「鶴」と百間先生
室生犀星



 このごろ私の随筆集が出たので出版元から是非内田百間さんに批評風な紹介を書いて貰ひたいと頼むと、内田さんは以前室生さんがあまり褒めて呉れたので、改めて褒め返すことが変だといふ理由で控へられたさうである。私が百間さんに褒められたのなら関はず褒め返すのに、百間さんはかういふところが内気な人らしいのである。そんな内気なんぞ叩きこはしてしまへといひたいくらゐである。

 こんどの随筆集「鶴」を見ると内気なものはなくなつてゐるが、「長春香」のやうな純情の漲つたものがある。この一文の哀れはなかなかに味ひが深い。「湖南の扇」でも「漱石先生臨終記」でも、「百鬼園先生言行録」でも皆すらすらと読めるし、読ますちからを持つてゐる。それらの表現は随筆的であるよりむしろ小説的構図を持つてゐるといつて好い。つまり内田百間の面白みといふものは悉く小説的な表はし方であるために、興趣があり哀愁があるのである。その証拠には大抵会話がおもに挿入されて行つて、読みよく滑らかさを活字の面に具へてゐる。単なる随筆の堅苦しさを持つてゐたら内田百間はあんなに有名にならないはずである。といつても純粋な身辺小説であるといふことは断言出来ない。つまり彼の随筆があんなに面白いといふことは、随筆と小説の雑種児あいのこ文章であつたからであろう。雑種児といふものは人間にあつても必ず美しいものであり、特色の烈しい眉目を持つてゐるものであるが、内田百間のアイノコ文章も誰も何もいはないけれど、どこまでも小説と随筆とが生みつけた文章らしいのである。ああいふ小説くさい随筆を書く人はゐないらしい。そしてその小説くさいところが彼の身上であらねばならない。

「鰻」のことを書けば「鰻」の理窟をいひ「沢庵」には「沢庵」の弁をしやべくる彼の表はし方は、なかなかひと癖どころか十癖も持つてゐて、立派な小説を書く手腕を残念ながら随筆風情に身を委してゐる。ちよつと人には解り兼ねる嘆きと憤慨とこん畜生といふやうな描法的な拗ね方さへ見られるのである。であるから随筆はますます面白くなるのだが、内田百間の悲しみはいよいよ深くなるのである。


 今日の文壇に昔も勿論あつたが、流行児といふものは大抵小説家に限られたものであつた。随筆の流行児といふものは全く沢山ゐない、先づゐないといつていいやうである。それであるのに我が内田百間先生は随筆界の花形になり、そして流行児になられたのであつた。かういふ現象は先づ最近の文壇に見られないところである。旨い事をいへば西川一草亭さんの随筆は旨いものであり、文章ずれや癖がなくて透明である。併しながら我が百間先生になると人間くさいところがあり、例のアイノコの匂ひが烈しいのである。天下の新聞雑誌も先生に一文を乞ふ時は暗に小説的な随筆を期待してゐて、明窓浄記を敢て予期しないやうである。そして先生は癇癪的にちよつと舌打をするであらうし、小説をかかないことにいよいよ悲しみを深くされるであらう。そもそも百間先生を随筆家としてその中に追ひ込むといふことに、間違ひのない百間氏があつたのであらうか。それとも小説を以つて獅子吼をする後の日の百間氏があるのではなからうか。それは百間氏の回顧であつて能く聞かなければならないことである。だが随筆家としての一狂言を打つた彼はあとの狂言をどうするつもりであらうと、私は考へてゐるのである。そんな寝言みたいなことをいふのは止せといへば、はいさうですかと私は引込むくらゐが落である。

底本:「囘想 内田百間」津輕書房

   1975(昭和50)年831日初版発行

底本の親本:「室生犀星全集 第11巻 書物と批評」非凡閣

   1937(昭和12)年5

入力:磯貝まこと

校正:岡村和彦

2016年610日作成

2016年81日修正

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