかすぐに、

いやだよ。御父おとつちやんべい。おほきい御馬おむまつてれなくつちや、彼方あつちかないよ」とこたへた。こゑちひさいをとここゑであつた。としかないためか、したまはらないので、抗辯かうべんのしやうが如何いかにも億劫おくくふ手間てまかつた。宗助そうすけ其所そことく面白おもしろおもつた。

 主人しゆじんせきいて、ながあひだたした失禮しつれいびてゐるに、子供こどもとほくへつて仕舞しまつた。

大變たいへん御賑おにぎやかで結構けつこうです」と宗助そうすけいま自分じぶんかんじたとほりべると、主人しゆじんはそれを愛嬌あいけう受取うけとつたものとえて、

「いや御覽ごらんごと亂雜らんざつ有樣ありさまで」と言譯いひわけらしい返事へんじをしたが、それをいとくちに、子供こども世話せわけて、おびただしくかゝことなどを色々いろ〳〵宗助そうすけはなしてかした。其中そのうち綺麗きれい支那製しなせい花籃はなかごのなかへ炭團たどん一杯いつぱいつてとこかざつたと滑稽こつけいと、主人しゆじん編上あみあげくつのなかへみづんで、金魚きんぎよはなしたと惡戲いたずらが、宗助そうすけには大變たいへんみゝあたらしかつた。しかし、をんなおほいので服裝ふくさうものるとか、二週間にしうかん旅行りよかうしてかへつてくると、きふにみんなのせい一寸いつすんづゝもびてゐるので、なんだかうしろからかれるやう心持こゝろもちがするとか、もうすこしすると、嫁入よめいり支度したく忙殺ばうさつされるのみならず、屹度きつと貧殺ひんさつされるだらうとかはなしになると、子供こどものない宗助そうすけみゝには夫程それほど同情どうじやうおこなかつた。かへつて主人しゆじんくち子供こども煩冗うるさがるわりに、すこしもそれをにする樣子やうすかほにも態度たいどにもえないのをうらやましくおもつた。

 加減かげんころ見計みはかつて宗助そうすけは、先達せんだつはなしのあつた屏風びやうぶ一寸ちよつとせてもらへまいかと、主人しゆじんまをた。主人しゆじん早速さつそくけて、ぱち〳〵とらして、召使めしつかひんだが、くらなか仕舞しまつてあるのをしてやうめいじた。さうして宗助そうすけはういて、

「つい二三日前にさんちまへまで其所そこてゝいたのですが、れい子供こども面白おもしろ半分はんぶんにわざと屏風びやうぶかげあつまつて、色々いろ〳〵惡戲いたづらをするものですから、きずでもけられちや大變たいへんだとおもつて仕舞しまんでしまひました」とつた。

 宗助そうすけ主人しゆじんこの言葉ことばいたとき今更いまさら手數てかずをかけて、屏風びやうぶせてもらふのが、どくにもなり、また面倒めんだうにもなつた。じつふとかれ好奇心かうきしんは、夫程それほどつよくなかつたのである。成程なるほど一旦いつたんひと所有しよいうしたものは、たとひもと自分じぶんのであつたにしろ、かつたにしろ、其所そこめたところで、實際上じつさいじやうにはなん効果かうくわもないはなしちがひなかつた。

 けれども、屏風びやうぶ宗助そうすけまをとほり、もなくおくから縁傳えんづたひにはこされて、かれまへあらはれた。さうしてそれ豫想通よさうどほりつい此間このあひだまで自分じぶん座敷ざしきてゝあつたものであつた。この事實じじつ發見はつけんしたとき宗助そうすけあたまには、これつてたいした感動かんどうおこらなかつた。たゞ自分じぶんいますわつてゐるたゝみいろや、天井てんじやう柾目まさめや、とこ置物おきものや、ふすま模樣もやうなどのなかに、この屏風びやうぶててて、それに、召使めしつかひ二人ふたりがゝりで、くらなかから大事だいじさうにしてたと所作しよさくはへてかんがへると、自分じぶんつてゐたときよりはたしかに十ばい以上いじやうたつといしなやうながめられただけであつた。かれ即座そくざ言葉ことば見出みいだなかつたので、いたづらに、見慣みなれたものゝうへに、さらあたらしくもないゑてゐた。

 主人しゆじん宗助そうすけもつてある程度ていど鑑賞家かんしやうか誤解ごかいした。ちながら屏風びやうぶふちけて、宗助そうすけおもて屏風びやうぶおもてとを比較ひかくしてゐたが、宗助そうすけ容易ようい批評ひひやうくださないので、

これ素性すじやうたしかなものです。ですからね」とつた。宗助そうすけは、たゞ

成程なるほど」とつた。

 主人しゆじんはやがて宗助そうすけうしろまはつてて、ゆび其所そこ此所こゝしながら、品評ひんぴやうやら説明せつめいやらした。其中そのうちには、さすが御大名丈おだいみやうだけあつて、惜氣をしげもなく使つかふのがこの畫家ぐわか特色とくしよくだから、いろ如何いかにも美事みごとであるとやうな、宗助そうすけにはみゝあたらしいけれども、普通ふつう一般いつぱんわたつたこと大分だいぶまじつてゐた。

 宗助そうすけ加減かげんころ見計みはからつて、丁寧ていねいれいべてもとせきふくした。主人しゆじん蒲團ふとんうへなほつた。さうして、今度こんど野路のぢそら云々うん〳〵といふ題句だいくやら書體しよたいやらにいてかたした。宗助そうすけからると、主人しゆじんしよにも俳句はいくにもおほくの興味きようみつてゐた。何時いつ是程これほど知識ちしきあたまなかたくはらるゝかとおもくらゐすべてに心得こゝろえのあるをとこらしくおもはれた。宗助そうすけおのれをぢて、るべく物數ものかずはないやうにして、たゞむかふのはなしだけみゝことつとめた。

 主人しゆじんきやくこの方面はうめん興味きようみとぼしい樣子やうすて、ふたゝはなしはうもどした。ろくなものはないけれども、のぞみならば所藏しよざう畫帖ぐわでふ幅物ふくものせてもいと親切しんせつまをした。宗助そうすけ折角せつかく好意かうい辭退じたいしないわけかなかつた。其代そのかはりに、失禮しつれいですがと前置まへおきをして、主人しゆじんこの屏風びやうぶれるについて、ほど金額きんがくはらつたかをたづねた。

「まあ掘出ほりだものですね。八十ゑんひました」と主人しゆじんはすぐこたへた。

 宗助そうすけ主人しゆじんまへすわつて、この屏風びやうぶくわんする一切いつさいこと自白じはくしやうか、しまいかと思案しあんしたが、ふとけるのも一興いつきようだらうと心付こゝろづいて、とう〳〵じつ是々これ〳〵だと、今迄いままで顛末てんまつくはしくはなした。主人しゆじん時々とき〴〵へえ、へえとおどろいたやう言葉ことばはさんでいてゐたが、仕舞しまひに、

「ぢや貴方あなたべつ書畫しよぐわきで、らしつたわけでもないんですね」と自分じぶん誤解ごかいを、さも面白おもしろ經驗けいけんでもしたやうわらした。同時どうじに、さうわけなら、自分じぶんぢか宗助そうすけから相當さうたうゆづつてもらへばかつたに、しいことをしたとつた。最後さいご横町よこちやう道具屋だうぐやをひどくのゝしつて、しからんやつだとつた。

 宗助そうすけ坂井さかゐとはこれから大分だいぶしたしくなつた。



 佐伯さへき叔母をば安之助やすのすけ其後そのごとん宗助そうすけうちへはえなかつた。宗助そうすけもとより麹町かうぢまち餘暇よかたなかつた。また夫丈それだけ興味きようみもなかつた。親類しんるゐとはひながら、別々べつ〳〵二人ふたりいへらしてゐた。

 たゞ小六ころくだけ時々とき〴〵はなしに出掛でかける樣子やうすであつたが、これとても、さう繁々しげ〳〵あしはこわけでもないらしかつた。それにかれかへつてて、叔母をばいへ消息せうそくほとんど御米およねかたらないのをつねとしてつた。御米およねはこれを故意こいから小六ころく仕打しうちかともうたぐつた。しか自分じぶん佐伯さへきたいして特別とくべつ利害りがいかんじない以上いじやう御米およね叔母をば動靜どうせいみゝにしないはうを、かへつてよろこんだ。

 それでも時々とき〴〵は、先方さき樣子やうすを、小六ころくあに對話たいわからこともあつた。一週間しうかんほどまへに、小六ころくあにに、安之助やすのすけがまた新發明しんはつめい應用おうよう苦心くしんしてゐるはなしをした。それは印氣インキたすけをらないで、鮮明せんめい印刷物いんさつぶつこしらえるとかふ、一寸ちよつとくとすこぶ重寶ちようはう器械きかいついてであつた。話題わだい性質せいしつからつても、自分じぶんとはまつた利害りがい交渉かうせふのないづかしいことなので、御米およねれいとほだまつてくちさずにゐたが、宗助そうすけをとこだけに幾分いくぶん好奇心かうきしんうごいたとえて、うして印氣インキ使つかはずに印刷いんさつ出來できるかなどたゞしてゐた。

 專門上せんもんじやう知識ちしきのない小六ころくが、精密せいみつ返答へんたふをしはず無論むろんなかつた。かれはたゞ安之助やすのすけからいたまゝを、おぼえてゐるかぎねんれて説明せつめいした。この印刷術いんさつじゆつ近來きんらい英國えいこく發明はつめいになつたもので、根本的こんぽんてきにいふと矢張やは電氣でんき利用りようぎなかつた。電氣でんきの一きよく活字くわつじむすけていて、の一きよくかみつうじて、其紙そのかみ活字くわつじうへけさへすれば、すぐ出來できるのだと小六ころくつた。いろ普通ふつうくろであるが、手加減てかげん次第しだいあかにもあをにもなるから色刷いろずりなど場合ばあひには、かわかす時間じかんはぶけるだけでも大變たいへん重寶ちようはうで、これ新聞しんぶん應用おうようすれば、印氣インキ印氣インキロールのつひえ節約せつやくするうへに、全體ぜんたいからつて、すくなくとも從來じゆうらいの四ぶんの一の手數てかずがなくなるてんからても、前途ぜんと非常ひじやう有望いうばう事業じげふであると、小六ころくまた安之助やすのすけはなしたとほりをかへした。さうしてその有望いうばう前途ぜんとを、安之助やすのすけすでうちにぎつたかのごと口氣こうきであつた。かつその多望たばう安之助やすのすけ未來みらいのなかには、おなじく多望たばう自分じぶんかげが、ふくまれてゐるやうに、かゞやかした。其時そのとき宗助そうすけ何時いつもの調子てうしで、むしおだやかに、おとうとこといてゐたが、いてしまつたあとでも、べつこれといふ眼立めだつた批評ひひやうくはへなかつた。實際じつさいんな發明はつめいは、宗助そうすけからると、本當ほんたうやうでもあり、またうそやうでもあり、いよ〳〵それが世間せけんおこなはれるまでは、贊成さんせい反對はんたい出來できかねたのである。

「ぢや鰹船かつをぶねはうはもうしたの」と、今迄いままでだまつてゐた御米およねが、此時このときはじめてくちした。

したんぢやないんですが、あのはう費用ひよう隨分ずゐぶんかゝるので、いくら便利べんりでも、さうだれかれこしらえるわけかないんださうです」と小六ころくこたへた。小六ころく幾分いくぶん安之助やすのすけ利害りがい代表だいへうしてゐるやう口振くちぶりであつた。それから三にんあひだに、しばらく談話だんわ交換かうくわんされたが、仕舞しまひに、

矢張やつぱりなにをしたつて、さううまくもんぢやあるまいよ」とつた宗助そうすけ言葉ことばと、

坂井さかゐさんやうに、御金おかねがあつてあそんでゐるのが一番いちばんいわね」とつた御米およね言葉ことばいて、小六ころくまた自分じぶん部屋へやかへつてつた。

 機會きくわいに、佐伯さへき消息せうそく折々をり〳〵夫婦ふうふみゝれることはあるが、其外そのほかには、まつたなにをしてらしてゐるか、たがひらないですご月日つきひおほかつた。

 あるとき御米およね宗助そうすけんなとひけた。

小六ころくさんは、やすさんのところくたんびに、小遣こづかひでももらつてるんでせうか」

 今迄いままで小六ころくついて、夫程それほど注意ちゆういはらつてゐなかつた宗助そうすけは、突然とつぜんこのとひつて、すぐ、「何故なぜ」とかへした。御米およねはしばらく逡巡ためらつたすゑ

「だつて、此頃このごろ御酒おさけんでかへつてことがあるのよ」と注意ちゆういした。

やすさんがれい發明はつめいや、金儲かねまうけのはなしをするとき、そのちんおごるのかもれない」とつて宗助そうすけわらつてゐた。會話くわいわはそれなりでつい發展はつてんせずに仕舞しまつた。

 えて三日目みつかめ夕方ゆふがたに、小六ころくはまた飯時めしどきはづしてかへつてなかつた。しばらくあはせてゐたが、宗助そうすけはついに空腹くうふくだとかして、一寸ちよつとにでもつて、時間じかんばしたらといふ御米およね小六ころくたいする氣兼きがね頓着とんぢやくなく、食事しよくじはじめた。其時そのとき御米およねをつとに、

小六ころくさんに御酒おさけめるやうに、貴方あなたからつちや不可いけなくつて」とした。

「そんなに意見いけんしなければならないほどむのか」と宗助そうすけすこ案外あんぐわいかほをした。

 御米およね夫程それほどでもないと、辯護べんごしなければならなかつた。けれども實際じつさいだれもゐない晝間ひるまのうちなどに、あまりかほあかくしてかへつてられるのが、不安ふあんだつたのである。宗助そうすけそれなりはふつていた。しかはらなかでは、はたして御米およねごとく、何所どこかでかねりるか、もらふかして、夫程それほどきもしないものを、わざとむのではなからうかとうたぐつた。

 そのうちとし段々だん〳〵片寄かたよつて、よる世界せかい三分さんぶんりやうするやうつまつてた。かぜ毎日まいにちいた。其音そのおといてゐるだけでも、生活ライフ陰氣いんきひゞきあたへた。小六ころくはどうしても、六でふこもつて、一日いちにちおくるにえなかつた。いてかんがへればかんがへるほどあたまさむしくつて、たゝまれなくなるばかりであつた。ちやあによめはなすのはなほいやであつた。やむそとた。さうして友達ともだちうちをぐる〳〵まはつてあるいた。友達ともだちはじめのうちは、平生いつも小六ころくたいするやうに、わか學生がくせいのしたがる面白おもしろはなし幾何いくらでもした。けれども小六ころくはさうはなしきても、まだつてた。それで仕舞しまひには、友達ともだちが、小六ころくは、退屈たいくつあまりに訪問はうもんをして、談話だんわ復習ふくしふふけるものだとひやうした。たまには學校がくかう下讀したよみやら研究けんきうやらにはれてゐる多忙たばうだとふうもしてせた。小六ころく友達ともだちからさう呑氣のんきなまけものゝやうあつかはれるのを、大變たいへん不愉快ふゆくわいかんじた。けれどもうちいては、讀書どくしよ思索しさくも、まる出來できなかつた。えうするにかれぐらゐ年輩ねんぱい青年せいねんが、一人前いちにんまへ人間にんげんになる楷梯かいていとして、をさむべきことつとむべきことには、内部ないぶ動搖どうえうやら、外部ぐわいぶ束縛そくばくやらで、一切いつさいかなかつたのである。

 それでもつめたいあめよこつたり、雪融ゆきどけみちがはげしくぬかつたりするときは、着物きものらさなければならず、足袋たびどろかわかさなければならない面倒めんだうがあるので、如何いか小六ころくときによると、外出ぐわいしゆつ見合みあはせることがあつた。さうには、實際じつさい困却こんきやくするとえて、時々とき〴〵でふからて、のそりと火鉢ひばちそばすわつて、ちやなどをいでんだ。さうして其所そこ御米およねでもゐると、世間話せけんばなしひとつやふたつはしないともかぎらなかつた。

小六ころくさん御酒おさけき」と御米およねいたことがあつた。

「もうぢき御正月おしやうぐわつね。貴方あなた御雜煑おざふにいくつがつて」といたこともあつた。

 さう場合ばあひ度重たびかさなるにれて、二人ふたりあひだすこしづゝ近寄ちかよこと出來できた。仕舞しまひには、ねえさん一寸ちよつとこゝをつてくださいと、小六ころくはうからすゝんで、御米およねものたのやうになつた。さうして御米およねかすり羽織はおり受取うけとつて、袖口そでくちほころびつくろつてゐるあひだ小六ころくなんにもせずに其所そこすわつて、御米およね手先てさき見詰みつめてゐた。これがをつとだと、何時迄いつまでだまつてはりうごかすのが、御米およねれいであつたが、相手あいて小六ころくときには、さう投遣なげやり出來できないのが、また御米およね性質せいしつであつた。だからそんなときにはつとめてもはなしをした。はなし題目だいもくで、やゝともすると小六ころくくち宿やどりたがるものは、かれ未來みらいうしたらからうと心配しんぱいであつた。

「だつて小六ころくさんなんか、まだわかいぢやありませんか。なにをしたつてこれからだわ。そりやにいさんのことよ。さう悲觀ひくわんしてもいのわ」

 御米およね二度にどばかういふなぐさかたをした。三度目さんどめには、

來年らいねんになれば、やすさんのはううか都合つがふしてあげるつて受合うけあつてくだすつたんぢやなくつて」といた。小六ころく其時そのとき不慥ふたしか表情へうじやうをして、

「そりややすさんの計畫けいくわくが、くちでいふとほうまけばわけはないんでせうが、段々だん〳〵かんがへると、なんだかすこあてにならないやうがししてね。鰹船かつをぶねもあんまりまうからないやうだから」とつた。御米およね小六ころく憮然ぶぜんとしてゐる姿すがたて、それを時々とき〴〵酒氣しゆきびてかへつてる、何所どこかに殺氣さつきふくんだ、しかもなにしやくさはるんだかわけわからないでゐてはなは不平ふへいらしい小六ころく比較ひかくすると、こゝろうちどくにもあり、また可笑をかしくもあつた。其時そのときは、

本當ほんたうにね。にいさんにさへ御金おかねがあると、うでもしてげること出來できるんだけれども」と、御世辭おせじでもなんでもない、同情どうじやうへうした。

 その夕暮ゆふぐれであつたか、小六ころくまたさむ身體からだ外套マントくるんでつたが、八時過はちじすぎかへつてて、兄夫婦あにふうふまへで、たもとからしろ細長ほそながふくろして、さむいから蕎麥掻そばがきこしらえてはうとおもつて、佐伯さへきつたかへりにつてたとつた。さうして御米およねかしてゐるうちに、煑出にだしをこしらえるとかつて、しきりに鰹節かつぶしいた。

 其時そのとき宗助そうすけ夫婦ふうふは、最近さいきん消息せうそくとして、安之助やすのすけ結婚けつこんがとう〳〵はるまでびたこといた。この縁談えんだん安之助やすのすけ學校がくかう卒業そつげふするともなくおこつたもので、小六ころく房州ばうしうからかへつて、叔母をば學資がくし供給きようきふことわられる時分じぶんには、もう大分だいぶはなしすゝんでゐたのである。正式せいしき通知つうちないので、何時いつまとまつたか、宗助そうすけまるらなかつたが、たゞ折々をり〳〵佐伯さへきつては、なにいて小六ころくつうじてのみ、かれ年内ねんないしきげるはず新夫婦しんふうふ豫想よさうした。其他そのたには、よめさとがある會社員くわいしやゐんで、有福いうふく生計くらしをしてゐることと、その學校がくかう女學館ぢよがくくわんであるといふことと、兄弟きやうだい澤山たくさんあると事丈ことだけを、おなじく小六ころくつうじてみゝにした。寫眞しやしんにせよかほつてるのは小六ころくばかりであつた。

器量きりやう?」と御米およねいたことがある。

「まあはうでせう」と小六ころくこたへたことがある。

 其晩そのばん何故なぜくれのうちにしきまさないかとふのが、蕎麥掻そばがき出來上できあがあひだ、三にん話題わだいになつた。御米およね方位はうゐでもわるいのだらうと臆測おくそくした。宗助そうすけつまつてがないからだらうとかんがへた。ひと小六ころくだけが、

矢張やつぱ物質的ぶつしつてき必要ひつえうかららしいです。さきなんでも餘程よほど派出はでうちなんで、叔母をばさんのはうでもさう單簡たんかんまされないんでせう」と何時いつにない世帶染しよたいじみたことつた。


十一


 御米およねのぶら〳〵ししたのは、あきなかぎて、紅葉もみぢ赤黒あかぐろちゞれるころであつた。京都きやうと時分じぶんべつとして、廣島ひろしまでも福岡ふくをかでも、あまり健康けんかう月日つきひおくつた經驗けいけんのない御米およねは、此點このてんけると、東京とうきやうかへつてからも、矢張やは仕合しあはせとはへなかつた。このをんなにはうま故郷こきやうみづが、しやうはないのだらうと、うたぐればうたぐられるくらゐ御米およね一時いちじなやんだこともあつた。

 近頃ちかごろはそれが段々だん〳〵いてて、宗助そうすけ機會ばあひも、ねん幾度いくど勘定かんぢやう出來できくらゐすくなくなつたから、宗助そうすけ役所やくしよ出入でいりに、御米およねまたをつと留守るす立居たちゐに、ひとしく安心あんしんして時間じかんすごこと出來できたのである。だから此年ことしあきれて、うすしもわたかぜが、つらくはだ時分じぶんになつて、またすこ心持こゝろもちわるくなりしても、御米およね夫程それほどにもならなかつた。はじめのうちは宗助そうすけにさへらせなかつた。宗助そうすけ見付みつけて、醫者いしやゝれとすゝめても、容易よういからなかつた。

 其所そこ小六ころく引越ひつこしてた。宗助そうすけ其頃そのころ御米およね觀察くわんさつして、體質たいしつ状態じやうたいやら、精神せいしん模樣もやうやら、をつとだけつてゐたから、るべくは、人數ひとかずやしてうちなか混雜ごたつかせたくないとはおもつたが、事情じじやうやむないので、るがまゝにしてくよりほかに、手段しゆだんかうじやうもなかつた。たゞくちさきで、るべく安靜あんせいにしてゐなくては不可いけないと矛盾むじゆんした助言じよごんあたへた。御米およね微笑びせうして、

大丈夫だいぢやうぶよ」とつた。このこたへとき宗助そうすけなほこと安心あんしん出來できなくなつた。ところ不思議ふしぎにも、御米およね氣分きぶんは、小六ころく引越ひつこしててから、ずつと引立ひきたつた。自分じぶん責任せきにんすこしでもくははつたため、こゝろ緊張きんちやうしたものとえて、かへつて平生へいぜいよりは、甲斐々々かひ〴〵しくをつと小六ころく世話せわをした。小六ころくにはそれまるつうじなかつたが、宗助そうすけからると、御米およね在來ざいらいよりどれほどつとめてゐるかがわかつた。宗助そうすけこゝろのうちで、このまめやかな細君さいくんあたらしい感謝かんしやねんいだくと同時どうじに、かうぎる結果けつくわが、一度いちど身體からださはやうさわぎでもおこしてれなければいがと心配しんぱいした。

 不幸ふかうにも、この心配しんぱいくれ二十日過はつかすぎになつて、突然とつぜん事實じじつになりかけたので、宗助そうすけ豫期よき恐怖きようふいたやうに、いたく狼狽らうばいした。其日そのひ判然はつきりつちうつらないそらが、あさからかさなりつて、おもさむさが終日しゆうじつひとあたまおさけてゐた。御米およねまへばんにまたられないで、やすませそくなつたあたまかゝへながら、辛抱しんばうしてはたらきしたが、つたりうごいたりするたびに、多少たせうなうこたへる苦痛くつうはあつても、比較的ひかくてきあかるい外界ぐわいかい刺戟しげきまぎれたためか、じつてゐながら、あたまだけえていたむよりは、かへつてしのやすかつた。兎角とかくしてをつとおくまでは、しばらくしたらまた何時いつものやうつてことおもつて我慢がまんしてゐた。ところ宗助そうすけがゐなくなつて、自分じぶん義務ぎむ一段落いちだんらくいたといふゆるみがるとひとしく、にごつた天氣てんきがそろ〳〵御米およねあたまはじめた。そらるとこほつてゐるやうであるし、うちなかにゐると、陰氣いんき障子しやうじかみとほして、さむさがんでるかとおもはれるくらゐだのに、御米およねあたまはしきりにほてつてた。仕方しかたがないから、今朝けさあげた蒲團ふとんまたしてて、座敷ざしきべたまゝよこになつた。それでもえられないので、きよ濡手拭ぬれてぬぐひしぼらしてあたませた。それがぢき生温なまぬるくなるので、枕元まくらもと金盥かなだらひせて時々とき〴〵しぼへた。

 午迄ひるまでこんな姑息こそく手段しゆだんえずひたひやしてたが、一向いつかうはか〴〵しいげんもないので、御米およね小六ころくのために、わざ〳〵きて、一所いつしよ食事しよくじをする根氣こんきもなかつた。きよにいひけて膳立ぜんだてをさせて、それを小六ころくすゝめさしたまゝ自分じぶん矢張やはとこはなれずにゐた。さうして、平生へいぜいをつとのするやはらかい括枕くゝりまくらつてもらつて、かたいのとへた。御米およねかみこはれるのを、をんならしくにする勇氣ゆうきにさへとぼしかつたのである。

 小六ころくは六でふからて、一寸ちよつとふすまけて、御米およね姿すがたのぞんだが、御米およねなかとこはういて、ふさいでゐたので、寐付ねついたとでもおもつたものか、一言ひとことくちかずに、またそつとふすまめた。さうして、たつた一人ひとりおほきな食卓しよくたく專領せんりやうして、はじめからさら〳〵と茶漬ちやづけおとをさせた。

 二時頃じごろになつて、御米およねつとのこと、とろ〳〵とねむつたが、めたらひたひいた手拭てぬぐひほとんどかわくらゐあたゝかになつてゐた。そのかはあたまはうすこらくになつた。たゞかたから脊筋せすぢけて全體ぜんたい重苦おもくるしいやうかんじがあたらしくくははつた。御米およねなんでもせいけなくてはどくだといふかんがへから、一人ひとりきておそ午飯ひるはんかるべた。

御氣分おきぶん如何いかゞ御座ございます」ときよ御給仕おきふじをしながら、しきりにいた。御米およね大分だいぶやうだつたので、とこげてもらつて、火鉢ひばちつたなり、宗助そうすけかへりをけた。

 宗助そうすけ例刻れいこくかへつてた。神田かんだとほりで、門並かどなみはたてゝ、もうくれ賣出うりだしをはじめたことだの、勸工場くわんこうば紅白こうはくまくつて樂隊がくたい景氣けいきけさしてゐることだのをはなししたすゑ

にぎやかだよ。一寸ちよつとつて御覽ごらん。なに電車でんしやつてけばわけはない」とすゝめた。さうして自分じぶんさむさに腐蝕ふしよくされたやうあかかほをしてゐた。

 御米およねはかう宗助そうすけからいたはられたときなんだか自分じぶん身體からだわることうつたへるにしのびない心持こゝろもちがした。實際じつさいまた夫程それほどくるしくもなかつた。それで何時いつものとほ何氣なにげないかほをして、をつと着物きもの着換きかへさしたり、洋服やうふくたゝんだりしてつた。

 ところが九ちかくになつて、突然とつぜん宗助そうすけむかつて、すこ加減かげんわるいからさきたいとした。今迄いままで平生へいぜいとほ機嫌きげんよくはなしてゐただけに、宗助そうすけこの言葉ことばいて一寸ちよつとおどろいたが、たいしたことでもないと御米およね保證ほしように、やうや安心あんしんしてすぐやす支度したくをさせた。

 御米およねとこ這入はいつてから、やく二十ぷんばかりあひだ宗助そうすけみゝはた鐵瓶てつびんおときながら、しづかよる丸心まるじん洋燈らんぷらしてゐた。かれ來年度らいねんど一般官吏いつぱんくわんり増俸ぞうほう沙汰さたがあるといふ評判ひやうばんおもうかべた。また其前そのまへ改革かいかく淘汰たうたおこなはれるにちがひないといふうはさおもおよんだ。さうして自分じぶん何方どつちはう編入へんにふされるのだらうとうたがつた。かれ自分じぶん東京とうきやうんでれた杉原すぎはらが、いまなほ課長くわちやうとして本省ほんしやうにゐないのを遺憾ゐかんとした。かれ東京とうきやううつつてから不思議ふしぎとまだ病氣びやうきをしたことがなかつた。したがつてまだ缺勤屆けつきんとゞけしたことがなかつた。學校がくかう中途ちゆうとめたなり、ほんほとんどまないのだから、學問がくもん人並ひとなみ出來できないが、役所やくしよでやる仕事しごと差支さしつかへるほど頭腦づなうではなかつた。

 かれ色々いろ〳〵事情じじやう綜合そうがふしてかんがへたうへ、まあ大丈夫だいぢやうぶだらうとはらなかめた。さうしてつめさきかる鐵瓶てつびんふちたゝいた。其時そのとき座敷ざしきで、

貴方あなた一寸ちよつと」と御米およねくるしさうなこゑきこえたので、われらずがつた。

 座敷ざしきると、御米およねまゆせて、みぎ自分じぶんかたおさえながら、胸迄むねまで蒲團ふとんそとしてゐた。宗助そうすけほとんど器械的きかいてきに、おなところした。さうして御米およねおさえてゐるうへから、かたほねかどつかんだ。

「もうすこうしろはう」と御米およねうつたへるやうにつた。宗助そうすけ御米およねおもところまでには、二も三其所そこ此所こゝ位置ゐちえなければならなかつた。ゆびしてると、くびかた繼目つぎめすこ脊中せなかつた局部きよくぶが、いしやうつてゐた。御米およねをとこちから一杯いつぱいにそれをおさえてれとたのんだ。宗助そうすけひたひからはあせ煑染にじした。それでも御米およね滿足まんぞくするほどちからなかつた。

 宗助そうすけむかし言葉ことば早打肩はやうちかたといふのをおぼえてゐた。ちひさいとき祖父ぢゞいからいたはなしに、あるさむらひうまつて何處どこかへ途中とちゆうで、きふこの早打肩はやうちかたをかされたので、すぐうまからんでりて、たちま小柄こづかくやいなや、肩先かたさきつてしたため、あやういいのちめたといふのがあつたが、其話そのはなしいまあきらかに記憶きおく燒點せうてんうかんでた。其時そのとき宗助そうすけこれはならんとおもつた。けれどもはたして刄物はものもちひて、かたにくいていものやら、わるいものやら、けつしかねた。

 御米およね何時いつになく逆上のぼせて、みゝまであかくしてゐた。あたまあついかとくとくるしさうにあついとこたへた。宗助そうすけおほきなこゑしてきよ氷嚢こほりぶくろつめたいみづれていとめいじた。氷嚢こほりぶくろ生憎あいにくかつたので、きよあさとほ金盥かなだらひ手拭てぬぐひけてつてた。きよあたまやしてゐるうち、宗助そうすけ矢張やは精一杯せいいつぱいかたおさえてゐた。時々とき〴〵すこしはいかといても、御米およねかすかにくるしいとこたへるだけであつた。宗助そうすけまつた心細こゝろぼそくなつた。おもつて、自分じぶんして醫者いしやむかひかうとしたが、あと心配しんぱい一足ひとあしおもてにはなれなかつた。

