たけくらべ
樋口一葉



(一)


まわれば大門おほもん見返みかへやなぎいとながけれど、おぐろどぶ燈火ともしびうつる三がいさわぎもごとく、けくれなしのくるま行來ゆきゝにはかりられぬ全盛ぜんせいをうらなひて、大音寺前だいおんじまへほとけくさけれど、さりとは陽氣ようきまちみたるひとまをしき、三島神社みしまじんじやかどをまがりてよりれぞとゆる大厦いゑもなく、かたぶく軒端のきばの十けん長屋ながや二十けん長屋ながやあきなひはかつふつかぬところとてなかばさしたる雨戸あまどそとに、あやしきなりかみりなして、胡粉ごふんぬりくり彩色さいしきのある田樂でんがくみるやう、うらにはりたるくしのさまもをかし、一けんならず二けんならず、朝日あさひして夕日ゆふひ仕舞しま手當てあてこと〴〵しく、一ないこれにかゝりてれはなにぞとふに、らずや霜月しもつきとりれい神社じんじや欲深樣よくふかさまのかつぎたまれぞくまくだごしらへといふ、正月しようぐわつ門松かどまつとりすつるよりかゝりて、一ねんうちとほしのれはまこと商賣人しようばいにん片手かたてわざにもなつより手足てあしいろどりて、新年着はるぎ支度したくもこれをばてぞかし、南無なむ大鳥大明神おほとりだいめうじんひとにさへ大福だいふくをあたへたまへば製造せいぞうもとの我等われら萬倍まんばい利益りゑきをとひとごとにふめれど、さりとはおもひのほかなるもの、このあたりに大長者だいちやうじやのうわさもかざりき、ひとおほくは廓者くるはものにて良人おつと小格子こがうしなにとやら、下足札げそくふだそろへてがらんがらんのおともいそがしや夕暮ゆふぐれより羽織はおりひきかけて立出たちいづれば、うしろに切火きりびうちかくる女房にようぼうかほもこれが見納みおさめか十にんぎりの側杖そばづえ無理情死むりしんぢうのしそこね、うらみはかゝるのはてあやふく、すはとはゞいのちがけのつとめに遊山ゆさんらしくゆるもをかし、むすめ大籬おほまがき下新造したしんぞとやら、七けん何屋なにや客廻きやくまわしとやら、提燈かんばんさげてちよこちよこばしりの修業しゆげう卒業そつげうしてなににかなる、とかくは檜舞臺ひのきぶたひたつるもをかしからずや、あかぬけのせし三十あまりの年増としまざつぱりとせし唐棧とうざんぞろひに紺足袋こんたびはきて、雪駄せつたちやら〳〵いそがしげに横抱よこだきの小包こづゝみはとはでもしるし、茶屋ちやゝ棧橋ざんばしとんと沙汰さたして、まわどほ此處こゝからあげまする、あつらもの仕事しごとやさんとこのあたりにはふぞかし、一たい風俗ふうぞくよそとかはりて女子おなご後帶うしろおびきちんとせしひとすくなく、がらをこのみて巾廣はゞひろ卷帶まきおび年増としまはまだよし、十五六の小癪こしやくなるが酸漿ほうづきふくんで此姿このなりはとをふさぐひともあるべし、ところがら是非ぜひもなや、昨日きのふ河岸店かしみせ何紫なにむらさき源氏名げんじなみゝのこれど、けふは地廻ぢまわりのきち手馴てなれぬ燒鳥やきとり夜店よみせして、身代しんだいたゝきほねになればふたゝ古巣ふるすへの内儀姿かみさますがた、どこやら素人しろうとよりはよげにおぼえて、これにまらぬ子供こどももなし、あきは九ぐわつ仁和賀にわかころ大路おほぢたまへ、さりとはくもまなびし八が物眞似ものまね榮喜えいき處作しよさ孟子もうしはゝやおどろかん上達じようたつすみやかさ、うまいとめられて今宵こよひも一まわりと生意氣なまいきは七つ八つよりつのりて、やがてはかた置手おきてぬぐひ、鼻歌はなうたのそゝりぶし、十五の少年せうねんがませかたおそろし、學校がくかう唱歌しようかにもぎつちよんちよん拍子ひやうしりて、運動會うんどうくわいやり音頭おんどもなしかねまじき風情ふぜい、さらでも教育きやういくはむづかしきに教師きやうし苦心くしんさこそとおもはるゝ入谷いりやぢかくに育英舍いくえいしやとて、私立しりつなれども生徒せいとかずは千にんちかく、せま校舍かうしや目白押めじろおし窮屈きうくつさも教師きやうし人望じんぼういよ〳〵あらはれて、たゞ學校がくこうと一トくちにてこのあたりには呑込のみこみのつくほどるがあり、かよ子供こども數々かず〳〵あるひ火消ひけし鳶人足とびにんそく、おとつさんは刎橋はねばし番屋ばんやるよとならはずして其道そのみちのかしこさ、梯子はしごのりのまねびにアレしのびがへしをおりりましたとうつたへのつべこべ、三びやくといふ代言だいげんもあるべし、おまへとゝさんはうまだねへとはれて、のりやらき子心こゞころにもかほあからめるしほらしさ、出入でいりの貸座敷いゑ祕藏息子ひざうむすこ寮住居りようずまひ華族くわぞくさまを氣取きどりて、ふさ帽子ぼうしおももちゆたかに洋服ようふくかる〴〵と花々敷はな〴〵しきを、ぼつちやんぼつちやんとて此子このこ追從ついしようするもをかし、おほくのなか龍華寺りうげじ信如しんによとて、千すぢとなづる黒髮くろかみいまいくとせのさかりにか、やがては墨染すみぞめにかへぬべきそでいろ發心はつしんはらからか、ぼうおやゆづりの勉強べんきようものあり、性來せいらいをとなしきを友達ともだちいぶせくおもひて、さま〴〵の惡戯いたづらをしかけ、ねこ死骸しがいなわにくゝりてお役目やくめなれば引導いんだうをたのみますとげつけしことりしが、それはむかしいま校内かうない一のひととてかりにもあなどりての處業しよげうはなかりき、としは十五、並背なみぜいにていがぐり頭髮つむりおもひなしかぞくとはかはりて、藤本信如ふぢもとのぶゆきよみにてすませど、何處どこやらしやくといひたげの素振そぶりなり。


(二)


ぐわつ廿日はつか千束神社せんぞくじんじやのまつりとて、山車屋臺だしやたい町々まち〳〵見得みえをはりて土手どてをのぼりて廓内なかまでも入込いりこまんづいきほひ、若者わかもの氣組きぐおもひやるべし、きゝかぢりに子供こどもとて由斷ゆだんのなりがたきこのあたりのなれば、そろひの浴衣ゆかたはでものこと、銘々めい〳〵申合まをしあわせて生意氣なまいきのありたけ、かばきももつぶれぬべし、横町組よこてうぐみみづからゆるしたる亂暴らんぼう子供大將こどもたいしやうかしらちやうとてとしも十六、仁和賀にわか金棒かなぼう親父おやぢ代理だいりをつとめしより氣位きぐらいゑらくりて、おびこしさきに、返事へんじはなさきにていふものさだめ、にくらしき風俗ふうぞく、あれがかしらでなくばと鳶人足とびにんそく女房にようぼう蔭口かげぐちきこえぬ、こゝろ一ぱいにがまゝをとほしてはぬはゞをもひろげしが、表町おもてまち田中屋たなかや正太郎しようたらうとてとしれに三つおとれど、いへかねあり愛嬌あいけうあればひとくまぬたうかたきあり、れは私立しりつ學校がくかうかよひしを、先方さき公立こうりつなりとておな唱歌しようか本家ほんけのやうなとほをしおる、去年こぞ一昨年おととし先方さきには大人おとな末社まつしやがつきて、まつりの趣向しゆこうれよりははなかせ、喧嘩けんくわ手出てだししのなりがたき仕組しくみもりき、今年ことしまたもやまけけにならば、れだとおも横町よこてう長吉ちようきちだぞと平常つねちからだてはからいばりとけなされて、辧天べんてんぼりにみづおよぎのをりくみひとおほかるまじ、ちからはゞはうがつよけれど、田中屋たなかや柔和おとなしぶりにごまかされて、一つは學問がくもん出來できおるをおそれ、横町組よこてうくみ太郎吉たらうきち、三五らうなど、内々ない〳〵彼方あちらがたになりたるも口惜くちをし、まつりは明後日あさつて、いよ〳〵かたいろえたらば、やぶれかぶれにあばれてあばれて、正太郎しようたらうつらきず一つ、れも片眼かため片足かたあしなきものとおもへばやすし、加擔人かたうど車屋くるまやうし元結もとゆひよりのぶん手遊屋おもちやゝ彌助やすけなどあらばけはるまじ、おゝそれよりはひとことひとこと藤本ふぢもとのならば智惠ちゑしてくれんと、十八にちくれれちかく、ものいへば眼口めくちにうるさきはらひて竹村たけむらしげき龍華寺りうげじ庭先にはさきから信如しんによ部屋へやへのそりのそりと、のぶさんるかとかほしぬ。

れのこと亂暴らんぼうだとひとがいふ、亂暴らんぼうかもれないが口惜くやしいこと口惜くやしいや、なあいてくれのぶさん、去年きよねんれがところ末弟すゑやつ正太郎組しようたらうぐみ短小野郎ちびやらう萬燈まんどうのたゝきひからはじまつて、れといふとやつ中間なかまがばらばらと飛出とびだしやあがつて、どうだらうちいさなもの萬燈まんどううちこわしちまつて、胴揚どうあげにしやがつて、やがれ横町よこてうのざまをと一にんがいふと、間拔まぬけのたかい大人おとなのやうなつらをして團子屋だんごや頓馬とんまが、かしらもあるものか尻尾しつぽ尻尾しつぽだ、ぶた尻尾しつぽだなんて惡口あくこうつたとさ、らあ其時そのとき束樣ぞくさまへねりんでたもんだから、あとでいたとき直樣すぐさまかへしにかうとつたら、親父とつさんにあたまから小言こゞとつて其時そのとき泣寢入なきねいり一昨年おととしはそらね、おまへつてるとほ筆屋ふでやみせ表町おもてまち若衆わかいしゆ寄合よりあつ茶番ちやばんなにかやつたらう、あのときいらがつたら、横町よこてう横町よこてう趣向しゆかうがありませうなんて、おつなことひやがつて、正太しようたばかりきやくにしたのもむねにあるわな、いくらかねるとつて質屋しちやのくづれの高利貸かうりかしなんたらさまだ、んなやついかしてくよりたゝきころすはう世間せけんのためだ、おいらあ今度こんどのまつりには如何どうしても亂暴らんぼう仕掛しかけとりかへしをけようとおもふよ、だからのぶさん友達ともだちがひに、れはおまへやだといふのもれてるけれども何卒どうぞれのかたつて、横町組よこてうぐみはじすゝぐのだから、ね、おい、本家本元ほんけほんもと唱歌しようかだなんて威張ゐばりおる正太郎しようたらうとつちめてれないか、れが私立しりつぼけ生徒せいとといはれゝばおまへこと同然どうぜんだから、後生ごせうだ、どうぞ、たすけるとおもつて大萬燈おほまんどう振廻ふりまわしておくれ、れはしんからそこから口惜くやしくつて、今度こんどけたら長吉ちようきち立端たちばいと無茶むちやにくやしがつて大幅おほはゞかたをゆすりぬ。だつてぼくよわいもの。よわくてもいよ。万燈まんどう振廻ふりまわせないよ。振廻ふりまわさなくてもいよ。ぼく這入はいるとけるがいかへ。けてもいのさ、れは仕方しかたいとあきめるから、おまへなにないでいからたゞ横町よこてうくみだといふで、威張ゐばつてさへれると豪氣がうぎ人氣じんきがつくからね、れは此樣こん無學漢わからづやだのにおまへもの出來できるからね、むかふのやつ漢語かんごなにかで冷語ひやかしでもつたら、此方こつち漢語かんごかへしておくれ、あゝ心持こゝろもちださつぱりしたおまへ承知しようちをしてくれゝばう千人力にんりきだ、のぶさんありがたうとつねやさしき言葉ことばいでるものなり。

