緑色の時計
小川未明



 おじさんのかみは、いつもきれいでした。そして、花畑はなばたけでもとおってきたように、着物きものは、いいにおいがしました。そわそわと、いそがしそうに、これから、汽車きしゃって、たびへでもでかけるときか、あるいは、どこかとおくから、いま、汽車きしゃでついたばかりのように、そのはいきいきとしていました。

 事実じじつ、おじさんは、方々ほうぼうへでかけたし、ぼくたちのらないまちで、めずらしいものをたり、いろいろの人々ひとびととあって、いたおもしろいはなしを、ぼくたち兄弟きょうだいにしてくれたのでした。

 あるのこと、

「ぼく、望遠鏡ぼうえんきょうが、ほしいな。」といったのです。すると、おじさんが、

「じゃ、いい望遠鏡ぼうえんきょうを、さがしてやろうかな。」といいました。

とおくが、えるんだよ。」

船乗ふなのりが、つようなのさ。」

「そんなの、あっても、たかいだろう。」

「なに、ものなら、たいしたことはない。」

 こんなぐあいに、おじさんのくちからくと、なんとなく、はや、自分じぶんは、のぞみをたっしたもののように、うれしくなるのでした。

 また、あるのことでした。おとうとが、

「どこかに、スケートのくつが、ないもんかな。」と、おもいだしたように、いいました。

「なに、きみは、スケートができるのかい。」と、おじさんが、きました。

「おけいこをしたいんだよ。」

「そんなら、S町エスまち夜店よみせへいってごらん。あのへんには、外人がいじん家族かぞくが、たくさんきているから、ないともかぎらない。」

 まったく、くもをつかむようなはなしなのだけれど、おじさんのいうことをくと、なんとなく、そうかもしれぬとおもうのです。

S町エスまちへいってみるかな。」と、おとうとが、いいました。すると、おじさんが、

「この時計とけいも、あすこの露店ろてんったのだ。スイスせいのなかなか正確せいかくなやつで。」と、おじさんは、時計とけいをうでからはずして、ぼくたちにせました。

 ぼくは、まえから、いい時計とけいだなとおもっていたのでした。かたちがめずらしく、長方形ちょうほうけいをして、緑色みどりいろのガラスが、はまっていました。にとってみるのは、はじめてだけれど、するどい、ぜんまいのおとが、チッ、チッとしています。

「ほかに、いいのをつけたら、これをしょうちゃんにあげるよ。」と、おじさんは、わらいながらぼくのかおました。ぼくには、おもいがけないことだったので、

「ほんとう?」と、きかえしました。

「ほんとうとも。だが、すぐではないよ。いいのをつけてからだぜ。」と、おじさんは、いいました。

 あとで、このことをねえさんにはなすと、

「そんなこと、あてにしないほうがいいわ。」と、ねえさんはこたえて、せっかくのぼくのよろこびをうちけしました。

「じゃ、うそだというの。」と、ぼくは、ねえさんにせまりました。

「だって、あのひとのいうことは、いつもゆめのようなはなしじゃないの。」

 そういわれれば、そんなようなもするけれど、ぼくは、おじさんのはなしには、いつもひきつけられるのでした。

しょうちゃんは、うそをつくようなひとでもすき?」と、ねえさんが、きました。

「ぼく、うそをつくようなひとは、だいきらいだよ。」

 ほんとうをいえば、ねえさんも、ぼくも、しんにおじさんが、まだわからなかったのでした。

 春風はるかぜく、あたたかなばんがたでした。おとうとは、S町エスまち露店ろてんへ、いっしょにいってくれというのでした。二人ふたりは、電車でんしゃって、でかけることになりました。えきちかくの花屋はなやでは、はないている、ヒヤシンスのはちが、ならべてありました。

 おとうとは、電車でんしゃまどから、そとをのぞいて、

「にいちゃん、いなかのようなところを、とおるんだね。」といいました。ぼくは、つりにいくとき、よくこのあたりをあるいたけれど、おとうとは、いままで、こちらへきたことはなかったのです。

 S町エスまちへつくと、もうくらくなりかけていました。大通おおどおりには、あかりが、ちかちかとついて、おまつりでもあるようでした。なるほど、たくさん露店ろてんていました。けれど、一つ、一つ、ていくけれど、どものおもちゃとか、日用品にちようひんとか、もののようなものばかりで、望遠鏡ぼうえんきょうや、時計とけいのようなものをみせは、つかりませんでした。まれに、お勝手かって道具どうぐ農具のうぐなどをならべたものがあったけれど、スケートのくつをおくようなみせは、つかりませんでした。

