五百句
高浜虚子




『ホトトギス』五百号の記念に出版するのであって、従って五百句に限った。

 このころの自分の好みから言えば、勢い近頃の句が多くならねばならぬのであるが、しかし古い時代の句にもそれぞれの時代に応じて捨てがたく思うものもあるので、ず明治・大正・昭和三時代の句をほぼ等分に採ったことになった。

 範囲は俳句を作り始めた明治二十四、五年頃から昭和十年まで、すなわち昭和十一年十一月二十日に出版した『句日記』の句までとしたので、その後の句はこの集にはれている。


昭和十二年五月二十七日
『ホトトギス』発行所
高浜虚子

明治時代




春雨はるさめ衣桁いこうに重し恋衣こいごろも

明治二十七年


夕立やぬれて戻りて欄に

明治二十八年 子規を神戸病院より、須磨保養院に送りて数日滞在。


風が吹く仏来給きたもふけはひあり

明治二十八年八月 下戸塚、古白旧廬こはくきゅうろに移る。一日、鳴雪めいせつ、五城、碧梧桐へきごとう、森々招集、運座を開く。


しぐれつつ留守る神の銀杏いちょうかな

明治二十八年


もとよりも恋は曲者くせもの懸想文けそうぶみ

明治二十九年


怒濤どとう岩をむ我を神かとおぼろ

明治二十九年


海に入りて生れかはらう朧月

明治二十九年


大根の花紫野むらさきの大徳寺だいとくじ

明治二十九年


山門も伽藍がらんも花の雲の上

明治二十九年


なわ朽ちて水鶏くいなたたけばあく戸なり

明治二十九年


愚庵ぐあん十二勝の内、清風関

叩けども〳〵水鶏許されず

明治二十九年


先生が瓜盗人うりぬすびとでおはせしか

明治二十九年


む人の蚊遣かやり見てゐる蚊帳かやの中

明治二十九年


蚊帳越しに薬煮る母をかなしみつ

明治二十九年


むやひたと来て鳴く壁のせみ

明治二十九年


にわとり空時そらどきつくる野分のわきかな

明治二十九年


弟子でし僧にならせ給ひつ月の秋

明治二十九年


松虫に恋しき人の書斎かな

明治二十九年


盗んだる案山子かがしかさに雨急なり

明治二十九年


元朝がんちょうの氷すてたり手水鉢ちょうずばち

明治三十一年


石をきつて火食を知りぬ蛇穴を出る


蛇穴を出て見れば周の天下なり


穴を出る蛇を見てからすかな

明治三十一年


間道かんどうの藤多きでたりし

明治三十一年


逡巡しゅんじゅんとしてまゆごもらざる蚕かな

明治三十一年


橋涼み笛ふく人をとりまきぬ

明治三十一年七月二十二日 五月以来母病気のため松山にあり。八月に至る。


星落つるまがきの中やきぬたうつ

明治三十一年


蒲団ふとんかたぐ人も乗せたり渡舟

明治三十一年


柴漬ふしづけに見るもかなしき小魚こうおかな

明治三十一年


耳とほき浮世の事や冬籠ふゆごもり

明治三十一年


うぐいすや文字も知らずに歌心うたごころ

明治三十二年


亀鳴くや皆おろかなる村のもの

明治三十二年


薔薇ばられて聖書かしたる女かな

明治三十二年


五月雨さみだれや魚とる人の流るべう

明治三十二年


蓑虫みのむしの父よと鳴きて母もなし

明治三十二年九月十日 根岸庵例会。


稲塚いねづかにしばしもたれて旅悲し

明治三十二年九月二十五日 虚子庵例会。会者、鳴雪、碧梧桐、五城、墨水、麦人、潮音、紫人、三子、孤雁こがん燕洋えんよう、森堂、青嵐せいらん三允さんいん竹子ちくし、井村、芋村うそん坦々たんたん、耕雨。おくれて肋骨ろっこつ、黄塔、把栗来る。