にんは三じやくおびつツかけ草履ぞうり仕事師しごとし息子むすこ、一にんはかわいろ金巾かなきん羽織はをりむらさき兵子帶へこおびといふ坊樣仕立ぼうさましたておもことはうらはらに、はなしはつねちがひがちなれど、長吉ちようきち門前もんぜん産聲うぶごゑげしものと大和尚夫婦だいおしようふうふ贔屓ひゐきもあり、おな學校がくかうへかよへば私立しりつ私立しりつとけなされるもこゝろわるきに、元來ぐわんらい愛敬あいけうのなき長吉ちようきちなればこゝろから味方みかたにつくものもなきあはれさ、先方さき町内てうない若衆わかいしゆどもまで尻押しりおしをして、ひがみでは長吉ちようきちけをことつみ田中屋たなかやがたにすくなからず、かけてたのまれし義理ぎりとしてもやとはひかねて信如しんによれではおまへくみるさ、るといつたらうそいが、るべく喧嘩けんくわはうかちだよ、いよ〳〵先方さきりにたら仕方しかたい、なにいざとへば田中たなか正太郎位しようたらうぐらゐ小指こゆびさきさと、ちからいはわすれて、信如しんによつくえ引出ひきだしから京都きやうとみやげにもらひたる、小鍛冶こかぢ小刀こがたな取出とりだしてすれば、よくれそうだねへとのぞ長吉ちようきちかほ、あぶなし此物これ振廻ふりまわしてなることか。


(三)


かばあしにもとゞくべき毛髮かみを、あがりにかたくつめて前髮まへがみおほきくまげおもたげの、赭熊しやぐまといふおそろしけれど、此髷これ此頃このごろ流行はやりとて良家よきしゆ令孃むすめごあそばさるゝぞかし、色白いろしろ鼻筋はなすぢとほりて、くちもとはちいさからねどしまりたればみにくからず、一つ一つにとりたてゝは美人びじんかゞみとほけれど、ものいふこゑほそすゞしき、ひと愛嬌あいけうあふれて、のこなしの活々いき〳〵したるはこゝろよものなり、柿色かきいろ蝶鳥てうどりめたる大形おほがた浴衣ゆかたきて、黒襦子くろじゆす染分絞そめわけしぼりの晝夜帶ちうやおびむねだかに、あしにはぬり木履ぼくりこゝらあたりにもおほくはかけぬたかきをはきて、朝湯あさゆかへりに首筋くびすぢ白々しろ〴〵手拭てぬぐひさげたる立姿たちすがたを、いまねんのちたしとくるわがへりの若者わかものまをしき、大黒屋だいこくや美登利みどりとて生國せいこく紀州きしう言葉ことばのいさゝかなまれるも可愛かわゆく、だい一ははなれよき氣象きしやうよろこばぬひとなし、子供こども似合にあは銀貨ぎんくわれのおもきも道理だうりあねなるひと全盛ぜんせい餘波なごりいては遣手新造やりてしんぞあねへの世辭せじにも、いちやん人形にんげうをおひなされ、これはほんの手鞠代てまりだいと、れるにおんせねばもらありがたくもおぼえず、まくはまくは、同級どうきう女生徒ぢよせいと二十にんそろひのごむまりあたへしはおろかのこと馴染なじみふでやにたなざらしの手遊てあそびかひしめて、よろこばせしこともあり、さりとは日々にち〳〵夜々や〳〵散財さんざい此歳このとしこの身分みぶんにてかなふべきにあらず、すゑなにとなるぞ、兩親れうしんありながら大目おほめてあらきことばをかけたることく、ろうあるじ大切たいせつがる樣子さまあやしきに、けば養女やうぢよにもあらず親戚しんせきにてはもとよりく、あねなるひと身賣みうりの當時たうじ鑑定めきゝたりしろうあるじさそひにまかせ、此地このち活計たつきもとむとて親子おやこ三人みたり旅衣たびごろも、たちいでしは此譯このわけ、それよりおくなになれや、いまりようのあづかりをしてはゝ遊女ゆうぢよ仕立物したてものちゝ小格子こがうし書記しよきりぬ、此身このみ遊藝ゆうげい手藝學校しゆげいがくかうにもかよはせられて、そのほうはこゝろのまゝ、半日はんにちあね部屋へや半日はんにちまちあそんでくは三味さみ太皷たいこにあけむらさきのなりかたち、はじめ藤色絞ふぢいろしぼりの半襟はんゑりあはせにかけてるきしに、田舍物いなかものいなかもの町内てうないむすめどもにわらはれしを口惜くやしがりて、三きつゞけしことありしが、いまれより人々ひと〴〵あざけりて、野暮やぼ姿すがたうちつけのにくまれぐちを、かへすものもりぬ。二十日はおまつりなればこゝろ一ぱい面白おもしろことをしてと友達ともだちのせがむに、趣向しゆこうなになりと各自めい〳〵工夫くふうして大勢おほぜいこといではいか、幾金いくらでもいゝわたしすからとてれいとほ勘定かんでうなしの引受ひきうけに、子供中間こどもなかま女王樣又によわうさまゝたとあるまじきめぐみは大人おとなよりもきがはやく、茶番ちやばんにしよう、何處どこのかみせりて往來わうらいからえるやうにしてと一人ひとりへば、馬鹿ばかへ、れよりはお神輿みこしをこしらへておれな、蒲田屋かばたやおくかざつてあるやうな本當ほんたうのを、おもくてもかまいはしない、やつちよいやつちよいわけなしだと鉢卷はちまきする男子をとこのそばから、れではわたしたちがつまらない、みんなさわぐをるばかりでは美登利みどりさんだとて面白おもしろくはあるまい、なんでもおまへものにおしよと、おんなの一むれはまつりをきに常盤座ときはざをと、いたげの口振くちぶりをかし、田中たなか正太しようた可愛かわいらしいをぐるぐるとうごかして、幻燈げんとうにしないか、幻燈げんとうに、れのところにもすこしはるし、たりりないのを美登利みどりさんにつてもらつて、ふでやのみせらうではいか、れがうつ横町よこちやうの三五ろう口上こうじようはせよう、美登利みどりさんれにしないかとへば、あゝれは面白おもしろからう、三ちやんの口上こうじようならばれもわらはずにはられまい、ついでにあのかほがうつるとなほおもしろいと相談さうだんはとゝのひて、不足ふそくしな正太しようた買物役かいものやくあせりてまわるもをかしく、いよ〳〵明日あすりては横町よこちやうまでも其沙汰そのさたきこえぬ。


(四)


つやつゝみのしらべ、三味さみ音色ねいろことかゝぬ塲處ばしよも、まつりは別物べつものとりいちけては一ねんにぎはひぞかし、三島みしまさま小野照をのてるさま、お隣社となりづからけまじのきそこゝろをかしく、横町よこてうおもてそろひはおな眞岡木綿まおかもめん町名ちやうめうくづしを、去歳こぞよりはからぬかたをつぶやくもりし、くちなしそめあさだすきるほどふときをこのみて、十四五より以下いかなるは、達磨だるま木兎みゝづくいぬはり、さま〴〵の手遊てあそび數多かずおほきほど見得みゑにして、七つ九つ十一つくるもあり、大鈴おほすゞ小鈴こすゞ背中せなかにがらつかせて、足袋たびはだしのいさましく可笑をかし、むれれをはなれて田中たなか正太しようた赤筋入あかすぢいりの印半天しるしばんてん色白いろじろ首筋くびすぢこんはらがけ、さりとはなれぬ扮粧いでだちとおもふに、しごいてめしおび水淺黄みづあさぎも、よや縮緬ちりめん上染じやうぞめえりしるしのあがりも際立きわだちて、うしろ鉢卷はちまきに山車だしはな革緒かわを雪駄せつたおとのみはすれど、馬鹿ばかばやしの中間なかまにはらざりき、夜宮よみやことなくぎて今日けふにちゆふぐれ、ふでやがみせ寄合よりあひしは十二にん、一にんかけたる美登利みどり夕化粧ゆふげしやうながさに、だかだかと正太しようたかどりつして、んでい三五らう、おまへはまだ大黒屋だいこくやりようつたことがあるまい、庭先にはさきから美登利みどりさんとへばきこえるはづはやく、はやくとふに、れならばれがんでる、萬燈まんどう此處こゝへあづけてけばれも蝋燭ろうそくぬすむまい、正太しようたさんばんをたのむとあるに、吝嗇けちやつめ、其手間そのてまはやけととししたにかられて、おつとたさの次郎左衞門じろざゑもんいまとかけして韋駄天いだてんとはこれをや、あれびやうが可笑をかしいとて見送みおくりし女子おなごどものわらふも無理むりならず、よこぶとりしてひくゝ、つむりなり才槌さいづちとてくびみぢかく、ふりむけてのおもてれば出額でびたい獅子鼻しゝばな反齒そつぱの三五らうといふ仇名あだなおもふべし、いろろんなくくろきに感心かんしんなはつき何處どこまでもおどけてれうほうくぼの愛敬あいけうかくしの福笑ふくわらひにるやうなまゆのつきかたも、さりとはをかしくつみなり、ひんなれや阿波あわちゞみの筒袖つゝそでれはそろひがはなんだとらぬともにはふぞかし、れをかしらに六にん子供こどもを、やしおや轅棒かぢぼうにすがるなり、五十けんによき得意塲とくいばもちたりとも、内證ないしようくるま商賣しようばいものゝほかなればせんなく、十三になれば片腕かたうで一昨年おとゝしより並木なみき活版所かつぱんじよへもかよひしが、怠惰なまけものなれば十日とうか辛棒しんぼうつゞかず、一トつきおなしよくくて霜月しもつきよりはるへかけては突羽根つくばね内職ないしよくなつ檢査塲けんさば氷屋こほりや手傳てつだひして、呼聲よびごゑをかしくきやくくに上手じやうずなれば、ひとには調法てうはうがられぬ、去年こぞ仁和賀にわか臺引だいひきにいでしより、友達ともだちいやしがりて萬年町まんねんちやう呼名よびないまのこれども、三五らうといへば滑稽者おどけもの承知しやうちしてくむものなききも一とくなりし、田中屋たなかやいのちつな親子おやこかうむる御恩ごおんすくなからず、日歩ひぶとかやひて利金りきんやすからぬりなれど、これなくてはの金主樣きんしゆさまあだにはおもふべしや、三こうれがまちあそびにいとばれてやとははれぬ義理ぎりあり、されどもれは横町よこてううまれて横町よこてうそだちたる地處ぢしよ龍華寺りうげじのもの、家主いゑぬし長吉ちようきちおやなれば、おもてむき彼方かなたそむことかなはず、内々ない〳〵此方こちようをたして、にらまるゝとき役廻やくまわりつらし。正太しようたふでやのみせこしをかけて、のつれ〴〵にしの戀路こひぢ小聲こゞゑにうたへば、あれ由斷ゆだんがならぬと内儀かみさまにわらはれて、なにがなしにみゝあかく、まぢくないの高聲たかごゑみんないとよびつれておもて出合頭であいがしら正太しようた夕飯ゆふめしなぜべぬ、あそびにほうけて先刻さつきにからぶをもらぬか、誰樣どなたまたのちほどあそばせてくだされ、これは御世話おせわふでやのつまにも挨拶あいさつして、祖母ばゝみづからのむかひに正太しようたいやがはれず、そのまゝれてかへらるゝあとはにはかにさびしく、人數にんずのみかはらねどえねば大人おとなまでもさびしい、馬鹿ばかさわぎもせねば串談じやうだんも三ちやんのやうではけれど、人好ひとずきのするは金持かねもち息子むすこさんにめづらしい愛敬あいけうなん御覽ごらんじたか田中屋たなかや後家ごけさまがいやらしさを、あれでとしは六十四、白粉おしろいをつけぬがめつけものなれど丸髷まるまげおほきさ、ねこなでごゑしてひとぬをもかまはず、大方おほかた臨終おしまいかね情死しんじうなさるやら、れでも此方こちどものつむりあがらぬはもの御威光ごいくわう、さりとはしや、廓内なかおほきいうちにも大分だいぶ貸付かしつけがあるらしうきましたと、大路おほぢちて二三にん女房にようぼうよその財産たからかぞへぬ。


(五)