 ぼくのさきになって、あるいていたおとうとが、ふいに、

「にいさん。」と、ぼくをよびました。ぼくは、いそいで、おとうといつきました。

 ちょうど、露店ろてんのおわりかけたところに、ふるぐつやふるげたをむしろのうえへつみあげたみせがありました。おとうとは、そのまえって、ねっしんにていましたが、ちいさなこえで、

「ちょっと、あのおばあさんのをごらん。」というのでした。

 うすぐらい、かたすみのところに、みすぼらしいとしとったおばあさんが、かたちんばのふるげたをよりわけて、あれか、これかと、くみあわせてみているのでした。おばあさんは、そのことに、まったくむちゅうでした。そしてつめをいためたのか、ゆびさきから、あかがながれていました。これをたとき、さすがに、ぼくは、世間せけんには、こんな生活せいかつもあるのかとかんがえられて、なんとなくいたたまらない気持きもちがしました。

「さあ、もうかえろうよ。」と、ぼくは、おとうとをうながして、二人ふたりは、さっききたときのみちをもどったのであります。

 ほしひかりが、うるんでえるばんでした。いえへつくと、つかれて、がっかりしました。

「おじさんは、うそつきだね。」と、おとうとは、憤慨ふんがいしました。

「あの、S町エスまちで、なかったかもしれないよ。」と、ぼくが、いいました。

「どうして。」と、おとうとは、いぶかしそうに、いかえしました。

「だって、あのあたりに、外国人がいこくじんなんか、いそうもないじゃないか。」

 そう、ぼくが、いうと、なるほどそうだねと、いわぬばかりに、おとうとは、あたまをかしげながら、

「こんど、おじさんがきたら、よくいてみようね。」といいました。

 そののち、どうしたのか、しばらくおじさんは、えませんでした。あるのこと、とつぜんおじさんが、病院びょういんでなくなられたというらせがありました。これをいて、みんなが、どんなにおどろいたかしれません。

「まあ、あのおわかさで、なんのご病気びょうきでしたでしょう。」と、おかあさんは、なみだぐまれました。

「いつも、ほがらかな、かたでしたのに。」と、ねえさんが、いいました。

「あれで、なかなかかんがえぶかいところがあって、将来しょうらいのあるひとおもっていたのに。」と、おとうさんは、おしまれました。

 おとむらいのには、おとうさんが、いかれました。ぼくは、そのとき、往来おうらいあそんでいて、いまごろ、おじさんのたましいは、てんへのぼるのだろうと、まろやかに、よくれわたるそらをあおぐと、めずらしい金色こんじきくもが、いくつとなく、あちこちにんでいました。

「いいおじさんだったがなあ。」と、ぼくは、もう二とあわれぬのをふかくかなしみました。

 いえでは、とうざ、よくおじさんの、うわさがでました。

「いいひとだったけれど、あんまりはなしがちょうしよくて、信用しんようがされなかった。」という意見いけんもありました。そんなやさきへ、ちいさなはこが、おじさんの遺族いぞくから、ぼくのところへとどけられたのです。さっそくあけてみると、いつか、おじさんが、ぼくにやくそくをした、緑色みどりいろのガラスのはまった、長方形ちょうほうけい時計とけいでした。

 これを、おじさんが、ぼくにやってくれといいのこされたというのです。このことは、みんなを感激かんげきさせました。

「ごらん、おじさんは、うそつきでないじゃないか。」

 ぼくは、みんなのまえでいばりました。そして、このとき、まごころというものが、いかにとうといものであるかをりました。また、がたつにつれて、そのひとにたいする尊敬そんけいの、だんだんたかまるのがわかりました。

 いま、ぼくのつくえのうえに、おいてある時計とけいがそれです。カチ、カチと、ときをきぎむおとがしています。それをくと、

「きみには、わたくしのこころがわかってもらえる。」と、おじさんが、いっているようです。そして、たえず、かたわらで、ぼくをはげましてくれるのでした。

「みんなをよろこばせ、みんなをしあわせにするために。」

 そうだ、ぼくが、うつくしいき、りっぱな発明家はつめいかとなったとき、おじさんのたましいは、よろこんでくれるだろうとおもいました。

底本:「定本小川未明童話全集 14」講談社

   1977(昭和52)年1210日第1刷発行

   1983(昭和58)年119日第5刷発行

底本の親本:「みどり色の時計」新子供社

   1950(昭和25)年4

初出:「幼年ブック」

   1948(昭和23)年6

※表題は底本では、「緑色みどりいろ時計とけい」となっています。

※初出時の表題は「みどり色の時計」です。

入力:特定非営利活動法人はるかぜ

校正:酒井裕二

2020年221日作成

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