十月一日、松瀬まつせ青々せいせい上京、発行所に入る。


春のや机の上のひじまくら

明治三十三年


雨にれ日にかわきたるのぼりかな

明治三十三年


煙管きせるのむ手品の下手や夕涼み

明治三十三年七月二十五日 虚子庵例会。


遠山とおやまに日の当りたる枯野かな

明治三十三年十一月二十五日 虚子庵例会。


美しき人や蚕飼こがい玉襷たまだすき

明治三十四年


帷子かたびらに花の乳房ちぶさやおひと

明治三十四年


山寺の宝物ほうもつ見るや花の雨

明治三十五年


はだ脱いで髪すく庭や木瓜ぼけの花

明治三十五年


打水うちみずしばらく藤のしずくかな

明治三十五年? あるいは三十二年又は三十四年か。


危坐きざ兀坐こつざ賓主いづれやたかむしろ

明治三十五年七月二十七日 虚子庵例会。


長き根に秋風を待つ鴨足草ゆきのした

明治三十五年 横浜俳句会。

この年九月十九日。子規歿ぼつ


花衣はなごろも脱ぎもかへずに芝居かな

明治三十六年


おいぼれて人のしりへに施米せまいかな

明治三十六年五月二十五日 虚子庵例会。会者、碧梧桐、癖三酔、碧童、左衛門さえもん、酔仏、一転等。


葛水くずみずに松風ちりを落すなり

明治三十六年


摂待の寺にぎはしや松の奥

明治三十六年


秋風や眼中のもの皆俳句

明治三十六年


友は大官いもつてこれをもてなしぬ

明治三十六年


瓢箪ひょうたんの窓や人住まざるが如し

明治三十六年


書中古人に会す妻が炭ひく音すなり

明治三十六年


茶の花に暖き日のしまひかな

明治三十六年


坂の茶屋前ほとばしる春の水

明治三十七年


裏山に藤波かかるお寺かな

明治三十七年四月二十五日 徳上院例会。


ほろ〳〵と泣き合ふ尼や山葵漬わさびづけ

明治三十七年


御車みくるまに牛かくる空やほととぎす

明治三十七年五月二十五日 徳上院例会。


大海のうしほはあれどひでりかな

明治三十七年六月二十五日 徳上院例会。


むづかしき禅門出ればくずの花

明治三十七年


或時あるときは谷深く折る夏花げばなかな

明治三十七年


発心ほっしんもとどりを吹く野分のわきかな


秋風にふえてはへるや法師蝉ほうしぜみ

明治三十七年八月二十七日 芝田町海水浴場例会。会者、鳴雪、牛歩、碧童、井泉水せいせんすい、癖三酔、つゝじ等。


うき巣見て事足りぬればぎかへる


鎌とげばあかざ悲しむけしきかな

明治三十八年七月二十三日 浅草白泉寺例会。会者、鳴雪、碧童、癖三酔、不喚楼、雉子郎きじろう、碧梧桐、水巴すいは松浜しょうひん、一転等。


蚊遣火かやりびや縁に腰かけ話し去る

明治三十八年七月二十八日 癖三酔、松浜と共に。


行水ぎょうずいの女にほれるからすかな

明治三十八年


客人に下れる蜘蛛くもや草の宿

明治三十八年


蜘蛛くもけば太鼓落して悲しけれ

明治三十八年


相慕ふ村の二つ虫の声

明治三十八年


もの知りの長き面輪おもわに秋立ちぬ

明治三十八年八月十七日 王城、松浜と共に。


げて先生の墓や突当り

明治三十八年八月二十一日 鴨涯おうがい、松浜と共に。


村の名も法隆寺なり麦を


冬の山低きところや法隆寺

明治三十八年十一月二十六日 浅草白泉寺例会。


座をげて恋ほのめくや歌かるた

明治三十九年一月六日 新年会。三河島みかわしま喜楽園。会者、癖三酔、松浜、一声、三允、鳴雪、碧梧桐、乙字等。


垣間かいま見る好色者すきものに草かぐわしき


芳草ほうそうや黒き烏も濃紫こむらさき

明治三十九年三月十九日 俳諧散心。第一回。小庵。会者、蝶衣ちょうい、東洋城、癖三酔、松浜、浅茅あさじ

なおこの俳諧散心の会は翌明治四十年一月二十八日に至り四十一回に及ぶ。


草に置いて提灯ちょうちんともすかわずかな

明治三十九年四月二日 俳諧散心。第三回。麻布あざぶ竹谷たけや闇玉庵あんぎょくあん(癖三酔宅)。


山人やまびとの垣根づたひや桜狩

明治三十九年


藤の茶屋女房にょうぼほめ〳〵馬士まごつどふ

明治三十九年四月二十三日 俳諧散心。第六回。牛込うしごめ赤城神社脇、清風亭。


の花やぶつも願はず隠れ住む

明治三十九年五月七日 俳諧散心。第八回。小石川こいしかわ高田あかなすのや(浅茅庵)。


せきとして残る土階どかい花茨はないばら

明治三十九年五月二十一日 俳諧散心。第十回。小庵。


門額の大字にとも蝸牛かぎゅうかな


主客閑話ででむし竹を上るなり

明治三十九年五月三十日 大谷おおたに句仏くぶつ北海道巡錫じゅんしゃくの途次来訪を機とし、碧梧桐庵小集。会者、鳴雪、句仏、六花りっか、碧梧桐、乙字、碧童、松浜。


麻の中月の白さに送りけり


麻の上稲妻赤くかかりけり

明治三十九年五月三十一日 星ヶ岡茶寮小集。


上人しょうにんの俳諧の灯取虫ひとりむし

明治三十九年六月十九日 碧梧桐送別句会。星ヶ岡茶寮。


稚児ちごの手の墨ぞ涼しき松の寺

明治三十九年六月二十五日 俳諧散心。第十四回。芝浦海水浴。


すたれ行く町や蝙蝠こうもり人に飛ぶ

明治三十九年七月二日 俳諧散心。第十五回。芝浦海水浴。


夏痩なつやせの身をつとめけり婦人会

明治三十九年七月十六日 俳諧散心。第十七回。芝浦海水浴。


六十になりて母無き燈籠とうろかな

明治三十九年


送火おくりびや母が心に幾仏いくほとけ

明治三十九年


桐一葉きりひとは日当りながら落ちにけり


僧遠く一葉しにけりいしだたみ

明治三十九年八月二十七日 俳諧散心。第二十二回。小庵。


秋扇しゅうせんさびしき顔の賢夫人

明治三十九年


君と我うそにほればや秋の暮


さびしさに小女郎なかすや秋の暮

明治三十九年九月十七日 俳諧散心。第二十五回。十二社、梅林亭。


後家ごけがうつえんきぬたれて過ぐ

明治三十九年九月二十四日 俳諧散心。第二十六回。小庵。


おいほおくれないすや濁り酒

明治三十九年十月八日 俳諧散心。第二十八回。山王社内、楠本亭。


秋空を二つに断てり椎大樹しいたいじゅ

明治三十九年十月十五日 俳諧散心。第二十九回。山王社内、楠本亭。


煮ゆる時蕪汁かぶらじるとぞにおひける

明治三十九年


老僧の骨刺しに来る藪蚊やぶかかな

明治四十年


酒旗しゅき高し高野こうやふもとあゆの里

明治四十年 巣鴨すがも、詩痩会。真宗大学内。


里内裏さとだいり老木おいきの花もほのめきぬ

明治四十一年


明易あけやす第一峰だいいっぽうのお寺かな

明治四十一年五月二十八日 かぶらむし会。第四回。寒菊堂。会者、耕村、水巴、知白、東洋城、松浜、蝶衣ちょうい


葛水くずみずにかきもち添へて出されけり

明治四十一年


こまの鼻ふくれて動く泉かな

明治四十一年六月十二日 蕪むし会。第五回。寒菊堂。


岸に釣る人の欠伸あくび舟遊ふなあそび

明治四十一年七月三十日 蕪むし会。第六回。


曝書ばくしょ風強し赤本あかほん飛んで金平きんぴら怒る


書函しょかん序あり天地玄黄げんこうさらしけり

明治四十一年八月五日 日盛会。第五回。小庵。

尚この会は八月一日第一回を開きほとんど毎日会して八月三十一日に至る。此時の会者、東洋城、癖三酔、松浜、水巴、蛇笏だこつ、三允、香村、眉月びげつ、蝶衣等。


ぢぢと鳴くせみ草にある夕立ゆだちかな

明治四十一年八月九日 日盛会。第九回。小庵。


羽抜鶏はぬけどり吃々きつきつとして高音たかねかな

明治四十一年八月十日 日盛会。第十回。


金亀子こがねむしなげうやみの深さかな

明治四十一年八月十一日 日盛会。第十一回。


新涼しんりょうの驚きがおきたりけり


草市ややがて行くべき道の露

