忘春詩集
忘春詩集
室生犀星

佐藤惣之助兄におくる




忘春詩集序言


 この詩集がはしなく忘春と名づけられたのも、今から考へると何となく相応しいやうな気がする。さまざまな大切なものを忘れて来たやうで、さて気がついて振り返つて見ても何ひとつ残つてゐないやうな私には、この忘春といふ美しい織物の裏地をさし覗くやうな文字のひびきからして、しつくりと私の心からゑぐり出したもののやうに思へる。私ばかりではなく誰人でも忘春の心があわただしく胸を衝くことがあるかも知れない。それだのに私は私らしく人一倍にそれを言はうとする迅りかけた心をもつものである。つまり私は私らしくをりをり自分の暮しのなかに何かを拾ひ蒐めようとして、扨て何物をも拾ひ得なかつたかも知れない。あるひは私の拾ひ得たものは瓦と石の砕片かけらで、さうして他に貴重なものがこぼれてゐたと言つた方が適当かも知れないのである。

 も一つ私はこの詩集のなかで、自分の子供を亡くしたといふよく有り触れた境致に、さういふ人生の真実に何時の間にかに触れたといふことに、私は始めて驚いたと言つてよいのである。人生といふものは辛酸の続きであるといふより、私にとつて人生は結極美事な驚きをその悲しみより先き立つて囁いたからである。人一倍さういふことに打たれる私には、一切の哀愁よりも先づ私といふ微些な一個の人間が始めてこの世のものに、さうして人生といふものを解りかけたからである。平淡で、その上すこしの波動のない私の暮しの中では、何ものに増して私を驚かせたことは実際である。

 これらの詩はどこか十九世紀の匂ひがするほど、古い言葉と形式とで充たされてゐることも、私にとつては決して偶然ではない。むしろさういふ古い文語を選んだといふより、ひとりでその形式を嚥み込んでそのまま呟やいたと言つた方が適当かも知れない。私が十年前に試みたやうな調子トオンをさへ含羞をもつて今もなほ、小娘の伏眼がちなたどたどしさで歌はれてゐるのを見ても、まだ私の心には多分な抒情の萌しがあると言へるのである。しかし何となくこれか私の抒情詩としての最後のものであることが、なほ褪色ある春花を曇天の梢に仰ぎ見るやうなうら寂しさを感じるのである。

 抒情詩といふものは穴蔵にある古酒のやうなもので、年古くなると同時に芳醇と清澄との味ひをもつものにちがひない。いつの時代か繰りかへされてもかれだけは真実で小ぢんまりしたつやけし玉のやうにこつくりした光で、さうしてその光を永く失はない。──一人の詩人がもつ年若いころには、みなさういふ抒情詩を書く時代を経験してゐる。それゆゑその人はその抒情詩の時代をどれだけあとあとまで懐慕するか分らない。私にしても今もなほその古いころと引続いた気もちを多分に感じるものである。しかもなほそれをたまたま人生にあつたいぢけた花の一つとして、ひそかに人知れず摘み取つて置きたいのである。

