俳諧師
高濱虚子




 明治二十四年三月塀和はが三藏は伊豫尋常中學校を卒業した。三藏は四年級迄忠實な學校科目の勉強家で試驗の成績に第一位を占める事が唯一の希望であつた。それがどういふものか此一年程前より試驗前の勉強は一切止めた。この卒業試驗前は近松の世話淨瑠璃を讀破した。試驗の答案は誰より早く出して殘つた時間は控室で早稻田文學としがらみ草紙の沒理想論を反覆して精讀した。

 三藏の父は竹刀をひつさげて中國九州を武者修行に𢌞つて廢藩後も道場を開いて子弟を教育したといふ武骨一片の老人で、三藏はその老後の子であつたに拘らず家庭の教育は非常に嚴格であつた。「三藏炭取を持つて來い」といふ聲にも「やつ」と竹刀を握つて立合つた時の氣魄が籠つてゐるので、三藏は覺えず言下に「はい」と蹶起せねばならぬやうになる。「三藏此手紙を高木へ持つて行てくれぬか」といふ聲はゆつたりしてゐるが、三藏は其手紙を受取るや否や下駄を突掛けて駈け出さねばならぬほど其聲に威嚴がある。さうして其謹嚴な半面には又他愛も無い愛情がある。三藏が中學校に這入つた後迄も、外出して歸つた父の袂からは紙にくるんだ煎餠位のお土産が出ぬ事は稀であつた。父が亡くなつてからも同じく嚴肅な兄の膝下に保管されて、さうして際限も無い老母の愛に甘やかされた。三藏は人に對して極めて柔順で素直で氣が弱くつて、さうして何處か我儘で敗嫌で、虚榮心の強い性質に育て上げられた。

 兄は「金儲けには醫者がいゝよ、醫者にならぬか」と勸めた。三四年前或寺を借りて毎月演説會をした仲間は「君は政治家になる筈では無かつたのか」といつた。三藏は醫者は思ひもよらぬ、金なんか儲けなくつてもよいと思つた。政治家は初めその花やかな點が心をいたが、後になつて「雪中梅」や「佳人の奇遇」で想像してゐたのとは違つてゐる事がわかつて來て政治家も面白くないと思つた。かくて三藏は文學者と決心した。文學は束縛の少ない自由の天地である上に又政治についで花やかな天地である事も三藏の心を牽いた一つの原因であつた。

 松山一の老櫻のある料理屋に同窓生の祝賀會が開かれる。御詠歌の上手な同窓生の一人が『普陀落や岸うつ波』と茶碗を箸で叩いて唄ふと、小さいおもちやの傘と、これも杉箸を杖の代りに持つてをばさんと仇名のある滑稽家の粟田が妙な身振りをして『順禮に御報捨』と可愛らしい聲を出す。こゝまでは趣向が出來たが『今日は幸い夫の命日、お手のうち進ぜませう』といふ塗盆を持つて立つて行く役割に當るものが一人も無い。三藏は乾いた口を開けて「僕がやらう」といふ。「君が遣るか」と粟田が眞面目な顏をして驚く。茶碗が鳴る。『普陀落や岸うつ波』と唄ふ聲が響く。をばさんは目をしよぼ〳〵させながら首をかしぎ『順禮に御報捨』と絲のやうな聲を長く引つ張つてゐる。いざとなると三藏は喉が詰つて口がきけぬ。をばさんは又『順禮に御報捨』と改めていふ。三藏はまだ默つてゐる。「馬鹿!」といふものがある。「自分で遣ろといはねばいゝのだ」といふものがある。餘興はそのまゝにつぶれて三藏は面目を失ふ。

 ぱつと咲いた櫻はぱつと散る。蚊いぶしの煙の中で三藏は露伴の「風流佛」を愛讀する。



 瀬戸内海の波は靜かだ。夢のやうに寄せて音も無く白砂の上を走る。只時々囁く如く聞ゆるのは渚に捨てゝある碇にあたつて碎くる波の響きであらう。堅田の浦の汀の石に立つて近江の湖を見た時と、三津の濱の捨舟の端に腰打ち掛けて瀬戸内海を眺めた時といづれを湖いづれを海と見定めがつかう。その三津の濱に門司を出た汽船が著く。一日に一度著くこともある。二度著くこともある。はしけは旅客と行李を積んで汽船に運ぶ。汽船は其靜かな鏡の面に渦を卷いて大阪に向ふ。

 四年間一番の席を獨占して卒業する時も一番であつた中尾市太郎は藝者屋の息子である。市太郎の姉二人とも藝者をしてゐる。一人の妹も藝者をしてゐる。姉妹の稼いだ金は市太郎の教科書となり制服となり月謝となり、其月桂冠となり、さうして又東京の高等工業學校を志望して上京する其學資となり旅費となる。三津の濱の波打際に立つてゐるのは、沖遠き雲の峰に打映えて赤、紫、淺黄の三本の蝙蝠傘、少し離れて大小いろ〳〵の麥藁帽。其中には三藏もゐる。三藏を蹶落して二番になつた加藤もゐる。四番の平田もゐる、をばさんもゐる。中尾も加藤も平田もをばさんも新らしい活動の世界を波の彼方に描く。中尾は甲板で帽子を振る。勝つて歸るよと帽子を振る。加藤も平田もをばさんも帽子を振る。勝つて歸り給へと帽子を振る。紫、淺黄、赤の三本の蝙蝠傘からも眞白き手に各〻ハンケチを振る。勝つてお歸りよとハンケチを振る。三藏は獨り目をねむつて解放の世界を波の彼方に描く、中尾の振る帽子、加藤、平田、をばさんの振る帽子、三人の姉妹の振るハンケチを見て三藏も亦知らず識らず帽子を振る。而も勝つて歸り給へといつては振らぬ。負けて歸り給へといつてふるのでも無い。三藏はたゞ帽子を振る。中尾が振つてゐる間振る。加藤、平田、をばさんが振つてゐる間振る。三人の姉妹が振つてゐる間振る。

 中尾につゞいて誰彼が出發する。三藏の家の庭の向日葵ひまわりが一度𢌞ると三津の濱に二艘の汽船が著いて三藏は一册の小説を讀み終る。八月に入つてからは自ら筆を取つて書く。主人公は大江山の麓の村から離縁になつて歸つて來たといふ自分の家の西隣の家の娘で、一枚書いては消し二枚書いては消し十枚にならぬうちに筆を中止する。三藏の愛讀する「風流佛」の作者露伴は二十一歳で「露團々」を處女作として出した。二十一歳までには處女作を出さねばならぬと考へる。

 大阪商船會社の緑川丸が、三藏、加藤、平田、をばさん等の一行が神戸に送り、汽車が更らにこれを京都に送つたのは、四條のかわらにまだ川床が殘つてゐて枝豆賣の赤い提灯が篝火の中を縫つて歩く八月の末であつた。



 三藏が朝顏の花と夕顏の花の間に立つて、故郷の垣根から自分の未來に首を延して何か判らぬものに望みをかけてゐた時は、目の前にぱつと蛤の口から出た蜃氣樓のやうなものが棚引いて其中に畫の如き京都があつた。

 て今は親しく其京都の土を踏んで七條の停車場からガラ〳〵と車にゆられて、三藏等より一年先に卒業して既に高等學校に在學してゐる先輩の上長者町の下宿に著く。加藤も平田もをばさんも著く。其下宿といふのは全くの素人屋で、明治二十四五年頃は吉田町の專門の下宿屋でも一ヶ月三圓五十錢、それで十二疊の大廣間を一人で占領してゐるやうな時代であつたので、一ヶ月炭油共に三圓といふ安直下宿に先輩は古びた神棚の下に易者のやうな顏をして机の前に坐つてゐた。尤も是は一人の先輩で、他の一人の先輩は其向かひの、これも素人屋で姉小路といふ、昔は御所勤めをしてゐて今でも Miss 綾子だといふ四十七八の顏に白粉をこて〳〵と塗つた、べら〳〵べら〳〵と口中を泡だらけにして喋舌しやべり立てる其綾子さんの監督の下に赤い机掛を掛けてチョコナンと坐つてゐた。三藏一行の所置は萬事此二先輩に依囑してあつたので、二先輩は彼方へ行き此方へ行き今更のやうに兩家の主人公と談判を始めてゐる。

 加藤も平田もをばさんも神棚よりは寧ろ Miss 綾子の方に心を傾けて、めい〳〵行李の中から出した菓子折を一つ宛持つて行つて敬意を表する。三藏も同じく行李の中から一つの菓子折を取り出して遲ればせながら敬意を表する。綾子の方は相好を崩して喜ばれつゝ「狹うてもだんないのならいくたりなとお出でやす。奧村さんへもちとお行きんと惡いさかいに其處はあんじよう此方で話極めます。心配せんときやす」といふやうな事をいはれる。

 やがて談判の結果、加藤、平田、をばさんの三人は首尾よく綾子の方の家と極つて、三藏獨り奧村と定まる。實はをばさんも奧村の方であつたのを「あら、私や厭やよ、泣こかしらん」といふやうなことを言つて旨く交渉をつけたのである。三藏は行李にもたれて、古ぼけた障子を眺めて、國を出づる時門に倚つて自分を見送つた老母の白髪を思ひ浮かべる、先輩増田はと見ると相變らず神棚の下の薄暗い机の前に坐つて、長煙管を詰めながら、目は机上の日出新聞の上に落としてニヤ〳〵と笑ひながら讀んで居る。

 増田と共に臺所の前に竝べてあるお膳の前にかしこまつてお椀の蓋を開けると、中には松葉昆布に小さい椎茸が一つ這入つてゐる。其他は皿に砂の如くこまかく刻んだ菜漬が一つまみ入れてあるばかりで御飯も針のやうに硬い。



 翌日加藤、平田、をばさん一行が、高等學校を見に行かうと三藏を誘ひに來る。嚮導者は綾子さんの方にゐる先輩山本で、増田に行かぬかと勸めたが、「山本が居ればいゝだらう、行つて來給へ」と相變らず長煙管に煙草を詰め乍ら神棚の下の暗い机の前に坐つてゐる。山本は此處が御所だ此處が丸太橋だ、此處が下加茂で、糺森があれだと一々教へて呉れる。三藏も加藤も平田もをばさんも只感心してふん〳〵と聽いてゐる。

 三藏は國を出てから落著かぬ。緑川丸の甲板で加藤等と舳の碇綱に腰を掛けて、來島の瀬戸を越えてから穩か過ぎる程穩かな航海に退屈して各未來の希望を語り合つた時は、加藤は加藤、平田は平田、をばさんをばさん、三藏は三藏とチャンとめい〳〵の方向は坦途の如く明かで、一擧手一投足も各〻意味あるが如く他を見自己を解釋してゐたのであるが、扨て播磨灘の夢覺めて汽船が神戸についてからは、加藤も無い平田も無いをばさんも無い三藏も無い。いづれも只周圍の勢力に制せられて殆ど無我夢中で今日迄來た。鴨川堤を離れて吉田町に曲りかけた時、三藏は漸く我に歸つたやうな顏をして「山本君、叡山はどの山かい」と聞いた。「叡山かい、叡山はそれさ」と山本はあごで東北隅に聳えてゐる山を指した。「あれが叡山か」と三藏は感心する。國に居て夢想してゐた京都と、現在踏んで居る京都とは今迄全く別のものであつたのが此時漸く一つのものにならうとする。而も今見る叡山はたゞの山だ。五色の土で作り上げてゐた腦中の山とは色も違ふ形も違ふ。ぴたりと一つにならうとして一度は接近したものゝ容易には一つにならぬ。又「鞍馬はどれかい」と聞く。「鞍馬かい、鞍馬はあれさ」と今度は左の手を上げて北方の山脈の中に稍高くなつてゐる一峰をさす。「あれが鞍馬か」と三藏は又感心する。加藤や平田は此問答には無關係で「行軍は何泊位かい」「演説會は各級は一人づゝかい。教師から指名するの? 生徒から志望するの?」などゝ各〻質問を發してゐる。三藏は又是等の問答には無關係で「愛宕はどれかい」と同じやうな質問を繰返へす。「愛宕かい」と山本は面倒さうに言つて「此處からは御所の森の蔭になつて見えん」と素氣なくいふ。「さうかい。それではもつと向うへ行つたら見えるね」と三藏は執拗く聞く。「えゝ?」と山本はうるさゝうに振り向いて、其拍子に、「あゝ見え出した見え出した。それ、あの森の外れに見える尖つた山さ」と西方の天を指す。京都の三つの高山は此に於て三藏の頭に深く〳〵印象される。それと同時に一つにならうとして容易に一つにならなかつた理想と現實の二つの京都の、一方の色がだん〳〵薄くなつて來て、他の一つの色がだん〳〵と濃くなつて來て、昨日下りた七條の停車場から、上長者町、御所、鴨川、それにこの三つの山を結びつけたはうの京都、そのまざ〳〵とした現實の京都が三藏の鼻の尖にぶら下る。



 赤い煉瓦の建物、是も現實の高等學校が又目の前に横はる。嘗て寫眞で見てどんなに立派なものであらうかと想像してゐた程では無かつたが、それでも門前に立つて見ると流石さすがに大きい。山本が無造作に這入りかけるので「這入つても構わんのかい」と三藏は一寸躊躇する。制服に制帽を著けた一人の生徒が三藏等には一眄をも呉れずについと門を出て行つてしまふ。「構ふものか。這入りたまへ」といつて山本は先きに立つ。

 生徒の控室には二月ばかり前に出した掲示が其儘になつてゐる。『加納教授本日休み』『豫科一年甲組金曜時間割左の通り順序變更、三角、體操、物理、阪本英語、獨逸文法』それから又『本科一年乙組茶話會第三土曜横斜亭にて開會、幹事』『高知縣人會、今週金曜午後三時より、吉村方にて』『理事改選左の通り更任、平泉八郎、末松道雄、遠山武、撃劍部』などゝいふ張出しも其處に殘つてゐる。加藤や平田やをばさんは面白さうにそれを見てゐる。彼等が三津の波打際に立つて波の彼方に想像してゐた活動競爭の舞臺が今日の前に現前してゐるのである。今控室には三藏等一行の外一人の人影も無い。廣い建物が寂寞としてゐる。けれども二月許り前に過ぎ去つた競爭活動の足並の音が是等の掲示を通して遠き彼方に響くのが聞えるのである。軈て又數日ならぬうちに新らしい競爭活動の潮が推寄せて來る其響をも是等の掲示を通して聽き取ることが出來るのである。三人の顏には若い血が漲り輝く。

 獨り三藏は何處となく一種の壓迫を感ずる。嘗て目をねむつて心で見た其理想郷も今日の前に現前して見ると、矢張り束縛の多い壓力の強い競爭激甚の社會であるらしい。彼は昨日下宿の競爭で眞先に敗北して、今この控室に立つて既に堪へ難き壓迫を感ずる。三藏の顏には濕ひが無い。すご〳〵と山本のあとについて其日は吉田町から東山一帶を散歩して草臥くたびれて上長者町の宿に歸る。

 三藏は其後一年間、束縛の多い學制の下に、自由の境界を夢想し乍ら絶えず絶えず壓迫を感じてゐた。其一年間の成績は六十幾番といふのであつた。加藤、平田、をばさん等とは各〻志望する學科が違つてゐたが、加藤は十番以内、平田は二十番以内、三藏の眼中になかつたをばさんですら三藏よりは成績が善かつた。三藏は加藤や平田やをばさんに逢ふのすら厭ふやふになつた。

 三藏の俳諧的生涯は此後に始まる。こゝに其一年間に於ける一二を陳べる。



 明治二十四年の秋の末の出來事一つ。

 お向うの姉小路では綾子の方が朝から晩迄のべつ幕なしに喋舌るので、勉強家の加藤や平田は居たゝまれずなつて轉宿してしまつた。從來から居た先輩の山本とをばさんとが綾子の方に生花を習つてゐるといふ其秋の初頃、奧村のうちでは増田は相變らず神棚の下に坐つて、此頃は長煙管に煙草を詰めながら妙に首を傾けて物案じをしてゐる事が多い。さうして時々ニヤ〳〵と齒をむき出して笑ふかと思ふと長煙管を突き出してポンと遠方の火鉢にはたいて、大きな煙の棒を兩方の鼻の穴から出しながら筆を取つて紙に向つて何やら書く。三藏が「増田君何をしてゐるのかい」と聞いても増田は默つてゐる。

 又此頃増田のところへ遊びに來る二十四五の商賣人らしい男が一人居る。頭を丁寧に分けた角い帶を締めた男で、其男が來ると増田は例の物案じを始める。其男も亦物案じを始める。二人で手をこまねいたり、天井を仰いだり、口を開けたり、鼻の上をさすつたりなどして無言である。さうして増田は相變らず時々ニヤ〳〵と笑つて紙に何か書きつける。其男も亦手帳を出して鉛筆で何か書きとめる。それから其物案じがすむと碌々話もせず其男は歸つてしまふ。時としては毎日のやうに來る。少くとも一週間に一度は來る。二人で散歩などに出る事もある。

 或時増田の留守の時其男が來た。それから三藏と十分許り話をして歸つた。京都辯の穩かに物をいふ人で、此頃は時候が善いから嵯峨野あたりへ散歩に行つたら善からう。あまり勉強して體を傷はぬやうにしろ、などゝいつて歸つた。三藏はなつかしい親切な人だと思つた。それから増田と一緒に何をやつてゐるのかと聞いたら、何詰らぬ事でと笑つて、俳句ですといつた。俳句とはと聞きかへすと、發句の事ですと説明した。それで三藏は増田の物案じは發句を作るので、此男は發句友達だといふ事を初めて了解した。

 秋の末になつてからであつた。其男は二週間許り來なかつた。さうして或日増田が例の神棚の下に坐つて驚いたやうな顏をしてゐる處へ三藏が歸つて來た。それから増田は斯んな話を三藏にした。「あの男ね、よく僕のところへ來た。あれは君俳句の好きな男でね、同好者が五六人ある。其中でも最も熱心な男であつたのだ。句作も上手であつてね、趣味もよく解つてゐた。それにあの男が昨日捕まつたのだ。驚いた事にはあれが掏摸すりであつたのだ。しかも當局者間では有名な掏摸ださうだ。それで僕等仲間の者には少しの損害も與へ無かつたばかりか、親切ないゝ男であつた。掏摸にあんな風流心があるとは驚いた。これにも一つ面白い事は、東京の新聞に此頃俳句の出てゐるのがあるがね、七條の停車場に置いてある其新聞の俳句が此二三ヶ月必ず切り抜いてある。誰の仕業か餘程氣を附けてゐても判らなかつた。ところがそれが矢張りあの男であつたさうな。あの男の俳號かい。卜翁といふのさ」と重たい口を開けていつに無く熱心に話した。此時は齒をむき出して笑ひもしなかつた。

 それから増田が物案じをすることも稀になつた。熱心な友を失つて少し氣抜けがしたのであらう。三藏は松山に居る頃故人五百題は見た事があつた。けれども發句にはたいした興味が無かつた。獨逸の文法に苦しめられつゝあつた此頃は小説の事もあまり深く考へなかつた。まして俳號の事などは此時はまだあまり意にも留めなかつた。三藏は妙な人があるものだとたゞ卜翁といふ人を不思議に思つて、あの親切さうな穩かな人が有名な掏摸かと、其人が俳人であるといふ事よりも其方が寧ろ強く心を牽いた。



 二十五年冬(一月)の出來事一つ。

 うと〳〵してゐた耳で時計の音を數へる。七、八と途中から數へ始めて九、十、十一、十二、十三、十四と際限も無く鳴る。十五、十六と數へてしまつて、何の事だ、まだちつとも眠つてはゐなかつたと思つたのに、うと〳〵として居たのだな、と初めて氣がつく。大方今のは十二時であつたらう。此頃どうも寢つきが惡くて困る。きのふ加藤に學校で逢つたら、君此頃大變顏色が惡いよ、ちと鐡棒にでもぶら下つたらどうかといつた。あすは日曜だから一つ散歩に出掛けうか。散歩なら何處に行かうか。東山はもう二三度行つたし、西山の方も卜翁にすゝめられて一度行つたし、行くのなら北山の方へ出掛けうか。馬鹿に寒いやうだが雪にでもならねばよいがと、三藏は蒲團を頭から被つて縮かまつた。時計のきち〳〵いふ音も遠くなつたと思ふうち一時の鳴るのは聽かずに寢た。

 翌朝寢坊をして起きると、今朝迄まだ降つてをつたといふ雪がれて、午前九時頃の日が日當りの惡い座敷の一枚の障子に半分ばかり當つてゐた。三藏は朝飯を濟ませて、行李の中から松山から持つて來てまだ一度も締めなかつた脚絆を出して締めて、草鞋を一足買つて穿く。

 それから雪を踏んで出町橋を渡つて鴨川傳ひを北へ取つて、山端を過ぎて八瀬をよぎり大原の里へ行く。京都の市中で見る大原女より此八瀬大原で見る大原女の方がなつかしいやうに思はれる。去年の秋嵯峨を散歩した時も斯ういふ時に發句でも作れたら面白いだらうと卜翁を思ひ出したが此日もまた思ひ出す。其後増田の話ではあの卜翁はもと靜岡の男であつたのが東京にも暫く居つたので、その時分發句を作り覺えて、それから京都へ來て、寧ろ卜翁が中心になつて五六の同好者が出來た位であつたのだとの事であつた。三藏は、それにしてはあの言葉つきが全く京都人らしく聞えたのが不思議だといつたら、増田は、又あれで江戸詞も大變旨いさうだよといつた。そんな事を三藏は思ひ出しつゝ足に任せて歩く。頭に黒木や風呂敷やいろ〳〵なものを載せて續々と大原女が來る中に、角に赤や黄ろい木綿を卷きつけた美しい牛も澤山來る。

 三藏は東山を散歩した時は勿論、此秋西山へ出掛けた時もいゝ心持はしたが、それでも今日のやうな心持はしなかつた。今日は何だかのんびりした生れ更つたやうな心持がする。何故だらうと三藏は考へた。尋中を卒業した當時の心持も餘程ゆつたりしてゐたが、其時とは又大變趣が違ふ。時計を出して見ると十二時を過ぎてゐる。朝飯を食つてまだたいした時間も經たぬのにもう空腹を覺える。三藏は掛茶屋に腰を掛けて握飯を取出して食ふ。叡山は隆起した背中を三藏の方に向けてゐる。三藏はその大きな叡山の麓の小さな掛茶屋の床几に自分は今腰かけてゐるので、叡山の大に比べると自分は今豆人形の樣に小さいと思ふと、一種の悲しいやうな快感が腹の底から湧き起つて來る。さう思つて手にしてゐる白い握飯を見ると、此處から見た叡山と同じやうな三角形をしてゐる握飯の、白い上にも眞白い米の粒々として相重なつてゐるのが涙が零れるやうに面白い。三藏は暫くそれを眺めてゐて、其飯の白いのにも負けぬ白い齒を徐ろに其一角に當てる。氷のやうな冷たさがぢつと其齒に浸みる。

 擲げ出した草鞋の爪尖を小さい川が流れてゐる。岸の枯草には雪が積つてゐて汀には氷が張つてゐる。三藏は又この川に沿うて流るゝ時の悠遠を想うて、この狹い山間に歴史が印した足跡を繰る。

「寂光院はまだ遠いですか」と三藏は茶店の婆さんを顧みる。

「寂光院さんどすか。もうすぐどす。そこの橋をお渡りやしたら、小さい徑が分れとりますさかい、其處を右へお出でやすとお寺があります。それが寂光院さんどす」と婆さんは答へる。



 寂光院の門はひたと鎖してある。戸の透間から内を覗いて見ると、庭一面の雪で、木の根や石の上から丸く持上つた雪が他の木の根石の下までふつくらと積つてゐて、たゞ其木の葉の尖から落ちた雫が點々と其上に少しの痕をとゞめてゐるばかりである。加茂川堤から八瀬大原に這入つてからも、たゞところ〴〵に僅かの雪が消え殘つてゐたばかりであつたのに、今渡つた小川の板橋から此門に來るまでの徑も草鞋を埋むるほどの雪があつたし、更に此戸の透間から見ゆる庭の雪は一層の深さのやうに見える。彼の板橋を第一の關門とし、此山門を第二の關門として雪の深さを増してゐるやうに見える。

 四邊あたりは寂寞として靜かだ。耳を澄ますと僅に木魚の音が聞える。三藏は暫く默つて其木魚の音を聽いてゐたが、寒さが足のさき迄浸み渡るやうに覺えた。寂光院は尼寺の筈だ。人の世に背いた尼が人の世に柵を隔て門を鎖して、斯る寒き雪の日をも行ひ澄ましてゐるのかと思はれた。木魚の音は靜かに響く。三藏は終に戸の透きに口を當てゝ案内を請うた。

「御免」「頼みます」と幾度呼んでも返辭が無い。木魚の音が尚靜かに聞える。三藏は此まゝ引き返さうかと思うたが、終に握り拳を戸に當てゝ叩いた。初めは輕く叩く。返辭が無い。終には烈しく叩く。まだ返辭が無い。朽ちた戸の碎けよとばかり叩く。

 木魚の音が止んだ。三藏は又叩く。木魚の音が又響き始めたと思ふと他にも幽かなる物音が聞える。耳を澄ますと人のけはひである。程なく細目に開けた雨戸の透きに尼の白衣がほのめいて「どなたどす」といふ。三藏は戸の節穴に口をつけて、「私は學生ですが、どうかお寺を拜まして下さいませぬか」といふ。雨戸は開いたまゝで尼の姿は隱れる。木魚の音が又止む。暫くして木魚の音が又響き始めたと思ふと今度は下駄の音が内玄關の方に聞えて、やがて其處の戸が開く。

 朽戸を開けた尼は十七八の見にくゝ無い顏立である。默つたまゝで三藏を導く。其白衣も其白足袋も雪に映えて汚れ目が目立つて見える。三藏は其後姿を見て、殊に背の低い、丸めた頭の形の稍〻いびつなのに目を留めて哀れに思ふ。尼は急に後ろを振返つて「石の上をお歩きやす」といふ。雪は飛石をも隱して積つてゐる。けれども尼の足駄の痕が雪に踏みにじつて其處を飛石といふ事を明かにしてゐる。三藏は其尼の足痕を歩く。



 三藏は内玄關の上り口に腰を掛けた。かじかんだ手で草鞋の紐を解く。尼が汲んで來て呉れた古盥の底の方に僅かばかりある水に足をつける。突然後ろから一條の水が盥の中に落ちる。三藏は驚いて見上げると、鐡瓶の口から沸つた湯が盥の中に注がれてゐるのであつて、彼の尼が默つて後ろに立つて居る。冷たい雪の中に暫く立ちすくんで、今は又其雪より冷たい水の中に足を浸けて、尚其邊の空氣の冷え切つてゐる中に、一條の熱湯が湯氣を棚引かせながら鐡瓶の口から出てゐるのは、牢獄の壁から洩れる一條の日の光りよりも此場合三藏に取つてなつかしいものであつた。三藏が見上げた時の尼の顏は先きに戸を開けてくれた時よりははるかに美しかつた。それに先きに三藏が見にくゝ哀れに思うた背の低いのも頭のいびつなのも此時は目に立たぬ。三藏は思はぬ賜物に少し狼狽うろたへて「もう結構です、水で結構です」と早口に辭退した。尼は無造作に「さうどすか」とすぐ鐡瓶の湯を止めてさつさと臺所の方へ行つてしまつた。

 再び出て來た尼は先に立つて三藏を導く。先づ本尊の前に立つて「本尊は阿彌陀如來、聖徳太子の御作」と説明する。金閣や銀閣の小僧がする棒讀みのやうな説明とも違ふが、其言葉のうちには何の暖か味も無い。さつきから時々耳に這入つてをつた木魚の音は今直ぐ目の前に聞える。暗い小さい禮盤の前に七十許りとも見ゆる小さい尼が、首を前に垂れて猫背を後ろに突き出して、口のうちでは殆ど聽き取れ難いやうな讀經をしてゐる。ものうい目で一寸三藏を振り返つて見たが、すぐ又正面を向いて讀經を續ける。若い尼はこちらへと導く。

 佛壇の中に二體の像がある。其一つは建禮門院の御像、他の一つは阿波の内侍の像、茶色の法衣に當る處にも蟲の穴が澤山見えるが、胡粉で塗つてある。汚れてゐ乍らも白く拜まるゝ御顏にもところ〴〵に蟲の穴がある。「女院が御手づから張らせられる張子の御像」と説明する阿波の内侍の像は、顏は少し赤味を帶びて木像の背は女院のよりも低く見える。三藏は源平盛衰記で讀んだ大原御幸、國に居た時耳にした事のある謠曲の大原御幸の文句が入り交りて思ひ出さるゝ。先に内玄關で感じた空氣の冷たさ、それと同じやうな空氣の冷たさを先の本堂でも感じ今又此室でも感じる。人の世を橋にて隔て門を鎖ぢて隔てた此深雪の中の寂光院には人の世の暖か味は先の鐡瓶の湯の外には何物も無い。