きよ御前まへいそいでとほりへつて、氷嚢こほりぶくろつて醫者いしやんでい。まだはやいからきてるだらう」

 きよはすぐつてちや時計とけいて、

「九十五ふん御座ございます」とひながら、それなり勝手口かつてぐちまはつて、ごそ〳〵下駄げたさがしてゐるところへ、うま具合ぐあひそとから小六ころくかへつてた。れいとほあにには挨拶あいさつもしないで、自分じぶん部屋へや這入はいらうとするのを、宗助そうすけはおい小六ころくはげしくめた。小六ころくちやすこ躊躇ちうちよしてゐたが、あにからまた二聲ふたこゑほどつゞけざまにおほきなこゑけられたので、やむひく返事へんじをして、ふすまからかほした。其顏そのかほ酒氣しゆきのまだめないあかいろふちびてゐた。部屋へやなかのぞんで、はじめて吃驚びつくりした樣子やうすで、

うかなすつたんですか」とよひ一時いちじつたやう表情へうじやうをした。

 宗助そうすけきよめいじたとほりを、小六ころくかへして、はやくしてれとてた。小六ころく外套マントがずに、すぐ玄關げんくわんつてかへした。

にいさん、醫者いしやまでくのはいそいでも時間じかんかりますから、坂井さかゐさんの電話でんわりて、すぐやうたのみませう」

「あゝ。うしてれ」と宗助そうすけこたへた。さうして小六ころくかへあひだきよ何返なんべんとなく金盥かなだらひみづへさしては、一生懸命いつしやうけんめい御米およねかたけたり、んだりしてた。御米およねくるしむのを、なにもせずにたゞてゐるにえなかつたから、うして自分じぶんまぎらしてゐたのである。

 此時このとき宗助そうすけつて、醫者いしやるのをいまいまかとけるこゝろほどつらいものはなかつた。かれ御米およねかたみながらも、えずおもて物音ものおとくばつた。

 やうや醫者いしやたときは、はじめてけたやう心持こゝろもちがした。醫者いしや商買柄しやうばいがらだけあつて、すこしも狼狽うろたへた樣子やうすせなかつた。ちひさい折鞄をりかばんわきけて、落付おちつはらつた態度たいどで、慢性病まんせいびやう患者くわんじやでもあつかやうゆつくりした診察しんさつをした。そのせまらない顏色かほいろはたてゐた所爲せゐか、わく〳〵した宗助そうすけむねやうやをさまつた。

 醫者いしや芥子からし局部きよくぶことと、あし濕布しつぷあたゝめることと、それからあたまこほりひやこととを、應急おうきふ手段しゆだんとして宗助そうすけ注意ちゆういした。さうして自分じぶん芥子からしいて、御米およねかたからくびけてれた。濕布しつぷきよ小六ころくとで受持うけもつた。宗助そうすけ手拭てぬぐひうへから氷嚢こおりぶくろひたひうへてがつた。

 兎角とかくするうちやく時間じかんつた。醫者いしやはしばらく經過けいくわかうとつて、夫迄それまで御米およね枕元まくらもとすわつてゐた。世間話せけんばなし折々をり〳〵まじへたが、大方おほかた無言むごんまゝ二人共ふたりとも御米およね容體ようだい見守みまもことおほかつた。れいごとしづかけた。

大分だいぶえますな」と醫者いしやつた。宗助そうすけどくになつたので、あとの注意ちゆういいたうへ遠慮ゑんりよなくつてれるやうにとたのんだ。其時そのとき御米およね先刻さつきよりは大分だいぶ輕快けいくわいになつてゐたからである。

「もう大丈夫だいぢやうぶでせう。頓服とんぷくを一くわいげますから今夜こんやんで御覽ごらんなさい。多分たぶんられるだらうとおもひます」とつて醫者いしやかへつた。小六ころくはすぐ其後そのあとつてつた。

 小六ころく藥取くすりとりつたあひだに、御米およねは、

「もう何時なんじ」とひながら、枕元まくらもと宗助そうすけ見上みあげた。よひとはちがつてほゝから退いて、洋燈らんぷらされたところが、ことに蒼白あをじろうつつた。宗助そうすけくろみだれた所爲せゐだらうとおもつて、わざ〳〵びんげてつた。さうして、

すこしはいだらう」といた。

「えゝぽどらくになつたわ」と御米およね何時いつものとほ微笑びせうらした。御米およね大抵たいていくるしい場合ばあひでも、宗助そうすけ微笑びせうせることわすれなかつた。ちやでは、きよ突伏つつぷしたまゝいびきをかいてゐた。

きよかしてつてください」と御米およね宗助そうすけたのんだ。

 小六ころく藥取くすりとりからかへつてて、醫者いしやどほ服藥ふくやくましたのは、もう彼是かれこれ十二ちかくであつた。それから二十ぷんたないうちに、病人びやうにんはすや〳〵寐入ねいつた。

塩梅あんばいだ」と宗助そうすけ御米およねかほながらつた。小六ころくもしばらくあによめ樣子やうす見守みまもつてゐたが、

「もう大丈夫だいぢやうぶでせう」とこたへた。二人ふたり氷嚢こほりぶくろひたひからろした。

 やがて小六ころく自分じぶん部屋へや這入はいる、宗助そうすけ御米およねそばとこべて何時いつものごとた。五六時間じかんのちふゆきりやうしもさしはさんで、からりとわたつた。それから一時間じかんすると、大地だいちめる太陽たいやうが、さへぎるものゝない蒼空あをぞらはゞかりなくのぼつた。御米およねはまだすや〳〵てゐた。

 そのうち朝餉あさげんで、出勤しゆつきん時刻じこくやうやちかづいた。けれども御米およねねむりからめる氣色けしきもなかつた。宗助そうすけ枕邊まくらべこゞんで、ふか寐息ねいきゝながら、役所やくしよかうかやすまうかとかんがへた。


十二


 あさうち役所やくしよつねごと事務じむつてゐたが、折々をり〳〵昨夕ゆうべ光景くわうけいうかぶにれて、自然しぜん御米およね病氣びやうきかゝるので、仕事しごとおもやうはこばなかつた。ときにはへん間違まちがひをさへした。宗助そうすけひるになるのをつて、おもつてうちかへつてた。

 電車でんしやなかでは、御米およね何時頃いつごろめたらう、めたあと心持こゝろもち大分だいぶくなつたろう、發作ほつさももうおこ氣遣きづかひなからうと、すべわるくない想像さうざうばかりおもうかべた。何時いつもとちがつて、乘客じようきやく非常ひじやうすくない時間じかんはせたので、宗助そうすけ周圍しうゐ刺戟しげき使つか必要ひつえうほとんどなかつた。それで自由じいうあたまなかあらはれる何枚なんまいとなくながめた。そのうちに、電車でんしや終點しゆうてんた。

 うち門口かどぐちまでると、いへなかはひつそりして、だれもゐないやうであつた。格子かうしけて、くついで、玄關げんくわんがつても、るものはなかつた。宗助そうすけ何時いつものやう縁側えんがはからちやかずに、すぐ取付とつつきふすまけて、御米およねてゐる座敷ざしき這入はいつた。ると、御米およね依然いぜんとしててゐた。枕元まくらもと朱塗しゆぬりぼん散藥さんやくふくろ洋杯こつぷつてゐて、その洋杯こつぷみづ半分はんぶんのこつてゐるところあさおなじであつた。あたまとこはうけて、ひだりほゝ芥子からしつた襟元えりもとすこえるところあさおなじであつた。呼息いきよりほか現實げんじつ世界せかい交通かうつうのないやうおもはれるふかねむりあさとほりであつた。すべてが今朝けさ出掛でがけあたまなかをさめてつた光景くわうけいすこしもかはつてゐなかつた。宗助そうすけ外套ぐわいたうがずに、うへからこゞんで、すう〳〵いふ御米およね寐息ねいきをしばらくいてゐた。御米およね容易よういめさうにもえなかつた。宗助そうすけ昨夕ゆうべ御米およね散藥さんやくんでから以後いご時間じかんゆびつて勘定かんぢやうした。さうしてやうや不安ふあんいろおもてあらはした。昨夕ゆうべまでられないのが心配しんぱいになつたが、前後ぜんご不覺ふかくながところのあたりにると、はうなにかの異状いじやうではないかとかんがした。

 宗助そうすけ蒲團ふとんけて二三かる御米およね搖振ゆすぶつた。御米およねかみ括枕くゝりまくらうへで、なみやううごいたが、御米およね依然いぜんとしてすう〳〵てゐた。宗助そうすけ御米およねいて、ちやから臺所だいどころた。ながもと小桶こをけなか茶碗ちやわん塗椀ぬりわんあらはないまゝけてあつた。下女部屋げぢよべやのぞくと、きよ自分じぶんまへちひさなぜんひかえたなり、御櫃おはちりかゝつて突伏つつぷしてゐた。宗助そうすけまたでふいてくびんだ。其所そこには小六ころく掛蒲團かけぶとんを一まいあたまから引被ひつかぶつててゐた。

 宗助そうすけ一人ひとり着物きもの着換きかえたが、てた洋服やうふくも、人手ひとでりずに自分じぶんたゝんで、押入おしいれ仕舞しまつた。それから火鉢ひばちいで、かす用意よういをした。二三ぷん火鉢ひばちたれてかんがへてゐたが、やがてがつて、小六ころくからおこしにゝつた。つぎきよおこした。二人ふたりともおどろいてきた。小六ころく御米およね今朝けさから今迄いままで樣子やうすくと、じつあまねむいので、十一時半頃じはんごろめしつてたのだが、夫迄それまで御米およね熟睡じゆくすゐしてゐたのだとふ。

醫者いしやつてね。昨夜ゆうべくすりいたゞいてから寐出ねだして、いまになつてもめませんが差支さしつかへないでせうかつていてれ」

「はあ」

 小六ころく簡單かんたん返事へんじをしてつた。宗助そうすけまた座敷ざしき御米およねかほ熟視じゆくしした。おこしてらなくつてはわるやうな、またおこしては身體からださはやうな、分別ふんべつかないまどひいだいて腕組うでぐみをした。

 もなく小六ころくかへつてて、醫者いしや丁度ちやうど徃診わうしん出掛でかけるところであつた、わけはなしたら、ではいまから一二けんつてすぐかうとこたへた、とげた。宗助そうすけ醫者いしやえるまでうしてはふつていてかまはないのかと小六ころくかへしたが、小六ころく醫者いしや以上いじやうよりほかなんにもかたらなかつたとだけなので、やむもとごと枕邊まくらべじつすわつてゐた。さうしてこゝろうちで、醫者いしや小六ころく不親切ふしんせつぎるやうかんじた。かれ其上そのうへ昨夕ゆうべ御米およね介抱かいはうしてゐるときかへつて小六ころくかほおもして、なほ不愉快ふゆくわいになつた。小六ころくさけことは、御米およね注意ちゆういはじめてつたのであるが、其後そのごけておとうと樣子やうすをよくてゐると、成程なるほどなんだか眞面目まじめでないところもあるやうなので、何時いつかみつちり異見いけんでもしなければなるまいくらゐかんがへてはゐたが、面白おもしろくもない二人ふたりかほ御米およねせるのが、どくなので今日けふまでわざと遠慮ゑんりよしてゐたのである。

すなら御米およねてゐるいまである。いまならどんな氣不味きまづいことを双方さうはうつのつたつて、御米およね神經しんけいさは氣遣きづかひはない」

 此所こゝまでかんがいたけれども、知覺ちかくのない御米およねかほると、また其方そのはう氣掛きがゝりになつて、すぐにでもおこしたい心持こゝろもちがするので、ついけつかねてぐづ〳〵してゐた。其所そこやうや醫者いしやれた。

 昨夕ゆうべ折鞄をりかばんまた丁寧ていねいわきけて、ゆつくり卷烟草まきたばこかしながら、宗助そうすけふことを、はあ〳〵といてゐたが、どれ拜見はいけんいたしませうと御米およねはうなほつた。かれ普通ふつう場合ばあひやう病人びやうにんみやくつて、ながあひだ自分じぶん時計とけい見詰みつめてゐた。それからくろ聽診器ちやうしんき心臟しんざううへてた。それを丁寧ていねい彼方あちら此方こちらうごかした。最後さいごまるあないた反射鏡はんしやきやうして、宗助そうすけ蝋燭らふそくけてれとつた。宗助そうすけ蝋燭らふそくたないので、きよ洋燈らんぷけさした。醫者いしやねむつてゐる御米およねけて、仔細しさい反射鏡はんしやきやうひかりまつげおくあつめた。診察しんさつそれをはつた。

すこくすりぎましたね」とつて宗助そうすけはうなほつたが、宗助そうすけいろるやいなや、すぐ、

しか御心配ごしんぱいになることはありません。場合ばあひに、もしわる結果けつくわおこるとすると、屹度きつと心臟しんざうなうをかすものですが、いま拜見はいけんしたところでは双方共さうはうとも異状いじやうみとめられませんから」と説明せつめいしてれた。宗助そうすけはそれでやうや安心あんしんした。醫者いしやまた自分じぶんもちひたねむぐすり比較的ひかくてきあたらしいもので、學理上がくりじやう睡眠劑すゐみんざいやう有害いうがいでないことや、またその効目きゝめ患者くわんじや體質たいしつつて、程度ていど大變たいへん相違さうゐのあることなどをかたつてかへつた。かへるとき宗助そうすけは、

「ではられるだけかしていても差支さしつかへありませんか」といたら、醫者いしやようさへなければべつおこ必要ひつえうもあるまいとこたへた。

 醫者いしやかへつたあとで、宗助そうすけきふ空腹くうふくになつた。ちやると、先刻さつきけていた鐵瓶てつびんがちん〳〵たぎつてゐた。きよんで、ぜんせとめいずると、きよこまつた顏付かほつきをして、まだなん用意ようい出來できてゐないとこたへた。成程なるほど晩食ばんめしにはすこがあつた。宗助そうすけ樂々らく〳〵火鉢ひばちそば胡坐あぐらいて、大根だいこんこうものみながら湯漬ゆづけを四はいほどつゞけざまんだ。それからやく三十ぷんほどしたら御米およねがひとりでにめた。


十三


 新年ねんあたまこしらえやうといふになつて、宗助そうすけひさぶり髮結床かみゆひどこ敷居しきゐまたいだ。くれ所爲せゐきやく大分だいぶんでゐるので、はさみおとが二三ヶしよで、同時どうじにちよき〳〵つた。このさむさを無理むりして、一日いちにちはやはるらうと焦慮あせるやうな表通おもてどほり活動くわつどうを、宗助そうすけいまたばかりなので、そのはさみおとが、如何いかにもせはしないひゞきとなつてかれ鼓膜こまくつた。

 しばらく煖爐ストーブはた烟草たばこかしてつてゐるあひだに、宗助そうすけ自分じぶん關係くわんけいのないおほきな世間せけん活動くわつどう否應いやおうなしにまれて、やむとしさなければならないひとごとくにかんじた。正月しやうぐわつまへひかえたかれは、實際じつさいこれといふあたらしい希望きばうもないのに、いたづらに周圍しうゐからさそはれて、なんだかざわ〳〵した心持こゝろもちいだいてゐたのである。

 御米およね發作ほつさやうやいた。いまでは平日いつもごとそとても、うちことがそれほどゝらないぐらゐになつた。餘所よそくらべると閑靜かんせいはる支度したくも、御米およねからへば、ねん一度いちどいそがしさにはちがひなかつたので、あるひ何時いつどほり準備じゆんびさへいて、つねよりも簡單かんたんとし覺悟かくごをした宗助そうすけは、蘇生よみがへつたやうにはつきりしたさい姿すがたて、おそろしい悲劇ひげきが一遠退とほのいたときごとくに、むねおろした。しかその悲劇ひげきまた何時いつ如何いかなるかたちで、自分じぶん家族かぞくとらへにるかわからないとふ、ぼんやりした掛念けねんが、折々をり〳〵かれあたまのなかにきりとなつてかつた。

 としくれに、ことこのむとしかおもはれない世間せけんひとが、故意わざみじかまへしたがつて齷齪あくせくする樣子やうすると、宗助そうすけなほことこの茫漠ばうばくたる恐怖きようふねんおそはれた。らうことなら、自分じぶんだけ陰氣いんきくら師走しはすうち一人ひとりのこつてゐたいおもひさへおこつた。やうや自分じぶんばんて、かれつめたいかゞみのうちに、自分じぶんかげ見出みいだしたとき不圖ふと此影このかげ本來ほんらい何者なにものだらうとながめた。くびからした眞白まつしろぬのつゝまれて、自分じぶんてゐる着物きものいろしままつたえなかつた。其時そのときかれまた床屋とこや亭主ていしゆつてゐる小鳥ことりかごが、かゞみおくうつつてゐることいた。とりとまうへをちらり〳〵とうごいた。

 あたまにほひのするあぶらられて、景氣けいきのいゝこゑうしろからけられて、おもてたときは、それでも清々せい〳〵した心持こゝろもちであつた。御米およねすゝめどほりかみつたはうが、結局つまりあらたにする効果かうくわがあつたのを、つめたい空氣くうきなかで、宗助そうすけ自覺じかくした。

 水道税すゐだうぜいこと一寸ちよつとあはせる必要ひつえうしやうじたので、宗助そうすけかへみち坂井さかゐつた。下女げぢよて、此方こちらへとふから、何時いつもの座敷ざしき案内あんないするかとおもふと、其所そことほして、ちやみちびいていつた。するとちやふすまが二しやくばかりいてゐて、なかから三四人さんよにんわらこゑきこえた。坂井さかゐ家庭かてい相變あひかはらず陽氣やうきであつた。

 主人しゆじん光澤つや長火鉢ながひばち向側むかふがはすわつてゐた。細君さいくん火鉢ひばちはなれて、すこ縁側えんがは障子しやうじはうつて、矢張やはり此方こちらいてゐた。主人しゆじんうしろ細長ほそながくろわくめた柱時計はしらどけいかゝつてゐた。時計とけいみぎかべで、ひだり袋戸棚ふくろとだなになつてゐた。その張交はりまぜ石摺いしずりだの、俳畫はいぐわだの、あふぎほねいたものなどがえた。

 主人しゆじん細君さいくんほかに、筒袖つゝそでそろひの模樣もやう被布ひふをんな二人ふたりかたつてすわつてゐた。片方かたはうは十二三で、片方かたはうとをぐらゐえた。おほきなそろへて、ふすまかげからはひつて宗助そうすけはういたが、二人ふたり眼元めもとにも口元くちもとにも、いまわらつたばかりかげが、まだゆたかにのこつてゐた。宗助そうすけ一應いちおうへやうち見回みまはして、この親子おやこほかに、まだ一人ひとりめうをとこが、一番いちばん入口いりぐちちかところかしこまつてゐるのを見出みいだした。

 宗助そうすけすわつて五ふんたないうちに、先刻さつき笑聲わらひごゑは、このへんをとこ坂井さかゐ家族かぞくとのあひだはされた問答もんだふからことつた。をとこ砂埃すなほこりでざらつきさうなあかと、けて生涯しやうがいめつこないつよいろつてゐた。瀬戸物せとものぼたんいた白木綿しろもめん襯衣しやつて、手織ておりこは布子ぬのこえりから財布さいふひもたやうななが丸打まるうちけた樣子やうすは、滅多めつた東京とうきやうなど機會きくわいのないとほやまくにのものとしかれなかつた。其上そのうへをとここのさむいのに膝小僧ひざこぞうすこして、こんちた小倉こくらおびしりした手拭てぬぐひいてははなしたこすつた。

これ甲斐かひくにから反物たんもの脊負しよつてわざ〳〵東京とうきやうまでをとこなんです」と坂井さかゐ主人しゆじん紹介せうかいすると、をとこ宗助そうすけはういて、

うか旦那だんなひとつて御呉おくれ」と挨拶あいさつをした。

 成程なるほど銘仙めいせんだの御召おめしだの、白紬しろつむぎだのが其所そこ一面いちめんらしてあつた。宗助そうすけこのをとこ形裝なり言葉遣ことばづかひ可笑をかしいわりに、立派りつぱ品物しなもの脊中せなかせて歩行あるくのをむし不思議ふしぎおもつた。主人しゆじん細君さいくん説明せつめいによると、この織屋おりやんでゐるむら燒石やけいしばかりで、こめあはれないから、やむくはゑてかひこふんださうであるが、餘程よほどまづしいところえて、柱時計はしらどけいつてゐるいへが一けんだけで、高等小學かうとうせうがくかよ小供こどもが三にんしかないというはなしであつた。

けるものは、此人このひとぎりなんださうですよ」とつて細君さいくんわらつた。すると織屋おりやも、

本當ほんたうのこんだよ、おくさん。算筆さんぴつ出來できるものは、おれよりほかにねえんだからね。まつた非道ひどところにやちがひない」と眞面目まじめ細君さいくんこと首肯うけがつた。

 織屋おりや色々いろ〳〵反物たんもの主人しゆじん細君さいくんまへけては、「つて御呉おくれ」といふ言葉ことばをしきりにかへした。そりやたかいよ幾何々々いくら〳〵御負おまけなどゝはれると、「ぢやねえね」とか、「をがむからそれでつて御呉おくれ」とか、「まあ目方めかた御呉おくれ」とかすべ異樣いやう田舍ゐなかびたこたへをした。そのたびみんなわらつた。主人しゆじん夫婦ふうふまたひまだとえて、面白半分おもしろはんぶん何時いつまで織屋おりや相手あひてにした。

織屋おりや御前おまへさうして脊負しよつて、そとて、時分じぶんどきになつたら、矢張やつぱ御膳ごぜんべるんだらうね」と細君さいくんいた。

めしはねえでゐられるもんぢやないよ。はらことちうたら」

んなところべるの」

んなところべるちうて、茶屋ちややふだね」

 主人しゆじんわらひながら茶屋ちややとはなんだといた。織屋おりやは、めしはすところ茶屋ちややだとこたへた。それから東京とうきやう出立でたてにはめし非常ひじやううまいので、はらゑてすと、大抵たいてい宿屋やどやかなはない、三度々々さんど〳〵つちやどくだとやうことはなして、またみんなわらはした。

 織屋おりや仕舞しまひ撚糸よりいとつむぎと、白絽しろろを一ぴき細君さいくんけた。宗助そうすけこのつまつたくれに、なつひと餘裕よゆうのあるものはまた格別かくべつだとかんじた。すると、主人しゆじん宗助そうすけむかつて、

うです貴方あなたも、ついでなにひとつ。おくさんの不斷着ふだんぎでも」とすゝめた。細君さいくんもかう機會きくわいつてくと、幾割いくわり値安ねやすへる便宜べんぎいた。さうして、

「なに、御拂おはらひ何時いつでもいんです」と受合うけあつてれた。宗助そうすけはとう〳〵御米およねのために銘仙めいせんを一たんことにした。主人しゆじんはそれを散々さん〴〵値切ねぎつて三ゑんけさした。織屋おりやけたあとまた

まつたぢやねえね。きたくなるね」とつたので、大勢おほぜいがまた一度いちどわらつた。

 織屋おりや何處どこつてもういふひなびた言葉ことば使つかつてとほしてゐるらしかつた。毎日まいにち馴染なじみのいへをぐる〳〵まはつてあるいてゐるうちには、脊中せなか段々だん〳〵かろくなつて、仕舞しまひこん風呂敷ふろしき眞田紐さなだひもだけのこる。その時分じぶんには丁度ちやうどきう正月しやうぐわつるので、一先ひとまづ國元くにもとかへつて、ふるはるやまなかして、それからまたあたらしい反物たんもの脊負しよへるだけ脊負しよつてるのだとつた。さうして養蠶やうさんせはしい四ぐわつすゑか五ぐわつはじめまでに、それを悉皆すつかりかねへて、また富士ふじ北影きたかげ燒石やけいしばかりころがつてゐる小村こむらかへつてくのださうである。

うち來出きだしてから、もう四五ねんになりますが、何時いつてもおなことで、すこしもかはらないんですよ」と細君さいくん注意ちゆういした。

實際じつさいめづらしいをとこです」と主人しゆじん評語ひやうごえた。三日みつかそとないと、町幅まちはゞ何時いつにかひろげられてゐたり、一日いちにち新聞しんぶんまないと、電車でんしや開通かいつうらずにすごしたりするいまに、ねん二度にど東京とうきやうながら、山男やまをとこ特色とくしよく何處どこまで維持ゐぢしてくのは、實際じつさいめづらしいにちがひなかつた。宗助そうすけはつく〴〵この織屋おりや容貌ようばうやら態度たいどやら服裝ふくさうやら言葉使ことばづかひやらを觀察くわんさつして、一種いつしゆどくおもひをなした。

 かれ坂井さかゐして、うちかへ途中とちゆうにも、折々をり〳〵インヷネスの羽根はねしたかゝへて銘仙めいせんつゝみへながら、それを三ゑんといふやすつたをとこの、粗末そまつ布子ぬのこしまと、あかくてばさ〳〵したかみと、その油氣あぶらけのないこはかみが、ういふわけか、あたま眞中まんなか立派りつぱ左右さいうけられてゐるさまを、えずまへうかべた。

 うちでは御米およね宗助そうすけせるはる羽織はおりやうやげて、おしかはりに坐蒲團ざぶとんしたれて、自分じぶん其上そのうへすわつてゐるところであつた。

貴方あなた今夜こんやいてください」とつて、御米およね宗助そうすけかへりみた。をつとから、坂井さかゐてゐた甲斐かひをとこはなしいたときは、御米およね流石さすがおほきなこゑしてわらつた。さうして宗助そうすけつてかへつた銘仙めいせん縞柄しまがら地合ぢあひかずながめては、やすい〳〵とつた。銘仙めいせんまつたしないものであつた。

うして、さうやすつてわりふんでせう」と仕舞しまひした。

「なになか呉服屋ごふくやまうぎてるのさ」と宗助そうすけ其道そのみちあかるいやうことを、このたん銘仙めいせんから推斷すゐだんしてこたへた。

 夫婦ふうふはなしはそれから、坂井さかゐ生活せいくわつ餘裕よゆうのあることと、その餘裕よゆうのために、横町よこちやう道具屋だうぐやなどに意外いぐわいまうかたをされるかはりに、ときとすると織屋おりやなどから、不用ふようのものを廉價れんかつて便宜べんぎいうしてゐることなどにうつつて、仕舞しまひその家庭かてい如何いかにも陽氣やうきで、にぎやかな模樣もやうちてつた。宗助そうすけ其時そのとき突然とつぜん語調ごてうへて、

なにかねがあるばかりぢやない。ひとつは子供こどもおほいからさ。子供こどもさへあれば、大抵たいてい貧乏びんばふうちでも陽氣やうきになるものだ」と御米およねさとした。

 そのかたが、自分達じぶんたちさみしい生涯しやうがいを、多少たせうみづかたしなめるやうにが調子てうしを、御米およねみゝつたへたので、御米およねおぼえずひざうへ反物たんものからはなしてをつとかほた。宗助そうすけ坂井さかゐからつてしなが、御米およね嗜好しかうつたので、ひさりに細君さいくんよろこばせてつた自覺じかくがあるばかりだつたから、別段べつだんそこにはかなかつた。御米およね一寸ちよつと宗助そうすけかほたなり其時そのときなんにもはなかつた。けれどもつて時間じかんまで御米およねはそれをわざとばしていたのである。

 二人ふたり何時いつものとほり十時過じすぎとこつたが、をつとがまだめてゐるころ見計みはからつて、御米およね宗助そうすけはういてはなしかけた。

貴方あなた先刻さつき小供こどもがないとさむしくつて不可いけないとおつしやつてね」

 宗助そうすけこれ類似るゐじこと普般的ふはんてきつたおぼえたしかにあつた。けれどもそれはあながちに、自分達じぶんたちうへついて、とく御米およね注意ちゆういためくちにした、故意こい觀察くわんさつでないのだから、あらたまつてたゞされると、こまるよりほかはなかつた。

なにうちことつたのぢやないよ」

 この返事へんじけた御米およねは、しばらくだまつてゐた。やがて、

「でもうちこと始終しじゆうさむしい〳〵とおもつてゐらつしやるから、必竟ひつきやうあんなことおつしやるんでせう」とまへほゞやうとひかへした。宗助そうすけもとよりさうだとこたへなければならない或物あるものあたまなかつてゐた。けれども御米およねはゞかつて、それほど明白地あからさま自白じはくあへてしなかつた。この病氣びやうきあがりの細君さいくんこゝろやすめるためには、けへつてそれを冗談じようだんにしてわらつて仕舞しまはうからうとかんがへたので、

さむしいとへば、そりやさむしくないでもないがね」と調子てうしへてるべく陽氣やうきたが、其所そこつまつたぎり、あたらしい文句もんくも、面白おもしろ言葉ことば容易よういおもけなかつた。やむず、

「まあいや。心配しんぱいするな」とつた。御米およねはまたなんともこたへなかつた。宗助そうすけ話題わだいへやうとおもつて、

昨夕ゆうべ火事くわじがあつたね」と世間話せけんばなしをしした。すると御米およねきふに、

わたくしじつ貴方あなた御氣おきどくで」とせつなさうに言譯いひわけ半分はんぶんして、またそれなりだまつて仕舞しまつた。洋燈らんぷ何時いつものやうとこうへゑてあつた。御米およねそむいてゐたから、宗助そうすけにはかほ表情へうじやう判然はつきりわからなかつたけれども、其聲そのこゑ多少たせうなみだでうるんでゐるやうおもはれた。いままで仰向あふむいて天井てんじやうてゐたかれは、すぐさいはうなほつた。さうして薄暗うすぐらかげになつた御米およねかほじつながめた。御米およねくらなかからじつ宗助そうすけてゐた。さうして、

とうから貴方あなたけて謝罪あやまらう〳〵とおもつてゐたんですが、ついにくかつたもんだから、それなりにしていたのです」と途切とぎれ〳〵につた。宗助そうすけにはなん意味いみまるわからなかつた。多少たせうはヒステリーの所爲せゐかともおもつたが、全然ぜんぜんさうともけつしかねて、しばらく茫然ぼんやりしてゐた。すると御米およねおもめた調子てうしで、

わたくしにはとても子供こども出來でき見込みこみはないのよ」とつてした。

 宗助そうすけこの可憐かれん自白じはくなぐさめていか分別ふんべつあまつて當惑たうわくしてゐたうちにも、御米およねたいしてはなはどくだといふおもひ非常ひじやうたかまつた。

子供こどもなんざ、くてもいぢやないか。うへ坂井さかゐさんやう澤山たくさんうまれて御覽ごらんはたからてゐてもどくだよ。まる幼穉園えうちゑんやうで」

「だつて一人ひとり出來できないときまつちまつたら、貴方あなただつてかないでせう」

「まだ出來できないときまりやしないぢやないか。これからうまれるかもれないやね」

 御米およねなほした。宗助そうすけ途方とはうれて、發作ほつさをさまるのをおだやかにつてゐた。さうして、ゆつくり御米およね説明せつめいいた。

 夫婦ふうふ和合わがふ同棲どうせいといふてんおいて、人並ひとなみ以上いじやう成功せいこうしたと同時どうじに、子供こどもにかけては、一般いつぱん隣人りんじんよりも不幸ふかうであつた。それもはじめから宿やどたねがなかつたのなら、まだしもだが、そだつべきものを中途ちゆうとおとしたのだから、さら不幸ふかうかんふかかつた。

 はじめて身重みおもになつたのは、二人ふたり京都きやうとつて、廣島ひろしま瘠世帶やせじよたいつてゐるときであつた。懷姙くわいにんこときまつたとき、御米およねこのあたらしい經驗けいけんたいして、おそろしい未來みらいと、うれしい未來みらい一度いちどゆめやう心持こゝろもちいだいてごした。宗助そうすけはそれをえないあいせいに、一種いつしゆ確證かくしようとなるべきかたちあたへた事實じじつと、ひとり解釋かいしやくしてすくなからずよろこんだ。さうして自分じぶんいのちんだにくかたまりが、まへをど時節じせつゆびつてたのしみにつた。ところ胎兒たいじは、夫婦ふうふ豫期よきはんして、五ヶげつまでそだつて突然とつぜんりて仕舞しまつた。その時分じぶん夫婦ふうふ活計くらしくるしいつらつきばかりつゞいてゐた。宗助そうすけ流産りうざんした御米およねあをかほながめて、これ必竟つまり世帶しよたい苦勞くらうからおこるんだとはんじた。さうして愛情あいじやう結果けつくわが、ひんのためにくづされて、ながうちとらへること出來できなくなつたのを殘念ざんねんがつた。御米およねはひたすらいた。