十一月初旬
著者


忘春



忘春


いつの日に忘れしものならん

納戸の小暗きを掃きたりしに

三株ばかりの球根きうこんたね

隅よりころがり出でて

もはや象牙のごとき芽を吹きけり。

芽にちからあり

指触れば水気みづけふくみゐて光る、

余りにしほらしく

土にうづめぬ。



ふいるむ


わが家はきのふもけふも

子守唄には暮れつつ

洋灯らんぷしたにみな来りて

おころりころりをうたへり。

人の世の佗しさおのれ父たることの

その真実まことを信じる寂しさ。

ふいるむのうつり変りゆく

その羽毛はけのごとき足なみの早さに

おのれひとり

いくたびか停まらんとしつつ

その陰影かげをさへとらへんすべもなし



馬守真


古き支那の世に

馬守真といへる金陵のをんなありき。

蘭をゑがくにこまかき筆をもち

客にそがひせるいとまいとまには

心しづかに蘭画を描きつつ

うすき女らしき優墨にふけりしと云ふ

その葉を書き表はしたるものの

やさしく艶めき

品ある匂ひこぼるるごとし。

さればさびしき折折の

えもいはれず坐りてながむるなり。




古き染附の皿には

かげ青い象ひとつ童子にかれ歩めり。

この皿古きがゆゑ

底ゆがみ象のかげ藍ばみ

皿のそとにも寂しきかげを曳きけり。


かかる古き染附の皿には

うるしのごとく寂しく凝固かたまりたるそこ見え

日ぐれごろ

象のかげ長からず

ちぢまり一入悲しげに見ゆ。



つれづれに その一


日ざしいつか暖かくなり

わがかどのべにうららかなる。

門のべに立ちいでて

白き路をながめ

空しく人かげを見おくる。

人かげ垣根にまがり

ちぢまり顫へゐる。

いびつになりて見ゆ。



つれづれに その二


ゆかしき家ならびて

門のべも清く掃かれある。

門のべにみな桜つぼめる。

垣のうちに子守唄やさしく

小路の日だまりに支那人のかがみて

陶器に金焼を入れ

砕片かけらをつげるある。

みな静まりて心をこむる姿なり。



南京町


家家の石壇の上に

支那人の子供らむれつつ遊べり。

おはじきの硝子玉をならべ

おのれ異国とつくにの町にあることを知らず。

哀れを強ふることなし。

われはとある料亭にのぼり

支那の食事をしたため

さびしき南京の茶を味ふ。



筆硯に


われ筆をとることを憂しとなす

こころなく何をつづらんとする。

夜ふかく洋灯らんぷを点火し

母のすがたをおそれ書きものをしつ

倦むことなかりしわれなるに

いまは筆とることのもの

たとへよしあしをつづるとも

何とてかかる深き溜息をするものぞ。

花ぐもり憂き日に

われひとり筆とり哀しむ。



あきらめ


あまりにしきものら

ゆきかよへばこころ乱るると云ふか

みそぢ越えしものの止むなきあきらめ

わがうへにも乗りうつり

しきものを忘れゆくあさに夕なに。

かくこころづき

おのれかへり見るとき微笑みの漏るる。

せん方もなくばうじがたきに。



桃の木


小学校のまはりには桃咲きけり。

はしき子ら出で来りつ

桃下あかきにまり

みな笛のごとくうたへり。

いつの日、わが子の

この桃の木のもとを歩まん。

ちひさき靴をはき

いつこの土の上に下り立たんものぞ。

埃のうち美しき織りもののやうに

子らは午後ひるぎをかへりゆく

みな桃の木を仰ぎたれど

手折らんとするものもなき

みな修身の心のをさめ。



晩い春


隣りの時計はいつも

すこし早まりつつ鈴をならせり。

気にかかれどせん方なく

きのふけふを暮らしつつ

いよよ早さ増さりゆきけり。



道草


わが妻とともに語らひ

町へ出でゆかざること幾年になるべき。

わが妻をあはれと思はざることなけれど、

もはやわが妻をたづさへ行かんに

あまりに眩ゆきここちぞする。

稀れに立ちいづることあれど

垣根のくらきに添ひ行くのみ。

妻は家をまもるもの

まことに立ちならび出づることなくなりぬ。



童心


をさなきころより

われは美しき庭をつくらんと

わが家の門べに小石や小草を植ゑつつ

春の永き日の暮るるを知らざりき。


いま人となり

なほこの心のこり

庭にいでてかたちよき石を動かす。

寒竹のそよぎに心をのぞかす、

われは疲れることを知らず。


ひとりかかる寂しきひそかごとを為しつつ

手をあらひまた机に向ひぬ。

このこころなにとて妻子の知るべき

まして誰にか語らんとするものぞ。


わが家の庭にさまざまの小草さかりて

みな花を着けざるはなかりしが

