銀河の下の町
小川未明




 信吉しんきちは、学校がっこうからかえると、野菜やさいみずをやったり、むし駆除くじょしたりして、農村のうそん繁忙期はんぼうきには、よくうち手助てだすけをしたのですが、今年ことしは、晩霜ばんそうのために、山間さんかん地方ちほうは、くわのがまったくいためられたというので、とおくからこのへんにまで、くわのれにきているのであります。こめ不作ふさくのときは、こめあたいがるように、くわのあたいがって、ひろいくわばたけ所有しょゆうしている、信吉しんきち叔父おじさんは、おおいによろこんでいました。

 信吉しんきちは、うんと叔父おじさんの手助てだすけをして、お小使こづかいをもらったら、自分じぶんのためでなく、いもうとになにかほしいものをってやって、よろこばせてやろうとおもっているほど、信吉しんきちは、ちいさいいもうとをかわいがっていました。

 しろぬぐいをかぶった、おんなたちといっしょに、かれは、くわのみました。そしてまれたは、おおきなかごにめられておくられるのですが、かれはそれをリヤカーにせて、いくたびとなく、停車場ていしゃじょうはこんだのであります。

 口笛くちぶえきながら、街道かいどうはしりました。そらには、小波さざなみのようなしろくもながれていました。になると、うみほうから、かぜきはじめます。がだいぶん西にしにまわったころ、ガラガラとつづいてゆく、荷馬車にばしゃあいました。くるまうえには、派手はで着物きものておしろいをぬったおんなたちのほかに、いぬや、さるも、いっしょにっていました。

「ああ、サーカスが、どこかへゆくんだな。」と、信吉しんきちは、おもいました。

 昨日きのうまで、まちにきていて、興行こうぎょうをしていたのです。それが、今日きょう、ここをげて、また、どこかへいって、興行こうぎょうをしようとするのでした。かれらは、んでいたテントをたたんで、いっさいの道具どうぐといっしょにくるまみ、そして、芸当げいとう使つかっていたうまかせてゆくのでした。その簡単かんたんさまは、太古たいこ移住民族いじゅうみんぞくのごとく、またかぜただよぐさにもて、今日きょうは、ひがしへ、明日あすは、みなみへと、いうふうでありました。信吉しんきちはそれをると、一しゅ哀愁あいしゅうかんずるとともに、「もっとにぎやかなまちがあるのだろう。いってみたいものだな。」と、おもったのでした。

 むらちかい、やま松林まつばやしには、しきりにせみがいていました。信吉しんきちは、いけのほとりにって、紫色むらさきいろ水草みずくさはなが、ぽっかりとみずいて、いているのをながめていました。どうしたらあれをることができるかな。うまくといっしょにかれたなら、うちってかえって、金魚きんぎょはいっている水盤すいばんえようと空想くうそうしていたのでした。

 このとき、あちらのみちあるいてくる人影ひとかげました。よく、ると、洋服ようふくた、一人ひとり紳士しんしでした。

「どこへゆくのだろう?」

 紳士しんしは、めったにひととおらない、青田あおたなか細道ほそみちあるいて、みぎたり、ひだりたりしながら、ときどき、まっては、くつのさき石塊いしころころがしたりしていました。

「どこのひとだろう? あんなひとはこのむらにいないはずだが。」と、信吉しんきちは、そのひとのすることをつめていました。



 やがて、紳士しんしは、いけのほとりにっている、少年しょうねん姿すがたつけると、こちらのほうへやってくるようです。

「ああ、きっとたびひとで、みちまよったのだ。海岸かいがんほうるには、あちらのみちをゆけばいいのだが。」と、信吉しんきちは、おもっていました。ちかづいた紳士しんしは、ふいに、

