宇宙怪人
江戸川乱歩



空とぶ円盤


 空とぶ円盤は、アメリカからはじまって、世界じゅうの空にあらわれました。日本にもあらわれたことが、ずっとまえの新聞にのっていましたが、そのお話のはじまるころには、それが日本の空に、しきりにあらわれるようになったのです。大きなおさらのような丸いものが、ひじょうな早さで、高い空を飛んでいくのです。どこかの国の新がたの偵察飛行機ではないかという人もありました。いや、ひょっとしたら、宇宙のどこかの星から、地球のようすを、さぐりにきたのかもしれない、という人もありました。

 でも、おおくの人は、

「そんなばかなことがあるものか、大都会の人が、空をながめていて、みんなが見たのなら信用できるが、山おくや、いなかの人が、ひとりや、ふたり見たというのでは、見ちがいということがある。大きな流星を、円盤のように感じたのかもしれない。また空には蜃気楼しんきろうのような現象がおこるものだから、山道などを走っている自動車のヘッドライトが、空にうつって、ちょうど円盤が飛んでいるように、見えたのかもしれない。いずれにしても、そんなふしぎな飛行機などあるはずがない。なによりのしょうこには、空とぶ円盤が、この地球の上へ、一どだって着陸したことがないじゃないか。」

といって、まじめに考えようともしませんでした。

 しかし、空とぶ円盤のほうでは、そんなうわさにはむとんじゃくに、このごろでは、また、ほうぼうの国へと、しきりと、あらわれるようになりました。いままで、あまり飛んでこなかった日本の空へも、たびたび、すがたをあらわすのです。でも、じっさいに、それを見た人は、ごくすくないのですから、新聞にそのはなしが出ても、見ない人たちは信用しません。きっと、なにかほかのものと、見まちがえたのだろうと、たかをくくっていました。

 ところが、ある日のこと、空とぶ円盤をバカにしていた人たちを、アッといったまま、息もできないほど、びっくりさせる事件がおこりました。それは、いったい、どんなできごとだったのでしょう。それをおはなしするまえに、まず、平野ひらの少年を、ごしょうかいしなければなりません。

 平野少年は、小学校の六年生で、おうちは、世田谷せたがや区のはずれの、さびしいところにありました。平野君のおうちのそばに、北村きたむらさんという、二十五、六歳の、理科のことをよく知っているおじさんがすんでいて、一月ほどまえから、平野君は、その北村おじさんのうちへ、よく遊びにいくようになっていました。平野君は理科がすきで、おじさんのお話が、おもしろくてたまらなかったからです。

 北村さんのおうちは、バラックだての、三つしかへやのない、小さな家で、おじさんは、耳の遠いばあやと、ふたりきりで、そこにすんでいました。おへやには、むずかしい理科の本が、たくさんならんでいて、けんび鏡や天体望遠鏡などもおいてありました。平野少年は、その望遠鏡で、月や火星を見るのが、だいすきでした。

「おじさん、空とぶ円盤って、ほんとうでしょうか。」

 あるとき、平野少年がたずねますと、北村さんは、まってましたとばかり、空とぶ円盤のせつめいをはじめました。アメリカの、どこのなんという人が、さいしょ、それを見たということ、そのつぎには、どこ、そのつぎには、どこと、世界各国にあらわれた、円盤の歴史を、くわしく話し、それから、このお話のさいしょに書いたように、空とぶ円盤については、いろいろの考えかたがあることを説明したあとで、こんなふうにいうのでした。

「ところで、ぼくの考えだがね。ぼくはこのうわさをバカにしてはいけないとおもうのだよ。見まちがいといっても、こんなに世界各国の人が、おなじ見まちがいをするというのは、へんだからね。

 人間というものは、はじめて見たものを、信用しないようにできている。新しい発明でも、おなじことだよ。たとえば、飛行機だね。いまから百年まえには、人間が空を飛べるなんて、夢にも知らなかった。それよりずっとはやく、鳥のように空を飛ぶことを考えた人は、たくさんある。日本の江戸時代にも、じぶんのからだに、大きなはねをしばりつけて、空中飛行をやってみた人がある。しかし、そんな人たちは、きちがいだといわれた。空を飛ぶなんて、バカなことができるものかと、ものわらいになった。

 それがどうだね。いまでは、五十人、六十人という人をのせて、じゆうじざいに空を飛び、二、三日で地球をひとまわりできるほどになってしまった。

 だから、空とぶ円盤だって、バカにしてはいけない。われわれの頭では考えられなくても、もっとべつの世界の人には、わけもないことかもしれないのだからね。」

「べつの世界の人って?」

 平野少年は、ふしぎそうな顔をしてたずねました。

「つまり地球のそとの世界さ。宇宙には地球よりも大きい世界が、かずかぎりなく、あるんだからね。」

「アア、それじゃ、火星ですか。あれは火星から飛んでくるのですか。」

 平野少年の顔が、ポッと赤くなりました。そして、胸がドキドキしてきました。

「火星かもしれない。もっと、ほかの星かもしれない。いずれにしても、宇宙の、どこか、べつの世界から、われわれの地球を偵察にやってくるということは、考えられないことじゃないからね。」

「それじゃ、あの円盤の中には、どこかの星の世界の人間が、はいっているのでしょうか。」

「はいっているかもしれない。いないかもしれない。だれも、はいっていなくても、機械のちからで、偵察できるからね。われわれ地球の人間が発明した、無線操縦飛行機のことを考えてみたまえ。どこかの星の世界には、あれよりもっと進歩した機械があるかもしれない。そうすれば、中に人間がはいっていなくても、じゆうに円盤を飛ばすことができるし、地球のありさまを、写真にとることもできるわけだからね。」

 平野少年は、そんな話をきいていますと、こわいような、たのしいような、なんともいえない、気もちになってくるのでした。

「でも、星の世界の人間って、いったい、どんなかたちをしているでしょうね。火星人はタコみたいなグニャグニャした足が、たくさんある、おそろしい怪物かいぶつですね。」

「あれはウエルズという、イギリスの小説家が考えだしたものだよ。ほんとうは、どんなかたちだか、だれもしらない。だいいち、火星に、生きものがすんでいるかどうかさえ、わかっていない。だから、円盤を飛ばしているのは、火星とはかぎらないのだよ。もっと遠い、大きな星かもしれない。」

「じゃ、タコよりも、もっとおそろしい、かたちをしているのでしょうか。」

「それはなんともいえないね。グニャグニャしたクラゲみたいなやつかもしれない。それとも、ゴツゴツした機械みたいな、かたちをしているかもしれない。また、ひょっとしたら、あんがい、地球の人間に、似ているかもしれない。」

「こわいなあ、もし、そんなやつに、道で出くわしたらどうしよう。」

「ハハハ……、わからないよ。出くわすかも、わからないよ。あの円盤の中に、星の人間がはいっていて、円盤が、地球のどこかへ着陸したとすればね。」

 北村さんは、そういって、平野少年の顔を、じっとみつめました。

 平野君は、そのとき、ゾーッと、からだが、しびれたようになって、いっしゅんかん目の前がモヤモヤとかすみ、北村のおじさんが、とほうもない怪物のように見えました。

「どうしたんだい、平野君。そんなこわい顔して、ぼくをにらみつけて。」

「いえ、なんでもないんです。もういいんです。」

 それは、むろん気のせいでした。北村さんは、いつものような、やさしい顔でニコニコ笑っているのでした。


百万人の目撃者


 平野少年と北村さんが、そんな話をしてから、半月ほどのちの、ある土曜日の午後、平野少年は、おとうさんにつれられて、銀座に近い大きな映画館で、着色の漫画映画を見ました。そして、映画館を出たのは、夕がたの五時ごろでした。

 すこし散歩しようというので、ふたりは銀座通りに出て新橋しんばし駅のほうへ歩いていきました。銀座通りのショウウインドウには、もう電灯がついて、ネオンの広告も、かがやいていましたが、空はまだ、うすあかるいのです。電灯のひかりと、空のあかるさが、ちょうど同じくらいという、あの、なんとなく、へんな気もちのする時間でした。すれちがう人のすがたが、ひどくぼんやりして、影のように感じられる、たそがれのひとときです。

 銀座通りは、いつものように、たいへんな人通りでした。平野少年は、ウッカリすると、はぐれそうになるので、おとうさんの手を、しっかりにぎって、歩いていましたが、どういうわけか、ふと、空が見たくなりました。いま、空を見れば、きっと、なにか、ふしぎなことがあるというような、みょうな気がしたのです。それで、いままで、ショウウインドウばかり見ていた目をはなして、ヒョイと、空を見あげました。

 晴れてはいますが、すこしも風のない、なんとなく、どんよりした空でした。星が二つ三つ、かすかに光っています。そのとき、平野君は、なぜか空とぶ円盤のことを、おもいだしました。あの円盤を地球へ飛ばせた星は、いったい、どの星だろうと、遠い遠い、べつの世界のことを考えたのです。

「どうしたんだ。はやく、あるかないか。」

 平野君が、立ちどまってしまったものですから、おとうさんが、グッと手をひっぱって、しかるように、おっしゃるのでした。

 そのときです。平野少年は、ギョッとして、心ぞうが、のどのへんまで、とびあがってくるような気がしました。ああ、あれは、まぼろしでしょうか。ちょうど頭の上のへんの、高い高い空を、白っぽく光る、おさらのような丸いものが、ひじょうなはやさで、スーッと、飛んでいくではありませんか。

「どうしたんだ。一郎、なにをみつめているんだ。」

 おとうさんが、また、声をおかけになりました。一郎というのは、平野少年の名です。

「おとうさん、ごらんなさい。アレアレ、また一つ、オヤッ、二つになった。三つ、四つ、ああ、あすこにも、五つ飛んでいる。ね、おとうさん、見えるでしょう。」

 おとうさんは、一郎少年が、気でもちがったのではないかと、びっくりして、おもわず、空を見あげました。目がなれるまでは、よくわかりませんでしたが、一郎少年が、あれ、あれとゆびさすので、そのほうを、じっと見ていますと、へんなものが、目にとまりました。銀色にひかる、ひらべったい丸いものです。それが、一つ二つ三つ四つ五つ、ひじょうなはやさで、銀座通りをよこぎって、西のほうへ飛んでいます。平野一郎少年は、まぼろしを見たのではありません。おとうさんにも、おなじものが見えたのです。

 銀座の人通りの中で、親子が空を見あげて、さもおどろいたように、立ちどまっているのですから、たちまち、人のちゅういをひきます。ひとり立ち、ふたり立ち、やがて、そのへんをあるいていたおおぜいの人が、みな立ちどまって、空を見あげました。

「やあ、風船だ。風船が、飛んでいる。」

 ひとりの少年が、さけびました。

「風船じゃない。ゴム風船が、あんなにひらべったいものか。あんなに、はやく飛ぶものか。円盤だ! 空とぶ円盤だ!」

 ひとりの青年が、どなりました。

 すると、それが、つぎからつぎへと、つたわったものですから、さあ、たいへんです。銀座の人あしが、パッタリと、とまってしまい、みんなが、空を見あげました。銀座じゅうの何千何万という人が、いっしゅんかん石にでもなったように動かなくなってしまったのです。じつに、異様な光景です。すると、それに気づいた自動車がとまり、自転車がとまり、やがて電車さえもとまるさわぎでした。

 しかし、それらの人々が、みんな円盤を見たわけではありません。「どこに、どこに。」といっているうちに、五つの円盤は、銀座の空をよこぎって、たちまち、見えなくなってしまいました。

「あっちだ、あっちだ。」

 人々は、口々にわめきながら、あるいは数寄屋橋すきやばしのほうへ、あるいは日比谷ひびやのほうへ、つなみのように、なだれをうってかけだしました。でも、空とぶ円盤に、人間の足がおっつけるものではありません。かけだした人々も、やがて円盤を見うしなってしまいました。

 気がつくと、銀座通りの屋根という屋根には、黒い人かげがウジャウジャとうごめいていました。商店の店員などが、円盤のゆくえを見さだめようとして、われさきにと、屋根へのぼったのです。しかし、矢のように飛ぶ円盤は、もう、屋根からも見えなくなってしまいました。

「新聞社に電話をかけろ。そして、飛行機でおっかけさせるんだ。」

 そんなことをわめきながら、商店のカウンターの電話機に、しがみつく人もありました。おしえられるまでもなく、新聞社の人たちも、とっくに、空とぶ円盤に気づいていました。有楽町ゆうらくちょうにたちならぶ、大新聞社の屋上には、おおぜいの新聞記者が、空をながめて、わめいていました。すばやい写真部員は、飛びさる円盤にカメラをむけました。

 新聞社では、飛行機でおっかけることも、むろん気づいていて、電話で、そのてはいをめいじましたが、飛行機が飛びあがるまでには、円盤は十マイルもむこうへ、飛びさっていることがわかったので、これは、さたやみになりました。

 それよりも、円盤の飛びさった方角にある、新聞社の支局に電話をかけ、支局から支局へと、リレー式に、円盤のゆくえを見さだめることをおもいつき、すばやく、そのてはいをしました。また、警察も、おなじ考えから、電話れんらくによって、空の非常線をはり、そのゆくえをつきとめようとしました。

 平野少年とおとうさんとは、もとの場所にボンヤリとつったったまま、銀座はじまっていらいの、この大さわぎをながめていましたが、いつまでそうしていても、はてしがないので、新橋駅から電車にのって、世田谷の家に帰ることにしました。

 プラットホームでも、電車の中でも、乗客たちは、空とぶ円盤の話でもちきりでした。

「あれは敵国のスパイ飛行機にちがいない。いよいよ戦争がはじまるのだ。」

 などと、かってなそうぞうを、まことしやかに、いいふらしている人もありました。しかし、あれは星の世界からの使者だという人は、ひとりもありません。平野少年は、「みんなまちがっている。ほんとうのことを知っているのはぼくだけだ。」とおもうと、なんだか、とくいな気もちになってくるのでした。

 電車をおりると、駅前のラジオ屋は黒やまの人だかりで、ラジオはもう、空とぶ円盤のニュースを放送していました。それによりますと、あの五個の空のクラゲのような円盤は、東京湾のほうから銀座の上を通り、とらの門、青山、明治神宮の上空を飛んで、世田谷区にはいり、それから、甲州こうしゅう街道ぞいに、八王子はちおうじ市の方向にむかったということでした。その通りみちの、町々では、いたるところで、銀座とおなじようなさわぎがおこったらしく、ラジオは、そのことをくわしく報じていました。

 どこの家庭でも、ラジオのスイッチをいれっぱなしにして、つぎのニュースを待ちかねました。また、そのあくる日は、新聞をひらくのも、もどかしく、円盤の記事を、むさぼりよむのでした。どの新聞も、社会面ぜんたいを、空とぶ円盤の記事でうずめ、円盤の写生図や写真をのせていました。しかし、写真のほうは、ひじょうに高い空なので、五つの点のようなものが、かすかに、うつっているばかりでした。

 新聞には、また、大学の先生や、天文台の学者の話がのっていましたが、みんな、空とぶ円盤の歴史や、アメリカ人のいけんなどを話しているばかりで、じぶんの考えを、ハッキリいっている人はありませんでした。

 さて、円盤のゆくえは、どうなったのでしょうか。それについては、ラジオも新聞も、がっかりさせるようなニュースしかつたえることはできませんでした。世田谷区の上空を通ったことはわかっているのですが、それからさきは、空がまったく暗くなってしまって、だれにも見ることができなかったのです。八王子市は、その方角で、いちばん大きな町ですから、警察も新聞社も、てぐすねひいて待ちかまえていたのに、ついに、円盤はあらわれなかったというのです。円盤の速度から考えて、八王子の上を飛ぶころは、まだ、空に、うすあかりがあったはずですが、円盤は、まったく、すがたを見せなかったのです。それっきり、ゆくえが、わからなくなってしまったのです。

 しかし、アメリカや、そのほかの国のばあいとちがって、こんどこそは、東京都の、おそらく百万人にちかい人々が、ハッキリ見たのです。もう、ねもない、うわさばなしではありません。百万人が、そろって、見まちがいをするということは、考えられないからです。

 それにしても、あの空のクラゲのような銀色の円盤は、いったい、どこへ、消えてしまったのでしょうか。新聞やラジオはいろいろな、そうぞうをつたえていました。世田谷区を通りすぎたあと、ひじょうな高空にのぼって、見えなくなってしまったのか、あるいは人目につかぬ、はたけや山の上を通って太平洋のほうへ、もどっていったのか、それとも、本州を横だんして、日本海のほうへ飛びさったのか、そのどれかに、ちがいないというのです。

 ところが、これらのそうぞうは、みな、あたっていませんでした。事件のあくる日の夕刊には、日本じゅうを、アッといわせるような、じつに、おそろしいできごとが、報道されたのです。


山中の大円盤


 ラジオでも、いちはやく、それをつたえましたが、夕刊にはもっと、くわしい記事がのりました。

 空とぶ円盤、丹沢たんざわ山中に墜落

   大円盤より有翼ゆうよく怪人あらわる

        きこり松下岩男氏の体験談

 ある夕刊には、こんな見出しがついていました。

 銀色にかがやく、直径五メートルもある大円盤の一つが、神奈川県、丹沢山ととうみねの中間、きこりさえはいったことのない、大森林の中へ墜落したというのです。一キロもへだたった場所で、ただひとり仕事のあとかたづけをしていた、きこりの松下岩男という男が、天地もくつがえるような大音響におどろいて、こわごわそこへ近づいてみますと、銀色の巨大なおさらを、二つあわせたようなかたちの、えたいのしれぬ、ばけものが、森の大木をおしたおして、そこに横たわっていたのです。

 きこりは、夢にも見たこともない、ふしぎな、巨大なもののおそろしさに、気もてんとうして、そのまま逃げかえろうとしましたが、やっと、おもいかえして、遠くの方から、大木のかげに身をかくし、しばらく、ようすを見ていたといいます。

 夕刊には、きこり松下君の写真が、大きく出ていましたが、四十歳ぐらいの、顔じゅうに、ぶしょうひげをはやした、目も鼻も口も大きい、いかにも豪胆ごうたんそうな男でした。

 この山男のようなきこりが、気をうしなうほど驚いたというのですから、いかにおそろしいできごとだったか、そうぞうがつくではありませんか。

 そのころは、もう日がくれきって、ことに山の中ですから、ひじょうに暗くなっていましたが、銀色の大円盤が、発光体のようにひかっていたので、あたりが、うすぼんやりと見えたといいます。

 じっと、しんぼうして、見ていますと、しばらくは、なにごともおこりませんでしたが、やがて、どこからともなく、ブーンという、なにかの機械が回転しているような、かすかな音がひびいてきました。

 いよいよ、きみがわるくなりましたが、きこりは、ナニクソッとふみこたえて、なおも、ひとみをこらしていました。

 すると、大円盤が、かすかに、ジリリ、ジリリと、動くような気がしました。はじめのうちは、どこが動いているのか、よくわかりませんでした。やがて、大きなおさらがかさなりあっているような、その上のほうのさらが、ちょうど、貝がらが口をひらくように、すこしずつ、すこしずつ、上のほうへ、ひらいていることがわかりました。

 中に、だれか人間がいて、もちあげているのでしょうか。いや、そんなことは、とても、できません。直径五メートルもある金属のおさらですから、人間の力で、もちあがるものではありません。機械じかけで、ふたが、ひらいているのです。ブーンという音は、その機械の音にちがいないのです。

 一センチ、二センチ、三センチ、重い金属のふたは、動いているか動いていないか、わからぬほどの速度で、しかし、かくじつに、ひらいていきます。

 ふたのすきまが二十センチほどになったとき、そのすきまの中に、なにか黒いものが、動いているのが見えました。うすぐらいので、ハッキリはわかりませんが、なにかの生きものです。動物です。動物が、すきまから、そとの世界をのぞいているのです。

 きこりは、なんともいえない、いやらしいものだったと、いっています。そいつには二つの目のようなものがありました。しかし、人間の目ではありません。サルやオオカミやキツネの目でもありません。きこりの知っている動物では、いつか山中で出あった、うわばみの目に、どこかしら似ていたといいます。大蛇の目なのです。

 暗いので、そのほかのことは、よくわかりませんが、きこりは、いよいよ、こわくなって、こんどこそ逃げだそうと、おもったそうです。しかし、もう逃げることもできなくなっていました。おそろしいばけものに、みいられたように、足が動かなくなっていたのです。

 それから、しばらくして、大円盤のふたのすきまが、五十センチほどまで、ひらいたとき、中にうごめいていた生きものが、いきなり、そとへ、とびだしてきました。

 それを見たとき、きこりは、あまりのおそろしさに、気をうしないそうになったといいます。

 それははねのはえた大トカゲのような怪物でした。顔は、鳥に似ていたといいます。それにヘビのような、きみのわるい目が、光っていたのです。かたちは人間に似て、手も足もあり、立って歩くこともできるのですが、そのからだぜんたいが、巨大なトカゲなのです。顔もからだも、むらさきとみどりと黄色のしまになって、それがヌメヌメと銀色に光っているのです。そして、せなかには、コウモリのような、大きなはねがついていたといいます。

 その怪物は、円盤の中からはいだして、地上に立つと、ヘビの目で、ジロリジロリと、あたりを見まわしていましたが、やがて、パッと、大きなはねをひろげました。そして、二、三ど、ハタハタとはばたきをしたかとおもうと、スーッと空へ飛びたっていったのです。

 そのはばたきの、すさまじかったこと。二十メートルもはなれたところに立っていたきこりの顔に、はばたきの風が、あらしのように、サーッと、吹きつけたといいます。

 気をうしなったように、みうごきもできなくなっていたきこりは、そのはげしい風にうたれて、やっと気をとりなおし、あとをも見ずに、いちもくさんに逃げかえったのでした。

 ふもとの村にたどりついて、そのことを話したものですから、さあ、たいへんなさわぎになりました。村のちゅうざい所から、警察署へ、それから、国警本部へと、電話でほうこくされ、警官隊が、ふもとの村へかけつける。それにつれて、各新聞社からも、おおぜいの記者や写真班があつまってくる。消防隊や青年団も、かりだされる。そして、その一団が、きこりを、道あんないにして、大円盤のおちたという山中へ、わけのぼった、というところで、夕刊の記事はきれていました。ふかいふかい山のことですから、夕刊のしめきりまでに、そうさくの結果がわからなかったのです。

 この新聞記事は、日本じゅうをわきたたせました。ことに、東京の人たちは、空とぶ円盤を見たのですから、そのさわぎは、ひとしおです。よるとさわると、円盤と大トカゲの怪物のはなしで、もちきりでした。

 ところが、よくじつのラジオと新聞をまちかまえていた人々は、すっかり、しつぼうしてしまいました。

 ふしぎなことに、あの大円盤は、どこかへ消えてなくなっていたのです。

 きこりはその場所を、チャンとおぼえていました。円盤がおちたために、たおれた大木なども、そのまま残っていたのです。それに、円盤だけが、どこかへ、すがたをかくしてしまったのです。そうさく隊は、その附近をくまなくさがしまわりましたが、どこにも、それらしいものは、見あたりませんでした。

 円盤は、きこりが逃げさったあとで、そのまま、どこかへ、飛びさったのでしょう。もとの星の世界へ、もどっていったのかもしれません。それとも、まだ地球から、あまりとおくない宇宙を、さまよっているのかもしれません。

 新聞はみな、そんなふうに書いていました。

 しかし、円盤からはいだした、トカゲとコウモリのあいのこのような、あのぶきみなやつは、いったいどうしたのでしょうか。円盤の中へもどって、円盤とともに、地球を飛びさったのでしょうか。もしかしたらコウモリのはねで、円盤をはなれたまま、地球に残っているのではないでしょうか。そして、いまごろは東京のどこかの町へ、しのびこんでいるというようなことは、ないでしょうか。

 いや、それだけではありません。もっと心配なことがあります。あの円盤の中には、きこりの見た怪物が、いっぴきだけ、いたのでしょうか。おなじようなやつが、二ひきも、三びきもいて、きこりが逃げたあとで、円盤からはいだし、日本のどこかへ飛んでいって、すがたをくらましたのではありますまいか。

 それから、東京の空を飛んだ円盤は、五つだったのですから、あとの四つが、どこへおりたかが、もんだいです。もし、四つとも日本に着陸して、それぞれ、何びきかの怪物が、はいだしたとすると、十何びきという怪物が、日本のどこかに残っているはずです。しかも、やつらは、コウモリのようなはねで、飛ぶことができるのですから、夜中に高い空を飛べば、だれにも知られないで、どこへでも行くことができます。

 なんという、ぶきみなことでしょう。

 それからというもの、日本じゅうの人が、トビやカラスの飛ぶのを見ても、もしや、あの怪物ではあるまいかと、ビクビクするありさまでした。


はねのある大トカゲ


 ところが、それから一月ほどのあいだなにごとも、おこりませんでした。日本に「空とぶ円盤」がおちたということは、世界じゅうに知れわたって、各国の新聞にデカデカと、その記事がのりましたが、円盤は、丹沢山から消えたまま、なんのおとさたもなく、はねのある大トカゲの怪物も、どこにも、すがたをあらわしません。まるで、あのさわぎは、東京じゅうの人が、みんなそろって、おそろしい夢を見ただけではないかと、思われるほどでした。

 かわったことといえば、たったひとつ、平野少年のまわりに、ちょっと、みょうなことが、おこっていました。

 それは、平野君のだいすきな北村さんが、ゆくえ不明になったことです。北村さんは、まえにもしるしたように、平野君の近くの小さい家に、耳のとおい、やといばあさんと、ふたりきりで住んでいたのですが、円盤事件があってから、二日ほどのち、「ちょっと散歩してくる。」といって、家を出たまま、ゆくえ不明になってしまったのです。

 ばあさんが、さわぎだして、警察にもとどけ、こころあたりを、くまなくさがしたのですが、北村さんは、どこにもいませんでした。

 そして、ゆくえ不明のまま、一月ばかりたってしまったのです。

 ある日の午後のこと、平野少年が、おうちの近くの原っぱを歩いていますと、あれほどさがしてもみつからなかった北村さんに、ヒョッコリと出あいました。

 しかし、北村さんは、人ちがいではないかとおもうほど、やつれはてていました。頭の毛はモジャモジャになり、ほおから、あごにかけて、ぶしょうひげが、うすぐろくはえ、顔色はまっさおで、服もしわくちゃになって、まるで、ゆうれいのようなすがたでした。

「北村さん、北村さんでしょう。いったい、どうしたの?」

 平野君が、声をかけますと、北村さんは、やっと気づいて、

「オオ、平野君か。ぼくはおそろしいめにあった。逃げだしてきたんだ。いまに、おっかけてくる。こんなところで、グズグズしちゃいられない。サ、ぼくといっしょに来たまえ。きみには話しておきたいことがあるんだ。」