いまは花咲くものを好まず

わが好むは匂ひなく

色つめたき常磐樹のみ。



明代の陶器


町に出でゆき

古き磁器じきひさぐ店をあさり

終日つめたき陶器に手をば触りつつ

かかる寂しさにわが心やどるか。


陶磁器をあさるこころを誰かは知らん

また誰にか告げん。

ひそかに支那明代の壺を抱き

しづかに我が家をさして帰へる。



禁断の花


ひと妻をしと思はば

もはやをとめごに心走らすことなし

かかるときも軈て君にきたらむ、


かくいへる友の

さぶしき顔目にうかびたり

されどそはまことのひびきあり

ひとのもちものの

及びがたく艶めき

﨟たげにうつくしく

花のなやめるごとき……。

ひと妻を恋はんとするを罪とがとする、

荒き掟ある世は寂しきかな。



ちちはは


われとわが子をづるとき

老いたる母をおもひいでて

その心に手をふれしここちするなり、

誰か人の世の父たることを否むものぞ

げに かれら われらのごとく

そだちがたきものを育てしごとく

われもこの弱き子をそだてん。



あるとき

心をさまらぬときに

われは習字の筆とりしたしむ

何をゑがきしかを知らず



ちやんちやんの歌
──萩原朔太郎に──


けふ町に出で

君が愛児まなごのため

うつくしきちやんちやんを求め購ひぬ。


君が子はをんな児なれば

綾なすちりめんこそよけれと念へるなり、

その包みを抱へかへらんとすれど

わが家にもあかん坊の居るべかれば

君が子のみに送り

わが赤ん坊を何とておろそかに為すべき、

われは今一枚の羽二重なる

あまりに派手ならざるちやんちやんを選み

その包み二つを提げ

上野広小路の雑閙の中を歩めり。

人込みのなかに揉まれつつ

君とともに身搾みすぼらしく歩みたる時と

既に人の世の父たることを思ひ

ぼんやりとまなこ潤み

いくたび寂しげにその包みを抱き換へしことぞ。


君がまな児はわが児にくらべ

一つ上なる姉なり

かく寂しきことを心に繰り返し

早や君に送らんことに心急ぎ

ふたたび車上の人となる。

やがて子守唄やさしき君が家に

わがちやんちやんの到くならん。



我が家の花




悲しきとき笛を吹きけり。

ほそく静かに吹きけり。


その笛の音いろのとどかんところには

かならず笛のねいろを聞くものあらんと

羽がひやさしきものの静かに耳を傾け

杖などもちてあらんと思ひ

われにもあらぬあさましき我がなす笛の

いつにならば鳴らずなるものか。


河鹿を呼ぶ笛ならば

水の奥ふかくこたふるならんも

わが笛はそらにきえちぢまりゆくのみ。



溜息


わが家には子守唄はたと止みつつ

ひとびと物言はず

ものうげにうごくことなく

ただ溜息のみつき

きのふもけふも暮れけり。

われのいひを食みつつ

ふとものの声音に耳そば立て

しばしば顔をあはせ悲しみけり。

あか児の生きてありせば

涼しきレースのころも着せんものをと

かへらぬことのみ言ひ暮らしぬ。



夜半


みな花をもて飾りしひつぎをばとりまき

あめふる夜半よはをすごしぬ。

人の世のちひさき魂をなぐさめんと

けぶる長き青い草のやうなるせん香を

たえまなくささげたりけり。

その座にわれもありまづしき父おやとして

そだちがたきものをそだてんと

日夜のつかれさびしき我もつらなりぬ。



靴下


毛糸にて編める靴下をもはかせ

好めるおもちやをも入れ

あみがさ、わらぢのたぐひをもをさめ

石をもてひつぎを打ち

かくて野に出でゆかしめぬ。


おのれ父たるゆゑに

野辺の送りをすべきものにあらずと

われひとり留まり

庭などをながめあるほどに

耐へがたくなり

煙草を噛みしめて泣きけり。



我が家の花


そとより帰りきたれば

ちひさきおもちやの包みかかへ

いそいそとして我が家の門をくぐりしが

いまそのちひさき我が子みまかり

われを迎へいづるものなし。


母おやはつねにしづかにしづかにと言ひ

あかごの目のさめんことをおそれぬ。

さればわれはそのくせづきし足もとを静め

そとより格子をあくればとて

もはや眠らん子どもとてなし。

かくして我が家の花散りゆけり。



あきらめのない心


わが子のあらんには

夏はすずしき軽井沢にもつれゆき

ひとの子におとらぬ衣をば着せんもの

こころなき悪文をつづり世過ぎする我の

いまは呆じたるごとき日をおくるも

みな逝きしものをあきらめかねるなり。


ひとびとはみなあきらめたまへと云へども

