汽船の中の父と子
小川未明



 ふるい、小形こがた汽船きせんって、うみうえをどこということなく、ひがしに、西にしに、さすらいながら、めずらしいいしや、かいがらなどをさがしていた父子おやこ二人ふたりがありました。

 あるときは、きたさむいところで、もないちいさなしまがって、めずらしいあおいしさがしたこともあります。また、あるときは、みなみあつ太陽たいよう赤々あかあからす、真下ましたのところで、あかいしったこともありました。

 二人ふたりは、めずらしいものがにはいると、いろいろなくにみやこへ、どことはかぎらずに、ふね便宜べんぎによって上陸じょうりくしました。そして、にぎやかなまちなかあるいて、それを貴族きぞくったり、金持かねもちに莫大ばくだいかねりつけたり、また商人しょうにんゆずったりしたのであります。

 ちちといっても、すべて、父親ちちおや一人ひとりちからでありました。おとこは、まだ、それほどとしがいかなくて、ただ、父親ちちおやのゆくところへは、どこへでもついてあるいてゆくばかりであったからです。

 父親ちちおやは、むずかしいかおをして、かみをのばしていました。あおつきひかりが、みずのようにうつくしく、はなやかな、にぎやかなまちのかわら屋根やねながれる、そのまちあるいて、そのは、めずらしいいしたかりつけたので、とある酒場バーにはいって、たくさんなごちそうをべたりしたこともあります。そんなとき、子供こどもは、そのみせらしている楽器がっきおとを、どんなにかかなしくおもったでありましょう。また、うつくしいおんならのかおや、くちびるや、そして、しろひからしながらうたった、その土地土地とちとちふるうたをどんなになつかしくおもったでありましょう。

 しかし、そこにいるのも、けっして、ながあいだではありませんでした。二人ふたりは、また、ちいさな汽船きせんかえらなければならなかったからです。

 汽船きせんは、二人ふたりりくがっていないあいだは、じっとうみうえに、くろかおをしてっていました。ながあいだあめや、かぜに、さらされたので、汽船きせんがそうよごれて、くろっぽくえることには、不思議ふしぎがありませんでした。

「おればかりは、いつもうみしか、ることができないのだ。りくがって、にぎやかな、まちることも永久えいきゅうにかなわないのか……。」と、汽船きせんは、不平ふへいそうなかおつきをして、いっているようでありました。

 父親ちちおやは、取引とりひきがすむと、おもそうにかねいて、ふねなかに、子供こどもをつれてかえってきました。そして、それを金箱かねばこなかに、大事だいじにしてしまいました。そのはこはがんこに、くろてつつくられていました。

 父親ちちおやが、金貨きんかや、銀貨ぎんかが、だんだん航海こうかいするたびにたまってくるのを、うれしそうにながめながら、

「この金貨きんかは、西にしくに金貨きんかだ。この金貨きんかは、ひがしくに金貨きんかだ。この銀貨ぎんかは、おもい。しかしこちらの銀貨ぎんかのほうは、もっと目方めかたがある。」といっていますのを、子供こどもは、そばで、ただだまったままていました。

「おとうさん、そんなに、金貨きんかや、銀貨ぎんかを、たくさんためて、どうするんですか?」と、子供こども父親ちちおやかってききました。

「おまえ、まちへいってみれ、おもしろいことがたくさんある。きれいなものが、ありあまるほどある。これんばかしのかねがなんのやくにたつものか。もっと、もっと、かねをためなければならない。」とこたえました。

 子供こどもは、もはや、うみうえ航海こうかいいていました。なぜなら、あおなみあおそらのほかには、なにもることができなかったからです。そして、暴風ぼうふうは、ちいさな汽船きせんが、のように、なみあいだにひるがえり、灰色はいいろの、ものすごいくもが、あたりをつつんで、まったく、きている心地ここちがなかったからでありました。