 福岡ふくをかうつつてからもなく、御米およねまたいものをたしひととなつた。一度いちど流産りうざんするとくせになるといたので、御米およねよろづ注意ちゆういして、つゝましやかに振舞ふるまつてゐた。その所爲せゐ經過けいくわ至極しごく順當じゆんたうつたが、どうしたわけか、これといふ原因げんいんもないのに、月足つきたらずでうまれて仕舞しまつた。産婆さんばくびかたむけて、一醫者いしやせるやうすゝめた。醫者いしやもらふと、發育はついく充分じゆうぶんでないから、室内しつない温度をんど一定いつていたかさにして、晝夜ちうやともかはらないくらゐ人工的じんこうてきあたゝめなければ不可いけないとつた。宗助そうすけ手際てぎはでは、室内しつない煖爐だんろける設備せつびをするだけでも容易よういではなかつた。夫婦ふうふはわが時間じかん算段さんだんゆるかぎりをつくして、專念せんねん赤兒あかごいのちまもつた。けれどもすべては徒勞とらうした。一週間しうかんのち二人ふたりけたなさけかたまりつひつめたくなつた。御米およね幼兒えうじ亡骸なきがらいて、

うしませう」とすゝいた。宗助そうすけ再度さいど打撃だげきをとこらしくけた。つめたいにくはひになつて、其灰そのはひまたくろつちくわするまで一口ひとくち愚癡ぐちらしい言葉ことばさなかつた。其内そのうち何時いつとなく、二人ふたりあひだはさまつてゐたかげやうなものが、次第しだい遠退とほのいてほどなくえて仕舞しまつた。

 すると三度目どめ記憶きおくた。宗助そうすけ東京とうきやううつつてはじめてのとしに、御米およねまた懷姙くわいにんしたのである。出京しゆつきやう當座たうざは、大分だいぶん身體からだおとろへてゐたので、御米およね勿論もちろん宗助そうすけもひどく其所そこ氣遣きづかつたが、今度こんどこそはといふはら兩方りやうはうにあつたので、はりのあるつき無事ぶじ段々だん〳〵かさねてつた。ところ丁度ちやうど五月目いつつきめになつて、御米およねまた意外いぐわい失敗しくじりつた。其頃そのころはまだ水道すゐだういてなかつたから、朝晩あさばん下女げぢよ井戸端ゐどばたみづんだり、洗濯せんたくをしなければならなかつた。御米およねはあるうらにゐる下女げぢよけるよう出來できたので、井戸流ゐどながしそばいたたらひ傍迄そばまでつてはなしをしたついでに、ながしむかふわたらうとして、あをこけへてゐるれたいたうへ尻持しりもちいた。御米およねはまたそくなつたとはおもつたが、自分じぶん粗忽そこつ面目めんぼくながつて、宗助そうすけにはわざと何事なにごとかたらずに其場そのばとほした。けれどもこの震動しんどうが、何時いつまでつても胎兒たいじ發育はついくこれといふ影響えいきやうおよぼさず、したがつて自分じぶん身體からだにもすこしの異状いじやうおこさなかつたことたしかわかつたとき御米およねやうや安心あんしんして、過去くわこしつあらためて宗助そうすけまへげた。宗助そうすけもとよりつまとがめるもなかつた。たゞ、

けないとあぶないよ」とおだやかに注意ちゆういくはへてぎた。

 兎角とかくするうちにつき滿ちた。いよ〳〵うまれるといふ間際まぎはまでつまつたとき、宗助そうすけ役所やくしよながらも、御米およねことがしきりにかゝつた。かへりには何時いつも、今日けふはことによると留守るすのうちになどあんつゞけては、自分じぶんいへ格子かうしまへつた。さうしてなか豫期よきしてゐる赤兒あかご泣聲なきごゑきこえないと、かへつてなにかのへんでもおこつたらしくかんじて、いそいでうちんで、自分じぶん自分じぶん粗忽そこつづることがあつた。

 さいはひ御米およね産氣さんけづいたのは、宗助そうすけそとようのない夜中よなかだつたので、そばにゐて世話せわ出來できるとてんからればはなは都合つがふかつた。産婆さんばゆつくりふし、脱脂綿だつしめん其他そのた準備じゆんびこと〴〵不足ふそくなくそろへてあつた。さん案外あんぐわいかるかつた。けれども肝心かんじん小兒こどもは、たゞ子宮しきゆうのがれてひろところたといふまでで、浮世うきよ空氣くうき一口ひとくち呼吸こきふしなかつた。産婆さんばほそ硝子がらすくだやうなものをつて、さいくちなかつよ呼息いきをしきりにんだが、効目きゝめまるでなかつた。うまれたものは肉丈にくだけであつた。夫婦ふうふ此肉このにくきざけられた、はなくちとを髣髴はうふつした。しかその咽喉のどからこゑつひこと出來できなかつた。

 産婆さんば出産しゆつさんのあつたつい一週間しうかんまへて、丁寧ていねい胎兒たいじ心臟しんざうまで聽診ちやうしんして、至極しごく御健全ごけんぜんだと保證ほしようしてつたのである。よし産婆さんばこと間違まちがひがあつて、はら發育はついく今迄いままでのうちに何處どこかでとまつてゐたにしたところで、それがすぐされない以上いじやう母體ぼたい今日こんにちまで平氣へいきこたへるわけがなかつた。其所そこ段々だん〳〵調しらべてて、宗助そうすけ自分じぶんいまかついたことのない事實じじつ發見はつけんしたときに、おもはずおそおどろいた。胎兒たいじ間際まぎはまで健康けんかうであつたのである。けれども臍帶纏絡さいたいてんらくつて、ぞくえなくびけてゐた。異常いじやう場合ばあひには、もとより産婆さんばうでけるよりほか仕樣しやうのないもので、經驗けいけんのあるばあさんなら、げるときに、うまくびゝつたえなはづしてはずであつた。宗助そうすけたのんだ産婆さんば可成かなりとしつてゐるだけに、このくらゐのことは心得こゝろえてゐた。しか胎兒たいじくびからんでゐた臍帶さいたいは、ときたまあるごと一重ひとへではなかつた。二重ふたへほそ咽喉のどいてゐるえなを、あのほそところとほときはづそくなつたので、小兒こどもはぐつと氣管きくわんめられて窒息ちつそくして仕舞しまつたのである。

 つみ産婆さんばにもあつた。けれどもなかば以上いじやう御米およね落度おちどちがひなかつた。臍帶纏絡さいたいてんらく變状へんじやうは、御米およね井戸端ゐどばたすべつていた尻餠しりもちいた五ヶげつまへすでみづかかもしたものとれた。御米およね産後さんご蓐中じよくちゆうその始末しまついて、たゞかる首肯うなづいたぎりなんにもはなかつた。さうして、疲勞ひらうすこんだうるませて、なが睫毛まつげをしきりにうごかした。宗助そうすけなぐさめながら、手帛はんけちほゝながれるなみだいてつた。

 これ子供こどもくわんする夫婦ふうふ過去くわこであつた。このにが經驗けいけんめた彼等かれらは、それ以後いご幼兒えうじついあまおほくをかたるをこのまなかつた。けれども二人ふたり生活せいくわつ裏側うらがはは、この記憶きおくのためにさむしくけられて、容易よういげさうにはえなかつた。ときとしては、彼我ひが笑聲わらひごゑとほしてさへ、御互おたがひむねに、この裏側うらがは薄暗うすぐらうつこともあつた。ういふわけだから、過去くわこ歴史れきしいまをつとむかつてあらたにかへさうとは、御米およねおもらなかつたのである。宗助そうすけ今更いまさらつまからそれをかせられる必要ひつえうすこしもみとめてゐなかつたのである。

 御米およねをつとけるとつたのは、もとより二人ふたり共有きよういうしてゐた事實じじつついてではなかつた。彼女かのぢよは三度目どめ胎兒たいじうしなつたときをつとから其折そのをり模樣もやういて、如何いかにも自分じぶん殘酷ざんこくはゝであるかのごとかんじた。自分じぶんくだしたおぼえがないにせよ、かんがやうによつては、自分じぶんせいあたへたもののせいうばふために、暗闇くらやみ明海あかるみ途中とちゆうけて、これを絞殺かうさつしたとおなことであつたからである。解釋かいしやくしたとき御米およねおそろしいつみをかした惡人あくにんおのれ見傚みなさないわけかなかつた。さうしておもはざる徳義上とくぎじやう苛責かしやく人知ひとしれずけた。しかもその苛責かしやくわかつて、ともくるしんでれるものは世界中せかいぢゆう一人ひとりもなかつた。御米およねをつとにさへこのくるしみをかたらなかつたのである。

 彼女かのぢよ其時そのとき普通ふつう産婦さんぷやうに、三週間しうかんとこなからした。それは身體からだからふときはめて安靜あんせいの三週間しうかんちがひなかつた。同時どうじこゝろからふと、おそるべき忍耐にんたいの三週間しうかんであつた。宗助そうすけ亡兒ばうじのために、ちひさいひつぎこしらえて、ひとたない葬儀さうぎいとなんだ。しかるのちまたんだもののためにちひさな位牌ゐはいつくつた。位牌ゐはいにはくろうるし戒名かいみやういてあつた。位牌ゐはいぬし戒名かいみやうつてゐた。けれども俗名ぞくみやう兩親ふたおやといへどもらなかつた。宗助そうすけ最初さいしよそれをちや箪笥たんすうへせて、役所やくしよからかへるとえず線香せんかういた。そのにほひが六でふてゐる御米およねはな時々とき〴〵かよつた。彼女かのぢよ官能くわんのう當時たうじそれほどするどくなつてゐたのである。しばらくしてから、宗助そうすけなにかんがへたか、ちひさい位牌ゐはい箪笥たんす抽出ひきだしそこ仕舞しまつてしまつた。其所そこには福岡ふくをかくなつた小供こども位牌ゐはいと、東京とうきやうんだちゝ位牌ゐはい別々べつ〳〵綿わたくるんで丁寧ていねいれてあつた。東京とうきやういへたゝむとき宗助そうすけ先祖せんぞ位牌ゐはいひとのこらずたづさえて、諸所しよしよ漂泊へうはくするのわづらはしさにえなかつたので、あたらしいちゝ分丈ぶんだけかばんなかをさめて、其他そのたこと〴〵てらあづけていたのである。

 御米およね宗助そうすけのするすべてをながらたりいたりしてゐた。さうして布團ふとんうへ仰向あふむけになつたまゝこのふたつのさい位牌ゐはいを、えない因果いんぐわいとながいてたがひむすけた。それからそのいとなほとほばして、これ位牌ゐはいにもならずにながれて仕舞しまつた、はじめからかたちのない、ぼんやりしたかげやう死兒しじうへげかけた。御米およね廣島ひろしま福岡ふくをか東京とうきやうのこひとづゝ記憶きおくそこに、うごかしがたい運命うんめいおごそかな支配しはいみとめて、そのおごそかな支配しはいもとつ、幾月日いくつきひ自分じぶんを、不思議ふしぎにもおな不幸ふかうかへすべくつくられたはゝであるとくわんじたときときならぬ呪咀のろひこゑみゝはたいた。彼女かのぢよが三週間しうかん安靜あんせいを、蒲團ふとんうへむさぼらなければならないやうに、生理的せいりてきひられてゐるあひだ彼女かのぢよ鼓膜こまくこの呪咀のろひこゑほとんどえずつてゐた。三週間しうかん安臥あんぐわは、御米およねつてじつ比類ひるゐのない忍耐にんたいの三週間しうかんであつた。

 御米およねこのくるしい半月はんつきあまりを、まくらうへじつ見詰みつめながらごした。仕舞しまひには我慢がまんしてよこになつてゐるのが、如何いかにもつらかつたので、看護婦かんごふかへつたあくに、こつそりきてぶら〳〵してたが、それでもこゝろせま不安ふあんは、容易よういまぎらせなかつた。退儀たいぎ身體からだ無理むりうごかすわりに、あたまなかすこしもうごいてれないので、また落膽がつかりして、ついにははなしの夜具やぐしたもぐんで、ひととほざけるやうに、かたつぶつて仕舞しまこともあつた。

 其内そのうち定期ていきの三週間しうかんぎて、御米およね身體からだおのづからすつきりなつた。御米およね奇麗きれいとこはらつて、あたらしいのするまゆふたゝかゞみらした。それは更衣ころもがへ時節じせつであつた。御米およねひさぶり綿わたつたおもいものをてゝ、はだあかれないかる氣持きもちさわやかにかんじた。はるなつさかひをぱつとかざ陽氣やうき日本にほん風物ふうぶつは、さむしい御米およねあたまにも幾分いくぶんかの反響はんきやうあたへた。けれども、それはたゞしづんだものをてて、にぎやかなひかりのうちにかしたまでであつた。御米およねくら過去くわこなか其時そのとき一種いつしゆ好奇心かうきしんきざしたのである。

 天氣てんきすぐれてうつくしいある午前ごぜん御米およね何時いつものとほ宗助そうすけおくしてからぢきに、おもてた。もうをんな日傘ひがさしてそとくべき時節じせつであつた。いそいで日向ひなたあるくとひたひあたりすこあせばんだ。御米およねあるき〳〵、着物きもの着換きかえるとき箪笥たんすけたら、おもはず一番目ばんめ抽出ひきだしそこ仕舞しまつてあつた、あたらしい位牌ゐはいれたことおもひつゞけて、とう〳〵ある易者えきしやもんくゞつた。

 彼女かのぢよ多數たすう文明人ぶんめいじん共通きようつう迷信めいしん子供こどもときからつてゐた。けれども平生へいぜいその迷信めいしんまた多數たすう文明人ぶんめいじんおなやうに、遊戲的いうぎてきそとあらはれるだけんでゐた。それが實生活じつせいくわつおごそかな部分ぶぶんをかやうになつたのは、まつためづらしいとはなければならなかつた。御米およね其時そのとき眞面目まじめ態度たいど眞面目まじめこゝろつて、易者えきしやまへすわつて、自分じぶん將來しやうらいむべき、またそだてるべき運命うんめいてんからあたへられるだらうかをたしかめた。易者えきしや大道だいだうみせして、徃來わうらいひとうへ一二錢いちにせんうらなふひとと、すこしもちがつた樣子やうすもなく、算木さんぎ色々いろ〳〵ならべてたり、筮竹ぜいちくんだりかぞへたりしたあとで、仔細しさいらしくあごしたひげにぎつてなにかんがへたが、をはりに御米およねかほをつく〴〵ながめたすゑ

貴方あなたには子供こども出來できません」とはらつて宣告せんこくした。御米およね無言むごんまゝ、しばらく易者えきしや言葉ことばあたまなかんだりくだいたりした。それからかほげて、

何故なぜでせう」とかへした。其時そのとき御米およね易者えきしや返事へんじをするまへに、またかんがへるだらうとおもつた。ところかれはまともに御米およねあひだ見詰みつめたまゝ、すぐ

貴方あなたひとたいしてまないことをしたおぼえがある。そのつみたゝつてゐるから、子供こどもけつしてそだたない」とつた。御米およねこの一言いちげん心臟しんざう射拔いぬかれるおもひがあつた。くしやりとくびつたなりうちかへつて、そのよるをつとかほさへ碌々ろく〳〵見上みあげなかつた。

 御米およね宗助そうすけけないで、今迄いままですごしたといふのは、この易者えきしや判斷はんだんであつた。宗助そうすけとこせたほそ洋燈らんぷが、よるなかしづんできさうなしづかなばんに、はじめて御米およねくちからそのはなしいたとき、流石さすが氣味きみはしなかつた。

神經しんけいおこつたとき、わざ〳〵そんな馬鹿ばかところ出掛でかけるからさ。ぜにしてくだらないことはれてつまらないぢやないか。其後そのごもそのうらなひうちくのかい」

おそろしいから、もうけつしてかないわ」

かないがい。馬鹿氣ばかげてゐる」

 宗助そうすけはわざと鷹揚おうやうこたへをしてまた仕舞しまつた。


十四


 宗助そうすけ御米およねとはなか夫婦ふうふちがひなかつた。一所いつしよになつてから今日こんにちまでねんほどなが月日つきひをまだ半日はんにち氣不味きまづくらしたことはなかつた。言逆いさかひかほあからめつたためしなほなかつた。二人ふたり呉服屋ごふくや反物たんものつてた。米屋こめやからこめつてつた。けれども其他そのたには一般いつぱん社會しやくわいところきはめてすくない人間にんげんであつた。彼等かれらは、日常にちじやう必要品ひつえうひん供給きようきふする以上いじやう意味いみおいて、社會しやくわい存在そんざいほとんどみとめてゐなかつた。彼等かれらつて絶對ぜつたい必要ひつえうなものは御互おたがひだけで、その御互おたがひだけが、彼等かれらにはまた充分じゆうぶんであつた。彼等かれらやまなかにゐるこゝろいだいて、都會とくわいんでゐた。

 自然しぜんいきほひとして、彼等かれら生活せいくわつ單調たんてうながれないわけかなかつた。彼等かれら複雜ふくざつ社會しやくわいわづらひたとともに、その社會しやくわい活動くわつどうから樣々さま〴〵經驗けいけん直接ちよくせつれる機會きくわいを、自分じぶんふさいで仕舞しまつて、都會とくわいみながら、都會とくわい文明人ぶんめいじん特權とくけんてたやう結果けつくわ到着たうちやくした。彼等かれら自分達じぶんたち日常にちじやう變化へんくわのないこと折々をり〳〵自覺じかくした。御互おたがひ御互おたがひきるの、物足ものたりなくなるのといふこゝろ微塵みぢんおこらなかつたけれども、御互おたがひあたまれる生活せいくわつ内容ないようには、刺戟しげきとぼしい或物あるものひそんでゐるやうにぶうつたへがあつた。それにもかゝはらず、彼等かれら毎日まいにちおなはんおなむねして、なが月日つきひまずわたつてたのは、彼等かれらはじめから一般いつぱん社會しやくわい興味きようみうしなつてゐたためではなかつた。社會しやくわいはう彼等かれら二人ふたりぎりめて、その二人ふたりひやゝかなそびらけた結果けつくわほかならなかつた。そとむかつて生長せいちやうする餘地よち見出みいだなかつた二人ふたりは、うちむかつてふかはじめたのである。彼等かれら生活せいくわつひろさをうしなふと同時どうじに、ふかさをしてた。彼等かれらは六ねんあひだ世間せけん散漫さんまん交渉かうせふもとめなかつたかはりに、おなじ六ねん歳月さいげつげて、たがひむねを堀ほ》りした。彼等かれらいのちは、いつのにかたがひそこまでつた。二人ふたり世間せけんかられば依然いぜんとして二人ふたりであつた。けれどもたがひからへば、道義上だうぎじやうはなこと出來できないひとつの有機體いうきたいになつた。二人ふたり精神せいしんてる神經系しんけいけいは、最後さいご纖維せんゐいたまでたがひつて出來できあがつてゐた。彼等かれらおほきな水盤すゐばんおもてしたたつた二てんあぶらやうなものであつた。みづはじいてふたつが一所いつしよあつまつたとふよりも、みづはじかれたいきほひで、まるつた結果けつくわはなれること出來できなくなつたとひやうするはう適當てきたうであつた。

 彼等かれらこの抱合はうがふうちに、尋常じんじやう夫婦ふうふ見出みいだがた親和しんわ飽滿はうまんと、それにともなう倦怠けんたいとをそなへてゐた。さうしてその倦怠けんたいものう氣分きぶん支配しはいされながら、自己じこ幸福かうふく評價ひやうかすることだけわすれなかつた。倦怠けんたい彼等かれら意識いしきねむりやうまくけて、二人ふたりあいをうつとりかすますことはあつた。けれどもさゝら神經しんけいあらはれる不安ふあんけつしておこなかつた。えうするに彼等かれら世間せけんうとだけそれだけなか夫婦ふうふであつたのである。

 彼等かれら人並ひとなみ以上いじやうむつましい月日つきひかはらずに今日けふから明日あすへとつないできながら、つね其所そこかずにかほ見合みあはせてゐるやうなものゝ、時々とき〴〵自分達じぶんたちむつまじがるこゝろを、自分じぶんしかみとめることがあつた。その場合ばあひにはかなら今迄いままでむつまじくごしたなが歳月としつきさかのぼつて、自分達じぶんたち如何いか犧牲ぎせいはらつて、結婚けつこんあへてしたかと當時たうじおもさないわけにはかなかつた。彼等かれら自然しぜん彼等かれらまへにもたらしたおそるべき復讐ふくしうもとをのゝきながらひざまづいた。同時どうじこの復讐ふくしうけるためにたがひ幸福かうふくたいして、あいかみに一べんかうことわすれなかつた。彼等かれらむちうたれつゝおもむくものであつた。たゞそのむちさきに、すべてをやすあまみついてゐることさとつたのである。

 宗助そうすけ相當さうたう資産しさんのある東京とうきやうものゝ子弟していとして、彼等かれら共通きようつう派出はで嗜好しかう學生がくせい時代じだいには遠慮ゑんりよなくたしたをとこである。かれ其時そのとき服裝なりにも、動作どうさにも、思想しさうにも、こと〴〵當世たうせいらしい才人さいじん面影おもかげみなぎらして、たかくび世間せけんもたげつゝ、かうとおもあたりを濶歩くわつぽした。かれえりしろかつたごとく、かれ洋袴づぼんすそ奇麗きれいかへされてゐたごとく、其下そのしたからえるかれ靴足袋くつたび模樣入もやういりのカシミヤであつたごとく、かれあたま華奢きやしや世間せけんきであつた。

 かれうまつき理解りかいをとこであつた。したがつてたいした勉強べんきやうをするにはなれなかつた。學問がくもん社會しやくわいるための方便はうべん心得こゝろえてゐたから、社會しやくわいを一退しりぞかなくつてはたつすること出來できない、學者がくしやといふ地位ちゐには、あまおほくの興味きようみつてゐなかつた。かれはたゞ教場けうぢやうて、普通ふつう學生がくせいのするとほり、おほくのノートブツクをくろくした。けれどもうちかへつてて、それをなほしたり、れたりしたこと滅多めつたになかつた。やすんでけたところさへ大抵たいてい其儘そのまゝにしてはふつていた。かれ下宿げしゆくつくゑうへに、このノートブツクを奇麗きれいげて、何時いつても整然せいぜん秩序ちつじよいた書齋しよさいからにしては、そと出歩であるいた。友達ともだちおほかれ寛濶くわんくわつうらやんだ。宗助そうすけ得意とくいであつた。かれ未來みらいにじやううつくしくかれひとみらした。

 其頃そのころ宗助そうすけいまちがつておほくの友達ともだちつてゐた。じつふと、輕快けいくわいかれえいずるすべてのひとは、ほとんど誰彼だれかれ區別くべつなく友達ともだちであつた。かれてきといふ言葉ことば意味いみ正當せいたうかいない樂天家らくてんかとして、わかをのび〳〵とわたつた。

「なに不景氣ふけいきかほさへしなければ、何處どこつたつて驩迎くわんげいされるもんだよ」と學友がくいう安井やすゐによくはなしたことがあつた。實際じつさいかれかほは、ひと不愉快ふゆくわいにするほど深刻しんこく表情へうじやうしめためしがなかつた。

きみ身體からだ丈夫ぢやうぶだから結構けつこうだ」とよく何處どこかに故障こしやうおこ安井やすゐうらやましがつた。この安井やすゐといふのはくに越前ゑちぜんだが、なが横濱よこはまたので、言葉ことば樣子やうすがう東京とうきやうものとことなるてんがなかつた。着物きもの道樂だうらくで、かみながくして眞中まんなかからけるくせがあつた。高等學校かうとうがくかうちがつてゐたけれども、講義かうぎのときよく隣合となりあはせにならんで、時々とき〴〵そくなつたところなどあとから質問しつもんするので、くちしたのがもとになつて、つい懇意こんいになつた。それが學年がくねんはじまりだつたので、京都きやうとのまだあさ宗助そうすけには大分だいぶん便宜べんぎであつた。かれ安井やすゐ案内あんないあたらしい土地とち印象いんしやうさけごとんだ。二人ふたり毎晩まいばんやう三條さんでうとか四條しでうとかいふにぎやかなまちあるいた。ときによると京極きやうごくとほけた。はし眞中まんなかつて鴨川かもがはみづながめた。東山ひがしやまうへしづかなつきた。さうして京都きやうとつき東京とうきやうつきよりもまるくておほきいやうかんじた。まちひときたときは、土曜どえう日曜にちえう利用りようしてとほ郊外かうぐわいた。宗助そうすけいたところ大竹藪おほたけやぶみどりこもふか姿すがたよろこんだ。まつみきめたやうあかいのが、かへして幾本いくほんとなくなら風情ふぜいたのしんだ。あるとき大悲閣だいひかくのぼつて、即非そくひがくした仰向あふむきながら、谷底たにそこながれくだおといた。其音そのおとかり鳴聲なきごゑによくてゐるのを二人ふたりとも面白おもしろがつた。あるときは、平八茶屋へいはちぢややまで出掛でかけてつて、そこに一日いちにちてゐた。さうして不味まづ河魚かはうをくししたのを、かみさんにかしてさけんだ。そのかみさんは、手拭てぬぐひかぶつて、こん立付たつつけやうなものを穿いてゐた。

 宗助そうすけんなあたらしい刺戟しげきもとに、しばらくは慾求よくきう滿足まんぞくた。けれどもとほふるみやこにほひいであるくうちに、すべてがやがて、平板へいばんえだしてた。其時そのときかれうつくしいやまいろきよみづいろが、最初さいしよほど鮮明せんめいかげ自分じぶんあたま宿やどさないのを物足ものたらずおもはじめた。かれあたゝかなわかいだいて、そのほてりをさまふかみどりへなくなつた。さうかといつて、この情熱じやうねつつくほどはげしい活動くわつどうには無論むろん出會であはなかつた。かれたかみやくつて、いたづらにむづがゆかれ身體からだなかながれた。かれ腕組うでぐみをして、ながら四方しはうやまながめた。さうして、

「もうんな古臭ふるくさところにはきた」とつた。

 安井やすゐわらひながら、比較ひかくのため、自分じぶんつてゐるある友達ともだち故郷こきやう物語ものがたりをして宗助そうすけかした。それは淨瑠璃じやうるりあひ土山つちやまあめるとある有名いうめい宿しゆくことであつた。あさきてからよるまでるものはやまよりほかにないところで、まる擂鉢すりばちそこんでゐるとおな有樣ありさまだとげたうへ安井やすゐその友達ともだちちひさい時分じぶん經驗けいけんとして、五月雨さみだれりつゞくをりなどは、小供心こどもごゝろに、いまにも自分じぶんんでゐる宿しゆくが、四方しはうやまからながれてあめなかかつて仕舞しまひさうで、心配しんぱいでならなかつたとはなしをした。宗助そうすけはそんな擂鉢すりばちそこ一生いつしやうすごひと運命うんめいほどなさけないものはあるまいとかんがへた。

「さうところに、人間にんげんがよくきてゐられるな」と不思議ふしぎさうなかほをして安井やすゐつた。安井やすゐわらつてゐた。さうして土山つちやまから人物じんぶつうちでは、千兩凾せんりやうばこへてはりつけになつたのが一番いちばんおほきいのだと一口話ひとくちばなし矢張やは友達ともだちからいたとほかへした。せま京都きやうときた宗助そうすけは、單調たんてう生活せいくわつやぶ色彩しきさいとして、さう出來事できごとも百ねんに一ぐらゐ必要ひつえうだらうとまでおもつた。

 その時分じぶん宗助そうすけは、つねあたらしい世界せかいにばかりそゝがれてゐた。だから自然しぜん一通ひととほり四季しきいろせて仕舞しまつたあとでは、ふたゝ去年きよねん記憶きおくもどすために、はな紅葉もみぢむかへる必要ひつえうがなくなつた。つよはげしいいのちきたと證劵しようけん飽迄あくまでにぎりたかつたかれには、きた現在げんざいと、これからうまれやうとする未來みらいが、當面たうめん問題もんだいであつたけれども、えかゝる過去くわこは、ゆめ同樣どうやうあたひとぼしい幻影げんえいぎなかつた。かれおほくのげかゝつたやしろと、寂果さびはててら見盡みつくして、いろめた歴史れきしうへに、くろあたまける勇氣ゆうきうしなひかけた。寐耄ねぼけたむかし彽徊ていくわいするほどかれ氣分きぶんれてゐなかつたのである。

 學年がくねんをはりに宗助そうすけ安井やすゐとは再會さいくわいやくしてわかつた。安井やすゐ一先ひとまづ郷里きやうり福井ふくゐかへつて、それから横濱よこはまつもりだから、もし其時そのときには手紙てがみして通知つうちをしやう、さうしてるべくなら一所いつしよ汽車きしや京都きやうとくだらう、もし時間じかんゆるすなら、興津おきつあたりでとまつて、清見寺せいけんじ三保みほ松原まつばらや、久能山くのうざんでもながらゆつくりあそんでかうとつた。宗助そうすけおほいにからうとこたへて、はらのなかではすで安井やすゐ端書はがきにするとき心持こゝろもちさへ豫想よさうした。

 宗助そうすけ東京とうきやうかへつたときは、ちゝもとよりまだ丈夫ぢやうぶであつた。小六ころく子供こどもであつた。かれは一ねんぶりにさかんなみやこ炎熱えんねつ煤煙ばいえん呼吸こきふするのをかへつてうれしくかんじた。やうしたに、うづいてくるしさうなかはらいろが、幾里いくりとなくつゞ景色けしきを、たかところからながめて、これでこそ東京とうきやうだとおもことさへあつた。いま宗助そうすけならまはしかねない事々物々じゞぶつ〳〵が、こと〴〵壯快さうくわいの二かれひたひけべく、其時そのとき反射はんしやしてたのである。

 かれ未來ふうじられたつぼみのやうに、ひらかないさきひとれないばかりでなく、自分じぶんにもしかとはわからなかつた。宗助そうすけはたゞ洋々やう〳〵の二かれ前途ぜんと棚引たなびいてゐるがしただけであつた。かれこのあつ休暇中きうかちゆうにも卒業後そつげふご自分じぶんたいするはかりごとゆるかせにはしなかつた。かれ大學だいがくてから、官途くわんとかうか、また實業じつげふしたがはうか、それすら、まだ判然はつきりこゝろめてゐなかつたにかゝはらず、何方どちら方面はうめんでもかまはず、いまのうちから、すゝめるだけすゝんではう利益りえきだと心付こゝろづいた。かれ直接ちよくせつちゝ紹介せうかいた。ちゝとほして間接かんせつその知人ちじん紹介せうかいた。さうして自分じぶん將來しやうらい影響えいきやうやうひと物色ぶつしよくして、二三の訪問はうもんこゝろみた。彼等かれらのあるものは、避暑ひしよといふ名義めいぎもとに、すで東京とうきやうはなれてゐた。あるものは不在ふざいであつた。またあるものは多忙たばうのためときして、勤務先きんむさきはうとつた。宗助そうすけのまだたかくならない七時頃じごろに、昇降器エレヹーター煉瓦造れんぐわづくり三階さんがい案内あんないされて、其所そこ應接間おうせつまに、もう七八にん自分じぶんおなやうに、おなひとつてゐる光景くわうけいおどろいたこともあつた。かれうしてあたらしいところつて、あたらしいものせつするのが、用向ようむき成否せいひかゝはらず、今迄いままでかずにぎたきた世界せかい斷片だんぺんあたまやうがしてなんとなく愉快ゆくわいであつた。