「このいけは、なんといいますか?」と、たずねました。

いけですか、弁天池べんてんいけといいます。」

弁天池べんてんいけ……なにか、ほとけさまがまつってあるのですか。」と、紳士しんしはききました。

むかしは、あったそうですが、いまは、なんにもありません。」と、信吉しんきちは、こたえました。

 紳士しんしは、うっとりといけ景色けしきをながめていましたが、

「じゅんさいがありますね、なかなかふるいけとみえる。きみは、なにかこのいけについて、おもしろい昔話むかしばなしいたことがありませんか。」と、紳士しんしは、たずねました。信吉しんきちは、このひとは、みちまよったのでない。なにか、このいけについてしらべているのだなとおもいました。

「ええ、っています。」

 かれは、子供こども時分じぶんから、よくきいた、伝説でんせつおもしたのでした。

以前いぜんは、よくこのいけきんにわとりいたそうです。なんでも、お天気てんきのいい、しずかなにゆくと、きんにわとりが、みずおもいているが、ひと足音あしおとがすると、そのにわとり姿すがたは、たちまちみずなかえてしまうと、おかあさんがはなしました。」と、信吉しんきちは、いいました。

きんにわとり? やはり、そんな伝説でんせつつたわっているんですね。」と、紳士しんしは、うなずきました。

「おじさん、そんならほかにも、きんにわとりいけがあるんですか。」と、信吉しんきちは、不思議ふしぎそうに、紳士しんし見上みあげたのでした。

「ありますよ。たぶん、わたしは、そんなうわさがあるところでないかとおもって、ここへってみたのです。古墳こふんのあるおかや、はたけには、きんくらかぶとか、きんにわとりかぶとかいううわさが、きまってあるものです。このあたりの地形ちけいたときからわたしは、古墳こふんのあったところか、またどこかに発見はっけんされない古墳こふんのあるところというがしたのです。太古民族たいこみんぞくが、このあたりにもんでいたのですね。それはそうと、なにかこのあたりで、おもしろい土器どき破片はへんか、勾玉まがたまのようなものをひろったはなしをききませんか。」と、紳士しんしはたずねました。

ぼく勾玉まがたまひろいました。それからかけたさかずきのようなものもひろってっています。」

勾玉まがたま? さかずきのかけたようなもの? きみは、またどうしてそんなものに趣味しゅみっているのです。」と、紳士しんしは、おどろいたようです。

「いつか、このいけのところでひろって、学校がっこう先生せんせいせたら、大昔おおむかしのものだから、しまっておけとおっしゃいました。」

「ははあ、きみのおうちとおいのですか。ちょっとそれをせてくださいませんか。わたしはこういうものです。」と、紳士しんしは、名刺めいしして、信吉しんきちわたしました。名刺めいしには、東京とうきょう住所じゅうしょ文学博士ぶんがくはくし山本誠やまもとまことといういてありました。

わたしは、古代民族こだいみんぞく歴史れきし研究けんきゅうしているので、こうして、方々ほうぼうあるいています。」といいました。

 信吉しんきちは、自分じぶんっているものが、いつか学問がくもんのうえに役立やくだてば、ひとりこのひとのみのよろこびでない、人類じんるい幸福こうふくおもいましたから、

「いえ、じきちかいのです。ぼくいそいでってきますから。」といって、はししました。



 博士はくしは、信吉しんきちはしっていったみちを、いそがずにむらほうへとあるいてゆきました。そして、かきのしたって、っていると、信吉しんきちは、ちいさな紙箱かみばこかかえてもどってきました。

「これです。」

 こういうと、博士はくしは、その一つ、一つをげてながめていましたが、

「これは、わたしのまだたことのない、めずらしいものです。」と、感歎かんたんしていました。

 このとき、信吉しんきちは、

「ご入用にゅうようなら、あげます。」といいました。

 博士はくしは、たちまち、感謝かんしゃにかがやきました。

「それなら、大学だいがく研究室けんきゅうしつ寄付きふしていただきましょう。ひじょうに、有益ゆうえき研究資料けんきゅうしりょうとなるのです。わたしが、多年たねんさがしていたものがはいって、うれしいのです。」