 と、うしろをふりむきながら、いまにも、おってがせまってくるような、おびえかたです。

「おじさんのうちへ、いきましょう。ばあやさんが、心配しているんですよ。」

「イヤ、ぼくのうちへは、いけない。あぶないんだ。それより、いいところへいこう。通りへ出て、自動車をひろおう。」

「エ、いいとこって、どこです。」

「どこでもいい、だまってついて来たまえ。車にのってから話す。」

 大通りへ出ると、ちょうど、むこうから走ってきた自動車をとめて、おおいそぎで、とびのりました。平野君も、しかたがないので、つづいてのりこみます。

「どうしたんです。わけを話してください」

「それは、いまにわかる。むこうへついてから、話す。」

「むこうって、どこなんです。」

「それはいってもいい。きみも名まえは知ってるだろう。明智小五郎先生のうちさ。」

「え、じゃあ、あの名探偵の……。」

「そうだよ。警察にも知らせなければならないが、まず明智探偵だ。ぼくは明智さんには、まえに二、三どあって、よく知っているんだよ。こういうときには、あの人に相談するのが、いちばんいい。」

 それきり、北村さんはだまりこんでしまいました。

 話しかけても、返事もしないのです。

 やがて、自動車は、千代田区にはいり、明智探偵事務所の前にとまりました。ベルをおすと、リンゴのようなほおの小林少年が出てきました。名探偵の助手として、せけんに知られた少年です。

 さいわい明智探偵も、うちにいたので、すぐ洋風の客間にとおされ、まるいテーブルをかこんで、明智探偵、小林少年、北村さん、平野少年の四人が、席につきました。

 あいさつがすむと、北村さんは、いそいで話しはじめます。

「明智先生、ぼくは一月のあいだ、空とぶ円盤の中にとじこめられていたのです。けさ、やっと、すきをみつけて、逃げだしてきたのです」

「エッ。」

 きいている三人は、顔見あわせて、おもわず、おどろきの声をたてました。あの円盤は、どこかへ、飛びさったとばかり、思っていたからです。

「円盤って、あの丹沢山へおちた円盤ですか。そして、それはいったい、どこにあるのです。」

 明智探偵が、あわただしく、たずねました。

「やっぱり丹沢山の、もっとおくのほうの、ふかい森の中へ、位置をかえたのです。きこりも、猟師も通らないような、おそろしい山おくです。」

「では、なぜ、ふもとの警察に知らせて、山狩りをさせなかったのです?」

「それはむだですよ。円盤は、自由自在に飛べるのです。ぼくが逃げだしたことは、とっくに気づいてますから、同じ場所に、じっとしているはずがない。どこか、ずっとはなれたところへ、飛んでいますよ。それが、どこだかは、だれにもわからないのです。」

 北村さんの言うとおり、円盤は、おそろしい早さで飛べるのですから、警官隊でかこんでみても、なんにもなりません。たとえ飛行機でおっかけたところで、とても、おっつけるものではないでしょう。じつに、やっかいな、しろものです。

「いったい、きみは、どうして、円盤にとじこめられたのです?」

 明智探偵が、たずねました。

「それはこうですよ。あの円盤が、丹沢山の中へおちた、よくよく日のことです。ぼくは、ひとりぼっちで、たんぼ道を歩くのがすきなのですが、その日も、世田谷区のはずれの、ひろいたんぼ道を、ブラブラ歩いているうちに、日がくれてしまったのです。暗くて、足もとが見えないようになったので、いそいで、うちへ帰ろうとしていると、とつぜん、ぼくの前に、スーッと立ったやつがあります。むこうから歩いてきたのではなく、どこか上のほうから落ちてきたように、スーッとそこへ立ったのです。

 これが、夜目にもわかる、はねのある大トカゲでした。新聞に書いてあったのと、そっくりのすがたです。

 ぼくはギョッとして、いきなり逃げようとしたのですが、あいては、すばやく、パッととびかかってきて、ぼくの口へ、なんだかグニャグニャした丸いものを、つめこんでしまいました。もう声をたてることができません。それから、なまりのような、やわらかい金属の帯を、頭にグルグルまきつけて、目かくしをされました。

 あとでわかったのですが、口につめこまれた丸いものも、やっぱりおなじ金属でした。地球にはない金属です。いや、金属と呼んでいいかどうかも、わかりません。ともかく、自由自在に、まがるし、そのうえ、ゴムのように弾力があるくせに、それは、鉄のように、つよい物質なのです。色は銀色をしています。どこか、遠い星の世界の金属なのでしょう。空とぶ円盤も、この金属でできているのです。また、その中にある、いろいろな機械や道具も、みんな、この金属でできていました。

 さて、そうして、さるぐつわをはめられたかと思うと、もう、ぼくのからだは宙にういていました。大トカゲの怪物が、ぼくをこわきにかかえて、はばたきをしたのです。暗くてよくわかりませんが、またたくまに、地上何百メートルという高さにのぼったようです。顔に吹きつける風のはげしさで、怪物のとぶ早さが、わかります。息もできないほどでした。

 とちゅう、にぎやかな町の上を通りましたが、キラキラひかる町の灯が、まるで万灯流まんとうながしのようで、じつにきれいでした。飛行機から夜の都会を見おろすのと同じうつくしさでした。

 一時間以上も飛んでいたでしょうか。氷のような風に吹きつけられて、からだじゅうが、しびれてしまったころ、やっと目的地についたとみえて、速度がにぶくなり、やがて、スーッと地上におり立ちました。それから、すこし歩いて、目かくしをとられた場所は、そのときには、わかりませんでしたが、大円盤の中だったのです。

 あたりは、いぶし銀のように、白く光っていました。電灯ではありません。何か、えたいのしれぬひかりです。まわりには、地球の世界では見たこともない、奇妙な形のものが、ゴチャゴチャとならんでいました。円盤を動かす機械なのでしょうが、われわれの知っている機械とは、まるでちがっていて、歯車のようなものは一つもありません。クネクネとまがった帯のようなものが、縦横にいりみだれているばかりなのです。そして、その材料は、銀色のものと、透明なガラスのようなものと、ふたいろしかありません。どちらも、星の世界の金属なのでしょう。みんな、かたくて、やわらかいのです。自由にまがるくせに、弾力があるのです。」

 北村さんは、そこで、ちょっと、ことばをきって、前にだされていたコーヒーを、のみました。だれも、ものを言う者はありません。あまりふしぎな話なので、口をはさむこともできないのです。


魔法の鏡


 北村さんの話はつづきます。

「そのとき、ぼくは、銀色のひかりの中で、トカゲの怪物をハッキリ見たのですが、ぜんたいのかたちが、どことなく人間に似ているのが、ふしぎでした。手と足があって、足だけで立つこともできるのです。星の世界でも、いちばん便利なかたちは、やっぱり、地球の人間とおなじなのかと、みょうな気がしました。

 しかし、この怪物は、人間のおよびもつかない武器を持っています。あの大きなはねです。地球の人間は飛行機にのらなければ、空を飛ぶことができないのに、やつは、自分で飛ぶことができるのです。そのうえ、手足の指のあいだに、水かきのようなものがついているのをみると、きっと、泳ぎも、うまいのでしょう。ワニのように、水をもぐったり、およいだりできるのでしょう。

 水、陸、空、どこでも、自由に動きまわれるという怪物です。いや、怪物どころか、もっとも進歩した、万能の生物なのです。

 からだには、トカゲのような、うつくしいしまがあります。むらさきとみどりと黄色が、いりみだれて、まるで虹のようです。ただ、顔だけは、あまり、うつくしくありません。地球の動物で言えば、鳥によく似ています。目の下に鼻がなく、すぐ口になっているのです。とんがった、大きな口です。しかし、歯もきばもありません。むらさき色の歯ぐきのようなものが、見えているだけです。

 目は、きこりが言っていたとおり、ヘビの目です。じっと見られると、電気にでもかかったように、からだがすくんで、身うごきもできなくなります。地球では想像もできない、おそろしい目です。あの目を見ただけで、あらくれ男のきこりが気をうしないそうになったのも、もっともです。

 円盤につれこまれたさいしょは、怪物のすがたが、あまり、いやらしく、おそろしいので、ぼくはもう、むがむちゅうでした。あいてを見るのも、こわくて、目をつぶったまま、うつぶせになっていました。あいつのすがたを、つくづくながめるようになったのは、二、三日たって、いくらか、なれてきたからです。

 それからひと月のあいだ、ぼくはこの怪物といっしょにくらしたのですが、だんだん、なれるにつれて、あいてが、ぼくをとって食おうというわけでもなし、それに、われわれ地球の人間には、とてもかなわないほどの、すばらしい知恵を持っていることも、わかってきましたので、おそろしさが、いくらか、すくなくなりました。あの虹のようなトカゲのからだが、かえって、うつくしく思われてきたほどです。」

「だが、そいつは、なんのために、きみをさらっていったのでしょうね。べつに、危害も、くわえなかったのですか。」

 明智が、ちょっと口をはさみました。

「それを、これからお話しようと思っていたのです。ぼくをさらったわけは、地球の、人間のことばを、ならいたかったからですよ。地球人のことばといっても、むろん、ぼくは日本語しか、おしえられませんが、あいつは、日本語を、わずかひと月で、あらかたおぼえてしまったのです。じつに頭がいいのですね。一度、聞いたことは、けっして、わすれないのです。まるで、レコードのように、ちゃんと頭の中にきざみこんでしまうのです。

 すこし話ができるようになったとき、ぼくが、地球には何十という国があって、みんなことばがちがうのだと、おしえてやったら、あいつはビックリしていました。星の世界は、ぜんたいが、ひとつのことばなのでしょうね。

 では、ぼくのほうでも、あいてのことばをおぼえたかと、おっしゃるのですか。ところが、それは、まったくだめなのです。あいても、なにかペチャペチャしゃべることは、しゃべるのですが、その意味は、すこしもわかりません。あいつは日本語をおぼえるだけで、自分のことばを、ぼくにおしえようとはしません。だいいち、あいつが、どの星からやってきたかということさえ、いくらたずねても、言わないのです。円盤の機械の秘密なども、これっぽっちも、おしえてはくれません。いくども、たずねると、こわい顔をして、おこりだすので、ぼくもあきらめてしまいました。

 そんなふうに、せんぽうのことばが、すこしもわからなくて、どうして日本語を、おしえることができたかと言いますと、そこが星の世界ですね。じつに、便利な道具があるのです。ぼくはそれを魔法の鏡となづけたのですが、まったく魔法の鏡ですよ。見たところは、おぼんのような、まるい銀色の金属です。それを顔の前にもってくると、ふつうの鏡とちがって、顔はうつらないで、心がうつるのです。鏡をもっている人の、心に思っているものが、そのまま写真のように銀のおぼんの表面に、あらわれるのです。つまり、心の写真をうつすフィルムなんですね。どうしてうつるかというわけは、まったくわかりません。なにしろ、宇宙のどこにあるかわからない星の世界の科学です。地球の科学では、けんとうもつきません。魔法とでもいうほかはないのです。

 たとえば、あいてが、ぼくの服を見て、それはなんというものだと、聞きたいときには、ぼくの服を心に思えばよいのです。すると、ぼくの服と同じものが鏡にうつるので、ぼくはそれを見て『フク』と、おしえてやればよいわけです。こういうおしえかたは、絵をかいてもやれますが、魔法の鏡のほうが、どれだけ、手ばやいかわかりませんよ。

 そんなふうにして、五日ほどおしえているうちに、もう、ちょっとした会話が、できるようになりました。すると、トカゲ男は、さいしょに、おそろしいことを、ぼくに申しわたしました。

『キミ、ニゲル、ハイニナル。』

と、こう言うのです。『きみが逃げると、ハイになる。』という意味らしいのですが、『ハイ』とはなんでしょう。ハエのことでしょうか。やつは星の世界の魔法で、ぼくをいっぴきのハエにかえてしまうつもりかと、びっくりしていますと、怪人は、すばやく円盤のそとへ、とびだしていって、しばらくすると、いっぴきの小ザルを、つかまえて、もどってきました。はねがあるのですから、木の上のサルをとらえることなんか、わけはないのです。

 やつは、その小ザルを、れいのやわらかい金属で、しばりつけ、逃げだせないようにしておいて、どこからか、てのひらの中にはいるような、銀色の、小さな丸いものを持ちだしてきました。それは、一方がとがっていて、ちょうどゴムのスポイトのような形をしているのです。

 トカゲ男は、そのとがったほうを小ザルにむけて、まるい部分を、ギュッと、にぎりしめました。するとあのやわらかい弾力のある金属ですから、スポイトと同じはたらきをして、中にはいっていた、なにかのガスが、白い煙をはいて、サーッと小ザルにふきつけられたのです。

 ああ、思いだしても、ゾッとします。あれは、なんという、おそろしいガスでしょう。それを、ふきかけられた小ザルは、アッというまに消えてしまったのです。そして、小ザルのいたあとに、ひとつかみの灰がのこっているばかりでした。いっぴきの動物が、一しゅんかんに、ひとつかみの灰にかわってしまったのです。

 これで『ハイ』の意味が、わかりました。ハエではなくて、灰だったのです。怪人は、おまえも、逃げだそうとすれば、このとおり、灰にしてしまうぞと、実物で見せてくれたわけです。」


銀仮面


 北村さんは、明智探偵の顔を見つめながら、さらに話しつづけます。

「明智先生、あいつは、なぜ、日本語をならったのでしょう。ひと月もかかって、あんなに熱心に、ぼくたちのことばをならったのでしょう。ああ、おそろしいことです。それには、やつの、ふかい、たくらみがあったのです。

 ぼくが、とりこになってから、半月ほどのちのことでした。もうそのころは、日本人のいろいろな服装のことや、どこに何を売っているというようなことを、ぼくにおそわって、すっかり知っていたのですが、ひとりで、どこかへ出ていって、五、六時間も、るすにしたことがあります。むろん、ぼくは、そのすきに、円盤から逃げだそうと、いろいろ、やってみたのですが、円盤の口は、どうしてもひらきません。しかたがないので、そのまま、あいつの帰ってくるのを、まっていたのです。

 すると、あいつは、大きな荷物をかかえて帰ってきました。それは、なんだったと思いますか。服ですよ。背広が二つ、オーバーが二つ、それから、警官の服と帽子が、ひとそろい。たぶん、東京か横浜の、どこかの古着屋から、ぬすみだしてきたのでしょう。

 それからというもの、三日に一度ぐらい、やつは、どこかへ、出ていくのです。そして、そのたびごとに、警備隊員の制服だとか、労働者の服だとか、絹の和服だとか、その上にきるマントだとか、あらゆる服装を持って帰るのです。円盤の中は、まるで、芝居の衣装部屋のようになってしまいました。

 そして、ある朝のことです。ぼくが円盤の中のベッドで、目をさましますと、すぐ目の前に、ひとりの人間がつっ立っていたではありませんか。そうです。あのトカゲとコウモリの、あいの子のような宇宙怪人が、この地球の人間に化けたのです。変装したのです。

 洋服の上着のせなかにさいくをして、れいのコウモリのはねだけが、そとへ出るようにしてありました。頭には、ソフト帽を、まぶかにかぶっていました。その下に、どんな顔があったと思いますか。あの鳥のような顔ではありません。人間の顔なのです。しかも、その顔が、銀色にピカピカ光っていたのです。

 人間の顔とソックリのかたちをした、銀仮面なのです。目のところは、くりぬいてあって、そのおくから、怪物のヘビの目が、きみ悪く、のぞいていました。口のところにも、穴があいていました。両はじがギュッと上にあがった、三日月がたの黒い穴です。つまり、銀のお面が、ニヤリと笑っているのです。いつでも、どんなときでも、笑っているのです。

 あとでわかったのですが、その仮面は、顔のまえだけのものではなくて、頭からスッポリかぶるようになっていました。銀色の鉄仮面なのです。この仮面は、宇宙怪人が、自分でつくったものでした。あのはがねのようにかたくて、しかも、自由自在にまがる、星の世界の金属でつくったのです。そういう、ふしぎな金属ですから、仮面をつくるのも、わけのないことでした。怪人は、ぼくの知らぬまに、大円盤の中の工作場で、それをつくりあげていたのです。

 ぼくは、洋服のせなかに、はねのはえている銀仮面の怪物を見て、いちじはギョッとしましたが、すぐ宇宙怪人の変装とわかったので、

「きみは、そんな変装をして、いったい、なにをするつもりだ。」

 と、たずねてやりました。

『ワカラナイカネ。』

 あいては、銀仮面の三日月がたの口で、ニヤニヤ笑っているばかりです。

『さては、きみは、そんな日本人の変装をして、東京の町へ、まぎれこむつもりだな。そして、なにをしようというのだ。地球のようすを──日本のようすを、さぐるのか。スパイをするのか。』

『ソウカモシレナイ。』

 怪人は、やっぱり笑ったままです。

『スパイをするだけでなくて、何か、ぬすみだすのじゃないか。地球の人間を、ほりょにして、星の世界へつれていこうというのじゃないか。』

『ヤメナサイ。キミハ、ハイニナルノガ、コワクナイノカ。』

 そう言われると、ぼくはもう、いちごんもありません。あの金属のスポイトのようなものから、スーッと煙がでて、その前にいたサルが、一しゅんかんに、灰になってしまったことを、思いだしたからです。灰にされてはたまりません。ぼくは、ギョッとして、口をつぐんでしまいました。

 それからというもの、ぼくは、なんとかして円盤の中から、逃げだそうと、たえず、すきをねらっていたのですが、きのうの朝、やっと、そのおりがありました。怪人が、円盤を出ていったあとが、ひらいたままになっていたのです。あんな、ぬけめのないやつでも、ウッカリすることがあるんですね。

 ぼくは、いきなり、そこからはいだして、森の中へかくれました。そして、おいしげった、木の葉の下を、はうようにして逃げたのです。道にまよいましたが、一日がかりで、やっと、夜になって、ふもとに、たどりついたのです。

 その晩は、村人の家にとめてもらい、よく日、電車の駅まで歩いて、やっと、東京へかえってきました。円盤のことも、怪人のことも、だれにも言いませんでした。いまごろは、ぼくが逃げたことを知って、円盤を、べつの場所へ、うつしたにちがいないと思ったからです。それに、ぼくは、むがむちゅうで、逃げたのですから、円盤のあったところへ、あんないしろ、といわれても、とてもわからないと思ったからです。

 それよりも、はやく東京に帰って、警視庁にうったえ、新聞社に知らせ、怪人が日本人に変装して、どこにあらわれるかもしれないということを、日本じゅうの人々に知らせなければならないと考えたのです。」

 北村さんのながい話が、やっと、おわりました。しかし、だれも口をきくものがありません。あまりに、おそろしい話なので、なんと言っていいか、わからなかったからです。

 しばらくすると、名探偵の助手の小林少年が、ふと気がついたように、たずねました。

「たべものは、どうしていたのですか。怪人が、どこかから持ってきてくれたのですか。そして、怪人も、やはり、ぼくたちと同じように、食事をするのですか。」

 すると、北村さんは、もっともな質問だ、というように、うなずいてみせて、

「それが、じつにふしぎなんです。怪人は、銀色の小さな入れものから、錠剤のようなものを出して、ときどき口へ入れているのです。それが食事なんです。ぼくにも、それをくれたのですが、一日に二、三度、それをたべると、すこしもはらがへりません。それから、お酒のようなものも飲ませてくれました。じつにおいしいのです。小さな錠剤ひとつぶと、すこしばかりのお酒で、おなかが、くちくなってしまうのです。こんな便利なたべものを、発明するほどですから、科学にかけては、地球の人間は、とても、かないっこありませんよ。」

 そのとき、明智探偵が、しずかに、たずねました。

「北村さん、その怪人は、はねをもっているのだから、逃げだしたきみを、空からさがすのは、わけのないことですね。そして、きみを円盤の中へ、つれもどすのは、わけのないことですね。どうして、そうしなかったのでしょう。」

「もう、日本語をおぼえてしまったから、ぼくがいらなくなったからだと思います。ひょっとしたら、円盤のふたを、あけたままにしておいたのも、わざと、ぼくを逃がすためだったかもしれません。それからね、明智先生、あいつは、ぼくの口から、あいつのことをしゃべらせ、それが新聞にのって日本じゅうのうわさになることを、のぞんでいたのかもしれませんよ。サア、おれは人間に変装して、おまえたちの町の中へはいっていくんだぞ。つかまえられるものなら、つかまえてみるがいいと、宇宙人のえらさを、見せびらかしたいのかもしれませんよ。」

「フーム、その考えはおもしろい。見せびらかしたいというのはね。しかし、もし、そいつが、星の世界から、地球のようすを、さぐりにきたスパイだとすると、人間に変装することなんかは、かくしておかなければ、ならないはずですね。ここがおもしろいのですよ。ここに、ひじょうに、だいじな意味がかくされているのですよ。」

 明智探偵は、なぞのようなことを言って、じっと、ひとつところを、見つめていました。この明智のことばは、そのときは、だれにも、わかりませんでしたが、ずっと、あとになって、ああ、そうだったのか、さすがは名探偵だと、思いあたるときがくるのです。


地球の恐怖


 それから、北村さんは、明智探偵につれられて、警視庁へいきました。そして、宇宙怪人について、くわしく報告したのです。ひじょうな大事件ですから、このことが、警視総監から、内閣につたえられ総理大臣の耳にもはいりました。国をあげてのさわぎです。あくる日の新聞には、戦争の記事と、同じぐらいの大きさで、北村さんの話が、デカデカとのり、日本じゅうの人を、ふるえあがらせてしまいました。

 銀の仮面をかぶった、人間と、おなじ服をきた怪物が、東京の町のどこかに、まぎれこんでいる。いや、東京とはかぎりません。飛行機のように、早くとべるのですから、大阪にでも、名古屋にでも、そのほか、どこの町にだって、あらわれることができるのです。その怪物が、ひょっとしたら、じぶんのすぐ近くに、かくれているのではないかと考えると、おそろしさに、身の毛もよだつ思いでした。

 それから、数日のあいだは、なにごともなく、すぎさりましたが、ある日のこと、またしても、人々をアッといわせるような記事が、新聞にのりました。

 こんどは、外国のできごとです。このあいだ、銀座の空をとんだのと、おなじような「空とぶ円盤」が、アメリカのニューヨーク市の空にあらわれたというのです。いや、そればかりではありません。その円盤が、ある山の中に着陸して、宇宙怪人がはいだしてきたのを、なん人かの人が見た、というのです。やっぱり、コウモリのような、はねをもち、トカゲのような、からだのやつでした。

 日本だけではなく、世界じゅうのさわぎになったのです。星の世界から、生きものが飛んできたなんて、地球はじまっていらいの大事件ですから、新聞は毎日そのことばかりをのせ、ラジオは、そのことばかりをわめきたて、どこの国でも、人がよれば、宇宙怪人のうわさで、もちきりでした。

 もしも、「空とぶ円盤」が、何千、何万と、天がまっ黒になるほど、たくさん、この地球へおしかけてきたら、そして、それがみな地球に着陸して、中から何万、何十万というトカゲ人種がとびだして、一しゅんかんに動物を灰にしてしまう、あのおそろしい武器で、せめてきたら、たちまち、地球は、星の世界の怪物のために、せめほろぼされてしまうでしょう。

 世界じゅうの学者が、いろいろな意見を、新聞や雑誌に書きました。そのなかに、つぎのようなことを書いたイギリスの学者がありました。

「地球に近い星で、生きものがすんでいるのは、おそらく金星であろう。金星では、生きものが、ふえて、土地がせまくなったのかもしれない。それとも、気候がだんだん寒くなるとか、なにか、すみにくい変化がおこったのかもしれない。そこで、金星の生きものは気候のよい地球を、じぶんたちの領地にして、人間をせめほろぼし、自分たちが地球にすみたいと、考えたのかもしれない。それには、まず、地球のありさまをよくしらべなければならない。人間がどれほどの力をもっているかを、さぐらなければならない。いま、アメリカと日本をさわがせているトカゲ人種は、そのスパイとして、やってきたのではなかろうか。」

 これを書いたのは、えらい学者でしたから、世界じゅうの新聞が、その意見をのせ、世界じゅうの人が、それを読みました。そして、おそろしさに、ふるえあがってしまったのです。

 大地震よりも、大戦争よりも、いくそう倍も、おそろしいことでした。あの、きみの悪いトカゲ人種のために、この地球ぜんたいが、ほろぼされてしまうのかと思うと、世界じゅうのひとが、気もくるわんばかりの恐怖に、とりつかれてしまいました。

 それから、数日たったある日のことです。平野少年のおうちのそばに、おそろしいことが、おこりました。

 平野一郎少年には、ひとりのおねえさまがありました。まだ音楽学校の生徒ですが、バイオリンの天才といわれていました。そのうえ、顔やすがたがうつくしいことでも、たいへんなひょうばんでした。まるで天女てんにょのように、きれいなおねえさまだったのです。

 その日、平野君は、おねえさまにつれられて、お友だちのところへ遊びにいったのですが、夕がた、もう、あたりがうすぐらくなってから、ふたりで、おうちへ帰ってきました。

 そのへんは、さびしい、やしき町で、とある町かどに、ちょっとしたあき地があって、そこに、ひじょうに古い、カシの大木が、空をおおって、巨人のようにそびえていました。遠くから、目じるしになるような、大きなカシの木なのです。

 ふたりが、その下を通りかかったとき、平野少年は、なにげなく、頭の上を、見あげましたが、すると、どうしたのか、少年は、ピッタリ、そこに立ちどまったまま、動かなくなってしまいました。

「一郎さん、どうしたの。なにを、そんなに見つめているの。」

 おねえさまも、立ちどまって、ふしぎそうにたずねました。

「ねえさん、ごらん、へんなものがいるよ。ホラ、あの木の上に。」

 おねえさまも、空を見あげました。そして、一郎君と同じように、身うごきもできなくなってしまいました。

 そこには、じつに異様なものが、あったのです。

 カシの木の地上十メートルほどの、大きな枝の上に、の葉ではない、茶色の大きなものがのっているのです。うすぐらくなっているので、ボンヤリとしか見えませんけれど、それは、どうみても、人間のすがたでした。茶色の洋服をきた、りっぱな紳士が、枝にまたがっているのです。頭には、やはり、茶色のソフトをかぶっていました。

「あんな高いところへ、どうして、のぼったんだろう。なにをしているんだろう。」

「へんね。きみが悪いわ、はやく行きましょう。」

「アッ、ねえさん、まって。あいつの顔、ピカピカ光ったよ。ごらん、銀色の顔をしているよ。」

 いかにも、ソフトの下から、銀色の顔が、じっとこちらを見ています。そして、三日月がたの口で、ニヤニヤ笑っているではありませんか。

 ふたりは、ゾーッとして、いきなり、かけだしました。手をつなぎあって、いちもくさんに、おうちのほうへ、走ったのです。

 まっさおになって、息せききって、おうちにかけこむと、木の上の怪物のことを知らせました。すると、まず、おとうさんが、とびだしてこられ、やがて、さわぎを聞きつけた近所の人たちが集まってきました。そして、だんだん、人数が多くなり、十数人の人々が、おずおずとカシの木の下へ近づいていったのですが、その中には、北村さんのすがたも見えました。だれかが知らせにいったのでしょう。やがて、警官も、かけつけてきました。

