雲母集
北原白秋

きらら。  雲母。うんも。タマのたぐひにて、五色ゴシキのひかりあり。深山オクヤマイシアヒダにいでくるものにて、カミをかさねたるごとくかさなりあひて、げば、よくはがれて、うすく、カミのやうになれども、にいれてもやけず。ミヅにいれてもぬるゝことなし。和名(雲母和名、
岐良々

『日本大辞林』

新生 序歌


煌々くわうくわうと光りて動く山ひとつ押しかたぶけてる力はも




煌々くわう〳〵と光りて深き巣のなかは卵ばつかりつまりけるかも


大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも


かなしきは春画の上にころがれる七面鳥の卵なりけり



大鴉


大鴉一羽渚にもだふかしうしろにうごく漣の列


大鴉一羽地に下り昼深しそれを眺めてまた一羽来し


昼渚人し見えねば大鴉はつたりとめすおさへぬるかも


大鴉なぎさありけどうららなる波はそこまでとどかざりけり


寂光じやくくわうの浜に群れゐる大鴉それの真上まうへにまた一羽来し


一羽飛び二羽飛び三羽飛び四羽五羽飛び大鴉いちどに飛びにけるかも


大空のもとにしまし伏したり病鴉やみがらす生きて飛び立つ最後に一羽




水のに白きむく犬姿うつし口には燃ゆるくれなゐの肉


丸木橋まるきばしの上と下とを真白きもの煌々くわうくわうとして通りけるかも



魚介三品


水の面に光ひそまり昼深しぬつと海亀息吹きにたり


日ざかりは巌を動かす海蛆ふなむしもぱつたりと息をひそめけるかも


ふかざめ大地だいちの上はあるかねばそこにごろりところがりにけり




ふかぶかとまなこひらけばどん底に何か光りて渦巻くらしも



薔薇


盤石ばんじやくに圧し伏せられし薔薇ばらの花石をはねのけてり深みかも




大空に何も無ければ入道雲むくりむくりと湧きにけるかも

流離抄

三崎哀傷歌


大正二年一月二日、哀傷のあまりただひとり海を越えて三崎に渡る。淹留旬日、幸に命ありてひとまづ都に帰る。これわが流離のはじめなり。


前夜


雪深しくぐみゐたればくれなゐの月いで方となりにけるかな


河口


思ひきや霧の晴間はれまのみをつくし光りゆらめく河下見れば


朝霧にかぎり知られぬみをつくしかぎりも知らぬ恋もするかな


朝霧に光りゆらめくみをつくしいまだ死なむと吾が思はなくに


三崎真福寺


日だまりに光りゆらめく黄薔薇くわうしようびゆすり動かしてゐる鳥のあり


黄薔薇くわうしようび光りゆらめくとも知らず雀飛び居りゆらめきつつも


二町谷


寂しさに浜へて見れば波ばかりうねりくねれりあきらめられず


寂しさに男三人浜にで三人そろうてあきらめられず


八景原


海人あまが子がもぐり漕ぎたみみるめ刈るここの漣かぎり知られず


八景原の崖に揺れ揺るかづらの葉かづら日に照るあきらめられず


小牛ゐて薊み居り八景原小牛かはゆしあきらめられず


来て見ればけふもかがやくしろがねの沖辺はるかにゆく蒸汽ふねのあり


日が照る海がかがやく鰯船板子いたごたたけりあきらめられず


八景原はつけばら春の光は極みなし涙ながして寝ころびて居る


あまつさへ日は麗らかに枯草のふかき匂ひもひもじきかなや


日の光ひたと声せずなりにけり何事か沖に事あるらしや


ただひとつあかき日の玉くるくると沖にかがやくあきらめられず


空赤く海また赤し八景原はつけばらなかのとんがり山なぜ黒いぞな


雲雀啼く浦のくるわ田圃たんぼみち行けばさびしもまだ日は暮れず


華魁ヶ浜


何かしら笑ひ泣きする心なり野菜畑に鰯ころがる


来て見れば鰯ころがる蕪畑かぶらばた蕪みどりの葉をひるがへす


城ヶ島


日暮るれば枯草山の枯草をただかきわけていそぐなりけり


夕されば涙こぼるるじやうヶ島人間ひとり居らざりにけり


帰途


おめおめと生きながらへてくれなゐの山の椿に身をせにけり



大川端


夕暮の余光のもとをうち案じ空馬車馭してゆく馭者のあり


屋根の太陽は赤くおどみて石だたみ古るき歩道ほだうに暮れ落ちにけり


夕されば大川端に立つ煙重く傾むく風吹かむとす


悲しくも思かたむけいつとなくながれのきしをたどるなりけり


風寒く夕日ばめり冬の水いま街裏まちうらを逆押してゆく



枯草ぐるま


夕さればひとりぽつちの杉の樹に日はえんえんと燃えてけるかも


あかあかと枯草ぐるまゆるやかに夕日の野辺をきしむなりけり


悲しともなくてなつかしかがやかに夕日にかへる枯草ぐるま


道のべの道陸神だうろくじんよあかあかと日照りくまなし道陸神よ


日は暮れぬ人間ものの誰知らぬふかき恐怖おそれに牛吼えてゆく

三崎新居

三崎新居


大正二年四月下浣、家をあげて三崎向ヶ崎に移る。


恍惚くわうこつとよろめきわたるわだつうみのいろこの宮のほとりにぞ居る



新生



水あさぎ空ひろびろし吾が父よここは牢獄ひとやにあらざりにけり


深みどり海はろばろし吾が母よここは牢獄ひとやにあらざりにけり



不尽抄


不尽ふじの山れいろうとしてひさかたのてんの一方におはしけるかも


ほがらかにてんすべりあがる不尽ふじの山われを忘れてわがふり仰ぐ


わがこころうららかなれば不尽の山けふ朗らかに見ゆるものかも


不尽ふじの山うららかなればわがこころ朗らかになりて眺め惚れて居る



同じく


ある時


父母かぞいろと海にうち出でめづらかに浮世がたりを吾がするものか


不尽ふじ見ると父母かぞいろのせてかつをぶね大きなる櫓をわが押しにけり


垂乳根たらちねのせちに見むといふ不尽ふじの山いま大空にあらはれにけり


大方おほかたにうれしきものを不尽の山わがのそらに見えにけるかも


大きなる櫓櫂かついで不尽の山眺め見わたす男なりけり



五月


さかなかつぎ丘にのぼれば馬鈴薯じやがいもの紫の花いま盛りなり


れいろうと不尽ふじ高嶺たかねのあらはれて馬鈴薯畑じやがいもはたの紫の花



ある時は


ある時はまなこひきあけ驚くとあざやかなる薔薇ばらの花買ひにけり