明治四十一年八月十四日 蕪むし会。第七回。寒菊堂。


ひややかや湯治とうじ九旬の峰の月

明治四十一年八月十七日 日盛会。第十六回。


仲秋のその一峰いっぽう愛宕あたごかな


仲秋や院宣いんぜんをまつのほとり


仲秋をつつむ一句のあるじかな

明治四十一年八月二十二日 日盛会。第二十回。


およそ天下に去来きょらいほどの小さき墓に参りけり


由公よしこうの墓に参るやとも連れて


この墓に系図はじまるや拝みけり

明治四十一年八月二十三日 日盛会。第二十一回。


いなごとぶ音杼に似て低きかな

明治四十一年八月二十五日 日盛会。第二十三回。


芋を掘る手をそのままに上京す

明治四十一年八月二十七日 日盛会。第二十五回。


そのに聞く人語新し野分跡のわきあと

明治四十一年 秋。村上霽月せいげつ来小会。


藁寺わらでらに緑一団の芭蕉ばしょうかな

明治四十一年 秋。蕪むし会。第九回。

大正時代




三世さんぜぶつ皆座にあれば寒からず


しも降れば霜をたてとすのりの城


死神をる力無き蒲団ふとんかな


その日〳〵死ぬる此身このみと蒲団かな

大正二年一月十九日 鎌倉虚子庵句会。病臥びょうがまま


先人もおしみし命二日灸ふつかきゅう

大正二年二月十日 大平山句会。栃木郊外大平山茶亭。


春風や闘志いだきて丘に立つ

大正二年二月十一日 三田俳句会。東京芝浦。


大寺を包みてわめく木の芽かな


菊根分きくねわけ剣気つつみて背丸し

大正二年二月二十六日 半美庵偶会。戸塚。


こののちの古墳の月日椿つばきかな


一つ根に離れ浮く葉や春の水

大正二年 春。虚子庵句会。


みし今日の野いたみ夜雨やうきた

大正二年


ふねきしにつけば柳に星一つ

大正二年三月九日 ホトトギス発行所例会再興第一回。芝田町汐湯において。


濡縁ぬれえんにいづくとも無き落花かな


提灯ちょうちんに落花の風の見ゆるかな

大正二年 春。鎌倉、雨村庵にて。庵主、宗演老師等と共に。


田植すみて東海道雨の人馬かな

大正二年六月一日 虚子庵例会。


今日の日も衰へあほつ日除ひよけかな


古庭を魔になかへしそひきがえる


ほたる追ふ子ありて人家近きかな


いえを喜びとべる蛍かな


師僧遷化せんげ芭蕉ばしょう玉巻く御寺かな

大正二年七月 第一日曜。虚子庵例会。


灯取虫ひとりむし燭を離れて主客あり


灯ともせば早そことべり灯取虫

大正二年七月 奉天の佐藤肋骨、京城の吉野左衛門、千葉の渡部非砂、東京の仙田木同の諸君、鎌倉に来遊せし時、小町園にて。


秋雨あきさめや身をちぢめたるかさの下

大正二年九月 第三日曜。子規忌句会。


此秋風のもて来る雪を思ひけり

大正二年十月五日 雨村、水巴と共に。信州柏原かしわばら俳諧寺の縁に立ちて。


年をもって巨人としたり歩み去る

大正二年十二月 第三日曜。発行所例会。


我を迎ふ旧山河雪を装へり

大正三年一月 松山に帰省。同月十二日夜、松山公会堂に於て。


うき草のそぞろにふる古江かな

大正三年一月十四日 京都に至る。祇園ぎおん左阿弥さあみの晩句会に臨む。


時ものを解決するや春を待つ

大正三年一月十六日 大阪瓦斯倶楽部ガスクラブの俳句大会に列席。会者八、九十名。青々、墨水、一転、躑躅つつじ、巨口、月村、露石、素石、月斗げっと、鬼史、王城等。


鎌倉を驚かしたる余寒よかんあり

大正三年二月一日 虚子庵例会。


春雨やすこしもえたる手提灯

大正三年三月 第三日曜。発行所例会。


我心或時あるとき軽し罌粟けしの花

大正三年五月三日 虚子庵例会。


コレラぢて綺麗きれいに住める女かな


コレラ船いつまで沖にかかり居る


コレラの家を出し人こちへきたりけり

大正三年七月五日 虚子庵例会。


清水しみずのめば汗かろらかになりにけり

大正三年七月十九日 発行所例会。


一人いちにん強者きょうしゃただ出よ秋の風


秋風や最善の力ただ尽す

大正三年九月六日 虚子庵例会。


濡縁ぬれえんに雨の後なる一葉かな

大正三年


葡萄ぶどうの種吐き出して事を決しけり


蜻蛉とんぼうは亡くなりおわんぬ鶏頭花けいとうか

大正三年十月十八日 発行所例会。


雲静かに影落し過ぎし椄木つぎきかな


造化すでに忙をきわめたるに椄木かな

大正四年四月十八日 発行所例会。


太腹ふとばられてもの食ふ裸かな

大正四年六月二十日 発行所例会。


からす飛んでそこに通草あけびのありにけり

大正四年十月九日 京都三条小橋の万屋にあり。大和の浜人ひんじん来る。王城、鱸江、秋蒼しゅうそうと共に句作。


これよりは恋や事業や水ぬる

大正五年二月十一日 高商俳句会。山王境内楠本亭。高商卒業生諸君を送る。


麦笛や四十の恋の合図吹く


恋はものの男甚平じんべい女紺しぼり

大正五年六月十一日 発行所例会。


露の幹しずかせみの歩き

大正五年九月十日 子規忌句会。


大空にまたわきでし小鳥かな


木曾川の今こそ光れ渡り鳥

大正五年十一月六日 恵那えな中津川に小鳥狩を見る。四時庵にて。島村久、富岡俊次郎、田中小太郎、清堂、零余子れいよし、はじめ、泊雲、楽堂がくどう同行。


破蕉龍はしょうりゅうしっして水仙ぎょくをはらめり

大正五年十二月三日 帝大俳句会。九日、夏目漱石く。


闇汁やみじる杓子しゃくしを逃げしものや何

大正五年十二月二十八日 高商俳句会闇汁会。芙蓉ふよう居。


葛城かつらぎの神みそなはせ青き踏む

大正六年二月十日 帰省の途次堺に寄る。白鳥吟社主催堺俳句会に出席。泊雲、泊月、躑躅、浜人、はじめ、九品太くぼんた、月斗、一転、梅史、桜坡子おうはし等と共に。


山吹の雨や双親そうしん堂にあり

大正六年四月十五日 国民俳句会。江戸川畔清風亭。


春水しゅんすい矗々ちくちくとして菖蒲しょうぶの芽

大正六年四月二十二日 春季吟行。太田妻沼に至る車中。


菖蒲しょうぶいて元吉原よしわらのさびれやう

大正六年五月三日 帝大俳句会。根津権現ごんげん境内娯楽園。


大蟇おおがま先にり小蟇しりへに高歩み

大正六年五月八日 婦人俳句会。


嘲吏青嵐せいらん

人間吏となるも風流胡瓜きゅうりの曲るもまた

大正六年五月十二日 虚吼きょこう、吏青嵐、煙村、楚人冠そじんかん等と小集。鶴見花月園みどり。


蛇逃げて我を見し眼の草に残る

大正六年五月十三日 発行所例会。十六日、阪本四方太さかもとしほうだ、中川四明、日を同じうして逝く。


葭戸よしどはめぬ絶えずこぼれる水の音

大正六年 某料亭にて。


やな見廻みまわつて口笛吹くや高嶺晴たかねばれ

大正六年六月十日 発行所例会。


此松の下にたたずめば露の我

大正六年十月十五日 帰省中風早かざはや柳原西のに遊ぶ。風早西の下は、余が一歳より八歳まで郷居せし地なり。家むなしく大川の堤の大師堂のみ存す。其堂の傍に老松あり。


天の川のもとに天智てんち天皇と虚子と

大正六年十月十八日 筑前ちくぜん太宰府だざいふに至る。同夜都府楼址とふろうしに佇む。懐古。


秋のに照らし出す仏皆観世音かんぜおん

大正六年十月十八日 観世音寺にもうづ。


何の木のもとともあらず栗拾ふ

大正六年十月十九日 福岡第二公会堂に於て。


今朝けさまた焚火たきび耶蘇ヤソの話かな

大正七年? あるいは大正六年か。


老衲ろうのう火燵こたつり立春の禽獣きんじゅう裏山に


雨の中に立春大吉の光あり

大正七年二月十日 発行所例会。会者、京都の王城、所沢の俳小星、青峰、宵曲しょうきょく、一水、雨葉、しげる、湘海、岫雲しゅううん、みづほ、霜山、今更、たけし、鉄鈴、としを、子瓢しひょう、夜牛、石鼎せきてい