 ちゝつけで、毎年まいねんとほ虫干むしぼし手傳てつだひをさせられるのも、んなときには、かへつて興味きようみおほ仕事しごと一部分いちぶぶんかぞへられた。かれつめたいかぜとほ土藏どざう戸前とまへしめつぽいいしうへこしけて、ふるくからいへにあつた江戸名所圖會えどめいしよづゑ江戸砂子えどすなごといふほん物珍ものめづらしさうにながめた。たゝみまであつくなつた座敷ざしき眞中まんなか胡坐あぐらいて、下女げぢよつて樟腦しやうなうを、ちひさな紙片かみぎれけては、醫者いしやれる散藥さんやくやうかたちたゝんだ。宗助そうすけ小供こどもときから、この樟腦しやうなうたかかをりと、あせ土用どようと、砲烙灸はうろくぎうと、蒼空あをぞらゆるとびとを連想れんさうしてゐた。

 兎角とかくするうちにせつ立秋りつしうつた。二百十日にひやくとをかまへには、かぜいて、あめつた。そらには薄墨うすずみ煑染にじんだやうくもがしきりにうごいた。寒暖計かんだんけいが二三にちがりりにがつた。宗助そうすけはまた行李かうり麻繩あさなはからげて、京都きやうとむか支度したくをしなければならなくなつた。

 かれ此間このあひだにも安井やすゐ約束やくそくのあることわすれなかつた。うちかへつた當座たうざは、まだ二ヶげつさきことだからとゆつくりかまへてゐたが、段々だん〳〵時日じじつせまるにしたがつて、安井やすゐ消息せうそくになつてきた。安井やすゐ其後そのごまい端書はがきさへこさなかつたのである。宗助そうすけ安井やすゐ郷里きやうり福井ふくゐけて手紙てがみしてた。けれども返事へんじつひなかつた。宗助そうすけ横濱よこはまはうはせてやうとおもつたが、つい番地ばんち町名ちやうめいいてかなかつたので、うすること出來できなかつた。

 まへばんに、ちゝ宗助そうすけんで、宗助そうすけ請求せいきうどほり、普通ふつう旅費りよひ以外いぐわいに、途中とちゆうで二三にち滯在たいざいしたうへ京都きやうといてからの當分たうぶん小遣こづかひわたして、

たけ節儉せつけんしなくちや不可いけない」とさとした。

 宗助そうすけはそれを普通ふつう普通ふつうおや訓戒くんかいときごとくにいた。ちゝまた

來年らいねんまたかへつてまではないから、隨分ずゐぶんけて」とつた。そのかへつて時節じせつには、宗助そうすけはもうかへれなくなつてゐたのである。さうしてかへつてときは、ちゝ亡骸なきがらがもうつめたくなつてゐたのである。宗助そうすけいまいたまで其時そのときちゝ面影おもかげおもうかべてはまないやうがした。

 いよ〳〵つと間際まぎはに、宗助そうすけ安井やすゐから一つう封書ふうしよ受取うけとつた。ひらいてると、約束やくそくどほ一所いつしよかへつもりでゐたが、すこ事情じじやうがあつてさきたなければならないことになつたからとことわりべたすゑに、いづ京都きやうとゆつくりはうといてあつた。宗助そうすけはそれを洋服やうふく内懷うちぶところんで汽車きしやつた。約束やくそく興津おきつたときかれ一人ひとりでプラツトフオームへりて、細長ほそなが一筋町ひとすぢまち清見寺せいけんじはうあるいた。なつすでぎた九ぐわつはじめなので、大方おほかた避暑客ひしよかくはやげたあとだから、宿屋やどや比較的ひかくてき閑靜かんせいであつた。宗助そうすけうみえる一室いつしつなか腹這はらばひになつて、安井やすゐおく繪端書ゑはがきへ二三ぎやう文句もんくいた。其内そのなかに、きみないからぼく一人ひとり此所こゝたといふ言葉ことばれた。

 翌日よくじつ約束やくそくどほ一人ひとり三保みほ龍華寺りゆうげじ見物けんぶつして、京都きやうとつてから安井やすゐはな材料ざいれう出來できだけこしらえた。しか天氣てんき所爲せゐか、あてにしたつれのないためか、うみても、やまのぼつても夫程それほど面白おもしろくなかつた。宿やどじつとしてゐるのは、なほ退屈たいくつであつた。宗助そうすけ匆々そう〳〵また宿やど浴衣ゆかたてゝ、しぼりの三尺さんじやくとも欄干らんかんけて、興津おきつつた。

 京都きやうといた一日目いちにちめは、夜汽車よぎしやつかれやら、荷物にもつ整理せいりやらで、徃來わうらい日影ひかげらずにらした。二日目ふつかめになつてやうや學校がくかうると、教師けうしはまだ出揃でそろつてゐなかつた。學生がくせい平日いつもよりはかず不足ふそくであつた。不審ふしんことには、自分じぶんより三四さんよまへかへつてゐるべきはず安井やすゐかほさへ何處どこにもえなかつた。宗助そうすけはそれがにかゝるので、かへりにわざ〳〵安井やすゐ下宿げしゆくまはつてた。安井やすゐところみづおほ加茂かもやしろそばであつた。かれ夏休なつやすまへから、すこ閑靜かんせい町外まちはづれへうつつて勉強べんきやうするつもりだとかつて、わざ〳〵この不便ふべん村同樣むらどうやう田舍ゐなか引込ひつこんだのである。かれ見付出みつけだしたいへからがさび土塀どべい二方にはうめぐらして、すで古風こふう片付かたづいてゐた。宗助そうすけ安井やすゐから、其所そこ主人しゆじんはもと加茂神社かもじんじや神官しんくわん一人ひとりであつたとはなしいた。非常ひじやう能辯のうべん京都きやうと言葉ことばあやつる四十ばかり細君さいくんがゐて、安井やすゐ世話せわをしてゐた。

世話せわつて、たゞ不味まづさいこしらえて、三づゝへやはこんでれるだけだよ」と安井やすゐうつてからこの細君さいくん惡口わるくちいてゐた。宗助そうすけ安井やすゐ此所こゝに二三たづねた縁故えんこで、かれ所謂いはゆる不味まづさいこしらえるぬしつてゐた。細君さいくんはうでも宗助そうすけかほおぼえてゐた。細君さいくん宗助そうすけるやいなや、れいやはらかいした慇懃いんぎん挨拶あいさつべたのち此方こつちからかうとおもつて安井やすゐ消息せうそくを、かへつてむかふからたづねた。細君さいくんところによると、かれ郷里きやうりかへつてから當日たうじついたまで一片いつぺん音信おんしんさへ下宿げしゆくへはさなかつたのである。宗助そうすけ案外あんぐわいおもひ自分じぶん下宿げしゆくかへつてた。

 それから一週間しうかんほどは、學校がくかうるたんびに、今日けふ安井やすゐかほえるか、明日あす安井やすゐこゑがするかと、毎日まいにち漠然ばくぜんとした豫期よきいだいては教室けうしつけた。さうして毎日まいにちまた漠然ばくぜんとした不足ふそくかんじてはかへつてた。もつと最後さいご三四日さんよつかおけ宗助そうすけはや安井やすゐひたいとおもふよりも、すこ事情じじやうがあるから、失敬しつけいしてさきつとわざ〳〵通知つうちしながら、何時迄いつまでつてもかげせないかれ安否あんぴを、關係者くわんけいしやとしてむしけてゐたのである。かれ學友がくいう誰彼たれかれ萬遍まんべんなく安井やすゐ動靜どうせいいてた。しかだれるものはなかつた。たゞ一人ひとりが、昨夕ゆうべ四條しでう人込ひとごみなかで、安井やすゐによく浴衣ゆかたがけのをとこたとこたへたことがあつた。しか宗助そうすけにはそれが安井やすゐだらうとはしんじられなかつた。ところそのはなしいた翌日よくじつすなは宗助そうすけ京都きやうといてからやく週間しうかんのちはなしとほりの服裝なりをした安井やすゐが、突然とつぜん宗助そうすけところたづねてた。

 宗助そうすけ着流きながしのまゝ麥藁帽むぎわらばうつた友達ともだち姿すがたひさぶりながめたとき夏休なつやすまへかれかほうへに、あたらしい何物なにものかゞさらくはへられたやうがした。安井やすゐくろかみあぶらつて、目立めだほど奇麗きれいあたまけてゐた。さうしていま床屋とこやつてところだと言譯いひわけらしいことつた。

 其晩そのばんかれ宗助そうすけと一時間じかんあまりも雜談ざつだんふけつた。かれ重々おも〳〵しいくちかた自分じぶんはゞかつて、おもれないやうはなし調子てうし、「しかるに」と口癖くちくせすべ平生へいぜいかれことなるてんはなかつた。たゞかれ何故なぜ宗助そうすけよりさき横濱よこはまつたかをかたらなかつた。また途中とちゆう何處どこ暇取ひまどつたため宗助そうすけよりおくれて京都きやうといたかを判然はつきりげなかつた。しかかれ三四日前さんよつかまへやうや京都きやうといたことだけあきらかにした。さうして、夏休なつやすまへにゐた下宿げしゆくへはまだかへらずにゐるとつた。

それ何處どこに」と宗助そうすけいたとき、かれ自分じぶんいまとまつてゐる宿屋やどや名前なまへを、宗助そうすけをしへた。それは三條さんでうへんの三流位りうぐらゐいへであつた。宗助そうすけその名前なまへつてゐた。

うして、其樣そんところ這入はいつたのだ。當分たうぶん其所そこにゐるつもりなのかい」と宗助そうすけかさねていた。安井やすゐはたゞすこ都合つがふがあつてとばかりこたへたが、

下宿げしゆく生活せいくわつはもうめて、ちひさいうちでもりやうかとおもつてゐる」とおもひがけない計畫けいくわくけて、宗助そうすけおどろかした。

 それから一週間しうかんばかりのうちに、安井やすゐはとう〳〵宗助そうすけはなしたとほり、學校がくかうちかくの閑靜かんせいところ一戸いつこかまへた。それは京都きやうと共通きようつうくら陰氣いんきつくりのうへに、はしら格子かうし黒赤くろあかつて、わざと古臭ふるくさせたせま貸家かしやであつた。門口かどぐちだれ所有しよいうともかないやなぎが一ぽんあつて、ながえだほとんのきさはりさうにかぜかれるさま宗助そうすけた。には東京とうきやうちがつて、すこしはとゝのつてゐた。いし自由じいうになるところだけに、比較的ひかくてきおほきなのが座敷ざしき眞正面ましやうめんゑてあつた。其下そのしたにはすゞしさうなこけがいくらでもえた。うらには敷居しきゐくさつた物置ものおきからまゝがらんとつてゐるうしろに、となり竹藪たけやぶ便所べんじよ出入ではひりにのぞまれた。

 宗助そうすけ此處こゝ訪問はうもんしたのは、十ぐわつすこのある學期がくきはじめであつた。殘暑ざんしよがまだつよいので宗助そうすけ學校がくかう徃復わうふくに、蝙蝠傘かうもりがさもちひてゐたこといま記憶きおくしてゐた。かれ格子かうしまへかさたゝんで、うちのぞんだときあらしま浴衣ゆかたをんなかげをちらりとみとめた。格子かうしうち三和土たゝきで、それが眞直まつすぐうらまでけてゐるのだから、這入はいつてすぐ右手みぎて玄關げんくわんめいたあがぐちあがらない以上いじやうは、くらいながら一筋ひとすぢおくはうまでえるわけであつた。宗助そうすけ浴衣ゆかた後影うしろかげが、裏口うらぐちところへてなくなるまで其處そこつてゐた。それから格子かうしけた。玄關げんくわんへは安井やすゐ自身じしんあらはれた。

 座敷ざしきとほつてしばらくはなしてゐたが、さつきのをんなまつたかほさなかつた。こゑてず、おともさせなかつた。ひろうちでないから、ついとなり部屋へやぐらゐにゐたのだらうけれども、ないのとまるちがはなかつた。このかげやうしづかなをんな御米およねであつた。

 安井やすゐ郷里きやうりこと東京とうきやうこと學校がくかう講義かうぎことなにくれとなくはなした。けれども、御米およねことついては一言いちごんくちにしなかつた。宗助そうすけ勇氣ゆうきとぼしかつた。其日そのひはそれなりわかれた。

 つぎ二人ふたりかほあはしたとき、宗助そうすけ矢張やはをんなことむねなか記憶きおくしてゐたが、くちしては一言ひとことかたらなかつた。安井やすゐ何氣なにげないふうをしてゐた。懇意こんいわか青年せいねん心易立こゝろやすだてはな遠慮ゑんりよのない題目だいもくは、是迄これまで二人ふたりあひだ何度なんどとなく交換かうくわんされたにもかゝはらず、安井やすゐはこゝへて、息詰いきづまつたごとくにえた。宗助そうすけ其所そこ無理むりにこぢけるほどつよ好奇心かうきしんたなかつた。したがつてをんな二人ふたり意識いしきあひだはさまりながら、つい話頭わとうのぼらないで、また週間しうかんばかりぎた。

 その日曜にちえうかれまた安井やすゐふた。それは二人ふたり關係くわんけいしてゐるあるくわいつい用事ようじおこつたためで、をんなとはまつた縁故えんこのない動機どうきから淡泊たんぱく訪問はうもんであつた。けれども座敷ざしきがつて、おなところすわらせられて、垣根かきね沿ふたちひさなうめると、此前このまへときことあきらかにおもされた。其日そのひ座敷ざしきほかは、しんとしてしづかであつた。宗助そうすけそのしづかなうちにしのんでゐるわかをんなかげ想像さうざうしないわけかなかつた。同時どうじにそのわかをんな此前このまへおなやうに、けつして自分じぶんまへ氣遣きづかひはあるまいとしんじてゐた。

 この豫期よきもとに、宗助そうすけ突然とつぜん御米およね紹介せうかいされたのである。其時そのとき御米およね此間このあひだやうあら浴衣ゆかたてはゐなかつた。これから餘所よそくか、またいまそとからかへつてたとふうよそほひをして、つぎからた。宗助そうすけにはそれが意外いぐわいであつた。しかたいした綺羅きら着飾きかざつたわけでもないので、衣服いふくいろも、おびひかりも、夫程それほどかれおどろかすまでにはいたらなかつた。其上そのうへ御米およねわかをんな有勝ありがち嬌羞けうしうといふものを、初對面しよたいめん宗助そうすけむかつて、あまりおほあらはさなかつた。たゞ普通ふつう人間にんげんしづかにして言葉ことばすくなにめただけえた。ひとまへても、となりへやしのんでゐるときと、あまり區別くべつのないほど落付おちついたをんなだといふこと見出みいだした宗助そうすけは、それからして、御米およねのひつそりしていたのは、穴勝あながちはづかしがつて、ひとまへるのをけるためばかりでもなかつたんだとおもつた。

 安井やすゐ御米およね紹介せうかいするとき

これぼくいもとだ」といふ言葉ことばもちひた。宗助そうすけは四五ふん對坐たいざして、すこ談話だんわはしてゐるうちに、御米およね口調くてう何處どこにも、國訛くになまりらしいおんまじつてゐないこといた。

今迄いままで御國おくにはうに」といたら、御米およね返事へんじをするまへ安井やすゐが、

「いや横濱よこはまながく」とこたへた。

 其日そのひ二人ふたりしてまち買物かひものやうとふので、御米およね不斷着ふだんぎへて、あつところをわざ〳〵あたらしい白足袋しろたびまで穿いたものとれた。宗助そうすけ折角せつかく出掛でがけめて、邪魔じやまでもしたやうどくおもひをした。

「なにうちてだものだから、毎日々々まいにち〳〵るものをあたらしく發見はつけんするんで、一しうに一二へん是非ぜひみやこまでしにかなければならない」とひながら安井やすゐわらつた。

みちまで一所いつしよ出掛でかけやう」と宗助そうすけはすぐがつた。ついでうち樣子やうすてくれと安井やすゐふにまかせた。宗助そうすけつぎにある亞鉛とたんおとしのいた四角しかく火鉢ひばちや、やすつぽいいろをした眞鍮しんちゆう藥鑵やくわんや、ふるびたながしのそばかれたあたらしぎる手桶てをけながめて、かどた。安井やすゐ門口かどぐちぢやうおろして、かぎうらうちあづけるとかつて、けてつた。宗助そうすけ御米およねつてゐるあひだ二言ふたこと三言みこと尋常じんじやうくちいた。

 宗助そうすけこの三四分間ふんかんはしたたがひ言葉ことばを、いまだにおぼえてゐた。それはたゞをとこたゞをんなたいして人間にんげんたるしたしみをあらはすために、りする簡略かんりやく言葉ことばぎなかつた。形容けいようすればみづやうあさあはいものであつた。かれ今日こんにちまで路傍ろばう道上だうじやうおいて、なにかのをりれて、らないひと相手あひてに、是程これほど挨拶あいさつをどのくらゐかへしてたかわからなかつた。

 宗助そうすけきはめてみじかい其時そのとき談話だんわを、一々いち〳〵おもうかべるたびに、その一々いち〳〵が、ほとんど無着色むちやくしよくつていゝほどに、平淡へいたんであつたことみとめた。さうして、透明とうめいこゑが、二人ふたり未來みらいを、うしてあゝ眞赤まつかに、けたかを不思議ふしぎおもつた。いまではあかいろむかしあざやかさをうしなつてゐた。たがひがしたほのほは、自然しぜん變色へんしよくしてくろくなつてゐた。二人ふたり生活せいくわつ斯樣かやうにしてくらなかしづんでゐた。宗助そうすけ過去くわこいて、こと成行なりゆきぎやくながかへしては、この淡泊たんぱく挨拶あいさつが、如何いか自分等じぶんら歴史れきしいろどつたかを、むねなか飽迄あくまであぢはひつゝ、平凡へいぼん出來事できごと重大ぢゆうだい變化へんくわさせる運命うんめいちからおそろしがつた。

 宗助そうすけ二人ふたりもんまへたゝずんでゐるとき彼等かれらかげまがつて、半分はんぶんばかり土塀どべいうつつたのを記憶きおくしてゐた。御米およねかげ蝙蝠傘かうもりがささへぎられて、あたまかはりに不規則ふきそくかさかたちかべちたのを記憶きおくしてゐた。すこかたむきかけた初秋はつあきが、じり〳〵二人ふたりけたのを記憶きおくしてゐた。御米およねかさしたまゝ、それほどすゞしくもないやなぎしたつた。宗助そうすけしろすぢふちつたむらさきかさいろと、まだらないやなぎいろを、一歩いつぽ遠退とほのいてながはしたこと記憶きおくしてゐた。

 いまかんがへるとすべてがあきらかであつた。したがつて何等なんらもなかつた。二人ふたり土塀どべいかげからふたゝあらはれた安井やすゐはして、まちはうあるいた。あるときをとこ同志どうしかたならべた。御米およね草履ぞうりいてあとちた。はなしおほくはをとこだけ受持うけもつた。それもながくはなかつた。途中とちゆうまで宗助そうすけ一人ひとりわかれて、自分じぶんうちかへつたからである。

 けれどもかれあたまには其日そのひ印象いんしやうながのこつてゐた。うちかへつて、はひつて、燈火ともしびまへすわつたのちにも、折々をり〳〵いろいたひらたいとして、安井やすゐ御米およね姿すがた眼先めさきにちらついた。それのみかとこつてからは、いもとだとつて紹介せうかいされた御米およねが、はたして本當ほんたういもとであらうかとかんがはじめた。安井やすゐめないかぎり、このうたがひ解決かいけつ容易よういでなかつたけれども、臆斷おくだんはすぐいた。宗助そうすけこの臆斷おくだんゆるすべき餘地よちが、安井やすゐ御米およねあひだ充分じゆうぶん存在そんざいるだらうぐらゐかんがへて、ながら可笑をかしくおもつた。しかもその臆斷おくだんに、はらなか彽徊ていくわいすること馬鹿々々ばか〳〵しいのにいて、わすれた洋燈らんぷやうやくふつとした。

 記憶きおくの、次第しだいしづんで痕迹あとかたもなくなるまで御互おたがひかほずにすごほど宗助そうすけ安井やすゐとは疎遠そゑんではなかつた。二人ふたり毎日まいにち學校がくかう出合であばかりでなく、依然いぜんとして夏休なつやすまへとほ徃來わうらいつゞけてゐた。けれども宗助そうすけくたびに、御米およねかなら挨拶あいさつるとはかぎらなかつた。三べんに一ぺんぐらゐかほせないで、はじめてのときやうに、ひつそりとなりのへやしのんでゐることもあつた。宗助そうすけべつにそれをにもめなかつた。それにもかゝはらず、二人ふたりやうや接近せつきんした。幾何いくばくならずして冗談じようだんほどしたしみが出來できた。

 其内そのうちまたあきた。去年きよねんおな事情じじやうもとに、京都きやうとあきかへ興味きようみとぼしかつた宗助そうすけは、安井やすゐ御米およねさそはれて茸狩たけがりつたときほがらかな空氣くうきのうちにまたあたらしいにほひ見出みいだした。紅葉もみぢ三人さんにんた。嵯峨さがからやまけて高雄たかをある途中とちゆうで、御米およね着物きものすそくつて、長襦袢ながじゆばんだけ足袋たびうへまでいて、ほそかさつゑにした。やまうへから一ちやうしたえるながれにして、みづそこあきらかにとほくからかされたとき御米およね

京都きやうとところね」とつて二人ふたりかへりみた。それを一所いつしよながめた宗助そうすけにも、京都きやうとまつたところやうおもはれた。

 そろつてそとことめづらしくはなかつた。うちなかかほはせることなほしば〳〵あつた。或時あるとき宗助そうすけれいごと安井やすゐたづねたら、安井やすゐ留守るすで、御米およねばかりさみしいあきなかのこされたやう一人ひとりすわつてゐた。宗助そうすけさむしいでせうとつて、つい座敷ざしきあがんで、ひと火鉢ひばち兩側りやうがはかざしながら、おもつたより長話ながばなしをしてかへつた。或時あるとき宗助そうすけがぽかんとして、下宿げしゆくつくゑりかゝつたまゝめづらしく時間じかん使つかかたこまつてゐると、ふと御米およねつてた。其所そこまで買物かひものたから、ついでつたんだとかつて、宗助そうすけすゝめるとほり、ちやんだり菓子くわしべたり、ゆつくりくつろいだはなしをしてかへつた。

 んなことかさなつてくうちに、何時いつにかちて仕舞しまつた。さうしてたかやまいたゞきが、あるあさ眞白まつしろえた。さらしの河原かはらしろくなつて、はしわたひとかげほそうごいた。其年そのとし京都きやうとふゆは、おとてずにはだとほ陰忍いんにんたちのものであつた。安井やすゐこの惡性あくしやう寒氣かんきてられて、ひどいインフルエンザにかゝつた。ねつ普通ふつう風邪かぜよりも餘程よほどたかかつたので、はじめ御米およねおどろいたが、それは一時いちじことで、すぐ退いたには退いたから、これでもう全快ぜんくわいおもふと、何時迄いつまでつても判然はつきりしなかつた。安井やすゐもちやうねつからかれて、毎日まいにちそのきにくるしんだ。

 醫者いしやすこ呼吸器こきふきをかされてゐるやうだからとつて、せつ轉地てんちすゝめた。安井やすゐこゝろならず押入おしいれなか柳行李やなぎがうり麻繩あさなはけた。御米およね手提鞄てさげかばんぢやうおろした。宗助そうすけ二人ふたり七條しちでうまで見送みおくつて、汽車きしやまでへやなか這入はいつて、わざと陽氣やうきはなしをした。プラツトフオームへりたときまどうちから、

あそびに來給きたまへ」と安井やすゐつた。

うぞ是非ぜひ」と御米およねつた。

 汽車きしや血色けつしよく宗助そうすけまへをそろ〳〵ぎて、たちま神戸かうべはうむかつてけむりいた。

 病人びやうにん轉地先てんちさきとしした。繪端書ゑはがきいたから毎日まいにちやうこした。それに何時いつでもあそびにいとかへしていてないことはなかつた。御米およね文字もじも一二ぎやうづゝかならまじつてゐた。宗助そうすけ安井やすゐ御米およねからとゞいた繪端書ゑはがきべつにしてつくゑうへかさねていた。そとからかへるとそれがすぐいた。時々とき〴〵はそれを一まいづゝじゆんなほしたり、見直みなほしたりした。仕舞しまいにもう悉皆すつかりなほつたからかへる。しか折角せつかく此所こゝまでながら、此所こゝきみかほないのは遺憾ゐかんだから、この手紙てがみ次第しだい一寸ちよつといからいといふ端書はがきた。無事ぶじ退屈たいくつ宗助そうすけうごかすには、この十數言すうげん充分じゆうぶんであつた。宗助そうすけ汽車きしや利用りようして其夜そのよのうちに安井やすゐ宿やどいた。

 あかるい燈火ともしびした三人さんにん待設まちまうけたかほはしたとき宗助そうすけなによりも病人びやうにん色澤いろつや回復くわいふくしてこといた。まへよりもかへつてくらゐえた。安井やすゐ自身じしんもそんな心持こゝろもちがするとつて、わざ〳〵襯衣しやつそでまくげて、青筋あをすぢはひつたうでひとりでてゐた。御米およねうれしさうにかゞやかした。宗助そうすけにはその活溌くわつぱつ目遣めづかひことめづらしく受取うけとれた。今迄いままで宗助そうすけこゝろえいじた御米およねは、いろおと撩亂れうらんするなかつてさへ、きはめていてゐた。さうしてそのきの大部分だいぶぶん矢鱈やたらうごかさないはたらきからたとしかおもはれなかつた。

 つぎにんおもてとほいろながうみながめた。まつみきからやに空氣くうきつた。ふゆみじかそら赤裸々せきらゝ横切よこぎつて大人おとなしく西にしちた。ちるときひくくもあかかまどいろめてつた。かぜよるつてもおこらなかつた。たゞ時々とき〴〵まつらしてぎた。あたゝかい宗助そうすけとまつてゐる三日みつかあひだつゞいた。

 宗助そうすけはもつとあそんできたいとつた。御米およねはもつとあそんできませうとつた。安井やすゐ宗助そうすけあそびにたから天氣てんきになつたんだらうとつた。三にんまた行李かうりかばんたづさへて京都きやうとかへつた。ふゆ何事なにごともなく北風きたかぜさむくにつた。やまうへあきらかにしたまだらゆき次第しだいちて、あとからあをいろ一度いちどいた。

 宗助そうすけ當時たうじおもすたびに、自然しぜん進行しんかう其所そこではたりとまつて、自分じぶん御米およねたちま化石くわせきして仕舞しまつたら、かへつてはなかつたらうとおもつた。ことふゆしたからはるあたまもたげる時分じぶんはじまつて、つくしたさくらはな若葉わかばいろへるころをはつた。すべてが生死しやうしたゝかひであつた。青竹あをだけあぶつてあぶらしぼほどくるしみであつた。大風おほかぜ突然とつぜん不用意ふようい二人ふたりたふしたのである。二人ふたりがつたとき何處どこ彼所かしこすですなだらけであつたのである。彼等かれらすなだらけになつた自分達じぶんたちみとめた。けれども何時いつたふされたかをらなかつた。

 世間せけん容赦ようしやなく彼等かれら徳義上とくぎじやうつみ脊負しよはした。しか彼等かれら自身じしん徳義上とくぎじやう良心りやうしんめられるまへに、一旦いつたん茫然ばうぜんとして、彼等かれらあたまたしかであるかをうたがつた。彼等かれら彼等かれらに、不徳義ふとくぎ男女なんによとしてづべくうつまへに、すで不合理ふがふり男女なんによとして、不可思議ふかしぎうつつたのである。其所そこ言譯いひわけらしい言譯いひわけなんにもなかつた。だから其所そこふにしのびない苦痛くつうがあつた。彼等かれら殘酷ざんこく運命うんめい氣紛きまぐれつみもない二人ふたり不意ふいつて、面白おもしろ半分はんぶんおとしあななかおとしたのを無念むねんおもつた。

 曝露ばくろがまともに彼等かれら眉間みけんたとき、彼等かれらすで徳義的とくぎてき痙攣けいれん苦痛くつうつてゐた。彼等かれら蒼白あをしろひたひ素直すなほまへして、其所そこほのお烙印やきいんけた。さうして無形むけいくさりつながれたまゝたづさえて何處どこまでも、一所いつしよ歩調ほてうともにしなければならないこと見出みいだした。彼等かれらおやてた。親類しんるゐてた。友達ともだちてた。おほきくへば一般いつぱん社會しやくわいてた。もしくは夫等それらからてられた。學校がくかうからは無論むろんてられた。たゞ表向おもてむきだけ此方こちらから退學たいがくしたことになつて、形式けいしきうへ人間にんげんらしいあととゞめた。

 これ宗助そうすけ御米およね過去くわこであつた。


十五


 この過去くわこはされた二人ふたりは、廣島ひろしまつてもくるしんだ。福岡ふくをかつてもくるしんだ。東京とうきやうても、依然いぜんとしておもおさえつけられてゐた。佐伯さへきいへとはしたしい關係くわんけいむすべなくなつた。叔父をぢんだ。叔母をば安之助やすのすけはまだきてゐるが、きてゐるあひだけた交際つきあひ出來できないほど、もう冷淡れいたんかさねて仕舞しまつた。今年ことしはまだ歳暮せいぼにもかなかつた。むかふからもなかつた。いへ引取ひきとつた小六ころくさへはらそこではあに敬意けいいはらつてゐなかつた。二人ふたり東京とうきやうたてには、單純たんじゆん小供こどもあたまから、正直しやうぢき御米およねにくんでゐた。御米およねにも宗助そうすけにもそれがわかつてゐた。夫婦ふうふまへみ、つきまへかんがへて、しづかなとしおくむかへた。今年ことしももうきる間際まぎはまでた。

 通町とほりちやうではくれうちから門並揃かどなみそろひ注連飾しめかざりをした。徃來わうらい左右さいうなんぽんとなくならんだ、のきよりたかさゝが、こと〴〵さむかぜかれて、さら〳〵とつた。宗助そうすけも二しやくあまりのほそまつつて、もんはしら釘付くぎづけにした。それからおほきなあかだい〳〵御供おそなへうへせて、とこゑた。とこには如何いかゞはしい墨畫すみゑうめが、はまぐり格好かつかうをしたつきいてかゝつてゐた。宗助そうすけにはこのへんぢくまへに、だい〳〵御供おそなへ意味いみわからなかつた。

一體いつたいこりや、了見れうけんだね」と自分じぶんかざけたものながめながら、御米およねいた。御米およねにも毎年まいとしうする意味いみとんわからなかつた。

らないわ。たゞ左樣さうしてけばいのよ」とつて臺所だいどころつた。宗助そうすけは、

うしていて、つまふためか」とくびかたむけて御供おそなへ位置ゐちなほした。

 伸餠のしもち夜業よなべまないたちやまでして、みんなでつた。庖丁はうちやうりないので、宗助そうすけはじめから仕舞しまひまでさなかつた。ちからのあるだけ小六ころく一番いちばんおほつた。そのかは不同ふどう一番いちばんおほかつた。なかには見掛みかけわるかたちのものもまじつた。へんなのが出來できるたびにきよこゑしてわらつた。小六ころく庖丁はうちやう濡布巾ぬれぶきんあてがつて、かたみゝところりながら、

格好かくかううでも、ひさいすればいんだ」と、うんとちかられてみゝまであかくした。

 そのほか迎年げいねん支度したくとしては、小殿原ごまめつて、煑染にしめ重詰ぢゆうづめにするくらゐなものであつた。大晦日おほみそかつて、宗助そうすけ挨拶あいさつかた〴〵屋賃やちんつて、坂井さかゐいへつた。わざと遠慮ゑんりよして勝手口かつてぐちまはると、摺硝子すりがらすあかるいうつつて、なかはざわ〳〵してゐた。あががまち帳面ちやうめんつてこしけた掛取かけとりらしい小僧こぞうが、つて宗助そうすけ挨拶あいさつをした。ちやには主人しゆじん細君さいくんもゐた。その片隅かたすみ印袢天しるしばんてん出入でいりのものらしいのが、したいて、さい輪飾わかざりをいくつもこしらへてゐた。そば讓葉ゆづりは裏白うらじろ半紙はんしはさみいてあつた。わか下女げぢよ細君さいくんまへすわつて、釣錢つりせんらしいさつ銀貨ぎんくわたゝみならべてゐた。主人しゆじん宗助そうすけて、