ある時は命さびしみ新らしきかきの酢蠣を作らせにけり


ある時は大地だいちの匂ぷんぷんとにほふキヤベツの玉もぎて居り


ある時はひとり行くとてはつたりと朱の断面に行き遇ひにたり


ある時は巣藁代へむとせしかどもその巣に卵のうまれてありけり


ある時は赤々と日のそそぎやまぬ首縊くびくくりの家を見れてゐたり


ある時は何も思はず路のべの赤馬あかの尻毛にれてゐつ


ある時は遠眼鏡もてつつましくあそぶ千鳥を凝視みつめてあるも


ある時は小さき花瓶くわびん側面かたづらにしみじみと日の飛び去るを見つ


ある時はおのが家内やうち盗人ぬすびとのごとく足音あのとをぬすみてあるも


ある時は誰知るまいと思ひのほか人が山から此方こちら向いてゐる


ある時はただ専念ひとむきに一匹の大鯛釣ると坐りたりけり



生きの身


生きの身の吾が身いとしみ牛のちちまだきに起きてまづ吸ひにけり


生きの身の吾が身いとしも鯛釣るとけふも岬の尖端とつぱな


生きの身の吾が身いとしくもぎたての青豌豆のいひたかせけり


麪麺パンを買ひ紅薔薇べにばらの花もらひたり爽やかなるかも両手りやうてに持てば


生きの身の吾が身いとしみしくしくと腐れあはびを日に干しにけり

雲母雲

水垂


水垂みづたれの岩のはざまを垂る水の蕭々せう〳〵として真昼なりけり


水垂の松のかげゆくあはれなり麗らなる日のべら釣り小舟をぶね


城ヶ島の白百合の花大きければ仰ぎてぞあらむあそびの舟は



崖の上の歓語


大きなる匍ひ下り松の枝の上漣かがやき鳥ひとつゐる


海雀つらつらあたまそろへたり光り消えたり漣見れば


この憎き男たらしがつつじの花ゆすり動かしていつまで泣くぞ


深潭しんたんの崖の上なる紅躑躅あかつつじ二人ばつかり照らしけるかも


恐ろしき淵のまはりを海雀光りつらなめ飛び居りあはれ


かき抱けば本望安堵の笑ひごゑ立てて目つぶるわが妻なれば


帰命頂礼この時遥か海雀光りめぐると誰か知らめや


帰命頂礼消えてまた照る海雀人は目をとぢ幽かにひらき


帰命頂礼誰し知らねば海雀耀きの輪をつくりまた



深淵


しんしんと淵にわらべが声すなれ瞰下みおろせば何もなかりけるかも


深潭しんたんにちららちららと白雪しらゆきのけはひつめたく沈む人かも


いつまでも淵にもぐりの影見えずあまり深くももぐりけむかも


もぐりの子真逆まつさかさまに頭より躍り入りたり親の子なれば


この淵にひそみて久し潜りの子親の子なれば玉藻刈るらむ玉藻刈るらむ



蓴菜


恋しけどおゆき思はず蓴菜じゆんさいの銀の水泥みどろに掬ひ居つ


人なればわれもまことに憔悴す蓴菜光れこの沼深く


蓴菜を掬へば水泥みどろにあまりて照り落つるなりまた沼ふかく


明るさや寥しさや人も来ず裸になれど泣くすべ知らずも


寂しけどおのれ耀きうなかぶす膝までも深くどろに踏み入り


驚きてつくづく見れば鰻なり一面に光る沼のまんなか


この沼ゆなにか湧きあがる恐ろしき光ある見て逃げ上るわれは


照りかへるすすき苅萱かるかやさみどりのひろびろし野にほつと出でつも



眼鏡橋


眼鏡橋めがねばしくぐりゆく水のをりをりに深く耀きやがて消えつも


流れかね耀かがやきの輪を水つくるそこに野菜を洗へり真青まさを


日ざかりは短艇ボート動かず水ゆかずかたはつぶつぶ空は燦々きらきら


寂しけど何も思はずこのかた銀泥ぎんどろの中に櫂を突き入れ


わが短艇ボート力いつぱい動かすと櫂を突き入れ突きかがまるも


眼鏡橋めがねばしを中にわたして茶屋三戸ここのくるわは日の照るばかり


日の光いつぱいに照る眼鏡橋誰か越えむとする眼鏡橋


眼鏡橋に西瓜断ち割る西瓜売今ぞくるわは昼寝のさかり


真昼間まつぴるま子どもつまづきしばらくは何の声だにせざりけるかも


眼鏡橋の眼鏡の中から眺むれば柳一本いつぽん風にゆらるる風にゆらるる



白日逍遥


寂しけど麦稈帽子ゆ照りこぼるる夏の光を凝視みつめて行くも


寂しけど煌々と照るのぼり坂ただ真直まつすぐにのぼりけるかも


幅びろの光なだるるなだら坂動くばかりに見えにけるかも


崖の上に照りてゆらめくものひとつ大いなる百合と見て通りたり


寂しさに油壺から小網代こあじろへ歩みかへせど昼ふかみかも


寂しさに山の真昼の赤鳥居深くくぐりてまたて来るも


の神の赤きほこらの真つ昼間大肌になりて汗ふきにけり



城ヶ島


草ふかき切りそぎ崖に大きなる男寝て居る寂しきものか


鵜の鳥と共に飛ばむとしたりしか鵜の鳥飛ばんとして飛びてゆく


飛びかける鳥につかまれきらめく魚生きたる心地もなかるらむあはれ


飛びかける鳥魚をつかみあはれあはれ輝きの空にちなむとする


しみじみと海のはたてに見し煙いつのまにやら大船となる大船となる


いつまでも向う向きたる人の頭いよよ光ればいよよ憎しも


城ヶ島の女子をなごうららに裸となり見ればほと出しよく寝たるかも


城ヶ島の女子うららに裸となり鮑取らいで何ふらむか


うつらうつら海を眺めてありそうみの女子裸となれりけるかも



海外の浜


蛸壺に蛸ひとつづつひそまりてころがる畑の太葱ふとねぎの花


深々と人間笑ふ声すなり谷一面の白百合の花


真白なるところてんぐさ干す男煌々くわう〳〵と照り一人ひとりなりけり



菖蒲園


なにしかも一人ひとりひそかに白菖蒲しろあやめ咲けるみぎはに来りしものか


ひとり来て涙落ちけりかきつばたみながら萎み夏ふかみかも


明るけどあまり真白ましろきかきつばたひと束にすれば何か暗かり


真白にぞ輝りてさびしきかきつばた白き犬つれ見にと吾が


あはれなるくるわの裏のかきつばたゆふさり覗く目もあるらむか



遊ヶ崎遊泳


さんさんと海に抜手ぬきてを切る男しまし目に見え昼はふかしも


ちちのみの父を裸になしまゐらせ泳ぎにとゆくその子が二人ふたり


寂しければ両手もろて張り切り相模灘を抜手切りゆく飛びゆくばかり


をどり入り抜手切れどもここの海の渦巻くうしほの力深しも


抜手を切り一列いちれつにゆく泳手およぎての帽子ましろに秋風の吹く