 やがて、みんなが、カシの木の下に集まりました。もうそのころは、空が暗くなっていましたが、でも、目をこらせば、怪物のすがたが、おぼろげに見えるのです。

「みなさん、たしかに、あいつです。ごらんなさい、あの銀色の顔を。それから、せなかのはねを……。」

 北村さんが、ささやき声で、言いました。いかにも、背広のせなかに、まっくろな長いものが、くっついています。れいのコウモリのはねです。

 それが、宇宙怪人とわかると、人々は、思わずあとじさりをしました。そして、いまにも、逃げだそうとしていたとき……、木の上の怪物のほうでも、大きく身うごきしました。コウモリのはねが、パッとひらいたのです。洋服の紳士に、はねがはえたのです。

 地上の人々の口から「ワーッ。」という、恐怖の声がわきあがりました。怪物が、こちらへ、とびかかってくるように、思われたからです。

 怪物は、サッと、木の枝をはなれると、大きなはねで、宙にうきました。人々は、もう一度、「ワーッ。」と、声をたてて、われさきにと逃げだしたのですが、怪物は、下へとびかかってくるのでなくて、空へ、まいあがったのです。

 それに気がつくと、人々は、やっと、ふみとどまって、また、暗い空を見あげました。

 ああ、なんという、ふしぎな光景だったでしょう。ソフトをかぶり、背広をきて、クツまではいた紳士が、大きな黒いはねで空を飛んでいるのです。人々は、なんだか、おそろしい夢を見ているような気がしました。夢でもなければ、こんな、とっぴなことが、この世界におこることは考えられなかったからです。

 しかし、夢ではありません。ひとりの、りっぱな紳士が、銀色の顔を光らせて、空高く、まいあがっていくのです。平野君のおとうさんや、おまわりさんや、北村さんや、二十人にちかい人が、それを見たのです。

 怪人は、グングン空へのぼっていきます。空は、もうまっくらです。星さえまたたいています。その星のひかりをかすめて、怪物は高く高く、やみの中にとけこんでいきました。そして、地上からは、まったく見えなくなってしまいました。

 もし、これが、昼間なら、飛行機で追っかけることができたかもしれません。しかし、夜では、どうすることもできないのです。怪人が、どちらの方角へ飛びさったかさえ、すこしもわからないのです。

 いままでは、きこりと、北村さんの、ふたりのほかは、だれも見なかった宇宙怪人を、二十人にちかい人が、ハッキリと見たのです。北村さんの話を、いくらか、うたがっていた人たちも、今となっては信じないわけにはいきませんでした。銀仮面の飛行怪人は、この東京の空にあらわれたのです。いよいよ、なにか、おそろしいことが、はじまるのです。

 それから一ヵ月ほどのあいだにいろいろなことが、おこりました。その一つは、銀座の大デパートの屋上の怪事件でした。

 デパートの少年社員水谷みずたに君は、ある夕がた、屋上の熱帯植物の温室に、用事があって、ひとりで、そこへ、やってきました。もう、デパートが閉店したあとで、ひろい屋上は、さばくのようにガランとして、人っ子ひとり、見えませんでした。

 温室の用事をすませて、ガラスばりの部屋を出ますと、水谷少年は、ふと、みょうな顔をして、立ちどまりました。

 だれもいないと思っていた、ひろい屋上のむこうのすみに、なんだか黒いものが、立っていたからです。どうも人間らしいのです。

 じっとみつめていますと、その黒い人かげが、だんだん、こちらへ近づいてきました。

 ネズミ色のオーバーをきて、おなじ色のソフトを、まぶかにかぶっています。もう空は、ほとんど暗くなっていて、そのネズミ色の男のすがたは、ゆうれいのように、ボーッと、かすんで見えるのです。

 近づくにしたがって、ソフトの下の顔が見えてきましたが、その顔が、はくぼくをぬったように、まっ白なのです。いや、ただ白いのではありません。キラキラ光っているのです。

 水谷少年は、ゾーッと、頭の毛が、さかだつような気がしました。そして「キャッ。」と、さけびそうになるのを、やっと、こらえました。

 その男の顔は、銀色に光っていたのです。ああ、銀色の顔、ほかに、そんなやつがいるでしょうか。あいつです。銀仮面のトカゲ男です。星の世界の怪物です。

 少年は、ネコににらまれたネズミのように、身うごきもできなくなってしまいました。

 怪人は、もう二メートルほどのところへ近よっていました。銀仮面の、まっくろな三日月がたの口が耳までさけて、ぶきみに光っていました。なんともいえない、なまぐさいような、いやなにおいが、ただよってきました。

「キミ、ボクガ、ダレダカ、シッテイルネ。シッテイルネ。」

 人間の声とは、どこかちがった、へんなことばが、きこえてきました。

「キミ、フルエテイルネ。コワイノカ。シンパイナイ。ボク、ナニモシナイヨ。」

 水谷少年は、もう、息がとまりそうでした。

「ココデ、ボクヲミタコト、デパートノヒトニ、イイナサイ。ミンナニ、シラセナサイ。ワカリマシタカ……。サア、イキナサイ。」

 怪人はそう言って、水谷少年の肩をグッと押しました。たいした力でもなかったのですが、石のように、かたくなっていた少年は、そのまま、あおむけに、そこへ、ころんでしまいました。ころんだまま、逃げだすこともできないで死んだようになっていました。

 すると、怪人は、ハハハハ……と、みょうな声で笑いましたが、フワリとオーバーをぬぐと、その下から、大きなコウモリのはねが、あらわれました。そして、そのはねがパッとひろがったかと思うと、いつのまにか、怪人の足が宙にういていました。

 おそろしい、はばたきでした。たおれている水谷少年が、コロコロと、二つ三つ、ころがったほどです。ブーンというような、へんな音がしました。

 はねのはえた怪人は、みるみる空へのぼっていきました。悪魔の昇天です。そして、そのネズミ色のすがたは、やがて、夕やみの空に、とけこむように、見えなくなってしまいました。

 それから、しばらくして、水谷少年が、やっと正気にかえり、下におりて、デパートの上役うわやくに、このことを知らせますと、デパートじゅうが、大さわぎになり、警官がかけつけましたが、すべて、もう、手おくれでした。空に消えた怪物を、おっかけるわけにはいきません。

 それからのちも、怪物は、東京のほうぼうの町に、すがたをあらわしては、空へ逃げさりました。それが、いつも、夕ぐれどきで、思いもかけぬ、へんな場所へ、あらわれるのでした。あるときは、夕やみの空を背景にして、高い高いえんとつのてっぺんに、腰かけていたこともあります。あるときは、隅田すみだ川の乗りあい船のかたすみに、うずくまっていたこともあります。またあるときは、後楽園こうらくえん野球場のスコア・ボールドの上に、ほおづえをついて、ねそべっていたこともあります。

 怪人は、いったい、なんのために、そんなことをしたのでしょう。新聞は、それらのできごとを、デカデカと書いて、いろいろな人の意見をのせましたが、「たぶん、怪人は、東京の人をこわがらせるために、自分のすがたを、見せびらかしているのだろう。」という意見が、いちばん多かったようです。

 ところが、やがて、この怪物は、ただ、自分の姿を見せるだけではないことが、わかってきました。日本とアメリカで、たいへんなことがおこったのです。

 ある日、東京の国立博物館から、いちばんだいじな国宝の仏像が、消えてなくなりました。それだけなら、たいしたこともないのですが、仏像といっしょに、有名な学者の、博物館長が、すがたを消してしまったのです。警察は、全力をつくして、そうさくしましたが、館長も仏像も、いつまでたっても、さがしだすことができませんでした。

 いっぽう、アメリカでは、ニューヨークの大病院の、もっとも進歩した機械と、外科げか部長の、世界に名をしられた博士はくしが、消えてなくなったのです。これも、警察の力では、なんの手がかりも、つかむことができませんでした。

 世界じゅうの新聞が、この二つの大事件を、きっと星の世界の怪物が、人も物もさらっていったのにちがいないと書きたてました。

 星のスパイが、地球で、もっとも進歩した医療の器械や、りっぱな美術品を、ぬすんだことは、それらを星の世界へもちかえって、星の国の博物館に、ちんれつするつもりだとすれば、わからないでもありません。しかし、人間までぬすみだすというのは、いったい、なんのためでしょう。地球の人間をつれかえって、星の国の動物園のオリの中へいれようというのでしょうか。そして、この学者たちから、地球のことを、いろいろ聞きだし、地球人が、どのくらいの知恵をもっているか、ためすつもりかもしれません。

 それから、しばらくすると、こんどは、このお話の、さいしょから出ている平野少年の身のうえに、おそろしいことがおこりました。トカゲ怪人は、おとなだけをあいてにしているのではなく、だんだん子どものほうへ、あのぶきみな、水かきのある指を、のばしはじめるのです。


みどり色の手


 名探偵、明智小五郎は、博物館長のゆくえが知れなくなってから、たいへんいそがしくなりました。警察の手だすけをして、この大事件のとりしらべに、かかりきりになっていたのです。

 アメリカと日本に、同じような円盤事件がおこったので、アメリカの警察から、数名の係官が、飛行機で、東京へ飛んできましたし、日本の警察官も、アメリカへとびました。そして、おたがいに、事情をしらべ、相談しあって、この星の世界の怪物を、とらえようとしたのです。明智探偵は、その東京での相談の席に、たびたび呼ばれて、意見をきかれました。そんなことで、事務所にいることは、めったにないのです。

 ある日、明智探偵は、助手の小林少年を呼んで、こんなことを言いました。

「ぼくは、博物館の事件で、すこしもひまがないが、あの平野君という少年のことが、なんだか気がかりなんだ。あの少年には、バイオリンの天才といわれている、うつくしいおねえさんがあったね。きみは、平野君とおねえさんのことを、よく注意してくれたまえ。まいにち、平野君のうちへ遊びにいくんだね。そして、なにか、かわったことが、おこらないか、気をつけているんだ。きみは、とうぶん、それだけやっていればいい。たのんだよ。」

 小林少年は、その日から、せっせと、平野少年のおうちへ、遊びにいくようになりました。平野少年も、小林君がだいすきでしたから、学校から帰ると、小林君のくるのをまちかまえていて、お話をしたり、理科の実験をしたりして遊ぶのでした。近所の北村さんも、ときどき、やってきて、ふたりにおもしろいお話を、聞かせてくれました。北村さんというのは、丹沢山の円盤の中に、ひと月とじこめられていた、あの青年です。ですから、そのお話は、しぜん、宇宙怪人のことになるのです。ふたりの少年は、胸をドキドキさせながら、むちゅうになって、それを聞くのでした。

 平野君のおねえさまのゆりかさんは、音楽学校を、まもなく卒業するのですが、いまは学校がお休みで、まいにち、おうちにいるものですから、小林君が遊びにいくと、弟の平野少年といっしょに、自分の部屋へ呼んで、バイオリンをひいて、聞かせてくれるようなこともありました。小林君は、このゆりかさんとも、じきに、お友だちになってしまいました。

 平野少年も、きれいな顔の子どもでしたが、おねえさまは、小林君が、いままで、一度もあったことがないような、きれいな人でした。顔を見るのもまぶしいほど、うつくしいのです。そのゆりかさんがバイオリンをひきだすと、小林君は、うっとりと、夢を見ているような気持ちになりました。フワフワと、五しきの雲にのって、天へのぼっていくような、なんともいえないたのしい気持ちになるのでした。

 一週間ほど、そういうたのしい日が、つづきましたが、ある夕がたのこと、小林君は、じつにおそろしいものを見たのです。このうつくしいえものをねらう、悪魔のすがたが、夕やみの中に、もうろうとして、たちあらわれたのです。

 ある夕がた、ゆりかさんのバイオリンを聞き、おいしいお菓子を、よばれたあとで、小林少年は、平野君とわかれて、平野君のおうちの門のそとへ出ました。

 夕やみがせまって、昼でもない、夜でもないという、あのネズミ色の、ひとときでした。そのあたりは、ひろい屋敷ばかりがならんでいる町で、両がわには、いけがきや、コンクリートべいが、どこまでもつづいていて、人通りは、まるでありません。シーンとして、海の底のようなしずけさです。

 小林君が、ヒョイと門をでますと、平野君のおうちの塀にピッタリ身をつけて、ひとりの男が立っているのに、気づきました。まるでヤモリのように、塀にくっついているのです。

「へんなやつだな。」と思って、じっとみつめていますと、男のほうでも、小林君に気づいて、ハッとしたように、いきなり、むこうへ歩いていきます。逃げていくのです。あやしいやつです。

 小林君は、すこし、あいだをおいて、その男のあとをつけました。夕やみのなかですから、おたがいのすがたも、ハッキリとは見わけられないほどで、尾行をしても、さほど、めだちません。

 その男は、ダブダブのネズミ色のオーバーをきて、ネズミ色のソフトをかぶっていました。小林君が尾行するのを、知っているのか、知らないのか、男は、あとをも見ずに、トットと、歩いていきます。しばらくいくと、いっぽうの塀が、とだえて、ひろいあき地にでました。そのまんなかに、ふるいカシの木が、空いっぱいに枝をひろげて、そびえています。小林君は、気がつきませんが、これは、いつかの夜、トカゲ怪人が、茶色の洋服をきて、高い枝に腰かけていた、あのカシの木です。

 ネズミ色のオーバーの男は、そのカシの木のほうへ歩いていきましたが、ふと気がつくと、もう、すがたが見えません。カシの木の大きなみきのかげに、かくれたのではないかと、小林君は、ソッと、そのほうへ、近づいていきました。

 ひろっぱのすみに、街灯がついていて、そのひかりが、コケのはえた太い太いカシの木の幹を、ボンヤリと、てらしています。

 小林君は、その幹のまえに立つと、さっきの男は、きっとむこうがわにかくれていると思ったので、ぬきあしで、ソッと幹をまわって、むこうがわを、のぞいてみました。

 すると、男は、まるで、かくれんぼうでもするように、その幹のうしろに、からだをくっつけて立っていました。そして、小林君が、のぞくのをまちかまえていたように、ヒョイと、こちらに顔をむけました。

 ああ、その顔。

 小林君は、頭の毛が、サーッと音をたてて、さかだつような気がしました。

 それは銀色の顔だったのです。まっ黒な穴のような目、三日月がたにキューッと笑っている口、そして、その口から、人間の声とは、どこかちがった、へんな声がもれてきました。

「キミ、コバヤシダロ、シッテルヨ、アケチタンテイノデシダロ、ソウダロ。」

 小林君は、あまりのおそろしさに、舌が、のどへくっついたようになって、声をだすことができません。

「キタムラガ、アケチノトコヘ、イッテ、ハナシタコトモ、シッテルヨ、ナンデモ、シッテルヨ。ボクハ、チキューノニンゲンヨリ、百バイ、カシコイヨ、ワカルダロ……、ダケド、キミカワイイネ。」

 怪物は、そんなことを、言ったかとおもうと、いきなり、右手をだして、小林君のほおを、なでました。

 ああ、その手。

 カエルの手を、千倍も大きくしたような、水かきのある、みどり色の手でした。つめたくて、ヌルヌルして、なんだか、なまぐさいような、いやーな、においのする手でした。

「フルエテルネ、コワイノカ、コワクナイヨ、ナニモシナイヨ、キミニハ、ナニモシナイヨ……、サヨナラ、サヨナラ。」

 怪物は、そのまま、カシの木の幹の、さけめに足をかけて、上のほうへ、のぼっていきました。そして、木の葉のなかへ、すがたを、かくしてしまいました。

 しばらく、ずっと上のほうで、ガサガサと、音がしていましたが、やがて、木の上から、サーッと、おそろしい風が吹きつけてきました。オーバーをぬいで、コウモリのはねをひろげて、はばたきしたのでしょう。

 そのころになって、小林君は、やっと正気にかえり、木の幹をはなれて、暗い空を見あげました。

 空には、宇宙怪人が、大きなはねをひろげて、飛びあがっていました。ブーンという、みょうな音がしました。そして、怪人のすがたは、だんだん小さくなって、みるまに、夕やみの空へ、とけこんでしまいました。

 さすがの小林少年も、こんなおそろしい思いをしたのは、はじめてでした。人間ならば、どんな悪ものでも、こわくはありません。しかし、こんどのやつは、人間ではないのです。人間の百倍も、かしこくて、自由自在に、空をとぶ怪物です。小林君は、思わず、ホッと、ためいきをついて、その場に、しゃがみこんでしまいました。

 名探偵の明智小五郎でも、こんな怪物には、かなわないかもしれません。まして、少年の小林君には、もう手も足も出ないような気がしました。

 小林君が怪人を尾行した二日のちに、またしても、おそろしいことが、おこりました。

 また日がくれて、まもなくでした。平野一郎少年は、昼間、庭で北村さんとキャッチボールをしたまま、ミットを、ほうりっぱなしにしておいたことを思いだして、それを、取りにいきました。庭は、もう、まっくらでしたが、手さぐりでミットをひろって、いそいで、えんがわのほうへ帰ろうとしたとき、ふと気がつくと、庭のむこうのほうに、なんだかボンヤリした黒いものがうずくまっていました。

 それは、おねえさまのお部屋の、すぐそとなのです。カーテンをしめた、ガラス窓の下に、黒いみょうなものが、うずくまっていました。

「へんだな。あんな大きなイヌは、このへんにいないはずだが。」と思って、ソッと、そのほうへ近づいていきました。

 部屋の中からは、うつくしいバイオリンのが、ながれだしています。おねえさまのゆりかさんが、ひいているのです。うずくまった黒いかげは、じっと頭をかしげて、そのバイオリンの音に、聞きいっているように見えました。

 人間です。どこかのやつが、塀をのりこえて、庭へはいってきたのでしょう。どろぼうかもしれません。平野君は、すこしこわくなったので、そのまま、立ちどまって、あやしいやつを、じっと見ていました。

 すると、うずくまっていた黒いかげが、ヌーッと立ちあがりました。そして、まるでロボットのような、きみのわるい歩きかたで、じりじりと、こちらへ近よってくるではありませんか。

 平野君は、ネコににらまれたネズミのように、身うごきができなくなりました。目をいっぱいに見ひらいて、石にでもなったように、じっと立っているばかりです。

 あやしいやつは、一歩一歩、やみの中をすすんできます。近づくにしたがって、そのかたちが、グッグッと大きくなるのです。

 キラッと光りました。そいつの顔が、です。

 平野君は、ゾーッと、せなかへ、氷をあてられたような気がしました……。宇宙怪人です。宇宙怪人が、庭にしのびこんでいたのです。そして、いま、目のまえに立ちはだかっているのです。

「キミノナ、ヒラノ、イチロ、ダネ、キミノアネ、ヒラノ、ユリカ、ダネ、ユリカ、オンガク、キレイ、ウツクシイ、ステキ、ワタシ、マイバン、ココキテ、キイタ。」

 おお、それじゃ、この怪物は、今夜だけでなく、そのまえから、まいばん、おねえさまの部屋のそとへ、しのびこんでいたのでしょうか。

 平野君は、にわかに、おねえさまのことが、心配になってきました。このトカゲ男は、いったい、おねえさまに、なにをするつもりなのでしょう。そう考えると、平野君の心のうちに、思いもよらぬ勇気がわいてきました。

「きみは、ぼくのおねえさまを、どうしようというんだッ。」そんなことばが、知らぬうちに、口からとびだしていました。

「ワタシノホシヘ、ツレテイク、ソシテ、ホシノヒトニ、ウツクシイ、チキューノ、オンガク、キカセル。」

 怪物はそう言って、銀仮面の三日月がたの口の中で、ヘラヘラと笑いました。

「ソノウチ、キット、ツレテイク、アネニ、ソウイイナサイ、ホシノクニ、ウツクシイヨ、キミモ、イキタイカネ、ヘヘヘ……、サヨナラ、サヨナラ。」

 言いたいだけ言ってしまうと、怪物はクルッとむきをかえて、サーッと、庭のおくの、こだちの中へかけこんでしまいました。そして、しばらくすると、ブーンという、あの空を飛ぶ音が、聞こえてきました。


星の魔術


 平野少年は、ブーンという音を聞いて、しばらくしてから、やっと、からだを動かすことができるようになりました。それまでは、おそろしさに、からだが石のようにかたくなっていて、どうすることもできなかったのです。

 平野君は、いきなり、うちのなかにかけこんで、おとうさまに、いまのできごとを知らせました。ちょうど、小林少年も来ていましたし、近所の北村さんも来ていたので、みんなが、平野君の話を聞きました。しかし、ゆりかさんには、しばらく言わないでおくことにしました。あまりにおそろしいことなので、病気にでもなっては、たいへんだからです。

 小林少年は、すぐに、明智先生に電話をかけて、ことのしだいを知らせました。すると、それから四十分ほどして、おもてに自動車のとまる音がしたかと思うと、明智探偵と、警視庁の中村捜査係長と、五人の私服刑事が、ドヤドヤとはいってきました。

 小林君と平野少年は、懐中電灯をふりてらしながら、宇宙怪人のあらわれた庭へ、明智先生たちを、あんないしました。刑事たちも、てんでに懐中電灯をつけて、ゆりかさんの部屋のそとから、庭のおくの、こだちの中まで、くまなく、しらべましたが、天気つづきなので、ハッキリした足あともなく、ほかに、これという手がかりも、みつかりませんでした。

 そこで、中村係長は、五人の刑事に、平野君のおうちのまわりを、げんじゅうに見はっているように命じておいて、明智探偵とふたりで、応接間にはいり、そこにいた平野君のおとうさまや、北村青年と話をしました。

「なにしろ、空を飛んで逃げるやつですから、いまさら、どうすることもできません。ともかく、五人の刑事を、夜も昼も、おたくのまわりにおいて、見はりをさせます。交代で、いつでも五人以上、いるようにします。それでたりないようだったら、十人でも、二十人でもよこします。」

 中村係長が、たのもしく、言うのでした。

ゆりかを、どこか安全なところへ、かくしてしまわなくても、だいじょうぶでしょうか。わたしは、なんだか、いまにも、あれがさらわれるような気がして、居ても立っても、いられないのですが……。」

 おとうさまは、まっさおな顔で、声をふるわせて、言うのでした。

「それも、考えています。しかし、おじょうさんを、窓のない、おくまった部屋へいれて、みなさんがまもっておれば、いくらあいつでも、屋根をやぶって、はいることは、できないでしょうから、それほど、心配することはありますまい。家のまわりには、刑事たちも、見はっていることですし……。刑事たちは、みなピストルを持っています。そして怪人を見たら、うち殺してもいいという、ゆるしをうけております。」

 中村係長が、安心させるように言います。

「明智先生、ぼくは、こう思うんですがね。」

 北村青年が口をだしました。

 北村さんは、宇宙怪人にひと月も円盤の中へ、とじこめられた人ですから、この事件にはだれよりも熱心なのです。

「あいつのほうでは、博物館長をさらっていって、星の国の動物園のオリの中へ、いれようというのですから、こちらでもあいつをとらえて、上野の動物園のオリの中へ、とじこめてやりたいですね。なにか、がんじょうな大きなわなをこしらえて、あいつをとらえるのです。大きな鉄のあみのようなものですね。ネズミとりのあみを、何百倍も、でかくしたような……。」

 北村青年の意見は、じつに、とっぴでした。しかし、よく考えてみると、そうでもしなければ、コウモリとトカゲのあいの子みたいな、あの怪物をとらえることは、むずかしいでしょう。

「ピストルで殺してしまっては、なにもたずねることができません。それよりも、いけどりにして、いったい、どの星からやってきたのか、地球へ、なにをしにきたのか、また、その星の世界には、どんな動植物があるのか、科学はどれほど進歩しているのか、などのことを、オリの中の怪人にたずねて、地球の人間の知恵をひろくするほうが、どれほど、ためになるかわかりません。それには、怪人を殺さないで、いけどるほかはないのです。」

「それについては、ぼくたちも、いろいろ相談しているのだが、大きなわなをしかけるというのは、たしかにおもしろいね。だが、あいては星の世界のやつだから、われわれには、想像もできないような、知恵と力をもっている。どんな、がんじょうなわなをこしらえても、あいつは、逃げてしまうかもしれないがね。」

 明智探偵が、中村係長と顔を見あわせながら、考えぶかく言いました。

 しかし、あとになって、警察は、けっきょく、この北村青年の意見をもちいることになったのです。ネズミとりの何百倍もある、大きなわなを用意したのです。でも、それは、鉄のあみではありません。もっと、便利で、もっと、じょうぶなものでした。

 話がここまですすんだとき、とつぜん、どこか遠くのほうから、

「キャーッ。」という、悲鳴が、聞こえてきました。

 みんなは、思わず、顔をみあわせました。

「アッ、いまのは、ゆりかの声です。あの子が、どうかしたのかもしれません。」

 平野君のおとうさまは、そう言ったかと思うと、あわてて、部屋のそとへ、とびだしていきました。

 そして、しばらくすると、どこからか、

「みなさん、はやく来てください。たいへんです。ゆりかが、ゆりかが……。」

というおとうさまの、けたたましい声が、ひびいてきました。


 これより、すこしまえ、ゆりかさんは、あの庭にめんした、自分の部屋へ、いそぎ足にはいってきました。さっき、おかあさまに、「今夜は、おくの部屋にいるのですよ。」と、わけも言わないで、手をひいて、おくまった部屋へ、つれていかれたまま、すなおに、じっとしていたのですが、だいじなバイオリンを、机のうえに、ほうりだしたままにしておいたのが気がかりだったので、ゆりかさんは、ソッと、おくの部屋を出て、自分の部屋へ、やってきたのです。

 ゆりかさんは、宇宙怪人が、庭にあらわれたことは知りません。びっくりさせてはいけない、と思って、まだ、だれも、話さなかったからです。怪人が、庭で平野少年に、ものを言ったときには、窓のカーテンがしめてあったうえに、バイオリンにむちゅうになっていて、ゆりかさんは、庭のできごとを、すこしも知らなかったのです。

 さて、部屋にはいって、投げすててあったバイオリンをサックにおさめ、それを本箱の上においたときです。ゆりかさんは、なんだか、えたいのしれない、みょうな気持ちになりました。だれかに、じっとみつめられているような、ゾーッとするような感じなのです。