「いやうも」とつた。「つまつてさぞ御忙おいそがしいでせう。このとほりごた〳〵です。さあうぞ此方こちらへ。なんですな、御互おたがひ正月しやうぐわつにはもうきましたな。いくら面白おもしろいものでも四十ぺん以上いじやうかへすといやになりますね」

 主人しゆじんとし送迎そうげいわづらはしいやうことつたが、その態度たいどには何處どこしてくさ〳〵したところみとめられなかつた。言葉遣ことばづかひ活溌くわつぱつであつた。かほはつや〳〵してゐた。晩食ばんしよくかたむけたさけいきほひが、まだほゝうへしてゐるごとおもはれた。宗助そうすけもら烟草たばこをして二三十ぷんばかりはなしてかへつた。

 うちでは御米およねきよれてくとかつて、石鹸入しやぼんいれ手拭てぬぐひくるんで、留守居るすゐたのをつとかへりけてゐた。

うなすつたの、隨分ずゐぶんながかつたわね」とつて時計とけいながめた。時計とけいはもう十ちかくであつた。其上そのうへきよもどりに髮結かみゆひところまはつてあたまこしらえるはずださうであつた。閑靜かんせい宗助そうすけ活計くらし大晦日おほみそかにはそれ相應さうおう事件じけんせてた。

はらひはもうみんなんだのかい」と宗助そうすけちながら御米およねいた。御米およねはまだ薪屋まきやが一けんのこつてゐるとこたへた。

たらはらつて頂戴ちやうだい」とつてふところなかからよごれた男持をとこもち紙入かみいれと、銀貨入ぎんくわいれ蟇口がまぐちして、宗助そうすけわたした。

小六ころくうした」とをつとはそれを受取うけとりながらつた。

先刻さつき大晦日おほみそかよる景色けしきるつてつたのよ。隨分ずゐぶん御苦勞ごくらうさまね。このさむいのに」と御米およねあといて、きよおほきなこゑしてわらつた。やがて、

御若おわかいから」とひやうしながら、勝手口かつてぐちつて、御米およね下駄げたそろえた。

何處どこ夜景やけいなんだ」

銀座ぎんざから日本橋通にほんばしどほりのだつて」

 御米およね其時そのときもうかまちからけてゐた。すぐ腰障子こししやうじけるおとがした。宗助そうすけそのおとおくつて、たつた一人ひとり火鉢ひばちまへすわつて、はひになるすみいろながめてゐた。かれあたまには明日あしたまるうつつた。そとまはひと絹帽子きぬばうしひかりえた。洋劍さあべるおとだの、うまいなゝきだの、遣羽子やりはごこゑきこえた。かれいまから數時間すうじかんのちまた年中ねんぢゆう行事ぎやうじのうちで、もつとひとこゝろあらたにすべく仕組しくまれた景物けいぶつ出逢であはなければならなかつた。

 陽氣やうきさうにえるもの、にぎやかさうにえるものが、幾組いくくみとなくかれこゝろまへとほぎたが、そのなかかれひぢつて、一所いつしよ引張ひつぱつかうとするものはひとつもなかつた。かれはたゞ饗宴きやうえんまねかれない局外者きよくぐわいしやとして、こときんじられたごとくに、またことまぬかれたひとであつた。かれ自分じぶん御米およね生命らいふを、毎年まいとし平凡へいぼん波瀾はらんのうちにおく以上いじやうに、面前まのあたりたいした希望きばうつてゐなかつた。かうしていそがしい大晦日おほみそかに、一人ひとりいへまもしづかさが、丁度ちやうどかれ平生へいぜい現實げんじつ代表だいへうしてゐた。

 御米およねは十時過じすぎかへつてた。何時いつもより光澤つやほゝらして、ぬくもりのまだけないえりすこけるやう襦袢じゆばんかさねてゐた。なが襟首えりくびえた。

うもんでんで、あらことをけこと出來できないくらゐなの」とはじめてゆつくりいきいた。

 きよかへつたのは十一時過じすぎであつた。これ綺麗きれいあたま障子しやうじからして、たゞいま、どうもおそくなりましたと挨拶あいさつをしたついでに、あれから二人ふたりとか三人さんにんとかあはしたとはなしをした。

 たゞ小六ころくだけ容易よういかへらなかつた。十二つたとき、宗助そうすけはもうやうとした。御米およね今日けふかぎつて、さきるのもへんなものだとおもつて、出來できだけはなしつないでゐた。小六ころくさいはひにしてもなくかへつた。日本橋にほんばしから銀座ぎんざそれから、水天宮すゐてんぐうはうまはつたところが、電車でんしやんで何臺なんだいはしたためにおそくなつたといふ言譯いひわけをした。

 白牡丹はくぼたん這入はいつて、景物けいぶつ金時計きんどけいでもらうとおもつたが、なにふものがなかつたので、仕方しかたなしにすゞいた御手玉おてだま一箱ひとはこつて、さうしていく百となく器械きかいあげられる風船ふうせんひとつかんだら、金時計きんどけいあたらないで、こんなものがあたつたとつて、たもとから倶樂部くらぶ洗粉あらひこ一袋ひとふくろした。それを御米およねまへいて、

ねえさんにげませう」とつた。それからすゞけたうめはなかたちつた御手玉おてだま宗助そうすけまへいて、

坂井さかゐ御孃おぢやうさんにでも御上おあげなさい」とつた。

 こととぼしい一小家族いちせうかぞく大晦日おほみそかは、それでをはりをげた。


十六


 正月しやうぐわつ二日目ふつかめゆきひきゐ注連飾しめかざりみやこしろくした。んだ屋根やねいろもとかへまへ夫婦ふうふ亞鉛張とたんばりひさしすべおちゆきおと幾遍いくへんおどろかされた。夜半よなかにはどさとひゞきことはなはだしかつた。小路こうぢ泥濘ぬかるみ雨上あめあがりとちがつて一日いちんち二日ふつかでは容易よういかわかなかつた。そとからくつよごしてかへつて宗助そうすけが、御米およねかほるたびに、

こり不可いけない」とひながら玄關げんくわんあがつた。その樣子やうすあたか御米およねみちわるくした責任者せきにんしや見傚みなしてゐるふう受取うけとられるので、御米およね仕舞しまひに、

うもみません。本當ほんたう御氣おきどくさま」とつてわらした。宗助そうすけべつかへすべき冗談じようだんたなかつた。

御米およね此所こゝから出掛でかけるには、何處どこくにも足駄あしだ穿かなくつちやならないやうえるだらう。ところ下町したまちると大違おほちがひだ。どのとほりもどのとほりもから〳〵で、かへつてほこりくらゐだから、足駄あしだなんぞ穿いちやきまりわるくつてあるけやしない。つまりところんでゐる我々われ〳〵は一世紀せいきがたおくれることになるんだね」

 こんなことくちにする宗助そうすけべつ不足ふそくらしいかほもしてゐなかつた。御米およねをつとはなあなくゞ烟草たばこけむながめるくらゐで、それをいてゐた。

坂井さかゐさんへつて、さうつてらつしやいな」とかる返事へんじをした。

「さうして屋賃やちんでもけてもらことにしやう」とこたへたまゝ宗助そうすけはついに坂井さかゐへはかなかつた。

 その坂井さかゐには元日ぐわんじつあさはや名刺めいしんだだけで、わざと主人しゆじんかほずにもんたが、義理ぎりのあるところ一日いちにちのうちにほゞ片付かたづけ夕方ゆふがたかへつてると、留守るすあひだに、坂井さかゐがちやんとてゐたので恐縮きようしゆくした。二日ふつかゆきつただけ何事なにごともなくぎた。三日目みつかめ日暮ひくれ下女げぢよ使つかひて、御閑おひまならば、旦那樣だんなさまおくさまと、それから若旦那樣わかだんなさま是非ぜひ今晩こんばん御遊おあそびにらつしやるやうにとつてかへつた。

なにをするんだらう」と宗助そうすけうたぐつた。

屹度きつと歌加留多うたがるたでせう。小供こどもおほいから」と御米およねつた。「貴方あなたつてらつしやい」

折角せつかくだから御前おまへくがい。おれ歌留多かるたひさしくらないから駄目だめだ」

わたくしひさしくらないから駄目だめですわ」

 二人ふたり容易よういかうとはしなかつた。仕舞しまひに、では若旦那わかだんながみんなを代表だいへうしてくがからうといふことになつた。

若旦那わかだんなつてい」と宗助そうすけ小六ころくつた。小六ころく苦笑にがわらひしてつた。夫婦ふうふ若旦那わかだんな小六ころくかむらせること大變たいへん滑稽こつけいのやうにかんじた。若旦那わかだんなばれて、苦笑にがわらひする小六ころくかほると、ひとしくこゑしてわらした。小六ころくはるらしい空氣くうきうちからた。さうして一ちやうほどさむさを横切よこぎつて、またはるらしい電燈でんとうもとすわつた。

 其晩そのばん小六ころく大晦日おほみそかつたうめはな御手玉おてだまたもとれて、これあにから差上さしあげますとわざ〳〵ことわつて、坂井さかゐ御孃おぢやうさんに贈物おくりものにした。そのかはかへりには、福引ふくびきあたつたちひさな裸人形はだかにんぎやうおなたもとれてた。その人形にんぎやうひたひすこけて、其所そこだけすみつてあつた。小六ころく眞面目まじめかほをして、これ袖萩そではぎださうですとつて、それを兄夫婦あにふうふまへいた。何故なぜ袖萩そではぎだか夫婦ふうふにはわからなかつた。小六ころくには無論むろんわからなかつたのを、坂井さかゐおくさんが叮嚀ていねい説明せつめいしてれたさうであるが、それでもちなかつたので、主人しゆじんがわざ〳〵半切はんきれ洒落しやれ本文ほんもんならべていて、かへつたらこれにいさんとねえさんに御見おみせなさいとつてわたしたとかいふはなしであつた。小六ころくたもとさぐつてその書付かきつけしてせた。それに「このかき一重ひとへ黒鐵くろがねの」としたゝめたあと括弧くわつこをして、(この餓鬼がきひたへ黒缺くろがけの)とつけくはへてあつたので、宗助そうすけ御米およねまたはるらしいわらひらした。

隨分ずゐぶんねんつた趣向しゆかうだね。一體いつたいだれかんがへだい」とあにいた。

だれですかな」と小六ころくつまらなさうなかほをして、人形にんぎやう其所そこはふしたまゝ自分じぶんへやかへつた。

 それから二三にちして、たしか七日なぬか夕方ゆふがたに、またれい坂井さかゐ下女げぢよて、もし御閑おひまならうぞ御話おはなしにと、叮嚀ていねい主人しゆじんめいつたへた。宗助そうすけ御米およね洋燈らんぷけて丁度ちやうど晩食ばんめしはじめたところであつた。宗助そうすけ其時そのとき茶碗ちやわんちながら、

はるやうやく一段落いちだんらくいた」とかたつてゐた。そこへきよ坂井さかゐからの口上こうじやういだので、御米およねをつとかほ微笑びせうした。宗助そうすけ茶碗ちやわんいて、

「まだなにもよふしがあるのかい」とすこ迷惑めいわくさうなまゆをした。坂井さかゐ下女げぢよいてると、べつ來客らいきやくもなければ、なん支度したくもないといふことであつた。其上そのうへ細君さいくん子供こどもれて親類しんるゐばれてつて留守るすだといふはなしまでした。

「それぢやかう」とつて宗助そうすけ出掛でかけた。宗助そうすけ一般いつぱん社交しやかうきらつてゐた。やむなければ會合くわいがふせきなどへかほをとこでなかつた。個人こじんとしての朋友ともだちおほくはもとめなかつた。訪問はうもんはするひまたなかつた。たゞ坂井さかゐだけ取除とりのけであつた。折々をり〳〵ようもないのに此方こつちからわざ〳〵出掛でかけてつて、ときつぶしてことさへあつた。そのくせ坂井さかゐなかもつと社交的しやかうてきひとであつた。この社交的しやかうてき坂井さかゐと、孤獨こどく宗助そうすけ二人ふたりつてはなし出來できるのは、御米およねにさへめうえる現象げんしやうであつた。坂井さかゐは、

彼方あつちきませう」とつて、ちやとほして、廊下らうかづたひにちひさな書齋しよさいはひつた。其所そこには棕梠しゆろふでいたやうな、おほきなこはが五ばかりとこかゝつてゐた。たなうへ見事みごとしろ牡丹ぼたんけてあつた。そのほかつくゑでも蒲團ふとんでもこと〴〵綺麗きれいであつた。坂井さかゐはじくら入口いりくちつて、

「さあうぞ」とひながら、何所どこかぴちりとひねつて、電氣燈でんきとうけた。それから、

一寸ちよつとたまへ」とつて、燐寸まつち瓦斯ガス煖爐だんろいた。瓦斯ガス煖爐だんろへや比例ひれいしたごくちひさいものであつた。坂井さかゐはしかるのち蒲團ふとんすゝめた。

これぼく洞窟どうくつで、面倒めんだうになると此所こゝ避難ひなんするんです」

 宗助そうすけあつ綿わたうへで、一種いつしゆしづかさをかんじた。瓦斯ガスえるおとかすかにして次第しだい脊中せなかからほか〳〵あたゝまつてた。

此所こゝにゐると、もう何所どことも交渉かうせふはない。まつた氣樂きらくです。ゆつくりしてらつしやい。實際じつさい正月しやうぐわつふものは豫想外よさうぐわい煩瑣うるさいものですね。わたくし昨日きのふまでほとんどへと〳〵に降參かうさんさせられました。新年しんねん停滯もたれてゐるのはじつくるしいですよ。それ今日けふひるから、とう〳〵塵世ぢんせいとほざけて、病氣びやうきになつてぐつと寐込ねこんぢまいました。いましがたまして、はひつて、それからめしつて、烟草たばこんで、いてると、家内かない子供こどもれて親類しんるゐつて留守るすなんでせう。成程なるほどしづかなはずだとおもひましてね。すると今度こんどきふ退屈たいくつになつたのです。人間にんげん隨分ずゐぶん我儘わがまゝなものですよ。しかしいくら退屈たいくつだつて、此上このうへ御目出おめでたいものを、たりいたりしちやほねれますし、また御正月おしやうぐわつらしいものをんだりつたりするのもおそれますから、それで、御正月おしやうぐわつらしくない、とふと失禮しつれいだが、まあなかとあまりえんのない貴方あなた、とつてもまだ失敬しつけいかもれないが、つまり一口ひとくちふと、超然派てうぜんは一人いちにんはなしがしてたくなつたんで、それでわざ〳〵使つかひげたやうわけなんです」と坂井さかゐれい調子てうしで、こと〴〵くすら〳〵したものであつた。宗助そうすけこの樂天家らくてんかまへでは、よく自分じぶん過去くわこわすれることがあつた。さうしてときによると、自分じぶんがもし順當じゆんたう發展はつてんしてたら、んな人物じんぶつになりはしなかつたらうかとかんがへた。

 其所そこ下女げぢよが三じやくせま入口いりぐちけて這入はいつてたが、あらためて宗助そうすけ鄭重ていちよう御辭儀おじぎをしたうへ木皿きざらやう菓子皿くわしざらやうなものを、ひとまへいた。それからおなものをもうひと主人しゆじんまへいて、一口ひとくちもものをはずに退がつた。木皿きざらうへには護謨毬ごむまりほどなおほきな田舍饅頭ゐなかまんぢゆうひとせてあつた。それに普通ふつうばい以上いじやうもあらうとおもはれる楊枝やうじへてあつた。

うですあつたかいうちに」と主人しゆじんつたので、宗助そうすけはじめてこの饅頭まんぢゆうしてもないあたらしさにいた。めづらしさうに黄色きいろかはながめた。

「いや出來できたてぢやありません」と主人しゆじんまたつた。「じつ昨夜さくやあるところつて、冗談じようだん半分はんぶんめたら、御土産おみやげつてらつしやいとふからもらつてたんです。其時そのときまつたあつたかだつたんですがね。これはいまげやうとおもつてかへさしたのです」

 主人しゆじんはしとも楊枝やうじともかたかないもので、無雜作むざふさ饅頭まんぢゆうつて、むしや〳〵はじめた。宗助そうすけひんならつた。

 そのあひだ主人しゆじん昨夕ゆうべつた料理屋れうりやつたとかつてめう藝者げいしやはなしをした。この藝者げいしやはポツケツト論語ろんごきで、汽車きしやつたりあそびにつたりするときは、何時いつでもそれをふところにしてるさうであつた。

「それでね孔子こうし門人もんじんのうちで、子路しろ一番いちばんすきだつてふんですがね。その所謂いはれくと、子路しろをとこは、ひとなにをすはつて、それをまだおこなはないうちに、またあたらしいことくとにするほど正直しやうぢきだからだつてふんです。じつところわたし子路しろはあまりよくらないからこまつたが、なにしろ一人ひとりひと出來できて、それと夫婦ふうふにならないまへに、またあたらしくひと出來できるとになるやうなものぢやないかつて、いてたんです……」

 主人しゆじんんなことはなは氣樂きらくさうにてた。そのはなし樣子やうすからしてかんがへると、かれはのべつにういふ場所ばしよ出入しつにふして、その刺戟しげきにはとうに麻痺まひしながら、因習いんしふ結果けつくわ依然いぜんとしてつき何度なんどとなくおなことかへしてゐるらしかつた。よくたゞしてると、しかく平氣へいきをとこも、時々とき〴〵歡樂くわんらく飽滿はうまん疲勞ひらうして、書齋しよさいのなかで精神せいしんやすめる必要ひつえうおこるのださうであつた。

 宗助そうすけはさういふ方面はうめんまる經驗けいけんのないをとこではなかつたので、ひて興味きようみよそほ必要ひつえうもなく、たゞ尋常じんじやう挨拶あいさつをするところが、かへつて主人しゆじんるらしかつた。かれ平凡へいぼん宗助そうすけ言葉ことばのなかから、一種いつしゆ異彩いさいのある過去くわこのぞやう素振そぶりせた。しかしそちらへは宗助そうすけすゝみたがらない痕迹こんせきすこしでもると、すぐはなしてんじた。それは政略せいりやくよりもむし禮讓れいじやうからであつた。したがつて宗助そうすけにはがう不愉快ふゆくわいあたへなかつた。

 其内そのうち小六ころくうはさた。主人しゆじんこの青年せいねんいて、肉身にくしんあに見逃みのがやうあたらしい觀察くわんさつを、二三つてゐた。宗助そうすけ主人しゆじん評語ひやうごを、あたるとあたらないとにろんなく、面白おもしろいた。そのなかに、かれとしはしては複雜ふくざつ實用じつようてきしないあたまつてゐながら、としよりもわか單純たんじゆん性情せいじやう平氣へいきあらはす子供こどもぢやないかといふ質問しつもんがあつた。宗助そうすけはすぐそれを首肯うけがつた。しか學校教育がくかうけういくだけ社會教育しやくわいけういくのないものは、いくらとしつてもそのかたむきがあるだらうとこたへた。

左樣さやう、それと反對はんたいで、社會教育しやくわいけういくだけあつて學校教育がくかうけういくのないものは、隨分ずゐぶん複雜ふくざつ性情せいじやう發揮はつきするかはりに、あたま何時いつまで小供こどもですからね。かへつて始末しまつわるいかもれない」

 主人しゆじん此所こゝ一寸ちよつとわらつたが、やがて、

うです、わたしところ書生しよせいこしちや、すこしは社會教育しやくわいけういくになるかもれない」とつた。主人しゆじん書生しよせいかれいぬ病氣びやうき病院びやうゐん這入はいる一ヶげつまへとかに、徴兵檢査ちようへいけんさ合格がふかくして入營にふえいしたぎりいまでは一人ひとりもゐないのださうであつた。

 宗助そうすけ小六ころく所置しよちける好機會かうきくわいが、もとめざるにさきだつて、はるともおのづからめぐつてたのをよろこんだ。同時どうじに、いままで世間せけんむかつて、積極的せききよくてき好意かうい親切しんせつ要求えうきうする勇氣ゆうきたなかつたかれは、突然とつぜんこの主人しゆじんまをいでつてすこ間誤まごつくくらゐおどろいた。けれども出來できるなら成丈なりたけはやおとうと坂井さかゐあづけていて、この變動へんどうから自分じぶん餘裕よゆうに、幾分いくぶん安之助やすのすけ補助ほじよして、さうして本人ほんにん希望きばうどほり、高等かうとう教育けういくけさしてやらうといふ分別ふんべつをした。そこでけたはなし腹藏ふくざうなく主人しゆじんにすると、主人しゆじん成程々々なるほど〳〵いてゐるだけであつたが、仕舞しまひ雜作ざふさなく、

「そいつはいでせう」とつたので、相談さうだんほゞそのまとまつた。

 宗助そうすけ其所そこしてかへればかつたのである。またしてかへらうとしたのである。ところ主人しゆじんからまあゆつくりなさいとつてめられた。主人しゆじんながい、まだよいだとつて時計とけいまでしてせた。實際じつさいかれ退屈たいくつらしかつた。宗助そうすけかへればたゞるよりほかようのない身體からだなので、ついまたしりゑて、烟草たばこあたらしくかしはじめた。仕舞しまひには主人しゆじんれいならつて、やはらかい坐蒲團ざぶとんうへひざさへくづした。

 主人しゆじん小六ころくこと關聯くわんれんして、

「いやおとゝなどをつてゐると、隨分ずゐぶん厄介やくかいなものですよ。わたくし一人ひとりやくざなのを世話せわをしたおぼえがありますがね」とつて、自分じぶんおとうと大學だいがくにゐるときかねかゝつたことなどを、自分じぶん學生時代がくせいじだい質朴しつぼくさにくらべて色々いろ〳〵はなした。宗助そうすけこの派出好はでずきおとうとが、其後そのごんな徑路けいろつて、發展はつてんしたかを、氣味きみわる運命うんめい意思いしうかゞ一端いつたんとして、主人しゆじんいてた。主人しゆじん卒然そつぜん

冒險者アドヹンチユアラー」と、あたましつぽもない一げるやういた。

 このおとうと卒業後そつげふご主人しゆじん紹介せうかいで、ある銀行ぎんかう這入はいつたが、なんでもかねまうけなくつちや不可いけないと口癖くちくせやうつてゐたさうで、日露戰爭後にちろせんさうごもなく、主人しゆじんめるのもかずに、おほいに發展はつてんしてたいとかとなへてつひ滿洲まんしうわたつたのだとふ。其所そこなにはじめるかとおもふと、遼河れうが利用りようして、豆粕大豆まめかすだいづふねくだす、大仕掛おほじかけ運送業うんそうげふ經營けいえいして、たちま失敗しつぱいしてしまつたのださうである。もとより當人たうにんは、資本主しほんぬしではなかつたのだけれども、いよ〳〵といふあかつきに、勘定かんぢやうしてるとおほきな缺損けつそんこときまつたので、無論むろん事業じげふ繼續けいぞくするわけかず、當人たうにん必然ひつぜん結果けつくわ地位ちゐうしなつたぎりになつた。

「それからあとわたしうしたからなかつたんですが、其後そののちやうやいてると、おどろきましたね。蒙古もうこ這入はいつて漂浪うろついてゐるんです。何處どこまで山氣やまぎがあるんだかわからないんで、わたし少々せう〳〵劍呑けんのんになつてるんですよ。それでもはなれてゐるうちは、まあうかしてゐるだらうぐらゐおもつてはふつてきます。ときたま音便たよりがあつたつて、蒙古もうこといふところは、みづとぼしいところで、あつときには徃來わうらい泥溝どぶみづくとかね、またはその泥溝どぶみづくなると、今度こんどうま小便せうべんくとか、したがつてはなはくさいとか、まあそんな手紙てがみだけですから、──そりあかねことつてますが、なに東京とうきやう蒙古もうこだから打遣うちやつてけば夫迄それまでです。だからはなれてさへゐれば、まあいんですが、其奴そいつ去年きよねんくれ突然とつぜんましてね」

 主人しゆじんおもいたやうに、とこはしらけた、綺麗きれいふさいた一種いつしゆ裝飾物さうしよくぶつおろした。

 それはにしきふくろ這入はいつた一しやくばかりのかたなであつた。さやなにともれぬ緑色みどりいろ雲母きらゝやうなもので出來できてゐて、その所々ところ〴〵が三ヶしよほどぎんいてあつた。中身なかみは六すんぐらゐしかなかつた。したがつてうすかつた。けれどもさや格好かつかうあたか六角ろくかくかしぼうやうあつかつた。よくると、つかうしろほそぼうが二ほんならんでさつてゐた。結果けつくわさやかさねてはなれないためぎん鉢卷はちまきをしたとおなじであつた。主人しゆじん

土産みやげにこんなものをつてました。蒙古刀もうこたうださうです」とひながら、すぐいてせた。うしろしてあつた象牙ざうげやうぼうも二ほんいてせた。

こりはしですよ。蒙古人もうこじん始終しじゆうこれこしへぶらげてゐて、いざ御馳走ごちそうといふだんになると、このかたないてにくつて、さうしてこのはしそばからうんださうです」

 主人しゆじんはことさらにかたなはし兩手りやうてつて、つたりつたりする眞似まねをしてせた。宗助そうすけはひたすらにその精巧せいかうつくりをながめた。

「まだ蒙古人もうこじん天幕てんと使つかふフエルトももらひましたが、まあむかし毛氈まうせんかはつたところもありませんね」

 主人しゆじん蒙古人もうこじん上手じやうずうまあつかことや、蒙古犬もうこいぬせて細長ほそながくて、西洋せいやうのグレー、ハウンドにてゐることや、彼等かれら支那人しなじんのために段々だん〳〵せばめられてことや、──すべ近頃ちかごろ彼地あつちからかへつたといふおとうといたまゝ宗助そうすけはなした。宗助そうすけまた自分じぶんいまかつみゝにしたことのないはなしだけに、一々いち〳〵すくなからぬ興味きようみつてそれをいてつた。そのうちに、元來ぐわんらいこのおとうと蒙古もうこなにをしてゐるのだらうといふ好奇心かうきしんた。そこで一寸ちよつと主人しゆじんたづねてると、主人しゆじんは、

冒險者アドヹンチユアラー」とふたゝ先刻さつき言葉ことば力強ちからづよかへした。「なにをしてゐるかわからない。わたくしには、牧畜ぼくちくをやつてゐます。しかも成功せいこうしてゐますとふんですがね、一向いつかうあてにはなりません。今迄いままでもよく法螺ほらいてわたくしだましたもんです。それに今度こんど東京とうきやう用事ようじふのがぽどめうです。なんとか蒙古王もうこわうのために、かねを二萬圓まんゑんばかりりたい。もししてやらないと自分じぶん信用しんようかゝわるつて奔走ほんそうしてゐるんですからね。その取始とつぱじめつかまつたのはわたくしだが、いくら蒙古王もうこわうだつて、いくらひろ土地とち抵當ていたうにするつたつて、蒙古もうこ東京とうきやうぢや催促さいそくさへ出來できやしませんもの。で、わたくしことわると、かげまはつてさいに、にいさんはあれだからおほきな仕事しごと出來できつこないつて、威張ゐばつてゐるんです。仕樣しやうがない」

 主人しゆじん此所こゝすこわらつたが、めう緊張きんちやうした宗助そうすけかほて、

うです一ぺんつて御覽ごらんになつちや、わざ〳〵毛皮けがはいただぶ〳〵したものなんかて、一寸ちよつと面白おもしろいですよ。なんなら御紹介ごせうかいしませう。丁度ちやうど明後日あさつてばんんでめしはせることになつてゐるから。──なにかゝつちや不可いけませんがね。だまつてむかふ喋舌しやべらして、いてゐるぶんには、すこしも危險きけんはありません。たゞ面白おもしろだけです」としきりにすゝした。宗助そうすけ多少たせうこゝろうごかした。

御出おいでになるのは御令弟ごれいていだけですか」

「いやほか一人ひとりおとゝ友達ともだちむかふから一所いつしよたものが、はずになつてゐます。安井やすゐとかつてわたくしはまだつたこともないをとこですが、おとゝしきりわたくし紹介せうかいしたがるから、じつはそれで二人ふたりことにしたんです」

 宗助そうすけ其夜そのよあをかほをして坂井さかゐもんた。


十七


 宗助そうすけ御米およね一生いつしやうくらいろどつた關係くわんけいは、二人ふたりかげうすくして、幽靈いうれいやうおもひ何所どこかにいだかしめた。彼等かれら自己じここゝろのある部分ぶぶんに、ひとえない結核性けつかくせいおそろしいものがひそんでゐるのを、ほのかに自覺じかくしながら、わざとらぬがほたがひつてとしすごした。

 當初たうしよ彼等かれら頭腦づなういたこたへたのは、彼等かれらあやまち安井やすゐ前途ぜんとおよぼした影響えいきやうであつた。二人ふたりあたまなかかへつたすごあわやうなものがやうやしづまつたとき二人ふたり安井やすゐまた半途はんと學校がくかう退しりぞいたといふ消息せうそくみゝにした。彼等かれらもとより安井やすゐ前途ぜんときずつけた原因げんいんをなしたにちがひなかつた。つぎ安井やすゐ郷里きやうりかへつたといふうはさいた。つぎ病氣びやうきかゝつていへてゐるといふ報知しらせた。二人ふたりはそれをくたびにおもむねいためた。最後さいご安井やすゐ滿洲まんしうつたと音信たよりた。宗助そうすけはらなかで、病氣びやうきはもうなほつたのだらうかとおもつた。また滿洲まんしうゆきはううそではなからうかとかんがへた。安井やすゐ身體からだからつても、性質せいしつからつても、滿洲まんしう臺灣たいわんをとこではなかつたからである。宗助そうすけ出來できだけまはして、こと眞疑しんぎさぐつた。さうして、關係くわんけいから、安井やすゐがたしかに奉天ほうてんにゐることたしかた。同時どうじかれ健康けんかうで、活溌くわつぱつで、多忙たばうであることたしかた。其時そのとき夫婦ふうふかほ見合みあはせて、ほつといふいきいた。

「まあからう」と宗助そうすけつた。

病氣びやうきよりはね」と御米およねつた。

 二人ふたりそれから以後いご安井やすゐくちにするのをけた。かんがことさへもあへてしなかつた。彼等かれら安井やすゐ半途はんと退學たいがくさせ、郷里きやうりかへらせ、病氣びやうきかゝらせ、もしくは滿洲まんしうつたつみたいして、如何いか悔恨くわいこんくるしみをかさねても、うすること出來できない地位ちゐつてゐたからである。

御米およね御前おまへ信仰しんかうこゝろおこつたことがあるかい」と或時あるとき宗助そうすけ御米およねいた。御米およねは、たゞ、

「あるわ」とこたへただけで、すぐ「貴方あなたは」とかへした。

 宗助そうすけ薄笑うすわらひをしたぎり、なんともこたへなかつた。其代そのかはして、御米およね信仰しんかういて、くはしい質問しつもんけなかつた。御米およねには、それが仕合しあはせかもれなかつた。彼女かのぢよはその方面はうめんに、これといふほど判然はつきりしたとゝのつた何物なにものつてゐなかつたからである。二人ふたり兎角とかくして會堂くわいだう腰掛べんちにもらず、寺院じゐんもんくゞらずにぎた。さうしてたゞ自然しぜんめぐみから月日つきひ緩和劑くわんわざいちからだけで、やうやいた。時々とき〴〵とほくから不意ふいあらはれるうつたへも、くるしみとかおそれとかいふ殘酷ざんこくけるには、あまりかすかに、あまりうすく、あまりに肉體にくたい慾得よくとくはなぎるやうになつた。必竟ひつきやうずるに、彼等かれら信仰しんかうは、かみなかつたため、ほとけはなかつたため、たがひ目標めじるしとしてはたらいた。たがひつて、まるゑんゑがはじめた。彼等かれら生活せいくわつさみしいなりにいてた。そのさみしいきのうちに、一種いつしゆあま悲哀ひあいあぢはつた。文藝ぶんげいにも哲學てつがくにもゑんのない彼等かれらは、このあぢつくしながら、自分じぶん自分じぶん状態じやうたい得意とくいがつて自覺じかくするほど知識ちしきたなかつたから、おな境遇きやうぐうにある詩人しじん文人ぶんじんなどよりも、一層いつそう純粹じゆんすゐであつた。──これ七日なのかばん坂井さかゐばれて、安井やすゐ消息せうそくまで夫婦ふうふ有樣ありさまであつた。