山海経

狐のかみそり


しんしんと寂しき心起りたり山にゆかめとわれ山に来ぬ


この心断崖きりぎしの上にいと赤き狐のかみそり見れどえぬかも


狐のかみそり血の出づるやうな思して踏みてゆかねば入日が赤し


狐のかみそりかたまりて赤し然れどもひとつびとつに風吹けりけり


狐のかみそりしんしんと赤し然れどもかたまりて咲けばいきどほろしも


毒ある赤き狐のかみそりは悲しき馬に食ましてかな


註、馬この花を食らへば死す


ただひとり鴉殺すとはばからず紅く踏みしく狐のかみそり


淫らにして恒心なきものじつに寂しそこにもここにも狐のかみそり


原つぱに狐のかみそりただ赤しわつとばかりに逃げ出すわれは



海光


海にゆかばこの寂しさも忘られむ海にゆかめとうちいでて来ぬ


漕ぎいでてあはれはるばるしものか沖に立つ波かぎり知られず


われと櫓をわれと礼拝おろがむ心なりひとすぢに水脈みをを光らしてゆけば


金色こんじき飛沫しぶきつめたくそらをうつ大海だいかいの波は悲しかりけり


一心に舟を漕ぐ男はるに見ゆ金色の日がくるくると


尿いばりすれば金の光のひとすぢがさんさんと落ちてはぢきかへすも


北斎のてんをうつ波なだれ落ちたちまち不二は消えてけるかも


飛の魚強くはばたき一列ひとつらね飛びてかけれりくるしきか海が


飛の魚つれ一列ひとつら挿櫛さしぐし月形つきがたなせば君の恋しき


躍り入りひとり泳げばしみじみと寂しき魚の臍突きに来ぬ


泳げば底より足をひくものあり人間の足をひくものあり


大きなる人あらはれて目の前に不意に舟漕ぐうれしさうれしさ


炎々と入日目の前の大きなる静かなる帆に燃えつきにけり


はてしなくおほらにうねる海の波暮れてひもじき夜となりにけり


舟とめてひそかにもだす闇のうち深海底の響きこゆる


はてしなき海の真中に舟をうけ泣くに泣かれずわれは烏賊いか釣る


我は烏賊釣る鼠子ねずみこのごと軽卒そそかしく悲しき烏賊を夜もすがら釣る


烏賊いか釣ると海の真底まそこのいと暗きものの動きを凝視みつめ我居り


あなあはれ人間闇の海にゐて漁火いざりびを焚くその火赤しも



赤硝子


赤硝子戸ぴつたりとめ音もなしそこに生物いきものわれひそみ居つ


赤硝子戸ぴつたりとめなにものもはいるなかれとひそみて居るも


日の光いつぱいにしわが手足赤硝子よりさらに赤しも


赤硝子窻腐れあはびを日に干すとしよんぼり母のに立たす見ゆ


赤硝子戸、赤き卵の累々るい〳〵とつまりたる函縁側ゑんがはに見ゆ


赤硝子そとの光に押しだまり赤き人間何をか為すも


二方ふたかたに向きて犬ゐる赤硝子戸うちたたきても逃げざりにけり



寂しき日


庭前小景


かぢめ舟けふのよき日にうちむれていちどきにあぐる棹のかなしも


春過ぎて夏来るらし白妙しろたへのところてんぐさ取る人のみゆ


日は麗ら薔薇さうびあまりに色あかしわつと泣かむと思へどもわれ


日の光そこにかんかん真四角の氷の角は照らされにけり


天を見て膨れかがやく河豚ふぐの腹ぽんと張り切る昼ふかみかも


青芝にそつと放せば昼深みいきの伊勢蝦飛びはねにたり


ゆつたりと蒲団の綿は干されたりそばに鋭き赤たうがらし


しみじみと水にひたせど真珠貝遂に水をも吸はざりにけり


餌舟ゑさぶねに光り漕ぎ寄り静まれる舟いちどきに動きけるかも




庭前小景


鰻籠はぢぎれむばかりゆららゆらら日をいつぱいにびてけるかも


籠の中につまる鰻の底力そこぢからうねりやまずもうららかなれば


思ひあまり躍りゆらめく鰻籠ぢつと抑ゆるこころなりけり


うららかやなにか恐れて鰻の児籠をするりと抜けてけるかも


庭もせにくれなゐふかき松葉菊鰻飛び超えゆくへ知らずも


うららかに鰻探すと松葉菊わけて大きな目をみはり居り


紅き花をかきわけて見れば鰻の児隅にとろりと居たりけるかも


松葉菊ふかく紅けば鰻の児安心をして動かざりにけり


花の中に抑へられたり鰻の児命懸いのちがけにて逃げにしものを



海底


庭前小景


寂しさに海を覗けばあはれあはれ章魚たこ逃げてゆく真昼の光


章魚たこを逃がし海をのぞけば章魚たこ歩行あるくほかに何にもなかりけるかも


海底うなぞこ海鼠なまこのそばに海胆ひとで居りそこに日の照る昼ふかみかも


動かねどをりをり光る朱海胆あかひとでしみらに見れば歩めりにけり


寂しさに手足動かす朱海胆あかひとで海胆の上に重なりにけり



海峡の夕焼


庭前小景


石崖に子ども七人腰かけて河豚を釣り居り夕焼小焼


二本づつ鯖を投げ出す二本の手そろうて光りてありにけるかも


桟橋にどかりと一本いつぽん大鮪はふり出されてありたり日暮ひくれ


しんしんと夕さりくれば城ヶ島の魚籠いけす押し流し汐満ちきたる


舟漕ぎ寄せ沖の魚籠いけすざらにあくる伊勢蝦赤し夏の夕ぐれ


わが父を深く怨むと鰻籠蹴りころばしてゐたりけりわれ


櫂おつとり舟に飛び下りむちやくちやに漕ぎまはる赤き赤き夕ぐれ



城ヶ島の落日


城ヶ島の燈明台にぶん廻す落日いりひ避雷針にかれけるかも


城ヶ島さつとひろげし投網なげあみのなかに大日だいにちくるめきにけり


大日輪落ちつきはらひ伊豆のさき天城山あまぎやまへとかかりけるかも



良夜


今宵こよひことに月明らかに海原の底のことごとはつきりと見ゆ


赤々と十五夜の月海にありそこに泳げる人ひとり見ゆ


だいの月海の中からまんまろくまろびいづれば吾泣かむとす



深夜


憤怒いきどほり抑へかぬれば夜おそく起きてすぱりと切るまぐろかも

自然静観


病床吟


波つづきぎんのさざなみはてしなくかがやく海を日もすがら見る


網高く干せるそのの漣のかぎり知られねさざなみのれつ


見廻せどたへて人こそなかりけれ海の漣ただ光り消え


さゞなみのこのもかのもの時折に光りまた消え照り光り消え


日もすがら光り消えたりうねり波思ひ出したりまた忘れたり


鳥とまり光りゆらめく海中わだなか雁木がんぎひとつをぬがにぞ見る


音もなき海のかたへの麗らなるわがの下のさざなみのれつ


