あほう鳥の鳴く日
小川未明



 若者わかものは、ちいさいときから、両親りょうしんのもとをはなれました。そして諸所しょしょながあるいていろいろな生活せいかつおくっていました。もはや、幾年いくねん自分じぶんまれた故郷こきょうへはかえりませんでした。たとえ、それをおもして、なつかしいとおもっても、ただ生活せいかつのまにまに、そのそのおくらなければならなかったのであります。

 もう、十七、八になりましたときに、かれは、ある南方なんぽう工場こうじょうはたらいていました。しかし、だれでもいつも健康けんこう気持きもちよく、らされるものではありません。この若者わかもの病気びょうきにかかりました。

 病気びょうきにかかって、いままでのように、よくはたらけなくなると、工場こうじょうでは、この若者わかものに、かねはらってやとっておくことをこころよくおもいませんでした。そしてとうとうあるのこと、若者わかものひまをやって工場こうじょうからしてしまったのです。

 べつに、たよるところのない若者わかものは、やはりみずから、つとめるくちさがさなければなりませんでした。

 かれは、それからというものは毎日まいにち、あてもなく、あちらのまちこちらのまちとさまよって、しょくもとめてあるいていました。

 そらいろのうすあかい、晩方ばんがたのことでありました。かれは、つかれたあしをひきずりながら、まちなかあるいてきますと、あちらにひとがたかっていました。

 何事なにごとがあるのだろう? とおもって、若者わかものはそのひとだかりのしているそばにいってみますと、きたならしい少年しょうねんをみんながとりかこんでいるのであります。

「さあ、あかとりんでみせろ。」と、一人ひとりがいいますと、また、あちらから、

「さあ、しろとりんでみせろ!」とどなりました。

 きたならしいふうをした子供こどもだまってっていました。

「どんなとりでもんでみせるなんて、おまえは、うそをつくのだろう? なんで、そんなことがおまえにできてたまるものか!」と、人々ひとびと口々くちぐちにいって冷笑あざわらいました。

 するとかみびた、顔色かおいろくろい、ちくぼんだ子供こどもは、じろじろとみんなのかおまわしました。

わたしは、けっして、うそをつきません。やまにいて、いろいろほかの人間にんげんのできないことを修業しゅぎょうしました。ほんとうに、みなさんがあかとりんでほしいならば、どうか、わたしに、今夜こんやまるだけのかねをください。わたしは、すぐにんでみせましょう。」といいました。

 群衆ぐんしゅうなかには、さけったおとこがいました。

「ああ、んでみせろ! もし、おまえがんでみせたら、いくらでも、ほしいほどのかねをやるから。」といいました。

 子供こどもは、うなずいて、そらあおぎました。くもはちぎれちぎれにたからかにんでいました。そして、がまったくれてしまうのには、まだがあったのです。

 たちまち、するど口笛くちぶえのひびきが子供こどもくちびるからこりました。子供こどもは、ゆびげてそれをくちにあてると、いきのつづくかぎり、きならしたのであります。

 このとき、あかみがかった、西にしそらのかなたから、一てんくろちいさなかげくもをかすめてえました。やがて、そのくろてんは、だんだんおおきくなって、みんなのあたまうえそらんできたのです。そして、あちらのまち建物たてもの屋根やねまりました。

 それは、夕暮ゆうぐがた太陽たいようひかりらされて、いっそうあざやかにあか毛色けいろえる、あかとりでありました。

「さあ、このようにあかとりんでまいりました。」と、子供こどもはいいました。

「あんなとおくでは、あかとりだかなんだかわからない。もっとちかく、あのとりんでみせろ!」と、さけったおとこさけびました。

 子供こどもは、ふたたびたからかに、口笛くちぶえらしました。すると、あかとりは、すぐみんなのあたまうえ電信柱でんしんばしらにきてまりました。

「おい、あのとりつかまえてみせろ。」と、このとき、ていた一人ひとりがいいました。

わたしには、あのとりつかまえることもできますが、今日きょうはそんなことをいたしません。」と、子供こどもこたえました。

「なんで、おまえはつかまえてみせないのだ?」

わたしは、ただあかとりをここへんだばかりです。」

つかまえてみせなければ、かねをやらないぞ。」と、群衆ぐんしゅう口々くちぐちさけびました。

あかとりんでみせろというだけの約束やくそくであったのです」と、子供こどもこたえました。けれどみんなは、口々くちぐち勝手かってなことをわめいて、承知しょうちをしませんでした。