 ふと見ると尼は右の脚が痛むのであらう兩手で壓へて顏を顰めてゐる。三藏は「どうかしましたか」と優しく尋ねたが尼は其言葉を有難く思ふやうな風も見えず「リョウマチどつしやらう」と餘所々々しくいつて「しやうが無い」と打棄うつちやつたやうな獨り言をいふ。



 尼は今開け差した雨戸に凭れて三藏の傍に立つ。兩手を雨戸の上に重ねて其上に頬を載せて、痛む右脚を少し浮かせて三藏の見る庭面を只茫然と見てゐる。若しこれが緑の長き髪を束ね美しき衣を著てゐる俗世の娘であるならば、斯る姿勢は寧ろ妖艶に過ぐる程のものであらう。而もいびつな頭に汚れたる白衣、それに背に負ふ帶も無い爲めに低い背が愈〻低く見えるこの比丘尼には何の色氣も艶氣もない。

 三藏は謠曲大原御幸の文句を胸のうちで繰る。『池の萍波にゆられて』とある池はと見ると、只雪ばかりの庭の面にも少し低くまつた處があるのを大方それであらうと考へる。『岸の山吹咲き亂れ』とか『汀の櫻散り敷きて』とか『青柳絲を亂し』とかある晩春初夏の景色は此落寞たる雪の中で固より想像することは出來ぬ。『一宇の御堂あり、甍破れては霧不斷の香を焚き』とある其御堂はやがて此古寺かと思ふと、其中に斯く立つて居る自分や尼の姿が顧みられる。三藏はさきに玄關で美しと見た尼の顏を今は軒淺く、殊に雪の上を辷つて來る明るい光りで高からぬ鼻薄い眉やや大きな口光澤の無い皮膚等をあらはに見て最早美しいとは思はなかつた。『賤が妻木の斧の音、梢の嵐猿の聲』とあり『女院は上の山へ花摘に御出にて』とある後ろの山はと三藏は右手に柱を握つて體を前に延ばす。白く雪を載せてゐる百姓家の屋根の上にこれもまだらに雪をいたゞいた山が見える。『花筐肱にかけさせたまふは』とある女院の其山の岨傳ひに下り來るところを想像して見ると哀れにも靜かな景色である。

 尼は雨戸を締めて三藏がいさゝかの志を紙に包んで渡すのを受取つて臺所の方へ行く。軈て『あんもが焦げてまつせ』と言ふ聲がする。『さうどすか。かやしておくれやしたか。おほきに』といふのは他の尼の聲だ。

 三藏は草鞋を穿く。尼は後ろに立つて淋しく見送る。三藏が玄關を出ようとする時幽かに餅の焦げる匂ひがする。

 三藏は彼の朽ちた門を出て、雪の細道を歩いて、彼の小川の板橋を渡つて、其から又寂光院を顧みた。古き物語のあとの古寺を訪うて三藏の頭にしみ〴〵と殘つたものは彼の若き尼と鐡瓶の湯と餅の焦げる匂ひと、それに今一つ彼の木魚を叩きつゝあつた猫背の老尼の三藏を振返つた懶い目とであつた。

 三藏は其翌日三角の宿題をやらされて一時間黒板の前で立往生をした。


十一


 二十五年初夏の出來事一つ。

 或夕暮三藏は京極から四條の方へ散歩に行つた。三藏は時々買物に寺町へ行く事はあるが京極へは滅多に行く事はなかつた。京極の錦魚亭でたゞ一度善哉を食つたのももう大分前の事である。三藏は今宵珍らしく獨りでぼつ〳〵と京極を歩く。大變な人出で「お這入りやーす」と言ふ寄席よせの呼聲も人の呼吸でむれたやうな中から響く。三藏は人に行き逢つて立止まつたり、後ろから來る男に肩で押し除けられたりし乍ら歩く。どういふ譯だか今宵は一種の暖か味を覺える。此雜沓が少しも癪に障らぬばかりか目に入るものが皆一種の好意を以て三藏を迎へるやうに感ぜられる。冷たい奧村の古座敷、神棚の下に寂然として坐つてゐる増田の後ろ姿、然らざれば饒舌の綾子の方、メリンスの厭やに赤い山本の机掛等が始終目に離れなかつた約一年間の淋しい心持が、どういふものか此時は全く忘れられてしまつて、今迄古い土塀の日陰にばかり居たものが、初めて暖かい花園に立つたやうな心持がした。故郷に在る時すら未だ感じた事の無い人懷かしいやうな心持が胸に溢れてゐる。

 鮨屋と小間物店との中に押しつぶされたやうになつた小さい這入口に赤い紙で縁を取つた横長い行燈が額のやうに掛けてあつて、それに鶴澤小梅とか豐竹玉之助とか豐竹玉子とかいふ名が肉の太い字で大きく書いてある。三藏は此狹い入口の奧に寄席があるのかと思つて見てゐると三味線の音が思はずも鮨屋の二階から聞える。鮨屋の二階が寄席になつてゐるものと見える、職人のやうなものが這入る。遊び人のやうなのも這入る。餘程下等な寄席と見えて見なりの惡い者ばかり這入る。三藏は人に押され乍ら此處を立去らうとしてふと見ると自分の同級の學生二三人が今此寄席に這入らうとしてゐる。其内の一人は今迄著てをつた制帽を脱いで懷の中に捩込んで這入つた。三藏はあつけに取られて見てゐると、をばさんらしい人が一人の娘を連れて這入つて行つた。確かにをばさんらしいので三藏は覺えず延び上つて見たが、少し違ふところもあるやうで、はつきりはわからなかつた。をばさんが此頃自分の下宿してゐるうちの娘が美しいと言つて自慢してをつたが若しあの娘がそれであらうか。いくら平氣なをばさんでも其娘を連れて歩くなどいふ事はあるまいと三藏は考へた。

 三藏は心地よく人の氣に醉うたやうで、帽子を懷に捩込んだ友達や、娘を連れてゐたをばさんらしい人を見たことも矢張り暖かい感じになつてしまつて、歩くとも無く京極を歩いてゐるうちにいつしか四條通りに出た。四條通りは京極よりは道幅も廣いし人通りも比較的少ない。三藏は一寸立止まつてどちらに行かうかと思つたが、南座の芝居の幟や四條橋畔の明るい電氣燈が今宵は殊に三藏の心を牽き附ける。三藏の足は知らず識らずに東に向ふ。


十二


 此夜は色々の物が三藏の目に留る。紅屋の看板の紅で書いた字が心を牽く。呉服屋の店頭に吊してある色々の小切が目の前にちらつく。牡蠣飯屋を出て行つた若い夫婦の女の蝙蝠傘が美しいと思ふ。四條橋畔の電氣燈のパッと明るい下に今向うから此方へ來る二三人の女の顏が目に入る。一人の女は女中らしい顏立で下脹しもぶくれの品の惡い顏ではあるが、それでも色が白いのとぱつちりとした目で見るともなしに三藏の顏を見た其目附が心を牽く。今一人の女は瘠せこけて顏の色艶は無いが、鼻の高い、目に張りのある、眉毛の凛とした三十四五の奧樣らしい婦人で、鬢のほつれ毛を長い瘠せた指で掻上げた其顏を氣高いと思ふ。今一人の女は藝者だ。艶々した髪を一絲亂さず結ひ上げた島田の、長い髱が鳥の尾のやうに後ろに出てゐる。それに準じてグイといなした襟と、又その反比例に前へ突き出した首とが水際立つて美しい。擦れ違ひさまに妙な匂ひが三藏の鼻を撲つ。鳥打帽子を被つた三藏が同じく明るい電燈の下で大きな目をして驚いてゐる隙に、是等の人は忽ち行き過ぎて新らしい人が續々と明るい顏を電燈下に曝す。

 鴨川の南岸の燈が仕掛花火のやうに水に映つてゐる。物音がざッと三藏の耳に集まつて來る。三藏はふら〳〵と橋を渡る。

 橋を渡り終つて橋畔の電燈を後にすると、少し燈火の光が弱くなつたと思ふ間も無く南座の前の電燈が又パッと晝よりも明るく街上を照らす。多勢の男や女やが皆顏を上げて繪看板に見とれてゐる。繪看板の框の赤い色と其前の突き出して交叉してある紫の旗とが中心になつて、其外に種々の色が錯綜して、其色の中から拍子木の音や三味線の音が聞える。三藏は其繪看板を見てゐる女の髷の高低に目をすべらしてふと一人の少女に目を留める。

 矢張り立止つて繪看板を見てをつたのが、何とか言ひ乍らついと歩きかける。美しい雛樣のやうな著物を著てゐて頭にも櫻のやうな簪を插してゐる。三藏はこれが舞子だと氣がつく。さうすると又其あとから一人出て來る。一人かと思つたら二人連れである。あとの一人は前の一人のあとを追いかけて、二人で手を組んで、又何とか言ひながら一緒に繪看板を振返つて行く。

 南座の前を通り過ぎると南側の家の軒下に悉く角い行燈が出てゐる。三藏は道の中央まんなかを通り乍ら左右を振返つて其行燈を見る。三味線のがところ〴〵で響く。人がぞろ〳〵と其行燈の蔭を歩いてゐる。表を覗いてゐる女の影が櫺子の内からほのめく。三藏は『外は十夜の人通り』といふ紙治の文句を讀んだ時の心持が思ひ出されて身にみる。其人通りの中にちらと又さきのやうな舞子の姿が認められる。箱屋を連れた一人の藝者が横町に曲る。四辻に立つて三藏は前後左右を振返へる。どの町も〳〵皆同じやうに角い行燈が軒竝に點つてゐる。

 三藏は歸みちで、ふと尋中卒業の時の祝賀會の事を思ひ出した。さうして自分から進んでお弓をやらうと言ひ出した當時の心持が思ひ出された。三藏は京都へ來てから獨逸語や三角に苦しめられていつの間にか其時分の心持は忘れてしまつてゐたのである。


十三


 其夏の休暇には大方皆歸省した。加藤も平田もをばさんも綾子さんの家に居た山本も歸省した。歸省しなかつたのは増田と三藏ばかりである。三藏は六十幾番といふ札を提げて歸るのを面目なく思つたばかりでなく、此夏は自分の不成績であつた第一の原因の獨逸語を勉強し度く、それには此地こつちでなければ教師が無いと考へたからであつた。増田は「歸つたつて面白くない」と言つて去年も歸らなかつた。今年も同じ事を言つて歸らうともしなかつた。

 三藏は獨逸語の教師のうちへ行く〳〵と言ひ乍ら一週間許り空しく過した。それから漸く頼みに行つたら、其教師は避暑旁〻何處かへ旅行したといふ事で折角の計畫が畫餅に屬したけれども三藏はそれを殘念とも思はなかつた。

 風通しの惡い奧村の座敷で増田と三藏とは毎日只ごろ〳〵して日を暮してゐる。増田は時々例の物案じをしては日中は大概晝寢をする。肌を脱いだまゝ古びた疊の上に仰向けに轉がつて、少し飛び出た前齒を開けつ放しにしてすう〳〵寢る。三藏は晝寢は嫌ひだ。行李の中に收めてあつた小説などを取り出して見る。暫く忘れてをつた興味が呼び起される。此一年間の學校生活がつくづくつまらなかつたと考へる。去年故郷の書齋で近松世話淨瑠璃以下を讀破したあの勇氣が今日まで續いてゐたらと考へる。其時書きかけた小説の原稿を取り出して讀んで見る。自分ながら旨い處があると思ふ。あの時分から續いて筆を握つてゐたらたしかにもう一二篇の作物は出來てゐたらうと殘念に思ふ。露伴に負けぬ氣で二十一歳迄にはと思つてゐた其歳ももう半年足らずのうちに來る。斯うしては居られぬやうな氣がする。

 増田が物案じしてゐる隙に三藏も筆を執つて紙に向ひ始めた。寂光院の若い尼を主人公にして、其若い尼と四條で見た舞子とを姉妹にして趣向を立てたのだが筆が澁つて一寸ちつとも運ばぬ。

 東京に居るといふ増田の友達から近日遊びに行くといふ報知が來た。増田の話す處によると此友達といふ人は俳句が上手なばかりでなく小説も作るさうで、行く〳〵は文學者として立つ人ださうだ。増田は法學部で無味乾燥な法理や條文を研究してゐる人だが、其人が俳句を作るといふ事は左程三藏を刺戟もしなかつたが、自分と同じく小説を作る志望の人が矢張り俳句を作るので、しかも上手だと聞いたので三藏は俳句其ものゝ上にも多少尊敬を拂ふやうになつた。さうして竊に其人の風采を想望して心待ちに待つてゐた。


十四


 此増田の友達は五十嵐とほるといつて、俳號を十風といつてゐた。増田とは三年許り前東京の英語學校で知合ひになつて、それから増田は京都の高等學校の法學部に入り、五十嵐は江田島の海軍兵學校に入つたのであるが、五十嵐は其翌年から肺病になつて兵學校は退校せねばならぬ事になり、豫々かね〴〵好きであつた文學の方に轉ずるやうになつた。此男は何かにつけてカラン〳〵と玉盤を打つやうな響をさして笑ふのが常で、馬鹿に涙脆くつて腹も立てやすい代りに機嫌もなほりやすい。俳句を作り始めた頃は仲間中の第一の天才といはれ、小説を書いてもオリジナルな處があるといふ評判であつた。ところが一年許り前から道樂を始めて、國許に五十嵐の成功を待焦れてゐたお母さんから、なけなしの財産をすつかり捲き上げて遊蕩費にしてしまひ、何でも目下吉原の何樓とかの女郎を身受けするとかいつて騷いでゐるといふ噂を此頃増田は聞いたのであるが、其實此女郎といふのは京都の六條の數珠屋の娘で、かなりの身代であつたのが破産した爲めに吉原に賣られ、此頃年季が明けて廢業する、それを或小官吏と競爭してゐたのである。この女郎は源氏名を司といつて小籬こまがきながらもお職を張通してゐた。丸ッポチヤの、顏の割合に口の大きい、笑ふ時はあまり口が廣がりすぎて相形が崩れる嫌ひはあるが美人たるを失はぬ。人の好い張りの無い、朋輩には司さん〳〵と可愛がられてゐたが、よくあれでお職が張れたものだと蔭口を利く者もあつた。五十嵐と小官吏とが互に微力を盡し合つて鞘當てをする。司は兩方共に公平に待遇する。小官吏の方は大人しい、五十嵐は屡〻癇癪を起して當り散らす。小官吏の方はいつも優しい。五十嵐の方は優しい時は度を外れて優しい。司は廢業間際になつて五十嵐の手に歸した。

 五十嵐十風は其廢業したつかさ事靜岡しづ子を手裡に收めて意氣揚つて七條の停車場に下りた。迎へに來て居つた増田に「これは僕の妻で」といつて引合はした。増田は稍〻出張つた齒をむいて挨拶し、しづ子は大きな口を開けて會釋した。十風は一先づしづ子を親許へ屆けてそれから増田の家へ行くと言つた。増田はお向うの姉小路の家を暫時五十嵐の爲に周旋した。翌日五十嵐は鞄一つを下げてやつて來た。

 三藏は畏敬して五十嵐を迎へた。五十嵐の色の白い、背の高い、咳をし乍らも聲の高い、元氣のよいのが先づ三藏を壓服した。それから文壇の話になると、紅葉にも露伴にも會つたことは無い、逍遙鴎外も知らぬ、僕は文學者は誰も知らぬ、たゞ仲間の四五人と遊び半分に研究してゐるだけだと言つた。其無造作に開け放しな所が又三藏を牽きつけた。山本の机の前に坐つてはゐるが、其擧動といひ風采といひ山本とは大變な相違で、豫々幅を利かせてゐたメリンスの赤い机掛が急に色があせて日蔭者になつたやうに見えるし、綾子の方の饒舌も五十嵐のカラン〳〵といふ高笑に氣壓されてしまつて更に活氣が無い。五十嵐は又増田に對しては俳句に就ての講話で持ち切る。別に高ぶる風もないがそれで居て權威がある。三藏は其俳話に聽き惚れた。


十五


 奧村の座敷は夏でも暗いに引換へ、姉小路の家は朝日夕日が斟酌も無く射し込む。「京都といふ處は暑い處だ」と五十嵐は大きな聲を出して歎息する。さうして奧村へやつて來て「おい増田、俳句でも作らうかい。ぢつとしてはゐられないぢやないか」と言ふ。増田は先刻から神棚の下で眠むさうな眼附をしてゐる。「何んだ、居眠りをしてゐるのか。さあやらう〳〵」と自分から題を出す。斯んな調子で毎日百句位は作る。増田が長煙管に煙草をつめ乍らゆつたりと句作するのと反對に五十嵐は顏をしかめて其邊を睨みつめ又胡坐をかいたまゝ騷がしく貧乏搖をする。それで増田が漸く二句作る間に五十嵐は三四十句作つてゐる。さうして「これは暑い。貴樣の家も馬鹿に暑い」といつて其邊を見𢌞し「不景氣な神棚だなあ」などゝ言つてカラン〳〵と笑ふ。それから「己はもう御免だ。厭やになつた」とばたりと筆を投げて立上つたと思ふと、天井に屆きさうな長い手足を延ばして背延びをする。それから三藏の机の上を覗いて見て「塀和君、君も俳句でも作つたらどうです。さう勉強ばかりしてゐると病氣になりますぞ」と言ふ。三藏はさつき五十嵐が來る迄は竊に故人五百題を出して句案を試みてゐたのであつたが、五十嵐が來たので慌てゝ五百題を本箱の中に投げ込んで、手に當つたエノック・アーデンを開けてゐたのである。「五十嵐君、教へて呉れますか」「別に教へなくたつて君、少しやつて見給へ。すぐ出來ますよ」「だつてまだ何にも知らないんですもの」「それぢや僕が題を出すから、どんなものでも構はん、兎に角作つて見給へ」それから三藏は題を出して貰つて初めてやつと一句を作つた。五十嵐は「これは旨い。初めからこんな句が出來れば立派なものだ。大いにやり給へ」といつて油を澆ける。今迄はやり度い乍らも躊躇して居つたのが、これから俄に景氣づいて三藏は朝から晩迄十七字を竝べる。五十嵐は頻りに讃める。終に増田と三人で同じ題で句作する迄に進む。五十嵐の讃める句は増田よりも三藏の方に多くなる。「矢張り文學者は違ふわい」と増田は齒をむいて苦笑する。三藏は五十嵐に俳號をつけてくれぬかと頼むと、五十嵐は「俳號なんかどうでもいゝさ。君の好きなのをつけ給へ」と言ふ。「だつて僕には旨くつかないんですもの」と三藏はあまえたやうな口を利く。五十嵐がいろ〳〵考へた末「考へたつて駄目だ。僕は五十嵐の十の字と嵐の風の字を取つて十風としたのだが、どうだ君、三藏の音をそのまゝに山僧としては」と言ふ。三藏はも少し優しい名と思つたが、兎に角尊敬する先輩十風の命名であるから異議なく其號を用ゐることにする。又増田が花翁といふ尤もらしい俳號であることも三藏は此時初めて知つた。


十六


 五十嵐十風は夜になると毎日のやうに細君の方へ出掛けて細君と一緒に四條から京極あたりを散歩する。時として二三日歸つて來ぬ事もある。何處へ行つたのかと思ふと三井寺から唐崎の松を見に行つたのだと言ふ。それから「あいつが君、唐崎の松に失望してねえ、もう己と一緒に散歩に行くのは厭やださうだ。それから君、唐崎なんかへ行くよりは西石垣さいせきの何處とかへお茶漬を食べに行く方がいゝさうだ」と例の高調子で言つて「増田今日嵐山へ行かうか。嵐山へお茶漬でも食ひに行かうか。塀和君はどうだ。君も一緒に行かう」と言ふ。

 増田と三藏とは同行に決して五十嵐について行く。五十嵐は「一寸君待つてゐて呉れ給へ」と或る町角に二人を殘して置いてコン〳〵咳をし乍ら亂暴に駈足をして或る一軒の格子戸の前に立止つたかと思ふと、長い首をかゞめて其格子戸をくゞつて這入つて行つた。却ゝ出て來ない。やつと出て來たのを見ると細君と一緒だ。三藏はまだ女と一緒に出歩いた事などは無い。其五十嵐に引き添うてこちらに歩いて來る背の低い細君の姿を見るとはつと心が躍るやうに覺える。殊に吉原の女郎であつたといふ事は増田から聞いてゐるので、何だかぢつと見るのが目ぶしいやうな氣持がする。細君は例の大きな口を開いて挨拶する。三藏は眞赤になつて「私は塀和三藏といふものですが、いろ〳〵五十嵐君に御世話になりまして」と堅い挨拶をする。それから四人で車を連ねて嵯峨に向ふ。眞先の車が五十嵐、それから細君、それから増田、三藏は一番あとの車に乘つて、増田の麥藁帽越しに細君の絹張りの紫色の蝙蝠傘をつく〴〵美しいと思つてかず見る。五十嵐は時々振返つて細君に何か言ふ。細君の車夫は氣を利かして前の車に追ひついて暫く併行して行く。此時車夫の足は一齊に遲くなる。それから急に又早くなつたと見ると以前の如く車は一列になつて五十嵐は意氣揚々と眞先に風を切り、細君の絹張りの蝙蝠傘は其あとにいら〳〵する夏の日を心地よく反射してゐる。

 斯くて四人は三軒家に上る。細君は小さく坐つて疑ひ深いやうな眼附をして一寸周圍を見𢌞はす。座蒲圃や煙草盆を運んで來た女中は皆言ひ合はしたやうに怪訝な眼をして細君を見る。三藏は氣をつけて見てゐると二人の女中が隣の間で耳打をしてフンといつたやうな冷笑を洩らしたりなどする。細君がもと女郎であつたことが直ちに女中達の眼に映ずるものと見える。さう思つて見ると細君の顏は馬鹿に淋しい。五十嵐の顏にも黒い雲が翳つてゐるやうな感じがする。三藏の頭は義憤を起す。「おい〳〵姉さん〳〵その方にも座蒲團をあげぬか」と三藏は突然叱りつけるやうに言ふ。女中はぢろりと三藏と細君の顏を見較べて「おしきやす」と澄まし切つて言つて一寸襟をいなす。三藏は益ゝ躍起になつて「あなたお敷きになつてもいゝぢやありませんか、私も失禮してゐます」と不器用に言ふ。細君は其大きな口をハンケチで壓へ乍ら一寸五十嵐の顏を横目で見て座蒲團の端へ僅かに膝を載せる。三藏は「もつとずつとお敷きになつたらいかゞです。どうか〳〵」としつこく繰返へす。細君は術なさうに五十嵐の顏を横目でチョイ〳〵見ながら默つてゐる。


十七


 嵐山の翠微、其前を廣々と流れてゐる桂川の白砂、渡月橋を渡る人、此方の岸に繋ぐ筏、それから白い手拭を被つて櫻の葉蔭に立つてゐる畑の媼等、是等が一幅の畫圖になつて目の前に展開されてゐるのを五十嵐は柱に背を凭せて昂然として眺めてゐる。わざと細君の方へは一瞥をも呉れずにゐるが、耳は絶えず細君を中心とせる其場の光景に引立てられてゐる。三藏が頻りに蒲團をすゝめる其初心うぶな擧措がくすぐつたいやうな心持がするのをぢつと辛抱してゐる。増田は欄に凭せた肱の上に顎をのせて無頓著にもう物案じを始めてゐる。

 酒肴が運ばれる。増田は「僕は飮めん」と言つて大きな竹の子を一口に頬張る。五十嵐は大いに飮む。「増田貴様は相變らず飮まんな。己か己は大いに飮むサ。病氣が何んだ、やッつけるサ」と言つて少し咳をし「塀和君、どうだい君は。君なんかには餘り酒は勸めない方がいゝけれども、飮めるなら少し位いゝだらう」と言ふ。さうすると細君がハンケチで燗徳利を握つて三藏にお酌する。五十嵐の顏はだん〳〵青白くなつて眼がきら〳〵と光つて來る。細君の方を向いて「貴樣も飮まんか。いやに澄まし込んでるねえ、氣取つたつて駄目だよ。ハヽヽヽヽヽ」と笑つて「こいつがねえ増田、いつか醉つぱらつて腰が立たなくなつてねえ、くす〳〵泣き出しやがつて、其ざまつたら無かつた。今日厭に澄ましてやあがる。これでも素人と見せる積りだから可笑しい」と言つて又咳き入り乍ら笑ふ。細君は「好かないねえ、此人は」とつい下卑た言葉を使つたが、「御酒を飮むといつでもあんな事を言つて仕方がありませんのよ」と急に言葉を改める。三藏はさつき五十嵐が「君なんかには餘り酒は勸めない方がいゝけれど」と言つたのが少し癪に障る。盃が空になると細君がすぐ氣を利かしてついで呉れるのを感謝して頻りに飮む。大いに醉ふ。細君の前の盃も見る度に空になつてゐる。三藏は頻りと注ぐ。細君が「いえまだあります」と辭退するのを「まア〳〵」と頻りに勸める。細君は五十嵐の耳に口を寄せて何事をか囁き、笑ひかけた口を急にハンケチで隱して眞面目な顏に戻る。五十嵐はハッハッハと開けつ放しに笑ふ。それから三藏に「塀和君、今こいつが斯んな事を言つたよ」と言ふ。細君は「アラ、およしなさいよ」と顏色をかへて五十嵐を睨む。


十八


 五十嵐は構はずに「ねえ塀和君」といひかける。細君は「アラ、いけませんッてば。およしなさいよッ」とハンケチを五十嵐の眼の前でチラ〳〵と振り動かして揉み消さうとする。五十嵐は面白がつて「こいつがねえ君、君をねえ……」と言ひかける。細君は「厭な人、知らないッ」と突慳貪に言つて眞白な眼をして五十嵐を睨みつける。後ろを通る女中どもはさげすんだやうな眼附をして細君を見下して行く。三藏は「何か僕についての批評かい。それは聞き度いねえ」と膝を乘出す。頸元まで眞赤になつて、胡坐をかいた膝の上に兩肱を乘せてふら〳〵と體を動かし乍ら微笑を含んで五十嵐と細君の顏を等分に見る。細君は默つて息をつめて五十嵐の顏を見てをると五十嵐は無造作に話し出す。細君は手を出して五十嵐の口に蓋をせうとしたがもう及ばなかつた。「君が女郎買でも始めたら屹度半可通になるとこいつが言つたぜ。ハヽヽヽ」と五十嵐は笑ふ。細君は「うそですよ〳〵。みんな自分であんな事言ふのですよ」と言つて急がしく三藏の顏色を窺ふ。増田は一寸齒をむいて笑つたが、斯んな問題は鳥の影がぎつた程にも其頭には殘らぬ。又欄干に凭れて筏の上にかゞんで何物か洗つて居る畑の媼の白手拭に目をやる。五十嵐は言葉を續ける。「第一君、女に座蒲團を勸めるのでも酒を注ぐのでも、あゝ執拗く言つては駄目だよ。又『お敷きになつてもいゝぢやありませんか』などゝあゝ重々しくお終いまで言つてしまつては駄目だよ。『お敷きなさいな』といふ位に輕く言つてあとは知らん風をして居る處がいゝのだよ。執拗しつこいのだけは止めんと嫌はれるよ。ハヽヽヽヽヽヽ」と言つて座蒲團以來むづ〳〵してゐた溜飮を下げて五十嵐はカラ〳〵と笑ふ。細君も終に大きな口をぱくりと開けて堪へ切れずに笑ふ。


十九


 五十嵐は三藏の顏色を見て急に笑ふのを止めて「おい塀和君、君怒つたのかい」と言つた。細君は「だからおよしなさいといつたのぢやありませんか」と言つて一寸ハンケチで五十嵐を打つ眞似をしたが手持無沙汰に三藏の顏を見て「戲談じやうだんですよ。氣にお掛けなすつちやいけませんよ。あのチョイと姉さん、お熱いのを一つ」と言つた。女中は「お銚子どすか」と言つた。増田はだまつてゐた。