鞦韆しゅうせんに抱き乗せてくつ接吻せっぷん

大正七年四月十六日 婦人俳句会。柏木かな女居。


野を焼いて帰れば燈下母やさし

大正七年? 或は七年以前なるべし。


梅を探りて病める老尼に二三言

大正七年? 或は七年以前なるべし。


山吹にきたり去りし鳥や青かつし

大正七年? 或は七年以前なるべし。


船にのせてをわたしたる牡丹ぼたんかな

大正七年? 或は七年以前なるべし。


夏草を踏み行けば雨意人にあり


夏草にりて蛇うつ烏二羽

大正七年? 或は七年以前なるべし。


夏の月皿の林檎りんごの紅を失す

大正七年七月八日 虚子庵小集。芥川あくたがわ我鬼がき久米くめ三汀さんてい等来り共に句作。


船に乗ればくが情あり暮の秋


能すみし面の衰へ暮の秋

大正七年


秋天のもとに野菊の花弁欠く

大正七年十月二十一日 神戸毎日俳句会。


二三子にさんし時雨しぐるる心親しめり

大正七年十月二十二日 堺俳句会。この日一転庵泊。


見失ひし秋の昼蚊のあとほのか

大正七年


菖蒲しょうぶるや遠く浮きたる葉一つ

大正八年 婦人俳句会の連中、鎌倉に来る。はじめ邸にて。


夏痩なつやせを流れたる冠紐かむりひも

大正八年


蚰蜒げじげじを打てば屑々になりにけり

大正八年


昼寐ひるねせる妻もしからず小商こあきない

大正八年


扇鳴らすなんじの世辞もまたよろし


我をす人の扇をにくみけり

大正八年


傾きて太し梅雨の手水鉢ちょうずばち

大正八年


夕鰺ゆうあじを妻が値ぎりてうりの花

大正八年


寝冷ねびえせし人不機嫌ふきげんに我を見し

大正八年


やう〳〵に残る暑さもはぎの露

大正八年


山のかひにきぬたの月を見出せし

大正八年


冬帝とうていづ日をなげかけてこまたけ

大正九年一月 小樽にあるとしを、丹毒のため小樽病院に入院せるを見舞ひ、三十一日帰路につく。青函連絡船にて。


藤の根に猫蛇びょうだ相搏あいう妖々ようよう

大正九年五月十日 京大三高俳句会。京都円山公園、あけぼの楼。


どかと解く夏帯に句を書けとこそ

大正九年五月十六日 婦人俳句会。


人形まだ生きて動かず傀儡師かいらいし

大正十年一月十一日 新年婦人俳句会。かな女庵。昨年十月、軽微なる脳溢血のういっけつにかゝり、病後はじめて出席したる句会。


雪解ゆきどけしずくすれ〳〵に干蒲団ほしぶとん

大正十年


厚板あついたにしきかびやつまはじき


新しき帽子かけたり黴の宿

大正十年


新涼しんりょうの月こそかかれ槙柱まきばしら

大正十一年八月三十一日 川崎俳句会主催新涼句会。大師内渉成園。会するもの、鳴雪、楽天、温亭、普羅、野鳥、風生ふうせい橙黄子とうこうし等。


日覆ひおおいに松の落葉の生れけり

大正十二年六月二十八日 風生渡欧送別東大俳句会。発行所。上京中の泊雲出席。


門前に蛍追ふ子や旅の宿

大正十二年六月末


早苗さなえ取る手許てもとの水の小揺さゆれかな


かさはし早苗すり〳〵取り束ね


早苗かご負うて歩きぬ僧のあと


早苗籠負うて走りぬ雨の中

大正十二年 戸塚俳句会。


月の友三人を追ふ一人かな

大正十二年十月二十二日 丹波竹田の泊雲居をふ。旧暦九月十三夜、晴れて霧深し。泊月、野風呂のぶろと共に出でゝ田圃たんぼ道を歩く。白川遅れて来る。


天日てんじつのうつりて暗し蝌蚪かとの水

大正十三年


さしくれし春雨傘を受取りし

大正十三年


棕櫚しゅろの花こぼれて掃くも五六日

大正十三年五月十三日 発行所例会。


老禰宜ろうねぎの太鼓うちる祭かな

大正十三年五月十九日 発行所例会。


晩涼ばんりょうに池のうきくさ皆動く

大正十三年


蚊の入りし声一筋や蚊帳かやの中

大正十三年六月


風鈴ふうりんに大きな月のかかりけり

大正十三年七月二十七日 島村はじめ一周忌(昨年八月二十六日歿)追悼句会。妙本寺の墓にもうで島村邸に至る。


炎帝えんていの威の衰へに水を打つ


暑にへて双親あるや水を打つ

大正十三年七月二十八日 発行所例会。


月浴びて玉くずれをる噴井ふけいかな

大正十三年八月


秋の蚊の居りてけはしき寺法かな

大正十三年 鮮満旅行の途次、十月十四日平壌にあり。華頂女学院に於ける俳句会に臨む。正蟀、帆影郎、沼蘋しょうひん女等来る。韮城きゅうじょう、橙黄子、雨意等同行。


ひらひらと深きが上の落葉かな

大正十三年十月三十一日 鮮満旅行の帰路、旅順に至る。新市街千歳倶楽部に於て。


水鳥の夜半よわの羽音やあまたたび

大正十三年十一月 清原枴童かいどう上京偶会。発行所。


北風や石を敷きたるロシア町

大正十三年十一月三十日 鮮満旅行より帰京歓迎句会。上野花山亭。集るもの温亭、石鼎、雉子郎、花蓑はなみの秋桜子しゅうおうし青邨せいそん、たけし等。


酒井野梅其児の手にかゝりて横死するをいた

弥陀みだの手に親子諸共もろとも返り花

大正十三年


行年ゆくとしやかたみに留守の妻と我

大正十三年十二月二十九日 同人、選者と共に。発行所に於て。会するもの、肋骨、楽堂、鼠骨そこつ、石鼎、温亭、宵曲、菫雨きんう、野鳥、青峰、為山、たけし、花蓑、秋桜子、一水。