つかまえてみせなけりゃ、かねをやらない。」と、さけったおとこもいいました。

わたしは、おかねはいりません。そのかわり、今夜こんやこのまちへ、くろとりをたくさんんでみせましょう。」と、子供こどもはいいました。

 くろとりという言葉ことばは、なにか不吉ふきつなことのように、みんなのみみかれたのです。けれど、だれもこころから、ほんとうにしんずるものはありませんでした。なんでおまえにそんなことができるものか? このあかとりんできたのは、偶然ぐうぜんだったろうといわぬばかりのかおつきをして、このきたならしい子供こども姿すがた見守みまもっていました。

 そのとき、だれか、小石こいしひろって、電信柱でんしんばしらいただきまっているあかとりがけて、げました。あかとりおどろいて、くもをかすめて、ふたたび夕空ゆうぞら先刻さっききたほうへと、んでいってしまいました。

 子供こどもは、しょんぼりとそこをりました。このあわれなさま若者わかものは、群衆ぐんしゅうにくらしくおもいました。自分じぶんこまっていたのですけれど、まだわずかばかりのかねっていましたので、そのかねなかから幾分いくぶんかを、子供こどもめぐんでやりました。子供こどもは、たいそうよろこんでいくたびもれいをいいました。そして、わすれまいとするように、じっと若者わかものかお見上みあげていました。

 そのばんのことであります。そらはいい月夜つきよで、まちうえあかるく昼間ひるまのようにらしていました。どこからともなく、口笛くちぶえこえこりますとたちまちのあいだに、くろとりが、たくさんつきをかすめて、四ほうからんできて、まち家々いえいえ屋根やねまりました。

 まちひとたちは、みんなそとて、このくろとりをながめました。そして、こんなとりが、どこからんできたのだろうとあやしみました。

 しかし、今日きょうがたまちで、あのきたならしいふうをした、かみののびた子供こどもが、みんなからからかわれていたさまひとたちは、あの子供こどもがだまされたために、復讐ふくしゅうをしたのだろうということをりました。なんというとりか、だれも、このくろとりっているものがありませんでした。そのとりは、からすよりか、かたちちいさかったのであります。そのとりは、だまっていました。そのうちに、また、一のこらずよるのうちに、どこへかんでいってしまいました。まちひとたちは、なにかわるいことがなければいいがと、おそれていました。

「あのきたならしいふうをした乞食こじきは、悪魔あくまだ。つけしだいにひどいめにあわせて、このまちなかからはらってしまえばいい。」と、ある人々ひとびとはいっていました。

 数日後すうじつごのこと、若者わかものは、やとわれぐちさがしながらあるいていますと、先日せんじつきたならしいふうをした子供こどもが、職人体しょくにんていおとこにいじめられているのをました。

「おまえは、どこから、このまちへなどやってきたのだ。このごろはまちにろくなことがない。火事かじがあったり、方々ほうぼうでものをぬすまれたりする。なんでも、口笛くちぶえ子供こどもがあやしいといううわさだが、おまえは口笛くちぶえくか? はやく、どこかへいってしまえ。」と、おとこ子供こどもをにらみつけて、むねのあたりをいて、あちらへしやっていました。

 子供こどもは、だまって、うつむいていました。これを若者わかものはそばへやってきました。

「かわいそうなことをするものでありません。この子供こどもは、あなたにわるいことをしましたか? 口笛くちぶえくということが、どうしてわるいのですか?」と、若者わかものは、職人体しょくにんていおとこをなじりました。

 職人体しょくにんていおとこは、いて、

「このは、悪魔あくまです。この子供こどもまちにはいってからというもの、ろくなことがない。」といいました。

「そんな理由りゆうのあるはずがありません。わたしは、それをしんずることができません。」と、若者わかものはいいました。

 職人体しょくにんていおとこは、かえ言葉ことばがなく、あちらにいってしまいました。

 まもなく、五、六にんれの乱暴者らんぼうものがやってきました。そして、いきなり、きたならしいふうをしたあわれな子供こどもをなぐりつけました。

「おまえだろう、口笛くちぶえいて、夜中よなかに、くろとりんだりするのは? をつけたのも、おまえにちがいない。また、方々ほうぼう泥棒どろぼうにはいったのも、おまえにちがいない。」と、かれらは口々くちぐちにののしりました。