 五十嵐は又重ねて「塀和君本當に君怒つちやゐないの。それならいゝが、そんな下らぬことを眞面目に怒つちやいかんよ」と言つて、それから暫く默つて時々咳をし乍ら冷たい酒を又續け樣に飮んだ。細君は「すぐお熱いのが來ますけれど」と言つて燗徳利を取上げて三藏の顏を見た。五十嵐は「増田、何句位出來たい。君は無愛想な男だなア、少し話もしろよ」と言ふ。細君は「本當に増田さんは發句ほつくに御熱心ですことね」とばつを合はす。「熱心な癖に下手さ。ハヽヽヽ」と言つて、五十嵐は強ひて景氣をつけるやうな笑ひ方をする。増田は齒をむいて笑つて「馬鹿をいふな」と暢氣にゆつたりと言ふ。細君は「もうそんな口の惡いことはおよしなさいよ」と言つて、「又増田さんにも怒られますよ」といはうとしたのをぢつと堪へる。

「熱いのが來ましたから」と言つて細君は三藏にさした。三藏は受けた。五十嵐も亦飮み始めた。それから急に眞面目な顏になつて「塀和君、僕はねえ、白状するが、もう僕の生涯は駄目だねえ、もう濁水だねえ。今僕の夢想する世界は斯う、眞白な岩の間から白い眞砂と共に流れ出てゐる清水のやうな境界だねえ。どうかさういふ境界に立戻り度いと思ふのだが、もう駄目だ」といつて目の中に涙を浮べて居る。三藏は其五十嵐の言葉に牽きつけられて耳をそばだてた。


二十


「塀和君などはまだ少しの濁りも無い、所謂清水の境界だ。羨ましいな。増田でも塀和君でも一旦僕等の眞似をしようものなら忽ち取返しのつかぬことになつてしまふ。餘程氣を附けないと險難けんのんだよ」と五十嵐は言葉をついでぢつと考へてゐたが、急にカラン〳〵といつもの通りの高笑ひをして「併し勝手だよ。塀和君でも墮落したけりや勝手に墮落するサ。世の中が何んだあ、つまらない、やッつけるサ。おい貴樣も飮めよ」と五十嵐は手づから細君に酌をして「塀和君、君まだ怒つて居るのか」と言ひながら又三藏にも酌をする。

 三藏は瞬きもせずに五十嵐を見詰めて居る。先つきから既に五十嵐の眼に在つた涙は、だんだん量を増して來て溢れさうになつてゐる。細君は懷から大きな紙の束を出して其内の一枚を唇で巧に取つて、其儘下目を使つて再び其紙の束を懷中に收め、それから唇に殘つた紙を手に取つて盃を拭く。拭き乍ら「何でせうね、此黒いものは。塀和さん、あなたのにも附いてゐやしませんか」と覗き込む。三藏は自分の盃を見ると、成程今飮み干したばかりの盃に何處かの煙突から飛んで來た煤かと思はるゝやうなものが附著してゐる。細君は又先きのやうにして一枚の紙を取出し三藏の盃を拭いてやり「あなたのは」といつて五十嵐のを見「厭やあねえ、あなたお酒と一緒に飮んでしまつたのね」と言つて艶な眼附をして五十嵐を見る。此時五十嵐の眼は細君の大きな丸髷の赤い手絡てがらに止つて涙の底に別樣の光りを漂はす。


二十一


 五十嵐は京都で世帶を持つ積りだといつてゐたが、はきはきと其運びをするでもなかつた。嵐山行きの費用は細君が帶の中から男持の蟇口を出して支拂ひ、其後夫婦連れで例の西石垣さいせき千本ちもとへお茶漬を一度食べに行つた時も、同じく細君の帶の間におさめてあつた蟇口の中から支拂はれたのであつたが、京都へ來る爲め五十嵐が何某との連帶で非道工面ひどくめんをして借りた高利の金は此時もう殘り少なになつてゐた。其後は五十嵐も前程氣燄が上らなくなつて時々長い體を八疊の座敷一杯に延ばして天井を見詰めて居る事もあつたが、いつの間にか細君も姉小路の方へ來て夫婦で同居するやうになつた。夏休みも殘り少なになつたから、赤い机掛の主人の山本も程なく歸つて來るであろう、歸つて來たら早速明けて貰はにやならんと綾子さんからは二三度注意を受けた。五十嵐は或時夫婦連れで一日家を探しに出歩いて暮方飯を食はずに綿のやうに草臥くたびれて歸つて來た。晝飯は饂飩を二杯づゝ食つて探し歩いたのであるが二人の氣に入る家は無かつた。氣に入る家は敷金が高かつたり、家主の方で夫婦の風體をつく〴〵見て既に先約があるなどゝいつて斷つたりなどするので一軒も探し當てずに歸つて來たのである。

 翌日になるともう五十嵐は家を探す勇氣が無い。三藏は昨日夫婦連れで家を探しに出たと聞いた時、エノック・アーデンにある鳥の巣のやうな棲家といふそのネストライクといふ形容詞が思ひ出されて羨ましいと思つたが、實際五十嵐の身になつて見ると、家を構へたところで、其敷金はどうする、世帶道具はどうする、米代はどうすると考へると何の成算も無いので、家を探しながらも、萬一どうかした事で契約でも出來たら扨てどうしてよいのだか困つた事だと思ひ乍ら歩いて居たので、三藏の想像したやうな樂しい心持は更に無かつた。況して今朝になつて見ると何の爲めに昨日は歩いたのだか殆どわけがわからぬのに氣が附いて、出來るだけ朝寢をして寢返りばかり打つてゐたが、十時頃俄に蒲團を蹶つて起き出でゝ、今日は獨りで大阪へ行つて來ると言ひ出した。それから汽車賃をこしらへる爲めに細君を親許へやつて細君の著替を一枚質屋に曲げ込ませて、其金を握つて晝頃出掛けた。大阪には五十嵐の叔父に當る人が居て此頃は殆ど絶交同樣になつてゐるのを今日は押しかけて訪問する積りである。

 細君は晝過ぎ一人ぼんやりと座敷の眞中に坐つて居たが、戸棚の中に仕舞ひ込んであつた自分の小さい鞄を取り出して、其鞄の中にかにごろ〳〵と入れてある櫛や簪や笄や鬢附などを取り出して、斯んな髪結道具を入れて置く疊紙たたうを一枚張らうと思ひ立つた。

 殆ど空になつて、同じく其鞄の底に投げ込んであつた財布の底に五厘錢を一つ見出して近處で姫糊を買つて來て、綾子さんの大きな皿と刷毛を借りて來て、鐡瓶の湯を加へて糊を薄く溶いた。それから同じく其鞄の中に何かゞくるんであつたあまり皺の寄つてをらぬ一枚の古新聞を取り出してこれを其疊紙の心にせうと決心した。扨て萬事整つたが此心の上に張る反古が無いのに頓と困つた。増田さんか塀和さんに貰つて來ようかと腰まで上げかけたが、急に思ひついたものがあつて、今度は五十嵐の方の大きな鞄を開けて何物かを探し始めた。


二十二


 細君が五十嵐の鞄の底から取出したものは大きく卷いた二束の文殼である。これは過去一年間に五十嵐と細君との間に取り交はされた艶書の殼である。細君は其二束を兩手で一緒に取り上げたが、やがて一束の方は再び鞄の底に戻し、一束だけを持つて座敷の眞中に歸り、一番上側に卷いてある二本の手紙をする〳〵とほぐし取つて讀むとも無しに見る。これは新らしいはうで、廢業する一月程前に細君から五十嵐に出した、文面の意味は取敢へず來て呉れぬかといふに過ぎぬ簡單な手紙であつて、文字は幼い字體の平假名が薄墨で亂暴に書いてある。細君は此手紙を書いた時の事を思ひ出すと今この姉小路の座敷に斯う坐つて居ることが夢のやうに思はれる。丁度この手紙を書き掛けた時であつた、妹株になつてゐる梅代といふ女郎が流連ゐつゞけの客が今漸く飮みつぶれて寢てしまつたといふので、眞晝間の白粉はげのした淺ましい睡むさうな顏を障子の間から突き出して「姉さん、五十嵐さんあれから來ないの。隨分ね。だけどもうたつた一月だわ。お樂しみね。あゝ〳〵あたいなんかつまらないわ。まだ一年半もあるんだもの」と言ひながら體は矢つ張り障子の外に置いたまゝ首だけ箪笥の上に飾つてある縁喜棚に向けて「姉さん、あれ私に頂戴ね。そら其福助さ。一體誰に貰つたのさ。私そのおでこに惚れちやつたんだもの。はゝゝゝゝ」と肩で障子を開けて這入つて來て、懷手をした儘で長火鉢の向うに坐つて「だけどねえ、姉さん、姉さんが行つてしまふとあたい淋しいわ」と甘えるやうに言つて自分の手紙を書くのを見てゐた。それから自分は手紙を出してしまつて、長火鉢を挾んで向ひ合つて其日はいろいろ淋しい話をした。「馬鹿に淋しい日だわねえ」と言つて障子を開けるとしと〳〵と雨が降つてゐて、程なく五十嵐が傘の雫でつい濡らしたとか言ひ乍ら、櫻餅を一籠手土産に持つて來てくれた。手紙を見たかと言ふと、見ないと言ふ。『それでは行き違つたのね。あなたの方から思ひ立つて來て呉れたのだと尚嬉しいわ』と言つて上り花を入れ替へてそれから三人で櫻餅を食べたつけ。などゝ細君の聯想は果てしも無く進みつゝ、手は其手紙の皺を延ばして無造作にそれを二つに破り、扨て糊をつける臺に困つて一寸其邊を見𢌞し、山本の本箱の蓋を外して來て、それを裏返して置き、其上に手紙の切れを置いて糊をつけ、それをべたと新聞紙の上に張附ける。裏側に糊を附けた爲めに『そんなにぢらすのわつみだわ』といふ文字があらはに上向いて出てゐて、これはまづいと氣がつき、今度は文字の方に糊を附けて張附ける。次にほぐし取つた手紙は五十嵐からよこしたので、これは五十嵐が通ひ始めた頃の手紙で、(いつか二人で此手紙の束をすつかり讀んで見たことがある、其時順序が滅茶苦茶になつたのである。)五十嵐に似合はん猫を被つた穩かな文句が竝べてある。細君は又それを幾つかに破つて一々糊をつけて新聞紙の上に張附ける。

 左の二の腕の所が痒い。細君は刷毛を口にくはへて糊のついた手の甲で左の袖をまくり上げて痒い所を散々に掻く。

 漸く半面を張り終つた頃細君は今の身の上を考へて豫期してゐた程でなくつまらぬと思ふ。此考へは此間から屡〻起る。けれども吉原なかに居た時よりは樂だと思ふ。まアどうかなるだらうと考へて大きな欠びをする。疊紙たたうを拵へるのもそろそろ厭になる。其處へ三藏が這入つて來る。


二十三


 三藏は「十風君留守ですか」と言つて其儘歸らうとする。細君は出てゐた膝頭こぞうサンを一寸隱して「話してらつしやいな」と今糊を含ました刷毛を一枚の手紙の上にべたと下しながら、目は其刷毛の方を見たまゝで言ふ。三藏は立ちはだかつたまゝ「すぐお歸りでせうか」と言つて細君を上から見下す。「大阪へ行くつて晝頃から出掛けましたから今日は遲いでせうよ」と言つて糊を附け終つた紙の上の兩隅を兩方の手の二本の指で摘み上げて目の高さまで上げたのを下へ下さうとしたはずみに、ぶら下つてゐた下の片隅がべたりと折れてくつつく。細君は「一寸憚り樣」とか何とか刷毛の柄を口にくはへたまゝ判らぬことを言つて空目を使つて三藏の顏を見る。三藏は狼狽へて兩膝を突いて、兩方の手を突き出して細君の摘み上げて居る上の兩隅を自分で摘まゝうとする。細君は首を振つて眉を寄せ、顋で下の折れ目を指す。三藏は漸く氣がついて慌しく其折れ目を直さうとすると、糊で柔かくなつてゐた紙が破れてしまふ。三藏は「これは惡い事をしましたね」といつて細君の顏色を覗ふ。細君は口にくはへてゐた刷毛を取るが早いか、ぷつと噴き出して「塀和さんがあまり慌てるからサ」と言ふ。「全體何をしてゐるのです」と三藏は頭を掻きながら聞く。「疊紙を張つて居ますのサ」「さうですか」と言つて三藏は手紙の束に目を止める。「大變な手紙ですね」「これ? も一卷あるのですよ。みんなあの人からよこしたのと、こちらからやつたのとですよ」と細君は自慢らしく言つて次の手紙を又二つに破つて糊を附ける。「そんなにして了ふのは惜しいぢやありませんか。しまつといたらいゝでせう」と言ひ乍ら今糊を附けた下に光つてゐる文字を見る。是は細君のであらう。何處か五十嵐に似たやうな字體で而も幼穉な平假名が行もしどろに認めてある。三藏は女郎の手紙といふ物は今初めて見る。而も今日の前に此手紙の筆者其人がそれを無造作に引裂き糊を附けて疊紙を張つて居るのを物珍らしく見る。洗ひ白らけた平常衣ふだんぎの浴衣に毛繻子の帶をお髪さん結びに結んで、肩から下は赤い物一つ止めずげそりと物淋しいのに、いつもの通り赤い手絡を掛けた丸髷の艶々しく大きいのが格段に目につく。「しまつとくつてもう斯うなつたら反古だわ。塀和さんなんかこれからだけれど、私達はもうおしまひですわ」といつて又上の兩隅を摘まんで上げたのを三藏は今度は氣を利かして早く下の兩隅に手を添へてやる。「さうやつていたゞくと大變樂ですこと」といつて細君は又文束から次の一枚の手紙をほぐし取りながら「あのね塀和さん、あなたもどうせ行らつしやるでせうけれど吉原なかのお話をしませうか」「えゝ」と三藏は少し顏を赤くして耳を欹てる。「併し吉原の話も詰らないのね。それよりも古宮といつてね、古宮の話あなたあの人からもうお聞きなすつて。まだ? 私實はこちらへ來るか、古宮の方へ行かうかと廢業やめる一月程前迄迷つたのですけれど、たうとうこちらへ來るやうになりましたの。全くをかしなものね。どちらかといへば私あの人よりも古宮の方が好きな位であつたのですけれど、全く妙なものね」と細君は刷毛を動かしながら喋舌る。三藏は細君の顏と手附とを見ながら聽いて居る。


二十四


「困つたのは古宮とあの人とが落合つた時でした。餘程氣骨を折つても、惡くすると、兩方共の機嫌を損ねつちまつたりなんかして、本當に弱りましたわ。それでも、あの人も古宮といふものがあることは廢業やめる三月程前迄は全く知らなかつたらしいのですし、古宮の方は尚それよりも少し後れて感づいたらしかつたです。まあそれ迄はいうても扱ひやすかつたですが、困つたのはそれからでした。いつかあの人が流連ゐつゞけをしてお拂ひが足りなくなりましてね。私の身のまはりのものも大概無くしてしまつてゐるし、どうすることも出來ず、馬を引いて歸るのも見つともないし、丁度古宮が來て居たものですから少し自分に入り用があるからと言つて無心を言ひますとね、古宮は『五十嵐が來て居るぢやないか。無心なら五十嵐に言つたら善からう』なんて皮肉を言ひますのをやつと泣いたり怒つたりして機嫌を取つて漸く聞いて貰つてそれでそつとお拂ひを濟ませて『どうやら工面が出來て内證の方は濟ませたから安心おしなさいな』つて言ひますとね、五十嵐は『どうして工面が出來た。工面が出來る譯が無いぢやないか。今廊下で古宮の奴に遇つたつけが、貴樣古宮に出して貰つたのだな。怪しからん。己を侮辱してゐる。そんな金は叩き返してしまへ』などゝ言つて大きな聲をしてわめき立て、しまひには私の髪を握つて引据ゑたりなんかするんですよ。私をつのこそまだいゝけれど、大きな聲をして古宮に聞えたら大變だと、あの時は本當にハラ〳〵しましたつけ。……えゝ? それからッて?」と細君は三藏の顏を見て「塀和さん大變御熱心ね。あなた斯んな話聽いて面白いの? 人の惚氣なんか聽いて腹は立たないの?」とぱくりと口を開けて笑つて、空目を使つて暫く天井を見詰めながら、「ねえ塀和さん、『それから』なんて聞くのはおよしなさいね。兎に角あなた、五十嵐と私はラヴァーの間柄ぢやありませんか。アイ、ラヴ、ユーになるとね、さういふあと程餘計に仲がいゝものよ」と言つて細君は又大きな口をぱくりと開けて笑ふ。三藏は何だか飜弄されたような氣持がして少し顏色を變へかけた時、表の戸ががらりと開いて其處へぬつと立つたのは五十嵐である。


二十五


 五十嵐は不思議な眼附をして此一座を見る。殊にそのぎら〳〵光る眼は先づ艶書の束に止まり、細君の手許から、張り掛けられた疊紙、それから又三藏の首筋に及ぶ。細君は「大變早かつたのですね」を少し驚いて五十嵐を見上げる。五十嵐の癇走つた聲が晴天の霹靂と破裂する。「貴樣ッ。何をして居るのだ」「疊紙を張つて居たのです」「馬鹿ッ。恥を知れよ恥を。人の前で斯んな物を出し散らかしてッ」と其處に轉げてゐた文束を取つて細君に擲げ附けると、細君の前髪の邊にはたと當つて櫛が飛ぶ。「斯んな物を馬鹿なッ」と疊紙を八ツ裂きに裂いてそれを丸めて又細君に擲げ附ける。細君は青い顏して口をむつと閉ぢ目をショボショボさせながら默つてキチンと坐つて居る。細君は五十嵐が腹を立てゝ物を擲げ附ける時や、長い骨々した腕でつ時はいつも斯ういふ態度で居る。又鬢がほつれて額にかゝつて憐れ氣にションボリと坐つて居る細君の凄艶な姿は能く五十嵐の心を柔らげるに足るのである。三藏は「十風君、亂暴をしてはいかぬ。僕が此處へ來たのが惡かつた」と言ひながら立ち上つて五十嵐の手を支へる。此時五十嵐の心はもう少し折れかけてゐる。「君は心配せんでいゝよ」と僅かに笑ひを洩らして三藏の顏を見「馬鹿野郎が、自分の身分を恥づる事を知らないのか。情けない奴が」と嵐の吹き留めに其處に在る糊の皿を足蹴にしてひつくりかえし、眼の中には涙を一杯に溜めて居る。細君はまだ默つて木像の如く坐つて居る。「奧さん雜巾は?」と三藏はかやつた糊皿を見て心配さうに細君の顏を見る。「塀和君、そんな事に君心配すなよ。君のやうに氣分が弱くつてはいかぬよ」と言つて五十嵐は三藏の肩に手を置いて「此間の發句は出來たかい。さうかそれでは見てやらう」と言つて三藏が懷から出す句稿を受取つて例の赤い机掛の前に體を擲げ附けるやうにして坐る。

 細君は漸く體を動かし始めて、かやつた糊を拭き取つたり、飛び散つた文殼を纒めたりして、鼻を啜り上げながら其邊を片附け始める。

 其夜五十嵐は犇と細君を抱き締めて寢る。斯る事のあつた夜はいつもさうである。


二十六


 五十嵐は昨日七條の停車場迄待つて其處で俳友の一人の佐野四郎に逢つた。佐野といふ男は嘗て五十嵐と一緒に兵學校の試驗を受ると言つてをつたこともあつたが併し間際になつて止めた。それがいつの間にやら或商館に這入つて、頭を綺麗に分けて雪駄を穿いて前垂を掛けて居た。それで昨年など五十嵐と一緒に遊興あそんだことも度々あつた。「君が司と駈落をしたといふ事も聞いたが、まだこちらでまごついてるのか」と佐野はいきなり大きな聲を出す。それから二人で近所の牛肉屋に這入つて酒を飮んで、五十嵐は昨今の窮境を話して大阪行きの理由までぶち明けた。佐野は「旨くやつてるなア。『手鍋提げても』てなことを實行してゐやあがる。司は素人になつても美しいだらう。しやぐまと丸髷とどちらがよく似合ふ? 兎に角こゝいらでまごついてゐるのはよせよ。早く東京あつちへ歸つたらどうか。丁度商館の方に人が入用なんだ。君も發心しろよ。己は俳句も金を儲けてからだと觀念した。アイスの方は今幾ら位ある。それつきりか。意氣地がねえなあ。それ位の事にくよ〳〵してやがるのか。大阪行きも貴樣のやうなぶつきら棒では想像するに談判破裂だな。よせ〳〵。下宿の拂ひなど旨くごまかして置いて兎に角歸京かへつて來いよ。萬事それからの事にしろ。汽車代位司にどうかさせろ。髪でも切つて髢にでも賣らせるがいゝや」と帶の間から金時計を出して「オヤもう三時だな。己か、己は今朝著いたのだが、もう此汽車で歸京かへらにやならぬ。どうだ當分己の部下で辛抱しては。一年も辛抱すればどうにかなる。と立ちかかつて『貴樣これで勘定して置いて呉れ。もう時間が無いから失敬する』と五圓札を疊の上に放り出して置いて段梯子をとん〳〵と降りる。五十嵐は「佐野の奴、人を馬鹿にしてゐやあがる」と腹が立たぬでもないが、少し煙に卷かれて段梯子の降り口まで見送つて行つて長い體を突立つたまゝ「頼むとすれば二三日内に歸京かへらう」と言ふ。佐野は「ウンさうしろ。あの何に……」と一寸言ひにくさうに言つて「細君に宜しくいつて呉れ」ともうづか〳〵行つてしまつた。五十嵐は一人もとの座に戻つて其處に擲げ出されてある五圓札を見ると、いま〳〵しくなる。「糞ッ食へ」と舌打をしてぢつと考へたが別に仕方も無い。女中を呼んで疊の上に置いたまゝの五圓札を顎で教へると女中は何とか愛嬌を言つて持つて行く。

 女中が持つて來た釣錢も其處へ置いて置く譯にも行かん。財布を開けると今朝細君の著物を曲げ込ませて拵えた銀貨が淋しく底の方に光つてゐる。其上に厭や〳〵乍ら其釣錢を投げ込むと急に光るものゝ數が殖える。五十嵐は又厭や〳〵乍ら其財布を懷に押込んでもう大阪にも行かず家に歸つて見ると前囘に陳べたやうな細君の淺ましい癡態を見て癇癪玉が一時に破裂した。併し其暴風雨の跡はからりと晴れて今朝になつて見ると佐野の高慢もそれ程もう癪に障らぬ。晝飯には昨日の財布を細君に持たせて近處の鮨を買はせにやる。さうして二人で旨く其鮨を食つてしまつて、それから佐野に『兎に角頼む。どうか工面して二三日うちに歸京する』といふ意味の手紙を書いた。


二十七


 五十嵐十風は増田や三藏に迷惑を掛けて姉小路の拂ひをすませて遂に細君を連れて東京へ歸つてしまつた。其時増田や三藏に「これから俳句を添削して貰ふのには東京の文科大學に居る越智李堂が善からう。此男は人物が立派で、自から我等仲間の中心になつて居る。僕から照會してやつて置くから君等からも手紙を出して依頼してやり給へ」といつた。其から三藏は直ちに増田と連名の手紙を認めて頼んでやつた。李堂からは直ちに返事が來た。増田は「字體が十風に似てゐる」と言つたゞけで別に意にも留めなかつたやうだが、三藏は筆蹟が見事で文句も莊重だと思つた。さうして深く〳〵又李堂といふ人を敬慕した。程なく學校が始まつて獨逸語は愈〻六つかしくなる。物理の教師が變つてベラ〳〵英語で講義するので三藏は又これに惱まされる。土曜の午後になると生き返つたやうな心持で増田と二人で句作する。さうして直ちに李堂に批評を頼んでやる。李堂からは直ぐ懇切な批評を加へてかへす。或時返事が少し遲れた事がある。どうしたのかと待兼ねてゐると、『頃日、當地小説熱盛んにして同志のもの數人と小説會を組織す。殆ど毎日曜開催する程の盛況なり。山僧君は小説にも意ある由十風より傳承せり。若し學課の餘暇あらば何にても宜し御寄送を望む』といふやうな事が書いてあつた。其次の手紙に又『山僧君學課御多忙の由御察し申す。一方に小説盛んになると共に他方に亦俳句會も成立せり。從來の同人の外に或一團體と合同して近來は運座といふものを催せり。此運座なるものゝ方法等説明したけれど書端意を盡し難し。近日同人のうち篠田水月(早稻田專門學校に在り)御地に罷越すやう申し居れり。其節は名所舊蹟御案内頼む。當地の俳況及運座の方法等直接水月より御聽取可被下候』とあつた。

 それから篠田のまだ來ない前に李堂から又葉書が來た。『同人中の先輩奧平北湖先生二三日うち御地をよぎらるゝ筈、或は貴寓を訪れらるゝも知れず。山紫水明の地に於ける一夕の雅會を想望して健羨に堪へず』と書いてあつた。其手紙の著いた翌日の四時頃であつた、表にがら〳〵と車が止まつた。程なく「御免」と改まつた聲が聞えたと思ふと、續いて「私は奧平北湖と申す者でやすが、こちらに増田花翁、塀和山僧といふ人が下宿して居りますか。それでは一寸お取次を」と急き込んだやうな聲で、それで非常な高調子だから座敷に手に取るやうに聞える。三藏は飛び出て來て「どうかこちらへ」と案内する。増田は自分の敷いてゐた汚ない毛布を延べる。

 見ると北湖先生は瘠せこけた背の高い紋附羽織を著た五十近い老人で、薄い顎鬚を神經的に引張りながら「李堂でやすか。文學に熱心なことは非常なものですな。私と李堂とは同郷でやして私の監督してゐる寄宿舍に李堂が居つた頃から私もつい仲間に引張り込まれて、俳句では李堂のお弟子でやす。それでは一題やりませうか。私は七時いくらかの汽車ですぐ國の方へ立つ積りでやすが、今は何時でやすかな」と帶の間の時計を探される。前にぶら下つて垂れてゐるに拘らず頻りに狼狽へて帶の中を探される。漸く探し當てられて「もう四時が近いでやすな。それでは私が題を出しませう。少し早いやうでやすがもう秋にしますかな芒はどうでせう」と言つて増田の出した半紙を一枚取つてそれを二つに折り、三藏の硯箱の中から一本の筆を取出して、尖の堅くなつてゐるのをいきなり硯池に突き込んで、もう早や何か書かれたが、薄墨がにじんで大きな染みが半紙に出來る。


二十八


 北湖先生は客膳を召し上る。「私は胃が惡いので蒟蒻だけはいけませんてや」と言つて絲蒟蒻の上に止まつたやうに乘つかつてゐる三切許りの堅い肉を齒をむき出して噛まれてゐたが遂に噛みこなし切れず膳の上に吐き出された。「先生、生卵はいかゞです」と三藏が言ふと、「鷄卵でやすか鷄卵も一つはよございますが、二つ以上食ふと不消化でやすな。いえ、もう結構」と茶をかけて堅い飯をざぶ〳〵と掻き込まれる。御飯は五分もかゝらぬうちに濟んでしまつて、先生は「芒はなか〳〵むづかしいでやすな。山僧君のお句のうちではこれが面白いでやすな。花翁君のではこれがえゝやうですな」とそれから二人の句を一々批評されて「私は猿蓑が好きでやして、中でも凡兆の句が純客觀的で面白いと思ひますてや」とそれから又凡兆の句の面白味を丁寧に説明される。十風は只いゝとか惡いとかいふだけであつたが、先生のは一々理由を説明される。三藏は進んで質問を始めようとしてゐると先生は帶の間から又時計を出して見られて「六時でやすな。これは大變だ。停車場迄一時間ではむづかしいでせう」と俄に狼狽せられる。「一時間あつたら大丈夫です」と二人が言つても先生は尚狼狽へて居られる。何か頻りに探して居られるので「何か有りませんですか」と聞くと「いや有りました〳〵」と蟇口を懷から出されて忽ち疊の上にざらざらと明けられる。さうしてその中に車夫に拂ふだけの小錢があるのに安心されて、又それを掻き集めて蟇口の中に拾ひ込まれる。それから「いやどうもお世話でやした」といそがしく車に乘つて歸られた。

 三藏は其夜三人の句を列記して李堂の許に送つた。而して『北湖先生の教へによつて得る處頗る多く侯。殊に凡兆の客觀的の句の面白味を承りたるは有益に存候』といつてやつた。李堂からの返書に『北湖先生は凡兆の句によつて悟入されたり。大兄が同じく凡兆の句より悟入するも、た去來の句よりするも其角の句よりするも、嵐雪よりするも、許六よりするも其は御隨意なり。但し大兄の句が客觀趣味に缺如する處多きも事實なり。御工夫を要す』とあつた。其から三藏は今迄の自分の句にあきたらずなつて頻りに客觀的の句と思はるゝものを作つた。所が李堂からは以前と反して振はぬ〳〵といふ小言ばかりが來る。三藏は大いに煩悶する。増田は別に何事にも感心もせぬ代り別に何等の變化をもせぬ。從前の通りの歩調で徐々と進んで居る。暫くの間三藏は俳句も詰らぬと思つて學校の課業の方を勉強せうと思ひ立つた。併し學校の課業も矢張り面白くない。殊に獨逸文法の無趣味で煩雜なことは堪へられぬ程である。