につらき夜半よは置炬燵おきごたつ、それはこひぞかし、吹風ふくかぜすゞしきなつゆふぐれ、ひるのあつさを風呂ふろながして、じまいの姿見すがたみ母親はゝおやづからそゝけがみつくろひて、ながらうつくしきをちて首筋くびすぢうすかつたとなほぞいひける、單衣ひとへ水色友仙みづいろゆうぜんすゞしげに、白茶金しらちやきんらんの丸帶まるおびすこはゞせまいをむすばせて、庭石にはいし下駄げだなほすまでときうつりぬ。まだかまだかとへいまわりを七まわり、欠伸あくびかずきて、はらふとすれど名物めいぶつ首筋くびすぢひたいぎわしたゝかさゝれ、三五らうよわりきるとき美登利みどり立出たちいでゝいざとふに、此方こなた言葉ことばもなくそでとらへてせば、いきがはづむ、むねいたい、そんなにいそぐならば此方こちらぬ、おまへ一人ひとりでおいでおこられて、わかわかれの到着とうちやくふでやのみせとき正太しようた夕飯ゆふめし最中もなかとおぼえし。あゝ面白おもしろくない、おもしろくない、ひとなければ幻燈げんとうをはじめるのもいや伯母おばさん此處こゝうち智惠ちゑいたりませぬか、十六武藏むさしでもなんでもよい、ひまこまると美登利みどりさびしがれば、れよと即坐そくざはさみりて女子おなごづれは切拔きりぬきにかゝる、をとこは三五らうなか仁和賀にわかのさらひ、北廓ほくくわく全盛ぜんせいわたせば、のき提燈ちようちん電氣燈でんきとう、いつもにぎはふ五てうまち、と諸聲もろごゑをかしくはやしつるに、記憶おぼえのよければ去年こぞ一昨年おととしとさかのぼりて、手振てぶり手拍子てびやうしひとつもかはことなし、うかれたちたる十にんあまりのさわぎなれば何事なにごとかどたちちて人垣ひとがきをつくりしなかより。三五らうるか、一寸ちよつときてくれ大急おほいそぎだと、文次ぶんじといふ元結もとゆひよりのよぶに、なん用意よういもなくおいしよ、よしきたがるに敷居しきゐとびこゆるときこの二タまた野郎やらう覺悟かくごをしろ、横町よこてうつらよごしめたゞかぬ、だれだとおも長吉ちようきちなまふざけた眞似まねをして後悔こうくわいするなと頬骨ほうぼねうち、あつと魂消たまげ逃入にげいゑりがみを、つかんで引出ひきだ横町よこてうの一むれ、それ三五らうをたゝきころせ、正太しようた引出ひきだしてやつて仕舞しまへ、弱虫よはむしにげるな、團子屋だんごや頓馬とんまたゞおかぬとうしほのやうにわきかへるさわぎ、筆屋ふでやのき掛提燈かけぢようちんもなくたゝきおとされて、つりらんぷあぶなし店先みせさき喧嘩けんくわなりませぬと女房にようぼうわめきもきかばこそ、人數にんず大凡おほよそ十四五にん、ねぢ鉢卷はちまき大萬燈おほまんどうふりたてゝ、あたるがまゝの亂暴狼藉らんぼうらうぜき土足どそく踏込ふみこ傍若無人ぼうじやくぶじんざすかたき正太しようたえねば、何處どこかくした、何處どこげた、さあはぬか、はぬか、はさずにおくものかと三五らうとりこめてつやらるやら、美登利みどりくやしくめるひときのけて、これおまへがたは三ちやんになんとががある、正太しようたさんと喧嘩けんくわがしたくば正太しようたさんとしたがい、げもせねばくしもしない、正太しようたさんはぬではいか、此處こゝわたしあそどころ、おまへがたにゆびでもさゝしはせぬ、ゑゝくらしい長吉ちようきちめ、三ちやんを何故なぜぶつ、あれまたひきたほした、意趣いしゆがあらばわたしをおち、相手あいてにはわたしがなる、伯母おばさんめずにくだされともだへしてのゝしれば、なに女郎じよらう頬桁ほうげたたゝく、あねあとつぎの乞食こじきめ、手前てめへ相手あいてにはこれが相應さうおうだと多人數おほくのうしろより長吉ちようきち泥草鞋どろざうりつかんでなげつければ、ねらひたがはず美登利みどり額際ひたいぎはにむさきものしたゝか、血相けつさうかへてたちあがるを、怪我けがでもしてはときとむる女房にようぼう、ざまをろ、此方こつちには龍華寺りうげじ藤本ふぢもとがついてるぞ、かへしには何時いつでもい、薄馬鹿野郎うすばかやらうめ、弱虫よはむしめ、こしぬけの活地いくぢなしめ、かへりには待伏まちぶせする、横町よこてうやみをつけろと三五らう土間どま投出なげだせば、をりから靴音くつおとたれやらが交番かうばんへの注進ちうしんいまぞしる、それと長吉ちようきちこゑをかくれば丑松うしまつ文次ぶんじそのの十餘人よにん方角はうがくをかへてばら〳〵と逃足にげあしはやく、㧞けうら露路ろぢにかゞむもるべし、口惜くやしいくやしい口惜くやしい口惜くやしい、長吉ちようきち文次ぶんじ丑松うしまつめ、なぜれをころさぬ、ころさぬか、れも三五らうたゞぬものか、幽靈ゆうれいになつても取殺とりころすぞ、おぼえて長吉ちようきちめと湯玉ゆだまのやうななみだをはら〳〵、はては大聲おほごゑにわつといだす、身内みうちいたからん筒袖つゝそで處々ところ〴〵ひきさかれて背中せなかこしすなまぶれ、めるにもめかねていきほひのすさまじさにたゞおど〳〵とまれし、ふでやの女房にようぼうはしりてきおこし、背中せなかをなですなはらひ、堪忍かんにんをし、堪忍かんにんをし、なんおもつても先方さき大勢おほぜい此方こつちみなよわいものばかり、大人おとなでさへしかねたにかなはぬはれてる、れでも怪我けがのないは仕合しあはせ此上このうへ途中とちうまちぶせがあぶない、さいはひの巡査おまわりさまにうちまでいたゞかば我々われ〳〵安心あんしん此通このとほりの子細しさい御座ござりますゆゑすぢをあら〳〵をりからの巡査じゆんさかたれば、職掌しよくしようがらいざおくらんとらるゝに、いゑ〳〵おくつてくださらずともかへります、一人ひとりかへりますとちいさくるに、こりやこわことい、其方そちらうちまでおくぶんこと心配しんぱいするなと微笑びしようふくんでつむりでらるゝに彌々いよ〳〵ちゞみて、喧嘩けんくわをしたとふと親父とつさんにかられます、かしらうち大屋おほやさんで御座ござりますからとてしほれるをすかして、さらば門口かどぐちまでおくつてる、からるゝやうのことぬわとてれらるゝに四隣あたりひとむねでゝはるかに見送みおくれば、なにとかしけん横町よこてうかどにて巡査じゆんさをばふりはなして一目散もくさんげぬ。


(六)


めづらしいこと此炎天このえんてんゆきりはせぬか、美登利みどり學校がくかうやがるはよく〳〵の不機嫌ふきげん朝飯あさはんがすゝまずば後刻のちかたやすけでもあつらへようか、風邪かぜにしてはねつければ大方おほかたきのふのつかれとえる、太郎樣たらうさまへの朝參あさまゐりはかゝさんが代理だいりしてやれば御免ごめんこふむれとありしに、いゑ〳〵ねえさんの繁昌はんじようするやうにとわたしぐわんをかけたのなれば、まゐらねばまぬ、お賽錢さいせんくだされつてますといへして、中田圃なかたんぼ稻荷いなり鰐口わにぐちならしてあはせ、ねがひはなにきもかへりもくびうなだれて畔道あぜみちづたひかへ美登利みどり姿すがた、それととほくよりこゑをかけ、正太しようたはかけりてたもとおさへ、美登利みどりさん昨夕ゆふべ御免ごめんよと突然だしぬけにあやまれば、なにもおまへ謝罪わびられることい。れでもれがくまれて、れが喧嘩けんくわ相手あいてだもの、お祖母ばあさんがびにさへなければかへりはしない、そんなに無暗むやみに三五らうをもたしはしなかつたものを、今朝けさ三五らうところつたら、彼奴あいついて口惜くやしがつた、れはいてさへ口惜くやしい、おまへかほ長吉ちようきち草履ざうりげたとふではいか、野郎やらう亂暴らんぼうにもほどがある、だけれど美登利みどりさん堪忍かんにんしておれよ、れはりながらげてたのではい、めし掻込かつこんでおもてやうとするとお祖母ばあさんがおくといふ、留守居るすゐをしてるうちのさわぎだらう、本當ほんたうらなかつたのだからねと、つみのやうにひらあやまりに謝罪あやまつて、いたみはせぬかと額際ひたいぎわあげれば、美登利みどりにつこりわらひてなに負傷けがをするほどではい、れだがしようさんれがいてもわたし長吉ちようきち草履ざうりげられたとつてはいけないよ、もし萬一ひよつとつかさんがきでもするとわたしかられるから、おやでさへつむりはあげぬものを、長吉ちようきちづれが草履ざうりどろひたいにぬられてはまれたもおなじだからとて、そむけるかほのいとをしく、本當ほんと堪忍かんにんしておくれ、みんなれがるい、だからあやまる、機嫌きげんなほしてれないか、おまへおこられるとれがこまるものをとはなしつれて、いつしか我家わがや裏近うらちかれば、らないか美登利みどりさん、れもはしない、祖母おばあさんもがけをあつめにたらうし、ればかりでさびしくてならない、いつかはなした錦繪にしきゑせるからおりな、種々いろ〳〵のがあるからとそでらへてはなれぬに、美登利みどり無言むごんにうなづいて、びた折戸をりど庭口にはぐちよりれば、ひろからねども、はちものをかしくならびて、のきにつり忍艸しのぶ、これは正太しようたうま買物かひものえぬ、理由わけしらぬひと小首こくびやかたぶけん。町内てうない一の財産家ものもちといふに、家内かない祖母ばゞ此子これこ二人ふたりよろづかぎ下腹したはらえて留守るす見渡みわたしの總長屋そうながや流石さすが錠前でうまへくだくもあらざりき、正太しようたさきへあがりて風入かぜいりのよき塲處ところたてゝ、此處こゝぬかと團扇うちわあつかひ、十三の子供こどもにはませぎてをかし。ふるくよりもちつたへし錦繪にしきゑかず〳〵取出とりいだし、めらるゝをうれしく美登利みどりさんむかしの羽子板はごいたせよう、これはれのかゝさんがおやしき奉公ほうこうしてころいたゞいたのだとさ、をかしいではいかこのおほきいことひとかほいまのとはちがふね、あゝ此母このかゝさんがきてるといが、れが三つのとしんで、おとつさんはるけれど田舍いなか實家じつかかへつて仕舞しまつたからいま祖母おばあさんばかりさ、おまへ浦山うらやましいねと無端そゞろおやことせば、それがぬれる、をとこものではいと美登利みどりはれて、れはよわいのかしら、時々とき〴〵種々いろ〳〵ことおもすよ、まだ今時分いまじぶんいけれど、ふゆ月夜つきよなにかに田町たまちあたりをあつめにまわると土手どてまで幾度いくどいたことがある、なにさむいくらゐきはしない、何故なぜだか自分じぶんらぬが種々いろ〳〵ことかんがへるよ、あゝ一昨年おととしかられもがけのあつめにまわるさ、祖母おばあさんは年寄としよりだからそのうちにもるはあぶないし、るいから印形いんげうおしたりなにかに不自由ふじゆうだからね、いままで幾人いくたりをとこ使つかつたけれど、老人としより子供こどもだから馬鹿ばかにしておもふやうにはうごいてれぬと祖母おばあさんがつてたつけ、れがすこ大人おとなると質屋しちやさして、むかしのとほりでなくとも田中屋たなかや看板かんばんをかけるとたのしみにしてるよ、他處よそひと祖母おばあさんをけちだとふけれど、れのため儉約つましくしてれるのだからどくでならない、集金あつめくうちでも通新町とほりしんまちなにかに隨分ずいぶん可愛想かあいさうなのがるから、さぞ祖母ばあさんをるくいふだらう、れをかんがへるとれはなみだがこぼれる、矢張やつぱよわいのだね、今朝けさも三こううちりにつたら、やつ身體からだいたくせ親父おやぢらすまいとしてはたらいてた、れをたられはくちけなかつた、をとこくてへのは可笑をかしいではいか、だから横町よこてう野蕃漢じやがたら馬鹿ばかにされるのだとひかけてよわいをはづかしさうな顏色かほいろ何心なにごゝろなく美登利みどり見合みあはつまの可愛かわゆさ。おまへまつり姿なり大層たいそうよく似合にあつて浦山うらやましかつた、わたしをとこだとんなふうがしてたい、れのよりもえたとめられて、なんれなんぞ、おまへこそうつくしいや、廓内なか大卷おほまきさんよりも奇麗きれいだとみんながいふよ、おまへあねであつたられは何樣どんな肩身かたみひろかろう、何處どこへゆくにも追從ついつて大威張おほゐばりに威張ゐばるがな、一人ひとり兄弟けうだいいから仕方しかたい、ねへ美登利みどりさん今度こんどしよ寫眞しやしんらないか、れはまつりのとき姿なりで、おまへ透綾すきやのあらじま意氣いきなりをして、水道尻すいだうじり加藤かとうでうつさう、龍華寺りうげじやつ浦山うらやましがるやうに、本當ほんたうだぜ彼奴あいつ屹度きつとおこるよ、眞青まつさきつておこるよ、にゑかんだからね、あかくはならない、れともわらふかしら、わらはれてもかまはない、おほきくつて看板かんばんたらいな、おまへやかへ、やのやうなかほだものとうらめるもをかしく、へんかほにうつるとおまへきららはれるからとて美登利みどりふきして、高笑たかわらひの美音びをん御機嫌ごきげんなほりし。

