春夫と旅行できなかつた話
太宰治



 一社會人として、こゝに一文を草しなければかなはぬ義務を感じてゐる。

 佐藤春夫氏と共に晩秋、秋のふるさとを訪づれる約束は、眞實である。實現できず、嘘になつて、ふるさとの一、二の人士の嘲笑の的にされた樣子である。

 嘘も、誠も、この世に於ては、力量の問題で、あつさり判決されるものゝ樣である。ばか、と言はれて、その二倍三倍の大聲發して、ばか、と叫び返せば、その大聲の力士あがりの勝ちになるのである。金力、また、然り。

 敗軍の將は語らず、といふ言葉がある。あきらめて默したのではないやうだ。言ふべきことの、あまりに多く、その冷靜の整理のための雌伏である。證據物件の冷酷の取捨である。三年のちに、見事に直なる花の咲き出すこと、確信して居る。私は、力を養ひ育てなければならない。

 私は誰をも許してゐない。檻の中なる狼は、野に遊ぶ虎をひしぐとか、悠々自適、時を待つてゐます。

 一噛の齒には、正確に、一噛の齒を。一杯のミルクには、正確に、一杯のミルクを。他は、なし。

底本:「太宰治全集11」筑摩書房

   1999(平成11)年325日初版第1刷発行

初出:「西北新報 第五百六号」

   1937(昭和12)年11日発行

入力:夏生ぐみ

校正:焼野

2018年527日作成

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