 來る〳〵といふ噂ばかりで延び〳〵になつてゐる篠田水月が紅葉を見旁〻いよ〳〵行くといつて來た。


二十九


 三藏は獨逸文法に屈託した結果此頃終に或獨逸語の先生のうちへ通學するやうになつた。其先生といふのは獨逸の書物の飜譯などをして著述を仕事として居る人で、或人の紹介の下に一人位なら教へてやつてもよいとの事で三藏は二月程前から通學するやうになつた。渥美重雄といつて背の低い、まる〳〵と肥え太つた、髯の無い四十四五の人で、今年十八になる先妻の娘と三十許りの細君と、下女一人といふ暮しで、明け暮れ書物を開けてはペンを握り洋紙の原稿紙に細字で何か書いて居る。平常は無口で挨拶も碌にしないが、晩酌を始めると俄に口が辷り出して頻りに氣焔を吐く。書生時代の苦學した經歴談から、時としてお酒がきゝすぎると道樂話迄が始まる。三藏は一週間に二日、午後七時から行く事になつてゐるのだが、時々まだ最中のところにぶつゝかつて忽ちとつゝかまる。「まア君二三杯はいゝや。若いものが澤山飮むのはいかぬが少しは許す」など、言つて強ふる。細君が傍から「あなたのは許すのではなくつて無理にお勸めなさるのだわ。塀和さんは本當にいゝ迷惑ですねえ」と氣の毒さうに言ふ。段々馴染が出來て來ると「君僕處へ來る日だけ飯を食はずに來るサ。御馳走は無いが、飯の暖かい吹いて食ふやうな奴だけ食はしてやる」と主人が言ふ。これには細君も早速賛成して「さうなすつたらいゝでせう。どうせ先生に捕まつてお相手をさゝれるなら御飯をたべずにいらつしやい。お手料理のオムレツ位拵へますわ」と言ふ。「お前のオムレツは堅いばかりだが、その、飯の暖かいやつを食はしてやる、釜から直きに取つてぷう〳〵吹き乍ら食ふので無くつちや本當の飯の味は無い」と主人公は頻りに飯の暖かいのを吹聽される。其次の日は仰せに從つて食はずに行く。お約束通りオムレツが出來てゐる。それから相變らず二三杯は許すといつて十杯以上も強ひられる。さうしてしまひには成程ぷう〳〵吹かねば食はれぬやうな釜から直きに取つた暖かい飯を食はされる。いつでも庭に立つて庭のへつゝひにかゝつてゐる釜の處へ往來してお給仕をするのが女中のお常の役目である。お常の差支へる時は令孃が代る。

 令孃といふのは鶴子さんといつて主人公には低いが顏立は美人だ。高等女學校を去年卒業してそれからは裁縫ばかりを習つてゐて滅多に表にも出ぬ位にして繼母の膝下でやかましく躾られてゐる。三藏はなんだか極りが惡いので鶴子さんの方は見ぬやうにしてゐるが、鶴子さんの方でもつんとして知らぬ風をして居る。

 或日の事主人公は「君は俳句とやらを作るさうだが面白いものかね。東京の親戚のやつに篠田正一といつて君より四五歳年上の青年があるが、それが矢張り俳句を作り居る。四五日中に行くといつて來た。あいつが來たら君のいゝ友達になるだらう」と話した。この正一といふのが不思議にも李堂から豫て紹介して來てゐた水月の事であるらしい。


三十


 鶴子さんには先頃縁談の口があつた。烏丸通りの或扇屋で、財産はある。男は中學校を出たきりではあるが立派な性質だとの事であつたが鶴子さんは厭だといつた。細君は「そんな我儘なことを」と心の中では考へたが肝腎の主人公が「厭ならよすがいゝ」と頓著しなかつたので話は其儘になつた。其後お常が買物に出た足を態々遠𢌞りして其扇屋の前を通つて内を覗いて見ると、薄暗いやうな老舖の暖簾の中に赤いものゝ澤山ついて居るお神さんの影がちらと見えた。姿も十分には見えなかつたのであるが、お常は竊に鶴子さんに、それは〳〵目附の涼しい、髪の美しい、そして背のすらりと高い、女が見ても惚れ〴〵するやうないゝ新造であつたと吹聽した。鶴子さんはそれを聞いて何だか其神さんの顏を穴の明く程見てやり度いやうな氣持がした。それから或時今度は自分で其店の前を通つて見た。が氣が引けてゆつくり内を覗き込むわけに行かぬ。例の暖簾の内の薄暗い店に三四人の番頭の坐つてゐた事と大きな大黒柱が暗い中にも黒光りに光つてゐたことだけちらと眼に止まつたばかりで、何だか氣が急かれて逃げるやうに通つてしまつた。あの時自分が承知さへしたら此のうちの主婦になれるのであつたがと思ふと大きな建物が覺えず振りかへられる。けれども鶴子さんは其軒に出てゐる古風な大きな看板、暖簾の内の暗い光り、古びた空氣を考へて厭だ〳〵と頭を振つた。如何に美しい新造かも知れぬが此のうちへ來た人なら大概想像がつく。もう其顏は見ないでも多寡が知れてゐるやうな氣がしてさつさとうちに歸つた。さうして扇屋の前を通つたことなどはおくびにも出さず、縫物の殘りの袖をつけてしまつて其夜は自分の部屋に引込んで机の前に坐つて讀書をした。

 机は白い木にまだたいした汚れも見えぬ。たゞ或時こぼした赤インキがところ〴〵に染みを拵へてゐる、毛絲の敷物の上に乘つてゐるラムプは曾て主人公が使つてゐた舶來の空氣ラムプで、鶴子さんが俯目になつて本を見て居る額髪の、ふくれて稍〻亂れた毛筋の中に其明るい光りが惜し氣もなく射し込んで、其額髪の下に美しい曲線を描いてゐる額の、其眉毛に近い邊に光りの中心を漂はせてゐる。白い額の其光りの中心に當つてゐる處は大理石の如く輝いて、其下に細い乍らも黒い眉をくつきりと見せてゐる。其眉を越えて別に流れた曲線は、長く走るべき勢ひを短く收めて、すぐ其處に涼しい輝いた眼を藏して、其眼の爲めに針頭の塵をも防がうと矢竝を揃へた睫毛は、鶴子さんが瞬きする度に動いて、今其處に靜まつた塵を拂ふ。鶴子さんの目はひたと書物を見てゐる。

 書物は何其の家政學である。四號活字で括弧が多い。鶴子さんは細い指を唇に當てゝ頁を繰つてゐたが、終に掌が口を隱す。眉が八の字になつて、大理石に皺が出來、露の白玉が兩方の眼に宿る。鶴子さんは四號活字の書物を伏せて雜誌を手にする。雜誌は女學雜誌である。眼は若松賤子の名をたづねて表紙裏の目次をさまよふ。


三十一


 鶴子さんとお常とは初冬の堅い日和に今日は二人で留守居をして洗ひ張りをして居る。今張つてゐるのは木綿のごつ〳〵した田舍縞で、これは三藏が綿入羽織が一枚欲しいと思つて「綿入の著物が羽織になるものですか」と渥美の細君に聞くと、「兎に角お持ちなさい。大勢手がありますから隙のある時に拵へてあげませう」と親切にいはれるので、三藏は行李をひつくりかへして手當り次第に一枚の綿入を引出して持つて行つた。細君は風呂敷を明けて見て、をかしいのを忍んで奧へ持つて行つたが、鶴子さんとお常とはこれを見て耐へられずに噴き出した。古びた田舍縞でそれに袂の尖に大きな黒焦げがある。折角羽織を拵えるのにこんなものをと細君も思つたが、書生さんは其無頓著なところがいゝのだと思ひかへして「これを洗ひ張りをして何とか工面をして燒焦げを隱すやうにして御覽なさい」と細君は鶴子さんに命じた。鶴子さんは其袂の中が大きくふくれてゐるのは何が這入つてゐるのだらうと手を入れて見ると鼻紙の丸めたのが十許り這入つてゐたので又著物を擲げ出して笑つた。併し取敢へず其日ほぐすのだけほぐして置いた。それを昨日洗つて今日張板に張つて居るのである。

 お常も張板を竝べて紅絹もみの裏地を張つて居る。これは鶴子さんの綿入の裏である。今鶴子さんは一枚の張板に例の燒焦げのある袖を張附けて日南に立てかけ乍ら「隨分ひどい燒焦げねえ」と言ふ。「思い切つて燒いたものですねえ」とお常は言つて、自分の張つた紅絹裏の張板を今鶴子さんの立てかけた張板の横に竝べて置いて「此裏も隨分いゝ色になりましたねえ」と鶴子さんに竝んで縁に腰かけて兩方を見較べて「いゝ御夫婦だ」と言つてぷつッと噴出す。「何をいふのお常は、厭な人」と鶴子さんは笑ひもせずに庭に下りて今お常の立てかけた紅絹裏の方を三四間離して置く。「あれ、そんな積りで申したのぢやありません」「だつてあんまりだわ」「そんな事仰しやるのはお孃樣に其氣がおありなさるからですわ」「何とでもお言ひ、本當に厭なお常つたら無い」と鶴子さんは顏色を變へて怒つて居る。

 お常は三藏を好いたらしい人だと思ふ。自分の方が二つか三つ年上らしいけれどなんだかあゝいふ人と夫婦になつて「お前さん」では勿體ないから「あなた」とか何とかいつて、木綿の著物でももつと小ざつぱりしたものを著せて、自分も生え際は薄いがそれでも滿更で無い髪を丸髷に結つて、あの人と二人で寫眞を取つたり巫山戲ふざけたりして見度いと思ふ。

 二人は暫く默つてゐたが、默つてゐる中に、今迄爭つてゐた勢は抜けて鶴子さんの方から口を利く。「お常」「はい」「もう何時だらうねえ」「さあ何時でございませうねえ。もう三時が近い位でございませうか」「さう。ぢや急がうね」「急ぎませう」と二人は既に乾いたらしい他の張板のをめくつて又田舍縞と色の褪せた紅絹裏とを張る。「お孃樣、塀和さんはお幾つでせう」「私知らないわ」「二十歳はたちでせうか、二十一でせうか」「聞いて御覽な」「厭なお孃樣、そんなに仰しやらなくつてもいゝぢやありませんか」と今度はお常がふくれて、張つてしまつた張板を手荒く持つて垣根の方へ行く。鶴子さんの盥の中には襟だけ殘つてゐる。お常は「私はすみましたですがあなたは?」ともう機嫌を直して盥の中を覗き込む。「おやそれだけ殘つたんですか。それでは丁度いゝ、あすこが空いてゐますから」と其襟を受取る。紅絹裏の張り擴げられた片隅に田舍縞が小さく張り交ぜられる。


三十二


 篠田水月が來た。其日の晩餐には三藏も招かれた。いつもは臺所のちやぶ臺で食ふのを、此日は座敷に膳を据ゑてチャンとお客樣になつて款待された。床前に水月、其横に三藏、其に對して主人公、主人公と三藏の間にビールの瓶を控へて坐つてゐるのが鶴子さん。主人公の背中の處には少し古びた金屏風が立てゝあるのを、主人公は時々それに背中を凭しかけうとしては止める。御馳走は例の細君の手料理の西洋料理で、堅いオムレツはもうすんで三皿目のシチウを今三人で最中さいちう食つてゐる。鶴子さんはビールの瓶を兩手で握つて水月の突出したコップにつぐ。眞直にぢつと突出してゐるコップに八分目位つがれて泡がコップ一杯に湧いたのを水月は靜かに膳の上に置く。鶴子さんは次に三藏につぐ。三藏は恭しくコップを右の手で持つて左の手を一寸添へて受ける。ビールが勢ひよく瓶から迸り出て瞬く間に一杯にならうとするので三藏はコップを引く。其拍子にビールはしたゝか疊の上に零れる。三藏は慌てゝ袂から鼻紙を出さうとしたが、それよりも早く、白い絹のハンケチが惜し氣も無く其黄金色のビールの中に浸されて、そのハンケチを握つて居る美しい指にはビールの色よりも濃く鮮やかに寶玉の指環が光つてゐる。水月は眼鏡越しにぢろりと其手許を見て、鶴子さんの電の如く閃いた空眼とはしなく逢つて互に避ける。鶴子さんの机の上に在つた空氣ラムプよりも一層大きくて明るい空氣ラムプが其ビールの零れた邊りを中心にして其光景を明かに照らし、又金屏の邊に漂ふ他の光は主人公の黒い影を朧に屏裡に映してゐる。主人公は「どうした。ビールを零したのか。これお常」と言つても返辭が無い。「お常──ッ」と大きな聲を長く引く。十分にビールを含んだハンケチは盆の上に置かれて、跡はお常が持つて來た雜巾で拭ひ取られる。三藏は「不調法をしまして」と恐る〳〵鶴子さんの顏を見る。鶴子さんは默つて一寸會釋をしたばかりである。

 三藏は鶴子さんに拵へて貰つた袷羽織を著て居る。お常は疊を拭き乍らちらと其羽織の紐を見る。三藏は初めて其羽織を著た時紙縒を紐にしてゐた。それを見兼ねてお常は自分の針箱の抽斗からなま〳〵しい青い色をした毛絲の殘りを見出して短い紐を編んでやつた。三藏は素直に其紐を締めてゐる。お常はそれを見る度に嬉しいと思ふ。

 水月は主人公が大きな聲をしてカラ〳〵と笑ふ時淋しく幽かに微笑む許りですぐ眞面目な顏に戻る。


三十三


 翌日三藏は水月を案内して糺の森から朱の玉垣の加茂の社、それから吉田村の學校、黒谷から眞如堂、若王寺、永觀堂、南禪寺と伴れて歩いても水月の方からはあまり口を利かぬ。それでも三藏の方から文學に關する事を尋ねると考へ〳〵話す。併しその答は三藏の問うた心持とはひたと合はぬ事が多い。水月は加茂の社の前に立つた時も、黒谷の石壇を登る時も、南禪寺の疏水工事を見た時もいつも同じやうな顏附をして居て、只三藏が歩く足に連れて歩き、三藏が立止まる處で立止まる。

「水月君、それは何ですか」と三藏は水月の手に握つて居る新聞紙包を聞く。水月は一寸考へた末口を噤んで只微笑を洩らした許りで返辭をせぬ。それから疏水について歩き乍ら暫くして、「水月君、發句は御出來になりましたか」と三藏は又口を切る。水月は又一寸考へた末「出來ませんでした」と言つて「山僧君、出來ましたか」と今度は水月の方から問を發する。それから山僧は出來た句を三四句話す。水月はそれを聞いても善いとか惡いとかいふ批評はせぬ。「それは李堂が讃めるでせう」とか「北湖先生が取るでせう」とか「それは十風當込みですね」とか言つて、それから又思ひ出したやうに「花翁君は今日どうしました」と聞く。「少し風邪をひいて今日はよう參りませんでした」と三藏は答える。水月はもう默つてしまつて何も言はぬ。

「三十三間堂邊迄行きますか」と三藏が聞くと「どうでもようございます」と水月は氣の無いやうな返事をする。「それとも歸りますか」と三藏が重ねて聞くと「歸つてもいゝです」と矢張り氣の無い返辭をする。三藏は困つたが終に歸ることにする。

 渥美の家が近くなつた頃、水月は突然口を利く。「山僧君」「何ですか」「僕昨夜夢を見たです。面白い夢でしたよ」「へえ、どんな夢でした」「僕の腰に花が咲いたのです」「へえ」と三藏は驚いて暫くしてから「どんな花でした」と聞く。「何だか妙な花でした。折るとポキリ〳〵と丁度飴細工か何かを折るやうに折れるのです。それから折るとすぐ又あとから同じやうな花が咲くのです。折つても折つてもあとから〳〵と咲くものですから弱りましたよ」増田の前では常に自ら詩人らしい心持がしてゐた三藏も、水月の前に立つと忽ち俗人に墮したやうな心持がする。三藏は水月の横顏を見る。日を受けてキラ〳〵と光つてゐる眼鏡の奧に細い芒のやうな眼尻が見える。水月は又「僕は此間海に這入つて、いろ〳〵の魚の前で頻りにピョコピョコ頭を下げて謝罪をした夢も見たです」と言ふ。右の手にはまだ確と彼の新聞紙包を握つてゐる。


三十四


 鶴子さんはお母さんに髪を結つて貰つてゐる。古びた小さい鏡臺が障子の前に置かれてある。此鏡臺は亡くなつたお母さんのである。今度の細君の鏡臺は別に新しいのがある。「其方をお使ひな」と細君は言ふのだが鶴子さんは必ず其古びたのを使ふ。鶴子さんは其鏡臺の前に坐つて居る。細君は今髪を解いて荒櫛を入れてしまつて雲脂ふけ落しをして居る。鶴子さんは心地よさゝうに顏を顰めながら、兩手には新聞紙を持つて雲脂を受けて居る。「大變な雲脂だねえ」と細君は言ふ。「アヽ痒い。其處がまらないのですよ」と鶴子さんは右の眼を絲筋のやうにして左の眼で一寸鏡を見る。曇りの無い鏡の面には惜し氣も無く顏を蔽うて垂れた房々した黒髪が映つてゐる。此時鶴子さんの眼には自分の顏が何處となくきやんに見える。いつか惚れ〴〵と見た洗ひ髪の藝者の姿を思ひ出して又自分の影に眺め入る。細君はいつの間にかもう梳櫛を取つて空梳を始める。今迄顏の南側に亂てゐた髪が細君の左の手に握られて早や二梳き三梳き梳き始められる。今迄ぱらりと髪をかぶつて大きく見えてゐた顏が急に淋しく細々となつて梳かるゝ度に片方の眼が僅かに釣り上る。鶴子さんはいつも此時の顏を我乍ら飽かず眺める。其時水月と三藏とは歸つて來た。

「おや早やお歸り」と細君は左の手は矢張り髪を握つたまゝ右の櫛を持つた手を止めて二人の顏を見る。水月は一寸微笑をして會釋をしたばかりで座敷の方へ行き過ぎようとする。「塀和さん憚りですが貴方お茶を入れて持つて行つて下さいな。今お常は使ひにやつたし、一寸私たちも手が塞がつてゐますから」と細君は馴々しく無造作にいふ。三藏は「ぢや此處で頂戴しませう。水月君此處へ坐つてはどうです」といつも細君の坐つてゐる長火鉢の前に坐る。水月は默つて其向側に坐つて一寸お鶴さんの方を見る。長火鉢の五徳の上には小さい金盥に何かきれの浸つてゐる湯がふつ〳〵と沸つてゐる。「すぐそれは下しますよ」と細君は空梳きを終つた髪をだらりと後に垂らして其金盥を取りに來る。三藏は茶を入れる。

 鶴子さんは初めて長火鉢の方を一寸ふりかえる。視線は三藏の茶を入れる姿を過ぎつて水月の横顏に及んだ時、細君の金盥の縁を袖で握つて此方へ來る顏にひたと逢ふ。鶴子さんの眼は鏡裡の我影に戻つて容姿を正す。口を正しく結んで眉と眼の間に距離を置く。細君は癖直しを始める。鶴子さんは自分の横顏を見てゐる二人の青年がある事を意識して居る。その二人の青年が如何なる眼附をして自分を見て居るかゞ鶴子さんに取つての問題である。其問題が心を占める度々に鶴子さんは鏡裏の自分の影を見る。


三十五


 細君は癖直しをすませて又荒櫛で梳き直す。多い髪の毛は一度窄まつて細君の手中に收まり、更に脹れて鶴子さんの背中に流れる。美しい黒髪は新たに油の光りを添へて梳櫛は心地よく走る。鶴子さんは右手に元結を持つて肩の處に差し出す。鶴子さんの眼は鏡に映る細々とした自分の手首を見て、此手首を見つゝある二青年を想像する。細君は先づ前髪を取る。「それでは少し右が多いやうですわ」と鶴子さんの唇は鏡の中で動いて、又此聲を聞く人のある事を意識する。

 細君は鬢を分ける、中をとる、髱を取る。黒髪が五つに分れて、分れ目に青みがゝつた白い地が縱横に見える。髱を拵へる。鬢を拵へる。「右の鬢尻が少し上りはしませんですか」「さう、これではどう?」「それで丁度ようございます」「左は?」「結構です」元結は二本三本と細君の手に渡つて其片端は口に啣へられキリヽと締める音が三藏の耳にも響く。鶴子さんは自分から毛筋で鬢を脹らませ、鬢櫛で鬢を掻く。目と手が同時に動いて鶴子さんの心は只鬢に止まつた時、水月の鼻は竊に油の香を嗅ぐ。

 銀杏返が恰好よく出來上る。細君は默つて道具を片づける。鶴子さんは「有難う。いゝ氣持に出來ましたわ」と兩手は交番かわりばんこに後ろに翳されて鏡裏の影は二重三重に重なる。細君はがさ〳〵と油の手を反古で拭く。鶴子さんは又鬢櫛で鬢を掻く。髪形がチャンと出來上ると正しい生際が目立つて見える。

 鶴子さんは立上つて鏡臺を片づける。鏡臺は天井を映し障子を映し、又ちらと鶴子さんを映して箪笥の上に置かれる。「お常はどうしたんだらうね」と細君は時計を見る。「大變遲うございますね。私御飯の支度にかゝりませうか」と鶴子さんは髪屑や元結の切れを掃き乍らちらと水月や三藏を見る。「さうね、二人ともお腹が減いたでせうねえ。お常に歸りに牛肉を買わすことにして置いたのですが」と細君は戸棚から菓子器を出して「まアこれでも食べて辛抱してゐて下さいな。鶴ちやんもお座敷の方へ持つて行つておくれ」といふ。鶴子さんは座敷に座蒲團を敷く。火鉢に赤くなつてゐる大きな火を灰の中から掘り起してそれに一つ黒い炭を添へる。


三十六


 水月は二日の滯在ですぐ歸京するやうな話であつたのが、三日目になつてから俄かに半月許り此方に居る事にしたと言ふ。何が氣に入つたのか判らぬが毎日ポカンと出て行つてポカンと歸つて來る。手には始終彼の新聞紙包を持つて居る。併し只持つてゐるだけでそれをどうするでも無い。「あれから別に面白い夢は御覽にならぬですか」と或時三藏が聞くと、暫く考へた末微笑して「夢は別に見ないです。併し小説の趣向がどうやら纒まりかけたです」と言ふ。「どんな趣向ですか」と三藏が熱心に聞いたが水月は微笑してゐるばかりで何ともいはなかつた。

 鶴子さんは夜になると箏を温習さらへる。今迄は温習へる事もあり温習へぬ事もあつたのが、水月が來てからは毎晩温習へる。夜になると水月は必ず歸つて來る。三藏も大概毎晩のやうに來る。二人は話が無いと題を出して句を作る。鶴子さんは自分の部屋で低聲に唱ひ乍ら彈く。水月は考へてゐるやうな考へてゐないやうな顏附で、一句も出來ぬ時もあり、出來る時は二三十句立ち所に出來る。其中には三藏の思ひも寄らぬやうな句がある。

 十日目であつた水月は愈〻小説の趣向が纒まつたといふので、筆を執るのには此家に居ては氣兼だからといつて翌朝から麩屋町の柊屋の靜かな一間を借りて移ることになつた。其晩は例の茶ぶ臺を取圍んでの小宴ではあるが三藏も亦お相客として招かれた。「どんな趣向かね」と主人公は大分滑かになつた口許に微笑を含んで聞く。水月は此夜はいつになくはき〳〵とものを言ふ。「心中です」「心中? 心中は不賛成だね。も少し社會的に活動する人間でも書いて見てはどうかね」「書けりや書いてもいゝですが僕には書けないです」「それは困るね。そこでどんな奴が心中するのかね」「文學者と草刈娘とです」「ハヽア、草刈娘は古風でいゝ。文學者といふのはどんな人だ。君のやうな人かね」細君が傍から「あんな口の惡い事を」と氣の毒さうに言ふ。水月は一寸考へて「矢張り僕自身になるでせう。少しは性格の違つたものにするつもりですが」と言つて眞面目な顏をしてゐる。三藏は默つて二人の話を聽いてゐる。此日は鶴子さんもお常も二人ともお給仕についてゐる。お常は庭に立つて例の釜から取つて食ふ熱い御飯のお給仕をする。三藏の茶碗には贔屓ぶりに釜の眞中のところを入れる。鶴子さんは銚子を握つて主人公にお酌しながら其話を聽く。「心中」と聞いた時少し顏を赤くして極り惡げに一寸細君の顏をぬすみ見たが「矢張り僕自身になるでせう」といつた時目を瞠つて水月を見た。


三十七


 翌朝水月は柊屋に移つた。筆を執る邪魔をするでもないと思つて三藏は四五日無沙汰をした。六日目の日曜日の朝行つて見ると、水月は自分の部屋の下の庭に蹲んで何事をかして居る。見ると白い新らしいハンケチを平べつたい庭石の上に置いて其上を小さい石ころで叩いてゐるのである。「水月君何をして居るのです」と三藏が聞くと、水月は眼鏡越しに三藏を見上げて「昨日思ひ立つて高尾へ出掛けたです。もう大方枯葉に近くなつてゐた中に一二本遲く紅葉してゐたのがあつて其葉を取つて歸つて今日ハンケチに叩いてゐるところです。一寸失禮します」といつて又コツ〳〵と叩く。三藏は暫くボンヤリと廊下に立つてそれを見下ろしてゐる。

 暫くして水月はハンケチを擴げて見る。覺束無き扇の裏繪といつたやうに僅に赤い色が映つてゐる。又元のやうにしてコツ〳〵と叩く。一人の女中が廊下を來る。「旦那私があんぢよう叩いてあげますさかい、ほつといてお座敷へお出でやす」と言ふ。水月はまだコツ〳〵と叩く。三藏は一人で部屋へ這入つて女中の汲んで行つた茶を飮み乍ら其邊を見𢌞はす。机の上には書き掛けた原稿がもう山のやうにあることゝ想像してゐたに、殆ど原稿紙らしいものも見えぬ。只何か原書が一册開けてあつて色鉛筆が轉がつてゐる。暫く其處に在つた新聞を讀んで待つてゐると、水月は漸くハンケチを擴げて眺めながら這入つて來る。三つ許りの覺束無き裏繪の中に一つはつきりした紅葉の形が眞赤に映つてゐる。「大變よく映つたのがありますね」と三藏が言ふと、「漸くわかりました。紅葉によつて旨く映るのと映らぬのがあるやうです。これに君俳句を書きませんか」と言ふ。「僕は駄目です。君書いたらいゝでせう」「何でもいゝです二人で書きませう。いつか鶴子さんが發句を書いて呉れとかいつてゐたからこれでもやりませう」と言つて硯箱を疊の上に下して「まあ君書き給へ」と三藏の方に向ける。「僕は駄目です。それより君小説は出來ましたか」「小説ですか」といつて水月は暫く默つてゐたが、冷やかな微笑を洩らして「あの小説は止めました。第一あの趣向は陳腐でものになりません」と投げ出したやうに言ふ。「さうでは無いぢやありませんか。止めるのは惜しいですねえ。少しはお書きになつたんですか」「少し書きかけはしましたが駄目です」と言つて又淋しい微笑を洩らす。


三十八


「其書きかけはどうなすつたです」と三藏は聞く。水月はハンケチを取り上げて日に透かして見たり、赤い上を輕く撫でゝ見たりしてゐたが「君あれから渥美へ行きましたか」と話を外らす。「二度行きました。昨夜行つた時、先生は篠田はあれから一度も來ないが、小説を熱心に書いて居るのだらうか。と言つていらつしやいました」と三藏は答へる。水月は小説といふ詞が出る度に厭やな顏をする。此間主人公の前で得意になつて趣向を話した時とは大變な相違だ。

「あれが駄目なら、外のものをお書きですか」と三藏は又聞く。水月は例の如く暫く默つて後「君は矢張り小説家になる積りですか」といつて三藏の顏を見て居たが「僕には小説は書けないやうだから、もう創作は止めようかと思ふです」「それでは何をおやりですか」「サア」と水月は自ら疑ふやうな口吻で「何をやりますかな」といつて淋しい笑顏をする。

