花と人の話
小川未明



 真紅まっかなアネモネが、花屋はなやみせならべられてありました。おなつちからまれた、このはなは、いわば兄弟きょうだいともいうようなものでありました。そして、大空おおぞらからもれるはるひかりけていましたが、いつまでもひとところに、いっしょにいられるうえではなかったのです。

 やがて、たがいにはなればなれになって、わかれてしまわなければならなかった。そして、たがいのうえることもなく、永久えいきゅうにふたたびあうことは、おそらくなかったのであります。こうのアネモネのはちは、あかいろ素焼すやきでした。おつのアネモネのわっているはちも、やはりおないろをしていました。へいのアネモネのはちは、くろいろ素焼すやきでありました。この三つのはちならんでいました。そして、あたりはしずかであって、ただ、とおまちかどがる荷車にぐるまのわだちのおとが、ゆめのようにながれてこえてくるばかりであります。

 このとき、こうのアネモネは、

「いまにも、だれかきて、わたしたちをっていってしまうかもしれない。なんとわたしたちは、はかない運命うんめいでしょう。わたしは、あのくろい、ひろい、はたけがなつかしい。むかし、みんなして、あのはたけなかまれてかおしたあの時分じぶんが、いちばんたのしかったとおもいます。」といいました。

「ほんとうに、あの時分じぶんが、いちばんたのしかったですね。かぜさむかったけれど、朝晩あさばんひかりは、よわく、かなしかったけれど、そしてよるには、しもって、わたしたちをなやましたけれど、やはり、あの時分じぶんがいちばんよかったようにおもいます。」と、へいのアネモネがいいました。

 二つのアネモネのはなしだまっていていた、おつのアネモネは、かおげて、

わたしたちは、どこへゆくでしょう。どうかかわいがってくれるひとわたりたいものですね。おそらく、いっしょにはいられないでしょう。たとえ、もう二かおられなくても、おたがいにしあわせであればいいのです。けれど、みんながおなじようにしあわせであることはできないでありましょう。」といいました。

 そのうちに、ひと足音あしおとがしました。三つのアネモネはだまってしまいました。なんとなくおそろしいような、またづかわれるような気持きもちがしたからです。それは、うつくしい令嬢れいじょうたちでありました。ぜいたくなようすをしていました三にん令嬢れいじょうは、みせさきにって、そこにあるいろいろなはなうえに、きよらかなりこうそうなうつしていました。

「あのリリーもいいことよ。」

 一人ひとり令嬢れいじょうが、こういいますと、ほかの一人ひとりは、

「わたし、カーネーションがきよ。」と、かたすみにあった淡紅色たんこうしょくはな目指めざしていいました。

「アネモネにしましょうね、いまきかかったばかりなのですもの。」と、三にん令嬢れいじょうなかのいちばん年上としうえのがいいました。

 すると、ほかの二人ふたりいもうとたちでありましょう。みんなそのねえさんのいうことにしたがいました。アネモネは、たがいに、こころなかで、このやさしい令嬢れいじょうたちのわたることをねがっていました。どんなにやさしくあつかわれ、またかわいがられるであろうとおもったからです。

 令嬢れいじょう一人ひとりは、こうのアネモネをげました。

「どうぞ、これをくださいな。」といって、これをいました。こうのアネモネがはこられるとき、あとの二つのアネモネは、

「さようなら。さようなら。」と、見送みおくりながらいいました。そしてこうのアネモネが、どこへゆき、どんな生活せいかつをしたか、二つのアネモネは、りませんでした。ただ、こうのアネモネは、幸福こうふくおくるであろうと想像そうぞうしたのでした。

 令嬢れいじょうたちは、アネモネをいえかえりました。それはりっぱな西洋館せいようかんでありました。ひろい、のよくたるにわがあったけれど、そこにアネモネをかず、ある一しつうちはこんで、ピアノのいてあるそばのだいうえに、それをきました。室内しつないあかるく、いろいろに装飾そうしょくがしてありましたけれど、ひかりは、けっしてそこへはまなかったのです。このことは、はなにとって、このうえのない不幸ふこうでありました。

 三にん令嬢れいじょうたちは、今夜こんや、このへやで音楽会おんがくかいひら相談そうだんをしていました。そして、あたりをかたづけたり、がくえたり、いくつも腰掛こしかけをってきたりしました。あたりのかたづけがすむと、一人ひとり令嬢れいじょうは、アネモネのそばへやってきました、そして、つくづくとはなをながめていましたが、やがてうつくしいかおはなちかづけました。はなは、接吻せっぷんしてもらうことかと、うれしそうにふるえていましたが、そうではなかった。

ねえさん、このはなには、ちっともにおいがありませんのね?」

「そうよ、のあるのは、ヒヤシンスなのよ。」すると、いもうとは、テーブルのうえにのせてあった香水こうすいのびんをとりあげました。そしてしげもなく、それをアネモネのはなといわず、といわず、あたまからふりかけました。はなは、どんなにびっくりしたことでしょう。