音もなき真夏昼なか音もなく鳥は雁木を去りにけるかも


麗らかや此方こなた此方こなたへかがやき来る沖のさざなみかぎり知られず


漣の上にちらばるさざなみのうへのつり舟見れど飽かなく


漣の光りかがやく昼深しぽんと林檎を棄てにけるかも




うつらうつら海に舟こそ音すなれいかなる舟の通るなるらむ



澪の雨


しみじみと海に雨ふりみをの雨利休鼠となりてけるかも


城ヶ島のさみどりのにふる雨の今朝けさふる雨のしみらなるかな


北斎の簑と笠とが時をりに投網とあみひろぐるふる雨の中


海の中に光り輪をみをのすぢ末はわかれて行方ゆくへ知らずも


漕ぎつれていそぐ釣舟二方ふたかたに濡れて消えゆくあまの釣舟


二方ふたかたになりてわかるるあま小舟みを二手ふたてにわかれけるかも


通り矢と城ヶ島辺にふる雨のあひの入海舟わかれゆく



薔薇静観


大きなる紅薔薇べにばらの花ゆくりなくぱつと真紅まつかにひらきけるかも


目をけてつくづく見れば薔薇ばらの木に薔薇が真紅まつかに咲いてけるかも


薔薇の木に薔薇の花咲くあなかしこ何の不思議もないけれどなも


風くれば薔薇はたちまち火となれりをどりあがるらむうれしき風に


驚きてわが身も光るばかりかな大きなる薔薇ばらの花照りかへる


ただ見ればこれかりそめの薔薇の花驚きて見ればその花動く


ひる過ぎてますますあかき薔薇の花ますます重く傾むきゆくも


薔薇の花うちゆるがむとせしかども思ひかへしつますます光り


大きなる何事もなき薔薇の花ふとのはづみにくづれけるかも



急須と茶碗


日の光い照りかへせばくれなゐに急須きふす動きてしじに燃ゆるも


燃えあがる急須つらつらそれの息をそばの茶碗にかをしけるかも


急須燃えそしてまろらに茶碗ゐるこの親しさの限り知られず


日ぐらし急須と茶碗とさしむかひ泣くが如しもその湯気立てば


ふつふつとさき生物いきものを放つうつくしきかもまんまろな盆に


いついかにがさしよせし知らねども涙ぐましも茶碗と急須


急須燃え茶碗湯気ふくそれよりもなほ温かきなからひにして


思ひあまり急須と茶碗と人知れずそがひにまはり泣けるごとしも


なんぢやとてそげなそしらぬふりをする急須こち向け日も暮るるぞよ


盆の上に急須ありまた茶碗ゐるここの世界も安からなくに

地面と野菜



地面と野菜


大きなる足が地面ぢべたを踏みつけゆく力あふるる人間の足が


畑に出でて見ればキヤベツの玉のれつ白猫のごと輝きて居る


地面ぢべた踏めばかぶらみどりの葉をみだすいつくしきかもわが足の上


地面ぢべたよりころげ出でたる玉キヤベツいつくしきかも皆玉のごと


摩訶不思議まかふしぎ思ひもかけぬわが知らぬ大きなるキヤベツがわが前に居る


しんしんと湧きあがる力新らしきキヤベツをうちからはぢき飛ばすも


さ緑のキヤベツの球葉たまばいくかさね光るなかよりはぢけたりけり


大きなるまなこがキヤベツを見てゐたりたまらず涙ながしけるかも


ふと見つけて難有きかもさ緑の野菜のかげの大きな片足



投網うちの帰途


重々とれし投網とあみ蕪畑かぶらばた蕪葉かぶらばに吾がかい手操たぐ


かぶの葉に濡れし投網とあみをかいたぐり飛びかへ河豚ふぐを抑へたりけり


かぶの葉に濡れし投網とあみ真昼間まつぴるまひきずりて歩む男なりけり



昼休憩


麦藁帽子野菜の反射いつぱいに受けて西日にかがみてあるも


昼休憩ひるやすみ秋の地面ぢべたに投げいだす百姓の恋もあはれなるかな


ぎんいろのかぶらの中に坐りたる面黒おもぐろのみおほきな娘


積藁のかげむくむく湧きあがるパイプの煙見つつ真赤な日にあたり居り


秋の田の稲の刈穂の新藁の積藁のかげに誰か居るぞも


寂しけば娘ひきよせこの男力いつぱいに抱きぬるかも


日ざかりの黒樫の木の南風素つ裸なる夫婦めうとに吹くも


畑に飛んでつる鶺鴒せきれい一点の白金光となりてけるかな


道のべの馬糞まぐそひろひもあかあかと照らし出されつ秋風吹けば



泥豚


豚小屋にうめきころがる豚のかずいつくしきかもみな生けりけり


豚小屋の上の棕梠の木の裂葉より日は八方に輝きにけれ


大きなる白の泥豚照りかがやきいびきとどろに地面ぢべたゆす


いぎたなき豚のいびきのともすれば霊妙音に歌ふなりけり


泥豚のあはれな鼾日もすがら雁来紅をゆすりてあるも


逞ましき種豚たねぶたの鼾はりつめたるが腹のちゝに沁みて響くかも


棕梠の木に人攀ぢのぼり棕梠の木の赤き毛をむく真昼なりけり


棕梠の木のしみ輝るした家畜けものあはれ命やるせなくいまつるみたり


種豚たねぶたは深く押しだまり棕梠の木のかがやけるもとをまためぐりたり


白豚の精の真玉またまのあはれあはれ竜胆りんだうの花にころがりつるか


豚小屋は寂し下ゆく路赤くきはまり尽きて海光る見ゆ


激しく空腹ひもじくなりけむつるみてのち一心に豚は草めりけり


ひとかたまり豚の児がかうべうち振るが可哀かはいや張りつめし母の八乳房やちぶさの上に


現身うつしみの泥豚の児が啼いて居りその泥豚の児と児重なり


生めよえよしんじつくらひいきいきといきのいのちに相触れよ豚よ


五郎作よしんじつ不愍ふびんと思ふならば豚を豚としてころがして置け


夕日が赤し餌をやれ五郎作けだものは饑うれば糞もくらはむずるぞ


寂しきにか豚は豚どちしみじみと入日に起きて小便しよんべんをしぬ


家畜けものらは赤くかがやき照りかへる世界の中に照り揺れやまず



丘の立秋


片岡に粟と豆とが赤ちやけて深くささやくれにけるかも


おだやかに深く息づく枝豆に夕日あかあかと照りしみやまね


しみじみと豆をもぎれば豆の声夕日照り沁み秋の丘べに


あかき日の光の中にころげ出てれたる豆が声絶えてゐる


はや秋深くうつむく豆畑の麦稈帽子のつばの痛さよ



犬の小便


夕日赤し小犬しみらにわかみちあひの青木に小便しよんべんをすも


青木に犬の小便しよんべんしたたれり美くしきかな小さき青木に


目の前にしんじつかかる一本いつぽんの青木立てりと知らざりしかな


