書物を愛する道
柳田國男



 岩波文庫をはじめ、今日弘く行われて居る数々の「文庫もの」に対して、我々古い人間の包みきれない不満は、あまりにも外国の著作が多過ぎるという一点である。西洋は国の境がもとはそうはっきりとして居らず、学者も書物もよく旅行をして居て、最初から国際共有のものが多かったが、それでさえ文庫の目録には国々各自の片よりがある。タウフニッツのような特殊の目的をもって、原文のまま出して居るものは別として、私たちの見て居るものはレクラムでもゲッシェンでもペイヨオでもキャッセルでも、又は此頃の幾つかの英米の叢書類でも、日本のように外国ものばかりを六割七割までも出して居るものは一つも無いようだ。出て来る翻訳を抑えるように、もっと少しく出すようにと、言うのなら無理かも知れぬが、是ほど外国物を出すことが出来る位ならば、せめては其同量くらいは日本の本を、並べて出すことにしてはどうかと、思わずには居られないのである。この現象は誰にでも一目に見えることで、しかも此比例数から、後世子孫又は外国の識者が、我々の時代を批判するであろうことは、文化事業の片端にでも携わって居る者には、相応に心苦しいことである。

 是に対する弁疏も、決して耳を傾けるに足らぬものでは無い。第一に出したくても適当なものが無いのだから致し方が無い。第二に読者が此方を求め、現に盛んに売れるのだから出す。この二つの理由は共に今日に於ては十分成立する。自分もそれを尤もだと思えばこそ、改めて深く考えて見ようとするので、もしそういう事情も無いのに、こんなことをする者があったら、そいつはもう話にならないのである。世の中の傾向というものには、事情を聴いて尤もでないものなどは一つでも有りはしない。それを一々諒として異議を挾まずに居たら、先ず新らしい社会は生れる望みが無かろうではないか。


 本が日本に有り余るほど出て居ることは、種々なる方面から立証し得られるが、斯く申す自分なども、最初には欲しいものの集めきれぬことを歎き、中頃は選択の標準の示されぬを憾みとし、今は又読まねばならぬものの読み尽されぬことを悲しんで居る。つまりは一生涯、書物の豊富に苦しめられ通したのである。斯ういう中に於て、国内には適当なるものが得られないということは、そもそも何を意味するであろうか。それを先ず静かに考えて見る必要があるようである。我々が現代と呼んで居る期間の新著作は、誰が見ても決して数が足りないのではない。寧ろ多過ぎるが為に選択に均衡を期し難く、個々の発行者としては縁故ある著者に偏するの嫌いあり、殊に店で散々売り涸らしたものを、廃物利用するかの如く評せられるものは口惜しいので、出来るだけそれを避けようとするのも致し方が無い。問題はそれよりも以前の、古人の著作をどうしようかである。乏しい乏しいと私たちが騒ぐのも其部分である。

 文庫は名の示す如く、本来は許す限りの数量を蔵して置いて、随時に何度でも取出して読めるようにすべきものと自分などは解して居る。今は何時でも買える故に、言わば書店に預けてあるようなものである。是に現代新著が入り難いのは当然であろう。著作権の期間とは関係無く、又一日も早く廉価版の出るのを待って居る者が多かろうとも、書物の「文庫」に編入してよいものかどうかを決するには、どうしても若干の年月を要する。寧ろ早急にそれを取上げることが、やがて再び抹殺する結果をさえ生じたのである。しかもその前代の文献が、日本は又決して少ない国では無かった。帝国図書館などはもう三四十年も前に、両手でも持てない程の目録を発行して居た。この中からでさえも僅かこれっぱかりしか文庫に採るものが無く、出しても求める人があるかどうかの見込が立たぬということは、果して説明無しには何人も理解し得ることであろうか。そうして又その実際の理由を、今でもわかるように説明し得る人が有るだろうか。それが私などには甚だしく気になるのである。