げにあきらめんとする心、

それを無理やりにおしこまうとするは

たとへがたくおろかなり。

あきらめられずある心よ

永くとどまれ。



最勝院自性童子


朝日のうつれる、

みどりのかげさせる障子のうちに、

ねむりふかく居しなれ。


庭よりその部屋をさしのぞくに

白き肌せる時計のみ音しづかにかかり

なに人もとどまりあらず。

きのふ乳母ぐるま買はんとおもひ

よこはまにも行かば形やさしきを得んと

立ちあがりしわれなるに

なに人もなき部屋にさす朝日のみあかるく

ひとつの影だにもなき。



童子


やや秋めける夕方どき

わが家の門べに童子わらべひとりたたずめり。


行厨うちかひをかつぎいたくも疲れ

わが名前ある表札を幾たびか読みつつ

去らんとはせず

その小さき影ちぢまり

わが部屋の畳に泌みきゆることなし。


かくて夜ごとに来り

夜ごとに年とれる童子とはなり

さびしが我が慰めとはなりつつ……



おもかげ


よその児をながめむとて

何しにこころ慰め得べきものぞ。


よその子はよその子にして

わがおもかげをつたふべきにあらず

されば何しにうらやむものぞ

かく思へどもよその児のよく肥り

可愛げなるを見れば

畳を掻くごとくくやしきここちす

みまかりあとかたもなきわが子の

いまはいづこにあらむかと思へば

とり返しのつかぬことをせし、

泣きもえぬことをせしものかな。



五月幟


あをき魚のかたちせる

五月幟さつきのぼりもたてつつ

わが子をことほぎ

かくなせしもみな過ぎたることとなりつつ

いまはその鯉幟をつつみ

目にみえぬところに匿せり。

かるはづみにながめてならぬ──。



衣をわかちて


そのころも手にとることなかれ

その紅きいろまなこに泌みつき

せんかたもなし。

されどわれは妻にかく言ひまどひつつ

その衣手にとることなかれと云へり。


衣のなかに何の眠りがありしか。

すやすやと呼吸がよひしものを

なんの眠りのあるものぞ。

貧しき子らにあたへんものをと人を馳せ

いまは皆わかちあたへ終りぬ。



いづこに


わが家の湯殿に

灯を入れ

母おやひとり湯にひたれり。

膝の上に児のありしものを と 悲しむ。

いくたび我もそれに触れけん

まろやかに肥えたる我が子の

胸おもひいでて泣きけり。



秋の水溜り


朝は清き水溜りをつくれる、

露めきて雨のたまれる、

いぶせきこのやうなる日は籠りて語らず、

白白しき障子閉めきり

まことに語らぬ我等となりぬ。

ゆめのやうなる人生に

われのみ居残れるものか、

水溜りをさし覗けば樹のうつれる、

されど我が子うつらずなる……。



古き月



緑のかげに


みな緑のかげをさまよふ、

あをき垣根にそひ うつ向き楽しげに。

われ 街のくらきやどりに暮れし日も

ひとりの少女のおとづれとてなかりし。

いまの世のわかきひとびとら

白き手をつなぎ

垣のかげにみなたのしげに語れり。


われはかくあらんことを願はず。

されどかくあらざりしことの

わが思ひをつんざくことの何んぞ激しき。




どろんとせる池に

紅き鯉むらがり居て

みな寂しき腰をくねらせり。

われはげにかかる太き腰を眺めつ

あつき日ざしをかしらに受け

濁れる池みづのなかに心を遣りつつ

ともすればふさがんとはする。

あまりに紅くいきいきしく悲しければ。



樹を眺む


わが部屋に花挿すことを好まず、

まして庭の上にかざさん花をとどめず、

うつくしと思へども

たよりなく脆きは花の咲くこころなり、

むしろ苔蒸す庭樹の

風なきときの姿の悲しさ、

老いたる顔さしのぞくごとく

その肌にたなごころ触れつつは居る。



こころ


われはわが心の萌ざしを売り

佗びしきたつきの代となす。

いくたび我をあざむきしかを知らず

いくたび同じき書物に

ひとみをさらすがごとき

さびしき思ひをなしけん、

かかる心つねにつめたく沈みゐて

われをかくは捕へんとする──。



詩情


詩はふるきほど尊とく

こゝろむかしの言葉をえらみ

潤ひを慕はんとはする、

まことわが心ひさしく荒みたり。

けふ洗ひざらしの身をもて

いくたびか かつ机に対ひ

詩にこもらんとして又たためらふ。



貧しきもの


われはあまりに貧しかりければ

そを思ひいづるごとに

日毎にこころあさましくはなりぬ。

彼の日 まちにてほしかりしもの

けふ にはかに求め

われとわが心をばなぐさめぬ。

しづかにいたはり愛でぬ。