 このとき、子供こどもは、なんといって弁解べんかいをしても、かれらはききいれませんでした。そして、つづけざまにに子供こどもをなぐりつけました。これを若者わかものは、あまりのことにおもって、

「なぐらなくてもいいでしょう。口笛くちぶえいて、とりんだことと、火事かじや、泥棒どろぼうとが、なんの関係かんけいがあるのですか? おおぜいで、こんな子供こどもをいじめるなんてまちがってはいませんか。」と、若者わかものは、かれらの乱暴らんぼうめようとしていいました。

 かれらは、これをくと、かえってますますおこりました。

「なにもおまえのったことじゃない。おまえは、このちいさいわるやつ仲間なかまなのか? 生意気なまいきやつだからいっしょになぐってしまえ!」といって、かれらは、若者わかものや、あしや、かおや、あたまを、かまわずおもうぞんぶんになぐりつけました。

 若者わかものはなからは、ながれました。そして、子供こども若者わかもの二人ふたりは、これらの乱暴者らんぼうものから、ひどいめにあわされました。かれらは、おもうぞんぶんに二人ふたりをなぐると、

「さあ、さっさとはやくこのまちから、どこへでもいってしまえ。まごまごしていると、またつけて、こんどはゆるしておかないから。」といいのこして、これらの乱暴者らんぼうものってしまいました。

 子供こどもは、若者わかものに二たすけられましたので、どんなにか、ありがたくかんじたかしれません。若者わかものが、自分じぶんたすけるために、はなからしたことをると、ただすまなくおもって、いくたびもれいもうしました。

「そんなに、おれいをいわれるとこまります。わたしは、良心りょうしんが、不正ふせいゆるさないために、たたかいましたばかりです。」と、若者わかものこたえました。

 二人ふたりは、とぼとぼとはなしながら、まちはずれて、あちらにあるいていきました。

「これから、あなたは、どこへおゆきなさいますか。」と、子供こどもは、若者わかものにたずねました。

わたしはいままで、ある工場こうじょうはたらいていましたが、病気びょうきになったために、その工場こうじょうからされました。そしてがなく、毎日まいにちやとわれぐちさがしているのです。」と、若者わかものこたえました。

 すると、子供こどもは、

わたしは、やまにいたとき、口笛くちぶえいて、いろいろなめずらしいとりを、つかまえることをおぼえました。そのめずらしいとりの一ってあちらのにぎやかなみなとにいって、かねのあるひとたちにれば、こまらずにらしてゆくことができるのです。しかし、とりをほんとうにかわいがるひとすくないのです。とりがかわいそうでなりませんから、とりってることはいたしません。わたしは、ひとりでさびしいときには、いままで、いろいろなとりんで、そのこえをきくことをたのしみにしました。また、わたしは、これから西にしにゆきますと、ひろいりんごばたけがあって、そこでは人手ひとでのいることをっています。そのりんごばたけぬしを、わたしは、まんざららないことはありません、その主人しゅじんに、わたしは、あなたを紹介しょうかいしましょう。そして、わたしも、あなたといっしょにはたらいてもいいとおもいます。これから、二人ふたりは、そこへいってはたらこうじゃありませんか。」といいました。

 若者わかものは、これをきいて、たいそうよろこびました。そして、二人ふたりは、西にしほうにあるりんごばたけをさしてたびをいたしました。

 二人ふたりは、りんごじゅ手入ていれをしたり、栽培さいばいをしたりして、そこでしばらくいっしょにらすことになりました。二人ふたりのほかにも、いろいろなひとやとわれていました。若者わかものは、きんや、ぎんに、象眼ぞうがんをするじゅつや、また陶器とうきや、いろいろな木箱きばこに、樹木じゅもくや、人間にんげん姿すがたけるじゅつならいました。

 りんごばたけには、朝晩あさばんとりがやってきました。子供こどもは、よく口笛くちぶえいて、いろいろなとりあつめました。そして、とり性質せいしつについて若者わかものおしえましたから、若者わかものは、人間にんげんや、自然しぜん彫刻ちょうこくしたり、またえがいたりしましたが、とり姿すがたをいちばんよく技術ぎじゅつあらわすことができたのであります。