ばばばかと書かれし壁の干菜ほしなかな


灯のともる干菜の窓やつむぐらん


庫裡くりを出て納屋なやの後ろの冬の山

大正十四年一月十六日 発行所例会。大阪の木国もっこく、新潟の今夜、みづほ、他に鳴雪、温亭等。


麦踏んで若き我あり人や知る

大正十四年一月二十七日 中田みづほ渡欧送別句会。発行所。偶々たまたまより江来会。


春寒はるさむのよりそひ行けば人目ある

大正十四年二月


草摘くさつみに出し万葉の男かな


草を摘む子の野を渡る巨人かな

大正十四年三月


春宵しゅんしょうや柱のかげの少納言しょうなごん

大正十四年三月


白牡丹はくぼたんといふといへどもこうほのか


雨風あめかぜに任せていたむ牡丹かな

大正十四年五月十七日 大阪にあり。毎日俳句大会。会衆八百。


くらべ馬一騎遊びてはじまらず

大正十四年五月二十二日 道後どうごに宿泊。松山三番町横丁の某クラブに於て。


墓生きて我を迎へぬ久しぶり

大正十四年五月二十六日 松山滞在。老兄と共に墓参。


老僧の蛇を叱りて追ひにけり

大正十四年六(七?)月


べにさして寝冷ねびえの顔をつくろひぬ

大正十四年六(七?)月


美人絵の団扇うちわ持ちたる老師かな

大正十四年六(七?)月


我声の吹き飛び聞ゆ野分のわきかな

大正十四年十月


父母の夜長くおはし給ふらん

大正十四年十月


たたずめば落葉ささやく日向ひなたかな

大正十四年十一月


かりにる女の羽織玉子酒

大正十五年一月


くくれし志やなふきとう

大正十五年二月 はじめ未亡人蕗の薹をもたらす。


古椿ここだく落ちてよわいかな

大正十五年二月十三日 田村木国もっこく上京歓迎小集。発行所。二十日、内藤鳴雪逝く。


うぐいす洞然どうぜんとして昼霞ひるがすみ

大正十五年二(三?)月


芽ぐむなる大樹の幹に耳を寄せ

大正十五年三月十六日 発行所例会。


ただ一人船つなぐ人や月見草

大正十五年六月二十三日 発行所例会。


古蚊帳ふるがやの月おもしろく寝まりけり

大正十五年六月


今一つ奥なる滝に九十九折つづらおり

大正十五年七月十二日 発行所例会。


橋裏を皆打仰ぐ涼舟すずみぶね

大正十五年七月


古書の文字生きてふかや灯取虫ひとりむし


威儀の僧扇で払ふ灯取虫

大正十五年七月


草がくれ麗玉秘めし清水かな

大正十五年八月五日 発行所例会。


庭の石ほと動きく清水かな

大正十五年八月


たなふくべ現れ出でぬ初嵐はつあらし

大正十五年九月七日 東大俳句会。発行所。


雨風や最も萩をいたましむ

大正十五年九月


自らのおい好もしや菊に立つ

大正十五年十(十一?)月


たまるに任せ落つるに任す屋根落葉


徐々と掃く落葉ほうきに従へる

大正十五年十一月


掃初はきぞめの帚や土になれ始む

大正十五年十二月


大空に伸び傾ける冬木かな

大正十五年十二月二十一日 東大俳句会。発行所。

昭和時代




やぶの穂に村火事を見る渡舟わたしかな

昭和二年一月


藪の池寒鮒釣かんぶなつりのはやあらず

昭和二年一月二十日 発行所例会。三十一日、次男池内友次郎いけのうちともじろう、横浜出帆の筥崎丸はこざきまるにて仏蘭西フランス遊学の途に就く。


うちめる老を助けて青き踏む


踏青とうせいや古き石階あるばかり

昭和二年二月二十八日 発行所例会。


木々の芽のわれに迫るやのりの山

昭和二年三月


巣の中にはちのかぶとの動く見ゆ


うなり落つ蜂や大地をいかり這ふ

昭和二年三月十七日 肋骨、為王、楽堂と雑談句作。発行所。


ものの芽のあらはれ出でし大事かな

昭和二年三月


かざ春雨傘はるさめがさ昔人むかしびと


春山の名もをかしさやたかみね


一片の落花見送るしずかかな


槶原くぬぎはらささやく如く木の芽かな

昭和二年四月 京都滞在。光悦寺にて。


濃き日影ひいて遊べる蜥蜴とかげかな

昭和二年五月十五日 みづほ帰朝歓迎句会。発行所。


百官の衣へにし奈良のちょう

昭和二年五月


セルをて病ありとも見えぬかな

昭和二年五月


鵜飼見うかいみの船よそほひや夕かげり

昭和二年六月 大阪毎日、東京日日新聞社募集の日本八景の選抜委員を委嘱され、その候補地を視察する為岐阜に至り、長良川の鵜飼を見る。


くづをれて団扇うちわづかひの老尼かな

昭和二年 老人会。


松風に騒ぎとぶなり水馬みずすまし

昭和二年七月


なつかしきあやめの水の行方ゆくえかな


よりそひてしずかなるかなかきつばた

昭和二年七月


大夕立おおゆだち来るらし由布ゆふのかきくもり

昭和二年七月 大毎、東日委嘱により別府に至る、日本八景の一に当選したる別府の記事を書く為。


わだつみに物の命のくらげかな

昭和二年八月四日 清三郎福岡転任送別東大俳句会。丸の内、竹葉亭。


俳諧の旅に日焼しなんじかな

昭和二年八月八日 枴童かいどう上京の為、発行所小集。


此方こなたへとのり御山みやまのみちをしへ

昭和二年八月十一日 改造社主催講演会に出席のため高野山こうやさんおもむく。


遅月おそづきの山をでたる暗さかな

昭和二年八月十六日 夕。京都に至り、加茂堤に大文字を見る。


清閑にあれば月出づおのづから

昭和二年九月 退官せし前の横田大審院長招宴。


鎌倉

秋天の下に浪あり墳墓あり

昭和二年九月十九日 子規忌句会。田端たばた大龍寺。


仲秋や月あきらかに人老いし

昭和二年九月


はじまらん踊のにわの人ゆきき

昭和二年十月


朝寒あささむの老を追ひぬく朝な〳〵

昭和二年十月二十三日 発行所例会。泊雲来会。会者百名。


やり羽子はごや油のやうな京言葉


東山静に羽子の舞ひ落ちぬ

昭和二年十二月


ひいらぎをさす母によりそひにけり

昭和三年二月


草間くさあいに光りつづける春の水

昭和三年四月七日 婦人俳句会。


両のにすくひてこぼす蝌蚪かとの水

昭和三年四月 七宝会。植物園。


行人こうじんの落花の風をかえりみ

昭和三年四月十五日 発行所例会。


遅桜なほもたづねて奥の宮


おもひ川渡れば又も花の雨

