新しい町
小川未明



 もくら、もくらと、しろくもが、大空おおぞらあたまをならべる季節きせつとなりました。とおくつづくみちも、りょうがわのまちも、まぶしいひかりをあびています。戦争せんそうのためやけたあとにも、あたらしいバラックができ、いつしかむかしのようなにぎやかさをとりかえし、このさき発展はってんをにおわせて、なんとなく、わかわかしい希望きぼうかんずるのでありました。

 みちばたの露店ろてんは、たいてい戦災者せんさいしゃか、復員ふくいんしたひとたちの、生活せいかつをいとなむのでありました。勇吉ゆうきちは、おかあさんと、毎日まいにちここへでて、ろうそくや、マッチや、うちわなどをならべて、あきなっていました。

 そのまえとおひとなかには、よごれたふくをきて、まきぎゃはんをはき、おもそうなリュックをしょい、いま戦地せんちから、もどったばかりというふうなひともありました。そうかとおもうと、はでな着物きものをきて、うつくしいがさをさすおんなひともありました。

 きょうは、勇吉ゆうきちひとりで、露店ろてんへでていました。そして、おとうさんがまだきていてひょっこりかえってくるのではないかと、空想くうそうにふけりながら、あてもなくまちみぎひだりをながめていました。

 かれのとなりには、おじいさんが、げたのみせをひろげていました。そのおじいさんは、なにかとせわをしてくれたり、うちとけてはなしをしてくれる、したしみぶかいひとでした。だまっているときは、よくおじいさんは、いねむりをしていました。しかし、ねむりきっているのではないから、なんでも、よくわかっているようです。

「おじいさん、そこへへびができましたね。」と、勇吉ゆうきちはなしかけると、

「もと、あちらのかどにあったのが、やけたので、こっちへ、うつってきたのだろう。」と、おじいさんは、をとじたままで、こたえました。

まえには、いろんなきたへびが、びんのなかに、はいっていましたね。こんどは、きたのがいませんよ。」

「そうかい、いなくなったか。」と、おじいさんはいって、だまってしまいました。それは、ねむってしまったのでなく、かんがえごとにふけったからでした。

 おじいさんは、そのへびが、まだ、あちらのかどにあってやけないまえには、よくみせさきにって、びんにはいっているあかをしたあおいへびや、あたまおおきいくろいへびをながめながら、それらのどくへびがすんでいるジャングルで病死びょうしした、おいのことをおもったのでした。

「あのも、戦争せんそうさえなければ、ななかったのに。」

 ふと、おじいさんは、いまもまたそうおもって、をあけると、勇吉ゆうきちが、

「おじいさん、南方なんぽうからは、もうみんな、復員ふくいんしてしまったでしょうね。」と、きいたのでした。

「なんでもそんなはなしだな。」

「やはり、うちのおとうさんは、んでしまったのか。」と、勇吉ゆうきちは、つぶやきました。

「ううん。」と、おじいさんは、同情どうじょうするようにいって、勇吉ゆうきちをばました。

「きょうは、おまえさんひとりなのか。おかあさんは、どうなさった。」

おとうとがかぜをひいたので、やすんだのです。」

「それはいけないな。今度こんど戦争せんそうは、どれほどひとかしたか。まだかえらないひとにもうひとり、おもいだすひとがあるよ。」と、おじいさんはいいました。

「それは、どんなひとですか。」

ふゆさむばんのことだった。露店ろてん射的しゃてきに、おかみさんがあかんぼうをだいて、カンテラのそばにすわっていた。そこへかくぼうをかぶった、学生がくせいさんがやってきて、じょうずに、ポン、ポンたばこをうちおとしたのだ。はじめのうちは、うまいなとおもって、ていたが、しまいに、おかみさんがきのどくになって、このおんな主人しゅじんも、たぶん戦争せんそうにいっているのだろうとおもうと、だまっていられなくなって、『学生がくせいさん、すこしさっするものだよ。』といった。すると、学生がくせいさんはふりかえって、『おじいさんしんぱいしなさんな、ぼくは、一つだけもらって、あとはおいてゆきますよ。こうしてあそぶのは、今夜こんやだけですからね。』といった。わしは、おどろいて、『えっ、今夜こんやだけ。』とたずねると、『ぼくは飛行兵ひこうへい志願しがんしたので、あす南方なんぽう出発しゅっぱつするのです。』といったが、たぶん、あの学生がくせいさんはかえってこまいとおもったのさ。」と、おじいさんは、まただまってしまいました。