 しかし、父親ちちおやはまだ航海こうかいをやめようとはしませんでした。

 あるのこと、二人ふたりは、らぬみなとふねけました。そこには、諸国しょこく人々ひとびとあつまっていまして、めずらしいはなしをしたり、またるいのまれな品物しなものなどをったりしてながめていました。なかには、自分じぶんっているしなを、ほかのひとっているしな交換こうかんしたりするものもあったのです。

 二人ふたりは、このみなとがって、ぶらぶらとあるいていました。すると、しろいひげをはやしたおじいさんが、いしこしをかけて、銀製ぎんせいのオルゴールをって、まえとおひとをぼんやりとながめていました。

 父親ちちおやは、オルゴールにをつけて、おじいさんのまえにやってきました。そして、どんなおとがするのかとたずねたのでした。

 おじいさんは、父親ちちおやかおながら、

わたしは、このオルゴールを、ここからとおい、西にしくにむら古道具屋ふるどうぐやつけました。じつに、不思議ふしぎおとがするので、いままで、おおくの人々ひとびとゆずってくれとたのまれましたけれど、手放てばなさなかったしなです。」とこたえました。

「どれ、ひとつ、そのおとをきかせてもらえまいか。ながあいだうみうえらしているので、しばらく、いい楽器がっき音色ねいろをきいたことがないから……。」と、父親ちちおやはいいました。

 おじいさんは、オルゴールをらしはじめました。すると、父親ちちおやは、みみかたむけていました。

 なんというさびしい、そのなかにも、あかるいかんじのする音色ねいろでしょう。なみおとのような、とりこえのような、またかぜくるひびきのような、さまざまなおとのするあいだに、いろいろなことが空想くうそうされるのでした。

 父親ちちおやは、あかいさんごをった、みなみちいさなしまおもしました。また、あおいしった、きたさむしま景色けしきおもしました。また、暴風ぼうふうのことなどをおもしました。かぎりない、うみうえ生活せいかつを、つぎからつぎへと、記憶きおくこしたのであります。

「このオルゴールは、うみうたとでもいうのかな?」と、父親ちちおや感心かんしんして、たずねました。

 おじいさんは、わらって、

「いや、とりうただと、いったものがあります。」とこたえたのでした。

とりうた? なんというとりであろう。」

 父親ちちおやは、どうしても、そのとりおもすことができませんでした。

「なんにしても、まあ、いい。どうか、このオルゴールをゆずってもらいたいものだ。」といって、おじいさんに、たのみました。

わたしは、子供こども時分じぶんから、故郷こきょう流浪るろうしています。このごろは、このオルゴールをいいひとつけて、もしれたら、故郷こきょうかえりたいとおもっています。」といいました。

 子供こどもは、おじいさんのいうことをいて、同情どうじょうしました。自分じぶんが、つねに、うつくしい草花くさばなや、ちょうや、野原のはらあこがれている心持こころもちを、よくっていたからであります。

 父親ちちおやは、いくらかのかねして、そのオルゴールをいました。しかし、そのかねは、おじいさんを満足まんぞくさせなかったようです。

「おまえさんは、たくさんおかねっていなさるようだが、もっとわたしにくれてもいいのに。」と、おじいさんがいったからです。

 しかし、父親ちちおやは、オルゴールをつと、さっさと、あちらへいってしまいました。

 このとき、しろいひげのおじいさんは、いしからがって、二人ふたりうし姿すがた見送みおくっていましたが、ふと、おもいついて、ポケットにいれてあったかぎをつかみすと、父親ちちおやわすれていったとったので、おじいさんは、すぐに二人ふたりあといかけたのです。けれど、二人ふたりは、どこへいったものか、おじいさんは、見失みうしなってしまいました。