朝冷あさすゞはいつしかぎてかげのあつくなるに、正太しようたさんまたばんによ、わたしりようへもあそびにおでな、燈籠とうろうながして、おさかなひますよ、いけはしなほつたればこはこといとてに立出たちいで美登利みどり姿すがた正太しようたうれしげに見送みおくつてうつくしとおもひぬ。


(七)


龍華寺りうげじ信如しんによ大黒屋だいこくや美登利みどり二人ふたりながら學校がくこう育英舍いくえいしやなり、りし四ぐわつすゑつかた、さくらりて青葉あをばのかげにふぢ花見はなみといふころ春季しゆんき大運動會だいうんどうくわいとてみづはらにせしことありしが、つなひきまりなげ、なわとびのあそびにきやうをそへてながるゝをわすれし、其折そのをりこととや、信如しんによいかにしたるか平常へいぜい沈着おちつきず、いけのほとりのにつまづきて赤土道あかつちみちをつきたれば、羽織はをりたもとどろりてにくかりしを、あはせたる美登利みどりみかねてくれないきぬはんけちを取出とりいだし、これにておきなされと介抱かいほうをなしけるに、友達ともだちなかなる嫉妬やきもちつけて、藤本ふぢもと坊主ぼうずのくせにをんなはなしをして、うれしさうにれいつたは可笑をかしいではいか、大方おほかた美登利みどりさんは藤本ふぢもと女房かみさんになるのであらう、おてら女房かみさんなら大黒だいこくさまとふのだなどゝ取沙汰とりさたしける、信如しんによ元來ぐわんらいかゝることひとうへくもきらひにて、にがかほをしてよこたちなれば、こととして我慢がまんのなるべきや、れよりは美登利みどりといふくごとにおそろしく、またあのことすかとむねなかもやくやして、なにともはれぬやな氣持きもちなり、さりながらことごとにおこりつけるわけにもゆかねば、るだけはらぬていをして、平氣へいきをつくりて、むづかしきかほをしてぎるこゝろなれど、さしむかひてものなどをはれたるとき當惑たうわくさ、大方おほかたりませぬの一トことにてませど、くるしきあせうちにながれてこゝろぼそきおもひなり、美登利みどりはさることこゝろにとまらねば、最初はじめ藤本ふぢもとさん藤本ふぢもとさんとしたしくものいひかけ、學校がくかう退けてのかへりがけに、れは一あしはやくて道端みちばためづらしきはななどをつくれば、おくれし信如しんによ待合まちあはして、これ此樣こんなうつくしいはなさいてあるに、えだたかくてわたしにはれぬ、のぶさんはせいたかければおとどきましよ、後生ごせうつてくだされと一むれのなかにては年長としかさなるをつけてたのめば、流石さすが信如しんによそでふりりてゆきすぎることもならず、さりとてひとおもはくいよ〳〵らければ、手近てぢかえだ引寄ひきよせて好惡よしあしかまはず申譯まうしわけばかりにりて、なげつけるやうにすたすたと行過ゆきすぎるを、さりとは愛敬あいきやうひとあきれしことありしが、たびかさなりてのすゑにはおのづか故意わざと意地惡いぢわるのやうにおもはれて、ひとにはもなきにれにばかりらき處爲しうちをみせ、ものへばろく返事へんじしたことなく、そばへゆけばげる、はなしをればおこる、陰氣いんきらしいのつまる、どうしていやら機嫌きげんりやうもい、のやうなこ六づかしやはおもひのまゝにひねれておこつて意地いぢはるがたいならんに、友達ともだちおもはずはくちくもらぬこと美登利みどりすこかんにさはりて、ようければちがふてもものいふたことなく、途中とちうひたりとて挨拶あいさつなどおもひもかけず、たゞいつとなく二人ふたりなか大川おほかわ一つよこたはりて、ふねいかだ此處こゝには御法度ごはつときしふておもひおもひのみちをあるきぬ。

まつりは昨日きのふぎてそのあくるより美登利みどり學校がくかうかよことふつとあとたえしは、ふまでもひたいどろあらふてもえがたき恥辱ちゞよくを、にしみて口惜くやしければぞかし、表町おもてまちとて横町よこちやうとておな教塲けうじやうにおしならべば朋輩ほうばいかわりははづを、をかしきへだてと常日頃つねひごろ意地いぢち、れはをんなの、とてもかなひがたき弱味よわみをば付目つけめにして、まつりの處爲しうちはいかなる卑怯ひきやうぞや、長吉ちやうきちのわからずやはれも亂暴らんぼううへなしなれど、信如しんによしりおしくはれほどにおもりて表町おもてまちをばあらじ、人前ひとまへをば物識ものしりらしく温順すなほにつくりて、かげまわりて機械からくりいとひききしは藤本ふぢもと仕業しわざきはまりぬ、よしきううへにせよ、もの出來できるにせよ、龍華寺りうげじさまの若旦那わかだんなにせよ、大黒屋だいこくや美登利みどりかみまいのお世話せわにもあづからぬものを、あのやうに乞食こじきよばはりしてもらおんし、龍華寺りうげじどれほど立派りつぱ檀家だんかありとらねど、わがあねさま三ねん馴染なじみ銀行ぎんこう川樣かわさま兜町かぶとちやう米樣よねさまもあり、議員ぎいん短小ちいさま根曳ねびきしておくさまにとおほせられしを、心意氣氣こゝろいきゝらねばあねさまきらひておけはせざりしが、かたとてもには名高なだかきおひと遣手衆やりてしゆはれし、うそならばいてよ、大黒だいこくやに大卷おほまきずばいゑやみとかや、さればおみせ旦那だんなとてもとゝさんかゝさんをも粗略そりやくにはあそばさず、常々つね〳〵大切たいせつがりてとこにおへなされし瀬戸物せともの大黒樣たいこくさまをば、れいつぞや坐敷ざしきなかにて羽根はねつくとてさわぎしときおなじくならびし花瓶はないけたほし、散々さん〴〵破損けがをさせしに、旦那だんなつぎ御酒ごしゆめしあがりながら、美登利みどり轉婆てんばぎるのとはれしばかり小言こゞとかりき、ほかひとならば一とほりのおこりではるまじと、女子衆達をんなしゆたちにあと〳〵までうらやまれしも必竟ひつきやうあねさまの威光いくわうぞかし、寮住居りようずまいひと留守居るすいはしたりともあね大黒屋だいこくや大卷おほまき長吉風情ちやうきちふぜいけをるべきにもあらず、龍華寺りうげじぼうさまにいぢめられんは心外しんぐわいと、これより學校がくかうかよことおもしろからず、わがまゝの本性ほんせうあなどられしが口惜くやしさに、石筆せきひつすみをすて、書物ほん十露盤そろばんらぬものにして、なかよきともらちあそびぬ。


(八)


はしばせのゆふべにひきかへて、けのわかれにゆめをのせくるまさびしさよ、帽子ぼうしまぶかに人目ひとめいと方樣かたさまもあり、手拭てぬぐひとつてほうかぶり、彼女あれわかれに名殘なごりの一うち、いたさにしみておもすほどうれしく、うす氣味きみわるやにたにたのわらがほ坂本さかもといでては用心ようじんたま千住せんじゆがへりの青物車あをものぐるまにお足元あしもとあぶなし、三島樣しまさまかどまでは氣違きちが街道かいだう御顏おんかほのしまりいづれもるみて、はゞかりながら御鼻おんばなしたなが〳〵とえさせたまへば、そんじよ其處そこらにたいした御男子樣ごなんしさまとて、分厘ふんりん價値ねうちしと、つぢちて御慮外ごりよぐわいまをすもありけり。楊家やうかむすめ君寵くんちようをうけてと長恨歌ちようごんか引出ひきいだすまでもなく、むすめ何處いづこにも貴重きちようがらるゝころなれど、このあたりの裏屋うらやより赫奕姫かくやひめうまるゝことそのれいおほし、築地つきぢ某屋それやいまうつして御前ごぜんさまがた御相手をんあいておどりにみやうゆきといふ美形びけい唯今たゞいまのお座敷ざしきにておこめのなりますはと至極しごくあどけなきことまをすとも、もとは此所こゝ卷帶黨まきおびづれにてはながるたの内職ないしよくせしものなり、評判ひやうばん其頃そのころたかるもの日々ひゞうとければ、名物めいぶつ一つかげをして二はな紺屋こうや乙娘おとむすめいま千束町せんぞくまちしんつた御神燈ごじんとうほのめかして、小吉こきちばるゝ公園こうえん尤物まれもの根生ねをひはおな此處こゝ土成つちなりし、あけくれのうはさにも御出世ごしゆつせといふはをんなかぎりて、をとこ塵塚ちりづかさがす黒斑くろぶちの、ありてようなきものともゆべし、此界隈このかいわいわかしゆばるゝ町並まちなみ息子むすこ生意氣なまいきざかりの十七八より五にんぐみにんぐみこししやく八の伊達だてはなけれど、なんとやらいかめしき親分おやぶん手下てかにつきて、そろひのぬぐひ長提燈ながてうちんさいころことおぼえぬうちは素見ひやかし格子先かうしさきおもつての串談じようだんひがたしとや、眞面目まじめにつとむる家業かげうひるのうちばかり、一風呂ふろびてれゆけばつきかけ下駄げたに七五三の着物きもの何屋なにやみせ新妓しんこたか、金杉かなすぎ糸屋いとやむすめう一ばいはながひくいと、頭腦あたまなか此樣こんことにこしらへて一けんごとの格子かうし烟草たばこ無理むりどり鼻紙はながみ無心むしんちつたれつれを一ほまれ心得こゝろゑれば、堅氣かたぎいゑ相續息子そうぞくむすこ地廻ぢまわりと改名かいめいして、大門際おほもんぎわ喧嘩けんくわかひとるもありけり、よや女子をんな勢力いきほひはぬばかり、春秋はるあきしらぬ五丁町てうまちにぎわひ、おくりの提燈かんばんいま流行はやらねど、茶屋ちやゝ廻女まわし雪駄せつたのおとにひゞかよへる歌舞音曲かぶおんぎよくうかれうかれて入込いりこひとなに目當めあて言問ことゝはゞ、あかゑり赭熊しやぐま裲襠うちかけすそながく、につとわら口元くちもともと、何處どこいともまをしがたけれど華魁衆おいらんしゆとて此處こゝにてのうやまひ、たちはなれてはるによしなし、かゝるなかにて朝夕あさゆふごせば、きぬ白地しらぢべにこと無理むりならず、美登利みどりなかをとこといふものさつてもこわからずおそろしからず、女郎ぢよらうといふものさのみいやしきつとめともおもはねば、ぎし故郷こけふ出立しゆつたつ當時たうじないてあねをばおくりしことゆめのやうにおもはれて、今日此頃けふこのごろ全盛ぜんせい父母ふぼへの孝養こうよううらやましく、おしよくとほあねの、いのらいのかずらねば、まちびとふるねづみなき格子かうし呪文じゆもんわかれの背中せな手加减てかげん秘密おくまで、たゞおもしろくきゝなされて、くるわことばをまちにいふまでりとははづかしからずおもへるもあはれなり、としはやう〳〵かぞへの十四、人形にんげういてほうずりするこゝろ御華族ごくわぞくのお姫樣ひめさまとてかはりなけれど、修身しうしん講義こうぎ家政學かせいがくのいくたてもまなびしは學校がくかうにてばかり、まことあけくれみゝりしはいたかぬのきやく風説うはさ仕着しき夜具やぐ茶屋ちやゝへのゆきわたり、派手はで美事みごとに、かなはぬはすぼらしく、人事ひとごと我事わがこと分別ふんべつをいふはまだはやし、おさなごゝろまへはなのみはしるく、もちまへのけじ氣性ぎせう勝手かつてまわりてくものやうなかたちをこしらへぬ、氣違きちが街道かいだうぼけみちあさがへりの殿とのがた一じゆんすみて朝寢あさねまちかど箒目はゝきめ青海波せいがいはをゑがき、打水うちみづよきほどにみし表町おもてまちとほりを見渡みわたせば、るはるは、萬年町まんねんてう山伏町やまぶしてう新谷町しんたにまちあたりをねぐらにして、一のうじゆつこれも藝人げいにんはのがれぬ、よか〳〵あめ輕業師かるわざし人形にんげうつかひ大神樂だいかぐら住吉すみよしをどりに角兵衞獅子かくべいじゝ、おもひおもひの扮粧いでたちして、縮緬ちりめん透綾すきや伊達だてもあれば、薩摩さつまがすりのあら黒繻子くろじゆす幅狹帶はゞせまおび、よきをんなもありをとこもあり、五にんにんにんくみおほたむろもあれば、一にんさびしき老爺おやぢ三味線ざみせんかゝへてくもあり、六つ五つなるをんな赤襻あかだすきさせて、あれはくにおどらするもゆ、お顧客とくい廓内かくないつゞけきやくのなぐさみ、女郎ぢよろうらし、彼處かしこ生涯せうがいやめられぬ得分とくぶんありとられて、るもるも此處こゝらのまちこまかしきもらひをこゝろめず、すそ海草みるめのいかゞはしき乞食こじきさへかどにはたず行過ゆきすぎるぞかし、容貌きりようよき女太夫をんなだゆうかさにかくれぬゆかしのほうせながら、喉自慢のどじまん腕自慢うでじまん、あれこゑ此町このまちにはかせぬがくしとふでやの女房にようぼうしたうちしてへば、店先みせさきこしをかけて往來ゆきゝながめしがへりの美登利みどり、はらりとさが前髮まへがみ黄楊つげ鬂櫛びんぐしにちやつときあげて、伯母をばさんあの太夫たゆうさんんでませうとて、はたはたけよつてたもとにすがり、れし一しなれにもわらつてげざりしがこのみの明烏あけがらすさらりとうたはせて、また御贔負ごひいきをの嬌音きやうおんこれたやすくはひがたし、れが子供こども處業しわざかと寄集よりあつまりしひとしたいて太夫たゆうよりは美登利みどりかほながめぬ、伊達だてにはとほるほどの藝人げいにん此處こゝにせきめて、三味さみふゑ太皷たいこ、うたはせてはせてひとことしてたいとをりふし正太しようたさゝやいてかせれば、おどろいてあきれておいらはやだな。