 本を読むということは、大抵の場合には冒険である。それだから又冒険の魅力がある。教科書や法令の如く一読を強いらるるものは僅かであると共に、広告宣伝文以外に其内容の有益を、始から保証してくれる者は無く、実際又各人の今の境涯に、ちょうど適合するか否かは自分でしかきめられず、読んで見なければ結局はそれも確かでない。此頃は人気が本を読ませ、沢山売れるということが一つの指導標になって居るらしいが、是とても我々をそれに近よらせるだけで、愈々読もうか読むまいかはやはりめいめいが判断する。其方法が少し無造作に過ぎることは事実である。しかしともかくも一応は手に取って形を眺め、それから標題を読む。もしくは此順序を逆にする人もある。そうしてロシヤ語とかサンスクリットとか、よくよく自分に縁の無い文字で書いてない限り、大よそどんな事が出て居るのか見当をつける為に、二三枚をめくって見る位は誰でもする。きれいな絵があったり艶めかしい会話が目につくと、思わず釣り込まれてもっと読んで見たくなるのとちょうど正反対に、一方にはただ何と無く面倒くさそうで、一向に好奇心が動かず、所謂敬して遠ざけたくなるコンヂションというものも幾つかある。私たちは戯れに一方を枝折戸しおりど、この方を垣根と呼んで居るが、古書には我邦では殊にこの垣根が高いのである。是と書物の価値とは固より関係が無い。現に十本ばかりは其中から聳え立って、通路に枝を垂れ、又は遙々と梢の色をめでられて居る名木もあるのだが、その下草の姿とりどりなるものは、もう覗いて見ることさえ六つかしくなった。さしもに咲き栄えたいにしえの文の苑も、まわりの垣根が枳殼からたちでは話にならない。古い国だと自慢はして居るものの、古人を友とする方法は断ち切られようとして居る。しかも其原因は本そのもの、もしくは之を世に残そうとする人の用意の差に在るので、たとえば文庫がどのように誠実であろうとも、其努力だけでは乗り越えることが望まれない。我々読者も共々に深く考えて見なければならぬ問題である。


 僅か半世紀の前と今とを比べて見ても、書物の外形がびっくりする程も変って居る。最初に気がつくのはその標題で、近頃は追々と中味が想像し得られるような名をつけるに反して、もとはただそれを見ただけでは何が書いてあるのか判らなかった。従って読まぬうちからの本の名を、聴いて覚えて置く必要があり、学徒はやたらに本の名ばかりを、口にしたがる人間のように悪評もせられたのである。是とちょうど裏表に、昔の本は外形装幀などから、大よそ性質を想像させてくれた。同じく『問はず語り』とか『よしなし草』とか何斎漫録とか何々随筆とか題してあろうとも、本が大ぶりで表紙がくすんで居れば儒者などの著作で、やや固くるしい事が書いてあり、薄手の表紙の画でも書いたような小本なら風雅人の見るもの、その他八文字屋本の横形から、赤本黄表紙蒟蒻本に至るまで、少しく好きになれば遠方からでも狙いがつけられた。私たちがいかい御世話になった美濃判の丹表紙、それから明治初年の大型の黄色な紙表紙など、何れもそれぞれの意匠で人の聯想を養おうとして居た。此方面では日本の出版工芸も中々進んで居た。其約束は近年までまだ残って居て、私などは地方の都市の書店を覗いて、書棚の色彩からほぼ其土地の文運を察知したものであった。ところが所謂馬糞紙の箱に入れる風が始まって、菊判四六等々の大きさ以外に、外から本の性質を見当づける途が先ず無くなり、次で文庫が始まってどれも是も川原の小石の如く、手に取って細字の標題を読まなければならぬようになった。そうして其ついでを以てほんの二三頁だけはぐっと読むので、本屋の店先は非常に植木店や半襟小切れ類を売る店先と近い光景を呈するようになり、口絵が重んぜられ、著者は又標題のつけ方に大きな苦心を払うようになった。必ずしも西洋の真似では無いが、立見で見当のつくものだけが多く買われ、書名を記憶する代りに著者の名ばかりがよく通用して、人気は一段と怖ろしいものになったのである。心の養いになるかならぬかが、そんな事をして確かめられるものでないと思うが、其議論は今はしない方がよい。とにかく是ほど数多い日本の古書が、僅か三十種か四十種以外、誰にも省みられなくなった原因は特色の没却、即ち文庫それ自身の外形の単調化に、在ったということまでは考えて見る必要がある。


 それから今一つ、古人が大きな損をして居る点は、文体の急激な変化ということにも在る。是は或は普通教育の革命と謂ってもよいかと思うが、以前の読書人の素養は漢学に拠って居た。小さな頃から色々の字の用い方に馴れて居る。従って同じ書き下し文を書くにしても、つい六つかしい文字を使えば、送りがなも概して倹約する。何の気なしに故事や熟語を引用する。それを学校でほんの少ししか漢文を教えられなかった人に、読んでもらおうとするのだから若干の故障にはなる。言葉は実際には百年前と今と、そう大きな変化はして居ない。従って耳で読むのを聴いて居れば大抵はわかるものでも、書き方が古風な為に親しみを持てないことは、ちょうど行書草書がまじると写本はもとより、親や祖父母の手紙までが読めなくなるのと同じである。所謂口語体が奨励せられ出してから、この障壁は一段と高くなった。殊に書名によって内容を察し、又はただ数頁をぱらぱらと拾い読みして、面白かろうかどうかを決定する風が盛んになっては、古書は年月と共に益々不人望になって行くことも已むを得ない。書物が唯一の今と過去との交通方法であることを知る人が、是を何とかしなければならぬと考えてくれるのを待つばかりである。