あまりに貧しかりしものは常にかかる

云ひやうもなき果なき心にはなりつつ……



部屋にこもりて


わたしの部屋には

つめたい陶器ばかりあつまつてある、

わたしはそれに触りながらゐると

いつも雨にさはるやうな気がする、

わたしはときどきさういふ冷たいものに

触らうとする自分をいとふ、

もうすこし温かいものに

わたしの慰めよ、しづかに思ひをかけよ

さうわたしは考へるけれど

やはり手をつめたくさはらしてゐる

どうすることもできない。



駱駝


うすき日かげに

駱駝つながれ居る。

老いたる人のごとく

もぐもぐと終日もの食みてゐる。

天幕は雪空のごとく

灰ばみ悲しげに吊られ

駱駝もの言はず

ひねもす口を動かして居る。



かげろふ



塩原道


秋ふかき塩原道を

わたしの自働車はひた走りつつ

いつしかくらみゆき

はや日暮となりけり。


落葉ふみしき

山の上に漏るるともし火を見過して

水のひびきにひ込まれゆく

わが自働車の肌も夜つゆに湿りたり。


みやこにて夜昼となき

わがわびしき作のつかれを

こころゆくまで

温泉につかり心しづめん



雨あがり


また人群ひとごみにわれは来りつ

立ちなやみとどまりにけり。


雨上りぬかるあさくさに何の用ありて

遠くいでてこしものぞ。


あかき旗あまた立ちならび

雨に濡れ色は沈めり

その赤きいろ心を去らず。


妻ある身のけふひとりもののごとく

さあらぬよそほひしつ

甃石しきいしにすてつきちたたき

あなたこなたに心をさまよはす。

こをあさましといはば

何をいさぎよしと云ふものぞ。

さまよひの味ひ忘れがたく。



かげなきもの


きのふもけふも

ふいるむの女わすれがたく

わがをさなきこころ叱りつつも

あゐいろのかげさす

おぐらき小屋をたづねたり。


消えてかげなきものを

わが何をか求めんとするものか。

まことわが妻もまたかかる

とつくにの女を求むるに

いつしかとがめずはなりぬ。


とつくにの女なるために

そのこころ安きにやあらん。

消えてかげなきものゆゑ

華やかなるものを慕ふ人間の心に

なにとて咎あるべき。



かげろふ


まことに吾ら

むなしきかげろふをつづるのみ。

きのふ有りしわが名なにとて

けふ人人の前にほこりうるものぞ。


われをたよらんとする母も妻も

またかくてわが哀しきをまなび見ん。



うぐひす


わが家のうぐひす

よるもなほ灯にむかひては啼けり。


まだ稚なければ

しばしば啼き吃り

また啼きもどりつつ

さぶしき日をくりかへしゐる。


そををかしと思ふものなく

さぶしとこそ思ふものあらん。



空中に


われ文章をつづらんにもの懶く

あぢはひ悲しければ

けふもヒツポドロムを見にきたりつ、

そのなかに空わたりする

マテニと云へる露西亜のをんなのありき、

肥えたるからだに肌衣はだぎを着け

露き出しの手と足とをもて

おのれ空中を泳ぎまはり

せん方もなく危なげに悲しくぞ見ゆ。


げにわが文章もかく

いのちがけならんには

こころ栄えんものを

などて溜息しつつわれの眺むる。


空わたりするとき

そのからだ空にかかりてありき、

人のからだ空に見ゆるときの

なんぞ美しく柔かき

その足するどく反りかへり悲しくぞ見ゆ、

佗びしくぞ見ゆ。




ある人、月の世に行きしが

おのれ一人なりしため

あまり寂しくつひにもどりぬと

魚のはだゐにしるしつ……。



秋日


秋日あきびかげうすく

ゆるるは竹のかげのみ。

しめれる土の上にいぶせきかげの

時うつりゆくごとに

西へ震へて過ぎる。

かかる心われにもやどり

かげはかげを重ぬる

かくて秋日をばうじたるごとく

端然とわが座りてゐる。



菊花


はじめて菊の白きをしと思へり。

うつくしと思はざりしことなかりしが

けふ石刷の百寿図のかたへに

白菊を生けつつ

おのれはじめてしと思へり。



母と子


母よ わたしの母。

わたしはどうしてあなたのところへ

いつころ人知れずにやつて来たのでせう

わたしにはいくら考へてもわかりません

あなたが本統の母さまであつたら

わたしがどうしてこの世に生れてきたかを

よく分るやうに教へてくれなければなりません

わたしは毎日心であなたのからだを見ました

けれどもわたしが何処から出てきたのかわかりません。


わたしは毎日あなたを見詰めてゐるのです

ふしぎな神さまのやうに

あなたの言葉のひとつひとつを信じたいのです