(九)


如是我聞によぜがもん佛説阿彌陀經ぶつせつあみだけうこゑ松風まつかぜくわしてこゝろのちりも吹拂ふきはらはるべき御寺樣おんてらさま庫裏くりより生魚なまうをあぶるけぶなびきて、卵塔塲らんたうば嬰兒やゝ襁褓むつきほしたるなど、お宗旨しうしによりてかまひなきことなれども、法師はうしのはしと心得こゝろゑたるよりは、そゞろになまぐさおぼゆるぞかし、龍華寺りうげじ大和尚だいおしよう身代しんだいともふとりたるはらなり如何いかにも美事みごとに、いろつやのきこと如何いかなる言葉ことばまゐらせたらばよかるべき、櫻色さくらいろにもあらず、緋桃ひもゝはなでもなし、りたてたるつむりよりかほより首筋くびすぢにいたるまで銅色あかゞねいろりに一てんのにごりもく、白髮しらがもまじるふとまゆをあげてこゝろまかせの大笑おほわらひなさるゝときは、本堂ほんどう如來によらいさまおどろきて臺座だいざよりころ落給おちたまはんかとあやぶまるゝやうなり、御新造ごしんぞはいまだ四十のうへいくらもさで、色白いろしろかみうすく、丸髷まるまげちいさくひてぐるしからぬまでのひとがら、參詣人さんけいにんへも愛想あいそよく門前もんぜん花屋はなや口惡くちわかゝ兎角とかく蔭口かげぐちはぬをれば、ふるしの浴衣ゆかた總菜そうざいのおのこりなどおのずからの御恩ごおんかうむるなるべし、もとは檀家だんかの一にんなりしがはやくに良人おつとうしなひてなき暫時しばらくこゝにおはりやとひ同樣どうやうくちさへらさせてくださらばとてあらそゝぎよりはじめておさいごしらへはもとよりのこと墓塲はかば掃除さうぢ男衆をとこしゆたすくるまではたらけば、和尚おしやうさま經濟けいざいより割出わりだしての御不憫ごふびんかゝり、としは二十からちがうてともなきことをんな心得こゝろゑながら、ところなきなれば結句けつくよき死塲處しにばしよ人目ひとめぢぬやうにりけり、にが〳〵しきことなれどもをんなこゝろだてるからねば檀家だんかもののみはとがめず、總領そうりやうはなといふを懷胎もうけころ檀家だんかなかにも世話好せわずきのある坂本さかもと油屋あぶらや隱居ゐんきよさま仲人なかうどといふもものなれどすすめたてゝ表向おもてむきのものにしける、信如しんによ此人このひとはらよりうまれて男女なんによ二人ふたり同胞きやうだい一人ひとり如法によはう變屈へんくつものにて一にち部屋へやなかにまぢ〳〵と陰氣ゐんきらしきむまれなれど、あねのおはな皮薄かわうすの二ぢうあごかわゆらしく出來できたるなれば、美人びじんといふにはあらねども年頃としごろといひひと評判ひやうばんもよく、素人しろうとにしててゝくはしいものなかくわへぬ、さりとておてらむすめひだづま、お釋迦しやか三味しやみひくらずひときこすこしははゞかられて、田町たまちとほりに葉茶屋はぢやゝみせ奇麗きれいにしつらへ、帳塲格子ちやうばかうしのうちに此娘このこへて愛敬あいけうらすれば、はかりのかく勘定かんぢやうしらずのわかものなど、なにがなしにつて大方おほかた毎夜まいよ十二くまでみせきやくのかげえたることなし、いそがしきは大和尚だいおしやう貸金かしきんとりたて、みせへの見廻みまわり、法用はうようのあれこれ、つき幾日いつか説教日せつけうびさだめもあり帳面ちやうめんくるやらけうよむやらくては身體からだのつゞきがたしと夕暮ゆふぐれの縁先ゑんさきはなむしろをかせ、片肌かたはだぬぎに團扇うちわづかひしながら大盃おほさかづき泡盛あはもりをなみ〳〵とがせて、さかなは好物こうぶつ蒲燒かばやき表町おもてまちのむさしへあらいところをとのあつらへ、うけたまわりてゆく使つかばん信如しんによやくなるに、そのやなることほねにしみて、みちあるくにもうへことなく、筋向すじむかふのふでやに子供こどもづれのこゑけばことそしらるゝかとなさけなく、そしらぬかほ鰻屋うなぎやかどぎては四邊あたり人目ひとめすきをうかゞひ、立戻たちもどつてとき心地こゝち我身わがみかぎつてなまぐさきものはべまじとおもひぬ。

父親和尚ちゝおやおしよう何處どこまでもさばけたるひとにて、すこしは欲深よくふかにたてどもひと風説うはさみゝをかたぶけるやうな小膽せうたんにてはく、ひまあらば熊手くまで内職ないしよくもしてやうといふ氣風きふうなれば、霜月しもつきとりにはろんなく門前もんぜん明地あきちかんざしみせひらき、御新造ごしんぞ手拭てぬぐひかぶらせて縁喜ゑんぎいのをとばせる趣向しゆこう、はじめははづかしきことおもひけれど、のきならび素人しろうと手業てわざにて莫大ばくだいもうけとくに、此雜沓このざつとうなかといひれもおもらぬことなれば日暮ひくれよりはにもつまじと思案しあんして、晝間ひるま花屋はなや女房にようぼう手傳てつだはせ、りては自身みづからをりたちよびたつるに、よくなれやいつしかはづかしさもせて、おもはずこゑだかにまけましよまけましよとあとふやうにりぬ、人波ひとなみにのまれて買手かひてまなこくらみしをりなれば、現在げんざい後世ごせねがひに一昨日おとつひたりし門前もんぜんわすれて、かんざしほん七十五せん懸直かけねすれば、五ほんついたを三せんならばと直切ねぎつてく、はぬばたまやみもうけはこのほかにもるべし、信如しんによかることどもいかにもこゝろぐるしく、よし檀家だんかみゝにはらずとも近邊きんぺん人々〴〵おもはく、子供中間こどもなかまうはさにも龍華寺りうげじではかんざしみせして、のぶさんがかゝさんの狂氣顏きちがひづらしてつてたなどゝはれもするやとはづかしく、其樣そんことしにしたが御座ござりませうとめしことりしが、大和尚だいおしよう大笑おほわらひにわらひすてゝ、だまつてろ、だまつてろ、貴樣きさまなどがらぬことだわとて丸々まる〳〵相手あいてにしてはれず、朝念佛あさねんぶつ夕勘定ゆふかんぢよう、そろばんにしてにこ〳〵とあそばさるゝかほつきは我親わがおやながらあさましくして、何故なぜそのつむりまろたまひしぞとうらめしくもりぬ。

元來もとよりぷくつゐなかそだちて他人たにんぜずのおだやかなるいへうちなれば、さして此兒このこ陰氣いんきものに仕立したてあげるたねけれども、性來せいらいをとなしきうへこともちひられねば兎角とかくもののおもしろからず、ちゝ仕業しわざはゝ處作しよさあね教育したても、悉皆しつかいあやまりのやうにおもはるれどふてかれぬものぞとあきらめればうらかなしきやうなさけなく、友朋輩ともほうばい變屈者へんくつもの意地いぢわるとざせどもおのづかしづこゝろそこよわこと蔭口かげぐちつゆばかりもいふものありとけば、立出たちいでゝ喧嘩口論けんくわこうろん勇氣ゆふきもなく、部屋へやにとぢこもつてひとおもてはされぬ憶病至極おくびやうしごくなりけるを、學校がくかうにての出來できぶりといひ身分みぶんがらのいやしからぬにつけても弱虫よわむしとはものなく、龍華寺りうげじ藤本ふぢもと生煮なまにえのもちのやうにしんがあつてやつくがるものもりけらし。


(十)


まつりの田町たまちあねのもとへ使つかひを吩附いひつけられて、ふくるまで我家わがやかへらざりければ、ふでやのさわぎはゆめにもらず、明日あすりて丑松うしまつ文次ぶんじそのほかくちよりこれ〳〵でつたとつたへらるゝに、今更いまさらながら長吉ちようきち亂暴らんぼうおどろけどもみたることなればとがめだてするもせんなく、りられしばかりつく〴〵迷惑めいわくおもはれて、したることならねど人々ひと〴〵へのどく一つに背負せおいたるやうおもひありき、長吉ちようきちすこしはりそこねをはづかしうおもふかして、信如しんによはゞ小言こごとかんとその三四姿すがたせず、やゝ餘炎ほとぼりのさめたるころのぶさんおまへはらつからないけれどとき拍子ひようしだから堪忍かんにんしていてんな、れもおまへ正太しようた明巣あきすとはるまいではいか、なに女郎めらうの一ひきぐらゐ相手あひてにして三五らうなぐりたいことかつたけれど、萬燈まんどう振込ふりこんでりやあたゞかへれない、ほんの附景氣つけけいきつまらないことをしてのけた、りやあれが何處どこまでもるいさ、おまへ命令いひつけかなかつたはるからうけれど、いまおこられてはかたなしだ、おまへといふうしろだてがるのでらあ大舟おほぶねつたやうだに、すてられちまつてはこまるだらうじやいか、やだとつても此組このくみ大將たいしやうてくんねへ、左樣さうどぢばかりまないからとて面目めんぼくなさゝうに謝罪わびられてればれでもわたしやだともひがたく、仕方しかたところまでやるさ、よわものいぢめは此方こつちはぢになるから三五らう美登利みどり相手あひてにしても仕方しかたい、正太しようた末社まつしやがついたら其時そのときのこと、けつして此方こつちから手出てだしをしてはならないととゞめて、さのみは長吉ちようきちをもしかばさねどふたゝ喧嘩けんくわのなきやうにといのられぬ。