 ゆりかさんは、キョロキョロと、あたりを見まわしました。しかし、部屋の中にはだれもいません。ひらいたドアのむこうにも、ひとかげはありません。

 ゆりかさんの目が、ふと、窓のカーテンを見ました。そして、そのまま、動かなくなってしまいました。

「ああ、あすこだわ、あのカーテンのむこうの窓のそとに、わたくしを、じっとみつめているものがいる。きっとそうだわ。」

 ゆりかさんは、胸がドキドキしてきました。でも、きじょうな少女でしたから、にげだしはしません。いきなり、窓のほうへ、近づいていったのです。そして、サッと、カーテンをひらいたのです。

 ガラス窓のそとは、まっくらな夜でした。そのまっくらな中に、ボーッと、うきだしている白いもの、はくぼくをぬったように、異様にまっ白なもの、いや、白いのではありません。キラキラ光っているのです。銀色に光っているのです。

 二つの、まっ黒な穴のような目、三日月がたに、キューッと、両はじのつりあがった口……、宇宙怪人です。つい四、五十分まえに、ブーンという音をたてて、空へ逃げていったあの怪物が、いつのまにか、また、もどってきたのです。

 その銀色の顔が、スーッと、ガラス窓に近づいてきました。そして、ガラスに、ぴったりくっついて、カタカタと、音をたてました。

 ゆりかさんは、窓のそとの銀仮面と、むかいあって、笑ったような、みょうな顔になりました。ながいあいだ、笑った顔で、にらみあっていました。

 そして、とつぜん、「キャーッ」と、さけぶと、くずれるように、その場にたおれてしまいました。気をうしなったのです。

 ゆりかさんの悲鳴をきいて、おとうさまがかけつけ、それから、明智探偵と中村係長が、かけつけてきました。

 廊下や、部屋に、あやしいものがいないことをたしかめると、明智は、ツカツカと窓に近づいて、いきなり、ガラス戸をひらきました。

 なにもいません。さっきの銀仮面は、どこへ行ってしまったのでしょう。

 中村係長が、窓から半身をのりだして、刑事の名をよびました。すると、暗やみの庭のむこうから、かけだす音がして、ふたりの刑事が、窓のそとへやってきました。

「いま、おじょうさんが、ここで、なにかを見て、気をうしなったんだ。あやしいやつが、庭へはいってきたのじゃないか。気がつかなかったか。」

 係長が、あわただしく、たずねました。

「わたしたちは、あちらのしげみの中に、身をかくして、家ぜんたいを、たえまなく、見はっていましたが、あやしいことは、なにもありませんでした。」

 ふたりの刑事は、口々に、そう答えました。

「明智先生、いま、ゆりかが気がつきました。そして、窓のそとに、銀仮面がいたと言うのです。逃げるひまはありません。そのへんをさがしてください。」

 平野さんが、しわがれ声で、どなりました。

「みんなをあつめて、庭をしらべるんだ。」

 中村係長の声に、ひとりの刑事がピリリリ……と、呼びこを吹きならしました。

 すると、まもなく、庭の塀のそとや、おもてのほうにいた刑事がかけつけてきました。そして、五人が手わけをして、懐中電灯をふりてらしながら、庭のなかを、くまなく、さがしまわりましたが、あやしいものの、かげさえありませんでした。

 ふしぎです。ゆりかさんが、さけび声をたててから、みながかけつけるまで、一分もかかっていません。そのうえ、庭には、ふたりの刑事が、見はっていたのです。かけだすにしても、空へ飛びあがるにしても、怪人が、だれの目にも、はいらなかったはずがありません。

 ゆりかさんが、まぼろしを見たのでしょうか。

 いや、いや、そんなことは考えられません。きじょうなゆりかさんが、見もせぬものを見たなどと、思うはずはないのです。

 では、いったい、これはどうしたことなのでしょう。星の世界の怪物は、地球人の想像もつかないような、魔法をこころえているのでしょうか。アッと思うまに、自分のからだを、透明にしてしまう術でも、知っているのでしょうか。

 さて、その晩は、ゆりかさんを、おくまった部屋にやすませ、おとうさまと、おかあさまと、平野一郎少年と小林君とが、一歩も部屋を出ないで、見はりをつづけ、五人の刑事たちも、それぞれ、持ち場について、いっそう、目を光らせていました。

 明智探偵と中村係長と北村青年とは、さっきの応接間にもどって、また、相談をはじめました。

「あいつは、ゆりかさんをねらっているのです。そのことがハッキリしたうえは、かえって、ことが、しやすくなったのではありませんか。つまり、われわれは、ゆりかさんのそばに、わなをはって、まっておればいいのです。やつは、かならず、また、やってくるのですから。」

 北村青年は、自分の思いついたわなのことを、あくまで、言いはるのでした。

「だが、宇宙怪人をいれるような、大きな鉄のネズミとり器を、つくるわけにはいくまい。なにかいい方法がないかな。」

 中村係長が、首をかしげます。

「鉄のあみではなくて、コンクリートでは、どうでしょう。コンクリートのわなです。」

 北村さんが、みょうなことを、言いだしました。

「フーン、コンクリートのね。それなら、逃げだすきづかいはないが、そのかわり、あいてに、すぐさとられてしまうだろう。わなというやつは、あいてが、すこしも、気づかないようにしかけなければ、だめなんだからね。」

 中村係長が、ふにおちないような顔で、言いました。

「いや、ところが名案があるのです。コンクリートのくらは、どこにでもあるでしょう。そのくらの中のものを取りだして、からっぽにして、イスとテーブルをおくのです。つまり、くらの中を、ふつうの部屋のようにするのです。そして、ゆりかさんに、しばらく、そこに住んでもらうのです。」

「フン、なるほど、きみは、なんだか、とほうもないことを、考えだしたようだね。それで、そのくらがわなになるとでも言うのかね。」

 中村さんは、あっけにとられたように、北村青年の顔をながめるのでした。

 さて、読者諸君、北村青年は、いったいどんなわなを思いついたのでしょう。もう、それに、警視庁がさんせいして、いよいよわなをしかけるとしても、はたして、宇宙怪人をとらえることが、できるのでしょうか。

 北村青年と、トカゲ男の知恵くらべです。お話は、ますます奇妙な場面にはいっていきます。それにしても、名探偵、明智小五郎は、なにを考えているのでしょう。いままでのところ、なんにもしないで、みなのやることを、ただ、じっと見ているような感じではありませんか。これには、なにか、わけがあるのでしょうか。


巨大なネズミとり器


 北村青年が考えだした「巨大なネズミとり器」というのは、つぎのようなことでした。それを警察でも、やってみることになったのです。

 平野君のおうちから、一キロほどいったところに、ひろっぱがあって、そのまんなかに、焼けのこったコンクリートのくらが、ポツンとたっていました。警察は、そのくらを持ち主からかりうけて、中を部屋のようになおし、電灯をひき、机やイスやベッドをいれ、人が住めるようにしました。そのうえ、くらの入り口に奇妙なしかけをつくったのです。それが、どんなしかけであったかは、あとでわかります。

 すっかり、じゅんびができあがると、いよいよ、平野ゆりかさんが、ただひとりで、そのコンクリートのくらの中に住むことになったのです。ゆりかさんは、ある日、こっそりと自動車で、くらの中にひっこしをしました。そして、まいにち、バイオリンをひいて、くらしていました。

 ひろっぱの一方のはじに、小さなアパートがありましたが、ちょうど、ゆりかさんがひっこしをした日に、そのアパートの二階の一室を、ひとりの男がかりうけました。

 それは、三十歳ぐらいの、会社員のような人でしたが、べつに、会社へいくようすもなく、一日じゅう、アパートの部屋にとじこもって、窓のカーテンのすきまから、そっと、ひろっぱのほうをのぞいているのでした。

 その窓は、ちょうど、ゆりかさんの住んでいる、コンクリートのくらの入り口に、むきあっているので、くらへ出いりするものがあれば、ひとめでわかるのです。

 男は、ただ、すき見するだけでなく、大きな双眼鏡を持っていて、それを目にあてて、カーテンのすきまから、のぞいていることもあります。

 いや、それだけではありません。その部屋には、電気のスイッチ盤のような、たくさんボタンのついた機械がおいてあって、男は、ときどき、そのボタンを押しているのです。ボタンのそばには、ひとつひとつ、小さな紙がはってあり、それに、『音楽』だとか、『電灯』だとか、『ガス』だとか、みょうなことばが書いてあります。

 また、このアパートの部屋へ、ときどき、こっそりたずねてくる人がありました。おとなの人もきましたが、少年の客もありました。その少年は、ほかならぬ明智探偵の助手の小林君でした。

 小林少年は、その部屋のドアを、コツコツコツと、暗号のようなたたきかたをして、はいってくると、男のそばによって、ヒソヒソとささやくのでした。

「まだ、やってきませんか。」

 すると、男も、ささやき声で、こたえます。

「まだだよ。いくら、やっこさんでも、昼間はこられないだろう。今夜は、きっと、やってくるよ。うまく、わなにかかってくれればいいがね。」

「夜でも、だいじょうぶ、見えますか。」

「見えるよ、くらの入り口のそとに、電灯をつけたからね。それに、この双眼鏡のレンズは、明かるいのだから、手にとるように見える。」

 もうおわかりでしょう。このふしぎな男は、宇宙怪人をとらえるための、巨大なコンクリートのわなを見はっている、警視庁のうでききの刑事だったのです。

 これで怪物をとりこにするじゅんびは、すっかりできました。あとはただ、あのおそろしいやつが、コンクリートのくらへ、しのびこむのをまつばかりです。

 さて、その夜、どんなことがおこったのでしょうか。怪物ははたして、このわなにかかったでしょうか。

 それにしても、いろいろ、わからないことがあります。くらの入り口には、どんなしかけがしてあったのでしょう。また、刑事のかりた、部屋のスイッチ盤は、いったい、なんのためのものだったのでしょう。『音楽』とか『ガス』とかの押しボタンは、なにを意味するのでしょう。

 いや、それよりも、もっと心配なことがあります。もし怪人がわなにとじこめられたら、ゆりかさんはどうなるのでしょう。ゆりかさんが逃げだして、怪人だけをとりこにするというようなことが、できるのでしょうか。たとえ、それができるにしても、ゆりかさんは死ぬほど、こわい思いをしなければなりません。ゆりかさんも、ゆりかさんのおとうさんも、どうして、そんな、あぶないことを、しょうちしたのでしょう。

 さて、その夜のことです。はたして、怪人は、どこからともなく、ひろっぱに、すがたをあらわしました。いつものオーバーに、ソフト、銀仮面のいでたちです。

 コンクリートのくらの中からは、あのゆりかさんのうつくしいバイオリンのねいろが、かすかに、流れだしていました。怪人はそのねいろに、ひきつけられるように、くらのうらがわへ、しのびよりました。

 くらのうらがわには、鉄棒のはまった、小さな窓があります。怪人は、しばらく、あたりのようすを見まわしたあとで、パッと、その窓にとびつき、鉄棒につかまって、中をのぞきこみました。

 くらの中には、青いシェードの卓上電灯が、ボンヤリついていました。そして、その机のむこうがわで、ゆりかさんが、いっしんにバイオリンをひいていました。

 怪人のぶきみな銀色の顔が、窓の鉄棒にくっついて、じっと、そのゆりかさんのすがたを見つめています。ゆりかさんは、すこしも、それに、気がつきません。

 やがて、怪人は窓からおりると、あの、へんな歩きかたで、ソロソロと、くらのおもてがわのほうへまわってきました。

 くらの正面には、かんのんびらきの重い鉄の扉が、しまっています。怪人は、そのまえにたどりつくと、扉の錠まえをしらべました。そして、かぎがかかっていないことがわかると、扉に手をあけて、ソッと二センチほどひらき、そのほそいすきまから、中をのぞきこみました。

 ゆりかさんは、むこうむきになって、やっぱりバイオリンをひいています。入り口の扉が、ほそめにひらいたことなど、すこしも知らないのです。

 やがて、扉が、すこしずつ、すこしずつ、動きはじめました。怪人が、用心ぶかく、それをひらいているのです。

 長いあいだかかって、やっと、一方の扉が、すっかりひらきました。怪人は、くらの中へ、足音をしのばせて、はいっていきました。

 そのときです。とつぜん、ガチャン、ドシーンという、おそろしい音がしました。なにかが、上から落ちてきたのです。

 怪人は、ハッとしたように、うしろをふりむきました。すると、そこには、くらの入り口いっぱいのがんじょうな鉄ごうしが、たちふさがっていることが、わかりました。いまのは、それが上から、落ちた音だったのです。

 さすがの宇宙怪人も、それと気づかなかったのですが、いまふみこんだ、くらの入り口のゆか板が、一枚だけ、すこし動くようになっていました。だれかが、それをふむと、板の下に、電気じかけがあって、入り口の上に、とめてあった鉄ごうしがはずれ、ガチャンと、落ちるようになっていたのです。つまり、ネズミとりを、何百倍も大きくしたような、しかけだったのです。

 怪人は、いきなり、その鉄ごうしにとびついて、力まかせに、上にあげようとしましたが、太い鉄棒をくみあわせた、ひじょうに重いこうしですから、いくら怪人の力でも、ビクともするものではありません。

 こうして、ついに、怪人は、とらわれの身となったのです。巨大なネズミとりにかかって、いかな魔力をもっても、どうしても、ぬけだすことのできない身のうえとなったのです。

 しかし、とらわれたのは、怪人だけではありません。くらの中には、ゆりかさんがいます。そのときになっても、まだ、むこうをむいたままで、じっとしているではありませんか。

 怪人は、いよいよ、出られないとわかると、クルッと、むきをかえて、ゆりかさんのすがたを、にらみつけました。そして、いきなり、両手をひろげると、パッと、そのほうへ、とびかかっていきました。

 ああ、これは、いったい、どうしたことでしょう。警察の人たちは、怪人をとらえたいばかりに、このうつくしい少女をいけにえにしたのでしょうか。ゆりかさんが、怪物に殺されても、かまわないというのでしょうか。

 そんな、むちゃなことが、あってよいものでしょうか。


毒ガス


 こちらは、アパートの二階の刑事の部屋です。刑事はカーテンのすきまに、双眼鏡をあてて、さっきからのありさまを、すっかり見とどけていました。くらのまえには、電灯がついているので、怪人のようすが、手にとるように、ながめられたのです。

 鉄ごうしの落ちた音は、ここまで、ひびいてきました。そして、怪人が、おそろしい力で、中から、鉄ごうしをゆさぶっているのも、ハッキリ見えました。しかし、重い鉄ごうしはビクともしません。

 やがて、怪人は、クルッと、むこうむきになって、いきなり、くらの中へ進んでいきました。いうまでもなくゆりかさんに、とびかかっていったのです。でも、こちらからは、そこまでは見えません。くらの中がうすぐらいのと、入り口のかべが、じゃまになってゆりかさんの机のへんは見えないのです。

「しめたぞ!」

 刑事は、双眼鏡を目からはなして、思わず、ひとりごとを言いました。あの鉄ごうしが、やぶれなければ、もう、どこからも逃げだすみちはないのです。小さな窓はありますが、みな、太い鉄棒がはまっていて、いくら怪物でも、それをおりまげる力はないはずです。

 刑事は、いそいで、スイッチ盤のところへいって、『ベル』と書いた紙のはってあるボタンを強く押しました。すると、部屋のそとで、リリリリリリンとけたたましいベルの音が、ひろっぱいっぱいに、なりひびくのでした。

 それが、あいずだったのでしょう。ひろっぱの、くらやみに、身をかくしていた、五人の男のすがたが、あらわれて、コンクリートのくらのほうへ、かけだしました。ふたりは正面の入り口へ、三人はくらのうらと、横手の三方へ。

 それは、入り口と、三つの窓の鉄の扉をしめるためでした。窓にも、みな、そとからしめる、がんじょうな鉄の戸がついていたのです。

 五人が、それぞれの扉をしめて、ひきかえしてくるころには、二階の部屋にも、おおぜいの人がつめかけていました。べつの部屋で、まちかまえていた警視庁の人たちです。捜査課長と、ふたりの係長。その係長のひとりは、おなじみの中村係長でした。もうひとりは、この事件の応援にやってきた、佐藤という係長です。あとから、北村青年と小林少年もはいってきました。明智探偵は、なぜか、すがたを見せません。

 そこへ、いま、くらの扉をしめた五人の刑事がドヤドヤとはいってきました。そして、すべての扉が、かんぜんに密閉されたことを、報告しました。

「では、ボタンを押しましょうか」

 スイッチ盤のまえにいた刑事が、上役うわやくたちの顔を見まわして、ひくい声でたずねました。

 中村係長が捜査課長に、なにかささやくと、課長が大きくうなずきました。それを見て、警部は、力強い声で言いました。

「よろしい、押したまえ。」

 刑事が、『ガス』と書いた紙のはってあるボタンをグッと押しました。

 今夜、はじめて、この事件の応援にきた佐藤係長が、みょうな顔をして、中村係長のひざを、指でつつきました。

「あのボタンはなんだね。」

「ねむりガスさ。」

「え、ねむりガスだって?」

 中村係長は、ニッコリ笑って、

「ああ、きみは、まだなにも聞いていなかったんだね。あれは一種の毒ガスを、くらの中へおくりこむボタンだよ。くらのゆか下に、毒ガスのしかけがしてある。このボタンを押すと、そのガスが、鉛管えんかんをつたって、くらの中へ、おそろしい、いきおいで、ふきだすのだ。」

「あいつを、殺すんじゃないだろうね。」

「むろん、殺しては、なんにもならない。ただ、ねむらせるのだ。つまり睡眠ガスというわけだね。」

「それじゃあ、おとりにつかったおじょうさんも、いっしょに、ねむらせてしまうのかい。いや、ねむりガスが、きくまでに、おじょうさんは、あいつに、ひどいめにあうかもしれないじゃないか。」

「ハハハ……、きみは、それも知らなかったのか、おじょうさんは、だいじょうぶだよ。けっして、ひどいめにあうようなことはない。」

 中村係長は、こともなげに、言うのでした。

「きみは魚つりがすきだったね、魚つりには、ほんとうのえさではなくて、虫のかたちをした、つくりもののえさをつかうことがあるだろう。あれだよ、くらの中にいるのは、ほんとうのゆりかさんじゃないのさ。」

「だが、かえだまにしても、やっぱり生きた人間なら……。」

「いや、生きた人間じゃない。人形なんだよ。電気じかけで、手と首だけが動くようになっている、つまり自動人形なのさ。ホラ見たまえ、あのスイッチのボタンの上に『音楽』とか『電灯』とか書いてあるだろう。『音楽』というのは、人形にバイオリンをひかせるしかけのスイッチなんだ。むろん、ほんとうにひくのではないから、音は、でない。音のほうは、レコードで、聞かせるのだ。くらの机の下に電蓄でんちくがかくしてある。それにゆりかさんのバイオリンのレコードがかけてあって、ボタンをおすと、まわるようになっているんだ。そういう、しかけの電線は、みな地面の下を、はわせてあるので、だれにも気づかれない。『電灯』というボタンは、むろん、くらの中の電灯をつけたり、消したりするスイッチだよ。」

「フーン、そうだったのか。どうりで、みんな、へいきな顔をしていると思った。それにしても、うまいことを、考えたもんだね。」

 佐藤係長は、感じいったように、言うのでした。

「このしかけは、みな、ここにいる北村君の案だ。北村君は、なかなかの科学者だからね。ぼくらの、思いもつかないような、きばつなわなを考えだしてくれたのだよ。」

 これで、すっかりなぞがとけました。ほんとうのゆりかさんは、どこか安全な場所にかくれているのです。怪人は、にせのえさにひきよせられて、とうとう、わなにはまってしまったのです。北村青年の大てがらでした。

 そんな話をしているうちに、時間がたちました。

 もう、毒ガスが、すっかり、出つくしたころです。

 そこで、捜査課長の命令で、中村係長が、ひとりの刑事をつれて、くらの中のようすを見にいくことになりました。

 ふたりはアパートを出て、ひろっぱをよこぎり、くらの入り口に近づくと、かんのんびらきの扉を、両方とも、力まかせにパッとひらいて、遠くのほうへ、身をひきました。毒ガスをすわないためです。

 鉄ごうしは、ちゃんとしまっています。中はヒッソリとして、なんのけはいもありません。怪人は、たぶん、ねむりこんでいるのでしょう。

 ふたりは、ころあいを見はからって、鉄ごうしに近づき、中をのぞきこみました。ゆりかさんの人形は、机のまえに横だおしになっています。

 しかし、怪人のすがたはどこにも見えません。

「へんだね。机のむこうに、かくれているかもしれない。うしろの窓から、のぞいてみよう。」

 ふたりは、そう、ささやきあって、くらのうしろにまわりました。そこには、さきほど、窓の扉をしめるためにつかった、小さいはしごがおいたままになっていたので、刑事は、それを立ててよじのぼり、窓の扉をひらきました。

「だれもいません。どうしたんでしょう。ほかにかくれる場所はありませんよ。」

 中村係長がかわって、はしごにのぼり、のぞいてみましたが、刑事の言ったとおり、怪物のすがたはどこにも、見えません。

「きみ、いそいで、課長さんや、みんなを、呼んできてくれたまえ。なんだか、ようすがおかしい。あいつは、また魔法をつかって、消えてしまったのかもしれない。」

 係長の言いつけで、刑事はかけだしていきました。

 しばらくすると、くらのまえに、アパートの部屋にいた、ぜんぶの人が集まってきました。

 課長のさしずで、刑事たちは、残るふたつの窓もひらき、そこから、のぞいてみましたが、やっぱり怪人は見つかりません。

 そこで、相談のうえ、くらの中へはいってみることにして、ひとりの刑事が、アパートの二階にかけもどり、鉄ごうしを上にあげるボタンを押し、課長と、ふたりの係長とが、用心のため、てんでに、ピストルをかまえて、ひらいた扉の中へ、はいっていきました。

 刑事たちは、くらの四方をとりまいて、まんいちにそなえています。

 中にはいった三人は、くらのすみずみを残りなくしらべましたが、怪人は影もかたちもありません。

「このくらは、屋根もコンクリートだし、ゆか下にも、コンクリートがしきつめてある。窓の鉄棒も、もとのままだ。そのうえ、そとから、鉄の扉がしまっていた。ネズミいっぴき逃げだすすきまもないはずだ。じつに、ふしぎだね。」

 課長が、あっけにとられたような顔で、つぶやきました。

「またしても星の魔法の世界ですね。ひょっとしたら、あいつのからだは、ゴムのようにのびて、ひらべったくなって、戸のすきまから、そとへ、ぬけだせるのではないでしょうか。」

 中村係長が、みょうなことを言いました。しかし、いくら天界の魔物でも、戸のすきまから出られるほど、からだが、ひらべったくなるはずはありません。

 これには、なにか、ふかいわけがあるのです。だれも気づかない、怪人の知恵が、はたらいているのです。

 それにしても、くらを逃げだした怪人は、どこへいったのでしょう。空たかく飛びさったのでしょうか。それならいいのですが、もしや、ほんとうのゆりかさんの、かくれているところをさっして、そこへ、しのびこんでいるのではないでしょうか。

 三人は、ハッとしたように、顔を見あわせました。そのことに、気がついたからです。

ゆりかさんが心配です。いそいで、電話をかけましょう。そして、われわれも、あそこへ、かけつけましょう。」

 中村係長は、そう言いすてて、あたふたと、くらのそとへ、走りだしていきました。しかし、電話が、まにあうでしょうか。毒ガスのボタンを押すまえに、怪人が逃げだしたとすると、もう、よほどの時間が、たっています。

 もしかしたら、あのうつくしい天才少女は、空かける銀仮面の怪物の、こわきにかかえられて、どこともしれず、はこびさられているのではないでしょうか。


あやしい影


 こちらは、ゆりかさんのおうちです。ゆりかさんは、おくまった座敷に、おとうさんや、親戚の青年に、見まもられて、かくれていました。

 いまは、ちょうど、宇宙怪人が、コンクリートのくらを、ぬけだしたころの時間です。日がくれて、電灯がついて、まもなくです。ゆりかさんは、ふすまやしょうじをしめきった、八畳の日本座敷に、すわっていました。おそろしさに、あおざめた顔が、やっぱり天女のように、うつくしいのです。そのゆりかさんを、三方から、かこむようにして、おとうさんと、弟の一郎君と、親戚の青年とがすわっています。

 その青年は、平野のおとうさんの会社につとめているのですが、柔道三段のうでまえで、きょうは、ゆりかさんをまもるために、とまりがけで来ているのです。そして、さっきから、おもしろい冒険談をして、ゆりかさんをなぐさめているのでした。

「おじさんは、強いんですね。おじさんがいれば、安心ですね。もし、ここへ、あいつが、やってきても……。」

 一郎少年が、話につられて、つい、言ってはいけないことを言いました。ゆりかさんの前では、宇宙怪人の話をしないことに、きめてあったのです。

「だいじょうぶだとも。ゆりかさんは、ちっとも、こわがることはありませんよ。それにあいつは、いまごろは、コンクリートのくらの中に、とじこめられているかもしれないのですからね。」

 青年は、しかたなく、こんなふうに答えました。

「だけど、あいつは、地球の人間とちがって、星の魔法をつかうんだからな。ゆだんできませんよ。オヤッ……、なんだか、庭のほうで、へんな音がした。」

 一郎君は、いやなことばかり言います。しかし、その音は、みんなの耳に聞こえました。なにか大きなけだものが、歩いているような、ぶきみな音でした。

「刑事さんが、庭を見まわっているのかもしれない。」

 おとうさんが、ゆりかさんを、安心させるように言いました。

 平野君のおうちのまわりには、五人の刑事が、たえず、見はりをつとめていました。そのうえに、小林君の部下の十数人のチンピラ隊が、ほうぼうにかくれて、いざというときには、とびだすことになっているのです。

「でも、人間の足音にしちゃ、すこし、へんですよ。もしかしたら……。」

 一郎少年が、おびえきった顔で、そう言ったときでした。とつぜん、パッと、部屋の電灯が消えたのです。

 ふだんなら、キャーッと、さけぶところですが、だれも声をたてません。ほんとうにおそろしいときには、のどがつまって、声なんか出ないのです。

 停電かと思いましたが、どうも、そうではないようです。庭の電灯がついているとみえて、えんがわのほうから、ボーッと、うすいひかりが、しょうじに、さしています。

 人々の目は、しぜんに、その明かるいほうに、むかいました。なぜか、そのボーッと白く見えるしょうじから、目がはなせないのです。まるで、魔物の力にひきよせられたように、目が、そらせないのです。

 すると、そのとき、しょうじに、ボンヤリと、異様な影がうつりました。なにか、大きな動物です。それがきみ悪く、うごめいているのです。

 目がなれるにしたがって、そのもののかたちが、ハッキリしてきました。

 その黒い影は、鳥のような顔でした。からだは、人間に似ていますが、どこか大トカゲの感じです。そして、せなかに、ニューッと、コウモリのはねが、はえているのです。いうまでもなく、それは、宇宙怪人の、はだかのすがたでした。