母さまよ わたしに聞かしてください

わたしがどうして生れてきたかを──


いいえ 坊や

お前はそんなことを訊いてはなりません。

おまへは温良おとなしく育つてゆけばいいのです

大きくなればひとりでにみんなわかることです。

母さまの たましひまでしやぶりつくしておしまひ。

母さまが瘠せほそれるまで。


おまへが大きくなるほど

母さまはぼろぼろになるのです

それほど瘠せおとろへしてしまふのです

母さまはいまは誰もふりかへつて見てくれません。

母さまの心臓もからだも

そしてしまひにはお前を抱き上げるちからもなくなるでせう。

子守唄もうたへなくなるでせう

けれども子供よ かまはず大きくおなり

母さまのおちちのなくなるまで

みんなみんな舐つておしまひ。


母よ わたしの母。

あなたはなぜ一人で門のところへ出るのです

そして一日何をつぶやいてゐるのです

わたしはなぜ寒いところへ出なければならないんですか

わたしはすやすや睡りたいのに

きのふも今日も同じい石壇いしだんの上に座つて

そして同じいことを聞かなければならないんですか。


わたしが目をあけてゐると

なぜさうわたしを見詰めてゐるのです

わたしを起してはなりません

うとうと睡るとすぐあなたは起してしまひなさる

そして同じいことばかり

わたしには分らないことを呟きなさる

あなたが本統の母さまであつたら

わたしをあの寒い門のところへ抱いて出ないでください


子供よ

おまへはよく似てゐます

そつくりお前のいふことは二度聞く気がします

いいえ いいえ

似てはなりません

さういふ物の言ひかたをしてはなりません

おまへは母さまだけに似るのです

誰にも似てはなりません

おお 母さまだけに

そして微塵もよそのひとに似てはなりません


おまへは母さまの子供です

この世でただひとつの母さまの大切なおたからです

そして母さまの心のとほりにならなければなりません


母よ わたしの母。

わたしはあなたに似て居ります

あなたの美しいお心そつくりのわたしです

わたしは誰にも似たりしません

わたしはあなたを舐りつくしませう

そのかはりあの寒いところへ出るのは厭です

あそこへ出ると暗い咳の音がするのです

わたしはあの音がきらひです

陰気でさびしい音が今にもしさうです


いいえ 坊や

あれは咳の音ではありません

水の音です

母さまは水の音がすきです

母さまはあの音をきいてゐると心が憩まるのです。

子供よ おまへはあれを聞かないで

わたしにいつまでも抱かれておいで

そしておちちをお舐り

かまはず大きくおなり。


子供よ

みんなお前にあげたのだから

さう悲しさうにわたしの顔を見てはなりません。

母さまの大切なからだも

さうしてその心も

みんなみんなお前にあげたのだから。



帰り花を見る



帰り花を見る


むらさきの枝に白い斑点はんてんがある。

よくみると陶器にいてあるやうな

支那風な何かの白い花である。


花の肌はのんびりとしてゐなくて

ちぢれてうすい黄みをぜてゐる

匂ひはあるかないか

近づいてもどうもかぎあてられない。

白高麗から削り取つたやうにも見える。


幽遠な小春日こはるびのしごとで

なにか思ひ出してふいに咲いてみたが

寒くてようは開かれずに

余りたのしいことがない

そのためちぢれて悲しげに見える。

ぽつぽつのある枝に

うてなも短かく花が帰り咲きをしてゐる。


永い間枝に着いてゐて

花はちることを忘れてゐるまに

くされてしまつてゐた。


小春日も終りであらう

帰り花なぞといふゆめばかりもない霜の日になつた。



蛾と母親


夜はまだ永い、

永いほど草深い夜の匂ひに充ちてゐる

洋灯らんぷが部屋のまんなかに点火ともれてゐるのに

田舎の母親でもたづねて来はせぬか。


それに大きな蛾が来てゐて

洋灯らんぷのかさに止つてゐるのだもの。

もしや卵でも生んでゐはしないか

あんなにこまかく羽を震はせてゐるから

そつと近づいてよく見てごらん。


それとも幽かな明りをしたうて

それだけの望みで来たのかも知れない

蛾といふものは夜生れたものではなからう。

それだのに夜ばかりどうして飛ぶのだらう。

そして絶え間なくぴりぴりと

羽をふるはせてゐるのは

きつと卵でも生んでゐるのではないか。

もつと静かに気をつけて見たら

蛾は歩きながら黄色の卵をおとして行くのが

見えてくるかもしれない。


こんななが

一晩ぢゆう生んでゐたら

