武者ぶるい論
坂口安吾



 妖雲よううん天地にたちこめ、円盤空をとび、ちまたの天文家は戦争近しとにらんだ形跡であるが、こと私自身に関しては、戦争になっても余り困らない人間だ。どうなろうと運命だから仕方がないという考えは私の持病なのだから。もっとも、運命とみて仕方がねえやと言うだけで、火の子だの地震だの戦争に追いまくられるのが好きな性分ではない。

 強いて闘争を好まず、ただ運命に対処する、という心掛けは、平穏温和の精萃せいすい、抜群の平和主義者というべきかも知れない。だから私のような人間はバカげた思想を好む。

 黄河こうがという河はふだんは水がないが、大雨がくると黄土の泥流でいりゅうあふれたって一年に何メートルも河底に泥が堆積たいせきする。あげくに河床が平地よりも高くなって二、三十年目には必ず大洪水を起すという因果な河だ。この川が洪水を起すと、昨日まで利根川とねがわを流れていたはずの黄河が、今日は天龍川上流辺からドッとあふれて名古屋の海へ流れこみ、その中間の何百方里が湖水になるという大変動をやらかす。五千年前から黄河治水を専門の学者政治家が散々さんざん智恵をしぼっても、今日に至るまで、全然五千年間定期洪水の起るがままである。

 そこで今から二千年ほども昔に、水と地を争うべからず、という名論をだした黄河学者がいたのである。つまり洪水と張り合って生きるのはムリだというのだ。防ぎようがないのだから、勝手に洪水を起させておくに限る。その代り、洪水地帯の住民をそっくり洪水のない地方へ移住させてしまえば、洪水がなくなったと同じことだ。こういう名論である。もうちょッとデカダンの学者は、黄河の洪水を天命と見て、だいたい支那というところは百姓どもが人間を生みすぎて困る国だ。洪水のたびに五十万ぐらいずつ死んでしまうのは人口調節の天命であるから、天命に逆らわん方がよろしい、という説を唱えた。唱えた当人は太平楽かも知れないが、天命によって調節される五十万人の一人に選ばれるこッちの方は助からないから、同じ運命論でも、水と地を争わず、洪水は洪水の勝手にまかせ、人間はさッさと逃げてよそへ住みつけという穏やかな方が好ましい。しかし聖賢はこれを巧言令色こうげんれいしょくというね。逃げた土地の先住民は大迷惑であるし、洪水にまかせる大沃野だいよくやは実利の大損だ。学者は利巧そうな勝手なことを言うが、住民は洪水を承知で実利の方へ戻ってくるにきまっているものだ。

 こういう怪物の対策には中間がない。運命にまかせるか、完全にねじふせるか、である。完全にねじふせるのは大変だ。万里ばんりの長城の比ではない。近代科学の精萃とマジノラインの何千万倍ぐらいのコンクリートを使用しなければならないだろう。それだけの大資本や科学陣がともなわぬうちは、運命にまかせるよりほかに仕方がないのである。中途半端なアシライよりは逃げるにかずということが五千年の悪戦苦闘でハッキリしているのだから。

 私は戦争というと黄河を思いだして仕様がない。同じぐらいの怪物だ。そして、黄河学者の名論や遺訓が大そうふさわしく役に立つ。水と地を争わず。これを戦争の場合は水を火の字に置きかえればよい。この火を防ぐのはムリであるから、さッさと逃げる。さもなければ、手をあげる。抵抗したってムダである。

 人口調節の天命とみるデカダン派は将軍の思想で、東条流。人口調節は戦争よりもコンドームの方が穏当だ。けれども避妊薬ひにんやくを国禁しても、戦争を国禁したがらない政治家や軍人が多いから、庶民どもは助からない。東条流という奴は、将軍自体にとっては太平楽なものだ。自分自身だけは人口調節の天命によって指定された一員に数えていないのだから。MPが迎えに来て逃れぬ運命が分るまでは、人口調節に服さないツモリなのである。人口調節に服す身の切なさが分っていれば、戦争なぞやれないはずだ。これを聖賢の言葉では、自分の欲しないものを人に施すな、と言うのである。

 しかし兵隊になりたがる奴がいるからいいじゃないか、というのは、水と地を争わずの逆なのである。実利があれば洪水を承知でも住みつく。食えない人間は兵隊になる。洪水が好きだというのはウナギかナマズで、人間ではなかろう。人殺しが好きだったり、威張るのが好きだったり、それで兵隊になった、という特別な人種は本来聖賢の言葉に無縁のケダモノなのだから、ジャングルへ移住して勝手なことをやってくれると助かるのだが、そうはいかないところに、火と地を争うべからず、つまり戦争になったら、手をあげたり、逃げたり、決してムリに逆らわないことにしましょう、という思想の卓抜な所以ゆえんが分るのである。

 もっとも、運命主義者というものは運命に逆らわぬだけが能ではない。逆らってもムダという理を会得するに至って逆わないのであるから、逆らえばもッとうまくいくという理が算定できればさからうのである。狂犬に出会ったら逆らわず、まれなければならないという定式が、あるわけではないのである。大資本と現代科学の萃を集めれば黄河をねじふせることはできるかも知れないが、貧乏ではとてもやれない。それで逆らわないだけである。