 ゆりかさんは、ひとめ、それを見ると、いきなり、うつぶせになってしまいました。一郎君は、キャーッと言って、逃げだしそうになるのを、やっと、ふみこたえていました。柔道三段の青年は、

「ちくしょう!」

と、さけびざま、たちあがりました。そして、ゆうかんにも、いきなり、影の、うつっているしょうじに、とびかかっていったのです。

 ガラッと、しょうじのひらく音、アッという青年の声。

「なにもいません。どこへ、かくれたのでしょう。」

 平野君のおとうさんも、一郎少年も、思わず青年のそばへ、かけよりました。しょうじのそとは、えんがわで、そのそとのガラスしょうじが、一枚、ひらいたままになっていました。

「ここから、逃げたんだ。庭です。庭へ逃げたんです。」

 青年は、はだしで、庭へとびおりていきました。そして、用意していた、呼びこの笛を、ピリピリピリ……と、吹きならしました。これが、うちあわせてあったあいずです。たちまち、庭のおくから、ふたりの私服刑事が、かけつけてきました。

「どうしたんです。なにかおこったのですか。」

「いま、怪人が、このえんがわまで、あがってきたのです。庭へ逃げました。さがしてください。」

 刑事たちは、懐中電灯をつけて、そのへんをさがしはじめました。おとうさんも、一郎君も、いつのまにか、はだしで、庭におりていきました。

 そのさわぎのあいだ、ゆりかさんは、座敷のまんなかにうつぶしたまま、気をうしなったように、身うごきもしませんでした。

 すると、そのときです。しょうじとはんたいがわのふすまが、しずかに、音もなくひらき、ひとつの黒い影のようなものが、スーッと、ゆりかさんのそばに近づいてきました。部屋の中は、まっくらですから、そのもののすがたは、ハッキリは見えませんが、オーバーを着た人間のようです。部屋の中なのに、ソフトまでかぶっています。

 そのソフトの下に、白い顔がありました。なんという白さでしょう。それが、庭の電灯のひかりをうけて、キラッと、光りました。おお、白いのではなくて、銀色なのです。三日月がたの口が、笑っています。宇宙怪人です。みなが庭に気をとられているすきに、べつの方角からしのびこんできたのです。

 怪人は、サッとゆりかさんを、こわきにかかえて、手ばやく、その口へハンカチをおしこみました。声をたてさせないためです。そして、ふすまのそとの暗やみへ、すがたをけしてしまいました。ゆりかさんは、ついに、さらわれてしまったのです。

 では、さっき、しょうじにうつった影は、なにものだったのでしょう。あれははだかのかげでした。それが、たったあれだけのあいだに、服をきたり、仮面をつけたり、できるわけが、ありません。すると、今夜は、宇宙怪人がふたり、あらわれたのでしょうか。「空とぶ円盤」は、五つも飛んできたのですから、怪人も、おおぜいいるはずです。いよいよ宇宙怪人第二号が、あらわれたのでしょうか。


チンピラ隊


 場面は、平野君のおうちの門のまえにうつります。

 いけがきのつづいた、さびしい屋敷町です。まだ夜ふけでもないのに、人どおりは、まったくありません。むこうの町かどにたっている街灯が、かすかなひかりを投げているばかりで、おそろしく暗いのです。

 平野君の門から、すこしはなれた、いけがきの下に、三びきの大きなイヌのようなものが、うずくまっていました。

「オイ、いま、笛の音がしたね。なんだろう。ゆりかさんのうちの中らしいぜ。いってみようか。」

「バカ、持ち場をはなれるなって、あれほど団長が言ったじゃないか。」

「ウン、だが、もし宇宙怪人があらわれたとすると、おれたち、ここに、じっとしてていいのかい。」

「いいんだよ。呼びこがなれば、刑事さんがかけつけるんだ。おれたちは、持ち場を、はなれちゃいけないんだ。ひょっとして、怪人が、ここへ、逃げてくるかもしれないんだからね。そうしたら、とびかかっていくんだ。わかったか。」

 三びきの大きなイヌだと思ったのは、人間でした。イヌが、口をきくわけはないからです。よく見ると、それは、イヌみたいな、きたない人間の子どもでした。十四、五歳から、十二、三歳の三人の少年でした。ボロボロにやぶれた服を着て、あかによごれた浮浪少年でした。

 こんな浮浪少年が、どうして、ゆりかさんのことを知っているのでしょう。それは、かれらが、少年探偵団の別働隊だったからです。その名は、チンピラ別働隊というのです。これは、小林少年が、数十人の浮浪少年をあつめて、つくったもので、そのことは『青銅の魔人』の本に、くわしく書いてあります。

 いま、三人のチンピラが、ヒソヒソとささやいていた話のなかに、「団長」と言うことばがありましたが、その団長こそ、ほかならぬ小林少年でした。今夜も、小林君は、部下のチンピラ十数名をあつめて、平野君のおうちのまわりに持ち場をきめて、まちぶせさせておいたのです。そのうちの三人が、このいけがきの下に、かくれていたのです。

「シッ、だまって。ゆりかさんのうちの門から、だれか出てきたぜ。」

 年うえのチンピラが、ほかのふたりを、だまらせました。イヌのように、うずくまった三人の六つの目がやみの中で、キラキラ光って、じっとそのほうを見つめます。

 オーバーにソフトの、みょうなやつが、ひとりの少女を、こわきにかかえ、こちらへ、歩いてきました。暗やみになれたチンピラたちの目には、それがハッキリ見えたのです。

 地面に近いところから、見あげているチンピラたちのまえに、みるみる、銀仮面の怪人のすがたが、大きくなってきました。

 年うえのチンピラが、ほかのふたりを、ひじで、グイとこづきました。「とびかかれ。」という、あいずです。

 チンピラは、三びきのイヌのように、とびかかっていきました。そして、いきなり怪人の足にしがみついたのです。

 さすがの宇宙怪人も、ふいをつかれて、思わず、立ちどまりました。そして、「ウーッ。」という、けだもののような、うなりごえをあげましたが、あいてが子どもとわかると、すっかり安心したようです。

「ナニスルカ、キミ、ダレダ?」

 ぶきみな声で、しかりましたが、チンピラたちはむちゅうで、くみついたまま、はなれません。

 怪人は、いきなり、右あしをあげて、しがみついているひとりを、けとばしました。チンピラは「ワーッ。」と、さけんで、遠くのほうへ、ころがっていき、そのまま、おきあがることができません。

 またたくまに、三人のチンピラは、つぎつぎと、けとばされ、いくじなくへたばってしまいました。星の世界の怪物にかかっては、いかにゆうかんなチンピラ隊も、どうすることもできないのでした。

 怪人は、ゆりかさんをかかえたまま、走りだしました。おそろしい早さです。まるで風のように、飛んでいくのです。

 ところが、いけがきのかどをまがると、またしてもピョンピョンと、とびついてくるものがありました。そこにかくれていた、べつのチンピラ隊です。こんども、三人でした。かれらは、三方から、怪人のオーバーにとりすがって、はなさないのです。

 そのとき、暗やみの、むこうのほうから、パタパタと足音がして、五、六人のチンピラ隊があらわれました。べつの持ち場にいたのが、応援に、やってきたのです。

 いくら子どもでも、こんなにおおぜいでは、たいへんです。宇宙怪人も、すこし、しんけんになったようすで、「ウーッ。」と、おそろしいうなりごえをたてたかと思うと、オーバーにしがみついている三人のチンピラを、力まかせにふりはらい、けとばして風のようにかけだしました。

 少年たちは、しばらくは、怪人のあとを追いましたが、とても、かないません。みるみるうちに、あいだが、へだたって、やがて、暗やみのなかに、そのすがたを見うしなってしまいました。


樹上の名探偵


 ゆりかさんをかかえた怪人は、走りにはしって、れいの巨大なカシの木のある、あき地までたどりつきました。そして、カシの木の幹に、もたれかかって、ホッと、ひといきついているようすでした。

 宇宙怪人は、いつも、このカシの木の上から、空に飛びたったのです。今夜も、そうするつもりなのでしょう。ひとやすみすると、ゆりかさんをかかえなおして、グッと上のほうを、にらみました。

 四方に枝をのばして、あき地ぜんたいを、おおいかくすほど、よくしげった、大きなカシの木です。

 怪人が見あげていますと、枝と枝、葉と葉が、かさなりあって、まっくらな中から、かすかなもの音が、聞こえました。そして、その音が、だんだん、大きくなってくるのです。ガサガサと、なにか生きものが、高い枝の上を、はっているような音でした。

 怪人は、ふしぎそうに、その音のするほうを、見あげましたが、なにも見えません。ただ、ガサガサいう音が、ますます、ひどくなるばかりです。

 音のようすでは、小さな動物ではありません。よほど大きなやつです。しかし、東京の町のなかに、サルがいるはずはないのです。いったい、なにものが、木の上に、ひそんでいるのでしょう。

 怪人は、よほどふしぎに思ったらしく、銀仮面を空にむけて、身うごきもせず見つめていましたが、やがて、たまらなくなったのか、

「ダレダ、ソコニイルヒト、コタエナサイ、ダレダ。」と、奇妙な、しわがれごえで、どなりました。

 すると……

「ハハハハ……。」

 高い木の枝の上から、いきなり、人間の笑いごえがきこえました。そして、ガサガサと葉のすれあう音がして、下から見える大きな枝の上に、黒いものがあらわれました。人間です。黒い洋服をきた人間です。遠くの街灯のひかりで、おぼろげに、そのすがたが見わけられるのです。

「ダレダ、キミ、ダレダ。」

 怪人が、おびえたような声で、どなりました。

「ハハハハ……、人間だよ。明智小五郎という日本人だよ。」

 木の上の人が答えました。ああ、明智探偵はこんなところにかくれていたのです。それにしても、木の枝の上の名探偵とは、なんという、ふしぎな、とりあわせでしょう。

「ア、ケ、チ、コ、ゴ、ロ……、ア、ケ、チ、コ、ゴ、ロ……。」

 怪人は、ひとりごとのように、つぶやきました。

「りこうなきみは、ぼくの名を、ちゃんと知っているはずだ。きみにとっては、いちばん、おそろしい敵なんだからね。」

「アケチ、シッテル、アケチ、ナゼ、キノウエニ、イルカ。」

「きみがくるのを、まっていたのさ。きみは、このカシの木の上から、飛びたつにきまっているのだからね。ぼくは、ここにがんばって、きみの神通力じんつうりきのじゃまをしているんだよ。わかったかね。」

 樹上の名探偵は、なぞのようなことを言いました。しかし、怪人には、その意味がわかったものとみえて、きゅうに、あわてだしたようです。そして、いきなり、ゆりかさんを、地面においたまま、その場を逃げだしました。ものをも言わず、ひじょうな早さで、カシの木の下から走りさり、またたくまに、そのすがたは、やみの中に消えうせてしまいました。

 明智探偵は、ゆっくり、木の上からおりると、怪人を追っかけようともせず、そこにたおれていたゆりかさんを、だきおこし、ハンカチのさるぐつわをとって、かいほうするのでした。

 こうして、ゆりかさんは、たすかったのです。しかし、なぜ、宇宙怪人は、ゆりかさんをすてて逃げだしたのでしょう。星の世界の怪人が、明智探偵を、それほどおそれるわけがあるのでしょうか。じつにふしぎです。さっき、木の上から、明智探偵が言ったことばに、なにか秘密があるのかもしれません。まるで魔法のような力でした。怪人ではなく、ぎゃくに、明智のほうが、魔法つかいになったように見えるのでした。

 それから、明智はゆりかさんを、ぶじにおうちへつれかえり、おとうさんや一郎君に、手わたしました。そのころには、コンクリートのくらのほうにいた捜査課長をはじめ、おおぜいの人が、平野君のおうちへ来ていましたので、それらの人々が、明智探偵をとりかこんで、そのてがらを、ほめたたえるのでした。

 明智は、ただ、笑っているばかりで、くわしいことは、なにも言いません。名探偵だけが知っている秘密があるのです。しかし、まだ、それをうちあけることができないのです。ああ、いったい、それは、どんな秘密だったのでしょうか。

 ところが、そのよく朝、東京じゅうの人をアッと言わせるような、ふしぎなことが、おこりました。

 上野公園の五重の塔のてっぺんの、あのヤリのような鉄棒に、ひとりの少年がつかまって、ふるえていたのです。ボロボロにやぶれた服をきた、乞食のような少年でした。それに気づくと、塔のまわりは、おそろしい人だかりになりました。あの子どもは、いったいどうして、あんな高いところへ、のぼることができたのかと、それが、なにより、ふしぎでした。

 それから、警察や消防署の人々が、かけつけ、塔のいちばん上の階から、まるたで足場を組んで、半日がかりで、やっと少年をたすけおろしたのですが、これが、その日の夕刊に、大きな写真入りでのったものですから、東京じゅうの人が、そのさわぎを知って、びっくりしてしまいました。その少年は、チンピラ別働隊のひとりでした。宇宙怪人は、明智探偵にじゃまをされたのを、おこって、そのしかえしのために、チンピラ隊のひとりをとらえて、空をとび、五重塔のてっぺんに、おきざりにしたのです。少年の話で、それがわかりました。

「こわかったぜ。大きなコウモリのようなはねで、フワフワと、空を飛ぶんだもん。まるで飛行機にのってるみたいだった。だが、塔のてっぺんにおきざりにされたときは、もう、死ぬかと思った。夜があけるまで、だれも来てくれないんだもん。ほんとにおそろしかったよ。」

 少年はチンピラ隊のなかまへ帰ったとき、身ぶるいしながらそんなふうに話して聞かせるのでした。

 さて、ゆりかさんをつれさることに失敗した怪人は、つぎには、どんなおそろしいことを、たくらむのでしょう。


ヘリコプター


 平野ゆりかさんは、ひとまず、ぶじにすみました。しかし、宇宙怪人の地球への来襲は、そんな小さな事件でおわるものではありません。宇宙怪人のひとりが、ふと、ゆりかさんのかわいらしさにひかされて、みちくさをしていたのです。ゆりかさんが、ぶじにたすかったその日のことです。世界の空を、電波がとびちがっていました。そして、世界じゅうのラジオがわめき、世界じゅうの新聞が、大きな活字で、おそろしいことを書きたてました。

 どこかの遠い星の世界から、地球のようすをさぐりにやってきた、トカゲ怪人は、まず、日本とアメリカにあらわれたばかりでなく、こんどは、ソビエトの都モスクワの空に、七つの円盤がとんだのです。そして、それがモスクワの郊外の、どこかに着陸して、中から、トカゲ怪人があらわれたことも、日本やアメリカと、そっくりでした。

 それからの一週間には、つぎからつぎと、おそろしいことがおこり、世界じゅうが、ひっくりかえるような、さわぎになったのです。

 空とぶ円盤は、ドイツの都ベルリンにもあらわれました。フランスのパリからも、円盤の飛ぶのを見たという無電がはいりました。イギリスにも、おなじようなうわさがおこり、そのほか、インドにも、中国にも、アフリカにさえも、円盤が飛んだというしらせがあり、ラジオは、きちがいのようにわめきたて、号外のすずが、町々に、ひびきわたりました。

 ほんとうに、地球はじまっていらいのさわぎです。こうして何千、何万という怪円盤が、地球におしよせ、その中から、トカゲのからだにコウモリのはねをもった、あの怪人種が、何万、何十万とあらわれたら、いったい、この地球の人間は、どうなるのでしょう。それを考えると、世界戦争どころのさわぎではありません。

 世界じゅうの人々が、おそろしさに、ふるえあがってしまいました。いまにも、地球の空が、かぞえきれない円盤と、トカゲ怪人で、まっ黒におおわれてしまうのではないか。そして、地球の人間の全滅するときが、近づいたのではないかと、もう生きたそらもないのでした。

 どこの国でも、政府は、科学者をよびあつめ、軍の参謀部と連絡して、宇宙怪人征伐せいばつのてだてを、しんけんに相談しました。そして、このことで、国際会議がひらかれるうわささえありました。

 日本でも、だんだん、おそろしいことがおこっていました。えらい科学者が、ゆくえ不明になりました。有名な俳優が、どこかへ、すがたをけしてしまいました。アメリカでも、日本でも、世間にしられた、えらい人が、つぎつぎとさらわれていくのです。ラジオも、新聞記事も、毎日毎日、そのことばかりです。

 そのうちに、日本にいる宇宙怪人が、けっして、ひとりでないことがわかってきました。

 ある日、東京の新聞社の写真部員が、空からのけしきを、写真にとるために、操縦士とふたりで、ヘリコプターにのって、神奈川県のほうをまわって、夕がた、東京に帰ってきたのですが、そのとちゅうはるかに東京の町が見えはじめたころ、目のまえの空中に、みょうなものが、飛んでいるのに気がつきました。

「オイ、あれ、カラスじゃないね。へんな鳥だね。」

 写真部員が操縦士に言いました。

「コウモリみたいだね。」

「そうじゃない。よく見たまえ、はねはコウモリとそっくりだが、からだが、ちがうよ。アレッ、へんだな、あの鳥、洋服をきているよ。」

 そう言ったかとおもうと、写真部員は、まっさおになってしまいました。

 一つ、二つ、三つ、四つ……、かぞえてみると、同じかたちのやつが、八つも、飛んでいるのです。遠くのやつは小さく、点のように、近くのやつは大きく、奇妙な洋服すがたが、ハッキリ見えます。

「オイッ、宇宙怪人だぜ。どうする?」

 どうすると言って、武器をもたないヘリコプターでは、どうすることもできません。ただ、できるだけ早く、東京について、応援を、もとめるほかはないのです。

 やがて、近くを飛んでいた宇宙怪人が、すぐ目のまえに、あらわれました。

 ヘリコプターのガラスばりの操縦席と、スレスレのところを、二ひきの怪人が、大きなコウモリのはねをひろげて、飛んでいるのです。

 逃げようともしません。おそいかかってくるわけでもありません。

 二ひきの宇宙怪人は、こちらが、なにもできないことを知って、ヘリコプターの中の人間を、からかっているのです。へんな飛びかたをして見せたり、ガラスに顔をくっつけるばかりにして、あざけっているのです。

 二ひきの怪人は、れいの銀仮面をかぶっていました。帽子は、おりたたんで、ポケットへでも、しまっているのでしょう。頭も、かみの毛のかたちも銀色です。

 ヘリコプターの中のふたりは、くやしいけれども、どうすることもできません。ただ、東京の本社へと、いそぐばかりです。

 やがて、宇宙怪人は、いつまでもからかっていては、あぶないと思ったのか、ヘリコプターのそばをはなれて、はるかむこうの、なかまのほうへ、飛びさっていきました。そして、八つの怪コウモリのすがたは、だんだん小さくなり、まもなく、夕空にとけこむように、見えなくなってしまいました。

 機上のふたりは、あまりのことに、しばらくは、口もきけませんでした。おそろしい夢を見たような気持ちでした。しかし、やがて、東京の町の上にさしかかると、ふたりは、やっと、声が出るようになりました。

「オイ、とくだねだぜ、こいつは……。八ぴきいたね。宇宙怪人が、八ぴきも東京にいるなんて、だれも知らないんだからね。」

「そうだよ。しかも写真入りの特大記事だ。」

「エッ、きみ、写真とったのか。」

「ウン、むがむちゅうで、シャッターを切ったよ。あいつらに、さとられないようにね。そこは、おれの本職だからね。宇宙怪人の写真をとったのは、おれが世界でさいしょだろうぜ。」

 写真部員は、ほこらしげに言うのでした。

 まもなく、ヘリコプターが新聞社にもどり、編集部の全員が、ふたりのまわりを、とりかこんで、この話をきいたのです。そのときの新聞社のさわぎも、たいへんでしたが、よく日、この記事と写真を見た東京都民のおどろきは、ことばでは、言いつくせないほどのものでした。

 いつかは、宇宙怪人のむれで、東京の空が、まっ黒になるかもしれない。そして、地球のさいごが来るかもしれないというおそれが、人々をふるえあがらせてしまったのです。


ふしぎな黒んぼう


 このさわぎがあった二日ほどのち、明智探偵事務所へ、虎井とらい工学博士から、電話が、かかってきました。

 虎井博士というのは、有名な民間の老科学者で、発明の天才と言われている人でした。まるでエジソンのように、あらゆる方面にわたって、人をおどろかすおそろしい発明をして、何百という特許を持っているのです。

 その電話がかかってきたとき、明智探偵は、宇宙怪人のことで、総理大臣に呼ばれて、出かけていましたので、かわって小林少年が電話口に出ました。

「ウン、おるすかね。大至急の用件じゃが、あんた、だれだね、小林君ではないのかね。」

 虎井博士は、小林君の名を知っていました。この少年助手は、それほど有名なのでした。

「ぼく小林です。どういうご用件でしょうか。」

「宇宙怪人の件じゃ。どうやら、こんどは、わしがあぶなくなった。警察には、保護をたのんでおるが、それだけでは安心がならん。明智さんに来てほしいのじゃ。だが、おるすなら、あんたでもいい。子どもながら、先生におとらぬ名探偵だ。明智さんにも来てほしいが、あんたにも、来てもらいたいのだ。どうじゃね。今すぐ、わしのうちへ来てくださらんかな。」

 小林君は、虎井博士にあったことはないのですが、その屋敷は、よく知っていました。隅田川の川口かわぐちにちかい、小さな森にかこまれた、ふしぎな洋館でした。

「ハイ、それでは、先生に電話で、相談してから、まいります。」

「そうか。わしのうちは、ごぞんじだろうな。まってますぞ。」

 小林君は、すぐに首相官邸に電話をかけて、急用があるからと、明智先生を電話口に呼びだしてもらい、虎井博士のことを話しますと、「よろしい。行きたまえ。ぼくもこちらの用件がすみしだい、かけつける。じゅうぶん、注意してね。」という返事でした。

 そこで、小林さんは、明智先生のおくさんにも、そのことを話したうえ、自動車にのって、虎井博士邸にいそぎました。

 隅田川の川口ちかくは、工事の多いところですが、そのあいだに、まるで、切りはなされた別世界のように、こんもりした森があって、その中に、むかしの西洋のお城のまるい塔のような感じの、奇妙な建物がたっていました。

 その建物の入り口に近づいて、大きなドアをノックしますと、中からドアがひらいて、思いもよらずそこに、ひとりの黒んぼうが立っていました。アフリカ土人のように、まっくろな顔の大男です。

 ドアの中は、ひろい板の間になっていて、まっかなジュウタンが、しきつめてあり、おくのほうに、まがりくねった階段の、りっぱな手すりが、見えていました。

 黒んぼうは、はでなしまの背広をきて、まるでサーカスの道化師のようなかっこうで、そこに、つったっているばかりです。

「虎井先生から電話があったので、うかがいました。小林というものです。」

 小林君が言いますと、大男の黒んぼうは、じっと宙を見つめたまま、小林君の顔を、見むきもしないで、両手をぎごちなく、あげたり、さげたりしながら、へんなガラガラ声で答えました。

「ドウゾ、コチラヘ。」

 そして、クルッと、むこうをむくと、コックリコックリ歩きだすのでした。なんだかへんです。これは、生きた人間でなくて、機械のような感じです。

 そのとき、小林君は、ふと、思いだしました。虎井博士は、ロボットを発明して、玄関番につかっているといううわさをきいたことがあるのです。そう思って、見ると、たしかにロボットです。顔は、黒んぼうの人形です。客の顔も見ないで、そっぽをむいて、ものを言ったのも、人形なれば、むりはありません。

 小林君は、人形にむかって、まじめくさって、あいさつしたのかとおもうと、おかしくなってきました。それにしても、虎井博士は、なんというかわりものでしょう。玄関へはいっただけで、こんなにびっくりさせられるのですから、まだまだ、どんなふしぎなしかけが、まちかまえていないともかぎりません。小林君は、少々きみが悪くなってきました。

 黒んぼうは、まっすぐむこうをむいたまま、階段の下を通りすぎて、廊下に出ると、そこにひらいているドアのまえに立ちどまって、クルッとこちらをむき、また両手をあげさげして、

「ココデ、オマチクダサイ。」と言いました。

「ありがとう。きみ、人形なんだね。よくできているね。」

 小林君は、そんなことを言いながら、指で、黒んぼうのほおを、はじいてみました。すると、あんのじょう、コツコツと、かたい音がするのでした。

 黒んぼうは、ニッコリともしないで、つっ立っていましたが、しばらくすると、「これでわたしの用事はすんだ。」といわぬばかりに、またクルッとむきをかえて、コットン、コットン、どこかへ、立ちさってしまいました。

 あとにのこされた小林君は、部屋の中にはいって、あたりを見まわしました。応接間でしょう、りっぱなイスやテーブルのそろった、広い洋室です。

 一方のかべに、一メートル四方もある大きな鏡が、はめこみになって、まわりに、うつくしいがくぶちがついています。小林君は、その鏡のまえに立って、自分のすがたをうつしてみました。

 そうして、まっていても、博士はなかなか出てきません。あたりはシーンとしずまりかえって、なんだか、古い洋館のあきやにいるような感じです。小林君は、ますますきみが悪くなってきました。


底しれぬ階段


 小林君はそのとき、なんともいえぬ、みょうな感じにおそわれました。

 部屋には、だれもいないことがわかっているのです。それでいて、なんだか、すぐそばに、人がいるような気がします。だれかが、ジーッと、自分のほうを、見つめているような気がします。

 小林君は、思わず、部屋の中を見まわしました。しかし、どこにも、人のかくれるような場所はありません。

 そうして、しばらくのあいだ、墓場のように、しずまりかえった広間に、立ちつくしていましたが、ふと、どこかで、かすかなもの音がしました。

 ギョッとして、ふりむくと、部屋の入り口に、白いものが立っていました。びっくりするほど、うつくしい少年でした。小林君もかわいらしい顔をしていましたが、この少年のは、かわいらしいというよりも、うつくしいのです。

 戴冠式たいかんしきの行列の中にいる、西洋の少年貴族のような、まっ白な軍服を着ていました。えりと肩に、ピカピカ光るかざりがつき、手くびのところにも、金モールのすじがあり、肩から、わきの下にかけて、金色のひもがまといつき、白ズボンの両がわには、太いまっかなすじが、とおっています。