 其夜そのよ宗助そうすけいへかへつて御米およねかほるやいなや、

すこ具合ぐあひわるいから、すぐよう」とつて、火鉢ひばちりながら、かえりけてゐた御米およねおどろかした。

うなすつたの」と御米およねげて宗助そうすけながめた。宗助そうすけ其所そこつてゐた。

 宗助そうすけそとからかへつてて、こんなふうをするのは、ほとんど御米およね記憶きおくにないくらゐめづらしかつた。御米およね卒然そつぜんなにともれない恐怖きようふねんおそはれたごとくにがつたが、ほとんど器械的きかいてきに、戸棚とだなから夜具蒲團やぐふとんして、をつとどほとこはじめた。そのあひだ宗助そうすけ懷手ふところでをしてそばつてゐた。さうしてとこけるやいなや、そこ〳〵に着物きものてゝ、すぐ其中そのなかもぐんだ。御米およね枕元まくらもとはななかつた。

うなすつたの」

なんだか、すこ心持こゝろもちわるい。しばらくうしてつとしてゐたら、くなるだらう」

 宗助そうすけこたへなか夜着よぎしたからた。そのこゑこもつたやう御米およねみゝひゞいたとき御米およねまないかほをして、枕元まくらもとすわつたなりうごかなかつた。

彼所あつちつててもいよ。ようがあればぶから」

 御米およねやうやちやかへつた。

 宗助そうすけ夜具やぐかぶつたまゝ、ひとりかたくなつてねむつてゐた。かれこのくらなかで、坂井さかゐからいたはなし何度なんどとなく反覆はんぷくした。かれ滿洲まんしうにゐる安井やすゐ消息せうそくを、家主やぬしたる坂井さかゐくちとほしてらうとは、いまいままで豫期よきしてゐなかつた。もうすこしのことで、その安井やすゐおな家主やぬしいへ同時どうじまねかれて、となあはせか、むかあはせにすわ運命うんめいにならうとは、今夜こんや晩食ばんめしすままでゆめにもおもけなかつた。かれながら過去くわこ二三時間じかん經過けいくわかんがへて、そのクライマツクスが突如とつじよとして如何いかにも不意ふいおこつたのを不思議ふしぎかんじた。かつかなしくかんじた。かれこれほど偶然ぐうぜん出來事できごとりて、うしろからことわりなしに足絡あしがらけなければ、たふこと出來できないほどつよいものとは、自分じぶんながらにんじてゐなかつたのである。自分じぶんやうよわをとこはふすには、もつと穩當をんたう手段しゆだん澤山たくさんでありさうなものだとしんじてゐたのである。

 小六ころくから坂井さかゐおとうと、それから滿洲まんしう蒙古もうこ出京しゆつきやう安井やすゐ、──談話だんわあと辿たどれば辿たどほど偶然ぐうぜんはあまりにはなはだしかつた。過去くわこ痛恨つうこんあらたにすべく、普通ふつうひと滅多めつた出逢であはないこの偶然ぐうぜん出逢であふために、千百にんのうちからされなければならないほど人物じんぶつであつたかとおもふと、宗助そうすけくるしかつた。また腹立はらだゝしかつた。かれくら夜着よぎなかあついきいた。

 この二三ねん月日つきひやうやなほけた創口きずぐちが、きふうづはじめた。うづくにれてほてつてた。ふたゝ創口きずぐちけて、どくのあるかぜ容赦ようしやなくみさうになつた。宗助そうすけ一層いつそのこと、萬事ばんじ御米およねけて、ともくるしみをわかつてもらはうかとおもつた。

御米およね御米およね」と二聲ふたこゑんだ。

 御米およねはすぐ枕元まくらもとて、うへからのぞむやうに宗助そうすけた。宗助そうすけ夜具やぐえりからかほまつたした。つぎ御米およねほゝ半分はんぶんらしてゐた。

あつを一ぱいもらはう」

 宗助そうすけはとう〳〵はうとしたこと勇氣ゆうきうしなつて、うそいて胡魔化ごまかした。

 翌日よくじつ宗助そうすけれいごときて、平日へいじつかはことなく食事しよくじました。さうして給仕きふじをしてれる御米およねかほに、多少たせう安心あんしんいろえたのを、うれしいやうあはれなやう一種いつしゆ情緒じやうしよもつながめた。

昨夕ゆうべおどろいたわ。うなすつたのかとおもつて」

 宗助そうすけしたいて茶碗ちやわんいだちやんだだけであつた。なんこたへていゝか、適當てきたう言葉ことば見出みいださなかつたからである。

 そのあさからからかぜすさんで、折々をり〳〵ほこりともひとばううばつた。ねつがあるとわるいから、一にちやすんだらと御米およね心配しんぱいてにして、れいとほ電車でんしやつた宗助そうすけは、かぜおとくるまおとなかくびちゞめて、たゞひとところ見詰みつめてゐた。りるとき、ひゆうといふおとがして、あたまうへ針線はりがねつたのにいて、そらたら、この猛烈まうれつ自然しぜんちからくるあひだに、何時いつもよりあきらかながのそりとてゐた。かぜ洋袴ずぼんまたつめたくしてぎた。宗助そうすけにはそのすないてむかふのほりはうすゝんでかげが、なゝめにかれるあめあしやう判然はつきりえた。

 役所やくしよではようかなかつた。ふでつて頬杖ほゝづゑいたまゝなにかんがへた。時々とき〴〵不必要ふひつえうすみみだりにろした。烟草たばこ無暗むやみんだ。さうしては、おもしたやう窓硝子まどがらすとほしてそとながめた。そとるたびにかぜ世界せかいであつた。宗助そうすけはたゞはやかへりたかつた。

 やうや時間じかんうちかへつたとき、御米およね不安ふあんらしく宗助そうすけかほて、

うもなくつて」といた。宗助そうすけやむず、うもないが、たゞつかれたとこたへて、すぐ炬燵こたつなかはひつたなり、晩食ばんめしまでうごかなかつた。其内そのうちかぜともちた。ひる反動はんどう四隣あたりきふにひつそりしづまつた。

案排あんばいね、かぜくなつて。晝間ひるまやうかれると、うちすわつてゐてもなんだか氣味きみわるくつて仕樣しやうがないわ」

 御米およね言葉ことばには、魔物まものでもあるかのやうに、かぜおそれる調子てうしがあつた。宗助そうすけいて、

今夜こんやすこあつたかいやうだね。おだやかで御正月おしやうぐわつだ」とつた。めしまして烟草たばこを一ぽんだんになつて、突然とつぜん

御米およね寄席よせへでもつてやうか」とめづらしく細君さいくんさそつた。御米およね無論むろんいな理由りいうたなかつた。小六ころく義太夫ぎだいふなどをくより、うちもちでもいてつたはう勝手かつてだといふので、留守るすたのんで二人ふたりた。

 すこ時間じかんおくれたので、寄席よせ一杯いつぱいであつた。二人ふたり坐蒲團ざぶとん餘地よちもない一番いちばんうしろはうに、立膝たてひざをするやうましてもらつた。

大變たいへんひとね」

はるだからはひるんだらう」

 二人ふたり小聲こごゑはなしながら、おほきな部屋へやにぎつしりつまつたひとあたま見回みまはした。そのあたまのうちで、高座かうざちかまへはうは、烟草たばこけむりかすんでゐるやうにぼんやりえた。宗助そうすけにはこの累々るゐ〳〵たるくろいものが、こと〴〵娯樂ごらくせきて、面白おもしろ半夜はんやつぶこと出來でき餘裕よゆうのあるひとらしくおもはれた。かれかほてもうらやましかつた。

 かれ高座かうざはう正視せいしして、熱心ねつしん淨瑠璃じやうるりかうとつとめた。けれどもいくらつとめても面白おもしろくならなかつた。時々とき〴〵らして、御米およねかほぬすた。るたびに御米およね視線しせんたゞしいところいてゐた。そばをつとのゐることほとんどわすれて眞面目まじめいてゐるらしかつた。宗助そうすけうらやましいひとのうちに御米およねまで勘定かんぢやうしなければならなかつた。

 中入なかいりとき宗助そうすけ御米およねに、

うだ、もうかへらうか」とけた。御米およねその唐突たうとつなのにおどろかされた。

いやなの」といた。宗助そうすけなんともこたへなかつた。御米およねは、

うでもいわ」と半分はんぶんをつとさからはないやう挨拶あいさつをした。宗助そうすけ折角せつかくれて御米およねたいして、かへつてどくこゝろおこつた。とう〳〵仕舞しまひまで辛抱しんばうしてすわつてゐた。

 うちかへると、小六ころく火鉢ひばちまへ胡坐あぐらいて、脊表紙せべうしかへるのもかまはずに、つたほんうへからかざしてんでゐた。鐵瓶てつびんわきおろしたなり生温なまぬるくめてしまつた。ぼんうへあまりのもち三切みきれ四片よきれせてあつた。あみしたから小皿こざらのこつた醤油しやうゆいろえた。

 小六ころくせきつて、

面白おもしろかつたですか」といた。夫婦ふうふは十ぷんほど身體からだ炬燵こたつあたゝめたうへすぐとこはひつた。

 翌日よくじつになつても宗助そうすけこゝろ落付おちつきなかつたことは、ほゞまへおなじであつた。役所やくしよ退けて、れいとほ電車でんしやつたが、今夜こんや自分じぶん前後ぜんごして、安井やすゐ坂井さかゐいへきやくるとこと想像さうざうすると、うしても、わざ〳〵そのひと接近せつきんするために、こんな速力そくりよくで、うちかへつてくのが不合理ふがふりおもはれた。同時どうじ安井やすゐはそのんなに變化へんくわしたらうとおもふと、餘所よそから一目ひとめかれ樣子やうすながめたくもあつた。

 坂井さかゐ一昨日をとゝひばん自分じぶんおとゝひやうして、一口ひとくちに「冒險者アドヹンチユアラー」とつた、そのおんいま宗助そうすけみゝたかひゞわたつた。宗助そうすけこの一語いちごなかに、あらゆる自暴じばう自棄じきと、不平ふへい憎惡ぞうをと、亂倫らんりん悖徳はいとくと、盲斷まうだん決行けつかうとを想像さうざうして、是等これら一角いつかくれなければならないほど坂井さかゐおとうとと、それと利害りがいともにすべく滿洲まんしうから一所いつしよ安井やすゐが、如何いかなる程度ていど人物じんぶつになつたかを、あたまなかゑがいてた。ゑがかれた無論むろん冒險者アドヹンチユアラー字面じめんゆる範圍内はんゐないで、もつとつよ色彩しきさいびたものであつた。

 斯樣かやうに、墮落だらく方面はうめんをとくに誇張こちやうした冒險者アドヹンチユアラーあたまなかこしらあげ宗助そうすけは、その責任せきにん自身じしん一人ひとりまつたはなければならないやうがした。かれはたゞ坂井さかゐきやく安井やすゐ姿すがた一目ひとめて、その姿すがたから、安井やすゐ今日こんにち人格じんかく髣髴はうふつしたかつた。さうして、自分じぶん想像さうざうほどかれ墮落だらくしてゐないといふ慰藉ゐしやたかつた。

 かれ坂井さかゐいへそばつて、むかふれずに、ひとうかがやう便利べんり場所ばしよはあるまいかとかんがへた。不幸ふかうにして、かくすべきところをおもなかつた。ちてからるとすれば、此方こちらみとめられない便宜べんぎがあると同時どうじに、くらなかとほひとかほわからない不都合ふつがふがあつた。

 そのうち電車でんしや神田かんだた。宗助そうすけ何時いつものとほ其所そこえてうちはういてくのが苦痛くつうになつた。かれ神經しんけいは一でも安井やすゐ方角はうがくちかづくにえなかつた。安井やすゐ餘所よそながらたいといふ好奇心かうきしんは、はじめから左程さほどつよくなかつただけに、乘換のりかへ間際まぎはになつて、まつたおさえつけられてしまつた。かれさむまちおほくのひとごとあるいた。けれどもおほくのひとごとくに判然はつきりした目的もくてきつてゐなかつた。其内そのうちみせいた。電車でんしや燈火あかりもした。宗助そうすけはある牛肉店ぎうにくてんがつてさけした。一ぽん夢中むちゆうんだ。二本目ほんめ無理むりんだ。三本目ぼんめにもへなかつた。宗助そうすけかべたして、つて相手あひてのないひとやうをして、ぼんやり何處どこかを見詰みつめてゐた。

 時刻じこく時刻じこくなので、夕飯ゆふめしひにきやくかはかはた。そのおほくは用辯的ようべんてき飮食いんしよくまして、さつさと勘定かんぢやうをしてだけであつた。宗助そうすけ周圍しうゐのざわつくなか默然もくねんとして、ひとばいも三ばいときごしたごとくにかんじたすゑつひすわれずにせきつた。

 おもて左右さいうからみせあきらかであつた。軒先のきさきとほひとは、ばう衣裝いしやうもはつきり物色ぶつしよくすること出來できた。けれどもひろさむさをらすにはあまりに弱過よわすぎた。よる戸毎こごと瓦斯がす電燈でんとう閑却かんきやくして、依然いぜんとしてくらおほきくえた。宗助そうすけこの世界せかい調和てうわするほど黒味くろみつた外套ぐわいたうつゝまれてあるいた。其時そのときかれ自分じぶん呼吸こきふする空氣くうきさへ灰色はひいろになつて、はいなか血管けつくわんれるやうがした。

 かれこのばんかぎつて、ベルをらしていそがしさうにまへつたりたりする電車でんしや利用りようするかんがへおこらなかつた。目的もくてきつてみちひとともに、拔目ぬけめなくあしはこばすことわすれた。しかもかれしまらない人間にんげんとして、かく漂浪へうらう雛形ひながたえんじつゝある自分じぶんこゝろかへりみて、もしこの状態じやうたいながつゞいたらうしたらからうと、ひそかに自分じぶん未來みらいあんわづらつた。今日こんにちまで經過けいくわからして、すべての創口きずぐち癒合ゆがふするものは時日じじつであるといふ格言かくげんを、かれ自家じか經驗けいけんからして、ふかむねきざけてゐた。それが一昨日をとゝひばんにすつかりくづれたのである。

 かれくろよるなかるきながら、たゞうかしてこのこゝろからのがたいとおもつた。そのこゝろ如何いかにもよわくて落付おちつかなくつて、不安ふあん不定ふていで、度胸どきようがなさぎて希知けちえた。かれむねおさえつける一種いつしゆ壓迫あつぱくもとに、如何いかにせば、いま自分じぶんすくこと出來できるかといふ實際じつさい方法ほうはふのみをかんがへて、その壓迫あつぱく原因げんいんになつた自分じぶんつみ過失くわしつまつたこの結果けつくわからはなして仕舞しまつた。其時そのときかれひとことかんがへる餘裕よゆううしなつて、こと〴〵自己じこ本位ほんゐになつてゐた。今迄いままで忍耐にんたいわたつてた。これからは積極的せききよくてき人世觀じんせいくわんつくへなければならなかつた。さうしてその人世觀じんせいくわんくちべるもの、あたまくものでは駄目だめであつた。こゝろ實質じつしつふとくなるものでなくては駄目だめであつた。

 かれく〳〵くちなか何遍なんべん宗教しゆうけうの二かへした。けれどもそのひゞきかへあとからすぐえてつた。つかんだとおもけむりが、けると何時いつにかくなつてゐるやう宗教しゆうけうとは果敢はかない文字もんじであつた。

 宗教しゆうけう關聯くわんれんして宗助そうすけ坐禪ざぜんといふ記臆きおくおこした。むか京都きやうとにゐた時分じぶんかれ級友きふいう相國寺しやうこくじつて坐禪ざぜんをするものがあつた。當時たうじかれその迂濶うくわつわらつてゐた。「いまに……」とおもつてゐた。その級友きふいう動作どうさべつ自分じぶんちがつたところもないやうなのをて、かれます〳〵馬鹿々々ばか〳〵しいおこした。

 かれ今更いまさらながらかれ級友きふいうが、かれ侮蔑ぶべつあたひする以上いじやうのある動機どうきから、貴重きちよう時間じかんをしまずに、相國寺しやうこくじつたのではなからうかとかんがして、自分じぶん輕薄けいはくふかぢた。もしむかしから世俗せぞくとほ安心あんじんとか立命りつめいとかいふ境地きやうちに、坐禪ざぜんちからたつすること出來できるならば、十日とをか二十日はつか役所やくしよやすんでもかまはないからつてたいとおもつた。けれどもかれ斯道このみちにかけてはまつたくの門外漢もんぐわいかんであつた。したがつて、これより以上いじやう明瞭めいれうかんがへうかばなかつた。

 やうやうち辿たどいたときかれれいやう御米およねと、れいやう小六ころくと、それかられいやうちや座敷ざしき洋燈らんぷ箪笥たんすて、自分じぶんだけれいにない状態じやうたいもとに、この四五時間じかんくらしてゐたのだといふ自覺じかくふかくした。火鉢ひばちにはちひさななべけてあつて、そのふた隙間すきまから湯氣ゆげつてゐた。火鉢ひばちわきにはかれつねすわところに、何時いつもの坐蒲團ざぶとんいて、其前そのまへにちやんと膳立ぜんだてがしてあつた。

 宗助そうすけ糸底いとぞこうへにしてわざとせた自分じぶん茶碗ちやわんと、この二三年來ねんらい朝晩あさばん使つかれたはしながめて、

「もうめしはないよ」とつた。御米およね多少たせう不本意ふほんいらしいふうもした。

「おや左樣さうあんまおそいから、大方おほかた何處どこかで召上めしやがつたらうとはおもつたけれど、だゞと不可いけないから」とひながら、布巾ふきんなべみゝつまんで、土瓶敷どびんしきうへおろした。それからきよんでぜん臺所だいどころ退げさした。

 宗助そうすけういふふうに、なん事故じこ出來できて、役所やくしよ退出ひけからすぐほかまはつておそくなる場合ばあひには、何時いつでもその顛末てんまつ大略たいりやくを、歸宅きたく早々さう〳〵御米およねはなすのをれいにしてゐた。御米およねもそれをかないうちはまなかつた。けれども今夜こんやかぎつてかれ神田かんだ電車でんしやりたことも、牛肉屋ぎうにくやあがつたことも、無理むりさけんだことも、まるはなしたくなかつた。なにらない御米およねまた平常へいじやうとほ無邪氣むじやきそれからそれへときたがつた。

なにべつこれといふ理由わけもなかつたのだけれども、──つい彼所あすこいらでぎうひたくなつただけことさ」

「さうして御腹おなか消化こなために、わざ〳〵此所こゝまでるいてらしつたの」

「まあ、左樣さうだ」

 御米およね可笑をかしさうにわらつた。宗助そうすけむしくるしかつた。しばらくして、

留守るす坂井さかゐさんからむかひになかつたかい」といた。

「いゝえ、何故なぜ

一昨日をとゝひばんつたとき、御馳走ごちそうするとかつてゐたからさ」

「また?」

 御米およねすこあきれたかほをした。宗助そうすけそれなりはなしげてた。あたまなかをざわ〳〵なにとほつた。時々とき〴〵けてると、れいごと洋燈らんぷくらくしてとこうへせてあつた。御米およねはさも心地好こゝちよささうにねむつてゐた。ついこのあひだまでは、自分じぶんはうられて、御米およね幾晩いくばん睡眠すゐみん不足ふそくなやまされたのであつた。宗助そうすけぢながら、あきらかにつぎ時計とけいおとかなければならないいま自分じぶんさら心苦こゝろぐるしくかんじた。その時計とけい最初さいしよいくつもつゞけざまにつた。それがぎると、びんとたゞひとつた。そのにごつたおと彗星はうきぼしやうにぼうと宗助そうすけ耳朶みゝたぶにしばらくひゞいてゐた。つぎにはふたつた。はなはさみしいおとであつた。宗助そうすけ其間そのあひだに、なんとかして、もつと鷹揚おうやうきて分別ふんべつをしなければならないと決心けつしんだけをした。三朦朧もうろうとしてきこえたやうきこえないやうなうちにぎた。四時よじ、五、六まるらなかつた。たゞなかふくれた。てんなみつてちゞんだ。地球ちきういとるしたまりごとくにおほきな弧線こせんゑがいて空間くうかんうごいた。すべてがおそろしい支配しはいするゆめであつた。七時過じすぎかれははつとして、このゆめからめた。御米およね何時いつものとほ微笑びせうして枕元まくらもとかゞんでゐた。えたくろなかとく何處どこかへつてゐた。


十八


 宗助そうすけ一封いつぷう紹介状せうかいじやうふところにして山門さんもんはひつた。かれはこれを同僚どうれう知人ちじんなにがしからた。その同僚どうれう役所やくしよ徃復わうふくに、電車でんしやなか洋服やうふく隱袋かくしから菜根譚さいこんたんしてをとこであつた。かう方面はうめん趣味しゆみのない宗助そうすけは、もとより菜根譚さいこんたん何物なにものなるかをらなかつた。あるひとくるま腰掛こしかけひざならべてつたとき、それはなんだといてた。同僚どうれう小形こがた黄色きいろ表紙へうし宗助そうすけまへして、こんなめうほんだとこたへた。宗助そうすけかさねてんなこといてあるかとたづねた。其時そのとき同僚どうれうは、一口ひとくち説明せつめい出來でき格好かつかう言葉ことばつてゐなかつたとえて、まあ禪學ぜんがく書物しよもつだらうといふやうめう挨拶あいさつをした。宗助そうすけ同僚どうれうからいたこの返事へんじおぼえてゐた。

 紹介状せうかいじやうもら四五日前しごんちまへかれこの同僚どうれうそばつて、きみ禪學ぜんがくるのかと、突然とつぜん質問しつもんけた。同僚どうれうつよ緊張きんちやうした宗助そうすけかほすこぶおどろいた樣子やうすであつたが、いやらない、たゞなぐさ半分はんぶんにあんな書物しよもつだけだと、すぐげて仕舞しまつた。宗助そうすけ多少たせう失望しつばうゆるんだ下唇したくちびるれて自分じぶんせきかへつた。

 其日そのひかへりがけに、彼等かれらまたおな電車でんしやはした。先刻さつき宗助そうすけ樣子やうすを、どく觀察くわんさつした同僚どうれうは、かれ質問しつもんおく雜談ざつだん以上いじやうのある意味いみみとめたものとえて、まへよりはもつと親切しんせつその方面はうめんはなしをしてかした。しか自分じぶんいまかつ參禪さんぜんといふことをした經驗けいけんがないと自白じはくした。もしくはしいはなしきたければ、さいは自分じぶんあひによく鎌倉かまくらをとこがあるから紹介せうかいしてやらうとつた。宗助そうすけくるまなかそのひと名前なまへ番地ばんち手帳てちやうめた。さうしてつぎ同僚どうれう手紙てがみつてわざ〳〵まはみちをして訪問はうもん出掛でかけた。宗助そうすけふところにした書状しよじやうそのをり席上せきじやうしたゝめてもらつたものであつた。

 役所やくしよ病氣びやうきになつて十日とをかばかりやすことにした。御米およね手前てまへ矢張やは病氣びやうきだとつくろつた。

すこなうわるいから、一週間しうかんほど役所やくしよやすんであすんでるよ」とつた。御米およね此頃このごろをつと樣子やうす何處どこかに異状いじやうがあるらしくおもはれるので、内心ないしんでは始終しじゆう心配しんぱいしてゐた矢先やさきだから、平生へいぜいらない宗助そうすけ果斷くわだんよろこんだ。けれどもその突然とつぜんなのにもまつたおどろいた。

あそびにくつて、何處どこらつしやるの」とまるくしないばかりいた。

矢張やつぱり鎌倉邊かまくらへんからうとおもつてる」と宗助そうすけいてこたへた。地味ぢみ宗助そうすけとハイカラな鎌倉かまくらとはほとんどえんとほいものであつた。突然とつぜんふたつのものをむすけるのは滑稽こつけいであつた。御米およね微笑びせうきんなかつた。

「まあ御金持おかねもちね。わたし一所いつしよれてつて頂戴ちやうだい」とつた。宗助そうすけあいすべき細君さいくんのこの冗談じようだんあぢは餘裕よゆうたなかつた。眞面目まじめかほをして、

「そんな贅澤ぜいたくところくんぢやないよ。禪寺ぜんでらめてもらつて、一週間しうかん十日とをか、たゞしづかにあたまやすめてだけことさ。それもはたしてくなるか、ならないかわからないが、空氣くうきところくと、あたまには大變たいへんちがふとみんなふから」と辯解べんかいした。

「そりやちがひますわ。だからつてらつしやいとも。いまのは本當ほんたう冗談じようだんよ」

 御米およね善良ぜんりやうをつと調戯からかつたのを、多少たせうまないやうかんじた。宗助そうすけその翌日あくるひすぐもらつていた紹介状せうかいじやうふところにして、新橋しんばしから汽車きしやつたのである。

 その紹介状せうかいじやうおもてには釋宜道しやくぎだうさまいてあつた。

このあひだまで侍者じしやをしてゐましたが、此頃このごろでは塔頭たつちゆうにあるふる庵室あんしつれて、其所そこんでゐるとかきました。うですか、まあいたらたづねて御覽ごらんなさい。あんはたしか一窓庵いつさうあんでした」といてれるとき、わざ〳〵注意ちゆういがあつたので、宗助そうすけれいつて手紙てがみ受取うけとりながら、侍者じしやだの塔頭たつちゆうだのといふ自分じぶんにはまつたみゝあたらしい言葉ことば説明せつめいいてかへつたのである。

 山門さんもんはひると、左右さいうにはおほきなすぎがあつて、たかそらさへぎつてゐるために、みちきふくらくなつた。その陰氣いんき空氣くうきれたとき宗助そうすけなかてらなかとの區別くべつきふさとつた。しづかな境内けいだい入口いりくちつたかれは、はじめて風邪ふうじや意識いしきする場合ばあひ一種いつしゆ惡寒さむけもよほした。

 かれはまづ眞直まつすぐるきした。左右さいうにも行手いくてにも、だうやうなものや、ゐんやうなものがちよい〳〵えた。けれどもひと出入でいり一切いつさいなかつた。こと〴〵寂寞せきばくとしててゝゐた。宗助そうすけ何處どこつて、宜道ぎだうのゐるところをしへてもらはうかとかんがへながら、だれとほらないみち眞中まんなかつて四方しはう見回みまはした。

 やますそひらいて、一二ちやうおくのぼやうてたてらだとえて、うしろはういろたかふさがつてゐた。みち左右さいう山續やまつゞき丘續をかつゞき地勢ちせいせいせられて、けつしてたひらではないやうであつた。その小高こだか所々ところ〴〵に、したから石段いしだんたゝんで、てららしいもんたかかまへたのが二三軒目げんめいた。平地ひらちかきめぐらして、點在てんざいしてゐるのは、幾多いくらもあつた。近寄ちかよつてると、いづれも門瓦もんがはらしたに、院號ゐんがうやら庵號あんがうやらががくにしてけてあつた。

 宗助そうすけはくげたふるがくを一二まいんであるいたが、不圖ふと一窓庵いつさうあんからさきさがして、もし其所そこ手紙てがみ名宛なあてばうさんがゐなかつたら、もつとおくつてたづねるはう便利べんりだらうとおもいた。それから逆戻ぎやくもどりをして塔頭たつちゆう一々いち〳〵調しらべにかゝると、一窓庵いつさうあん山門さんもん這入はいるやいなやすぐ右手みぎてはうたか石段いしだんうへにあつた。丘外をかはずれなので、日當ひあたりい、からりとした玄關げんくわんさきひかえて、うしろやまふところあたゝまつてゐるやう位置ゐちふゆしの氣色けしきえた。宗助そうすけ玄關げんくわんとほして庫裡くりはうから土間どまあしれた。あがくち障子しやうじてゝあるところまでて、たのむ〳〵と二三んでた。しかだれれるものはなかつた。宗助そうすけはしばらく其所そこつたまゝなか樣子やうすうかゞつてゐた。何時いつまでつてゐても音沙汰おとさたがないので、宗助そうすけ不思議ふしぎおもひをして、また庫裡こりもんはう引返ひきかへした。すると石段いしだんしたから剃立そりたてあたまあをひからしたばうさんがあがつてた。としはまだ二十四五としかえないわか色白いろじろかほであつた。宗助そうすけもんとびらところはして、

宜道ぎだうさんとおつしやるかた此方こちら御出おいででせうか」といた。

わたくし宜道ぎだうです」とわかそうこたへた。宗助そうすけすこおどろいたが、またうれしくもあつた。すぐ懷中くわいちゆうかられい紹介状せうかいじやうしてわたすと、宜道ぎだうちながらふうつて、そのくだした。やがて手紙てがみかへして封筒ふうとうれると、

うこそ」とつて、叮嚀ていねい會釋ゑしやくしたなり、さきつて宗助そうすけみちびいた。二人ふたり庫裡くり下駄げたいで、障子しやうじあけうち這入はいつた。其所そこにはおほきな圍爐裏ゐろりつてあつた。宜道ぎだう鼠木綿ねずみもめんうへ羽織はおつてゐたうす粗末そまつ法衣ころもいでくぎけて、

御寒おさむ御座ございませう」とつて、圍爐裏ゐろりなかふかけてあつたすみはひしたからした。

 このそうわかいに似合にあはずはなは落付おちついた話振はなしぶりをするをとこであつた。ひくこゑなに受答うけこたへをしたあとで、にやりとわら具合ぐあひなどは、まるをんなやうかんじを宗助そうすけあたへた。宗助そうすけこゝろのうちに、この青年せいねんがどういふ機縁きえんもとに、おもつてあたまつたものだらうかとかんがへて、その樣子やうすのしとやかなところを、なんとなくあはれにおもつた。

大變たいへん御靜おしづかやうですが、今日けふはどなたも御留守おるすなんですか」

「いえ、今日けふかぎらず、何時いつわたくし一人ひとりです。だからようのあるときはかまはずはなしにしてます。いま一寸ちよつとしたまでつてようしてまゐりました。それがため折角せつかく御出おいでところ失禮しつれいいたしました」

 宜道ぎだう此時このときあらためて遠來ゑんらいひとたいして自分じぶん不在ふざいびた。このおほきなあんを、たつた一人ひとりあづかつてゐるさへ、相應さうおうほねれるのに、其上そのうへ厄介やくかいしたらさぞ迷惑めいわくだらうと、宗助そうすけすこどくいろほかうごかした。すると宜道ぎだうは、

「いえ、ちつとも御遠慮ごゑんりよにはおよびません。みちため御座ございますから」とゆかしいことつた。さうして、目下もくか自分じぶんところに、宗助そうすけほかに、まだ一人ひとり世話せわになつてゐる居士こじのあるむねげた。この居士こじやまてもう二ねんになるとかいふはなしであつた。宗助そうすけはそれから二三にちして、はじめてこの居士こじたが、かれ剽輕へうきん羅漢らかんやうかほをしてゐる氣樂きらくさうなをとこであつた。ほそ大根だいこを三四ほんぶらげて、今日けふ御馳走ごちそうつてたとつて、それを宜道ぎだうてもらつてつた。宜道ぎだう宗助そうすけその相伴しやうばんをした。この居士こじかほばうさんらしいので、時々とき〴〵僧堂そうだうしゆうまじつて、むら御齋おときなど出掛でかけることがあるとかつて宜道ぎだうわらつてゐた。

