世評(一幕二場)
A morality
菊池寛



──よしと云ひあしと云はれつ難波がた

      うきふししげき世を渡るかな──



人物 所 時
すべて知れず。


情景 一

路のほとりに緑の草の生えた広場があり、その広場に一群の隊商が休息している。遠景にアラビア風の都会。隊商の中に、隊長と覚しく骨格逞しき老年の男がいる。妻を伴っている。妻はとして美しき女。隊商を囲んで多くの見物人が居る。見物の男女幾人とも知れがたし。


見物の男一 何処どこから何処へ行く隊商だ。

男二 知らない。ついぞ見知らない人種だ。

男三 いや、俺は知っている。この人達は、西の方から来たのだ。

男一 西の方からって。

男三 西方の国からだ。紅海に近いツクセン人だ。

男一 なるほど。道理でみんな色が黒い。

男二 だが、あの隊長の妻だけは美しいな。バグダッドにだって、あんな美しい女はいない。

男五 少しお出額でこだが、聡明そのものと云った顔だ。あの眸、理智に輝いている美しさったらない。俺は、あんな女を妻にほしい。

男三 あはははは。あの女丈は、ツクセン人じゃないんだ。あの女はバグダッドの貴族だ。

男一 なに貴族だって。嘘を云っちゃ困る。貴族の娘が、どうしてあんな隊長の妻になったのだ。

男三 それは、お前バグダッドでも、評判になった話だ。あの娘の兄が、あの娘を売ったのだ。

男一 なるほど可愛そうに。

男三 五つのダイヤモンドと六つの黒真珠とが、あの娘の価だと云っている。

女一 可愛そうに。貴族の娘に生れながら、売られるなんて、ほんとに不幸せな方ね。

女二 おや! 御覧。あの女が足を動かしたよ。おや、足に何か光る物が付いている。おや! 鎖だ! 鎖だ!

女三 銀の鎖だよ。

女四 装飾品のように、手奇麗に美しく出来ている。でもやっぱり鎖は鎖だわね……。

女五 でも、胸にはあんな美しい胸飾りをつけている。

女六 でも、鎖が足に付いていては、可愛そうだわねえ。

女一 悲しそうにしているわねえ。涙が絶えず溢れているような眸をしているわねえ。

女四 可愛そうに。あれでは妻だか女奴隷だか分らないわねえ。

男三 もうもう金で買っただけに、安心が出来ないんですよ。それに年が、親子ほどにも違いますからね。

女二 いくら違っていましょう。三十は違っているでしょう。

女三 そんなでもないわ。女だって、もう二十四五にはなるわ。

男一 もう、五十を越しているくせに、あんな若い女房をつれ廻していやらしい老爺だな。

女一 金で買われて、あんな老人の妻になるなんて、考えた丈でも身ぶるいがするわ。

女二 でも御覧なさい! 耳輪にも、ダイヤモンドが光っていますよ。それにあの老人だって、それほど邪慳じゃけんでもなさそうよ。

女三 まあ、あんなに足に鎖が付いていては、本当に愛なんかありっこはないわ。

女四 気の毒ね、一生をあんな境遇に過すなんて。

男三 貴女方が同情する以上に、あの女は自分の境遇を嘆いているのですよ。

男二 いい女なんだな。あんないい女が、あんな老人の妻になっていると云う丈でも、義憤を感ずるよ。

男三 おい、あまり大きい声を出したら困るよ。自分のことが、噂になっていることを感づいて真赤になっているよ。

男一 我々が同情しているのを知って嬉しいだろうか。

男三 勝気な女だと云うから哀れまれると云うことに、いい感じはしまい。でも嬉しくなくもないだろう。

女一 おや亭主の老人は、立ち上りましたね。

女二 ノソノソとどこかへ歩いて行きますね。

女三 なに用足しに行ったのでしょう。

女四 でも、ホンの少しの間でも、あの美しい女の傍に醜い老人の亭主が居ないと云うことは、うれしいことだわねえ。

女一 気のせいか、あの女の顔色がはればれとしましたね。

女二 おや。あの女の人も立ち上りましたね。

女三 おや。身づくろいをしますね。

男二 おや歌をうたうのだよ。

男三 あの女は、バグダッドの貴族社会でも有名な歌い手だよ。

(皆きき惚れる)