 戦争も同じことだ。戦争などというものは無い方がいいにきまっているが、さしあたって無くする方策は見当らないし、まして日本のように自分の主張が何一つ通らぬ国の人間のことだから、大それたことをたくらむイワレは一つもない。ただもう運命にこれ従い、ただちに手をあげ、ただちに逃げれば足りる。

 戦争という一向に実利のない仕事にどうして多くの国々が精を入れるのだか、私は頭が悪いから、どうにも理解がつかなくて仕様がない。軍備などという反生産的な物をそっくり生産面にふりむけ、トーチカや軍艦をつくる代りにアパートだの病院でも造った方が、悪い筈はなかろうと思うが、そうでもないのかな。

 しかし、戦争きたれ、と待ちこがれている日本人が、老若男女ろうにゃくなんにょシコタマいるのには驚くのである。私の言うのは軍国主義者、右翼浪人のことではなくて、百姓だの小学校の先生だの坊主だの女給だのパンパンだの商人だの、つまりあまねく庶民においてのことなのである。

 しかし、彼らの論理は無邪気である。この前の戦争でずるい奴らに先を越されて損をしたが、今度はチャンと要領を覚えたから、今度戦争になってみろ、め、売り惜しみ、闇屋やみや、持ち逃げタダ拾い(戦争中は泥棒なんて言葉はないや。持ち走り、先き拾い。所有権なんてりゃしねえぞ。それをチャンと心得たんだ)モウケ放題にモウケてやるからおぼえてやがれ。こういって、坊主も、先生も、女給も、めかけも腕をしているのである。

 百姓とくると、もっと猛烈である。都会の商人も会社員も職工も家をやかれ着のみ着のまま命からがらの戦火にあおられた敗残者であるが、百姓は高見の見物だもの。燈火管制とは何だ? ナニ、飛行機がくる? くるが、どうした。オレの頭の上もいっぺん飛んだが、なんでもねえや。なんでもないに極ってらア。案山子かかしの同族野郎め。

 戦争がくると、ふだん威張ってやがる都会の野郎が泣きついてきて、ペコペコ、着物を身ぐるみぬいで、段々ウス汚い女中みたいな女ばかりになりやがって、こッちじゃア自然に着物がふえるんだナ。モーニングまでたまりやがったよ。シルクハットだけ、なかったなア。背広だのネクタイだの腐るほどあつまりやがるもんで、ワイシャツの着方てえものを覚えなきゃアならねえな。戦争は文明なものだ。銀座なんてえものは戦争がくると奥州蛇谷村字安達ヶ原へ集るね。戦争が済んで二、三年も、まだ文明だね。戦争ぐらい文明平和なものはねえな。戦争が済んでから四年目ぐらいにダンダン世の中が悪くなるらしい。都会の奴がゼイタクを覚えるとロクなことは有りゃしねえ。どうも世直しに戦争がはじまらねえと、もう日本はダメになるぜ。今度の戦争が始ってみやがれ。ボリ放題にボッてやるから。ギャバジンのぞろいぐらいじゃア、めったなことで米の一升も売ってやらねえから覚えてやがれ。

 虎視こしタンタン、戦争をはるかに望んで武者ぶるいしている老若男女が数知れないのである。しかし、やっぱりダメだろうね。戦争の要領を覚えたツモリでも、新手を打つのを天才といって、生兵法なまびょうほう大怪我おおけがの元という通りだ。習い覚えた要領も、次の戦争のドサクサには役に立ちそうもないらしいや。

 私がこういっていさめると、彼や彼女はフンと笑って、コイツ戦争に自信がないな、次代の斜陽族か、とお考えになるのである。

 人生に夢は大切だ。然し、戦争の味を覚えた、という虎視タンタンの武者ぶるいは、夢というには、あまりに悲しい。今や日本に底流をなして重くうごめいている潮の流れは、これを野武士の夢、野武士の精神というのである。

 空にB36が、どこかに原子バクダンがバクハツしていても、生きている人間は野武士にすぎないのだ。何百年、いな、千年前の群盗にすぎないのである。それが千九百六十年になっても二千年になっても、常に戦争というものの姿だ。原始のままなること黄河にあふれる泥の流れのごとく素朴な原人の姿にすぎないのである。

 戦争の正体とは、かくの如きものだ。今度戦争になろうが、その又次に戦争になろうが、庶民の生活は破れて、人口調節に服して死ぬか、野武士になるか、その本態に変りのある筈はない。戦争にかわえがあったら、お目にかかりたいものだが、しかし拙者は変り栄えがないと会得しているから、戦争来たれなどと武者ぶるいはしない。しかし戦火と地を争う愚はしないだけのことだ。

底本:「堕落論・日本文化私観 他二十二篇」岩波文庫、岩波書店

   2008(平成20)年917日第1刷発行

   2013(平成25)年45日第6刷発行

底本の親本:「月刊読売 号外版」

   1951(昭和26)年2

初出:「月刊読売 号外版」

   1951(昭和26)年2

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:Nana ohbe

校正:酒井裕二

2016年34日作成

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