何といふつつましさぞよあかあかと青木一本日に燃えてゐる


小便しよんべんして犬は寂しく飛びゆけり火の如く野菜をかきわくる見ゆ



秋高し


枯草の籠のなかなる赤ん坊が大きなる馬に乗りてゆきにけり


秋高しくゐいくゐいりりりと鳴く鳥の声は野山をけふかけめぐる

深夜抄

黍畑


三日の月ほそくきらめく黍畑きびばたけ黍は黍とし目の醒めてゐつ


黍畑きびばたの黍の上なる三日の月月よりこまかき糠星ぬかぼしのかず


森羅万象ものなべて寝しづみあかきもろこしの房のみ動く醒めにけらしも


三日の月真の闇夜にあらねども真の闇夜よりさらにさみしも


ほのかなる人の言葉にりたれば驚くものか黍は小夜さよふけ


三日の月谷底見ればくるわにはならぶ華魁おいらん豆の如しも


小夜さよふけてほかに人こそ音すなれいづこの闇を行けるなるらむ



猫のうぶごゑ


烏羽玉ぬばたまの闇の粟穂の奥ふかくするどき猫のうぶ声きこゆ


闇の夜に躍り出でたる金無垢のいきの子猫のうぶ声きこゆ


母猫おやねこ大黒おほくろ猫の闇に坐り大まかに啼く子を産み落し


闇の夜にうまれ落ちたる猫の児があはれあはれ猫の声すもよいま


闇の夜に猫のうぶごゑ聴くものは金環きんくわんほそきついたちの月



闇夜


何事か為さでかなはぬ願湧く海の夜ふけの闇のそよかぜ


闇の夜も生活くらしたたねばとなりびと舟ひき下ろし漕ぎいでてゆく


戸あくれば金無垢の月いま走る幽かに暗きそよかぜのうち


闇の海に金無垢の月いとほそくかげうつしほのに消えにけるかも


闇ふかしひとりひそかに寝ざめして思ふはおのがいのちなりけり


空暗く入海暗し海よりも黒き島見え松動く見ゆ


一心に島とくがとに鳴く虫の声澄み入れり闇夜なりけり



黒き花瓶


小夜ふけて夜のふけゆけばきりぎりす黒き花瓶くわびんくらへるらしも


昼見てし黒き花瓶のありどころあやめもわかね夜の闇の中


小夜ふけて黒き花瓶の把手とりてより幽かに光さすかとぞ思ふ



二本の棕梠


天の河棕梠と棕梠との間より幽かに白しけにけらしも


耳澄ませば闇の夜天やてんをしろしめす図り知られぬものの声すも


棕梠二本ここの夜天の吾が声は幽かなれども偽れなくに


何物の澄みて流るる知らねどもここの夜天の光ふかしも


あなかしこ棕梠と棕梠との間より閻浮檀金の月いでにけり

臨海秋景

水辺の午後


鬱蒼こんもり楊柳やなぎかがやくまさびしき遠き入江に日の移るなり


かげ曇る岸の葉柳時をりに深くかがやくなほ堪へられず


漣さざなみ何が憂しとて鈍銀にぶぎんに暗くかげりてまた照るものか


千鳥ゐるされどあかるきさざなみの銀無垢光にも向けられず


水の辺に光りゆらめく河やなぎ木橋わたればわれもゆらめく


橋をわたりつくづくおもふこれぞこのいづこより来し水のながれか


三角と豆々の葉の木が二本舟が一艘さざなみの列


とま舟の苫はねのけて北斎のおぢが顔出す秋の夕ぐれ


照りかへる銀のさざなみ河やなぎ白き月さへその上に見ゆ


はろばろに波かがやけば堪へがたしぴんと一匹釣りにけるかな


銀のごと時にひろごる網の目はこれ寂寥せきれうまなこなりけり


蘆と蘆幽かに銀のさざなみを立ててかこちぬ今日も暮れぬと


海原うなばらのこのもかのもの銀鼠ぎんねずみ千々に砕くるかのもこのもに



銀ながし


鳥の声黒樫の木の照りまろうれよりきこゆ日の光満ち


遠丘とほおかの黒樫の木の幹なかば銀ながしたる秋の海見ゆ


遠丘の向うに光る秋の海そこにくつきり人鍬をうつ


岬見え向うの海とこなたの海光りかがやくこなたは暗く


丘の上に海見え海に岬見えその上の海に舟いそぐ見ゆ


朝出でてゆき遥けかりあま小舟黒胡麻くろごまのごとく真昼散らばり


大空に銀の点々ちらばるはあまのつり舟櫓を漕げるなり


この岬行き尽すまで急がむと思ひきはめて吾が辿るなり


金いろに光りてほそき磯はなのその一角に日の消えんとす



二町谷小景


網の目に閻浮檀金えんぶだごんの仏ゐて光りかがやく秋の夕ぐれ


もろりてこぼるる魚のかずすくへども掬へどもまた輝りこぼるる


うしろより西日せればあな寂し金色こんじきに光る漁師のあたま


駿河なる不二ふじ高嶺たかねをふり仰ぎ大きなる網をさと拡げたり


いりつ日の照りきはまれば何がなし小鳥岬をいま放れたり


赤き日に真向まつかうに飛ぶ鳥のはね遂に飛び入り行方ゆくへ知らずも


海の波光り重なり日もすがら光り重なりまた暮れにけり



山中秋景


木々のを光り消えゆく鳥のかず遠空の中にあつまるあはれ


山峡やまかひに橋を架けむと耀くは行基菩薩か金色光こんじきくわう


谷底に人間のごと恋しきはかれ金柑の光るなりけり


二方ふたかたに光りかがやく秋の海その二方ふたかたに白帆ゆく見ゆ


煙立つ紅葉もみぢかひにしろがねの入江ひらけて舟はしるなり


うらうらと日照りさしそふ秋山に心ぼそくも立つる煙か


帆をかけて心ぼそげにゆく舟の一路いちろかなしも麗らかなれば


金の星このもかのものそばをゆく彼らは枯草負ひたるわらべ


松並木中に一点寂しきはきんの茶店の甘酒の釜


大きなる赤き円日ゑんじつ海にありすなはち海へと下りけるかも


引橋の茶屋のほとりをいそぐときほとほと秋は過ぎぬと思ひき



漁村晩秋


あなあはれ日の消えがたの水ぎはに枯木一本赤き夕ぐれ


かくのごとき秋の寂しさわれ愛す枯木一木いちぼく幽かに光る


那辺なへんより出で来し我ぞ行く我ぞ頭かすかにかがやき光り


秋の色いまか極まる声もなき人豆のごと橋わたる見ゆ


人はいま一番いちばん高き木のうへに鴉鳴く見て橋わたりたり


一心に遊ぶ子どもの声すなり赤きとまやの秋の夕ぐれ


藁屋ありはねつるべ動く水の田圃たんぼの赤き秋の夕ぐれ


けつけつと鳴くは何鳥あかあかと葦間あしまの夕日消えてけらずや


金の星ひとつ消えゆく思なり童子幽かに御寺にはい



油壺晩景


油壺から諸磯もろいそ見ればまんまろな赤い夕日がいま落つるとこ