 勇吉ゆうきちは、さっきからおじいさんのだまっていた心持こころもちが、わかるようながしました。

 あちらへ、あか風船球ふうせんだま屋台やたいがでました。また、金魚売きんぎょうりが、をおろしていました。まわりへこどもらが、あつまっています。その風景ふうけいは、いまむかしと、すこしのわりもありません。ただ、ぼくやしょうちゃんがあのなかにいないだけだと、勇吉ゆうきちおもったのでした。

 ここへ、みせしてから、じき一ねんになるが、毎日まいにちっても、おとうさんはかえらないばかりか、なかよしのしょうちゃんまでとおらないのが、勇吉ゆうきちには、たまらなくさびしくかんじられました。

 まれに、おかあさんをひとが、とおりかけて、

「まあ、こんな、おちいさいのに。」と、自分じぶんていうと、おかあさんまでが、

「いまから、くろうさせたくないのですが。」と、こたえるのです。勇吉ゆうきちには、それがいちばんかなしいのでした。そこへいくと、となりにいる、おじいさんは、

「なに、おとこだものな。いまから、つよくならなければ。」と、はげましてくれる。それは、どんなに自分じぶんを、元気げんきづけたかしれないと、勇吉ゆうきちおもいました。かれは、きゅうに、おじいさんがしたわしくなって、

「ねえ、おじいさん、ごらんなさい。あか風船球ふうせんだまは、きれいでしょう。」と、はなしかけたのでした。すると、おじいさんは、かおをあげて、

「おお、あれか。なるほどきれいだな。わしは、がかすんで、よくわからぬが、なにかほかにもついているようだな。」といいました。

風車かざぐるまに、はたに、風鈴ふうりんなんかですね。」

「そうかい、どものほしがるものばかりだ。」

 つぎのには、もう勇吉ゆうきちおとうと病気びょうきがなおったので、おかあさんは、露店ろてんていました。

 ときいろくもが、まちのやねをおろすのことであります。

「さっきから、ゴロ、ゴロいっているが、夕立ゆうだちがくるらしい。」と、おじいさんがいうと、

「いえ、どこかとおくで、工事こうじをしているんです。毎日まいにち、あんなおとがきこえます。」と、勇吉ゆうきちこたえました。

「ひるまは、トタンがやけるので、バラックではやりきれません。」と、勇吉ゆうきちのおかあさんがいいました。

 こんなはなしをしていたとき、あちらから、せのたかおとこが、おどるようなあしどりで、なにかつぶやきながら、きかかりました。とおひとは、みんなそのほうていました。やはり戦闘帽せんとうぼうにまきぎゃはんをして、復員兵ふくいんへいらしく、一つ一つ露店ろてんをのぞきながら、こちらへちかづき、おじいさんのみせまえまでくると、

「ここは、げただな。げたばかりか。こんなものべられない。」といいました。

 そのおとこかおは、にやけてくろく、ひかって、ひげは、やみあがりのようにのびていました。こんどは、勇吉ゆうきちみせまえあしをとめて、

「ここは、ろうそく、マッチ、かやりせんこう、色紙いろがみ、みんなたべられないものばかりだ。」と、ひとりごとをしてから、トテ、トテ、トー、トッテ、トッテ、ターと、くちでらっぱのまねをしました。さっきから、そのようすをていたおじいさんが、

「にいさんは、どちらから、おかえりですか。」と、ききました。

「おれかい。ニューギニアだ。おれはへびもたべたし、とかげも、青虫あおむしも、なんでもたべた。まだ、ろうそく、マッチは、たべなかったよ。」

 こうまじめにいうので、だれもおかしいとわらうものはありませんでした。

 トテ、トテ、トー、トッテ、トッテ、ター、おとこはらっぱのおとをくりかえしながら、あちらへりました。おじいさんは、そのうしろろすがたをおくって、ためいきをつきました。

「おきのどくに、がへんなんですね。」と、勇吉ゆうきちのおかあさんがいうと、

戦争せんそうが、わるいんだ。」と、おじいさんは、こたえて、こちらへむきなおり、

ゆうちゃんは、はやくおおきくなって、かわいそうなひとたちの、ちからになっておやり。」といいました。

 勇吉ゆうきちは、にいっぱいなみだをためて、だまってうなずきました。

底本:「定本小川未明童話全集 13」講談社

   1977(昭和52)年1110日第1刷発行

   1983(昭和58)年119日第5刷発行

底本の親本:「赤い雲のかなた」小峰書店

   1949(昭和24)年1

初出:「幼年クラブ」

   1947(昭和22)年8

※表題は底本では、「あたらしいまち」となっています。

入力:特定非営利活動法人はるかぜ

校正:酒井裕二

2018年828日作成

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