「これがなかったら、あのオルゴールをらすことができん。どんなにこまるだろう。」と、おじいさんはひとごとをいっていました。

 しばらく、おじいさんは、みなとって、二人ふたりづいて、もどってきはしないかとっていましたが、ついに、二人ふたりはやってこなかったので、おじいさんは、このふるかぎうみなかれて、いずこともなくってしまいました。

 父親ちちおやは、汽船きせんかえってから、はじめてかぎわすれてきたことをさとりました。しかし、どうすることもできませんでした。二人ふたりは、また、それから航海こうかいをつづけました。

 きたほううみに、まわってきましたときに、父親ちちおやは、みなとがって、ちかくのまちへまいりました。そして、ある時計屋とけいやへいって、そのオルゴールにう、かぎさがしたのであります。ちょうど、それにかぎつけました。

 ふねにもどってから、二人ふたりは、そのオルゴールをらすことができたのです。

 おじいさんは、とりうただといいましたが、まことに、そのおとかなしいような、たのしいような、さまざまな心持こころもちをこすものでした。

 このとき、どこからともなく、あまつばめが、れをなしてんできました。そして、ふねのまわりでしきりにさわぎました。

 あまつばめは、めったに、こうしてさわぐものではありません。オルゴールのおとをきいて、どこからんできたのでありましょう。すると、たちまち、天気てんきわってまいりました。

 いままでかがやいていた太陽たいようは、かくれてしまい、ものすごいくもがわいて、うみうえは、おそろしい暴風ぼうふうとなって、なみくるったのであります。ほんとうに、どうしたことか、そのなかをあまつばめは、ふねのまわりに、岩角いわかどに、あつまってしきりにいていました。

 とうとうそののことです。大波おおなみおそってきて、ふねうえのものいっさいをあらいさらってゆきました。そして、このとき、父親ちちおや大事だいじにしておいた、てつつくられた金箱かねばこころがって、うみそこふかしずんでしまったのであります。そればかりでなく、ちいさな汽船きせんは、砂浜すなはまうえへ、げられてしまいました。

 けて、うみうえしずまると、もうちいさな汽船きせんは、つちなかに、半分はんぶんほどうずまって、海岸かいがんてられた小舎こやのようにしかられませんでした。

「ああ、もうこのふね寿命じゅみょうきた。わたしも、航海こうかいをやめよう。」と、父親ちちおやはいいました。

 子供こどもは、はじめて、自分じぶん希望きぼうがかなって、りくうえ生活せいかつが、できるかとおもいましたが、さて、自分じぶんは、野原のはらへか、まちへか、どちらへいって、はたらいたらいいかとかんがえたのです。このとき、父親ちちおやは、子供こどもかって、

わたしは、おまえに、たくさんなたからのこしてやりたいとおもったのが、みんな、いまは、金箱かねばこといっしょにうみそこしずんでしまった。もうおまえにやるものがない。ただオルゴール一つだけだ。これをおまえにやるから……。」といいました。

「いいえ、おとうさん、わたしは、なにもいりません。あなたが、うみうえでおはたらきになったように、わたしはこれから広々ひろびろとしたりくうえはたらきます。けれど、わたし仕事しごとはけっして、最後さいごに、あのてつなかたからのように、かたちもなく、むだとなってしまうことは、ないであろうとしんじます。」

 子供こどもは、はたらくべく、かけてゆきました。


 あとにひと父親ちちおやのこされました。海辺うみべよこたわったふねは、ふるちてしまいました。煙突えんとつからけむりがるくもったに、オルゴールがっています。そして、そのふねのまわりに、あまつばめのんでいる、さびしい景色けしきがながめられたのであります。

──一九二四・七作──

底本:「定本小川未明童話全集 4」講談社

   1977(昭和52)年210日第1刷発行

   1977(昭和52)年C第2刷発行

初出:「赤い鳥」

   1924(大正13)年9

※表題は底本では、「汽船きせんなかちち」となっています。

入力:特定非営利活動法人はるかぜ

校正:館野浩美

2017年825日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。