 いつもの通り話が跡切れると又句を作る。水月は平常と違つて熱心に苦吟して居るのに、今日は容易に句が出來ぬらしい。二時間程もかゝつて出來上つたのを見ると別人らしい程まづい句ばかりだ。三藏は「どれがいゝのです」と聞くと「僕は中で此句が得意です」といつて一二句指示する。見るといつもの通りの奇想でもなく平凡な事が難澁な調子でいつてある。三藏は不思議に思ひながら默つて聞いてゐると、俳句に就ては一度も得意らしい事をいつたことの無い人が、此日に限つてくど〳〵と説明などをして聞かす。

 晝頃になつて歸らうとすると「君今日渥美へは行かないですか」と水月が聞く。「行かうとも思つてゐなかつたですが、行つてもいゝです」「それではこれを鶴子さんに上げてくれませんか」と水月はさつきの紅葉を染めたハンケチを差出す。「俳句は書かないんですか」「よしませう」と言ひ乍ら机の抽斗から一本の手紙を出して「それからこれを一緒に鶴子さんに渡してくれませんか」と言つて差出す。見ると丁寧な草書で『渥美つる子さま御許 篠田正一』と書いてある。


三十九


 水月の手紙を三藏の手から親しく受取つた鶴子さんは狼狽へた。鶴子さんはお常に代つてラムプ掃除をして居つた所へ、三藏はつか〳〵と來て手紙とハンケチとを渡した。鶴子さんは怪しんで手紙を手にしたが宛名と裏書とを見てカッと赤面した。さうして「厭よ塀和さん。厭よ〳〵」と早口に言つて二つ共其處に擲り出してしまつた。三藏は格別氣にも止めず此處迄懷にして來たのであつたが今此場合になつて初めて若い男から若い女に送る手紙の特別の意味を了解したやうな心持がした。さうして水月の此大膽な行爲が羨ましいやうにも思はれた。鶴子さんはホヤを拭く。ホヤは指の及ぶだけ曇り無く拭はれる。しかも鶴子さんの心はホヤには無くてたゞ狼狽へてゐる。

 三藏は其足ですぐ主人公の書齋に行く。鶴子さんはおど〳〵として前後左右を見𢌞はす。細君の足音が此方に聞えた時手紙とハンケチとは急がしく袂の中に隱されて石油が油壺の中に注がれる。細君の足音が次の間で止まつて其處でお常との話聲が聞えた時鶴子さんは又其襖の方を振返る。襖が開く。鶴子さんは左あらぬ振をして反古で油壺を拭く。短かい心は今鶴子さんが捻る齒車で少し捻上げられて底を離れる。這入つて來たのは細君かと思うたらお常であつた。「お孃樣もう私の手があきましてすから致します。どうも有難うございました」と言ふ。「いゝよ、もうすぐ濟むから」と鶴子さんは鋏で心を剪る。

 三藏は間も無く歸つた。鶴子さんはラムプ掃除を終へて自分の部屋に這入つた。初めて心が落著いたやうに覺えて大きな息をする。さうして袂からまづハンケチを出して見る。覺束なき紅葉の色が糊の多い白い地の上に五つ六つ染め附けられてゐて只鮮やかに赤いのは其中の一つばかりである。これに何の意味があるのか解釋のしやうも無い。ハンケチを再び袂の中に收めた手は今度は手紙を取出す。墨色の濃い正しい文字は自分の名を表に見せて下に『樣御許』とあるのが何となく艶めかしい。心は騷ぎながら封を剪る。取出された手紙は短かい。薄桃色の雁皮に次の如く認めてある。『小野の頼風が塚に生ひけん草を男郎花をとこへしとよび、女の塚なるをこそ女郎花をみなへしとは呼べ。我が文ぞ僞りなる。あな物狂ほし。此筆を燒き此塚をあばき一葉の舟を江河に流せば、舟は斷崖のもとを流れて舟中に二人の影あるべし。御かへりごとこそ待たるれ。かしこ』


四十


 其夕方であつた、細君は鶴子さんに斯んなことをいつた。「篠田さんから何かいつてらつしやりはしなかつたかい」此問は非常に鶴子さんを驚かした。鶴子さんは此場合自分の潔白を表白する外に方法は無いと考へた。自分の書齋に走つて行つて彼の手紙を細君の前に突出した。

 細君は手紙を受取つて驚いた。細君の鶴子さんに聞いたのは斯る重大の問題では無かつたので、篠田の宅から綿入を一枚正一に拵へてやつて呉れぬか、御面倒だが鶴子さんのお手あきに仕立てゝ戴き度い、此事は正一にも言つてやつて置いたから直接にお願ひに出るであらうといふやうな意味の手紙が來た。それについての話であつたのが、意外にも薄桃色の雁皮に、難かしい文句で意味は十分に解らぬが『御かへり言こそ待たるれ』とあり『かしこ』とあり『樣御許』とある、讀めぬ處は如何に艶めかしい文章であらうかと推し量らるゝやうな手紙が突出されたので細君は仰天した。それから「お前は何と返事をしたかい」と聞いた。「返事なんかは出しはしませぬ」と鶴子さんは答へた。「それはよく出しませんでした。此手紙は私が預つて置くから」と言つて細君は疑ひ深いやうな眼をして鶴子さんを見た。鶴子さんは眉を顰めた。

 水月の手紙は主人公に致されて細君と二人の前で浮世の審判を受けて「怪しからぬ」といふ事に判決を下された。尤も主人公にも手紙の意味は十分に了解されなかつたのであるが、矢張り鶴子さんにも細君にも重きを置かれた『御かへり言こそ待たるれ。かしこ』『樣御許』といふ文字と薄桃色の雁皮といふことが重要な意味に解釋されたのであつた。それから『鶴子にまで御差出しの手紙に就て御話申上度事あり御來宅待上候』といふ洋罫紙に亂暴にペンで書かれた手紙が其日水月の案頭に落ちた。水月はこれを開封して見て例の淋しい笑ひを洩らした。


四十一


 水月は渥美より手紙を受取つた翌日は例の新聞紙包を手に持つて京都市中を彷徨さまようて居つた。それから其日の夜汽車で東京へ歸つてしまつた。渥美へは何の挨拶もしなかつたが、三藏には『今夜歸東』といふ四字だけ認めた葉書を出した。それから例の新聞紙包は濱名湖の眞中で汽車の窓から湖の中へ投げ込んでしまつた。此新聞紙包が何であつたかといふ事は水月と濱名湖の外は知るものが無い。

 三藏は其葉書を受取るや否や柊屋へ行つて見たが固より居る筈は無い。其足で渥美へ行つて見ると、細君が頭から「塀和さん、貴方あんなお使ひなんかをしてはいけませんよ」と笑ひ乍らいふ。三藏は一昨日をとゝひ手紙を鶴子さんに手渡しする時初めて自分の使が格段な意味のものであることを了解したやうな譯で、思はず手を頭にやつて恐縮する。殊にあの手紙の件が早や細君に知れてゐようとは意外であつたので目を瞠つて其顏を見る。「先生はあんな手紙をよこす篠田も固より怪しからぬが、使に立つ塀和も塀和だといつて大變立腹してゐますよ」と細君は言ふ。三藏は「さうですか」と益〻恐縮して、どうしてあの手紙がさう早く兩親に見つかつたであらう、鶴子さんの見て居る處へ細君でも突然這入つて行つたものか、と只驚いて居た。鶴子さんがこれを細君の前に突出したといふ事は固より三藏の想像の外にあつたのである。

「篠田君は參りましたか」と三藏は恐る〳〵聞く。「いゝえ。先生があの手紙を見ると直ぐ呼びにやつたんですけれどまだ來ませんのですよ」「さうですか」と三藏は又驚いて水月の既に東京に歸つた事を話した。「マア、さうですか」と細君も目を丸くして、何といふ我儘な失敬な人であらうと顏色まで變へた。「先生は御在宅ですか」と三藏は又恐る〳〵聞く。「いゝえ。まだ歸りません。もうすぐ歸るでせう」と三藏の顏を見て「後生ですから、これから鶴子の部屋などへは行かぬやうにして下さいな、私の手抜けになつて先生に叱られますから」と言ふ。三藏はまごついて、「決してそんな事は。一昨日もお部屋へ行つたのではありません。あのラムプ掃除をしてゐらつしつた時に」「何にせよ、氣をつけて戴き度いものですね」と細君の顏色はだん〳〵險惡になつて來る。三藏は居たゝまらずなつて、此上先生に歸られたら大變だと、そこ〳〵に挨拶をして逃げるやうにして歸つた。歸りがけに氣がついたのは鶴子さんの部屋では例の箏の音の悠長に響いてをつたことである。

 三藏は横町の曲り角で大きな風呂敷包を抱へて歸つて來るお常に出逢つた。お常は突き出すやうに不恰好に其風呂敷包を抱へて眞赤な顏をして三藏に目禮した。さうして三藏が矢張り青色の毛絲の羽織の紐を締めて呉れてゐるのを見て此上無き滿足を覺えた。


四十二


 京都の今年の冬は格段に寒い。三藏は國許から新たに屆いた綿入羽織に、鶴子さんに拵へて貰つた袷羽織をも重ねて丸くなつて小さいラムプの下で勉強した。渥美の主人程の空氣ラムプは駄目としてもせめて鶴子さん位の明るいのが欲しいと思はぬでも無いが、又此暗い佗しいのにも俳味が無いでも無いと諦めて、燈下にすり寄せるやうに書物を置いて勉強をした。

 水月が風の如く去つてからは東京との俳交も暫く途絶え三藏は只學校の課業にのみ沒頭して居つた。例の手紙以來渥美へも教授を受けには行くが三藏の方でも態と家人と親しむのを避け、渥美一家の方でも何處となく籬を造るやうに見えて、例の吹きながら食ふ暖かい御飯を此頃は頂戴せぬやうになつた。鶴子さんは時々襖を隔てゝ三藏の聲を聞かぬことも無く、三藏も次の間に鶴子さんの足音と想像されるものに耳を欹てぬことも無いが、顏を合はすことも言葉を交はすことも無く、めい〳〵別々の月日を過してゐた。

 此寂寞たる冬籠のうちに三藏の心の底に穩かならぬ或考へが萌して來た。一生懸命に勉強しても國に居た時分程頭はどういふ譯だか働かぬ。字引を引いても屡〻字を忘れる。數學の興味は殆どゼロとなる。新たに來た物理の教師の原語で口授するのが氣に食はぬ。ギューリッキといふ瘠せて帆柱のやうに背の高い亞米利加人の、人は善さゝうだが、いつも洟水を垂らし乍ら面倒臭い發音を強ふるのを下らぬことだと思ふ。國の中學にゐた頃ノイスといふ體格のいゝ英人が常に「マイ、ボーイ、カム、ヒヤ」などゝ言つて自分を教壇の上に立たせて發音をさせ「ヴェリー・グード」などゝ腹の底から唸り出すやうな聲で讃めてくれた事を囘想すると、此頃は只英語の發音だけでも遙に人後に落ちたやうな氣がして穩かで無い。此夏以來十風、北湖、水月などの絶え間無き來訪を受けた頃は、かう續け樣の訪客では學校の方が困ると思ふやうな考へが浮び乍らも尚諸氏と交遊する快味の爲めに其學校課業の痛苦は紛らされてゐたが、此頃のやうに又其方にばかり沒頭して見ると前よりも一倍の苦痛が身を襲ふやうに覺える。此鹽梅では前の學年試驗の成績は尚六十番位であつたが今度は及第すら覺束無いと思ふ。未來を想像するとぢつとして居られない。立上つて室内を散歩する。此時其弱い心の奧底から火の如き力で呼號するものは現状打破の聲である。退學! 退學! と三藏は下讀みしかけた書物をぱたりと伏せて瞑目する。李堂、北湖、十風、水月等の人々が遙に東京の空から手を上げて自分を招いて居るやうに思はれる。嘗て三津の埠頭に立つて京都の天地を翹望した如く今は京都の古家の一間に籠居して東都の空を望むのである。


四十三


 二十一歳の新年は煩悶の中に迎へた。奧村の婆さんが大奮發をして大きな蛤のお汁を拵へて呉れたのも喉を越し兼ねた。姉小路の綾子さんが伊勢物語とかの骨牌カルタを取るからといつて三度も呼びに來たが三藏は行かなかつた。増田が白粉を塗られて眞面目な顏をして歸つて來たのもをかしくなかつた。二十一歳! 是豫ね〴〵待ちまうけて居た處女作を出すべき年ではないか。冬季休業中に脱稿せうと思つて筆を執つたが例の如く澁帶して例の如く三囘限りで筆を投げた。鶴子さんの箏が聽き度いと思ふ。正月禮に行つた時には細君獨りに逢つたぎりで物足らなかつた。そのうち骨牌を取りますからと細君はいつたが別に案内も來ない。今日あたり押し掛けて行つて見ようかと思ふが主人公や細君と話をして歸るだけでは更に面白くない。それよりも京極を散歩する方がまだ幾らか心が慰む。京極から四條に出て四條の小橋を渡つて大橋を渡つて祇園の社を抜けて清水に行つて歸る。其歸り道も亦祇園を通る。昨年の初夏此處を通つて初めて人懷かしいやうな思ひが胸に溢れて、軒竝の行燈が一々暖かい呼吸をしてゐるやうに覺えた其時のおもひが又胸に湧く。十風が來てから以來このかた俳句が自分の心を支配し、俳人との交遊が何よりの慰藉であつたので、十風の細君の嬌態も鶴子さんの妙なる箏の音も、十風、水月の言行が三藏を支配する以上には出でなかつたのであるが、今亦此灯の街を歩くとそゞろに當時の心持が思ひ出されて奧村の座敷の冷たく薄暗いのが堪へられないやうな氣持になる。女郎買とかいふものがして見度いやうな氣持もする。しかしそれは恐ろしい。又賤しむやうな心も同時に起る。その角い軒行燈の下から若々しい女の聲に送られて出る嫖客の姿を見ると馬鹿な奴がと爪彈きし度くなる。十風の細君の事を想ふ。東京の吉原といふ處を想像して見る。此祇園の百倍の繁華を描く。十風は其處で一代の色男を氣取つたのだと思ふとえらいやうな考へもする。自分も曾て福地櫻痴が吉原に在つて藝妓の膝に枕し乍ら日々新聞の社説を草して新聞社に送るのを常としてゐた、といふ談話を快として、どうかさういふ眞似をやつて見たいやうな氣もする。三藏はそんな事を考へつゝ足は進まぬながら四條の大橋にかゝり小橋を渡り遂にすご〳〵と奧村に歸る。こんな事をして冬季休暇は空しく過ぎて又課業が始まる。つまらぬ。苦しい。止めつちまへと思ふ。自由の天地、文學の大自在の境、それは祇園の社前に僅か許りあるやうであるが、ずつと飛んで東京の方を望むと乾坤に瀰漫してゐるやうに思はれる。早く飛んで其處に行き度い。昨日も三角の宿題が出來ぬので立往生をした。今日も英語の下讀みをせぬので「そんな字を知らんやうでは駄目だ」などゝどなられた。斯んな事で苦しむのは實際愚なことだ。處決、處決! と三藏は頭をいだいて考へる。


四十四


 三藏は時々自分は神經過敏だ、これでは成らぬと考へることもある。同級生のうちなどには至つて暢氣に出來上つてゐる人もある。宿題が出來なからうが、教師に皮肉をいはれようが、銃の臺尻位で少々なぐられようが一向に感じない。三藏はさういふ人を羨ましく思ふ。自分でも神經さへ遲鈍にして居ればどうやら斯うやら現状を維持して、たとへお尻から一二番といふ處でも兎に角かじりついて卒業が出來ぬことは無いと思ふ。現に自分より出來ぬ人は級中に尚ほ澤山あるのだ。けれども三藏はどうしてもさうづう〳〵しい人間になれない。そのづう〳〵しい人を賤しむのではない。いつも成績のいゝこせ〳〵と一生懸命に勉強して居る人より此種の人の方が却つて偉いやうにも思はれるのであるが、それで居てどうしても自分はさういふ人になれん。尋中では常に級長ばかりして居つた、其虚榮心が今でもつき纒ふ。學校生活は下らぬと考へ乍らもそれでも級中の上位に居つてぐつと他人を下目に見るのならば強ちそれを厭ふ心も起らぬのだらうが、今の三藏は最早足場を立て直すことの出來ぬ程弱者の地位に落ちた。少なくとも自分はさう認めてゐる。さうしてそれは虚榮心が許さぬ。

 弱い人がせつぱ詰まると前後不覺に行動する。三藏は保護人に談判し國許の兄に強制的に同意を得て退校屆を出してしまつた。出してしまつてがつかりした。熱の醒めた病人のやうに力無い眼で前後左右を顧みた。心細いやうな心持もする。又氣樂なやうな心持もする。或時は又愈〻意味ある生活に歩を轉じたのだとも意識する。一番に此結果を東京の俳友に報告する。いづれも驚いた手紙をよこして、これからどうする積りか、どうして飯を食ふ積りか、といふやうなことを質問して來たものもあつた。又中には其男氣に感服するといつて來たものもあつた。三藏はどうして飯を食ふ積りかといふ質問にははたと當惑した。實はどうして飯を食ふかといふ事を考へて退校したのではなかつた。只せつぱ詰まつて退校したのであつた。飯を食ふことなどの問題は其後に決すべき問題だと思つてゐた。然るに追撃の報告に對して早くも飯問題を提出されうとは三藏は豫期しなかつた。今僕の心を支配するものはどうして飯を食ふかの問題では無く如何にして先づ一篇の小説を草するかに在ると返事してやつた。又勇氣に感服するといつて來た朋友には、自分は今大海に漂へる一孤舟の身となつた。萬里泊舟天草洋といふ詩の句が何故か頻りに愛誦さるるといつて返事を出した。


四十五


 渥美から葉書が來て、至急來いとの事であつた。三藏は此一月許り無沙汰をして居つた。行つて見ると主人公は澁い顏をして「今日初めて聞いて驚いたが、惜しい事をした。これからどうする積りか」との質問であつた。「小説家になります」と三藏は答へた。「君はまだ二十一歳では無いか。それで小説家になれる積りか」と髭の延びた顋を撫で「ゆく〳〵はなれるとしても目下の處どうして衣食する積りか」と主人公は附加へた。「兎も角上京する積りです。それから若し國許から金が貰へねば學僕になつてもよし、それも駄目ならば何とかして自活の途をつける積りです」と言つて三藏は心のうちで、小説を書いて其原稿料を得る事をも計算のうちに入れて居た。

「さうか、それぢや遣つて見るサ」と言つて主人公はもう匙を投げてしまつたらしい。それから暫く經つて「いつ上京する?」と聞く。「三四日のうちに出發する積りです」「さうかそれぢや今晩飯を食つて行き給へ」「はい有難うございますが少し急ぎますから」「さうか」と何となくよそよそしい。臺所では細君とお常とがひそ〳〵話して居る。お常は殊に驚きの眼を輝かして居る。「マア何といふ塀和さんでせう。屹度何かに迷つていらつしやるのだわ」「本當に惜しい事をしたものね。もう少しの辛抱だのに」「旦那樣がよく言つて聞かせておあげなすつても駄目でせうか」「もうあゝ狂つて來ては迚も駄目だらうね」細君が拵へたコーヒー茶碗をお常が持つて立たうとする。鶴子さんは默つて二人の話を聽いて居たが「いゝわ一寸座敷に御用があるから私持つて行くわ」と言ふ。「あゝさうですか」とお常の顏はサッと赤くなる。鶴子さんは座敷に行く。三藏はかしこまつて坐つて居る。主人公は口をむつと閉ぢて三藏の顏を見て居る。鶴子さんは後れ毛の多い白い頸脚えりあしを突出して三藏にコーヒー茶碗をすゝめる。三藏は會釋しながらも尚其頸脚、稍〻紅を潮した頬、素直に高まつた鼻を見る。鶴子さんに水月の手紙を渡してから後初めて今日逢ふのである。二三ヶ月の間に少なからず﨟たけたやうに思はれる。自分に勸め終つてから今度は又主人公に差出す。其目はたじろがずコーヒー茶碗のみを見てゐて口もキチンと引締つてゐる。三藏は自分は學校を途中で退いた日蔭者であるといふ事を今鶴子さんの前で著しく感ずる。愈〻小さくなつて坐る。鶴子さんは鷹揚に沈著に自分の役目を果して物靜かに立つ。

 三藏が歸る時分に庭のへつゝひの前に居たお常は戸の透きから見送つてそのションボリと淋し氣に歸つて行く三藏の後姿を哀れに思ふ。


四十六


 同郷人會を繰り上げて三藏の爲めに送別會を開かうとして平田や加藤やをばさんは盡力して居つたが、其事を増田から漏れ聞いた三藏は俄に行李を納めて其前に出發してしまつた。増田だけが停車場に見送つた。其事を傳へ聞いて平田や加藤などは何故塀和は此頃あんなにひねくれたのであらう、文學者といふものは皆あゝいつた風になるものなのかしらと眉を顰めた。そんな始末であつたので渥美へもあれつきり挨拶にも行かず、京都の天地を後に、尻に帆掛けて出發したのであつた。汽車が逢坂山を越えて瀬田川を渡つて、未知の山水を送迎し始めてから三藏は血液ちしほが湧くやうに覺えた。この感じは嘗て瀬戸内海の船でも經驗した。併しあの時は天下晴れて太陽の明るみの下で其熱を受けて湧く水のやうな感じであつたのが、今度は光線の通らぬ地底の水の地熱によつて熱するやうな感じである。だん〳〵進んで京都が遠くなるに從つて自分の體が脹れ上つて來るやうに覺える。さうして京都の方を振返ると高等中學も其生徒も渥美の主人公も鶴子さんも小さい〳〵豆人形のやうなものになつた如く覺える。

 驛々で昇降する百姓の言葉迄が、だん〳〵活氣が出來て來る。姉小路や奧村や學校近邊の文房具を賣る店の人々等の言葉とは大變な違ひだ。サアこれからだと思ふ。これから本當に文學者になるのだ。二十一! 正に處女作を出すべきの歳! 東京へ降りて扨て誰を訪はうか。李堂か! 未だ面識無い人を驚かすのも穩かでない。北湖先生? これは餘り年齡の相違が劇しいからよさう。十風? 水月? この二人の中で取敢へず十風を選ぶ。

 ふと目がさめると汽車は箱根のトンネルに這入つたり出たりしてゐる。もう夜中であつて、殊にいつの間にか雨が降り出して風さへ添うたので只物凄い。穴を出ると車窓のガラスを強く吹く風が霰のやうな雨をぶつゝける。穴の中に這入ると轟然たる響が耳を聾するばかりである。車中の人は皆寢て居る。三藏は今獨り醒めて居る。俄に心細い。自分と反對のガラス窓に朧氣に自分の顏が映つてゐる。自分の形の左上部に赤いものが映つてゐる。これはラムプの影だ。其赤い色は馬鹿に氣持の惡い陰氣な色だ。おまけにそれがちら〳〵と動く。其動く度に自分の影法師もピリピリと震へるやうに動く。汽車が穴を出る。すさまじい音をしてガラス窓が一時に鳴る。又穴に這入る。陰に籠つた地獄の響が聞える。

 目を瞑つてうつら〳〵とし乍ら此晦冥の天地轟々たる夜陰の響と惡戰を續けてゐるやうに感ずる。目を開けると赤い火が窓の外で搖れてゐる。自分の影法師も其光を受けて薄赤い色をして搖れてゐる。

 夜明けに新橋へ著いた。箱根で夢みた晦冥の天地は消え失せて今はあかるい市街が目の前に現前したが、まだ雨は盛んに降つてゐる。どちら向いて行つたらよいのか方角がたゝぬ。兎に角小石川武島町三番地と車夫に命じて乘る。


四十七


「おい車屋。僕はまだ朝飯を食はぬのだから、饂飩屋があつたら教へて呉れぬか」と幌の中で三藏は言つた。松山の車でも京都の車でも前掛の上から往來はよく見えるのであるが、東京の車は目より高く前掛が掛つてゐるので何物も見えぬ。「ようがす」と車夫は景氣よく言つて、ごろ〳〵と下したと思ふと「饂飩のかけを一つ。お早く願ひます」と三藏の代りに言つてニヤリと笑ふ。饂飩屋の男も笑ふ。三藏の其傍に車夫は腰かけて雨に濡れた手で煙管を握つて煙を吹く。漸く饂飩を食ひ終つて又車に乘ると、車夫は又幌で包んでしまつてごろ〳〵と挽く。電信柱が無闇に澤山ある處を通る。洋館造りの軒がちら〳〵と見える。橋の上でも通るのかと思ふやうな音がする。向うから來る車の幌が一寸見えて行き過ぎる。ヤア、ヨイといふやうな掛聲が時々聞える。三藏が車中から見聞することは是位のものに過ぎぬ。凡そ一時間近くも乘つたらうと思ふ時車夫は梶棒を握つたまゝ立留まつて「武島町三番地といひましたね」と聞く。「さうだよ」と三藏は幌の中で返辭をする。「一寸聞いて來ませう。三番地は廣いから何の邊だか」と車を下したまゝで車夫は何處かへ行く。三藏は心細いやうな氣持がして待つて居ると暫くして車夫は歸つて來て「旦那困りましたぜ。その五十嵐さんと仰しやる方は昨日築地の方へ引越されたさうです。どうしますそちらへ行きますか、それとも外に知合ひはないですか」「さうか困つたなあ」と三藏はつく〴〵困る。雨はざあ〳〵と降りしきる。水月も此間轉居したばかりでたしかには覺えないが、麹町區一番町の十二番地であつたやうに記憶してゐる。「其築地へ行くのと麹町區一番町へ行くのと此處からはどちらの方が近いかね」と聞く。「左樣さうさね」ともう梶棒を握り上げて突立つて居る車夫は「まア折角五十嵐さんを訪ねて來たのだから築地へ行つて見ますかね。二丁目の二十番地ださうですから」と言つてもうごろ〳〵と挽きかける。又一時間足らず乘つてゐると、車夫の足が緩やかになつて「二丁目二十番地、この邊の筈だが」と其邊を二三度往來して探して「旦那愈〻困りましたねえ。五十嵐なんていふうちは一軒もありやあしないですよ。仕方が無いから麹町の方へでも出掛けますかねえ」とがつかりしたやうにいふ。三藏は困つた。麹町の方も番地がうろ覺えなので、京都などと違つて斯う判りにくいのでは險難けんのんだと思つて、北湖先生の監督して居られる寄宿舍に、李堂の紹介によつて俳交を訂してゐた鈴木蓬亭の居ることを思ひ出し、寄宿舍ならば判りやすくもあらうし又轉宅することもあるまい、そこに行かうと決心して、本郷西片町の育英會寄宿舍に行くことを命じた。車夫は「よいしよ」と草臥れたらしい掛聲をかけて又ごろ〳〵と挽き始めた。


四十八


 漸く「育英會寄宿舍」とある大きな表札を見た時三藏は蘇生したやうに覺えた。車夫の請求する儘に六十錢を支拂うて蓬亭に面會する。丁度十風位の年配で顏の四角な色の黒い、其癖眼の鯨のやうに小さい、いつも怒つたやうな口つきをしてものを言ふ。「何十風が轉居した? そんなことは無い。現に昨日僕は逢つたがそんな話は無かつた。築地へ轉宅した? そんな馬鹿なことがあるものか。假りに轉宅するとしても築地へ行く譯は無い。そいつは君を田舍者だと見込んで車屋が旨くやつたんだ。ハヽヽヽヽ。幾ら取られた? 六十錢? ハヽヽヽヽ」と蓬亭は腹を抱へて笑ふ。見ると其鯨のやうな眼に涙を溜めて他愛もなく笑つて居る。「此寄宿舍に人を泊める譯には行かぬからおれ十風のうちへ連れて行つてやらう。まア湯にでも入つて來い。其棚の上に己の手拭と石鹸とがある。此處の表を右へ行つて左へ曲ると錢湯がある。わからないか。迷ひでもすると困る? 氣の弱い奴だなあ。それぢや己一緒に行つてやらう」と二人で錢湯に行く。三藏は體中に石鹸を塗つて眞白になつて洗ふ。蓬亭は力瘤の這入つた左の腕をウンと突き出して右の手に石のやうに固く丸めた手拭を握つてしつ〳〵と洗つてゐたが、左の腕を洗つたばかりでドブンと湯槽の中につかつて、もう出て體を拭く。錢湯から歸り路に寄宿舍の棟續きの北湖先生を二人で訪うたがお留守であつた。「草臥れたらう。君勝手にしてゐて呉れ。寢るなら其處の戸棚から蒲團を出して敷いて呉れ。書物なら其處に積み重ねてある。己は一寸仕事を片づけるから」と言つて原稿紙を机の上に置いてせつせと書く。見るうちに一枚一枚とあまり消す字もなくすら〳〵と筆が運べるらしい。三藏は羨ましさうにそれを見てゐたが少し眠くなる。積み重ねてある書物の中から小説史稿といふ一册を引抜いて讀む。果して最前の車夫が自分を騙したのだとすると怪しからぬ奴だと思ふ。さう思ふとあの言葉附から眼つきなどに氣に食はぬところが澤山あつた。東京の土を踏むや否や忽ち車夫にやられたと思ふと情ないやうな心持もする。三藏はこんな事を考へながらうつら〳〵として居ると「おい居眠りなんかするのなら蒲團を敷いて寢たらどうか。寢る程では無い? それなら晝飯でも食つて十風のうちへ出かけようか。今日は日曜だからうちに居るだらう」とそれから二人で食堂に行く。食堂といふのも古びた疊の敷いてある八疊二間に食卓が置いてあつて大きな飯櫃おはちがどかんと据ゑてあつてめい〳〵肩から突込むやうにして御飯をすくうふのである。御飯が濟んで三藏は蓬亭の下駄を借りて、蓬亭は同宿生の一人の下駄を突掛けて十風を訪ふ。