夕焼小焼大風車おほかざぐるまの上をゆくがんが一列鴉が三羽


あとの雁が先になりたりあなあはれ赤い円日岬にかかり


赤々と夕日廻れば一またぎ向うの小山を人またぐ見ゆ


油壺しんととろりとして深ししんととろりと底から光り

法悦三品

種蒔


金色こんじきの三角畑にしみじみと人参の種蒔けるなりけり


巡礼と野の種蒔人たねまきとなにごとか金色こんじきに物言へりけり


ひさかたの金色光こんじきくわうの照るところ種蒔人たねまき三人さんにん背をかがめたり


巡礼がほのかなること云ひしかば種蒔人たねまき三人さんにん背をかがめたり


つつましきミレエがに似る夕あかり種蒔人たねまきそろうて身をかがめたり



金柑の木


その一 巡礼


照りかへる金柑の木がただひと木庭にいつぱいに日をこぼし居り


はるばると金柑の木にたどりつき巡礼草鞋わらぢをはきかへにけり


巡礼が金柑の木をふりあふぐれたるかもよ梢の金柑


かくなれば金柑の木もほとけなり忝じけなやな実が照りこぼるる


かうかうと金柑の木の照るところ巡礼の子はひとりなりけり


照りかへる金柑の木のかげを出で巡礼すなはち鈴ふりにけり


その二 農人


まかがやく金柑の木の蔭に立ち黒き土くれ人掘りかへす


人ふたり光りよろめく金柑の金色こんじきの木の根をうちかへす


さくさくと大判小判の音すなれ金柑の木の根かたを掘れば


この畑の金柑のかげで云ふことをよくきいてくれそれなる娘


その三 秋風


かうかうと今ぞこの世のものならぬ金柑の木に秋風ぞ吹く


吹く風はせちに心をかきむしる人間界のわれならなくに


いつしかに金柑の木と身をなして吹く秋風に驚くわれは


その四 静坐抄


夕されば閻浮檀金えんぶだごんの木の光またかうかうとよろめきにけり


ここに来て梁塵秘抄を読むときは金色光こんじきくわうのさす心地する



遠樹抄


西方に金の遠樹ゑんじゆのただふたつ深くかがやく何といふ木ぞ


かうかうと金の射光の二方ふたかたに射す野つぱらに木の二本見ゆ


夕されば金の煙の立つごとく木はかうかうとよろめきにけり


金色の木をかうかうと見はるかすこれは枯野の草刈り男


金色のかの木のかげに照りかへり動くものあり人にはあらじか


つつましき金の歩みやつづくらむ親鸞上人野を行かす見ゆ


樹はまさしく千手観音菩薩なり西金色の秋の夕ぐれ


かうかうと風の吹きしく夕ぐれは金色の木木もあはれなるかな


見るからに秋のあはれに吹きしくは金色の木の嵐なりけり


こなた向き木々のかなしくいたぶるは金色の風の吹けばなりけり


なほしばし我を忘れて金色の木々のかなたを飛ぶよしもがな

閻魔の反射



閻魔の反射


ライ麦の畑といはず崖といはず落日いりひいつぱいにしたたる赤さ


枯林炎々たれども枯林なにかしら寂しかの枯林


崖下がけしたのかの狂人きちがひの一軒家赤くかがやきかがやきやまず


ライ麦の青き縞目しまめ縦横たてよこに赤々し冬の日の沁みてける


赤き日は人形のごとく鍬をうつ悲しき男を照らしつるかも


赤き日にかんかんとうつかねの音冬の枯野にうつ鉦の音


赤き日に棕梠の木三本照り寂しそこの藁屋わらやにうつ鉦の音


鍬打て、日は三角畑さんかくばたけのお茶の芽に赤く反射てりかへしかつ照りやまず


赤き日に黒き刺葉はりはの沁み揺るるひいらぎの根を人うちかへす


大きなる閻魔の朱面しゆめんくわつと照りかがやく寂しき寂しき畑


畑打てば閻魔大王光るなり枯木二三本に鴉ちらばり


鍬下ろせばうしろ向かるる冬の畑そこに真赤まつかな閻魔の反射はんしや


馬頭観世音の前を通れば甘薯畑いもばたけ盲人めくらこち向け日が真赤まつかぞよ


盲人めくら盲人めくら一心に何か聴きすましあかあかし顔を日に向けてゐる


悲しき悲しき閻魔の反射畑中に日が明け日が暮れ鍬うちやまず



畑打ち人形


赤き日に畑打人形が畑をうつ畑打人形は悲しき夫婦めをと


人間のこれの夫婦めをとはいと寂し人まぜもせず畑うちかへす


人間のこれの夫婦めをとはいと寂したんだだまつて畑うちかへす


人間のこれの夫婦めをとはいと寂し時に尻向け畑うちかへす


涙こぼし一人ひとりうしろを向いたれば一人が真赤な日にうちかへす


時折りに夫婦めをと向きあひ畑をうつをがむ如くに悲しき人形


大日だいにちを中にころがし右左畑打人形は畑うちかへす



曼珠沙華抄


秋の野にあまりに真赤な曼珠沙華その曼珠沙華取りて捨ちよやれ


二人見て来むぞ真赤な曼珠沙華松の小蔭にちよと入りて来むぞ


こち向け牝牛供養の石が立てり曼珠沙華の花赤き路ばた



耕田


曼珠沙華の花あかあかと咲くところ牛と人とが田を鋤きてゐる



秋深し


童らが遊ばずなりて曼珠沙華ますます赤く動かであるも



田舎道


大きなる大きなる赤き日の玉が一番赤くころがれり冬


田舎道ゐなかみちのぼりつめたるかなたより馬車あかあかとかがやきて


燃えあがる落日いりひけやきあちこちにてんを焦がすこそ苦しかりけれ


藁小屋と赤くかがやくなだら坂日をいつぱいに浴びて親しも


路のべに遊ぶわらべがかぶろ髪光輪くわうりんはなつこぼるるばかり


馬頭観世音立てるところに馬居りて下を見て居り冬の光に


金色こんじき赤馬あかの尻毛のふつさりと垂れて静けき夕なりけり



人参の髯


夕されば光こまかにふりこぼす人参の髯もあはれなりけり



木がらし


はろばろに枯木わくれば甘藷畑いもばたけおつ魂げるやうな日が落ちて居る


目もはるに嵐吹きしく枯野原空に落日いりひが半分あか


人ひとりあらはれわたる土の橋橋の両岸りやうがんただ冬の風


絹帽シルクハツト吹き飛ばしたり冬の風落日いりひ真赤まつかな一本橋に


ころがつてゆく絹帽シルクハツトを追つかける紳士老いたり野は冬の風


数珠つながり赤い閻魔をぐるぐると廻る童を吹く冬の風


木がらしに白髪しらがかきたれおうな負へる赤子は石の如しも



大椿抄


大きなる椿の樹ありあかあかとひとつも花を落さざりけり


花あまりにここだつけたる椿の枝ひきずるばかりに垂れにけるかも