 其外そのほか俗人ぞくじんやま修業しゆげふてゐるひとはなし色々いろ〳〵いた。なか筆墨ふですみあきなをとこがゐた。脊中せなか一杯いつぱいしよつて、二十日はつかなり三十日さんじふにちなり、其所そこぢゆうまはつてあるいて、ほゞつくしてしまふとやまかへつて坐禪ざぜんをする。それから少時しばらくしてふものがなくなると、また筆墨ふですみせて行商ぎやうしやうる。かれこの兩面りやうめん生活せいくわつを、ほとんど循環じゆんくわん小數せうすうごとかへして、ことらないのだとふ。

 宗助そうすけ一見いつけんこだわりのささうな是等これらひと月日つきひと、自分じぶん内面ないめんにあるいま生活せいくわつとをくらべて、その懸隔けんかくはなはだしいのにおどろいた。そんな氣樂きらく身分みぶんだから坐禪ざぜん出來できるのか、あるひ坐禪ざぜんをした結果けつくわさういふ氣樂きらくこゝろになれるのかまよつた。

氣樂きらくでは不可いけません。道樂だうらく出來できるものなら、二十ねんも三十ねん雲水うんすゐをしてくるしむものはありません」と宜道ぎだうつた。

 かれ坐禪ざぜんをするときの一般いつぱん心得こゝろえや、老師らうしから公案こうあんことや、その公案こうあん一生懸命いつしやうけんめいかじいて、あさばんひるよるかじりつゞけにかじらなくては不可いけないことやら、すべいま宗助そうすけには心元こゝろもとなくえる助言じよごんあたへたすゑ

御室おへや御案内ごあんないしませう」とつてがつた。

 圍爐裏ゐろりつてあるところて、本堂ほんだうよこけて、そのはづれにある六でふ座敷ざしき障子しやうじえんからけて、なか案内あんないされたとき宗助そうすけはじめて一人ひとりとほくに心持こゝろもちがした。けれどもあたまなかは、周圍しうゐ幽靜いうせいおもむき反照はんせうするためか、かへつてまちにゐるときよりも動搖どうえうした。

 やく時間じかんもしたとおもころ宜道ぎだう足音あしおとまた本堂ほんだうはうからひゞいた。

老師らうし相見しやうけんになるさうで御座ございますから、御都合ごつがふよろしければまゐりませう」とつて、丁寧ていねい敷居しきゐうへひざいた。

 二人ふたりまたてらからにして連立つれだつてた。山門さんもんとほりをほゞちやうほどおくると、左側ひだりがは蓮池はすいけがあつた。さむ時分じぶんだからいけなかはたゞ薄濁うすにごりによどんでゐるだけで、すこしも清淨しやうじやうおもむきはなかつたが、向側むかふがはえるたかいし崖外がけはづまでえん欄干らんかんのある座敷ざしきしてところが、文人畫ぶんじんぐわにでもありさうな風致ふうちへた。

彼所あすこ老師らうしんでゐられるところです」と宜道ぎだう比較的ひかくてきあたらしいその建物たてものゆびさした。

 二人ふたり蓮池はすいけまへとほして、五六きふ石段いしだんのぼつて、その正面しやうめんにあるおほきな伽藍がらん屋根やねあふいだまゝすぐひだりへれた。玄關げんくわんしかゝつたとき宜道ぎだう

一寸ちよつと失禮しつれいします」とつて、自分じぶんだけ裏口うらぐちはうまはつたが、やがておくからて、

「さあうぞ」と案内あんないをして、老師らうしのゐるところれてつた。

 老師らうしといふのは五十格好がつかうえた。赭黒あかぐろ光澤つやのあるかほをしてゐた。その皮膚ひふ筋肉きんにくことごとくしまつて、何所どこにもおこたりのないところが、銅像どうざうのもたらす印象いんしやうを、宗助そうすけむねけた。たゞくちびるがあまり厚過あつすぎるので、其所そこ幾分いくぶんゆるみがえた。そのかはかれには、普通ふつう人間にんげん到底たうているべからざる一種いつしゆ精彩せいさいひらめいた。宗助そうすけはじめてその視線しせんせつしたときは、暗中あんちゆう卒然そつぜんとして白刄はくじんおもひがあつた。

「まあなにからはひつてもおなじであるが」と老師らうし宗助そうすけむかつてつた。「父母ふぼ未生みしやう以前いぜん本來ほんらい面目めんもくなんだか、それをひとかんがへてたらかろう」

 宗助そうすけには父母ふぼ未生みしやう以前いぜんといふ意味いみがよくわからなかつたが、なにしろ自分じぶんふものは必竟ひつきやう何物なにものだか、その本體ほんたいつらまへてろと意味いみだらうと判斷はんだんした。それより以上いじやうくちくには、あまぜんといふものゝ知識ちしきとぼしかつたので、だまつてまた宜道ぎだうれられて一窓庵いつさうあんかへつてた。

 晩食ばんめしとき宜道ぎだう宗助そうすけに、入室にふしつ時間じかん朝夕てうせきくわいあることゝ、提唱ていしやう時間じかん午前ごぜんであることなどをはなしたうへ

今夜こんや見解けんげ出來できないかもれませんから、明朝みやうてう明晩みやうばん御誘おさそまをしませう」と親切しんせつつてれた。それから最初さいしよのうちは、めてはるのは難儀なんぎだから線香せんかうてゝ、それで時間じかんはかつて、すこづゝやすんだらからうとやう注意ちゆういもしてれた。

 宗助そうすけ線香せんかうつて、本堂ほんだうまへとほつて自分じぶんへやきまつた六でふ這入はいつて、ぼんやりしてすわつた。かれからふと所謂いはゆる公案こうあんなるものゝ性質せいしつが、如何いかにも自分じぶん現在げんざいえんとほやうがしてならなかつた。自分じぶんいま腹痛ふくつうなやんでゐる。その腹痛ふくつううつたへいだいてると、豈計あにはからんや、その對症たいしやう療法れうはふとして、づかしい數學すうがく問題もんだいして、まあこれでもかんがへたらからうとはれたと一般いつぱんであつた。かんがへろとはれゝば、かんがへないでもないが、それは一應いちおう腹痛ふくつうをさまつてからのことでなくては無理むりであつた。

 同時どうじかれつとめやすんでわざ〳〵此所こゝまでをとこであつた。紹介状せうかいじやういてれたひと萬事ばんじけてれる宜道ぎだうたいしても、あまりに輕卒けいそつ振舞ふるまひ出來できなかつた。かれ現在げんざい自分じぶんゆるかぎりの勇氣ゆうきひつさげて、公案こうあんむかはうと決心けつしんした。それがいづれのところかれみちびいて、どんな結果けつくわかれこゝろきたすかは、かれ自身じしんいへどまつたらなかつた。かれさとりといふ美名びめいあざむかれて、かれ平生へいぜい似合にあはぬ冒險ばうけんこゝろみやうとくはだてたのである。さうして、もしこの冒險ばうけん成功せいこうすれば、いま不安ふあん不定ふてい弱々よわ〳〵しい自分じぶんすくこと出來できはしまいかと、果敢はかないのぞみいだいたのである。

 かれつめたい火鉢ひばちはひなかほそ線香せんかうくゆらして、をしへられたとほ坐蒲團ざぶとんうへ半跏はんかんだ。ひるのうちは左迄さまでとはおもはなかつたへやが、ちてからきふさむくなつた。かれすわりながら、脊中せなかのぞく〳〵するほど温度をんどひく空氣くうきへなかつた。

 かれかんがへた。けれどもかんがへる方向はうかうも、かんがへる問題もんだい實質じつしつも、ほとんどつらまえやうのない空漠くうばくなものであつた。かれかんがへながら、自分じぶん非常ひじやう迂濶うくわつ眞似まねをしてゐるのではなからうかとうたがつた。火事くわじ見舞みまひ間際まぎはに、こまかい地圖ちづして、仔細しさい町名ちやうめい番地ばんち調しらべてゐるよりも、ずつとはなれた見當違けんたうちがひ所作しよさえんじてゐるごとかんじた。

 かれあたまなか色々いろ〳〵なものがながれた。そのあるものはあきらかにえた。あるものは混沌こんとんとしてくもごとくにうごいた。何所どこから何所どこくともわからなかつた。たゞさきのものがえる、すぐあとからつぎのものがあらはれた。さうして仕切しきりなしにそれからそれへとつゞいた。あたま徃來わうらいとほるものは、無限むげん無數むすう無盡藏むじんざうで、けつして宗助そうすけ命令めいれいによつて、まることやすこともなかつた。らうとおもへばおもほど滾々こん〳〵としていてた。

 宗助そうすけこはくなつて、きふ日常にちじやうわれおこして、へやなかながめた。へやかすかな薄暗うすぐららされてゐた。はひなかてた線香せんかうは、まだ半分はんぶんほどしかえてゐなかつた。宗助そうすけおそるべく時間じかんながいのにはじめていた。

 宗助そうすけはまたかんがはじめた。すると、すぐいろのあるもの、かたちのあるものがあたまなかとほした。ぞろ〳〵とむらがるありごとくにうごいてく、あとからまたぞろ〳〵とむらがるありごとくにあらはれた。じつとしてゐるのはたゞ宗助そうすけ身體からだだけであつた。こゝろせつないほどくるしいほどえがたいほどうごいた。

 其内そのうちじつとしてゐる身體からだも、膝頭ひざがしらからいたはじめた。眞直まつすぐばしてゐた脊髓せきずゐ次第々々しだい〳〵まへはうまがつてた。宗助そうすけ兩手りやうてひだりあしかふかゝえるやうにしてしたおろした。かれなにをする目的めあてもなくへやなかがつた。障子しやうじけておもてて、門前もんぜんをぐる〳〵まはつてあるきたくなつた。はしんとしてゐた。てゐるひときてゐるひと何處どこにもりさうにはおもへなかつた。宗助そうすけそと勇氣ゆうきうしなつた。じつきながら妄想まうざうくるしめられるのはなほおそろしかつた。

 かれおもつてまたあたらしい線香せんかうてた。さうしてまたほゞぜんおな過程くわていかへした。最後さいごに、もしかんがへるのが目的もくてきだとすれば、すわつてかんがへるのもかんがへるのもおなじだらうと分別ふんべつした。かれへやすみたゝんであつた薄汚うすぎたない蒲團ふとんいて、其中そのなかもぐんだ。すると先刻さつきからのつかれで、なにかんがへるひまもないうちに、ふかねむりにちて仕舞しまつた。

 めると枕元まくらもと障子しやうじ何時いつにかあかるくなつて、しろかみにやがてせまるべきいろうごいた。ひる留守るすかずに山寺やまでらは、つてもてるおとかなかつたのである。宗助そうすけ自分じぶん坂井さかゐ崖下がけしたくら部屋へやてゐたのでないと意識いしきするやいなや、すぐがつた。えんると、軒端のきばたか大霸王樹おほさぼてんかげうつつた。宗助そうすけまた本堂ほんだう佛壇ぶつだんまへけて、圍爐裏ゐろりつてある昨日きのふちやた。其所そこには昨日きのふとほ宜道ぎだう法衣ころも折釘をれくぎけてあつた。さうして本人ほんにん勝手かつてかまどまへ蹲踞うづくまつて、いてゐた。宗助そうすけて、

御早おはやう」と慇懃いんぎんれいをした。「先刻さつき御誘おさそまをさうとおもひましたが、よく御寢おやすみやうでしたから、失禮しつれいして一人ひとりまゐりました」

 宗助そうすけこのわかそうが、今朝けさ夜明よあけがたにすで參禪さんぜんまして、それからかへつてて、めしかしいでゐるのだといふことつた。

 るとかれひだりしきりにまきへながら、みぎくろ表紙へうしほんつて、よう合間々々あひま〳〵それんでゐる樣子やうすであつた。宗助そうすけ宜道ぎだう書物しよもつたづねた。それは碧巖集へきがんしふといふづかしい名前なまへのものであつた。宗助そうすけはらなかで、昨夕ゆうべやう當途あてどもないかんがへふけつて、なうつからすより、一層いつそそのみち書物しよもつでもりてはうが、要領えうりやう捷徑ちかみちではなからうかとおもいた。宜道ぎだうにさうふと、宜道ぎだうは一も二もなく宗助そうすけかんがへ排斥はいせきした。

書物しよもつむのはごくわる御座ございます。有體ありていふと、讀書どくしよほど修業しゆげふさまたげになるものはやうです。私共わたくしどもでも、うして碧巖へきがんなどみますが、自分じぶん程度ていど以上いじやうところになると、まる見當けんたうきません。それを好加減いゝかげん揣摩しまするくせがつくと、それがすわときさまたげになつて、自分じぶん以上いじやう境界きやうがい豫期よきしてたり、さとりけてたり、充分じゆうぶん突込つつこんでくべきところ頓挫とんざ出來できます。大變たいへんどくになりますから、御止およしになつたはういでせう。もしいてなに御讀およみになりたければ、禪關策進ぜんくわんさくしんといふやうな、ひと勇氣ゆうき鼓舞こぶしたり激勵げきれいしたりするものがよろしう御座ございませう。それだつて、たゞ刺戟しげき方便はうべんとしてだけで、みち其物そのものとは無關係むくわんけいです」

 宗助そうすけには宜道ぎだう意味いみがよくわからなかつた。かれこの生若なまわかあをあたまをしたばうさんのまへつて、あたかも一低能兒ていのうじであるかのごと心持こゝろもちおこした。かれ慢心まんしん京都きやうと以來いらいすで銷磨せうまつくしてゐた。かれ平凡へいぼんぶんとして、今日こんにちまできてた。聞達ぶんたつほどかれこゝろとほいものはなかつた。かれはたゞありまゝかれとして、宜道ぎだうまへつたのである。しかも平生へいぜい自分じぶんよりはるかに無力むりよく無能むのう赤子あかごであると、さら自分じぶんみとめざるをなくなつた。かれつてはあたらしい發見はつけんであつた。同時どうじ自尊心じそんしん根絶こんぜつするほど發見はつけんであつた。

 宜道ぎだうへつつひしてめしをむらしてゐるあひだに、宗助そうすけ臺所だいどころからりてには井戸端ゐどばたかほあらつた。はなさきにはすぐ雜木山ざふきやまへた。そのすそすこたひらところひらいて、菜園さいゑんこしらえてあつた。宗助そうすけれたあたまつめたい空氣くうきさらして、わざと菜園さいゑんまでりてつた。さうして、其所そこがけよこつたおほきなあな見出みいだした。宗助そうすけ少時しばらく其前そのまへつて、くらおくはうながめてゐた。やがて、ちやかへると、圍爐裏ゐろりにはあたゝかいおこつて、鐵瓶てつびんたぎおときこえた。

がないものだから、ついおそくなりまして御氣おきどくです。すぐ御膳ごぜんいたしませう。しかしこんなところだからげるものがなくつてこまります。そのかは明日あしたあたりは御馳走ごちそう風呂ふろでもてませう」と宜道ぎだうつてれた。宗助そうすけ難有ありがた圍爐裏ゐろりむかふすわつた。

 やがて食事しよくじえて、わがへやかへつた宗助そうすけは、また父母ふぼ未生みしやう以前いぜん稀有けう問題もんだいまへゑて、つとながめた。けれども、もと〳〵すぢたない、したがつて發展はつてんのしやうのない問題もんだいだから、いくらかんがへても何處どこからもこと出來できなかつた。さうして、すぐかんがへるのがいやになつた。宗助そうすけ不圖ふと御米およね此所こゝいた消息せうそくかなければならないこといた。かれ俗用ぞくようしやうじたのをよろこぶごとくに、すぐかばんなかから卷紙まきがみふうぶくろして、御米およね手紙てがみはじめた。まづ此所こゝ閑靜かんせいことうみちか所爲せゐか、東京とうきやうよりは餘程よほどあたゝかいこと空氣くうき清朗せいらうこと紹介せうかいされたばうさんの親切しんせつこと食事しよくじ不味まづこと夜具やぐ蒲團ふとん綺麗きれいかないこと、などをつらねてゐるうちに、はや三じやくあまりのながさになつたので、其所そこふでいたが、公案こうあんくるしめられてゐることや、坐禪ざぜんをしてひざ關節くわんせついたくしてゐることや、かんがへるためにます〳〵神經衰弱しんけいすゐじやくはげしくなりさうなことは、おくびにもさなかつた。かれこの手紙てがみ切手きつてつて、ポストにれなければならない口實こうじつもとめて、早速さつそくやまくだつた。さうして父母ふぼ未生みしやう以前いぜんと、御米およねと、安井やすゐに、おびやかされながら、むらなかをうろついてかへつた。

 ひるには、宜道ぎだうからはなしのあつた居士こじつた。この居士こじ茶碗ちやわんして、宜道ぎだうめしよそつてもらふとき、はゞかりさまともなんともはずに、たゞ合掌がつしやうしてれいべたり、相圖あひづをしたりした。このくらゐしづかに物事ものごとるのがほふだとかつた。くちかず、おとてないのは、かんがへの邪魔じやまになると精神せいしんからださうであつた。それほど眞劍しんけんにやるべきものをと、宗助そうすけ昨夜さくやからの自分じぶんが、なんとなくづかしくおもはれた。

 食後しよくごにん圍爐裏ゐろりはたでしばらくはなした。其時そのとき居士こじは、自分じぶん坐禪ざぜんをしながら、何時いつかずにうと〳〵とねむつて仕舞しまつてゐて、はつと正氣しやうきかへ間際まぎはに、おやさとつたなとよろこぶことがあるが、さていよ〳〵いてると、もととほり自分じぶんなので失望しつばうするばかりだとつて、宗助そうすけわらはした。氣樂きらくかんがへで、參禪さんぜんしてゐるひともあるとおもふと、宗助そうすけ多少たせうくつろいだ。けれども三にんわかれ〳〵に自分じぶんへやはひとき宜道ぎだうが、

今夜こんや御誘おさそまをしますから、これから夕方ゆふがたまでしつかり御坐おすわりなさいまし」と眞面目まじめすゝめたとき、宗助そうすけまた一種いつしゆ責任せきにんかんじた。消化こなれないかた團子だんごとゞこうつてゐるやう不安ふあんむねいだいて、わがへやかへつてた。さうしてまた線香せんかういてはりした。其癖そのくせ夕方ゆふがたまですわつゞけられなかつた。どんな解答かいたふにしろひとこしらへてかなければならないとおもひながらも、仕舞しまひには根氣こんききて、はや宜道ぎだう夕食ゆふめし報知しらせ本堂ほんだうとほけてれゝばいと、そればかりかつた。

 懊惱あうなう困憊こんぱいうちかたむいた。障子しやうじうつときかげ次第しだいとほくへ退くにつれて、てら空氣くうきゆかしたからした。かぜあさからえだかなかつた。縁側えんがはて、たかひさしあふぐと、くろかはら小口こぐちだけそろつて、ながく一れつえるそとに、おだやかなそらが、あをひかりをわがそこはうしづめつゝ、自分じぶんうすくなつてところであつた。


十九


危險あぶな御座ございます」とつて宜道ぎだう一足先ひとあしさきくら石段いしだんりた。宗助そうすけはあとからつゞいた。まちちがつてよるになると足元あしもとわるいので、宜道ぎだう提灯ちやうちんけてわづかちやうばかりみちらした。石段いしだんると、おほきなえだ左右さいうから二人ふたりあたまかぶさるやうそらさへぎつた。やみだけれどもあをいろ二人ふたり着物きもの織目おりめほど宗助そうすけさむがらせた。提灯ちやうちんにもそのいろ多少たせううつかんじがあつた。その提灯ちやうちん一方いつぱうおほきなみき想像さうざうする所爲せゐか、はなはちひさくえた。ひかり地面ぢめんとゞ尺數しやくすうわづかであつた。らされた部分ぶぶんあかるい灰色はひいろ斷片だんぺんとなつてくらなかにほつかりちた。さうして二人ふたりかげうごくにれてうごいた。

 蓮池れんちぎて、ひだりのぼところは、よるはじめての宗助そうすけつて、すこ足元あしもとなめらかにかなかつた。つちなかつてゐるいしに、一二下駄げただいけた。蓮池れんち手前てまへからよこれる裏路うらみちもあるが、このはう凸凹とつあふおほくて、れない宗助そうすけにはちかくても不便ふべんだらうとふので、宜道ぎだうはわざ〳〵ひろはう案内あんないしたのである。

 玄關げんくわんはひると、くら土間どま下駄げた大分だいぶならんでゐた。宗助そうすけこゞんで、ひと履物はきものまないやうにそつとうへへのぼつた。へやは八でふほどひろさであつた。その壁際かべぎはれつつくつて、六七にんをとこ一側ひとかはならんでゐた。なかあたまひからして、くろ法衣ころもそうまじつてゐた。ほかのものは大概たいがいはかま穿いてゐた。この六七にんをとこあがぐちおくつうずる三じやく廊下口らうかぐちのこして、行儀ぎやうぎよくかぎならんでゐた。さうして、一言ひとことくちかなかつた。宗助そうすけ是等これらひとかほ一目ひとめて、まづその峻刻しゆんこくなのにうばはれた。彼等かれらみなかたくちむすんでゐた。ことありげなまゆつよせてゐた。そばにどんなひとがゐるか見向みむきもしなかつた。如何いかなるものがそとからはひつてても、まつた注意ちゆういしなかつた。彼等かれらきた彫刻てうこくやうおのれをして、のないへや肅然しゆくぜんすわつてゐた。宗助そうすけ感覺かんかくには、山寺やまでらさむ以上いじやうに、一種いつしゆおごそかなくははつた。

 やがて寂寞せきばくうちに、ひと足音あしおときこえた。はじめかすかにひゞいたが、次第しだいつよゆかんで、宗助そうすけすわつてゐるはう近付ちかづいてた。仕舞しまひ一人ひとりそう廊下口らうかぐちからぬつとあらはれた。さうして宗助そうすけそばとほつて、だまつてそとくらがりへけてつた。するととほくのおくはうれいおとがした。

 このとき宗助そうすけならんで嚴肅げんしゆくひかえてゐたをとこのうちで、小倉こくらはかまけた一人いちにんが、矢張やはり無言むごんまゝがつて、へやすみ廊下口らうかぐち眞正面ましやうめん着座ちやくざした。其所そこにはたかさ二しやくはゞしやくほどわくなかに、銅鑼どらやうかたちをした、銅鑼どらよりも、ずつとおもくてあつさうなものがかゝつてゐた。いろ蒼黒あをぐろまづしいらされてゐた。はかまけたをとこは、だいうへにある撞木しゆもくげて、銅鑼どらかね眞中まんなかふたほどらした。さうして、ついとつて、廊下口らうかぐちて、おくはうすゝんでつた。今度こんどまへ反對はんたいに、足音あしおと段々だん〳〵とほくのはうるにしたがつて、かすかになつた。さうして一番いちばん仕舞しまひにぴたりと何處どこかでまつた。宗助そうすけながら、はつとした。かれこのはかまけたをとこうへに、いま何事なにごとおこりつゝあるだらうかを想像さうざうしたのである。けれどもおくはしんとしてしづまりかへつてゐた。宗助そうすけならんでゐるものも、一人ひとりとしてかほ筋肉きんにくうごかすものはなかつた。たゞ宗助そうすけこゝろなかで、おくからの何物なにものかをけた。すると忽然こつぜんとしてれいひゞきかれみゝこたへた。同時どうじなが廊下らうかんで、此方こちら近付ちかづ足音あしおとがした。はかまけたをとこまた廊下口らうかぐちからあらはれて、無言むごんまゝ玄關げんくわんりて、しもうちつた。かはつてまたあたらしいをとこつて、最前さいぜんかねつた。さうして、また廊下らうからしておくはうつた。宗助そうすけ沈默ちんもくあひだおこなはれるこの順序じゆんじよながら、ひざせて、自分じぶんばんるのをつてゐた。

 自分じぶんより一人ひとりいてまへをとこつてつたときは、やゝしばらくしてから、わつとおほきなこゑが、おくはうきこえた。そのこゑ距離きよりとほいので、はげしく宗助そうすけ鼓膜こまくほどつよくはひゞかなかつたけれども、たしかに精一杯せいいつぱいふるつたものであつた。さうしてたゞ一人いちにん咽喉のどから個人こじん特色とくしよくびてゐた。自分じぶんのすぐまへひとつたときは、いよ〳〵わがばんまはつてたと意識いしきせいせられて、一層いつそう落付おちつきうしなつた。

 宗助そうすけ此間このあひだ公案こうあんたいして、自分じぶんだけ解答かいたふ準備じゆんびしてゐた。けれども、それははなは覺束おぼつかない薄手うすでのものにぎなかつた。室中しつちゆう以上いじやうは、なに見解けんげていしないわけかないので、やむをさまらないところを、わざとをさまつたやう取繕とりつくろつた、其場そのばかぎりの挨拶あいさつであつた。かれこの心細こゝろぼそ解答かいたふで、僥倖げうかうにも難關なんくわん通過つうかしてたいなどとは、ゆめにもおもまうけなかつた。老師らうし胡麻化ごまか無論むろんなかつた。其時そのとき宗助そうすけはもうすこ眞面目まじめであつたのである。たんあたまからした、あたかにかいたもちやう代物しろものつて、義理ぎりにも室中しつちゆうらなければならない自分じぶん空虚くうきよことぢたのである。

 宗助そうすけひとのするごとくにかねつた。しかもちながら、自分じぶん人並ひとなみこのかね撞木しゆもくたゝくべき權能けんのうがないのをつてゐた。それを人並ひとなみらしてさるごとおのれをふか嫌忌けんきした。

 かれ弱味よわみのある自分じぶんおそれをいだきつゝ、入口いりぐちつめたい廊下らうかあしした。廊下らうかながつゞいた。右側みぎがはにあるへやこと〴〵くらかつた。かどふたまがると、むかふはづれの障子しやうじ灯影ひかげした。宗助そうすけその敷居際しきゐぎはまつた。

 室中しつちゆうるものは老師らうしむかつて三拜さんぱいするのがれいであつた。はいしかたは普通ふつう挨拶あいさつやうあたまたゝみちかげると同時どうじに、兩手りやうててのひら上向うへむきひらいて、それあたま左右さいうならべたまゝ、すこものかゝへた心持こゝろもちみゝあたりまでげるのである。宗助そうすけ敷居際しきゐぎはひざまづいてかたごとはいおこなつた。すると座敷ざしきなかで、

一拜いつぱいよろしい」と會釋ゑしやくがあつた。宗助そうすけはあとをりやくしてなかはひつた。

 へやなかはたゞ薄暗うすぐららされてゐた。そのよわひかりは、如何いか大字だいじ書物しよもつをも披見ひけんせしめぬ程度ていどのものであつた。宗助そうすけ今日こんにちまで經驗けいけんうつたへて、これくらゐかすかな燈火ともしびに、いとなむ人間にんげんおもおここと出來できなかつた。そのひかり無論むろんつきよりもつよかつた。かつつきごと蒼白あをじろいろではなかつた。けれどももうすこしで朦朧もうろうさかひしづむべき性質たちのものであつた。

 このしづかな判然はつきりしない燈火ともしびちからで、宗助そうすけ自分じぶんる四五しやく正面しやうめんに、宜道ぎだう所謂いはゆる老師らうしなるものをみとめた。かれかほれいによつて鑄物いものやううごかなかつた。いろあかゞねであつた。かれ全身ぜんしんしぶかきちやいろ法衣ころもまとつてゐた。あしえなかつた。たゞくびからうへえた。そのくびからうへが、嚴肅げんしゆく緊張きんちやう極度きよくどやすんじて、何時いつまでつてもかはおそれいうせざるごとくにひとした。さうしてあたまには一ぽんもなかつた。

 この面前めんぜん氣力きりよくなくすわつた宗助そうすけの、くちにした言葉ことばはたゞ一きた。

「もつと、ぎろりとしたところつてなければ駄目だめだ」とたちまはれた。「そのくらゐことすこ學問がくもんをしたものならだれでもへる」

 宗助そうすけ喪家さうかいぬごと室中しつちゆう退しりぞいた。のちれいおとはげしくひゞいた。


二十


 障子しやうじそと野中のなかさん、野中のなかさんとこゑ二度にどほどきこえた。宗助そうすけ半睡はんすゐうちにはいとこたへたつもりであつたが、返事へんじ仕切しきらないさきに、はや知覺ちかくうしなつて、また正體しやうたいなく寐入ねいつてしまつた。

 二度目どめめたときかれおどろいてきた。縁側えんがはると、宜道ぎだう鼠木綿ねずみもめん着物きものたすきけて、甲斐々々かひ〴〵しく其所そこいらをいてゐた。あかかじかんだで、濡雜巾ぬれざふきんしぼりながら、れいごと柔和やさしいにこやかなかほをして、

御早おはやう」と挨拶あいさつした。かれ今朝けさまたとくに參禪さんぜんましたのちうしてあんかへつてはたらいてゐたのである。宗助そうすけはわざ〳〵おこされてもなかつた自分じぶん怠慢たいまんかへりみて、まつたきまりわるおもひをした。

今朝けさもつい寐忘ねわすれて失禮しつれいしました」

 かれはこそ〳〵勝手口かつてぐちから井戸端ゐどばたはうた。さうしてつめたいみづんで出來できだけはやかほあらつた。かつたひげが、ほゝあたりやうにざら〳〵したが、いま宗助そうすけにはそれをにするほど餘裕よゆうはなかつた。かれはしきりに宜道ぎだう自分じぶんとを對照たいせうしてかんがへた。

 紹介状せうかいじやうもらふときに東京とうきやういたところによると、この宜道ぎだうといふばうさんは、大變たいへん性質たちをとこで、いまでは修業しゆげふ大分だいぶ出來できがつてゐるとはなしだつたが、つてると、まる一丁字いつていじもない小廝こものやう丁寧ていねいであつた。かうして襷掛たすきがけはたらいてゐるところると、うしても一獨立どくりつしたあん主人しゆじんらしくはなかつた。納所なつしよとも小坊主こばうずともへた。

 この矮小わいせう若僧じやくそうは、まだ出家しゆつけをしないまへ、たゞの俗人ぞくじんとして此所こゝ修業しゆげふとき七日なのかあひだ結跏けつかしたぎりすこしもうごかなかつたのである。仕舞しまひにはあしいたんでこしたなくなつて、かはやのぼをりなどは、やつとのこと壁傳かべづたひに身體からだはこんだのである。その時分じぶんかれ彫刻家てうこくかであつた。見性けんしやうしたに、うれしさのあまり、うらやまあがつて、草木さうもく國土こくど悉皆しつかい成佛じやうぶつおほきなこゑしてさけんだ。さうしてつひあたまつてしまつた。

 このあんあづかるやうになつてから、もう二ねんになるが、まだ本式ほんしきとこべて、らくあしばしてことはないとつた。ふゆでも着物きものまゝかべもたれて坐睡ざすゐするだけだとつた。侍者じしやをしてゐたころなどは、老師らうし犢鼻褌ふんどしまであらはせられたとつた。其上そのうへすこしのひまぬすんですわりでもすると、うしろから意地いぢわる邪魔じやまをされる、毒吐どくづかれる、あたまてにはなん因果いんぐわ坊主ばうずになつたかとくやことおほかつたとつた。

やうや此頃このごろになつてすこらくになりました。しかしさき御座ございます。修業しゆげふ實際じつさいくるしいものです。さう容易ようい出來できるものなら、いくら私共わたくしども馬鹿ばかだつて、うして十ねんも二十ねんくるしむわけ御座ございません」

 宗助そうすけはたゞ惘然ばうぜんとした。自己じこ根氣こんき精力せいりよくらないこと齒掻はがゆおもうへに、夫程それほど歳月さいげつけなければ成就じやうじゆ出來できないものなら、自分じぶんなにしにこのやまなかまでつてたか、それからがだい一の矛盾むじゆんであつた。

けつしてそんになる氣遣きづかひ御座ございません。十ぷんすわれば、十ぷんこうがあり、二十ぷんすわれば二十ぷんとくがあるのは無論むろんです。其上そのうへ最初さいしよひと奇麗きれいいてけば、あとはふう始終しじゆう此所こゝ御出おいでにならないでもみますから」