四十九


 小石川區武島町三番地五十嵐透といふ表札がちやんと出てゐる。「おい轉宅はしないよ」と笑ひながら蓬亭はがらつと戸を開けて「居るかッ」と大きな聲をする。返辭が無い。「留守かッ」と一層聲を張り上げる。あわたゞしく襖が開いて細君がぬつと顏を出す。細君は昨夜十風と一緒に食ひ殘した薩摩芋を今御飯代りに食べて居つた所なので「居るかッ」と蓬亭にどなられたので狼狽へて湯呑に湯をついでそれを飮みかけた時に「留守かッ」と又大きな聲をされたので返辭をする間が無しに飛び出して來たのである。「おやッ」とびつくらして「まあいつ入らしつたの」と蓬亭には挨拶せずに大きな口を開けて三藏の方に笑顏を向ける。「留守ですか」と蓬亭は澁面を作つて聞く。「はい一寸出掛けました。まアどうぞお上り下さいまし。先日は失禮致しました。あれからお腹工合がお惡かつたと聞きましたが、如何でゐらつしやいます」と膝を突いて改めて蓬亭に挨拶をする。「そいつは困つたなあ。何處へ行つたんです」「すぐ御近所の矢張り商館に出てらつしやる方のお家へ上つたんですから、程なく歸りますでせう。まアお上りなすつて下さい。あの塀和さんもお上りなさい」ともう立ち上つて座敷の方の襖を開けて床前に座蒲團を敷く。「それでは僕一寸此近處に用事があるから、其處へ行つて歸りに寄る。君は上つて待つとれ」と命令するやうに言つて蓬亭は出て行く。

「本當に塀和さん暫くぶりね。あなた御飯すんで? 本當? 今度何しにいらしつたの? まあさうなの。それぢや私の家に當分ゐるといゝわ」と細君は煙草盆を持つて來たり茶を酌んで來たり立つたり坐つたりして愛想をする。三藏は嬉しく思ふ。蓬亭に逢うた時も嬉しかつたがそれでも生面である。此處へ來て細君に逢つてからは俄に心が弛んで故郷へでも歸つたやうな氣持になつた。それから一番に車夫にやられた話をする。「前にわかつてゐたら迎へに行つて上げたのに。そりや本當に困つたでせうねえ。でもまあそれだけで濟んで好かつたわ。朦朧組といつてね吉原なかへ行く車屋なんかには手の附けられないのがありますつてね」といつて細君は鬢に一寸手をやる。今迄氣が附かなかつたが袖口の少し切れてゐるのが目に留まる。氣をつけて見ると著物ばかりで無く障子の古びやうから中床の上の落寞とした模樣など餘程貧しげに見える。只髪だけは艶々と結つてもとの如く大きな丸髷に燃え立つやうな赤い手絡のかゝつてゐるのが他に反映して殊に目に立つ。それから「蓬亭さんは本當にむつッとした人ね。宅のもぶつきら棒だけど、蓬亭さんよりはあれでもまだ愛嬌があるわ」と言つて笑ふ。其時表で「御免下さいな、姉さんおうち?」と言ふ若々しい女の聲がする。


五十


 三藏との話を途中から端折つて「あゝうちよ」と細君はいきなり腰を浮かせ「梅ちやんお這入りな」と言つて暫く自分の聲が向うに屆いたかどうかを聞き定めるやうな眼附をする。その時「お客樣なの?」と言ふ聲がもう襖の向うでして透間からちら〳〵と動くものが三藏の目に映る。三藏は見るとも無しに見ると、上になるほど開いてゐる透間の、足の方ははつきり判らぬが帶の赤いのが取手とつての邊にほのめいて、それからずうと上にきら〳〵と光つてゐる片方の眼が自分を見下してゐるのに氣がつく。「いゝわ。お這入りな。ねえ塀和さん。いゝわねえ」と細君は言ふ。三藏は何とも辨へ兼ねたが「どうか」と言つて頭を下げた。「本當にいゝの?」と尚甘えたやうな聲が聞えて襖は漸く五分位の幅に開かれる。片方の眼であつたのが兩方の眼になつて、鼻と口とが其下に見えて、襦袢の襟の若々しく紫色なのと帶の赤いのとがあらはに目に立つ。「厭な人ねえ。恥かしいの?」と細君は梅ちやんに言ひながら眼は三藏の顏を見て笑ふ。三藏は最前からまごついて居たのが此時赤面して「何ですか」と言ふ。「あなたに言つたのぢや無いのよ」と今度は三藏に言ひながら其癖梅ちやんと顏を見合せて笑ふ。梅ちやんも襖の蔭で笑つたが「それでは御免なさいな」と急に眞面目な顏をして座敷に這入つて襖に背中を磨りつけるやうにして坐る。此梅ちやんといふのは嘗て第二十二囘に一寸記述したことがあつた廓名さとなを梅代といつてゐた妻君の妹女郎であつたが此頃自分より年下位の或洋服屋とかの若旦那に身受されてこの近傍に圍はれてゐるのである。「あのね塀和さん、此梅ちやんとはね、私が吉原あちらにゐた時分姉妹のやうにしてゐたのですよ。此方こちらはね、宅のお友達で京都からいらつしやつたのよ」と細君は雙方を引合せて急須に湯を入れに立つ。梅ちやんは三藏を見ると額に汗をかいて固くなつてゐるので「此人はまだ初心だよ」と思ひながら同じく默つて坐つてゐる。細君は最前食ひかけの燒芋を新聞紙に乘せたまゝ持つて來て「塀和さんも梅ちやんも食べないの?」と言ひながら一本長いのを三藏に突き出す。「梅ちやんお上りな」と梅代の方へは新聞紙のまゝ一寸突きやつて、自分は兩肱を兩膝の上に突いて體を前にかゞめながら細君は皮をむく。「さう。おいしさうなおさつね。あなた如何です」と三藏の方に會釋して梅代は恐ろしいものをこは〴〵摘まむやうな指つきをして、其癖中で上等らしいのを目早くえりわけて、それから細君と同樣に兩膝の上に兩肱を突いて前かゞみになつて皮をむく。此時三藏は梅ちやんの横顏を初めてしみ〴〵と見る。鼻は細君より少し低いが口許は細君のと反對に可愛ゆらしくちんまりして顏立ちは全體に惡くない。只皮膚の荒れてゐるのと生え際の薄いのとが目に立つて見にくい。それでも頭は細君同樣つや〳〵した丸髷に結つて矢張り赤い手絡を掛けてゐる。


五十一


 暫く二人でおさつを食べ乍ら喋舌る。三藏にはわからぬ話が多い。默つて聞いてゐると又眠くなる。十風は歸つて來ない。蓬亭も來ない。便所に行く。掃除が屆か無いのか汚ない事夥だしい。鼻緒の赤い草履が片方は戸に挾まつてゐて片方は壁の隅つこの方に裏返しになつてゐる。手水鉢には杓が無い。手拭は古びてゐる。いつ掃除したともわからぬ庭には隣の庭から流れて來る雨水が溜つてゐる。一時明るくなつたと思つたに雨はじめ〳〵と降つてゐるのである。三藏は暫く縁に立つて鬱陶しい庭を眺める。もう春の末であるのに花らしいものは一つも庭に無い。若葉した錦木らしい木が板塀に壓しつけられるやうになつて茂つてゐる。縁日で買つて來たらしい鉢植が四つか五つあるが、いづれも今は何も生えてゐないで雨水が溜つてゐる。この鉢植をぢつと眺めてゐて三藏は淋しい心持になる。急に故郷が戀しいやうな考へが頭の中を過ぎる。其時座敷で大きな笑ひ聲が起る。取り亂したやうな締りの鈍いやうな笑い聲で、一遍靜まつたのが又抑へきれぬやうに起る。三藏は我に歸つて耳を欹てる。「本當に綾衣さん程だらしのない人は無いわねえ」と梅ちやんが言ふ。「あの人でもこれがあるんだから不思議さ」と細君が言ふ。「これ」と言つた時手附か何かで符牒でもしたらしいが三藏にはわから無かつた。障子を開けて座敷に這入る。二人の眼が三藏に集まる。「塀和さん退屈でせうねえ。もう歸つて來さうなものだのに」と細君は言ふ。「本當に靜かな方ねえ」と梅代は三藏を目の前に置き乍らほめる。「まだ塀和さんは綺麗なものよ。ねえ」と細君は妙な笑ひやうをして三藏の顏をちらと見て「まだ遊蕩あそびに行つた事なんか一度も無いでせう。きつと」と梅ちやんの方を見て言ふ。「まあ。さうなの」と梅代はさも〳〵驚いたやうな顏をして言つて「感心ねえ」と感服する。「だけれど、其内覺えまさあねえ」と細君は三藏の爲めに辯護するやうに言つて「ねえ梅代さん。塀和さんには錦絲さんがきつといゝわ」といふ。「さうねえ。そりやあきつといゝわ」と梅ちやんは笑ひながら言ふ。細君はぱくりと大きな口を開けて笑ふ。三藏は又眞赤になる。何だか愚にされたやうな心持もする。が同時に又その錦絲とかいふ女はどんな女であらうと想像して見る。尚續けて其女に就ての話が出るかと心待にしてゐるともう二人の間には外の話が持出されて又締りの無い聲をして笑ふ。梅ちやんの膝もいつの間にか少し崩れて足の腹の汚いのが三藏の方に突出されて居る。


五十二


 漸く十風が歸つて來て二人は臺所に退去する。蓬亭も歸る。三人で寢轉んで話す。「僕に少し餘裕があれば君一人食はしてやることは何でも無いが、佐野の奴の幕下で十五圓の給料では遣り切れないからねえ」と五十嵐は大きな聲で言つてカラ〳〵と笑ふ。相變らず目の中には悲痛な色が見える。「併し貴樣のは自業自得だ。うんと苦しむがいゝさ」と蓬亭は底力のある聲で十風に言つてそれから三藏の方を振向き「五十嵐はこれでも未だ自分で苦しむだけの勇氣があるが、君は駄目だらう。食客になると言つた處でさう容易に食客になれるものでは無し、小説を書いて飯を食ふなどゝいふ事は思ひもよらぬ事だし、學校生活が厭なら圖書館にでも通つて少しは勉強する必要もあるし、旁〻國許から續いて學資を送つて貰ふやうにしたらどうか。君からよく事情を打明けて國許へ相談してやれ。若しそれが出來ぬなら李堂か北湖先生位から照會して貰つてやらう。それから、其問題の落著する迄此處に厄介になつて居るがいゝ。其間の食料位己がどうかしてやる」と蓬亭は無愛嬌な顏をして居乍ら親切に言ふ。それから其日は行春の競吟をやる。「貴樣此頃駄目ぢやないか」と蓬亭は十風に言つて「山僧の方が大分旨いぞ」と一々三藏の句を批評する。其夜は蓬亭の御馳走で牛肉を食つて落語を聽いて蓬亭は寄宿舍に歸り、十風と三藏とは十風の家に歸る。蓬亭と十風とは落語を聽き乍ら頻りに笑つて興に乘つて居つたが三藏は少しも面白くなかつた。「君にはまだ解るまい。落語の面白味が解るやうにならねば駄目だぞ」と蓬亭は言つた。

 それから三藏は十風の家に四五日ごろ〳〵して居た。國許から返事が來て『高等中學退學は今になつて考へても殘念至極だが最早致し方がない。此上は目的通り早く立派な小説を書いて文名を中央の文壇に馳せるやうにしろ、澤山の學資は出せぬが月々八圓宛は送る。足らぬ處は自分で補充の途を講じろ』とあつた。それで下宿に居ては迚も足りぬから當分五十嵐の家に同居することになり、月々四圓宛食料を入れることにした。

 李堂にも面會した。北湖先生も訪問した。水月にも逢つた。圖書館にも行つて見た。圖書館では何を讀んでいゝのか見當がつかなかつた。只手當り次第に文學書を一二册借りて讀んで見た。淺草にも行き奧山の見世物をも觀た。見世物は皆面白いが中でも玉乘が一番面白いと思つた。

 李堂の家で運座があつた。初めて運座といふものに列した。三藏は意外にも二番であつて成績がよかつた。又二句許り非常にいゝ句だといつて李堂に激賞された。三藏は運座といふものは面白いものだと思つた。


五十三


 十風の暮し向きは餘程不如意に見える。或日細君が「塀和さん一寸十錢貸して下さいな、丁度今細かいのが無くつて困つてゐるのだが。十錢が無けりや二十錢でもいゝのよ」と言つて借りに來た。其顏には穩かならぬ色が見えてゐた。其日も其翌日も返さなかつた。三四日經つてから漸く「塀和さん此間は有難う。つい〳〵忘れてゐて濟みませんでした」と言つて光るものを無造作に三藏の机の上に置いた。其晩はいつに無い御馳走があつて十風は咳をしながら頻りに盃を重ねる。さうして三藏にも強ふる。それから「金が欲しいなあ。僕あ今は何にも欲しくない只金が欲しい。どうかして金儲けがし度いなあ。山僧君、君も文學なんか止せよ。はゝゝゝゝ。僕は豫言する。君でも僕位の年齡になつたら、屹度金が欲しくなるから。……只欲しくなるばかりぢやない金以外に欲しいものが無くなるから。……君には言はなかつたが此四五日なんか全く無一文だからやり切れ無いだらう。大概な物は曲げ込んでしまつてあるしねえ。今日やつと給料を前借りして來て息をいた處なんだ。それも君、もう三月許り前借してゐるんだからねえ。はゝゝゝゝ」と十風は細君が三藏から二十錢借りた事は知らんで居るらしい。

 それから暫く經つて十風と細君との間には雪駄に就て熱心なる談話が交換される。「あの佐野さんのは本當にいゝわ。あれになさいな」「あれは高價たかさうだ。いくらするだらう」「壹圓位のものだわ」「壹圓? そいつは驚くねえ。月給十五圓で壹圓の雪駄か」「だけれどもあれ位のにして置けば三月や四月は穿けるわ」「それもさうだねえ」其夜夫婦連れで直ちに雪駄を買つて歸りラムプの下で手から手に取り交されて「あの二圓のは本當によかつた。あれにし度かつたわねえ。塀和さんこれ幾らに見えます」三藏は困つて「僕には判らんですねえ」と言ふ。「まあ言つて御覽なさいな。一圓より上? 下?」「判らんですねえ」と三藏は更に標準が立たぬので正直なところを言ふ。「これでも壹圓二十錢よ。二圓のはそれはいゝですよ。佐野さんのはあれよりもまづいわ」十風は醉が醒めるに從つて雪駄についての興もさめて長い體を仰向けて寢て目を瞑つて居る。壹圓二十錢の雪駄を買つて得意な細君、(みすぼらしい姿をして格別不平もいはぬ細君)毎日佐野の下に使はれて口をするだけの收入も無い境遇、此頃は小説は固より俳句すら作る勇氣のない墮落、肺病、貧、闇といふやうな感じが全身を襲ふ。ふと目を開けて見るとラムプの下に壹圓二十錢の雪駄が輝いてゐる。自分の生命は固より一家の運命は今繋つて此雪駄にあるやうな心持がする。

 それでも翌朝になると十風は其雪駄を穿いて出勤する。さうして何處やら得意の心が動く。細君は廓に出入する時の十風の時めいた姿を此雪駄一つで取り返したやうな心持がする。それから長火鉢の前に獨り坐つて一時間も灰を掻きならし乍らぽかんとして考へるとも無く考へた末、又おいもでも買つて來て食べようかと思ふ。


五十四


 三藏は又小説に筆を執りはじめた。が例によつて澁滯して筆は容易に進まぬ。「塀和さんお茶が這入つたからいらつしやいな」と細君の聲がする。筆を投げ捨てゝ出掛ける。細君の話は大概極まつてゐる。朋輩女郎の話で無ければ『二じき鹿尾菜ひじき』といつたやうな所謂苦界の勤めの悲しい囘想談である。三藏が或時思ひ切つて「一度は行つて見度いな」と言ふと、細君は意を得たらしくぱくりと口を開けて笑つたが、其癖「およしなさいよう、熱くでもなつたら大變だわ」と言つて不賛成を唱へた。「熱くさへならなけりやいゝでせう」と三藏は言つたが細君は相變らず大きな口を開けて笑つてゐるばかりで何とも言はなかつた。

「十風君酒を飮まうか」と三藏の方から言ひ出すことがある。「飮んでもいゝさ」と十風は答へるが心の中で「もうあの酒屋は貸してはくれまい」と考へる。「ぢや飮まう。僕が買つて來よう。奧さん徳利を貸して下さい」と三藏は自分で出掛ける。それから二人で飮む。ビールの空瓶に一杯の酒を瞬く間に飮んでしまふ。「おい三河屋へ行つて當つて見ろ」と少し醉うた元氣で十風は無理なことを言ふ。「迚も駄目ですよ。此間はお味噌まで斷られたのですもの」「もう無くなつたのですか。金ならこゝに在る。奧さん御苦勞ですがそれではこれを持つて行つて下さい」と三藏は財布を其儘細君に渡す。それから二人は文學上の氣焔を吐き合ふ。十風は嘗て書かうと思つた小説の趣向を話す。三藏は面白い〳〵と頻りに歎美する。それから今度は自分の書かうと思ふ趣向を話す。十風はそれは振つてる、しつかりやり給へと勵ます。何でも文學界を我黨で占領する時が來ねば駄目だ、さうだともと互に調子づいて來る。二度目の酒も飮み盡した頃、「おい塀和を一度連れてつてやろか」と十風は細君に言ふ。細君は「およしなさいよう」と言つて笑ふ。初心うぶな三藏が初めて女に接する時の容子が想像されて、見度いやうな心持がせぬでも無い。其上一度戰場を經て來た古兵としての十風も細君も此新兵に對して一種の誇を感ずるので連れて行つて見度い心持もする。けれども細君は十風の同伴することは斷じて承知が出來ぬ。「塀和さんをだしに使つて自分で遊ぶ積りだわ」といふ考へがすぐ其瞬間に起つて、細君は妙な眼附をして十風の顏を見る。此眼を見る時はいつもくすぐつたいやうな氣持がして十風は覺えずハッハッハと高笑ひをする。これがもう細君の妙な眼附が功を奏した證左になる。三藏は此間の錦絲とかいふ女郎の名まで思ひ出して竊に十風の談話の進行を待つて居るが、十風はもう鼾を掻いて寢て居る。三藏も亦醉に敵しかねて眠る。細君は皿も茶碗も汚れたまゝで臺所に置いて一摘みの漬菜を指で摘んで口へ入れ徳利の底に殘つた冷たい酒を一息に飮む。十風は明方に苦しさうに咳く。


五十五


 北湖先生と三藏とは或日何處かへ散歩の歸り日本橋通り二丁目の横町に這入つて、宇治の里御茶漬とある格子戸造りのうちに這入る。「あのうしんじよわん盛を一つ、それからゆばうまにを一つ……あのう」と北湖先生は急がしげに財布を懷から出して其中から長い指で二十錢銀貨を一つ摘み出されたが三藏の方を見て「山僧君あなた酒はどうやらでやすな。少しはいけますか」と調子の高い聲で早口にいはれる。三藏は今朝から北湖先生のコンパスの長い脚で大股に歩かるゝのについて歩いておまけにもう一時を過ぎてゐるし、願くは牛肉か何かのぢやあ〳〵煮え立つ強い匂をかぎ度いのであるが「私は此宇治の里が昔から好きでやしてな。どうでやす一つお附合ひなすつては」といはれるので、どんなお茶漬か知らぬが仕方なしに辛抱する事と觀念して這入つたのである。扨てお誂へはと聞いて居るとしんじよとやらの椀盛にゆばの甘煮とやらでやれ〳〵と思つて失望を重ねて居る矢先酒とあつたので俄に勇氣を恢復したやうに覺える。「少々は飮みます」と景氣よく答へる。「それでは姉さん御面倒ぢやが、これでお酒を」と二十錢銀貨をボンと疊の上に投げられる。十二三の小女こおんなが命を聞いて銀貨を握つて立つ。「これが山僧君面白いでやせう。あそこにも張出してある通り、酒に限つて前錢で無いといけぬ事になつてゐるのは、詰り此處は七錢でお茶漬が食べられる、そのお茶漬といふのが今持つて來るとすぐ解りますが一寸した煮〆と煮豆といり豆腐と漬物と飯とで、其上に椀盛だとか甘煮だとかいふものが三四品だけ別に出來る事になつてゐる、それで飯を食つて歸るだけの料理店なので、酒は餘分の註文になる、其餘分の註文をするのには前錢で無けりやならぬ、あの今出した金で酒を買つて來てさうして飮ませて呉れといふ譯になるのでやすな。又此處に限つてあの酒は徳利に入れずに屹度土瓶に入れて來る。それも表向は何處までも酒とせず茶として取扱ふらしいです。面白いでやせう」と北湖先生は頻りに興に乘つてゐられる。三藏は「さうですねえ」とひもじいのを堪へて返答してゐる。其内膳が來る。成程土瓶が來る。蒟蒻や燒豆腐の煮〆を食つて土瓶の酒を飮む。俄かに勇氣が出る。椀盛が來る。これが即ちしんじよなるものであらう。「どうも淡泊でいゝでやすな」と言つて北湖先生はそのしんじよに大きな齒形を殘して盛んに召上る。「此淡泊な物を食ふ所が日本人の特色で、脂こい物を好む西洋人はどうしても夷狄でやすな。どうでやす。あなた却〻酒がいけますな。餘り澤山は勸めぬ方がえゝが、此殘つてゐるだけはお上りなさい」と土瓶を三藏の膳の上へぱたんと置かれたかと思ふと「姉さん御飯を」といはれる。御膳が早速來る。北湖先生は杓子を突込んで一すくひすくつて召上る。「これは少し硬いよ」と顏をしかめられたが瞬く間に其一杯は食べてしまはれて、二杯目をよそはれる時、杓子でべた〳〵と飯を叩いては捏返し、捏返しては叩かれる。「斯うすると少しは柔かくなりますてや」と言つて又二杯目を瞬く間に召上る。


五十六


 一鉢の牡丹が床に置いてある。一輪の深い濃い殷紅色の大きな花は既に半ば崩れて三四片鉢の上にこぼれ、鉢に餘つたのが二三片更に床の上に飜れてゐる。雄蕋も亦半ば摧けて黄い花粉が散亂してゐる。「牡丹散つて打重なりぬ二三片、といふ蕪村の句は此所でやすな」と北湖先生は楊枝で齒をつゝき乍らいはれる。三藏は少し葉蔭になつてゐる他の一輪をなつかしく見る。最前此處に來た時はまだ堅い莟だと思つてゐたに今氣がついて見ると既に三分方開花してゐる。見る〳〵うちに花瓣は脹れる。新らしい光澤のある大きな瓣の相擁いてゐたのが手をゆるめる。去年の冬より籠めた力が此一時に發するやうに花は滿身の力を籠めて開く。今まで葉蔭にあつた莟は程なく一木の枝頭に大きな黄金の盤と輝いて、其莟を隱してゐた二枚の葉は三枚の花瓣の爲に忽ち壓伏される。「先生牡丹の莟が開きました」と三藏が言ふ。手帳を出して今日散歩で得た句を推敲して居られた北湖先生は「はゝあ」と手帳を開けたまゝ牡丹の方に目をやつて、「成程、これは美しいでやすな」と一寸賞美されたがすぐ又手帳の方に見入らるゝ。三藏は尚熱心に牡丹を見る。開いた花瓣は空中に所謂蓮峰を聳かして尚此峰の開くを見よと微動を示してゐる。腹が滿ちた上に醉をも發して今元氣の充滿した三藏は此牡丹の力に感奮して見てゐる。盃の底にある一二滴のしたゝりを音をたてゝ啜る。小説が書き度いと思ふ。こゝまで考へて急に勇氣の頓挫を感ずる。半ば崩れた牡丹は又一瓣をほろりと飜して妖艶の癡態を憚りも無く見せつけてゐる。十風の細君を思ふ。梅代を思ふ。まだ見ぬ錦絲を想ふ。十風の現在と自分の未來を想像して墮落を想ふ。見ると北湖先生瘠せた顏をしかめて肩の邊に大きな皺を寄せ尚句の推敲に餘念もない。腹も充ちた上に醉をも發した三藏は少しうつとりとする。「山僧君の得意な句はどういふのでやすか」といふ北湖先生の聲に呼び醒まされて手帳を取出して二三句の批評を乞ふ。「面白いでやすな。それは新らしい」と頻りに讃められる。三藏は尚得意な句を手帳の中から探し出して讃辭を待つ。今度は又先生の句をも評する。議論をする。三藏の頭はいつの間にか俳句で占領されて歸路は北湖先生の宅に寄つて更に句作に耽る。


五十七


「塀和さんがねえ。昨日態々十二錢返しに行つたんですつて。格子までサ。それから上りもしないで歸つて來たんですつて。全く初心うぶね」といつて細君は笑ふ。十風はハヽヽヽヽと噴き出して「錦絲が立てかへたのか」「さうなの」「此頃頻りに行くぢやないか」「何でももう三四度は行らしつたでせう」「誰が伴れて行くのだらう」「どうも一人らしいですよ。今日も通帳を借せといつてあの洋服を質屋に持つてらつしやいましたよ。洋服は澤山借しませんよ、木綿でも和服の方になさいといつたんですけれど和服ではもう入質いれる物が無いのですつて。あの調子だと此月の食料など怪しいものだわ。どうかしないと困るわ」と細君は顏をしかめる。ハヽヽヽヽヽと十風は三藏の初心なのを可笑しがつて又噴き出す。「あれから三四度も行つたのか。全體行つてどんなことをして居るだらう」「さうねえ」といつて細君は笑ひ乍ら考へる。自分の出て居た時分出逢つた事のある初心な客の事を思ひ出してゐるらしい。其細君の顏を見て居た十風はハヽヽヽヽヽと最前來のと違つて又異樣な笑ひやうをする。細君は驚いて十風の顏を見る。ハヽヽヽヽと十風は更に異樣な笑ひやうをする。細君はよく此笑ひの意味を知つてゐる。十風の心に多少嫉妬の心の動いた時必ず一二度斯ういふ笑ひやうをしてそれから何でも爲すこと言ふことが荒々しくなるのが常である。「何がそんなにをかしいの?」と細君の方でも聲を荒らげて先づ其鋒鋩を挫かうとする。十風は俄に眞面目な顏になつて默る。暴風の前の靜かさのやうで氣持が惡い。「怪しいわ思出し笑ひなんかして」と細君は十風の手を握つて眼の色にものを言つて見せる。十風は大きな舌打を二度許りしてまだ默つて居る。「厭な人舌打なんかして。そんなに私が厭ならどうかするといいわ。あの誰やら? さう〳〵長春ながはるとかいふ女義太夫と取つ替へるといゝわ。くやしいッ」と細君は何所までもかさにかゝつて出る。其癖眼には十分の優しい光りを見せる。細君が廓に居た時の事を囘想する素振りが見えると十風の心にはすぐ不安の念が起る。それには自分の競爭者であつた古宮に對する嫉妬心も手傳ふ。又今の境遇の貧しさから起る僻みも交る。細君はこれに對する呼吸をよく心得て居る。「ねえ。長春から又手紙でもよこしたの? 商館みせの方へでも逢ひに來たの? こりやをかしい默つて居るのはをかしい。おや笑つたのは尚をかしい。さうに違ひ無い。くやしいッ」と言つてくすぐる。十風の不安の念はいつの間にか頭の中を過ぎ去つてしまつて遂に又こらへ切れずにハヽヽヽと笑ふ。もうからりと晴れたいつもの笑ひやうである。程なく手拭と石鹸とを提げて湯に出掛ける。あとで細君は長火鉢の前に膝を崩して坐つて眉根に皺を寄せる。いつまで貧乏をして居るのだらうと思ふ。だつて今更どうすることも出來ないわと思ふ。どうかなるやうになるのさといふいつもの考へに到著する。蚤がむづ〳〵と這ふ。細君は指尖に唾をつけて其痒い處を探る。


