親木と若木
小川未明



 なんでも、一ぽんおおきくなると、そののところに、ちいさなえるものであります。

 こうちゃんのいえ垣根かきねのところに、山吹やまぶきがしげっていました。ふさふさとして、えだはたわんで黄金色こがねいろはなをつけていました。ひかりは、広々ひろびろとしたにわおもてにあふれていましたから、このはなうえをもらしたのであります。はなには、みつばちがたかり、あたたかなかぜが、おだやかに接吻せっぷんしていました。

 この山吹やまぶきもとには、あたらしいが、幾本いくほんつちやぶってあたましていました。そして、自分じぶんたちのあたまにおおいかかっている、いくつかのえだのすきまから、かすかにもれてくるひかりけて、はやく、おおきくびて、えだえだあいだけて、自分じぶんたちもひろ世界せかいようとしたのであります。

 山吹やまぶきは、子孫しそんのしげることをほこりとしていました。もっと、もっとかぶおおきくなって、みんな、かがや黄金色こがねいろはなをつけたら、どんなにみごとなことであろうとおもうと、おのずから、そのさま空想くうそうして、うっとりとせずにはいられませんでした。

 けれど、たくさんにあたました子孫しそんが、みんな幸福こうふくであろうはずがなかったのです。ひろやかなにわのひなたのほうしたものは、自由じゆうびることはできたけれども、反対はんたいに、垣根かきねして、きたさむい、日蔭ひかげに、不幸ふこうにもあたましたものは、どんなきめをたことでしょうか。

 ちょうど、そこには、たけぼうや、ちかかったくいのようなものや、れた煉瓦れんがなどがかさねられてあって、せっかく、したけれど、やわらかなあたまを、それらの無情むじょう物体ぶったいにくじかれて、がりくねって、わずかに、艶気つやけのない青葉あおばをつけているにすぎませんでした。そして、おそらく、そこに、こうした、不幸ふこう山吹やまぶきなえが、存在そんざいしているということは、みつばちをはじめ、毎日まいにち、そこらへきて、くちやかましくおしゃべりをするすずめたちにも、がつかなければ、またくちにものぼることはなかったのでした。

 ある勇二ゆうじは、こうちゃんのいえあそびにきて、にわ山吹やまぶきはなをながめながら、垣根かきねそとへまわると、ふとそこに、不幸ふこうなえが、みんなからはなれて、えていることにがついたのです。

 勇二ゆうじは、なんとなく、その山吹やまぶきなえをかわいそうにおもいました。もし、このままにしておいたら、ついにはびもせずに、れてしまうだろうとおもいました。

こうちゃん、ぼくに、この山吹やまぶきを一ぽんおくれよ。」と、勇二ゆうじたのんだのであります。

「ああ、たくさんえてこまるのだから、きみきなのを一ぽんこいで、ってゆきたまえ。」と、こうちゃんはいいました。

「いいえ、ぼくは、この垣根かきねそとにある、やせて、かわいそうな、これでいいのだ。」

「なぜ、そんな元気げんきのないのをっていくんだい。れるかもしれないよ。」

「だいじょうぶだよ。」

「なかなか、はなかないぜ。」

来年らいねんになったら、くかもしれない。」

 勇二ゆうじは、こうちゃんが、不思議ふしぎがるのを、自分じぶんは、かわいそうにおもうところから、ていねいに、なるたけをたくさんつけるようにこいで、それをってかえると、自分じぶんいえにわえたのであります。

「おかあさん、山吹やまぶきをもらってきてえましたが、はなくでしょうか。」と、勇二ゆうじは、おかあさんにきいたのでありました。

 おかあさんは、勇二ゆうじが、にわえた、山吹やまぶきのところへて、られました。

「まあ、このは、日蔭ひかげえていたのだね、丹精たんせいしておやり。そうすれば、ここは、もよくたるからおおきくなって、はなかないともかぎらないから。」といわれたのです。

 勇二ゆうじは、みずをやったり、また、いぬや、ねこがまないように、ぼうててやったりしました。しかし、したときから、自然しぜんにいじめられてきた山吹やまぶきは、ちょうど、人間にんげんでいえば不具者ふぐしゃのように、なかなかびもしなければ、おおきくもなりませんでした。