 そして、博士はくしは、なにかおれいをしたいといいました。

 信吉しんきちは、けっして、おれいなどのことをかんがえていませんでした。

「いいえ、おれいなどいりません。」と、きっぱりとこたえました。

「いや、そうでない。わたしこころざしとしてです。なにかきみにほしいものがあったら、いってください。東京とうきょうかえったら、おくりますから。」と、博士はくしは、微笑ほほえみながら、いったのであります。

「じゃ、人形にんぎょうおくってください。」と、信吉しんきちはいいました。

人形にんぎょう? 人形にんぎょうとはおもしろい。どんな人形にんぎょうがいいかな。」

 博士はくしは、眼鏡めがねなかほそくしながら、

きみには、埴輪はにわがいいだろう。東京とうきょうかえったら、一ついい模型もけいをさがしてあげましょう。」といいました。

 信吉しんきちは、埴輪はにわときいて、いつか雑誌ざっしっていた、しろうまったあか人形にんぎょうおもしました。それは、おもってもなつかしい、むねのおどるものでした。しかし、かれのいったのは自分じぶんのためではなかったのです。

「いいえ、いもうとにやるお人形にんぎょうです。」と、こたえました。

「ははあ、きみではないんだね、いもうとさんにか……じゃ、どんな、人形にんぎょうがいいだろうかな。」と、博士はくしは、あたまをかしげてかんがえました。

「どんな人形にんぎょうでもいいのです。ぼくいもうとは、病身びょうしんで、いえにばかりいて、なんのたのしみもありませんから、人形にんぎょうおくっていただいたら、たいへんによろこぶだろうとおもうのです。」

「じゃ、東京とうきょうかえったら、きっときれいな人形にんぎょうおくります。きみはなかなか感心かんしんだ。こんど東京とうきょうたら、かならずってくれたまえ。そして、またなにかつけたら、らせてくれたまえ。」と、博士はくしは、信吉しんきちに、かた握手あくしゅをしました。



 いえかえると、いもうとのみつ一人ひとり千代紙ちよがみしてあそんでいました。

にいさん、どこへいってきたの?」

「いま、ぼく学者がくしゃにあってきたのだよ。」と、信吉しんきち得意とくいになって、

ぼくひろった勾玉まがたまや、土器どきが、学問がくもんのうえに役立やくだつというんだよ。」

「まあ……。」

「そして、みっちゃん、その博士はくしが、おれいにきれいなお人形にんぎょうおくってくださる約束やくそくをしたんだよ。みっちゃん、たのしみにして、っておいで。」と、信吉しんきちはいいました。

「ほんとう? わたし、うれしいわ。」

「みっちゃんは、どんなお人形にんぎょうき?」

「そうね。」と、弱々よわよわしそうなみつは、かんがえていましたが、

「あの、サーカスに、きれいなおねえさんがいたでしょう。あたし、あんなきれいなお人形にんぎょうさんがきよ。」と、こたえました。

 信吉しんきちは、あのひとたちも、もうこのまちってしまったとおもいました。よるになると、うら野菜圃やさいばたけで、うまおいのこえがきこえました。兄妹きょうだいは、縁側えんがわて、おともなくぬかぼしひかっている、やがて初秋しょしゅうちかづいたよるそらていましたが、

「サーカスは、どこへいったでしょうね。」と、みつは、いいました。

「あちらの、とおまちへいって、また、ああした芸当げいとうを、みんなにしてせているのだろう。」と、信吉しんきちは、こたえました。

 その方角ほうがくには、あわしろ銀河ぎんがながれて、まる地平ちへいぼっしていたのであります。

底本:「定本小川未明童話全集 10」講談社

   1977(昭和52)年810日第1刷発行

   1983(昭和58)年119日第6刷発行

※表題は底本では、「銀河ぎんがしたまち」となっています。

入力:特定非営利活動法人はるかぜ

校正:仙酔ゑびす

2012年716日作成

青空文庫作成ファイル:

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