 小林君は、この少年も、ロボットではないか、あのうつくしい顔は、ロウでできているのではないかと思いました。

「ヤア、いらっしゃい。小林君ですね。」

 その少年が、にこにこしながら、さわやかな声で呼びかけました。さっきの黒んぼうのようなガラガラ声ではありません。たしかに人間の声です。

「あなたは、だれですか。ぼくは虎井先生にお目にかかりたいのですが。」

 小林君が、あっけにとられたような顔で言いますと、うつくしい少年は、こともなげに答えました。

「わかってますよ。ぼくは虎井先生の少年助手ですよ。ちょうどきみが、明智先生の少年助手であるようにね。うちの先生は、きみをまっています。いま、あんないしますよ。」

 小林君は、それを聞いて安心しました。

「どうして、そんなふうをしているの。まるで軍人みたいだね。それがきみのふだんの服ですか。」

「そう。うちの老先生は、こんなピカピカした服がすきなんだよ。その服が、おまえに、いちばんよく似合うって。」

 ふたりの、おなじ年ごろの少年は、すぐに、したしくなってしまいました。

「きみの先生は、ずいぶんかわってるんだねえ。ロボットの黒んぼうに、玄関番をさせたりして……。」

「ハハハ……、かわっているよ。なんでもかわっているんだ。きみは、これから、たくさんおどろくことがあるよ。しかし、うちの先生は、えらい学者だよ。先生の発明を見たら、きみはきっと、びっくりしてしまうよ。」

 うつくしい少年は、さも、ほこらしげに言うのでした。

「ねえきみ、ぼくは、さっき、ここでひとりでまっていたとき、だれかが、すぐ近くにいるような気がしたんだよ。へんだねえ。この部屋には、かくし戸でもあるんじゃないかい。」

「かくし戸もあるよ。しかし、きみがさっき、だれかいると思ったのは、ぼくだったのさ。」

「エッ、きみだって。きみ、どこにかくれていたの?」

 小林君がびっくりして、たずねますと、少年は、ニヤニヤ笑いながら、かべにはめてある、大きな鏡を、ゆびさしました。

「この中だよ。」

「エッ、鏡の中だって?」

「そうじゃない。この鏡の、むこうがわの部屋にいたんだよ。この鏡は、こちらから見れば、ふつうの鏡だけれど、うらから見ると、この部屋の中が、すっかり見すかせるんだよ。あちらの部屋にいれば、この鏡は、大きなガラス窓と、おんなじなんだ。それで、ぼくは、この鏡のむこうがわから、しばらく、きみのようすを、ながめていたんだよ。だもんだから、きみは、近くに人がいるような気がしたんだ。」

「すると、客をこの部屋にいれておいてまず、鏡のうちから、のぞいて見るんだね。まるで探偵のうちみたいだね。」

「そうだよ。うちの老先生は、探偵がすきなんだよ。だから、ここには、いろんなしかけがある。そして、明智先生のこともよく知っているんだ。うちの先生は、いつも、きみをほめているよ。子どもにしては、えらいもんだって。ぼく、そのたびに、きみが、うらやましくなっちまう。」

 少年はそう言って、ニッコリ笑いました。フサフサしたかみの毛の下に、白いひたい、かたちのいいまゆ、うつくしい目、赤いくちびるから、ニッとあらわれたやえ歯、小林君は、この少年がすっかり、すきになってしまいました。

「さっき電話で聞いたんだけど、宇宙怪人があらわれたんだってね。きみもそれを知っているの?」

「ウン、ぼくもあいつを見たよ。それで、先生は、明智先生にあいたいっておっしゃるのさ。」

「明智先生も、じきここへくるよ。で、きみは、いつ、どこで、宇宙怪人を見たの?」

「ゆうべ、ここで。」

「エッ、ここで。」

 少年は右手で、部屋のガラス窓を、さししめしました。その窓のそとには、このやしきをかこむ森の木が、青黒くしげっています。

「あのガラスのそとから、のぞいていたんだよ。ホラ、あの銀の仮面さ。ぼく、ゾーッとして、気をうしないそうだった。いやな仮面だねえ。」

「それで、どうしたの?」

「先生に知らせたのさ。そして、みんなで庭をさがしたけれど、もう、どこにもいなかった。きっと、空へ飛んでいったのだよ。それから、つい一時間ほどまえに、また、へんなことがあった。ホラ、これだよ。これがうちの玄関のドアにささっていたんだ。」

 少年が、ポケットからとりだしたのは、長さ二十センチぐらいの、銀色の矢のようなものでした。その銀色は、星の国の金属でできているのか、銀仮面と、そっくりの色をしていました。

「日本に、むかし白羽しらはの矢っていうのがあったんだってね。白羽の矢が屋根にささったうちが、悪ものにねらわれるんだって。先生は、それとおなじ意味いみだろうと、おっしゃるのだよ。つまり、宇宙怪人はしゅうねんぶかく、うちの先生を、さらっていこうとしているのさ。」

「フーン、それで、明智先生に電話をかけたんだね。」

「そうだよ。うちのまわりには、いま、たくさんの刑事が見はりをしているけれど、それでも、安心ができないんだ。」

「で、きみの先生は、どこにいらっしゃるの? ぼく、あえるかしら。」

「ウン、きみをまっていらっしゃる。いま、つれてってあげるよ。先生は、だれも近よれないところにいらっしゃる。ふかいところだよ。」

「エッ、ふかいところって、地下室なの。」

「そうじゃない。いまにわかるよ。さあ、行こう。」

 うつくしい少年は、さきにたって、部屋を出て、廊下を、なおも、おくのほうへすすむと、やがて、ゆきどまりのかべのまえに出ました。

 少年は、かべのすみに、手をやって、かくしボタンでも押したのでしょう。目のまえのかべが、みるみるうごきはじめ、そこに人間が通れるほどの入り口ができました。

「さあ、この中だよ。暗いから気をつけてね。」

 黒い穴のような入り口をはいると、そこは、せまいトンネルのような場所で、きゅうなコンクリートの階段が、ずっと下のほうへ、つづいていました。

 少年をさきに、小林君はそのあとから、ソロソロと、階段をおりはじめました。すると、うしろのかべが、また、もとのとおりに、スーッと、しまってしまいました。

 トンネルには、小さな電灯がついているばかりで、まるで炭坑の中へでもはいったような、きみ悪さです。下を見ると、暗くて、よくわかりませんが、ふかく、ふかく、無限の地の底へでも通じているように、思われます。

 その階段を十五、六段もおりたときに、小林少年は、なんだかおそろしくなって、まえの少年に声をかけました。

「まだ、おりるのかい。もう、地面より、ずっと下に来ているとおもうが、いったい、どこまでおりるの?」

「まだだよ。もっとふかいんだ。先生が発明した、かくれがだからね。きみは、いまに、びっくりするよ。いくら宇宙怪人だって、とても、あすこまでは来られやしない。ほんとうは、先生は、ちっとも心配することはないのさ。こんな安全なかくれ場所なんて、どこをさがしたって、ありゃしないからね。」

 そして、ふたりの少年は、さらに、ふかく、ふかく、底しれぬやみのトンネルを、くだっていくのでした。


大怪魚


「ねえ、きみ、ふつうの地下室にしては、あんまり深すぎるじゃないか。虎井先生は、いったい、どこにいらっしゃるの?」

 小林少年は、地下への階段が、いつまでもつづいているので、すこし心ぼそくなって、たずねました。すると、うつくしい軍服の少年は、すずをふるような、きれいな声で笑いながら、

「もう、じきだよ。むろん、ふつうの地下室じゃないさ。きみは、きっとびっくりするよ。想像もできないような、ふしぎな部屋なんだ。ぼくの先生は、世間の人が、思いもよらないようなことを、お考えになるんだよ。」

 と、じまんらしく、言うのでした。

 コンクリートの階段を、三十段もくだると、やっと横道になり、しばらく歩くと、こんどは、のぼりの階段があって、それを七、八段あがると、パッタリ道がとだえてしまいました。頭が、天井につかえて、のぼれなくなったのです。

「ここに、また、秘密の戸があるんだよ。」

 白い軍服の少年はにこにこしながら、そう言って、かべのすみの、かくしボタンを押しました。すると、頭のうえのコンクリートの天井が、音もなくスーッとあがって、そこにポッカリと、大きな口がひらいたのです。

 ふたりの少年が、その穴をはいあがりますと、厚いコンクリートの板は、もとのとおりにしまって、どこに入り口があったのか、すこしもわからなくなりました。

 そこは、大きな部屋でした。なにか、わけのわからない機械が、ゴチャゴチャとおいてある、りっぱな部屋でした。

「きみ、ここは、どこだと思う?」

 軍服の少年が、みょうな笑いをうかべて、小林君を、からかうように、言うのです。

「どこだって? やっぱり地下室なんだろう。のぼった階段は、七、八段だし、おりた階段は三十段もあったんだからね。」

「ところが、地下室じゃないんだよ。そのしょうこを見せてあげよう。ホラ、ここへきて、そとをのぞいてごらん。」

 少年がゆびさしたのは、大きなガラス窓でした。二メートル四方もあるような、ひろい窓で、そこに厚い一枚ガラスが、はめこんであるのです。まるで、ショウウインドウのような窓です。見まわすと、同じような窓が、部屋の四方についていることが、わかりました。

 小林君は、その窓ガラスごしに、そとを見ると、思わず「アッ。」と、声をたてました。窓のそとには、意外なものがあったのです。そこには水があったのです。

「ここは、東京湾と隅田川のさかいめの水の底だよ。先生は鉄きんコンクリートの家をつくって、ここへしずめ、地下道で来られるようになさったのだよ。これは、つまり、水の底の別荘なんだよ。ごらん、きれいだろう。」

 ガラスのむこうには、いろいろながユラユラゆれて、まるで、ふかいくさむらのようです。そのあいだを、小さいさかなが、スーイ、スーイとおよいでいるのが、手にとるように見えます。ちょうど水族館にいる気持ちです。水族館では、箱の中に水がはいっているのですが、ここは、部屋の中だけに水がなくて、そとは、すっかり水にかこまれているのです。

 家のそとのどこかに、電灯がついていて、水の中をてらしているらしいのですが、そのひかりが、あまり強くないので、遠くのほうは暗くて、よく見えません。ふかい森林の中へ、まよいこんだようで、なんとなくきみが悪いのです。

「やあ、きれいだなあ。」

 小林君が、思わず、声をあげました。小さいさかなが何十ぴきも、カスリのもようのようにキチンとならんで、窓のまえを、よこぎってゆきます。そのさかなのからだが、金色や銀色にキラキラ光って、じつにうつくしいのです。

 小林君は、時間のたつのもわすれて、このふしぎな水族館に見とれていましたが、しばらくして、ふと気がつくと、水の中のむこうのほうの暗いところから、なんだか、えたいのしれない、へんなものがあらわれてきました。

 おそろしくでっかいやつです。からだは、まっ黒で、おさらのような二つの目玉が、ギラギラ光っています。胴体の長さは、五メートルもあるかと思われます。そいつが、むこうの、暗やみの中から、スーッと、こちらへ近づいてくるのです。

 小林君は、ギョッとして、ものも言えなくなってしまいました。

 それは、クジラよりは小さいけれど、サメよりは、ずっと大きく、なによりもおそろしいのは、金魚の目のように、とびだした二つの目玉が、ランランとかがやいていることでした。

 その怪物がスーッと、こちらの明かるいほうへ出てきますと、黒く光った全身が、はっきり見えました。せなかに、白いコブのようなものがあります。さしわたし一メートルぐらいの、おわんをふせたようなかたちで、それがガラスのように、すきとおっているのです。

 小林君は、こんなみょうなかたちの、さかながいるなんて、聞いたことも、本で読んだこともありません。しかも、隅田川の入り口に、こんな大きなやつが、およいでいるとはまるで夢のような話です。さかなのお化けかもしれません。クジラのゆうれいかもしれません。

 そいつは、おそろしく光る、大きな二つの目で、小林君をにらみつけながら、こちらへやってくるようです。グングン近づいてきます。もし、このいきおいで、まっすぐにすすんでくれば、窓ガラスにつきあたって、ガラスがわれ、部屋のなかに、ドッと、水がおしよせてくるかもしれません。小林君は、まっさおになって、窓のそばから、逃げだそうとしました。すると、軍服の少年が、小林君の腕をつかんで、

「だいじょうぶだよ。こわくないんだよ。」

 と、にこにこしながら、言うのでした。

 すると、そのとき、怪魚は、クルッとむきをかえ、そのまま、スーッと左のほうへ、およいでいきました。そして、窓からは、もう見えなくなってしまいました。

 ところが、その窓から見えなくなろうとするときに、小林君は、じつに、なんともいえない、ふしぎなものを見ました。

 大怪魚のせなかに、大きな、おわんをふせたようなすきとおったコブができていることは、まえに書きましたが、そのコブの中で、なにか動いているような気がしたのです。

 しかも、それが、なんだか人間の顔のように見えたではありませんか。怪魚のせなかに、どうして人間がはいっているのでしょう。それとも、あれは、怪魚の子どもだったのでしょうか。カンガルーが、自分の子どもを、おなかのふくろの中にいれているように、この怪魚は、自分の子どもを、せなかのすきとおったコブの中に、いれているのでしょうか。

「きみ、いまの、見た? せなかのコブの中に、なんだか、いたね。」

 小林君が言いますと、軍服の美少年は、こともなげに答えるのでした。

「見たとも。人の顔だったね。」

 小林君は、あいてが、あんまりへいきなので、びっくりしてしまいました。

「きみ、こわくないの? あんなおそろしいものを見て、へいきで、笑っているなんて。」

「ちっとも、こわくなんか、ありゃあしないよ。ぼくは、見なれているんだもの。」

「ヘエー、見なれているの? じゃあ、このへんには、あんな大きな、クジラの子どもみたいなさかながすんでいるの?」

 すると、美少年は、また、すずをふるような声で笑いました。

「きみ、ここは隅田川の入り口だよ。あんな大きなさかなが、すんでいてたまるもんか。」

「じゃあ、いまの、なんだったの? あれ、さかなじゃないの?」

「さかなじゃないさ。いまにわかるよ。きみは名探偵じゃないか。あててごらんよ。」

 美少年は、からかうようにそんなことを言って、にこにこ笑っています。

 それを聞くと、小林少年は、ハッと、あることに気づきました。ああ、そうだったのか。きっとそうにちがいない。さすがは虎井博士だなあと、しきりに感心するのでした。読者諸君、小林君は、いったい、何に気づいたのでしょうか。

 それから五分もたたないうちに、こんどは、部屋の中に、みょうなことが、おこりました。


水底の怪人


 部屋の一方から、カタンという、かすかな音が聞こえたので、思わずそのほうをふりむきますと、そこのコンクリートのかべに、直径一メートルほどの、丸いすじがついていました。そして、そのすじが、だんだん太くなっていくのです。

 どうして、丸いすじが、太くなるのでしょう。ああ、わかった。丸い扉なのです。銀行の地下室にある、金庫の扉のようなかたちの、コンクリートの扉なのです。かべに、丸い穴があいていて、そこに、かべと同じ厚さのコンクリートの扉がついているのです。ちょっと見たのでは、わからないような、かくし戸なのです。

 みるみる、その丸い扉がひらいて、ポッカリ黒い穴があきました。そして、そこから、まっ黒な人間がとびだしてきました。

 小林君は、またしても、ギョッとしましたが、よく見ると、それが虎井博士だったのです。雑誌なんかの写真で、顔はよく知っていました。長いかみの毛をうしろにたれ、黒ぶちのロイドめがね、ピンとはねあがった奇術師のような口ひげ、三角がたにかりこんだあごひげ、博士にちがいありません。

 それにしても、博士は、なんというへんな服装をしているのでしょう。ピッタリ身についた、黒のメリヤス・シャツとズボン下のようなものを着ているのです。まるで、ブラック・マジックに出る手品師か、絵にある西洋悪魔のようです。

 博士は、丸い穴を出てくると、いきなり、ワハハハ……と笑いました。笑うたびに、ピンとはねあがった口ひげが、ピクピク動くのです。そして、笑いながら、こわきにかかえていた黒いマントのようなものを、はおりました。胸だけをかくす、みじかいマントです。それを着ると、博士は、いっそう西洋悪魔のように見えるのでした。

「やあ、小林君、よく来たね。マア、かけたまえ、いろいろ話すことがある。」

 博士はそう言って、自分も、部屋のまんなかの大きなイスに、ドッカリと腰かけました。小林君と、博士の助手の少年も、テーブルをへだてて、それぞれ、イスに腰かけました。

「明智先生も、あとから来られます、ぼく、先生のおゆるしをえて、さきにうかがったのです。」

 小林君が、あいさつしますと、博士は、にこにこして、

「ウム、よろしい。明智先生には、一、二度あったことがある。えらい探偵だ。わしも、学者にならなかったら、探偵になっていたじゃろう。学者のしごとも、探偵のしごとも、まあ、似たようなものだからな。」

 小林君は、博士のことばが、とぎれるのをまちかねて、いちばん聞きたいことを、たずねました。

「先生、ぼくたち、いま、へんなものを見たんです。クジラの子どもみたいな、大きなさかなでした。あれは、ほんとうのさかなじゃないのですか。もしや、先生がおつくりになったのではありませんか。」

「ワハハハ……。」博士は、またしても、からだをゆすって笑いました。「そうか、きみは見たんだね。あれも、わしの発明の一つさ。いまにわかるよ。いまに見せてあげるよ……。ところで、きみや明智先生にあいたかったのは、れいの宇宙怪人の一件だ。」

 博士は、話をわきにそらせてしまいました。

「こんどは、わしがねらわれているのだ。しかし、わしも、これで科学者のはしくれだ。けっして、あんな怪物に、まけてはいないよ。科学の力でたたかってやる。そして、できるなら、あいつを、いけどりにしてやりたいと思っている。小林君、わしが、こんな水の底の部屋に、かくれているのを見て、怪物がこわいので、逃げているのだと思うかもしらんが、けっしてそうではない。じつは、これが、わしの計略なのだ。見ててごらん、いまに……。」

 博士は、そこで、フッと、ことばをきって、しばらくだまっていましたが、やがて、なにか、思いついたらしく、ポンと、ひざをたたいて、

「おお、きみに見せるものがあった。おもしろいものを見せてあげる。」

 と言って、ニヤニヤ笑うのでした。

「なあに、たいしたものじゃない。わしのつくったテレビだよ。しかし、そこにうつるものが、おもしろいのだ。サア、見てごらん。」

 博士は、テーブルの横においてある、テレビジョンのスイッチをいれました。すると、四角なガラスの表面がチラチラして、どこかのけしきが、あらわれてきました。

 なんだか、見たようなけしきです。木の多い庭が見えます。西洋のお城のような、まるい塔があります。ああ、わかった。虎井博士のうちの庭です。そこに、だれか人がいます。むこうから歩いてきて、いま、立ちどまったところです。びっくりしたような顔をして、こちらを見つめています。背広を着た三十歳ぐらいの男の人です。

「わかるかね。あれは警視庁から来ている刑事だよ。わしのうちのまわりには、七人ほどの刑事が番をしている。いつ、宇宙怪人がやってくるかわからないからね。ああして、見はっているんだよ。それをまた、わしが、ここから見はっているというわけだ。あの刑事は、びっくりしてこちらを見ているね。とつぜん、強い光線にてらされたので、おどろいているんだよ。テレビは、光線をあてないと、うつらないからね。わしの屋敷のまわりには、ほうぼうに、テレビのしかけがしてあって、そのそばに、強い電灯がついているのだ。このボタンを押すと、その電灯がパッとつくのだよ。サア、こんどは、べつの場所を、うつしてみよう。」

 そう言って、博士がどこかのボタンを押しますと、いままでのけしきが消えて、べつのけしきがあらわれました。やっぱり博士邸です。お城のような建物の一部が見えています。

「これは、わしのやしきの、うらがわのほうだ。だれもいないが、いまに、やってくるよ。刑事諸君はたえず、歩きまわって、見はりをしているんだからね。」

 そのことばが、おわらないうちに、テレビの画面に、ふたりの人間があらわれてきました。

 ひとりは、背広の男、ひとりはルンペンのようなやつです。そのふたりが、けんかをしながら、歩いてきたのです。そして、たちまち、とっくみあいが、はじまりました。上になり下になり、ころげまわっています。まるで、すもうのテレビでも見ているようです。

 けっきょく、背広のほうが勝ちました。ルンペンは、くみしかれてしまったのです。そして背広の人は、ポケットから手錠をとりだすと、パチンと、ルンペンの手にはめてしまいました。

「ハハハ……、これは宇宙怪人とは、かんけいがない。わしのうちの庭へ、しのびこんできたどろぼうだよ。さすがは刑事君、みごとにつかまえたね。わしのうちは、森の中にあって、塀もひくいものだから、よく、あんなやつが、はいってくる。たいしたどろぼうじゃない。あきすねらいだよ。」

 そのときです。小林君がテレビから、ちょっと目をそらすと、その目のすみに、へんなものが、うつったのです。小林君は、「オヤッ。」と思って、そのほうを見なおしました。

 それは、部屋の一方のガラス窓でした。あの水族館のようなガラス窓でした。その窓のそとには、なんだか、えたいのしれない、きみの悪いものが、うごめいていたのです。

 小林君が、ゾッとしたような目つきで、そのほうを見つめているので、博士も助手の美少年も、そちらへ目をやりました。

 二メートル四方のガラス板のそとには、銀色にかがやく小ざかなたちが、右に左に、上に下に、うつくしく、およいでいました。

 ところが、よく見ると、その厚いガラス板の、右のはじに、さかなとはちがって、きみ悪いものが、ガラスにピッタリくっついて、うごめいているのです。

 それは、むこうに、ひらめいている、長いよりも、もっとあざやかな、みどり色のものでした。かたちは人間の手をひろげたようなものです。その指と指のあいだに、やはり、みどり色の皮のようなものが、ついています。水かきです。水かきのある、みどり色の手!

 小林君は、ギョッとして、頭の中の血が、スーッと下のほうへさがっていくような気がしました。

「きみたち、はやく、からだをかくして。あいてに見られてはいけない。」

 虎井博士が、ささやき声で、ふたりの少年に言いました。そして、自分がさきにたって、その窓の横のかべに、ぴったり身をつけて、ソッとガラスをのぞくのでした。二少年も、そのまねをして、かべぎわに、身をかくしました。

 みどり色の手が、ふたつになりました。そしてそれがガラスをなでるようにして、だんだんのびてきます。

 博士も二少年も、そのぶきみな手のむこうに、どんなからだがついているかを、よく知っています。あんないやらしい手をもったやつは、ほかにないからです。宇宙怪人のほかには、ないからです。

 小林君は、宇宙怪人が、空を飛ぶことばかり考えて、水にもぐることを、わすれていましたが、水かきがあるからには、水の中にも、すめるのです。この星の世界の生きものは、水陸両生すいりくりょうせい動物だったのです。

 みどり色の手が、ぜんぶあらわれると、つぎには、むらさきとみどりと黄色の、ふといしまになった肩が見え、それから、れいのぶきみな大トカゲのからだが、水の中にフラフラうきながら、あらわれました。そして、顔です。鳥のひよっこのような、グニャグニャした大きな口、ワシのように、するどい目、頭のうえの、トサカのようなギザギザ、博士も二少年も、話には聞いていましたが、宇宙怪人の正体を見るのは、いまが、はじめてでした。ああ、なんという、おそろしい化けものでしょう。さすがの虎井博士も、息づかいが、はげしくなったようです。まして、ふたりの少年は、こわさに、身がすくんでしまって、逃げだすことも、口をきくことも、できなくなってしまいました。

 やがて、怪物は、そのいやらしい顔を、ピッタリ、ガラスにくっつけて、あのするどい目で、ギョロギョロと室内をのぞきこむのでした。


小型潜航艇


 宇宙怪人は、ガラスに顔をくっつけて、しばらく、部屋の中をのぞいていましたが、中の三人は、すがたをかくしているので、だれもいないと思ったのか、そのままスーッと、むこうのほうへ、遠ざかっていきました。海の底は暗いので、コンクリートの部屋のそとがわにも、電灯がついているのですが、そのひかりは、遠くまでとどかないので、怪人のすがたは、むこうのやみの中に、たちまち、見えなくなってしまいました。

「とうとうやってきたね。わしは、あいつが、ここへやってくるだろうと、じつは、まちかまえていたんだよ。小林君、きみに、おもしろいものを見せてあげようか。」

 虎井博士は、助手の美少年と顔をみあわせて、ニヤリと笑いました。

「おもしろいものって、なんですか。」

「海の底のとり物だよ。みんなで、宇宙怪人を追っかけるのさ。」

「海の中をですか。」

 小林君はびっくりして、思わず、高い声を出しました。人間は、両生動物でないから、海の底に長くは、いられないと思ったからです。

「ウン、わしは、特殊の潜航艇を発明して、持っているのだ。三人が、それにのりこんで、あいつを、おっかけるのだよ。」

「潜航艇ですって?」

 小林君は、信じられないような、顔をしました。

「乗ってみれば、わかるよ。なかなか、よくできているつもりだ。グズグズしていると、宇宙怪人が逃げてしまう。サア、ふたりとも、わしのあとに、ついてきたまえ。」

 博士が、一方のかべに近づいて、そこにある小さなボタンを押しますと、大金庫の扉のような、丸いかくし戸が、音もなくひらきました。さっき、博士がとびだしてきた、あのかくし戸です。

 博士は、そのまっくらな丸い穴の中へ、はうようにして、はいっていきました。小林君は、なんだかきみが悪いので、ためらっていますと、助手の少年が、

「だいじょうぶだよ。この穴のそとに、潜航艇がとまっているんだよ。」

 と、うしろから、押すようにしました。しかたがないので、小林少年も、穴の中に、もぐりこみましたが、すると、たちまち、なにかで、ゴツンと頭をうちました。

「これが潜航艇の中だよ。いま電気をつけるからね。」

 博士の声がして、パッと、あたりが、明かるくなりました。立って歩けないような、せまい、トンネルのような部屋でした。おまけに、身うごきもできないほど、いろいろな機械が、両がわにとりつけてあります。

「立っては、頭をうつからね。ここにすわっているんだよ。」

 ふたりの少年を、すわらせておいて、博士は、まずコンクリートの部屋の、かくし戸をしめてから、潜航艇の横っぱらにひらいている、丸い穴の鉄のふたを、ピッタリ、しめて、大きなネジをまわし、水がはいらないように、しめつけました。それから、一方の機械のところへいって、なにかやっていたかと思うと、とつぜん、エンジンの音がひびきだし、フワッと、ブランコにでも乗っているような、気持ちになりました。潜航艇がうごきだしたのです。

 エンジンのひびきは、だんだん、たかくなってきました。速力がくわわっているのです。

「ここへきてごらん。ここが運転席で、運転士には、目の前の海のけしきが、よく見えるようになっているんだよ。」

 博士によばれて、そのほうへ、いざりよってみますと、博士の前に、大きな丸いレンズがあって、それに、潜航艇の前の、水の底のありさまが、小さくうつっているのでした。

「この潜航艇には、二つの大きなヘッド・ライトがついていて、前のほうをてらしている。自動車のヘッド・ライトの、何倍も強いひかりだよ。そのひかりで、前のけしきが見えるのだ。だが、これは写真のようにレンズにうつっているのだから、小さくしか見えないが、もっとよく見える展望台がある。ホラ、あすこだよ。あの台の上に立って、天井から、頭を出してごらん、あたりがよく見えるから。」