 しかし、二人ふたりは、幾年いくねんかののちに、またわかれなければなりませんでした。子供こどもは、青年せいねんになりました。そして、若者わかものとしをとりましたから、二人ふたりは、もっとひろなかていって、おもった仕事しごとをしなければならなかったからです。

わたしは、きたならしいふうをして、まちなかをうろついていたときに、あなたにたすけられました。あなたは、自分じぶんわすれて、わたしすくってくださいました。」と、その時分じぶん子供こどもであった青年せいねんはいいました。

「ほんとうに、もうおもせば幾年いくねんまえのことであります。わたしは、病気びょうきをしてしょくうしなっているときに、あなたにあって、このりんごばたけへつれられてきました。そして、ここで幾年いくねん月日つきひごしました。わたしは、ここにきたがためにいろいろの技術ぎじゅつおぼえることができました。これから、また方々ほうぼうわたって、もっといろいろのことをったり、たいとおもいます。」と、当時とうじ若者わかものは、もういいはたらざかりになっていて、こうこたえました。

「おたがいに、このなかから、うつくしい、よろこばしいことをりましょう。わたしは、あなたが、わたしのために乱暴者らんぼうものからなぐられて、ながされたことを一生いっしょうわすれません。」

「いえ、いつかも、いいましたように、けっしてあなたのためではありません。たとえそのひとがあなたでなくても、だれであっても、よわいものを、ああして乱暴者らんぼうものがいじめていましたら、わたしは、良心りょうしんから、いのちしてたたかったでしょう。」と、むかし若者わかものはいいました。

「みんなが、そのような、ただしいかんがえをっていましたら、どんなにこのなかがいいでしょう? わたしは、このはなしをみんなにらしたいとおもいます。わたしは、めずらしいとりをあなたにあげますから、いつまでもってやってください。そして、わたしわすれずにいてください。」と、むかし子供こどもはいいました。

 口笛くちぶえ上手じょうずかれは、やまほうへはいっていきました。そして、どこからか、一めずらしいとりつかまえてきました。

「なんというとりですか。」と、年上としうえ若者わかものがきくと、

「どうか、あほうどりというをつけておいてください。このとりをあなたにさしあげます。」と、年若としわか子供こどもこたえた。

 二人ふたりは、ついにみなみきたわかれました。

 それから、いくねん……たったことでしょう。あるまちの二かいりて、としとったおとこが、とり二人ふたりでさびしい生活せいかつをしていました。

 おとこあたまかみ半分はんぶんしろくなりました。とりとしをとってしまいました。おとこは、とりくことや、象眼ぞうがんをすることが上手じょうずでありました。終日しゅうじつ、二かい一間ひとま仕事しごとをしていました。その仕事場しごとばだいまえに、一つばさながとりがじっとしてっています。ちょうど、それは鋳物いものつくられたとりか、また、剥製はくせいのようにられたのでありました。

 おとこは、よるおそくまで、障子しょうじはなして、ランプのした仕事しごとをすることもありました。なつになると、いつも障子しょうじけてありましたから、そとあるひとは、このしつの一見上みあげることもできました。

 ちょうどとなりいえの二かいには、中学校ちゅうがっこうへ、おしええに博物はくぶつ教師きょうしりていました。博物はくぶつ教師きょうしは、よく円形えんけい眼鏡めがねをかけて、かおしてこちらをのぞくのであります。

 博物はくぶつ教師きょうしは、あごにひげをはやしている、きわめて気軽きがるひとでありましたが、いつも剥製はくせいとりを、なんだろう? ついぞたことのないとりだが、とおもっていました。おとこが、むずかしいかおをして仕事しごとをしているので、ついくちさずにいましたが、あるのこと、教師きょうしは、

「あれは、なんというとり剥製はくせいですか?」と、唐突とうとつにききました。

 したいて仕事しごとをしていたおとこは、となり屋根やねから、こちらをいて、みょうなおとこかおしてものをいったので、むずかしいかおげてみましたが、きゅう笑顔えがおになって、