わたしだちは黙つたきり

蛾の羽の粉にあてられてしまはないか

そして眠れなくなるだらう

草深い匂ひがして田舎の親がこつそりと

表の戸のそばへ尋ねてきさうな晩だ

あかるい洋灯らんぷをもつと

底土へ零れるやうに出さうぢやないか。



退屈な舟あし


こんなに雨のふるのに

そと出をしなくともよいのに

ぬかつた道路へわたしは出てゆくのだ

そしてせいぜい煙草をひとつくらゐ買つて

雨にぬれた馬と車と人とを眺め

またもときた道路へひきかへすのだ

誰も見てゐないので引きずつて歩いた悲しい今日の心を

さて何にさぐりあててよいのか

家も馬も車も人も樹もいぶせく濡れてゐた

その中をあるいてゐる私も

雨にけぶつた一すぢの河の上にも

快活を失つたあめいろの舟が濡れてゐた。


あんなに快活な舟でさへも

何といふ寂しいあしなみであつたことか

退屈ざましをしらない人生のる日には

きさくな私さへ

馬や車や人や家や橋にまぎれて

とぼとぼとわるい顔いろをして歩いてゐた。



小鳥だち


浅間山のふもとに

みどりのへりを取つたテニスコートが

昼もなほ露をふくんで

青い絹地のやうに畳まれてゐた。

すべつこいコートの肌の上に

白い珠の舞ふ綱張りのなかで

翼の色のちがつた小鳥たちが走つてゐる。

私は毎日コートのそばへ出かけた。

ああいふたま投げが人生にとつてどれだけ愉快であるか

まだ生れてから快活な遊びをしたことのない私に

あれらがどれだけ楽しいものであるかも知らなかつた。

私はただ舞ふ白い珠を見てゐた。


白い珠をへだてて

毎日ふたりの美しいあひのこが来てゐた

薔薇ばらいろをした頬が日に焼け

みのつた杏のやうに汗ばみ

その白い小鳥はすばやく走つて行つたり

どうかすると天へ吊り上げられるやうに

珠とむつれ合ひ微笑わらつて

花のやうにコートのそとの緑を染めた。


コートのそとの緑草は珠をひらひに来たあひのこを

緑の葉を白い服にぺたぺた塗りつけ

まはりに集団あつまり

しばらく自分らのからだにかざしてしまひ

その薔薇色の花を咲かせた。

娘はそれきり草場の中で

何かの願ひをきいてゐるやうに

身をうづめ匂へるだけ匂うてゐた。


私は又むつまじい親子をみた。

母と父とさうして娘とが隅の方で

しづかにコートの上を走つてゐるのが

影のやうに曳かれてゐるのを見た

娘は母親を、父親は娘をいたはりながら

白い珠のかげをうてゐた

外国人であるためか

それがさびしく心を捉へた。


雨の日はだれも来なかつた

真紅の襯衣シヤツをきた小鳥だちもゐず、

花の香のする麦藁帽も匂はなかつた、

ただ高原の冷たい雨がふるばかりだつた、

それが続いた九月はじめに

小鳥のむれはいつの間にか影ををさめた。


私は人かげまばらな

美しい異国女の見当らないテニスコートに、

いつの間にか草が生えかかつてゐるのを、

冷たい雨の中で眺めた。

秋と冬と同時に動くこの山頂で

おびただしい色鳥の空わたるのを聞くだけだつた。



かもめの青い斑点


竜宮のそとのあをい波風に

間もなく逢へる乙姫様のことを考へると

嬉しくなつたあげくに

こらへかねて浦島太郎は嚏を一つした。


空気をふくんだ泡つぶが海のおもてで

幾つもはじいて破れたのが

とほりかかつた鴎の背中にぶつかり

それきり青い斑点しみになつてしまつた。


村の小学校では

その青い斑点のなかに

すれすれになつた古い城を見つけた、

城のなかにさまざまな魚がゐて

それが又さまざまな部屋のなかに住んでゐた。

そして生徒に見せて置いて

先生が青くさい説明をしたとき

あとかたもなく青い斑点しみは消えてゐた。

しかし誰もそれを知らない。

鴎は飼はれてゐるがやはり知らなかつた。




柿がまた一つぽたりとちた

楽しみにしてゐたのが毎朝かうやつて

をしげもなく時には二つも三つも落ちる

しまひには一つ残さずに

みんなくされて落ちてしまふかも分らない

さうなると楽しみはなくなる

晩など枕もとにひびいて

陰気な音を立てて落ちる。

また落ちましたね

あんなに落ちてしまつて

どれだけも枝に残りませんね

さう女も気にかけて言ふのだ

だがああして毎日落ちるものを

切角のものだがどうにもならない。

柿といふものは妙に重い頭のやうな

ぽたりと音を立てておちるものだ。

見たまへあんなに累累としてゐた星族が

もういまでは頂の方に三つ四つしかない

せつかくのものを

あんなに女らがつて照るのを待つたものを!