 台といっても、ひくい箱のようなものでした。小林君は、言われるままに、その箱の上に立って、こわごわ、天井の丸い大きな穴の中へ、頭を出してみました。

 それは、直径一メートルほどの、大きな穴で、その穴の上には、丸屋根のように、厚いガラスのふたがあることがわかりました。ここからは、上と四方が、自由に、ながめられるのでした。

 しかし、ヘッド・ライトのてらしている前のほうだけは、明かるいけれども、横や、うしろは、ひどくうすぐらくて、ハッキリは見えません。

 そこから見ていると、潜航艇が全速力ですすんでいることが、よくわかります。水が、丸いガラスの上を、サーッ、サーッと、うしろへ、ながれていくのです。ときどき、さかなが、銀色のはらを見せてはねとばされるように、うしろへとんでいくのも見えます。

「きみ、すばらしいだろう。これ、ぼくの先生が発明したんだよ。」

 いつのまにか、美少年が、台にのって、小林君と顔をならべていました。

「ウン、ぼく、潜航艇に乗るなんて、生まれてから、はじめてだよ。虎井博士はえらいねえ。」

 小林君は、しんから感心したように、つぶやくのでした。

 サーチライトのようなヘッド・ライトにてらされた、前のほうのけしきはすてきでした。列をつくっておよいでくる、大きなさかな、小さなさかな、それが潜航艇のひびきにおどろいて、右に、左に、逃げまどうありさまは、メダカのむらがっている池の中を、大きなコイが、かきわけていくような感じです。

「アッ、わかった。ぼく、やっとわかったよ。」

 小林少年が、とんきょうな声をだしました。

「ああ、びっくりした。なにがわかったの?」

「さっき、ガラス窓から見た、クジラの子どものような、大きなさかなの正体が、わかったよ。あのお化けさかなは、この潜航艇だったのさ。そうだろう。二つのヘッド・ライトが、光った目に見えたんだ。それから、せなかの、すきとおったコブは、この展望ガラスだったのさ。だから、ガラスのコブの中に人間の顔が見えた。あれは、虎井先生の顔にきまっている。だって、先生はあのとき、まだ部屋の中に来ていなかったものね。あとで潜航艇をおりて、あの丸い、かくし戸から、部屋にはいってきたんだよ。」

 小林君は、息もつかずに言って、少年助手のうつくしい顔を見つめました。

「そのとおりだよ。きみにしては、気づくのがおそかったね。」

 少年は、あたりまえだと言わぬばかりに、ニヤニヤ笑っています。

 そのとき、博士が、ふたりを呼ぶ声が、聞こえました。

「おい、きみたち、いたぞ、いたぞ。宇宙怪人が、みつかったぞ。」


海底戦争


 少年たちは、その声に、いそいで、ヘッド・ライトのひかりのほうを見ました。

 潜航艇のへさきの十メートルほどさきです。あのみにくい怪物が、おそろしい早さでおよいでいるのが、小さく見えました。

 コウモリのようなはねが、みじかく、二つにおれていたわけが、わかりました。あのはねが、さかなのヒレと同じはたらきをしているのです。はねで水をかいてすすむのです。そのうえ、手と足に水かきがあります。その水かきでも、カエルのように水をかいています。大きなはねのほかに、水かきまで、力をあわせるのですから、どんなさかなだって、かなわないほど、早いのです。

 人間のおよぎや、カエルのおよぎとは、まるでちがった、奇妙なおよぎかたでした。からだが、横むきになったり、上むきになったり、ときにはコマのように、クルクルまわりながら、すすむのです。アクロバットでも見ているようです。

 怪人は、潜航艇が追ってくることを知って、ヘッド・ライトのひかりのそとへ、出ようとして、右に左に、身をかわします。こちらは、それを見うしなわぬようにカジをとらねばなりません。運転士の虎井博士のほねおりは、なみたいていではないのです。

「いいか、見てごらん。いま、あいつをつかんでみせるから。」

 博士のどなる声が、聞こえてきました。つかむといって、どうしてつかめるのでしょう。小林君は、ふしぎに思って、じっと怪人のほうを見つめていますと、エンジンのひびきが、いちだん高くなって、艇は、グンと速度をまし、怪人めがけて突進しました。

 怪人とのへだたりが、みるみる、せばまっていきました。そして、あいだが二メートルほどになったとき、アッというような、ふしぎなことが、おこりました。

 シューッという、へんな音がしたかと思うと、潜航艇のへさきから、ながい鉄の棒が、おそろしい早さでとびだしました。そして、その棒のさきが、まるで人間の指のように、パッとひらいて、怪人に、つかみかかったのです。

 ひらいた鉄の指は、あいてのからだにさわると、自動的にギュッとしぼんで、怪人の足をつかみました。

「しめた。つかまえたぞ。」と、思ったしゅんかん、怪人も、さるものです。つかまれた足を、ひじょうなすばやさで、鉄の指から、ひきぬいてしまいました。そして、死にものぐるいのおよぎかたで、たちまち、ひかりのそとへ、逃げさりました。

 それから二十分ほどのあいだ、じつにはげしい戦いが、くりかえされました。宇宙怪人と潜航艇との海底戦争です。

 あいては身がるなからだ。こちらは、ずうたいの大きな潜航艇です。いくら虎井博士の操縦がうまくても、怪人を、たえず、ひかりの中にとらえておくことはできません。しかし、とうとう、見うしなったかと思っていると、ひょっこり、怪人のほうで、ひかりのなかに、すがたをあらわします。どうやら、あいては、こちらをからかっているらしいのです。

 潜航艇は、二度も三度も、さっきと同じような、ひじょうな速度を出して、怪人にせまり、そのたびに、鉄の指をつきだすのですが、どうしても、あいてを、つかむことができません。つかんだと思っても、スルスルと、ぬけられてしまうのです。

「よし、それじゃあ、武器をかえよう。なるべく、きずつけないで、とらえようと思ったが、もう、しかたがない。」

 虎井博士は、そんなひとりごとをつぶやきながら、席の横の、べつの発射装置に手をかけました。

 またしても、強いエンジンのひびき、艇の突進。そして、怪人が、へさきのすぐそばまで近づいたとき、シューッという発射の音。

 展望ガラスから見ていると、こんどは、するどい、ヤリのほさきのようなものが、二メートルあまり、目にもとまらぬ早さで、サッと、つきだされました。

 そのヤリが、からだにささったら、怪人は、死んでいたかもしれません。しかし、こんども怪人のほうが、すばやかったのです。ヤリのほさきは、もうちょっとのところで、まとをはずれました。怪人は、地球の生きものには、想像もできないような、すばやさをもっていました。それをたのみにして、潜航艇をからかっているのですから、どうすることもできません。

 それから、また、怪人と潜航艇との、死にものぐるいの、追っかけっこがはじまりました。そして、なんども、怪人に追いついて、ヤリのほさきをくりだすのですが、一度も、あたりません。さすがの虎井博士も、つかれきってしまいました。

 さっきの鉄の指や、ヤリのほさきは、どこからとびだすのでしょう。小林君は、それを考えてみて、ひとりでうなずきました。コンクリートの部屋のガラス窓から見た、大怪魚には、二つの光る目玉の下に、口のような、穴がありました。あれが、発射口だったのです。あの穴から、鉄の棒や、ヤリが、つきだされているに、ちがいありません。

 さて、怪人はどうしたのでしょう。いくらカジをまわしてさがしても、ヘッド・ライトの中へ、すがたをあらわしません。もう、からかうことをよして、逃げてしまったのでしょうか。

 いや、そうではありません。しゅうねんぶかい怪物は、もっとおそろしい、いたずらをはじめたのです。

 小林少年は、前のほうばかり見ていましたが、その目のすみに、なにかしらモヤモヤと動くものが、感じられました。オヤッと思って、そのほうを見あげると、展望ガラスの天井に、うす黒い大きなものが、くっついていました。ひかりのほうばかりを見ていたので、そのうすぐらいところは、よく見わけられないのです。

 展望ガラスに、大きなタコが、すいついたのでしょうか。なんだか、そんなふうな、いやーな気持ちがしました。じっと見ていると、そのものが、だんだんハッキリしてきました。

 タコではありません、人間と同じぐらいの頭があります。その頭のかっこうが、どこか、鳥に似ているのです。ギョッとして、よく見ると、水かきのある大きな手が、ペッタリとガラスにすいついているではありませんか。小林君は、せなかに水をかけられたように、ゾーッとしました。助手の美少年も、それに気がついたのでしょう。あわてて、台をおりると、博士のほうにむいてさけびました。

「先生、たいへんです。あいつが、展望ガラスに、とりついています。」

 それを聞くと、博士も、いそいでガラスの下に来て、そのほうを見あげました。厚いガラスをへだてて、うすぐらい海の底で、虎井博士と宇宙怪人とが、にらみあったのです。怪物の、歯のない大きな口が、パクパクとうごいています。博士のわるぐちを言っているのかもしれません。それとも、ヘラヘラと笑っているのでしょうか。

「ちくしょう。いよいよ、さいごの手段だ。いまに、思いしらせてやるぞ。」

 博士は、くやしそうにどなって、運転席にもどりました。しかし、どうして、思いしらせるのでしょう。あいてが、潜航艇にしがみついてしまっては、手も足もない機械ですから、はらいおとすことも、どうすることもできません。怪物は、うまい戦法をとってきたものです。

 ところが、虎井博士は、こういうさいにつかうために、さいごの武器を用意していました。さすがは天才発明家です。あらゆるばあいが考えてあったのです。

 小林君が、こんどは、どんなことがおこるのかと、ドキドキしてみていますと、また、シューッという、はげしい音がしました。へさきのほうから、サーッと、まっ黒なものが、とびだしました。そして、それが、まるでポンプが水を出すように、いつまでもつづいているのです。発射されたのは、おびただしい、まっくろな液体だったのです。

 その液体は、発射されて、しばらくすると、モヤモヤと黒雲のように、海水の中にひろがりました。ていは、その黒雲のまっただなかへ、つきすすんでいくのです。つまり、潜航艇ぜんたいが、黒い液体につつまれてしまったのです。

 あとで聞いたのですが、この液体は、おそろしい猛毒を持っているのでした。黒雲のような中に、はいったさかなは、たちまち死んで、うきあがってしまうそうです。怪人も、艇にとりついていれば、その毒をすわないわけにはいきません。そうすれば、いくら星の世界の生きものでも、やっぱり毒にやられて、死なないまでも、逃げる力を、うしなってしまうにちがいありません。

 潜航艇は、もう動かなくなりました。黒雲の中に停止して、思うぞんぶん、怪人に毒液をすわせてやろうというわけです。

 展望ガラスの上にも、モクモクと、黒い煙のような毒液が、おおいかかってきました。そのために、あたりは、まっくらになり、もう、なにも見えません。ガラスにとりついていた怪人のすがたも、消えてしまいました。黒い液体のために、見えなくなったのかもしれません。それとも、ガラスを、はなれて、逃げだしたのでしょうか。小林君は、まるで、爆弾の煙につつまれたような、なんともいえぬおそろしさに、からだを石のように、かたくして、立ちつくしていました。

 しかし、やがて、黒雲のような毒液は、すこしずつ、すこしずつ、うすく、なってきました。海の中へ、ひろがっていくからです。今まで、まくをしめたように、見えなかったヘッド・ライトのひかりがボンヤリと見えてきました。それが、みるみる、明かるくなっていくのです。

 しばらくして、展望ガラスから、そとのけしきが見えるようになるのをまって、小林君は、あたりをながめました。虎井博士も、そこへ来て、怪人のすがたを、さがしもとめました。

 しかし、いくら見まわしても、あのいやらしいすがたは、まるで、とけてでもしまったように、どこにも、見あたらないのでした。

 虎井博士は、潜航艇を動かして、そのへんの海の底を、くまなくしらべましたが、どうしても見つかりません。なにしろ、あいては星の世界の怪物のことですから、地球の動物なら、たちまち死んでしまうような毒薬にも、へいきなのかもしれません。潜航艇が黒い液体につつまれて、じっと動かないでいるあいだに、怪人は水面にうきあがり、コウモリのはねをひろげて、空たかく逃げさってしまったのでしょう。


とびさる円盤


 それから一週間ばかり、なにごともなく、すぎさりました。その夜、虎井博士邸から帰った小林少年が、明智探偵に、ことのしだいを、くわしく報告したことは、いうまでもありません。

 その一週間のあいだ、虎井博士から明智探偵事務所に、まいにちのように、電話が、かかってきました。虎井博士は、あの晩、小林少年だけをよこして、かんじんの明智探偵がきてくれなかったことを、残念に思っているのです。

「明智さん、あんたは、なぜ、わしのねがいを、聞いてくれないのですか。わしは、怪物にねらわれている。今夜にも、あいつに、さらわれてしまうかもしれない。すぐに来てください。そして、わしをたすけてください。」

 虎井博士は、電話口で、いつもきまったように、そんなことを言うのでした。ところが、明智探偵はなぜか、すぐに行くとは、いいません。その返事もきまりきっているのです。

「わかりました。できるだけはやく、おたくへいきます。もうすこし待ってください。ぼくは、いそがしいのです。それもほかの仕事ではありません。やっぱり、宇宙怪人のことです。ぼくは、べつの方面から、あいつをしらべているのです。そのために、まいにち、すこしも、ひまがないのです。ぼくは、いま、あいつを見はっています。ですから、ぼくがおたくへいくまでは、あいつはけっして、あなたに害をくわえるようなことはありません。ご安心ください。」

 そういって、いつも電話をきってしまうのでした。

 その一週間というもの、明智探偵は、たえず、どこかへ出かけて、いそがしく、はたらいていましたが、事務所へ帰ってきたときには、なんだかイライラしたような心配そうな顔をしていました。

 やがて、一週間がすぎさった、ある日のこと、警視庁から電話がかかってくると、にわかに、明智の顔が、はれやかになりました。そして、ニコニコしながら、ほうぼうへ、しきりと電話をかけたり、自動車をよんで、どこかへ、でかけたりしていましたが、その夕方、

「サア、いよいよ解決だ。小林君、虎井博士に電話をかけて、これからすぐいきますといってくれたまえ。博士をよろこばせてやるんだよ。もう宇宙怪人は、ふたたびあらわれないんだからね。」

と、小林君にいいつけました。そして、博士から、よろこんでお待ちしてますという返事をきくと、明智探偵と、小林少年は、自動車をとばして、江東区の虎井博士邸にいそぐのでした。

 博士邸のげんかんには、れいの黒んぼうの自動人形が待ちかまえていて、

「ドウゾ、コチラヘ。」

 と、ふたりを広い応接間へ、あんないしました。

「あれが、のぞき見をする鏡だね。」

 明智探偵が、一方のかべの大きな鏡を、ゆびさしました。

「ええ、そうです。博士は、あのむこうがわから、ぼくたちを見にくるかもしれませんよ。」

 すると、ドアのところに、ひょっこり、虎井博士の奇妙なすがたがあらわれ、

「いや、いや、明智先生にたいして、けっして、そんな失礼なことはしませんよ。」

と、ニヤニヤ笑いながら、テーブルの方へ近づいてくるのでした。

 博士と明智探偵とが、あいさつのことばをかわして、イスにかけますと、そこへ、れいの美少年の助手が、コーヒーをはこんできました。

「明智先生、きょうは、なにかよい話を、もってきてくださったということで、わしは、たのしみにしておりましたよ。宇宙怪人のかくれがが、わかったのですか。」

 博士がたずねますと、明智はニコニコして、

「そうです。かくれがを見つけたところではありません。宇宙怪人は、もう二どと、すがたをあらわさないのです。」

「ホウ、それはまた、どういうわけで?」

 博士が、ふしぎそうな顔をしました。

「さっきから、窓のそとが、さわがしいようですね。なにか、かわったことが、おこったのではありませんか。」

 明智は、そういって、へやの一方の窓のそばへ歩いていきました。すると、庭のむこうから、見はりをつとめている刑事のひとりが、かけよってきました。

「円盤です。円盤です。空とぶ円盤が、あらわれました。隅田川の船の人たちが見つけて、あんなにさわいでいるのです。」

 それをきくと、虎井博士もふたりの少年も、窓ぎわへ、とんできました。

「どこに、どこに……。」

 みんな、窓から、からだをのりだして、空を見あげるのでした。

「そこからは、見えません。庭へ出なければ見えません。」

 応接間の四人は、大いそぎで、ろうかから庭へ、かけだしました。

 見あげると、もう、うすぐらくなった夕方の空に、白いおさらのようなかたちのものが、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、おお、やっぱり五つです。いつか銀座の空をとんだときと同じです。それが、千葉県の方にむかって、ひじょうな速さで、とんでいくのです。そして、みるみるうちに、五つのおさらは空のかなたにとけこむように、そのすがたをかくしました。

「さいしょ、日本へ来たのは、五つの円盤でしたね。いま、太平洋の方へ、とびさったのも五つだ。すると……。」

 庭のまんなかに立って、空を見あげていた虎井博士が、となりの明智探偵の顔に目をうつして、つぶやきました。

「そうです。宇宙怪人は、日本をたちさったのです。そして、星の世界へかえっていくのです。もう、あのきみのわるい怪物が、われわれの前に、すがたをあらわすこともないでしょう。」

 明智が、意味ありげにいいました。

「おやおや、すると、とうとう、逃がしてしまったというわけですか。さすがの名探偵も、星の世界の怪物には、かなわなかったというわけですか。」

「いや、逃がしたのじゃありません。ぼくは、宇宙怪人を、とりこにしたのです。」

「え、とりこにした。どこに、どこに?」

「それは、へやにはいって、ゆっくりお話しましょう。怪人の魔法のたねも、いろいろ、お目にかけますよ。」

 庭には、七人の刑事が、円盤を見るために集まって、明智探偵のまわりをかこんでいました。

「きみたちは、やはり、そとをまもってください。まだ、ゆだんはできませんよ。」

 明智はそういって、刑事たちに目くばせをしました。そして虎井博士とならんで、ふたりの少年をともない、うちのなかへはいっていきました。


魔法のたね


 博士と明智と小林君などが、もとの応接間にもどると、まもなく、博士邸の門前に三台の自動車がとまって、その中から十四、五人の人がドヤドヤとおりたち、邸内にはいってきました。

「虎井博士、ぼくの証人たちが、ついたようです。いまに、ここへやってきますよ。」

 明智がそういっているうちに、もう、ろうかに、おおぜいの足おとがして、ドアがひらき、つぎつぎと人の顔があらわれました。まっさきに、はいってきたのは、警視庁捜査係長の中村警部でした。

「おお中村君、証人はぜんぶ、そろっているだろうね。……こちらが虎井博士。虎井さん、これは、おききおよびでしょうが、ぼくの友人の中村警部です。」

 警部があいさつしますと、虎井博士も、イスから立ちあがって、

「やあ、よく知っていますよ。明智さんは民間の名探偵、中村さんは警視庁の名探偵というわけですね。まあ、おかけください。そして、あなたのつれてこられた、おおぜいのかたがたを紹介してください。」

 虎井博士は、顔いっぱいに笑いをうかべて、あいそよくいうのでした。

「きみたち、失礼して、こちらへ、はいりたまえ。」

 警部の声に、異様なふうていの、三人のおとなと、ひとりの少年が、へやにはいって、入口のところへならびました。そのあとから、制服の警官が八人はいってきました。そして、中村警部のさしずで、応接間の四方のかべの前に、立ちならびました。ものものしいけいかいです。いったい、これから何がはじまるというのでしょう。

「松下岩男君、こちらへ来てくれたまえ。」

 明智探偵が、イスに腰かけたまま、入口のそばに立っている、四人のうちのひとりに、声をかけました。

 すると、いちばん右のはじにいたヒゲづらの男が、ツカツカと、テーブルの方へ近づいてきました。カーキ色の古い国民服を着た、きたない男です。

「きみは、丹沢山たんざわやまのきこりの松下君だね。」

「そうでがす。」

「きみが、警察ではくじょうしたことを、もういちど、ここでいってごらん。」

「もうしわけねえ。おらあ、金に目がくれて、大うそついたでがす。丹沢山の中へ空とぶ円盤なんか、おっこちたんじゃねえ。その中からコウモリのはねをもったばけものが、出てきたわけでもねえ。村の人や新聞記者にいったのは、みんなうそでがす。作田さくだというだんなが、そういえといって、おらに十万円くれただ。そのうえ、もし、このことをだれかにつげ口したら殺してしまうと、おどかされたんだ。」

「その作田というだんなは、どこの人だね。」

「知らねえ。ひょっくら、おらの小屋へやってきて、金をくれただ。そして、これから、たえまなく、おまえを見はっているから、つげ口したら、すぐわかるぞと、おどかしただ。あのだんなは、大どろぼうにちげえねえでがす。」

「よし、きみはさがっていたまえ。つぎは、山根やまね君だ。ここへ来たまえ。」

 よばれたのは、ボロボロの服を着た、こじきのような少年でした。

「きみは、小林君の部下のチンピラ別働隊のひとりだったね。小林隊長のまえで、ほんとうのことをいってみたまえ。小林君、こいつは、きみがしらべるといい。」

 すると、小林君は、イスから立っていって、いきなり、山根少年のほおに、ピシャッと平手うちをくわせました。

「チンピラ隊の名誉をきずつけたばつだ。チンピラ隊の子どもたちが、これをきいたら、きみをふくろだたきにして、半殺しにしてしまうよ。しかし、きみが、ここでほんとうのことをいえば、ぼくがみんなに、あやまってやる。サア、ほんとうのことをいってみたまえ。」

 山根少年は、ほおをおさえて、べそをかいていました。

「おらあ、りっぱな紳士にたのまれたんだ。百円札を二十枚くれたんだ。そして、上野公園の塔のてっぺんへ、のぼったんだ。おらあ木のぼりの名人だからね。あんなこと、わけねえや。それに、紳士がてつだってくれたからね。そして、宇宙怪人に、さらわれて、塔のてっぺんに、しばりつけられたって、うそをいったんだ。紳士が、そういえば、二千円やるといったんだ。小林隊長、かんにんしてくれ、な。おらあ、ミツマメと、シルコと、肉ドンブリが、腹がやぶけるほど、食ってみたかったんだよ。それだけだよ。塔のてっぺんにしばられたって、べつにわるいことじゃないと思ったんだよ。な、かんにんしてくれ、な。」

 チンピラ少年が、おそろしく早口で、ぺらぺらしゃべるので、みんな、おもわず、わらい顔になりました。なにも知らないでただむじゃきにやったことでした。

「よし、きみはさがって、つぎは、そこにいらっしゃる、ふたりの新聞記者だ。ちょっと、こちらへ出てください。」

 明智のことばに、ふたりの若い新聞記者は、頭をかきながら、まんなかへ出てきました。

「このあいだから、中村警部に、さんざん、あぶらをしぼられましてね。虎井博士にも、明智さんにもじつにめんぼくないわけですが、ぼくたちは、つい、新聞に大ニュースをのせたいばかりに、とんだ、はじさらしをやってしまいました。」

 ひとりの記者が、そこまでいいますと、あとを写真部の記者がひきとって、

「ぼくたちは、金をもらったわけじゃありません。まったく名誉心からです。あるばん、行きつけの酒場で、みょうな男に出あったのです。そいつに、たきつけられたのです。きみたち、ヘリコプターにのって、空中で宇宙怪人に出あったという記事を書けば、すばらしいニュースになる。ひとつやってみないかとおだてられたのです。そればかりじゃありません。そのみょうな男は、八ぴきの宇宙怪人が、空を飛んでいる写真をくれたんです。おれは、写真きちがいでね。苦心をして、こんな写真をつくったんだよ。どうだ、うまくできているだろう。これを、きみがヘリコプターの中から、とったといって、新聞にのせれば、読者はよろこぶぜ、ひとつやってみたまえ。サア、前祝いだといって、ふんだんに、ごちそうしてくれたんです。ぼくたちは、そのみょうな男のさいみん術にかかって、ついその気になったわけですよ。それに、空中のできごとで、だれも見ちゃいないのですし、宇宙怪人のほうから、あの写真はニセモノだなんて、もんくをいってくるはずはありませんからね。だいじょうぶ、バレることはないとおもったのですよ。」

 そして、ふたりの新聞記者は「世間をさわがせて、どうも申しわけありません。」と、ペコリと頭をさげて、かべぎわに、ひきさがっていきました。

「サア、これで、いちおう証人のもうしたては、すみました。つぎには、実物のしょうこを、ひとつお目にかけます。」

 明智探偵は、そういって、庭にめんした窓のところへいき、ひもをひっぱって、黄色のブラインドをおろしました。もう、すっかり日がくれて、庭はまっくらでした。

「このブラインドをよく見ていてください。ハイ、スイッチ。」

 その声におうじて、入口のそばにいた警官が、電灯のスイッチをカチッとおしたので、へやの中は、たちまち、まっくらになってしまいました。

 虎井博士も、ふたりの少年も、四人の証人も、八人の警官も、うっすらと見えている、窓のブラインドの布を、じっと見つめました。しばらくは、なにごとも、おこりませんでしたが、やがて、ブラインドの表面が、どこかから、ライトでもあてているように、ボーッと白くなりました。そして、そこに、異様なもののかげがうつったのです。

 はじめは、ボンヤリして、なにかわかりませんでしたが、だんだんハッキリしてきました。大きなはねのようなものを、しょっています。顔には鼻がなくて、すぐ口になっています。大きなヘラヘラした口です。それが、笑ってでもいるように、きみわるく、うごくのです。

 宇宙怪人です。円盤にのって、飛びさったはずの怪物が、まだしゅうねんぶかく虎井博士をねらっているのでしょうか。明智や中村警部や小林少年などは、わけを知っていたので、へいきでしたが、ほかの人たちはびっくりしてしまいました。中にはアッと声をたてて逃げだそうとしたものさえあります。

「よろしい、電灯をつけてください。いま、たねあかしをします。」

 パッと電灯がつきました。明智は、ツカツカと窓のところへ行って、ブラインドをあげました。そして窓から首をだして、

「それを、ここへ持ってきたまえ。」

と声をかけますと、くらやみの庭のむこうから、ひとりのせびろの男が、手に、大きな黒い箱のようなものを持って、窓の方へ近づいてきました。明智は、窓ごしにその箱を受けとって、へやの中の人々に見せました。

「これは幻灯器械です。ぼくの助手が、庭の木の中にかくれて、庭の電灯からコードをつないで、いまの影をうつしたのです。影は動くようになっているのです。いつか、平野ゆりかさんのへやのしょうじに、これとおなじ影がうつりました。いとこの人が、とびついていって、しょうじをあけたが、そこには、なにもいなかったので、星の世界の魔法だといって、さわがれたものです。あれは魔法でもなんでもない、かんたんな手品でした。いまと同じように、幻灯で影をうつしたのです。」