昭和三年四月二十三日 泊雲、泊月、王城、比古、三千女と共に鞍馬くらま貴船きぶねに遊ぶ。


川船のぎいとまがるやよしすずめ

昭和三年六月


姉妹おととい麦藁籠むぎわらかごにゆすらうめ

昭和三年七月十四日 婦人俳句会。


新涼や仏にともし奉る

昭和三年九月十六日 子規忌句会。大龍寺。十八日、石井露月逝く。


ふるさとの月の港をよぎるのみ


はなやぎて月のおもてにかかる雲


われがし南の国のザボンかな

昭和三年十月七日 福岡市公会堂に於ける、第二回関西俳句大会に出席。会衆四百。清三郎、禅寺洞、より江、久女、しづの女、泊月、王城、野風呂、橙黄子等。


熔岩ようがんの上を跣足はだしの島男

昭和三年十月十日 薩摩さつまに赴き、桜島に遊ぶ。


七盛ななもりの墓包みしいの露

昭和三年十月 赤間宮参拝。


手をかざし祇園詣ぎおんもうで秋日和あきびより

昭和三年十月十六日 泊月と知恩院境内漫歩。吉田町楽友会館に於ける京大三高俳句会に臨む。


枝豆をへば雨月うげつなさけあり

昭和三年十月十九日 木槿もくげ会。大阪倶楽部。


旅笠に落ちつづきたるかな

昭和三年十月二十日 泊月、王城と八幡やわたの男山に遊びまた大阪に至る。住友倶楽部に於ける無名会に出席。


御室田おむろだに法師姿の案山子かがしかな

昭和三年十月二十三日 洛西らくせい、岡康之の岳父石井氏邸にて。


ふみはづすいなごの顔の見ゆるかな

昭和三年十月


秋風に草の一葉のうちふるふ


流れ行く大根の葉の早さかな

昭和三年十一月十日 九品仏くほんぶつ吟行。


寒き風人持ち来る煖炉だんろかな

昭和三年十二月


ゆるやかに水鳥すすむ岸の松

昭和四年一月


此村を出でばやと思ふあぜを焼く

昭和四年二月


あぶ落ちてもがけば丁字ちょうじ香るなり

昭和四年三月十八日 発行所例会。


後手うしろでに人かちわたる春の水

昭和四年四月一日 立子同伴、京都にあり、泊月、王城、桐一、播水ばんすい、桂樹楼、波川、ながしと共に光悦寺に遊ぶ。秋桜子も亦来る。


眼つむれば若き我あり春の宵

昭和四年四月


ぎ乱す大堰おおいの水や花見船

昭和四年四月八日 渡月橋とげつきょうの上手より舟をやとひて遡上そじょう


旧城市柳絮りゅうじょとぶことしきりなり

昭和四年 五月十四日発、満州旅行の途につく。江川三昧さんまい東道。五月二十七日、遼陽りょうように至る。


夕立や森を出て来る馬車一つ

昭和四年六月三日 一日ハルビンに至る。八日迄滞在。


止りたるはえ追ふこともただねむし

昭和四年六月十一日 平壌、お牧の茶屋。


短夜みじかよ露領ろりょうに近き旅の宿

昭和四年六月二十七日 老人会。肋骨、峰青嵐、楽天、落魄居らくはくきょ、楽堂、為王等来会。


病身をもてあつかひつ門涼かどすず

昭和四年七月十六日 安田句会。


石ころも露けきものの一つかな

昭和四年八月十九日 風生電気局長就任、京童帰朝、祝賀会。折柄ツエツペリン伯号来る。


やぶの穂の動く秋風見てゐるか

昭和四年十月十日 七宝会。鎌倉浄明寺、たかし庵に於て。


子供等に双六すごろくまけておいの春

昭和五年一月五日 鎌倉俳句会。極楽寺、寿水庵。


ほつかりとこずえに日あり霜の朝

昭和五年一月十九日 発行所例会。


しおりして山家集さんかしゅうあり西行忌さいぎょうき

昭和五年三月十三日 七宝会。発行所。


春潮しゅんちょうといへば必ず門司もじを思ふ

昭和五年三月


ふるひる小さき蜘蛛くも立葵たちあおい

昭和五年六月二十七日 鎌倉俳句会。鴻乙居。夜、正福寺谷戸蛍狩。


落書らくがきの顔の大きく梅雨つゆへい

昭和五年六月二十九日 玉藻たまも句会。真下邸。


這入はいりたるあぶにふくるる花擬宝珠はなぎぼし


炎天の空美しや高野山こうやさん

昭和五年七月十三日 旭川きょくせん、鍋平朝臣等と高野山に遊ぶ。


やみなればきぬまとふ間の裸かな

昭和五年七月二十四日 東大俳句会。


蜘蛛打つてしばらく心静まらず

昭和五年八月一日 家庭俳句会。


もの言ひて露けき夜と覚えたり

昭和五年八月二十六日 鎌倉俳句会。たかし庵。


秋山やくぬぎをはじきささを分け

昭和五年九月三十日 第二回武蔵野探勝会。多摩の横山。


鉛筆で助炭じょたんに書きし覚え書

昭和五年十二月八日 笹鳴ささなき会。


東より春はきたると植ゑし梅

昭和六年一月十七日 椎花すいか庵招宴。


すげの火はあしの火よりもなほ弱し

昭和六年一月十八日 武蔵野探勝会。江戸川。


せはしげにたた木魚もくぎょや雪の寺

昭和六年二月十二日 七宝会。鎌倉、たかし庵。


大試験山の如くに控へたり

昭和六年二月十三日 東大俳句会。丸ビル集会室。


ふきとうの舌を逃げゆくにがさかな

昭和六年二月二十日 家庭俳句会。発行所。


紅梅の紅の通へる幹ならん

昭和六年三月十二日 七宝会。葉山、水竹居別邸。


蜥蜴とかげ以下啓蟄けいちつの虫くさ〴〵なり

昭和六年三月十三日 東大俳句会。


土佐日記ふところにあり散る桜

昭和六年四月二日 土佐国高知に著船。国分村に紀貫之きのつらゆきの邸址を訪ふ。


植木屋の掘りかけてある梅一樹

昭和六年四月十七日 家庭俳句会。矢口村、新田にった神社。


川波に山吹映り澄まんとす

昭和六年四月二十二日 丸之内会館。金春惣右衛門こんぱるそうえもんにはじめて句を教ふ。


早苗さなえとる水うら〳〵と笠のうち

昭和六年五月十六日 丸之内倶楽部俳句会。第一回。


つくばひのよくれてをる端居はしいかな

昭和六年六月十六日 水無月みなづき会大会。安田銀行。


草抜けばよるべなき蚊のさしにけり

昭和六年六月十八日 丸之内倶楽部俳句会。


飛騨ひだの生れ名はとうといふほととぎす

昭和六年六月二十四日 上高地温泉ホテルにあり。少婢しょうひの名を聞けばとうといふ。


火の山のすそに夏帽振る別れ

昭和六年六月二十四日 下山。とう等焼岳のふもとまで送り来る。


夕影は流るるにもかりけり

昭和六年七月十九日 武蔵野探勝会。古利根。


大蛾たいが来て動乱したる灯虫ひむしかな

昭和六年八月十四日 東大俳句会。


蜘蛛の糸がんぴの花をしぼりたる