山椿照りおそろしき真昼時小僧だまつて坂りて来も


積藁の上に大樹の山椿丹念に落す花真紅まつかなり


ほつたりと思ひあまれば地にあかく落ちて音する椿なりけり


大きなる椿ほたりと落ちしなり屹驚びつくりするな東京の子供


大きなる櫓櫂かつぐと大きなる櫓櫂椿につかえけるかも



風吹く椿


積藁にこぼれ落つる椿火のごとしすなはち畑を風走るなり


風はしる紅き椿をひとゆすり枯木十二三本からからゆすり


風はしる目ざめし如くあかあかと椿一時に耀く紅く


畑中に紅く耀く一本椿椿飛び越え風はしるなり


枯枝の鴉吹き飛ばし風はしる椿耀く耀く紅く


カンヷスをひつくりかへし風はしる椿耀く耀く紅く


耀く椿前にわが立つ一本椿風吹け風吹け耀く椿



赤き鳥居


冬の日を正面まともに受けてやや寒くまかがやく赤き鳥居小さしも


ここ過ぎて幾度いくたび涙落しけむ一尺の赤き鳥居の光


前うしろに百姓種蒔く畑中の赤き鳥居のしみらの耀き


枯木一本いつぽん赤き鳥居と石ふたつこれぞ陰陽神おんみやうじんのましますところ


夕さりくれば一人いちにんもあらずなりにけり赤き鳥居の周囲まはり種蒔たねまき

見桃寺抄

西日抄


見桃寺冬さりくればあかあかと日にけに寂し夕焼けにつつ


明り障子冬の西日をいつぱいにうけて真赤まつかになりたりあはれ


このいほ三月みつき五月いつつき棲み馴れていよよ親しむ西日の反射


夕焼空蘇鉄の上にいと赤し蘇鉄の下に地もまた赤し


あかあかと冬の蘇鉄にはぢく日の飛沫とばちりかなし地に沁みにつつ


吾等まただまつて蘇鉄見て居たりしつくりと今は落ちつきにけむ


桃の御所の庭の西日に下りてが巡礼の子にものいふこころ


ゆづり葉に西日射すときゆづり葉のかげに巡礼鉦うちにけり


赤々と碁盤ごばんの角に日はさして五目並べは吾が負けにけり



隣の厨


日は暮れぬ鰯なほ干す旃陀羅せんだらが暗き垣根の白菊の花


寂しさに秋成がふみ読みさして庭に出でたり白菊の花


ゆくりなく闇に大きく菊動くと見れば向うに火のえあがる


火の中に不動明王おはすなり焔えんえん今燃えあがる


火の中に不動明王おはすなりあなかたじけなあなかたじけな


櫓をかつぎ漁人かまどの前をゆくその櫓たちまち火に照る赤く


火の燃ゆればあはれなること限りなしあかあかとをどる厨のうつは


つぶら眼の童子かまどの前に居りあなひもじさよ焔のをど


寂しきは鍋にはみ出すさかなの尾厨の火光あかり白菊の花


鍋の尻赤くゆらめくただ楽し漁村のよき夜安らかなれよ



渚の西日


おほわだつみのまへにあそべる幼などち遊び足らずてけふも暮れにけり


赤き日に彼ら無心に遊べども寂しかりけりわらべがあたま


大きなる赤き日輪海にあれどが父いまだ帰らざりけり


現身うつそみの子ども喧嘩をしてゐたり一人たれて泣けばかなしも


泣きわめく子らが手を引き引きずりてその母帰る西日に赤く



童子抄


何事の物のあはれを感ずらむ大海だいかいの前に泣く童あり


大海だいかいの前に投げ出されて夕まぐれ童子わがごとくよく泣けるかも


ものなべてうららならぬはなきものをなにか童の涙こぼせる


まんまろなあけの日輪空にありいまだいつくし童があたま


この泣くは仏の童子泣くたびにあたまの髪がよく光るかも


鼕々とうねりれどもうららなる波は童をとらへざりけり


麗らなればわらべは泣くなりただ泣くなり大海だいかいの前に声も惜しまず


うららかに頭さらしてその童泣けばこの世がかなしくなるも



雪夜


このいほにまこと仏のおはすかと思ふけはひに雪ふりいでぬ


冬青もちの葉に雪のふりつむ声すなりあはれなるかも冬青もちの青き葉


寂しさに堪へて吾が聴くしら雪の牡丹雪とぞなりにけるかも


澄み入りてわが身ひとつにふる雪のはては音こそなかりけるかも


めづらかに人のものいふ声ぞする思ふに空も明けたるならむ


煌々くわうくわうと光さすかとふと思ふ法身仏といつなりにけむ


見桃寺のとり長鳴けりはろばろとそれにこたふるはいづこのとり



雪後


よくも青く晴れし空かな思ひきや屋根のかなたに涙おぼゆる


あかつきの雪に寂しくきらめくは木々に囀る雀があたま


木の枝に雀一列ひとつらならびゐてひとつびとつにものいふあはれ


蘇鉄の葉八方に開くこの朝明あさけ雪しみじみとりにけり


冬青もちの木も雪をゆすれり椎の木も雪をゆすれり寂しき朝明あさけ


さかなさげてものいふお作冬青もちの木の下にしまらく輝きにけれ


ほそぼそと雪後せつごの煙立つるめり赤き煙突屋根の煙突


今は雪深くくづれてしとしとと庫裡くり酢甕すがめりにけり



馬の灸


生馬いきうまきうすゑどころ見ゆるなり光あまねき野つぱらうち


馬は馬頭観世音なりはろばろにいなゝき来たれば悲しきものを


馬の頭をりをり光り大人おとなしくきうすゑられてありにけるかも


現身うつしみの馬にてせば観世音きうすゑられてありにけるかも


生馬の命かしこみ旃陀羅せんだらが火をけむとす空の高きに


あかあかときう押しすゆる馬の腹馬はたまらず嘶きにけり


しみじみと馬にやいとをすうる時馬かはゆしと思ひけるかも


おのれまたやいとすゑられあるごとし馬のこころにいつなりにけむ


せんずれば馬もほとけの身なれどもやいとすゑられてけばかなしも



不尽の雪


ひさかたの天に雪ふり不尽のやまけふ白妙となりてけるかも


れいろうとして天にくまなきふじのやまけふしろたへとなりてけるかも


うちいでて人の見たりけむ不尽のやまけふ白妙となりてけるかも



竜胆抄


かきわくるひと足ごとに竜胆りんだうの光りまたたく冬のあさあけ


犬を連れてゆけばかはゆき小笹原そこにも竜胆りんだうここにも竜胆


そこにもここにもあはれな小さい竜胆りんだうが咲いてゐる光つてまたたいてゐる


犬の眼も幽かに動く竜胆りんだうの花のいのちを見守るらしも


竜胆をひさ凝視みつめし眼を深く心に向けつそこにも竜胆


竜胆りんだうが頭の中に光るなりたつたひとつの竜胆の花