女四 おお、何と云ういい声だ。

女五 うっとりするようないい声だ。

女一 一つ一つの言葉が、あの人の悲しみで、裏づけられている。

女三 何だか文句が、はっきり分らなかったね。

男三 身体は、売ったがわが魂は、ソロモンの富を以てしても売らないとこう云っているのです。

女達 もっともだわねえ。同情するわねえ。ほんとに可愛そうですわねえ。

男一 おや、また何か歌っているな。

男五 いい声だ。ふるい付きたいようないい声だ。

男三 金銭の恋、偽りの愛を捨てて、本当に真心で自分を愛してくれる青年の胸に抱かれたいと云うのだ!

男一 尤もだ。

男二 俺が救ってやる。

男五 いや俺が救ってやる。

男四 いや俺が救う。

男一 その鎖を断ってしまえ!

男五 あの老人を踏みつぶしてしまえ。

男二 今宵の中に逃げるといい。俺は、天幕の蔭で貴女が逃げて来るのを待っている。

男三 いや、静に。老人が帰って来る。老人が、そんなことを聴くと、どんな警戒をするか知れない。しずかに。

女一 亭主が、帰って来ると美しい顔が、直ぐ曇ってしまう。

女二 おや、あんなにしおれてしゃがんでしまったよ。

女三 可愛そうに。いつまでもあんなに囚われているのかしら。

女四 思い切って、鎖を切ってしまえばいいのに。

女五 本当に、あの人の歌っている通りにすればいいに。

女三 ほんとうに、誰か本当に愛して呉れる青年の胸に飛び込んで行けばいいに。

女二 本当に。何だって、はやくあの鎖を切ってしまわないのかしら。


情景 二

情景一と同じ。ただ前よりも一年ばかり後。やっぱり一群の隊商が休んでいる。群衆が遠くから、取り巻いている。群衆は題一場の人々と全く同一なり。


女一 去年評判になった隊商の妻が、通ったと云うから追いかけて来たのですよ。

女二 わたしも。

女三、四 わたしも。

男一 うむ。去年評判になった女が居ると云うんだね。

男二 うむ。おお、あれだ。あれだ。ほら、あのつくばっている駱駝にもたれながら、赤ん坊をあやしている女が、たしかにあれだ。ホラ今顔を上げた。

男四 なるほど、違いない。見覚えのある美しい顔だ。

女一 可愛そうに、あの嫌な亭主の赤ん坊を生んだのかしら。

女二 でもあの亭主が見えないわねえ。

女三 ほんとに。

女四 私先刻から、亭主を探しているのよ。

女五 見えないわねえ。うしたのだろう。

男一 おいあの女の傍に若い男が居るじゃないか。

男二 うむ、同じ駱駝にもたれているね。

男四 それに見ろ! あの女の足には銀の鎖が付いてないぜ。

男女達 おう。おう。なるほど。なるほど。

女二 到頭とうとうあの鎖を断ってしまったんだわねえ。

女三 あの嫌な年寄の亭主から逃げたんだわねえ。

男三 (何処からか現われる)お前さん達は、まだあの女の話を知らないんだねえ。あの女が、若い男をこさえて、あの年寄の隊商を捨てた話を。

女達 まあ。まあ。

男三 随分、思い切って逃げてしまったんだよ。

女達 まあ。

男二 あの横に坐っている男が、それなんだねえ。畜生! うまくやってやがらあ。

男四 あんな生若い小僧のくせに。

男五 女よりも年下じゃないか。生意気に。

女一 まあ、到頭亭主を打っちゃったんですって。

男三 しかも、女の方から手きびしい絶縁状を送ったんだよ。

女二 まあ、あんまりやり方がひどいわね。

男一 ほんとうだ。男と云うものを馬鹿にしている。女から絶縁状を送るなんて。