 今までに知られて居る仲介手段としては、註を付け講釈をして聴かすということより他には無かった。註釈は決して素通しの硝子のようなもので無いことは、甲乙幾つもの註が互にちがって居るのを見てもよく判り、それに又其力の及ぶ範囲が限られて居る。古書の我々に役立つものの数を少なくした原因は、寧ろ註釈に在ると謂ってもよい位で、何か世俗的の理由がある本ばかりに、やたらにそれをする故に他の部面が御留守になり、しかも仕事に勿体をつけようとして誉めたててばかり居るから、読者は却って自由なる取捨判別を妨げる上に、更に一つの弊は註の無いものに出て行くことを臆病にする。註に導かれて本を読む癖を棄てないと、独自の発見を期することは出来ぬのである。文庫の目的は少なくとも豊富なる読みものを提供して、任意に其中からめいめいの好みと入用に合するものを、見つけ又は択び出させるに在るのだから、片端から註釈を付けて置くわけにも行くまいし、仮に其様な手数な事をして置いても、自分が読み得たような気はせぬであろう。


 崩した文字で書いた昔の写本を、楷書の活字になおして印刷すると同じく、古文の書きなおしということも或る程度までは必要かと思う。たとえば送りがなの数を加え、振りがなが見苦しいとならば、そこだけはかな文字に改め、又は返り点の付くような文字はまっすぐに書くとかいう類の、ほんの僅かな工作を施せば、一見した所非常に親しみやすく、且つ読んで見てもずっと楽になる。西洋でも古い綴り字法だけは皆改めて居る。それも元の姿のままのを見たいという人には、別に保存の方法があって、多数の読書人は皆この読みよい方の本を供せられて居るのである。日本のような綴り方の色々な国で、文庫が其整理の任に当らぬのは誤りである。それだから古書の大多数が、いわゆる高閣に束ねられてしまうのである。日本外史を書き下し文に改め、漢籍を和字文にするということは岩波でも始めて居る。是などは訳でも註釈でもない。漢文の読み方には久しく定まった様式があって、今ならばまだ人が忘れきっては居ないのだから、是も現代語の一部と見てよいのである。


 それからもう一つ、我々が古書を疎遠にする理由は、統一の欠けたものが多いこと、何が目的で此本を世に残したのかを、はっきりと把えられないものが多いことである。是は古今の著者気質の大きな差で、現代はかなり問題にする読者というものの想定を、昔の人たちはごく漠然としかして居ない。中には自分の備忘録に過ぎぬと謂ったり、人に見せる積りは無いなどと、信じられないような事を謂った人さえあった。次には一般に著述の期間が、今の人よりは長すぎた。三十年も四十年もぽつぽつと書きため、或は後になって改定し、しかも其中途で既に写し伝えられて居るものも多い。分量では徳富蘇峰の国民史、中里介山の大菩薩峠の如きものはまだ無かったが、何しろ久しい歳月を掛けて居るから態度もかわって居る。書いてあることも色々になって居る。辛抱をして私たちは始から終まで見通すことにはして居るが、全部すべて棄てられぬというものは実は少なく、しかも飛び飛びには珍らしく又感が深いのである。話を集めた古事談とか著聞集とか沙石集とかいう類ですら、片端から誰にでも読ませてよいというものばかりでない。まして近代人の随筆日記などの、一生に一種二種しか残さぬという大著などは、単に大きすぎる為に版にもならず、いつまでも写本で伝わってやがて亡ぶものが幾らあるか知れない。其中には又他では求められぬ大切な知識が、偶然ならず保存せられてあることを見るのである。古書を粗末にし又は少しも利用せぬという悪い傾向が、斯ういう事情に基づいて居るとすれば、それを救済し得るものも「文庫」の外には無い。それ故に自分などは、単なる完形保存の事業の他に、別に古書を現代人と繋ぎ付ける略本というものの流布を希望し、それを却って文庫の主要なる任務だとも思って居る。勿論略本は一方に広本の確保と、十分に特色を発揮し得るだけの、責任ある妙録を条件とする。そうして又是によって良書を知り、新たに未知の分野を拓くもので無ければならない。本の名前ばかり際限も無く教えられて、中味はちっとも読んで居ないという人ばかり多い世の中に、折角歓迎せられた「文庫」というものが、今の姿ではまだ本当に働いて居るとは言われぬであろう。

(一九四〇年四月「書物新潮」)

底本:「世界教養全集 別巻1」平凡社

   1962(昭和37)年1120日初版

   1963(昭和38)年815日再版

初出:「書物新潮」

   1940(昭和15)年4

入力:sogo

校正:Juki

2013年112日作成

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