しかし柿自身だつてどうにもならないらしい

ましておれなぞそばへ寄つておしんでも

さてそれもどうにもならないことだ。



垣にそひて


まだ青い垣根にそうて

うら町の静かな路がつづいてゐる。

どの家にもささやかながら庭があり

庭には雨あとの水がたまつてゐる

清い水の上に木の影がある。


さういふ景色のなかに

動かない秋がこもつてゐるのか

わたしの歩みも静まる心もちがする

湿しめりをおびた土の上に

垣根の葉がこまかい。


さういふ景色のなかで

わたしはふと耳をかたむけた。

聞えないくらゐひつそりと

誰かが爪をつてゐるらしい音がしてゐる。


さういふ景色のなかで

貝のやうな爪を切る寂しい音がつづく

爪は心に重みのあるときや

悒悒くさくさしたときによく伸びるといふ

その爪を女が椽側でひつそり切つてゐるのだ。




蟻の穴がつづいてゐる

うす暗い地下鉄道のやうに

地のそこ深く闇が張りつめられてゐる


緑色の巷や町や辻辻の

あかるい明りを点したところにも

くらい穴がつづいてゐる。

都会の固たい甃石しきいしの下にも

大食堂の外廓の

白いなめしの上にも──


蟻は寂しい穴の中にも

緑色の王宮や王女や侍女などの

星のやうにならんだ宮殿へ

夏の日のあかるいささげものを搬んでゐる


人家のあるところから

人人の目にも寂しい姿をさらしながら

よいかをりをした桃色の車をつらね

白い光つた土の上を走つてゐる

火のやうに急いでゐる。



舞踏


舞踏のある晩だつた

盛りあげた薔薇ばらのやうな異国の小鳥たちが

美しい杏色をした肌衣に

みな日本の夜露を含んで

劇場の廊下いつぱいに立ち匂うてゐた。


耳輪や頸飾くびかざりや扇や手提袋や

桃色や緑いろや乳色や

さういふ一さいの翼ある色が動いてゐた。


それらの外国婦人のあひだに

なりの低い日本の娘が白魚のやうに

しなやかなうすものを着け

内気な白足袋のさきをぴんとそらせ

さうして静かにはづかしさうに歩いてゐた

からだの円みをなだらかに辷る縞物に

みな扇のかげに小さい脣を隠してゐた

日本の娘の美しさは心を惹いた。


かれらは一様に人生がいかに愉しいものであるか

貧乏はいかにいやしいものであるか

さういふ顔つきをしながら

美しい足さばきをそろへ

あるものは青いセリイ酒を飲んだりした。


王女や小鳥や孔雀のむれは

間もなくパヴロアの舞踏を見た

粉ぽい西洋紙がまるめられ

音楽のまにまに舞ひ沈みながらゐた

どこから入つてきて止つたのか

肉じばんをはいたパヴロアの

長いしなやかな足さきに

青い一匹のいなごが止つて足掻あがいてゐた。

それを知らずに花を抱いたパヴロアの

人の善いあいさつが皆を喜ばせた。


草深い日本の暑い秋ぐちに

肌白粉をふいてゐたパヴロアは

膝の上にとまつた青い一匹の蝗に驚いた

それを窓口へすてたあとで

どこか場末の興行でそれを見たことのあるのを思ひ出した

それは露西亜だつたか

亜米利加だつたか

倫敦だつたか

それとも避暑地の食堂で踊つたときだつたか

思ひ出せなかつた。


劇場の外では

孔雀や王女や小鳥など酔つた気もちで

秋ぐちの夜露に肌をさらしながら

くるまや自働車にのりこまうとしてゐた

月も星もない暑い晩であつた。

底本:「抒情小曲集・愛の詩集」講談社文芸文庫、講談社

   1995(平成7)年1110日第1刷発行

底本の親本:「忘春詩集」京文社

   1922(大正11)年12

入力:田村和義

校正:岡村和彦

2014年410日作成

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