麗々うらうらと足を洗へば竜胆りんだうの光りこぼるる心地こそすれ



三崎遺抄


相模のや三浦三崎は誰びとも不尽ふじを忘れて仰がぬところ


相模のや三浦三崎は目の前にじやうヶ島とふ島あるところ


相模のや三浦三崎は大まかに恵美須三郎鯛釣るところ


相模のや三浦三崎は蕪の絵を湯屋のひさしゑがけるところ


相模のや三浦三崎は屁の神を赤き旗立て祭れるところ


相模のや三浦三崎はありがたく一年ひととせあまりも吾が居しところ


相模のや三浦三崎の事おもへばけふも涙のながれながるる



雲母集余言



 一心敬礼して此雲母集一巻を世に公にせむとするに当り、今更に覚ゆるは虔ましい懺悔の涙である。一入にまた痛ましきは切々としてあらたなる流離の悲みである。光悦身に余りながら私はなほ自身の救ふ可らざる痴愚を感ずる。私は少くとも不純であつた。今こそ私は目醒めて茲に謙譲の筆を執る、真実は私の所念である。


 本集は大正二年五月より三年二月に至る、相州三浦三崎に於ける私のささやかな生活の所産である。この約九ヶ月間の田園生活は、極めて短日月であつたが、私に取つては私の一生涯中最も重要なる一転機を劃したものだと自信する。初めて心霊が甦り、新生是より創まつたのである。


 相州の三浦三崎は三浦半島の尖端に在つて、遥かに房州の館山をのぞみ、両々相対して、而も貴重なる東京湾口を扼してゐる、風光明媚の一漁村である。気候温和にして四時南風やはらかく而も海は恍惚として常によろめいてゐる、さながら南以太利の沿岸を思はせる景勝の土地である。

 私等の新居はこの三崎の向ヶ崎の浜にあつた。時俗呼んで今も向ヶ崎の異人館と云ふのがそれである。この家はもと長崎の領事をしてゐた老仏蘭西人がその洋妾と暫らく隠棲してゐた一構で、当時はその洋妾の所有になつてゐたのである。西洋式の庭は海に面して広く、一面に青芝が生へ、鍵形かぎなりになつた石の胸壁の正面には石段があり、桟橋があり、下には一艘の短艇ボートが波にゆられてゐた。家屋は日本風であるが海に向つて開いた玄関、廊下、翼家はなれの欄間には流石に紅や黄の窓硝子がめられ、庭の隅々にはまた紅い松葉菊を咲かしてあるといふ風に、如何にも異国趣味の瀟洒な住宅であつた。海は又どの室からも見えた。而して前には城ヶ島の緑が横たはり、通り矢とその間の五丁にも足らぬ海峡を小蒸汽が来、渡海船が通り、余多の漁舟が漕ぎつれて行く、而して遠くは煙霞の間に房州の山をのぞみ、欧洲航路の汽船軍艦はいつも煙を曳いてこの眺望の中を消えて行つたなど、全く明快な近代劇の舞台面であつた。

 此処こゝに私の一家は可なり贅沢な、然し寂しい生活をした。


 向ヶ崎の異人館生活は五月より十月迄引続いた。その間、父と弟とは遊び半分、殆ど夢見るやうな気持で、場所の有利なのを幸に、土地の漁船より新鮮な魚類を買ひ占めて東京の魚河岸に送る商買をはじめた。私は全く与らなかつたけれども、時折短艇に鮪や鯖やを載せて町の市場迄届けに行つたりした。夏帽子にホワイトシヤツをつけ、黒い大きなネクタイをふつさりと結んだこの魚屋の短艇を見た時に土地の人は如何に驚いたであらう。この仕事は結局失敗に終つた。而して昔の九州の古問屋としての華やかなロウマンスの百が一の効果も得なかつた事に就て私は何より父に気の毒な感じを持つ。それやこれやで私たちの寂しい一家はまた都会の生活が恋しくなつて、秋が来るとすぐ東京に引上げて了つたのである。それで私だけは居残る事になり、二町谷の見桃寺(桃の御所)に移つた。而して翌年の二月、小笠原島に更に私が移住する迄の間、殆ど四ヶ月あまりの日月を、その寺の寂しい書院で静かな虔ましい生活をしてゐたのである。

 此三崎生活の内容に就ては作品が凡てを証明すると思ふ故、これ以外何にも言はぬ。只初めは小児のやうに歓喜に燃えてゐた心が次第に四方鬱悶の苦しみとなり、遂に豁然として一脈の法悦味を感じ得たと信ずるそれ迄の道程は、本集に於て初めより終まで殆正しい系統を追つて、順序よく採録されてある。それを見て頂けば何よりである。


 一旦東京を遠離してから、私の生活は一変した。地上に湧き上る新鮮な野菜や溌溂と鱗を飜す海の魚族は私の真実の伴侶であつた。従て、私は短艇を漕ぎ、魚介を漁り、山野を駈け廻る以外、当時に於ては、何ひとつ読みもしなければ、又殆ど創作する暇も無かつたと云つていい。ただ異人館時代に於て真珠抄の短唱数十首と、見桃寺に移つてから山海経、地面と野菜、閻魔の反射、法悦三品中の、それぞれその一部だけを得たのみである。その他は小笠原島や東京に帰つてから、幸に感興の再現を得て、筆を執つたものである。それでそれらの歌風に就ても非常に複雑してゐる。これだけは承知していただきたい。尚、此の三崎新居以前事情があつて、十日ばかり同処へ逗留してゐた事がある。「流離抄」の一篇はその時の歌である。


 尚、三崎に関しては是等の歌以外私はまだ数十の詩篇を有つ。右は後日を期し、更に此の姉妹集として公にする計画である。


 又曰ふ。此の中の四枚の挿画は一年前に画いて置いたものである。今から見れば極めて拙く、加ふるに木版師の手にわたる際に、一寸宛寸法を縮め過ぎた為め、あまりに小さな画になつたのは残念である。


 兎に角此の雲母集一巻は純然たる三崎歌集である。而してこれらの歌が全く自分のものであり、私の信念が又、真実に自分の心の底から燦めき出したものに相違ないといふ事は、自分ながらただただ難有く感謝してゐる。自分を救ふものは矢張自分自身である。


滴るものは日のしづく、静かにたまる目の涙


大正四年八月
著者識



雲母集 畢

底本:「白秋全集 7」岩波書店

   1985(昭和60)年35日発行

底本の親本:「雲母集」阿蘭陀書房

   1915(大正4)年812日初版発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※図は、底本の親本からとりました。

入力:光森裕樹

校正:岡村和彦

2014年911日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。