青年青木三造
中原中也



一 三造の心事
──三造の友人達に。


 三造は、この世に自分くらゐ切ないがまた、呑気といへば呑気な男はないと思つてゐた。事実彼は呑気であつた。

 或時三造の一寸知つた男が彼に言つた。「無念さうな顔をしてかァ」。実際さういはれてみれば自分は無念さうな顔をしてゐたもんだと三造は思つた。「でも、自分の心の中は、無念さうなのではないのだがなあ。しかし……」。三造はドギマギした。それからまた放心したやうなまなこをした。だが何か、言ふべきことがあるやうな気がした。尠くとも考ふべきことがあると思つた。しかし、それは、吁、何時ものやうにまた、結論には到達せずに終るであらう──といふことが一種の幻想のやうに彼の眼前を掠めた。

 しかし、彼は、かなしかつた……かなしかつた。そして、かなしいといふことは、語る権利があるといふことのやうに吾人にはともかく思はれる。

 それでは、彼には何が語りたかつたのであらう? 何が語りたかつたのであらうか? 蓋し、語る言葉はなかつたかもしれぬ、歌ふべきことがあつたかもしれぬが、それは今の事ではない。即興詩の、聴手は喜ぶものであれど、歌ふ身になつてみれば心許ないわざであらう。


 彼は、押し黙る。押し黙つた顔といふものは、人の前で、つづくものではない。それはやがて花のやうに萎む。「無念さうな顔をしてかァ」とまたしても人はいふであらう所の顔は現出するのである。「無念さうな顔をしてかァ」といつた男は、自分の言つたことは正しかつたのであつたと思つてしまふ。そして、此処で此の世の、世間の評価、通価といふものは定まるのである。而して、かの、別に能もないけれど世渡りは上手といふ手合は、この通価といふものを素直に受容れ、それを材料として献立してゆくのである。まことにまことしやかな世間といふものが、自信を以て時に軽剽の罪を犯すのであつてみれば、それは、そのわけは此処にあるのである。


 けれども、通価といふものが此処で定つたとしても、通価といふものが物の全てではないといふことを、世間はまた全くよく知つてもゐるのである。しかしそれを知つてゐるのは無意識的にであるから、世間はそれをどうすることも出来ぬ。どうすることも出来ないのだから、全く知らないのとおんなしことになるのである。

 個人の仕事が始るのは此処からであらう。世間が知らないことを、世間の構成分子たる何れかの人間は、知り、知つたことを弘めようとする。今、三造は、世間の知らないことを感じてゐる。それを語り出でるためには時間と意志とが必要である。然るに彼の意志は強いとばかりはいへない方だし、それに三造の身辺には絶えず三造を世間並のものにしようとする誘惑物がないとはいへぬので、三造と世間との調停役を、いつてみれば作者は買つて出ようとしてゐるのである。勿論、三造が世間並になるとしても、嘆くがものは誰にもないのであるが、世間が知らないことを感じてゐる者は、それを明白な形に迄して、世間に呈出する方がよいのである。又、仮りに、三造が、自身の意志と世間の誘惑とを、半々に受容れながら、理窟上言へば、微温なまぬるい、歴史的に言へば不思議な一個の結成物たる、役柄をみせて死んでゆくかもしれぬといふことは十分に推量出来ることである。何れにしても、それは成つてみれば運命の臼の加減といふほかないのであるが、成つてみるまでは人には各々胸の混沌、直観としてのイデエがあるばかりである。


「三造は因循に見える。然し三造は正々堂々と戦はうと思つてゐるのである。三造くらゐ正々堂々と戦はうと思つてゐる者はない。

 彼の気持は明るい。彼は現実を素直に吸収しつつある。それは彼の心の主要な喜びをなしてゐる。

 彼ははつきりした現在を持つてゐる。彼の眼は絶えず微妙にも正確な角度をなして活々してゐる。それゆえ彼には対象を名命し形容するすべての言葉と、その正確な眼との間の隙ばかりが気になる。彼は朴訥であるのでその隙ばかりみてゐて容易に名詞も形容詞も口にしようとはせぬ。

 彼は朝顔の花のやうに夏の朝、感じてゐるが、それは彼の心中、形なき歌ともなるが、彼が声を出して歌つてゐるのをみたものはない。

 三造は今春大学を終へた。まあ、順序からいへば、お金儲けも念頭に置くべき日となつた。──三造はものを朝顔の花のやうに感じてゐる。三造はそれが今にも歌ひたくなる。三造はお金のことなんか忘れてゐる。三造はお金のことを思ひ出すといやになる。世間もついでにいやになる。世間は三造を馬鹿にしてはゐない、寧ろ三造を喜んでゐる、しかしとりたてて尊敬してもゐはしない。三造は毎日家の中で熊のやうに暮してゐる。病身の、じやうぶかい母親の看病もする。三造は物が叮寧である、叮寧すぎさへする。あゝ、三造は叮寧である。

 三造の多くの友は、三造がそとで無口だから家では可なり話すのだらうと思つてゐる。言葉の量から言へば無論それはさうなのである。だが三造は家でも外でも、自我に就いては一言もせぬ。三造は叮寧である。あゝ、三造は叮寧になる。

 三造は、嵐の前の夕凪のやうに、無気味に静かである。三造はコンノート殿下のやうに進み寄る。それから握手するか、ヒツパタクか、分つたものか。三造はその温しさのために、馬鹿共が気にとめぬ謎である。」

 右は一千九百三十二年四月、三造京都大学を卒へて帰京して間もなくの頃、その頃三造の友人であり、今は亡き無邪気な男の死後発見された紙片の抜粋である。

底本:「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」角川書店

   2003(平成15)年1125日初版発行

※底本のテキストは、著者自筆稿によります。

※()内の編者によるルビは省略しました。

※底本巻末の編者による語注は省略しました。

入力:村松洋一

校正:noriko saito

2018年426日作成

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