怪人あらわる


 明智探偵は、ことばをつづけました。

「もうひとつ、これと似たようなふしぎがありましたね。宇宙怪人が、ゆりかさんのうちに、あらわれはじめたころ、ゆりかさんが、じぶんのへやへ、バイオリンをしまいに行ったとき、窓のそとから、銀仮面をかぶった怪物がのぞいていました。ゆりかさんが、さけび声をたてたので、庭のばんをしていたふたりの刑事がかけつけてきましたが、怪物は、影もかたちも見えません。どこにも、逃げるすきはなかったのです。刑事は、庭の右左から、かけつけたのですから、怪物のすがたを、見のがすはずはありません。この事件も星の魔術とさわがれたのですが、やっぱり、かんたんな手品でした。ある人が、ゆりかさんのへやの、まうえの二階のへやに、しのびこんでいて、洋服かけに怪人の服と同じ服をかけ、その上に銀仮面をくくりつけて、長いひもで、ゆりかさんのへやの窓のそとへ、つりさげたのです。さけび声をきくと、いそいで、それを二階へ、ひきあげてしまったので、まるで怪物が魔法をつかって、消えうせたように見えたのです。これは、そのとき手品をやった、ある人から、きいたのですから、まちがいありません。」

 こうして、ふしぎなナゾが、ひとつひとつ、とけていきました。しかし、まだまだ、大きなナゾが、たくさんのこっています。名探偵明智小五郎は、それらのむずかしいナゾを、どうしてとくのでしょうか。人々は、かたずをのんで、きき耳をたてていました。

 虎井博士の広い応接間の中には、制服の警官をまぜて十七人の人が、イスにかけたり、立ったりしていました。そして、それらの人々のあいだに、まるで刀と刀と、きりむすんでいるようなおそろしい気合が、みなぎっていました。いうにいわれない、ぶきみな空気が、ただよっていました。

「おききなさい。なんだか、みょうな音がするでしょう。」

 とつぜん、明智探偵が、ささやくようにいいました。人々はびっくりして、耳をそばだてました。きこえます。ブーンという、アブのとんでいるような音が、どこからかきこえてきます。そして、その音が、だんだん、大きくなってくるのです。

「みなさん、空を見てください。窓から、空をながめてください。サア、虎井博士、こちらへいらっしゃい。ふしぎなものを、お目にかけます。」

 明智はそういって、虎井博士の手をとって、窓のそばへつれていきました。そのうしろから中村警部と、ふたりの少年が、窓ぎわにかけよりました。あとの人たちは、べつの窓から、かさなりあうようにして、まっくらな空をながめました。

「電灯をつけて。」

 明智の声に、庭のむこうから、だれかが答えたかとおもうと、パッと、サーチライトのような光が、空にむかって、そそがれました。自動車のヘッド・ライトに似た電灯が、庭によういしてあったのです。

 その光の中へ、高い空から、なにか小さなものが、おちてくるのが見えました。鳥のようなものです。人々は、かたずをのんで、それを見つめました。みるみる、そのものの形が、大きくなってきます。そして、ブーンという、ぶきみな音が、だんだん、はげしくなってくるのです。

「やあ、宇宙怪人だ、宇宙怪人が、こっちへおりてくる。」

 だれかが、とんきょうな声で、さけびました。

 電灯のつよい光にてらされて、鳥の頭、トカゲのからだの怪物が、大きな黒いコウモリのはねをひろげて、もう、三十メートルほど近くまでおりてきました。たしかに宇宙怪人です。

 ああ、これはどうしたことでしょう。宇宙怪人は、さっきの円盤にのって、遠く太平洋の方に、とびさったとばかりおもっていたのに、まだ日本にのこっていたのでしょうか。しかも、明智探偵や、中村警部や、たくさんの警官や刑事のまちかまえている、この虎井博士邸へ、なにをおもって、とびおりてきたのでしょう。まぶしいサーチライトにてらされたら、それだけで、気がついて逃げだすはずなのにへいきで、こちらへおりてくるではありませんか。宇宙怪人は、最後の突撃をこころみるのでしょうか。おおぜいの人々を、ものともせず、あくまで虎井博士を、さらっていくつもりで、おそろしい決心をしておりてきたのでしょうか。

 そのとき、小林少年が、ふと虎井博士の顔を見あげますと、博士のひたいには、あせの玉が、いっぱいにふきだしていました。さすがの博士も、おそろしさにたえぬもののように、まっさおになって、ガタガタ身をふるわせているのでした。

 怪人は白い光の中を、みるみる大きくなって、アッとおもうまに、窓のすぐまえの庭に、着陸しました。いよいよ、れいのスポイトのようなピストルで、殺人ガスを発射するのではないかと、人々は、おもわず、窓から身をひきました。

 ところが、怪人は、庭に立ったまま、みょうなことをはじめたのです。よく見ると、かれのせなかに、なんだか大きなキカイのようなものがついています。怪人は肩から胸にまきついている、ふとい皮おびをはずして、そのキカイのようなものを、地面におきました。それは飛行機のプロペラのようなものでした。プロペラの下に四角な箱がついていて、その箱を皮おびで、しょっていたのです。

 人々が、あっけにとられて、見ているまえで、怪人は、もっとふしぎなことを、はじめました。両手を頭にかけたかとおもうと、鳥のような顔が、スッポリぬげて、下から人間の顔が、あらわれたのです。それから、コウモリのはねも、トカゲのからだも、かわでもめくるように、ぬぎすててしまうと、そこには、ぴったりと身についた黒いシャツをきた、ひとりの見しらぬ男が立っているのでした。

「みなさん、これが宇宙怪人の正体です。そして、このキカイが、空をとぶ道具だったのです。」

 男は、ニコニコしながら、大きな声でいいました。そして、さっきのキカイの箱に手をあてて、なにかしたかとおもうと、プロペラのようなものが、ブーンという音をたてて、いきなりまわりはじめたではありませんか。


人体航空機


 そのとき、明智探偵が、みんなの方をむいて、説明しました。

「あの男は、ぼくの助手です。宇宙怪人の変装用のきものと、あのキカイを、あいてにさとられないように、ぬすみだすのに、どんなに苦労をしたでしょう。しかし、いまでは、もう怪人のひみつは、なにもかも、すっかりわかってしまったのです。それを、これから説明します。このキカイは、一年ほどまえ、フランス人が発明して、パリのこうがいで、飛んで見せたものです。その写真が日本の新聞にものったほどです。ある悪いやつが、そのキカイを手にいれて、日本に持ってきました。そして、宇宙怪人になりすましたのです。

 宇宙怪人は、いくにんもいるように、見せかけていましたが、じっさいは、たったひとりだったのです。そして、あいつは、地面を歩くときには、けっして、このキカイを身につけなかったので、みんなは、コウモリのはねで飛ぶものと信じていたのです。

 宇宙怪人が、このキカイを身につけて、ほんとうに、飛んで見せたのは、平野君のうちのそばの、大きなカシの木の上からばかりでした。それから、デパートの屋上で、少年店員をおどかして、飛んで見せたことが、一回あるきりです。そのほかのばあいは、飛んだように思わせただけで、じつは、飛んだのではありません。たとえば、平野少年が、うちの庭で怪人に出あったとき、怪人は木立こだちの中へ逃げこんで、ブーンという音をさせたので、飛んでいったと思ったのですが、じつは、音だけさせて、怪人はへいをのりこえて逃げたのです。

 デパートの屋上のときは、もう暗くなっていたのですし、びっくりして、ふるえあがっている少年店員をごまかすのは、わけのないことでした。少年がたおれているあいだに、屋上のすみに、かくしておいたキカイを、身につけて、とんで見せたのです。暗いので、プロペラはハッキリ見えなかったのです。

 平野君のうちのそばのカシの木から飛ぶのも、いつも、うす暗くなった夕がたに、きまっていました。怪人は、あのカシの木のてっぺんの枝のあいだに、キカイをかくしておいたのです。そして、だれかに、おっかけられると、カシの木によじのぼり、下からは見えぬ木の葉の中で、手ばやく、キカイを身につけて、飛びたつのです。

 フランス人の発明した、このキカイは、まだオモチャみたいなもので、遠くまでは飛べません。せいぜい二、三百メートルで、キカイの力がなくなってしまうのです。ですから、怪人は、遠くへ飛びさったと見せかけて、じつは、近くの原っぱへおりていたのです。そして、銀仮面をぬぎ、キカイは原っぱによういしておいた自転車のうしろの大きな箱に入れて、その自転車にのって、ゆうゆうと逃げさったのです。銀仮面をぬいでしまえば、ふつうの人間ですから、だれもあやしむものはなかったのです。

 みなさんは、平野ゆりかさんが、怪人にさらわれたときのことを、おぼえているでしょう。あのときぼくはカシの木の枝の上に、かくれて、怪人の来るのを待っていました。そのときから、ぼくはプロペラのひみつを、ちゃんとしっていたのです。

 怪人は、ぼくのすがたを見ると、ゆりかさんをすてて逃げさりました。それは、ぼくが、木の上にがんばっているので、かくしてあるキカイのところまで、のぼることができなかったからです。では、どうして、そのとき、怪人をつかまえなかったかというと、ぼくのほうの準備が、まだすっかりできていなかったからです。しかし、ゆりかさんを助けないわけにはいきません。それで、しかたなくあんな、とっぴなやり方をしたわけです。」

 ここまで説明がすすんだとき、いままでだまっていた虎井博士が、いきなり明智のまえに立ちはだかって、どなるようにいいました。

「では、空とぶ円盤はどうしたのです。あれは東京じゅうの人が見ている。あの円盤も、なにかのキカイじかけだったというのですか。」

「ハハハ……、その質問を、じつは待っていたのですよ。ぼくはあの円盤のひみつをとくのに、ずいぶん苦しみました。無線操縦と考えればなんでもないが、悪ものに、それだけの大きなしかけが、できるわけはないと思っていました。そこで、いろいろ考えているうちに、ふっと、ひとつの名案を思いついたのです。そして、それを実験して見ました。すると、その実験が、うまくいったのですよ。」

「はてな。それは、どんな実験です。」

「さっき、ここの空を、五つの円盤が千葉のほうへ飛んでいくのを、ごらんになったでしょう。あれがぼくの実験です。」

 人々はびっくりして、明智の顔を見つめました。では、さっきの円盤は、宇宙怪人が、星の世界へかえって行ったのではなかったのでしょうか。

「ハハハ……、じつに、こどもだましの、やりかたですよ。ぼくは五羽の伝書鳩でんしょばとを、くんれんしたのです。東京のこうがいの森の中から、千葉県の山の中まで、五羽の伝書鳩を、なんども飛ばせて見ました。そして、いよいよ、これでいいと思ったときに、ほそい竹のわくに、うすい丈夫な紙をはって、大きなおわんのようなものを、つくりました。それを、きぬ糸で鳩のあしに、くくりつけたのです。うすい紙ですから、目方がごく軽いのです。そして、近いところを、いくども飛ばせて、れんしゅうさせたうえ、きょうの夕がた、ぼくの助手が、こうがいの森の中から、五羽の鳩をはなったのです。紙ですから風に飛ばされるおそれがあります。それで、風の少しもない夕がたでないと、こまるのです。さいしょ、銀座の空に、五つの円盤があらわれたときも、風のない夕がたでした。きょうも風は少しもなかったのです。夕がたをえらんだのは、空がうす暗くなっていて、紙の円盤を見やぶられないためでした。

 紙の円盤は、はねをひろげた鳩が、すっかり、かくれてしまうほどの大きさです。下から見たのでは、ただ円盤が見えるだけで、鳩は見えません。それに、うす暗い夕がたですから、まず、気づかれる心配はなかったのです。しかし、鳩のあしに大きな紙の円盤をさげたまま、できるだけ高い空を飛ばせるという練習には、ずいぶん骨がおれました。いくど失敗してやりなおしたかしれませんよ。宇宙怪人にばけた悪ものも、この練習には、よほどの時間をかけたにちがいありませんよ。」

 明智は、そこで、ことばをきって、応接間のおおぜいの人々を、グルッと見まわすのでした。


火の柱


 そのとき、虎井博士が、一歩まえに出て、両手をひろげながら、さも感心したように、いうのでした。

「えらいっ。さすがに明智先生だ。よくも、そこまでやりましたね。しかし、まだまだ、わからないことがありますよ。円盤がにせものだったとすると、北村という青年が、怪人に日本語をおしえた一件は、どうなるのですかね。それから、怪人は海の底を、自由自在に、およぎまわったが、人間にあんなまねができるものですかね。」

「よろしい。それでは、さいごのふたりの証人を、よび出しましょう。」

 明智がそういって、あいずをしますと、入口のドアのそとから、ふたりの人物がツカツカとはいって来ました。そのひとりは、平野少年となかよしの、あの科学ずきの北村青年でした。

「北村君、きみがぼくたちに話したことは、みんな、つくり話だったんだね。」

 明智がいいますと、青年はうなずいて、

「そうです。ある人にたのまれて、うそをいったのです。しかし、お礼の金に目がくらんだのではありません。わけがあって、ぼくは、すすんで、うそをついたのです。そのわけは、あとでいいます。宇宙怪人にさらわれて、丹沢山へつれていかれたことも、そこの円盤の中でくらしたことも、怪人に日本語をおしえたことも、魔法の鏡で怪人の思っていることがわかったのも、スポイトのようなピストルから、殺人ガスが発射されて、一ぴきのサルが、たちまち灰になったというのも、みんな、つくり話です。」

「それから、怪人をコンクリートのくらの中へ、とじこめたとき、怪人が消えうせたのも、きみの手品だったね。」

「そうです。窓の鉄棒をゆるめておいたのです。怪人はその鉄棒をはずして、窓から逃げたのです。逃げたあとで、ぼくはソッと、くらのうしろへ行って、鉄棒をもとのとおりにし、コンクリートのこわれたところへ、セメントを水にとかして、ぬっておきました。そして、上からゴミをかけて、新しいセメントに見えないようにしておいたのです。まさか、ぼくが怪人のみかただとは、だれも知らないものですから、この手品が、うまくいったのですよ。」

「よろしい。それでは、こんどはきみだ。きみは千葉県の保田ほたの漁師だったね。ゆうべ、海の中で、なにをやったかいってごらん。」

 明智のことばに、北村青年のとなりにいた、インド人のようにまっくろな男が答えた。

「そうです。わしはモグリの名人で、保田のきんぺんでは、わしにかなうものは、ひとりもいねえ。アマよりもモグリがうめえです。五分間ぐらいは、水の中にいてもへいきだ。ゆうべは、ある人にたんまりお礼をもらって、怪人の衣裳をつけて、海の底へもぐった。

 そして、潜航艇におっかけられるまねをして、逃げてまわって見せたのです。もっとも、いくらわしでも、そのあいだじゅう、もぐっていたわけじゃねえ。ときどき、潜航艇の光のそとへ出て、コッソリ水面にうきあがって、いきをすいこんでは、またもぐって、光の中にはいって、逃げまわって見せた。しまいに、黒い毒のクスリが海の底にひろがったが、あれは、ただの黒い水で、毒でもなんでもなかったです。」

「ワッハハハハ……。」

 とつぜん、おそろしい笑い声が、へやじゅうに、ひびきわたりました。虎井博士が、からだをゆすって、笑っているのです。

「ワハハハ……、明智先生、ずいぶん証人をならべましたね。しかし、宇宙怪人は日本ばかりじゃない。アメリカにも、ソビエトにもあらわれている。あんたのいうような、こどもだましの手品で、世界じゅうがだまされると思うのですか。それから、宇宙怪人は、博物館の仏像や、博物館長や、学者、芸術家などをさらっていったが、その人たちは、いったい、どうしたのですか。」

 しかし、明智は少しもひるみません。

「その人たちを、かくしてある場所を、発見したのだ。麹町こうじまちに、草ぼうぼうの焼けあとが、まだそのままで残っている。その広っぱのまんなかに、こわれたレンガづくりの家がある。そこの地下室に、さらわれたほうもつや学者たちが、とじこめられていた。ぼくはそれをすくい出した。番をしていた悪ものは、警察にひきわたした。虎井博士、ふしぎなことには、そのなかに、ほんとうの虎井博士もまじっていたんだよ。虎井博士が、ふたりになった。ハハハ……じつにおもしろいね。

 それから、アメリカの宇宙怪人だが、これは二日まえに、アメリカから日本の警視総監にあてて、ながい電報がとどいた。アメリカでも宇宙怪人がとらえられ、正体をあばかれたのだ。政府はそれを新聞やラジオで発表しないように、てはいした。そうしておいて、ぼくはこんや、ここへやってきたのだ。」

 それをきいた虎井博士は、タジタジとあとじさりをして、なんともいえない、おそろしい形相ぎょうそうになりました。ひたいに青い血管がふくれあがり、顔はむらさき色になり、こぶしをにぎって、いまにも、つかみかからんばかりです。

 すると、へやの中にいた八人の警官が、すばやく博士のまわりを、とりかこみ、いざといえば、とりおさえる用意をしました。

「ぼくにいわせてください。ぼくがなぜ、悪人のみかたをしたか、それをいわせてください。」

 北村青年が、部屋のまんなかにとび出して、さけびました。すると、虎井博士が、その声を消してしまうような、大きな声で、なにかわめき出すのでした。

「いや、おれがいう。おれにいわせろ……。だが、そのまえに明智先生、宇宙怪人にばけた悪ものが、どこにいるか、それをきこう。さあ、えんりょなくいってみたまえ。」

「いまさら、いうまでもない。きみがその悪ものだ。」明智がするどくいいはなちました。

「で、証拠は?」

「ここにいるモグリの名人の漁師は、たしかに、きみにたのまれたといっている。」

「そうです。この人に五万円もらって、たのまれたです。その五万円はここに持っている。いつでもかえしますだ。」

 漁師は一歩まえに出て、博士をにらみつけました。

「北村君、きみは博士のほんとうの名を知っているはずだね。」

 明智がいいますと、北村青年は待ちかまえていたように答えました。

「知っています。」

「その名をいってみたまえ。」

 すると、北村はツカツカと虎井博士のまえにすすみよって、博士の顔を、まっこうから指さしながら、さけびました。

「この人は怪人二十面相です!」

 ああ、虎井博士が怪人二十面相! 潜航艇でおっかけた博士の方が、じつは宇宙怪人にばけていた二十面相だったとは! 思いもよらぬことのなりゆきに、部屋にいたおおぜいの人々は、あっけにとられて、博士のすがたを見つめたまま、シーンとしずまりかえってしまいました。

「もう一つの名は怪人四十面相だったね。きみが、またしても、かえだまをつかって脱獄したことまで、ちゃんとしらべがついているんだ。それにしても、宇宙怪人とは、思いきった芸当をやったものだね。これについては、きみにも、なにかいいぶんがあるだろう。それをきこう。」

 明智がりんとした声で、せんこくをあたえました。すると、虎井博士の怪人四十面相は、八人の警官を、かきわけるようにして、まえにすすみ出て、まるで演説でもするように、しゃべりはじめました。

「それを、いま、いおうとしていたところだ。明智君ばかりじゃない、中村警部も、そのほかの人も、みんなに、きいてもらいたい。いやいや、世界じゅうの人にきいてもらいたい。ここに新聞記者がいないのが、ざんねんだ。これから、おれのいうことを、新聞に書きたててほしいのだ。

 おれは、世界じゅうのなかまと、れんらくして、宇宙怪人の大しばいをうった。半年ほどまえに、世界のなかまが、ホンコンにあつまって、会議をひらいたのだ。そして、世界各国に、宇宙怪人をあらわすことを、もうしあわせたのだ。

 フランス人の発明したプロペラを、いくつもつくらせて、各国におくったのは、フランスのなかまのしわざだ。アメリカのなかまは、金もちだから、伝書鳩なんかでなくて、無線操縦で円盤をとばせた。ソビエトでは、円盤のうわさを、まきちらしたばかりで、すぐに宇宙怪人のすがたをあらわした。やがて、フランスにも、イギリスにも、中国にも、円盤が飛び、宇宙怪人があらわれるてはずになっていた。

 それが、こんなに早くバレてしまったのは、じつにざんねんだ。しかし、日本よりもアメリカの方が、さきにバレたときいて、おれも、いささか、あんどした。もう、こうなれば、おれだけが、がんばってみたって、はじまらない。なにもかもいってしまう。みんな、よくきいてくれ。

 おれたちは、悪ものだ。世界じゅうの警察に、にらまれている悪ものだ。だが、戦争というものは、おれたちの何百倍、何千倍も、悪いことじゃないのか! え、諸君、そうじゃないか。

 世界各国の政府や軍隊は、いくど戦争をやっても、こりないで、何百万という、つみのない人間を殺しても、すこしもこりないで、まだ戦争をやろうとしているじゃないか。おれたちが、悪ものなら、そんなことを、考えているやつは、おれたちの万倍も、悪ものじゃないか。

 やつらが、地球の上でいつまでも、けんかばかりしているのは、この地球のほかに、世界はないと、思っているからだ。やつらの目をさますのには、宇宙の星の世界から、大軍勢が、おそろしい科学の武器をもって、せめよせてくることを、さとらせてやればいい。そうすれば、地球の上のけんかなどよして、宇宙のことを、考えるようになるだろう。地球ぜんたいが、星の世界に、せめほろぼされては、たまらないからね。そこで、おれたち、世界じゅうの悪ものが、星の世界からのスパイにばけて、ばかなやつらの目を、さましてやろうと、そうだんをきめたんだ。どうだ、明智先生、中村警部、きみたちには、そうぞうもできない大計画じゃないか。北村が、さっきいおうとしたのも、このことだ。北村には、ほんとうのことを、うちあけて相談した。すると、かれは、おもしろいといって、さんせいしてくれたんだ。そして、あの大しばいをうってくれたんだ。おれにはおおぜいの部下がいる。その半分は、ほんとうのことを知って、力をかしてくれたんだ。

 だが、おれたちは、失敗した。じつをいうと、失敗して警察につかまることは、はじめから、かくごしていた。おれたちとしては、地球のやつらを、びっくりさせて、目をさましてやれば、よかったのだ。そのもくてきは、じゅうぶん、はたした。

 いまに見ろ。きっと星の世界から、せめてくるときがある。せめられるまえに、こちらが、せめたらどうだ。せまい地球の上のけんかなど、よして、大宇宙に目をつけたらどうだ。え、明智先生、四十面相の考えは、まちがっているかね。」

 四十面相は、こぶしをふりまわして、大演説をおわりました。これにたいして、明智探偵は、あいかわらずニコニコしながら、答えるのでした。

「きみの考えは、おもしろい。どろぼうの世界会議をひらいたとは、さすがに四十面相だ。ぼくも、そのことは、うすうす、さっしていた。もし、アメリカで宇宙怪人がつかまらなかったら、もうすこし、きみをじゆうにさせておいたかもしれない。

 だが、きみたちの考えは、おもしろいが、こんな子どもだましでは、世界じゅうの人を、感心させることはできないよ。そのうえ、きみたちは、物をぬすんだり、罪のない人をおびやかしたり、さらったりしている。それはやっぱり、悪いことだ。この悪いことにたいして、ばつをうけなければならない。ことに、きみは、二十面相のころから、かぞえきれない悪事を、はたらいてきた。そして、なんど、つかまっても、そのたびに脱獄している。どんなおもいばつを、くわえても、たりないくらいだ。

 いま、きみは、かくごしているといったね。では、おとなしく、警視庁へ来たまえ。おもてには、ちゃんと護送車が待っている。ことわっておくが、いつものように、逃げようとしても、こんどは、だめだぞ。このやしきのまわりは、数十人の警官が、とりまいている。また、隅田川には、水上警察の汽艇きていが、川上と川下に、いくそうも、見はりをしている。陸からも川からも、のがれるみちは、全くないのだ。」

「フフン、そんなことは、百もしょうちだ。だが、四十面相はノメノメと、つかまりはしないぞ。おれには、いつでも、おくの手があることを知らないのか。」

 虎井博士の四十面相は、ついに、悪ものの本性をあらわして、にくにくしく、いいはなったかと思うと、右の足で床の一ヵ所を、グッとふみつけました。すると、かれの足の下の床板が、一メートル四方ほど、パタンと下におちて、そこに、四角いまっくろなあなができました。そして、四十面相のからだは「アッ。」とおもうまに、そのあなの底へ、おちていったのです。

「たいへんだ。やつは、潜航艇にのって、逃げるつもりだ。」

 だれかが、さけびました。

「だいじょうぶ。潜航艇は動かない。ぼくの部下が、水底の部屋にしのびこんで、潜航艇のキカイを、こわしておいたのだ。このあなは、水底の部屋につづいているのに、ちがいない。四十面相は、もう袋のネズミだ。だが、みんな、あわててはいけない。しばらく、ようすを見よう。あいつのことだから、どんなあぶないしかけを、よういしていないとも、かぎらない。」

 明智探偵は、あなにとびこんで、おっかけようとする人々をとめて、中村警部に、目であいずをしました。

 すると、中村警部はおもてへ、かけ出して行って、よびこを吹きならし、博士邸をとりまいている一隊の警官に、犯人が逃げたことをつたえ、けいかいを厳重にしました。また、水上警察の汽艇にも、ラジオれんらくによって、犯人が川へ逃げるかもしれないから、注意するようにと、つたえました。すると、水上の汽艇は、いっせいに、サーチライトのスイッチをいれ、博士邸のうらの水面を、てらしだしました。しかし、まもなく、じつにおそろしいことが、おこったのです。

 四十面相が、床のあなに、とびこんでから、十分ほどたったころ、陸上の人々も、水上汽艇の警官たちも、まるで爆弾でもおちたような、はげしいショックを感じて、おもわず身をふせました。

 博士邸のうらの隅田川から、火山のふんかのような大きな火の柱が、空たかくふきあがったのです。

 いっしゅんかん、そのへん、いったいが、まひるのように、あかるくなり、百のかみなりが、いちどにおちたような、おそろしい音がひびきわたりました。

 これが、怪人四十面相のさいごでした。かれは、水底のコンクリートのへやに逃げこみ、潜航艇で、東京湾へのがれようとしたのですが、潜航艇のキカイが、こわされていることを知り、今はこれまでと、水底すいていのへやによういしてあった、爆薬に火をつけたのです。

 ああ、四十面相はついに、この爆発によって、いのちをうしなってしまったのでしょうか。それとも、もしや、それとも……?

底本:「怪奇四十面相/宇宙怪人」江戸川乱歩推理文庫、講談社

   1988(昭和63)年18日第1刷発行

初出:「少年」光文社

   1953(昭和28)年1月号~12月号

入力:sogo

校正:大久保ゆう

2017年43日作成

青空文庫作成ファイル:

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