ねえちゃん! なにするのよ、はなれてしまってよ。」と、一人ひとり令嬢れいじょうがいいました。

「だいじょうぶよ、今晩こんばんだけはれはしないわ。」と、いもうとはいって、三にんむすめたちは、こえをたててわらいました。

 アネモネのはなは、そのはなやかなさま勇気ゆうきもなかったのです。みずももらわなかったから、二、三にちしてれてしまいました。

 こううえ空想くうそうしながら、花屋はなや店頭みせさきにあった二鉢ふたはちのアネモネは、ある大学生だいがくせいが、まえって、自分じぶんたちをつめてるのにづきました。

あたりにしてやって、一にちに二みずをやればいいですか?」と、大学生だいがくせいは、きいていました。なんというのつく学生がくせいだろうと、アネモネはおもいました。

「こんなひとが、わたしをつれていったら、わたしは、幸福こうふくだろう。」と、アネモネはおもったのです。

 大学生だいがくせいは、おつのアネモネをってゆきました。

「さようなら。ご機嫌ごきげんよう。」と、あとに、ただひとりのこされたへいのアネモネはいって、おつ見送みおくりました。

 大学生だいがくせいのへやは、じつに乱雑らんざつで、書物しょもつ雑誌ざっしなどが、らされてありました。

 それでも大学生だいがくせいは、アネモネを大事だいじそうに、つくえうえにのせておきました。

 大学生だいがくせいは、よるおそくまで、つくえうえ書物しょもつひらいて勉強べんきょうをしました。そして、あさきるのがおそかったのです。

 アネモネは、西日にしび障子しょうじうえらすのをたばかりで、自身じしんは、らされることがありませんでした。

 はなは、あの花屋はなや店先みせさきを、どんなにこいしくおもったでしょう。

 下宿屋げしゅくや女中じょちゅうは、はななどには無関心むかんしんでした。すこしのかんがえもなくそうじなどをしましたから、あかいアネモネのはなは、あたまからほこりをびさせられました。

 大学生だいがくせいは、はじめの二、三にちは、はなをとられながら、ながめたり、みずをくれたりしましたが、そのは、わすれてしまったように、みずもくれませんでしたから、つち湿しめがなくなって、はなれかかったのです。

 あるあさ学生がくせいは、きて、ふとはなをながめました。

元気げんきがなくなったな。」と、学生がくせいは、ひとごとをしました。

 ちょうどすこしまえに、女中じょちゅう朝飯あさめしのおってきたののです。

 学生がくせいは、乱暴らんぼうにも、まだえきらない、あたたかなおはなにかけながら、

「だいじょうぶれはしまい。みずりにゆくのもめんどうだ。」

 学生がくせいは、こういいました。

 しかし、はなはそのために、がしおれてしまいました。そして、じきにれてしまったのです。

 こううえおつうえおもって、最後さいごのこったへいのアネモネは、しばらくさびしいおくっていました。

 ある、十二、三になったおとこが、二人連ふたりづれでやってきました。

「これはなんというはなだい。」

と、一人ひとりがいいました。

「アネモネのはなだよ。」

と、もう一人ひとりこたえました。

「きれいなはなだね。」

「これをっていこうか。」

 アネモネは、もしこの子供こどもらにっていかれたら、どんな乱暴らんぼうのめにあうかもしれないと、びくびくしていました。

 二人ふたり子供こどもは、このアネモネをいました。そして、二人ふたりは、さも大事だいじそうにこのアネモネのはちをかかえて、いえかえりました。

 子供こどもらは、いろいろのはなわっているにわっていきました。そのにわは、たいそう日当ひあたりがよかった。ちょうもくれば、みつばちもやってきたのです。

 子供こどもは、毎朝まいあさきると、すぐにはなのところへやってきました。

 そしてつちかわくと、みずをくれました。学校がっこうからかえってくると、はなのあたるところへして、また、そこがかげると、ほかの場所ばしょうつしてくれました。

 はなは、二人ふたり子供こどもにかわいがられました。

 はなも、子供こどもがやさしいので、すっかり子供こどもきになってしまいました。

 そして、ながあいだそのにわいていました。

 が、時節じせつがきた時分じぶんに、だんだんはなわりにちかづいておとろえてゆきました。

「このをしまっておいて、また来年らいねんはるになったらえてかそうね。」

と、二人ふたり子供こどもはいいました。

 はなは、どんなに、これをいてうれしかったでしょう。来年らいねんはるも、また、そのつぎのとしはるいて、子供こどもなかよくしようとおもいました。

 はなわったとき、子供こどもらは、そのしてから、これをふくろなかれて、そのうえに「アネモネ」といて、しまっておきました。

底本:「定本小川未明童話全集 2」講談社

   1976(昭和51)年1210日第1

   1982(昭和57)年910日第7

初出:「少女の花」

   1923(大正12)年1

※表題は底本では、「はなひとはなし」となっています。

入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班

校正:江村秀之

2013年115日作成

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