 あの、一ねんじゅうたっても、たらないところにいたことをかんがえれば、いまの山吹やまぶきうえは、どれほどかしあわせには相違そういなかったけれど、やはり、なが月日つきひあいだには、いろいろなつらいこともあれば、おもいがけない不幸ふこうなめにもあったのです。あるいぬがやってきて、あわれな山吹やまぶきえだを一ぽんかみってしまいました。

わるいぬだ、こんどきたら、ひどいめにあわせてやろう。」と、勇二ゆうじは、山吹やまぶきながらいいました。けれど、もはや、こんなになってしまった山吹やまぶきは、どうすることもできませんでした。

 いつしか、あきとなり、ふゆとなりました。ふゆには、さむい、さむがつづいたのでした。地面じめんこおって、かたくかちかちとなりました。そして、くさや、は、しものためにいたんでそのころまでのこっていたものもあったけれど、それすらかげもなかったのであります。山吹やまぶきほそくきこおって、しぼんでしまいはしないかとおもわれました。

 しかし、山吹やまぶきは、この寒気かんきたたかって、ついにけませんでした。やがて、はるがめぐってきたときに、緑色みどりいろを、あわれながったえだやしたのであります。

 去年きょねんはるは、あの日蔭ひかげにあったが、今年ことしがよくたるので、そのいろ光沢つやがありました。

 勇二ゆうじは、山吹やまぶきのいきいきとした姿すがたると、よろこんで、そのちいさな肥料ひりょうほどこしました。

 ひかりが十ぶんたり、それに、ほどこした肥料ひりょうがよくきいたとみえて、山吹やまぶきは、なつのはじめに、黄金色こがねいろはなを三つばかりつけました。

「おかあさん、山吹やまぶききましたよ。」と、勇二ゆうじは、ははらせました。

「おお、ほんとうに、三つばかりだけれど、よく、あんなにちいさくてはなをつけたもんだね。」と、ははは、感心かんしんしていわれました。

 まことに、その姿すがたは、いじらしくありました。いじけたは、それよりおおきくなりませんでした。そして、また一ねんはたったのであります。

 翌年よくねんはるになると、このちいさな山吹やまぶきもとから、あたらしいやぶって、あたまばしました。しかも、二ほん、三ぼんといっしょに、そのは、気持きもちのいいほど、ぐんぐんとびたのであります。

「おかあさん、山吹やまぶきから、あんなに新芽しんめましたよ。」と、勇二ゆうじは、ははげました。

 ははは、勇二ゆうじげるまえから、それをっていられたようです。

「ああ、山吹やまぶき子供こどもなんだよ。」といわれました。

「おかあさん、そんなら、このちいさい、いじけたのがおやなんですか。」と、勇二ゆうじは、いまさらのごとくおどろいて、山吹やまぶきけてたずねました。

「おまえが、もらってきてえたのが、親木おやぎになって丹精たんせいしたから、こんなにいい子供こどもまれたんです。」と、ははこたえられました。

 ははのいうことをいて、勇二ゆうじは、感心かんしんしたのです。同時どうじに、いろいろのことが、あたまかんできたのでした。

 若芽わかめは、ぐんぐんびてゆきました。そして、やがて、季節きせつになって、いっぱい、えだに、黄金色こがねいろはなをつけました。けれど、親木おやぎは、子供こどもあっせられて、地面じめんをはって、どろよごされて、かげもなかったのであります。

「おかあさん、この親木おやぎはかわいそうですね。」と、勇二ゆうじはいいました。

「いい子供こどもまれて、親木おやぎは、それで満足まんぞくして、れていくんですよ。人間にんげんも、かわりはありません。」と、はははいわれたのです。

 勇二ゆうじは、このとき、こうちゃんのいえから、もらってきた時分じぶん山吹やまぶき姿すがたおもしました。

 しかし、いま、あたらしい山吹やまぶきは、むかしのことはらず、はながたくさんいて、ちょうや、はちがあつまっていたのであります。

──一九二六・二──

底本:「定本小川未明童話全集 5」講談社

   1977(昭和52)年310日第1刷発行

※表題は底本では、「親木おやぎ若木わかぎ」となっています。

入力:特定非営利活動法人はるかぜ

校正:雪森

2013年54日作成

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