五十八


 其夜十一時過ぎ若竹がねてぞろ〳〵と人の出る中に十風夫婦と三藏とが居る。「塀和さん行き度くは無いの?」と三丁目の角を曲る時に細君は笑ひ乍らいふ。いづくら横町を通る頃はまだ大勢の人であつたが砲兵工廠の長い塀に添うて富坂を上る頃は淋しくなる。「山僧君あまり熱心になつちやいけないよ。君のやうに眞面目なのは一番險難けんのんだからなあ。第一君、女郎が立替へたりする事は極めて普通の事なんだ。それも澤山なら兎も角、十二錢許り立替へて貰つたつてそれを感謝して態々返しに行くなんて餘り初心過ぎるぢやないか。ハヽヽヽヽ」と十風は笑ふ。三藏は默つて返辭をせずに歩く。暫く歩くにつれて先刻迄自分の頭を支配してゐた小光こみつの事が又思ひ出される。竹本小光といふのは今日の眞打であつた。十風がよく譽めてゐた長春といふのは切前もたれを語つた。其長春が高座に上つた時十風と細君との無言の間の暗鬪が餘程をかしかつた。中入になつてから「どこがいゝの」と細君は冷淡に言つた。「ハヽヽヽヽ」と十風は先づ笑つて「第一あの眼附がいゝさ」と言つた。「さう」と細君は餘所々々しく返辭をして「塀和さんあなたどう、私あんな眼附大嫌ひだわ。助倍すけべいつたらしい」と厭やさうな顏をして言つた。客の多くは長春を聽きに來たものと見えてぞろ〳〵と歸つた。十風も歸らうと言ふのを細君は承知しない。「私は長春なんか聽きに來たのではないわ、私は小光を聽きに來たのだわ」と言つて動かない。愈〻切になつて小光が出た。三藏は初めは何とも思つてゐなかつたが、聽くに從つて節𢌞しが旨いと思ふ。又聲が本當に修練した聲だと思ふ。頗る感服する。長春などの比では無い。それに拘らず客の半分程はもう歸つてしまつた。大いに同情の念に堪へん。年齡はもう二十四五でもあらう。それとも七八かも知れぬ。まだ十七八の長春なんかに比べると稍〻姥櫻の感はあるがそれでも少し苦味走つた顏立がまだ若々しく美しい。下足を受取り乍らも恍惚として心は小光のあたりに飛ぶといつたやうな心持でぼんやりして表に出た。先刻細君が「塀和さん行き度くないの?」と言つたのもあまり強く頭には響かなかつた。


五十九


 十風に北海道の支店の方へ行つて見てはどうかといふ話が佐野からあつた。「東京の本店に居てはとても當分の處増給がむづかしい。北海道で辛抱する覺悟なら七圓増して二十二圓は出せる。それも永くとは言はない先づ二三年だね。司にもよく因果を含めて一つ奮發しろよ」と佐野は言つた。十風の頭には此頃もう金より外に問題は無い。「己は行き度いが兎も角歸つて相談せう」と言つて歸つて來た。細君は「北海道?」と先づ驚いた。「札幌? 函館?」と三藏は傍から聞いた。「函館さ」と十風は答へて、旦暮あけくれ漬物で茶漬を掻込んで、質の出し入れに許り苦心してゐるやうでは東京に居ようが札幌に居ようがたいした相違がある譯では無い。七圓でも給料が上つて少しでも生活難が輕くなれば、それが何よりだと心で考へる。「物價は高いとはいふものゝ東京程ではないさうだし、少しは氣樂だらうと思ふ。どうだ行くと極めちやあ」「さうねえ」と細君は鼻の穴に白い人さし指を入れたまゝ親指で顋を支へて考へる。「二十二圓貰へりや少しは樂は樂ね。でも冬は隨分寒いんでせう」「そりや寒いに極まつてるサ」「行くとなれば何時立つんです」「何でも急に行つてくれとの事だ。店員が少ない上に急に缺員が出來たのださうだから」「さう」と細君の顏色は冴え無い。何だか一座が白けて陰鬱な氣が室内に籠る。三藏も默つて考へてゐる。細君の顏を見る。細君の顏の何處やらに小光に肖た所がある。目許でも無い口許でも無い。さうだ生え際だ。揉上げの邊から生え際がよく肖てゐる。あれから三晩續けて行つて愈〻その技倆に感服する。三藏はぢつと細君の額に見入つてゐる。細君の顏色は益〻冴えない。十風の癇癪は遂に破裂する。「貴樣ッ厭やなのか」細君は默つてゐる。「己が生活に苦しんでゐる事が貴樣には解らんのかッ。怪しからん奴だ」段々急込せきこんで來てコン〳〵と咳をする。目に涙が一杯たまる。傍らにあつた茶碗をはつしとぶつゝける。細君の柔かい肩に當つて音を發する。細君は怨めしさうに十風の顏を見る。目には光がある。さうして言葉は落著いてゐる。「行きますわ。何處へでも行きますわ」さういつて耐へ切れずに泣く。「何にもあなた一人苦しんでいらつしやるのではないぢやありませんか」此言葉は十風の胸を貫く。尚威丈高になつてゐる十風の眼には涙が愈〻漲つて來る。


六十


 十風夫婦は愈〻明日立つといふ事になつて、其前の日梅代が來た。旦那について此間暫く旅行してゐたとかで手土産をも持つて來た。「北海道つてあの金龍さんのとこなんでせう」と梅代は十風に聞く。「金龍? さう〳〵あれは北海道の女だつたね」と十風は餘所々々しく返辭をして手紙を書いて居る。それは李堂に宛てゝだ。此頃李堂と十風との間は自から疎遠になつてゐる。李堂は十風の墮落を歎息してどうかしてそれを激勵せうとして極端な忠告をも試みた。十風は其手紙を引裂いて腹を立てた事もあつたが二三日して感謝の手紙を出した。けれども自然兩者の間に隔てが出來る。此頃は漸く三藏によつて互の消息が判る位で、殆ど二人の間の交通は絶えてゐた。三藏はそれを心配してゐるがどうも致し方が無かつた。李堂は又三藏が十風の轍を踏まなければよいがと竊に憂慮してゐたが、只三藏は十風に反し日に増し俳句が上手になるので先づ〳〵安心してゐた。肝腎の小説の方は書くとか書いてゐるとか言つてゐる許りで、少しも進行せぬらしいが、それでも俳句に十分の進境が見えるのは頼母しいと思つてゐた。

 扨て十風は今度出發前一度李堂に逢ひ度いと思つたが、どうも氣分が進まぬので手紙を送つて別意を敍することにした。李堂に對して手紙を認める時には、流石に人よりも天才を以て許され自分も亦竊に任じて居つた當年の意氣が呼び戻さるゝ。一婦人に對する戀情から今自分は北海道に迄落ちて行かねばならぬのかと思ふと情無いやうな腹立たしいやうな心持もする。梅代はそれに頓著なしに又話掛ける。「それつてばねえ五十嵐さん、此間池永さんに逢つてよ。それ金龍さんが初會惚をして大騷ぎをした。濱町邊の若旦那とかいつた二十四五許りの……」五十嵐が默つてゐるので、「姉さんあなた知つてるでせうあの池永さんサ」「アヽアヽ」「此間汽車に乘り合はしてね。向うも慥か氣がついたらしかつたけれど、これが」と小指を出して「居たので澄ましてるのサ。本當にをかしかつたわ。だけれど金龍さんが騷いだのも無理は無いわ全く意氣ね」「おやおや梅ちやんも岡惚れ?」「アヽ」「やり切れ無いねえ」ハヽヽヽヽと二人寄るといつもの通り底のぬけたやうな笑ひやうをする。十風は厭な顏をして手紙の封をする。「北海道の方はまだ寒いだらう。胴著が一枚欲しいがあれだけ出質だして行かうか」と十風は細君の顏を見る。「外のものと一緒に這入つてるのだからあれだけ出質だすにしても利子が大變だわ」と細君は十風の顏を見る。三藏は何だか足らぬ勝ちの旅仕度を氣の毒に思うてゐたので「胴著なら僕のをやらう」と言つてガランとした行李の中に轉がるやうに這入つてゐたのを出して來る。見ると絹ではあるが餘程古びたもので襟垢のしたゝかに附いてゐるのが目に立つ。細君は「さうだけれど塀和さんも又る事があるでせう。そんなにして載かなくつてもいゝのよ。ねえ貴方」と言つて目くばせをする。「さうとも。有難うだが仕舞つて置いてくれ給へ」と十風も襟垢には少し閉口する。「なに僕は要らないのだ。それでも無いよりはいゝだろ」と三藏は眞面目だ。「だけれど……」と細君は再び辭退せうとするのを「全く要らないのです。お持ち下さい」と三藏は飽迄も勸める。「さう。では……」と細君は不精無性に受取つて「戴いときませうかねえ」と情なさうに又襟垢を見る。「全く御親切だわねえ」と最前から容子を見てゐた梅代はをかしいのをこらへてばつを合はす。


六十一


 十風夫婦は愈〻北海道に行つた。三藏は其日新聞や書物をつめた行李を車に乘せて、自分はラムプを提げて車のあとについて本郷臺町の下宿に移つた。下宿屋は五室許りほか無い。三藏の部屋は二階の四疊半で、天井が低い上に三尺の中押入が不恰好に突出てゐる。障子を開けると桐の葉がかぶさりかゝるやうに茂つてゐる。三藏は其暗い障子に向つて机を据ゑて頬杖を突いて考へる。十風のうちに居た時は四圓の食料を拂つたり拂はなかつたりしてゐながら國から送つて貰ふ八圓の金では足らぬので著物は大概曲げ込んでしまつた。此處の下宿料は四圓五十錢其上炭油茶等皆別に支拂はねばならぬとなると八圓では迚もやり切れさうに無い。それで別に收入の途があるでも無し儉約するより外に仕方が無い。又いつまでも斯んなにぐづ〳〵して日を暮らしてゐるわけにも行かぬから早く一篇をおほやけにし度い。今度をいゝ機會にして一勉強せうと決心して、毎日五時間は必ず讀書若くは創作を試むることゝして三四日は一圖に勉強した。尤も筆を執ると例によつて澁る。まゝよと書物を開いて讀む。只讀む。手當り次第に讀む。四五日目に少し厭になる。俳句を作る。面白い。近作百句を李堂に送つて評を乞ふ。李堂は大いにそれを激賞して來る。圖に乘つて又作る。又讃められる。興の無い讀書に耽るよりも遙に面白い。育英會寄宿舍も近くなつたので北湖先生、蓬亭をも屡〻訪問する。蓬亭は新聞社に通勤して歸つて來ると一葉集を讀んでゐる。芭蕉の戀を研究して見るのだといつて『紅梅や見ぬ戀つくる玉簾』などゝいふ戀句に就ては格別の見解を持つてゐる。三藏は大いに感心して自分も一つ其角の句でも研究して見ようと思ひ立つて李堂から焦尾琴や花摘などを借りて歸つて讀んで見たが何處から歩を進めてよいか見當がつかぬ。夕方になると何となく淋しくなる。何處かへ出掛け度い。李堂を訪はうか。育英會へ出掛けうか。久振りに水月に手紙を書かうか。どれも餘り氣乘りがせぬ。考へが錦絲に及ぶ。行き度い。併し金が無い。念の爲め蟇口を開けて見る。二十錢ある。二十錢では錦絲は斷念せねばならぬ。第二に小光! さうだ、神田の小川亭に掛つてゐる。彼女あれを聽きに行かう。いま點けたばかりのラムプをもう吹き消して出掛ける。

 中入がすんで例の如く御簾が上ると小光が見臺の上に美しい髷を見せて辭儀をしてゐる。「語ります太夫竹本小光、愈〻辨慶上使の段東西東ザーイ」と拍子木がなる迄、小光は見臺の横から偸み見をするやうにぢつと客の方を見る。これは小光の癖であるが、今日はどういふ譯だかその視線がぢつと三藏の方に向つてゐて動かない。三藏はまぶしいやうな氣持がする。それから小光は顏を上げて三味線の調子を合せながらも尚時々三藏の方に流眄ながしめをくれる、其夜は醉うたやうな心持で歸つて來る。翌日又出掛ける。昨夜と同じ處に坐つてゐると果して又鋭い秋波をあびせかけられる。


六十二


 一週間許り三藏は一日も缺かさず小川亭へ通つた。毎日同じ處に坐つて同じやうに秋波を浴せかけられてそれで滿足して歸つて來た。今夜は止めうと考へることもあるが御飯が濟んでラムプに火をともす頃になると淋しくなる。行き度い。矢張り大勢の人のぞわ〳〵と往來してゐる小川町邊が戀しい。「らつしや──い」と言ふ力強い下足番げその聲が聞きたい。御簾の奧に灯つてゐる灯火あかりがなつかしい。御簾が上つた瞬間にさつとなげかけられる小光の眼の光り! ラムプの火を小さくする。どうせうかと今一度躊躇する。終に思ひ切つてフッと吹き消す。危なげな段梯子を勢ひよく降りる。「又お出掛け?」と下宿の女將かみさんが言ふのを聞き流してついと出る。それから本郷の通りをぐん〳〵と歩く。お茶の水橋を渡つて小川町に突進する。

 三藏は或時蓬亭に熱心に小光を紹介した。是非一度聽きに行き給へといつた。蓬亭は「馬鹿な。高が女義太夫だ、あんな奴は君藝者や娼妓も同じ者だ。關係なんかしてはいかんぞ」と大きな聲で目を三角にして叱りつけた。さうしてハヽヽヽヽと噴き出すやうに笑つて「君のやうな初心な男は險難けんのんだぜ自分で注意しないと。小説家になるには女に近寄る必要もあらうが、少し横著な心を持たんといかん。女義太夫を藝術家だなぞと考へてゐるやうでは險難けんのんでしやうが無い。ハヽヽヽヽ」と又大きな聲をして笑うた。それから「僕は三四年前大阪に居た頃親戚の藝者屋の家にゐてあゝいふものゝ内幕はよく知つてゐる。其爲め道樂をせうといふ考へは餘り無いし、した處で別にたいした刺戟も受け無い。君等でも内部の事情を知るのはよいが溺れてはいかんぞ」と蓬亭は荒々しい言葉で而もいつもの通り親切な忠告をした。


六十三


 小光は小川亭が濟んで吹抜亭へ掛つた。三藏は近くなつたので得意になつて行つた。其次は本所の廣瀬亭といふのへ掛つた。本所といふ處へはまだ一度も足を踏み入れたことが無かつた。町名も人に聞いて出掛けた。此邊と思ふ處を探し𢌞つたが寄席らしいものが無い。交番で聞く。「此邊に廣瀬亭といふ寄席はありませんか」巡査は怪し氣な目をして三藏を見下してゐたが「ある」と言つたばかりで口を閉ぢて默つてゐる。「どう行つたらいゝですか」と聞く。「ウヽ廣瀬亭か」と言つて又一寸默つてゐたが「この先の四ツ角を右へ曲つて行くとすぐ右側」と餘所見をし乍ら低い聲で言ふ。大分薄暗くなつた町を心細く思ひ乍ら行くと四ツ角に出る。右へ曲ると角い行燈が見える。行つて見ると果して竹本小光と大きな字で書いてある。這入る。若竹や小川亭や吹抜などは學生が多かつたが此處は職人や老人などが多い。遙々本郷西片町から出掛けて來た書生さんは誰の目にも目立つと見えてぢろ〳〵と人が見る。三藏は帽子を目深に被つて立て膝を兩手でだいて小さくなつて坐る。今迄の寄席は皆廣かつたのでいつも三藏の坐る處から高座までは大分距離があつたが、この廣瀬亭は狹い。後ろの方に坐つても高座はすぐ鼻先にある。高座からもすぐ目につくと見えて皆三藏を見る。小光の弟子で光花といふ切前もたれの前を語つた子供上りの丸つぽちやなどはぢつと三藏の方を見て罪の無い笑顏すら見せた。「あの人は何處へでも來るのねえ」と若し樂屋で皆が自分を評し合つてゞもゐはしまいかと考へて三藏は極まりが惡かつた。中入に便所へ立つ。此處の便所は位置は樂屋の横手に在る。三藏は何心なくつッと這入らうとするとバタ〳〵と小刻みの草履の音が聞えて内から戸が開く。見ると小光だ。白粉でよごれた平常衣ふだんぎの襟をくつろげて今化粧を終つたらしい首を突出してゐる妖艶な姿に見とれる間も無く、「お待遠樣」とろく〳〵三藏の顏は見ず嗄れたやうな聲で挨拶し乍らついと擦れ違つた。


六十四


 李堂を中心にしてゐる俳諧黨の活動は漸次歩を進めて來た。李堂は今一年といふ處で大學を止めて新聞記者となつた。既に其前から其新聞紙上で俳話をおほやけにして元祿の俳句の復興を唱道してゐたのであるが新聞記者となつてからは愈〻其旗幟を明かにして盛んに論陣を張つた。從つて三藏も時々俳諧や俳句入りの紀行文のやうなものを其新聞に載せる事もあるが、夜になると相變らずラムプを消しては出掛ける。廣瀬亭から芝の琴平亭、四谷の喜よし亭、牛込の和良店わらだな、淺草の東橋亭、麹町の青柳亭、小石川の初音亭と東京中の主な寄席は大概知らぬ處が無い位に小光の跡を追うて出掛ける。尤も日を經るに從つて藝術家小光の神聖も段々疑はれて來る。印半纒を著た男が大きな鮨皿を景氣よく肩の上に支へて樂屋に這入るのを見たことも五度や六度では無い。或時例の内弟子の光花が自分の坐つてゐる席の後ろの障子の透間から「旦那只今は有難う」といふので驚いて振返ると、何の事だ自分の横に坐つてゐる角帶を締めた若旦那らしいのが鷹揚に振返つて點頭うなづく。すると光花が「おッ師匠しよさんが一寸樂屋まで來て下さいましつて。……えゝすぐなのよ」と言ふ。すぐ行くかと思つてゐると態々十分も經つてから悠々として出掛けて行つたのなぞを見た事もあつた。其後よく氣をつけて見ると偶然にも自分の坐りなれた處はさういふ馴染客が坐る處らしく、自分獨りの爲めの秋波かと思つたのが何ぞ計らん此邊一帶のものゝ上に公平にあびせかけらるゝものならんとは。三藏は少なからず氣色を損じた。さうかといつて其日から斷然足を運ばぬことに極めたといふわけでも無い。相變らずラムプを消しては出掛ける。


六十五


 二十一歳の暮には流石に感慨が多かつた。三藏は處女作をどうする? と自分で自分を責めたが尚筆を執る勇氣が無かつた。二十二歳の新年は水臭いやうな下宿屋の酒をよく飮んだ。俳句を作ることは作つたが去年程は作らなかつた。ラムプを消して出掛けることは依然として變らなかつた。

 或晩蕎麥屋で二合餘りの酒を飮んで思ひ切つて早く出掛けた。けふからは茅場町の宮松亭にかかつてゐるのである。まだ暮れ切れぬので閾の上に鹽が高く盛つてあるのが目につくばかりで下足は一足も掛つてをらぬ。三藏は躊躇した。と同時にすぐ此寄席の隣りに草津といふ料理屋のある事を思ひ出した。此瞬間三藏の頭には大膽な考へが閃く。別に考慮する遑も無く寄席の前を通り過ぎた足がすぐ草津の門を這入る。「らつしや──い」といふ下足の男の勇ましい聲が打水のしてある玄關横から起ると、一人の女中がちらと姿を見せて「おやお客樣」と獨り言を言つて「どうか此方へ」と澄した顏をして先きに立つ。

 廊下傳ひに行つた段梯子を登る時三藏は氣がついて内懷に手を入れて見る。ある〳〵。銀貨や紙幣で脹れた蟇口がちやんとある。三藏は育英會寄宿舍の賄方と心易くなつて其周旋で或金貸しから今朝十圓の金を借りたのである。

 三藏は初めて料理屋にあがる。同級生の會合なぞで一二度行つたことはあつたが一人であがつたのは初めてである。女中はまだ十八九の一寸澁皮のむけた女であつたが相變らず澄した顏をしてゐて口數を利かぬ。「おあつらへは?」と料理札を突きつけたまゝで冷淡に餘所見をして居る。三藏は困つたなあと思ふ。


六十六


 程なくあつらへた肴が二三品載せられて膳が運ばれる。女中は默つたまゝで酌をする。三藏はつゞけ樣にひつかける。一向醉は無い。女中はいつまでも默つてゐる。だまつて銚子を取上げて酌をして其まゝ立上つてつんとして行つてしまつた。

 大いに悄げて居る處へ、ばた〳〵と足音がして障子ががらりと開いたと思ふと「おや。お徳さんは居ないのですか」と景氣のいゝ聲がする。見ると五十餘りの小さな銀杏返を結つてゐる女中で、見苦しい顏ではあるが前の女中とは全く違つて生き〳〵としてゐて愛嬌があるので三藏は覺えず釣り込まれて「さつきから獨りぼつちサ」「まアさうですか。それは濟みませんでしたねえ」といひ乍ら自分で這入つて來て、一寸襟をいなし乍ら銚子を取つて「お一つ」と酌をする。三藏は受けて「あの女中お徳さんといふのかい」と聞く。「さうですよ、いゝでせう」「さうねえ」「まあ何處へ行つたんでせう。すぐお徳さんをよこしますよ」といひ乍ら立上る。三藏は慌てゝ留めて「あのう一寸君に聞いて見たい事があるのだが、……君の名は何といふの?」「厭やですよ、どんな大事件號外附録の用事かと思つたら、私の名?……聞いてびつくらしちやいけませんよ、これでもお若よ、ハヽヽヽヽ」と又立上らうとする。「一寸待つてくれ給へ。實はその、隣の寄席にかゝつてゐる女義太夫ねえ」と三藏はお若の顏を見る。お若は腰を下して呑込顏に、「はあ〳〵。誰かお馴染があるの? 呼びにやりませうか」「實はその、馴染といふわけでも無いのだが突然呼んでも來るものだらうか」と三藏はきく。「來ますともさ」とお若は無造作に言つて「誰です」ときく。「小光さ」「小光ですか」とお若は一寸考へて「兎も角言つてやつて見ませう」と言ふ。「小光は此處へ來た事があるかね」と三藏はきく。「えゝ〳〵よくいらつしやいますよ。大人しいお師匠さんですよ」と言ふ。


六十七


「本當にお氣の毒樣ね」とお若は三藏の顏を一寸見た目を外らして銚子を取上げ「明晩もう一度いらしつて下さいな。明晩ならきつと來られると申しますのですから」と酌をする。三藏は「あゝ明日又屹度來るよ。どうだ一杯やり給へ」と盃をさす。「さう。有難う」とお若は一寸襟をいなし乍ら受取つて「全く當てにしてゐた人の來ないのはくやしいものね。私でも覺えがあるわ。ハヽヽ。お徳さんお銚子のお代り」最前からお徳も來てはゐるのだが三藏がお若一人を相手にしてゐるので、詰らなさうにお若の後ろに坐つてゐたのが空いた銚子を持つて立上る。お若はお徳の後ろを見送つて「あなた本當にまだ小光さんに逢つた事無いのですか。さうですか。それでは他の方には? 英之助さんにも? 小米さんにも? それつてば小米さんはもうお腹がこれだつて本當なのでせうか」と兩手で膝を抱へるやうにして見せて「はあ、さうなの。相手は御醫者樣だともいふし學生の方だともいふし、どうせさうはつきりわかりつこは無いでせうよ。何にせよ隨分早いのね。まだ十八にもなりますまいにね。……小光さん! 小光さんは堅氣でせう、えゝ〳〵あまり厭な噂は聞きませんよ」お若は盃をかへして、顏をしかめながら一寸櫛で頭を掻いて「そりあねえ、どうしても商賣が商賣ですから。いくら堅氣だといつたつてさうお邸のお孃樣のやうには行きませんや。……」お徳は新らしいお銚子を持つて來てお若に何か耳こすりをする。「あゝさう」とお若は態と大きな返辭をして「どうしませうねえ旦那、今下にお座敷のあいた藝妓こどもが一人居りますんですつて。それでも呼びませうか」と言ふ。三藏は大いに困る。どう返辭をしたものかと無愛想なお徳の顏と汚ないお若の顏とを見較べてゐた時廊下に急がしい足音が聞えたと思ふと他の女中の聲で「お徳さん、お師匠さんがお見えになりましたよ」といふ。三藏もお若もお徳も思ひがけが無いので驚いて振り返ると「御免下さい」と靜かに障子を開けて現はれたのは小光である。「おやまあお師匠さんですか」とお若は立上つて「よくいらしつて下さいましたのね。どうかこちらへ」とさつきから敷いたまゝで空しく人待顏であつた座蒲團を三藏の傍に敷く。「まあ旦那でいらしつたんですか。どなたかと思ひましてね。お斷り申しましたですけれど何だか氣になりまして、一寸御挨拶だけに。どうも姉さん有難う。姉さん有難う」と二人に挨拶して末座に坐つたまゝ一寸こぼれた鬢を掻き上げる。


六十八


 小光は總髪そうがみの銀杏返しに結つてゐるのが仇つぽくて、薄つすらと白いものゝついてゐる額の廣々としてゐるのも美しい。三藏はラムプを隔てゝちら〳〵と見る。これは高座では判らなかつたが薄い雀斑そばかすがある。難といへば難だがそれも其上に無造作に薄化粧をしてゐるのが却つて美しくも見える。「旦那お盃をお師匠さんへ。まあお師匠さん其處では困ります。お傍へ行つて上げて下さいな。それは大變なお待兼ねなんでしてね。ホヽヽヽヽ」とお若は今までと違つて少ししなをして笑ふ。三藏はこのお若の言葉を聞いて小光はどんな顏をしてゐるであらうかと竊に其方を見ると少し濕ひのある眼に優しい光りを湛へてぢつと自分の顏を見入つて居た小光の視線とはたと出逢つた。三藏は盃をさす。お若は酌をし乍ら「ねえ、どうか、いえそこでは困ります。はあ邪魔ですわ。ホヽヽ」と笑つて「私の傍に居て下すつては全く邪魔ですわ」と繰返す。「まあ隨分邪險な姉さんね」と小光も笑ひながら立上つて「ぢやお邪魔にしないかたのお傍に參りませうね」となれ〳〵しく三藏の傍に少し蒲團をよけて坐る。小光は盃を兩手に持ちながら「旦那今晩聽きに來て下さいましね」とぢつと三藏の顏を見て言ふ。「あゝ行くよ。今晩は何やらだつたのね」「酒屋ですわ」「酒屋か、酒屋は僕大好きだ」「さう」と小光は嬉しさうに言つて盃をかへす。三藏は受け取つて「君處へ遊びに行つてもいゝの」と又出し抜けに聞く。「はあ、どうか」と小光は輕く點頭く。


六十九


「御免下さい」といふ聲がして障子が開いたので三藏は我に歸つて其方を見ると、ぱつちりした眼の例の丸つぽちやの光花で、「おッ師匠しよさん一寸……」といつて小光の顏色を伺つて居る。「何ですね。お行儀の惡い」と小光はたしなめるやうに言つて口許には微笑を湛へてゐる。光花は「旦那暫く」とろくに三藏の顏も見ずになれ〳〵しく挨拶して「姉さん今晩は」と二人の女中に辭儀をする。「さあこちらへお這入りなさい。本當に可愛いゝのね」とお若とお徳が言ふ。「こちらへ這入り給へ」と三藏も言ひながら何をしに來たのかといぶかしさうに其顏を見つめる。「もう時間なの?」と小光は口輕く聞く。「はあ」と光花は簡單に答へる。「まアお迎へにいらしつたの」とお若は言つて、光花の少し首を斜に、肩から曲げるやうにして點頭くのを見て「さうですか。御苦勞樣! 本當にだん〳〵いゝ子におなりですこと。お樂しみですわねえお師匠さん」と小光の顏を見る。