「やあ、おとなり先生せんせいですか。さあ、どうぞ、そこからおはいりください。」と、おとこはいいました。

 おとこは、そのひとが、学校がっこう先生せんせいであるのを、まえからものこそいわなかったけれど、っていたのです。

「なんというとりですか? めずらしいとりですな。」と、先生せんせいは、はいろうともせずにたずねたのであります。

「あほうどりといいます。」と、おとここたえました。

「あほうどり?」といって、先生せんせいは、いたことのないなので、びっくりしたようにまるくしました。

「なんにしてもいい剥製はくせいですな。」と、先生せんせいは、ためいきをもらしました。

「いや、剥製はくせいではありません。きているのです。もうとしをとったので、いつもこうしてねむっています。」と、おとここたえました。

 先生せんせいは、不思議ふしぎなことが、あればあるものだと、ふたたび、びっくりしました。この先生せんせいもどちらかといえば、あまりひと交際こうさいをしない変人へんじんでありましたが、こんなことから、となりおとこはなしをするようになりました。

 あるあさ、あほうどりきました。おとこは、なにかあるな? とむねおもいました。

 はたして、となり先生せんせいがやってきました。そして、大事だいじあつかうから、ちょっとあほうどり学校がっこうしてくれないかとたのみました。おとこは、あほうどりをひとり手放てばなすのを気遣きづかって、自分じぶん学校がっこうまで先生せんせいといっしょについていきました。

 こんなことから、おとこは、多数たすう生徒せいとらにかって、むかしみなみのあるまちあるいているときに、子供こどもたすけたこと、それから、その子供こどもといっしょにはたらいたこと、子供こどもは、どんなとりでも自分じぶんともだちにすることができたこと、このとりは、その青年せいねんわかれるときにくれて、いままでなが月日つきひあいだを、このとり自分じぶんは、いっしょに生活せいかつをしてきたことなどを、物語ものがたったのであります。

 それから、正直しょうじきな「とり老人ろうじん」として、このまち付近ふきんには評判ひょうばんされました。このひとの、とり象眼ぞうがんは、きゅうに、名人めいじん技術ぎじゅつだとうわさされるにいたりました。

 くらい、よるのことであります。このとしとったおとこは、ランプのした仕事しごとをしていますと、きゅうにじっとしていたあほうどりばたきをして、奇妙きみょうこえをたてて、しつなかをかけまわりました。いままでこんなことはなかったのです。

「おまえは、でもくるったのではないか!」と、おとこは、とりかっていいました。けれど、とりは、なかなかおちつくようすはありませんでした。

先生せんせいに、きてみてもらおう。」と、おとこは、もうこのごろでは、したしくなった、となり先生せんせいんだのでありました。

とりは、ものにかんじやすいというから、今夜こんやわったことがあるのかもしれない。あるいは地震じしんでもな……をつけましょう。」と、先生せんせいは、しきりにさわとりながらいいました。

 はたして、その、このまち大火たいかこりました。そして、ほとんど、まち大半たいはん全滅ぜんめつして、また負傷ふしょうしたひとがたくさんありました。

 このさわぎに、あほうどり行方ゆくえが、わからなくなりました。おとこはどんなにか、そのことをかなしんだでしょう。かれは、あとって、終日しゅうじつ、あほうどりかえってくるのをっていました。しかし、とうとう、とりかえってきませんでした。けむりかれて、んだものか、みなみ故郷こきょうに、げていったものか、いずれかでなければなりません。

わたしは、べつに、このまちにいなければならないではないのです。もう一とりのすんでいたくににいってみようとおもいます。」と、おとこは、先生せんせいにいいました。

「そうですか、そんなら、わたしも、あなたといっしょにいって、その口笛くちぶえ名人めいじんについて、めずらしいとり研究けんきゅうをいたします。」と、先生せんせいがいいました。

 こうして、おとこ先生せんせいは、たびかけました。とおくのそらに、しろくもただよっていました。三にんった、どんなはなしを、たがいにむつまじくかたうでありましょう。

底本:「定本小川未明童話全集 3」講談社

   1977(昭和52)年110日第1

   1981(昭和56)年16日第7

初出:「童話」

   1923(大正12)年9

※表題は底本では、「あほうどり」となっています。

※初出時の表題は「阿呆鳥の鳴く日」です。

入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班

校正:本読み小僧

2012年926日作成

青空文庫作成ファイル:

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