南の海へ行きます
萩原朔太郎



ながい疾患のいたみも消えさり、

淺間の山の雪も消え、

みんなお客さまたちは都におかへり、

酒はせんすゐにふきあげ、

ちらちら緋鯉もおよぎそめしが、

私はひとりぽつちとなり、

なにか知らねど泣きたくなり、

せんちめんたるの夕ぐれとなり、

しくしくとものをおもへば、

仲よしの友だちうちつれきたり、

卵のごときもの、

菓子のごときもの、

林檎のごときものを捧げてまくらべにもたらせり、

ああ、けれども私はさびしく、

いまはひとりで旅に行く行く、

ながい病氣の巣からはなれて、

つばきの花咲く南の島へと行かねばならぬ、

つばめのやうに快活に、

とんでゆく、とんでゆく。


けふ利根川のほとりに來てみれば、

しだいに春のめぐみを感じ、

雪わり草のふくめるやうに、

つちはうららにもえあがり、

西も東も雪とけながれ、

めんめんとして山峽はざまにながれ、

光り光れる山頂いただきさへ、

ひろごる桑の畑さへ、

さびしい病人の涙をさそふよ、

しみじみとおもへば、

故郷ふるさとの冬空はれ、寂しくて寂しくてたへざれば、

いまはいつさいのものと別れをつげ、

あしたはれいの背廣を着、

いつもの輕い靴をはき、

まだ見も知らぬ南の海へあそばうよ、

その心もちも快活に、

みなさんたちに別れをつげ、

きさらぎなかばのかしまだち、

小鳥ぴよぴよと空に鳴きつれ。

──二月一日──

底本:「萩原朔太郎全集 第三卷」筑摩書房

   1977(昭和52)年530日初版第1刷発行

   1986(昭和62)年1210日補訂版第1刷発行

入力:kompass

校正:小林繁雄

2011年625日作成

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