 小光と光花とはお若とお徳とに送られて賑やかに歸る。三藏は獨り茫然ぼうぜんと後に取り殘されて冷えた盃の酒をぐいと飮む。

 お徳ばかりが歸つて來て、「お師匠さんの御馳走は折りに詰めて持たしてやりませうね」と例の通り不景氣に言ふ。


七十


 其夜三藏は既に小光が高座に現れてから後ち宮松に行つた。小光はテテンテン〳〵と彈き乍ら今這入つて來た三藏の方をぢつと見る。それから間も無く『今頃は半七さん』と目を瞑つてさはりを語り出す。一時三藏が法外遲く來たのを訝し氣に見て居つた聽衆も今は皆高座の方を見上げて熱心に聽く。三藏は殆ど空席の無い片隅に小さくなつて坐る。いつも聽き惚れる嬌音は相變らず身にむやうに覺えるが、其上今宵は一種不思議な心持がする。今まではいつも感服して聽き乍らも心の底に何やら不滿足な塊があつた。それが不思議な事には今は全く溶けて無い。それから又聽衆の中の氣障な奴の行爲が今宵に限つて少しも癪に障らぬのが不思議だ。

 ざら〳〵と御簾が下りた時三藏は我に歸つて群衆と共に立ち上つた。下宿に歸つて蒲團の中に這入るとまだ醉うてゐる。ぐつすり眠る。

 翌朝下宿の神さんに呼び起されて驚いて眼を覺すと奧平さんといふ方がいらしつたといふ。北湖先生らしい。三藏ははつとする。實は北湖先生に十圓の借金がある。それも先生の手許が有福であるわけでは無く色々工面をして融通をして貰つた金で是非今日中に返金せねはならぬ義理合になつてゐる。昨日育英會寄宿舍の賄方の周旋で或金貸から借りた十圓の金、實はこれは北湖先生に返金する積りで調達したのであつた。併し其金はもう四圓餘りを殘すのみである。三藏は宿醉の痛い頭を抱へて飛び起る。

「これは安眠を妨害しましたな」といひながら北湖先生は狹い四疊半の這入口で帽子を脱がれる。「實は昨夜地方の俳人の一水が來て、もう明日は歸るといふので一會催してやらうかと思つたので、今朝一寸李堂の家へ行つて今歸りがけでやすてい。李堂も隨分寢坊ぢやが、山僧君も却々お負けんよ」と入口に立つたまゝで高い聲をせられる。三藏は一言いはれる度にびく〳〵し乍ら蒲團を片づけて席を作る。北湖先生は帽子を膝の上に置いて坐りながら、此間蓬亭から聞いたのでは大分此頃お月並るといふ評判ぢやが本當でやすか。何とやらいふ名ぢやあつたよ。さう〳〵錦絲〳〵。も一人の方は……あれは私も聽いた事のある娘義太夫ぢやがひよつと名を忘れたよ。誰やらであつたよ。……と獨りで考へて居られる。


七十一


 北湖先生は月並といふ言葉を動詞に使つてその上に「お」といふ敬語を加へ「お月並る」とか「お月並た」とか言つて他の事を冷やかされるのが得意である。三藏も散々に此手で惱まされる。

「決して月並むわけでは無いのです。小説を書くのにはどうしても……」などゝ辯護して見るのが我乍ら甚だ氣勢が揚がらぬ。先生は相變らず帽子を膝の上に置いた儘で「其錦絲とかいふのは十風の細君の妹とかいふ事でやすな。本當の妹なのか、それとも妹分といふわけでやすか」「妹分なんで」「十風の友達といふ處で大いにもてるでやせう。健羨の至りでやすな。時に十風からちと便りでもありますか」「此間もちよつとありました。非常に寒いさうで體工合がよく無いから歸り度いやうに言つて來てゐました」「さうでやせう。あの體で北海道は少し無理でやすな。併し十風の境界は却〻なか〳〵古風でえゝ。あの斯う顏の丸い」と今迄帽子を握つて居られた兩手を御自分の長い顏の前に持つて來て丸い形を造られる。「顋の短い」と御自分の長い顋を平手で切落とすやうな仕ぐさをせられる。「口の大きい」と今度は御自分の口の邊で前と同じやうな大きさの圓をこしらへられる。「あの細君が時々さと言葉か何か使ひ乍らも大いに世話女房がられると、十風は又十風で、あまり男振りはえゝ方では無いが、併しあれで却〻意氣でやすてい。我等仲間では矢張り一番つゝころばしの資格があるでやすな。その十風が病氣で寢て居ると細君は甲斐々々しく介抱をおしる。それを氣の毒がつて十風が何とか優しく言ふ。細君は慰める。それから又ひよつとした事から怨む。怒る。所謂癡話でやすな。一寸お癡話りるが直ぐ又仲がよくなる。却〻古風でやすな」と北湖先生は御自分の頭に「梅暦」や「娘節用」を置いて十風夫婦をも頻りに古風がられる。三藏は鋭鋒が幸ひに十風の方に外れたので少し安心してゐると、「時に山僧君はどうでやす。一つ錦絲と二人で十風の向うをお張りては。それともあの娘義太夫の方……何とやらいひましたな。さう〳〵小光々々。錦絲より小光の方でやすか。こりや或は山僧君の方が十風以上の艶福かも知れんてい」と直ちに又惡辣に來る。三藏は大いに恐縮する。殊に「十圓々々」と心の底で囁くので先生の方では戲談に言つて居られる事が一々ひし〳〵とこたへる。終に怺へ切れずに「實は先生今日御返金するお約束をして置きましたもの、どうか今四五日御猶豫を願へますまいか」と思ひ切つて切り出す。「あの金は私がある所から借りた内をあなたに融通したのでやして」「はい」「實は私の方もまだ調達しかねてをるので昨日この月末迄延期して貰う事に先方へ頼んで置きましたやうな次第で。だから山僧君のも月末までゞ結構でやす。どうか其時には間違はぬやうに頼みます」といはれる。三藏はほつと安心する。先生は時計を出して見て「あらもう十時ぢやよ、こりやいかん。これからまだ松聲しようせいのうちに三壁のうちに僊化せんくわのうちへ𢌞にやならん。それぢや二時から來て下さいよ。どうもお邪魔でやした」ととつかはと出て行かれる。段梯子を半ば位降りられた頃「こりやしもた」と上つて來られる。「何かお忘れ物ですか」と聞くと、頻りに袂や懷を探して居られたが「あゝさう〳〵今日は持つて來なんだのぢや」と言つて又急がしさうに降りられる。


七十二


 十風夫婦は此年の暮北海道を去つて東京では誰にも逢はずに京都へ來た。北海道の寒さが非常に十風の健康を損じたのと何かの事件で佐野と爭つたのが原因である。間も無く蓬亭が佐野に逢つた時「十風の野郎無責任で困らしやあがる」と言つて佐野はひどく怒つてゐたといふ事だ。

 京都へ來てから間も無く十風は或會社の臨時雇となつたがそれも喧嘩して止めた。それから或通信社へ這入り直ぐ又或新聞社の會計方に轉じた。北海道で劇しく喀血してから體はだん〳〵衰弱する。京都へ來てからも發熱する事は屡〻であるがそれでゐて亂暴に酒を飮む。金がある時は登樓などもする。「京都といふ處はしみつたれな處だが、己等の樣な貧乏人が遊ぶにはいゝ處だ」などゝ言つて流連ゐつづけなどすることもある。細君は「又今日も歸つて來ないんだよ。本當に人を馬鹿にしてゐる」と考へながら雨戸の透間の白んでゐるのを見て又空閨に二度寢をする。初めの間は心から腹も立てるし殆ど命がけに嫉妬も燒いたが此頃はもう根氣負をして仕方無いわと絶念あきらめてゐる。十時頃になつて本當に眼が覺める。それからお茶を沸かしてお茶漬を食べる。漬物を出すのも面倒なので梅干で食べる。十風は其日は夜になるまで歸つて來ない。どうしたといふんだらう餘りだわとむか〳〵するが、又、仕方無いわと絶念あきらめて財布の底を探ると十錢銀貨が一つあるので急に輕燒を燒かうかと思ひ立つ。お隣りに輕燒を燒く道具があるので借りに行く。それから砂糖を出さうと思つて戸棚を開けると蟻がついてゐる。それを見てもう輕燒も厭やになる。それから道具をお隣りへ返しに行つて夷子座えびすざの話が出たのでそれに油を賣つて歸る。歸つて見ると十風は醉ひ潰れて倒れてゐる。瘠せた額の筋がいら〳〵と怒張してゐる。細君は默つてつんとしてゐる。十風は一寸目を開けて細君を見たが再び目をつむつてこれも默つてゐる。こんな有樣で流連ゐつづけをした事は遂に二人の話題に上らずに濟む。それでも時々は眞面目に夫婦で談合することもある。「あの靜ちやんの家の赤ん坊ねえ、可愛いゝでせう」「うん可愛いゝ兒だ」「彼兒あれを誰でも欲しい人があつたら遣るといふんですつて、貰つて育てゝ見ようかしら」と言ひかけて考へる。「さうか」と十風も眞面目に「子供が一人あつたら賑かだねえ。貰つてもいゝなあ」とこれも一寸考へる。それから二人とも暫く無言でゐて「まだ新聞社は給料を増してくれないのですか」と細君は櫛卷きのほつれた鬢を掻き上げる。「星野がいろ〳〵心配して呉れてゐるがまあ駄目だらう」と十風は咳き入る。こんな事を暫くしんみりと話した揚句には十風の態度に激變を來たすのが常である。ハヽヽヽと先づ大聲を上げて笑つて「それでお前子供を育てる柄だと思つてゐるのか」といふかと思ふと「子供育てゝどうする氣なのだ。それより舞子の小岸でも連れて來よう。小岸に墨でも磨らして……」と言ひかけて自分が大文學者になつて唐木細工の大きな机に凭れて絨毯の上に坐つて小説を書いてゐる所をちらと默想する。「墨位私が磨つて上げるわ」と細君は櫛卷を手で握つてぐら〳〵と動かし乍ら顏をしかめてつんとする。大概斯ういふ事が落ちである。


七十三


 それから十風は東京の俳友などゝは全く交際を絶つて了つて一年餘り新聞社の會計で辛抱して居たが遂にそれをも止めた。同じ新聞の三面記者をして居つた星野といふ男も同時に止めて二人で或會社を創立するといつて頻りに奔走して居つた。これから二月許りが十風の全盛時代で俄に美しい服裝をして大きな名刺を拵へて月極めの車夫を置いて毎日の樣に駈けずり𢌞つて居つた。細君は十風程景氣はよくなかつたがそれでも二人で八新の料理を取寄せて食つた事もある。或日は又急に車を連ねて何處かへ出掛けた事もある。輕燒の道具を持つてゐる隣の家などでは「五十嵐さんは株か何かで旨い事しやはつたんやろ」と噂してゐた。又「五十嵐の奧さんは此頃見違へるやうに美しうならはつた」と評判してゐた。櫛卷に埃が掛るのも平氣でゐる程取亂してゐたのが俄に薄化粧までして生々してゐる處を見ると、五つか六つは若くなつたやうに見える。細君は「會社が會社が」と肴屋や豆腐屋にまで吹聽して、心のうちでは矢張り宅の人は働きがある、どうして今迄あの働きを見せてくれなかつたのだらうと思ふ。只細君が稍〻不平なのは何々會社假事務所といふ立派な札が星野の家の門口に掛つてゐることで、どうしてあの表札をうちの表に掛けないのだらう。うちの人の話によると一番主な事をして居るらしいのにどういふわけだらうと平かで無い。それから或時此話を十風にすると「馬鹿なことをいふな」と顏色が變つて「そんな下らぬ事を氣にするより少し己を慰める工面でもしろよ。一日走り𢌞つて歸つて來ると、ぐつたりと草臥れてしまふ。好きなものゝ一つ位拵へて置く氣がつかないのか」と腹立たしさうに言つたがそれでも平常のやうに癇癪筋をいら〳〵させるほどには怒らない。それからコン〳〵と咳き乍ら「うちで出來ない時は八新へでも言つてやつたらいゝだらう」と言つた。細君は其日は早速車夫の庫さんを使ひにして三鉢許り命令いひつけてやつて翌日からは何か一つづゝお手料理を拵へて十風の歸るのを待つことにした。

 或時十風は夜遲く酒氣芬々として歸つて來て「星野の奴はひどい奴だ。人間で無い」などゝ口を極めて罵りながら細君にも八つ當りをした。以前には有り勝の事であるが此頃では珍らしい現象なので細君は心配してその理由を聞いた。が十風はいはなかつた。翌日はいつもより早起をして出掛けて行つて其夜又遲く歸つて來た。酒氣は相變らずあつたがもう昨夜のやうには怒らなかつた。併し其以後細君の手料理は無駄になる日の方が多く、一時遠ざかつてゐた茶屋這入りが又頻繁になつて來た。一時熱心の光に充ちてゐた十風の眼には又悲痛の色が見える。


七十四


 二ヶ月後には細君の口から又會社といふ言葉を聞くことが出來ぬやうになつた。終日駈けずり𢌞つてゐた十風は朝から晩迄自宅うちにごろ〳〵して癇癪ばかり起してゐるやうになつた。主として創業費を支出した某は非常に星野、五十嵐兩人の行爲を立腹して訴へるといふ評判もあつたがどうやら沙汰止みになつたやうだ。十風は星野を怨んでゐた。全く自分は星野の爲めに賣られたのだといつてゐた。それは事實であつた。けれどもその賣られたといふ事がわかつて後十風が星野と共に殆ど茶屋に入りびたつて居た事も亦事實であつた。

 誠に短かい間の果敢ない夢であつた。其夢の醒めかけた頃十風は又激しい喀血をやつた。それからげそりと衰へて床に就いた。

 明治二十八年五月三藏が漸く十風の住所を探し當てゝ尋ねて來たのはその十風の喀血後三月ばかり後の事である。三藏は第四囘内國勸業博覽會の通信員を新聞社から囑託されて京都へ來て先づ何よりも早く十風の起居を明かにし度いと望んでゐたのであつたが初めの間は住居さへ判明しなかつた。それを此日は漸く尋ね當てゝ來たのである。

 十風は三藏を見るや否や急に顏をそむけた。それから聲を出して泣き出した。頬の肉はゑぐり取つたやうに落ちて頭と眼が目立つて大きく見える。漸く泣くのを止めて「よく來てくれた。僕はもう駄目だよ」といつて冷やかに笑つた。「そんな事があるものか」と三藏はいつたが續いていふべき言葉を知らなかつた。病人の著てゐる蒲團だけ流石に小ざつぱりしてゐたが其他のものは目も當てられぬ有樣であつた。以前東京で三藏は同居して居つた時も貧乏な暮しではあつたがそれでも何處やらにまだ明るい處があつた。今は見るものが皆暗い。大きな口をぱくりと開けて「おや塀和さん」と言つた細君の聲は昔とあまり變りは無いが、三藏を子供扱ひにした當年の活氣が少しも無い。「まあ美しい林檎ですこと」と三藏の手土産の風呂敷をほどいて籠のまゝ十風の眼通りに置く。十風は大きな眼でぢつとそれを見て「一つむいて呉れ」と言ふ。「僕がむいて遣らう。奧さんナイフを借して下さい」と三藏は言ふ。細君は齒のこぼれた大きな包丁を持つて來る。三藏は持ちくさうに包丁を持つてむく。長い皮が疊につくまで細君はぽかんと眺めてゐたが急に思ひ出して盆を持つて來る。十風は旨さうに食ふ。顳顬こめかみの筋の動くのがいたましく目立つて見える。細君はぢつと三藏を見てゐたが「塀和さん本當にあなた此頃立派におなりでしたのね」と言ふ。それからいろ〳〵東京の事を聞く。三藏は李堂、蓬亭の從軍したことなどを話す。其日は順序の立たぬ昔話に十風も大分元氣が出て來て「まるで君滅茶さ。昨日は古新聞を賣つて漸く藥を買つたさ。ハヽヽヽヽ」と昔のやうな投げ出したやうな笑ひやうをした。


七十五


 其後三藏は屡〻十風を見舞うた。或日一人の髯を生やした、金縁の眼鏡を掛けた色の生つ白い三十餘りの人に出逢つた。十風は「これが星野君だ」と三藏に紹介した。そして其談話の中に頻りに其厚意を感謝する口吻が見える。嘗ては「星野が全く僕を陷いれたのだ」とまで話した事のある人をと三藏はをかしく思つた。十風の病勢は段々面白くない。近頃は熱の高低が激しくつて食慾が減退して愈〻衰弱を増すばかりである。或日十風の眠つてゐるとき細君に「失禮ですが此頃の經濟はどうしてやつてゐるのですか」と三藏は聞いた。細君は「星野さんが全く親切なんですの」といつて「人は見かけによらんものね。道樂もんでしてねあの人は。さうよ。うちを伴れてつたのも大概あの人なんですけれど、それで心は矢張り親切なのね」と心から感謝して居つた。三藏は、それでは以前十風にかけた損害を償ふ積りで病中の補助をしてゐるのであらう、と考へた。それから半月許りの間先づ十風の病勢は持合つてゐたが此頃は醫者から談話を禁ぜられた。十風は「馬鹿な。話をせずにどうして生きてゐられるものか」といつて態と長い話をしてさうしてほろ〳〵涙を流し乍ら咳き入つた。其頃から不思議な事には今まで櫛卷ばかりであつた細君が艶々とした丸髷を結つてゐる日が多いやうになつた。それから或月夜の晩三藏は十風を訪はうと思つて歩いてゐると向うから月光を正面に浴びた色の白い美しい婦人が一人來る。餘程美人らしいと三藏は凝視し乍ら近づいて見ると驚いたそれは十風の細君であつた。「あゝ貴方でしたか」と三藏は立止つた。「おや塀和さんなの。びつくらしたわ」と細君も立止つて「何處へいらつしやるの? うち?」と聞く。「えゝ」と三藏は答へて「あなたは?」「一寸使ひなの、すぐ歸りますから、お先へ行つてゝ下さいな」と言ふ。それから五六間も行つた時細君は急に走り戻つて來て「塀和さん私に此處で逢つたといふことうちに言はないで置いて下さいな。此頃病氣の所爲せゐだか馬鹿に疑ひ深くつて本當に困るのよ」と顏をしかめる。月明りの爲めか此間頃の細君とは見違へるやうに色が白い。それに物言ひに活氣があつて小石川時代が思ひ出される。其夜は十風は珍らしく熱が無いといつて大變元氣がよく此頃手傳ひに來た細君の從妹とかいふ十五六の小娘に足をさすらせ乍ら三藏と快談した。「細君は?」と聞くと「一寸醫者の家へ遣つた」と無造作に答へた。間も無く細君は歸つて來たが「おやいらつしやい」と澄して三藏に挨拶して茶を汲んで來る。月明りで見た程では無いが、それでも顏には白いものを塗つてゐる事が明かだ。


七十六


 その夜は格別變つた事なく三藏は只雜談して歸り、それから三日目の夜又訪問すると、此日は前日と違つて何となく一座の光景が穩かで無い。細君の顏には矢張り白いものが見えて髪も丸髷に今日結ひ立てのやうである。それでゐて頬には涙のあとがあつて何處となくそわ〳〵としてゐる。十風はと見るとこれも頬には涙痕があつて大きな眼を開けてぢつと天井を見詰めてゐる。三藏が枕許に坐つてからも暫く無言でゐたが、突然「酒が飮み度いなあ」と獨り言のやうに言ふ。それから又暫くして「塀和君、君一人で枕許で飮まんか。何だか淋しくていかん」と低い聲で言ふ。「あゝ飮んでもいゝ」と三藏は逆らはぬやうに言ふ。「おい〳〵」と十風は細君の顏を睨みつけるやうにして「酒を持つて來い」と嚴かに言ふ。「お酒? 有りません」と細君も稍〻荒々しくいふ。「無けりや買つて來い」と愈〻急調になる。「だつてお金が……」と細君はいひさして默る。「何、お金が無い? 馬鹿ッ」と泣きさうになつて「金が無い? 馬鹿が……」と何か更にいはうとしてコン〳〵と咳き入る。「金なら少々は僕の所にある」と三藏は自分の財布を出しかけると十風は瘠せた幽靈のやうな手を振つて尚コン〳〵と咳く。細君は後ろに𢌞つて背中をする。十風は其手を拂ひ除けようとしたが力が足らぬ。瘠せた大きな頭を枕から落して敷蒲團に顏を埋めるやうにして咳く。こんな激しい咳は初めて見るので三藏は狼狽する。小娘に醫者のうちへ行つて來いと命ずる。小娘が立ちかけると十風は又痩せた長い手を振つて止める。十分間程も咳き入つた末漸く靜まる。平常は青白い顏が薄赤くなつて汗が流れる。細君は自分の袂から出したハンケチで親しげに其汗を拭いてやりつゝ眼をうるませてゐる。十風は瞑つてゐる眼を大きく開けて細君の顏を見て又「馬鹿ッ」と一言いつて危く咳が出ようとしたのをぢつと堪へて又眼を瞑る。涙が瞼の間から溢れ出る。三藏は事の原因を解し兼ねて甚だ手持無沙汰に默然として坐つてゐる。十風は死んだものゝやうに寂寞として目を瞑つた儘ぢつとして居る。細君も默つて只靜かに背中をさすつて居る。そのうち十風の口は少し開く。眼も白味を見せて少し開く。疲勞の爲に眠つたものと見える。其顏を見ると全く死の相だ。二三日前に比べると段が落ちて惡くなつたやうだと三藏は哀れに思ふ。そのうち十風は俄に眼を開けて三藏を見て「此奴が君以前やつた商賣をして僕の藥代を拵へてゐやあがる。恥を知らぬにも程がある。……早く死に度い、あゝ僕は早く死に度い。……」といつて又咳き出す。曩の咳よりも激しく咳く。細君は狼狽へて又背中を摩る。三藏はいふべき言葉を知らぬ。兎も角小娘を醫者のうちへ走らす。


七十七


 それから二日目に十風は遂に死んだ。死ぬる前も何が原因であつたかわからぬがひどくじれて最後の喀血をやつて間も無く瞑目した。三藏は其前日十風の睡つて居る間に細君に聞いて見た。「十風君がいつた事は全體どうしたんです」細君は少し狼狽へたが「全く邪推ひがみなんですよ。星野さんはあの會社の方が失敗になつて誠に氣の毒だから及ばずながら補助するといつて親切に世話して下さるんですのに。それを妙に言ふのですから本當に困つてしまひますわ。私は何といはれたつて構はんですけれど若し星野さんにでも聞えたら大變だと思つてそればかり心配でなりませんわ」と辯護した。それだけの辯護ではどこか三藏の腑に落ちぬ處もあつたが何にせよ垂死の病人を目の前に控へてゐる事であるから三藏も其以上は問はなかつた。又十風も其以後ものをいへば必ず咳くので殆ど口を閉ぢてしまつたので其問題は再び持出されずに濟んだ。それで介抱は細君が出來るだけの事をして居る。醫者がもう今明日が判らんと注意しそれから殆ど夜の目も合はずに介抱する。星野も屡〻見舞に來る。さうして三藏などの氣の附かぬ處にまで氣を附けてよく世話をする。三藏はどうも星野を此病人の傍で見る事を好まぬ。けれども肝腎の病人はあまりそれを厭やがる風も見えない。却つて其好意を感謝して居る樣なところも見える。眞相を明かにせずにゐて左や右いふべきで無いと三藏は默つて居た。十風の死後も殆ど星野が中心になつて世話をする。細君は泣くだけ泣いて青白い顏をして尚まめ〳〵しく働いて居る。國許からは一人親戚の人が上京して白骨として持つて歸ることになる。其親戚の人の話では十風の母堂も昨今重體で、目下の處では兩方の葬式を一度に出すやうになるかも知れぬとの事で、細君のことに就ては母堂を初め親戚のものは正常の妻と認めては居らぬ、殊に五十嵐家の遺産といつては殆ど透が蕩盡してしまつて全く無一文といふ有樣だから、當人の爲をいつても無關係なものとして今後の一身を處理する方がよからうとの事であつた。細君が白骨に別れる時の悲しみは稍〻取亂した程であつた。遺稿整理は君の方でやつて呉れとの星野の依頼で三藏は何かと調べて見たが殆ど遺稿といふやうなものは無かつた。細君の話に其後俳句を作つたこともあつたやうだが書留めて置く事などはしなかつたとの事だ。

 それから尚半月許り三藏は京都に居つた。十風の細君は間も無く親許に引取られたと聞いたが三藏は或日今出川通りではたと出逢つた。矢張り美しい丸髷に結つて薄化粧をして年にしては派手な著物を著て元氣よく三藏に挨拶して行つた。三藏は寧ろ其末路を思うて哀れを感じた。


七十八


 此頃は京都にも大分俳人が出來て時々俳句會が開かれる。三藏は博覽會雜記といふ短文を新聞に送る他は別に用事も無いので俳句會には缺かさず列席する。そのひまに又舊友をも訪問する。大方は皆東京に行つて大學に這入つてゐるが中にまだ殘留して居るものもある。

 三藏は別に俳諧師にならうと思つたわけでも無く、又特に意を傾けて研究したといふわけでも無く、只李堂などに讃められるのが面白いので、小説を書かうと思つても出來ず、酒色にも飽くことの出來ぬ其鬱結を散ずる爲めにやつてゐたのであるが、それでゐて此地の俳句會などに列席して見ると、いつの間にやら俳諧道の先達になりすましてゐるのに我ながら驚く。まだ小説は書き度いと思ふ。けれども亦俳諧師として推重されるのも嬉しい。いゝ句が出來るのも愉快だ。

 或日渥美の主人から三藏の許に手紙が來た。僕の舊友が君等のお弟子ださうで僕も仲間に引込まれた、俳句の話が聽き度いから今日午後から來てくれ、といふ文意である。これは愈〻意外だ。鶴子さんはどうしたらう。お常はまだ居るか知らんとなつかしく思ひながら案内を乞ふと細君が自ら玄關に出て來て「おや塀和さんですか」となつかしさうにいふ。それから主人公の書齋に行くと、今一人來客があつて、それも主人公位の年輩で髯をひねり乍ら「山僧君といふのはこんなに若いのか、これは驚いた」と大きな聲をして笑ふ。それから「いやなか〳〵むづかしいものだが併し又面白いものだ」と前置を置いていろ〳〵質問を發する。それから三人で二三題作つて更に其句の批評などして夕飯の御馳走になる。主人公も飮む。お客も飮む。二人は盃を擧げ乍ら幼穉な試論を鬪はす。それから二人では水掛け論だから一つ先生に聞いて見ようなどゝいつて三藏に審判を乞ふ。三藏は以前獨逸語の書生として釜から取る熱い御飯を頂戴して居つた時に比べて其變化に驚き乍ら馳走になる。主人公とお客とは頻りに飮む。三藏は臺所に退いてなつかしい中庭のへつゝいを眺めながら鶴子さんやお常の事を聞く。鶴子さんは三藏が京都を去つてから間もなく或工學士の細君になりお常は去年の暮まで續いて此家に居たが此春丸太町の或家へ嫁入つたさうで「お常はあれから後もよく貴方の噂をしてゐましたよ」と細君は附加へて言ふ。三藏は其夜渥美に泊る。


        *        *        *


 水月は此年の秋自殺した。三四年間殆ど俳人としての交通を絶つてゐたが、三藏は京都から歸つて間も無く久振りに出逢つて其風采言行の非常なる變化に驚いた。以前は一見異常なる哲學者肌の人と思つたのが極めて穩かな平凡な人になつてゐた。「近來俳句は如何です」と三藏が聞いたら「近頃二三句作りました」といつて思ひ出し〳〵其句を話した。三藏は全く月並であるのに驚いた。それから最も三藏を驚かしたのは「僕は自殺せうと思ひます」といつたことだ。けれども其態度が極めて平靜で更に大問題と思へぬやうな口振りであつたので三藏は初めこそ驚いたが、たいして氣にも留めなかつた。二人は不忍池を散歩したが氷月ひやうげつに上つて汁粉を食つた。其時大きな地震があつて水月は逸早く跣足のまゝ庭に飛び下りた。さうして「死なうと思つてゐるのに地震が怖いのは不思議だ」と獨り言をいひながら又座敷に上つて汁粉の殘りを啜つた。其時の勘定は強ひて水月が拂つた。歸路三藏は水月に妻帶してはどうかといつた。水月はさういふ事を聞くとすぐ目の前に饑餓が迫つてゐる妻子の状態が描き出されると言つた。それから切通しの坂の上で別れた。其後二三日してピストルで前額と延髓とを一發づゝ打つて自殺した。

底本:「俳諧師・續俳諧師」岩波文庫、岩波書店

   1952(昭和27)年825日第1刷発行

初出:「國民新聞」

   1908年(明治41)2月~9月

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:青空文庫

校正:酒井和郎

2016年320日作成

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