つみのない横町よこてうの三五らうなり、おもふさまにたゝかれてられてその二三にち立居たちゐくるしく、ゆふぐれごと父親ちゝおや空車からぐるまを五十けん茶屋ちやゝのきまではこふにさへ、三こううかしたか、ひどくよわつてるやうだなと見知みしりの臺屋だいやとがめられしほどなりしが、父親ちゝおやはお辭氣じぎてつとて目上めうへひとつむりをあげたことなく廓内なか旦那だんなはずとものこと大屋樣おほやさま地主樣ぢぬしさまいづれの御無理ごむり御尤ごもつともけるたちなれば、長吉ちようきち喧嘩けんくわしてこれこれの亂暴らんぼうひましたとうつたへればとて、それはうも仕方しかた大屋おほやさんの息子むすこさんではいか、此方こつちらうが先方さきるからうが喧嘩けんくわ相手あひてるといふことい、謝罪わび謝罪わび途方とほうやつだと我子わがこしかりつけて、長吉ちようきちがもとへあやまりにられること必定ひつぢやうなれば、三五らう口惜くやしさをみつぶして七日十日とほどをふれば、いたみの塲處ばしよなほるとともそのうらめしさも何時いつしかわすれて、かしらいへあかぼうりをして二せん駄賃だちんをうれしがり、ねん〳〵よ、おころりよ、と背負しよひあるくさま、としはとへば生意氣なまいきざかりの十六にもりながら其大躰そのづうたいはづかしげにもなく、表町おもてまちへものこ〳〵とかけるに、何時いつ美登利みどり正太しようたなぶりものになつつて、おまへ性根しやうね何處どこいてたとからかはれながらもあそびの中間なかまはづれざりき。

はるさくらにぎわひよりかけて、なき玉菊たまぎく燈籠とうろうころ、つゞいてあき新仁和賀しんにわがには十ぷんかんくるまこと此通このとほりのみにて七十五りようかぞへしも、二のかわりさへいつしかぎて、赤蜻蛉あかとんぼう田圃たんぼみだるれば横堀よこぼりうづらなくころちかづきぬ、朝夕あさゆふ秋風あきかぜにしみわたりて上清じやうせいみせ蚊遣香かやりかう懷爐灰くわいろばいをゆづり、石橋いしばし田村たむらやが粉挽こなひうすおとさびしく、角海老かどゑび時計とけいひゞききもそゞろあわれのつたへるやうにれば、四絶間たえまなき日暮里につぽりひかりもれがひとけぶりかとうらかなしく、茶屋ちやゝうらゆく土手下どてした細道ほそみちおちかゝるやうな三あほいでけば、仲之町藝者なかのてうげいしやえたるうでに、きみなさけ假寐かりねとこにとなにならぬ一ふしあわれもふかく、此時節このじせつよりかよそむるはかれかるゝ遊客ゆふかくならで、にしみ〴〵とじつのあるおかたのよし、遊女つとめあがりのひとまうしき、このほどのことかゝんもくだ〳〵しや大音寺前だいおんじまへにてめづらしきこと盲目按摩めくらあんまの二十ばかりなるむすめ、かなはぬこひ不自由ふじゆうなるうらみてみづいけ入水じゆすいしたるをあたらしいこととてつたへるくらゐなもの、八百屋やをやきちらう大工だいく太吉たきちがさつぱりとかげせぬがなんとかせしとふにこのけんであげられましたと、かほ眞中まんなかゆびをさして、なん子細しさいなく取立とりたてゝうわさをするものもなし、大路おほぢ見渡みわたせばつみなき子供こどもの三五にんひきつれていらいたらいたなんはなひらいたと、無心むしんあそびも自然しぜんしづかにて、くるわかよくるまおとのみ何時いつかわらずいさましくきこえぬ。

秋雨あきさめしと〳〵るかとおもへばさつとおとしてはこびくるやうなるさびしきとほりすがりのきやくをばたぬみせなれば、ふでやのつまよひのほどよりおもてをたてゝ、なかあつまりしはれい美登利みどり正太郎しようたらう、そのほかにはちいさき子供こどもの二三にんりて細螺きしやごはじきのおさなげなことしてあそぶほどに、美登利みどりふとみゝてゝ、あれれか買物かひものたのではいか溝板どぶいた足音あしおとがするといへば、おや左樣さうか、いらはつともきかなかつたと正太しようたもちう〳〵たこかいのめて、れか中間なかまたのではいかとうれしがるに、かどなるひと此店このみせまへまでたりける足音あしおときこえしばかりれよりはふつとえて、おと沙汰さたもなし。


(十一)


正太しようたくゞりをけて、ばあひながらかほすに、ひとは二三げんさき軒下のきしたをたどりて、ぽつ〳〵と後影うしろかげれだれだ、おいお這入はいりよとこゑをかけて、美登利みどり足駄あしだつツかけばきに、あめいとはずいださんとせしが、あゝ彼奴あいつだと一トことふりかへつて、美登利みどりさんんだつてもはしないよ、一けんだもの、と自分じぶんつむりまるめてせぬ。

のぶさんかへ、とけて、やな坊主ぼうずつたらい、屹度きつとふでなにひにたのだけれど、わたしたちがるものだから立聞たちぎきをしてかへつたのであらう、意地惡いぢわるの、根性こんぜうまがりの、ひねつこびれの、どんもりの、はツかけの、やなやつめ、這入はいつてたら散々さん〴〵いぢめてやるものを、かへつたはしいことをした、どれ下駄げたをおし、一寸ちよつとてやる、とて正太しようたかわつてかほせばのきあまだれ前髮まへがみちて、おゝ氣味きみるいとくびちゞめながら、四五けんさき瓦斯燈がすとうした大黒傘だいこくがさかたにしてすこしうつむいてるらしくとぼ〳〵とあゆ信如しんにようしろかげ、何時いつまでも、何時いつまでも、何時いつまでも、見送みおくるに、美登利みどりさんうしたの、と正太しようたあやしがりて背中せなかをつゝきぬ。

うもしない、と返事へんじをして、うへへあがつて細螺きしやごかぞへながら、本當ほんたうやな小僧こぞうとつてはい、表向おもてむきに威張ゐばつた喧嘩けんくわ出來できもしないで、温順をとなしさうなかほばかりして、根性こんじようがくす〳〵してるのだものくらしからうではいか、うちかゝさんがふてたつけ、瓦落がら〳〵してものこゝろいのだと、それだからぐず〳〵してのぶさんなにかはこゝろるいに相違さうゐない、ねへ正太しようたさん左樣さうであらう、とくちきわめて信如しんによことわるへば、夫れでも龍華寺りうげじはまだものわかつてるよ、長吉ちようきちたられははやと、生意氣なまいき大人おとなくち眞似まねれば、おしよ正太しようたさん、子供こどもくせませたやうでをかしい、おまへつぽど剽輕ひやうきんものだね、とて美登利みどり正太しようたほうをつゝいて、其眞面目そのまじめがほはとわらひこけるに、おいらだつても最少もすこてば大人おとなになるのだ、蒲田屋かばたや旦那だんなのやうに角袖外套かくそでぐわいとうなにてね、祖母おばあさんが仕舞しまつて金時計きんどけいもらつて、そして指輪ゆびわもこしらへて、卷煙草まきたばこつて、ものなにからうな、おいらは下駄げたより雪駄せつたきだから、三まいうらにして繻珍しゆちん鼻緒はなをといふのをくよ、似合にあふだらうかとへば、美登利みどりはくす〳〵わらひながら、せいひくひと角袖外套かくそでぐわいとう雪駄せつたばき、まあんなにか可笑をかしからう、目藥めぐすりびんあるくやうであらうとをとすに、馬鹿ばかつてらあ、それまでにはおいらだつておゝきくるさ、此樣こんちいつぽけではないと威張ゐばるに、れではまだ何時いつことだかれはしない、天井てんじやうねづみがあれ御覽ごらん、とゆびをさすに、ふでやの女房つまはじめとしてにあるものみなわらひころげぬ。

正太しようた一人ひとり眞面目まじめりて、れいたまぐる〳〵とさせながら、美登利みどりさんは冗談じようだんにしてるのだね、れだつて大人おとならぬものいに、おいらのふが何故なぜをかしからう、奇麗きれいよめさんをもらつてれてあるくやうにるのだがなあ、おいらはなんでも奇麗きれいのがきだから、煎餅せんべいやのおふくのやうな痘痕みつちやづらや、まきやのお出額でこのやうなのが萬一もしようなら、ぢきさま追出おひだしてうちへはれてらないや。おいらは痘痕あばたしつつかきは大嫌だいきらひとちかられるに、主人あるじをんな吹出ふきだして、れでもしようさんわたしみせくださるの、伯母おばさんの痘痕あばたえぬかえとわらふに、れでもおまへ年寄としよりだもの、おいらのふのはよめさんのことさ、年寄としよりはどうでもいとあるに、れは大失敗おほしくじりだねとふでやの女房にようぼうおもしろづくに御機嫌ごきげんりぬ。

町内てうないかほいのは花屋はなやのお六さんに、水菓子みずぐわしやのいさん、れよりも、れよりもずんといはおまへとなりすわつておいでなさるのなれど、正太しようたさんはまあれにしようとめてあるえ、お六さんのつきか、いさんの清元きよもとか、まあれをえ、とはれて、正太しようたかほあかくして、なんだお六づらや、こう何處どこものかとりらんぷのしたすこ居退ゐのきて、壁際かべぎははうへと尻込しりごみをすれば、それでは美登利みどりさんがいのであらう、さうめて御座ござんすの、と圖星づぼしをさゝれて、そんなことものか、なん其樣そんこと、とくるりうしろいてかべこしばりをゆびでたゝきながら、まわれ〳〵水車みづぐるま小音こおんうたす、美登利みどり衆人おほく細螺きしやごあつめて、さあう一はじめからと、これはかほをもあからめざりき。


(十二)


信如しんによ何時いつ田町たまちかよときとほらでもことめどもはゞ近道ちかみち土手々前どてゝまへに、假初かりそめ格子門かうしもん、のぞけば鞍馬くらま石燈籠いしどうろはぎ袖垣そでがきしをらしうえて、縁先ゑんさききたるすだれのさまもなつかしう、なかがらすの障子しようじのうちには今樣いまやう按察あぜち後室こうしつ珠數じゆずをつまぐつて、かぶりの若紫わかむらさき立出たちいづるやとおもはるゝ、その一ツかまへが大黒屋だいこくやりようなり。昨日きのふ今日けふ時雨しぐれそらに、田町たまちあねよりたのみの長胴着ながどうぎ出來できたれば、暫時すこしはやかさねさせたき親心おやごころ御苦勞ごくろうでも學校がくかうまへの一寸ちよつとつてつてれまいか、さだめてはなつてようほどに、と母親はゝおやよりのひつけを、なにやとはられぬ温順おとなしさに、たゞはい〳〵と小包こづゝみをかゝへて、鼠小倉ねづみこくらのすがりし朴木齒ほうのきば下駄げたひた〳〵と、信如しんによ雨傘あまがささしかざしていでぬ。

ぐろどぶかどよりまがりて、いつもくなる細道ほそみちをたどれば、うんわるう大黒だいこくやのまへまでとき、さつとかぜ大黒傘だいこくがさうへつかみて、ちうひきあげるかとうたがふばかりはげしくけば、これはらぬと力足ちからあしふみこたゆる途端とたん、さのみにおもはざりし前鼻緒まへはなをのずる〳〵と㧞けて、かさよりもこれこそ一の大事だいじりぬ。