昭和六年九月六日 武蔵野探勝会。おし、川島奇北きほく邸に赴き、大利根に遊ぶ。


われの星燃えてをるなり星月夜

昭和六年九月十七日 丸之内倶楽部俳句会。


秋風のだん〳〵荒し蘆の原

昭和六年九月十八日 家庭俳句会。羽田穴守あなもり海岸吟行。


仲秋や大陸に又遊ぶべく

昭和六年十月九日 東大俳句会。丸ビル集会室。


初潮に沈みて深き四ツ手かな

昭和六年十月二十二日 丸之内倶楽部俳句会。


秋風や生徒の中の島女

昭和六年十月二十三日 鎌倉俳句会。江の島金亀楼。


浦安うらやすの子は裸なり蘆の花

昭和六年十一月一日 武蔵野探勝会。浦安吟行。


たてかけてあたりものなき破魔矢はまやかな

昭和六年十一月六日 『週刊朝日』新年号のために。


酒うすしせめてはかんを熱うせよ


慟哭どうこくせしは昔となりむ明治節

昭和六年十一月十三日 東大俳句会。丸ビル集会室。


初鶏はつとりや動きそめたる山かづら

昭和六年十一月十四日 新聞聯合れんごう特信部の依頼。


たら〳〵と藤の落葉の続くなり

昭和六年十一月十五日 二子ふたこ多摩川吟行。柳家休憩。


寺のかさ茶店にありし時雨しぐれかな

昭和六年十一月十九日 丸之内倶楽部俳句会。


羽抜鳥はぬけどり身を細うしてかけりけり

昭和六年十二月二日


たかの目のたたずむ人に向はざる

昭和六年十二月十一日 東大俳句会。丸ビル集会室。


炭斗すみとりは所定めず坐右ざうにあり

昭和六年十二月十四日 笹鳴会。丸ビル集会室。


水仙や表紙とれたる古言海げんかい

昭和七年一月二十八日 丸之内倶楽部俳句会。


春の水流れ〳〵て又ここに

昭和七年二月七日 武蔵野探勝会。きぬた大字おおあざ岡本字下山、岩崎別邸。


草萌くさもえや大地総じてものものし

昭和七年二月八日 笹鳴会。丸ビル集会室。


風の日の麦踏ついにをらずなりぬ

昭和七年二月十三日 荻窪おぎくぼ、女子大学句会。


学僧に梅の月あり猫の恋

昭和七年二月二十二日 なずな会句会。


ぱつと火になりたる蜘蛛や草を焼く


我心ようやく楽し草を焼く

昭和七年三月二十四日 丸之内倶楽部俳句会。


花の雨降りこめられてうたいかな

昭和七年四月十二日 京都石田旅館にあり。安倍あべ和辻わつじ両君来り、謡二番。


山寺の古文書こもんじょも無く長閑のどかなり

昭和七年四月十六日 蜻蛉会。西山十輪寺吟行。


結縁けちえんうたがいもなき花盛り


ろう青畝せいほひとり離れて花下に

昭和七年四月十九日 木槿会。大阪倶楽部。


つばくろのゆるく飛び居る何の意ぞ

昭和七年五月七日 水竹居祝賀会。四ツ木吉野園。


春の浜大いなる輪がいてある

昭和七年五月九日 笹鳴会。片瀬西浜、保岡別邸。


夏草に黄色き魚を釣り上げし

昭和七年六月五日 武蔵野探勝会。石神井しゃくじい、三宝寺池。


おのずか其頃そのころとなる釣荵つりしのぶ

昭和七年六月二十一日 水無月会。丸ノ内、安田銀行。


榛名湖はるなこのふちのあやめに床几しょうぎかな

昭和七年七月三十一日 伊香保いかほに遊び、榛名湖にいたる。


落花のむこいはしやれものひげ長し

昭和七年九月四日 武蔵野探勝会。南拝島、日吉ひえ神社社前。


夜学すすむ教師の声の低きまま

昭和七年九月十日 『山茶花さざんか』十週年記念大会兼題。


くはれもす八雲やくも旧居の秋の蚊に

昭和七年十月八日 出雲いずも松江。八雲旧居を訪ふ。


秋風の急に寒しやわけの茶屋

昭和七年十月九日 松江を大山だいせんに向ふ。大山登山。


遅月おそづきの上りていとま申しけり

昭和七年十月十九日 嵯峨野さがの吟行。二条、巨陶居。


山間やまあいの霧の小村に人と成る


顔よせて人話し居る夜霧かな

昭和七年十月二十日 木槿会。大阪倶楽部。


大小の木の実を人にたとへたり

昭和七年十一月十四日 笹鳴会。丸ビル集会室。


描初かきぞめつぼに仲秋の句を題す

昭和八年一月一日 鎌倉宅病臥びょうが皿井さらい旭川きょくせん来、枕頭ちんとうに壺の図を描く。


つく羽子ばねの静に高したれやらん

昭和八年一月九日 笹鳴会。丸ビル集会室。


襟巻えりまききつねの顔は別に

昭和八年一月十二日 七宝会。松韻社にて。日比谷ひびや公園。


つづけさまにくさめして威儀くづれけり

昭和八年一月二十一日 家庭俳句会。


凍蝶いてちょうおのが魂追うて飛ぶ

昭和八年一月二十六日 丸之内倶楽部俳句会。


雪解くるささやきしげ小笹原おざさはら

昭和八年一月二十七日 鎌倉俳句会。


紅梅のつぼみは固しものいはず

昭和八年二月二十二日 臨時句会。発行所。


かもはしよりたら〳〵と春のどろ

昭和八年三月三日 家庭俳句会。横浜、三渓園。


立ちならぶ辛夷こぶしの莟行く如し

昭和八年三月三十日 七宝会。あふひ邸。


神にませばまことうるはし那智なちの滝


びんに手を花に御詠歌ごえいかあげて居り

昭和八年四月十日 南紀に遊ぶ。橙黄子東道。那智の滝。青岸渡寺せいがんとじ


鶯や御幸みゆき輿こしもゆるめけん

昭和八年四月十二日 中辺路なかへちを経て田辺に至る。中辺路懐古。


の日する昔の人のあらまほし

昭和八年四月十九日 大磯一本松、中村吉右衛門きちえもん別邸に行く。安田靫彦ゆきひこの意匠になるといふ庭に昔絵を見るが如き稚松多し。


にじ立ちて雨逃げて行く広野かな

昭和八年五月二十五日 丸之内倶楽部俳句会。


さえずりや絶えず二三羽こぼれ飛び

昭和八年六月十三日 北海道旭川俳句大会兼題。


浴衣ゆかたて少女の乳房高からず

昭和八年七月十二日 おほさき会。発行所。


風鈴のすまひをる女かな

昭和八年七月二十四日 玉藻句会。丸ビル集会室。


船涼し己が煙に包まれて

昭和八年 八月十六日発、北海道行。あふひ、立子、友次郎、草田男くさたお、夢香、桜坡子、木国同行。八月十七日、青函連絡船松前丸船中。


皆降りて北見富士見る旅の秋

昭和八年八月二十一日 るべしべ駅。此夜、阿寒湖、山浦旅館泊。


バス来るや虹の立ちたる湖畔村


火の山のふもとうみ舟遊ふなあそび

昭和八年八月二十二日 阿寒湖。此夜、弟子屈てしかが、青木旅館泊。