 宗助そうすけ義理ぎりにもまた自分じぶんへやかへつてすわらなければならなかつた。

 んなとき宜道ぎだうて、

野中のなかさん提唱ていしやうです」とさそつてれると、宗助そうすけこゝろからうれしいがした。かれ禿頭はげあたまつらまへるやうどころのない難題なんだいなやまされて、ながらじつ煩悶はんもんするのを、如何いかにもせつなくおもつた。どんなに精力せいりよく消耗せうかうする仕事しごとでもいから、もうすこ積極的せききよくてき身體からだはたらかしたくおもつた。

 提唱ていしやうのある場所ばしよは、矢張やは一窓庵いつさうあんから一ちやうへだゝつてゐた。蓮池れんちまへとほして、それをひだりまがらずに眞直まつすぐあたると、屋根瓦やねがはらいかめしくかさねたたかのきが、まつあひだあふがれた。宜道ぎだうふところくろ表紙へうしほんれてゐた。宗助そうすけ無論むろんぶらであつた。提唱ていしやうふのが、學校がくかうでいふ講義かうぎ意味いみであることさへ、此所こゝはじめてつた。

 へやたか天井てんじやう比例ひれいしてひろさむかつた。いろかはつたたゝみいろふるはしらつて、むかし物語ものがたやうてゝゐた。其所そこすわつてゐる人々ひと〴〵みな地味ぢみえた。席次せきじ不同ふどうおも々々〳〵めてはゐるが、高聲かうせいかたるもの、わらふものは一人ひとりもなかつた。そうみな紺麻こんあさ法衣ころもて、正面しやうめん曲彔きよくろく左右さいうれつつくつてむかあはせにならんだ。その曲彔きよくろくしゆつてあつた。

 やがて老師らうしあらはれた。たゝみ見詰みつめてゐた宗助そうすけには、かれ何處どことほつて、何處どこから此所こゝたか薩張さつぱりわからなかつた。たゞかれはらつて曲彔きよくろく重々おも〳〵しい姿すがたた。一人ひとりわかそうちながら、むらさき袱紗ふくさいて、なかからした書物しよもつを、うや〳〵しく卓上たくじやうところた。またその禮拜らいはいして退しりぞくさまた。

 此時このとき堂上だうじやうそう一齊いつせい合掌がつしやうして、夢窓國師むさうこくし遺誡ゐかいじゆはじめた。おもひ〳〵にせきつた宗助そうすけ前後ぜんごにゐる居士こじみな同音どうおん調子てうしあはせた。いてゐると、經文きやうもんやうな、普通ふつう言葉ことばやうな、一種いつしゆふしびた文字もんじであつた。「われ三等さんとう弟子でしあり。所謂いはゆる猛烈まうれつにして諸縁しよえん放下はうげし、專一せんいつ己事こじ究明きうめいするこれ上等じやうとうづく。修業しうげふじゆんならず駁雜はくざつがくこのむ、これ中等ちゆうとうふ」云々うん〳〵といふ、あまながくはないものであつた。宗助そうすけはじ夢窓國師むさうこくし何人なんぴとなるかをらなかつた。宜道ぎだうからこの夢窓國師むさうこくし大燈國師だいとうこくしとは、禪門ぜんもん中興ちゆうこうであるとことをそはつたのである。平生へいぜいちんば充分じゆうぶんあしこと出來できないのをいきどほつて、間際まぎはに、今日けふこそおれごとくにしてせるとひながら、わるはうあし無理むりつぺしよつて、結跏けつかしたため、ながれて法衣ころも煑染にじましたといふ大燈國師だいとうこくしはなし其折そのをり宜道ぎだうからいた。

 やがて提唱ていしやうはじまつた。宜道ぎだうふところかられい書物しよもつしてページなからして宗助そうすけまへいた。それは宗門しゆうもん無盡むじん燈論とうろん書物しよもつであつた。はじめてきにとき宜道ぎだうは、

難有ありがた結構けつこうほんです」と宗助そうすけをしへてれた。白隱和尚はくいんをしやう弟子でし東嶺和尚とうれいをしやうとかいふひと編輯へんしふしたもので、おもぜん修行しゆぎやうするものが、あさところからふかところすゝんで徑路けいろやら、それにともなふ心境しんきやう變化へんくわやらを秩序立ちつじよだてゝいたものらしかつた。

 中途ちゆうとからかほした宗助そうすけには、くもせなかつたけれども、講者かうじや能辯のうべんはうで、だまつていてゐるうちに、大變たいへん面白おもしろところがあつた。其上そのうへ參禪さんぜん鼓舞こぶするためか、古來こらいからこのみちくるしんだひと閲歴譚えつれきだんなどぜて一段いちだん精彩せいさいけるのがれいであつた。此日このひそのとほりであつたが或所あるところると、突然とつぜん語調ごてうあらためて、

此頃このごろ室中しつちゆうきたつて、うも妄想まうざうおこつて不可いけないなどうつたへるものがあるが」ときふ入室者にふしつしや不熱心ふねつしんいましめしたので、宗助そうすけおぼえずぎくりとした。室中しつちゆうつて、そのうつたへをなしたものはじつかれ自身じしんであつた。

 一時間じかんのち宜道ぎだう宗助そうすけそでをつらねてまた一窓庵いつさうあんかへつた。そのかへみち宜道ぎだうは、

「あゝして提唱ていしやうのあるときに、よく參禪者さんぜんしや不心得ふこゝろえふうせられます」とつた。宗助そうすけなにこたへなかつた。


二十一


 其内そのうちやまなかは、一日々々いちにち〳〵つた。御米およねからはなりなが手紙てがみがもう二ほんた。もつとも二ほんともあらたに宗助そうすけこゝろみだやう心配事しんぱいごといてなかつた。宗助そうすけつね細君さいくんおもひにつひ返事へんじすのをおこたつた。かれやままへに、なにとか此間このあひだ問題もんだいかたけなければ、折角せつかく甲斐かひがないやうな、また宜道ぎだうたいしてまないやうがしてゐた。めてゐるときは、これがために名状めいじやうがた一種いつしゆ壓迫あつぱくけつゞけにけた。したがつてれてけて、てら太陽たいやうかずかさなるにつけて、あたかうしろからけられでもするごといらつた。けれどもかれ最初さいしよ解決かいけつよりほかに、一この問題もんだいにちかづくすべらなかつた。かれまたいくらかんがへてもこの最初さいしよ解決かいけつたしかなものであるとしんじてゐた。たゞ理窟りくつからしたのだから、はらたしには一向いつかうならなかつた。かれこのたしかなものをはふして、さらまたたしかなものをもとめやうとした。けれども左樣そんなものはすこしもなかつた。

 かれ自分じぶんへやひとかんがへた。つかれると、臺所だいどころからりて、うら菜園さいゑんた。さうしてがけしたつた横穴よこあななか這入はいつて、つとうごかずにゐた。宜道ぎだうやうでは駄目だめだとつた。段々だん〳〵集注しふちゆうしてかたまつて、仕舞しまひてつぼうやうにならなくては駄目だめだとつた。さうことけばほど實際じつさいにさうなるのが、困難こんなんになつた。

すであたまなかに、さう仕樣しやう下心したごゝろがあるから不可いけないのです」と宜道ぎだうまたつてかした。宗助そうすけいよ〳〵きゆうした。忽然こつぜん安井やすゐことかんがした。安井やすゐがもし坂井さかゐいへ頻繁ひんぱん出入でいりでもするやうになつて、當分たうぶん滿洲まんしうかへらないとすれば、いまのうちあの借家しやくやげて、何處どこかへ轉宅てんたくするのが上分別じやうふんべつだらう。こんなところ愚圖々々ぐづ〳〵してゐるより、はや東京とうきやうかへつて其方そのはう所置しよちけたはうがまだ實際的じつさいてきかもれない。ゆつくりかまへて、御米およねにでもれるとまた心配しんぱいえるだけだとおもつた。

わたくしやうなものには到底たうていさとりひらかれさうにりません」とおもめたやう宜道ぎだうつらまへてつた。それはかへ二三日にさんちまへことであつた。

「いえ信念しんねんさへあればだれでもさとれます」と宜道ぎだう躊躇ちうちよもなくこたへた。「法華ほつけかたまりが夢中むちゆう太鼓たいこたゝやうつて御覽ごらんなさい。あたま巓邊てつぺんからあし爪先つまさきまでこと〴〵公案こうあん充實じゆうじつしたとき、俄然がぜんとして新天地しんてんち現前げんぜんするので御座ございます」

 宗助そうすけ自分じぶん境遇きやうぐうやら性質せいしつが、夫程それほど盲目的まうもくてき猛烈まうれつはたらきあへてするにてきしないことふかかなしんだ。いはんや自分じぶんこのやまらすべきすでかぎられてゐた。かれ直截ちよくせつ生活せいくわつ葛藤かつとうはらつもりで、かへつて迂濶うくわつやまなかまよんだ愚物ぐぶつであつた。

 かれはらなかかんがへながら、宜道ぎだう面前めんぜんで、それだけことちからがなかつた。かれこゝろからこのわか禪僧ぜんそう勇氣ゆうき熱心ねつしん眞面目まじめ親切しんせつとに敬意けいいへうしてゐたのである。

みちちかきにあり、かへつてこれとほきにもとむといふ言葉ことばがあるが實際じつさいです。ついはなさきにあるのですけれども、うしてもきません」と宜道ぎだうはさも殘念ざんねんさうであつた。宗助そうすけまた自分じぶんへや退しりぞいて線香せんかうてた。

 状態じやうたいは、不幸ふかうにして宗助そうすけやまらなければならないまでほど新生面しんせいめんひら機會きくわいなくつゞいた。いよ〳〵出立しゆつたつあさになつて宗助そうすけいさぎよく未練みれんてた。

永々なが〳〵御世話おせわになりました。殘念ざんねんですが、うも仕方しかたがありません。もう當分たうぶん御眼おめかるをり御座ございますまいから、隨分ずゐぶん御機嫌ごきげんよう」と宜道ぎだう挨拶あいさつをした。宜道ぎだうどくさうであつた。

御世話おせわどころか、萬事ばんじ不行屆ふゆきとゞきさぞ御窮屈ごきゆうくつ御座ございましたらう。しか是程これほど御坐おすわりになつても大分だいぶちがひます。わざ〳〵御出おいでになつただけこと充分じゆうぶん御座ございます」とつた。しか宗助そうすけにはまる時間じかんつぶしにやう自覺じかくあきらかにあつた。それをつくろつてつてもらふのも、自分じぶん腑甲斐ふがひなさからであると、ひとつた。

さとり遲速ちそくまつたひと性質たちで、それだけでは優劣いうれつにはなりません。やすくてもあとつかへてうごかないひともありますし、またはじながかつても、いよ〳〵場合ばあひ非常ひじやう痛快つうくわい出來できるのもあります。けつして失望しつばうなさること御座ございません。たゞ熱心ねつしん大切たいせつです。くなられた洪川和尚こうせんをしやうなどは、もと儒教じゆけうをやられて、中年ちゆうねんからの修業しゆげふ御座ございましたが、そうになつてから三ねんあひだふものまる一則いつそくとほらなかつたです。それわしごふふかくてさとれないのだとつて、毎朝まいてうかはやむかつて禮拜らいはいされたくらゐでありましたが、のちにはあのやうな知識ちしきになられました。これなどもつとれいです」

 宜道ぎだうんなはなしをして、あん宗助そうすけ東京とうきやうかへつてからも、まつた此方このはう斷念だんねんしないやうにあらかじめ間接かんせつ注意ちゆういあたへるやうえた。宗助そうすけつゝしんで、宜道ぎだうのいふことみゝした。けれどもはらなかでは大事だいじがもうすで半分はんぶんつたごとくにかんじた。自分じぶんもんけてもらひにた。けれども門番もんばんとびら向側むかふがはにゐて、たゝいてもつひかほさへしてれなかつた。たゞ、

たゝいても駄目だめだ。ひとりでけてはひれ」とこゑきこえただけであつた。かれうしたらこのもんくわんのきけること出來できるかをかんがへた。さうしてその手段しゆだん方法はうはふあきらかにあたまなかこしらえた。けれどもそれ實地じつちけるちからは、すこしも養成やうせいすること出來できなかつた。したがつて自分じぶんつてゐる場所ばしよは、この問題もんだいかんがへないむかしがうことなるところがなかつた。かれ依然いぜんとして無能むのう無力むりよくざされたとびらまへのこされた。かれ平生へいぜい自分じぶん分別ふんべつ便たよりきてた。その分別ふんべついまかれたゝつたのを口惜くちをしおもつた。さうしてはじめから取捨しゆしや商量しやうりやうれないおろかなものゝ一徹いつてつ一圖いちづうらやんだ。もしくは信念しんねんあつ善男善女ぜんなんぜんによの、知慧ちゑわす思議しぎうかばぬ精進しやうじん程度ていど崇高すうかうあふいだ。かれ自身じしんなが門外もんぐわい佇立たゝずむべき運命うんめいをもつてうまれてたものらしかつた。それ是非ぜひもなかつた。けれども、うせとほれないもんなら、わざ〳〵其所そこまで辿たどくのが矛盾むじゆんであつた。かれうしろかへりみた。さうして到底たうていまたもとみちかへ勇氣ゆうきたなかつた。かれまへながめた。まへには堅固けんごとびら何時いつまで展望てんばうさへぎつてゐた。かれもんとほひとではなかつた。またもんとほらないでひとでもなかつた。えうするに、かれもんしたすくんで、れるのをつべき不幸ふかうひとであつた。

 宗助そうすけまへに、宜道ぎだうれだつて、老師らうしもと一寸ちよつと暇乞いとまごひつた。老師らうし二人ふたり蓮池れんちうへの、えん勾欄こうらんいた座敷ざしきとほした。宜道ぎだうみづかつぎつて、ちやれてた。

東京とうきやうはまださむいでせう」と老師らうしつた。「すこしでも手掛てがゝりが出來できてからだと、かへつたあともらくだけれども。をしことで」

 宗助そうすけ老師らうしこの挨拶あいさつたいして、丁寧ていねいれいべて、また十日とをかまへくゞつた山門さんもんた。いらかあつするすぎいろが、ふゆふうじてくろかれうしろそびえた。


二十二


 いへ敷居しきゐまたいだ宗助そうすけは、おのれにさへ憫然びんぜん姿すがたゑがいた。かれ過去くわこ十日間とをかかん毎朝まいあさあたま冷水れいすゐらしたなり、いまかつくしとほしたことがなかつた。ひげもとよりいとまたなかつた。三度さんどとも宜道ぎだう好意かうい白米はくまいかしいだのをべたにはべたが、副食物ふくしよくぶつつては、たのか、大根だいこんたのぐらゐなものであつた。かれかほおのづからあをかつた。まへよりも多少たせう面窶おもやつれてゐた。其上そのうへかれ一窓庵いつさうあんかんがへつゞけにかんがへた習慣しふくわんがまだまつたらなかつた。何所どこかにたまごいだ牝鷄めんどりやう心持こゝろもちのこつて、あたま平生へいぜいとほ自由じいうはたらかなかつた。其癖そのくせ一方いつぱうでは坂井さかゐことかつた。坂井さかゐふよりも、坂井さかゐ所謂いはゆる冒險者アドヹンチユアラーとして宗助そうすけみゝひゞいたそのおとゝと、そのおとゝ友達ともだちとしてかれむねさわがした安井やすゐ消息せうそくにかゝつた。けれどもかれ自身じしん家主やぬしたく出向でむいてそれをたゞ勇氣ゆうきたなかつた。間接かんせつにそれを御米およねふことはなほ出來できなかつた。かれやまにゐるあひださへ、御米およねこの事件じけんいて何事なにごとみゝにしてれなければいがと氣遣きづかはないはなかつたくらゐである。宗助そうすけ年來ねんらいれたいへ座敷ざしきすわつて、

汽車きしやるとみじかい道中だうちゆうでも所爲せゐつかれるね。留守中るすちゆう別段べつだんかはつたことはなかつたかい」といた。實際じつさいかれみじかい汽車きしや旅行りよかうにさへへかねる顏付かほつきをしてゐた。

 御米およね如何いか場合ばあひにもをつとまへわすれなかつた笑顏ゑがほさへつくなかつた。とつて、折角せつかく保養ほやうつた轉地先てんちさきからいまかへつてたばかりのをつとに、かないまへよりかへつて健康けんかうわるくなつたらしいとは、どく露骨ろこつはなにくかつた。わざと活溌くわつぱつに、

「いくら保養ほやうでも、うちかへると、すこしは氣疲きづかれるものよ。けれども貴方あなたあんまり爺々汚ぢゞむさいわ。後生ごしやうだから一休ひとやすみしたら御湯おゆつてあたまつてひげつて頂戴ちやうだい」とひながら、わざ〳〵つくゑ引出ひきだしからちひさなかゞみしてせた。

 宗助そうすけ御米およね言葉ことばいて、はじめて一窓庵いつさうあん空氣くうきかぜはらつたやう心持こゝろもちがした。ひとたびやまうちかへれば矢張やはもと宗助そうすけであつた。

坂井さかゐさんからは其後そのごなんともつてないかい」

「いゝえなんとも」

小六ころくことも」

「いゝえ」

 その小六ころく圖書館としよくわんつて留守るすだつた。宗助そうすけ手拭てぬぐひ石鹸せきけんつてそとた。

 あく役所やくしよると、みんなから病氣びやうきはどうだとかれた。なかにはすこせたやうですねとふものもあつた。宗助そうすけにはそれ無意識むいしき冷評れいひやう意味いみきこえた。菜根譚さいこんたんをとこはたゞうですうまきましたかとたづねた。宗助そうすけこのとひにも大分だいぶいたおもひをした。

 其晩そのばんまた御米およね小六ころくからかはる〴〵鎌倉かまくらこと根掘ねほ葉掘はほはれた。

氣樂きらくでせうね。留守居るすゐなにかないでられたら」と御米およねつた。

「それで一日いちんち幾何いくらすといてれるんです」と小六ころくいた。「鐵砲てつぱうでもかついでつて、れふでもしたら面白おもしろからう」ともつた。

しか退屈たいくつね。そんなにさむしくつちや。あさからばんまでらつしやるわけにもかないでせう」と御米およねまたつた。

「もうすこ滋養物じやうぶつへるところでなくつちあ、身體からだくないでせう」と小六ころくまたつた。

 宗助そうすけ其夜そのよとこなかはひつて、明日あしたこそおもつて、坂井さかゐつて安井やすゐ消息せうそくをそれとなくたゞして、もしかれがまだ東京とうきやうにゐて、なほしば〳〵坂井さかゐ徃復わうふくがあるやうなら、とほくのはう引越ひつこして仕舞しまはうとかんがへた。

 つぎ平凡へいぼん宗助そうすけあたまらして、ことなきひかり西にしおとした。つてかれは、

一寸ちよつと坂井さかゐさんまでつてる」とてゝもんた。つきのないさかのぼつて、瓦斯燈ガスとうらされた砂利じやりらしながら潛戸くゞりどけたときかれ今夜こんや此所こゝ安井やすゐやう萬一まんいちはまづおこらないだらうと度胸どきようゑた。それでもわざと勝手口かつてぐちまはつて、御客來おきやくらいですかとくことはわすれなかつた。

御出おいでです。うも相變あひかはらずさむいぢやありませんか」とつねとほ元氣げんき主人しゆじんると、子供こども大勢おほぜい自分じぶんまへならべて、其中そのうち一人ひとり掛聲かけごゑをかけながら、じやんけんつてゐた。相手あひてをんなとしは、むつばかりえた。あかはゞのあるリボンを蝶々てふ〳〵やうあたまうへ喰付くつつけて、主人しゆじんけないほどいきほひで、ちひさなにぎかためてさつとまへした。その斷然だんぜんたる樣子やうすと、そのにぎこぶしちひさゝと、これはんして主人しゆじん仰山ぎやうさんらしくおほきな拳骨げんこつが、對照たいせうになつてみんなわらひいた。火鉢ひばちはたてゐた細君さいくんは、

「そら今度こんだこさ雪子ゆきこかちだ」とつて愉快ゆくわいさうに綺麗きれいあらはした。子供こどもひざそばにはしろだのあかだのあゐだのゝ硝子玉がらすだま澤山たくさんあつた。主人しゆじんは、

「とう〳〵雪子ゆきこけた」とせきはづして、宗助そうすけはういたが、「うですまた洞窟とうくつへでもみますかな」とつてがつた。

 書齋しよさいはしらにはれいごとにしきふくろれた蒙古刀もうこたうがつてゐた。花活はないけには何處どこいたか、もう黄色きいろはなしてあつた。宗助そうすけ床柱とこばしら中途ちゆうとはなやかにいろどるふくろけて、

相變あひかはらずかつてりますな」とつた。さうして主人しゆじん氣色けしきあたまおくからうかゞつた。主人しゆじんは、

「えゝ物數奇ものずきぎますね、蒙古刀もうこたうは」とこたへた。「ところおとゝ野郎やらうそんな玩具おもちやつてては、兄貴あにき籠絡ろうらくするつもりだからこまりものぢやありませんか」

御舍弟ごしやてい其後そのごうなさいました」と宗助そうすけ何氣なにげないふうしめした。

「えゝやうやく四五にちまへかへりました。ありやまつた蒙古向もうこむきですね。御前おまへやう夷狄いてき東京とうきやうにや調和てうわしないからはやかへれつたら、わたしもさうおもふつてかへつてきました。うしても、ありや萬里ばんり長城ちやうじやう向側むかふがはにゐるべき人物じんぶつですよ。さうしてゴビの沙漠さばくなか金剛石ダイヤモンドでもさがしてゐればいんです」

「もう一人ひとり御伴侶おつれは」

安井やすゐですか、あれも無論むろん一所いつしよです。あゝなるといちやられないとえますね。なんでももと京都大學きやうとだいがくにゐたこともあるんだとかはなしですが。うして、あゝ變化へんくわしたものですかね」

 宗助そうすけわきしたからあせた。安井やすゐかはつて、どうかないのか、まつたにはならなかつた。たゞ自分じぶん主人しゆじん安井やすゐおな大學だいがくにゐたことを、まだらさなかつたのを天祐てんいうやう有難ありがたおもつた。けれども主人しゆじんそのおとうと安井やすゐとを晩餐ばんさんぶとき、自分じぶんこの二人ふたり紹介せうかいしやうとまををとこである。辭退じたいをしてそのせきかほ不面目丈ふめんもくだけやつまぬかれたやうなものゝ、そのばん主人しゆじんなにかの機會はずみについ自分じぶん二人ふたりらさないとはかぎらなかつた。宗助そうすけ後暗うしろぐらひとの、變名へんみやうもちひてわた便利べんりせつかんじた。かれ主人しゆじんむかつて、「貴方あなたはもしやわたくし安井やすゐまへくちにしやしませんか」といてたくてたまらなかつた。けれども、夫丈それだけうしてもけなかつた。

 下女げぢよひらたいおほきな菓子皿くわしざらめう菓子くわしつてた。一丁いつちやう豆腐とうふぐらゐおほきさの金玉糖きんぎよくたうなかに、金魚きんぎよが二ひきいてえるのを、其儘そのまゝ庖丁はうちやうれて、もとかたちくづさずに、さらうつしたものであつた。宗助そうすけ一目ひとめて、たゞめづらしいとかんじた。けれどもかれあたまむしほか方面はうめんうばはれてゐた。すると主人しゆじんが、

うですひとつ」といつもとほ自分じぶんからした。

これはね、昨日きのふあるひと銀婚式ぎんこんしきばれて、もらつてたのだから、すこぶる御目出度おめでたいのです。貴方あなた一切ひときれぐらゐあやかつてもいでせう」

 主人しゆじんあやかりたいもとに、甘垂あまたるい金玉糖きんぎよくたう幾切いくきれ頬張ほゝばつた。これはさけみ、ちやみ、めし菓子くわしへるやう出來できた、重寶ちようはう健康けんかうをとこであつた。

なにじつふと、二十ねんも三十ねん夫婦ふうふしわだらけになつてきてゐたつて、べつ御目出度おめでたくもありませんが、其所そこもの比較的ひかくてきところでね。わたくし何時いつ清水谷しみづだに公園こうゑんまへとほつておどろいたことがある」とへん方面はうめんはなしつてつた。ういふふうに、それからそれへときやくかせないやう引張ひつぱつてくのが、社交しやかうになれた主人しゆじん平生へいぜい調子てうしであつた。

 かれところによると、清水谷しみづだにから辨慶橋べんけいばしつうじる泥溝どぶやうほそながれなかに、春先はるさきになると無數むすうかへるうまれるのださうである。そのかへるつて生長せいちやうするうちに、いくくみいくくみこひ泥渠どぶなか成立せいりつする。さうして夫等それらあいきるものがかさならないばかり隙間すきまなく清水谷しみづだにから辨慶橋べんけいばしつゞいて、たがひむつまじくういてゐると、とほがゝりの小僧こぞうだの閑人ひまじんが、いしけて、無殘むざんにもかへる夫婦ふうふころしてくものだから、そのかずほとんど勘定かんぢやうれないほどおほくなるのださうである。

死屍累々ししるゐ〳〵とはあのことですね。それがみんな夫婦ふうふなんだから實際じつさいどくですよ。つまりあすこを二三ちやうとほるうちに、我々われ〳〵悲劇ひげきにいくつ出逢であふかわからないんです。それかんがへると御互おたがひじつ幸福かうふくでさあ。夫婦ふうふになつてるのがにくらしいつて、いしあたまられるおそれは、まあいですからね。しかも双方さうはうともに二十ねんも三十ねん安全あんぜんなら、まつた御目出おめでたいにちがひありませんよ。だから一切ひときれぐらゐあやかつて必要ひつえうもあるでせう」とつて、主人しゆじんはわざとはし金玉糖きんぎよくたうはさんで、宗助そうすけまへした。宗助そうすけ苦笑くせうしながら、それをけた。

 こんな冗談じようだんまじりのはなしを、主人しゆじんはいくらでもつゞけるので、宗助そうすけむをへんまではられてつた。けれどもはらなかけつして主人しゆじんやう太平樂たいへいらくにはかなかつた。しておもてて、またつきのないそらながめたときは、そのふかくろいろもとに、なんともれない一種いつしゆ悲哀ひあい物凄ものすごさをかんじた。

 かれ坂井さかゐいへに、たゞいやしくもまぬかれんとする料簡れうけんつた。さうして、その目的もくてきたつするために、はぢ不愉快ふゆくわいしのんで、好意かうい眞率しんそつちた主人しゆじんたいして、政略的せいりやくてき談話だんわつた。しかもらうとおもことこと〴〵こと出來できなかつた。おのれの弱點じやくてんいては、一言ひとことかれまへ自白じはくするの勇氣ゆうき必要ひつえうみとめなかつた。

 かれあたまかすめんとした雨雲あまぐもは、からうじて、あたまれずにぎたらしかつた。けれども、これ不安ふあんこれからさき何度なんどでも、色々いろ〳〵程度ていどおいて、かへさなければまないやうむしらせが何處どこかにあつた。それをかへさせるのはてんことであつた。それをげてまはるのは宗助そうすけことであつた。


二十三


 つきかはつてからさむさが大分だいぶゆるんだ。官吏くわんり増俸ぞうほう問題もんだいにつれて必然ひつぜんおこるべく、多數たすううはさのぼつた局員きよくゐん課員くわゐん淘汰たうたも、月末げつまつまでほゞ片付かたづいた。そのあひだぽつり〳〵とくびられる知人ちじん未知人みちじん名前なまへえずみゝにした宗助そうすけは、時々とき〴〵うちかへつて御米およねに、

今度こんだおればんかもれない」とことがあつた。御米およねはそれを冗談じようだんともき、また本氣ほんきともいた。まれにはかくれた未來みらい故意こい不吉ふきつ言葉ことばとも解釋かいしやくした。それをくちにする宗助そうすけむねなかにも、御米およねおなやうくも去來きよらいした。

 つきあらたまつて、役所やくしよ動搖どうえうこれ一段落いちだんらくだと沙汰さたせられたとき宗助そうすけのこつた自分じぶん運命うんめいかへりみて、當然たうぜんやうにもおもつた。また偶然ぐうぜんやうにもおもつた。ちながら、御米およね見下みおろして、

「まあたすかつた」とづかしつた。そのうれしくもかなしくもない樣子やうすが、御米およねにはてんからちた滑稽こつけいえた。

 また二三にちして宗助そうすけ月給げつきふが五ゑんのぼつた。

原則通げんそくどほり二わりさないでも仕方しかたがあるまい。められたひとも、元給げんきふまゝでゐるひと澤山たくさんあるんだから」とつた宗助そうすけは、このゑん自己じこ以上いじやう價値かちをもたらしかへつたごと滿足まんぞくいろせた。御米およね無論むろんことこゝろのうちに不足ふそくうつたへるべき餘地よち見出みいださなかつた。

 翌日あくるひばん宗助そうすけはわがぜんうへかしらつきのうをの、さらそとをどらすさまながめた。小豆あづきいろまつためしかをりいだ。御米およねはわざ〳〵きよつて、坂井さかゐいへうつつた小六ころくまねいた。小六ころくは、

「やあ御馳走ごちそうだなあ」とつて勝手かつてからはひつてた。

 うめがちらほらとやうになつた。はやいのはすでいろうしなつてりかけた。あめけむやうはじめた。それがれて、されるとき、地面ぢめんからも、屋根やねからも、はる記憶きおくあらたにすべき濕氣しつきがむら〳〵とのぼつた。脊戸せどした雨傘あまがさに、小犬こいぬがじやれゝつて、じやいろがきら〳〵するところ陽炎かげろふえるごと長閑のどかおもはれるもあつた。

やうやふゆぎたやうね。貴方あなた今度こんだ土曜どえう佐伯さへき叔母をばさんのところまはつて、小六ころくさんのことめてらつしやいよ。あんまり何時いつまではふつてくとまたやすさんがわすれて仕舞しまふから」と御米およね催促さいそくした。宗助そうすけは、

「うん、おもつてつてよう」とこたへた。小六ころく坂井さかゐ好意かういで、其所そこ書生しよせいんだ。其上そのうへ宗助そうすけ安之助やすのすけが、不足ふそくところ分擔ぶんたんすること出來できたらと小六ころくつてかしたのは、宗助そうすけ自身じしんであつた。小六ころくあに運動うんどうたずに、すぐ安之助やすのすけ直談判ぢきだんぱんをした。さうして、形式的けいしきてき宗助そうすけはうから依頼いらいすればすぐ安之助やすのすけけるまで自分じぶんらちけたのである。

 小康せうかうくしてことこのまない夫婦ふうふうへちた。ある日曜にちえうひる宗助そうすけひさりに、四日目よつかめあかながすため横町よこちやう洗湯せんたうつたら、五十ばかりあたまつたをとこと、三十だい商人あきんどらしいをとこが、やうやはるらしくなつたとつて、時候じこう挨拶あいさつはしてゐた。わかはうが、今朝けさはじめてうぐひす鳴聲なきごゑいたとはなすと、ばうさんのはうが、わたしは二三日前にちまへにも一いたことがあるとこたへてゐた。

「まだきはじめだから下手へただね」

「えゝ、まだ充分じゆうぶんしたまはりません」

 宗助そうすけうちかへつて御米およねこのうぐひす問答もんだふかへしてかせた。御米およね障子しやうじ硝子がらすうつうらゝかな日影ひかげをすかしてて、

本當ほんたう有難ありがたいわね。やうやくのことはるになつて」とつて、れ〴〵しいまゆつた。宗助そうすけえんながびたつめりながら、

「うん、しかまたぢきふゆになるよ」とこたへて、したいたまゝはさみうごかしてゐた。

底本:「漱石全集 第四卷 三四郎 それから 門」岩波書店

   1966(昭和41)年325日発行

   1975(昭和50)年310日第2刷発行

初出:「朝日新聞」

   1910(明治43)年31日~612

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※「成効」と「成效」、「やうやく」「やうやく」、「僞物」と「贋物」の混在は、底本通りです。

※底本巻末の注解は省略しました。

入力:阿部哲也

校正:染川隆俊

2018年1224日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。