信如しんによこまりて舌打したうちはすれども、今更いまさらなんほうのなければ、大黒屋だいこくやもんかさせかけ、あめひさしいとふて鼻緒はなををつくろふに、常々つね〴〵仕馴しなれぬおぼうさまの、これは如何いかことこゝろばかりはあせれども、なんとしてもうまくはすげることらぬ口惜くやしさ、ぢれて、ぢれて、たもとなかから記事文きじぶん下書したかきしていた大半紙おほばんしつかし、ずん〳〵ときて紙縷こよりをよるに、意地いぢわるのあらしまたもやおとて、たてかけしかさのころころところががりいづるを、いま〳〵しいやつめと腹立はらたたしげにいひて、取止とりとめんとばすに、ひざせてきし小包こづゝ意久地いくぢもなくちて、風呂敷ふろしきどろに、わがものたもとまでをよごしぬ。

るにどくなるはあめなかかさなし、途中とちう鼻緒はなをりたるばかりはし、美登利みどり障子しようじなかながら硝子がらすごしにとほながめて、あれれか鼻緒はなをつたひとがある、かゝさんれをつても御座ござんすかとたづねて、針箱はりばこ引出ひきだしから反仙ゆふぜんちりめんのはしをつかみし、庭下駄にはげたはくももどかしきやうに、でゝ縁先えんさき洋傘かうもりさすよりはやく、庭石にはいしうへつたふていそあしたりぬ。

それとるより美登利みどりかほあかりて、のやうの大事だいじにでもひしやうに、むね動悸どうきはやくうつを、ひとるかと背後うしろられて、おそる〳〵もんそばれば、信如しんによもふつと振返ふりかへりて、れも無言むごんわきながるゝ冷汗ひやあせ跣足はだしりてしたきおもひなり。

平常つね美登利みどりならば信如しんによ難義なんぎていゆびさして、あれ〳〵意久地いくぢなしとわらふてわらふてわらいて、ひたいまゝのにくまれぐち、よくもおまつりの正太しようたさんにあだをするとてわたしたちがあそびの邪魔じやまをさせ、つみい三ちやんをたゝかせて、おまへ高見たかみ釆配さいはいつておいでなされたの、さあ謝罪あやまりなさんすか、なんとで御座ござんす、わたしこと女郎じよらう女郎じよらう長吉ちようきちづらにはせるのもおまへ指圖さしづ女郎じよらうでもいではいか、ちりぽんまへさんが世話せわにはらぬ、わたしにはとゝさんもありかゝさんもあり、大黒屋だいこくや旦那だんなあねさんもある、おまへのやうななまぐさのお世話せわにはうならぬほどに餘計よけい女郎じよらうよばはりいてもらひましよ、ことがあらばかげのくす〳〵ならで此處こゝでおひなされ、お相手あいてには何時いつでもつてせまする、さあなんとで御座ござんす、とたもとらへてまくしかくるいきほひ、さこそはあたがたうもあるべきを、ものいはず格子かうしのかげに小隱こかくれて、さりとて立去たちさるでもしにたゞうぢ〳〵とむねとゞろかすは平常つね美登利みどりのさまにてはかりき。


(十三)


此處こゝ大黒屋だいこくやのとおもときより信如しんによものおそろしく、左右さゆうずしてひたあゆみにしなれども、生憎あやにくあめ、あやにくのかぜ鼻緒はなををさへに踏切ふみきりて、せんなき門下もんした紙縷こより心地こゝちことさま〴〵にうもへられぬおもひのありしに、飛石とびいし足音あしおとより冷水ひやみづをかけられるがごとく、かへりみねども其人そのひとおもふに、わな〳〵とふるへてかほいろかわるべく、後向うしろむきにりてなほ鼻緒はなをこゝろつくすとせながら、なかば夢中むちう此下駄このげたいつまでかゝりてもけるやうにはらんともせざりき。

にはなる美登利みどりはさしのぞいて、ゑゝ不器用ぶきようんなつきしてうなるものぞ、紙縷こより婆々縷ばゝよりわらしべなんぞ前壺まへつぼかせたとてながもちのすることではい、れ〳〵羽織はをりすそについてどろるは御存ごぞんいか、あれかさころがる、あれをたゝんでてかけてけばいにと一々もどかしうがゆくはおもへども、此處こゝれが御座ござんす、此裂これでおすげなされとよびかくることもせず、これも立盡たちつくして降雨ふるあめそでわびしきを、いとひもあへず小隱こかくれてうかゞひしが、さりともらぬはゝおやはるかにこゑけて、のしのおこりましたぞえ、この美登利みどりさんはなにあそんでる、あめるにおもてての惡戯いたづらりませぬ、また此間このあひだのやうに風引かぜひかうぞと呼立よびたてられるに、はいいまゆきますとおゝきくひて、其聲そのこゑ信如しんによきこえしをはづかしく、むねはわくわくと上氣じようきして、うでもけられぬもんきわにさりとも見過みすごしがたき難義なんぎをさま〴〵の思案しあんつくして、格子かうしあいだよりれをものいはずいだせば、ぬやうにらずがほ信如しんによのつくるに、ゑゝいつもとほりの心根こゝろねなきおもひをあつめて、すこなみだうらがほなににくんでそのやうに無情つれなきそぶりはせらるゝ、ひたいこと此方こなたにあるを、あまりなひととこみあぐるほどおもひにせまれど、母親はゝおや呼聲よびごゑしば〳〵なるをわびしく、詮方せんかたなさに一トあし二タあしゑゝなんぞいの未練みれんくさい、おもはくはづかしとをかへして、かた〳〵と飛石とびいしつたひゆくに、信如しんによいまさびしうかへれば紅入べにい友仙ゆうぜんあめにぬれて紅葉もみぢかたのうるはしきがわがあしちかくちりぼひたる、そゞろにゆかしきおもひはれども、とりあぐることをもせずむなしうながめておもひあり。

不器用ぶきようをあきらめて、羽織はをりひもながきをはづし、ゆわひつけにくる〳〵ととむなきあわせをして、これならばと踏試ふみこゝろむるに、あるきにくきことふばかりなく、此下駄このげた田町たまちまでことかといまさら難義なんぎおもへども詮方せんかたなくて立上たちあが信如しんによ小包こづゝみをよこに二タあしばかり此門このもんをはなれるにも、友仙ゆうぜん紅葉もみじのこりて、てゝぐるにしのびがた心殘こゝろのこりして見返みかへれば、のぶさんうした鼻緒はなをつたのか、其姿そのなりどうだ、ッともいなと不意ふいこゑくるもののあり。

おどろいてかへるにあばもの長吉ちようきち、いま廓内なかよりのかへりとおぼしく、浴衣ゆかたかさねし唐棧とうざん着物きもの柿色かきいろの三じやくいつもとほこしさきにして、くろ八のゑりのかゝつたあたらしい半天はんてんしるしかさをさしかざし高足駄たかあしだ爪皮つまかわ今朝けさよりとはしるきうるしいろ、きわ〴〵しうえてほこらしなり。

ぼく鼻緒はなをつて仕舞しまつてようかとおもつてる、本當ほんとうよわつてるのだ、と信如しんによ意久地いくぢなきことへば、左樣そうだらうおまへ鼻緒はなをたちッこはい、いやれの下駄げたはいゆきねへ、此鼻緒このはなを大丈夫だいぢやうぶだよといふに、れでもおまへこまるだらう。なにれはれたものだ、うやつてうするとひながら急遽あわたゞしう七尻端しりはしをりて、其樣そんゆわひつけなんぞよりれが夾快さつぱりだと下駄げたぐに、おまへ跣足はだしるのかれではどくだと信如しんによこまるに、いよ、れはれたことのぶさんなんぞはあしうらやわらかいから跣足はだしいしごろみちあるけない、さあれをいておで、とそろへて親切しんせつさ、ひとには疫病神やくびやうがみのやうにいとはれながらも毛虫眉毛けむしまゆげうごかしてやさしきことばのもれいづるぞをかしき。のぶさんの下駄げたれがげてかう、臺處だいどこほうんでおいたら子細しさいはあるまい、さあへてれをおしと世話せわをやき、鼻緒はなをれしを片手かたてげて、それならのぶさんいつておいで後刻のち學校がくかうはうぜの約束やくそく信如しんによ田町たまちあねのもとへ、長吉ちようきち我家わがやかたへと行別ゆきわかれるにおもひのとゞまる紅入べにいり友仙ゆうぜん可憐いぢらしき姿すがたむなしく格子門かうしもんそとにととゞめぬ。


(十四)


此年このとし三のとりまでりてなかにちはつぶれしかど前後ぜんご上天氣じやうてんき大鳥神社おほとりじんじやにぎわひすさまじく、此處こゝかこつけに檢査塲けんさばもんよりみだ若人達わかうどたちいきほひとては、天柱てんちうくだけ地維ちいかくるかとおもはるゝわらこゑのどよめき、中之町なかのちやうとほりはにわか方角ほうがくかはりしやうにおもはれて、角町すみちやう京町きやうまち處々ところ〴〵のはねばしより、さつさせ〳〵と猪牙ちよきがゝつた言葉ことば人波ひとなみくるむれもあり、河岸かし小店こみせ百囀もゝさへづりより、ゆうにうづたか大籬おほまがき樓上ろうじやうまで、絃歌げんかこゑのさま〴〵にるやうな面白おもしろさは大方おほかたひとおもひでゝわすれぬものおぼすもるべし。正太しようた此日このひがけのあつめをやすませもらひて、三五らう大頭おほがしらみせ見舞みまふやら、團子屋だんごや背高せいたか愛想氣あいそげのない汁粉しるこやをおとづれて、うだまうけがあるかえとへば、しようさんおまへところた、れがあんこのたねなしにつていまからはなにらう、直樣すぐさまかけてはいたけれど中途なかたびきやくことはれない、うしような、と相談そうだんけられて、智惠無ちゑなしのやつ大鍋おほなべ四邊ぐるりれッくらい無駄むだがついてるではいか、れへまわして砂糖さとうさへあまくすれば十にんまへや二十にんいてよう、何處どこでもみん左樣そうするのだおまへとこばかりではない、なに此騷このさわぎのなか好惡よしあしものらうか、おりおりとひながらさきつて砂糖さとうつぼ引寄ひきよすれば、ッかちの母親はゝおやおどろいたかほをして、おまへさんは本當ほんとう商人あきんど出來できなさる、おそろしい智惠者ちゑしやだとめるに、なん此樣こんこと智惠者ちゑしやものか、いま横町よこちやう潮吹しほふきのとこあんりないッて此樣こうやつたをたのでれの發明はつめいではい、とてゝ、おまへらないか美登利みどりさんのところを、れは今朝けさからさがしてるけれど何處どこゆつたかふでやへもないとふ、廓内なかだらうかなとへば、むゝ美登利みどりさんはないまさきれのうちまへとほつて揚屋町あげやまち刎橋はねばしから這入はいつてゆつた、本當ほんとうしやうさん大變たいへんだぜ、今日けふはね、かみういふふうにこんな島田しまだつてと、へんてこなつきをして、奇麗きれいだねはとはなふきつゝへば、大卷おほまきさんよりなほいや、だけれど華魁おいらんるのでは可憐かわいさうだとしたひて正太しようたこたふるに、いじやあいか華魁おいらんになれば、れは來年らいねんから際物屋きわものやつておかねをこしらへるがね、れをつてひにくのだと頓馬とんまあらはすに、洒落しやらくさいことつてらあうすればおまへはきつとられるよ。何故々々なぜ〴〵何故なぜでもられる理由わけるのだもの、とかほすこめてわらひながら、れじやあれも一まわりしてようや、またのちるよと臺辭ぜりふしてかどて、十六七のころまではてふはなよとそだてられ、とあやしきふるへこゑ此頃このごろ此處こゝ流行はやりぶしをつて、いまではつとめがにしみてとくちうちにくりかへし、れい雪駄せつたおとたかくきたつひとなかまじりてちいさき身躰からだたちまちにかくれつ。