男二 ほんとうだ。しかも、人もあろうに、あんな年下の小僧とくっつくなんて。

男四 それに、あの赤ん坊だって、あの小僧の子だろう。

男一 そうだろうとも。いけずうずうしい女だ。

女一 ほんとうに。それじゃ。あの亭主が可愛そうだ。

女二 ほんとうに。年寄で、いやな男だったけれども、何だか実意のありそうな男だったわ。

女三 そう、私もそう思っていたの。何だか頼もしい親切な男らしかったわ。

女四 そうですとも。だから、あんなに立派な胸飾りや、ダイヤモンドの耳輪なんかをさせて置いたんだわ。

女一 ほんとうにね。いくら愛がない結婚だからと云って、亭主は亭主じゃないの。

女二 そうですとも。亭主の顔をみにじってあんな若い男と、一緒になるなんて、ひどい女だわねえ。

女三 そう云えば、初めからそんな薄情者のような気がしたわねえ。

女四 よく恥しくもなく、子供まで連れてこんな所を通れるわねえ。

女五 そっと、隠れているのなら、まだしも。男と同じに、一緒に駱駝にもたれているなんて。

女一 薄情者! 人でなし!

女二 ああ捨てられた年寄の亭主が可愛そうだわ。

女三 ほんとうだわね。

男一 ほんとうに、ずうずうしい女だ。バグダッドの役人達に渡してしまうといいんだ。まぎれもない姦通じゃないか。この女の兄貴の貴族と云うのは、どんな面をしているのだ。

男二 こんな女が出れば、こんな女を許して置けば、世の中が滅茶滅茶になってしまう。

男四 ほんとうだ。うんと、とっちめてやるといいんだ。

男三 可愛そうに、みんなの声が聞えると見えて、モジモジしているよ。

女一 いい気味だわ。もっと、ののしってやりましょうよ。薄情者!

女二 浮気者!

女三 人でなし!

男三 到頭、じっとして居られなくなったと見えて立ち上ったよ。

男一 そんな泣顔を見せたって駄目だよ。

女一 もうその手には乗らないわ。

女二 いくら悲しそうな顔を見せたって駄目よ。

男三 でも何か歌い出したよ。

女三 きかないきかない。

女四 ほんとうに誰が、きいてやるものか。亭主を蹂みにじった女なんかの云うことを。

男三 金銭の恋、偽りの愛を捨てて本当に自分を愛して呉れる青年の胸に走ったと歌っているんだ。

男一 ずうずうしい! そんなことを云っているのか。

女一 あきれたわねえ。

女二 ひどい女!

男二 ふてい女だ。

男四 べらぼうめ! 人を馬鹿にしている!(石を一つ投げる)

男一 ひどい奴だ! こいつを喰え!

女達 ほんとうに。あきれた人だ!

男達 やってしまえ!

(男達、女達、銘々に石を投げる。女悲しげに歌いながら、石に打たれていたが、それが一つ眉間みけんに当るとくずれるように倒れてしまう)

男達 ざまを見ろ、いい気味だ。

(石、子供に当る。子供悲鳴をあげて倒れる。男達また石を投げつづける。女達、さすがに手を止める)

女一 到頭、やられてしまったわねえ。

女二 でもこんなにひどくやられると、また何だか可愛そうだわねえ。

女三、四 ほんとうにねえ。

底本:「日本掌編小説秀作選 下 花・暦篇」光文社文庫、光文社

   1987(昭和62)年1220日初版1刷発行

入力:sogo

校正:noriko saito

2015年128日作成

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