燈台は低く霧笛はそばだてり

昭和八年八月二十三日 釧路くしろ港。此夜、釧路港、近江屋泊。


一筋の煙草たばこのけむり夜学かな

昭和八年九月二十九日 草樹会。学士会館。


加藤洲かとうす大百姓おおびゃくしょう夜長よながかな

昭和八年十月一日 武蔵野探勝会。常陸ひたち鹿島かしま神社行。


倏忽しゅっこつに時は過ぎ行く秋の雨

昭和八年十月八日 田園調布、橙黄子新居句会。


秋の蝶黄色が白にさめけらし

昭和八年十月二十三日 玉藻句会。丸ビル集会室。


顔抱いて犬が寝てをり菊の宿

昭和八年十一月三日 家庭俳句会。鎌倉、虚子庵。


物指ものさしせなかくことも日短ひみじか


来るとはや帰り支度じたくや日短

昭和八年十一月十九日 発行所例会。丸ビル集会室。


来る人に我は行く人慈善鍋じぜんなべ

昭和八年十一月二十七日 丸之内倶楽部俳句会。


雑炊ぞうすいに非力ながらも笑ひけり

昭和八年十二月八日 草樹会。丸ビル集会室。


焼芋がこぼれて田舎源氏いなかげんじかな

昭和八年十二月十日 笹鳴会。丸ビル集会室。


白雲はくうんと冬木とついにかかはらず

昭和八年十二月十五日 家庭俳句会。渋谷しぶや、あふひ邸。


かくれ家をかいま見すればひな飾る

昭和九年二月二十六日 玉藻句会。丸ビル集会室。


白雲のほとおこり消ゆ花の雨

昭和九年四月十三日 大阪に在りしが野風呂の招きにて昨夜遅く嵐山、花の家に著。大堰舟遊。此夜石田旅館泊。


四畳半三間の幽居や小米花こごめばな

昭和九年四月十四日 蜻蛉会。岩倉実相寺に至る。岩倉公遺跡。


事務多忙頭を上げて春おし

昭和九年四月二十九日 発行所例会。丸ビル集会室。


つくり雨降らせふきあげ噴き上げぬ

昭和九年六月九日 水竹居招宴。田中家。


酌婦来る灯取虫よりきたなきが

昭和九年六月十一日 おほさき会。丸ビル集会室。


一々の芥子けしふくろや雲の峰

昭和九年六月十五日 家庭俳句会。小石川植物園。


玉虫の光残して飛びにけり

昭和九年七月二十三日 玉藻句会。丸ビル集会室。


水飯すいはん味噌みそを落して濁しけり

昭和九年七月二十六日 丸之内倶楽部俳句会。


黒揚羽くろあげは花魁草おいらんそうにかけり来る

昭和九年七月二十七日 鎌倉俳句会。稲村ヶ崎、稲村居。


何となく人に親しや初嵐はつあらし

昭和九年八月二十三日 丸之内倶楽部俳句会。


よべの時化しけ最も萩をいためしか

昭和九年九月十一日 箱根、見南山荘。


大いなるものが過ぎ行く野分のわきかな


いにしえの月あり舞のしずかなし

昭和九年九月二十一日 家庭俳句会。鎌倉、鶴ヶ岡八幡楼門。野分吹く。号外に颱風たいふう京阪地方を襲ひ大阪天王寺の塔倒ると。


並べある木の実に吾子あこの心思ふ

昭和九年十月二十二日 玉藻句会。丸ビル集会室。


秋風や何の煙かやぶにしむ

昭和九年十月二十七日 鎌倉俳句会。たかし庵。


川を見るバナナの皮は手より落ち

昭和九年十一月四日 武蔵野探勝会。浜町はまちょう、日本橋倶楽部。


焚火たきびのみして朽ち果つる徒にあら

昭和九年十一月十二日 おほさき会。丸ビル集会室。


神近き大提灯おおぢょうちん初詣はつもうで

昭和十年一月一日 未明。明治神宮初詣。


巫女舞みこまいをすかせ給ひて神の春


神慮今はとをたたしむ初詣

昭和十年一月一日 午後。鶴ヶ岡八幡宮初詣。


藪入やぶいりの田舎の月の明るさよ

昭和十年一月十日 第二回同人会。赤羽橋あかばねばし、春岱寮。


里方さとかたあおいの紋やひなの幕

昭和十年三月三日 武蔵野探勝会。麻布あざぶ広尾、近藤男爵邸雛祭。


一を知つて二を知らぬなり卒業す

昭和十年三月十二日 笹鳴会。丸ビル集会室。


園丁の指に従ふ春の土

昭和十年四月四日 みづほ歓迎会。百花園。


椿つばきづ揺れて見せたる春の風

昭和十年四月二十日 あふひ還暦祝。百花園。


船の出るまで花隈はなくま朧月おぼろづき

昭和十年四月二十四日 播水招宴。神戸花隈、吟松亭。


道のべに阿波あわの遍路の墓あはれ

昭和十年四月二十五日 風早西のの句碑を見、鹿島に遊ぶ。松山、黙禅邸。松山ホトトギス会。


れて今宵こよいの船も波なけん

昭和十年四月二十六日 石手寺いしてじ、湧ヶ淵吟行。豊阪町亀の井。此夜神戸舟行。


旅荷物しまひ終りて花にひま

昭和十年四月二十九日 舞子、万亀楼。


秋篠あきしのはげんげのあぜに仏かな


奈良茶飯ならちゃめし出来るに間あり藤の花

昭和十年五月一日 立子と共に大阪玉藻句会出席。奈良東大寺裏、宝厳院。


つばくろのしば鳴き飛ぶや大堰川おおいがわ

昭和十年五月二日 京都嵐山、花の家。立子と共に。


緑蔭を出れば明るし芥子けし

昭和十年六月十三日 七宝会。小石川植物園。


かじの音ゆるく太しや行々子ぎょうぎょうし

昭和十年六月二十四日 玉藻句会。丸ビル集会室。


吹きつけてせたる人や夏羽織

昭和十年六月二十八日 鎌倉俳句会。鎌倉山。


魚鼈ぎょべつ居る水を踏まへて水馬みずすまし

昭和十年七月十一日 七宝会。かしら公園茶店。


山の蝶飛んでかわくや宿浴衣やどゆかた

昭和十年八月五日 箱根、松坂屋。一行十三人。


かわ〳〵と大きくゆるく寒鴉かんがらす

昭和十年十二月十二日 七宝会。松本ながし氏追善。不忍池しのばずのいけ畔雨月荘。


大空に羽子はねの白妙とどまれり

昭和十年十二月十三日 草樹会。丸ビル集会室。


観音は近づきやすし除夜詣じょやもうで

昭和十年十二月三十一日 浅草観音。

底本:「虚子五句集(上)〔全2冊〕」岩波文庫、岩波書店

   1996(平成8)年917日第1刷発行

底本の親本:「五百句」改造社

   1937(昭和12)年617

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました

※「丸の内」と「丸之内」と「丸ノ内」の混在は底本通りです

入力:岡村和彦

校正:酒井和郎

2016年626日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。