まれていでくるわかどむかうふより番頭新造ばんとうしんぞのおつまちてはなしながらるをれば、まがひも大黒屋だいこくや美登利みどりなれどもまこと頓馬とんまひつるごとく、初々うい〳〵しき大島田おほしまだわたのやうにしぼりばなしふさ〳〵とかけて、鼈甲べつかうのさしこみふさつきのはなかんざしひらめかし、何時いつよりは極彩色ごくさいしきのたゞ京人形きようにんげうるやうにおもはれて、正太しようたはあつともはず立止たちどまりしまゝいつもごとくはだききつきもせで打守うちまもるに、彼方こなた正太しようたさんかとてはしり、おつまどんおまへものらば此處こゝでおわかれにしましよ、わたし此人このひとと一しよかへります、左樣さやうならとてかしらさげげるに、あれいちやんの現金げんきんな、うおおくりはりませぬとかえ、そんならわたし京町きやうまち買物かいものしましよ、とちよこ〳〵ばしりに長屋ながや細道ほそみちむに、正太しようたはじめて美登利みどりそでいて似合にあふね、いつつたの今朝けさかへ昨日きのふかへ何故なぜはやくせてはれなかつた、とうらめしげにあまゆれば、美登利みどりうちしほれて口重くちおもく、ねえさんの部屋へや今朝けさつてもらつたの、わたしやでしようがい、とさし俯向うつむきて往來ゆきゝぢぬ。


(十五)


はづかしく、つゝましきことにあればひとめるはあざけりときゝなされて、嶋田しまだまげのなつかしさにふりかへりひとたちをばわれれをさげすつきとられて、正太しようたさんわたし自宅うちかへるよとふに、何故なぜ今日けふあそばないのだらう、おまへなに小言こごとはれたのか、大卷おほまきさんと喧嘩けんくわでもしたのではいか、と子供こどもらしいことはれてこたへはなんかほあからむばかり、ちて團子屋だんごやまへぎるに頓馬とんまみせよりこゑをかけておなかよろしう御座ございますと仰山げうさん言葉ことばくより美登利みどりきたいやうなかほつきして、正太しようたさん一しよてはやだよと、きざりに一人ひとりあしはやめぬ。

とりさまへ諸共もろともにとひしをみち引違ひきたがへてかたへと美登利みどりいそぐに、おまへしよにはれないのか、何故なぜ其方そつちかへつて仕舞しまふ、あんまりだぜとれいごとあまへてかゝるを振切ふりきるやうに物言ものいはずけば、なんゆゑともらねども正太しようたあきれてひすがりそでとゞめてはあやしがるに、美登利みどりかほのみ打赤うちあかめて、なんでもい、とこゑ理由わけあり。

りようもんをばくゞりるに正太しようたかねてもあそびに來馴きなれてのみ遠慮ゑんりよいへにもあらねば、あとよりつづいて縁先ゑんさきからそつとあがるを、母親はゝおやるより、おゝ正太しようたさんくださつた、今朝けさから美登利みどり機嫌きげんわるくてみんあぐねこまつてます、あそんでやつてくだされとふに、正太しようた大人おとならしうかしこまりて加减かげんるいのですかと眞面目まじめふを、いゝゑ、と母親はゝおやあやしき笑顏ゑがほをしてすこてばなほりませう、いつでもきまりのわがまゝさんさぞ友達ともだちとも喧嘩けんくわしませうな、眞實ほんにやりれぬぢようさまではあるとてかへるに、美登利みどりはいつか小座敷こざしき蒲團ふとん抱卷かいまき持出もちいでゝ、おび上着うわぎてしばかり、うつしてものをもはず。

正太しようたおそる〳〵まくらもとへつて、美登利みどりさんうしたの病氣びようきなのか心持こゝろもちわるいのか全體ぜんたいうしたの、とのみは摺寄すりよらずひざいてこゝろばかりをなやますに、美登利みどりさらこたへもおさゆるそでにしのびなみだ、まだひこめぬ前髮まへがみれてゆるも子細わけありとはしるけれど、子供心こどもごゝろ正太しようたなんなぐさめの言葉ことばいでたゞひたすらにこまるばかり、全體ぜんたいなにうしたのだらう、れはおまへおこられることはしもしないに、なに其樣そんなにはらつの、とのぞんで途方とはうにくるれば、美登利みどりぬぐふて正太しようたさんわたしおこつてるのではりません。

れならどうしてとはれゝばことさまざまれはうでもはなしのほかのつゝましさなれば、れに打明うちあけいふすぢならず、物言ものいはずしておのづとほゝあかうなり、さしてなにとははれねども次第々々しだい〳〵心細こゝろぼそおもひ、すべて昨日きのふ美登利みどりおぼえなかりしおもひをまうけてものはづかしさふばかりく、ことならば薄暗うすくら部屋へやのうちにれとて言葉ことばをかけもせずかほながむるものなしに一人ひとりまゝの朝夕てうせきたや、さらば此樣このひやうことありとも人目ひとめつゝましからずはくまでものおもふまじ、何時いつまでも何時いつまでも人形にんげう紙雛好あねさまとを相手あいてにして飯事まゝごとばかりしてたらばさぞかしうれしきことならんを、ゑゝや〳〵、大人おとなるはやなこと何故なぜこのやうにとしをばる、七月なゝつき十月とつき、一ねん以前もとかへりたいにと老人としよりじみたかんがへをして、正太しようた此處こゝにあるをもおもはれず、ものいひかければこと〴〵ちらして、かへつてお正太しようたさん、後生ごしやうだからかへつておれ、おまへるとわたしんで仕舞ふであらう、ものはれると頭痛づつうがする、くちくとがまわる、れも〳〵わたしところてはやなれば、おまへ何卒どうぞかへつてとれい似合にあは愛想あいそづかし、正太しようた何故なにともきがたく、はたのうちにあるやうにておまへうしてもへんてこだよ、其樣そんことはづいに、可怪をかしいひとだね、とれはいさゝか口惜くちをしきおもひに、おちついてひながらには氣弱きよわなみだのうかぶを、なにとてれにこゝろくべきかへつておれ、かへつておれ、何時いつまで此處こゝれゝばうお朋達ともだちでもなんでもい、いややな正太しようたさんだとくらしげにはれて、れならばかへるよ、お邪魔じやまさまで御座ございましたとて、風呂塲ふろば加减かげん母親はゝおやには挨拶あいさつもせず、ふいつて正太しようた庭先にはさきよりかけいだしぬ。


(十六)


文字もんじけて人中ひとなかけつくゞりつ、筆屋ふでやみせへをどりめば、三五らう何時いつみせをば賣仕舞うりしまふて、腹掛はらがけのかくしへ若干金なにがしかをぢやらつかせ、弟妹おとうといもとひきつれつゝきなものをばなんでもへの大兄樣おあにいさん大愉快おほゆくわい最中もなか正太しようた飛込とびこしなるに、やあしようさんいままへをばさがしてたのだ、れは今日けふ大分だいぶもうけがある、なにおごつてあげやうかとへば、馬鹿ばかをいへ手前てめへおごつてもられではいわ、だまつて生意氣なまいきくなと何時いつになくらいことつて、れどころではいとてふさぐに、なんなん喧嘩けんくわかとべかけのあんぱんを懷中ふところんで、相手あいてれだ、龍華寺りうげじか、長吉ちようきちか、何處どこはじまつた廓内なか鳥居前とりゐまへか、おまつりのときとはちがふぜ、不意ふいでさへくはけはしない、れが承知しようち先棒さきぼうらあ、しようさんきもたまをしつかりしてかゝりねへ、ときそひかゝるに、ゑゝはややつめ、喧嘩けんくわではい、とて流石さすがひかねてくちつぐめば、でもおまへ大層たいさうらしく飛込とびこんだかられは一喧嘩けんくわかとおもつた、だけれどしようさん今夜こんやはじまらなければれから喧嘩けんくわおこりッこはいね、長吉ちやうきち野郎やらう片腕かたうでがなくなるものふに、何故なぜどうして片腕かたうでがなくなるのだ。おまへらずかれも唯今たつたいまうちのとつさんが龍華寺りうげじ御新造ごしんぞはなしてたをいたのだが、のぶさんは近々ちか〴〵何處どこかのぼうさん學校がくがう這入はいるのだとさ、こゝも仕舞しまへばねへや、からつきりんなそでのぺら〳〵した、おそろしいながものまくあげるのだからね、うなれば來年らいねんから横町よこちやうおもてのこらずおまへ手下てしただよとそやすに、してれ二せんもらふと長吉ちやうきちくみるだらう、おまへみたやうのが百にん中間なかまあつたとてちつともうれしいことい、きたいはう何方どこへでもきねへ、れはひとたのまないほんうでッこで一龍華寺りうげじとやりたかつたに、他處よそかれては仕方しかたい、藤本ふぢもと來年らいねん學校がくかう卒業そつげうしてからくのだといたが、うして其樣そんなはやつたらう、爲樣しやうのない野郎やらうだと舌打したうちしながら、れはすこしもこゝろまらねども美登利みどり素振そぶりのくりかへされて正太しようたれいうたず、大路おほぢ往來ゆきゝおびたゞしきさへ心淋こゝろさびしければにぎやかなりともおもはれず、ともしごろよりふでやがみせころがりて、今日けふとりいち目茶々々めちや〴〵此處こゝ彼處かしこあやしきことりき。

美登利みどりはかのはじめにしてうまれかはりしやう振舞ふるまいようあるをりくるわあねのもとにこそかよへ、かけてもまちあそことをせず、友達ともだちさびしがりてさそひにとけばいまいまにと空約束からやくそくはてしく、さしもになかよしなりけれど正太しようたとさへにしたしまず、いつもはづかしかほのみあかめてふでやのみせ手踊てをどり活溌かつぱつさはふたゝるにかたなりける、ひとあやしがりてやまひのせいかとあやぶむもれども母親はゝおや一人ひとりほゝみては、いまにおきやん本性ほんしようあらはれまする、これは中休なかやすみと子細わけありげにはれて、らぬものにはなんことともおもはれず、をんならしう温順おとなしうつたとめるもあれば折角せつかく面白おもしろたねなしにしたとそしるもあり、表町おもてまちにはかえしやうさびしくりて正太しようた美音びおんことまれに、たゞな〳〵の弓張提燈ゆみはりでうちん、あれはがけのあつめとしるく土手どてかげそゞろさむげに、をりふしともする三五らうこゑのみ何時いつかはらず滑稽おどけてはきこえぬ。

龍華寺りようげじ信如しんによしゆう修業しゆげうには立出たちいづ風説うわさをも美登利みどりえてかざりき、あり意地いぢをばそのまゝにふうめて、此處こゝしばらくのあやしの現象さまれをれともおもはれず、たゞ何事なにごとはづかしうのみありけるに、しもあさ水仙すいせんつくばな格子門かうしもんそとよりさしきしものありけり、れの仕業しわざるよしけれど、美登利みどりなにゆゑとなくなつかしきおもひにてちがだなの一りんざしにれてさびしくきよ姿すがたをめでけるが、くともなしにつたそのけの信如しんによなにがしの學林がくりんそでいろかへぬべき當日たうじつなりしとぞ

をわり

底本:「文藝倶樂部第二卷第五編」博文館

   1896(明治29)年4

初出:(一)~(三)「文學界 二十五號」文學界雜誌社

   1895(明治28)年130

   (四)~(六)「文學界 二十六號」文學界雜誌社

   1895(明治28)年228

   (七)~(八)「文學界 二十七號」文學界雜誌社

   1895(明治28)年330

   (九)~(十)「文學界 三十二號」文學界雜誌社

   1895(明治28)年830

   (十一)~(十二)「文學界 三十五號」文學界雜誌社

   1895(明治28)年1130

   (十三)~(十四)「文學界 三十六號」文學界雜誌社

   1895(明治28)年1230

   (十五)~(十六)「文學界 三十七號」文學界雜誌社

   1896(明治29)年130

※「それ」と「れ」、「まつり」と「まつり」の混在は、底本通りです。

※「萬燈」と「万燈」、「愛嬌」と「愛敬」、「島田」と「嶋田」、「構」と「搆」、「恥」と「耻」、「拔」と「㧞」の混在は、底本通りです。

※初出時の署名は、「樋口一葉女史」です。

※変体仮名は、通常の仮名で入力しました。

入力:万波通彦

校正:猫の手ぴい

2018年426日作成

青空文庫作成ファイル:

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